週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.266【長崎県】余命半年!?崩壊進む廃墟島「軍艦島」!!その上陸記録を回顧しよう!

洋上に浮かぶ巨大な廃墟島、「軍艦島」。

 

そのシルエットは、名前の通り軍艦のようである。

第2次世界大戦のときに活躍した、戦艦大和戦艦武蔵・戦艦陸奥のような姿を彷彿とさせる。

 

どのくらい似ているのかと言うと、大戦中にアメリカの潜水艦が軍艦島を本物の軍艦と勘違いして魚雷を打ち込んだという有名な話があるほどだ。

まぁ残念ながらそれは都市伝説なのだが、「そうだよね、勘違いするよね」と言いたくなるほどのビジュアルだ。

 

夕日の中の軍艦島

2015年には世界遺産明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のスポットの1つにもなった軍艦島

軍艦島は炭鉱で栄え、そして炭鉱の衰退と共に廃墟となったのだ。

しかし廃墟となってから随分な月日が経過しており、相当にヤバい状態だ。

 

2022年秋には観光客が動画撮影している目の前で建物がハデに崩れてきたりして、寿命は間近。

専門家によれば「メインの建物の余命は半年ほどだろう」とか言われている。

 

今回はそんな軍艦島に僕が初めて上陸したときのお話をしたい。

 

 

夢の軍艦島ツアー!

 

僕は1人ルンルンであった。

夢見ていた軍艦島に、今日上陸できるのだ。

そんな日が来るだなんて信じられないわ。

 

クルーズ船に乗って1

昔から軍艦島に興味を持っていた。

関連Webサイトはずいぶん読んだし、ちょっと違法で大きな声で言えない方法で島に渡って廃墟巡りをしている人のレポートをいいなぁって思いながら眺めたりしていた。

 

そんな軍艦島が上陸可能になったのは2009年のことだ。

僕は「こんな日がやってくるなんて!」って喜んだ。

 

クルーズ船に乗って2

その夢が叶うのは、2011年のことである。

車中泊から目覚めた僕は、意気揚々と朝の「長崎港」にやってきた。

 

今日の9:00、クルーズ船はこの港から軍艦島に出発する。

事前予約が必須なので、もちろん予約しておいた。

九州を巡る、あてのない車中泊の旅をしていたが、このイベントだけはちゃんと予約した。

 

クルーズ船に乗って3

出航30分前の8:30に指定された受付窓口の前まで行くと、既にもう2・30人の人たちが窓口に行列を作って手続きをしていて焦ったわ。

なんか誓約書を書く必要もあるみたいでちょっと時間がかかりそうな気配であった。


だが手続きはスムーズに完了。

クルーズ料の4300円を支払った。

もうこのあとは埠頭に待機しているクルーズ船の前まで行っていいんだってさ。

上の写真の右側の船がクルーズ船だ。

左のバイキングシップに乗ってはいけないよ。

 

クルーズ船に乗って4

船内は1階の空調完備された室内席と、2階の吹きっさらしのデッキ席の2種類がある。

 

あぁ愚問。

もちろんデッキである。

ガラス張りの船内なんかじゃ、僕の高まるテンションを抑えきれない。

 

クルーズ船に乗って5

周りを見渡してみると、老若男女様々。

若い人から60歳近いと思われる人、女性も多い。1人で来ている人も多い。そして外国人も。

 

僕、1人でクルージングなんてちょっとドキドキだったが、このメンバー構成なら全然気にすることもなさそうだわ。

「親愛なる同志よ!」って思った。

 

定刻通り9:00出航。

 

クルーズ船に乗って6

ここから軍艦島までは小1時間だ。

 

1時間もかかるのだが、長崎港を出発すると早速数々の見どころが登場して飽きることはない。

建造中の巨大タンカー、造船所の巨大クレーン、自衛隊イージス艦、そして女神大橋…!

 

クルーズ船に乗って7

どれも船内アナウンスで丁寧に紹介してくれるからありがたい。

 

もうテンション上がりっぱなし!

どうしよう!常に写真撮りまくりで、息つく暇も無いわ!大忙し!!

 

…出航から40分。

軍艦島と同じく炭鉱で栄えた「高島」の脇を通過。

さらに前方には「中ノ島」という極小の島が見えてきた。

 

クルーズ船に乗って8

その中ノ島の陰から、見覚えのあるシルエットがチラッと覗いた。

陸上から何度も見てきた軍艦島だ。

 

中ノ島から出航していくかのように、どんどんその姿を現してきた。

船内の人たちも興奮して立ち上がったりし、一斉にカメラを構える。


うおぉぉ、来るぞーー、来るぞーー!!

 

クルーズ船に乗って9

 

 軍 艦 島 !!

 

 

うおぉ、こんなにハッキリと島内の建造物が見えるのは、もちろんクルージングならではだ!

もちろん僕もここまで詳細にこの島を見ることができるのは初めて!

船内、興奮の坩堝!!

 

クルーズ船に乗って10

これから僕ら、あの島に上陸できるんだなぁ…。

改めてワクワクするぜ!ゾクゾクするぜ!!

 

 

ドルフィン桟橋上陸作戦!

 

どんどん軍艦島が近づいてきた。

もう過呼吸になりそうなほどの感動だ。

 

軍艦島MAP

まずは軍艦島の見取り図を苦労して作成したので、以後のご説明の参考にしてほしい。

正式名称は「端島」。

 

島をビッシリと埋め尽くすのは、学校や社宅など。

それらに号数が振られている。

 

最初に鉄筋アパートがここに建ったのは大正初期。日本初の鉄筋アパート。

まだ本土の一般人が木造平屋とかに住んでいた頃から、軍艦島の人々は近代アパートライフを満喫していたんだ。

それだけこの島は栄えていたのだ。

 

上陸作戦1

まずはMAPの右下に当たる部分から、上陸地点となるドルフィン桟橋に向かって移動していく。

武骨なコンクリートジャングルが手に取るようにわかる。

 

あのあたりは上陸できないので、今船上から見るしかチャンスはないぞ。

 

上陸作戦2

正面が70号棟の端島小中学校だな。

1~4階は小学校、5・7階が中学校、6階は図書館と音楽室だったそうだ。

島で唯一のエレベーターもあって、給食を運ぶのに使われていたんだって。

 

手前左の鉄骨剥き出しの低い建物が71号棟の体育館、そして後方に建つちょっと黒っ
ぽい建物は島で一番大きい65号棟だね。

社宅だけど屋上幼稚園も兼ねていた、コの字型の巨大建造物。

 

上陸作戦3

これらを別角度から…。

おえっ、すごすぎて吐きそうになるレベル。

ずっと鳥肌立ちまくりよ。

 

…ってゆーか、ちょっと待て!

写真中央、65号棟の一番奥屋上!!

 

上陸作戦4

あれは!滑り台!

幼稚園の屋上に備え付けられていたと聞いたことがある。

あの滑り台を囲んで幼稚園児たちが撮った集合写真を何枚か見たことがある。

 

すごい立地にあるから奈落に堕ちそうな感覚を味わえるという滑り台。

ドルフィン桟橋直前で一瞬見ることができたのだ。うれしい。

 

上陸作戦5

島の最高所で独特の存在感を放つのは、「端島神社」。

小さいけれども冒頭で掲載した夕日の中の軍艦島の写真でも判別できるほど、突出したシルエットを持つ。

危険な炭鉱労働をする島の人たちは、この神社をよりどころとしていたのだろうな。

 

上陸作戦6

ドルフィン桟橋接岸間際の写真だ。

こんないい天気の日に上陸できてラッキーだ。波もかなり穏やかだし。

 

軍艦島クリーズの最大の懸念事項は「島の上陸できない可能性」であろう。

波が高いと上陸できないのだ。

 

上陸作戦7

その確率は平均すると70%程度。

2021年の8月などは30%ほどであったという。

6月・7月は例年上陸率が低い傾向であり、11月~3月あたりが高そうだ。

しかし年によって大きな変動があるのであくまで参考だ…。

 

島の直前まで行って上陸不可な場合は、島を周遊するプランに変更するのが一般的だ。

だが、もちろん悪天候だと出航すらできないので注意されたい。

 

僕もドキドキしながら今日が穏やかな晴天であることを祈っていた。

ちなみに午後からは風も強くなり曇るそうなので、午後便でなくって良かった。

 

上陸作戦8

ジャンプするようにしてクルーズ船から島に上陸した。

 

桟橋に覆いかぶさるように建つのは、3号棟の幹部社宅が見える。

さすが、お偉いさんは一番高いところにお住まいだ。

風呂付き物件だったらしいよ。

 

上陸作戦9

今にも崩れてこちらに落ちて来そうな幹部社宅。

スゲーぜ。僕らは今、こんな廃墟だらけの島に足を踏み入れたのだ。

 

 

僕は軍艦島を歩く!

巨大な貯炭ベルトコンベアー

 

9:50、ついに軍艦島に上陸した。

日差しを一切避けることのできない炎天下だ。

ついでに日傘も禁止らしいから、気になる方は備えをしっかりとしてほしい。

 

当然島には売店も自販機もない。

ドリンクは自分で持ち込まなければならない。

それを知ったカップルが「ゲッ!」みたいな感じで焦っていた。憐れ。

 

軍艦島MAP

今一度MAPを掲載してご説明しよう。

 

今いるのがドルフィン桟橋だ。

赤線が見学用のコースである。

距離にしてわずか220m。当たり前だが建物の中に入り込むことはできず、しっかりと安全が確認できた場所から島内の様子を見れるだけである。

 

島内見学1

軍艦島の住宅の中は、今も当時のままの生活が残っている。

家電も食器も本もカレンダーも。全てが昭和で時を止め、ゆっくりゆっくり朽ちていっているのだ。

 

僕も見れたらそういう室内の光景を見たいんだけど、当然無理。

違法上陸して廃墟の中に入り込めば可能だけど、それもダメ。

まぁでもこうやってクルージングツアーでこの世界観に浸れるだけでも最高だ。

 

ドルフィン桟橋からほんの少し歩いたところが第1見学広場

100人近くいるメンバーは、第1見学広場で50人くらいずつの2チームに分けられる。

人数が多いので「第1→第3」の順で見学するグループと「第3→第1」の順のグループとで分けるみたいね。

僕は前者となった。

 

島内を歩く2

島の採掘関連施設は鉱山の閉山と同時にほとんど壊されてしまっている。

 

その中でも残っている貴重な遺構がこの貯炭ベルトコンベアー。

今は支柱が残るのみだが、それでもインパクト大だ。

精選された石炭はこのベルトコンベアーを通って石炭運搬船に積み込まれていたそうだ。

 

島内を歩く3

崩壊した選炭機のようだ。もう何が何だかわからない。

 

大体このあたりまでが第1見学広場近辺からのロケーションである。

スタッフの方はスピーカーを使って各施設の説明をしてくれる。

それをふむふむ、と聞く感じ。

結構気さくで頼めばカメラのシャッターも普通に押してくれ、ホスピタリティに溢れていたぞ。

 

島内を歩く4

ベルトコンベアーの支柱の背後に、聳え立つ65号棟と70・71号棟…。

凄まじいコンクリートジャングルの圧を背中に感じながら、僕らは第2見学広場へと移動する。

 

 

赤レンガの総合事務所

 

島内を歩く5

ここからは第2見学広場だ。

第1見学広場からは直線で50mほどの距離だけど。

 

右に見えている不安定な造形の建物は、第二竪坑口桟橋。

第二竪坑に行くための桟橋に登る昇降階段部分のみがかろうじて残っている、という具合だそうだ。

 

あの奥にはかつて巻き上げ櫓があり、そこから地下1000mもある海底の坑道に作業に入っていたんだ。

昨日は三池炭鉱の「万田坑」を見学した。

あそこで見たような竪坑櫓があったはずなんだけど、とっくに壊れていて今はわからないな。

 

島内を歩く6

総合事務所はその名の通り、軍艦島の政治の中枢。

赤レンガがオシャレ。

 

この総合事務所の中には作業者たちのためのお風呂もあったんだって。

真っ黒のドロドロで帰ってくるから、最初は海水のお風呂。

それから徐々に綺麗なお風呂に移動して行って、最後に真水のお風呂で綺麗になって帰宅するんだそうだ。

小さい島だったから、真水はとても貴重だったんだって。

 

…以上、全部スタッフさんが説明してくれた。

 

島内を歩く7

その向こうには「端島灯台」が聳えているのが見えた。

島で唯一の現役施設。

1998年に建て替えられたばかりらしいので、国内の灯台と比べても比較的若いものだ。

 

島内を歩く8

総合事務所にほれぼれしていたら、スタッフの方が「良かったらシャッター教えてあげましょうか?」って声をかけてきてくれた。

 

おやおや、そんなに僕が1人寂しい男に見えますか。

…正解だよ、コンチクショウ!

 

島内を歩く9

そんなこんなで、第3見学広場方面に移動を開始する。

会社事務所と総合事務所の接合部分が見える。ガッショガショに壊れてやがる。

 

島内を歩く10

うわっ。この角度で大変なことに気付いた。

一番右端を見てほしい。

 

赤レンガが立派だと思った総合事務所、ペラッペラだった。

壁しかなかった。肝心の中身が無い、ハリボテだった。

 

左側の会社事務所の残存部分も、細い柱が不安定な天井を支えている状態で、まだ形をとどめているのが不思議なほどだ。

長年の潮風や波が、このように劣化を進めたのであろう。

これ、お相撲さんがぶちかましをしたら一発で倒壊しちゃうよね…。

 

軍艦島MAP

いよいよ最後のエリア、第3見学エリアが近づいてきたぞ。

ハイライトである30号棟をいよいよ見ることができる。ウキウキだ。

 

島内を歩く11

もう直射日光でベロベロに暑い。

手元のペットボトルはほとんど中身が残っていない。

周囲を見ると、暑さに弱い人はそろそろ音を上げてきていた。

僕もテンションだけで動いているようなものだ。テンション、とても大事。

 

上の写真は鍛冶工場。

なかなかの崩壊美で気に入った。

 

島内を歩く12

朽ちている階段ってカッコイイよね。

僕はこういう絵が好きだ。ずっと見ていることができる。

 

続いて仕立工場が現れる。

 

島内を歩く13

そうそう、この仕立工場の写真に写っているから言及しておく。

 

島内の遊歩道はとっても綺麗だ。コンクリートでしっかり固められ、そしてコースを逸脱しないように柵が設けられている。

なのである程度ラフな格好でも見学大丈夫。

 

しかし何度か記載の通り、日差し対策と飲料対策はしておくべきだ。

僕はまだ9月の残暑の時期の訪問であったが、梅雨明けの酷暑・冬の寒さ・雨の日など、それぞれキツい事情があるに違いない。

 

 

日本最古のコンクリートマンション

 

島内を歩く14

 

来た、30号棟。

 

 

軍艦の船首部分、第3見学広場だ。

いよいよ日本で最初の鉄筋コンクリートアパート、30号棟が現れた。

これはもう、コンクリートマンションのオバケといってもいいだろう。

存在感、すさまじい。ポカポカの昼間に見ているからいいけど、夜に見たら完全にオバケ。

 

島内を歩く15

30号棟の左、写真には見切れているけど湾曲した造りの31号棟。

この1階には郵便局や床屋があり、地下には入浴施設があったそうだ。

 

30号棟・31号棟の後ろにチラッと見えているのは25号棟だね。

ギュウギュウ。日照ほとんどなかったのであろうな。香港の九龍城なみにカオスだな…。

 

島内を歩く16

30号棟が出来たのは1916年。つまり大正5年。

大正初期にこんな立派な建物が、市民用として既に存在していたのだ。

 

7階建てだぞ。そんで中庭もある。

東京を遥かに凌ぐ高度な文明が、この島にはあったのだ。

 

島内を歩く18

最上階にズームしてみると、窓から木々が風に揺られて「おいでおいで」をしていた。

なぜあんなところに植物が…。

 

土はあるのか?水はあるのか?

今は人間ではなく、あの木々がこのマンションの住民なのだな…。

 

島内を歩く19

どんどん崩れていく30号棟。

普通のコンクリート建造物としての寿命はとっくに過ぎているのだ。

ましてや高波のときにはハデに波を被るような島。

かたちを留めているのが不思議なレベルなのである。

 

冒頭にも書いたが、2022年秋の時点で「余命半年程度」と言われているのだ。

(正確にはそれ以前にも余命半年と言われているが、なんとかそれを生き延びている)

 

島内を歩く20

左側の31号棟にズームしてみた。

前述の通り湾曲したデザインが特徴的である。

 

こっちはまだ木枠のサッシが残っているね。木造のものがあるとなんだか生活の痕跡をより一層感じるね。

この巨大マンション、多くの人が住んでいたのだろう。

 

島内を歩く21

ここからでは見えないけど、島の内部は迷路のようにコンクリートマンションが立ち並び、その薄暗い隙間を迷路のように歩道や階段が走っている。

 

階段はえげつない斜度だったり、マンションとマンションを空中で繋ぐ渡り廊下が芸術的だったりと、僕ら一般人が見れない領域がまだまだあるのが残念だ。

 

島内を歩く22

こんなにも晴天なのに仄暗い、あの奥の路地に思いを馳せつつ、僕らは第3見学広場を後にする。

では、ドルフィン桟橋に引き返そう。

 

 

巨大軍艦は冥界に旅立つ!

 

10:50、ピッタリ1時間の見学を終えて、クルーズ船に戻って来た。

 

さよなら軍艦島1

ドルフィン桟橋からクルーズ船に乗り込んだ。

 

「さぁこれで帰るだけ…!」ではないぞ!

このあともまだ見どころあるから、疲れたからと言ってクルーズ船で寝るのはまだ早いぜ!

 

さよなら軍艦島2

みんなデッキでなごり惜しむように軍艦島を見上げている。

そんな中、クルーズ船は出航する。

 

ありがとう。夢にまで見た軍艦島

一般公開から2年目に上陸出来た僕は、やや早い方であろう。この思い出を大切にしたい。

 

さよなら軍艦島3

端島神社がまた見えた。

左側には白い柱、慰霊碑と、さらに左に壊れかけた鳥居も見える。

心の中でそっと参拝した。

 

さよなら軍艦島4

左から順に、鍛冶工場・30号棟・総合事務所・その上に灯台・3号棟・ベルトコンベアーの支柱・70号棟…。

島内で見てきたもの、全部見える。全部わかる。

 

これまでひとくくりに"軍艦"と呼んでいたものの解像度が、今回のツアーで拡大に上がった。

それがどんどん遠のいていく寂しさよ。

 

さよなら軍艦島5

僕もみんなもデッキで、遠ざかる軍艦島を見送る…。

さようなら軍艦島…!!

 

 

…と思いきや!!

 

 

 

クルーズ船は向きを変える。

軍艦島に戻りつつ、鼻先を回り込んで、今まで見えなかった裏側に入ったのだ。

 

軍艦島MAP

さぁ、このMAPを掲載するのはこれが最後だ。

クルーズ船は今、左側を回り込んで上側に入ったぞ。

 

コンクリートマンションがひしめき合う、一番カオスなゾーンだ!

上陸中の徒歩では見れなかった、軍艦の右舷を見れる唯一のチャンスだ!

 

軍艦島の右舷を眺める1

 

うわぁぁ、かっこいいーー!!!

 

 

アナウンスによれば、この右舷斜め前からの角度が一番戦艦「土佐」に似ていると言われているのだそうだ。

マジ軍艦。シビれる。

 

軍艦島の右舷を眺める2

当初な岩礁だった小さな島を、採掘の拠点として周囲を6回に渡って埋め立てたのだ。

本来の島はこの3分の1の大きさだったそうだ。

これはもう、天然の島ではなくって動かない軍艦って呼んでいいかもね。

 

軍艦島の右舷を眺める3

下半分に長ーく連なるのがさっきも見た31号棟。

右3分の1地点で奥側に折れ曲がっている。

そのさらに右が日本最古の30号棟だ。

 

軍艦島の右舷を眺める4

目線はどんどん左に流れる。

31号棟の左で倒壊してしまった建物はなんだろうか…?

 

軍艦島は、台風のときに高波がすごいらしい。

当時からそのせいで軍艦島は何度も何度も修復が必要であった。

実は、高波が来る方向に住民用のアパートがギッシリと固まっているのだとか。

万一のときは住居を盾にして鉱山施設を守る設計だったそうだ。

 

軍艦島の右舷を眺める5

もうすさまじい量の建物群で、脳内のキャパをオーバーしちゃった。

手前の50号棟は映画館。

その後ろの22号棟は公務員が住んでいて、役場にもなっていた。

さらにその上の13号棟は教職員用の社宅だったらしい。

 

軍艦島の右舷を眺める6

「コイツはヤベーぜ」と僕は小さくつぶやいた。

マンションにはまだふすまが残っていて、よく見ると家具もまだあるのだ。

 

それすなわち、これらは建物のかたちを保っているだけの空洞なのではない。

まだ魂が宿っている。そのように感じた。

 

軍艦島の右舷を眺める7

16号棟&59~61号棟か!

日給社宅の16号棟を過ぎると、綺麗に立ち並ぶ59号棟以下の団地が出てくる。

 

あれらの1つ後ろのアパートの合間を縫うように走っているのが、有名な「地獄段」なんだよね?ここからじゃ見えないけど。

 

軍艦島の右舷を眺める8

ひときわめだつ端島神社が神々しい。

コンクリートの世界に舞い落りた神だ、あれは。

 

軍艦島の右舷を眺める8

そしてクルーズ船は軍艦の船尾を再び回り込む。

70号棟・71号棟の巨大な建造物との再会。

うわぁ、こっち側はまだ窓ガラスが残っているよ。なんと愛おしい…。

 

さよなら軍艦島6

島の一周を終えた。

今度こそお別れなのである。

 

さよなら軍艦島7

1880年に石炭採掘がはじまった島。

瞬く間に発展し、その最盛期は1960年代。

 

周囲たった1.3kmほどの小さな小さな島に、5300人が暮らしていた。

それは世界一の人口密度。それは東京の9倍の人口密度。

 

しかし1974年に閉山。

1966年の採掘ピークからわずかに8年後。

時代は石炭から石油へ移り変わったのだ。

 

さよなら軍艦島8

閉山からたった3ヶ月で、全島民が島を出る。

もう島には仕事はないから、生きていけないのだ。

 

あの軍艦は、この先どこへ向かうのだろう?

往時の人々の魂を乗せて、冥界へと出航していくのだろうか?

 

さよなら軍艦島10

軍艦島は間もなく見えなくなった。

デッキで取り出した軍艦島上陸証明書は、雲が出てきて少し冷たくなった風を受けながら、少し寂しそうにパタパタと震えていた。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 端島軍艦島
  • 住所: 長崎県長崎市高島町
  • 料金: 各クルーズ会社のWebを参照のこと(僕の当時は¥4300)
  • 駐車場: 長崎港にあり(有料)
  • 時間: 各クルーズ会社のWebを参照のこと

 

No.265【福島県】自炊専門のちょっとボロい「中の湯旅館」!1人で過ごす時間が至高だぞ!

「ここに来たことありますか?」

「ここがどんな宿か知っているんですか?」

「本当に大丈夫ですか?何もないですよ。ご飯も飲み物も無いですよ。」

 

電話口の女将は、若干いぶかし気に僕に質問を繰り出してきた。

大丈夫なのだ。

僕は初めてだが、カクゴができている人間の目をしていた。

 

だからこそ、暗雲にも突撃できる

こんなにも晴天だというのに、磐梯吾妻の上空は分厚い雲だ。

いいじゃないか、行ってやろうぜ。

 

横向温泉、「中の湯旅館」

 

今回はここで1泊する。

 

 

雪の中の湯治宿

 

日本6周目の前半戦の3月のある日のことである。

そう、ちょうど2023年の今の時期のように、冬が終わり急速に春が近づいてきたシーズンであった。

 

ガチな自炊宿1

週末は能登半島一周しようと思っていた。

しかしそっち方面は雨だという。じゃあやめよう。

 

蔵王の情報を調べてみると、噴火警戒がようやく解除されたのだが、数日前に樹氷シーズンはほぼ終わったとのことだ。残念だ、じゃあやめよう。


岩手県三陸海岸沿いドライブをしようにも、そっちも天気が悪いらしい。

そっか、じゃあやめよう。

 

決して悲観的になっているわけではない。ヤケクソになっているわけではない。

安心してほしい。僕には旅の引き出しがいっぱいあるのだ。

 

ガチな自炊宿2

なら温泉に行くか。

僕は特に温泉にすごく興味のある人間ではないが、鄙びた味のある民宿が好きなのだ。


それで思い出したのが、以前知って気になっていた福島県の「中の湯旅館」という湯治宿。

ちょっとボロボロな雰囲気な昔ながらの湯治宿で、ご飯は出てこない。

調理機材以外の物はすべて自分での持ち込み。

ここにすっか。

 

そうやって電話をしてみたやりとりが、冒頭だ。

まずは「ここに来たことありますか?」、「ここがどんな宿か知っているんですか?」の攻撃。事実を答える。

いぶかしげに「本当に大丈夫ですか?何もないですよ。ご飯も飲み物も無いですよ。」

と聞かれる。

余裕です。結構耐性あるんです、僕。

 

ってことで、無事に予約完了。

念入りに、「YAMAさん。ウチは初めて。」って復唱された。

大事なのはそこなのか。

とりあえず、週末突撃してみるわ、そこ。

 

ガチな自炊宿3

青空から一転して周囲は豪雪、粉雪の舞う世界。

春、どこいった??

 

そんな雪道の先に見えてきたのがコレだ。

なんてクールなジャパニーズホテル!ヒューーッ!!

 

宿の前には雪は無いけど、これはホースから垂れ流される水で無理矢理溶かしているだけだからね。メッチャ寒いよ。

 

ガチな自炊宿4

とあるWebサイトでは東北一のボロ宿と書かれたりもしていた温泉宿。

そんな宿に興味をそそられないわけがない。

きたぞ、僕のサンクチュアリ

 

 

鄙びた世界が僕を癒す

 

おそらく周囲数㎞は商店1つない世界。

山の奥深くの秘境の一軒宿。それが、横向温泉の中の湯旅館だ。

 

鄙びた世界1

玄関を入るとこの昭和な世界が広がる。最高である。

土間のストーブが暖かいぜ。

 

土間で作業をしていた女将さんが「いらっしゃい」と迎えてくれた。

あまりこちらに絡んでくることも無く、でも必要なときにはちゃんと案内をしてくれる、絶妙な距離感の女将さんであった。

 

鄙びた世界2

「じゃあ、案内するからついて来てね」と、女将さんは宿内を案内してくれる。

お風呂と、洗面台と、お部屋と…。

 

あれ、…お部屋遠いな。

曲がりくねった渡り廊下のようなところをズンズン進む。

 

鄙びた世界3

この廊下、大丈夫かな?

酔っ払ったおじさんがフリーハンドで書いたような壁と天井だけど、大丈夫かな?

軽くダンジョンのような雰囲気だ。

 

鄙びた世界4

ほら、ダンジョンだからモンスターが現れた。

いや、これは…、モンスターじゃない、掃除機だ。

 

21世紀では見かけないような、レトロかわいいデザインの掃除機だ。

軽自動車のムーヴキャンバスとか、こんな感じのパステルツートンカラーだよね?

時代は一巡してレトロブームが来ていると感じているのは僕だけか?

 

鄙びた世界5

部屋。

昭和。

 

もうこれだけで、ネコがマタタビ見たようにキャッキャとはしゃぎたくなるわ。

薄暗くて狭い部屋!畳!こたつ!窓の外の雪!

 

鄙びた世界6

「炊事場にも調理器具があるけど、部屋にも最低限のものがあるから使ってね」と女将さんが言う。

部屋の入口横にはこのような簡単な調理グッズがあった。

年季が入りまくり。最高。

 

鄙びた世界7

座卓の上にはお茶セットがあったので、とりあえず飲むことにする。

一杯のお茶。

これがこの世界に馴染むための儀式だ。通過儀礼

 

しかし、女将さんは電話で「何もないですよ。ご飯も飲み物も無いですよ。」って言っていたよな。

あるじゃないか、お茶。

ツンデレか。好き。

 

 

極上のお湯に浸かれ

 

では、極上と言われている温泉に浸かろうか。

僕は温泉オンチでお湯の善し悪しはよくわからないし、ボロ宿目当てで来ているから極論普通にシャワーでもいいんだけど、やっぱ温泉には入るよね。

「温泉に入る」という行為が、既に詫び寂だと思うしね。

 

温泉入ろう1

プライベートスペースでこたつに入っている女将さんに、「温泉入ってくるー!」と声を掛けておいた。

 

どうやらこの旅館には混浴内湯・混浴露天・女湯の3つがあるらしい。

ちなみにこの季節露天は自殺行為だそうで、内湯のみだ。

 

温泉入ろう2

1階からさらに、狭くて暗い階段を下がった先に男性用の脱衣所があった。

あれ?

僕は手前側から入って来たのだが、向かって奥の白いドアをよく見てくれ。

 

温泉入ろう3

男性用脱衣所の向こう側に、女性用浴室がある…!!

 

どういうことだ?

女性用脱衣所に行くには、男性用脱衣所を通過しなきゃいけないのか!?

これはヤベーぞ!

女性も男性もヤベーぞ!

 

…と思ったが、先ほど書いた通り、ここには男湯というものはない。

かわりに混浴の温泉がある。脱衣所は男女ともにある。

ちなみに混浴の温泉に行くには、男性用脱衣所を通らねばならない…??

 

温泉に入ろう4

…って思った。確信しかけた。

 

しかし、この宿に詳しい方から「女湯 ⇔ 混浴」を行き来する通路があるとの情報をいただいた。

なるほど、そいつは気付かなかったぜ。ありがとう。

 

温泉に入ろう5

とても簡素で味わいのある温泉だ。

誰もいなかったタイミングで、女将さんに断り撮影させていただいた。

シャワー・シャンプー・石鹸類は何もない潔さだ。

 

温泉に入ろう6

混浴側のみにある36度の冷泉が人気だそうで、だから女性もこっち側に入ってくることがあるのだとか。

そのかわり、女湯側に人がいなければ男性が女湯に入るのもOK的な文化だそうだ。

 

ゆるいなー。

でもそれで平和的に解決するのであればいい世界だなー。

そういえば、この近所にある赤湯温泉の「好山荘」もそんな感じのゆるさだったなー。

 

温泉に入ろう7

お湯はやや茶色。そして大量の湯の華が舞っている。

 

冷泉のほうの湯舟はもちろんぬるい。

しかし一生入っていられそうな心地良さで、その後に体がジンワリと温まる。

話は前後するが、翌朝に入浴したときにはここで女性と一緒になったな。

 

温泉に入ろう8

前述の通り、僕は温泉に詳しくないからこれ以上のことは書けない。

 

しかしこの鄙びた空間で何をするわけでもなく、ボケーっとお湯に浸かっているのが至福なのだ。

そんな時間、人生に必要だろ?

 

温泉に入ろう9

戻った部屋の窓から見える裏庭はとんでもない積雪であったが、もう僕はポカポカだ。

気分は無敵であった。

 

 

自炊しよう、酒飲もう

 

では、もうやることもないから夕食を作るのだ。

いや、「作る」ってほど手間をかけるものは今回作る予定はない。

 

ただせっかくの自炊宿なので買って来たものをそのまま食べるのは味気ない。

料理のまねごとをしたいのだ。わかるね?

 

自炊しよう1

廊下の突き当りに共同の調理場スペースがある。

「調理場」という部屋は無いのだ。廊下と同じ幅で、突き当りにキッチン装備。

 

こいつぁ、えらい寒いぞ!

温泉で温まっておいてよかったな、YAMA!

 

自炊しよう2

ワクワクする空間だ。

厳冬地特有の、「水道管が凍るから水を出しっぱなしにしておいて」の文化も風流だ。

 

調理道具はどれも古く、鍋なんてどんな虐待を受けたのか心配になるほどボコボコだ。

食器は昭和のデザインから一歩も進化していない。

これ、湯治宿あるあるなんだけど、それが好きなのだ。

そんなボコボコの鍋を丁寧に使い、そして洗う自分が好きなのだ。

 

食材も調味料も、ラップみたいな消耗品も全部持参だ。

食器と調理器具以外は無いのだ。

僕はそれら全部用意してきた。

 

自炊しよう3

なんか洋風なモンができた。

チキンのハーブ焼きとウインナーだ。ライスには軽くハーブソルトを振りかけた。

 

こういう季節にこういうところ来たら普通は鍋だよね。

僕も普段はそうするが、なぜかヨーロピアンの血が騒いでしまった。

そんな血は一滴たりとも入っていないのに。

 

自炊しよう4

まだ外は明るいのに、温かいこたつに入り込んで、早くもビールを飲み夕食にする。

なんて幸せ。

今週末はこの幸せを選んで正解だった。グッジョブだ、僕。

 

自炊しよう5

遠くに夕焼けが見えた。

こんな天気であったが、最後にわずかな夕焼けが見られるとはラッキーだ。

そして明日はここも晴れるらしい。

 

自炊しよう6

しかし寒いな。

実は窓サッシが歪んでいて、窓がどうしても1cm開いてしまうのだ。

まぁいいか。

 

その後はゴロゴロと読書をし、TVを見て、22時過ぎくらいには寝ていたような気がする。

このくらいのレベルが人間として正しい過ごし方だと思う。

 

…続けて翌朝の朝ご飯の話もしよう。

 

自炊しよう7

逆光の調理スペースの中で、僕が両手に抱いているのはパンだ。食パン。

はい、コイツまた洋食に走る気だぞ。

我が家はパンに決まっている。そう言い張りたい。

 

自炊しよう8

昭和レトロな花柄の鍋やゴツさMAXの釜はあるが、トースターが無い。

しかしトーストを食べたい。どうしよう。

この宿、客がトーストを食べることを想定してない。しょうがない。

 

自炊しよう9

魚焼きの網があったので、それで気をつけつつパンを焼こう。

大丈夫、かつて車中泊自炊でさんざんやったことのあるスタイルだから。

そしてフライパンでは目玉焼きとウインナーを焼いた。

 

実はパンにはピザ用チーズをのせて、チーズトーストにしたい。

しかしこのスタイルではパンの上に乗せたチーズは溶けない。

チーズを乗せたパンを引っくり返せばチーズは溶けるが、パンからは全て落下して網を洗うのに2時間かかる。

 

この問題はどうしよう。

 

自炊しよう10

この写真を撮った後に実行したのだが、この状態のトーストの上にアツアツの目玉焼きを乗せるのだ。

そうすればそれなりにチーズが溶ける。

 

ひとまず優雅なのかワイルドなのかわからない朝食が、こうして無事に完了した。

 

 

旅館内を探検しよう

 

最後の章では、1日目・2日目とそれぞれ僕が旅館内をウロウロ徘徊した際に撮影した写真をご紹介しようと思う。

 

館内探検1

改めて外観。

煙突から勢いよく立ち上る湯気が猛々しい。

 

ブルーシート・脚立・「土湯峠改築計画」の看板・ホウキ…。

これらを見るとまるで工事現場の簡易事務所みたいな感じだが、旅館である。

 

館内探検2

女将さんがいない場合、玄関にはカゴが置かれる。

もし日帰り入浴の人が来た場合は、このカゴに料金300円を入れるシステムだ。

 

また、「この温泉はぬるいよ」という注意書きもある。

初めての人や急いでいる人は同じく横向温泉の「マウント磐梯」に行くよう勧められている。

初めての人はあまりのぬるさにビックリしてしまうし、急いでいる人は体が温まるまで浸かれないからなのだろう。

 

館内探検3

1泊で3900円。

暖房・TVは別料金だと書いてあるが、実際は込み込みであったな。ありがとう。

 

館内探検4

平成5年、つまり1993年の茶色く変色した料金表も転がっていた。

この頃は1泊3000円だ。

その他、事細かに料金設定がされている。

 

館内探検5

朝、僕はトイレの窓ガラスがとても美しい模様であることに気付いた。

昭和の職人技だな、すごい。

 

…って思った後、それは違うことに気付いた。

 

館内探検6

これは氷だ。窓が凍っているのだ。

なぜこんな不思議な紋様なのかというと、それだけ風が強かったからであろう。

なんて恐ろしい地!暦上ではもう3月なのに!

 

館内探検7

洗面所には「水は止めないで」の貼り紙が複数ある。必死のアピールだ。

もしこの気候で水を止めたら、間違いなく水道管は凍るだろうからな。

 

奥には洗濯機もある。

湯治で長期滞在するなら洗濯OKだ。

 

館内探検5

浴室の近くには、このような休憩室もあった。

窓が大きくて、天気のいい日にはサンルームのようにポカポカするのだろう。

 

ストーブがついていなくって地獄のように寒かったが、僕が館内で一番好きになったロケーションだ。

 

館内探検6

陽だまりの縁側でゆっくりくつろいだら、最高じゃないか。

そして頭上にはたくさんの物干し竿とハンガーがある。

長期滞在の湯治客はここに洗濯物を干したりするのだろう。

 

館内探検7

今回は全然お客さんいない。

たぶん僕以外に女性2人組がいるような気配であったが、その程度だ。

 

季節によっては、あるいは湯治が盛んだったころにはこのスペースもみんながワイワイしていたのだろうか?

そう考えるとちょっと切ないね…。

 

 

この宿の再開を祈り…

 

そんな思い出深い横向温泉・中の湯旅館なのであるが、ちょっと今ピンチなのだ。

実は2023年3月現在は休業状態であり、「女将さんも年だし、このまま閉業してしまうんじゃなかろうか?」というウワサも流れている。

 

積み重ねた歴史1

2022年3月16日、福島沖地震が発生した。

2011年の東日本大震災と同じような時期に同じようなところが震源で、どうにもモヤついた気持ちになってしまうけれども。

宮城県福島県は場所によっては震度6強となり、このあたりも震度5は確実にいったハズだ。

その地震で休業している模様だ。

 

積み重ねた歴史2

あとは、その年の積雪の影響で建物が一部損壊したから、という情報もある。

 

どっちが正しいのかわからないしどっちも正しいのかもしれないが、歴史ある旅館が今存続の危機に瀕していることは事実なのだろう。

 

積み重ねた歴史3

休憩スペースの脇の本棚には、1944年(昭和19年)からの宿帳がある。

まだ戦時中だ。ほとんど古書ってレベルだ。

そんなものが無造作に置かれていて、手に取ることができるのがすごい。

 

しかし宿の歴史はそんなもんじゃない。

福島県初の自炊専門湯治宿として、1882年に創業したのだ。

140年以上の歴史がある。

 

この歴史、終わらせたくないよね。

地震や積雪も、乗り越えてほしいよね。ついでにコロナも。

 

…2023年の僕は、祈るような気持ちでこの宿の続報を待っている。

 

積み重ねた歴史4

翌日は最高の快晴であった。

10時ギリギリまで入浴・自炊とゆっくりした僕は、荷物を愛車の日産パオに運び込み、女将さんに挨拶をする。

 

積み重ねた歴史5

ちょっとクールな女将さんであったが、「ありがとう。また来てね。」と最後に言ってくれた笑顔が眩しかった。

旅館の外の太陽も眩しかった。

 

雪の壁の間をゆっくりと歩き、最後に中の湯旅館を振り返る。

短い間だけど、ありがとうございました。

 

積み重ねた歴史6

日本6周目前半の、冬と春の間の物語。

たった1泊だけど、忘れられない思い出。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 横向温泉 中の湯旅館
  • 住所: 福島県耶麻郡猪苗代町若宮中ノ湯甲2975
  • 料金: 素泊まり¥3900
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明。各自問い合わせてください。

 

No.264【宮城県】「がんばろう!石巻」!震災直後から町を励ましてきた看板の歴史を追う!

東日本大震災から12年の月日が経った…。

12年前のあの日、宮城県石巻市は甚大な被害を受けたよね。

 

何人かの知り合いは石巻市に震災復興ボランティアに出かけた。

僕は石巻ではなく福島県南相馬市にボランティアに行ったのだが、石巻にも思い出があり、石巻のことも案じていたさ。

 

ガレキの撤去とか遺留品洗浄とか物資の仕分けなどという、直接的なボランティアは石巻に対してはできなかったが、間接的な活動はさせていただたつもりだ。

そしてしばらくの間、石巻が復興するさまも見れたと感じている。

 

震災前の石巻市沿岸

今回の記事の舞台は、この何の変哲もない町中だ。

「何の変哲もない」。

…そうであってほしかった。

 

この写真撮影から1年後、この写真の町は全てが震災の津波でなくなり、荒野となる。

2010年に「右手に日和山が見える!懐かしい!」とか思いながら駆け抜けた石巻の沿岸部の町中。

 

あのとき走った町は消滅した

同じ場所を高台から写した。

見事に何もなくなった。

 

そんな地に1枚の看板がある。

 

荒野に立つ看板

 

「がんばろう!石巻

 

 

今回は、この1枚の看板を追いかける。

 

 

1代目の看板(2011年~2016年)

2013年の邂逅

 

2013年の春のことであった。

僕は震災後初めて宮城県に足を踏み入れた。東北の他県には震災後全て行っていたが、宮城県だけ遅くなってしまった、ゴメン。

 

看板との出会い1

前夜に石巻市内のバーで飲み、そして車中泊をしていた僕。

翌朝に「日和山」を観光した後になんとなく沿岸部を目指してみた。

上がそのときの写真だ。

 

震災の津波でなにもなくなった地。

この記事の一番最初の写真でなんの変哲もない町中だった地。

 

右手奥に10台くらいの車が停まっていて「なんだろう?」って思った。

さらにその奥にはこいのぼりがいるようだった。

 

これが看板との最初の出会い。

予備知識ゼロであった。

 

看板との出会い2

「がんばろう!石巻」と書かれた大きな看板があった。

そしてその前には空を泳ぐこいのぼりの群れ。

 

あぁ、ここは…。

うん、書かなくってもわかるよね。

 

看板との出会い3

献花台があった。

犠牲者の方のご冥福をお祈りします。

 

残された方々も今、大変な道のりを歩んでいるに違いない。

周囲一帯、もう何もないのだ。その絶望や苦労は想像に絶する。

 

看板との出会い4

こいのぼりを結んでいるロープが括り付けられた柱。

よく見るとその一番上に「6.9M ここまで津波浸水深」と書かれていた。

 

津波、この高さまで来たのだ。家の2階までもが埋まる高さであろう。

背中に寒気が走る。

 

看板との出会い5

ランプに火が灯っていた。

説明板がある。

 

この火は被災した石巻地域から木片を集め、それを種火としているのだそうだ。

震災から1年が経った時点で、亡くなった方への追悼と、生き残った人々の「がんばろう」とする思いを心の残すために灯しているのだそうだ。

 

看板との出会い6

この看板の向かいには、「とまりの駅」という特産物を販売しているテントがあった。

 

まだこの頃には「がんばろう!石巻の看板」というスポット名も付いていない(あるいは一般的ではない)ような状態であり、僕は当時の手記にはここのことを"とまりの駅"と記していた。

 

そして僕は次の地へとドライブを再開する。

 

 

この看板はなぜ出来た?

 

この「がんばろう!石巻の看板」は、いつどうしてできたのだろう?

そのことを知るのは、前項の第1回目の訪問の後である。

2回目に移行に訪れたときに撮影した、現地の写真パネル等を用いてご説明したい。

 

看板誕生の経緯1

2011年4月11日。つまり震災発生からちょうど1ヶ月となる日。

 

ここに自宅兼店舗があった水道配管工の方が、幅11mの看板を自宅跡に建てた。

看板屋さんの友人の方と一緒に、「今やれることを全部やる!」とのことで、ガレキの材木なども使いながら看板を組み立ててこのメッセージを書いたのだ。

 

看板誕生の経緯2

背景の惨状がすさまじい。

石巻市は、ここから這い上がって来たのだな…。

 

僕が見た2013年は何もない荒野のような風景であったが、ここまで片付いた時点で既に大きく歩んでいるのだろう。

そうだ、同じくらいの時期に僕も南相馬津波被災地でボランティアをしたが、確かこんな感じだったものな…。

 

看板誕生の経緯3

これこそ、忘れてはいけない光景なのだ。

僕はこの写真を目に刻んだ。心にも刻んだ。

 

 

看板の下に眠る家屋

 

それから2年が経過した。2015年だ。

知人が「復興を呼び掛ける看板があるところに連れて行ってくれ」というので、「あそこのことかな?」と久々に看板のことを思い出し、行ってみることにした。

 

その知人は以前に「がんばろう!石巻」の看板を訪ねたことがあり、また久々に行きたいのだそうだ。

彼の指示に従って沿岸部の道に出た。

 

眠る家屋1

前項で遠くにこいのぼりを見つけたときと全く同じ場所で撮影した。

2年経ったがあまり景色は変化していない。

いや、どうやら"とまりの駅"は無くなってしまったようだな…。

 

眠る家屋2

曇り空のせいか、こいのぼりがいないせいか、ちょっと寂しく思えた。

 

知人は「この看板は家の跡に建っているから、よく見ると家の基礎や便器が残っているんだよ」と教えてくれた。

マジか…!そういえばこの不自然な看板の土台は、家の間取りそのものだったのか…!

 

改めて僕はショックを受けた。

しかしゴメン、その家の基礎等の写真はこのときは撮っておらず、この後で紹介するから待ってくれ。

 

眠る家屋3

看板の横にはこのような映像説明装置があった。

ボタンを押すとこの地域の説明・震災時の被害の解説がされる仕組みだ。

 

前項でご説明した看板設立時の写真や新聞記事も、ここに掲示されていた。

 

眠る家屋4

これだけの人の魂が失われたのだ。

これだけの人が生活を奪われたのだ。

その家族・友人・関係者など、なんらかの影響を受けた人数で言えば、日本人の半分とかそのくらいになるのではなかろうか?

 

まさに日本の歴史が変わるほどの出来事だったと、改めて感じさせる数字だ。

 

眠る家屋5

献花台には花のポットがたくさん置かれていた。

夏を感じさせる色彩を少し感じた。

 

…次の訪問は、それから約1ヶ月後であった。スパン短いね。

以前より親交のある旅友の「ニコル君」をここに案内した。

ニコル君は東北人ではないが、震災後いち早く物資を宮城県に届けたり、今回はボランティア活動に参加したりと、積極果敢に活動をしているのだ。

 

眠る家屋6

ちょうど梅雨入りの日で寒く、そして19時すぎのために薄暗かった。

それでもこの看板に興味を持ってくれたニコル君のために、ここを案内したのだ。

 

眠る家屋7

看板は設置者の方の家の跡地に立つ。

ここは家の中と外を分けていた部分だ。なんだったのかはわからないが、形状的にもしかしたら玄関だったのかもしれない。

 

眠る家屋8

位置的に水回りだろうか?下の方に見えているのは水道管だろうか?

生々しい被害が感じ取れた。

この土台があるからこそ、「がんばろう!石巻」の看板の存在意義も際立つのかもしれない。

 

眠る家屋9

前回知人から教えてもらった、和式トイレだ。

看板が立っている床板。その隙間を覗き込むと便器が存在している。

ここには生活があった。無言の説得力。

 

眠る家屋10

2015年の夏。

震災から4年が経ったが、まだまだ復興の道のりは遠いと感じた。

 

 

2代目看板設置計画

 

1年がさらに過ぎた。2016年になった。

 

さらば1代目1

えっと、どこだここは?

看板に向かっているのだが、道がよくわからない。

 

これは被災地沿岸部あるあるだが、盛り土などの道路整備が進むことにより、ロケーションも道の高度も道の位置も全然変わるのだ。

だから数ヶ月訪れていないとパニックになる。

 

さらば1代目2

なるほど、今まで走っていた道はあそこだな。

"とまりの駅"だとかがあった道は、あそこだった。

 

今は重機が入って盛り土の準備が始まっている。

工事後は今とは全然違う光景となるのであろう。

 

さらば1代目3

今回ここで知ったのだが、震災5年目を期に新しい看板を作成する計画が進んでいるのだそうだ。

現在の看板、つまり初代は5年もここに立っているので劣化が進んできている。

だから2代目の看板を1ヶ月ほどかけて製作し、4月11日、つまり1代目の看板の完成からちょうど5年目の日に世代交代するのだそうだ。

 

さらば1代目4

確かに看板の台座もボロボロだもんな。

これ以上壊れたら和式便器が丸見えになっちゃう。

 

そしてその際には、今と設置場所を少し変え、たぶんここより30mほど後ろとなるのだろうと聞いた。

この家屋跡がなくなってしまうのは、少し残念ではあるな…。

 

さらば1代目5

そういえば前回までは無かった「南浜つなぐ館」っていう建物ができている。

この横あたりに看板が移動になるのかな?


南浜つなぐ館では、被災した沿岸部の状況の説明資料や、語り部による震災体験が語られるそうだ。

なるほど。また近々訪問してみたい。

 

さらば1代目6

4月11日、1代目と2代目の看板の世代交代が行われた。

この光景はTV画面越しに見届けた。

1代目、お疲れさまでした。

ガレキの中で産声をあげた1代目看板こそ、偉大であったと僕は思う。

 

 

2代目の看板(2016年~2021年)

南浜つなぐ館

 

2016年4月、以前よりも30mほど後ろの位置に2代目の看板が設置された。

早速だが見に行きたい。

ゴールデンウィークに訪問してみた。

 

2代目の誕生1

時期的にこいのぼりだ。

それはそれでいいんだけど、見ているうちにすっごい土砂降りになって、傘をさしてもズブ濡れなレベル。

このあとは暴風警報まで出た。なんてこった。

 

ちなみに朝早かったせいか、南浜つなぐ館はやっていなかった。なんてこった。

 

2代目の誕生2

そんな雨の中で撮影したのでブレちゃったけど、2代目の看板だ。

新品でピカピカである。でもデザインや素材は一緒のようでちょっと安心した。

数ヶ月したら1代目と見分けがつかなくなるかもね。

 

そしてちゃんと看板専用の基礎の上に設置されたのだね。

 

2代目の誕生3

翌月、早くも再訪した。快晴の日にリベンジしたかったのだ。

 

あれ?右端の巨大な足場は何?盛り土だけじゃなく、なんか巨大建造物を造っている?マンション?

1ヶ月前はあんな足場はあったっけ?土砂降りだったので気付かなかっただけかな?

 

あそこは以前に"とまりの駅"があったところ。

もうかなり光景が変わってきているな。

 

2代目の誕生4

看板の色、少し落ち着いてきたように感じられる。

 

1ヶ月前の訪問時には朝早くてまだやっていなかった、南浜つなぐ館に入ってみた。

被災した沿岸部の状況の説明資料がジオラマや地図で掲示してあったり、この周辺をドローンで撮影した動画が見れたり、被災体験者が当時のことを語ってくれたりする。

 

2代目の誕生5

1つ1つの言葉が重たいね。

そして、この周辺の何もなくなってしまったエリアのかつての地図に、みんなが思い出を書きこんだ付箋を貼っている。

当たり前のように人々が暮らしていた地域が、一瞬でこんなガレキになってしまったのだな…。

 

2代目の誕生6

ちなみに、この2016年時点ではつなぐ館の方に声を掛けることで館内撮影ができた。

後年撮影禁止になったのでご注意されたい。

 

あと、掲示物で説明があったんだけど、数年後にはここいらは震災祈念の公園にするのだそうだ。

相当に広大な公園になりそうだ。

 

2代目の誕生7

まだまだ仮設住宅もあるし、市街地で整備しなきゃいけない場所もあるだろう。

ここの公園化はおそらく優先順位的にその次。

 

とても時間のかかるプロジェクトかもしれないが、その日を楽しみに待ちたい。

 

変わりつつある沿岸部1

同じ年、2016年の10月。

わわっ、なんか道がすごく綺麗になった!…ってゆーか新しい道が出来ている!

古い道は無くなった…?ここがどこだかわからん!

 

変わりつつある沿岸部2

「がんばろう石巻」・「日和大橋」が右折方面だという看板が出てきた。

ありがたい。

そして、あのスポットは「がんばろう石巻」という名称なのだね。

 

変わりつつある沿岸部3

なんかロケーションが変わった!

右端を見てほしい。なんか素晴らしく巨大なマンションが出来ている。

 

最初は"とまりの駅"であり、6月は足場があったところだ。

かなりスピーディな建築だな。急速にこの地は生まれ変わりつつあるのかな。

 

変わりつつある沿岸部4

ランプの火は今日も静かに灯っていた。

その後ろに見えているのが、例のマンション。

盛り土とかしっかり安全対策がされた上で、また沿岸部に人が戻ってくるなら嬉しいよね。

 

変わりつつある沿岸部5

今回も南浜つなぐ館を見学した。無料だし。

そして語り部の人は複数名いるから、前回の人とは違う。なるべくいろんな体験談を聞いておきたい。

 

社会科見学で訪れたような雰囲気の生徒さんもいて、熱心に話を聞いていた。

このような経験、とても重要だ。

 

変わりつつある沿岸部6

2016年だけで4回訪問したこの看板。

引き続き追いかけていきたい。

 

 

2017.3.11、6年目の夜

 

震災から6年の月日が経った。

2017年、3月11日の日が暮れようとしている。

 

つどいの夜に1

今までは、「僕みたいな部外者が行ったら被災者の方が嫌な思いをするかな?」って思って避けていたイベントがある。

それが『3.11のつどい』というイベントである。

 

毎年「がんばろう!石巻」の看板の場所で、3月11日昼過ぎから追悼式典をし、夕方に追悼キャンドル点灯、そして花火の打ち上げをしたりするのだ。

今年は僕もちょこっと見学してもいいかなぁ…。

 

そう思ってやって来た。朝の岩手県から沿岸部を被災地を走りつつやって来た。

上の写真は石巻のシンボル的な存在である、「石ノ森萬画館」だ。

旧北上川の河口付近の中州にあり、かつては震災の津波の遡上で大きな被害を受けた。

 

つどいの夜に2

記憶を頼りに進むと、かさ上げされた土地の上の道路に入った。

来るたびにどんどん道変わるな。わけわからん。

 

しばらく進むと、かさ上げされた丘の上から「がんばろう!石巻」の看板を見下ろせた。

あ、この道路の地中はきっと昔"とまりの駅"だったところだ。


看板の前はキャンドルでライトアップされている。人々が集まっている。

でも!僕と看板との間には道がない!駐車場もない!ほんの100mも無い距離なのに、あそこまで行けない!

毎回道が変わっていてパニックだ。

 

つどいの夜に3

沿岸部をグルーっと大迂回する。

荒れたアスファルトの狭い道を走り、検討を付けた方向へと向かう。

 

2kmほどの距離を走り、ようやく「臨時駐車場」と書かれた空地へとやってきた。

この先に臨時じゃない正規駐車場があるらしいが、この先は道が狭い。

そして駐車場は追悼イベントで混雑しているだろう。

街灯も無く混雑している中、僕の愛車のHUMMER_H3を停めるのは苦労するかもしれない。

 

つどいの夜に4

多少歩いたとしても、このガラッガラの臨時駐車場に停めて歩いたほうが無難だな…。

そう考えて、ほぼ真っ暗な荒れ地を1人トボトボ歩いた。

 

正規の駐車場までの数分は、本当に人もいなくて真っ暗だった。

正規駐車場から先は、ところどころで誘導棒を持った誘導員さんたちがいる。

そして多くの人々の往来があった。

 

つどいの夜に5

8回目の訪問。

初めての3.11の訪問。初めての夜の時間帯の訪問。

完全に暗くなる前の景色を見たかったので、ひとまずセーフだ。

 

つどいの夜に6

今日は3600個のキャンドルに照らされた、追悼イベント。

この位置からでは見えないが、上空からだと看板の前に「3.11追悼」の文字がキャンドルで描かれている。

ドローンも飛んでいたので、きっとあれで撮影しているのだろう。

 

つどいの夜に7

もともとここは、どこにでもあるような幹線道路沿いの店が立ち並ぶ地だった。

当時を僕は知っている。

 

しかし6.9mの津波が押し寄せてきて世界は一変した。

僕はその恐怖は知らないけど、きっと今ここにいる人たちの心には今も深く刻まれている。

少しずつでもそれを理解していきたい。

 

キャンドルに思いを書いて設置できたりもするのかな?

しかし僕はそれを離れたところから見守るに留め、そっとこの地を後にした。

 

 

ガーデニングの兆し

 

同じく2017年の訪問記録を少しご紹介しよう。

 

周辺の開拓1

夏にまたこの看板を見に来た。

このときは僕の妹を案内した。

南浜つなぐ館はなぜか営業していなかったので、ガラス窓越しに中を覗いた。

 

上の写真の左側を見ていただきたいのだが、ただの荒れ地だった部分になんとなく工事の手が入りそうな気配が見えているぞ。何かな何かな?

 

周辺の開拓2

同じ年の9月の夕暮れの写真だ。記念すべき10回目の訪問。

看板の後ろ側があきらかにスッキリしてきたなって感じた。

 

周辺の開拓3

2018年になった。その5月のこと。

この回の訪問では、大きな転機を見い出した。

 

周辺の開拓4

看板の後ろ、すっげぇ!!

なんかオランダの片田舎の田園風景みたいになっている。

 

左端の小屋は南浜つなぐ館に隣接して建てられている。

まだ正式に運用開始されていないようなので何の施設なのかはわからないが、雰囲気はいいよね。

 

いつぞや南浜つなぐ館で見た、「震災祈念の公園にする」という計画を思い出した。

いよいよそのプロジェクトが具体化されていくのだろうか?

 

周辺の開拓5

またまたこいのぼりである。

このシーズンの訪問、多いな。きっと日本列島が東北まで暖かくなって「よしドライブに行こう」って思えるのがこの時期から、だからなのだろうな。

 

ここまでこの地のことを「荒れ地」と言ってきてしまったが、もうここは荒れ地ではない。

立派な公園になったと感じた。

 

周辺の開拓6

翌月の6月。残念ながらの曇天である。

でも「がんばろう!」の文字は今日も力強く輝いている。

 

周辺の開拓7

上の写真は、南浜つなぐ館を横から見た図である。

向かって左側が正面入口なのだが、後ろ側に連結されるようにもう1つの建物が出来ている。なんだろう??

 

周辺の開拓7

中、シアタールームだった。南浜つなぐ館が拡張されたのだ。

10数名入れるシアターで、津波前後の状況説明の動画であった。

震災への理解がより深まった。感謝。

 

周辺の開拓8

同年の11月の写真である。もう東北は冬の気配だね。

"とまりの駅"のあったところに聳えるマンション。確かな生活の息吹が感じられる。

 

周辺の開拓8

写真中央が整備され、今後駐車場になりそうな気配だ。

そこ、以前1代目看板があった場所じゃないか…。

 

周辺の開拓9

これは南浜つなぐ館の内部。

 

近年VRゴーグルが設置され、それを装着すると震災前の町並みが見えるようになっている。

それが衝撃的なのだ。

ゴーグルの向こうに見えているのは、どこにでもある何の変哲もない町並み。

そう、僕がこの記事の冒頭で掲載した、震災前にドライブした町なのだ。

 

わかっている。

わかっているけど、ゴーグルを外した現実世界とのギャップに愕然とするのだ…。

 

周辺の開拓10

2018年。もう震災から7年半以上の月日が経っている。

どうやって風化を防ぐかが課題だ。現代の技術を駆使して、当時のリアルを語り継いでいきたいね。

 

周辺の開拓11

公園の整備も、少しだけ進んだかな?

冬だからあんまり草花も無いよね。ちょっと寂しいシーズンの到来なのである。

 

周辺の開拓12

そんな中でもあまり変わらないのが、津波到達地点の6.9mを示すポール。

それと献花台とランプの光だ。

 

ちなみにランプは、すだれのようなもので覆われた台の上の箱の中にある。

上の写真では後方からの撮影なのでランプ自体は見えていないが。

 

周辺の開拓13

そんなもうすぐ2018年も終わろうとする晩秋の晴天の中の「がんばろう」であった。

これが13回目の訪問かな?

 

周辺の開拓15

季節はまた変わる。2019年6月。

この1ヶ月前の2019年5月から令和時代が始まった。

 

手前のプランターを見てほしい。

『令和』っていう配列で並べられているだろ。めでたい。新時代。

 

周辺の開拓16

周辺の整備は進んでいるようだ。たくさんのショベルカーが動いている。

この大平原のような広大は敷地は、どんな公園になるのだろう?

 

周辺の開拓16

同じ年の8月のお盆期間に来てみた。

人の気配はないがキャンドルが並べられている。看板の左右にはスピーカーも設置されている。

夏限定のイベントなどが行われるのであろうか?そいつは知らなかったな。

 

周辺の開拓17

今回はこいのぼりではなく、七夕飾りが空を舞っていた。

風の強い日。"くまもん"の生首、感情の無い表情、ちょっと怖い…。

 

 

鎮魂の日のキャンドル

 

2020年の3月11日。震災から9年目の日である。

世の中は、まだギリギリでコロナが蔓延していない時期のお話である。

 

鎮魂の夜1

僕はまた夕暮れの時間にここにやってきた。

3.11に来るのは2017年以来の3年ぶりであった。

 

昔"とまりの駅"があった場所。綺麗な2車線道路になり、「がんばろう!石巻」の看板の敷地に入るための信号機も設置された。

 

鎮魂の夜2

大きな駐車場が出来ているし、そこにいっぱい車が停まっている。

TV局のものと思われるロケ車もいる。

なんとか空きスペースを見つけ、僕も愛車を駐車した。

 

鎮魂の夜3

手作りキャンドルの灯りに照らされる、「がんばろう」の看板。

 

もうかなり見慣れているが、3.11に見るとまた気持が違う。

いつかのあの日、栄えていた町は一瞬で無くなった。

家族を失った人もたくさんいる。

 

鎮魂の夜4

僕の周囲の人は、そんな悲しみを背負いつつも前を向いて歩んでいる。

 

この看板の前で、失った地・失った人・失った思い出のことを考えているのだろう。

じゃあ僕は何を考えればいいのだるろうか…。

 

鎮魂の夜5

この石巻の人たちが笑顔で明日を過ごせますように。

いなくなってしまった人たちの魂が安らかでありますように。

ただただ、それを願う。

 

…2021年3月11日。

時間がちょうど1年流れた。

そして、震災からピッタリ10年だ。

 

鎮魂の夜6

ご存じ、コロナ禍の真っただ中である。しっかりと感染対策をして出かけた。

余計な寄り道はしない。

ここだけ、今日だけ、ちょっと立ち寄らせてくれ。

10年目だから。僕の心も一区切りだから。

 

そう思い、また『3.11のつどい』に顔を出した。

 

鎮魂の夜7

ホント暗いのな、ここ。

駐車場から看板まで、工事用の鉄板の歩道の上を歩く。

 

直近で昼間に来たのは2019年の6月なので、きっと公園整備は進んでいるのだろう。

だがこの暗さでは周辺の状態は一切見えず、整備状況は一切不明だ。

 

鎮魂の夜8

看板の前には『10年心からの祈り』とLEDライトで書いてある。

その奥には『3.11追悼』とキャンドルで描かれている。

 

毎回思うのだが、人間の身長ではこの文字が非常に見づらく残念だ。

TVクルーは三脚に乗って撮影し、そして記録映像用のドローンも飛んでいるが、せっかく来た人に見えやすい工夫ももう一歩考えてくれると嬉しい。

 

鎮魂の夜9

キャンドルのハートはかわいいね。

まだ寒い3月の夜であるが、心が温まる。そっと手を伸ばしてみたら、仄かなぬくもりを感じることができた。

 

鎮魂の夜10

10年。

口に出せばたった一言であるが、長いようで短い10年。

石巻の町はずいぶん変わったようだが、まだ復興の道は果てしなく長いのだろう。

 

 

3代目の看板(2021年~)

 

前回の訪問から1ヶ月後の2021年4月11日のことである。

「がんばろう!石巻」の看板がまた更新され、3代目となった。

5年ごとに新しくなるのだ。みんな覚えている?

 

自宅跡地のガレキの中で1代目の看板を作成した、あの方がその後も製作に携わり、地元の中学生と共に3代目の看板を作り上げたのだ。

 

さて、長かったこの記事もエピローグだぞ。

 

石巻南浜津波復興祈念公園1

 

石巻南浜津波復興祈念公園」!!

 

 

看板の周囲の敷地に、2021年3月28日にOPENした広大な公園である。

僕はここを2021年5月に訪れた。

 

うわー、なんだここ。すっごく変わったなぁ。進化したなぁ…。

 

石巻南浜津波復興祈念公園2

これは南浜つなぐ館の裏にできていた小屋だ。

その周囲には今や花があふれている。

 

…ねぇ、画面の前のあなた。

ここまで長々とした記事を読んでくれてありがとう。

 

ずーっと時間を追って書いてきたのはね、この時間の流れを感じてほしかったから。

最後にここに繋がるカタルシスを、僕と一緒に感じてほしかったから。

 

石巻南浜津波復興祈念公園3

いつか、荒野の中の絶望的な景観の中で見たよね、こいのぼり。

今は優雅に春の風の中を泳いでいる。

 

もっともっとこの復興祈念公園について書きたいけどさ、それはまたいつか機会にしたい。

ちゃんと「石巻南浜津波復興祈念公園」としての独立記事にするからさ。

このときはまだコロナ禍で目玉となる施設もOPENしていなかったしさ。

 

だけども、この2023年春でコロナに対する国の方針も大きく緩和される。

上の写真の2021年春以降、僕はここを訪れていないけど、この機会にまた行っていいかなぁ…?

 

…では、最後に3代目の看板と共にさよならだ。

 

石巻南浜津波復興祈念公園4

 

 

がんばろう!石巻!!

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 「がんばろう!石巻」の看板
  • 住所: 宮城県石巻市南浜町3-1-28
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

【コラム】263記事、2年半ブログを執筆してきた!検索エンジンで上位に来るスポットとは?

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

さて、当ブログ開始から4番目の特集である「日本の中心リスト」の全執筆が完了したので、ここで再びコラムのコーナーを開催しようと思います。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

これの執筆、実はすごく大変だったのです。

現地訪問もさることながら、机上調査・自治体への取材…。どのように説明すれば万人にわかりやすい説明となるか…。

 

だからこそ、執筆していて楽しかったです。

お読みいただいたあなたに心からの感謝をお伝えします。ありがとう!

 

 

さて、そんな僕の苦労もあったからかなかったからか、日本の中心は【週末大冒険】の看板記事となりました。

 

検索ワード:日本の中心

Google:1番目

Yahoo:1番目

 

よしっ!

では他のキーワードで僕の記事が上位(大手検索エンジンでTOP10位以内)に来るのってなんなのでしょう?

今回はそれを少し探ってみたいと思います。ワクワク。

 

 

実際そこそこのアクセス数のある記事

 

まずは、検索で上位であり、実際にアクセス件数の多い記事をご紹介していきます。

つまりは我がブログの看板となる記事たちです。

 

あ、ちなみにですがGoogleの「場所」情報や「Yahoo!ロコ」の内容が挿入された場合、それは「1つ」としてはカウントしない方式で行きますね。

これらは地図や場所を示すものなので、スポット紹介である以上勝ちようがありません。

だからあくまで「記事」でカウントしたいのです。

 

検索ワード:北海道最西端

Google:1番目

Yahoo:1番目

 

検索ワード:尾花岬

Google:3番目

Yahoo:3番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

「尾花岬」としての検索では、自治体とWikipediaに続いて3位でした。

【週末大冒険】を始めるずっと前は、Wikipediaの「尾花岬」から僕の執筆した文章にリンクが貼られたりしていたんですけどね、はい昔の話ですね。

 

 

検索ワード:ぼくらの広場

Google:5番目

Yahoo:5番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

実は訪問したのは結構前のことだし、写真は少ないしブレているしで、写真家の方や夜景愛好家の方からは怒られるレベルの記事です。

なんでこんな上位なのか不明ですが、まぁここはいいところですよ。ロマンチック。

 

 

検索ワード:鹿忍グリーンファーム

Google:3番目

Yahoo:3番目

 

検索ワード:牛窓_廃墟

Google:7番目

Yahoo:7番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

執筆からほどなくして上位になりましたね。しかもそこそこ検索して訪問しれくれる人が多いです。

しかし、みんなこんなスポットに興味を持っているのか…。(←オマエもな)

 

 

検索ワード:高菜食べてしまった

Google:2番目

Yahoo:2番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ネットスラングで「高菜」といえば、この店を指す!

「日本の中心」が首位に躍り出るまで、ずーっと不動の1位だった記事です。

むしろ【週末大冒険】に来る人の3分の1くらいがこの記事からの流入でした。

実はすごく忙しくて時間が無いときに、あまり写真を使わず好き勝手書き殴れるネタとして書いたんですけどね…。

おいしいラーメンです。また行きたい。

 

 

検索ワード:廃村_郵便局

Google:1

Yahoo:1番目

 

検索ワード:廃墟郵便局

Google:2番目

Yahoo:2番目

 

検索ワード:東の川簡易郵便局

Google:7番目

Yahoo:7番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

もう10年以上も前に閉鎖されたのに、未だに検索する人が多いのですね…。

そして、閉鎖から随分経って訪問し、さらにそこから随分経って執筆したのにこの順位ですよ。ナゾ。

 

 

検索ワード:伊賀上野サービスエリア

Google:2番目

Yahoo:2番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

これはファンだけではなく、たまたまこのサービスエリアで休憩して「なにあれ!?」ってなった人も検索していそうな気配ですね。

廃墟系のサービスエリア、とくと味わってください。

 

 

検索ワード:大丸ラーメン

Google:5番目

Yahoo:5番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

もう閉店から10年になるけれども、未だに伝説として語り継がれる名古屋のディープスポット、「大丸ラーメン」です。

僕はその最終盤に訪問しました。

リアルな訪問記録、とくと楽しんでいただきたいです。

 

 

検索ワード:とびない旅館

Google:4番目

Yahoo:6番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

キング・オブ・クレイジー

青森の生んだ狂気、「とびない旅館」です!

これをリアルで体験した僕の疲労はいかほどか、読んでいただければ容易に想像つくことでしょう。また行きたい。

 

 

検索ワード:音威子府そば

Google:8番目

Yahoo:10番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

2022年秋に書いたばかりの比較的新しい記事です。

しかも「音威子府そば」という、スポット名ではなく蕎麦の種類で検索してこの順位とは恐縮の限りです。

大手サイトに取り上げられ、僕のブログの運営元の「はてなブログ」さんにもピックアップされた栄誉ある記事です。ありがとう。

 

 

検索ワード:世界一神社

Google:3番目

Yahoo:3番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

【週末大冒険】のリリースと同時に公開した記事です。

普通車では入っていけないほど狭くて真っ暗で水が溜まっているトンネルを、1人徒歩でグチャグチャになりながら歩き、そうしないと辿り着けない「世界一神社」を目指すお話です。

このせいで風邪引きましたよね。

 

 

検索ワード:喜楽旅館

Google:4番目

Yahoo:6番目

 

検索ワード:廃墟みたい_温泉

Google:4番目

Yahoo:4番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

外観はバリバリに崩れ落ち、中は中でベロンベロンに剥がれてきているすんごい温泉、老松温泉の「喜楽旅館」、そこを最後のシーズンに尋ねた記録です。

もうここを訪問できないのは悲しいですね。

 

 

ニッチすぎて誰も検索しない記事

 

さて、次に悲しいお話をしましょう。

せっかく執筆し、そして検索エンジンで上位に表示されるのに全然誰もアクセスしてくれない悲劇の記事たちです。

 

つまりはあまりにニッチすぎ。

そのスポットを訪問した人も少ないし、Webに執筆した人も少ないし、そして興味を持ってくれる人もいないということなのかもしれません。

 

そんな記事、あなたなら読んでくれますよね…。

 

 

検索ワード:ドライブイン薩摩隼人

Google:2番目

Yahoo:2番目

 

検索ワード:戦史館

Google:1番目

Yahoo:1番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

いやいやいや、ウソでしょ?こんなに楽しい記事なんですよ!

検索エンジンでTOPなのに、なんでみんな訪問してくれないんですか!

コロナ禍の中で閉店しちゃったけども最高だから、ぜひ読んでみて下さいよ!

 

 

検索ワード:腕の無い聖徳太子

Google:1番目

Yahoo:1番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

しまった。需要なかったですか?「腕の無い聖徳太子」、世間からあまり興味を持たれませんでしたか?

2022年は聖徳太子生誕1400年だったのに、この記事は閑古鳥ですよ。

どうしましょう。

 

 

検索ワード:立石バーガー

Google:2番目

Yahoo:2番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

場所は東京23区!かつてはマスコミの取材も多かったお店!

検索エンジンで2番目という奇跡的な位置に置いていただいているのに、なのにどうしてかアクセス数は少ない記事なのです。

ブーム去った?いや、コロナ禍なのだから手動自販機はもっと盛り上がって良いかと!

 

 

検索ワード:大山内5000ℓ牛乳パック

Google:1番目

Yahoo:1番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

なぜゆえこの記事が人気ないのでしょうか。

もっと牛乳に興味を持っていただかないと、身長伸びないですよ、あなた。

…ってそれは僕か…。

圧巻の5000リットルサイズの牛乳パック、味わって下さい。(コーヒー牛乳もあるよ)

 

 

検索ワード:九州最北端

Google:5番目

Yahoo:5番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

正確に言うと九州"本土"の最北端について執筆しています、これ。

実はここは岬ではなくって埋め立て地、コンテナターミナルなんですよね。

そのマニアックさが逆に面白いと思うのです。

旅人はあんまり行きませんけどね…。(←一般観光客はもっと行かないけどな)

 

 

検索ワード:プロショップまるか

Google:5番目

Yahoo:5番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

北海道の「勝手丼」や青森県の「のっけ丼」のように、市場のような店舗で買ったお刺身を丼ご飯に盛って食べられるお店です。

あれー?なんでアクセス数が伸びなかったのだろうー?

閉店直前に書いたから、「じゃあ行ってみよう」と興味を持たれなかったのですかね…?

僕にとっては思い出のお店なんだけどな…。

 

 

検索ワード:久留和港_海上線路

Google:3番目

Yahoo:3番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

マニアックすぎる記事で、誰も知らないし、知らない人が「この検索ワードで検索してみよう」ともならない記事ですね。

だがこういうものがあるということ、誰かが記録に残しておかないと、本当に歴史に埋もれて忘れ去られてしまうでしょう??

 

 

検索ワード:多摩川源流点

Google:8番目

Yahoo:8番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

みんな「多摩川」はよく知っていて毎日通勤通学で眺めているくせに、その源流点については検索しないんだー。へぇー、そうなんだー。

物事には全て「始まり」があるのです。

多摩川の始まりは、したたる1滴の水。それを見てみたいじゃないですか。

東京・神奈川のみなさん、年度末で忙しいとは存じますが、いつも見ている川の源流を想像する心の余裕も必要ですよ。

 

 

検索ワード:川崎童子の芝桜

Google:3番目

Yahoo:3番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

これは相当にマニアックですね…。

しかしYahooニュースや新聞記事にも載るようなスポットではあるのです。

東北の方、この春に見に行くチャンスです!ぜひメモを!

 

 

検索ワード:源宗坊寺

Google:9番目

Yahoo:8番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

絶妙にヘンテコな、小学生が作ったような仏像がたくさんある山奥のお寺のお話です。

「B級スポット」・「珍スポット」と呼ばれるドンピシャな場所ですね。

しかしマニアックすぎて誰もアクセスしてくれないので小。

みんな呉市に行ったら「大和ミュージアム」行って呉焼きだもんなー。だもんなー…。

 

 

検索ワード:福島県_自宅_富士山

Google:2番目

Yahoo:2番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

観光スポットではないので、相当にマニアックな記事です。

しかしこのお宅、いろんなバラエティ番組に出ているし新聞や雑誌にも取り上げられているのです。

自宅の庭にある富士山に登ってみるお話、ぜひ読んでくださいまし!

 

 

検索ワード:墓場のお化け屋敷洞窟

Google:3番目

Yahoo:4番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ちょっと恐怖系の記事ですね…。

現地を冒険した僕もドキドキしました。いかんせん、真っ暗な洞窟を1人で探索ですもん、普通の人はやりたいとは思いませんもんね。

しかもこの洞窟、周囲のロケーションも時代背景も、そして内部も…(以下略)。

 

 

検索ワード:幻の池_水窪

Google:4番目

Yahoo:4番目

 

drive-ns.hatenablog.com

 

【週末大冒険】の5番目の記事です。

執筆がちょっとこなれたタイミングでこれを書き、最初期の看板記事にしようという思いが当初からありました。

すごく貴重な記録なのですが、レアすぎて検索する人もいないのでしょうな…。

だからいいのかもしれません。知る人が知るスポット、ステキです。

 

 

【閲覧注意】どう検索しているのかわからないけどアクセスの多い記事

 

最後に、ブログ公開当時からずーっと人気、今も人気の記事があります。

ただしこれ、Webで検索してもあんまり上位に来ることが無いのです。

どんな記事なのでしょうか…。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

はい、コイツです。

自殺の名所「青木ヶ原樹海」です。

 

青木ヶ原樹海」で検索しても、検索エンジンのTOP10には出て来ません。

じゃあなんでこんなにアクセス数が多いのか…。

 

  1. 検索母数が多いから
  2. 興味を持つ人は片っ端から関連記事を読み漁るから
  3. 他の何らかのワードと組み合わせると検索結果がTOP近くになるから

 

僕はこうであると想像しています。

「1」「2」は、その理由をあまり深く考えたくないです。なんだかこのコロナ禍で、暗い気持ちになってしまいますよね。

「3」はもっとイヤです。僕もあなたも、この「青木ヶ原樹海」に組み合わせてみたい単語はあるでしょう。

しかしそれを検索する気にはなれません。

 

みんなに明るい明日が来ることを祈ります…。

 

 

Twitterもやってるよ

 

こうして振り返ってみると、ブログを始めて2年半であってもWebの中である程度は戦え、検索エンジンが拾ってくれるケースも多いということがわかりました。

今回取り上げたのは一例です。

全部の記事で調査すればもっと検索TOPに出てくるものもあるのでしょうけど、面倒なので思い付きで検索してご紹介しました。

 

面白い記事もそうでない記事もあるでしょうけど、1つ1つ心を込めて執筆しています。

心を込めすぎていて、このペースでは僕の寿命が尽きるまでに書きたいものを全部書くのは不可能です。

なのであなたがもし「これを書いてほしい」みたいなスポットがあるのであれば、こっそりと僕に教えてください。

 

twitter.com

 

Twitterもやっているのです。

こっちでは1日4回、適当なスポットについて呟きます。

 

1日4回だから、単純計算で1年間に1460スポットをご紹介しているのかね?

1万人近いフォロワー様と日々ワチャワチャしておりますので、ぜひフォローしていただければと思うのです。

 

2023年度、僕の人生も大きく動くと思いますよ、きっと!!

あなたの2023年度も充実しますように!!

どこかでお会いできるといいですね!

 

それでは今後ともよろしくお願いいたします!

 

No.263【岩手県】12年経っても心のしこりは取れず…。震災の津波で消えた旅館の思い出…。

2023年3月。

あの東日本大震災から12年の月日が流れようとしている。

 

もうあの震災は一昔前なのだ。

だけども今でも僕はあのときのことを思い出すたびに心がゾワゾワとする。

東北とは縁も所縁もない地に住んでいたのに、いまだに涙が出る。

 

僕が、日本が、絶対に忘れてはならない記憶だ。

 

 

震災の津波は、東北地方を広く襲い、沿岸部を壊滅させていった。

岩手県の大船渡市も、見るも無残な状態となった。

 

12年目の3月は、その大船渡市の思い出について語りたい。

 

…僕は震災の情報を最初につかんだときにね、どこよりも先に大船渡市のことを案じたのだよ。

 

 

プロローグ

 

東日本大震災が発生した。

東北の沿岸部の町は、軒並み全滅だと聞いた。

膝から崩れ落ちるような絶望感に打ちひしがれた。

 

大船渡の宿の、あのおじいちゃんとおばあちゃんは…!?

海と川の近くのあの宿で、秋に僕を温かく迎えてあのお二人は…!!?

 

安否を知りたい。確認しに行きたい。

だけどもこの混乱の渦中で、電話をしたり手紙を書くのは憚られる。

今の日本はそんな場合じゃない。

 

そうだ、大船渡に災害ボランティアに行こう…。

 

 

ダメだ。

僕はあきらめた。

 

岩手県は僕の自宅から遠すぎたのだ。

いや、僕は距離ガバなドライブを多くやっているので、大船渡まで行くことはそんなに難しくはない。

ただ、物見遊山で行くわけではない。そんなこと言っていられる時代ではない。

ボランティアだ。役に立たねばならないのだ。それにはある程度の日数が必要だ。

 

そう考えると、大船渡市には行ったところで充分な活動ができない。

僕は社会人で、それなりに責任のあるタスクを担っている。

震災復興もそりゃ大事だが、自分が守るべきものを放り出すわけにもいかないのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

福島県南相馬市。

 

 

僕はそこをボランティアの地に選んだ。

第一原発20㎞圏内にかかるために放射能が懸念され、ニュースで連日取り上げられるにも関わらずボランティアがあまり集まらずに苦慮している町。

 

宮城県石巻市がボランティアをメッチャ集めて軍隊ばりのフォーメーションを組んでいるのに、南相馬市のボランティアセンターは連日を自転車操業で動かしていた。

 

僕はそこに通う。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

あとは、宮城県の南三陸町でもボランティアをしたりした。

 

しかし、心にはいつも行けなかった大船渡市のことが引っかかっている。

…そう、12年経った今でも、だ。

 

ー 時代は震災前の初秋にジャンプする ― 

 

 

シルバーウィークの抜け穴

 

9月にはシルバーウィークと呼ばれる大連休がある。

正確に言うと、有休をうまく差し込めば土日休みの人にとって大連休になる時期がある。

行楽の秋、みんな旅行に出かけるテンションである。

そんな世間の祭りに僕も乗じようとした。とりあえず岩手県に行こうとした。

 

厳美渓、行きたかったので行ったな

しかし甘い。

みんなが出かける、イコール宿が無くなる。

 

普段は車中泊しかしない僕だけど、今回は同行者がいるのでどうしても宿を取りたい。

だがWeb検索すると見事に岩手県の宿という宿は全て予約で埋まっていて

ホント冗談抜きに岩手県内全てを検索しても全然空いてなかった。

 

そりゃ旅行の数日前まで何も動かなかった僕も悪いさ。

しかし日本の都道府県の中でも有数の大きさを誇る岩手県にて、宿が1つも空いていないってどういうことさ、って思った。

 

中尊寺にも久々に行った

…さてどうしよう。

 

大丈夫、僕には作戦がある。

Webでの大手旅行サイトには出てこない宿。Webで「〇〇市_ホテル(旅館)」などと検索しても出てこない宿。

 

それを探すには、町役場などのWebサイトの中にある「宿泊施設一覧」などのメニューを見つけると良い。

そこにはWeb展開していないようなローカルな旅館や民宿があったりするのだ。

 

※2023年現在であればGoogleマップからの検索だとかストリートビューでしらみつぶしだとかもあるかもしれないが、当時僕ができうる範囲で思いついた方法がこれだ。

 

遠野の「カッパ淵」ではキュウリでカッパが釣れるかもしれない

とりあえず、その日の夕方に「滝観洞」っていう鍾乳洞を観光したい。

そうなると、付近の都市としては釜石とか大船渡とか大槌とか陸前高田がよいだろう。

 

先ほどリストで出てきた旅館にはもちろんWebでの予約フォームなんてない。

電話だ。

片っ端から電話し、当たっては砕け、当たっては砕け…。

 

どのくらい繰り返したかは覚えていないが、ついに予約が取れた。

大船渡市の「大東館」という旅館である。

大船渡の駅から150mほどの好立地にある素泊まり専用旅館。

 

よかった、これで心置きなく旅立てる。

 

 

大東館に宿泊した思い出

 

当日である。

前章で写真掲載したような観光地をいろいろと巡り、最後に滝観洞を観光したら、入浴施設でひとっ風呂だ。至福。

 

「夏虫のお湯っこ」

ここは以前も利用したことのある、大船渡市北部の温泉だ。

結構な山の中にあって、暗い中を車で進むのは少しドキドキしたが、いいお湯だ。

しかも(訪問当時は)300円。

 

そして大船渡の駅前近くでコンビニに立ち寄る。

今日の夕食は気楽にコンビニ弁当でいいや。ついでにお酒とかおつまみも買おう。

これらを宿で食べるのだ。

 

20:30ごろ、大東館にチェックインした。

 

大東館1

この写真は翌朝チェックアウト時に撮影したものである。

Web上からは全く情報を得られなかったので、どんなところか少々不安もあったんだけど、やさしいおばあさんが出迎えてくれた。

 

看板には「ビジネスマン専門」って書いてあった。

あれ?そうだったの?僕は一般人で観光目的だけどもいいのかな?

まぁ何も言われなかったからいっか。

 

大東館2

宿泊料金は4000円だ。

駅近という好立地なことを加味すると、なかなか良心的な価格だ。

 

さっそくおばあさんが部屋に布団を敷いてくれるという。

そこそこ高齢なおばあさんが僕の前でせっせと布団を敷くのをボケッと立ったまま見ているのも心が痛み、「僕らも手伝いますよ!」って言い、バツグンのチームワークで寝床が完成した。

 

大東館3

では、夕食と飲み会を同時スタートだ。

おばあちゃんに部屋飲みの許可をいただき、買って来たものを座卓に広げた。

 

改めて見るとジャンクだな。栄養とか大丈夫か??

でも酒がうまい。

ただし前夜はほぼ徹夜で運転していたので、酔いが回るのが早い。普段の3倍酔う。

 

大東館4

南部せんべいは大好物だ。うますぎ注意だ。

おかげでコンビニ弁当は半分しか食べられなかった。明日に残りを食べよう。

 

ほど良く酔い、フカフカの布団に包まれて寝た。

いい1日であった。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

そして翌朝である。

6:00ちょい過ぎに起床した。

 

朝からヒンヤリした空気が身を包んだ。

おぉぉ、寒い…。さすがに9月の東北の朝は寒いのだね。

今日の最高気温は15℃だというし。なかなか寒い。半袖をたくさん持ってきているのだが、着る機会はなさそうだ。

 

それにこの旅館は結構古そうなので、断熱性能が高くはないのだろう。古民家と同じような感じだ。

 

大東館5

洗顔を済ませ、館内をウロウロ見て回る。

どうやら他にお客さんはいなさそうだ。

この深紅のカーペット、和風の欄間みたいなデザイン、昭和レトロでグッと来る。

 

備え付けのコーヒーがあったので、飲んで温まった。

それでもクシャミが出たけど。

 

大東館6

館内に段差があり、こういう小さな階段があるのもとても風流だと思う。

外観からでは想像つかないかわいい造りだ。

また機会があったら来てみたいけど、次はビジネスマンとしての利用じゃないとダメかな?

 

7:20、チェックアウトする。

愛車の屋根越しに旅館の写真を1枚撮影した。

 

大東館7

荷物を積み込んでいると、オーナーのおばあさんとおじいさんが外まで出てきてくれた。あ、おじいさん初めまして。

 

おばあさんは「その靴オシャレね!」とか言ってくれた。

「ABCマート」の紹介をしたけど、どうやらご存じでない様子だった。

「じゃあ、東京の娘に靴を買って送ってもらおうかしら?」と言っていた。

 

おじいさんは、「旅は長いんだろ?ゴミを引き取るよ!」と言ってくれた。

「自分で出したゴミは持ち帰りまますから」って言っているのに、「いいから預けなさい。こちらで捨てておくから。」と優しく言ってくれた。

すみません、ではお願いします。


朝の駐車場で、思ったより寒くてクシャミを連発する僕は、おじいさんとおばあさんに笑われた。

寒いけどのどかで平和な朝であった。

 

おじいさんとおばあさんに手を振って出発する。

「それでは、行ってきます!」

 

その後は高田松原の道の駅に立ち寄った

 

 

2011年秋の沿岸部訪問

 

2011年の9月。

あのときと同じ9月。あのときと同じシルバーウィーク。

しかしあのときのようなワクワクは全くない。僕は1人、岩手県の沿岸部を北上していた。

 

大船渡の惨状1

ようやく震災後初めて大船渡に来ることができた。

冒頭で書いた通り、当初の僕の震災ボランティアの舞台は南相馬ではなくて、ここ大船渡にしようとしていた。

そのときは来れなったが、9月にようやく訪問できる目途が立ったのだ。

 

大船渡の惨状2

しかし、なんてこった。

この光景に胸が苦しい。

 

よそ者の僕がそう思うくらいなのだから、ここに住んでいる人・生まれ育った人・友人や親戚がいる人のショックはいかほどか…。

 

大船渡の惨状3

2月の大寒波の中でのドライブを回顧する。

 

吹雪で立ち往生を食らった福島県北部のとある峠で、僕は同じ境遇の1人の学生君と出会った。

彼は大船渡出身で、故郷に向かって車で帰る最中だと言う。

 

「えっ!大船渡を知ってるんですか、すごい嬉しいです!」と言われた。

ふふふ、そうだよ知っているのよ。とあるマニアックな旅館に泊まったのよ。

吹雪の中でコーヒーを飲みながらそんな話をした。

 

吹雪の記憶

彼は「明日は雪が止む予報だから、そしたらまた走行再開できるかな?」と言っていた。

いや、しかし雪が止んだところで除雪されなければ無理だろうと僕は言った。

だから僕はレッカーを呼び、峠を下ることにした。

 

大船渡の学生君はもうしばらく様子を見るという。

「でも、2日後までに大船渡に帰りつけなければ人生にかかわるんですけどね…」とか言って、焦っていた。

 

彼は今、無事なのだろうか…。

確かにちょっとマイナーだった大船渡も、今では震災の影響で日本中のほとんどの人が聞いたことのある町の名前になってしまったよな…。

 

記憶を頼りに国道を反れて駅のある海側の県道230号方面にハンドルを切る。

 

大船渡の惨状4

大船渡駅前を通過した。

 

駅から海側は、ほとんど人がいない。以前は活気のある駅前だったのにな。

とりおり作業トラックが通るくらいだ。

しかもいろんな箇所で水が溜まっていて危険な状態だ。

 

わかりやすい場所にあったはずの旅館を探すのも一苦労。

なにせ、景観が変わりすぎている。

「大船渡プラザホテル」がある。大東館はそのすぐ裏側くらいだったと記憶している。

 

大船渡の惨状5

ここに違いない。僕は確信した。

 

しかし大東館は跡形もなかった…。

 

わかっていた。

実はGoogleアースを使って、この旅館が消滅していることは確認済みなのであった。

それでも自分の目で確かめてみたかった。

 

海にほど近いし、さらに川がとても近くにあったから、周辺の建物はほとんど残って
いない。

知っていたけど、実際自分の目で見ると改めて辛い。

 

大船渡の惨状6

周囲は海のようになっていた。

陥没した道路を避けながら、僕は失意のもと国道を目指して引き返す。

 

 

12年目に思うこと、思い続けて来たこと

 

その後、大東館について調べ続けたが、復興したという情報は見つからなかった。

 

むしろ、僕以外に在りし日の大東館に宿泊したという記録すら見つからない。

そもそも予約した経緯が「Webで出てこない旅館」なのだから、情報が無さすぎなのだ。

 

大船渡の惨状7

それが裏目に出てしまい、東日本大震災後の動向も全く掴むことができなかった。

 

本気で調査すれば…、どこぞに問い合わせとかすれば、大東館のおじいさんとおばあさんの消息を掴めるかもしれない。

しかし僕はそれをしなかった。なぜだったのかな…。

 

  • たった1泊しただけの僕が安否を気遣うのはおこがましいから
  • 極めてセンシティブな個人情報だから
  • 万一の結果を知るのが怖いから
  • この先、中高年になっても旅を続けていれば、気になる店や人の消息がわからなくなることも多くあり、いちいち気にしてはキリがないから

 

その全部が少しずつブレンドされていたのかもしれない。

 

たまーにだけど、「大船渡出身だよ」とか「大船渡に親戚がいるよ」という人に出会うことがる。

その際には「大東館って知ってる?」って聞いたりする。

 

しかし知っている人に出会ったことはない。

こんなにも手ごたえが無く、Webにも情報が無いと、「あの日の宿泊は幻だったのかな?」とか思ってしまいそうになる。

 

僕は確かに大東館に泊まった

でも、僕は確かに大東館に泊まったのだ。

手元にわずかに残る写真、そして僕の鮮明な記憶。

ウソじゃない、夢じゃない。

 

だから僕は12年経った今も願っている。

おじいさんとおばあさんがどこかで無事でいることを…。

 

 

エピローグ:13年目(2024年)の奇跡

 

ここからの話は、2024年の初秋に執筆している。なぜかと言うと、ついに情報を入手できたからだ。

震災から実に13年半、僕が大東館について初めてWebにて情報を求めてから12年以上が経過していた(このブログ以前にWeb媒体で執筆していたのでね)。

 

8月下旬、なんと大東館のオーナーのおじいさんおばあさんのお孫さんからご連絡が来たのだ。北海道へと向かうフェリーの弱い電波でそのメールを受信した僕は、思わず「うおぉ!!」って歓喜の声を上げた。

 

ちょうど岩手県沖を航行していたし

そしてメールをやり取りし、おじいさんとおばあさんのことを教えていただいた。

あの東日本大震災のとき、お二人は無事に避難できたとのことだ。まずは一番気になっていたけど一番聞きづらい点について、万一の事態になっておらずホッと胸をなでおろした。

 

三陸海岸って、明治とか昭和に大きな津波が定期的に襲ってきている。だから大船渡の人たちもキチンと常日頃から避難訓練をしていたそうなのだ。その備えが役に立ったそうなのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

岩手の沿岸部をたびたび襲った大津波については今年の3月に執筆しているので、よかったら読んでみてほしい。

 

旅館は前述の通り見る影もなくなってしまったけれども、ちゃんとご無事だったおじいさんおばあさんは、その後を県内のゆかりのあった町で穏やかに過ごしたそうだ。

 

ご提供いただいた写真

お孫さんからは、震災前におじいさんおばあさんと旅館前で一緒に撮影した写真も共有いただいた。

プライベートなものなのでここでお見せすることはできないが、記憶から薄れていたおじいさんおばあさんのお顔を久々に拝見したことで鮮明に思い出したよ。

残念ながらお二人とも数年前に亡くなってしまっており直接ご挨拶することは叶わないが、改めて感謝の気持ちがあふれてきた。

 

本編にも記載した通りビジネスマン専用の旅館なので一般客の宿泊ケースが少なく、それがゆえにWebにもお孫さん自身の元にも往時の写真がほとんどないという旅館。

お孫さんがふとWeb検索をした際に、当ブログの存在に気づいてくれたそうなのだ。

 

直近で走った、大船渡の青い空と緑の山

お孫さんは丁寧にメールやりとりをしてくれ、そして掲載の許可までしてくれた。こうやって繋がることができて感謝しかない。

 

また行こう、大船渡。

日本7周目で再び訪れ、旅館跡地でおじいさんとおばあさんにお礼を言おう。そしてね、復興してきた大船渡の新しいスポットをいくつか仕入れて来ようと思うんだよ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大東館
  • 住所: 岩手県大船渡市大船渡町字茶屋前8-3
  • 料金: 素泊まり¥4000
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明

 

No.262【和歌山県】生マグロ水揚げ日本一!夜の「紀伊勝浦漁港」から漁船と海を眺めた!

和歌山県の南部、那智勝浦の町。

日本三名瀑の1つである「那智の滝」があったり、町の各所で温泉が湧いていたり、近くに捕鯨基地があったり、生のマグロの水揚げ量が日本一であったり…。

いろいろと魅力いっぱいの町だ。

 

そんな那智勝浦の魅力をたくさんお届けしたいところではあるが、そんなことをしていたら2023年上半期の執筆ネタは全部那智勝浦になってしまう。

那智の滝なんかはちゃんと1つの独立記事でしっかりと執筆したい。

 

では、今回は日本6周目後半のまだ寒い時期に訪れた、夜の那智勝浦港のエピソードを少しだけご紹介したいと思う。

真っ暗な写真ばかりになるが、たまにはそういうのもよいであろう…。

 

夜の漁港の話

 

夜の漁港は何がある?

 

車中泊の旅。

それは、日が暮れれば風呂に入り、飯を食って適当なところで寝るという、極めて原始的な暮らし。

 

那智勝浦へ

 

空が暗くなったのを見届けた僕は、まずは最寄りで入浴施設を探すことにした。

那智勝浦町

そこは温泉施設がたくさんある。よりどりみどりだ。

だが一番近いところに行きたいな。日中たくさん走ったから、もうあんまり走りたくはないのだ。

 

まだ使い方を覚えたばかりのGoogleマップで「入浴施設」と検索し、一番近くに出たスポットに車を走らせた。

 

闇夜の漁港で1

 

暗い。

 

 

上にお見せする写真も暗くてほとんど何もわからないと思うが、肉眼で見るともっとわからない。

何ここ?ここに入浴施設があるの?

 

 

結論から言うと、僕がGoogleマップに導かれてやってきたのは「海の湯」という足湯だ。

 

待て待て、僕はお風呂に入りたいんだぞ。

足湯はダメだ。足湯で入浴したらコンプライアンス的にNGだ。

そもそももう営業していて真っ暗だ。ダブルでダメだ。なんてこった。

 

闇夜の漁港で2

海のギリギリまで行ってみた。

小型の漁船と思われる船舶が停泊しており、対岸には街明かりが見える。

 

闇夜の漁港で3

中央やや右に、黒光りするヌルっとした感じの物体が吊り上がっているのが見えるだろうか?

 

マグロだ。マグロのオブジェだ。

最初は暗いから「本物か!?」って思ったけど、そんなハズはないと思い直したところだ。

マグロの水揚げで有名な港だから、マグロのオブジェでお出迎えなのだろう。

暗くてほとんど見えないけど。

 

闇夜の漁港で4

ここ、漁港の人が働く場所?一般人は入っちゃダメなところ?

よくわからないので入り口付近だけドキドキしながら覗いてみる。

 

ただ、少なくともこの敷地内には「勝浦漁港にぎわい市場」っていう観光客向けのお土産とか食堂とかの施設もあるらしいね。

なにもわからないけど。

 

闇夜の漁港で5

あ、なんか市場の施設内で一箇所、この時間でも一般人が入れそうなドアを見つけたぞ…。

 

 

まぐろ展望スペース

 

入浴施設を求めてここまで来たが、ウロウロしているうちに「ここでは入浴できない」と悟った僕。

 

まぐろ展望スペース1

「じゃあここはなんなんだ」と思って周囲を伺っていたところ、こんな夜なのだが観光できそうなスポットを一箇所見つけたのだ。

 

まぐろ展望スペース2

ほとんど見えないが、壁に「まぐろ展望スペースTSUNAGOOD(つなぐ)」を示す案内が書かれている。

なんだそれ。

とりあえず"TSUNAGOOD(つなぐ)"のセンスが独特すぎてステキだ。

 

まぐろ展望スペース3

まぐろ展望スペース入口を見つけた。

わりとシンプルな入口だ。

 

ところで展望って、景色とか建造物とか、とりあえず遠くのものを見るときに使われるフレーズだと思う。

だけども"まぐろ"。

生き物じゃないか。動いちゃうじゃないか。

まさか沖合を泳ぐマグロの群れを遠望できるとかか?

いや、マグロはそんな陸の近くの浅瀬を泳いだりする魚じゃないし。

 

そして、ドアには「7:00~17:00」と書いてあるが、もうとっくにそんな時刻は過ぎている。

何から何まで謎だからだ。気になるから入ってみよう。

 

まぐろ展望スペース4

ワンフロア上がると、実物大のマグロが描かれた掲示物があった。

長さは282㎝、重量は446kgの、勝浦港で水揚げされた最大のマグロらしい。

巨大だ。こんなのに海で遭遇したら僕は怖い。

 

他にも勝浦をアピールする様々なパネルが展示されていたが、いかんせん館内が暗い。

やっぱ営業時間が過ぎているのかな、これ。

僕が館内にいるうちに入口が施錠さえてしまいそうな気がして、展示物に集中できない。

 

まぐろ展望スペース5

屋上までやってきた。

ここが展望台?まぐろ展望スペース?

…というよりむしろ駐車場っぽいけど?すごく武骨な駐車場。作業車両などいる。

 

ただ、車がいるということは階段やエレベーターだけではなく、車両用のスロープがあるということだ。

探してみるとちゃんとそういうスロープがあり、そこは閉鎖されなさそうな雰囲気。

僕が夜間閉じ込められる可能性はなくなったと判断。これでここで時間を気にせずゆっくりできる。

 

まぐろ展望スペース6

真下にはマグロ漁船が停泊している。

闇夜の中でギラギラの船舶照明が灯っていてカッコいい。

 

那智勝浦でのマグロ漁法は、はえ縄。

アジとかイワシをエサにして海中に長く縄を設置し、食いついたマグロを吊り上げる漁法。

…文章ではなかなかうまく表現できないので、気になるなら画像検索とかすればイメージ図がいっぱい出てくるぞ。

 

はえ縄漁法だと、網を使った漁法に比べて魚に傷をつけずに獲ることができるというメリットがあるのだね。

 

まぐろ展望スペース7

館内のパネルにも書いてあったのだが、こうしてこの那智勝浦港は生マグロの漁獲量が日本1となっている。

近海でマグロを獲るから冷凍する必要がないのだ。

 

実はこうやって生の状態で漁獲できるマグロってかなり貴重らしい。

そしてやはり冷凍ものと比べると風味がよいそうだよ。

 

マグロ展望スペース8

そして後日知ることになるのだが、このマグロ展望スペースの本来の用途は、マグロ漁船を眺めるものでもなければ、海を眺めるものでもなければ、向こうにある入浴施設を発見して「あ、あそこでお風呂に入ろうかな」とか思うものでもない。

 

本来の使い方は、さっきの展示スペースのある階。

そこからの窓越しに漁港内のマグロのセリを眺めるものだったのだ。

 

マグロ展望スペース9

なるほど、朝だとかにここに来ればこういう絵を見ることができるのだね。

こんな夜では窓の外は真っ暗な市場の床が広がっているだけだった。セリを眺めるという発想が全然なかった。

 

マグロ展望スペース、確かに階下にズラリと陳列されたマグロを眺めるスペースであった。

 

 

漁港の食堂で夕食を

 

もう1つ立ち寄りたいスポットがある。

実はね、ここに到着する1分くらい前に、車窓から食堂があるのを見つけているのですよ、ふふふ。

 

これはね、もうそこで夕食を食べるきゃないでしょう。

せっかく漁港に来たんだもん、マグロとかあるよね、これ。

 

お食事処おがわ1

「お食事処おがわ」。

いいじゃないか、このエクステリア。ワクワクしてくる面構えだ。

 

幟には「まぐろ」とか「くじら」とか書かれている。

すぐ隣の太地町捕鯨で有名だからね。ここでもクジラをたくさん食べられるのであろう。

 

お食事処おがわ2

『生まぐろ料理有ります。』という力強いフォント。

これは客を裏切らないお店であると確信した。

「ここまで来てマグロを食べないわけにはいかないだろう、入浴施設?なにそれ引っ込んでろ」って思った。

 

お食事処おがわ3

店頭のショーケース、闇に溶け込んでしまっていてよく見えない。

だがそれがいいのだ。

 

物事の輪郭だけフワッとわかる程度で、あとは己の想像力で保管する。

なんでもかんでもインターネットでわかるようになってしまった世の中にはない感覚だ。

…って何言ってるんだ、僕は。さっさと店内に入ろう。

 

お食事処おがわ4

店内、渋い。

地元っぽい人が小上がりの席でお酒を飲んでいい気持ちになっている。

僕はカウンター席だ。カウンターいいよね。

厨房というステージに一番近い観客席。

 

お食事処おがわ5

さてさて、何を食べようか。

おっと、マグロではなくクジラのページを開いてしまったぞ。

 

この記事のスタンスとしてマグロを食べたほうがテーマとして一貫性がある。

それはわかる。

だが、僕は急にクジラを食べたくなったのだ。

 

クジラの竜田揚げが単品である。

店員さんに聞いてみると、これを定食にすることも可能だという。

頼むに決まっている。

 

お食事処おがわ6

来た。なんてビジュアルだ。正しい定食の姿そのものだ。

そしてもちろん味も期待を超えてくる。

少しクセのあるクジラだが、臭みはない。それでいて力強い。

 

お食事処おがわ7

母なる海、太平洋の恵みを、今僕は摂取している。

至福だ。マグロにも興味があったが、ここは貴重なクジラを食べたかった。

このお店との出会いに感謝する。

 

お食事処おがわ8

ところでこのお店は、マグロやクジラだけではなく、イルカも名物だ。

イルカはクジラ以上にレアな食材だと思うが、「イルカは食べなくっていいかな…」って思ってしまった。

 

イルカは僕の中では水族館のアイドルだからね。

食べるのはメンタル的にちょっと辞めておくわ。おいしいのだろうけど。

 

お食事処おがわ9

ごちそうさまでした。

満ち足りた気持ちで退店した。夜風が心地よかった。

 

ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー

 

旅をしていると、お目当ての施設がやっていなかったり道に迷ったりということは日常茶飯事だ。

だが、それは失敗ではない。

そこにはきっと、かわりに得るものがあるに違いない。

 

目指した入浴施設はなかったけれど、漁港を眺め・漁船を眺め・クジラを食べた。

プラマイで完全にプラスだ。僕は勝ち組だ。

 

では、改めてお風呂を入りに行こう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.261【長野県】全国の「日本の中心」のさらに中心!「チコちゃんポイント」への冒険!

「日本の中心」っていうのは、実はたくさんあるのだ。

30くらいあったりするのだ。

定義が異なれば中心の概念も異なるので、ある意味どれも正解なのである。

 

じゃあ、その数ある日本の中心の、さらに中心を求めたならば…。

中心の中の中心。

それこそが、真の日本の中心と言えるのかもしれない。

 

…ってことをとあるTV番組で言っていて、そして真の日本の中心に碑まで建てたというから見に行った話をしたい。

 

僕も日本中の日本の中心を巡ってきたので、これは集大成といえるであろう。

 

 

 

「日本の中心の中心 チコちゃんポイント」。

 

 

なかなかの山奥にある。

もしあなたが行こうとするなら、それなりのガッツが必要だぜ。

 

 

日本の中心の中心ってなんだ??

 

冒頭でも触れた内容であるが、日本の中心はたくさんある。30箇所くらいある。

そしてこれらの日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

どんな日本の中心があるのか知りたい気持ちになったら、上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

どれだけ僕が特異な趣味を持つ者かご理解いただけると思うから。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

さて、ここからが本題である。

NHKに「チコちゃんに叱られる!」という人気雑学系番組がある。

チコちゃんは「紅白歌合戦」にも出たことがあるので、割と知名度があるかもしれない。

 

2018年のとある放送で、僕自身は見ていないのだが「日本の中心はどこ?」というチコちゃんからの質問があったそうだ。

答えは「たくさんあり過ぎる」だそうだ。その通りだ。

 

番組では以下のような日本の中心が例示された。

 

  1. 群馬県渋川市日本の臍
  2. 兵庫県西脇市日本のへそ
  3. 長野県小川村「本州のHESO
  4. 岐阜県郡上市日本まん真ん中センター
  5. 石川県珠洲市日本列島ここが中心
  6. 静岡県湖西市(町全体が日本の中心)
  7. 静岡県袋井市(町全体が日本の中心)
  8. 青森県東北町「日本中央

 

 

番組で日本の中心としてエントリーされたのは、上記28箇所であった。

TV画面をそのまま掲載するのはちょっとダメなので、苦労して僕が書き起こした。

 

「長野・南牧村」からコネクタが出ていない代わりに、そのすぐ上の「長野・佐久市」から2つコネクタが出ている点も忠実に再現した。

「兵庫・明石市」が本来指し示すべきスポットにコネクタが当たっておらず、すぐ上の西脇市に2つのコネクタが当たってしまった点も忠実に再現した。

…すみません、今日まで僕しか気づいていなかったスタッフさんのミスを暴露してしまった。

 

番組ではこの地図を見たチコちゃんが、「じゃあこの28箇所の経緯度の平均が中心の中の中心じゃない?」と言ったとのことだ。

 

 

その日本の中心の中心がここだ。

北緯35度59分56秒・東経137度59分56秒。

長野県辰野町

 

drive-ns.hatenablog.com

 

それは奇しくも、僕が日本の中心巡りの中で最も印象深い「辰野ゼロポイント」の、ほんの10mほど横の地点であった。

放送の翌年の2019年の12月、ここに日本の中心の中心を示す標柱も立てられた。

 

…行きますか、久々に辰野の山奥に。

懐かしいな。あの道なき道、今はずいぶんと整備されているんだろうな…。

 

ただ、標柱が立てられたのとコロナ禍が始まったのはちょうど同時である。

僕が実際に現地に行けるようになるのは、少しコロナが沈静化した2022年の夏であった。

 

懐かしの辰野へ!

ようやく夢、叶うぜ!

 

 

林道を走り登山路入口へ

 

辰野の市街地から、「大城山」へと登る「玉城枝垂栗林道」に入る。

かつて何度も走ったルートだ。懐かしさ100点である。

 

大城山へ1

実はここには半径数㎞内に日本の中心が3つある。

半径10㎞圏内であれば4つあるので、興味のある方は一気に巡ってみると良いだろう。

 

この山間部にある3つのうちの1つは「日本中心の展望台」だ。

この展望台に行くには未舗装路がかなり長いので、オフロードを走れる車でないとちょっと大変かもしれないが、絶景なので行ってみる価値はすごくある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

もう1つは先ほどもご紹介した辰野ゼロポイントだ。

これから向かうチコちゃんポイントから10mしか離れていないので、実質同じ場所だと思ってくれてよい。

 

大城山へ2

舗装はされているが、なかなかに狭い道だ。

対向車が来たら詰んでしまうが、まぁまず来ない。そう祈って進むしかない。

 

大城山へ3

数km走ると上のような分岐看板が登場する。

日本中心の展望台に行くのであれば左側へ続くカーブに行こう。

この先は未舗装路だけども頑張れ、って感じだ。

 

僕は今回は右に行く。(あとで左にも行くけど)

 

大城山へ4

しかし大層な看板ができたものだぜ。

僕が以前ゼロポイントを訪問したのは、まだゼロポイントの碑ができた直後の2011年春のことで、碑までの遊歩道すら存在しなかった。

当然こんな看板もなかった。

 

大城山へ5

あれからきっとしっかり整備されたのだ。

ここから先の道も綺麗に整備されたに違いない。

 

道の脇にあったゼロポイントの看板はちょっとだけくたびれていたけど、それはたぶん気のせいだ。

 

大城山へ6

…って思ったら、秒で道が荒れだした。

舗装?なにそれ?…というテンションだ。

レトロな日産パオがバッキャンバッキャン飛び跳ね、壊れそうだ。

 

でも大丈夫、悪路走行には慣れている。

 

大城山へ7

T字路に突き当たった。

左は『日本中心のゼロポイント』と書かれている。

つまりは僕の目指すチコちゃんポイントの10m隣だ。

右は大城山を示している。

 

当然左がゴールなのだが、僕が知りたいのは車で左に行けるかどうかだ。

かなり狭いしかなり荒れている。

前回は右に進んだところにある空き地に愛車を駐車した。

今は整備されて左側にも駐車場があるかもしれない。それが知りたい。

 

大城山へ8

…が、結局右に曲がったところにある空き地に車を停めた。

歩いたところで2・3分の誤差だろうから、確実な選択肢を取るよ。

それに、大城山からの絶景も久々に眺めたいし。

 

ここに車を停めて進行方向に1分歩けば、大城山なのだ。

そこの眺めがすんごい。

 

大城山へ9

これがその景色だ。

またここに来れて良かったと、心からそう思える絶景なのである。

 

では、徒歩でさっきのT字路まで引き返し、さらに先へ行こう。

あ、ちなみに行っておくが、チコちゃんポイントを示す看板などは現地到着まで一切ないからな。

ただし10m隣のゼロポイントを示す案内なら多く出ているので、それに従うのだ。

 

大城山へ10

空き地が出てきた。

どうやらここがゼロポイントへの駐車場のようだ。

10年前、ホテルの廃屋があったところじゃないか、ここ。

 

ご覧の通り未舗装だし雑草も多い。

普通の車であっても使用に支障はないかと思うが、不安を感じるようであれば僕のようにT字路を右に曲がった空き地の方がまだいいと思う。

先ほどの記載の通り、事実として歩いて2分も誤差は無いのだから。

 

大城山へ12

ゼロポイントまで1.11kmと案内が出ている。親切だ。

さらに杖用の木がストックされている。1本借りよう。

 

そして僕は、登山路に入る。

往復40分かかるチコちゃんポイントへのハイキングスタートだ。

 

 

ゼロポイント_思い出の登山路

 

登山路の入口には立派な説明板が作られていた。

これももちろん、ゼロポイントの碑ができた直後の2011年にはなかったものだ。

 

ゼロポイント遊歩道1

「日本中心のゼロポイント」に至る遊歩道は急な坂道や不整地があります。また、遊歩道の土質は滑りやすく転倒の恐れもあります。

 

のっけから脅しにかかっている。

でも確かに終盤は相当な傾斜だったのだ。用心に越したことはない。

 

次の項からは安全な歩行方法や野生動物への注意など、ボーイスカウトのレベル1みたいな話が続いている。

途中、『お同じ』という誤字や改行時のインデント設定不備もあって微笑ましい。

 

ゼロポイント遊歩道2

何度か記載した通り、チコちゃんポイントとゼロポイントは隣り合っている。

僕はゼロポイントはかつて踏破したことがあるので、今回の記事はどうしてもゼロポイントの思い出の振り返りのようなテイストとなってしまうことを詫びておく。

以下の記事と読み比べると、あなたも同じ世界線に到達できると思う。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

当時は全く整備されていなかった遊歩道。

それが2022年現在にどう変わったのか振り返りながら歩くのが楽しいのだ。

 

ゼロポイント遊歩道3

『茸山につき入山禁止』

もっとずっと奥深くであるが、2011年のときもこのような貼り紙を見てドキッとしたよな。懐かしい。

 

ゼロポイント遊歩道4

「一杯水」というスポットだ。

10年前はこんな水のたまる岩や竹筒などはなかった。近年設置されたのだろう。

あの頃の一杯水は、ボロボロの杭が1本立っているだけであり、水すら湧いていなかった。

 

ゼロポイント遊歩道5

ちなみに一杯水の水は飲んじゃだめだぜ。

水場を綺麗に整えておいて、さらに「飲んじゃダメ」という立て札も設置。

プラマイゼロ。

 

ゼロポイント遊歩道6

展望の開けない傾斜地を淡々と歩く。

 

昔僕、「この斜面を右に駆け下りて行ったらゼロポイントに到達するかな?」とか本気で考えたこともあったよな。

10年前、ゼロポイントに繋がる道はなく、経緯度しか手掛かりはなかった。

「たぶん右の方」と見当をつけた僕は、最短距離でアプローチしかねないクレイジーな頭脳をしていたのだ、当時は。

 

ゼロポイント遊歩道7

ここで大城山から北に伸びる遊歩道を東に反れる。

昔はここから先、完全に道が無かった。

遭難しないように木々にスズランテープを巻き付けながら森を分け入ったのも、ここからだった。

 

ゼロポイント遊歩道8

道は綺麗に整備されているとは言い難い。

だが片側をスズランテープで囲われていることもあり、「ここが道なんだな」っていうことはわかる。

まだここは悪路ではなく歩きやすいし。

 

ゼロポイント遊歩道8

ゼロポイントまであと280mという立て札が見えた。

そして道はググッと左にカーブする。

 

あぁ、懐かしいなここ。

僕が第1次捜索のときにここでギブアップした、「キノコバリケード」と呼んでいたスポットだ。

その2週間後の第2次捜索で、ようやゼロポイントを踏んだのだ。

 

2011年の冒険1

写真を見比べてみると、全く同じ木があり、同じ位置に杭が打ってあることに気付く。

時を経て、僕は再び戻って来た。

 

あのころは、ここから傾斜45度くらいのとんでもない斜面であった。

転げ落ちるようにゼロポイントに向かって行った記憶がある。

だが普通に考えれば、今はジグザグの歩道でもできているのだろう。

 

ゼロポイント遊歩道9

そう思ったら、確かにジグザクだったけども大雑把な造りのためか傾斜がエグい。

相変わらずのロープによる遊歩道アピールであり、地面はそんなに整備されていないイメージだ。

これは登りがとんでもなくツラいぞ…。

 

ゼロポイント遊歩道10

傾斜がさらに激しい部分は階段があるが、ご覧の通り段々部分を形成していた土は雨などで流出してしまったようで、枠囲みをしていた杭だけが残っている。

これじゃあただのブービートラップだ…。歩きにくいこと山の如し。

 

ゼロポイント遊歩道11

…おっ!!

最後のダメ押しの「茸山入山禁止」の貼り紙の向こうになんか見えてきたぞ!

向かって右がチコちゃんポイント、そして左がゼロポイントだ!!

 

 

チコちゃんポイント&ゼロポイント

 

20分近く歩き、遊歩道の終点までやってきた。

左右それぞれに碑がある。

チコちゃんポイントとゼロポイントだ。二者そろい踏みでゴールを祝福してくれている。

 

チコちゃんポイント&ゼロポイント1

 

 

日本中心のゼロポイント

 

この記事はチコちゃんポイントの紹介記事ではあるが、ゼロポイントについても少しご紹介しよう。

まずはゼロポイントからだ。

 

ゼロポイント1

50度近くあるんじゃないかってくらいの傾斜地に、頑張ってテラスを設けて碑を設置してある。

その中央に円盤を乗せた円柱がある。ここがゼロポイント。

 

…とは言ってもその定義をまずはご説明しないとだよね、すまない。

 

ゼロポイント2

日本には、端数の無い緯度と経度が、本土の陸地上で交差する点が40個ある。

その40個の中心に当たるのが、ゼロポイントなのである。

以前は正式名称は「日本の地理的中心"00ポイント"」だったんだけど、今もその名称は使われているのかな?まぁいいか。

 

それと、頑張って上の地図を作ってみたが、いかんせん手造りなので少し歪んだ部分は寛大な心で許してほしい。

 

ゼロポイント3

もう少し詳しい説明を読みたい方のために、現地の説明板も掲載しておく。

 

注意しないといけないのは、日本にはゼロポイント自体は40箇所くらいあるという点。

その40箇所の中心が、ここ"日本中心のゼロポイント"だとか"辰野ゼロポイント"と言われるスポットなのだ。

 

ちなみに40箇所の中心を割り出した方法については、前述ゼロポイントの方の記事でも書いたが、よくわからない。

 

2011年の冒険2

碑自体は変わってしまったんだね。

以前あった白い木の標柱はもうどこにもない。

あの力強いフォントも好きだったけどな。

 

ゼロポイント4

だが今のデザインもいい。

このテラスといい重厚感のある碑といい、お金をかけていると思われる。

 

碑に重厚感があり過ぎて、それを支えるには想定以上に足元をガッチリ固める必要があったのだろう。

ガッチリ固めたら一番下の文字「ト」が少し隠れてしまったっぽいアクシデントもまたいい。

 

ゼロポイント5

天板には日本列島が描かれ、ここが「北緯36度00分00秒、東経138度00分00秒」となる旨が示されている。

今回は計測しないが、前回はGPS2台で「北緯36度00分00秒、東経138度00分00秒」を探して森の中を彷徨い歩いたのだ。あの冒険は楽しすぎた。

 

 

チコちゃんポイント

 

では、次にチコちゃんポイントをご紹介しよう。

 

チコちゃんポイント1

ゼロポイントを見下ろす斜面の上に建っている標柱、それがチコちゃんポイントだ。

ちゃんと「日本の中心の中心」という肩書も書いてある。

 

少なくとも2022年現在は、ここも茸ゾーンであるためにチコちゃんポイントの足元までは行くことはできず、少し下から見上げるようなかたちとなる。

 

昔ゼロポイントを目指したときは、役場の方に事前の許可を得て、道なき道を上の方からゼロポイントまで転がり降りてきた。

…ってことは、僕はチコちゃんポイントを認定前に踏んだことがあるのではなかろうか?

 

2011年の冒険3

うん、写真に残っていた。

赤く囲ってある部分、もちろん2011年のときには何もないが、今現在はそこにチコちゃんポイントの碑が立っている。

僕はずーっと前にチコちゃんポイントを見ていたのだな。

 

チコちゃんポイント2

チコちゃんポイントの少し下、遊歩道の脇には日本の中心の中心の説明板が設置されている。

この定義については冒頭で触れたとおりであるが、ここの説明板も掲載しよう。

 

チコちゃんポイント3

平成30年秋に、NHKの人気バラエティ番組「チコちゃんに叱られる!」において、様々な理由から日本の中心を掲げている全国28の自治体の経緯度の平均を算出したところ、"北緯35度59分56秒、東経137度59分56秒"と、日本中心のゼロポイントからわずか10m離れた場所が「日本の中心の中心は辰野町」として認定を受けました。

 

『日本の中心を掲げている全国28の自治体の経緯度の平均』というところが少しひっかかるが、自治体(役場?)ではなく、28箇所の日本の中心そのものの経緯緯度の平均なのだろう。

 

チコちゃんポイント4

いずれにしても、僕はチコちゃんポイントに到達できたのだ。

日本の中心のラスボスにふさわしい、ここに来れて感無量なのだ。

 

なんの展望も開けない森の中であり、アプローチは結構疲れる。

帰り道はもっと疲れる。

だけども僕にとってはとても大事なポイント。

 

 

最後にゼロポイントとチコちゃんポイントを撮影した短い動画を掲載するので、この2箇所の配置イメージを掴み取ってくれると幸いである。

 

 

果たして「日本の中心の中心」は妥当なのか?

 

最後の章では、なるべく考えないようにはしていたが、考えざるを得ないし、実はずーっと考えていた内容に切り込む。

 

日本の中心28箇所について1

この28箇所とはなんなのか。

果たして全部日本の中心と言えるのか。

そして他には日本の中心はないのか。

 

 

エントリーに盛り込みすぎはないか

 

上の地図のままだとよくわからない。

まずは一覧化し、我がブログ【週末大冒険】で取り上げているかどうかを確認してみよう。

 

日本の中心28箇所について2

グレーの項目については、取り扱っていない。

それはなぜなのか。1つずつ考察していこう。

 

4:千葉県・銚子市

「日本列島を囲む円の中心」という説があるが、根拠ははっきりしない。場所もはっきりしないため、未掲載。

 

銚子

9:静岡県袋井市

東京と京都のほぼ真ん中であり、東海道五十三次の真ん中にあたる27番目。

東海道ど真ん中茶屋」っていう茶屋に「東海道ど真ん中」の碑はあるが、「東海道=日本」を示すにはちょっと弱い。

それに東海道ど真ん中は「袋井宿」全体を指すのでピンポイントにはならないと考え、未掲載。

 

10:静岡県湖西市

東京と大阪のほぼ真ん中。浜名湖にある「浜名湖料理はませい」に「日本のど真ん中」の碑があると言われているが、見つけられず。

東京ー大阪間=日本」を示すにはちょっと弱いし、その中心が浜名湖の「はませい」である根拠も確認できず、未掲載。

 

浜名湖

11:新潟県糸魚川市

日本の東西南北端の経緯度の中心が新潟県沖。そこから一番近い陸地が糸魚川市

…だが、この計算根拠が一切不明であり、そして糸魚川市のどこであるかも不明であり、碑などもないために未掲載。

 

糸魚川

14:岐阜県・関市

TV番組放送年から推測するに、「日本人口重心地2015」を示していると思う。

日本人口重心地2015は私有地の山の中であり、付近に日本人口重心地2015を示す立て札もあるが、日本人口重心地2015を踏むことが不可能なために未掲載。

 

15:福井県

日本海側のほぼ中央。ざっくりしすぎて根拠に乏しいし、ピンポイントで中央を示すこともできないので未掲載。

 

18:長野県・諏訪湖

日本を代表する断層、糸魚川静岡構造線中央構造線が交わるポイント。

だが碑などないために未掲載。

 

諏訪湖

20:長野県・飯田市

人口等分線の緯度経度が交わる点が飯田市にあるため。

ただしこれは年々変動する条件である。これが飯田市だと判明したのがいつなのかも調べられなかったし、碑などもないために未掲載。

 

23:長野県・上松町

排他的経済水域を含んだ日本の中心と言われているが、算出根拠不明な上に碑などもないために未掲載。

 

そもそも正しい日本の中心なんて定義は無い。だから原則全部正解だと思っている。

だけども「15:福井県」などは領域が大きすぎるぜ。

ガッツキすぎじゃないか?…って思ってしまう。

 

 

エントリーに不足はないか

 

逆に、上記28箇所のエントリーに不足はないのだろうか?

 

28箇所の中には、「日本海側のほぼ中央」という理由で福井県が入っていた。

…であれば、名古屋・大阪・松本・岐阜・滋賀も「大体ウチは日本の真ん中にあります」という表現を聞いたことがある。

これらも含まれて然るべきではなかろうか。

 

東京もいくつかエントリーされているが、「そもそも日本経済の中心はウチです」みたいな感じでのエントリーを追加することも可能ではなかろうか。

 

国会議事堂

鉄道の中心である「東京駅」も入れることができるかもしれないし、そもそもの鉄道原点である「新橋駅」も入れることができるかもしれない。

 

「じゃあそれを【週末大冒険】で取り上げていないのはなんでだよ?」って言われそうだが、そこは正直選り好みの問題もある。

 

大事なのは、「日本の中心の中心を定めるのは、そのベースとなるスポットが多すぎても少なすぎてもダメ。正確でないといけない。」という点だ。

僕は日本の中心の中心を自分自身で算出しようとはしていないので、僕の問題は置いておいてほしい、すまない。

 

鉄道起点0哩標識

話を戻そう。

チコちゃんポイントの基準となる28箇所には、1995年の日本人口重心地である「日本まん真ん中センター」も入っている。

これがTV番組内でも登場したので「13:岐阜・郡上市=日本まん真ん中センター」で間違いなさそうだ。

あと、前述の通り「14:岐阜県・関市」2015年の日本人口重心地を示すと考えている。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

人口重心は5年ごとの国勢調査で算出される。

では、間となる2000年と2010年はどこにいったのか。

 

というよりなぜ、「放送時点最新である2015年の人口重心」だけではなく、1995年の日本人口重心地もエントリーしてしまったのか。

これで相当に話がややこしくなる。

さらに言えば、1990年・1985年…と、どこまで遡るのが正解かもわからなくなる。

 

日本の中心28箇所について3

すっごく言葉を選ばずに発言してしまうと、この28箇所には公平性が無いかなって思ってしまう。

 

それに、例えば「福井県」とか「諏訪湖」とかって広域を定められたポイントに対し、どこを経緯度の基準に定めたのか知りたい。

それ次第で、28箇所の経緯度の平均も異なる。

 

果たしてちゃんと、チコちゃんポイントが経緯度平均の地になるのか。

狙ったかのように辰野ゼロポイントのすぐ隣になったが、それは忖度無くの真実なのか…、そう考えたりもする。

 

 

僕はただ、日本の中心巡りが好きだ

 

この項目はとても重要だ。

前項でいろいろネチネチとつまらない分析を述べた。

頭が固い、TV番組に批判的なヤツだと思われたかもしれない。

ゴメン、でもそうじゃないんだ。

 

言いたいことは2つある。

 

1つは、僕は日本の中心巡りが大好きだという点だ。

人によりいろんな考え方がある。それを調べ、確かめ、「ほうほうそうか」って思う。

前の章は「"いろんな考え方"って、いったいどう考えたの?」っていうのを分析しているにすぎない。

 

ただいま、パオちゃん

2つ目は、「チコちゃんに叱られる!」というTV番組について。

日本の中心の中心の算出時、チコちゃんは『第1回NHKチコ杯争奪!日本の中心選手権』と表現したそうなのだ。

 

まだ第1回。

もし今回の28箇所に修正が必要であったり、以後追加された際には、第2回があり得るという点だ。この機転、すごい。

 

恥ずかしながら僕はこれだけ日本の中心を巡っておいて、「日本の中心の中心を求めよう」という発想はなかった。

このようなネタを提供していただいた点は非常に感謝だ。

 

そして、僕もまだ進化する。

まだ見ぬ日本の中心があるかもしれないからな。

今後もそれを探し求めるとしよう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本の中心の中心_チコちゃんポイント
  • 住所: 長野県上伊那郡辰野町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 大城山近くにあるが、そこから徒歩20数分
  • 時間: 特になし

 

No.260【東京都】お寺の中にプラネタリウム!住職が解説!ユニークすぎるぜ「證願寺」!

タイトルが全てを物語ってしまうようであるが、世界初の仏教寺院内プラネタリウムが東京の下町、葛飾区の立石という町にある。

まずはその、「プラネターリアム銀河座」のWebのサイトからの一文を引用する。

 

※注意ください!※


銀河座は極めて特殊なプラネタリウムです、サイトをよく読まずに来館されるとまずいことになります※※
星空が見られる、星に癒されたい、という方は一般のプラネタリウムにいらして下さい。

文化や外国との比較などから宇宙や科学に迫る前半が特殊過ぎてついて来られない人もいます。

寺の中にあるのでほんわかとしているかな? というのも違います。

鋭く科学、文化に迫ります。

 

な、なに言っているんだコヤツ…。

 

「まずいこと」とはなんぞや。行ってみよう。

このプラネタリウム、「ただただ決まった映像作品を流して終わり」というものではなく、住職自らがプラネタリウムを動かし、そして解説してくれるのだ。

ただしやたらとアクが強い。

 

何が起こるかわからない、完全にリアルでアドリブな作品。

何が起こるかわからない、っていうかたぶん毎回何か不測の事態が起こっているんだろうなって感じの、ユニークでファジーでゆるめな雰囲気。

 

それが「プラネターリアム銀河座」である。

 

アイドリングタイムに何枚か撮らせてもらった

そのお寺の名は「證願寺(しょうがんじ)」。

浄土真宗のお寺だそうだ。

 

僕は今からほぼ1年前、2022年の2月の東京都心に雪が残る寒い日、車を走らせて證願寺のプラネタリウムを見に行った。

そのときの思い出を語りたい。

 

 

観覧は抽選での完全予約制!

 

このプラネターリアム銀河座の存在を知ったのはいつだったであろうか。

7・8年くらい前だったであろうか?

 

お寺の中のプラネタリウムということで、とても興味を持った。

ただし完全予約制であり、申し込みは非常に倍率が高いと聞いていた。

先着順であり、申込フォームが表示されると瞬く間に埋まってしまうと聞いていた。

 

ただし僕はそんな気軽に東京にも行けないので、憧れているのみの存在であった。

 

寺ネタリウムに予約せよ1

重い腰を上げたのは、2021年の冬である。

ここ数年のプラネタリウムの申し込みは先着順ではなく抽選になっていた。

以下にWebフォーム記載の文章を転記する。

 

★申し込み方法★

毎月ご案内する予約日に申し込みフォームが表示されます。

(予約フォームが開いている間は申し込みを受け付けます。)


★申し込みから予約確定までの流れ★

申し込み後、厳正な抽選を行った上で銀河座スタッフから応募者の皆様へ当選か否かの返信を行います。

返信は申し込み締め切り後4~5日いただきます。

 

ウワサだが、「厳正な抽選」がなかなかにキモなのだそうだ。

どれだけプラネタリウムへの思いを熱く語ったかで評価されるそうなのだ。

 

寺ネタリウムに予約せよ2

「よーし、自己アピール頑張るぞー!プライドを捨ててでも同情を買って当選するぞー!」って企んでいた。

しかし申込フォームが表示される日をうっかり失念したりと、なかなかうまく予約できずに2022年1月になった。

 

寺ネタリウムに予約せよ3

そしてついに!!

夢にまで見たプラネタリウム応募フォームにアクセスできた!

応募フォームが開いた1時間後くらいに僕もアクセスした!

 

先着順ではないとはいえ、早々に応募フォームが閉じられてしまうのが怖い。善は急げ、なのだ。

 

ちなみに応募フォーム内に記載されている「春日」さんが住職だ。

プラネタリウムの主だ。

そして住職であると共にテノール歌手でありマジシャンであり、TVも出るし本も書いている。キャラが大渋滞している。

 

それはさておき、はやる気持ちで申し込みフォームに入力した。

 

寺ネタリウムに予約せよ4

だが聞いてくれ、事件だ。

入力フォームを埋めたのに情報を「送信」できない。

 

どうやら予約希望日が選択されていないことでエラーになっているのだが、何度やろうとしてもダメなのだ。

希望日が空欄なのだ。手入力もできない。なんてこった。

 

しばらく考え、Webで同じような境遇の人がいないか検索してみた。

 

寺ネタリウムに予約せよ4

なるほど、中の人がツイートしてた。

フォーム故障中だった。

 

「備考欄に希望日を書いてほしい」とあったが、書いたところで予約希望日欄が空欄だとエラーになるんだよぉぉぉ!!って思った。

いろいろ試行錯誤した末、「PCでダメならスマホではどうだ?」ってなり、スマホから無事に予約できた。

疲れた。

 

寺ネタリウムに予約せよ5

あとは当選するのを待つだけだ。

 

コロナ禍前であれば25名入れるプラネタリウム

今はソーシャルディスタンスで10名ほどだと聞いている。

1ヶ月に2回の公演なので、1ヶ月で20名くらいしか当選しない。

そんな幸運のクジを僕が引き当てることができるのだろうか…?

 

寺ネタリウムに予約せよ6

結論から言うと、当選したのだ。

応募から5日後にメールで当選のお知らせが来た。

 

しかしさらにそれに対し「行きます!」って返事をしないと無効になるとかいろいろあり、慎重に手続きを進めた。

料金は1000円。これで世にも珍しいお寺のプラネタリウムを鑑賞できる。

 

サイトにはこのように書いてある。

 

銀河座は男女2名のライブ解説でスリルあるプラネタリウム。 

高校生以上の大人のためのとても変わったプラネタリウムです ので、サイトをよくお読みになって下さい。独特な館ですよ~

 

プラネタリウムでなかなか「スリル」って言葉は聞かないよね。

そして「とても変わった」・「独特」と重ねて強調している。

僕はすごい世界に足を踏み込んでしまうのかもしれない…。

 

 

なんだか変だぞこのお寺!

 

近くのコインパーキングに駐車して、歩いてを目指す。

「もうそろそろかな」ってところで、前方に奇妙なビルが見えてくるんだ。

 

ワンダフルな世界観1

NASAが開発していた「X-33」が建物の壁に張り付いている。

 

X-33とは、スペースシャトルの後継機種として開発が進んでいたんだよね。

宇宙に行っても帰ってきて、また再び宇宙に行ける…っていう使い捨てではなくリサイクル可能な宇宙船だ。

 

ワンダフルな世界観2

いろいろあって開発途中でプロジェクトが頓挫してしまったんだけど、その後どうなったのかといえば東京下町のビルの壁に張り付いていたとは。

これには僕もビックリしたニャ。

 

ワンダフルな世界観3

このX-33が張り付いているビルを過ぎた直後に現れるのが…。

 

ワンダフルな世界観4

證願寺だ。

結論から言うと、X-33のビルは證願寺の境内の一部である。

お寺の建物に宇宙船をくっつけているのだ。

どうしてそうなった?人は死後、宇宙に還るのか??

 

ワンダフルな世界観5

境内側からX-33のビルを見上げてみた。

なんか巨大なシロナガスクジラが悠々と泳いでいた。

 

実はビルは天文台になっている。

上の写真ではほとんど見えないが、屋上に半球状の天文台設備がある。

お寺なのにこの設備よ!ここの住職、只者じゃあねーぜ!

 

ワンダフルな世界観6

境内に入る門の脇には、こんな絵が描かれていた。

中央は遣唐使船。その周囲を無数のネコが囲んでいた。

 

太古の昔、遣唐使船が現役であった頃、船の中で経典をネズミがかじったりしないように、ネコが飼われていたそうだ。

それを現わしているのだそうだが、それを踏まえてもユニークすぎる画風である。

 

ワンダフルな世界観7

境内に入った。正面に見えているのが本殿であろう。

ただ、待て待て待て待て。狛犬とかがいてしかるべきところに、もっと攻撃力の高そうな2匹が鎮座しているぜ。

 

ワンダフルな世界観8

ライオンだ!異国情緒!!

ただ、仏教の歴史をずーっと辿れば、お釈迦様の骨を収めた仏塔を守っているのはライオン像だったりして、仏教のスタンスからズレているわけではない。

だからライオンでもいいのだ。日本のお寺、ライオン置こう。

 

ワンダフルな世界観9

もう片方は恐竜だ!!

異国情緒どころの騒ぎではない!時間軸が歪んだ!!

 

トリケラトプス…ではないぜ、スティラコザウルスだ。

顔についている大きな角は1本だけだが、頭の後ろのフリルにホーンレットっていう突起が複数あるのが特徴だ。

 

ワンダフルな世界観10

ライオンはともかく、恐竜がここにいる理由はなんなんだと。

 

どうやらとある博物館が閉館する際、住職がこれをもらい受けて境内に置いたのだそうだ。

なんか「強いものは邪気を払う」とい理屈らしい。

 

ま、スティラコザウルスは草食だけども、確かに突進してきたらお相撲さんのブチかましの3倍は強いよな、納得。

そしてこの理屈だと、この住職次はティラノサウルスのオブジェを欲するぜ。危険危険。

 

 

こんなプラネタリウム見たことねぇ!

これがお寺の中のプラネタリウム

 

では、プラネタリウムに入るぞ。

どう見てもプラネタリウムに見えない建物から。恐竜に見送られて。

 

銀河座の設備1

住職自ら出迎えてくれた。

中はどう見てもお寺の施設の一部って感じ。純和風だ。

 

コロナ禍の真っただ中なので、お金はトレイを介してお支払いした。

自動体温測定器は故障気味で、結局自己申告になった。大丈夫です、僕は平熱です。

 

そして案内に従って奥へ行く。

 

銀河座の設備2

プラネタリウム入口のドアノブは直接触れなくっていいように開けてある。

シートの頭部分やひじ置きにはラップも貼られていて徹底しているそうだ。

キッチリと対策してくれている。

 

銀河座の設備4

 

そしてこれが寺の中のプラネタリウムだ!

寺ネタリウムとも呼ばれる空間だ!

 

 

すげーぜ。ワクワクしてきた。

もともと定員25名だったところ、今は8席ほどだ。

すごーくゆったりの贅沢空間。

 

住職ご自慢のリクライニングチェアは、一度身を沈めたら永久に浮上できなさそうだ。

しかも床暖房。

冬のお寺は寒くて冷たい」という僕の中の常識が、今覆った。

 

銀河座の設備5

本来は14:00開演なのだが、全員揃ったらしく5分以上前に照明が落ちた。

いよいよ公演が始まるぞ。

 

 

他じゃありえない銀河座の公演!

 

しばらくは頭上に移る星空や天体などのイメージ映像をぼんやりと眺めていた。

アイドリングタイムであるが、この時間が心地よかった。

 

…あ、ここからの画像はしばらくアイドリングタイム中のものが続く。

文章ばかりの羅列では目が痛いと思うので、開始前の画像を満遍なく散らばらせるからご了承いただきたい。

 

銀河座の公演1

メイントークを担当する住職と、解説員である元「東急まちだスターホール」の女性が出てきた。

 

住職は「えぇー…、では暗い中で申し訳ないが自己紹介を…」と口火を切り、早速解説員さんに「さすがに暗すぎです。明るくしましょう。」と突っ込まれていた。

自己紹介のため、会場は明るくなった。

開始数秒で住職しょんぼりしている。

 

なんだこのプラネタリウム

終始こんな感じのゆるい掛け合いが続くぞ。なんだこれなんだこれ。

 

銀河座の公演2

そして再びプラネタリウムは暗くなる。

 

住職は「どうしよう…。一応やっとこうかな?今夜の星座、やった方がいいかな?」みたいにつぶやいている。

どうやら今日の公演の本題に入りたくってウズウズしているようだ。

 

「やりましょう。一応やっておきましょう。」と解説員さんに促され、現在地の今夜の星座が映し出された。

おぉ、プラネタリウムっぽい!いや、プラネタリウムなんだけどさ!

 

銀河座の公演3

だけども住職、「カメラが下を向きすぎですよ!」って突っ込まれていた。

周囲のビルが写り過ぎていて肝心の星空があまり見えなかったのだ。

全部住職の手動での操作なので、全編とてもアクロバティックで1秒先の展開が読めないスタイルのプラネタリウム

 

そんなこんなで、最初の10分ほどは星空の解説コーナーであった。

 

 

話の方向はポーランド

 

そしてここからが住職の本領発揮だ。

 

銀河座の公演4

毎月講演内容が変わる、メインセッション。

 

僕が訪問した2022年2月のテーマはコペルニクスと不思議な国ポーランドであった。

ポーランドも不思議なのかもしれないが、なによりプラネタリウムとしてのテーマが不思議だと思った。

 

参考までに、僕が行って以降の2022年の公演タイトルを以下にご紹介しよう。

 

3月のテーマ『免疫と宇宙』
4月のテーマ『ネコと宇宙』
5月のテーマ『テスラと宇宙』
6月のテーマ『UFO論争の裏表』
7月のテーマ『七夕とお盆』 
8月のテーマ『蕎麦と惑星』
9月のテーマ『宇宙の匂い』
10月のテーマ『東京タワーが曲がってる!』
11月のテーマ『主食とプラネタリウム』&特別企画&プラ寝たリウム!!!
12月のテーマ『ビッグバンの発案と発見物語』

 

「とりあえず宇宙っぽい単語を混ぜておけば、好きなこと語ってもいいだろう」という節を感じる2022年前半、それすら放棄しかけている2022年後半。

なんという自由な精神。

 

銀河座の公演5

まずは天動説を唱えた「コペルニクス」についてだ。

コペルニクスの顔や参考資料がプラネタリウムに浮かぶ。

…てゆーかメインとしての活用方法はプラネタリウムではなく、資料投影用のスクリーンだ。

 

コペルニクスの人生を追っていく。

なんだか結構専門的な話ではあるが、天動説の人だからプラネタリウムの題材としておかしくはない。

 

住職、「コペルニクスのサイン、写したかったんだけどどこ行っちゃったかな?おっかしいなー?ねぇどこ??」って延々暗闇の中を探していたけど、まぁいい。

 

銀河座の公演6

次の「ショパン」でなんだか違和感を感じた。

なぜプラネタリウムで音楽家ショパンなのか。

 

コペルニクスと同じくポーランドに住んでいたが、ポーランド人ではない。フランスからの移住者だ。

でもポーランド繋がり。だから今回の題材になっている。

 

「音楽習った、結婚した、別れた。結核っぽい病気で死んだ。やっぱ結核だったと数年前にわかった。」みたいなことを言っていた。

そっか、結核

 

銀河座の公演7

続いては「キュリー夫人」だ。ポーランドの人。

そして夫婦そろってノーベル賞を取った人。しかも本人は2回もノーベル賞取っている。

 

放射能の研究をしたり、ラジウムを発見したことで有名だよね。

住職は当然その話もしていたけど、「夫婦仲が悪くて…」と下世話な方向に舵を切られたりして「なんだなんだ?」ってなる。

 

まぁイメージとしてはね、大学の教授みたいな感じだ。

風変わりで自由で、自分の好きなことを生徒に伝えたくって。

懐かしいな、こういう空気。

 

 

吹っ飛ばせビッグバン!

 

終盤は再び星の話となった。

冬の大三角。それから実は冬の星空の中に隠れている菱形や六角形…。

そして地球から各星までの距離の話など。

 

あいかわらず解説員さんとのらりくらりとしたトークをしているが、一番プラネタリウムっぽいコーナーだぞ。

 

銀河座の公演8

ただ、なんかどっかの星座がズレちゃったのか重なっちゃったのか、住職のお気に召さない事態が発生。

ぶつくさ言いながら星の設定をいじりだす住職。

 

そして終わった後に「メンテナンスをその場でやるプラネタリウムなんて、他には無いですからね」と、なぜか得意げな住職。

なにこの決してめげないタイプのおじさん…。最高かよ。

 

銀河座の公演9

終盤は、地球からどんどん遠ざかり、カメラは星座の間をギュンギュン擦り抜けながら銀河系の外へと出て行った。

地球から見えている星は、やっぱそこそこ近いものが多いんだね。

銀河系を出ると途端に星の数は少なくなる。

 

そして隣の銀河系が見えてくる。

なんて壮大な世界。地球も人間もちっぽけすぎだし、なんて短い時間の中を生きているのだろう。

宇宙は限りなく壮大なのだ。

 

銀河座の公演10

…って思ったら、どうやらズームアウト操作しすぎたようで、ビッグバンの外まで行ってしまったようだ。

プラネタリウム装置にインプットされているデータを超越した。

 

住職はゆるい感じで「あらら…、ビッグバンの外まで出ちゃいましたね…」とかつぶやいている。

宇宙最大の事故も「あらら」レベルだ。

 

銀河座の公演11

こうして銀河座の公演は拍手に包まれて終わった。

15:00終了予定であったが、15:15くらいになっていた。

住職がノリに乗って白熱したものだと信じたい。

 

住職はお客さんたちと楽しそうに話していた。

僕もプラネタリウムの装置を見せてもらったりした後、お礼を言って建物の外に出た。

 

銀河座の公演12

このプラネタリウムの主役は星座でもなければコペルニクスでもなく、住職であった。

 

こんなプラネタリウムがあってもいいのではなかろうか。

幻想的で美しいプラネタリウムにうっとりし癒されるのもいいかもしれないけど、東京下町のドタバタコメディなプラネタリウムだって魅力的だ。

なんだか疲れた気がするが、それは心地よい疲れであった。

 

gingaza-2019.amebaownd.com

 

さぁ、そして次はあなた自身が「住職」という名の大宇宙に飲み込まれる番なのである。

上にプラネターリアム銀河座へのリンクを貼っておいたから、勇気を出して申し込んでみるのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: プラネターリアム銀河座(證願寺)
  • 住所: 東京都葛飾区立石7-11-30
  • 料金: ¥1000
  • 駐車場: 特に案内がないのでコインパーキングに停めたが、境内でもよかったのかもしれない…
  • 時間: 月2回の公演で原則14:00開始 15:00終演。ただし公式Webを確認のこと。完全予約制。

 

No.259【島根県】天空に登る「ベタ踏み坂」再訪!超遠望でファインダーにその姿を捉えろ!

今一度、僕はあなたに問おう。

あなたは「ベタ踏み坂」をご存じか、と。

 

ベタ踏み坂、それはかつてダイハツの"タントカスタム"という車のCMで登場した坂道である。

文章でご説明するよりも、CMそのものを見ていただいたほうが早いので、下記にリンクを貼らせていただく。

 

www.youtube.com

 

…すごいよね。

坂の傾斜もすごいし、タントカスタムもすごい。

 

この坂道は実在するのだ。

島根県から見た「江島大橋」、通称ベタ踏み坂。

アクセルをベタ踏みしないと上れないような急角度の坂。

 

そして!!

 

drive-ns.hatenablog.com

 

我がブログの栄えある「No.100(100記事目)」にて取り上げたスポットでもある。

しかし、上記リンク内で語った通り、カメラの性能が及ばずに満足の行く撮影が出来なかったのだ。

 

今回の記事は、そのリベンジマッチなのである。

 

 

これでようやくお伝えできるかな?

本来あのとき僕が撮影したかった写真のことを…。

 

 

ベタ踏み坂おさらい

 

僕の前回の訪問記録をわざわざ読むのが面倒だというあなた。

わかるわかる、その気持ちメッチャわかる。

なのでダイジェストで記載しよう。

 

 

ベタ踏み坂、近くで見るとあんまり急ではない。

実際に走ってみてもそこまで急ではない。

 

もちろんそれなりに迫力がある坂なのだが、CMで見るほどのインパクトはないのだ。

それはなぜなのだろうか?

 

圧縮効果による視覚的トリックを使っているからである。

どういうことなのかは実際に以下の例を見ていただけると一目瞭然である。

 

 

まずはこれ、ベタ踏み坂から750m地点でのGoogleマップストリートビューだ。

ベタ踏み坂は遥か彼方である。

ここからカメラでズームする。

 

おさらい坂1

これは実際に750m地点のファミリーマート前で僕が撮影した写真。

なかなかの急坂になった。

離れたところから斜めのものをズームすると、角度が急になったように見えるのだ。

 

750m地点でこうなのだから、もっと離れたらもっと急になるのかな?

…とは言え、もう僕の背後は海が近い。

これ以上後ろには下がれない…  と思いきや。

 

おさらい坂2

大根島(だいこんじま)」が海の向こうにある。

ベタ踏み坂から2.8kmも離れているが、あそこから凄腕スナイパーのように狙い撃ちできるのだ。

早速移動した。

 

おさらい坂3

ベタ踏み坂のある「江島」が果てしなく遠い。

もうベタ踏み坂も肉眼ではほぼ見えない。

 

では、ここからズームだ。

 

おさらい坂4

見えたー!かなりの急坂!!

しかしカメラの性能の限界が近い…!!

 

おさらい坂5

ここでギブアップ!

これ以上のズームは見るに耐えない画質になる!!

 

チクショウ!

1週間前に愛用のカメラが壊れたので、ボロくて古いカメラしか手元になかったのだ。

またここに来るぞ!

そのためにも電器屋さんで一番ズームの効くコンパクトデジタルカメラを買うぞ!

 

おさらい坂6

こうしてその後すぐに僕はカメラを買ったのだが、ベタ踏み坂を再訪できぬまま時間が過ぎて行った。

コロナ禍がスタートしたからだ。

 

前回の記事内で、僕は以下のように語っている。

 

またベタ踏み坂を撮影したいのだが、昨年からのコロナウイルス蔓延で、山陰地方に旅立てずにいる。

今年、2021年のゴールデンウィークもまた、家で過ごすことになりそうだ。

 

2021年はコロナウイルスの緊急事態宣言で、ほとんど旅行なんてできない世の中だったのだ。

 

リベンジ坂1

だが2022年!

世の中はほんの少し落ち着き、僕は再び動き出す!!

 

 

超望遠撮影リベンジへ…

 

春の快晴の空はどこまでも澄み渡っていた。

窓を開けると三角窓から吹き込む風に、僕はうっとりしていた。

 

リハーサル坂1

せっかく新しいカメラを所持していても、天気が悪くてベタ踏み坂自体が霞んでいたら意味が無い。

澄み渡った空気であることも重要な条件の1つだ。

 

大根島に入った。最高のドライブ日和。

なにこれハンドル握っててすごく幸せ。

 

リハーサル坂2

南西方面から大根島に入った僕は、島の外周に沿って時計回りに島を走る。

数㎞走り、島の北岸に入ればもうすぐだ。

 

リハーサル坂3

ここで会えて僕は一度車を停める。

本命の「坂が正面に見える位置」はもう少し先なのだが、ちょっと違う角度からの写真も撮ってみたいのだ。

しいていえば、本命の前にリハーサルなのである。

 

リハーサル坂4

OK、僕には見えた。

肉眼で綺麗に見えるほどの天気に感謝した。

あなたには見えるか?

 

リハーサル坂5

あそこだ。

スマホからこの記事をお読みの方、写真を拡大しないとわからないかもしれないので、セルフズームしてみてくれ。

 

では、現地の僕がコンデジのズーム能力の限界に迫る!

 

リハーサル坂6

 

いいねぇーーー!!

 

 

青空に美しい弧を描くベタ踏み坂。

これをずーっと夢見てコロナ禍を悶々と過ごしていたんだよ!

このカタルシス

 

そりゃね、100万とか200万とかするバズーカみたいなレンズを買えば、これと比較にならないくらい綺麗な写真も撮れるであろう。

だけども僕は普段使いのコンデジで限界に迫りたかったのだ。

だから満足。

 

 

天高く、ベタ踏み坂

 

本命の撮影スポットにやってきた。懐かしいな、ここ。

 

リベンジ坂2

Googleマップでここを目指すのであれば、「寿物産」を登録しておくといい。

目の前には駐車帯もあり、安全快適に撮影することができる。

 

リベンジ坂3

念には念を入れて、三脚をセットした。

海沿いだから風が強いのだ。ズーム機能が秀逸でも手ブレしてしまっては台無しだ。

手軽にできる対策は全部する。

 

リベンジ坂5

そしてズームする。ぐんぐんズームする。

いい感じだ。ファインダーの中のベタ踏み坂が、どんどん僕に近づいてくる。

まだまだ鮮明。まるですぐそこにあるかのようだ。

 

さらにズームする。

 

リベンジ坂6

 

来たーーー!!

 

 

大迫力の直角ベタ踏み坂!!

車は天空を目指して走っているぞ。現実の光景なのに違和感があり過ぎて、思わずニヤついてしまう。

 

願わくば、青看板(道路標識)の文字がハッキリ見えるくらいの画質で撮影したかったけど、島を走るバスの側面に書いてある文字くらいなら読める精度だ。なかなか。

 

リベンジ坂7

画像一番下に青看板が2枚ある。

向かって右側の方が手前にあり、向かって左側は実は190mも奥にある。

右手の青看板からベタ踏み坂の頂上までは750mある。

 

それが圧縮効果で完全に潰れているのだ。

実際は750mもあるものが、極めてゼロに近い絵となる。

従い、本来はそこまで坂道が崖になるのだ。

 

 

動画を1つご紹介する。

画角はまったく同じだが、激坂をチマチマ登る車を動画で見るのはとても楽しいと思うので、ぜひ再生してみて欲しい。

 

リベンジ坂8

まるで車の上に車が乗っかっているような圧縮効果。

手前の車、奥にいるはずの車。それらのどの車も、坂を走っている車はほぼ同じサイズで写真に写っている。

だから距離感がバグる。不思議不思議。

 

あ、写真の左下に「セルフ」と書かれたガソリンスタンドの屋根があるのがおわかりだろうか?

これは次の章で少しだけ触れるので、覚えておいていただきたい。

 

 

もう1つ動画をご紹介する。

これを見ていただければ、どれだけ遠くからベタ踏み坂を狙ったのか、感覚をご理解いただけると思う。

 

リベンジ坂9

カメラの性能に感謝!天候にも感謝!

こんなに離れてはいるが、最高のイベントを楽しむことができた!

 

リベンジ坂10

…って満足して周囲を見たら、わりかし人が増えていた。

カメラに集中して気付かなかったけど、僕以外に2組いて、今さらに3組目が登場するところだった。

人気スポットね、ここ。

 

リベンジ坂11

駐車車両も増えていた。盛況だ。

では、僕は出発しますか。

 

そして最後に、行くぞあそこ。

ベタ踏み坂。

走ってこその坂道!走ってこそのフィナーレ!

 

 

その橋は県を渡る

 

最後の僕は、ベタ踏み坂こと江島大橋を渡る。

大根島から江島へとやってきた。

 

ベタ踏み坂1

序盤に掲載した簡易MAPをもう一度貼る。

ファミリーマートを今通過したところだ。

 

ベタ踏み坂2

観光客が群がって写真を撮っている。

もちろん狙っているのは写真の右端にあるベタ踏み坂だ。

スマホなどの望遠があまり効かないカメラであれば、ここいらからの撮影が最も適していると思う。

 

そして、さっき大根島から望遠撮影したときに移っていたガソリンスタンドの「セルフ」の看板が向かって左手にある。

坂部分から見るとこんなにも手前に存在していたのだ。

 

ベタ踏み坂3

大根島からの画角がアホみたいにすごかったので坂道に対するバロメータが故障してしてしまったかと思うが、ここから見るベタ踏み坂も充分にすごいのである。

そもそも冒頭のタントカスタムのCMで出てくる画角がこのあたりだしな。

 

ベタ踏み坂4

「境港 6km」と書かれている看板の下をくぐる。

 

この江島大橋を渡り切り、再び陸を踏むときには、もう島根県から鳥取県に入っている。

ベタ踏み坂こと江島大橋は、島根県鳥取県を結ぶ橋なのだ。

あと6kmで、「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラが各所にいる「水木しげるロード」が目玉の、鳥取県境港の町なんだよ。

 

ありがとう、島根県

また来る日まで!

そしてベタ踏み坂よ!次は日本7周目でまたその雄姿を見せてくれ!!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ベタ踏み坂遠望スポット
  • 住所: 島根県松江市八束町二子880
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.258【静岡県】2023年3月末閉館!迫力ある恐竜骨格を見に「東海大学自然史博物館」へ!

昨年夏、衝撃のニュースが日本を駆け巡った。

東海大学自然史博物館」・「東海大学海洋科学博物館」という隣り合う2つの博物館が、施設の老朽化などのために2023年3月末で閉館すると宣言したのだ。

非常にショックであった。

 

つい先日の2023年2月10日。

東海大学海洋科学博物館の方だけは、事前完全予約制ではあるが、2023年4月以降も入場者を受け入れると発表された。

みんなが「残念だー」・「続けてくれー!」と声をあげたからである。

 

海洋科学博物館は救われた。

ただ、悲しいかな自然史博物館は予定通り歴史に幕を閉じることとなった。

 

光と闇。

共に歩んできた2者の運命は、ここで大きく分かれてしまうのだ。

 

海洋科学博物館についても、そのうち書きます

では残念ながら閉館となる東海大学自然史博物館について僕の訪問記をご紹介しよう。

 

 

閉館宣言と、焦る僕

 

導入文と被るが、今一度お聞きいただきたい。

 

2022年6月1日のことであった。

東海大学海洋科学博物館東海大学自然史博物館が2023年3月31日をもって、一般公開を終了すると発表された。

 

海洋科学博物館は1970年オープン、自然史博物館は1981年オープン。

随分永らく営業を続け、特に海洋科学博物館(つまり水族館)の水槽が老朽化してきたことが要因だ。

 

2023年度以降どうなるのかというと、いきなり建物を解体するとかではなく、大学の研究施設としての活用は続ける方針だと発表された。

 

自然史博物館を目に刻め1

これはヤベーな。

僕もかつて海洋博物館・自然史博物館ともに行ったことがある。

とても楽しかった。

その施設が無くなってしまうのはとても残念だ。

 

最後にもう一度行きたい。

2023年になったら最後の駆け込みの人が激増しそうなので、夏のうちに行こう。

 

自然史博物館を目に刻め2

そう考えた僕は、夏のうちに海洋科学博物館・自然史博物館共に訪問する企画を立てた。

 

学生時代の仲間であり、日本1周目から5周目くらいまでよくドライブした仲間に声を掛けた。

ここ数年、特にコロナ禍になってからは遊んでいなかったので、とても懐かしい雰囲気の中、静岡県まで車を走らせた。

 

自然史博物館を目に刻め3

施設の前にケティオサウルスのオブジェがいた。

首の長さが実際よりもやや短めのような気もするが、壊れやすいデリケートなオブジェなのでリアルを追求しなくってもいいかと思った。

 

ふと僕は回顧する。

これ、以前はもっとデフォルメの効いたデザインだったし、もう1体いたよなぁと。

 

自然史博物館を目に刻め4

はい、過去のフォルダから写真を持ってきた。9年くらい前のものだ。

急に親しみやすいデザインになった。

 

特に右側。なんだオマエは。もしかしてティラノサウルスのつもりか?

もはや失笑しか生み出さないデザイン。好きすぎる。

 

自然史博物館を目に刻め5

あと、当時は敷地内にでっかい船があったよね。

海洋調査実習船「東海大学丸Ⅱ世」だ。

調べたら2016年の年末に老朽化に伴い解体されたそうだ。お疲れ様。

 

ところでこの記事、最新の自然史博物館をご紹介するのが目的ではないので、写真は多少新旧が入り混じる。ご容赦いただきたい。

 

自然史博物館を目に刻め6

建物内に入ると、まずは大地に埋もれたトリケラトプスの頭が出迎えてくれる。

 

少年の心を持つ僕は、もうこれだけでハートを居抜かれるってヤツだ。

いずれ自分の家を持つようになったら、庭にこれを造りたいなぁって思った。

 

自然史博物館を目に刻め7

そいて受付を通り、「恐竜の世界へ」と書かれた向こうのエスカレーターに乗る。

なんだか暗い空間を登るエスカレーターの横に、青いネオンが揺らめく不思議なテイスト。

 

よーし、盛り上がってまいりました!

 

 

恐竜時代にタイムスリップ

 

エスカレーターの辿り着いた先は3階だ。

どうやらここから展示を見ながら1階に戻っていくスタイルらしい。

 

スクトサウルス

まずはスクトサウルスの全身骨格がお出迎えしてくれた。

 

まぁでも基本は35億年前の生命の誕生から現代に向かって歴史を追いかける形式なので、小さな魚や植物や貝の化石が多かった。

スクトサウルスはそういうやや地味目なコーナーの目玉キャラ的な感じで、ちょっと歴史を無視して超古代エリアに足を踏み入れていた。

 

ディメトロドン

その後ろに着いてきているのは、ディメトロドンだ。

背びれのようなものが逆立っているのが特徴的なヤツ。

骨格を見るとすごいな。なぜゆえこんな進化をしちまったのだろう…。

 

さぁさぁ次行くぞ。

展示品を細かく紹介していたら、マジにこの記事だけで写真100枚超えるし執筆に3年かかるからな。

 

では、お待ちかねの恐竜全盛期エリアだ。

 

ディプロドクス1

大展示室!

ここでは三畳紀あたりの恐竜を展示しているそうだ。

ダイナミックだなぁ。これ男の子みんな好きなヤツだ。

 

ひときわ大きく、中央に構えているのはディプロドクス。

全長26mの巨大な骨格である。踏みつぶされたら死あるのみだ。

 

ディプロドクス2

真下に入って見上げると、肋骨がなんとも言えない広がりを見せていた。

デカといえばデカいけど、これで10~20tもあるマッチョな巨体を支えられたのだろうか。骨ってすごい。

 

ステゴサウルス1

ディプロドクスの斜め後ろにいるのは、ステゴサウルスだ。

背中に鉄板のような平たい骨をいくつも持っているのが特徴だね。

 

ステゴサウルス2

あ、ここで1つ豆知識なんだけど、実は「ゴジラ」のモデルってこのステゴサウルスなのだ。

パッと見では結構シルエットが違うけど、2本足で直立したステゴサウルスをイメージしているみたい。

 

ステゴサウルス3

そういえばゴジラにも背中に突起がたくさんある。

それがわずかに残るステゴサウルスの痕跡なのだろう。

 

トリケラトプス1

みんな大好き、トリケラトプスもここにいるぞ。

草食恐竜でありながら3本の角を持ち、いざとなれば肉食恐竜とも闘えるだけのウェポンを備えた、魅力あふれる恐竜だ。

 

トリケラトプス2

映画「ジュラシックパーク」の第1作では、大人気恐竜なのに病気でグッタリした1体しか登場しなくって、ちょっとショボンとしたよね。

もうちょっと日の目を当ててほしかった。

 

タルボサウルス1

そしてタルボサウルス!

正直こういう肉食恐竜系はどれを見てもまずは「ティラノサウルスかな?」って思ってしまうし、タルボサウルスってここ以外ではお目にかかったことがない恐竜だけど。

それでもかっこいい。

 

タルボサウルス2

説明板を見たところ、体調12m、体重5t。

ティラノサウルスと同じく白亜紀後期の肉食恐竜だが、ティラノサウルスが北アメリカにいたのに対し、コイツはモンゴルとかに生息していたそうだ。

 

タルボサウルス3

…というより、1つの種を現わさずに「ティラノサウルス科」というさらに大きなくくりであれば、タルボサウルスもここに入る。

それに、ティラノサウルス科の中ではかなり巨大なクラスの恐竜らしい。

 

プロバクトロサウルス

プロバクトロサウルス

恐竜の名前って、ものによっては舌を3回くらい噛むものも多いけど、これは1回くらい噛めば発音できそうだ。

草食のカモノハシ竜の祖先にあたる。あの馬面が特徴的な恐竜の元祖ね、なるほど。

これもモンゴル出身。

 

プテラノドン

天井にはプテラノドンが飛んでいた。

飛ぶために極限まで骨組を軽くしているので、骨格だけだととっても貧相。

この貧相な骨格に「空を飛ぶ」という夢をギュッと詰めている。

 

恐竜大ホールはここまでだ。

ちょっと紹介しきれなかった恐竜もいて申し訳ないが、実際の僕は当然全部見た。

では次に行こう。

 

 

そして哺乳類が栄える

 

階段で2階に降りてきた。

 

プレシオサウルス

あ、まだ恐竜いた。プレシオサウルスだ。

時代は進むと思ったが、2階の最初のコーナー名は「中生代の海」だった。

さっきの3階大ホールは恐竜時代の陸地だったが、2階の最初は恐竜時代の海だ。

 

アンモナイト

とはいえ、インパクトのある恐竜の全身骨格は冒頭のプレシオサウルスだけだ。

その他はアンモナイトだとか三葉虫・サンゴ・カニなどの小動物の化石がメインである。

 

…とはいってもアンモナイトデカかったけどな!

上の写真の左端にある巨大アンモナイトの化石は触ることもできる。

ちょっと実際に海では遭遇したくないほどの巨大さだ。

 

カブトガニ1

出ましたカブトガニ

21世紀でも元気な、生きる化石だ。僕もコイツは大好きなのである。

表面のツルッとした造形美を楽しむも良し…。

 

カブトガニ2

裏っ返して足がウジャウジャついた部分を眺めて背筋を「ゾクッ」とさせるも良しだ。

キモかっこいい!キモかっこいいよ、カブトガニ

君は、キモいまま進化せずにずーっとそのままでいてくれていいんだよ。

 

ゴンフォテリウム1

ゴンフォテリウムだ!ゾウさんの祖先!

2000万年くらい前のゾウさんなのである。

まだ「お鼻が長いのね」って程ではなく、下あごとキバと鼻が同じくらいの位置で長さを競い合っている。

 

ゴンフォテリウム2

イメージしやすいよう、ゴンフォテリウムの説明板も上記に掲載しておく。

このゾウとかサイとかカバ系の進化は僕個人的に好きで、いろいろ写真を撮ったのだが多くなってしまうので泣く泣く割愛することにする。

 

ケナガマンモス1

マンモス!

哺乳類ゾーンでひときわ目を引くのはケナガマンモスの全身骨格だ。

 

なぜかいい子に「おすわり」しているが、きっと立ち上がったら天井を突き破ってしまう高さだからだろう。

この上の3階、恐竜さんたちいるから天井壊してはダメだよね。

 

ケナガマンモス2

このキバの長さとカールっぷりが意味不明。ゆえにクール。

マンモスは、僕らのロマンを具現化した動物なんじゃないかな。そう思ってしまう。

 

オオツノジカ

その横にはオオツノジカだ。

角の広がりは2.5mもある。常軌を逸している。

狭い道とか通るのにすっごいジャマじゃないかな。だから滅んだのかな。

 

ja.wikipedia.org

 

このオオツノジカの生まれ変わりが、明治時代の陸軍中将の「長岡外史さん」だと信じている。

オオツノジカの角は、長岡中将のプロペラ髭に通じる。

 

時代は流れ、ついに人間が人間らしく進化していくゾーンだ。

 

ヒト1

サルの脳味噌がどんどん大きくなり、直立姿勢になり、人間となった。

脳味噌の重さとか書いてある。

僕の脳味噌のサイズはちゃんと現代人に到達できたのだろうか?

 

ヒト2

『あなたの顔は祖先に似ていますか?』と書いてある。

その中に浮かび上がっているのはネアンデルタール人のホログラムだ。

 

ネアンデルタール人と顔が同一だとしたら、それって進化中じゃない?

ちょっとそれヤバいんじゃない??

 

ヒト3

自分の顔をネアンデルタール人に重ねて写真を撮れるようになっている。

なんかズレた。

でも、僕はネアンデルタール人よりはもう1歩くらい進化してそうだとわかった。

 

ステラーカイギュウ

1768年に人間によって滅ぼされた、ステラーカイギュウの骨格がある。

 

ジュゴンマナティの仲間の、もっと巨大なヤツだ。

とってもおとなしいし逃げ足も遅いし、傷ついた仲間がいると見捨てられないという社会性を持っていた動物。

 

なので船乗りが食糧確保のために1匹傷つけると助けるために群がってくるから一網打尽にできた。

そんなこんなで発見からわずか27年で乱獲されつくして絶滅した、悲劇の動物だね。

 

そして現代1

2階が終わり、1階に降りてきた。

時代は現代となり、静岡県の森を再現していてシカやクマがいたり、昆虫の標本があったり。

それらは写真には撮っていないのでお見せできない、すまない。

 

なんかコーナーの片隅の、海岸に流れ着いたものコーナーに興奮していたようだ。

懐かしいペットボトル飲料の蓋がある。

 

そして現代2

大陸から流れ着いたライターのコレクションもある。

 

あとは図書館コーナー、さまざまな岩石標本など…。

ここいらの写真が少ないのは、誤って写真データを消してしまったからだよ。

チクショウ、後悔してもし足りねぇ!一生の不覚!!

 

そして現代3

最初の入口に戻って来た。お土産コーナーを少し覗いた。

大体1時間弱。とても充実した時間であった。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

2023年3月末で、東海大学自然史博物館は閉館する。

もしあなたも予定が許せば、最後の見学に赴いてはいかがだろうか?

 

生物誕生から現代までの展示が並ぶ自然史博物館ではあるが、未来はもうない。

その最後の雄姿を目に刻んでほしい。

 

駐車場内の土産物&軽食屋

海洋科学博物館の方も事前予約制で相当にお客さんを絞るそうだから、こういうお土産物屋さんも継続が難しくなっちゃうかもね…。

昭和レトロな佇まいのお店、今後も頑張ってほしいけどな…。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.257【岐阜県】遠い昔の人口重心地「子安神社」!そして日本まん真ん中の駅を訪ねる!

綺麗な円形であれば、中心はここだと誰もがわかる。

四角形であっても、中心がどこなのか求めることができる。

 

では、それが日本列島のような複雑なかたちだったらどうなるだろうか…?

実はそういう複雑な図形には「ここが中心」という明確なルールが存在しないのだ。

 

故に「日本の中心」業界は荒れに荒れ、日本の中心はガラパゴス化の一途を辿った。

ある程度の根拠さえあれば、そこはもう日本の中心なのである。

名乗ったもの勝ちであり、いくつもの自治体が名乗りを上げた。

 

そう、名乗ったもの勝ち。

声が大きいものが勝ち。

「日本の中心!、日本の中心!!」

もしその連呼の回数が一番多かった地が真の日本の中心だというのであれば…。

 

まん真ん中のオンパレード

岐阜県郡上市美並町。

この町が日本の中心であると言えよう。

 

そして怒涛の如く掲示される「まん真ん中」・「人口重心」の文字に震えて眠れ。

 

 

序章:「日本真ん中苑」、道の駅 美並

 

冒頭に記載の通り、日本の中心というのは日本各地に無数にある。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

それぞれ「どういう計算方法で日本の中心なのか」・「どんな根拠で日本の中心なのか」が異なる。だからいっぱいある。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

今回ご紹介するのは、日本の人口重心地である。

 

日本の人口重心地へ向かえ1

日本の人口重心地とは、「日本人全員の体重がピタッと吊りあいの取れる点」ってことだ。

ちなみに日本の国土の重さは関係ない。人間の体重だけで吊り合わせる。

 

もちろん、1人1人の体重なんてデータベース化できないから、日本人が全員同じ体重だと仮定しての計算となる。

そして、「日本人全員、静止しろ」とか言えないから、住民票のある地にいると仮定しての計算だ。

 

この日本人口重心地も、広義の日本の中心なのである。

ただ、この日本の中心には1点注意が必要だ。

 

日本の人口重心地へ向かえ2

人口重心地はどんどん移動していく。
5年に1度行われる国勢調査を基に割り出しているのだが、日本人って「大人になったら東京に住むぞー!」みたいな人が多くて、それが年々増えているから、重心が東京寄りになっているのだ。

 

こうして5年ごとに日本の人口重心は更新される。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

1995年の人口重心地になったことが嬉しくって、22億円をかけて巨大な観光施設を作ったけど、すぐに人口重心地がズレて税金の無駄使いで終わってしまった旧美並村の話も書いたよね。

 

今回は、そんなショボボンとした過去を持つ旧美並村に再びスポットを当てる。

ホント僕ったら、旧美並村が大好きなんだなぁ。

 

日本の人口重心地へ向かえ3

旧美並村に入ると、早速上のような標識が出てきたので僕は「ウホホホー!」と有頂天だ。

道の駅を示す標識内に、「日本真ん中苑」!

今日も旧美並村は元気ですな!

 

日本の人口重心地は1995年を最後に、隣の関市に移ってしまったのだが、そんなことは関係ない。

日本真ん中苑!メンタル強し!!

 

日本の人口重心地へ向かえ4

僕はこの「道の駅 美並」に立ち寄る予定はなかったが、日本真ん中苑があるのであれば話は別だ。

どこだ、日本真ん中苑。

敷地をキョロキョロ見渡し、どこかで日本の真ん中をアピールしていないか探す。

 

結論、その痕跡が発見できたのは1箇所のみだった。

 

日本の人口重心地へ向かえ5

道の駅の施設内の、観光案内ブースの受付の後ろ。

そこの壁に、日本真ん中苑というプレートが掲示されていた。

 

観光案内ブースをもうちょっと引きで撮影できればよかったのだが、ちょうど朝の掃除が始まったようで、出てきたおばあさんとおじいさんがこの前でモップ掃除をし始め、僕の方を気にしていたのでこんな写真になってしまった。

 

もしかしたら、ここが現役の人口重心地であった頃にはもっと大々的に日本真ん中苑をアピールしていたのかもしれない。

しかし今はちょっと控えめだった。オードブルにちょうどいいくらいのボリュームだった。

 

 

一章:「日本まん真ん中の駅」、八坂駅

 

1990年の人口重心地がどこか調べていたところ、『郡上郡美並村長良川鉄道半在駅の東北東約650m』という文言が出てきた。

「半在駅」とは、2023年現在の名称では「八坂駅」というらしい。

 

僕は1990年の人口重心地を踏みたいので、"八坂駅の東北東約650m"を目指すことにするのだが、なんとなしに八坂駅を調べたところ、ここも日本の中心であることをアピールしているらしい。

なら行くか、八坂駅

 

日本の真ん中の駅1

さっきの道の駅美並から2㎞ほど北にある駅。

国道156号から脇道に反れたら一気に僕好みののどかな風景となった。

 

日本の真ん中の駅2

え?ここ??

ここに入っていくの?

特に標識も無いが、駅に行くにはこの道を行くしかないと思い、ハンドルを切る。

 

確かにこの先、道の行き止まりに駅はあった。

でもとんでもなく、文字通り行き止まり。

道はブツッと途切れ、狭い道の左右は民家に挟まれている。

 

駅の駐車場など無いのだ。駐車できねぇ…。ターンもできねぇ…。

 

日本の真ん中の駅3

狭路に入る手前にあった空き地、これが駅の駐車場かな?

よくわからないし聞ける人もいないけど、たぶん駅まで往復して観光を込みでも5分ほどなので、数分ここに駐車させていただこう。

 

日本の真ん中の駅4

脇にはバス停があった。「八坂駅前」という名前のバス停だ。

 

時刻表を見ると、なかなかに本数が控えめだった。

土日はバス運行ゼロ。

月水木は、8時台・10時台・14時台・15時台で各1本ずつの合計4本。

火曜と金曜は8時台・10時台の2本のみ。

 

火曜と金曜は、バス使って駅前で来ても、きっと帰りはバス使えないね。片道切符。過酷な運命。

 

日本の真ん中の駅5

なにはともあれ、愛車の日産パオがかわいい。

そう思って振り返りながら駅へと歩いた。

 

日本の真ん中の駅6

八坂駅である。単線の無人駅である。

駅舎はこれだけ。

 

後ろに見えている線路上の高架は、国道156号だ。

半在駅から名称が変更されたのは、2006年だという。やや最近だね。

 

日本の真ん中の駅7

Wikipediaさんで調べたところ、2011年~2015年の1日の平均乗車人数が記載されていたんだけど、全ての年で5人以下だった。控えめ。

…ってことは、2023年現在は極めてゼロに近いのではなかろうか…。

 

日本の真ん中の駅8

ここでも時刻表をチェックだ。

1時間に1本とまではいかないが、それに近しい本数がある。

夜は21時台あるいは22時台まで電車があるので、なかなかだ。

 

日本の真ん中の駅9

見てみたかった看板は、ホームの一番奥にあった。

『日本まん真ん中の駅』と書かれている。

 

真ん中ではなくって、まん真ん中だ。序盤でリンクを貼った「日本まん真ん中センター」と同じく、真ん中であることを強調している。

それが故に、真ん中で無くなってしまった今が悲しいことになっている。

 

日本の真ん中の駅10

この看板は1993年に設置されたそうだ。

前述の通り1990年にこの駅から600m強の場所が人口重心地と判明したので、その3年後に造られたのだね。

 

なかなかに年季が入っている。

もう少し劣化したら撤去されかねないほどの経年っぷりが窺えた。

 

日本の真ん中の駅11

その看板には、この駅の近くが日本の人口重心地である根拠が書かれている。

そう、この駅の近くの人口重心地とは、「子安神社」という名前なのだ。

このあと行くから待ってろ、子安神社。

 

日本の真ん中の駅12

看板の上部には、チェーンで吊り下げられたピンク色のプレートがある。

これ、よく見ると日本列島なのだ。やたら長方形になってしまっているけど。

そして岐阜のおそらくここを示す部分に「」のマークがついている。

 

このセンス、なかなか好きだぜ。

レトロかわいい。

 

日本の真ん中の駅13

満足して駅を去った僕は、最後に国道156号からの八坂駅を眺めた。

写真中央、住宅と完全に被ってしまっているが、駅舎があるのがわかるだろうか?

その右手には白飛びしてしまっているが、"日本まん真ん中の駅"の巨大看板も写っている。

 

のどかな八坂駅よ、さらば。

 

 

二章:「日本真ん中の地」、子安神社

 

八坂駅の東北東約650m、子安神社へと向かう。

今回の真打である、1990年の日本人口重心地だ。

 

子安神社1

国道156号を反れるポイントには、「日本まん真ん中の温泉 子宝の湯」を示す看板もある。

出たッ!日本まん真ん中の温泉!!

ホントこの村、日本まん真ん中というフレーズが大好きなのだ。

 

その右手の看板、子安神社には「日本のヘソ勝原」というサブタイトルが付けられていた。

 

子安神社2

 

日本まん真ん中の村、日本人口重心の地 勝原 子安神社』。

まん真ん中が絶好調ですぞ!

真ん中は近いですぞ!

 

左上にボロッボロの字体で『20世紀の』と書かれている。

僕は意地悪だからさらに目を凝らしちゃうんだけど、よく見えるとこの字は上書きされているの。

その下に書いてあるのは『平成の』なの。

 

1990年、つまり平成2年であり、平成に入って初めての人口重心地。

だから『平成の』ってしたの。

だけどもその後に人口重心地はズレて隣の町に行っちゃったの。

そうすると『平成の』って言ったら恥ずかしいよね。

 

ちょうど21世紀になったらから、「じゃあ『20世紀の』って名乗ろうか」って考えたのだろう。

まぁでも20世紀って1901年から2000年までで、1901年の人口重心地はきっと美並村じゃなかったろうし、2000年の人口重心地は既に隣町だ。

なんだかアベコベだけど、もういいや。

 

子安神社3

山々を遠望するいいロケーション。

境内の脇に愛車を駐車した。ここが子安神社だ。

 

子安神社4

では、境内へGoだ。

右の立て札の㉔が何を指しているのかわからなかったが、参道に沿って鳥居をくぐる。

 

この境内のどこかに今も人口重心地を示す碑があると聞いているので、それを見るのが目的だ。ワクワク。

 

子安神社5

あったこれだ。

『日本人口重心の地』という、立派な石碑。

左の立て札には㉚と書いてあり、さっきの㉔から20mほどで一気に増えた。

㉕~㉙を見た記憶が無いが、ちょっと僕寝ていたのかもしれません。

 

子安神社6

説明板も綺麗な状態で残っている。

内容については、もう冒頭から何度かご説明した事項だから割愛しよう。

 

もちろんここでも『日本まん真ん中の地』だ。

まん真ん中。ゲシュタルト崩壊

 

子安神社7

ついでといってはなんだが、境内も少し見て回った。

一周で2・3分もかからない小さめな神社のようだが、朝の散策は気持ちがいいものだ。

 

子安神社8

神社の知識には疎い僕なので、ここで特筆すべきようなことはない。

日本の人口重心地だったからこそ、僕はこの神社と巡りあえたのだ。

その点は感謝なのかもしれない。

 

 

終章:「人口重心モニュメント」、吉田小学校

 

再び僕は国道156号を北に走る。

6kmほど北にある、日本まん真ん中センターに行くためだ。

日本まん真ん中センターは1995年の人口重心地である。

名称だけは前述だが、もっと詳しく知りたい方は以下のリンクから飛んでほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

子安神社から北上を始めて2㎞程走ったところで、僕はブレーキを踏んだ。

「あ、このモニュメントも足を止めて見るべきだ」と判断したのだ。

 

人口重心モニュメント1

国道沿いに人口重心のモニュメントがあった。

恥ずかしながら、これは今の今まで存在を知らなかった。

走っていてたまたま目についてよかった。

 

てゆーか、かつてこの道は何度も走っていたのだが、2023年現在の訪問まで全く気付かずにスルーしていた。恥ずかし恥ずかし。

 

人口重心モニュメント2

「吉田小学校」の敷地に隣接しており、「吉田小学校前」のバス停がある。

バスの本数は少ない日では1日2本だった。

国道沿いだが、ここもなかなかバスの便が悪いぞ。

 

人口重心モニュメント3

何を現わしているのかちょっとわからない造形だが、人口重心モニュメントであることは間違いない。

モニュメントの前には説明板があったので読んでみた。

 

ここは下田地区というらしい。

1980年の国勢調査で初めて人口重心地になったことを記念し、「郡上八幡ライオンズクラブ」と旧美並村が協力して、1985年に作ったモニュメントだそうだ。

 

人口重心モニュメント4

なるほど、「この小学校が人口重心地」というわけではないだろうが、「この下田地区が人口重心地」という意味で作ったのだね。

そもそも住所調べたら、吉田小学校は下田ではなく上田だったしね…。

 

僕が今まで見てきた人口重心モニュメントの中でも最古のものだ。

 

 

1985年は特にモニュメントは無いのかな?

どなたか知っていたら僕に教えてほしい。

 

人口重心は上記のように推移し、2005年以降はちょっとモニュメント化のモチベーションが落ちたり個人の敷地になってしまったりと、アプローチが困難になってしまった。

 

人口重心モニュメント5

僕は人口重心マニアというよりか、モニュメントマニアである。

なので追いかけるのは先ほど記載した通り、2005年の人口重心地までとする。

 

ただし時代は流れる。

また新しい人口重心モニュメントができた際には、再び追いかけようか。

この楽しみには、終わりが無い。

 

旧美並村、のどかでいい場所でした!

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

八坂駅
  • 住所: 岐阜県郡上市美並町上田
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

子安神社
  • 住所: 岐阜県郡上市美並町大原 字森下2811
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

人口重心モニュメント
  • 住所: 岐阜県郡上市美並町上田69
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 正門前に多少の駐車スペースあり
  • 時間: 特になし

 

No.256【神奈川県】知る人ぞ知る絶景の梅林!「田浦梅の里」は路地の奥、さらに登山だ!

社会人になったばかりの頃だっただろうか。

ある人がこう言った。

「桜より梅が好き。桜はハデに咲きすぎで少し怖い。梅くらいがちょうどいい。」

 

…ハァ?何言ってるんだ。

咲けば咲くほどいいであろうが。

"花見"という言葉が一般的には桜を指すように、桜が梅に勝っているに決まっているだろうが。

 

こやつとは一生分かち合えない。

そう思った。

 

 

確かに桜は最高であり、その想いは今も変わらない。

しかし梅もまた良いのである。2023年現在はそう思っている。

 

だから語ろう。

外部からの観光客はほとんどいないけど、すごくいい梅林が神奈川県にあるという話を。

 

 

路地を抜けて山道へ…

 

2023年2月1日、青森県

「市内では降り続ける雪の影響… 除雪が追い付かず… 苦情が… 件… ザザ…」

TVがバグった。大雪のせいだ、チクショウ。

 

舌打ちをしてTVを叩いてみたが、なんの効果も無かった。

どうやら今年の青森市の雪は例年よりもすさまじく、町中が混乱しかけているようだ。

僕もTVを見れずに混乱している。

 

そのときの青森

しょうがないのでスマホをいじりだした。

ふと目に入ったのは、神奈川県の「田浦梅の里」。「田浦梅林」とも呼ばれるスポットだ。

 

2月1日の記事で、梅がほんの少しずつ咲き始め、うち1本は早くも満開だという。

マジか。南関東は早くも春の兆しか。

青森は見渡す限り銀世界で、動植物が活動している気配はゼロだというのに。

 

そういえば、1年前の2022年の2月にこの田浦梅林に行ったな…。

僕は回顧する。

およそ1年前のあの日のことを…。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*

 

田浦梅林は、住宅地のアホみたいに狭い道の奥の奥の奥にある。

 

住宅地の奥で1

国道16号から山に向かってヒョロヒョロと狭い道が伸び、その道は最後は行き止まりになる。

その道の狭さは、小型な僕の愛車の日産パオでさえ緊張を要するほどだ。

 

このヒョロヒョロ道の両側にビッシリと住宅が立ち並び、途中に1箇所だけコインパーキングがある。

 

 

しかし10台ほどしか駐車できず、梅の時期は当然すぐに満車になる。

しかも梅の時期は狭路から続々と車が現れ、逃げようにも一方通行の道が多かったり、無理矢理横の道に反れたらUターンもできずに行き止まりまで地獄の逃避行が続いたりと、散々だ。

 

近隣には他に駐車場は無い。絶望的なレベルで無い。

国道16号まで戻り、さらに脇道も含め「どこかに駐車場は無いものか…」とキョロキョロしながら走るうちに、梅林から2㎞ほど離れた田浦駅近辺まで来てしまった。

 

住宅地の奥で2

実はここに至るまでもパーキングは1つ2つあったが、全部満車なのだ。

みんな考えることは同じであった。

 

くっそー、歩くか―。

僕は車通りの多い国道16号を淡々と歩き、大きなトンネルを越え、梅林へと続く先ほどのヒョロヒョロ道の住宅地に入る。

ここまでで15分ほど歩いた。

 

ちょうどさっき満車だったヒョロヒョロ道の駐車場から1台の車が出て行くところで、チクショウ!って思った。

悔しいけども、もう遥か彼方に車を停めてしまったのでどうしようもない。

さっきの時点でここに車を停められていたら、25分くらいは時間を有効に使えたのだが、もうどうしようもない。

 

住宅地の奥で3

実は駐車場から、このヒョロヒョロ住宅地のさらに奥の登山道入り口まで、1枚も写真を撮っていなかった。うかつであった。

しかし写真を撮ることすら考えられないほどに、駐車場を確保できなかったことがショックだったのであろう。

 

せっかくなので、この住宅地の奥に忽然と現れる「梅林食堂」の写真を掲載しておく。

ここを訪問したのは別の機会のオフシーズンなのだが、なかなかに昭和レトロないい食堂だったぞ。

 

 

こんな道を歩く。

不安にしかならないビジュアルだが、周囲にポツポツと同じく梅林を目指す人がいるので勇気をいただける。

 

あと、こんな道でも対向からいきなり車が「ブーン」と来たりするので「死」って思う。

 

住宅地の奥で4

愛車を停めた駐車場から20分ほど歩いたところで、いよいよ住宅地が終わる。

じゃあついに梅林なのかというと全然そうではなくって、これから山の中の階段を登る、登山フェーズがスタートする。

この後ご紹介する展望台まで行くには、ゆっくり歩いてあと20分ほどだろうか?

 

上の写真ではかなり綺麗な遊歩道に見えるが、実際はもうちょっとハードな見た目な部分が大半だ。

 

住宅地の奥で5

時系列はジャンプするが、上の写真は最後に山を下ってきたところを撮影した。

こんな道が山間部に続く。

 

これを登山と言っては「おおげさだ」とも言われかねないが、万年運動不足の僕にとっては紛れもなく登山であり、冒険であった。

なんだったらさ、山の登り降りでカロリーを消費し、心なしかホッソリしたように感じたもん。

 

あと、上記2枚の写真、それなりに時間が経過したのに同じカップルが写っているな。

記事執筆時に気付いてなんだか感動した。

 

 

丘の梅園を歩く

 

まずは、田浦梅林の全容をMAPでお見せしよう。

 

梅香る丘1

住宅地から丘を登り始めるのは、MAPの一番右下部分だ。

クネクネと設置された階段を登ると、そこは迷路のような梅林。

 

梅林をずーっと左側に歩いていくと、中央広場・アスレチック広場・展望塔などがある。

右下部分から展望塔までが、ゆっくりと20分だ。

 

梅香る丘2

少し階段を登ると、眼下にさっきまで歩いていたコミカルな住宅地が広がっていた。

 

写真の手前側の日影部分、実は京浜急行という鉄道が走っているのだけれども、ワンサカ枯れ木があってうまく写真に撮れなかった。

肉眼だと多少電車が見えて「いい光景だね」って思えたんだけどな。

 

梅香る丘3

7・8分ほど視界の効かない木立の中を、心臓破りの階段を登り、丘の中腹で一気に視界が開ける。

ここからが梅林だ。

さっそく1本の梅の木が可憐な花を咲かせており、丘を登ってきた人は順番にその花を撮影していた。

 

…なぜみんな1本の木に群がっているのかと言うと。

そりゃ丘の上の日向に出た最初に出会う木だからついつい写真を撮ってしまうというのも要因の1つだが…。

理由はもう1つある。

 

梅香る丘4

梅、あんまし咲いてねぇ…。

 

これが2つ目の要因。

咲き誇っていて、しかも間近にある1本だけの梅の木にみんな密集するのだよ、そりゃ。

 

梅香る丘5

ま、歩いてみようぜ。

梅林は広い。歩いていればいっぱい咲いているエリアに出会うかもしれない。

枯れ木の間をズンズン歩くのだ。

 

ちなみにご覧のように丘の上は綺麗に整備されていてとても快適だ。

枯れ木ばかりで絵的にはちょっと寂しいけどな。

 

梅香る丘6

この写真を見た2023年の僕は、「1年前の僕はなぜこんな写真を撮ったのだろう?」と首をかしげた。

どう見ても写真中央の枯れ木を意識した構図だが、なぜこんな枯れ木を…。

 

よくよく見て気付いた。

これは枯れ木ではなかったのだ。

 

梅香る丘7

わずかだが花が咲き、春を告げていた。

裏を返せば、こんなわずかな花を見つけた喜びでシャッターを切ったのだ。

 

おやおやおや、もう2月も下旬の南関東だというのに、梅の開花が遅すぎやしないだろうか…。今年だけ遅いのか?

 

梅香る丘8

人の背丈ほどの、まだ若そうな梅の木。

遠目で見るとまだ見栄えのするような樹齢ではないが、そこそこ花を咲かせている。

そんな木に、僕はキャッキャと近付いて写真を撮っていた。

 

梅香る丘9

ほら、フォーカスすればファインダーの中は春!

まぎれもない春!!

嬉しいねぇ、おい!!

 

梅香る丘10

ちょっと顔を近づければ、ほのかに梅の香りが鼻孔をくすぐる。

 

長く厳しかった冬は間もなく終わるのだ。

そして草花が芽を出す春が始まる。

 

そのワクワク感を探しにここに来たのだ。

探さないと見つからないほどの、まだほのかな春。

それが梅。

最高じゃないか。

 

 

上皇様の生誕記念の梅林

 

さらに梅林を展望塔方面に登って行く。

チラホラと梅の花が多くみられるようになってきたと感じた。

 

梅の咲く丘1

あ、向こうに紅梅がある。

ビビッドな色でインパクトがあるので、みんな足を止めて見入っていた。

 

梅の咲く丘2

ちょっと僕には強すぎる色合いかな?

かわいいけどな。

 

…さて、ここいらでこの梅林の成り立ちについて語りたい。

この田浦梅林は、1934年にできたのだそうだ。それは、上皇様の生まれた次の年。

 

梅の咲く丘3

実は、上皇様が誕生したのを記念して、地元の人たちが有志で700本の梅の木を植えた。

それがこの梅林の誕生のきっかけだったのである。なるほど、めでたい。

 

その後、1982年に隣接の緑地にもモリモリと梅を植えたりして、今では2700本ほどの梅の木があるのだそうだ。

 

梅の咲く丘4

結果として2023年現在、神奈川県三浦半島にある唯一の梅林だという。

 

そして「かながわ花の名所100選」の1つでもある。

ほぉ、神奈川県には花の名所が100個もあるのか。小さい県なのに、なかなかだな。

 

梅の咲く丘5

あとね、ちゃんとピックアップした写真は撮らなかったのだが、スイセンも名物なのである。

1月から3月はスイセンの花も咲く。

 

上の写真でも、遊歩道のすぐ脇の足元にモシャモシャと生えているのがおわかりいただけるであろう。

しっかり見るとちゃんと白い花を咲かせているのだが、僕は梅の花ばかりを見てしまっていたよ…。

 

梅の咲く丘6

ただ、菜の花の写真なら撮った。

一角に鮮やかに咲いていて、目を奪われたよね。これも春の風物詩。好き。

 

展望塔まで200mくらいの距離に迫った。

梅、かなり咲いてきたぜ。

 

梅の咲く丘7

例年であればこのあたりで梅祭りが行われると聞いている。

しかしコロナ禍になってからはやっていない様子だな。

 

梅の咲く丘8

もともと神奈川県のかなり秘境にあり、駐車場もなければ売店もほとんどないようなロケーション。

この時期に祭りがないと、さらにプライベート感が増すよね。

近所の人くらいしか来ていないんじゃないかな、ここ…。

 

 

展望塔とアスレチック広場

 

梅林深部のアスレチック広場と展望塔がある場所までやって来た。

長い道のりだったぜ。

 

展望塔と広場1

「田浦梅の里」というどでデカい文字が掲示してある。

ハリウッドの山肌に「HOLLY WOOD」って白くてデカい文字が掲示してあるのと一緒だ。

ここは日本版のハリウッドなのかもしれない。違う。

 

展望塔と広場2

気持ちのいい広場が広がり、梅の木の下で花見の宴会をしている人がいる。

いいねぇ、この絵に描いたような宴会。平和の象徴って感じだ。

コロナがちょっとしぶとくて平和とは言い難い世の中だけど、だからこそこういう光景にほっこりする。

 

展望塔と広場3

この長い散歩の1つのゴールとしていた展望塔がある。

登ってみよう。

 

展望塔と広場4

すげーいい…!

梅の咲く丘が広がり、その向こうは横須賀や横浜の海だ。

横須賀も横浜も、海と共に生きる町。それを感じるロケーションだ。かっこいい。

 

展望塔と広場5

左に映っている白いピラミッドのようなものは「八景島シーパラダイス」という水族館&遊園地だ。

あのピラミッドの中は水族館なのだと聞いている。入ったことないのでわからんが。

 

中央奥には「鶴見つばさ橋」の主塔が見えているな。

橋好きなので目ざとく見つける。

 

なんか写真の手前に「俺が主役だろうが…!」って勢いでまだツボミの梅の枝が盛大に写ってしまい、そしてそっちにピントが当たってしまって申し訳ない。

 

展望塔と広場6

さらに遠く、よこはまみなとみらいのひときわ高い「ランドマークタワー」と半月状の「ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル」が見える。

梅の枝、ジャマ。

 

展望塔と広場7

しかし遠い横浜よりも間近の横須賀の海。

このバリバリの工場と行き交う船が「横須賀!」って感じだ。

吸い込まれるような青に、しばし見とれた。

 

展望塔と広場8

再び芝生の広場に戻ると、傾斜地を少し下に下がっていく。

そこにはアスレチック広場がある。

子供達がアスレチックに興じていた。

 

子供はこういうの大好きだもんな。僕も好きだったぜ。

 

展望塔と広場8

僕はここ、遠い昔に来たことがあるのだ。

弟や妹と、ここで遊んだのだ。

あまり記憶には無いが、思い出の地なのである。

 

あの頃木製だったアスレチックは、綺麗な鉄製に変わっている。

あのころ遊んだ遊具はとっくに老朽化して引退してしまったのだろう。

 

展望塔と広場9

縦一列に7つほど並んだ遊具。

…こんなに小規模だったっけ…?僕は思った。

 

小さい頃の記憶では、10数種類のアスレチックがあった。

ダイナミックでデンジャラスで、こんな巨大なアスレチックを見たことがなかった僕は目を輝かせた。

 

1つ1つの遊具にはナンバリングがされていたと記憶している。

「No.3」は"クモの巣トンネル"という超巨大なネット上のトンネルだったような気がする。

他にもすり鉢型の巨大な遊具もあった気がする。

 

展望塔と広場10

「規模がかなり縮小されてしまったのだろうか…?」と考えた。

しかしアスレチックがそれ以上広がっていたであろう空間が無いのだ。

 

もしかしたら規模は同じなのかもしれない。

当時子供だった僕の目から見たら、このアスレチック群がとても大きなものに見えたのかもしれない。

 

今も目の前で子供たちがアスレチックで楽しそうに遊んでいる。

それを見て安心するとともに、当時の感覚を失ってしまった自分に少し悲しくなった。

 

 

こうして迎える春が尊い

 

その後も梅園をグルグルと歩き回り、結果としていい感じの梅の写真をたくさん撮影することができ、満足して梅園を後にした。

 

目的は果たした1

最初、「全然開花していない…!」と絶望したのがウソのようだ。

ちゃんと春、見つけられた。

 

目的は果たした2

ところで、2023年を生きるあなたに朗報である。

2023年は、2/10~3/5で梅祭りが開催されるのだ。

なんと嬉しい知らせ!

 

目的は果たした3

新型コロナの5類移行が発表され、世の中はこれで転換期を迎えるのであろう。

 

各種イベント等も開催されるとのことで、昨年そういうにぎやかな光景を見られなくってちょっと残念だ。

今年行く人はぜひ昨年の僕の分まで楽しんでほしい。

 

目的は果たした4

きっと新しい時代、新しい季節は、輝かしいものになるだろう。

 

*-*-*-*-*-*-

 

2月4日は立春であった。

寒さの底を抜け、暦の上では春がやってきたのだ。

もちろんまだまだ寒い日は続くが、これからは徐々に気温も上向きだ。

気持も上向きになれるよう意識したい。

 

春は間近

かつて、ある人がこう言った。

「桜より梅が好き。桜はハデに咲きすぎで少し怖い。梅くらいがちょうどいい。」

 

ハァ?何言ってるんだ。

こやつとは一生分かち合えない。

そう思った。

 

…が、気づけばいつも隣にいて、2022年も一緒にここに梅を見に行った。

 

今年の梅も見れるといいね

だから人生は面白いよね。

価値観も興味も、徐々に変わって行ったりするのだ。

人と関わることで刺激を受け、見聞を広げることで新たな世界が見えてきたりもする。

 

待ちわびた季節

もうすぐ暖かな風が吹く。

その春風は、どんな新しい未来を運んできてくれるのだろうか?

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 田浦梅の里(田浦梅林)
  • 住所: 神奈川県横須賀市田浦大作町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし
  • 時間: 特になし

 

No.255【愛知県】名古屋の駅近に1600円で泊まる!簡易宿泊所「第3松竹梅ホテル」の実録!

僕は、なるべく宿泊費を抑えたい。

 

何を目的として遠方に赴くのかによって考え方は異なるが、「なるべく宿泊費を抑えたい」と考える人は一定数はいるだろう。

その日の僕も、その1人であった。

 

あぁ、なるべく安く宿に泊まりたい。

その分のお金を、これから行くバーでのカクテルに投資したい。

 

大都市名古屋で、極力安く泊まる方法ってなんだろう?

それが今回のテーマだ。

 

繁華街、栄は近い

ただし、カプセルホテルやネットカフェは除外とする。

もちろんそれらだって快適に寝られるところもあると思うが、僕はちゃんと個室のある宿に泊まりたい気分なのだ。

 

…というわけで、ターゲットは「第3松竹梅ホテル」。

どんな宿なのかは、これからの本編でじっくりご紹介しよう。

 

 

TVなく、暖房切れ、そして狭いらしい

 

名古屋近辺で極力安く泊まれるホテルはどこか。

2023年1月、僕はそんなことを考えながら名古屋の町を運転していた。

 

僕が調べた限りでは、それは「名古屋近隣の駅」でもなく「駅から少し離れた立地」でもなく、意外なことに「名古屋駅に充分に歩ける場所」であった。

ならばそこに向かってみよう。

 

名古屋駅近辺1

まばゆいばかりのネオンの中を、僕は車で進む。

名古屋駅のすぐ横もかすめる。

 

ホテルの場所の検討はついているが、たぶん駐車場はない。

あるいは駐車場は別途自分で確保したほうが安上がりだと判断した。

数分、路地裏をウロウロと徘徊して安そうなコインパーキングを物色する。

 

名古屋駅近辺2

最大料金1000円。

東京都心だと1時間600円とかもザラなので、一晩で1000円はありがたい。

もっと探せばさらに安いコインパーキングもあるのかもしれないが、探す手間をそんなにかけたくない。ここにしよう。

 

チェックイン1

ここが第3松竹梅ホテルだ。

今回の話は1も2もなくいきなり「3」だが、まぁ受けれてくれ。

 

そして気になる「下宿可」の文字だ。

気に入ったらここをあなたの住処にすることも可能なんだぜ。

 

チェックイン2

ここが屋外からホテル内に入るためのドアだ。

 

一般的なホテルと比べると結構閉鎖的なイメージがある。

自動ドアではなく、手動の引き戸。曇りガラスで内部は見えない。

ドアには「男性専用」の文字。

 

そうなのだ。女性には申し訳ないが、ここは男性専用なのだ。

きっとそもそもこの宿ができた経緯とか治安だとか、そういうのが理由なのだろうが、そのあたりも追って話そう。

 

チェックイン3

上の写真は翌朝に撮影したものであるが、例のドアを内側から撮影した図だ。

撮影した僕のすぐ後ろに、小さなフロントがあるという構図だ。

チェックインした際には、そこにおばちゃんが座っていた。

 

僕:「1泊お願いしたいのですがー。」

おばちゃん:「はいよ。部屋のグレードがいくつかあってね…」

どうやら部屋のグレードは3つあり、それが松竹梅というホテル名の由来のようだ。

 

おばちゃんは部屋の広さや値段等について何か説明したようだが、僕にはよく聞き取れなかった。

なので「一番安い部屋で」って言った。

1600円らしい。安い。

 

チェックイン4

おばちゃんは迷わず最安を選択した僕を心配したのか、「ここは初めて?」って2回僕に聞いてきた。

さらに「狭いですよ。TVないですよ。22:30で暖房切れますよ。」と念を押してきた。

 

大丈夫、きっと車よりは広いであろう。車中泊よりマシ。

そして車中泊ではTVもないし、エンジン止めて寝るから朝方にはキンキンに冷える。

ホテルのほうが全部マシ。天国。

 

「今日は平日だから、大浴場を23:00まで使えますよ」って案内を受けた。

上記以外の時間や土日はシャワールームなのだそうだ。

まぁこれは普段シャワー派の僕としてはどっちでもいい。

 

そんなこんなでカギを受け取り、チェックインした。

 

チェックイン5

さて、この第3松竹梅ホテルであるが、名古屋駅の西側(太閤通口側)にある。

実は名古屋駅、東側は大きくきれいに発展したのに対し、西側はちょっとカオスでアンダーグラウンドな雰囲気が長く続いていた。

 

「笹島ドヤ街」。

それがかつてのこのエリアの呼び名。

ドヤ街、つまり日雇い労働者が多く暮らす町であったのだ。

 

2023年現在はドヤ街といわれるような場所は大阪の西成・東京の山谷・横浜の寿町にしかない。しかし少し前までは名古屋にもあったのだ。

 

これであなたもご納得されただろう。

第3松竹梅ホテルは貴重なドヤの名残り。

ドヤ街で働く日雇い労働者(圧倒的に男性が多い)のため、安い簡易宿泊施設としてたくさんあったドヤの生き残りなのだ。

だから「下宿可能」なのだ。

 

 

独房のようだがくろろげる空間

 

受付からは階段で2階にあがり、客室群の並ぶ廊下を奥まで行くと、そこにエレベーター。

そのエレベーターで6階に昇った。なんだか複雑な構造だな。

こうして自室にたどり着く。

 

最安の部屋1

うむ、なかなかクールな部屋だな!

鉄フレームのベッドは、シングルサイズの布団が少しはみ出るくらいの狭さ。

大丈夫、車よりは全然広いし、自宅のベッドで寝るよりも広い。何の問題もない。

そして傍らには小さなサイドテーブルが1つ。充分充分。

 

これは寝たときに頭になる方を撮影したものだ。

では足元側はどんなロケーションなのかというと…。

 

最安の部屋2

ドアに干渉している…!

 

これによってドアが開かなかったら大問題だが、外側に開くからこれも問題ない。

要するにクイーンサイズのベッドくらいの広さの部屋なのだな、ここは。

 

受付のおばちゃんが言っていた通りTVはないが、別に普段からそんなにTVは見ないし、この後酒を飲みに出かけて帰ってきたら寝るだけだから全くいらない。

 

最安の部屋3

コンセントがあってスマホが充電できるのがありがたい。

照明とがあり、スマホ充電さえできればひとまず電力について文句はない。

 

最安の部屋4

ドアの上には鉄格子の通気ダクトがあるようだ。

なんだか刑務所の独房みたいでドキドキする。

 

ここから暖かい風がゴウンゴウンとすごい音をさせながら部屋の中に流れ込んでくる。

ちなみに廊下も「ここは潜水艦ですかな」ってくらいにゴウンゴウンと言っていた。

例えるとフェリーの船室みたいな感じ。船室はずーっとエンジン音が聞こえているからさ…。

 

ただ、この暖房の風はちょっと強力すぎた。

気持ち悪くなるほどに暑い。だけども調整できる機能がない。

最安の部屋なので22:30に暖房が切れると言っていたな。これはむしろ好都合かもしれん…。

 

最安の部屋5

そう考えた僕の予想は当たった。

23:00すぎに帰還してもまだ充分に暖かかったし、翌朝も特に寒いとは感じなかった。

なんだなんだ、最安万歳じゃないか。

 

最安の部屋6

さて、これも翌朝のことだ。

これまた鉄パイプで厳重に防御された窓を開ける…。

この向こうにはどんな景色が広がっているのかな??

 

最安の部屋7

うん、わりといい。思ったよりいい。

こういうホテルの特徴として、開けた瞬間数10㎝先は隣の建物の壁…ってパターンを期待していたのだが、名古屋駅に直結する大通りを見下ろすことができて清々しい気分になれた。

おはよう名古屋だ。

 

結論、寝るためだけの部屋としては充分であった。

 

 

館内を探訪しようぜ

狭いドアの部屋・非常階段・洗面室

 

それでは館内をいろいろご紹介していこう。

まずは僕の泊まった6階のMAPを見てくれ。

 

館内紹介1

ガッタガタの面白い部屋の配列だな。

これ、何度も訪問していろんな部屋に泊まってみたくなるヤツ。

 

向かって右上のほうの616号室なんてすっごい細いけど大丈夫か?

僕の606号室でさえシングルベッドよりこぶりなベッドしか置けないのに、それより細くて大丈夫なのか?

 

あとは左端の604号室がVIPっぽい広さなのと、その隣の603号室が激狭なのが良い。

このままだと2つの部屋のドアがぶつかるので、604号室だけ内開きなのだね。

 

館内紹介2

部屋の扉を開けて左を見てみた。

例の603号室が見える。

 

せっま!!ドア細ッ!

「こんな規格のドアがあるんだー!」ってくらいに細い。

 

館内紹介3

そしてこの604号室との親密っぷりよ。

ドアとドアの間に壁を一切挟まず、ドアドアの連鎖だ。

同時に出入りしたら気まずいヤツだこれ。

 

館内紹介4

普通より少し狭い程度のサイズのドアを見ると、すごく安心する自分に気づいた。

そうなのだ、ドアとドアの間に壁があると安心するのだ。

 

館内紹介5

窓がなく、日の光が入らない狭い通路。

こういうのが苦手な人もいるかもしれないが、1泊であれば僕は気にしない。

 

この廊下の先にWiFiの入るエリアがあるのだ。

無料WiFiがちゃんとあるんだよ、ワックワク。

ってゆーか、自室にはWiFi電波が届かないという残酷設計。

 

館内紹介6

WiFiがあるのはありがたい。

だが「ドアの向こうがWiFiの使える場所となります」とか書いてある。

そのドアとは、非常階段に通じるドアだ。

 

館内紹介8

はい、非常階段。

ありふれた非常階段なので特筆すべきようなものはないが、まぁ寒いしくつろげないし、なんだか侘しい気持ちになるよね。

なんてこった。

 

館内紹介9

ここは洗面台とトイレだ。

向かって左手前にはポットもあってお湯を沸かせる。

このブースの隣には簡単なキッチンスペースもあった。

 

ステンレスの洗面台の向かいには、トイレの個室のドアがある。

バッキバキに昭和レトロな和式便器だった。

便器が床から一段高い部分に設置されているタイプ。

だけどもドアを閉めるとさ、あまりの狭さに段差とドアに足を挟まれて捻挫する。

軽く愉快。

 

 

シャワールーム・休憩スペース

 

僕は風呂に入る。

バーをハシゴしたら大浴場の使用可能時刻の23:00は普通に過ぎてしまったので、シャワールームの使用だ。

地下1階だそうなので、エレベーターでそこに向かった。

 

シャワールームと休憩室1

このドアの向こうに大浴場と2つのシャワールームとトイレがある。

なんだかベタベタと多数の貼り紙がしてあるし、文字通りアンダーグラウンドだし、曇りガラスで内部が見えないので少しドキドキしながらドアを引いた。

 

シャワールームと休憩室2

そしたら中、ワインセラーだった。

いや、壁紙なんだけどさ、いきなりここだけオシャレ。

 

シャワールームは最近リフォームしたものとみられ、とても清潔感があった。

これはうれしい。

 

シャワールームと休憩室3

こういうところって絶対にシャンプーやボディソープは備え付けられていないだろうなって思っていたのだが、バッチリあった。ありがたい限り。

そしてシャワーの水流はとても細かくてソフトだった。いいシャワーヘッドを使ってやがる。ありがとう、癒された。

 

あと、これまた絶対ないだろうと諦めていたドライヤーも備え付けられていた。

 

シャワールームと休憩室4

ただしなかなかに本気なチェーンがついていた。

本気で盗難防止に取り組んでいる。油断できない街なのだな、この界隈は。

 

シャワールームと休憩室5

シャワールームの隣は大浴場だ。

もう真っ暗だしドアが閉まっているので中を確認することはできない。

 

あと、さらにその隣のトイレは「便所」の文字が郷愁を誘うような昭和レトロな風貌であった。

今から振り返ると、中をちょっと覗いてみればよかった。

 

シャワールームと休憩室6

ちなみに大浴場にはしっかりと南京錠がかかっていた。

締めておかないと通りすがりの人が風呂にでも入ってしまうのか、はたまた深夜に妖怪でも出るのかってくらいのセキュリティであった。

 

隣のエリアは休憩室だそうだ。

休憩するなら自室でいいかなって思っているが、興味本位でちょっと覗いてみよう。

 

シャワールームと休憩室7

なんだかセピア色の部屋に、テーブルとイスと灰皿と…。

要するに喫煙室か。

 

しかし変だぞこの部屋!下半分を手で隠すとまるで風呂場だ!

正方形のタイル、銭湯によくあるような山と海の絵、なんとなくシャワーをセットしたら似合いそうな配管…。

かつてはもっとお客さんも多くて、隣の大浴場はさらに広く、ここまで浴場だったりしたのだろうか…?

 

シャワールームと休憩室8

やたらレトロでファンシーなキャラクターの描かれた時計。

このキャラクターは見たことないのだが、誰さんですか?

 

シャワールームと休憩室9

その奥には洗濯機と乾燥機があった。

これだけあれば、ひとまず立派に生活できるよね。

 

ドヤ、すごいな。

1日1600円で、名古屋駅のすぐ近くで生活できるのだ。

家は寝るためだけにあると思えば、ある意味勝ち組なのかもしれないね。

 

 

都会に息衝くかつての風土

 

いろいろご紹介してきたが、僕がこのホテルでシラフであった時間はそんなに長くはない。

チェックインしてすぐにバーに出かけたからだ。

 

名古屋駅近辺3

数10m名古屋駅方面に歩くと、そこには系列店の「ニュー松竹梅ホテル」があった。

ドアは透明で自動ドアであり、入りやすくて綺麗な雰囲気だ。

ここは3000円~のプランだそうだ。なるほど、結構高い。

そしてこっちは女性も宿泊できるぞ。女性のあなたに朗報だ。

 

名古屋駅近辺4

通りの一本裏には、「第2松竹梅ホテル」があった。

しかしこの日はここは営業していない感じの雰囲気であった。

 

Webで調べてみるととりあえず予約はできそうだから、この日はたまたまだったのかな?

なんかWebだとどの日も「残り2部屋」で謎が深かったが、まぁよい。

 

「第1松竹梅ホテル」は存在しない。

かつてあったのか、いつ滅びたのか、などはWebで調べてもわからなかった。

誰か教えてほしい。

 

名古屋駅近辺5

調べ方次第ではそうではないのかもしれないが、僕の宿泊した第3松竹梅ホテルはWebからの予約だと3000円くらいからのプランしかなかった。

 

チラッとそれを確認した僕は、Web予約せずに直接宿の乗り込む作戦に出た。

もともとドヤなので、飛び込み対応はしているだろう。そして、もしかした最安の部屋はWebには掲載されず、そういう飛び込みの人のみに提供されるかもしれないと踏んだのだ。

 

裏を取ったわけではないのでなんとも言えないが、本場の大阪西成のドヤではそもそも電話予約すらできず、突撃した人のみしか泊まれないところもある。

チャレンジしてみる価値はあると思っていた。

 

名古屋駅近辺6

10分も歩けば、名駅に聳えるツインタワー。

お陰でお気に入りのバーをハシゴし、非常に楽しい夜をエンジョイできた。

安くて便利な宿、最強。

 

…そして翌朝僕はチェックアウトする。

ここのホテルは夕方か~夜しかフロントに人がいないのだ。

つまりセルフチェックアウト形式。

 

ここで最後にあなたにご紹介したい、おもしろいギミックがある。

 

館内紹介10

 

「カギ落とし」。

 

 

ここ以外ではあんまり聞かない単語かもしれない。

廊下を貫く赤い鉄パイプの一部に穴が開いている。

チェックアウトするときにはここにカギを入れると、そのまま1階のフロントまでカギがパイプ内を疾走していくのだそうだ。

 

僕はチェックイン直後にこれを見た時点からこれを使ってみたかったんだけど、チェックインしてすぐにここにカギを入れたらきっと怒られるし、だからといってカギ以外の物を入れたらもっと怒られるであろう。

 

満を持して、チェックアウト時に使用した。

スコーンと軽い音が下のほうに流れていった。

 

「受付に普通にカギ回収箱を置けばいいのでは?」って、ロマンのある人はそういうことは言わない。

 

名古屋駅近辺7

雲1つない快晴。冬の名古屋の1日が、また始まる。

 

えっと、僕の愛車…、どこに停めたんだっけ?

元ドヤ街をしばらくウロウロするのだが、それはご愛敬ということで。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 第3松竹梅ホテル
  • 住所: 愛知県名古屋市中村区太閤4-1-14
  • 料金: 1泊¥1600~
  • 駐車場: おそらく無し
  • 時間: チェックイン…17:00~23:00と思われる