綺麗な円形であれば、中心はここだと誰もがわかる。
四角形であっても、中心がどこなのか求めることができる。
では、それが日本列島のような複雑なかたちだったらどうなるだろうか…?
実はそういう複雑な図形には「ここが中心」という明確なルールが存在しないのだ。
故に「日本の中心」業界は荒れに荒れ、日本の中心はガラパゴス化の一途を辿った。
ある程度の根拠さえあれば、そこはもう日本の中心なのである。
名乗ったもの勝ちであり、いくつもの自治体が名乗りを上げた。
そう、名乗ったもの勝ち。
声が大きいものが勝ち。
「日本の中心!、日本の中心!!」
もしその連呼の回数が一番多かった地が真の日本の中心だというのであれば…。
この町が日本の中心であると言えよう。
そして怒涛の如く掲示される「まん真ん中」・「人口重心」の文字に震えて眠れ。
序章:「日本真ん中苑」、道の駅 美並
冒頭に記載の通り、日本の中心というのは日本各地に無数にある。
ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
それぞれ「どういう計算方法で日本の中心なのか」・「どんな根拠で日本の中心なのか」が異なる。だからいっぱいある。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。
今回ご紹介するのは、日本の人口重心地である。
日本の人口重心地とは、「日本人全員の体重がピタッと吊りあいの取れる点」ってことだ。
ちなみに日本の国土の重さは関係ない。人間の体重だけで吊り合わせる。
もちろん、1人1人の体重なんてデータベース化できないから、日本人が全員同じ体重だと仮定しての計算となる。
そして、「日本人全員、静止しろ」とか言えないから、住民票のある地にいると仮定しての計算だ。
この日本人口重心地も、広義の日本の中心なのである。
ただ、この日本の中心には1点注意が必要だ。
人口重心地はどんどん移動していく。
5年に1度行われる国勢調査を基に割り出しているのだが、日本人って「大人になったら東京に住むぞー!」みたいな人が多くて、それが年々増えているから、重心が東京寄りになっているのだ。
こうして5年ごとに日本の人口重心は更新される。
1995年の人口重心地になったことが嬉しくって、22億円をかけて巨大な観光施設を作ったけど、すぐに人口重心地がズレて税金の無駄使いで終わってしまった旧美並村の話も書いたよね。
今回は、そんなショボボンとした過去を持つ旧美並村に再びスポットを当てる。
ホント僕ったら、旧美並村が大好きなんだなぁ。
旧美並村に入ると、早速上のような標識が出てきたので僕は「ウホホホー!」と有頂天だ。
道の駅を示す標識内に、「日本真ん中苑」!
今日も旧美並村は元気ですな!
日本の人口重心地は1995年を最後に、隣の関市に移ってしまったのだが、そんなことは関係ない。
日本真ん中苑!メンタル強し!!
僕はこの「道の駅 美並」に立ち寄る予定はなかったが、日本真ん中苑があるのであれば話は別だ。
どこだ、日本真ん中苑。
敷地をキョロキョロ見渡し、どこかで日本の真ん中をアピールしていないか探す。
結論、その痕跡が発見できたのは1箇所のみだった。
道の駅の施設内の、観光案内ブースの受付の後ろ。
そこの壁に、日本真ん中苑というプレートが掲示されていた。
観光案内ブースをもうちょっと引きで撮影できればよかったのだが、ちょうど朝の掃除が始まったようで、出てきたおばあさんとおじいさんがこの前でモップ掃除をし始め、僕の方を気にしていたのでこんな写真になってしまった。
もしかしたら、ここが現役の人口重心地であった頃にはもっと大々的に日本真ん中苑をアピールしていたのかもしれない。
しかし今はちょっと控えめだった。オードブルにちょうどいいくらいのボリュームだった。
一章:「日本まん真ん中の駅」、八坂駅
1990年の人口重心地がどこか調べていたところ、『郡上郡美並村長良川鉄道半在駅の東北東約650m』という文言が出てきた。
「半在駅」とは、2023年現在の名称では「八坂駅」というらしい。
僕は1990年の人口重心地を踏みたいので、"八坂駅の東北東約650m"を目指すことにするのだが、なんとなしに八坂駅を調べたところ、ここも日本の中心であることをアピールしているらしい。
なら行くか、八坂駅!
さっきの道の駅美並から2㎞ほど北にある駅。
国道156号から脇道に反れたら一気に僕好みののどかな風景となった。
え?ここ??
ここに入っていくの?
特に標識も無いが、駅に行くにはこの道を行くしかないと思い、ハンドルを切る。
確かにこの先、道の行き止まりに駅はあった。
でもとんでもなく、文字通り行き止まり。
道はブツッと途切れ、狭い道の左右は民家に挟まれている。
駅の駐車場など無いのだ。駐車できねぇ…。ターンもできねぇ…。
狭路に入る手前にあった空き地、これが駅の駐車場かな?
よくわからないし聞ける人もいないけど、たぶん駅まで往復して観光を込みでも5分ほどなので、数分ここに駐車させていただこう。
脇にはバス停があった。「八坂駅前」という名前のバス停だ。
時刻表を見ると、なかなかに本数が控えめだった。
土日はバス運行ゼロ。
月水木は、8時台・10時台・14時台・15時台で各1本ずつの合計4本。
火曜と金曜は8時台・10時台の2本のみ。
火曜と金曜は、バス使って駅前で来ても、きっと帰りはバス使えないね。片道切符。過酷な運命。
なにはともあれ、愛車の日産パオがかわいい。
そう思って振り返りながら駅へと歩いた。
駅舎はこれだけ。
後ろに見えている線路上の高架は、国道156号だ。
半在駅から名称が変更されたのは、2006年だという。やや最近だね。
Wikipediaさんで調べたところ、2011年~2015年の1日の平均乗車人数が記載されていたんだけど、全ての年で5人以下だった。控えめ。
…ってことは、2023年現在は極めてゼロに近いのではなかろうか…。
ここでも時刻表をチェックだ。
1時間に1本とまではいかないが、それに近しい本数がある。
夜は21時台あるいは22時台まで電車があるので、なかなかだ。
見てみたかった看板は、ホームの一番奥にあった。
『日本まん真ん中の駅』と書かれている。
真ん中ではなくって、まん真ん中だ。序盤でリンクを貼った「日本まん真ん中センター」と同じく、真ん中であることを強調している。
それが故に、真ん中で無くなってしまった今が悲しいことになっている。
この看板は1993年に設置されたそうだ。
前述の通り1990年にこの駅から600m強の場所が人口重心地と判明したので、その3年後に造られたのだね。
なかなかに年季が入っている。
もう少し劣化したら撤去されかねないほどの経年っぷりが窺えた。
その看板には、この駅の近くが日本の人口重心地である根拠が書かれている。
そう、この駅の近くの人口重心地とは、「子安神社」という名前なのだ。
このあと行くから待ってろ、子安神社。
看板の上部には、チェーンで吊り下げられたピンク色のプレートがある。
これ、よく見ると日本列島なのだ。やたら長方形になってしまっているけど。
そして岐阜のおそらくここを示す部分に「♡」のマークがついている。
このセンス、なかなか好きだぜ。
レトロかわいい。
満足して駅を去った僕は、最後に国道156号からの八坂駅を眺めた。
写真中央、住宅と完全に被ってしまっているが、駅舎があるのがわかるだろうか?
その右手には白飛びしてしまっているが、"日本まん真ん中の駅"の巨大看板も写っている。
のどかな八坂駅よ、さらば。
二章:「日本真ん中の地」、子安神社
八坂駅の東北東約650m、子安神社へと向かう。
今回の真打である、1990年の日本人口重心地だ。
国道156号を反れるポイントには、「日本まん真ん中の温泉 子宝の湯」を示す看板もある。
出たッ!日本まん真ん中の温泉!!
ホントこの村、日本まん真ん中というフレーズが大好きなのだ。
その右手の看板、子安神社には「日本のヘソ勝原」というサブタイトルが付けられていた。
『日本まん真ん中の村、日本人口重心の地 勝原 子安神社』。
まん真ん中が絶好調ですぞ!
真ん中は近いですぞ!
左上にボロッボロの字体で『20世紀の』と書かれている。
僕は意地悪だからさらに目を凝らしちゃうんだけど、よく見えるとこの字は上書きされているの。
その下に書いてあるのは『平成の』なの。
1990年、つまり平成2年であり、平成に入って初めての人口重心地。
だから『平成の』ってしたの。
だけどもその後に人口重心地はズレて隣の町に行っちゃったの。
そうすると『平成の』って言ったら恥ずかしいよね。
ちょうど21世紀になったらから、「じゃあ『20世紀の』って名乗ろうか」って考えたのだろう。
まぁでも20世紀って1901年から2000年までで、1901年の人口重心地はきっと美並村じゃなかったろうし、2000年の人口重心地は既に隣町だ。
なんだかアベコベだけど、もういいや。
山々を遠望するいいロケーション。
境内の脇に愛車を駐車した。ここが子安神社だ。
では、境内へGoだ。
右の立て札の㉔が何を指しているのかわからなかったが、参道に沿って鳥居をくぐる。
この境内のどこかに今も人口重心地を示す碑があると聞いているので、それを見るのが目的だ。ワクワク。
あったこれだ。
『日本人口重心の地』という、立派な石碑。
左の立て札には㉚と書いてあり、さっきの㉔から20mほどで一気に増えた。
㉕~㉙を見た記憶が無いが、ちょっと僕寝ていたのかもしれません。
説明板も綺麗な状態で残っている。
内容については、もう冒頭から何度かご説明した事項だから割愛しよう。
もちろんここでも『日本まん真ん中の地』だ。
まん真ん中。ゲシュタルト崩壊。
ついでといってはなんだが、境内も少し見て回った。
一周で2・3分もかからない小さめな神社のようだが、朝の散策は気持ちがいいものだ。
神社の知識には疎い僕なので、ここで特筆すべきようなことはない。
日本の人口重心地だったからこそ、僕はこの神社と巡りあえたのだ。
その点は感謝なのかもしれない。
終章:「人口重心モニュメント」、吉田小学校
再び僕は国道156号を北に走る。
6kmほど北にある、日本まん真ん中センターに行くためだ。
日本まん真ん中センターは1995年の人口重心地である。
名称だけは前述だが、もっと詳しく知りたい方は以下のリンクから飛んでほしい。
子安神社から北上を始めて2㎞程走ったところで、僕はブレーキを踏んだ。
「あ、このモニュメントも足を止めて見るべきだ」と判断したのだ。
国道沿いに人口重心のモニュメントがあった。
恥ずかしながら、これは今の今まで存在を知らなかった。
走っていてたまたま目についてよかった。
てゆーか、かつてこの道は何度も走っていたのだが、2023年現在の訪問まで全く気付かずにスルーしていた。恥ずかし恥ずかし。
「吉田小学校」の敷地に隣接しており、「吉田小学校前」のバス停がある。
バスの本数は少ない日では1日2本だった。
国道沿いだが、ここもなかなかバスの便が悪いぞ。
何を現わしているのかちょっとわからない造形だが、人口重心モニュメントであることは間違いない。
モニュメントの前には説明板があったので読んでみた。
ここは下田地区というらしい。
1980年の国勢調査で初めて人口重心地になったことを記念し、「郡上八幡ライオンズクラブ」と旧美並村が協力して、1985年に作ったモニュメントだそうだ。
なるほど、「この小学校が人口重心地」というわけではないだろうが、「この下田地区が人口重心地」という意味で作ったのだね。
そもそも住所調べたら、吉田小学校は下田ではなく上田だったしね…。
僕が今まで見てきた人口重心モニュメントの中でも最古のものだ。
- 1980年 … 吉田小学校(本記事)
- 1985年 … ???
- 1990年 … 子安神社(本記事)
- 1995年 … 日本まん真ん中センター
- 1995年 … 水晶山
- 2000年 … 雁曽礼集落
1985年は特にモニュメントは無いのかな?
どなたか知っていたら僕に教えてほしい。
人口重心は上記のように推移し、2005年以降はちょっとモニュメント化のモチベーションが落ちたり個人の敷地になってしまったりと、アプローチが困難になってしまった。
僕は人口重心マニアというよりか、モニュメントマニアである。
なので追いかけるのは先ほど記載した通り、2005年の人口重心地までとする。
ただし時代は流れる。
また新しい人口重心モニュメントができた際には、再び追いかけようか。
この楽しみには、終わりが無い。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
八坂駅
子安神社
人口重心モニュメント