「あなたにとって、聖徳太子とはどのような人物ですか?」
万が一にも就職面接で、面接官がこのような質問をしてきたら、あなたならどうする?
「聖徳太子」は、仏教の教えを政治や国民思想の根底に敷き、そして能力がある者が昇進することで、国の活性化を目指した。
その後も日本の歴史はいろいろあったが、21世紀まで続く我々の文化や政治の大本を築いたと言っても過言ではないだろう。
僕らは皆、間接的に聖徳太子の恩恵を受けているのかもしれない。
その点を絡めて回答すれば、きっと100点だ。
「ふふっ。実は岐阜県のとある町の山中にですね…。腕の無い聖徳太子の像があるそうなのですよ…。気になるじゃありませんか。あの聖人に腕が無いんですよ…?だから僕ね、実際に見に行ったんですよ…、ふふふ…。」
はい、0点だ。
100点を取りたいあなた、日本仏法最初の官寺である「四天王寺」のWebサイトなどを見に行こう。他にも参考となるWebサイトはたくさんある。やったな。
0点に興味を示してしまった悲しきあなた。
このまま読み進めても得るものは無いかもしれないが、僕と一緒に冒険しよう。握手だ。
…いや、失礼。
握手する手が、ナ イ ノ ダ ッ タ ナ … 。
妖しい森の精霊たち
その日、僕は岐阜県内のミステリースポットを巡るドライブをしていた。
その過程でやってきた、揖斐郡大野町。
詳しい場所はわからないが、この町を見下ろす丘の上に「腕の無い聖徳太子像」があるという…。
従い、怪しそうな方向の山をキョロキョロ眺めながら、街中を走っていた。
あ、見つけた。
山の中にポツンと立つ白い像は、ここから1~2kmは離れているのだろうが、周囲から浮いていてすぐに発見できた。
あなたもお気付きになったか。
赤い丸の中に、例の聖人がいらっしゃる。
ちょっとズームしてみよう。
なるほど、ここから見えているのは彼の背中部分のようだ。
緑の大海原の中で半身浴しているかのような、彼の姿が確認できた。
よーし、会いに行こう。
聖徳太子に会いに行こう。
とりあえず近付ける方向に走って行くと、どこぞのグラウンドに入り込んでしまった。
引き返す。
大きく迂回し回り込んでみた。
うむ、この混沌としたテイストが、正解であることを物語っているように感じた。
妖しい場所を目指すのであれば、その入口もまた妖しい。当然だ。
メインとなる看板はチョコレートのように一面錆びていて、右上にかろうじて『ましょ』という文字が残っていることしかわからない。
とりあえずここを右に曲がってみましょ。
これは初夏の清々しい木漏れ日の中のドライブだろうか?
…いや、違う。
これは僕個人の偏見で大変申し訳ないのだが、どことなく禍々しい空気を感じていた。
狭い道の両側がジットリと苔むしていることが、そんな気分にさせるのだろうか?
おかしいな、おかしいな。
日はしっかり射しているのに、心は晴れずにどこか心がザワザワする。
そう、何者かの視線を感じているようなのだ。
森の陰から。
いる。
なんかこっち見て微笑んでいる。
一体だけではない。無数にいるのだ。森の中に。
朽ちかけた木に彫られた顔が、こちらをジッと眺めている。
なんでこんなところにこんなものが?
かわいくもなんともない顔たち。(個人の感想です)
どんな意図でこんなものを作り、こんな表情をさせているのだよ。
小さいころの僕だったら間違いなくトラウマになっている。
デートでドライブしていて、万一ここに迷いこんだカップルがいたら、ロマンティックも吹き飛ぶであろう。
しかし残念だったな。僕には失うようなロマンチシズムは元からない。
なぜなら、この僕は今日は1人だ。…大体いつも1人だけどな。
そして、「ミステリーよウェルカム」なスタンスでドライブしている。
むしろ腕の無い聖徳太子のオードブルとして、このくらいは望むところよ。
奇妙な森の精が見つめる中、エンジンをブンブン唸らせて森の中の狭路を登る。
そして、ついに視界に聖徳太子を捉えた。
日出処の天子
森の中、大きく曲がるカーブの途中にポッカリと開けた空き地があった。
その草の生い茂った空き地の中に、大きな聖徳太子像が立っていたのだ。
うおぉ見つけた、ビックリした。
ビックリしたし、到着した。
これは駐車場なのかな?
像の一段下にある、舗装されていない空き地に愛車を駐車した。
では、改めてご対面だ。
聳える3体
はい、すごい。
10m程はある、巨大な聖徳太子だ。しかし腕が無い。
左右には赤い(返り血?)2人の僧侶を従えている。
RPGのボスキャラみたいな配置である。
だとしたら、補助魔法を多用してくる左右の赤を先にやっつけるべきだな。
向かって左、マフラーをしている僧侶が「親鸞」だ。
向かって右が日蓮だな。
親鸞と日蓮は鎌倉時代であり、西暦1200年頃だ。僧侶ペアの方が600歳も後輩。
なんでこのトリオが600年の時空を超えて一堂に会することになったのか。
仏教繋がりくらいしか思い当たるところがないが、正直そんなことは些細な問題だ。
世の中、年の差カップルなんでごまんといる。
幸せな幕引きとは言えなかったが、ここ数日ワイドショーを賑わせている"紀州のドンファン"だって、55歳差だったぞ。
だから年の差トリオだっていても不自然ではないだろう。たかが600歳の年の差じゃないか。ドンファンの、ほんの11倍だ。
そんなことより、気にすべきことがあるだろう。
腕が無い。
これが、珍スポットのバイブル「ワンダーJAPAN」にも掲載された、世にも奇妙な聖徳太子像である。
なぁ、腕は一体どこに行ったのだろう…?
それは腕か否か
「腕の前で組んでいるんだよ」、という説もある。
僕はその説、半分あっていて半分間違っていると思っている。
まずは疑ってかかる説の方からだが、端的には「腕ってこんなに小せぇか?」っていうお話なのである。
服らしきもので腕自体は隠れていることを前提に、服の中を推測してみよう。
有名な肖像画に準じ、胸の前で両手で笏(しゃく)を持っている想定で描いてみた。
腕、ちまっとしている。
顔はダンディなのに、腕はありえないほど小ぶりな上、身体にピッタリとくっつけないと実現しないスタイルである。
ちょっと自分自身がモデルになってみよう。
「しまりのないボディだなwww」とか、あなたの苦笑が画面越しに聞こえるが、「だまれ」って言いたい。
こちとら休日の完全オフだからな、身体もTシャツもダルダルよ。
てゆーか、見てほしいのはそこではないのよ。
聖徳太子像と同じような位置で笏を持とうとすると、ひじをかなり張ることとなる。
聖徳太子のポーズには無理があるのを、自分で体現できた。
斜めから見てみた。
なおさらおかしい。
腕が短い上、胸の前に腕を持って来ることによる立体感が全然ないのだ。
胸にわずかな膨らみはあるが、そんなのそこいらのソフトマッチョや深夜にラーメン食べる食生活の御仁の方があるわ。
再び僕だ。
しっかり胸を張り、かつ見上げる構図を再現しようとしたら、やたらと遠近感がついてデブっぽい写真となり、ひとしきり笑えた写真である。
…そんなことはおいておいても、やはりこぶしとひじは体から大きく出っ張る。
聖徳太子が胸の前で笏を持っている説は、普通に考えたら無理がある。
ゆったりとした服で内部がわからないので、こういうパターンも考えてみた。
なんだか拘束衣だ。
腕を体にガチガチに密着させればできなくもないが、こんな聖徳太子はイヤだ。
では、やはり「腕は無くなった」説の方が有力なのか?
よく見ると、肩の先に腕があったかのような断面がある。
像はかなりボロボロだ。
最初に崩れるパーツが腕であることについては、とても理に適っている。
念のため、腕の残骸などが落ちていないか周囲を調査したが、それは見つからなかった。
もうちょっと別角度から検証しよう。
この聖徳太子の服装についてだ。
このモチーフになった像や肖像画があれば、非常に大きな根拠となる。
胸の前のアレが服の模様なのか、それとも腕なのか、わかるような気がするのだ。
僕はWebサイトから、片っ端に聖徳太子の像や肖像画を調べた。
もし家族が僕の閲覧履歴を勝手に調べたら心配されるほどに、聖徳太子のことばかり調べた。
結果、完全に合致するものはなかった。
近いものはいくつかあったが、結局その中の1つは誰でも知っている「唐本御影」であった。
思い返せば、両脇の親鸞と日蓮も、この唐本御影の2人の子供と同じ立ち位置だな。
ずいぶんと豪華なキャスティングだが。
僕の考える真実
さて、前項の唐本御影と聖徳太子像を見比べていただきたい。
僕個人としては、唐本御影を像で再現したかったのではないかと考える。
胸の前で笏を持っている構図だ。
胸の前の若干膨らんでガチャガチャした部分が「服である」という根拠は、Webでは見つけられなかったのだ。
あぁいう服が飛鳥時代に存在してるのであれば、「腕ではないですよ、服ですよ」って言えるのだが。
では、僕の結論だ。
胸の前のものは、腕。
やたら小さいのは、彫刻師がヘタクソだったから。
悩みに悩み、そう考えた。
顔がリアルだから、身体もリアルだろうと考えてしまったのだ。
そこが甘かったのかもしれない。
腕を作るって、かなりの技術が必要なのだ。
みんな苦労している。
ちゃんと充分な製作予算があり、一流の職人に頼めばうまくできるだろう。
しかし、後述するがこの像の設立に当たりそこまでの予算はなかった可能性が高い。
従い、顔は絵心のある人にてうまくできたが、手の再現については耐久性などの問題からもうまくいかず、身体に密着した小さなものになってしまったのではないだろうか?
しかしまだ矛盾がある。
肩にある腕がついていたかのような痕跡は何なのか。
改めてよく見ると、腕にしては断面が小さすぎるような気もするが、果たして何なのか。
まさか、小さな腕が4本ついていたとか、そういうアクロバティックな像であったりしたのだろうか…??
混乱した僕は、Twitterを通してアンケートをした。
聖徳太子の腕は…
— 旅人YAMA@日本分割6周目 (@yama31183) 2021年5月8日
回答してくれた方は41名であり、63.4%の方が「腕はある」を選択した。
ふむ、実はちょっと失敗した。
- 僕が充分に考察した文章を公開した後のアンケートとなってしまった。
- スレッドの奥深い場所でのアンケートであり、みんなの目に留まりにくく、思ったほどの票が集まらなかった。
Twitterでのアンケートは初のチャレンジだったので、これは次回への課題としたい。
さて、結局謎はまだ解けていない。
しかし、謎は謎のままでもいいと思うのだ。
「腕の無い聖徳太子像」と呼ばれるミステリースポット、それがここの魅力なのだ。
崩れゆく太子
この項では、僕が台座の周囲で見たものについてご紹介したい。
これは台座のすぐ脇だ。
台座は経年劣化でバキバキに崩れ始め、表面がこうして周囲に散乱している。
前項までにご紹介した聖徳太子像の本来も、言うに及ばずだ。
見ていただいた通り、相当にボロボロなのだ。
いつ倒れてもおかしくはない。
これは近くに落ちていた、聖徳太子の剣だ。
うおぉ、デカい。怖い。
きっと腰につけていたものが支えきれなくなって落ちたのだろう。
当たり前だけど、聖徳太子がデッカいので剣もそれに準じたサイズだ。
電柱が転がっているように見える。
柄に手を置いてみるとこんな感じだ。スケールの違いにただただ驚く。
聖徳太子の視線の先には簡素な展望台があった。
「野村山展望台」というらしい。
そこに立つと、大野町を眼下に眺めることができた。
あのグラウンドは冒頭で、ここまで登る道を見つけられずにキョロキョロしていたグラウンドだ。
その向こうには、緑豊かな町と山々が広がっていた。
なんだか僕のいるここだけが異世界のように感じた。
さぁ、帰ろうか。現世へ。
謎も歴史も、忘却の彼方へ
いまさらで大変恐縮だが、僕はあなたにお詫びしないといけないことがある。
この腕の無い聖徳太子像、2021年現在は実在しない。
2018年1月に解体撤去されてしまったのだ。
この記事は、それを偲ぶ意味で執筆させていただいた。
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そもそもこの聖徳太子はなぜここにいるのだろう。
誰かしら、腕があったのかどうか、往時を知っている人はいるのだろうか。
僕は8・9年ほど前からこの件でWebサイトを巡回しているが、結果として判明していない。
もしあなたがこれらに関する情報をお持ちであれば、是非提供していただきたい。
ただ、どうやら1980年ごろには存在していたようだ。
しかし、大野町に住む人も大半がこの像の存在を知らなかったらしい。
どうやらこの敷地は、とある宗教団体の所有する敷地であったようなのだ。
昔の地図にはここいらは「青い鳥の館」と記載されていたらしい。
世間一般に広く認知させていたわけではないことが、いくつもの謎が残る要因となったのかもしれない。
おそらくだが、30年ほど前には宗教団体は解散。
ここには廃墟となった建物と、シンボルであった聖徳太子像のみが残った。
それらはどんどん朽ちていき、廃墟は2014年に撤去、聖徳太子像も2018年に撤去されたのだ。
もう、これらを探ろうとする人も出て来ないかもしれない。
人々の記憶からも消えていくのかもしれない。
それも、いたしかたないのだろう。
しかし考え方を変えればね。
「頭と体と腕と足の無い聖徳太子像」なのだ。
彼はいる。
きっとここにもいるし、我々日本人の心の中にもいる。
冒頭に記載した通り、日本の礎を築いた人物の1人なのだから。
そして、実は今年2021年は、聖徳太子の1400回忌なのだ。
少しでいい。
僕らは聖徳太子のことを思い出してもいいのかもしれない。
(僕もふと1400回忌を思い出し、この記事を執筆するにいたったのだ。)
以上、日本6周目を走る旅人でした。
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