洋上に浮かぶ巨大な廃墟島、「軍艦島」。
そのシルエットは、名前の通り軍艦のようである。
第2次世界大戦のときに活躍した、戦艦大和・戦艦武蔵・戦艦陸奥のような姿を彷彿とさせる。
どのくらい似ているのかと言うと、大戦中にアメリカの潜水艦が軍艦島を本物の軍艦と勘違いして魚雷を打ち込んだという有名な話があるほどだ。
まぁ残念ながらそれは都市伝説なのだが、「そうだよね、勘違いするよね」と言いたくなるほどのビジュアルだ。
2015年には世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のスポットの1つにもなった軍艦島。
軍艦島は炭鉱で栄え、そして炭鉱の衰退と共に廃墟となったのだ。
しかし廃墟となってから随分な月日が経過しており、相当にヤバい状態だ。
2022年秋には観光客が動画撮影している目の前で建物がハデに崩れてきたりして、寿命は間近。
専門家によれば「メインの建物の余命は半年ほどだろう」とか言われている。
今回はそんな軍艦島に僕が初めて上陸したときのお話をしたい。
夢の軍艦島ツアー!
僕は1人ルンルンであった。
夢見ていた軍艦島に、今日上陸できるのだ。
そんな日が来るだなんて信じられないわ。
昔から軍艦島に興味を持っていた。
関連Webサイトはずいぶん読んだし、ちょっと違法で大きな声で言えない方法で島に渡って廃墟巡りをしている人のレポートをいいなぁって思いながら眺めたりしていた。
そんな軍艦島が上陸可能になったのは2009年のことだ。
僕は「こんな日がやってくるなんて!」って喜んだ。
その夢が叶うのは、2011年のことである。
車中泊から目覚めた僕は、意気揚々と朝の「長崎港」にやってきた。
今日の9:00、クルーズ船はこの港から軍艦島に出発する。
事前予約が必須なので、もちろん予約しておいた。
九州を巡る、あてのない車中泊の旅をしていたが、このイベントだけはちゃんと予約した。
出航30分前の8:30に指定された受付窓口の前まで行くと、既にもう2・30人の人たちが窓口に行列を作って手続きをしていて焦ったわ。
なんか誓約書を書く必要もあるみたいでちょっと時間がかかりそうな気配であった。
だが手続きはスムーズに完了。
クルーズ料の4300円を支払った。
もうこのあとは埠頭に待機しているクルーズ船の前まで行っていいんだってさ。
上の写真の右側の船がクルーズ船だ。
左のバイキングシップに乗ってはいけないよ。
船内は1階の空調完備された室内席と、2階の吹きっさらしのデッキ席の2種類がある。
あぁ愚問。
もちろんデッキである。
ガラス張りの船内なんかじゃ、僕の高まるテンションを抑えきれない。
周りを見渡してみると、老若男女様々。
若い人から60歳近いと思われる人、女性も多い。1人で来ている人も多い。そして外国人も。
僕、1人でクルージングなんてちょっとドキドキだったが、このメンバー構成なら全然気にすることもなさそうだわ。
「親愛なる同志よ!」って思った。
定刻通り9:00出航。
ここから軍艦島までは小1時間だ。
1時間もかかるのだが、長崎港を出発すると早速数々の見どころが登場して飽きることはない。
建造中の巨大タンカー、造船所の巨大クレーン、自衛隊のイージス艦、そして女神大橋…!
どれも船内アナウンスで丁寧に紹介してくれるからありがたい。
もうテンション上がりっぱなし!
どうしよう!常に写真撮りまくりで、息つく暇も無いわ!大忙し!!
…出航から40分。
軍艦島と同じく炭鉱で栄えた「高島」の脇を通過。
さらに前方には「中ノ島」という極小の島が見えてきた。
その中ノ島の陰から、見覚えのあるシルエットがチラッと覗いた。
陸上から何度も見てきた軍艦島だ。
中ノ島から出航していくかのように、どんどんその姿を現してきた。
船内の人たちも興奮して立ち上がったりし、一斉にカメラを構える。
うおぉぉ、来るぞーー、来るぞーー!!
軍 艦 島 !!
うおぉ、こんなにハッキリと島内の建造物が見えるのは、もちろんクルージングならではだ!
もちろん僕もここまで詳細にこの島を見ることができるのは初めて!
船内、興奮の坩堝!!
これから僕ら、あの島に上陸できるんだなぁ…。
改めてワクワクするぜ!ゾクゾクするぜ!!
ドルフィン桟橋上陸作戦!
どんどん軍艦島が近づいてきた。
もう過呼吸になりそうなほどの感動だ。
まずは軍艦島の見取り図を苦労して作成したので、以後のご説明の参考にしてほしい。
正式名称は「端島」。
島をビッシリと埋め尽くすのは、学校や社宅など。
それらに号数が振られている。
最初に鉄筋アパートがここに建ったのは大正初期。日本初の鉄筋アパート。
まだ本土の一般人が木造平屋とかに住んでいた頃から、軍艦島の人々は近代アパートライフを満喫していたんだ。
それだけこの島は栄えていたのだ。
まずはMAPの右下に当たる部分から、上陸地点となるドルフィン桟橋に向かって移動していく。
武骨なコンクリートジャングルが手に取るようにわかる。
あのあたりは上陸できないので、今船上から見るしかチャンスはないぞ。
正面が70号棟の端島小中学校だな。
1~4階は小学校、5・7階が中学校、6階は図書館と音楽室だったそうだ。
島で唯一のエレベーターもあって、給食を運ぶのに使われていたんだって。
手前左の鉄骨剥き出しの低い建物が71号棟の体育館、そして後方に建つちょっと黒っ
ぽい建物は島で一番大きい65号棟だね。
社宅だけど屋上幼稚園も兼ねていた、コの字型の巨大建造物。
これらを別角度から…。
おえっ、すごすぎて吐きそうになるレベル。
ずっと鳥肌立ちまくりよ。
…ってゆーか、ちょっと待て!
写真中央、65号棟の一番奥屋上!!
あれは!滑り台!
幼稚園の屋上に備え付けられていたと聞いたことがある。
あの滑り台を囲んで幼稚園児たちが撮った集合写真を何枚か見たことがある。
すごい立地にあるから奈落に堕ちそうな感覚を味わえるという滑り台。
ドルフィン桟橋直前で一瞬見ることができたのだ。うれしい。
島の最高所で独特の存在感を放つのは、「端島神社」。
小さいけれども冒頭で掲載した夕日の中の軍艦島の写真でも判別できるほど、突出したシルエットを持つ。
危険な炭鉱労働をする島の人たちは、この神社をよりどころとしていたのだろうな。
ドルフィン桟橋接岸間際の写真だ。
こんないい天気の日に上陸できてラッキーだ。波もかなり穏やかだし。
軍艦島クリーズの最大の懸念事項は「島の上陸できない可能性」であろう。
波が高いと上陸できないのだ。
その確率は平均すると70%程度。
2021年の8月などは30%ほどであったという。
6月・7月は例年上陸率が低い傾向であり、11月~3月あたりが高そうだ。
しかし年によって大きな変動があるのであくまで参考だ…。
島の直前まで行って上陸不可な場合は、島を周遊するプランに変更するのが一般的だ。
だが、もちろん悪天候だと出航すらできないので注意されたい。
僕もドキドキしながら今日が穏やかな晴天であることを祈っていた。
ちなみに午後からは風も強くなり曇るそうなので、午後便でなくって良かった。
ジャンプするようにしてクルーズ船から島に上陸した。
桟橋に覆いかぶさるように建つのは、3号棟の幹部社宅が見える。
さすが、お偉いさんは一番高いところにお住まいだ。
風呂付き物件だったらしいよ。
今にも崩れてこちらに落ちて来そうな幹部社宅。
スゲーぜ。僕らは今、こんな廃墟だらけの島に足を踏み入れたのだ。
僕は軍艦島を歩く!
巨大な貯炭ベルトコンベアー
9:50、ついに軍艦島に上陸した。
日差しを一切避けることのできない炎天下だ。
ついでに日傘も禁止らしいから、気になる方は備えをしっかりとしてほしい。
当然島には売店も自販機もない。
ドリンクは自分で持ち込まなければならない。
それを知ったカップルが「ゲッ!」みたいな感じで焦っていた。憐れ。
今一度MAPを掲載してご説明しよう。
今いるのがドルフィン桟橋だ。
赤線が見学用のコースである。
距離にしてわずか220m。当たり前だが建物の中に入り込むことはできず、しっかりと安全が確認できた場所から島内の様子を見れるだけである。
軍艦島の住宅の中は、今も当時のままの生活が残っている。
家電も食器も本もカレンダーも。全てが昭和で時を止め、ゆっくりゆっくり朽ちていっているのだ。
僕も見れたらそういう室内の光景を見たいんだけど、当然無理。
違法上陸して廃墟の中に入り込めば可能だけど、それもダメ。
まぁでもこうやってクルージングツアーでこの世界観に浸れるだけでも最高だ。
ドルフィン桟橋からほんの少し歩いたところが第1見学広場。
100人近くいるメンバーは、第1見学広場で50人くらいずつの2チームに分けられる。
人数が多いので「第1→第3」の順で見学するグループと「第3→第1」の順のグループとで分けるみたいね。
僕は前者となった。
島の採掘関連施設は鉱山の閉山と同時にほとんど壊されてしまっている。
その中でも残っている貴重な遺構がこの貯炭ベルトコンベアー。
今は支柱が残るのみだが、それでもインパクト大だ。
精選された石炭はこのベルトコンベアーを通って石炭運搬船に積み込まれていたそうだ。
崩壊した選炭機のようだ。もう何が何だかわからない。
大体このあたりまでが第1見学広場近辺からのロケーションである。
スタッフの方はスピーカーを使って各施設の説明をしてくれる。
それをふむふむ、と聞く感じ。
結構気さくで頼めばカメラのシャッターも普通に押してくれ、ホスピタリティに溢れていたぞ。
ベルトコンベアーの支柱の背後に、聳え立つ65号棟と70・71号棟…。
凄まじいコンクリートジャングルの圧を背中に感じながら、僕らは第2見学広場へと移動する。
赤レンガの総合事務所
ここからは第2見学広場だ。
第1見学広場からは直線で50mほどの距離だけど。
右に見えている不安定な造形の建物は、第二竪坑口桟橋。
第二竪坑に行くための桟橋に登る昇降階段部分のみがかろうじて残っている、という具合だそうだ。
あの奥にはかつて巻き上げ櫓があり、そこから地下1000mもある海底の坑道に作業に入っていたんだ。
昨日は三池炭鉱の「万田坑」を見学した。
あそこで見たような竪坑櫓があったはずなんだけど、とっくに壊れていて今はわからないな。
総合事務所はその名の通り、軍艦島の政治の中枢。
赤レンガがオシャレ。
この総合事務所の中には作業者たちのためのお風呂もあったんだって。
真っ黒のドロドロで帰ってくるから、最初は海水のお風呂。
それから徐々に綺麗なお風呂に移動して行って、最後に真水のお風呂で綺麗になって帰宅するんだそうだ。
小さい島だったから、真水はとても貴重だったんだって。
…以上、全部スタッフさんが説明してくれた。
島で唯一の現役施設。
1998年に建て替えられたばかりらしいので、国内の灯台と比べても比較的若いものだ。
総合事務所にほれぼれしていたら、スタッフの方が「良かったらシャッター教えてあげましょうか?」って声をかけてきてくれた。
おやおや、そんなに僕が1人寂しい男に見えますか。
…正解だよ、コンチクショウ!
そんなこんなで、第3見学広場方面に移動を開始する。
会社事務所と総合事務所の接合部分が見える。ガッショガショに壊れてやがる。
うわっ。この角度で大変なことに気付いた。
一番右端を見てほしい。
赤レンガが立派だと思った総合事務所、ペラッペラだった。
壁しかなかった。肝心の中身が無い、ハリボテだった。
左側の会社事務所の残存部分も、細い柱が不安定な天井を支えている状態で、まだ形をとどめているのが不思議なほどだ。
長年の潮風や波が、このように劣化を進めたのであろう。
これ、お相撲さんがぶちかましをしたら一発で倒壊しちゃうよね…。
いよいよ最後のエリア、第3見学エリアが近づいてきたぞ。
ハイライトである30号棟をいよいよ見ることができる。ウキウキだ。
もう直射日光でベロベロに暑い。
手元のペットボトルはほとんど中身が残っていない。
周囲を見ると、暑さに弱い人はそろそろ音を上げてきていた。
僕もテンションだけで動いているようなものだ。テンション、とても大事。
上の写真は鍛冶工場。
なかなかの崩壊美で気に入った。
朽ちている階段ってカッコイイよね。
僕はこういう絵が好きだ。ずっと見ていることができる。
続いて仕立工場が現れる。
そうそう、この仕立工場の写真に写っているから言及しておく。
島内の遊歩道はとっても綺麗だ。コンクリートでしっかり固められ、そしてコースを逸脱しないように柵が設けられている。
なのである程度ラフな格好でも見学大丈夫。
しかし何度か記載の通り、日差し対策と飲料対策はしておくべきだ。
僕はまだ9月の残暑の時期の訪問であったが、梅雨明けの酷暑・冬の寒さ・雨の日など、それぞれキツい事情があるに違いない。
日本最古のコンクリートマンション
来た、30号棟。
軍艦の船首部分、第3見学広場だ。
いよいよ日本で最初の鉄筋コンクリートアパート、30号棟が現れた。
これはもう、コンクリートマンションのオバケといってもいいだろう。
存在感、すさまじい。ポカポカの昼間に見ているからいいけど、夜に見たら完全にオバケ。
30号棟の左、写真には見切れているけど湾曲した造りの31号棟。
この1階には郵便局や床屋があり、地下には入浴施設があったそうだ。
30号棟・31号棟の後ろにチラッと見えているのは25号棟だね。
ギュウギュウ。日照ほとんどなかったのであろうな。香港の九龍城なみにカオスだな…。
30号棟が出来たのは1916年。つまり大正5年。
大正初期にこんな立派な建物が、市民用として既に存在していたのだ。
7階建てだぞ。そんで中庭もある。
東京を遥かに凌ぐ高度な文明が、この島にはあったのだ。
最上階にズームしてみると、窓から木々が風に揺られて「おいでおいで」をしていた。
なぜあんなところに植物が…。
土はあるのか?水はあるのか?
今は人間ではなく、あの木々がこのマンションの住民なのだな…。
どんどん崩れていく30号棟。
普通のコンクリート建造物としての寿命はとっくに過ぎているのだ。
ましてや高波のときにはハデに波を被るような島。
かたちを留めているのが不思議なレベルなのである。
冒頭にも書いたが、2022年秋の時点で「余命半年程度」と言われているのだ。
(正確にはそれ以前にも余命半年と言われているが、なんとかそれを生き延びている)
左側の31号棟にズームしてみた。
前述の通り湾曲したデザインが特徴的である。
こっちはまだ木枠のサッシが残っているね。木造のものがあるとなんだか生活の痕跡をより一層感じるね。
この巨大マンション、多くの人が住んでいたのだろう。
ここからでは見えないけど、島の内部は迷路のようにコンクリートマンションが立ち並び、その薄暗い隙間を迷路のように歩道や階段が走っている。
階段はえげつない斜度だったり、マンションとマンションを空中で繋ぐ渡り廊下が芸術的だったりと、僕ら一般人が見れない領域がまだまだあるのが残念だ。
こんなにも晴天なのに仄暗い、あの奥の路地に思いを馳せつつ、僕らは第3見学広場を後にする。
では、ドルフィン桟橋に引き返そう。
巨大軍艦は冥界に旅立つ!
10:50、ピッタリ1時間の見学を終えて、クルーズ船に戻って来た。
ドルフィン桟橋からクルーズ船に乗り込んだ。
「さぁこれで帰るだけ…!」ではないぞ!
このあともまだ見どころあるから、疲れたからと言ってクルーズ船で寝るのはまだ早いぜ!
みんなデッキでなごり惜しむように軍艦島を見上げている。
そんな中、クルーズ船は出航する。
ありがとう。夢にまで見た軍艦島。
一般公開から2年目に上陸出来た僕は、やや早い方であろう。この思い出を大切にしたい。
端島神社がまた見えた。
左側には白い柱、慰霊碑と、さらに左に壊れかけた鳥居も見える。
心の中でそっと参拝した。
左から順に、鍛冶工場・30号棟・総合事務所・その上に灯台・3号棟・ベルトコンベアーの支柱・70号棟…。
島内で見てきたもの、全部見える。全部わかる。
これまでひとくくりに"軍艦"と呼んでいたものの解像度が、今回のツアーで拡大に上がった。
それがどんどん遠のいていく寂しさよ。
僕もみんなもデッキで、遠ざかる軍艦島を見送る…。
さようなら軍艦島…!!
…と思いきや!!
クルーズ船は向きを変える。
軍艦島に戻りつつ、鼻先を回り込んで、今まで見えなかった裏側に入ったのだ。
さぁ、このMAPを掲載するのはこれが最後だ。
クルーズ船は今、左側を回り込んで上側に入ったぞ。
コンクリートマンションがひしめき合う、一番カオスなゾーンだ!
上陸中の徒歩では見れなかった、軍艦の右舷を見れる唯一のチャンスだ!
うわぁぁ、かっこいいーー!!!
アナウンスによれば、この右舷斜め前からの角度が一番戦艦「土佐」に似ていると言われているのだそうだ。
マジ軍艦。シビれる。
当初な岩礁だった小さな島を、採掘の拠点として周囲を6回に渡って埋め立てたのだ。
本来の島はこの3分の1の大きさだったそうだ。
これはもう、天然の島ではなくって動かない軍艦って呼んでいいかもね。
下半分に長ーく連なるのがさっきも見た31号棟。
右3分の1地点で奥側に折れ曲がっている。
そのさらに右が日本最古の30号棟だ。
目線はどんどん左に流れる。
31号棟の左で倒壊してしまった建物はなんだろうか…?
軍艦島は、台風のときに高波がすごいらしい。
当時からそのせいで軍艦島は何度も何度も修復が必要であった。
実は、高波が来る方向に住民用のアパートがギッシリと固まっているのだとか。
万一のときは住居を盾にして鉱山施設を守る設計だったそうだ。
もうすさまじい量の建物群で、脳内のキャパをオーバーしちゃった。
手前の50号棟は映画館。
その後ろの22号棟は公務員が住んでいて、役場にもなっていた。
さらにその上の13号棟は教職員用の社宅だったらしい。
「コイツはヤベーぜ」と僕は小さくつぶやいた。
マンションにはまだふすまが残っていて、よく見ると家具もまだあるのだ。
それすなわち、これらは建物のかたちを保っているだけの空洞なのではない。
まだ魂が宿っている。そのように感じた。
16号棟&59~61号棟か!
日給社宅の16号棟を過ぎると、綺麗に立ち並ぶ59号棟以下の団地が出てくる。
あれらの1つ後ろのアパートの合間を縫うように走っているのが、有名な「地獄段」なんだよね?ここからじゃ見えないけど。
ひときわめだつ端島神社が神々しい。
コンクリートの世界に舞い落りた神だ、あれは。
そしてクルーズ船は軍艦の船尾を再び回り込む。
70号棟・71号棟の巨大な建造物との再会。
うわぁ、こっち側はまだ窓ガラスが残っているよ。なんと愛おしい…。
島の一周を終えた。
今度こそお別れなのである。
1880年に石炭採掘がはじまった島。
瞬く間に発展し、その最盛期は1960年代。
周囲たった1.3kmほどの小さな小さな島に、5300人が暮らしていた。
それは世界一の人口密度。それは東京の9倍の人口密度。
しかし1974年に閉山。
1966年の採掘ピークからわずかに8年後。
時代は石炭から石油へ移り変わったのだ。
閉山からたった3ヶ月で、全島民が島を出る。
もう島には仕事はないから、生きていけないのだ。
あの軍艦は、この先どこへ向かうのだろう?
往時の人々の魂を乗せて、冥界へと出航していくのだろうか?
軍艦島は間もなく見えなくなった。
デッキで取り出した軍艦島上陸証明書は、雲が出てきて少し冷たくなった風を受けながら、少し寂しそうにパタパタと震えていた。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報