多くの廃墟ファン・秘湯ファンを魅了した温泉施設がかつてあった。
しかし、今からちょうど1年前、2019年12月の中旬に廃業してしまった。
当ブログ【週末大冒険】が始まったのは2020年の6月だから、リアルタイムで廃業の旨はお伝え出来なかったのだが、せめて1年後のタイミングで振り返りたいと、常々考えていた。
今こそ書こう。
「老松温泉・喜楽旅館」の伝説を。
雪中行軍、そして出会い
僕が喜楽旅館に出会ったのは、日本5周目のときだった。
僕は日本1周ごとにテーマを設けているのだが、日本5周目は「昭和レトロ&ボロ」だったのだ。
※ 尚、日本4周目は「秘境・廃墟・廃村」だったので、現役営業中のこの旅館には食指が動かなかった。
僕は、「那須湯本温泉」から小道に入った。
目指す喜楽旅館は老松温泉に属するのだが、老松温泉は喜楽旅館1軒しか存在しない。
そしてその立地は、那須湯本温泉のすぐ近くであり、余裕で歩けるような距離だ。
まぁ駐車場があるらしいし真冬でとんでもなく寒いので、行けるところまで車で行きますけどね。
しかし、道は狭いし雪で覆われて来たしで、「ヤバいなー。無理して進んでスタックしたらどうしよう…。」と不安になり始める。
ちなみにこれは帰り道に撮影したものだが、いくらスタッドレスタイヤを履いているとはいえ、この先がどうなっているのかわからない、未知の雪道に入るのは精神衛生上よろしくない。
あ、前方に空き地が見えてきた。よかった。
喜楽旅館まであとどのくらいなのかはわからないが、あそこから歩けば随分とラクなはずだ。
ここが駐車場だった。他に車は無し。
どうやらここから喜楽旅館までは歩いて2・3分の模様。
駐車場の片隅には、石碑が立っていた。
那須の珍湯 老松温泉 喜楽旅館
「珍湯」…。
お湯が珍しいと申すか。
まぁ100%の人が、お湯に入る前に建物を見て「珍しい」と感じるだろうがな。
雪道を歩く。
空は晴れ渡っていて気持ちがいい。
雪の轍がついているが、これはおそらく喜楽旅館のオーナーさんの車のものだ。
一般車両がこの先に行ったところで、駐車スペースはない。
年季の入った木造の温泉旅館だ。
表札に「喜楽旅館」と書かれているようだが、字体がすんごいし、経年劣化で薄っすらしている。
左側にも何か文字が書かれているが、もはや読めないし。
僕は今、伝説の温泉の前にいる。
感動で震えている。この看板を拝み倒したいくらいだ。
ところであなたは、「冒頭に掲載したほどの廃墟っぽさは感じられないが、どういうことだ?」とお思いだろう。
その様子をお見せするには、駐車場方面とは反対側、この正面玄関の右手側から建物を見る必要がある。
…こんな感じだ。
バッキャバキャに破壊されている。
手前側、雪の中に残骸があるのがおわかりと思う。
これはかつてここまで建物があったことを示している。
老朽化・温泉の強酸性による腐食・雪の重み、などなど様々な要因で、この建物は手前側からジワジワと崩壊が進み、短くなってきている。
裏を返せば、他のWeb上の写真も詳しい人が見れば、大体いつ頃の喜楽旅館か推測することができる画期的な仕組みなのだ。
砂時計ならぬ、崩壊時計だ。
…イヤだね、そんな時計。
プライバシーがかなりオープンとなった部屋。
ちなみにこの部屋、床もオープンだから入っちゃダメです。地下までフォーリンダウンします。
もともとは客室だったが、朽ちちゃったからなすがままになっているようだ。
なんという自然体。
ある意味ナチュラリスト。
家具も布団も備品も、そしてなんかFUJITSUの箱とかもある。
でも、全部まとめて「Let it be.(あるがままに)」だ。
僕は日本4周目において、数々の廃墟を探検した。
日本4周目終了と共にスッパリと卒業はしたのだが、興味を失ったわけではない。
自分にケジメをつけただけだ。
もう命に危険を及ぼすようなことはしないようにしよう、って決めたのだ。
「これは廃墟じゃない。だから見てOK。興味を持ってOK…。」
そう自分に言い聞かせる。
奈落が少し見えている。
四角いちゃぶ台の天板と思われる物体が、絶妙な配置で踏ん張って耐えている。
崩壊した部屋が右端に映っている。
写真中央の軒先(?)に小さな植木鉢があるだろう。
この配置をちょっと覚えて置いてほしい。
この植木鉢と軒先のすぐ後ろは、今まさにグッチャグチャに崩壊していると、覚えておいてほしい。
そして、次にこの写真だ。
軒先と小さい植木鉢は、手前側に見えている。
そのすぐ先に、スライド式のドア。
このドアがね、建物の入口。
つまり何が言いたいのかというと、崩壊は入口ギリギリまで進んでいるのだ。
これ以上崩壊したらヤバい。
建物に出入り出来なくなってしまう。
そんなスリリングな温泉。
それが喜楽旅館。
ジャングル行軍、そして再会
日本6周目、僕は再びここを訪れる。
冒頭で記載の通り、喜楽旅館は2019年の12月に幕を下ろすのだが、その数ヶ月前の訪問である。
喜楽旅館はいきなり廃業宣言をしたので、このときはまだ、これが最後の訪問になるだなんて考えていなかった。
(若干のカクゴはしていたが)
…廃墟。
僕は廃墟を見上げていた。
ここは、那須湯本温泉の静かな通りの一角。
廃墟となった旅館がチラホラと見受けられる。
那須湯本温泉の僕がいる付近の地図を、ここでご紹介したい。
「殺生石」は結構有名な景勝地だし、「鹿の湯」は相当有名な秘湯なので、参考として名前を載せた。
そして「雲海閣」はマニア垂涎もののボロ宿だ。
興味がある方は以下を参照してほしい。
まぁ何を隠そう、今回の僕はこれら全てを巡っている。
面倒なので徒歩で。
全て徒歩で充分に巡れる距離なのだ。
…ただ、地図を見ていただければおわかりの通り、喜楽旅館に行くにあたり、南側の車道からアプローチするのはさすまじい遠回りだ。
徒歩だとそこまで歩きたくない。今日は暑いし。
現在地から喜楽旅館まで、なんとか行けるルートは無いものか…。
…ま、あるんですけどね。
さっきの廃旅館の左脇に、こんな小道がある。
普通に車道を歩いていては気付かないし、気付いたところで入って行こうとは思わないような、かつては旅館専用の通用路だったかもしれない小道だ。
僕が確信をもってここを選んだのには、2つ理由がある。
- 前回訪問時、駐車場から宿まで歩いたさらにその先にも道が伸びていたから。
- Webなどで訪問記録を読むと、「徒歩で廃墟を見ながら行った」という書き方が散見されていたから。
ほら、道の先に橋が見えてきたぞ。
これで川を渡れば、喜楽旅館は近いと思われる。
橋の先に、建物が見えてきた。
これは喜楽旅館ではない。
民家?現役??
とりあえず今回の僕には関係ないのでスルーし、さらに先に行く。
…ブッ!!
出たよ。ひどい雑草だ。
鹿の湯を出たばかりで汗が噴き出しているし、真夏の熱気で不快度はバツグンだ。
でも、掻きわけて進む。
進行方向にチラッと見えているのが、きっと喜楽旅館なのだから。
右手の眺め。
下に川が見えているのがおわかりだろうか。
それを挟んだ対岸に、さっきの廃旅館だ。
…さて、見えてきたぞ。
喜楽旅館、こんにちは。
安定の朽ちっぷりである。
雪が無いことで、さらにその破壊進行っぷりがよくわかる。
「うむうむ、今日も元気に崩れていますな」と、ちょっとほっこりする。
消火器は前回同様、ギリギリのところで落ちずにすがりついていた。
アクション映画のヒーローとヒロインみたいな絶妙のポジションだ。
「もう少し手を伸ばせ!俺が引き上げてやる!」みたいな感じで。
たぶん2回ほど失敗し、どうにか2人が手をつないだ瞬間、ヒロイン側の床が崩れ落ちて間一髪のシーンだと思う。
前回より一層崩れている。
天井の照明も布団の上に「ふこっ」って感じで顔面ダイブしている。
これ、気持ちいいヤツだ。
あと、FUJITSUの箱が消えている。
まさかオーナーさん、命がけで取りに行ったのか?
FUJITSUの箱の中、命をかけられるほど大事なものが入っていたのか…??
気にはなるが、まぁいい。
温泉に入ろう。
温泉への地下ダンジョン
まずは入浴受付についてご説明したい。
上の写真で、喜楽旅館の構成がなんとなくわかると思う。
左が入浴施設。右がオーナーさんの住居(たぶん)。受付も右側だ。
奥が前項でご紹介した廃旅館であり、奥に続く道が僕が草を掻き分けてやってきた道だ。雪の訪問時は、カメラを構える僕の後ろ側からやってきた。
反対側からの図をお見せしよう。
右が入浴施設。前述の軒下や植木鉢は右端に映っている。
左がオーナーさんエリアだ。
サッシに「入浴・休憩 受付」と書かれている。
「すみませーん」と言いながらサッシをガラッと開けると、すぐ左にオーナーのおじさんいた。
冬のときはコタツ、夏のときは座卓。
そこでTV見てた。
一般家庭でくつろいでいるおじさんを突撃してしまった気分だ。
温泉に入りに来たことを告げ、入浴料の500円を払う。
おじさんは座ったまま腕と顔だけを動かし、外にいる僕からお金を受け取った。省エネな動作。
ちなみに、「1回45分」と入浴時間の制限があるが、おじさんは「ゆっくりでいいからねー」と言ってくれた。
そして、「休憩・宿泊ができます」と書かれているが、宿泊はできない。
2012年とかそのくらいまでは宿泊業もやってきたそうだけどね、どうやらオーナーさんのお母さんが亡くなったり、オーナーさんもスタミナに懸念があったりで、入浴だけの施設なのだ。
残念だ。すごく泊まってみたかったが。生まれる時代が少し遅かった。
おじさんにお礼を言い、サッシをまたガラリと閉める。
さて、ではいよいよ廃墟旅館の神髄を見ることになるぞ。
呼吸を整え、後ろの入浴施設を振り向く。
内部潜入。
さっそく、靴を脱いでスリッパに履き替えるようだ。
靴を履き、そして目の前の手すりから下を除く。
古(いにしえ)の迷宮が奈落に続いていた。
うん、浴場は下のようだね。
螺旋階段を慎重に降りる。
木造だし写真のすぐ右側は前項でご紹介した大崩落ゾーンだからか、床は不安なくらいにギシギシいう。
生命をゆだねるハズの手すりは、異様に低い上にこれまた脆そうだ。
体重を預けたくない。
ついでに薄暗い。
ドキドキしちゃうぜ、最高だ。
階段を降りた。
「竜巻でも通過したのか、この家は」
…みたいなロケーションだった。
まぁでも大丈夫。
これが喜楽旅館の平常運転ですので。何も問題ない。
2回訪問すれば慣れる。
天井のパーツは、何度数えても足りない。
1回目のときは、そりゃ少々驚いたさ。
天井って、こんな小学生が図工の時間に紙と糊で貼り付けるような感じで作っちゃっていいんだったっけ?…って。
僕も大雑把なO型なので大抵のことには動じないけど、これはO型の中でも最上級だ。王の中の王だ。
あとね、2回目の訪問時はそれなりに補修されていたしね。
同じく階段の上の天井だ。
ちゃんとパーツが足りている。
うん、何も問題ない。きわめて正常な天井だ。
ヤバいレベルで暗い。
たいまつが必要だと判断するよ、このダンジョン。
廊下に灯りはない。
無造作に置いてある洗面台に付属されているランプが、唯一の光源だ。
正面奥が、浴場に続く通路。
右奥がトイレだ。
オブラートに包んでコメントしよう。
こういうレトロ系の施設では、女性に対して「確かに古いけど、掃除は行き届いていて綺麗なのだよ」っていうのが常套句だ。
しかしここはそれが通用しないぞ。強敵現る、だ。
壁紙。
下から腐食の魔の手がやってきている。
「本当に壁に貼られた紙なのだなぁ、壁紙って」と思った。しみじみと。
そんな中での、極上の湯
地下の通路の途中に、浴場入口が見えてきた。
前項までの、入浴施設とオーナーさんの受付棟の立地を思い出してほしい。
狭い路地を挟み、その2つの建物が向かい合わせで建っていた。
たぶんだけどね、ここはその狭い路地の地下だ。
2つの建物のちょうど中間部分の地下だと思う。すっごい暗い。
そんな中でも、暖簾は綺麗だった。
「あ、さすが入浴施設。お風呂そのものは綺麗なのだろう。」
ちょっと期待して脱衣所を覗く。
なかなかにホラーな脱衣所であった。
温泉成分の腐食のためか、壁の鏡は周囲が真っ黒になっている。
じゃあ中央部分はちゃんと映るのかと言うと、これまたくすんでいて何1つ見えやしない。
まぁいいですけど。
きっと犬の糞を踏んだときみたいな顔をしているであろう、自分自身を見なくて済んだ。
脱衣所のロッカーは、鍵なんてない。
なんだったら扉も立て付けが悪くなっていて、半数ほどはしっかり閉まらない。
もういいや、風呂入る。
「あ、ステキかも」
ちょっとキュンとした。
浴場には窓があり、天然の光を久々に拝んだ気持ちになった。
平屋の地下に潜ってきたはずだが、実は裏側は川に面した崖だったのだ。
だから、地下なのだが川側には窓がある。
配管からは、ごぼごぼとお湯が出てくる。
かけ流しなのだな。
隣にはコップが置いてあり、飲泉もできるようだ。
浸かってみると、ややぬるめ。そして硫黄のやや癖のある匂いがする。
しかし柔らかいお湯。体の芯から温まる。
2回目のときには、常連と思われるおじいさんといろいろ話した。
「つい先日は、TVのクルーが来ていてね。俺の入浴風景を撮影していったよー。」みたいなことを話していた。
廃墟系温泉として有名なここは、度々TVやWebニュースなどで取り上げられるよな。
確かに特異な建物ではあるが、お湯は本物だ。
だからこそ、こんな状態でも人々に愛されているのだろう。
ふと天井を見ると、ベロベロに垂れ下がっていた。
これが落ちてきたら死ぬな、僕。全裸で死ぬな。
まぁいっか、気持ちいいし…。
そう思えるようなお湯であった。
追加で少しだけ語ろう。
浴場のさらにその先は、漆黒の廊下が続いている。
ここからは、もうマジ真っ暗でほとんど何も見えない。
しかしスリッパを履いた足の裏で感じる床は、フニフニに柔らかい。
湿気を吸って朽ちて来ているのだ。
数々の廃墟で見てきたが、朽ちた床は梁を残してグンニャリと陥没する。
歩く際にはこれに足を取られて床下に堕ちないようにしなければならない。
暗闇の中で、そんな陥没スポットを見つけた。
この先は、かつての客室だったのだろうか?
もう放置されて荒れ果ててしまっているのかもしれない。
この老松温泉は硫黄などの酸性成分が非常に強く、あらゆるものを酸化させてしまうのだそうだ。
だから電化製品はすぐに壊れるし、建物も朽ちるのが早い。
しかもこのような半地下である上、常に温泉を通している以上、湿気の被害も甚大だ。
僕らには見えない、管理する側の多大な苦労もきっとあるのだろう。
ここ数年、オーナーさんは「もう辞めたい」・「しんどい」と繰り返していた。
Web上では廃業のウワサが出回ることもあった。
それでもなんだかんだで営業を続けていた喜楽旅館のだが、2019年12月16日についに歴史に幕を下ろすことになったのだ。
Webニュースでそれを知った僕は、言い知れない切なさを感じた。
伝説が、終わったのだ。
しかし、お疲れ様、おじさん。
そしてありがとう。
1年遅れたけど、心からお礼を言いたい。
喜楽旅館のことは、きっと一生忘れない。
極上のエンターテインメントであり、極上のお湯であった。
僕の人生は、喜楽旅館を知ることで、また少し潤ったのだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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