…また3.11がやってくる…。
11年目の、あの3.11が…。

2011年、東日本大震災直後のことだった。
旅友の「ニコル君」が、「自分自身で被災地に物資を届けに行く!マイカーで宮城県の南三陸町に行く!」と言い出した。
ビビリの僕は、辞めておけと言った。
まだ東日本大震災直後で道路網もガタガタだ。無事に辿り着けない可能性もある。
ボランティアセンターもまだ機能しておらず、そんな状態での個人による物資差し入れは被災地の混乱を招くこともある。
今はまだ、自衛隊だとかプロのフェーズなのだ。
僕は結構大規模な災害ボランティアの経験があり、災害直後のドタバタを見てきたこともあるので、そうアドバイスをした。
しかし南三陸町に強い思い入れがあり、そして独自のツテもあったらしいニコル君は、この単独ミッションを成功させた。
正直すげーと思った。ちょっとマネできぬ。
僕が被災地、福島県の浜通りを訪れるのは、もう少しだけ後の話である。
さて、これまでに僕は福島県の南相馬市でボランティアをしたエピソードをいくつか書いた。
では今回は、宮城県南三陸町にてボランティアをした話をしてみたい。
暴風雨の南三陸
少し被災地が落ち着き、復興への道を歩み出した頃であった。
ニコル君から「一緒に南三陸町にボランティアに行きましょう」と誘われた。
今回は僕もOKした。
待ち合わせは現地の南三陸町。
1日限りのボランティアだが、精一杯のことをやろう!
そして迎えた当日朝…。

ザブザブの雨である。むしろ暴風雨である。
今日は梅雨の初日。そりゃ天気も大荒れですわ。
しっかしね、わざわざこんな日に梅雨入りしなくたっていいのにね。
どうやら宮城県はここ1ヶ月半ほどは穏やかに晴れる日がほとんどで、こんなにまとまった雨が降るのは非常に久々なようだ。
なんてこった。
これ、悪天すぎてボランティアセンターが運営できないとかオチないよね…??

津波を被ってボロボロになったままの建物があったり。
嵩上げといって、津波にさらわれて何も無くなった土地に土を積んで標高をあげて、今後津波が来たときに耐えられるような海岸にしていたりと。

南三陸町は、震災時に62%の家屋が損壊してしまったんだって。
町の中心部に限って言えば75%もの家屋損壊だったそうだ。
復旧にはまだまだ長い年月がかかるのだろうな。

…着いた。
場所を地図で確認しつつ、到着した。時刻は8:20。
今回の目的地である「南三陸町ボランティアセンター」だ。
広い駐車場にはほとんど車は停まっていない。
そしてすんごい暴風雨。
大丈夫か、これ?人、来ているのか??
とりあえずニコル君に到着の連絡をする。まだ2・30分時間がかかるそうだ。

周囲の状況を調査。
どうやらここ、「南三陸ベイサイドアリーナ」っていう大きな施設の駐車場のようだ。
その一角に、ボランティアセンターの小さいプレハブ小屋がある。
車内から観察していると、小屋には関係者っぽい人が出入りを始めたし、ボランティアと思わしき人もパラパラ来だした。
よかった、活動自体は今日も行われるのだろう。

ちょっとトイレに行きたかったので外に出ると、傘をさしていてもあまりに激しい雨で一瞬で全部ズブ濡れになったよ。
泣いていいかな、これ。
しかもベイサイドアリーナにトイレくらいあるだろうと思ったんだけど、朝早いためか入れず。
泣いていいかな、これ。
でも、駐車場に仮設トイレがあったので、それを使用させてもらった。
そしてとにかく寒い。
季節はもう夏なのに、長袖シャツの上にさらに1枚上着が欲しい気分だ。東北をナメていた。

あと、ベイサイドアリーナ前には「清水浜」の鉄道駅を示す標識が立っていたよ。
これはなんで?
清水浜の駅は地図で見るともう少し東だったようなのだが…。
気仙沼線の駅のようだが、津波で被害を受けてしまったのでホームの行先板だけここに持ってきたとかなのだろうか?
僕はそう推測したが、後日調べてみると実際にその通りだった。

「寒い、寂しい」と呟きながら車内で待機していると、旅友ニコル君が車までやって来た。
徹夜で車を走らせてやって来たらしく、ちょっとグロッキーであった。
このときのニコル君とはわずか1週間ぶりだ。
先週は静岡県の伊豆で一緒に酒を飲んでいた。
旅人ってのは、どこでどう会うかわからないものだな。
では、今回は共にボランティアを頑張ろう。
漁師小屋で昆布を結べ
ボランティアセンターで今日の活動を割り振られた。
僕らは、他の6名のメンバーと計8人で、海の近くにある漁師さんのところで支援活動をすることになった。
あ、ちなみにだがヘドロを撤去したり生活物資を配ったりするだけがボランティアではないぞ。
今回のコンセプトは「人手が足りない人のお仕事のお手伝いをする」みたいな感じだ。
社会科見学みたいかもしれないが、僕もそう思った。
なんにしても、貴重な体験だ。

ゼッケンを手渡され、9:00過ぎにグループごとに車で作業場所に出発する。
僕はここの駐車場に愛車のHUMMER_H3を置いておき、ニコル君の車で現地へと向かった。

そんで着いた。今回の職場だ。
ここからの写真は漁師さんの許可を取って撮らせてもらった。
漁師さん、以後は「長(ちょう)さん」とお呼びしよう。
あと、僕が撮影した以外にも、ニコル君からもらった写真も一緒に掲載させていただく。
職場はテントだ。
この暴風雨でグワングワン揺れているけど、大丈夫かなこれ?

まずは長さんから作業の手ほどきを受ける。
僕らの仕事は昆布結び。
昆布って、ベロベローっと長いでしょ。
それをいい感じのサイズにカッターで切って、結んで、袋詰めできるような状態にする。
長さんが軽く実演してくれ、「昨日もやってくれたメンバーも今日来ているから、後は彼に聞いてね。はい開始。」と、すぐに実作業。
あわわ、でもやってみる。

木製のテーブルに4人ずつ2グループになって座る。
僕らはここまでの車が一緒だった女性2人と一緒のグループ。
昆布を切って結んで…を繰り返す。
まぁそれなりにすぐに慣れる。

長さんは「黙々とやっていてもつまらんから、オシャベリして楽しくやろう」みたいに言い、自らドッカリ腰を下ろしてひたすらおしゃべりをしている。
広告出すなら『アットホームな職場です』とリアルに書けそうだ。

長さんは、最近どんなボランティアさんが来たかとか、近所の様子だとか、旅行に行った話だとか、延々と話し続ける。
ちょっと天然が入ったユニークなキャラなので、僕らもツッコミを入れたりゲラゲラ笑って盛り上がる。
被災地だから、ボランティアだから感情を殺して淡々と作業をすべき…とかではない。
被災地はいつまでも被災地なわけでもないし、みんな人間だ。
その場の雰囲気に合わせることが大切だ。

昆布をずっと触っていると、その成分のためか手が真っ白の粉で覆われるようになる。
昆布の持つぬめり成分?塩分?
前者だったらスベスベになったりするのだろうか?

10:10過ぎ、漁師さんが「休憩にしよう!」と声を掛けてくる。
うお、休憩早いな。まだ作業開始から40分ほどなのに。
休憩とオヤツの多い職場です
ようやく作業も慣れて没頭モードになってきたところで、早くも長さんの号令で小休憩時間となった。
座っているだけなので全然疲れていないが、上司の命令には逆らえないよね。休憩しなきゃ。

「みんなでオヤツにしようね~」と、長さんが巨大な発泡スチロールをドンと置いた。
中にはメッチャ貝がつまっていた。
見たことないスケール、見たことないタイプのオヤツだ。

すっごい。
8人ではどう見ても食べきれないようなボリューム。
ただ海水で茹でただけらしいが、絶品なんだって。
そりゃそうだろうよ!素人だが見りゃわかるぜ!どいつもこいつもプリップリのワガママボディじゃねーか!!

みんなで興奮し、歓声をあげてさっそく食べる。
うまいし。海のエキスが凝縮されているし。
長さんは、これらはムール貝と皿貝であると解説してくれた。
皿貝ってこんなのだっけ?ホタテの小さいヤツみたいだけど?
まぁ美味しければ何でもいいんだけどな。

東北の海の恵みを食らう。最高だ。
長さんは「午後には大きなホタテを出してあげるからなー!」と満足げ。
あれ?僕らボランティアですよね?
なんかもてなしを受けちゃってますけど、立場逆転してない??

20分ほど貝パーティーをした後、昼までまた昆布を結び続ける作業だ。
パーティーで心もお腹も幸せ気分。
おまけにメンバー間も打ち解けてきて、マジに楽しい職場になって来たぜ。

長さんも相変わらず饒舌。
何を話していたかはもう覚えていないけど、覚えなくても良さげな話をずーっと話してくれていた。
結び昆布が1箱できたら、塩を振ってとりあえず完成。
あとで茹でて、パッキングして出荷するんだって。
…貝パーティーから1時間ちょいが経過した。
お昼休みだ。
まだ11:30を少し回ったところなのに。早ェ。
お昼ご飯はそれぞれ持参形式。
外は相変わらずのザーザー降りなので、僕らはテント内の作業スペースでご飯を食べた。

1時間休憩し、12:30過ぎから午後の作業を開始。
作業内容は午前中と同じもの。
淡々と実施する。
もうかなり達人の域になったと自負している。
昆布のかたちも綺麗だ。どこかの家の食卓で喜んでもらえればうれしい。
自分の仕事がかたちとなり、ダイレクトに誰かに届くという経験は初めてだ。
なんかやりがいを感じる。
…と思ったらまたオヤツタイムだ。
時刻にして13:40、午後の作業開始から1時間でもう休憩なのだ。
まだ疲れていないんだけどなー、でも上司の指示出しなー、参ったなー。ほんと参った。

ドシャーっとホタテが出てきた。デカい。
長さんは、これを2つずつ食えという。

いやー、まいりましたねー。確かにホタテ大好きですけどねー。
こんなにいただいていいものか。
でもこれも上司の指示だしねー、食べるよ。義務。

はい、うまい。
うまいに決まっているだろ、当たり前のこと言うな…って自問自答した。
ブリブリの弾力、母なる海の香り、ほのかな甘み。100点。
スーパーで買ったら一体いくらになるのだろうかね?
正直、お昼ご飯なくても大丈夫だったくらいにいろいろ振る舞われていない??

その後も長さんは、作業の合間にさんはいろんな話をしてくれた。
いや、逆かな。
いろんな話の合間に作業をしていたかな。
あと、ご自身で作っているというワカメのパックをみんなにお土産としてくれたりと、いたれりつくせりだ。

そんなこんなで午後の作業は15:00ちょっと前に終了となった。
お疲れ様。…疲れてないけど。
甦れ、宮城の海よ
作業は終わった。
なんだか終始しゃべっていたし、休憩時間やお昼時間もあったのでアレだったんだけど、結び昆布はそれなりの量ができた。

長さんも「ありがとう!上出来だ!」と納得していたので、良しとしよう。
あとは今回一緒に作業をした8人&長さんで、代わる代わる記念撮影をしたり。
和気あいあいの雰囲気だ。
なんだこれ最高だ。
いい体験できたし、長さんも仲間も海の幸も最高だ。

長さんは奥に行って何からゴソゴソすると、自分の船の大漁船を広げて見せてくれ、海に対する思いを聞かせてくれた。
海のせいで、東日本大震災のときには大変な目に合った。
だけども、海からの恵みはとても大きい。
海から離れて暮らすことはできないのだ。

感謝と畏怖。
人類が自然に対して感じるものって、原始時代からこういう相反するものだったのかもしれない。
そのギリギリのところで、人類は生きてきた。
長さんの家は、もともと息子さん一家の家と共に作業テントのある敷地内にあったそうだ。
だけども東日本大震災の津波に飲まれ、特に息子さん一家の家は基礎すら残らず消滅したという。
家のあった場所だとかを説明してくれたけど、全くその面影はなかった。
どのようにリアクションしたらいいのかとても困るけど、こうして困るということも1つの経験なのかもしれない。
海に生きる人たちだって、こういうジレンマの中でずーっと闘っているのだろうと感じた。
あ、ちなみに大漁旗は船名がわからぬよう一部解像度を落とした。
長さんは「そんなことしなくていいよ」って言うかもしれないけど、念のためだ。

長さんは、最後に大量に手造りしているというストラップを僕らにくれた。
土嚢の袋を再利用したのだそうだ。
箱の中に何種類もたっぷりとあり、好きなデザインを選ばせてくれた。
「We♡南三陸」のデザインを選んだ。
袋を押すと「ぷぅ」とマヌケな音がした。

外はまだ雨は降り続けている。
長さんは外を見て、「今年の東北は秋がなく、すぐ冬になるだろう。9月に入ったら寒くなって雨が降って、そのまま冬さ。」とか不穏なことを言っていた。
マジかよ、僕は今年も東北を走り回りたいのに。
夏をエンジョイしたい。東北と共に盛り上がりたい。
南三陸も、今度は遊びに来たい。
ちゃんとお金を払って最高の海の幸を堪能したい。
だからその日まで、長さんお元気で。

ニコル君と共に、ボラセンまで戻って来た。
作業終了手続きだ。
スタッフの方には「あそこの漁師さん、変わり者だったでしょう?結構ウワサなんだよ。」みたいなことを言われた。
なるほど納得、そしてだからこそ楽しかった。
さて、どうするか。まだ15:30だ。
ニコル君は、自分の思い入れのある被災地を見たり、「さんさん商店街」という震災からの復興のための仮設商店街を見たりしようと提案してくれた。
一緒のグループで作業した4人で、ちょっと出かけるか!

こうして僕らは降りしきる雨の中を短いドライブに出かけるのだが、そのお話はまた機会がございましたら。
-*-*-*-*-*-*-*-
あれから、それなりの年月が流れた。
僕は何度南三陸を訪れただろうか。
すごい回数訪問した。
被災地の復興状況も見たし、海の幸も食べまくった。
長さんとの再会はしていないが、あの特徴あるテント小屋は後年発見し、「僕があそこであの日ね…」と家族にも紹介した。

「We♡南三陸」。
久々に長さんのストラップを手に取った。
袋を押すと「ぷぅ」とマヌケな音が響いた。
あれから11年。
復興は進んではいるけど、まだまだ土地も人も傷が癒えていないこと、僕は知っている。
しかし僕は知っている。
結び昆布は「縁を結ぶ」という縁起物であることを。
せめて、みんなが元気でいることを遠くの地から祈る。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。