「日本まん真ん中センター」。
「キング of 税金無駄使い」で真っ先にイメージされる建造物かもしれない。
その名称から想像がつく通り、日本の真ん中をアピールする施設。
岐阜県山間部ののどかな町に、22億円をかけて造られた巨大な町おこしプロジェクトの産物だ。
しかしわずか3年で「いや、オマエ日本の真ん中じゃないし」となり、従ってその価値も無くなり、訪れる観光客はほぼゼロに…。
…話変わるが、ここであなたに紹介したい男が1人いる。
その男、価値が無くなって以降のその施設に3回訪問している。
直近では2023年に入ってからも行っている。
この偉業を聞きたいだろう、そうだろう。
日本まん真ん中センターが歩んだ悲劇の物語と共に、それを語ろう。
かつての日本の人口重心地
さてさて、まずは今回僕が訪問する日本まん真ん中センターが何なのかをご説明せねばなるまい。
この施設をひとことで言うならば、かつて(1995年)の日本の人口重心地だ。
…どういうことだろうか?
それはこんな感じのイメージだ。
「日本人全員の体重がピタッと吊りあいの取れる点」ってことだ。
ちなみに日本の国土の重さは関係ない。人間の体重だけで吊り合わせる。
もちろん、1人1人の体重なんてデータベース化できないから、日本人が全員同じ体重だと仮定しての計算となる。
そして、「日本人全員、静止しろ」とか言えないから、住民票のある地にいると仮定しての計算だ。
その計算式が以下だ。
あー、はいはいなるほどねー、これがそれで、ああなって…。
…1ミクロンもわからない。
まぁとにかくだ。
5年に一度行われる国勢調査、1995年に実施したらだ、岐阜県郡上市美並町白山が人口の重心地だとわかったのだ。
当時はここは美並村っていう小さな村だったんだけどさ、いきなり「ここが日本の人口重心地です」みたいに言われて、村人は喜んじゃったよね。
22億円をかけて、とんでもない施設を作った。
その名も日本まん真ん中センター。
「ここが日本の真ん中である」とアピールしているネーミングだ。
1997年にOPEN。
さぁさぁ日本中の観光客よ、ドッチャドチャにここに集まれ!
日本の中心に集まれ!!
そんなテンションで造り上げてしまった施設ではあるが…!
国勢調査は5年に一度行われるぞ。
つまり人口重心地も徐々にズレるってことだぞ。
悲しいことに、5年後、つまりまん真ん中センターOPENから3年後の2000年の国勢調査で、人口重心地はとなりの旧武儀町(現在の関市)に移ってしまったのだ。
じゃあこれは何?
そうです、人口重心地でもなんでもない村にただポツンと残された、名前だけ「まん真ん中」の虚しい巨大施設です。
莫大な建築費と、莫大な維持費だけがかかるハード面でもソフト面でもカラッポの箱です。
観光客?ぜーんぜん来ません。
…ってそれは悲しすぎる!!
このままでは終わらせたくない!終わらせない!
僕は日本の中心を巡る
ほら、客がやって来た!
フガフガと心もとないエンジン音を山間の村に轟かせなからやってきたのは、日産パオ。僕の愛車だ。
そしてダダッ広い日本まん真ん中センターの駐車場に滑り込む。
いや、ホント広いなこの駐車場。
東京ドーム何個分だよっていう広大なスペースに、車ゼロ!3連休なのにゼロ!!
なぜ僕がここに来たのかというと、ここが日本の中心の1つだからだ。
人口重心地だって日本の中心。
だって自分で「まん真ん中」って名乗っているしな。
そして過去の日本の中心ではあるけれども、僕は時間軸とかはあまり気にせずに一様に日本の中心を愛す。
だからここを訪問したのだ。今まで3回も。
あ、僕は今しがた「日本の中心の1つ」と書いた。
そうなのだ、もうあなたも薄々勘づいている通り、日本の中心は複数ある。
ぶっちゃけその数、30ほどもあるのだ。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたいが、人口重心地しかり、日本の中心にはいろんな定義があるのだ。
定義の数だけ、日本の中心があるのだ。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。
人口重心地だって、先ほどのご説明の通りズレて行っている。
つまり日本まん真ん中センターは人口重心地(1995)だが、「人口重心地(2000)」も「人口重心地(2005)」もあるのだ。
ちなみに僕はそれらもちゃんと訪問して踏んでいる。
まずは2000年版が以下だ。
すごく辺鄙な山中にあって大変だった。
そして2005年版が以下だ。
ローカルな集落の山間部で、これまた大変だった。
人口重心地の碑はどんどん簡素化していき、2005年版を最後にあんまり耳にしなくなった。
もちろんその後も国勢調査をもとに割り出しているが、人口重心地は私有地になっちゃったりして、盛り上げ困難だったりするのだ。
それにどうせ5年ごとに移動するし。
だから僕も2005年版を最後に、追いかけるのを辞めている。
ちょっとこれ、キリがないしさ…。
では改めて、レジェンド級ともいえる1995年版の日本まん真ん中センターの話に舞い戻ろう!
それは巨大な日時計だった
車を走らせていて出てくる案内板に、僕は少しだけうんざりした。
日本真ん中苑・日本まん真ん中の駅・日本まん真ん中温泉・まん真ん中の里・まん真ん中広場…。
既にゲシュタルト崩壊している。
何回まんまん言ってるんだ、オマエは…。
そしてまんまん言えば言うほど、その後の傷が深くなることを、まだ当時のこの地は知らなかったのだ。
歯がゆい。未来人の僕から見たら、それが無性に歯がゆい。
まん真ん中センターは、まん真ん中の里の中にあるそうだ。
そこに向かって小高い丘へとハンドルを切る。
…すると行く手にまん真ん中広場が見えてくる。
はいはい、わかったわかった。
一周回って、僕はもう無表情なのである。
敷地内に車を乗り入れると、頭上にヤジロベエのようなオブジェが見えた。
日本の人口がここで吊り合うからヤジロベエなのだろう。
今は吊り合ってないけどな。バランス崩して倒れるだろうけどな。
そして、改めて駐車場なのである。
すさまじく誰もいない。本当に開館しているのかと不安になった気持ちもわかっていただけるかと思う。
僕の愛車の背後の建物が、日本まん真ん中センターだ。
すごく不思議なフォルムの建物。きっと設計費・建造費共に普通の建物の比ではなかったのだろう。
実はこれ、日時計なのである。
世界最大級の日時計。
ほら、中央にピンが立っているようになっているでしょ。
あのピンの影が日時計の針になるの。
その時計のサイズ、37.3m(みなみ)。うわ、ダジャレ…。
しかしこの日時計、致命的な欠点が2つある。
1つ目は文字盤(つまり建物)が高すぎて、ピンの影が地面まで投影されないこと。
影を見て時間を判断するのが日時計なのに、その影が(ほぼ)できないのだ。致命的。
2つ目は、建物自体が文字盤だけど、その文字盤を見ることができなこと。
屋上に出れるのなら見られるかもしれないし、ドローン飛ばしたら見られるだろうけど、普通の方法じゃちょっと無理。
ま、そんな僕らが簡単にできる方法といえば…。
誰も見えないところに文字盤の数字が中途半端に「9・10・11・12・1」だけある!
あとは意外なことに建物の北部の地面に「9・10・11・12・1・2・3」がある。
これ、現地では気付かなかったわ…。
これは敷地の片隅にあった、普通サイズの日時計。
…ところでなんでここ、そんなにも日時計をアピールしているのだろうね。
これはナゾ。
あと、駐車場の向こうには不動明王みたいなヤツもいる。かなりデカいぞ。
しかし造形がかなり独特だぞ。
こういう彫刻は細部まで作り込むのが難しいので、全体的にパーツが胴体にギュッと固まって人形焼きみたいになっている。
アレかな?
江戸時代の修験僧「円空さん」の作品がモチーフかな?
ここいらから円空の木彫り像が多く見つかっていると聞くし。
足元の台座を見たら、「夢と希望」と書かれていた。
それがこの彫刻の名前?夢とは?希望とは??
この不動明王にも、まん真ん中センターにも当てはまらないなって思った。
建物の程近くにはポストがあり、その上にはなんだかコミカルな博士みたいなキャラクターが座っている。
これ、当初は「日本の真ん中のポストです」みたいなアピールをしていたんだろうなぁ、間違いない。
ボロボロのポストに、色あせた博士が哀愁を誘う。
それではいよいよまん真ん中センター内に入館しよう。
まん真ん中センターの真髄を見よ
中はとっても静かで、そして誰もいなかった。
いや、正確には受付のある事務室みたいのがあり、1人スタッフさんがいた。
しかし入館無料なこともあってか、こちらを気にするそぶりも無かった。
お互い干渉しないほうが穏便…ってことだと思う。
「どうせチラッと見て2・3分で出て行くだろう」くらいに思われているだろうし、実際ほとんどの観光客がそうであろう。
センター内の一部には「円空研究センター」というのがあり、ここだけ入場100円だそうだ。
しかしここの受付には誰もいないし、奥の方が電気が消えている。
さっきの事務所内の人に声を掛ければ入れてくれるかもしれないけど、そこまでの情熱は僕には無かった。
500人収容できるというホールもあるらしい。
しかしそんな人数が集まる用途があるのだろうか…。
あとは会議室もあるそうだ。
それはそうと、もったいぶっていないでメインのエリアをお見せしよう。
これがメインフロアだ。
「いや、何もねーじゃん。駐車場と一緒じゃん。」とか言わないでいただきたい。
似て非なる空間なんだから。
まずは写真中央を見ていただきたい。
天空からピンのようなものが床に刺さっている。これ、見覚えあるだろう?
そうなのだ。
あの巨大な日時計の柱が建物の上空から伸びて、天井越しに建物内まで刺さっているのだ。
驚異の日時計!!
おや、その柱に何か文字が書かれているな。
日本のまん真ん中 美並!!
もうとにかく隙あらば真ん中であることをアピールする。
それだけがアイデンティティ。
柱の後ろ、見づらいけどポストの上にもいた博士キャラが座っている。
この姿を見て思ったんだけど、ヤジロベエをモチーフにしたキャラなのかもね。
ポストの上では普通に膝をかかえて座っていたから全然わからないよね。どこにも説明が無かったし。
さて、これだけだったら「すごい日時計ですね」で終わりだが、着目していただきたいのはこの日時計の柱の一番下、つまり先端部分だ。
日本列島にブッ刺さっている!!
どこ?日本のどこにブッ刺さっちゃっているの!??
もちろん指し示している先は美並です。日本まん真ん中センターです。
あと、正確にはブッ刺さっているわけではない。よく見てほしい。
はい、ミリ単位で寸止めだ。
大事なこの村、傷付けたくないもんな。
この寸止め技術は、日本で1人しか施工できない職人にオーダーし3億かかりました。
ウソです。
でもすごいこだわりを感じた。
あとね、実は3つ前の日本地図を見下ろすような構図の写真、ずいぶん前に2階のテラススペースから撮影したのだ。
2023年もそこから撮影しようとしたのだが、断念した。
なぜなら2階へと上る階段が真っ暗で怖かったからだ。
2階は図書館であり、休館することもあるそうだけど、この日は休館日じゃなかったのにな…。
事務室の人に聞けばきっとすんなりOKいただけたのかもしれないが、僕はビビリちらかして撤退した。
昔の写真だが、2階も真ん中アピールに余念がなかったぞ。
「もうやめて!とっくにまん真ん中センターのライフはゼロよ!」
ちなみに上の写真に写っているモニターのようなものは起動しなかった。
あと、数年後には写真内の日本地図は半分くらい剥がれ落ちたらしい。無残…。
1階に話を戻そう。
床の巨大日本地図を取り囲むように展示があるので、それを見ていきたい。
展示の内容の8割は日時計についてだ。
…あれ?ここって日時計センターでしたっけ?
僕らは日時計の勉強をしにここに来たんでしたっけ?
なんだかキツネにつままれたような気持になるが、とりあえず事実としてここは日時計博物館である。
真ん中センター?なにそれ。
例のヤジロベエ博士も、もう日時計の話しかしない。
…こう書くと日時計の情報や展示がさぞかし充実しているように思われるが、実は空間はスカスカで閑散としている。
ネタ切れをどうにか埋めようと必死になっている感じがうかがえる。
あとは、唐突に1階フロア内に巨大な天体望遠鏡が出てきた。
なにこれ。ワクワクするじゃん。
その手前には何やら説明書きとボタンがある。
北極星の説明が書いてある。
普通に考えると、天体望遠鏡は北極星の方向を向いているのだろう。
手元のボタンには「押して下さい」と書かれている。
おや、昼間だけどもこのボタンを押せば北極星がちゃんと見えるとか、そういうハイテクギミックなのかな?
ちょっとドキドキしながらボタンを押し、望遠鏡をのぞいてみた。
…何も見えなかった。真っ暗。
つーか、望遠鏡のすぐ先に障害物あるじゃねーか、このやろう。
見せる気あるのか。
大人はウソつきだな、まったくもう…。
裏口付近には、「日本まん真ん中センター 薬草木園ボランティア」と書かれた大きな掲示板があり、おそらくこの周辺の草木の写真や標本が飾られていた。
ご案内パンプも傍らに置かれていた。
あ、これは好き。
内容が好きかは置いておいて、こういう地域の方を交えた活動がちゃんと生きているのが好き。ほのぼのする。
明日は我が身なのかもしれない
ここまで日本まん真ん中センターのことをマイルドにディスってしまった。
美並の方がこれを読んだらちょっと悲しい気持ちになってしまいそうで、その点は本当に申し訳ない。
しかし残念な位置付けの建物であることは事実だし、僕も正直ガッカリな気持ちになったのも事実だったのだ。
今もこの施設には、維持のために年間3000万円が使われていると聞いた。
本当なのであれば、財政は大ピンチであろう。
だけども、このまま放置するわけにもいかないし、取り壊すのも巨額だし、にっちもさっちもいかないのかもしれない。
少し考えれば、5年に一度の国勢調査ごとに人口重心地は変わるのだから、一過性の注目を踏まえた上での施策が妥当だったのかもしれない。
まん真ん中センターが「今」しか見ずに突っ走ってしまったのは否めないが、他人事のように「アホだなー」と笑えるのだろうか?
どんなコンテンツも栄枯盛衰があり、箱モノは経年劣化し扱いが難しくなる。
例えば以前書いた兵庫県の「世界平和大観音像」も、似たケースかもしれない。
バブル期に流行った巨大仏像系は、劣化が進んで今後の10年後、数10年後の扱いに対する不安の声が聞こえ始めてきた。
「鬼怒川温泉」・「清里駅前」のように爆発的に栄えたが、今は廃墟群となってしまっている場所もある。
いつかやってくる衰退までの過程を、ギュッと圧縮して見せてくれているのが日本まん真ん中センターなのかもしれない。
敷地からは、もうすぐ目の前に東海北陸自動車道の美並ICが見えている。
こんなにもいい立地なのに。
難しいよね、観光業の未来を考えるっていうのは。
ジャンジャン壊して、常に時代のニーズに合う新しい物を作って行ければいいけど、地方都市はそうもいかないしね。
…だからこそ、ここが愛おしい。
僕はここがまぎれもない、日本の中心の1つだと思っている。
人口重心地が動かず、ここが人気を保持する世界線も見てみたかったけどな。
出発時に再びポストを見る。
博士、寂しさをまぎらわすように無理矢理笑顔を作っているように見えた。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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