呉の町の、奥の奥。
狭く急な坂を乗り越えて、半分山の中みたいなところまで行くと、すごくワンダフルな仏像たちが出迎えてくれる。
素人ならではの、どこかこじらせた造形の仏像だと僕は感じた。すっげ。
ただただネタ的な意味でそこに興味を持ったのが最初だ。
こういうのが好きなのだ。
それを拝むためなら、心臓破りの坂だって越えて見せようぞ。
行くぞ、呉の町!!
1stチャレンジ(7年前)
坂の町で泣きそうになる
呉の町の山間部には、珍妙な仏像が立つお寺があると、そう聞いていた。
そのお寺の名前は「源宗坊寺(げんそうぼうじ)」というらしい。
「おうおう、その仏像、僕に見せろや」と息巻いて突撃したのが、7年半前の若かりし僕だ。
…そして坂の途中でヘロッヘロになって心折れていた。
さっきまで呉の町の中心地で1人遊んでいた僕は、車に乗り込んで源宗坊寺の近くまで来ようと画策していた。
だけども道路が極端に狭くなりそうな気配だったので、途中のコインパーキングに愛車を停めて歩くことにした。
だが僕は2つも重大なミスをしていた。
- この坂の町、呉の深部にコインパーキングなんぞない。予定していた駐車したいエリアを1.5kmほども通過してからコインパーキングをようやく見つけた。
- さらにそこから1kmくらい歩いてから、「実は僕がスマホ操作を誤り、寺はさらに2㎞先だった」ことが発覚。
これ泣きたい。
天が代わりに泣いてくれた。雨降ってきた。最悪だ。カサは車の中だ。
年末の寒々しい曇天。しかも雨。僕は迷子。何1つ救いようがない。
結論から言うと、このとき僕が歩いた時間は車からの往復で2時間。
距離にして8kmほどとなる。
こんなだったら先ほどまで遊んでいた呉駅近辺から歩いたほうがよっぽど効果的だった。死にたい。
さて、上の写真は「萬年寺」である。
えげつない坂が続いている。
Webを見たところ、このハデな多宝塔と仁王門が源宗坊寺へのランドマークになっているようだ。
ここは源宗坊寺を目指す誰もが歩く場所。
ようやくレールに乗った感がある。
もっとも、駐車場からここまで既に40分も歩いてるけどね…。
萬年寺を過ぎると、もう車も入れないような狭い道とか歩いたり。
観光客の自分がこんなところにいるのは場違いな気がして来たぜ。
でも、雨も止んだ。よかった。
家が少なくなり、本格的に山道っぽくなったところで、道の脇にコンクリートの像を発見!
うおぉ、ここいらからが源宗坊寺のテリトリーだよね!?
ついに辿り着いた!!
ここまで、車を停めてから徒歩で50分!!
天竺に辿り着いたかのような達成感!!
境内で泣きそうになる
ついに僕は、源宗坊寺のエントランス的な場所に立つことができた。
まだ境内は先だが、源宗坊寺ワールドはもうここから始まっているようだ。
たぶん昔はペンキで色が付けられていたであろう、コンクリートの像。
かなりハゲてコンクリ感が剥き出しだ。
2体いるし、仁王像?
そしてこの造形。
作者さんはきっと本気なのだろうが、どうしても愛嬌を感じてしまう顔立ちだ。
あと、左手が妙にかわいい。
そこいら辺、「関ヶ原ウォーランド」や・「熱海城」・「桃太郎神社」の像などの作者の「浅野祥雲」と共通しているよな。
B級スポット好きには浅野さんのファンも多いもんな。
そしてさらに坂道を登って行くと、源宗坊寺の境内に入るためのゲートが出てくる。
てゆーか、登山口みたいな境内入口だけど?
坂道の車道の脇に、登山路みたいな感じで登場したのだ。
知らなきゃこの先がお寺だとはわからないな。
その階段の傍らには、庭園だか休憩スペースだかよくわからないスペースがある。
緑に囲まれた、手作り感が満載のスペースであった。
確かに僕は疲れ切っている。
あそこに座って休みたい気持ちもあるさ。
だが、この師走のドロドロの雲の下であそこに座ったら、心まで疲れ切ってしまいそうな気がしたさ。
僕は足を止めることなく、進み続けなければならない。
境内のMAPが設置されていた。
記載の通り、数々の像があるのだ。
閻魔大王・風神・聖徳太子・竜王・弘法大師・毘沙門天…、などいろいろ。
共通点は?
相当な夢のコラボ、実現しちゃってますけど??
あと、MAPが大雑把すぎて大仏がどこにいるのか皆目見当がつかない。
まぁいい。進もう。
…で、ダメこれ。
階段を登って行った先、なんとお寺の門が閉められていたのだ。
内側からカギがかかっている。入れん。
今日はもう営業時間終了?いやまだ15時過ぎだけど?
それとも参拝できない日?非営業日?年末近いからもそれどころじゃないと?
うーむ、他に入口はないものか。
階段をまた降りてさっき登っていた坂道の車道に出る。
そして坂道をさらに登っていくと、境内の裏手に続きそうな狭い分岐があったので、そっちに入ってみる。
この裏手にも看板がある。
こっちはイラストも描かれていてポイント高し。
大仏の存在感がスゲー。おかげで地図、何が何だがわからなくなっているぞ。
そいて仁王も風神もどこにいるのかわからない。
地図とは。
さて、この裏手側には門はかった。これはラッキー。
これで僕、境内に入れたのかな?
不安に思いながらも山道のようになった道を歩いていると、普通の人の民家のようなものが見えてくる。
あれ?ここのお寺の人のうち?中からは物音。
「境内を見学したいんですけど、どっちですかー?」って声をかけるのもアリかなって思ったんだけど、年の瀬の夕刻にそれは失礼かもしれないし、そしてそんな中でよそ者がゴソゴソと散策しているのもよろしくないかもしれない。
さっきの入口にMAPの描かれた看板があった以上、ここもれっきとした入口の1つだと確信はしているが、なんとなく気まずくなったので撤退することにした。
あーあ、結局片道55分歩いて見れたのは仁王像だけかぁー。
でもいいや。
これだけを見るための呉まで来たわけじゃないし。
たまたまアドリブで来ただけだし。どうせヒマだったし。
本当は悔しいのだが、そうやって気分を慰めつつ、また車まで歩いて戻ることにした。
ちょっと泣けるぜ、クソ。
いつか覚えていやがれ。
激坂は再び僕に牙を剥く
過去の青二才のYAMAめ、オマエはまったく恥ずかしいヤツだ。
2022年の僕であれば、もっとクールでスタイリッシュな攻略ができるのに。
カーナビの性能も違う。
スマホの操作もバッチリだ。
そして当時の愛車と比べて、今の愛車の日産パオは格段に小さく小回りが利く。
カンペキすぎだ。
僕は再び呉に来た。
あのときの雪辱を果たすため。
楽勝で現地に辿り着き、そして境内の仏像たちを見ることで、過去の自分の失態を乗り越えるのだ。
うん、なにこれ。
「余裕余裕」とヘラヘラしながらハンドルを握っていたYAMAさんも、ここで急に真顔になったよね。
カーナビに従って来たが、ちょっとこれ聞いていなんだけど?
いや、通れなくはないけども、この先もっと狭くなったらアウト。
そして土地柄、Uターンできるようなスペースがこの先にある可能性が低い。
ビビりの僕は苦労して切り返すと、坂の麓に引き返したのだ。
そして適当なところに駐車し、徒歩で戻ってきた。
おいおい、7年経って成長しているのか、僕は?
おいおいおい、狭いし激坂だし。
これ徒歩だからいいが、車だったら泣いていたな。
ヒーヒー言いながら坂を上っていると、軽自動車に乗ってお姉さんがエンジンを「ブオオォォォ!!」と唸らせて登ってきた。
軽自動車って、あんな声で鳴けるんだ、そっか。
うおぉぉぉ!!
眩暈がするような急斜面!!
僕は奈良~大阪の日本一の急勾配と激狭の「暗峠」でちょっと自信をつけたつもりだったが、それよりも嫌かもしれないここ。
徒歩で良かったぜ。
ちなみに暗峠が気になる方は、上記のリンク先を見てほしい。
心臓が「キュッ」ってコンパクトになるから。
アヒャヒャヒャヒャ…。
ここをカーナビが示していたかどうかは、もう車を置いてきちゃったからわからないけどさ。ここ来たらマジ詰んでいたねぇ。
しかし歩くのもツラいよ。
ゼーゼーハーハーいってる。
まだ涼しい時期の朝7時台なのに、荒い呼吸して汗ばんでいる。
…呉。
こんな道が縦横無尽に迷路のように張り巡らされている、坂の町だ。
これ左右に残っているのは轍か?
マジにこんな道を走るのか?奥の方に電柱あるけど??通れるのか、あそこ?
ふと振り返った。
絶景であった。
瀬戸内海に向かって傾斜している坂の町、呉。
斜面には遠くの方までビッシリと家が立ち並ぶ。
中心となる呉の港近辺のみ平坦な地で、そこが軍港として栄える。
なんかそういうイメージが、文字通り俯瞰でわかった。
「これは私道ではないか?」みたいな細い路地も通った。
すぐ脇の民家で庭掃除をしているおばちゃんから怪しい目で見られるのではないかと、ちょっとドキドキしたほどだ。
しかし普通に「おはようございます」と挨拶してくれた。
あ、いい町。嬉しい。
ついでにGoogleマップのストリートビューも1枚つけておく。
呉の町を見下ろすこの壮観な光景を見てほしい。
その次に視点を背後に動かして、この先の道のりの狭さと傾斜に「おえぇ…」とゲロ吐きそうになってほしい。
なんだかよくわからないが、このあたりで7年前と同じルートに出たようだ。
ここは記憶にある。
ここを真っすぐに行けば源宗坊寺だ。
源宗坊寺には駐車場があることは7年前に知っている。
だからこそ愛車と共に来たかったのだが、無理だった。
もしかしたらまだマシな道もあるのかもしれないけど、僕自身がそこを運転したワケではないので、当ブログではご紹介できずに申し訳ない。
うおっ。
久しぶりだな、2体の守護神よ。
僕らの常識の少し斜め上の世界
不思議の国へようこそ
懐かしき仁王像。嬉しくなって駆け寄った。
7年前はほとんど塗装が剥げ落ちてグレーのコンクリートがあらわになっていた仁王像だが、今回は色彩豊かだ。やったね。
でも、これって阿吽像だよね。
普通だとこの2体の間に山門とかがあって参道が続くんだけど、ここの2体の間はミッチミチの竹藪と崖だ。
どういうことだろう。
まぁ考えても答えは出ないから先に進もう。
車道から境内に続く階段へ…。
左側に注目してほしいんだけど、MAPの下に「この先 本堂下まで車の通行駐車が出来ます。車椅子の方にも参拝が出来ます」っていう新たな看板が出来ていた。
確かに頑張ればここまで車で来ることも可能かもしれない。
しかし車椅子の人がこの先に行くのはだいぶシンドいぞ。裏からでもシンドいぞ。
このあと裏側も歩き、そう感じた。
境内っぽくない絵だけども、今僕は境内だ。
まだ登らなければいけないのだ。
Googleマップを改めて見てみたら、坂の相当に攻めた場所まで人家のある呉だけども、その中でもダントツに奥に位置するのがここであった。
呉の町の最奥の建造物?
いぃぃやったーー!!
門扉が開いていた。前回は封印されていたゲートだ。
これがまた閉まっていたらどうしようかと内心ビクビクしていたよ。
なにせまだ朝の8時を回ったばかりだから、閉じている可能性も否めなかったのだ。
だが今回の僕は歓迎されているぞ。
よーし!
すぐに一体の像が出てきた。
大阪のおばちゃんの像かなって思ったら、焔摩天だそうだ。
どういう感情の顔なのかよくわからないが、とても味わい深い。
まずは境内の像を見れて満足だ。
何このゲート?
閉まっているのだが?やっぱ入れないのか?
実は二重ロックでセキュリティ高めだったのか?
横を見たら貼り紙がしてあった。
どうやらイノシシ除けのゲートであり、人間は勝手に開け閉めしていいらしい。
そっか、イノシシは歓迎されないよね。
てゆーか、イノシシ出るのか…。
なんか人家みたいな建物の脇を通る。
…ん?
もしかして、7年前の訪問時に僕はここまで入り込んでいたのかもしれないな。
あのときは「ヤベー!お寺の関係者さんのプライベートスペースに入っちゃったかも!」って慌てて引き返したが、尚早だったのかもしれぬ。
わっ、本堂だ。
左側の小道から出てきて、振り返ったら本堂だった。
つまり参道は本堂の裏から続いているということ?どうなっているんだ、この境内の構造は…?
そして本堂の中ではお坊さんがお経を呼んでいた。
そうだよ、真面目なお寺なんだよ。
僕は失礼ながら真面目であることに一種の意外性を感じてしまった。ごめんなさい。
創造と崩壊の間の境界線
さらに参道の先に進む。
つまりは上の写真の手前側だ。ほぼ完全な山道。
毘沙門天だ。とても色白美人だ。
毘沙門天ってもっと猛々しいイメージがあったけど、この毘沙門天は放課後すぐに家に帰って寝るまで算数の勉強をしていそうな造形だ。
地蔵菩薩だ。顔がかなり怖い。
今夜の夢に登場してくれそうなほどに怖い。
怖い怖いと呟きながら山道をさらに登る。
すごく登る。
昨夜いきつけのバーで飲んでいて、マスターに「明日はどうするの?」って聞かれたの。
僕は「まずは朝一で呉の町を散歩」って答えたの。
マスター、きっと軍港でも見ながら散歩している僕を想像しただろうな。
こんな山奥で汗かいてブキミな像を眺めているとは思っていなかっただろうな。
スゲーの、出てきた!!
ラスボスだ!
インパクトがありがたみを凌駕した。
いつぞや見た看板にもデカデカと描かれていた大仏である。
僕らの知っている大仏とはちょっと違うかもしれないけど、大仏である。
まず、ちょっと顔が怖い。
大仏は穏やか顔をしているものと思い込んでこれまでの人生を歩んできた僕だが、このデカい人にこんな怖い顔をされてちょっとビビった。
さらに右手に武器も持っているしな。
アレは剣だよな。すごくデカいぞ。勝てそうにない。
…いや、ちょっと待て、ちょっと待て。
これがもし手であるのなら…。
「アレ」はいったい何だったんだ。
これ。
手だよね?まさか足じゃないよね?
何で手が4本あるの?千手観音とか阿修羅とかと同系統?
…であったとしても、斬新すぎる生え方だ。
左手はそれっぽい。わかる。
ただし右手はどうした。これは果たして右手なのか。
足の裏のようにも見える。
少なくとも右手の手のひらだとするならば、親指が変すぎる。
いや、指のバランスが5本全部メチャクチャだ。頭が混乱してきた…。
ちょっと見づらいが、横からの大仏だ。
薄っぺらい。わりとおせんべいみたいな造りだった。
さて、先へと進もう。
またイノシシゲートがあった。
細い鉄柵を細いロープで縛っているだけであり、イノシシが体当たりしたらバラバラになりそうなほどチープだと感じた。
…と思ったら、右から開けばいいのか左から開けばいいのか、そして開閉部分の接合になんだかクセがあり、僕はここでもたもたした。
危なくイノシシ並の脳味噌と判定されるところだった。
さらに道は狭く険しくなる。
…えっと、ところで僕はどこを目指しているんだっけか?
そうなんだ、そこが問題なのだ。
このMAPが雑過ぎて、大仏がデカすぎて、現在地がよくわからないのだ。
できれば龍王とやらを見てみたいが、この道で合ってっているのか。
違うとしたら、そんな道が他にあっただろうか?
…あ、行き止まりだ。
もう道が崩壊していて足の踏み場が無い。
ここまでとしよう。
目の前には「◎宮」と書かれている。
一文字目がアクロバティックすぎて全然読めない。
その後ろの崖の上の方には、像が一体あった。
まぁいいや。もうヘトヘトだ。
…と、現地の僕はここまで見て引き返した。
後日、改めて写真を見返した。
あの道の奥にいたのが龍神ではなかったということは、もう1つの行き止まりである摩尼宮に行きつく道だったのかな。
…あれ?ということは…。
この字は摩尼宮って読むのかな?
次にWebで摩尼宮に何があるのかを調べた。
その情報はほとんどなくって大変だったが、上に映っているおじさんは弘法大師であり、さらにその後ろには不動明王と思われる像がいると書かれていた。
不動明王!?
そんなのいたのか??
自分の写真を改めて見返してみた。
ぉぉぉおおおおお… … !!
おおおおお!!!
かろうじて写真に納まっていた首。
これが不動明王とのことだ。
いやぁ…、こんな思わぬ再発見があるから、源宗坊寺、好き。
思いは100年の時を経て…
源宗坊寺。
1906年(明治39年)に「稲田 源宗坊さん」によって建立されたそうだ。
ここまで紹介したユニークな仏像たちは、この源宗坊さんが作ったそうだ。
なんと、100年以上も前のものなんだね。すごい。
公式Webサイトによると、源宗坊さんは諸国を修行しながら渡り歩いた後、この地を選んでお寺を建立した。
そして3年間、修行洞で厳しい荒行をしたあとに、世の中の人を苦しみや病気から救おうと、これらの仏像作りに着手したのだ。
源宗坊さんデザインの仏像は全部で13体。
本堂だけで3体いたようだ。
でもお経の真っ最中だったしな、覗くわけにはいかなかったもんな…。
そして森の奥にも今回見つけられなかった数体がまだ眠っている。
いつの日か、またそれを見に行く日が来るのだろうか…?
さて、そしてあの気になる大仏であるが。
実はあの大仏を取り囲むように、さらに大きな大仏を造る計画があったそうだ。
完成すれば30mほどのサイズになるという。
これは100年前当時としては日本一のサイズとのことだ。
どう考えても上半身しかできないと思うが、そういうデザインだったのだろうか?
また、いろんなWebサイトを見てみたら、僕が右手だと思った部分は足の裏だという記事もあった。
それ、どういうポーズ??
ただ、こうして想像の中の存在でもいいと思う。
未完の大仏。幻の大仏。
わずかな痕跡から、各々の大仏を想像すればいいと思う。
源宗坊さん、ありがとう。
残念ながらあんまり平和ではない世の中だけど、それでも僕らは頑張って生きているよ。
呉の町の深部から見守っていてください。
僕ら、コロナには負けないから。絶対に。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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