『落石、段差、路肩の崩れ等による事故が発生しても、一切の責任を負いません』
マジか。
管理という概念から解き放たれた世界線の林道か。
そんな看板の立つ林道に、僕は車で突っ込んだところだ。楽しくなってきた。
途中では山菜取りのおばちゃんが2人、道端でのどかにおしゃべりしていたんだけど、僕が横を通過したらすごくビックリ&ポカーンとした顔で見られた。
まさに「( ゚д゚) ポカーン」だった。
なぜだ。
遠方からの来訪者は珍しか?
若者の来訪は珍しいか?
真実はわからない。だけれども僕は気に留めない。
僕が目指すは、ただ一点。この林道の行き止まりからさらに登山をした先。
「日本人口重心地」のオブジェがそこにあるのだ。
それを見るためだけに、車を山奥に走らせる。
日本の人口重心地とは
まずは、今回の僕の目的である人口重心地について説明したい。
いきなり本題に入ってしまったら、あなたも「( ゚д゚) ポカーン」となりかねないからだ。
前提だが、僕は数多ある日本の中心を巡る旅をしていた。
「は?日本の中心ってたくさんあるのかよ?意味わかんね」と思われるかもしれない。
でも、事実としてたくさんあるのだ。
ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
さて、日本の中心の1つの概念が、人口重心地だ。
もう少し噛み砕いて言うと、「日本人全員の体重がピタッと吊り合いの取れる点」ってことだ。
もちろん、1人1人の体重なんてデータベース化できないから、日本人が全員同じ体重だと仮定しての計算となる。
そして、「日本人全員、静止しろ」とか言えないから、住民票のある地にいると仮定しての計算だ。
こんな感じの数式となる。
あー、はいはいなるほどねー、そう来たかー。
…1ミクロンもわからない。
なんにせよ、日本の中心って言うと普通は地理的な要素を思い浮かべてしまうが、完全に"国民"にフォーカスした、面白い日本の中心の概念である。
ただ、この概念には1つだけ注意しないといけないことがある。
国民の人口も居住地もどんどん変わっていく、ということだ。
だから改めて上の図を見てほしい。
僕は「日本人口重心地点2000」と表記した。西暦2000年に算出した地点だ。
5年に1度の国勢調査で人口重心地が算出されているんだけどさ、その2000年版だ。
もちろんその前の回の1995年版も、次の回の2005年版もあるのだが、今回のご紹介は2000年版なのだ。
水晶山はどこから登る?
少し時間をさかのぼろう。
日本3周目のある日、僕は"日本人口重心地点2000"のある、この界隈を訪れていた。
「日本人口重心地点1995」や「日本人口重心地点2005」を巡っていたのだ。
結論から言うと、"1995"と"2005"はアプローチできたが、"2000"には到達できなかった。
このときの旅の本題が別にあったこともあって下調べが不足しており、断念したのだ。
県道325号という、ものすごい山の中の狭い峠道を走っていた。
この峠道は「水晶山」という山の脇を通っている。
その水晶山への登山路の途中に確か日本人口重心地点2000のモニュメントがあったと思うんだよなーと、朧げな記憶だけで山の周辺をウロウロした。
どうやって登山路に行くのかわからないのだ。
これは結構致命的な失態。
とりあえずキョロキョロと左右を見渡しなら走る。
しかし、登山路を見つけるどころか逆に峠を下って集落に降りてきてしまった。
うーん、こんな下界ではないはずだと思うんだけど…。
確かどっかから林道に入り、ダート道をしばらく走ったところから登山道に入るとどこかのサイトで見た記憶がある。
それっぽい道はいくつかあったんだけど、明らかに危険な香りがしていたり、関係
車両以外通行止めの看板があったりした。
…そんなところに無理に突入して大変なことになっても困るしね。
集落で見つけた人に「人口重心地はどこですか?」道を聞いて、そして発見できたのが実は"2005"。
"2005"も非常に見つけづらいスポットだったので情報をいただけたこと自体はありがたかったのだが、結局"2000"については見つけられなかった。
少し時は流れて日本4周目。
よーし、リベンジと来ますか!!
失敗してからの挽回。これこそ僕も視聴者も喜ぶ胸アツ展開よーー!!
一度挫折したほうが視聴率上がるんだからなー、これも計算よー、ハッハーー!!
こうして何かをこじらせてしまったようなテンションの僕は、懐かしい狭路を愛車のパジェロイオでグイグイと進んでいく。
林道・そして登山路へ
県道325号。
狭い道大好きだー、でも擦れ違いができねー!
集落の狭い民家の間をすり抜けたり、ブリブリと山道を登ったりと変化に富んだ道。
こんな先に人口重心地があるのだ。
人はおろか車の通行もずーっとゼロなエリアだけれども、日本中の人間の体重が、この山奥で釣り合うのだ。
日本人全員の命の重み、そこで感じ取ってやろうじゃないか。
このあと「馬越峠」っていう峠に到達し、野生のサルの出現に驚いたり咲き誇る桜に心打たれたりするのだが、それらまで記載すると話が長くなってしまうので、いったん割愛しよう。
さて、おそらく目的地である日本人口重心地点2000が視界に入った。
写真右手のコンモリとした山がたぶん水晶山だ。
そして、この先にその水晶山への登山路があるようだ。
前回失敗して見つけられなかった道を、今は歩んでいる。
人口重心地を示す看板も登場しだした。
登場、遅いよ。もうちょっと広い範囲に設置しておいてくれたら、過去の僕は迷うことが無かったかもしれないのに。
上の写真、橋のところは要注意ポイントだ。
写真の右端の立て札を見てほしい。
左上を指し示す標識があるけど、「橋の手前で左折」でなく、「橋を渡ってから左折」だ。
これはビミョーな位置に標識があるので、間違える人が多いらしい。
…って書いたけど。
これは訪問当時の僕の手記だ。
今から読み返せば『間違える人が多いらしい』ってソースはどこだよ、とかこの立て札であれば橋を渡って左折だとわかるよ、とか思ってしまう。
だけども訪問者のコメントは何よりもリアルだ。
ちょっともう2022年現在の僕は、このあたりの記憶はあいまいだが、過去の自分に敬意を払ってそのままのコメントを掲載する。
しかし事実、橋を渡った瞬間に未舗装路となり、極端に道が狭くなっているのが見て取れる。
そして、Googleマップの道もここで消滅する。
笑えるぜ。
僕の冒険の本番はこれからだっつーの。
未舗装路も登山路も、これから出てくるのだ。
『林道は森林管理のためにつくられた道路です。関係者以外の利用で落石、段差、路肩の崩れ等による事故が発生しても、一切の責任を負いません』
お呼びでないってか。
部外者は入るなら全て自己責任ってか。
しょうがない。カクゴを決めろ。
途中では山菜取りのおばちゃんが2人、道端でのどかにおしゃべりしていたんだけど、僕が横を通過したらすごくビックリ&ポカーンとした顔で見られた。
冒頭記載の通りだ。
林道はところどころ新しく舗装されている部分もあった。
用途はかなり限られている林道だし、この先は水晶山登山口で行き止まりだ。
とはいえ、新しい舗装部分があるということは、今後舗装化が進んでいくのかもしれない。
ただし、狭い。
終盤は落ち葉なども堆積している。
こんな区間で対向車が来たら完全にアウトだな…。
ビクビクしながら進むも、結局対向車無しで終点まで到着した。
終点には車が数台停められる駐車場がある。
しかし僕以外に車はいなかった。
ロンリー!
盛り上がってまいりました!
森の中のダークマター
林道の終点にある駐車場に到着した。
愛車の後ろから始まる登山路の過酷さに、笑みがこぼれる。
ねぇこの山は知らないのかな、ウォーミングアップという言葉を。
とりあえず立て札があるので見てみよう。
『人口重心地遊歩道案内図』。そう書かれている立て札。
キチンと僕の目的地が明示されていることに安堵を覚えた。
右枠に描かれている説明文については、前述の事項とほぼ被るので改めてのご紹介は割愛しよう。気になる方はセルフサービスで拡大してご覧いただきたい。
あと、水晶山は水晶がザクザク出てくるからこのようなネーミングなのだな。
人口重心地点2000から水晶山山頂を一周すると50分のハイキングとなるそうだ。
だがしかし、今は水晶にも登山にも興味はない。
僕の興味の対象は、この森の中に忽然と現れる漆黒の球体。
つまりは人口重心地点2000のモニュメント。これ1つだ。
あとはどうでもいい。
人口重心地点2000まではここから15分だそうだ。
この数字だけ見ると楽勝だな。1ケタ台のタイムで行ってやる。
Go!!
いきなりハードな登りだ。
しかし僕はダッシュで突っ込んだ。
歩行開始から1分30秒後、「炭窯跡」。
僕のふくらはぎが突然の運動量にビックリしているようだが、まだまだ序の口だぜ。
だんだんとシンドい道になってきた。
果てしない登り。とことん登り。登り以外、なんもない。
景観も開けないし、ジメジメジトジトして湿度高めな薄ら寂しい山の中を、黙々と登る。
面白いか面白くないかで言えば、面白くない登山路だ。
そして久々の運動は疲れる。
着ていたシャツを脱ぎ捨て、Tシャツ姿となった。
歩行開始から8分後、「炭窯跡休憩所」。
炭窯だらけなのだな、この山。そしてあまり休憩したくないベンチだ。
しかし、ものすごい勢いで突っ込んだのに、標準タイムを2分しか巻いていない。
愕然としたぜ。
本来全く運動しないのに、「富士山」も「槍ヶ岳」も「縄文杉」も標準タイムの半分以下で攻略してきた僕が、水晶山相手にヒーヒー言って苦戦している。
歩行開始から8分30秒後、「氷柱岩」。
前述のMAPによれば、冬には水がしたたり落ちて氷柱を作る岩なのだそうだ。
もう春なので、よくわからない。
このあと、さらに容赦のない登りが続く。
ジグザグを繰り返しながらの、傾斜45度を超えんばかりの急斜面だ。
ふくらはぎが爆裂死するぞ、これ。
歩行開始から10分30秒後。
頭上になんか黒いの見えたー!!
メッチャクチャ急坂の果てに、あのボールがある。
待ってよ、今からそこ行く。
時間にしてわずか1分ちょっとだったが、疲労困憊だ。
ふくらはぎ、かわいそうに。
歩行開始から12分後。人口重心地点2000に到着。
ゼーゼーハーハー言っている。
何か感想をしゃべれるほどの肺活量が、今は無いんだ。
もし仮に充分な酸素を摂取できるなら、「こんなところで体重を釣り合わせるなよ日本人!」って言いたい。
そして最初の看板には15分って書いてあったけど、普通の人じゃムリだと思うよ。20分~25分が妥当だと思うよ。
景観は全然開けない。
最初から最後まで、絶望的なほどに山の中であった。
このモニュメントも激坂の途中にポツンとあるだけだ。
あまりの坂なので、この写真のアングルで撮影するのですら、すごい大変だったよ。
憧れのダークマターが、今目の前に。
「武儀(むぎ)町」と書かれている。
武儀町というのは、岐阜県武儀郡にかつて存在していた町の名前だ。
2005年に岐阜県関市に吸収合併されている。
2000年当時は、ここが日本人口重心。
しかし前述の通り人口重心地は年々移って今は旧武儀町から移動してしまっているし、武儀町自体が消滅してしまった。
ちょっとだけ切ないスポットだ。
それでも、僕には価値のあるスポット。
おそらくは一生に一度の訪問になるだろうが、1回失敗し、そしてリベンジでここに到達できた思い出は忘れない。
ここに人口重心地があったという記憶と共に、永遠だ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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