週末大冒険

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ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.352【岩手県】東日本大震災から13年…。僕は「十府ヶ浦」の津波記念碑を忘れないよ…。

2011年の東日本大震災から間もなく13年となる。

ずいぶんと年月が経ってしまったようだが、それでも忘れてはいけない記憶だよね。

我々個人が記憶しておくのはもちろんのこと、後の世において万一同様の災害が生じたときにも被害を最小に留めておけるよう、子孫にも教訓として伝えていかねばならないこともあるんだと思うんだ。

 

 

津波記念碑、というものがある。

『過去に津波が起きてこれだけ大変だった。だから後世に生きるオマエらも気をつけろよ。地震が起きたらこうするんだぜ。』っていうことが刻まれた石碑だ。

昔は、こういう集落全体に後々までメッセージを残すのには、石碑を用いたのだ。こんな石碑が日本各地の沿岸部にある。

 

有名なものは岩手県宮古市の姉吉集落のものだ。

津波で集落の人間、2人を除いて全滅した。だからここから下には家を建てるな。』という旨が書かれており、それを守ったからこそ、東日本大震災で40m近い巨大津波に襲われたが、それが起因した被害者はいなかったという。

以下の記事の後半で少し触れているのでよろしかったら読んでみていただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

さて、毎年この時期に取り上げている東日本大震災関連のスポット紹介であるが、今回は野田村「十府ヶ浦(とふがうら)」の津波記念碑を追跡してきた、10年以上におよぶ訪問記を執筆しようと思う。

 

 

震災ジャスト1年前

 

震災のジャスト1年前、つまりは2010年の3月上旬まで話をさかのぼりたいと思う。

この時僕は「三陸海岸を最北端から最南まで全部一気に走破しよう」っていう企画を1人寂しく実行していた。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦1

小袖海岸」っていう海女さんが活躍していることで有名な海岸を観光し、県道268号という海沿いギリギリの狭路から三陸メインルートの国道45号を目指した。

海に近いのに峠道だしチラホラ雪もあるぜ。すごいローカルルートで楽しいな。他の車は全然いねぇし。

 

陸中野田で国道45号に合流し、少しだけ南下すると道沿いにいくつか食堂が出てきた。

おーし、そろそろお腹も減ったのでここいらで新鮮な魚介類でも食べていこうか。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦2

まずは食堂を選定する前に、海岸の見える駐車スペースに愛車を停めた。

どうやらここは十府ヶ浦海岸と呼ばれるスポットらしいな。これまでの荒々しい海岸線とは違い、穏やかな浜辺なのだね。調べてみると、三陸海岸でも珍しい砂浜の海岸らしいのだ。ふむ。

 

この海岸を見下ろす国道沿いには「綿津海(わだつみ)神社」っていう小さい神社もあった。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦3

なんだかすごく年季が入っているな。長い年月この海岸で風雨にさらされてきたからだろう、鳥居も相当に色あせている。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦4

敷地内の奥のほうには「津波記念碑」っていうのがあった。こういうのって初めて見たな。昔津波の被害があったことを示す碑文とかなんだろうか?

 

つい先日(2010年2月27日_チリ地震津波)の津波の件があるので、ついつい津波の言葉に敏感になってしまう自分がいる。

先日の件は杞憂に終わったが、せっかくこれを見たのだ。心に刻んでおこう。

 

十府ヶ浦食堂1

先ほども書いた通り、この近辺にはアットホームな感じの食堂が3・4軒ある。なんとなく海鮮ラーメンを売りにしているところが多いように思える。

ブラブラと歩いて物色し、海に面していてちょっと店内が明るそうな「十府ヶ浦食堂」っていうところに入ってみることにした。

 

十府ヶ浦食堂2

うんうん、いい雰囲気ではないか。一枚板の座卓の存在感がすごいな。

お昼から時間がちょっとずれているのかお客さんがほとんどいなかったので、海の良く見える窓際の座敷席を1人で占拠した。

 

海鮮系のいろんなメニューがある。海鮮ラーメンもいいけど、ご飯ものが欲しいかな。

店員さんにオススメメニューを聞いてみると、「ホタテの養殖をここいらでやっているのでホタテが良い」とのことだ。

イカ・ホタテ・イクラの三品丼にした。

 

十府ヶ浦食堂3

うまいぞ!自慢のホタテはプリップリでうまみが凝縮されている。イカはしっかりとした噛み応え。イクラはもう、僕はどこでどのように食べても大好きだからよくわかんないけどとにかくうまい。


そもそも海を見ながら海鮮を食べれるだけで美味しい気分なのだ。最高のロケーションだ。

食後は座敷席でパラパラとツーリングマップルを見て、「安家(あっか)洞」・「龍泉洞」などの鍾乳洞をこれからハシゴしよっかなって考えた。

そして女将さんに「おいしかったです」と報告し、再び三陸を走り出す。

 

まぁ安家洞はこの時期余裕で冬季閉鎖中で、雪に埋もれた山の中の洞窟の前で愕然とするんだけど、それはまた別の機会に話そうな。

 

 

震災の年の惨状

 

2011年の東日本大震災の発生…。

そりゃもうショックだったわ。しばらくドライブ自粛したり、福島県南相馬市に震災復興ボランティアに通ったりいろいろしたんだけど、そのあたりは割愛な。

 

その年の初秋のことだ。

僕は岩手県の沿岸部をドライブしていた。知っていた景色が全く変わってしまったことに心を痛めながら、過去の記憶をなぞるように走り続けるんだけど、それらも割愛。今回は十府ヶ浦にフォーカスして書くのだから。

 

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野田村付近に差し掛かった時にお腹が減ってきた。

ランチにしよう。どこか付近に食事処はないだろうか、と考えて思い出したスポットがある。

十府ヶ浦という景勝地。そこには震災1年前に立ち寄った十府ヶ浦食堂食事処があったはずだ。そこに行ってお昼ご飯にしよう。

 

面影を探して1

…嫌な予感はしていたんだ。というより、心のどこかで覚悟をしていた。

そして予想は悪い方向に当たってしまった。

 

ひとことで言うならば、1年半前にあったものが根こそぎ消滅していた。

一縷の望みは抱いていたんだけどな。三陸海岸特有のリアス海岸ではなくて砂浜だから、津波の被害は少ないかもしれないなって思っていたんだけどな…。

 

面影を探して2

変わり果てたとはいえ、「ここは確か…!」と思える程度に見覚えのあるロケーションが出てきたので、路肩の空き地に愛車を停める。空き地っていうか、津波で何もなくなった空間なんだけどな…。

 

願わくば、まずは十府ヶ浦食堂が無事であることを確認して安堵したかったのだ。しかしそれは叶わなかった。

 

面影を探して3

食堂があった場所には、数台のショベルカーが停まっているのみ。その向こうには積みあがったガレキの山があった。

なってこった。あれが十府ヶ浦食堂の残骸なのだろうか…。周囲の食事処も一軒もない。全部更地になっていた。津波は猛烈な勢いでここまで駆け上がってきたのだろう…。

 

(2011年当時は)この食堂の人たちがその後どうなったのかという情報は見つからない。無事に避難できていることを心から願う。

 

面影を探して4

"十府ヶ浦"と刻まれた石碑。これ、前回は写真には撮らなかったが、確か綿津海神社の入口にあったはずだ。つまりは上の写真、あのときの神社の境内なのだ。

せめてできる範囲で、その痕跡を見つけたい…。

 

面影を探して5

残っているのはほぼ基礎だけだ。やや左にある四角いブロックは、狛犬だか灯篭だか、何か重たいものが鎮座していたのだろうな。

 

面影を探して5

右にはおにぎり型の句碑がある。『夜や寒し 菅菰からん 十府の人』と書かれていた。

左でペタンとうつ伏せに倒れた大きな石碑は…!!おいこれ!!1年半前に見た津波記念碑はねーか!なんてこった!

津波の襲来に警鐘を鳴らす石碑は、自らも倒れてしまったのだ。

あぁ…、なんとか起こしてあげたい…。

 

ところで写真の後方に小さく映っている三角の石碑には、"金毘羅山神社"と書かれていたよ。

 

面影を探して6

今回のドライブ、わかっていたことだけど心が痛むことだらけだ…。

それでも僕は走る。それでも日本はきっと立ち上がる。…信じている。

 

 

新たに未来に伝えるべきこと

10年経った神社の跡地は

 

時は流れて日本6周目。震災からはおよそ10年の月日が経った。

僕は同行者と共に三陸海岸を北上していた。

 

綿津海神社1

見覚えのある海岸が前方に見えてきた。十府ヶ浦海岸だ。今の十府ヶ浦はどんな感じなんだろう?

 

あの日にランチを食べた十府ヶ浦食堂さんは、仮設住宅での営業を経て今は陸前野田の中心地で元気に営業していると聞いている。それは本当にうれしい情報だ。

少しずつ十府ヶ浦も変わってきているのかなぁ?

 

綿津海神社2

綿津海神社。あの日とほぼ同じアングルでの撮影だ。ガレキはなくなっているものの、きれいな何もない荒野のようになってしまっている。

もう神社はここには復活しないのかな。とりあえず残っている石碑を見てみよう。

 

綿津海神社3

おにぎり型の『夜や寒し 菅菰からん 十府の人』の石碑だ。あの日の津波の跡地でも見たものだ。今は綺麗な台座に乗っている。

しかも左側の細長い黒い石碑、ちょっとなんて書かれているのか確認しなかったけども、これも津波跡地にあったよな。おにぎり石碑の隣で倒れていたものだ。起こされてちゃんと設置されたのだね、よかった。

 

綿津海神社4

敷地の奥に立っている石碑に近づいた。2011年の津波の年にも立っていることを確認した石碑だ。

金毘羅山神社と書かれている石碑。10年経った今もちゃんと当時のままであった。

 

綿津海神社5

この石碑も一緒だ。

ただ、一番見つけたい石碑だけがなかった。それは津波記念碑だ。あの巨大な石碑は一体どこに行ってしまったのだろう…。

まさか処分されてしまった?津波に負けた津波記念碑なんて、もう価値はないと??

 

いや、そんなことはないと信じたい。

僕は同行者に話した。あの日の十府ヶ浦食堂の三品丼のことを。鄙びた鳥居をくぐった先に見つけた津波記念碑のことを。あの碑をまた見たいのだ。

 

 

 

二度と命を失わないように

 

十府ヶ浦海岸から国道45号を挟んだ向かい側に、「ほたてんぼうだい」という施設ができていた。震災から7年目の2018年3月11日にできたピカピカの施設だそうだ。

 

ほたてんぼうだい1

ほたてんぼうだい?変な名前だな。調べてみると、施設そのものがホタテのかたちなのだそうだ。ホタテの展望台ということか。かたちも名前もすごく斬新だな。

 

しかし、そういえば十府ヶ浦食堂の女将さんも「この地域はホタテがおいしいですよ」って言っていたしな。

時間も流れたし景観も随分変わってしまったが、話はこうして繋がっているのだな。

 

ほたてんぼうだい2

ほたてんぼうだいだ。ホタテかどうかはよくわからないが、屋根のウネウネしたウェーブが貝殻をイメージしているのだろうか?

2階が無料展望台になっているそうなので、登ってみる。

 

ほたてんぼうだい3

わりとガランとしている。いい意味で。

ドライブで疲れていたこのタイミングで、ボケーっとするにはうってつけの場所だ。

 

ほたてんぼうだい4

壁にはこの施設を俯瞰で見た絵が飾ってあった。おぉ、マジでホタテじゃないか。残念なのは、本当に屋根がこんな風にリアルなホタテ型なのか確認ができないということだ。

 

だから僕は、執筆しながらGoogleMAPの衛星写真でほたてんぼうだいを見てみた。おぉ、見事なホタテだった。

現地よりも皆さんの手元のスマホ衛星写真を見たほうがホタテ感がわかるというジレンマよ。

 

ほたてんぼうだい5

ただ、この爽やかな風を感じるられるのは現地だけだ。

ほとんど何もなくなってしまったけど、今は穏やかな十府ヶ浦海岸が目の前に広がっている。

2011年の東日本大震災のとき、およそ38mの津波がこの静かな海岸に牙を剥いたのだ。恐ろしいことこの上ない。

 

…あ!

展望台から何か見覚えのあるものが見えた。展望台を降りてそちらに向かう。

 

津波記念碑1

 

津波記念碑!!

 

 

1896年の明治三陸津波で大きな被害を受けたことを示した記念碑である。

なんて久々にこの碑の顔を拝めたのだろう。

2011年の時にはうつぶせに倒れてしまっていたので、正面から見られたのは2010年の震災前以来だ。

 

あぁ、会えてうれしいよ。10年、いろいろあったよね。

…10年以上経った今だから言えることだけどさ、あの頃は誰もが「この先日本はどうなるんだろう…」って考えが頭をよぎっていたよね。僕も実はとても不安だったのだよ。

 

津波記念碑2

その近くの広間の中央に、目立つスタイリッシュな記念碑がある。

これも津波記念碑だ。

…「いつの津波のものか」だって?

 

2011年の東日本大震災だよ。僕も初めて見たけど。

 

津波記念碑3

~ 二度と村民の命を失わないように ~

 

…刺さる言葉だ。悲しい言葉だ。

だけども震災が起きてたくさんの人が亡くなったという事実を、を未来に繋げなければいけない。大切な命を守るために。

 

津波記念碑4

いいかお前ら、心に刻んでおけよ。

誰もが当事者意識でいないと、守れる命も守れないからな。「自分は関係ない」なんてことはないからな。

 

  1. 地震があったら津波を考える
  2. 津波のときは高台に避難する
  3. 避難したら絶対に戻らない
  4. 避難場所や方法は家族や近所で相談しておく
  5. 避難するときは隣近所に声掛けをする

 

命があることに感謝し、この命を未来に役立てていかねばな。

それが亡くなった方々への最大の弔いかもしれない。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 十府ヶ浦海岸
  • 住所: 岩手県九戸郡野田村野田
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし