週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.095【滋賀県】全方位たぬきたぬきたぬき!信楽の町には信楽焼のたぬきが溢れていた!

信楽焼と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか?

 

僕だったら、「たぬきの置物」を思い浮かべちゃうね。

ウチのばあちゃんの家の庭にも1匹住み着いているしな。

 

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信楽焼とは、かつて存在していた滋賀県甲賀郡信楽町で作られた焼きものだ。

今は市町村合併されて甲賀市になってしまっているが。

 

信楽町こそが、信楽焼のたぬきの総本山。

全国いたるところに信楽産たぬきが生息しているのだから、総本山はさぞかしたぬきで溢れかえっているのだろう。

 

今回は、そういう頭の悪い期待を抱いて旧信楽町を訪れたら、本当にたぬきだらけだったというお話である。

 

 

我は狩人なり

 

それは、とある初秋の早朝5時台の物語である。

 

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たぬき狩り1

男は、信楽の町のやや北に位置する甲西の町のコンビニで、朝焼けを眺めていた。

これからたぬき狩りをしようと決意を決めたその男の目は、いつにも増して強い野心の光を放っていた。

缶コーヒーを握る二の腕にはかつて幾多の激戦を繰り広げてきた猛獣たちによる傷跡が残っていた…。

 

…いや、全然違うんだけどね。

普通にペットボトルのお茶を買って出発した。

 

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たぬき狩り2

辿り着いたのは、「信楽陶苑たぬき村」である。

 

愛車のHUMMER_H3が小さく見えるほどの、大物のたぬきが3匹いる。

…本場って、やっぱすごいんだな。

 

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たぬき狩り3

信楽の人から見たら、僕らなんてとても矮小に見えるのだろう。

 

「へぇー、滋賀県外ってそんな小さなたぬきしかいないんだwwwww 滋賀のたぬきなんて普通にトラを捕まえて食べているよ。それが普通だよ。」

…とか言ってそう。

 

十中八九、ここでの食物連鎖の頂点はたぬきだろうね。

たぬきハンターを目指していたけど、余裕で諦めた。

 

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たぬき狩り4

あとちょっとさ、無視することできないんだけどさ、足元に忍者いる。

小さめのたぬきがワラワラいる点は許容の範囲として、まるで巨大たぬきのしもべのように忍者がいる。

 

ここは忍者の郷として有名な甲賀市の一部だからだろう。

だから忍者がいてもおかしくはない。

 

そしてたぬきと忍者には共通点もある。
それは変身できることだ。
 

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たぬき狩り5

ピンクの忍者は、ひょっとして女性なのだろうか?

黒い忍者もちょっと体型がゆるんではいるが、ピンク忍者はより一層親しみやすそうな体型だ。 

近所のおばちゃんって感じで、きっといい人だ。

 

たぬきもこうして見ると表情がさまざまなのだな。

そろいもそろって小首をかしげている様が、ほんの少しだけ神経を逆なでしてくれそうな、いいラインを突いて来てくれている。

 

ここは信楽焼のテーマパークのようだ。

陳列されているいろんなたぬきを見たり、焼き物体験ができたりするスポットらしい。

もちろんまだ朝の5時台だからOPENしていなかった。

 

 

巨大たぬきが町を支配する

 

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たぬき狩り6

暗ッ!怖ッ!

 

 

次に訪れたたぬき生息地では、撮影したディスプレイを見て恐怖におののいた。

日の出前で明度のバランスを取りにくい状態での撮影で、失敗してしまった。

PCにてバランス調整しよう。

 

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たぬき狩り7

よし、こんな感じだ。補正したぞ。

これで怖くな… …、 いや怖いよ。ばちくそ怖いよ、このたぬき。

 

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たぬき狩り8

たぬきと言えば雑食だが、これは間違いなく肉中心の食生活だろうな。

 

顔の前部に着いた大きな目、鋭い歯、そしてややスタイリッシュな首回り。

肉食獣の条件を満たしている。

 

これ、怒らせてはいけないお方だな。 

瞳孔の開き切った目も怖いし。

 

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たぬき狩り9

僕との身長差だ。

たぬきと僕との頭の高さが、そのまま格差を現していると言ってもいい。

 

僕は鳥肌を抑えることができなかったね。

このとき気温は12℃で半袖1枚は無謀なんだけど、鳥肌の理由はそれだけではないよね。

 

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たぬき狩り10

ちなみにここは「窯元 澤善」という。

 

信楽焼の窯元なのだな。

焼き物を売っているお店も併設しており、かつ食事処や宿泊施設もやっているらしい。

 

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たぬき狩り11

敷地内にはメチャクチャいっぱいたぬきがいる。

 

だいたいみんな同じ顔をしている。

コピーアンドペーストしたみたいになっている。

 

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たぬき狩り12

だが、物事には例外もある。

ちょっとズレちゃっているヤツもいる。

 

「はい、みんなでこんなポーズをして記念撮影するよ!」ってなったとき、どうしてもワンテンポ遅れる人っているよね。

それが彼であろう。ちょっと残念だが憎めないヤツだ。

 

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たぬき狩り13

あと、普通にそこいらのおっさんみたいのが2匹。

製作者の感性が爆発している。好きだ。

 

 

人口ゼロ・たぬきウジャウジャ

 

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たぬき狩り14

「山深い信楽の里」…、とでも表現するのがしっくりくるだろうか?

振り返るとそんな幽玄な山々の向こうから、日が昇ろうとしている。

朝霧が神々しいな。

 

引き続き信楽の街中を走っていると、両側にいっぱいたぬきがいすぎて圧倒される。

たぬき大量生息地だ。ウジャウジャ大量発生だ。

 

これは車窓からチラリと見ただけの僕の偏見に過ぎないのだが、ホントどこも陶芸のお店を営んでいて、どこでもたぬきを飼っていて、たぬきだらけだ。

いちいち立ち止まるのもおっくうになってくるレベルなのだ。

 

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たぬき狩り15

もう2m程度のたぬきでは、僕も驚かないね。

4m級のヤツがいたときだけ写真を撮る、大物専門のたぬきハンターと化していた。

 

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たぬき狩り16

しかし、この異様さよ。

僕は信楽の町に来てすでに数100匹のたぬきを目撃しているが、生身の人間はただ1人として見かけていないのだ。

 

人間は一体どこへ消えてしまったのだ。

いや、実際はまだ早朝なので活動している人が少ないだけなのだろう。

 

しかし、事実として僕の見ている光景は、たぬきのみの暮らす世界なのだ。

たぬきは人を化かすというので、人間の町を乗っ取ってしまうことも、あながち困難ではないかもしれない。

 

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たぬき狩り17

そんな世界に僕が迷い込んでしまったのだとしたら、なかなかのホラーだよね。

旅という非日常においてこういう世界は、あらぬ方向に妄想を掻き立てる。

なかなか面白くなってきたぞ。

 

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たぬき狩り18

朝日が昇って来た。

そんな中で、もう5mほどのたぬきでは驚かなくなってきた僕が、さすがに面食らったのがコイツだ。

 

デカすぎる。

 

そんで寝ている。

涅槃仏か。いや、そんなありがたいものなのか、果たして。

 

とりあえず、ラスボス登場であるな、と思った。

 

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たぬき狩り19

ちょっと角度を変えた写真をご覧いただきたい。

 

実はこれは、「狸家分福」という店舗である。

たぬきがそのまま店舗になっているうどん屋なのだ。

 

たぬきの体にドアが付いていて、その中がお店なのだ。

でもさすがにこれは信楽焼のたぬきではないけど、この発想とスケールのブッ飛んだ巨大さは度肝を抜かれた。

 

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現実世界へ

信楽の町を去るころには、完全に朝日が昇った。

 

周囲にはチラホラと車が走り、道を歩いている人もいる。

あぁ、人間界だ。

朝日がたぬきの幻術を浄化させたのだろうか。

 

安堵の表情で、僕は次の町へとアクセルを踏んだ。

 

 

信楽を振り返る

 

信楽では、本当に短い区間にたぬきが密集している。

たぬきロードだ、もはや。

改めて僕と一緒に振り返っていただきたい。

 

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僕の推測では、このあたりがたぬき生息地だ。

距離にして8㎞程。気軽にドライブできる距離である。

 

Googeマップなどで「窯元」・「たぬき」などの名称を見つけたら、ストリートビューで確認してみるとよい。

 

期待通り、彼らがきっと僕らを迎えてくれるから。

 

 

ましてやこのコロナ禍のご時世。

直接現地に行かずに、ストリートビューでたぬき巡りをするのも一興かもしれない。

画面越しであれば、たぬきに化かされるリスクもないかもしれない。 

 

 

そしてきっとあなたは、恐れおののくだろう。

あまりのたぬきの多さに。

 

 

ところで、なぜ信楽焼のたぬきが有名なのか?

たぬきの置物は縁起がいいのか?

あなたはご存じだろうか。

 

この手の焼き物の発祥は、明治時代と言われているそうだ。

「藤原 銕造さん」という陶芸家が、若い頃にファンキーなたぬきに出会いまして。

「おぉ、これを焼き物で表現したい」と考え、信楽での陶芸活動をスタートさせたのだ。

 

 

たぬきには「他を抜く」というゴロ合わせや、その姿かたちから「太っ腹」 という意味に通じる。

つまり人生を勝ち抜くうえでも、縁起のいい存在なのだ。

 

それに、この信楽焼のたぬきの容姿事態にもいろいろと縁起のいい要素や、人々の思いが詰まっているのだ。

 

 

1人の陶芸家からスタートし、わずか100年ちょいで全国誰もが一度は見たことがあるような、一大キャラクターに発展したのだ。

まさに明治・大正時代のキティーちゃんだ。

 

 …というより、インターネットもSNSも無い時代に、ホントすさまじいバズりかたをしたものだ。

 

 

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2021年4月11日である今日も、僕は信楽焼のたぬきを見かけた。

滋賀県からは遠く遠く離れた県で。

 

あの日訪れた信楽の町に思いを馳せつつ、そしてコロナの終息を強く願った。

 

以上、日本6周目を走る旅人でした。

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 信楽焼のたぬき
  • 住所: 滋賀県甲賀市信楽町 各所
  • 料金: それぞれの施設による
  • 駐車場: 基本あり
  • 時間: それぞれの施設による

 

【特集】「日本一低い山」一覧!日本一は複数ある!そして5秒で登れるお手軽登山とは!?

日本一高い山は?

 

知っている。「富士山」だ。

もっとも、胸を張って答えたところで驚かれもしない知識だが。

 

日本一低い山は?

 

言える人は少ないだろう。

一箇所くらい言える人はそこそこ多いかもしれないが、3・4箇所ポンポン言える人は、極めて稀だろう。

 

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そんなあなたに朗報だ。

僕と一緒に日本一低い山を巡ってみよう。

 

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そう、日本一低い山は1つだけではないのだ。

 

 

この時点でなんだか説明は矛盾しているが、正解はいっぱいあったほうが、なんだか優しい世界って感じがする。

 

さぁ、登山靴の紐はしっかり結んだか?

非常食のチョコレート、コンパス、ゴアテックスのレインウェアやピッケルは持ったか?

 

では行こう!日本の高みへ!!(それとも低み?)

 

 

大潟富士(標高:0m) 

 

さぁ、僕にはわかっちゃったぞ。

あなたが上の地図を見て一番気になったのが「大潟富士」であろうことが。

「標高0mなのに山って、どういうこと?」って小首をかしげたことまでわかるぞ。

 

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大潟富士1

この山は、秋田県の「八郎潟」という干拓された巨大な湖の中にある。

 

干拓した土地だから、ちょっと土地が低いのだ。

海より低い。

 

そこに海抜ピッタリ0mになるように作った人工の山なのだ。

ちなみに周囲の事件からの高さは富士山の1000分の1である3.776mだ。

 

秋田県測量設計業協会」が創立20周年記念で作った山。

さすが、技術の粋が凝縮された、丁寧な設計だ。

 

小さいけれども、その内に秘めたる魂は富士山だ。

 

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大潟富士2
  • 名称: 大潟富士
  • 標高: 0m
  • 日本一の根拠: 物理的にどんな山よりも低い
  • 国土地理院: 登録なし(申請したが却下された)
  • 成り立ち: 人工
  • 登山時間: ダッシュで5秒

 

 

 

旧・日和山(標高:6.05m) 

 

残念ながら、2021年現在は大きく景観を変えてしまったので、「旧・日和山」と呼ばせていただきたい。

宮城県仙台市の海近くの山である。

 

なぜ旧なのかというと、2011年の東日本大震災で消滅してしまったからだ。

もちろん多くの人が亡くなったことや町への被害も悲しかったが、この山が消えてしまったことも僕はとても悲しく思った。

 

この先、Web上で取り上げられることはどんどん少なくなるだろう。

だから僕が思い出を振り返るのだ。

 

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旧・日和山1

14段の階段を上った先は、小さな山頂広場だ。

そこからは太平洋を眺めることができる。

6mほどの標高でも、遠くまで見渡せた。

 

かつては国土地理院に認定された、日本一低い山。

しかし大阪の天保山地盤沈下でこの山より低くなったため、1996年に日本一の座を受け渡したのだ。

 

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旧・日和山2

 

 

 

新・日和山(標高:3m)

 

前項の旧・日和山は、東日本大震災津波で焼失したとニュースで聞いた。

悲しかった。

 

しかしその3年後の2014年4月だ。すごいニュースが舞い込んできた。

日和山、復活したと!

 

あのときは本当に嬉しかったなぁ。

はるばる車を走らせて仙台まで見に行ったりした。

 

確か住宅地の奥に小山が聳えていたと思うのだが、津波の被害で一面の荒野。

家の基礎だけが延々続く先に、山とも言えないような山があった。

「新・日和山」と呼ばせていただこう。

 

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新・日和山1

どことなく旧・日和山を彷彿とさせるデザインなのも、またいい。

 

津波の被害により、高さは半減して3mとなった。

その後も僕は、この山の情報を追い続けた。

国土地理院が再びこの山の存在を認めたことで、一度は負けた大阪の天保山をさらに下回って、日本一低い山に正式に返り咲いたこともリアルタイムで知っている。

 

原因が東日本大震災だから、手放しでは喜べないけど。

でも、いい山なんだよ。

 

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新・日和山2

 

 

 

弁天山(標高:6.1m) 

 

次は、徳島県からこの山をご紹介したい。 

「弁天山」だ。

 

どの山も好きなのだが、個人的にはこの山が一番ワクワクしてしまう。

さらに言うと、僕が数々の低山を登るきっかけとなった最初の山がこれなのだ。

 

「山」というからには、やはり人工ではなく大自然が生み出した造形物であってほしい。

そして、山頂に立ったときに「あぁ、確かに自分は登山したのだな」という充実感・達成感が欲しい。

 

その2大欲求を、この山は満たしてくれる。

 

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弁天山1

美しい…。

 

赤い鳥居。

木々がこんもり茂った三角形のシルエット。

そして、山頂の祠がチラリと見えている。

 

しっかり一歩一歩踏みしめながらのハイキングを楽しみたい山だ。

もっとも、ダッシュで登ったことも当然あるが。

 

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弁天山2
  • 名称: 弁天山
  • 標高: 6.1m
  • 日本一の根拠: 国土地理院に認められた自然の山としては日本一低い
  • 国土地理院: 登録あり
  • 成り立ち: 自然
  • 登山時間: ダッシュで5.6秒

 

 

 

御山(標高:3.6m)

 

常に各地の最新情報に目を凝らしている僕だが、2005年にビックリするニュースをキャッチした。

香川県に日本一低い山が爆誕したというのだ。

 

「なにそれ意味わからない説明してくれ」と、とりあえず現地に向かったのが初回の訪問であった。

まだ誕生直後で情報も世間に出回っておらず、僕も手探りで情報を集めながら行ったのだ。

 

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御山1

はい、これ山。

 

このときの僕は、いったいどんな顔をしていただろうか?

おそらくだが、犬の糞を踏んだときのような顔をしていたのだろう。

 

この山の名は、「御山」だ。

発見の経緯は、ある年の台風で水浸しになったときに、一番高い地点を測量。

そのとき、一番高い場所と明治時代の資料を見比べてみると、「実はここ、明治時代は山と表記していた」と判明。

 

なるほど!

これを山と呼ぶ勇気を称える!!

 

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御山2
  • 名称: 御山
  • 標高: 3.6m
  • 日本一の根拠: 国土地理院に認められれば、認定された日本一低い山
  • 国土地理院: 登録なし
  • 成り立ち: 自然
  • 登山時間: 測定不可(ふもとがどこだかわからない)

 

 

 

蘇鉄山(標高:6.97m)

 

国土地理院に山として認められたくらいでは、まだ山としては下っ端という意見もある。

 

例えるとアレだ、中学のときは野球の才能を認められてチヤホヤされ、野球強豪高校に入ったところまではいいが、そこには全国の猛者が集っており、自分はまだまだ井の中の蛙であった…、みたいなパターンだ。

 

では、真のエリートとは何なのか。

それは、一等三角点を有するということではなかろうか。

 

さぁ、そこで大阪府の「蘇鉄山」の出番だ。

栄えある一等三角点を持つ、日本一低い山だ。

 

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蘇鉄山1

鬱蒼とした、山らしい山である。

しかもバリエーションルートが豊富なのだ。4種類はあっただろうか?

登山と下山で違うルートを選べるのは、とても楽しい。

 

さらに山頂には名前の由来となったソテツの木が植えられており、なかなか目にも楽しい光景が広がっている。

 

人工の山ではあるが、充分にハイキングを楽しめるオススメの山だ。

 

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蘇鉄山2
  • 名称: 蘇鉄山
  • 標高: 6.97m
  • 日本一の根拠: 一等三角点のある日本一低い山
  • 国土地理院: 登録あり
  • 成り立ち: 人工
  • 登山時間: ダッシュで9.5秒

 

 

 

天保山(標高:4.53m)

 

大阪からもう1つ、「天保山」だ。

関西の人にはとても有名な山だ。

 

…いや、関西の人も僕の知る限り、山というより観覧車のある公園と認知していたり、「海遊館」の隣っていう認知の人が多いようにも感じられるが…。

 

江戸時代から、数々の絵画に登場した、由緒ある人工の山である。

しかし開発が進んで山ともども周囲がガチガチに整備され、もはやどこが山なのかもわからない風貌である。

山頂より高い地点も周囲にいくつかある。

 

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天保山1

ちょっと手元にいいアングルの写真が無くって申し訳ない。

後日に差し替えるかもしれないが、山頂がこれだ。

 

公園の片隅にあり、散歩する人はそこが山頂であることなど気にも留めずに通過していく。

僕だって知らなければ気付かないであろう。

 

地盤沈下で前述の旧・日和山を下回り、1996年に日本一低い山に認定されたが、新・日和山がさらにそれを上回り、2014以降は2番目に低い山となっている。
 

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天保山2
  • 名称: 天保山
  • 標高: 64.53m
  • 日本一の根拠: 1996年~2014年まで日本一低い山
  • 国土地理院: 登録あり
  • 成り立ち: 人工
  • 登山時間: ダッシュで約9秒(ただし麓の定義があいまい)

 

 

 

笠山(標高:112m)

 

最後は山口県の「笠山」である。

112m!!

 

ここまで読んでくると、まるで子供のケンカに大人が乱入してきたかのような気持ちになるが、しかし所詮112mなのである。

東京スカイツリー」が634mであることを考えると、遥かに低い。

 

この山は、実は日本一低い火山と言われている。

ただし、火山の定義は少々難しい。

 

火山として世界最小(あるいは東洋最小、日本最小とも)などと称されることもあるが、火山の定義や地形学的分類により捉え方は様々であり、その序列を断定的に呼称することは無意味である。

(引用元:Wikipedia

 

ほら、Wikipediaさんにも「無意味」とか、やたら クールな評価を受けている。

 

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笠山1

しかし、一番を追い求める姿は、完全に無意味だとは思わない。

もともと「日本で一番低い山」の定義がさまざまあるのだ。

 

火山の定義もさまざまであり、その考え方の1つによっては「日本で一番低い火山」となる。

それでいいではないか、と考える。

僕にとっては、学術的なものではなく、半分エンターテインメントだ。

旅人だから。O型だから。

 

小さいながら火口もあり、お鉢めぐりもできるし、冷えた溶岩を間近に見ることもできる。

地球の鼓動を感じられる山だ。

 

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笠山2
  • 名称: 笠山
  • 標高: 112m
  • 日本一の根拠: 日本一低い火山(火山の定義は諸説あり)
  • 国土地理院: 登録あり
  • 成り立ち: 自然
  • 登山時間: 測定不可(中腹まで車で行けるため)

 

 

 

※ 今後、今回ご紹介した山々を1つずつ個別記事で深堀りしていこうと思うので、楽しみにしていただきたいです。

 

 

 

【コラム】自走日本一周は本当に難しいのか!?最初から諦めていたら人生損するかも…!?

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

そして、新年度(2021年度)、あけましておめでとうございます、とでも言っておきましょうか。

 

コロナ禍の続く不安定な世の中ですが、いかがお過ごしでしょうか。

僕はブログ開催以来、94スポットのご紹介と96記事の執筆をし、運用にも少々慣れてきた感じがする昨今です。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

当ブログ最初の特集である「本土最突端16岬」の全執筆が完了したので、ここで再びコラムのコーナーを開催しようと思います。

 

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◆考察◆:自走での日本一周はそんなに難しくはない

 

これは僕個人の考えです。

当たり前だけど、万人に共感を得られるものではないでしょう。

 

しかし、これが僕の行動理念なのです。

この主軸があっての、僕の人生なのです。

だから、「あぁ、こういう人もいるんだな」程度に優しい気持ちで読んでほしいです。

 

まずは「本当は日本一周をしたいけど、今の自分には難しいよ」と考えている、あなた。

 

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何が難しいのか考えてみてください。

そして、難しいのなら足を一歩も踏み出さずに人生を終わらせるのかを、考えてみください。

 

なお、僕は旅行会社に勤めているわけではないので、「1人1人にマッチするご提案」などはできません。

あくまで自分のケースに基づくご説明になってしまいますが、あなたと共通する部分がどこかにあるかもしれません。

少しでも参考になれば、とても嬉しいです。

 

行動可能時間を考える

 

僕はカレンダー通りの勤務体系のサラリーマンです。

休日は土日祝となります。 

 

ここでもし僕が「では土曜の朝に出発し…」と考える人間であれば、日本1周は実現できなかった可能性があります。

 

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仮に金曜日21時に退社し、月曜日9時に出社する人であれば、 自由な時間は60時間です。

土曜の朝に出発し、日曜日の夜に帰るのとでは、活用できる時間が全く違います。

 

ここから、あなたの体力を加味し、行動可能時間を割り出してみましょう。

 

僕の場合ですと、金曜日は「退社→帰宅→風呂」。

ドライブに行く上で、ここは割と譲れないイベントですので、出発は夜遅めになってしまう可能性があります。

 

金曜夜に徹夜で土曜日に元気いっぱい遊べるほどのヤンチャなスタミナは平成に置いてきてしまったので、3時間は仮眠をとるでしょう。

 

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土曜日の夜は、最低でも6~7時間は寝ておきたいです。

日曜日の夜に帰宅せずに月曜日に出勤すると、グロッキーな週となって生きていくのがつらくなるので、日曜日は少なくとも日付が変わる前には帰宅します。

 

確保できる時間と睡眠時間がおおよそ確定したら、次に移動距離を考えます。

日本一周を目指すのであれば、移動にある程度の重きを置くのは必須です。

とはいえ、活動時間を往復だけに費やして観光も食事もしないってのは、味気ないですからね。

 

 

アプローチ可能範囲を考える

 

前項の通り、金曜夜に出発する(つまり前夜発)と、渋滞もなくスイスイ高速道路を進めるのがありがたいです。

ETCがあれば深夜割引も適用できて、一石二鳥です。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

僕の日本一周の定義は、上記の前回コラムの中で触れた通り「一般道で海岸を走る」というものが含まれます。

目的の走行ルートまでの行き帰りについては、高速道を使うケースも多いのです。

 

※例えば僕が東京に住んでいて、「今回は新潟県の海岸を走りたいな」って思う場合、新潟県の海岸スタートからゴールまでは一般道、それに対する行き帰りは高速道路を使うケースがあります。

 

では、僕の場合ザックリとどのくらいが週末の行動範囲になるでしょう。

 

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はい、大体こうなります。

上記は東京都心に住んでいると仮定したときの図です。

 

もっと遠くまで行けたこともありますが、1人で運転しそこそこの観光もするのであれば、こんなもんでしょう。

 

このイメージ、すごく大事です。

これを見た感じ、土日の1泊2日だけで日本の半分くらいは走れていますね。

 

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僕は内陸部もジャンジャン観光して走行ルートを網の目のようにしたい人ですが、もし海岸線だけを攻略するであれば、上記図の赤枠を埋めるのに、何回のドライブが必要でしょうか?

 

これも人によりけりですが、20回ほどあれば攻略できるでしょう。

もちろん40回・50回とかけてもいいでしょう。

 

そして、2日3日の緑枠は、年に何度かある3連休の日などを狙いましょう。もちろん普通の土日に有給をくっつけて3連休にするのもGoodです。

 

最後に残るのは、上記図に描かれていない、北海道と九州と沖縄です。

 

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2・3に分けてもいいし、夏休みや年末年始で1週間~10日ほどの連休を取れるのであれば、そこで一気に攻略しても良いでしょう。

 

※僕の場合、沖縄県だけは愛車を持ち込まずにレンタカーを使っちゃいます。

 

 

計画を具体化させる…よりも、動こう!

 

「おりこうさん」であれば、ここから地図上に綺麗に1回目の予定ルート・2回目の予定ルート…と書き込んでいくでしょう。

 

しかし僕は「悪い子」です。

行きたいときに、行きたいところに行けばいいではないか、と考えます。

日本には春夏秋冬があり、それぞれの景色の素晴らしい眺め・旬のグルメ・イベントなどがあります。

 

分割で日本一周するメリットは、好きなところにブッ飛んで行けるということです。

 

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例えば今週岩手県を走ったとして、次の週に続きの宮城県を走る必要は無いのです。

和歌山県に行きたければ、行けばいいのです。

 

もちろん分割ではなく通しで日本一周する人だってそういう行動をしていいのだが、分割日本一周はより精神的な自由度が高いと思うのです。

 

海岸線、内陸、そんなことは少し頭の片隅に置いておいて、好きに日本を巡りましょう。

あなたが何のために日本一周をしたいのかは存じませんが、「日本を知りたい」と思ってのプランなのであれば、好きに日本を巡ることはきっと間違ってはいないでしょう。

 

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そして、結果は後からついてくるのです。

 

しばらく自由気ままな旅を続けたら、日本地図にあなたが走ったルートを書き込みましょう。

ある程度ムラがあるかもしれません。

 

それがあなたにとって「①ちょっと興味の薄いエリア」あるいは「②アプローチが大変なエリア」です。

 

「①」について、あなたが「日本を知りたい」と思っているなら、その空白地帯に何があるのか調べるだけのモチベーションは、そのとき既に充分にあるでしょう。

これまでの経験からあなた自身の趣味嗜好はわかっていると思うので、きっと興味の惹かれるスポットが見つかるでしょう。

 

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「②」については、適宜予定を1日多く取るなどしましょう。

そしてここばかりは、事前にしっかりと往復スケジュールを考えておくのが良いでしょう。

 

ちなみにですけど僕は、日本一周に2~4年をかけ、そして一周ごとのドライブ回数は合計100回は行かないように調整しています。

 

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これは、日本3周目が終わったときの走行マップです。

青線が一般道を走ったルートです。

 

わりと作業が大変なので、日本4周目以降は日本地図レベルでは走行マップを作っていません。

…が、日本4周目以降はよりマニアックな指向に傾くとともに、空白地帯の塗りつぶしにも積極的に動くこととなりました。

 

日本6周目の後半現在では、この図の比ではないくらいに線が引かれる状態となっています。

 

 

できない言い訳ではない、できる理由を

 

「無理」・「できない」って言うのって、すごく簡単なのです。

理由だっていくらでも考え付きます。

(僕も仕事や家庭内ではそうかもしれません)

 

しかし本当にやりたいことがあるならば、「どうすればできるのか」・「どこまでならできるのか」を考えてみると良いでしょう。

 

僕も本当であれば日本一周を通しで実施したいです。

でも、仕事を捨てるわけにもいかないので分割日本一周という選択肢を取りました。

ちょっと残念ではあるけれど、分割には分割の良さがあり、それに気付けただけでもハッピーな人生です。

 

あなたも日本一周を目指したいのであれば、ぜひハードルを飛び越えてほしいです。

  • スタミナが無いなら、交替で運転できる人を立て、その間に寝れば行動範囲を確保できるかもしれない。
  • バイクや車中泊ができない車であれば、一部をフェリーなどで補えば、移動と睡眠を同時に取れるかもしれない。
  • お金がないなら、メンバーを増やせば割り勘できる。しかも運転手多数となり、交替しながら一般道で目的地まで行けて、より安価かもしれない。

 

その他、家庭事情などいろいろあるかもしれませんが、できる範囲から巡りましょう。

 

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こうして経験を積み重ねていくうちに、当初では思いつかなかった突破口を思いつくかもしれません。

 

それは、旅で得られた成長の証です。

仲間と一緒なことがあったのなら、絆も深まることでしょう。

こんなに嬉しいことは無いですよね。

 

僕も最初の頃は、何のノウハウもなく四苦八苦でした。

失敗し、少しずつ 成功を積み重ねて、今があります。

 

だけども、まだまだ僕も成長します。

あなたと共に、切磋琢磨できたら幸せです。

 

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Twitter◆:反響のあったツイートご紹介

 

まずはですね、前回のコラムを書いた後、Twitterを使い始めました。

 

8年半くらい前にアカウントは作っていたのですが、作った経緯も忘れたし、作ったこと自体も忘れていました。当然ひとこともつぶやかずに沈黙の戦艦みたいな感じになっていました。

 

しかしこれを機にTwitterを使用し始めたので、お知らせなのです。

 

twitter.com

 

当ブログにおいても、PCの人は右のほう、スマホの人は下の方に僕のツイートが表示されていると思います。

 

2021年4月現在、2000人ちょっとの方がフォローしてくれており、毎日つぶやいてワイワイしていますので、よろしければヒマつぶしに突撃してみてください。 

 

では、そこそこ反響のあった思い出のツイートをご紹介します。 

 

 「大菩薩峠」(徳島県

 

 

 

 「草木ドライブイン」(群馬県) 

 

 

 

「公楽園」(新潟県

 

 

 

ツーリングマップル 

 

 

 

「立石バーガー」(東京都)

 

 

 

非公開(福島県) 

 

 

 

「小春食堂」(茨城県

 

 

 

「珈琲神社 (カフェ.G)」(宮城県

 

 

 

◆ご挨拶◆:新しい季節の中に思うこと

 

さて、Twitterの反響を見る限りでは、世の中はレトロ・ボロに興味を持つ方が多いのでしょうか?

だとしたら、日本6周目の僕のテーマとかなり合致し、嬉しい限りです。

 

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ちなみにためしにガチな廃墟についてもツイートしてみましたが、そちらは反響はイマイチで寂しかったです。

 

なるべくニーズに合う記事を執筆できるよう、でも僕自身も執筆して楽しめるよう、運用を心がけます。

 

-*-*-*-*-*-*-*

 

2021年4月…。

新しい時代はスタートし、桜も咲き誇っています。

 

だけれども、相変わらずコロナ禍の先の見えないトンネルの中にいます。

世の中、この先どうなっていくのでしょうか?

 

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思うように旅行もできないご時世ですが、人の根本的な欲求の1つには、旅行をしたい・未知の世界を見たい、という欲があると考えています。

 

観光産業は苦しいけれど、絶対になくなりません。

コロナが落ち着いたときに、またみんなが笑顔で旅立てると信じています。

 

願わくば、そんな次の時代に、どこか眺めの良い丘の上であなたと出会いたいものですね。

そしたら僕、コーヒー淹れますよ。(紅茶でもいい)

 

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では、最後に昨日僕が撮影したばかりの満開の桜と共に…。

 

 

新しい季節を迎えたあなたと、そして旅人たちに幸あれ!!

 

 

No.094【鹿児島県】日本本土最南端の「佐多岬」!リニューアルされた南国風景を満喫だ!

日本本土の最南端。

 

 

「佐多(さた)岬」だ。

鹿児島県に位置し、南国植物の溢れるトロピカルな風景が、日常を忘れさせてくれる岬だ。

 

なお、SNSなどを見ていると毎日誰かしらが「佐田(さだ)岬」と記載しているが、佐田岬は四国最西端の岬なので間違えないように気をつけたい。

 

本土最突端16岬の執筆のラストを飾るのは、この佐多岬だ。

 

 

新しい佐多岬を語ろう

 

 北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

なお、日本本土の定義は、上記リンク先にも記載している通り、「離島航路整備法第2条第1項」に基づいている。

 

あなたは「沖縄本島も本土じゃないか」と思われるかもしれない。

そういう定義もあるのでそれも正解ではあるが、僕の定義は離島航路整備法なので、そこだけご容赦いただきたい。

 

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…というわけで、沖縄本島などを加味しない九州の最南端であり、つまりは本土の最南端が佐多岬なのである。

 

さて、ここで最初にお断りしなくてはならないことがある。

佐多岬は大幅な改修をし、2018年9月にリニューアルオープンしている。 

 

僕は改修前の世紀末テイスト漂う世界観も知っているし、改修工事中も見ている。改修後の新しい姿も知っている。

 

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かつての佐多岬1

本当は、それらを全部執筆したい。

 

なんだったら、2003年にニュースになって全国の旅人をザワつかせた「岩崎産業」の報道だとかまでを執筆し、僕の佐多岬にかける熱い情熱をあますことなく書き殴りたい。

 

本当は、「北緯31度線展望広場」とかも織り交ぜて書きたい。

 

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かつての佐多岬2

だけども、それらをすべて書いてしまうと、記事がとても長くなってしまうのだ。

 

あなたは、「いやいや、つい先日のトドヶ崎の記事は過去編まで含めて書いたでしょ」みたいに思われるかもしれない。

そこを突かれるとイタい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ぶっちゃけ言うと、「トドヶ崎」は熱筆しすぎて大変に疲れた。

記事の文字数は、東日本大震災関連を除けば、「芦生の森」に続く第2位となり、相当な長文であった。

 

僕は懲りたのだ。

だから今回は、リニューアル後の佐多岬にフォーカスした記事としたい。

過去の佐多岬については、またいずれ別項目で振り返ろうと思うのだ。 

 

 

佐多岬ロードパーク

 

まずは佐多岬駐車場の8㎞手前から始まる、「佐多岬ロードパーク」という道路からご紹介したい。

 

正式名称は町道佐多岬公園線というのだが、2012年くらいまではこの名称であった。

そして現在も通称として使われているので、本記事の表記はこちらとする。

 

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ロードパーク1

いきなり裏側からの撮影で、大変に申し訳ない。

これは帰り際に撮影したものなので、『またのお越しをお待ちしております』と書いてあるのだ。

来たときにこの表示だったら大問題だ。

 

以前はこの付近が佐多岬ロードパークの料金所だった。

1000円徴収されていたのだ。

これが無料になったのだから、とてもありがたい話だ。

 

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ロードパーク2

この道はもともと、交通事業や観光事業を手掛ける岩崎産業が1957年に佐多岬の観光開発目的で設置した道路だ。

 

しかしやっぱり景気は浮き沈みするそうで、写真の背後に見えているの建造物も沈黙状態なんだけど、それは今回は見なかったことにしておこうか。

 

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ロードパーク3

この道のステキな部分が、これだ。

ヤシの木の並ぶ、トロピカルロードなのだ。

 

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ロードパーク4

道幅はそんなに広くはない。

むしろ中央線の無い区間もあるくらいだ。

そこそこアップダウンもあるし、曲がりくねるし、眺望もそこまでよろしくない。

 

にもかかわらず、僕にとってこの道は日本TOPクラスに好きなのだ。

 

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ロードパーク5

なぜなら、僕のイメージする南国をこれでもかと詰め込んでくれているから。

 

これから本土最南端の地を踏む僕に対し、「ようこそ!これが南国だよ!」と出迎えてくれてくれているからだ。

 

例えると、「那覇空港」に降り立った到着ロビーにて、さっそく琉装のお姉さん方がいて、その頭上に「めんそーれ・沖縄」とか書いてあるような、そういうパターンだ。

嫌がおうにも盛り上がるであろう。

即、さーたーあんだぎー食べるわ。

 

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ロードパーク6

道路に盛大にはみ出たガジュマルの木。

僕は毎回ここで写真を撮ったりする。

 

どうだい、カラフルでクチバシの大きい鳥の鳴き声が聞こえてこないかい?

枝から枝へとサルが飛び交う様子が見えてこないかい?

 

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ロードパーク7

こっち側斜線はまだマシだけど、反対側の車線はもう、「よっ、飲んでいるかい」と暖簾をくぐるような感じになるよな。

 

もしくは昭和の台所の入口に設置されているジャラジャラだ。

もしくは映画「レオン」でスタンスフィールドさんがベートーベンをかけながら一家斬殺する際にスタイリッシュに開けるジャラジャラだ。

 

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ロードパーク8

森の主のようによく育ってらっしゃる。

あなたも佐多岬に行く際には、忘れずに彼を見てあげてほしい。

 

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ロードパーク9

あぁ、あとリアルに猿はいたりする。

タイミングが合えば、群れでウジャウジャいる。サファリパークかってくらい。

 

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ロードパーク10

こうして岬まであと3㎞のところまでやってきた。

 

ここで急に景観が開けるのだ。ピッカピカの真新しい駐車場やトイレがある。

まぁこの場所もいろいろ語りたいことがあるのだが、今はスルーしよう。

 

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ロードパーク11

さらに道はワイルドに、アップダウンを繰り返す。

高揚感もMAXだ。

 

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ロードパーク12

最後の数100mのところでは、北緯31度線展望広場が出てくるぞ。

 

しっかりと駐車場が整備されており、ライダーさんなどはこの碑の前で愛車と記念撮影するのは定番だ。

2018年にできたばかりのスポットだが、大人気だ。

ここについてはいずれ、個別の項目でご紹介したい。

 

では、いよいよ佐多岬の駐車場である…。

 

 

最南端への遊歩道

 

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駐車場にて1

充分な広さの駐車場だ。

そして中央にはズドンとガジュマルの巨木が生えている。

これでもかと、ここが南国であることをアピールしてくる。

 

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駐車場にて2

最高だ。

イメージ作りはくどすぎるくらいがいい。
 

ガジュマルと愛車を並べて写真を撮れたら最高なのだが、それは少し困難だ。

駐車場は2018年にリニューアルされ、ガジュマルに愛車で近付けなくなってしまった。

 

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駐車場にて3

こうやってガジュマルと愛車を、無理矢理同じフレームに入れてみる。

 

駐車場の奥には展望エリアがある。

これは以前は存在していなかったな。

行ってみよう。

 

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駐車場にて4

 

はい、すごいね。

 

 

本土最南端の海が見事に広がり、佐多岬灯台までもを遠望できた。

素敵すぎて膝から崩れ落ちそうだ。

 

2018年以前にはなかった展望エリア。

今まではここからさらに1㎞ほど歩いて、眺望の良い本土最南端の碑まで行っていたのだが、ここからでも充分に最南端の絶景を楽しめるぞ。

 

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駐車場にて6

ちょっと視点を変えると、本州最南端の碑のある丘が遠望できた。

山頂にあるのが、これまた新しい展望台だ。

 

そこに続く道は、まるで「万里の長城」のようだ。

あとで実際にレポートしてやろう。

 

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駐車場にて7

あと、駐車場には建物があった。

観光案内所と書かれている。

 

中を覗きたかったが、この時間は既に17時過ぎ。

残念ながら既に閉館しているようであった。

 

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最南端への遊歩道1

さて、それでは歩く。

岬の先端の展望台、本土最南端の碑のところまで、当然行く。

 

ゆっくり歩いて15分ほどかかるし、アップダウンもそれなりにある。

水分の確保や日差し対策なとをしてとくと良いかもしれない。

 

まずは、トンネルだ。

夏でもヒンヤリ涼しいトンネルだ。

かつてはこの中にも料金所があり、佐多岬ロードパークと合わせてモリモリお金を吸いとられたんだけど、今は無料だ。

ありがたい。

 

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最南端への遊歩道2

トンネルを抜けると、このようなハイキングコース。

周囲には、南国植物が元気に生い茂っている。

 

ところで、ここも2018年に大改修が行われた。

かなり登り下りが連続していた遊歩道だったのが、完全にフラットになったのだ。

これはすごい!

 

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最南端への遊歩道3

さて、途中にはジャングルに埋もれるように建っている神社がある。

「御崎神社」というらしい。

本土最南端の神社だ。参拝してみてもいいだろう。

 

綺麗な遊歩道が続く。

もちろんアップダウンはあるものの、格段に歩きやすくなったように感じる。

 

すごいお金をかけたんだろうな。

そして、それだけのお金をかける価値のある岬なのだろうな。

嬉しいよ。

後述するが、遊歩道だけではなく、展望タワーも一新しているし、廃墟となっていたレストハウスも撤去されているし。

 

佐多岬は生まれ変わったのだ。

 

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最南端への遊歩道4

あと、下を見ると海がメチャメチャ青い。

穢れを知らない顔をしてやがるぜ、この海のヤツ。

 

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最南端への遊歩道5

海の向こうには薩摩富士こと「開聞岳」も見える。

素晴らしいシルエットだ。

 

あと、ちょっと見えづらかったので画質をいじっているが、条件さえ合えばしっかりと見ることができるぞ。

 

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最南端への遊歩道6

噴煙を上げているのは「硫黄島」という島だ。

当然だが、小笠原諸島にある太平洋戦争で有名になった硫黄島とは違うよ。

 

あと、「屋久島」や「種子島」も見える。

大パノラマだ。

 

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最南端への遊歩道7

見覚えのある広場にやってきた。

ここはコース内でも数少ない、ある程度の広さのある平地だ。

 

ここは以前はレストハウスだったのだ。

もっとも、僕が初めてここを訪れた2005年には既に廃墟だったが。

 

それ以降、ずっと廃墟を見続けていた。

廃墟の裏をすり抜けるようにして、本土最南端の碑まで行く必要があった。

しかし今はとても綺麗な広場になっている。

クリーンなイメージになったな。

 

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最南端への遊歩道8

かつての廃レストハウスからの激しい昇りの階段も、こうしてゆるやかなスロープに生まれ変わった。

ありがとう、匠の粋な計らいだ。

 

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最南端への遊歩道9

どんどん標高は上がる。

夕焼けを浴びて赤く染まる、岬の一端が見えている。

なんというダイナミックな世界観よ。

 

そして僕は、本土最南端の碑のある広場へとたどり着く。

 

 

本土最南端の絶景を見よ

 

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本土最南端1

来た。

「本土最南端 佐多岬と書かれた碑だ。

 

個人的には、2018年までのウッディな感じで左右を植物に囲まれているロケーションのほうが南国レベルが高いように感じる。

しかしこれもこれで、スタイリッシュで素敵である。

 

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本土最南端2

1枚だけ、過去の同じ場所の写真を掲載しておこう。

 

これがかつての碑である。

非日常を感じられる、このスポットが好きであった。

 

これもいいでしょ?

両方体験できた僕は、お得だ。そう思っておこう。

 

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本土最南端3

同行者なんていない、ロンリーな車中泊の旅なので、1人で記念撮影だ。

僕の右後ろにチラリと写っているのは「佐多岬灯台」だ。

 

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本土最南端4

ピンボケでよければ、改めてご紹介しよう。

あれが佐多岬灯台だ。

 

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本土最南端5

陸地から離れた島にあるので、ここから歩いていくことはできない。

眺めるだけなのだ。

 

ただしズームすると相当にかっこいい。

左側の建造物が要塞のようだ。万里の長城のようでもある。

 

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本土最南端6

同時に夕日も眺められる。

汗だくになるような1日であったが、少し風が出て、空気が爽やかになってきた。

いい時間帯だな。

 

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本土最南端7

さて、ここはまだ丘の中腹だ。

さらに登ろう。そこに展望台が建っているのだ。

 

 

展望台の遠景については、駐車場から見た写真を既に掲載済みなので、もし忘れた人は遡って見てほしい。

 

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展望台1

近景がこれだ。

めちゃめちゃオシャレ。石油王の邸宅みたいな感じだ。

 

以前の展望タワーは高さこそあるものの、「ホントにこれ登っていいの?」ってくらいに廃墟テイスト丸出しであり、そして展望室の窓ガラスは一部を除いて全部消滅していたもんな。

あれはあれで好きだったけどね、あれでは石油王は住まないよな。

 

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展望台2

展望台内部からガラス越しに景色を眺めることも可能だ。

 

しかし既にこの時間は閉鎖されていて入れなかった。

この綺麗な岬と綺麗な展望台を守るために、セキュリティがしっかりしているのだ。

 

だけども元より僕は屋上から景色を眺めたいタイプの人類なので、気にしない。

 

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展望台3

 

よしっ、文句なしの100点満点だ。

 

 

最高の景色。

ここでボンヤリと海への落陽を眺めたら、きっと最高過ぎる。

 

どこまでもどこまでも、水平線が広がっているのだ。

この海の向こうに何をイメージしようとも、あなたの自由だ。

 

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展望台4

参考までに、佐多岬展望台からの可視範囲を上記にご紹介しよう。

 

本土はもうここより南には無く、太平洋にいくつかの島が散らばっている。

それらの島々に、夢を馳せても良いだろう。

 

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展望台5

なんというダイナミックな眺望。

真下にはさっき記念撮影をした本土最南端の碑も見えている。

 

そして沖の岩礁の上に立つ灯台だ。

非常に絵になる。

 

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展望台6

…最近の世の中の流れとして、大幅リニューアルが加わるときは、大抵万人受けするように角が取れた設計となる。

 

かつては、一部のマニア向けだったり、立案者の趣味に合わせて奇抜なデザインだったりしたかもしれない。

しかし、21世紀はとにかく平等・平穏を追い求め、クレームを恐れているのだ。

従い、マニアからは「昔の方がもっとワクワクした」というコメントを聞く観光地が多い。

 

僕は、僕自身が佐多岬に対しそう思ってしまうことを恐れていた。

「以前はもっとワイルドな遊歩道で、ボロッボロの廃墟が建つスゲー岬だっただぜ」とか言い出しかねないと思っていた。

 

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展望台7

…だがどうだろう。

今の僕は心から穏やかで、この風景・この岬の設備を堪能している。

最高なのだ。

 

そりゃ、以前のワイルドな岬も好きだ。忘れることはできないし、今後も語りたい。

だが、岩崎産業時代から長い年月と(たぶん)多額の費用をかけて生まれ変わったこの岬も、とてもステキなのだ。

 

これからの時代に本土最南端を訪れる旅人たちにとっても、きっと生涯忘れられない思い出になるに違いない。

 

 

夢の残影

 

しかし、僕は少しだけ寂しい気持ちであった。

岬のほぼすべてが新しいものに交換されてしまい、2017年以前を彷彿とさせるものがあまりに少なかったのだ。

 

ちょっと切ない気持ちで遊歩道を戻っている最中、ふと脳裏によみがえった記憶がある。

 

あの駐車場にあった大ガジュマルに、確か立て札がくくりつけられていたよな?

もう日没近いので焦って遊歩道に向かってしまい、じっくりとは見ていなかったが、あの立て札には見覚えがある。

 

まさかあれは…?

 

駐車場に戻り、再度ガジュマルを確認する。

 

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残滓1

 

『本土最南端 佐多岬

 

 

ちょっと泣きそうになったよね。

僕の知る、本土最南端の碑だ。

 

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残滓2

木製だからな、もしかしたらずいぶん補修されたのかもしれないし、まるまる作り変えられたのかもしれない。

だけども、今までの馴染みのあるデザインだ。

 

遠い昔、仲間と交替でハンドルを握り、真冬に目指した佐多岬

若かりし日の僕が、カーナビもないステップワゴンに荷物を積んで、1人車中泊をしながら九州を一周した思い出。

日産サファリをうならせ、車中泊日本一周をしたときの思い出…。

 

全部全部、この立て札は知っている。

 

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残滓3

だとしたらな、 キミと写真を撮らないわけにはいかないだろう。

 

この立て札を残してくれて、ありがとう。

僕と同様に、以前を懐かしむ旅人がいるなら、僕も嬉しいな。

 

…そしてもう1つ、残存しているか気になっていたのが、「本土最南端の電話ボックス」だ。

かつては佐多岬ロードパークの終点、つまり駐車場の出入口にあった。

 

これは…、もうなかった。

 

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残滓4

これは以前の写真だ。

 

既に展望タワーや廃墟レストハウスが撤去されている中を訪問し、僕は「この電話ボックスも無くなるかもしれない。これが最後かもしれない。」と思って撮影したのだ。

残念ながら、僕のカンは正しかった。

 

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残滓5

『日本本土最南端の応手電話ボックスです 旅の思い出に声の便りを伝えてください』 

 

誰もが携帯電話を持っているし、SNSで広く思い出を投稿できる現代において、公衆電話で感動を誰かに伝えることはなかなかに稀である。

灯台型のかわいい電話ボックスではあったのだが、お役目引退となったのだろう。

 

これも寂しいが、仕方のないことだ。

確認できてよかった。

 

-*-*-*-*-*-*-*-

 

こうして僕は、佐多岬を出発する。

水平線に沈みつつある夕日を背中に浴びながら。

 

今でこそ、無料で誰もが訪問できる佐多岬

 

しかし実は岩崎産業が岬への道を作ったところから始まり、激動の歴史を歩んできているのだ。

岩崎産業にもありがとうだし、そこから買い取って整備した南大隅町にもありがとうだ。

 

これからも、旅人に夢を与える素敵な岬であってほしい。

 

 

…最後に。

 

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標識1

佐多岬ロードパークが終わった少し先に出てくる標識。

 

日本本土最北端の「宗谷岬」まで2700mを示す標識だ。

 

僕の知る限りでは、国内~国内を示す道路標識としては、2番目にスケールがデカい。

ここでも旅人に夢を与えてくれている。

こんな標識を見てしまったら、旅を終えられるわけがないではないか。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 佐多岬
  • 住所: 鹿児島県肝属郡南大隅町佐多馬籠417
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.093【福島県】南相馬リビジット ― 震災復興ボランティアをした地はどうなったのか…。

10年前、2011年3月の東日本大震災

あのとき、僕が震災復興ボランティアをした南相馬市

 

10年経った今、あの町はどうなっているのだろうか…?

2021年3月、僕は再びあの町を目指してアクセルを踏む…。

 

なんとなく見覚えのある風景。

だけれでも、もう変わってしまった町。

 

嬉しくもあり、切なくもあり。

…でもこれが、この町の真実なのだ。

 

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そして10年の歳月が流れた

 

 

drive-ns.hatenablog.com

 

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drive-ns.hatenablog.com

 

 

10年前に執筆した上記の3本のレポートを執筆し、それを再掲していったが、今回は新規の書きおろしとなる第4弾だ。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-

 

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2011年のこと。

 

上の写真、右のビニール袋はヘドロ掻き出し作業で汚れた上、放射能も含んでいるかもしれない服をギュッと詰めた袋だ。

帰宅し、母親に「有毒かもしれないから気をつけて洗ってくれ」と無造作に渡したんだけどな。

 

帰宅した僕は、「がんばろう!みなみそうま」の帽子を家に持ち込もうとしたが、ふとその手を止めた。

 

この帽子は車の中にこのまま置いておこう。

南相馬を忘れないために。

東日本大震災を忘れないために。

 

この先、僕はきっと日本中を走るだろう。

途中で車を交換することもあるだろう。

でも、ずっと一緒だ。

 

これは、僕と被災地を繋ぐだ。

 

また、笑顔で会おう。

約束だ。

 

(「南相馬・リスタート」より)

 

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僕は、思い出の帽子と共に日本中を巡った。

いつだって、身近に南相馬があった。

 

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あっという間に10年経ったよな。

 

そして…。

 

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2021年3月だ。

 


さぁ、再び行こうか。

南相馬へ。 

 

実はね、これまでも僕は南相馬市を何度も車で通過はしていた。

しかし、「震災のその後を確認するため」という観点で巡ったことはない。

今回は久々に、あのとき僕らが活動した地を踏んでみようと思うのだ。

 

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2021年現在、常磐道福島県浜通りを完全に繋げている。

とても便利になったものだ。

 

福島県宮城県のほぼ境目にある新地ICで一般道に入り、久々に海を目指して走った。

なんだかドキドキしてきた。

 

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ドキドキを落ち着かせるため…というよりただ単にお腹が減ったのでコンビニで食べた、カップヌードル_欧風チーズカレー」がうまかった。

 

特性チーズパウダーっていうのを後から振りかけるのよ。

コクと旨味のハーモニー。神々の食べ物だ。

よしっ、元気出た。

 

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ところで今回僕は、ロクな事前調査をしてきていない。

最近はとても忙しくて、それどころではなかったのだ。

 

何の準備もせずに突然相馬市にやってきたのだ。

だから以前僕が活動した地を見つけられないかもしれない。

地名も大体忘れている。風景も大体忘れている。

 

だが、それでも良いと思っている。

以前の地を見つけられなかったらそれでいい。思い出せなかったらそれでいい。

 

だって、新しい町、新しい記憶が上書きされたということなのだから。

 

 

海沿いの記憶

 

僕は相馬市の「松川浦」付近を重点的に観光した後、県道74号で 南下し南相馬市を目指す。

「松川浦」については、いつか別項目で取り上げたい。

震災前から通っている、思い出の地なのだ。

 

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県道74号1

建物と言えるような建物は、10年経った今でも存在しない。

しかし土地は綺麗に整備されている。

 

そして小さな苗木が一帯にビッシリ植えられている光景をよく見かける。

防風林や防砂林になるのだろうか?

この子たちが育つには10数年、あるいは数10年かかるのかもしれないけど、次世代の芽吹きだな。

 

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県道74号2

もう1つ、目立つのが太陽光発電ソーラーパネルだ。

いたるところに設置されている。

 

上の写真は広範囲の設置がわかるよう、ちょうど出てきた高台に車を停めて撮影した。

 

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県道74号3

あと、近くに梅が咲いていた。

桜の時期はまだまだ先だが、東北の春、1つ見つけたぞ。嬉しい。

 

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県道74号4

チラホラと住宅が立っている地もあるが、大半は何もない。

春以降は田畑に使われるのだろうか?

 

あまり変わり映えのしない景観だが、絶妙に10年前に記憶がリンクしそうな、しなさそうな、もどかしい思いだ。

 

しかし10年前、確かに僕はここを走っているのだ。

何度も。

 

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県道74号5

どこまでも平らな土地が続いていてた。

あの向こうが海だ。

 

海まではまだ2㎞ほどはありそうだが、ほとんど平坦な地なので津波は一気にここまで来たのだろう。

 

「原町火力発電所」が見えてきた。

上の写真、オリジナルサイズだと右端に発電所の煙突がもう見えている。

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県道74号6

そろそろかつての鹿島のボランティアセンターの活動範囲には入ったと思う。

 

ここいらは、南海老地区だろうか?

凄まじい津波で住宅地の家が根こそぎ消滅し、道路もアスファルトが剥がされたり崩壊した、あの光景が脳裏にフラッシュバックする。

 

ヘドロにまみれた大地、瓦礫の山、青い旗、土鍋に活けられた花、応援メッセージ板…。

僕は今、間違いなくあの日のあそこのすぐ近くにいる。

 

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県道74号7

春と夏の訪問時に印象的であった、大崩壊した特徴的なカーブはどこだっただろうか?

 

あのときとは逆側から走っているせいか、それとも完全に形状が変更されてしまったのか、確信を持てる場所が無い。

しかし気付かないなら、それはそれで幸せなことだと思う自分もいる。

 

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県道74号8

内陸側の風景だ。

ずーっと向こうまで何もない。

 

人が居住する地は、ずっと内陸側まで移ったのだろうか?

目の前に広がるこの土地は、春には田畑になるのだろうか?

 

しかし脇道に入る地点には「進入禁止」と書いてあり、遠くにショベルカーがいる。

ということは、まだ復活できていない土地なのかもしれないな。

 

南相馬・リスタート」で訪問したひまわり畑の場所もわからなかった。

もうひまわり育成施策はやっていないのかもしれない。

 

 

北泉公会堂

 

原町火力発電所を回り込み、発電所の南側までやって来た。

このあと、発電所ギリギリまで接近してみたいと思う。

 

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北泉公会堂1

火力発電所の煙突を左手に見ながら海岸に向かう道。

あれ…?この光景を、僕は知っている…!?

 

実はこのとき、まだ「南相馬・リターンズ」を執筆できておらず、当時の写真の発掘作業もしていなかった。

だけども僕の脳内記憶の発掘はすさまじい勢いで行われた。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ひび割れた防波堤の上でのランチ…。

濃霧の中で崩壊した火力発電所…。

ヘドロの中から拾ったミッフィーちゃん…。

 

泥まみれの畳を敷いて作ったレールの上を走らせたリアカー。

崩壊しそうな天井の下でのヘドロ撤去作業…。

「またいつか会おう!」と言って別れた20人の頼もしい仲間たち…。

 

 

北 泉 公 会 堂

 

 

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北泉公会堂(過去写真)

一気に思い出が脳内に溢れ、泣きそうになった。

 

あぁ、あの場所の近くにいる。

どこだったっけか、公会堂…。今もあるのかなぁ…?

 

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北泉公会堂1

後日机上調査をした結論から申し上げると、ここが正解である。

 

目星をつけ、後述する原町火力発電所付近を見学し、さらにUターンして戻ってきた。

そして僕は「きっとここがかつての北泉公会堂に違いない」と思い、愛車を停めた。

 

理由は3つある。

 

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北泉公会堂2

1点目は、当時北泉公会堂から歩いて火力発電所南側の海岸まで行き、ランチをしたという立地から。

ここが一番合致するし、周辺の道路もなんとなく見覚えがある。

 

2点目は、公会堂跡地に建てられているこの建物が公共施設っぽいこと。

いろいろ鑑みると、いきなり人家が建つとは思えないし、かといって頑丈な基礎と建物が乗っていた地なのだから田畑にする可能性も低いであろう。

 

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北泉公会堂3

そして3点目。

敷地の片隅に立つ、この碑だ。

 

 東日本大震災犠牲者慰霊碑

 

二○一一年(平成二十三年)三月十一日午後二時四十六分、東北地方太平洋沖を震源として発生した東日本大震災は当地方にも甚大な被害をもたらした。

 

地震による建物などの損壊もさることながら、直後に襲った十メートルを超す大津波は多くの人の命を奪い、家屋は流出、倒壊、田畑は冠水した。

加えて原子力発電所の水素爆発による放射能の放出、拡散により、過酷な状況に陥った。

 

当行政区、住民の避難に当たり殉職された菅野利男行政区長、星勝消防部長をはじめ七名の尊い命が奪われた。

家屋の流出二十七戸、うち二十四戸が他地域への転出を余儀なくされた。

 

七回忌に当たる今日関係者各位のご賛同のもと、犠牲者のご冥福を祈ると共に被害の記憶と教訓を後世に伝えることを願い、ここに慰霊碑を建立する。

 

平成二十九年三月十一日 北泉行政区慰霊碑建立委員会

 

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北泉公会堂4

慰霊碑を建てるとするなら、それはシンボリックな場所。

かつての公会堂もそれに当たるだろう。

 

 

Googleマップにて北泉公会堂を検索すると、まさにこの地が出てきた。

 

ストリートビューでは既に、一番古い画像を出しても公会堂は存在しない。

だけども、ここが公会堂であったという推測は正しかった。

そして、僕の記憶の中には、確かにここに公会堂が残っているのだ。

 

 

原町火力発電所

 

北泉公会堂から、さらに海沿いに向かう。

 

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原町火力発電所1

正面に小さく防波堤が見える、同じ道だ。

尚、以後2枚組の写真においては、「左が2011年・右が2021年」とするのでご了承いただきたい。

 

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原町火力発電所2

防波堤の高さ自体は変わっているように見えなかったが、とてもきれいに整備されている。

そして左手には緑の小高い丘が形成されていた。

 

道路に導かれるまま、火力発電所方面にさらに向かってみた。

 

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原町火力発電所3

なんか駐車場があったので入ってみた。

すぐ背後は火力発電所の敷地だ。一望できていい感じだ。

 

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原町火力発電所4

赤いウェーブの描かれた公園だ。独特の感性の成せる技だな。

その向こうに火力発電所の施設。

 

上の写真の右の方に見えている三角屋根の建物。

見る限りは新しく、震災後に建てられたものだ。

しかしそのテイストには見覚えがあった。

 

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原町火力発電所5

ほぼ同じ場所に建てられた、同じテイストの建物。

なんの建物かは知らないし、積極的に調べるほどの興味もない。

しかし、10年前の記憶の扉を開けてくれた。

 

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原町火力発電所6

公園からはそのまま海に出ることができた。

「北泉ビーチ」というらしい。

 

『-この場所が好き-』と書かれている看板。

正直、10年前はここを好きとか嫌いとかっていう視点から見れなかった。

むしろ絶望ばかりを感じていた。

 

少し戸惑うが、好きな人がたくさんいそうな標語は嬉しい。

 

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原町火力発電所7

海だ。とても綺麗だ。

 

でも、どうしても震災のときの津波を連想してしまう。

きっと地元の人は僕の数100倍、連想してしまっているのだろう。

 

 

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原町火力発電所8

それでも、海とは今後も付き合わなければいけないし、海は同時に恵みも運んできてくれる。

 

全部ひっくるめての「好き」なのだろう。

勝手にそう解釈した。間違っていたらごめん。

 

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原町火力発電所9

あの日、ここでランチにした。

あの日は濃霧でほとんど火力発電所の施設は見えなかったが、ほとんど同じアングルだ。

 

とても綺麗になった。

もう二度と、あの悲劇が起きないよう心から願う。

 

 

原町の浜街道にて 

 

原町火力発電所から南相馬市の小高地区まで、引き続き海岸沿いを走ろうと思う。

 

小高地区は、東日本大震災後の「福島県第一原子力発電所」20㎞圏内にかかっていた部分もあった地区。 

そのギリギリも、僕ら震災復興ボランティアの活動の地であった。

 

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原町の海1

高い鉄塔の立ち並ぶ、海に近い県道260号である。

場所はここより少し内陸側だが、当時は津波で大きく折れ曲がった鉄塔があり、それが印象的であった。

 

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原町(過去写真)

場所は少し違うだろうが、同じ電源を持つ鉄塔に違いない。

 

今、目の前に立ち並んでいる高い鉄塔が真っ二つに折れ曲がるさまを想像すると、鳥肌が立つ。

しかし10年前は、それが現実のものとなったのだ。

 

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原町の海2

ここにもソーラーパネルが広がっている。

火力・太陽光、たくさん電気を生み出してくれてありがとう。

 

僕も今日、久々にドライブができて気力の充電ができている。

南相馬、ありがとう。

 

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原町の海3

土地を整備している現場を目の当たりにした。

立地的に、津波が押し寄せた谷間…といった場所であろうか?

 

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原町の海4

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原町の海5

なんとなく未来予想図を描けそうな気がする。

新たな町が生まれそうな、そんな胎動が聞こえそうな図だ。

 

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原町の海6

10年かけて、少しずつ少しずつ歩んでいる。

その旅路はまだまだ先が長いのかもしれない。

 

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原町の海7

だいぶ南やでやってきた。そろそろ小高地区だ。

ここももちろん10年前に走行しているのだが、何もない地なので記憶がリンクしない。

 

ただし、DNAが記憶しているのか、なんとなく感じるものがある。

客観的ではなく、主体的に風景を見ることができるのだ。

 

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原町の海8

いたるところで工事が行われ、そして同時に植林も行われている。

数10年後のここいらは、緑豊かなになりそうだな。

 

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原町の海9

嵩上げ工事も行っているのだろうか?

 

岩手県陸前高田市だとか、宮城県南三陸町だとかもそうだけど、嵩上げするともう全く風景が変わってしまう。

かつて走ったこの風景も、見納めになるのかもしれない。

 

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原町の海10

今日という日は、二度とない。

 

…そういう思いで、途中で愛車と道路との写真を撮った。

いつかこの写真を現地で見返し、今日の日を回顧できるように。

 

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原町の海11

10年前の春と夏、こんなところからバキバキになった道路の写真を撮ったなーと思い、撮影してみた。

 

ロケーションは酷似しているが、どうにも違和感もある。

自信が無いので対比写真の掲載は見送ろうと思う。

 

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原町の海12

ここいらで、内陸部の国道6号を目指すべき進路を変える。

 

なぜなら、この先はそろそろかつての第一原発20kmエリア。

当時は一般人は立ち入りできず、当然僕も足を踏み入れてはいない。

従い、思い出を辿る海沿いのドライブとしてはここまでなのだ。

 

なんとなく見覚えのある光景…。

 

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原町の海13

これらは、「南相馬リバイバル」のときに「Oさん」の家の泥かきをした前後で見た光景なのだろうな、と思った。

 

看板が立っており、『農用地を復旧する工事をしています』と書かれていた。

工事期間は令和5年までだそうだ。

2013年か…。

 

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原町の海14

ここいらは水田があってOさんもお米を作っていたんだけど、この被害状況では塩抜きをするだけで3年はかかるような状況なんだって。

仮に塩抜きができたとしても、放射能汚染の可能性や風評被害もあるだろうから、前のようにはならないだろうって。

もう自分の代では再びお米を作ることは無いだろうって、悲しんでいたよ。 

 

当時、Oさんが語った内容が思い出される。

なかなかに、長く険しい道のりなのだな…。

 

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原町の海15

国道6号に出た。「ダイユーエイト」だ。

Oさんの家の泥かきをしたあの日、Oさんの家のトイレをみんなで使用するのは忍びないので、ここまで車を飛ばしてやってきたのだった。

 

Oさん、元気かな?

たぶん家の目の前か、すごく近所を走行したのだろう。

でも、もう会うこともないし家を探すこともないだろう。

それぞれの人生を歩み、交わらないほうがいいと思うのだ。

 

 

道の駅 南相馬

 

国道6号沿いの「道の駅 南相馬」にやってきた。

ここも思い出の地だ。

 

これまでの記事では触れていないが、当時から「憶・原町無線塔」を訪ねており、今回もそれ絡みでやってきた。

しかしその件は、いずれ個別の記事で執筆しようと思う。

 

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道の駅にて1

まずは道の駅から国道6号を挟んでほぼ真向かいにある、「ビジネスホテル高見」の前を歩いて往復することにした。

 

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道の駅にて2

南相馬・リターンズ」で宿泊したホテル。

その節はお世話になりました。

 

道の駅まで戻り、内部を見学していると、震災から10年のイベントの一環として小規模な写真展をやっていた。

 

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道の駅にて3

「真野小学校」だ。

2011年の夏、「災害ボランティア感謝の集い」のイベントに参加したときの会場だ。

震災直後はこんな感じだったのだな…。

 

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道の駅にて4

例の鉄塔の写真も掲示されていた。

 

他にもいろいろな写真があり、1枚1枚丁寧に見た。

ここ数年はのほほんと暮らしていたが、改めて気が引き締まった。

 

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道の駅にて5

桜井元市長だ。

この新聞記事も掲載されていた。

 

当時アメリカのタイム誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた方であり、「災害ボランティア感謝の集い」で僕も一緒に集合写真に写らせていただいた方だ。

 

現在は市長をご退任されているが、南相馬に対する熱い想いはご健在だ。

 

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道の駅にて6

まだまだ課題は多いし道のりは長いのだろう。

 

しかし、同情・哀れみなどではなく、極力笑顔で応援していきたい。

きっと未来は明るいのだから。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

kahoku.news

 

コロナウイルスで混乱の渦中にある東京オリンピックだが、どうにかこうにか1年遅れで2021年に開催するそうだ。

 

僕がこの記事を書き始めた3月25日、聖火リレーがスタートした。

初日にはまさに東日本大震災の被災地である福島県浜通り

南相馬市は初日のゴール地点となった。

 

正直、こんな状況下で安全に開催できるのかと心配な方も多いだろう。

聖火リレー1つ取っても懸念点はあるだろう。

 

だけども、一度始まったからには暖かく応援したい。

少なくとも聖火ランナーが悪いわけではない。

 

被災地に、希望の光が灯ればよいと、ただただそう思う。

 

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道の駅にて6

そういえば、帰り際に南相馬市のコンビニで食べたファミマのクリスピーチキンがうまかった。

発売直後で、速攻で販売いったん中止になるくらいの大人気だったらしいですな。

 

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三陸ボランティア

あと、一連に記事では南相馬市のみにスポットを当てたが、宮城県南三陸町で震災復興ボランティアもしたことある。

いつの日か、旅友の「ニコル君」と共に参加した南三陸ボランティアの記事も書こう。
 

*-*-*-*-*-*-*-*-

 

それでは、南相馬市に幸あれ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

No.092【福島県】南相馬リスタート ― あの震災から5ヶ月目、僕らは被災地に招待され…。

東日本大震災から5ヶ月が経ったある日のこと。

2回ボランティアに訪問した南相馬市から僕らのもとに、1通の手紙が届いた。

 

僕らはその便りをもとに、南相馬市を再訪することとなる。

今回はそのときの思い出をつづりたい。

 

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この写真は、震災から10年となる2021年3月、南相馬市にお願いしてご提供いただいたものである。

 

当時の南相馬市の市長である、桜井市長を囲み、みんなで記念撮影をしたときのものだ。

※ 「桜井市長以外の方にはマスキングして使います」と宣言したので、該当部分を加工しています。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

10年前に執筆した上記の3本のレポートのうちの、第3弾の再公開だ。

尚、新規書下ろしを含めて計4本の連載となる。

 

もしあなたのお時間が許すのであれば、上記2リンクをお読みいただいてからのほうがわかりやすいかもしれないが、本エピソード単体でもおわかりいただけるよう執筆しているので、ご安心いただきたい。

 

…僕らが南相馬を訪問する9日前から、物語はスタートする…。

 

 

  

思い出の地から届いた手紙

 

2011年8月11日の夜。

僕宛てに南相馬市から手紙が届いた。

 

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南相馬へ再び1

 この度は大地震に大津波が発生し1000年に一度といわれる大きな災害を福島県宮城県岩手県の海岸部に甚大な被害をもたらし、重ねて、当南相馬市鹿島区は東電第一原子力発電所の事故に伴い未含有の苦難を受けることになりましたが、そのようなことにもかかわらずボランティアの皆様には、早速、鹿島区にかけつけていただき、連日続く猛暑の中、瓦礫の撤去、生活排水路の泥だし等にご甚力を賜り感謝にたえません。

 

 おかげをもちまして、鹿島区においては、復興の兆しが見えてまいりました。皆様には、多方面にわたる支援活動をいただきましたが復興への祈願ともいうべき、ひまわりの様子を植栽いただいたものが開花する時季を迎えることと思われます。

 

 放射能物質による風評被害も拡大する中にあり、鹿島区民が前向きに生きる姿は、皆様が勇気をもって当地に入り率先して綺麗な地域に戻して下さった賜ものと思います。

 

 一応、8月をもって災害ボランティアセンターを生活復興ボランティアセンターに改称し、本格的な復興に向けて活動を続ける所存でございます。今後ともご支援、ご協力をいただきたくお願いを申し上げ書面を持ちましてお礼といたします。ありがとうございました。

 

手紙は2枚組であり、2枚目には『ひまわりの開花と復興を祝って、ボランティアの人たちとひまわりを見たりちょっとした復興イベントをやりたいと思います。よかったら8月20日の10:30に南相馬市の鹿島地区まで来てください。』…という主旨の内容が書かれていた。

えっ!!イベントは9日後じゃないの!めっちゃ急だね!

そして参加可否の返信期限を見てさらにびっくり。

 

明日中に投函だよ!

 

めっちゃ急だね!

考えている時間がほとんどないわ。

 

そして僕、南相馬からは「どうせ8月の週末なんて夏休みをエンジョイするわけでもなく、ヒマを持てあましているんでしょ」とか思われているのかな?

…正解だよ、コンチクショウ!!

 

しかし、さすがにこういうイベントに1人で行くのも浮いちゃうので、仲間を招集しなければ。

手紙の送付元を見ると、鹿島ボランティアセンターと書いてある。

 

僕らは南相馬の原町地区と鹿島地区を拠点としてボランティアしていた。

しかし鹿島地区で活動したのは「南相馬リバイバル」のときのみだ。

僕が「第2次世界大戦に竹槍で挑む人の気持ちが今ならわかるよ」と言ったところだ。

 

南相馬リバイバル」のメンバーにすぐに連絡を取り、翌日の1名のみ参加の調整をしてくれた。

僕もギリギリのタイミングで参加の旨を投函。

 

 

では、8月20日に再び福島県南相馬市に行きますか!

 

 

3度目の南相馬

 

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南相馬へ再び2

夜明けの「東京タワー」だ。

 

今日さ、深夜の3時に起きて、家を出発したんだよ。

こんな時間に起きるのなんて、漁師さんかパン屋さんくらいだよ、まったく。

しかし10時くらいには南相馬に着いていないといけないんだもん、ツラい。

 

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南相馬へ再び3

東日本大震災で頭頂部が曲がった頭頂部。

一時期はかなりゆがんでいたけど、その後に人力で一生懸命直したみたい。

ずいぶんとマシになってきたね。

 

8:30ごろ、おなじみの東北道の福島松川ICで高速道路を降りた。

いずれ福島県浜通りを走る常磐道が開通すれば、南相馬までスムーズに行けるんだろうが、第一原発の事故の影響は、それはまだまだ先の話になりそうだな…。

 

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南相馬へ再び4

ボランティア活動をしていたときの行きかえりで気になっていた、ポニョだ。

 

全村民が避難しているという、飯館村の畑の中にいる。

農道を100mほど車で突っ切り、今回初めて横まで到達できた。

なんだかちょっと心がザワつくレベルの違和感がある。

 

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南相馬へ再び5

10時ちょっとすぎ、今回のイベント会場である、南相馬市鹿島地区の「真野小学校」に到着した。

うわ、車が既にいっぱいだ。

 

ここも震災時は大変な状態になっていたようだ。

今回特別に10年後の2021年を生きるYAMAが、つい先日現地で掲示していた震災当時の写真を撮影してきたのでご紹介する。

 

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南相馬へ再び6

ところで駐車場に誘導してくれたボランティアの人に見覚えがある。

 

あーー!!

南相馬・リターンズ」のときに「北泉公会堂」のガレキ撤去で一緒に大暴れしたリーダー!!

久しぶり!!

 

思いがけない再会が嬉しい。

あのときはお互いいっぱいいっぱいで笑う余裕などもなかったが、今回は精一杯笑顔でいこう。

 

 

震災5ヶ月後の世界

 

真野小学校の体育館の受付を済ませた。

 

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5ヶ月後の世界1

今回のプログラムと記念バッジ、そして希望者にボランティア用の帽子がもらえた。

 

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5ヶ月後の世界2

これがその帽子だ。

 

僕は「南相馬リバイバル」のときにもらったものを持ってきている。

しかし同行メンバーは忘れてきやがって、受付でもらっていた。

なんてヤツだ。少々強めにディスっておいた。

 

ところで帽子の色は、僕のよりずいぶんと濃くなっていた。

南相馬に来るのはこれで3回目だが、来るたびに配布される帽子の色素が濃くなっている。

 

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5ヶ月後の世界3

さて、もらったチラシでも見るか、と思った矢先にスタッフさんから「すぐにバスに乗ってくだーい!」と言われる。

 

見ると小学校脇には大型観光バスが3台。

とりあえず乗る。

 

だけども僕らは集合時間以外のプログラムを何も聞いていなかったので、焦る。

どこに連れて行かれるの?

戻って来れるの?

何をするの?

 

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5ヶ月後の世界4

バスの中で、慌ててさっき受け取ったチラシを見る。

そしてようやくプログラムを把握できた。

  • 被災地の復旧状況視察
  • ニコンサート in ひまわり畑
  • ボランティアの集い in 真野小学校

この3つが今回の趣旨なのだな。

 

あと、鹿島地区での7月末までのボランティア活動人数・件数も掲載されていた。

  • 活動人数:延べ7,304名(県内2329名、圏外4,975名)
  • 活動件数(ニーズ件数)460件

そう書いてあった。

 

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5ヶ月後の世界5

僕らを乗せた大型バス3台が発車。

 

東日本大震災から5ヶ月半。

しかし小学校を出発直後、その裏手には津波で運ばれてきた漁船がいまだにゴロゴロと転がっているのが目に入る。

 

生い茂った夏の草に覆われつつ転がるその様は、さながらサルガッソーであった。

 

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5ヶ月後の世界6

国道6号を目指してバスはゆっくり進む。

あぁ、僕はこの船を知っている。

 

以前の写真と対比しよう。

以後、2枚組になっている写真は「左が春・右が現在(8月)」とする。

 

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5ヶ月後の世界7

やはり船のような大きいものはなかなか運べないんだね。

それに、人々の生活に支障が出ている物事から先に着手するから、船の撤去などは後回しなのだろうね。

 

船たち、あのころと比べて減っているようには全く思えない。

 

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5ヶ月後の世界8

国道6号から海岸に向かってバスは進んでいく。

 

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5ヶ月後の世界9

津波をダイレクトに被った地区は、一面の草むらになっていた。

夏の間に草が生い茂ったのだ。

 

もう、以前が畑だったところと住居だったところの区別がつかないよ。

全部広大な草原になっちゃってるよ…。

 

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5ヶ月後の世界10

車の残骸だ。

生い茂る草の間に、まだまだこういったものが転がっている。

 

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5ヶ月後の世界11

バスにて付近のガイドをしてくれているのは、地元のおばちゃんであった。

 

津波を被った直後のこの地がどんなに酷いあり様だったのか、そしてボランティア活動によってちょっとずつ土地が綺麗になった様子をマイクを通して説明してくれた。

 

最初はもうこの地に住むことを諦めていた人々が、「やっぱりここで暮らそう」と思い直し、ボランティアと共に活動を始めた。

それを受けて他県などに避難していた人々も戻ってくれるきかっけになったのだそうだ。

 

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5ヶ月後の世界12

ここは烏崎地区というらしい。

70軒あった住居が津波で流されて2軒しか残らなかったそうだ。

このあたりは地元の人が慣れ親しんだ海水浴施設もあったらしいけど、津波で完全
に消滅しちゃったんだって。

 

写真には撮っていないけど、車窓から見ると歪んだり1階部分が空洞になった家の
修復をしている人がそこかしこにいる。

 

頑張って、復旧への道のりを歩んでいる。

少しずつ、少しずつ…。

 

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5ヶ月後の世界13

ガイドしてくれているおばちゃんは、「みんなの活動でこんなにも綺麗になって…」と涙ながらに説明してくれている。

 

しかしだ、「そうですか、良かったですね」とは口が裂けても言えない状況だ。

ガレキが少々片付いただけで、そこにあった町が復活したわけではないのだから。

 

ただ、重要なのはそこではないんだよね、きっと。

絶望に沈んでいたところから、復興していこうと思い立つ、そのベクトルの変化が何
よりも大きく、重要なんだよね。

 

もしボランティア活動によってその一端を担えたとしたならば、それは少しだけ嬉しい。

 

だけども、誇らしさなどは感じない。

まだそんなことを感じれる状況ではないな、と思った。

 

ところどころ路肩がガタガタに崩れた道を走っていると、前方にひまわり畑が見えてきた。

 

 

ひまわりの咲く草原で

 

ここは「南海老ひまわり畑」というらしい。

 

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ひまわり畑1

グルグル回りながら来たので真野小学校から20分かかったけど、鹿島ボランティアセンターの活動エリア内とのことなので、ボラセンからはそんなに遠くないと思われる。

 

ここでこのあとミニコンサートが行われるのだが、それまで自由にひまわりを見てほ
しいと言われた。

では、ひまわり畑に入ろうか。

 

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ひまわり畑2

ちょっと小さいし、ちょっと不揃いなひまわり。

だけども、これが復興への第一歩。

 

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ひまわり畑3

ここも当初は津波を被って何もなかったというから、随分頑張ったのだろう。

人もひまわりも。

海水を被った土地で成長したひまわりも、すごいのだ。

 

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ひまわり畑4

これまで、ひまわりは除染作用があるとウワサが流れたり、だけども枯れた後の処分方法を考えきれていなかったり、推進派と反対派でバトルになったり…。

 

僕、春のボランティア後も頻繁に南相馬の情報を入手していたので、ここいらの経緯は大体全部知っている。

 

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ひまわり畑5

何が良くて何が悪いのか、よくわかんないし判断もできない。

だけども、みんないろいろ悩み考え、遠回りや寄り道をしながらも少しずつ前進している。

それでいい気がする。

 

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ひまわり畑6

今日はちょっと曇っている。

しかし、曇っていてよかった。


これがいつものような炎天下だったら、きっと耐えられなかっただろう。

僕、今回の内容何も知らなかったからドリンクすらここに持ってきていないし。
 

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ひまわり畑7

イベントが始まった。

この辺の説明はちょっと端折るけど、実行委員長の人からの挨拶だったり、ひまわり畑発案者のボランティアの人からの挨拶だったりだ。

 

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ひまわり畑8

それから、地元出身のミュージシャンやゲストのミュージシャンの方々によるライブが行われた。

 

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ひまわり畑9

ひまわり畑の中でのライブはなかなか風情がある。


そのさらに後ろには、まだ残っているガレキや稼働しているショベルカーとかがいる。

そんな中でのライブだが、これが南相馬が再び歩み出す、最初の一歩なのだろう。 

 

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ひまわり畑10

おせじにも、充実しているとは言えないコンサートだ。

だけども、見ている人々の顔は皆あたたかい。

お年寄りなどは、涙ぐんでいる人も多数いる。

 

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ひまわり畑11

5年後だろうか、10年後だろうか、それとももっと先の話だろうか…。

 

いつの日か、南相馬の人たちや僕らが、「あの日、ひまわり畑で小さなコンサートをやったよね。あの日から、少しずつ活気が生まれたよね。」と話せる日が来たら嬉しい。

 

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ひまわり畑12

ステージの合間で、こんな説明がなされた。

 

「このひまわり畑は、6月くらいに作り始めた。

そのころは周囲はガレキの山で、しかもすごい異臭がしていた。

作業者たちは半日でダウンしたりして大変だったが、なんとかこうして畑にできた。」

 

…途端に、僕の脳裏にある記憶がフラッシュバックされた。

 

鹿島地区から海方面に来たときの光景だ。

ガレキしかない。

 

窓を開けると、ムワーっと変な臭いが車の中に入ってきた。

磯の臭いをもっともっと濃く煮詰めたような感じ。

きっと雨上がりだからなのかな。

かなり強烈だ。

この臭いは、忘れることができない。

 

(「南相馬リバイバル」より)

 

…あのときの…!?

なんだか以前走った場所と、今のここの場所が頭の中でリンクしかけた。

 

「おい、行くぞ!」

仲間に声をかけ、ミュージシャンの交代の合間を縫って少し海側に出てみた。

 

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ひまわり畑13

僕は!僕らは!!

この場所を知っている!!!

 

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ひまわり畑14

周囲を見渡した。

草に覆われているが、僕らは春にここで車を停めた。

 

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ひまわり畑15

左隅に写っているのが、「原町火力発電所」の煙突だ。

大体同じアングルで写真を撮ってみた。

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ひまわり畑16

南相馬・リスタート」のときには霧が濃くって良く見えないものの、あの火力発電所のすぐ脇でガレキ撤去作業をし、そしてひび割れた防波堤の上で昼ご飯を食べたのだ。

 

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ひまわり畑17

そうか…。

あそこがこのひまわり畑になったのだな…。

 

南相馬の復興の象徴となるであろう、ひまわり畑。

奇しくも、僕の記憶に強く残っていたスポットと合致した。

 

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ひまわり畑18

その後もイベントは順調に進み、1時間強のひまわり畑滞在時間が終了となった。

ありがとう、みんな。

 

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ひまわり畑19

そうそう、同行の仲間と話し合ったんだけど、今回のイベントへの紹介の手紙が直前かつ締切がタイトだったのは、意図的に人数を絞る意味もあったんじゃないかと思うのだが、どうだろう?


鹿島地区でボランティアに参加したのは、7304名。

これが全員来ちゃったら今回のイベント回らなくなるもんね。

 

だけどもすっごい直前で招集をかければ、来れるのは近場の人か、僕らのようなヒマ人だけ。

その結果が、この観光バス3台に乗れた、この150人なんじゃないかと。


まぁ真相はわからないし、特に知りたくもないけど、一握りの選ばれし者に入れて光栄だ。

 

 

復興イベントにて

 

このあとは最初に受付をした真野小学校でイベントがあるそうだ。

軽食も出るそうだ。

時刻は12:30だし朝から何も食べていないので、それは楽しみだ。

 

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復興イベント1

小学校の体育館。

前述の通り、一時期は津波のヘドロで覆われていた。

 

ボランティアにて泥かきをし、ようやく延期されていた卒業式がここで実施出来たの
は、ほんの1ヶ月前の7月30日だったんだとか。

 

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復興イベント2

まずは、ぞれぞれにおこわのおにぎりを2つずつ振る舞われた。

そこそこの大きさだったが、マッハで食べたわ。

空腹の男子に刮目せよ。

そしてうまい。


近くにいた地元のおばちゃん集団が、「畑で採れたキュウリよ」とか言ってキュウリを差し出してくれた。
これもボリボリと悪い顔してワイルドに食べた。

福島のキュウリ、実にうまし。

 

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復興イベント3

体育館裏は模擬店群になっていて、好きなものを好きなだけ食べれるのだそうだ。

おぉ、桃源郷か。行ってやる、食ってやる。

 

ここにもキュウリが並んでいた。

いや、キュウリはもう結構だ。

 

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復興イベント4

模擬店のやきそばを食った。

僕はもう腹いっぱいだ。

ガタイのいい同行者はひたすら食ってる。


あと、生ビールもあって心底そそられるけど、これは当然ガマン。

僕はドライバーなのだ。

 

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復興イベント5

イベントではいろんな人たちの挨拶が続く。

 

期待していた、南相馬市桜井市長の挨拶もある。

桜井市長の登場だ。

 

うおぉ!

アメリカのタイム誌で「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた市長!!

スピーチ聞けてうれしい!!

 

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復興イベント6

尚、世界中から注目され「世界で最も影響力のある100人」へのエントリーのきっかけとなった動画は、以下からご覧いただきたい。

 

www.youtube.com

 

次に市長を含めて全員集合写真を撮影するという。

 

この写真はきっと南相馬のリスタートの象徴となる写真として、各所に掲載されるか
もしれないし、今後も南相馬の歴史に残り続ける重要な写真となるに違いない。

 

うむ、ではちゃっかり市長の近くで写ってみようか。

そう思って桜井市長に接近する。

 

だが、さすがに市長の真後ろは人気過ぎたし、僕ごとき矮小な人間が写るのもはばかられた。

だから市長の3つ後ろを陣取ることにしました。

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復興イベント7

ある意味センターだ。これで良いであろう。

そして、このときの一連の写真はしばらく南相馬市のオフィシャルサイトに掲載されていた。

 

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復興イベント8

その後も偉い人たちのご挨拶が続く。

その後も同行の仲間はムシャムシャとポテトとか食べている。

 

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復興イベント9

ボランティアへの感謝の言葉などが述べられるが、正直大した活躍をできたなんて思ていないし、まだまだ復興は始まったばかりだし、気恥ずかしい。

 

なので僕もこの思いを食べてごまかそう。

そうだ、デザートにカキ氷だ。

 

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復興イベント10

地元学校のマーチングバンドや万葉太鼓の演奏がステージで始まる。

カキ氷をシャクシャク食べながらそれを見学する。

 

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復興イベント11

がんばれ、南相馬市の子供たちよ。

この町の未来を創るのは、きっと5年後・10年後のキミらだ。

 

思うにね、オトナっていうのは守るのは得意なのよ。

だけどもそれを一度壊されてしまうと、とてもションボリしてしまうのよ。

 

だが子供は、新しく何かを作り出すチカラがあるんだ。

 

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復興イベント12

どこに住む、どんな子供であっても、等しく希望は持っていないといけない。

僕らオトナは、そうであるように子供に希望を与えなければいけない。

 

そう思うのだ。

南相馬の地に轟けよ、万葉太鼓。

 

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復興イベント13

開始から2時間。

立食パーティー形式の会だったのだが、もうお年寄りを中心に地べたに座り込む宴会になってきた。

そろそろお疲れなのだろう。花見みたいなスタイルでいいぞ。

 

イベントも終盤だな。

僕は同行メンバーを誘い、会場を後にした。

 

最後にやることがある。

僕らは僕らで、思い出の地を少し巡りたいのだ。

 

 

 

10年後に馳せる思い

 

 

仲間と2人でのドライブ。

 

まずは「北泉公会堂」だ。

南相馬・リスタート」でハデにガレキ撤去作業をしたスポットだ。

 

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僕らのドライブ1

随分スッキリし、コンクリートの外枠以外は全てなくなっている。

僕らの作業の後も、きっとボランティアの人たちが頑張って作業を続けたのだろう。

 

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僕らのドライブ2

前回参加しなかった同行の仲間には、ここでの思い出を語っておいた。

この建物、今後どうなるのだろう…?

 

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僕らのドライブ3

続いて、さらに海方面に向かう。

僕は前回、ここでヘドロまみれのミッフィーちゃんを拾ったのだ。

 

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僕らのドライブ4

前回は濃霧で全く見えなかった、原町火力発電所の建物が、今回はしっかり見える。

そして、茶色だった世界は緑へと変わったことがわかる。

 

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僕らのドライブ5

あの日、お弁当を食べた防波堤だ。

ガレキは撤去され、沖合には大きな作業クレーンが設置されていた。

 

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僕らのドライブ6

ちょっと縮尺が違うが、左の写真の特徴的な建物とその上の木。

それが、右の写真にも写っているのがおわかりいただけるだろうか?

 

この先、発電所まで行く道は存在しない。

なのでUターンをし、発電所を回り込みながらさらに北へと向かう。

 

その地は、今回の同行メンバーと共に「南相馬リバイバル」で泥かきをしたり沿岸部を見て回ったりした場所だ。

 

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僕らのドライブ8

超・沿岸部だ。

もちろんかなり綺麗になっているが、文明が何もないことには代わりはない。

 

まだ土台を基に戻している段階であり、生活の場ができるのはまだまだ先の話になるだろう。

 

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僕らのドライブ9

まだガレキもあるし、サイドミラーに写っている通り、かろうじて残った家屋ももはや人が住める状態ではない。

徐々に取り壊されていくのだろう。

 

あのとき泥かきをしたOさんは今、何をしているだろうか?

しかし、今回は家を見には行かないし、当然ご挨拶もしない。

ボランティアとしてあの日に派遣されただけなので、それ以上の接触や詮索はもうしないつもりだ。

 

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僕らのドライブ10

あの日にみかけた、印象的な道。

ここはほとんど手つかずだ。崩壊した路面もそのまま残っている。

 

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僕らのドライブ11

沿岸部はやはりまだまだ復旧までに時間がかかりそうだ。

ちょっと間ここに佇んでいる間に、ガレキを積んだ数台のトラックが通っていった。

だけども、残っているガレキの量が果てしない。

 

さっきのイベントでは、「ボランティアさんありがとう!」とか笑顔で言われ、ヘラヘラしながらおにぎりや焼きそばを食べた。

 

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僕らのドライブ12

しかし、そんなことをしていて良かったのだろうか?

山積みとなっているこの課題を前に、とても「どういたしまして」とか言えないし、笑顔も出て来ない。

 

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僕らのドライブ13

うん、そんなことはここ南相馬の方々が一番わかっているのだろう。

 

その上で、ときには笑顔も必要だし、祭りも必要だ。

こうやって少しずつ少しずつ、次の時代を作り上げていくのだろう。

 

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僕らのドライブ14

この大地に新しい夢を描くのは、次の時代を担う先ほどのような子供たちかな?

 

僕らにできることは、それを応援すること。

可能な範囲でお手伝いもすること。

東日本大震災を忘れずに、伝えていくこと。

 

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僕らのドライブ15

このあと、僕らは「南相馬リバイバル」でも訪問した相馬市の景勝地、「松川浦」を見て回ったのだが、その話はまた機会があったら別項目で取り上げたい。

 

こうして、宮城県南部のICから高速道路に乗り、関東へと帰ることとなる。

 

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僕らのドライブ15

*-*-*-*-*-*-*-

 

帰路、仲間と話した。

またいつか、南相馬を再訪しよう。

本当に笑顔で訪問できる日を夢見よう。

 

その日まで、被災地のことを忘れてはならない。

 

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帰宅した僕は、「がんばろう!みなみそうま」の帽子を家に持ち込もうとしたが、ふとその手を止めた。

 

この帽子は車の中にこのまま置いておこう。

南相馬を忘れないために。

東日本大震災を忘れないために。

 

この先、僕はきっと日本中を走るだろう。

途中で車を交換することもあるだろう。

でも、ずっと一緒だ。

 

これは、僕と被災地を繋ぐだ。

 

また、笑顔で会おう。

約束だ。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

No.091【岩手県】ここで何を感じる!?本州最東端「トドヶ崎」は最果て感が無限大だ!!

本州本土の最東端。

 

 

それは「魹ヶ崎(とどがさき)」という岬だ。

※ 「魹」という字は環境依存文字のようなので、以後の表記は「トドヶ崎」とさせていただく。

 

 

トドヶ崎。

 

僕はこの岬の名前を聞いただけで、懐かしさ・ワクワク・ドキドキ・誇らしさ・焦りや疲労の思い出…。

そんないろんな感情が一気に押し寄せてワケが分からなくなる。

 

例えると、「つい最近知り合った人の口から、遠い昔の自分の初恋の人の名前が出た」ときみたいに、脳がキャパオーバーしかけてバグるような感じだ。

うん、例えたらわかりづらくなったな。

 

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とにかく、僕にとってはとても大切な岬なのだ。

その思い出を、満を持して執筆できることに喜びを隠せない。

 

あなたに伝われ、この岬への想い。 

 

 

三陸の秘境・重茂半島

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

「本州の最東端」と言われると、「千葉県の銚子?」・「青森県かな?」とか思われるかもしれない。

 

しかし岩手県なのだ。

一見すると出っ張っておらず、岬と言えるような岬も無さそうに見える岩手県なのだ。 

 

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具体的な市区町村名で言えば、宮古市だ。

浄土ヶ浜」があることで有名だ。

 

「はいはい、じゃあトドヶ崎とやらも浄土ヶ浜のついでに気軽に行けそうですね」みたいにお思いであれば、それは甘い。 

 

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究極にグネっている!!

 

これが、トドヶ崎を有する三陸の秘境「重茂(おもえ)半島」だ。

さらに言うとアップダウンあるし1.5車線くらいの道幅なので、とんでもなく時間がかかるのだ。

 

ツーリングマップルにも『海に近いとは思えないほど山が険しい』・『まるで別世界に入り込んだよう』と書かれている。

 

さらに、車道は「姉吉漁港」で途切れる。

そこからは徒歩だ。片道約4㎞の山道を徒歩で。

 

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そんなこんなで、宮古の市街地からトドヶ崎を往復するだけで半日は固いのだ。

 

もっとも、2019年の春先に重茂半島内にやや真っすぐな道が通され、急峻な山をブチ抜く「重茂トンネル」も開通した。

これで少しはラクになったことだろう。

 

ただ、僕が直近の日本6周目でこの岬を訪問したのは2018年の夏。

この道の恩恵はまだなかった。

今回はそれ以前の記録となることを、ご容赦いただきたい。

 

*-*-*-*-*-*- 

 

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重茂半島攻略1

2018年。

東日本大震災から7年だが、まだ爪痕は残っていると感じるロケーションだ。

 

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重茂半島攻略2

重茂半島を南側から攻略。

小ぶりのボディの日産パオであるが、それでも擦れ違いは困難な道幅だ。

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重茂半島攻略3

北側からHUMMER_H3で攻略したときも、なかなかにスリリングだった。

夕暮れが近付いていたので、なおさら焦りがあった。

 

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重茂半島攻略4

部分的にアスファルトがかなり傷んでいることもある。

これは日本4周目、パジェロイオでアプローチした写真だ。

 

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重茂半島攻略5

クネクネと、荒れた道を延々進む。

 

カーナビが無ければ自分がいったいどこにいるのかもわからなくなるほどの山奥だ。

僕も初回はナビ無しで行ったが、なかなかのドキドキ感を得られた。

 

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重茂半島攻略6

重茂半島周遊道路を反れ、姉吉漁港に行く道に入ると、さらに道路は狭くなる。

海に出る直前には、姉吉集落の家屋が道に沿って立ち並ぶ。

 

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重茂半島攻略7

見えてきた。車道のゴールだ。

計5回ほど訪問しているが、訪れるごとにロケ―ションは変わっていっている。

そのあたりの経緯などは、後述したい。

 

 

始まりの地、姉吉キャンプ場

 

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姉吉1

ここが駐車場だ。

「姉吉キャンプ場」の駐車場である。


1つ前の写真「重茂半島攻略7」から右に数m程度の場所から撮影したのだが、見違えるように綺麗になった。

 

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姉吉2

無料のデイキャンプ場だそうだ。

以前は普通にテント張って宿泊もできた記憶があるが、東日本大震災で大きく事情が変わったのだ。

 

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姉吉3

どうせだからコーヒーを淹れよう。

 

天気もいいし、東屋もあるし、キャンプ場なのだから。

こういうときのためにアルポットとコーヒー一式をを持っている。

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姉吉4

茶菓子は先月に広島県呉市の「大和ミュージアム」で買った零戦クッキーだ。

うまいしカッコイイ。

 

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姉吉5

さぁ、出発だ。清々しい朝だぞ。

 

正面に見えているのが、姉吉漁港だ。

ここから登山口までは徒歩5分ほどだ。

そしてトドヶ崎灯台までは約1時間だ。

 

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姉吉6

しかし東日本大震災津波のダメージが痛々しい。

震災前を知っている身として、心が痛い。

 

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姉吉7

聳え立つ岩山。

これからこの岩山を登るのだ。登山口到着だ。

 

とはいえ、激しい上りは序盤のみ。

灯台までで一番高い地点は海抜110mであり、これを最初の15分ほどで攻略する。

 

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姉吉8

このあたりで上を見上げると、遥か上空の木立の枝にブイが絡まっているのがわかる。

 

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姉吉9

東日本大震災のとき、ここには国内最大の高さとなる40.5mもの津波が押し寄せたのだ。

 

先ほどの姉吉キャンプ場ももちろん、消失した。

姉吉漁港もほぼ崩壊した。その名残である。

 

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姉吉10

左下の小さな立て札を見てほしい。

津波浸水地点 自然歩道 ここまで 2011 3.11』

こう書かれている。

 

津波はここまで来たのだ。

上の写真では高度が少しわかりづらいので、ここから下の景観がわかるように改めて撮影しよう。

 

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姉吉11

こんな感じである。

ビルであれば何階だろうか?10数階ではないだろうか?

こんなところまで津波が来たのだから、恐怖しか感じない。

 

ちなみに、海の色はとてもきれいだ。そして澄んでいる。

では、本格的な山道ウォークだ。

 

 

最果ての山道を行く

 

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ハイキング1

4㎞近い山道。ゆっくり歩けば1時間ほどの距離だ。

 

しかし前述の通り序盤を除けば高低差はあまりない。

僕は1人のときは小走りで進み、大体40分くらいで灯台まで到達できる。

 

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ハイキング2

コースは延々、リアス式海岸のギザギザの入り江に沿って設置されている。

左手は崖、右手は海。ずーっとこれだ。

 

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ハイキング3

海は綺麗な気配がする。

しかしちゃんと見える場所は姉吉の漁港以来ほぼ皆無だ。

木立で邪魔されている。

 

つまり、景観に期待をしてはいけない道なのだ。

 

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ハイキング4

変わり映えの無い道が淡々と続く。

だけども、最後に現れる絶景岬への準備と思い、それを心待ちにしてほしい。

最後の最後に、特大のカタルシスを感じるのだ。

 

なお、道は原則一本道だ。

長い道のりではあるが、迷う可能性は少ない。

 

保証はしないし責任も取れないが、1人であっても充分安全な道と考える。
僕も複数名で行ったのは1回きりだし、往復して他の人を見かけたのはうち2回ほどだ。

全然観光客、いない。

 

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ハイキング5

道中で僕がとても大事にしていたのは、上記のような立て札だ。

現在地が書いてあるし、姉吉漁港と灯台までの距離も記載がある。

 

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ハイキング6

単調で進んでいるかどうかもわかりにくい道。

そんな中で、この距離表示にどれだけ勇気を与えられたか。

 

これによって自分のペースが測れ、灯台到着時刻も予測できるだろう。

行きにこれらの写真を撮っておけば、帰り道に見返すことでより心理的な安心感も感じられるだろう。

 

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ハイキング7

逆に言うと、この立て札が無く1人で初めてトドヶ崎を目指すと考えると、とんでもなく心細いと思う。

 

実は、これは冗談ではなさそうなのだ。

…というのも、直近の日本6周目で行ったときには、これらの立て札が根こそぎ撤去されていた。

正直、結構ガッカリした。

 

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ハイキング8

もしかしたらちょうど交換時期だったのかもしれない。

いや、でも撤去と設置の間に空白期間を作ること自体、不自然だし懸念だよな。

 

旅人の道しるべのため、心と体の安全のため、復活を心から願っている。

(その後設置されていたらごめんなさい)

 

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ハイキング9

さて、これまでギザギザの海岸線に沿って蛇行しながら続いていた山道が、ストレートになり、そいて少し周囲が明るくなる。

そうしたらゴールは近い。

 

上の写真では『本州最東端の碑 120m→』とかかれているが、僕の場合はこのまま山道を直進する。

 

写真の一番奥に、白っぽくてわかりづらいけども壁が見えているだろう?

それが本州最東端、「トドヶ崎灯台」なのだ。

 

お疲れ様!!


灯台と最東端の碑

 

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トドヶ崎灯台1

木々が開け、いきなりこの光景が目に飛び込んでくる。

「う、うおぉぉぉぉ…!!」って思わず叫んでしまう光景だ。

 

真っ青な海。白亜の巨大な灯台

世界が急に広がった。ここは天国かな?

 

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トドヶ崎灯台2

なんてシュッとしたデザインだろう。

 

高さは33.72mもある。全国でも屈指の高さだ。

コイツが前触れもなく登場するのだ。

 

右下に東屋が見えているだろう。そこに行ってみよう。

 

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トドヶ崎灯台3

思い出ノートの入っているBOXがある。

このノートには、来訪者が自由にコメントを書き込めるのだ。

 

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トドヶ崎灯台4

こんな感じで書いたりする。

 

18時過ぎにここに到着したときには、もう不安しかなかったな。

この時点ですでに夕暮れ。

ここから駐車場まで4㎞を無事に引き返せるのだろうか…って。


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トドヶ崎灯台5

来た人の数だけ、ドラマがあるのだ。

パラパラめくってみると面白い。

 

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トドヶ崎灯台6

朝日に照らされる灯台はこんな感じだ。

最東端だから、日の出をここで見ることも可能だろう。

 

だけども日の出前の山道を歩くのはイヤなので、僕の場合は最速でも6時過ぎに姉吉キャンプ場を出発としている。

 

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トドヶ崎灯台7

東屋からの眺め。

岩礁の断崖がすぐ目の前に見え、その先は無限に広がる太平洋だ。

ここまで歩いて火照った体に、海風が心地よい。

 

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トドヶ崎灯台8

では、次は「本州最東端の碑」だ。

岩礁地帯を経由して100mほどの位置にあるぞ。

 

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本州最東端の碑1

僕はもう、この写真の時点で興奮が隠せない。

 

荒涼とした岩礁地帯。

強風で木々も育たず、低い茂みがあるだけ。

 

これだけなのだ。

基本的に何もないのだ。

 

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本州最東端の碑2

こんなところを歩いたりするので、足元には注意だ。

手すりがあるわけでもない。自己責任。

 

宮崎の「日向岬」や、能登の「義経の船隠し」を思い出すような、深い入り江だ。

 

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本州最東端の碑3

ここにあるのは生のままの大自然だ。

自販機もない、お土産物屋もない、「恋人の聖地」でもない。

 

観光客もほぼ来ない。

来るのは突端マニアとか釣り人くらいなのだろう。

 

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本州最東端の碑4

それでいいのではないかと思う。

 

純粋に景観だけを楽しめる岬だ。

ファミリーレストランや遊園地のようにいろんな楽しみ方がある岬もステキだ。

しかし頑固なラーメン屋みたいにメニューがラーメンしかない店もステキだ。

トドヶ崎は、きっと後者なのだ。

 

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本州最東端の碑5

大地の亀裂を乗り越えた当たりで、一旦振り返ってみよう。

灯台が青天を突いていた。

 

うわー…、なんだこの清々しさは。

風の音と波の音しか聞こえない中に、これよ。

全身の細胞が今、活性化して蘇っている。

 

そして…、

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本州最東端の碑6

 

本州最東端の碑。

 

 

岩だ。なんとも言えないユニークな造形の岩に、金属プレートが埋め込まれている。

単純に「かっこいい!」とかではなく、巨匠の造った芸術品を見るかのように「ほぉ…」という感想だ。

 

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本州最東端の碑7

上の写真ではわかりづらいと思うので、銘盤を拡大するとこうなる。

渋いね。

潮風に耐え、長年ここに佇んできた貫禄を感じる。

 

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本州最東端の碑8

灯台と一緒に撮影するとこうなる。

僕が鼻血出そうになるくらいに大好きな構図だ。

 

いつかマイホームを建てたら、書斎に飾る写真はこれだろうな。マジに。

 

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本州最東端の碑9

本土最突端16岬はそれぞれ何度も踏んでいるが、かつて一番最後に到達したのがこのトドヶ崎であった。

そのとき改めて、突端巡りを趣味にしていて良かったなぁと思った。

そんな思い出の灯台と碑だ。

 

 

「何もない」に価値を見いだせ

 

改めて、周囲を少々ご紹介したい。

 

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荒涼とした世界1

 左端に写っているのが、本州最東端の碑だ。

なんだか保護色みたいになっていて、岩場のカエルを見つけるみたいに難しいが。

 

そして、それ以外は岩礁地帯だ。

岩と海しかない。

 

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荒涼とした世界2

エゾカンゾウと思わしき花なら咲いていた。

色のバリエーションの少ないこの世界に一石を投じてくれている。

 

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荒涼とした世界3

ちなみに天気が良くない日に来ると、当然だがさらに色味が少ない。

荒涼さがさらにブーストされている。

切なくなってしまうような世界観だ。

 

しかし全然嫌いじゃないぞ、こういうの。

 

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荒涼とした世界4

今、僕は果ての地にいるのだ。

世界の果てっていうのは、このくらいダーティーでもいいのだ。

 

なんだかダークファンタジーみたいな世界観に、1人で「うむうむ」と納得する。

 

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荒涼とした世界5

これは、ほぼ同じアングルで快晴の朝に撮影したものだ。

もちろんこれもいい。

 

天気がいい日もあれば、悪い日もあるのだ。

当然どちらも正しいトドヶ崎の姿である。

 

そういったバリエーションを知ることに満足ができる。

僕の旅路は、こうやって深みを増すのだ。

 

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荒涼とした世界6

万人受けするかと言われたら、しないだろう。

初デートでここに来たとしたら、2回目のデートは存在しないかもしれない。

 

現在の世の中で遊園地のように「これはこうすると楽しいですよ」と決まられていて、何も考えずに受け身で楽しめるものが多い。

しかしここは、自分で楽しさを見つける必要がある。

 

白いキャンパスを「何もない」と表現するのも正しいだろう。

そのキャンパスに絵を描くのも正しいだろうし、折り紙のように何か形を作り出すのもまた正しいのだろう。

 

トドヶ崎というキャンパスはあまりに大きく、物理的な干渉はできない。

あなたの心のキャンパスに、問いかけてくる。

 

願わくば、僕もトドヶ崎を愛する1人として、あなたが実際に訪れた際にこの岬を気に入ってくれると嬉しい。

 

過去の攻略戦を振り返る

 

ここからは、厳選エピソードを2つさらにご紹介する。

1つ目は東日本大震災の爪痕も大きい、2011年の訪問記録である。

 

ダイナマイト・エイジ(日本4周目)

 

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震災の年1

岩手県沿岸部の被災地を巡っている途中で、トドヶ崎を訪れることにした。

朝4時台に宮古市街地を出発し、明るくなると同時の攻略だ。

 

重茂半島の途中で『この先路肩崩壊で通行止め』と看板があり、ショックを受けていたところ、地元のおじいさんが原チャで通りかかり、「とはいえ、自己責任で行っていいよ」と言ってくれたので突き進んだ。

 

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震災の年2

うむ、道の3分の1が崩壊し、かつ倒木のオマケつきだった。

ギリギリで避けて進んだ。

 

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震災の年3

被害は甚大だ。

入り江、こんなに奥深くまで来ていたっけ…?

 

そして道すがらにあったはずのいくつかの集落が、軒並み崩壊している。

 

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震災の年4

この川も、津波で逆流したのだろう。

向かって右側は木々が完全になくなり、左側も路面やガードレールが消失している。

道路もガタガタだ。

 

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震災の年5

…こんなに山の奥地まで津波が…。

絶句する。ハンドルを握る手に力が入る。

 

そして、姉吉の集落に入る。

実は、姉吉の集落内で津波による死者は出なかったのだ。

あの地震で最大の津波に襲われたにも関わらず。

 

よろしければ以下のリンク先を読んでみていただきたい。

 

www.iwate-np.co.jp


明治中期・昭和初期にも、この集落は津波に襲われた。

いずれも生存者数は片手にも満たなかった。

 

だから津波記念碑を建てたのだ。

「これより海側には絶対に家を建ってはいけないよ」と。

それを守ったから、東日本大震災の際には家屋は無事だったのだ。

 

古い碑にはそういう子孫への大事な大事なメッセージが込められていることがある。

無下にはできないなって改めて感じた。

 

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震災の年6

…とはいえ、この光景だ。

朝日でほとんど何も見えないが、僕は愕然とした。

 

無い。

何もかもが、無い!

 

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震災の年7

ここは…、いつもの駐車場だ。

去年も車を停めた、姉吉キャンプ場の緑に覆われた駐車場だ。

全てが津波に飲まれて、岩肌が露出している。

 

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震災の年8

この道は、キャンプ場の管理棟があって、自販機があって、脇をのどかな小川が流れていて…。

あれ…?こんな開けてなかったよね?もっと鬱蒼とした林だったよね…??

混乱する。

 

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震災の年9

で、なんですか、発破作業のお知らせって。怖いぜ。

 

10時から爆発させるの?

それまでに帰って来れるようにしておけばいいよね?

それであれば、発破に巻き込まれないよね?

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震災の年10

大好きな岬が、こんなことになってしまうだなんて…。

とりあえず姉吉漁港の近く、車で安全に行ける範囲のところに駐車して歩く。

 

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震災の年11

振り返る。

脳が混乱するくらいにロケーションが変わってしまった。

改めてショックだ。

 

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震災の年12

岬への登山口のちょっと手前。

今までは「フェイントでもう1つ階段があるから注意しろ」と言われていたのだが、そのフェイント階段は途中からザックリ消失していた。

 

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震災の年13

正規の登山口もこんな感じだ。

そこいらじゅう、ガレキだらけだ。転ばないように気をつける。

 

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震災の年14

しばらく登ってから下を見た写真。

誰もこれを見て、元漁港とは思わないだろう…。

この地は復活するのだろうか?

 

あと、この先トドヶ崎までちゃんと道は通じているのだろうか?

そんな不安の中で、岬を目指したのだ。 

 

…ちゃんと、岬まで行けたんだよ。

それが、冒頭にも掲載した写真なのだよ。

 

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震災の年15

無事に岬を往復してきた僕は、再び姉吉漁港で海を眺めたんだ。

 

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震災の年16

あの向こうから、40.5mもの大津波が来たのだ。

今はキラキラと輝いているが、海はときとして牙を剥くのだ。

恐ろしい。

 

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震災の年17

重茂半島を南側ルートから抜けた。

もう、例の崩壊した道は通りたくなかったので。

 

しかしこちらも被害は大きかった。

道路の残骸が無残に転がっていた。

 

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震災の年18

この光景を目に焼き付けておく。

 

大好きな地が変わり果てた姿。

しかし、復興への道を歩み始めた。

僕もそれを応援する。また近いうちに絶対に戻ってくる。

 

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震災の年20

こうして僕は、また次の地へと向かった。

 

 

黄昏の旅人たち(日本5周目)

 

東北一周車中泊ドライブ。

時刻は17:30。

夏とは言え、雲が多く既に周囲には夜の気配が立ち込める。

 

そんな絶望的な状況下で、僕は姉吉キャンプ場に到着した。

 

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夕闇の岬1

余計なものは全部おいて行こう。

服装もTシャツ1枚でいいや。大切なのは水。帰り道用のヘッドライト。

よっっしゃー!行くぞ!曇り空だけど!!

 

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夕闇の岬2

漁港から山道へ入るポイント。

震災の年とは異なり、ちゃんと山道への標識が出ているので初見殺しは回避できる。

安心だ。

 

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夕闇の岬2

ここに1台の自転車が停めてある。

名前付きの日本一周のプレートがくっついている。


おぉ、同業者!!

こんな時間にこんなところにいるとはなかなかだな!

そして、夕闇迫るここからの山道の奥に人間がいるというのは、とても心強い。

 

トドヶ崎で自分以外の人に出会ったことはないから、これは大変に貴重だ。

この人とは、このあとどこかで擦れ違うだろう。楽しみ。


山道は基本ダッシュだ。

自分はジャパニーズ・ニンジャの末裔だと信じて走る。

汗だくで息切れひどいけど。

 

山道の開始から2.2km地点で、「ゼツエン君」という日本一周のチャリダーに出会った。岬から戻ってくる途中であった。

うれしくって世間話をした。

 

ゼツエン君は「この先に徒歩で日本一周している人がいましたよ」と言う。

えぇぇー!マジか。

日本一周人が3人も、この夕闇のトドヶ崎にいる。

 

日本一周徒歩の人は、なんかこの山道の沢で水浴びしていたらしい。

これから岬の先端に向かうところだったらしい。

うおぉ、ってことはもしかして岬の先端で野宿とか?やるなぁ…。

 

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夕闇の岬3

「コヒガシリ沢」だ。どんな意味だろ?

きっとここで徒歩の人、水浴びをしていたのだろう。

 

その後も走り、ゲロ吐きそうなほどヘロヘロな状態で岬に到着した。

震える手で思い出ノートに記録を残す。

 

そして岩場をヒョコヒョコ飛び跳ねながら本州最東端の碑に向かう。

いた、悟りを開いている坊さんのような人がいる。

 

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夕闇の岬4

「さるぼぼさん」だ。徒歩で日本一周している。

僕は興奮して「岬の先端で人に出会ったのは初めてだー!」って言った。

 

岐阜の飛騨高山を出発し、今日で110日目なのだそうだ。

なんか3年かけて日本一周するって言ってた。すげー!

 

これから北海道っすね。青森のねぶたとか、間にあったら楽しそうっすね。

いいなー、これから北に行く人はー!

 

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夕闇の岬5

お互いの写真を撮った。

礼文島」にぜひ行ってほしいと薦めておいた。

 

いっぱい話したいが、時間だ。

そろそろ周囲が本格的に暗くなる。

 

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夕闇の岬6

お互いの旅人用の名刺を交換。

旅をしている限り、またどこかで出会うかもしれない。

そのときはよろしくですよ。

 

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夕闇の岬7

ここでこのあと夕食を作り野宿するという、さるぼぼさんと別れる。

 

※ さるぼぼさんとはこのあと何度か連絡を取り合い、この翌年の秋田県の「大曲花火大会」ではすっごく近くにいたけどニアミスしたりした。

2021現在も再会は叶っていないが、また会える日を延々楽しみにするのも、醍醐味だ。

 

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夕闇の岬8

 さぁ、走れ―!

さすがに山間部で19:00を越えたらかなり危険だぞ!

山道はすぐ暗くなるからなぁ…。

 

もう不安でしょうがない。

確実に対向から人なんて来ないしさ。来たら来たで別の意味で怖いけど。

だからこの山の中に今、僕1人。

オバケ出そう。怖い。

 

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夕闇の岬9

足元がだんだん見えなくなってきた!

しかしいったんヘッドライトを使うと、照射範囲以外は全然見えなくなる。

ライトを使うのは最終手段だ。

 

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夕闇の岬10

もうちょっと!

汗だくだ!

 

早くお風呂入りたい。宮古の市街地でお風呂入ろう。

お風呂情報は旅友の「FUGA君」に検索しておくよう依頼済みだ。

今頃リモートワークしてくれているハズだ。

 

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夕闇の岬11

姉吉漁港が見えた!

震災のときよりずいぶん片付いていてホッとする。

 

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夕闇の岬12

こうして夕闇のトドヶ崎攻略が終わった。

 

ちなみに、宮古のお風呂はおばちゃんがシャッターを下ろしかけているところを「待ってー!」と滑り込み、15分で入浴した。

なんて日だ。

 

 

こうして思い出を紡ぐ 

 

僕が初めてトドヶ崎を踏んでから、何年が経過しただろうか…。

ずいぶん昔のことのように感じるが、それでも人生単位で見れば、そんなに長い年月ではない。

 

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思い出の岬1

しかし、その短い間にこの岬は大きくその姿を変えた。

なんだか1つの歴史を見てきた気分になる。

 

そして、来るたびに印象的なエピソードも得られた。

 

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思い出の岬2

一度だけ行って、パッと見てすごいステキな場所だと感じたのであれば、それはそれでとても喜ばしいことだ。

 

僕もそういう意味でも好きだが、もっと深い意味でも好きだ。

例えると、山頂からの景色は、登山口から延々歩いてきた実績と比例して美しく感じるように。

 

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思い出の岬3

おいYAMA、聞こえるか?

 

オマエが今「過去と同じ位置で同じポーズで写真撮ろう」とか思って撮った、その場所。

1年も経たないうちに津波ですべて消えるんだぞ。

 

その後も何度もここに来ることになるのだが、今の1回を大切にしろよ。

 

*-*-*-*-*-*-*

 

トドヶ崎。

 

僕はこの岬の名前を聞いただけで、懐かしさ・ワクワク・ドキドキ・誇らしさ・焦りや疲労の思い出…。

そんないろんな感情が一気に押し寄せてワケが分からなくなる。

 

2018年の僕は、改めていつもの場所から姉吉漁港を見下ろす。

 

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思い出の岬4

少し復興。

少し穏やか。

 

初夏の風の中、トドヶ崎は笑っているかのようだった。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: トドヶ崎
  • 住所: 岩手県宮古市重茂第9地割大平
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(姉吉キャンプ場)
  • 時間: 特になし

 

No.090【福島県】南相馬リターンズ ― 被災地に対し、僕らは一体なにができるのだろう?

「原町火力発電所」。

2011年3月11日の東日本大震災にて高さ18mの津波が直撃し、揚炭機が破壊炎上し、8万tの石炭船も沈没した、南相馬市の火力発電所

 

発電所脇のひび割れた防波堤の上で、僕らは弁当を食べた。

深い霧で煙突も巨大な発電施設もほとんど見えず、まるで異世界に迷い込んだかのようだった。

 

「これ、終わりが見えないな…」

「だな…。僕らにできることってわずかだけど、それでもできることをやっていくしかないよな…。」

 

絶望が落ちて来そうな空の下、弁当を食べながら話した。

 

果たして僕らのボランティア作業は前に進んでいるのか、役に立てているのか。

文字通り霧の中にいるような不安に潰されそうになり、僕は先ほどヘドロの中から拾ったミッフィーちゃんのぬいぐるみをギュッと握った。

 

 

リターン作戦は5月

 

日本列島に未曾有の災害をもたらした、東日本大震災

壊滅した東北沿岸部に対し、何かできることをしたい。

そう考えた僕らは、福島県南相馬市に災害復興ボランティアとして赴いた。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

その初回の記録が上記リンク先である。

あのとき僕は、南相馬再訪を誓った。

 

 

10年前に執筆した上記の3本のレポートのうちの、第2弾の再公開だ。

尚、新規書下ろしを含めて計4本の連載となる。

 

先ほどリンクを貼った前回の記事を読まなくても内容はわかるが、先でもいいし後でもいいので、上記リンクも訪問していただけると大変ありがたい。

 

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さて、前回からしばらくの間、僕は南相馬ボランティアセンターのブログをブックマークし、頻繁に現地の様子を確認していた。

ブログ以外でも、いろんなチャネルで情報をキャッチアップしていた。

 

再訪の数日前には大甕支援隊が結成された。

消防団とボランティアが団結して、津波に飲み込まれた大甕地区の行方不明者の捜索をする部隊。

「道の駅 南相馬」からみんなで消防車で出勤するのだそうだ。


しかし相当な体力・精神力が無いとやってられないだろうな。男性限定だというし。

僕みたいな軟弱な心身では勤まらないであろう。

 

やりたい気持ちが無いわけではないが、今回のメンバーには女性もいるので、大甕支援隊には手をあげないつもりだ。

着実に、やれる分野で力になろう。

 

再訪は5月。

季節外れの台風が来そうな気配である。

 

一応南相馬のボランティアセンターに電話をしておいた。

「台風が近づいてきましたね」という不思議な時候の挨拶から始まり、いろいろ情報を仕入れておいた。

 

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では、行こうか。

 

出発は夜中だ。

荷物の一番上に、前回ボランティアセンターでもらった「がんばろう!みなみそうま」の帽子を乗せる。

そして愛車に乗り込むと、仲間2人との集合場所の東京都心を目指した。

 

※ 前回とは違うメンバーとボランティア活動しています。

 

 

災害派遣等従事車両に登録する

 

あなたは災害派遣等従事車両」をご存じだろうか?

知っている方や、「早く現地の状況やボランティア活動について知りたい」という方は、この項目を飛ばしていただいて結構だ。

 

災害派遣等従事車両」は、災害復旧に携わる車は高速道路等の料金が無料になるという措置だ。

僕の愛車も既にこれに登録している。

 

一緒に南相馬でボランティアしていた、遺留品洗浄部隊のリーダーと一緒に登録作業をしたのだ。

 

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災害派遣等従事車両1

この申請にに詳しいリーダーの車を追走して、南相馬市の町中をしばらく走る。

到着したのが、「南相馬合同庁舎」であった。

 

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災害派遣等従事車両2

必要なものは車検証のみであった。

 

リーダーや職員さんの丁寧なレクチャーにより、 申し込みは完了した。

しかし証明書が発行されるには数時間を要するのだ。

 

僕は昼休みに申し込み、ボランティア活動終了後に「災害派遣等従事車両証明書」を受け取りに行くというフローを取った。

 

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災害派遣等従事車両3

尚、現在(2011年)は東日本大震災後の特別対応で、一般車両を含め高速料金は基本1000円だ。

どこまで走っても、全国一律1000円だ。首都高を含めても3000円には行かない。

 

しかし、何事も体験しておきたい。

この証明が金銭面以外に役に立つ場面もあるかもしれない。

こう思って登録しておいたのだ。

 

尚、僕のように被災地現地で手続きをするとその日のうちに発行となる。

しかし地元など被災地以外でこの手続きをしようとすると大変である。

 

地元の市役所行き、専用のフォーマットに記載して現地に書面を送り、現地からの許可証が郵送で届いたり…となるのだ。

手間などを考えると、被災地への行きは通常料金を払い、ボランティア活動の合間に災害派遣等従事車両証明書を入手し、帰りを無料にするのが良いのかもしれない。

 

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災害派遣等従事車両4

 使用に当たって、何点か注意点がある。 

まずは高速道路のICに入る際には、ETCカードを使わずに、紙のチケットを入手するのだ。

 

※ もしかしたらETCカードで入ってしまっても、出るときになんやかんや調整できるのかもしれないが、合同庁舎の職員さんにはこのようにレクチャーを受けたのだ。

 

もちろん、最後に高速を降りる際にも、有人の窓口を選ばねばならない。

 

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災害派遣等従事車両5

東北道の始点となる浦和料金所の係員さんは、この処理についてご存じであった。

なにやらゴソゴソと裏で記載し、対応してくれた。

 

首都高についても同様であった。

首都高を完全無料で走行できるのは、なかなかに爽快であった。

 

ただし首都圏のややローカルな料金所では、処理の心得の無い係員さんもいた。

証明書を渡したら「??これは…もらっちゃっていいの…?」と聞かれたりした。

いやいや、ダメです。

期限内は再利用できるし、最終的には南相馬に返却しなきゃだし。

 

…という具合である。

今回僕らは、この特権を得て南相馬にアプローチをした。

 

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災害派遣等従事車両6

 

ボランティア活動

ボランティアセンターにて

 

僕らは朝一に南相馬市の「原町区福祉会館」にやってきた。

ここがボランティアセンターだ。僕だけ懐かしい場所だ。

 

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ボラセン1

前回の記事では、「ここではガレキ撤去作業はやっておらず、ガレキ系は全部隣の鹿島区のボランティアセンターがやっている」と書いた。

 

しかしその後に運営が変更された。

ここ原町でもガレキ撤去や泥出しができるようになったのだ。

 

だから今回は原町のボラセンのみで活動したい。

 

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ボラセン2

今回は、初回参加の人はこのまま外で初期研修を受けるのだそうだ。

 

ちなみに僕は経験者ではあるけれど、他の2人と一緒に行動しないと一緒の作業ができないので、ここは初心者という設定で初期研修をもう一度受けよう。

 

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ボラセン3

「初回の方はここで講習でーす!そして2回目以降の方は中でマッチングがありますので順番に入ってくださーい!」と本部スタッフの人が言っている。

 

マッチングとは、ボランティアスタッフに仕事を割り当てる行為だ。

壁に貼りだされた様々な仕事に対し、希望する仕事に自分の名前の付箋を貼る。

定員に達していなければ、これで仕事ゲットだ。

基本的に早い者勝ちだ。

 

しかし初期研修組は、すぐにはマッチングを受けられない。

数10分も前から並んでいたにもかかわらず、ついさっき来たばかりの常連さんにどんどん順番を抜かされてしまった。

 

歯がゆいが、しょうがない。

「スキルのある人を迅速に現場に送り込む」。当たり前のことだ。

 

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ボラセン4

尚、南相馬のボラセンは規模が小さい。

 

仕事が無いのではなく、ボランティアスタッフが集まらないのだ。

その理由は、「福島第一原子力発電所」の半径30㎞に入っているからだ。

絶対立入禁止となっている20㎞圏内も含まれている。

 

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ボラセン5

放射能は「20㎞圏内だから危険だが、それより1mでも離れれば安全」というものでもない。近寄らないに越したことは無い。

 

だから、南相馬には被爆を恐れて人々が近寄らないのだ。

もちろん気持ちはわかる。

それでも僕らがここにいるのは、合法的なギリギリのところで、できることをしたかったからなのだ。

 

最近は、まだまだニーズがあるにもかかわらず、参加者が100人に届かないことが多くなったってボランティアセンターのブログに書いてあった。

宮城県石巻市のボラセンが1000人とか2000人とかいるのに、こっちは数10人なのだ。

 

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ボラセン6

だが、雨のためにニーズの高い屋外活動が出来ず、わずかな屋内活動のために45名制限の日もあった。

 

雨だと途端にニーズが少なくなる。

この日は週末で、そこそこボランティアの人数も多かったにも関わらずだ。

 

僕らは50分ほど前から待機していたから余裕であったが、すぐに規定人数に到達し、新たに来る人に対し本部の人が謝って帰ってもらうという寂しい構図が出来上がっていた。

 

それであっても、雨の中で屋外活動はできないのだ。

雨の中には非常に有害な放射能物質が溶け込んでいると聞いている。

仮に作業途中であっても雨が降ったら本部から中止指示が入るのだ。

 

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ボラセン7

そうそう、ボランティアセンターはボランティアスタッフの衣食住の面倒を見てくれるわけではない。

自分のことは自分でやらないとなのだ。

 

僕は水・保存食・トイレットペーパー・ハサミ・ペン・メモ帳・ビニール袋などを携帯している。

車の中には毛布もある。何もなくても車さえあれば、生きていけるようにはしている。

 

とはいえ、食堂やホテル等が営業しており、キャパシティがあるのであれば使ったほうがいい。

現地のお店や宿は、お客さんが来ずに経営が大ピンチなのだ。

充分な確認の上、利用できるようであれば積極的に利用した。

 

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ボラセン8

前回は奇跡的にボラセンでランチを出してくれたこともあったが、今回はそうではなさそうだ。

しかしこちらは最初からそのつもりなので、全く問題はない。 

 

僕らは働きに来ているのだ。

では行くぞ!!

 

 

遺留品洗浄

 

まずは遺留品洗浄をした話をしよう。

定員は15名ほどとなる。

 

活動場所によってはボラセンから車に分乗して目的地を目指するんだけど、今回の舞台は場所が近く、徒歩5分なのでみんなで歩いて向かった。

目的地は南相馬市役所の北分庁舎である、「モータープール」だ。

 

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遺留品洗浄1

遺留品洗浄とは、その名の通り遺留品を綺麗にして持ち主の元に返しやすくする作業のこと。

 

津波に飲み込まれた地域から自衛隊さんがいっぱい遺留品を持って来る。

しかしそれらはヘドロにまみれてドロドロのカオスな状態だ。

それらを綺麗にして展示場に運べる状態にする、重要な仕事なのだ。

 

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遺留品洗浄2

尚、上記の写真はボランティア活動外の時間にて、監督に許可を得て撮影している。

 

対象物のメインは写真。

その他、ノート・賞状・絵画・位牌・貴重品…。

そんな感じの比較的小物を取り扱う。


ヘドロは病原性微生物だとか化学有害物質を多く含んでいる。

仮に乾いていたら、それはそれですごい粉塵が舞う。

目にも喉にもダメージが来る。

 

だからヘドロから身を守るため、配布された防塵マスクとゴム手袋をつける。

しかしそれでもヘドロの独特な臭いが鼻が結構やられる。つらい。


僕は前回経験者だから、それなりに率先して頑張っちゃおうと思った。

だが、もう1ヶ月前とルールが全然違うのね。

 

まず、水洗いをしていない。

遺留品"洗浄"じゃなくなっている。根本から概念崩れた。

 

なんでも、水洗いだと写真とかどうしてもグニャグニャになる。

本当に丁寧に扱わないと、洗う作業で写真が剥げ落ちちゃうという本末転倒になるの
だ。

それを避けるためか、水洗いは絶対せずに、布やハケで表面の泥を落とす作業になっていた。

 

当然写真や泥が湿っていたりしたら布で拭いた時のダメージが計り知れないので、ま
ずは徹底的に乾かす。

だから晴れの日が続いていないとあんまり作業効率が良くないのだそうだ。

 

きっといろいろ考えられた上で、今回の方法に変更されたのだろう。

こういったノウハウは、いつかどこかで役に立つかもしれないな。

 

ある程度綺麗になった遺留品は、展示会場に展示され、持ち主が来るのを待つ。

1つでも持ち主のもとに返ってほしい。

そして受け取った人が喜んでくれるよう、心を込めて綺麗にしたい。

 

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遺留品洗浄3

僕ら15人は、さらに2チームに別れた。


僕はかなり汚れている遺留品の汚れを大雑把に落とす班。

僕以外はゴツい男性ばかりがそろった。

 

もう1つはその後の細かい汚れをハケとか使って丁寧に落とす班であり、なぜか女性が多くなっていた。

今回の同行メンバーの女性も、そちらに所属となった。

 

カーゴボックスをいくつか並べてそれぞれの班用の作業テーブルを作り、その周りに
小さい折り畳みチェアを用意して黙々と作業。

僕らの班はまずそこいらに無造作に置いてあるボックスの中の写真だとかアルバム
だとかの遺留品を、乾いているものと乾いていないものに分類する。

 

そして乾いているものを布で簡単に汚れを落とし、もう1つの班に送る用のボックスに
入れておく。

ついでに名前など記載があり個人が特定できそうなものはまとめておいて、展示場に一緒にまとめて展示できるようにパッキングしておく。

 

もう震災から2ヶ月以上だというのに、アルバムとかジットリと湿っている。

ページ同士がくっついちゃったりしてもう大変だ。


こういうのは無理に剥がすと写真がダメになっちゃうので、次の晴れの日に乾かす。

僕らの班は、わりと連携力のある人ばかりだった。

  • 「こういうカテゴリのボックス作りましょう」
  • 「あ、こっちに廃棄候補のボックス作ったんで発生したら僕に回してください」
  • 「これ、どう分類すればいいと思いますか?」

…みたいにコミュニケーションを取って連携力や絆を深めていった。

 

遺留品洗浄の仕事はボラセンから近い。

つまり僕の愛車が停まっている駐車場からの近いので、昼ごはんは車内で食べることができる。

こういうリラックスできる空間が確保できるのは、とても重要だ。

 

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ボラセン9

そして、余った時間は車内で昼寝してスタミナ回復させることもできるし、ボラセンの中を見学することなどもできる。

 

雨の日のニーズ、わずか7件。

雨は嫌だ。

 

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ボラセン9

僕は上記の会報をよく読んでいた。

あと、冒頭で書いた通り災害派遣等従事車両の手続きに行ったりもした。

 

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ボラセン10

上の写真も、そうやって昼休憩時間に駆けずり回ったときのものだ。

すっごい雨ね。雨の多いボランティアであった。

 

また、今回はマッチングの部屋を見学したいと思っていた。

マッチングは結構人がギュウギュウの部屋で、本部の人もボランティアの人も慌ただしく動く。

 

ボランティアの人は指示待ちで待機時間も生じたりするけれど、あまりウロウロできるような空気じゃないんだ。

だけどもそのマッチングの部屋には、復興ポスターだとか全国から届いた応援メッセージだとかが所狭しと展示されている。

 

せっかくいろいろ展示してあるのにみんな見る時間が無いなんて、もったいない。

で、受付の人に交渉した。

そして写真撮影含め、特別OKもらった。

 

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ボラセン11

マッチングの部屋は、原則ボランティアの人だけでは入るのはNG。

ただし今回は本部の人がその部屋でPC作業していたので、それで「監督付き」っていう建前となり、OKをいただいた。

 

ごく一部の紹介だけど、こんな展示物であった。

他にも被災地を応援する写真だとか、南相馬地区の巨大地図、汚染状況を記した地図などなどいろんな情報が展示されていた。

 

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ボラセン12

引き続きの遺留品洗浄についてご紹介したい。


僕はノートの切れ端とか手紙とか、ものすごい量のメモをファイルにストックしてある人の遺留品に取り掛かった。

たぶん、女子中学生とか高校生とか、そんな感じ。

授業中の交換メモとかちょっとした手紙のやり取りとか、大量。

 

ちなみに見られた本人はもしこれを他人が見たことを知ったらすっごい恥ずかしがっ
たりするかもしれない。

たぶん、多感な時期だし。

 

しかしこちらはあくまで作業。

内容自体には全く興味はない。黙々と処理するのみだ。

でも、手元に戻るといいね、思い出の品々。

それだけは心から祈る。


今回の同行メンバーである女性は、「ガレキ撤去や泥出し作業は、まだ終わりが見えていたからよかった。だけども遺留品洗浄はやってもやっても先が見えないから精神的に堪える。」って言っていた。

 

そうだね…、1年は続く見通しなんだっけ、この作業。

ここの部屋にあるだけでも何日かかるかわからないのに、まだまだ沿岸部のヘドロの中から発掘されてくるのだ。

 

津波の映像はTVやWebで何度も見た。

あの中にある遺留品、全て発掘して洗浄するのだ。

 

気が遠い作業。

しかしやらねばならぬのだ。

被災者の方々のため、復興への前進のため。

 

恐ろしいのは、そのうち夏が来るということ。梅雨も来るということ。

そうなるとカビ・腐敗・異臭などの懸念が格段に上がる。


ただでさえヘドロは雑菌だらけ。

僕らも防塵マスクをしているけど、それでも粉塵の逃げ場のないこの施設では、喉がイガイガする。目もゴロゴロする。

休憩時間には必ず手洗いうがいをしているけど、それでも安全には程遠いだろう。


雨続きなので遺留品を乾かすことができず、イマイチ作業がはかどらない。

洗浄作業はちょっとストップだ。

晴れている日に効率よく作業できるよう、ここからは仕分け作業に切り替えよう。

 

無造作にボックスに入れられている遺留品を、乾いているものと乾いていないものに分けていく。

ついでに貴重品だとか個人特定可能なものは専用のボックスにさらに分ける。

 

結構な重労働だ。

繰り返すが、昭和テイストの重厚な表紙のアルバムとか、1ページ1ページが厚紙なので、濡れて泥だらけだとかなり重い。

またもや服や靴がが汚れる。

前日のガレキ撤去のときも汚れたが、この作業もヘドロとの戦いだ。

 

あと、額入りの立派そうな絵を発掘したりした。

絵にはビッシリと白い点々が描いてあって、「変わったデザインだな」って思った。

しかしなんか変だ。妙な立体感なのだ。

実は、額と絵の間に虫のタマゴがビッシリと産み付けられていた。

ぞわわわー…ってなった。恐怖しかない。

これからの季節はこういうことも増えてくるのだろう。

 

16:00に作業が終了。

リーダーはずいぶん片付いたと喜んでいた。

 

晴れの日だとみんなガレキ撤去に行っちゃって、遺留品洗浄は人気が無いから人数が少ないんだって。

そうなるとこういう仕分け作業も取っても時間がかかるそうだ。

「あと1週間はこの仕分けを元に洗浄作業ができるぞ」って言っていた。

 

よかった。

途方もない道のりのわずかな一歩だが、着実に進めたようであった。

 

 

ガレキ撤去 

 

雨続きでガレキ撤去ができない南相馬市

本部の人も復興作業への遅れを懸念していた。

 

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ガレキ撤去1

しかし、しばらく朝のマッチングが進んだところで突然、本部の人が「どうやら天気が大丈夫そうなので、今日はガレキ撤去もやることにしました!みなさんの願いが通じました!」と叫ぶ。

 

本部の人が言う通り、みんなパワーをガレキやヘドロにぶつけたいのだ。

やり場のない怒りでガレキをブン投げたいのだ。

場の雰囲気が「うおぉぉぉ!」みたいになる。

 

これは僕らもこれはガレキ撤去やるっきゃないね。血が騒ぐ。

仲間と3人、即座に肉体労働系にエントリーし直した。

 

その後のマッチングでは、無事に3人とも同じガレキ撤去・泥出しの作業にノミネートされたようで、集合指示がかかる。
20人のメンバーが集まり、結構ベテランなリーダーとサブリーダーが選出された。

車5台にメンバーを割り振り。

 

そして目的地の場所を周知される。

目的地は「北泉公会堂」という、津波に飲み込まれた施設だそうだ。

 

機材の準備。

本部の人やベテランさんの見立てで、次々機材を準備。

本部所持の軽トラも借りていた。

リアカーをガンガン乗せる。スコップ・バール・フォーク・熊手・竹ぼうき…。

 

これを軽トラの荷台にみんなでガシガシ積んだらロープで縛って固定する。

「ほい、そっちパス!」とか言われて荷台の反対側からロープが飛んでくるんだけどど、ちょっ、待って。

僕、軽トラのロープ固定なんてやったことないんだぜ。

てゆーかみんな、ベテラン過ぎだ。委縮。


そんなこんなで5台の車が連なって、津波地区を目指して出発。

ベテランリーダーが見事に20人をまとめあげ、一致団結で行動した。

 

北泉地区に入た。

あ、津波ラインだ。

津波の被害を受けたところとそうでないところが明確にまだわかる。

当然だが、そのラインの向こう側に僕らは向かう。

 

前回と比べてある程度片付けが進んでいるのはわかるけど、まだ重機が田畑に転がっている。

ボロボロになった家具をみんな家の前に並べていたりする。

…本当に、まだまだだ。 

 

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ガレキ撤去2

上の写真は、実はこのとき撮影したものではない。

3ヶ月以上の後、2011年8月下旬に再訪したときのものだ。

だから非常に綺麗になっている。

 

「うわ…、ボロボロだ…。」

思わず声が出るような惨状であった。


コンクリなので骨組みはしっかりしているけど、とりあえず一面ヘドロまみれ。

そして家具(?)だとか窓ガラスが至る所に散乱している。

天井も壊れてていろんなものがダランと垂れ下がってきている。

 

何度は、前回の一般家庭で実施したガレキ撤去・泥出しの比じゃない。

もう中までバッキバキのグッチャグチャだ。

明らかにこの中を津波が貫通しており、なんなら屋根まで全て波を被っている。


では、作業開始だ。

僕はまずは20畳くらいの大広間の担当をした。

 

大木だとか棚とかストーブだとかバケツだとか備品だとか、津波の運んできたものと公会堂の中にあったものがミックスされて、全部茶色でなにがなんだかわからん状態でうず高くなっている。
これを運び出す作業だ。

 

内部班がこういった物品を外に放り投げて、外で待機しているリアカー班が収集場所に運んでいくシナリオだ。

しばらく什器類を運んでいくと、今度は部屋を取り囲む木の壁が腐ってグジュグジュに
なっているので、それも破壊して運び出す。

 

もう、すっごい粉塵が舞う。

前述の通り、ヘドロは細菌の宝庫。

防塵マスクでもヤバイ。目もヤバイ。

 

今回の同行メンバーの男性は、外でバカスカゴミを投げています。荒ぶっていた。

同行メンバーの女性は、キッチンや廊下辺りに潜入していた。

 

大きなゴミがある程度少なくなったら、フォークでヘドロの表面を覆う枯草とかの除
去。

フォークというのは、アイダホ州で麦わら帽子を被りオーバーオールを着たおデブなアメリカンが農作業をしているときに使う、あの巨大フォークだ。

この作業用もハンパなくボリューミーだ。

 

そのうち外に近いところから大広間の畳が見えてきたので、パワフルな連中がそれを剥がし、外に出るところからゴミ堆積場までの10数mに畳の道を作っていた。

こうすることでリアカーの運搬が格段に速くなるんだ。


サブリーダーは軽トラでボランティアセンターをもう1往復し、さらにリアカーや機材
を追加で持ってきた。

戦力さらにUPだ。

みんなでサブリーダーに「うおぉぉぉ!」みたいに賞賛の声を送る。戦国武将のようだ。

 

実際、結構みんな装備がすごい。

経験もすごい。

「ノコギリないかー!この柱を切る!」、「あいよー!」という言葉が普通に飛び交っている。


メンバーの1人は大工さんだ。

乗ってきたハイエースの後部は工具をびっしり乗せた棚になっている。

そこからいろんな工具を出してきて、テクニカルに公会堂を破壊していく。

 

途中、「キッチンからガスの臭いがするぞー!ちょっといったん退け!!」だとか、「あれ?日本酒の匂いが立ち込めてきてませんか?」みたいな展開もあったりした。

 

僕はさらに天井の破壊を担当した。

やはりここはm天井まで波を被ったらしい。

断熱材だかなんだかわかんないけど、天井のコンクリではない表層の部分がズルズルに腐って垂れ下がってきている。

 

ついでに鉄骨も一部垂れ下がっている。

これが崩れたら下にいる僕らも無事では済まないんだけど、このときはみんな気合で何とかなると信じていた。

 

天井を破壊する。

シャベルでドツいて天井のパネルを下に落とすのだ。

同時にいろんな粉塵や土も落ちてくるので、ときどきモロに被って大変なことになる。

 

もう体中ドロドロだ。いろいろ有害物質も被ってしまっているだろう。

しかし、嫌ではなかった。

現地の人たちは、もっともっと、僕らの数100倍以上も大変なのだ。

少しでもその痛みをわかりたかった。…わかりっこないのだけれども。

でも、ここにいる間だけでも、自分を痛めつけたい気持ちがあった。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-

 

こうして昼になった。

 

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ガレキ撤去3

僕ら3人はお昼を持って、1kmほど先にある海まで歩いてみることにした。

 

あの日、海から津波がやってきたのだ。

その経路をさかのぼってみる。

少しでもあの日のことを知っておきたいと思ったのだ。

 

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ガレキ撤去4

なんなんだ、この天気は。

霧が地上ギリギリまで立ち込めていて、すごい圧迫感だ。気持ちも苦しくなる。

なんだか異世界に迷い込んだみたいな気分だ。

 

途中でヘドロの中からミッフィーちゃんを発見した。

泥だらけだけど、名前が書いてある。あとでボランティアセンターに届けよう。

持ち主の元に戻るかもしれないから。

 

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ガレキ撤去5

おそらく海の上、霧の下のわずかなスペースに得体の知れない巨大建造物が見えている。

海岸線の向こうのハズなのに、ゴッツいものが見えているんだ。

巨大船?それとも何かの海上施設?

 

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ガレキ撤去6

思いっきりズームで撮影すると、タンクのようだ。

あぁ、確かあれは、原町火力発電所だ。

 

そっか、霧で良く見えないが、火力発電所のすぐそばにいるのだな、僕らは。

きっと霧さえなければ、巨大な発電所の煙突も見えているのだろう。

 

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ガレキ撤去7

おそらく、あのコンクリートの建物の背後にうっすらと見えているのが、火力発電所だ。

あの建物は、18mもの津波をモロに被り、揚炭機が破壊されて炎上したと聞いた。

 

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ガレキ撤去8

歩きながら周囲を見渡すと、高台に立っている家以外はほぼ全滅だ。

よほど高い津波だったのか、高台の家も1階が柱以外消滅していたりしていた。

 

さらにその柱も2階を支えきれずに朽ちていていて、家全体が痛々しく歪んでいる。

そういう家は、例え2階が無事だとしても家財道具を回収しに入ることすらできないだろうな…。

そもそも階段も無くなっちゃってるしなぁ、どうするのだろう?

 

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ガレキ撤去9

防波堤に登る階段はほぼ全壊だったので、ガレキを足場によじ登る。

 

すると海の向こうの火力発電施設が一望できた。

クレーンの上部すら見えないほどの低い霧だけど。

 

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ガレキ撤去10

上の写真をよく見てほしい。

 

あらゆる施設が、津波に破壊されてボコボコだ。

鉄筋コンクリの発電所まで、津波であんな大きなダメージを受けてしまうんだ。

背筋が寒くなる。

 

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ガレキ撤去11

あの向こうから、とてつもない津波がやってきたのだ。

この防波堤を越えて。

 

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ガレキ撤去12

そんなことを、誰が予想できたのだろうか?

 

原発事故しかり、みんな誰かのせいにしようとしている。

誰かのせいにしないと、気持ちのぶつけ先が無いってのもあるかもしれない。

 

確かに、事前に予想した上でしっかりした建築もできたかもしれない。

僕はそういうのの詳しいことはわからなけいけどさ、実際この光景を目にすると、「こんな状況をカンペキに事前に備えられるようにするには、日本全土を数10mの城壁で囲わないといけなくなるぞ」って思うのだ。

 

それがいいのか悪いのかも、わからないけど。

 

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ガレキ撤去13

ちょっと酷いロケーションだけど、僕らは防波堤の上で火力発電所を見ながらお昼
ご飯を食べた。


午前中の運動量がすさまじかったので、かなり水分補給した。

夕方まで持たないかもな、水分。


食後、仲間と3人で愛車に乗り込み、トイレを探すドライブに出かけた。

そして途中で見つけたパチンコ屋でトイレを借りました。

 

津波ラインの向こう側にトイレなどは原則ないのだ。

かといってボラセンは遠いし、ガマンできるようなものでもないし。

 

パチンコ屋は、津波ラインから数100mほどしか離れていないけど、賑やかな音で溢れていた。たった数100m、津波が来たかどうかで大きく世界が違っていた。

ドロドロの状態で入った僕らは少し浮いていた。

*-*-*-*-*-*-*-*-

 

午後の作業だ。

 

僕が中央の部屋のヘドロをスコップで掻き出し、窓から外に放り投げる。

それを外にいる同行の仲間がリアカーに卸し、堆積所に捨てに行く。

こんな感じの連携。

 

しかし仲間が結構なスピードでリアカーでヘドロを捨てて戻ってくる。

そして僕が部屋の泥を掻いているのを窓の外から見ているの。

 

悔しい。スピードUPしてコイツの待ち時間を無くしてやりたい。
コイツがリアカーで泥を捨てている間に窓の外のヘドロ置き場を泥でいっぱいにすれば、コイツがそれをリアカーに盛りつけている間に僕が休憩できる。

 

それを実現したら、今度はその仲間が悔しがってさらにスピードUP。

僕の休憩時間がまた無くなった。

負けじとこっちもさらにスピードUPした。


もうヤバイ。体がヤバイ。

普段肉体労働なんてまったくやらない僕は、ヘロヘロだ。。

しかしコイツには負けたくない。

 

ついに仲間は「YAMAが速すぎるから休めねーだろうがよ!リアカーメチャクチャきついんだぞ!」とか、キレてきた。

僕も「アホか!いちいち身をかがめてスコップで泥を掻く方がきついに決まっている
だろうが!」と言い返した。

 

もちろん本気でキレているわけではない。

僕らなりの、相手に対する賞讃だ。

僕らは共に日本1周目を成し遂げた、10年以上前からの仲間なのだ。

 

そんなこんなで凄まじいスピードで部屋が綺麗になった。

室内に厚さ30cmくらいも堆積していたヘドロは綺麗に掻き出され、畳が見えてきた。

 

ここでみんなでオヤツ休憩を取った。

休憩直前、僕はスコップに寄りかからないと立てないほどにクタクタだった。

2011年で一番疲れた1時間半だった。

僕とペアを組んだ仲間も、腕プルプルで「さっきリアカーごと堆積所に突っ込んだ」って言ってた。

 

本部からダンボールいっぱいの差し入れのドリンクが届いた。

やったー、よみがえる。

もう汗だくだもの。

かといって、スタジャンを脱ぐわけにはいかない。

この室内はいろいろヤバい物質が飛び交っているので。

 

そして最終ラウンドだ。

室内の泥の中から大きなホワイトボードのフレームをサルベージした。

すごい大変だった。

 

間仕切りとか押入れとか、木材は全部撤去した。

みんなで畳を全部剥がした。

そしたら床板が結構朽ちていて、踏み抜いたりした。それなりに痛い。

 

女性の仲間をちょっと見に行ったら、キッチンを職人みたく綺麗にしていた。

割れた食器がいっぱい出てきていた。


大工さんの提案で、床板をみんなで剥がした。

バールを使ってみんな器用に剥がすんだ。

なんか泥出しでもガレキ撤去でもなく、家屋解体が始まりまったけど?


床板を全部剥がすと、今度はその下から縦横に走る床梁が登場した。

そしたら大工さんが「構造上、横の方は外してOK」みたいなことを言い出す。

みんな床梁まで除去し始めました。

 

僕はちょっと離れたところで柱とかメキメキ剥がしながら、その光景を見てた。

ボランティアの範疇、超越した。

 

床下からはさらにヘドロの層がベットリと顔を見せた。

東日本大震災から2ヶ月以上が経ったというのに、まだグチャグチャのヘドロ。

バケツリレーだ。

 

すっごい重いけど、頑張って掻き出した。

腕がプルプルすぎて、もう自分の意志で動いてくれない。


夕方、最後の後片付けだ。

リアカーの線路代わりに使っていた、朽ちた畳の回収作業が重すぎて参った。

 

2人かがりなんだけど、握力がもうなくってさ、泣きそうなくらいシンドい。

でも畳はメチャいっぱいあるし。

でも周囲を見ると、みんなも腕に力が入らずに、「ベチョーン!」と畳を落としていた。


そしてまた5台の車でボランティアセンターに戻る。

 

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ガレキ撤去17

放水装置で使った機材を洗ったりしたけど、もうフラフラであまりよく覚えていない。

 

昼に拾ったミッフィーちゃんは、本部の人に渡しておいた。

名前が書いてるのだ。

遺留品洗浄グループで綺麗にし、持ち主に返ってくれたら嬉しい。

 

そして、今回のチームのみんなとお別れだ。 

絆が芽生えた。みんな、ありがとう。

いつかどこかで、笑顔で再会できたら酒でも飲もうよ。

 

 

僕らは伝えなければならない

 

ボランティア活動は16時までだ。

9時~16時まで。原則徹底している。

 

無理して体を壊すようなことがあってはいけないのだ。

ボランティアは役に立つために存在している。足を引っ張る存在であってはならない。

 

休むのもまた仕事である。

16時以降のフリータイムにて、町を見るのも重要な役目だと思っている。

 

おそらくは今回の震災は、遥か先まで歴史に残るような大事件だ。

僕はその証人の1人でありたい。

震災後しばらくしてからのボランティアだが、僕には僕の見た世界があるのだ。

 

その世界を、あなたにもお伝えしたい。

僕らは、これを乗り越えなければならない。

 

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僕らの見た世界1

街中を走る車は、自衛隊とダンプカーとトラック。

この比率が非常に高い。

 

一緒に走行していて相当プレッシャーを感じるが、同時に頼りになる。

 

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僕らの見た世界2

県外ナンバーのマイカーである僕は、もしかしたらそれらの人や地元に人から訝しげな眼で見られることを危惧していた。

 

そんなときに役に立つのが、「がんばろう!みなみそうま」の帽子である。

ボランティアの多くがこの帽子を被っている。

この帽子はある程度市民権を得ている。

これを被っていれば、地元の人たちもちょっと安心してくれたのではないかと思っている。

 

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僕らの見た世界3

福島第一原子力発電所からの20km地点に設置されたゲートだ。

あの向こうには、もう防護服が無いと入れない。

国道は厳重に封鎖されている。

 

南相馬市は、20㎞圏内も跨っている町なのだ。

それを知るためにも、ここを見ておきたかった。仲間に見せておきたかった。

 

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僕らの見た世界4

県道も、比較的大きな道には警備員がいる。

写真には無いが、この右手自衛隊のキャンプ地となっていた。

 

ちょうど朝に僕らが通りかかったのが出勤時間なのか、キャンプから大量の自衛隊車輌が出てくる。

何10台も。

そして僕らの目の前を通り抜け、次々と原発20kmゲートを突破して行った。

 

大変だろうなぁ。不安だろうなぁ。彼らにだって故郷や家族があるんだから。

自衛隊さん、本当にありがとう。

くれぐれも、気を付けてほしい。

 

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僕らの見た世界5

田園地帯の道県道120号。

この道を南に走ると、上の原発20kmゲートが出てくる。


前回は、飼い主がいなくなった2頭の犬に出会ったところだ。

ここのゲートには警備員はいない。

 

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僕らの見た世界6

後ろからパトカーが現れ、僕らの横をかすめてゲートの向こうに消えていった。

福岡県警のパトカーだった。

なんと、九州からか。頭が下がる。

 

僕らはポツポツ降る雨の中、看板の前でしばらく佇んだ。

 

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僕らの見た世界7

国道6号をちょっとだけ南に行き、沿岸部に曲がれる道から海を目指す。

するとすぐに津波ラインを越える。

 

このラインで世界が大きく変わるのだ。

 

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僕らの見た世界8

もう、ここにはちゃんと建っている家なんて一軒もない。

鉄骨・ガレキ・家の基礎・家具・車…。

そんなものが散乱しているだけの世界だ。

鉄骨ですら、こんなにグニャグニャになるのだ。

 

よく見ると家の基礎の中央ほどに花が添えられている。

あぁ…やるせない気分になる。

 

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僕らの見た世界9

これはミニ消防車だろう。

あの日、地震が起こった。

直後、消防車は沿岸部の様子を見たり、被害を受けた人々をレスキューするためにここに駆け付けた。そこに津波が襲い掛かる…。

…そんな光景が目に浮かんだ。

 

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僕らの見た世界10

さらに海へと向かっていると、左手に簡素な仏壇・生け花、そして被災者に向けられ
た応援メッセージのボード。

あ、見覚えがある。前回走った道だ。原町区萓浜だ。

 

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僕らの見た世界11

荒野にはポツポツと車が転がっている。

 

そして、数えきれないほどのガレキの山。

昔はこのガレキも、家具や生活用品、そして家の一部だったのだ。

今ではもう、何が何だかわからない。

 

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僕らの見た世界12

この1ヶ月で、ここは何が変わっているだろうか。

 

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僕らの見た世界13

若干大きなガレキ類が減ったり、まとまったりしているような気もするが、復興だとか
のイメージには程遠い。

人が住めるような状態ではない。

 

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僕らの見た世界14

左右ともに、家の基礎があるのだ。

ここは確かに町だったのだ。

 

降りしきる雨が、一層ここを悲しい景色にさせている。
 

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僕らの見た世界15

ヘドロに覆われた大地。

津波で砕けたテトラポットの残骸が、こんな内陸にまで散らばっている。

 

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僕らの見た世界16

アスファルトもところどころ剥がれている。

道自体が崩壊している部分もあるので、津波ラインの内側を走る車は非常に少ない。

作業車両くらいだ。

 

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僕らの見た世界17

ところどころ、ガレキが盛られている上に青い旗が立っていたりする。

それは「ガレキを撤去してもOKですよ」っていうサインだ。

 

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僕らの見た世界18

ちなみに、写真には撮っていないが、赤い丸印がついている建物の残骸もあったりする。
それは遺体が発見されたマークだ。心が痛い。

 

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僕らの見た世界19

ここに再び笑顔が戻るまで、いったいどれだけの年月が必要なのだろうか…。

整備して家を建てて、はい終わり、ではない。

人が住み、コミュニティができ、文化ができるまでにはさらに長い年月が必要だろう。

 

あまりに気の遠い道のりに、めまいがする。

 

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僕らの見た世界20

さらに進むとわずかに残っていたアスファルトさえも完全になくなり、ガードレール替
わりにトラロープが張ってあるだけの区域に入る。

 

本当に被害が大きかったのだろう。

 

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僕らの見た世界21

地震の影響なのか、道も歪んでいてありえないような小さな起伏が連続する。

もう、こっちも四駆に切り替えてグイグイ進んだ。

 

とてつもなく狭い道とかにも入り込んじゃって焦った。

当然狭い道ほど利用のニーズが少ないので、整備も遅れているのだ。

 

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僕らの見た世界22

海岸線を南へと進み、原発20km圏内の1kmくらい手前で内陸部に進路を変えた。

 

そうすると、アイツが見えてきた。

前回最初に津波の被害を目の当たりにしてショックを受けた、曲がった送電線の鉄
塔であった。

 

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僕らの見た世界23

小道を使って鉄塔の横を通り過ぎ、内陸部に帰って行く。
前回の訪問時にも撮影した、大型トレーラー前までやって来た。

 

…ここは何も変わっていないな…。

 

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僕らの見た世界24

唯一変わったのは、手前に立札が新設された点だ。

ここは原発から20.8km地点なのか。それが判明した。

 

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僕らの見た世界25

その後ろの畑には、おびただしい数の津波に飲み込まれた車が放置されて
いた。その数、ザッと数えただけでも10台。恐ろしかった。

 

ちょっとずつちょっとずつ、僕らは前進しなければならない。

つらいけど、前進さえしていればいつか「復興した」と言える日がくるのだろう。

 

 

いつかの未来にまた会おう

 

今回はホテルに宿泊していた。

「ビジネスホテル 高見」という、南相馬の道の駅のほぼ向かいにあるホテルで、立地がすごく便利であった。

宿泊者にはボランティアの人も多かった。

 

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さよなら南相馬1

お世話になりました。

安くて奇麗でいい部屋だった。

ベッドもフカフカで、ガレキ撤去でパンパンになった腕や足も、1日で全快した。

 

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さよなら南相馬2

仲間と3人、南相馬を出発する。

 

少し先になるかもしれないけど、いつか南相馬の本来のいいところを見てみたい。

「野馬追まつり」とか、有名だしね。

前回のエピソードで参加した2人も含めみんなで、元気になった南相馬を再訪する。

そんなことが出来たら嬉しいね。

 

…そう話した。

 

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さよなら南相馬3

その日まで、僕も頑張ろう。

 

仕事とかはもちろん、もっともっと日本を見て回るのだ。

僕には僕の、やるべきことがあるし、やりたいことがある。

それを磨くのだ。

 

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さよなら南相馬4

地元のおじさんと話したことを、僕は思い出す。

 

夕方のボラセン前、ガレキ撤去で泥だらけになった衣服をはたいていると、「ボランティアで来ているのかい?」と声をかけられた。

 

おじさんは地元南相馬の市会議員だそうだ。

横浜ナンバーの車がボランティアに来ているのを見て嬉しくなって声をかけたとのことだ。

 

地震当時の惨劇をいろいろ話してくれた。

松の木の上を超えて迫ってきた津波の話。

そのとき一緒に逃げた仲間が助からなかった話。

その後も原発だとかで地獄の生活が続いている話。

 

こんな僕らに身の上話をしてくれてありがとう。

誰かに聞いてもらいたい、という思いだったのだろう。

だから僕らも受け止める。

 

最後におじさんは、こう尋ねてきた。

「車に書いてある【日本走覇】って、どういう意味?」

 

僕は答えた。

「日本をくまなく走り、くまなく知り、未来に繋げる僕の人生目標です」と。

 

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【日本走覇】

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

No.089【福島県】南相馬リバイバル ― 東日本大震災から10年。ボランティア活動の思い出。

空は灰色だし、大地は茶色だった。

世界は色を失ったかのように、静かだった。

 

体を休めると途端に汗が冷え、スタジャンの中に寒気が走る。

常に動き続けていたかった。

肉体的にも、精神的にも。

 

ふと小さな何かが視界を掠め、僕は泥にまみれた軍手を伸ばした。

どこからか舞ってきた、桜の花びらだった。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

2011年3月11日の東日本大震災

僕は震災復興ボランティアとして、福島県南相馬市を訪れた。

 

 ※ 通番は気にしないでいただきたい。

 

そのときの計3回の訪問記録を、10年前に上記の通りに執筆公開していた。

今回は、それぞれのエピソードをギュッと圧縮して少々手直しの上で再公開したい。

新規書下ろしをを含め、計4本の連載となる予定だ。

 

※ 放送倫理上適さないような写真は無いですが、少々刺激が強いものもあります。

※ 10年前の僕が見た世界を10年前の僕が書いています。未熟であり、至らない点もあります。

 

 

東日本大震災

 

2011年3月。

日本列島は悲鳴を上げる。

 

◆3月11日14:46 
三陸沖を震源とする、東北地方太平洋沖地震発生。

日本観測史上最大、世界で見ても歴代4位となるマグニチュード9.0の激震が東北地方を中心とした東日本を襲う。

 

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千葉県市原市コスモ石油が爆発炎上。(このあと9日間燃え続ける)

 

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◆3月11日15:06 
三陸沖を震源とするマグニチュード7.4の地震発生。

 

◆3月11日15:15
茨城沖を震源とするマグニチュード7.4の地震発生。

 

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◆3月11日15時台
東北地方・関東地方の太平洋岸に次々と津波が発生。
場所によっては高さ10mの大津波となり、東北地方太平洋岸の多くの街が壊滅状態となる。

 

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◆3月11日16時台
青森県秋田県岩手県宮城県山形県の全域ほとんどが停電となる。

 

◆3月11日21時台
福島第1原子力発電所・第2原子力発電所にて、放射能漏れの可能性発生。
半径3km圏内に避難指示、半径3~10km圏内に屋内退避指示。

 

◆3月11日23時台
宮城県仙台市若林区にて、200~300人にのぼる遺体が発見される。

 

◆3月12日3:59

新潟県中越地方にてマグニチュード6.7の地震発生。

 

◆3月12日4:32
新潟県中越地方にてマグニチュード5.8の地震発生。

 

◆3月12日5:42
新潟県中越地方にてマグニチュード5.3の地震発生。

 

◆3月12日7:00台
福島第1原子力発電所中央制御室で検出された放射線量が通常時の1000倍。

 

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◆3月12日15:36
福島第1原子力発電所の1号機で水素爆発発生。

 

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◆3月12日21時台
宮城県南三陸町で1万人以上が安否不明であることが判明。

 

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◆3月13日0時台
福島第1原子力発電所の事故は原子力事故の国際レベルにおける「レベル4」と発表される。

 

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◆3月13日2時台
福島第1原子力発電所の3号機が高圧のため注水システム自動停止。
海水注水が停止。

 

◆3月13日
宮城県警本部長より、「死者が万単位に及ぶことは間違いない」とのコメント。

 

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◆3月14日
東京電力エリア内にて計画停電が開始。

 

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◆3月14日
福島第1原子力発電所の3号機で水素爆発発生。骨組みのみとなる。
半径20km圏内に屋内退避指示。

 

◆3月14日13時台
宮城県南三陸町で約1000人の遺体が発見される。


◆3月15日6:10
福島第1原子力発電所の2号機にて爆発発生。

 

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◆3月15日11時台
福島第1原子力発電所から20km圏内は退避、20~30km圏内は屋内退避指示。

 

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◆3月15日22:31 
静岡県東部にてマグニチュード6.4の地震発生。

 

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◆3月16日5:45 
福島第1原子力発電所の4号機にて火災発生。

 

◆3月16日22:31 
千葉県北東部にてマグニチュード6.0の地震発生。

 

◆3月22日
「死者:9080人 行方不明者:1万3561人」となり、1896年の明治三陸地震を上回る。明治以降の自然災害では関東大震災に次ぐ2番目の被害規模。

 

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◆3月23日7:12 
福島県浜通りにてマグニチュード6.0の地震発生。

 

◆3月23日7:36
福島県浜通りにてマグニチュード5.8の地震発生。

 

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◆3月23日17:21
岩手県沖にてマグニチュード6.1の地震発生。

 

◆3月28日7:28
宮城県沖にてマグニチュード6.5の地震発生。

 

◆3月31日16:15
宮城県沖にてマグニチュード6.0の地震発生。


◆4月1日19:49 
秋田県内陸北部にてマグニチュード5.1の地震発生。

 

◆4月2日16:55
茨城県南部にてマグニチュード5.0の地震発生。

 

◆4月7日23:32
宮城県沖にてマグニチュード7.4の地震発生。

 

◆4月9日18:42
宮城県沖にてマグニチュード5.4の地震発生。

 

◆4月11日20:42
茨城県北部にてマグニチュード5.9の地震発生。

 

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◆4月12日7:26 
長野県北部にてマグニチュード5.5の地震発生。

 

◆4月12日8:08
千葉県東方沖にてマグニチュード6.3の地震発生。

 

◆4月12日14:07
福島県浜通りにてマグニチュード6.3の地震発生。

 

◆4月12日
福島第1原子力発電所の事故は原子力事故の国際レベルにおける最悪の数値である「レベル7」と暫定発表される。(これまでチェルノブイリの1件のみ)

 

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◆4月13日10:08 
福島県浜通りにてマグニチュード5.8の地震発生。

 

◆4月16日11:19
栃木県南部にてマグニチュード5.9の地震発生。

 

◆4月18日
福島第1原子力発電所の30km圏内の沿岸部にて、震災後初めての行方不明者捜索が自衛隊によって開始される。

 

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◆4月22日
福島第1原子力発電所の20km圏内が警戒区域設定され、立入禁止となる。
福島第1原子力発電所の20km圏外において、放射性物質の累積量が高い地域が計画的避難区域となる。
福島第1原子力発電所の20~30km圏内において、計画的避難区域に入らない地域の大部分が緊急時避難準備区域となる。

 

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僕らにできること 

 

こんばんは、YAMAです。

皆さん、ご無事ですか?

僕はなんやかんやで元気です。


上に主だった災害関連情報を抜き出してみたけど、実際はあんなもんじゃなかったですもんね。

被災地だけではなく、もっと広範囲に影響が来ましたもんね。

 

東京や僕の南関東の町だって、電車は動かないわ、食料の買い占めは起こるわ、ガソリンは無いわ、水道水は危険とのウワサが流れるわ、節電でいまだに街は暗いわでそれなりに影響食らいました。

駅前も道路がバキバキ裂けていましたし。


震災直後、津波が東北の町を消滅させる動画をWebからいろいろ見てました。

胸が締め付けられる思いでした。

 

走ったもんね、あそこ。

今までドライブしたりメシ食ったり車中泊したもんね。

福島第一原発の近くで車中泊したこともあるし、つい最近も第一原発と第二原発の間から朝日を見たもんね。…って。

 

「これ、関東にいる場合じゃないんじゃない?」とか思い、早々にも東北に駆け付けたい気持ちになりました。

しかし必死に自分自身にブレーキをかけました。

 

…今までの災害と今回はレベルが違う。

例え自分の生活用品や食料を全部持ち込んだとしても、ボランティアが動けるようなレベルじゃないと判断しました。
今はムリ。ガマン。

 

悔しいけど、今ではない。

しっかりと状況を見極め、現地まで車で入れると確信を持ってから動くこととしました。


最初はお世話になったことのある岩手県大船渡市に行こうとしました。

しかし、岩手県は遠すぎると考えました。

現地でしっかり働くには、往復に要する時間と体力が大きすぎます。

 

結果、福島県南相馬市に行くことにしました。

震災の少し前にドライブした地です。


今の南相馬市は、地震津波放射能風評被害の四重苦にさらされています。

全国からのボランティアの人たちも、宮城県石巻市にはバンバン行っててニュースで連日話題にもなっているけど、放射能のせいで福島県南部は人手薄なのだそうです。

福島原発の30km圏内にかかっている南相馬では、なおさらです。

 

南相馬と言えば、市長がYouTubeで世界に「兵糧攻めだ」とその危機的状況を配信し、一躍有名になりましたね。

4月21日には、南相馬市長はアメリカのタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれました。

 

僕はそんな南相馬市で活動することに決めました。

クローゼットの奥から、久々に黒いスタジャンを取り出しました。

どんな苦しいときも嬉しいときも、一緒に乗り越えてきたスタジャンです。

今回も、僕を守ってください。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

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共に災害ボランティアをした経験のある仲間と3人で、深夜に南相馬市を目指し車を走らせた。

 

衣食住は基本的に全部用意している。

水も保存食もトイレットペーパーも積んである。

 

あと、新潟中越地震のときの経験から、ハサミやペン・メモ帳・ビニール袋などの細かいグッズも準備済みだ。

 

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首都圏でも、街の照明は極限まで消されている状態。

首都高のライトダウンは運転しづらく大変だった。

 

東北道は、震災後はしばらく福島~岩手間は専用車両のみの通行だったけど、今は一般車も通ることができる。

なんというスピーディな復旧。大変にありがたい。

 

福島県に入ると、途端に道は荒れだした。

矢吹IC辺りからツギハギだらけだし、場所によってはボコボコで、軽く飛ぶ。

ところどころに『震災復旧中 段差あり 走行注意』の表示が出ている。

地震の影響はこんな内陸部にまで及んでいたのか…。

 

東北道を福島松川ICで降り、住民が避難してゴーストタウンのようになった町を経由しているうちに、朝になった。

 

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周囲は自衛隊車両・警察関係車両だらけ。

みんな放射能を防ぐために防護服に着替えている。

僕らはスタジャンで良しとするわ。心もとないけど。そして場違い感がすごいけど。

 

「原町区福祉会館」がボランティアセンターになっているそうだ。

では、突撃だ。

 

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ボランティア活動

遺留品洗浄

 

ボラセン内は、ボランティアへの説明や仕事の割り当てをする人、そして参加者で相当賑わっている。

 

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ボラセン1

まずは受付だ。

 

ボランティアって、原則1日単位での申し込みなのだ。

事前の登録とかは一切いらない。アポ無しで突撃して行っても全くOKなのだ。

(少なくとも今回のケースでは)

 

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ボラセン2

ここでの活動が初回の人は、最初に初期研修を受ける。

ボランティアとしての心構えとか、そういう研修だ。

 

それから、掲示板にいろいろ仕事募集の広告が貼りつけてあるので、その中から自分の希望する仕事に、自分の名前を書いたポストイットを貼る。


駐車場誘導・受付事務・遺留品洗浄・遺留品展示・物資仕分・子供の世話とかある中で、僕らは遺留品洗浄を選んだ。

 

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ボラセン3

 尚、南相馬市には2つのボランティアセンターがある。

 

こっちの原町地区には肉体労働系の仕事は原則ない。

こっちでも申し込みはできるんだけど、そうするともう1つの方のボランティアセンターに連れていかれるだけだ。

 

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ボラセン4

そのもう1つって言うのが、鹿島地区のボランティアセンター。
ここから少し北にある。

 

鹿島のボラセンはガレキ撤去や津波でのヘドロの泥出しがメインのハードモードだ。

鹿島には後日行こうと思う。 

 

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ボラセン5

そういや受付の際、「良かったらどうぞ」と言われたので帽子を受け取った。

「がんばろう!みなみそうま」のコメント入り。

 

いいね、こういうの。やる気が出る。

一生大事にする。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

ところで遺留品洗浄は、15人ほどのチームとなった。

最初にチームリーダーを決める。

 

埼玉から今日来たばかりという、同年代の若い男性がリーダーになった。

場所によってはここから車に分乗して目的地を目指したりするんだけど、今回の舞台は場所が近く、徒歩5分ほどだそうなのでみんなで歩いて向かった。

 

目的地は南相馬市役所の北分庁舎である、「モータープール」だ。

 

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遺留品洗浄1

ところで、作業中は写真を撮るわけにはいかない。

これらはすべての作業が終えた後に監督に許可をもらって撮影したものである。

 

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遺留品洗浄2

この20畳ほどの広間が僕らの作業場だ。

この部屋の時計は、地震発生の14:46を示したまま止まっていた。

 

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遺留品洗浄3

遺留品洗浄とは、その名の通り遺留品を綺麗にして持ち主の元に返しやすくする作業のこと。

 

津波に飲み込まれた地域から自衛隊さんがいっぱい遺留品を持って来る。

しかしそれらはヘドロにまみれてドロンドロンのカオスな状態だ。

それらを綺麗に水洗いし乾かして、展示場に運べる状態にする、重要な仕事なのだ。

 

対象物のメインは写真。

その他、ノート・賞状・絵画・位牌・貴重品…。

そんな感じの比較的小物を取り扱う。


ヘドロは病原性微生物だとか化学有害物質を多く含んでいる。

仮に乾いていたら、それはそれですごい粉塵が舞う。

目にも喉にもダメージが来る。

ついでに鼻もか。ヘドロは独特の臭いがするのだ。キツい。

 

だからマスクは自分で持参したものに加え、支給された防塵性のものをさらに上に着け、2重にするよう指示を受けた。

防塵ゴーグルも希望者には貸与されたけど、ウザいのでやめた。

僕にはマイメガネがある。(近視用)


あと、手にはゴム手袋だ。

ヘドロには絶対直接は触れるなと、監督から強く言われた。

そして休憩やお昼のときには必ずうがいをするルールだ。

 

ちなみに監督ももボランティアだ。

数日やっているからなんとなくやり方を知っているだけの人なんだけど、初日の僕らからしたら、頼りがいのある先輩だ。

 

15人くらいいる僕らのチームは、その工程ごとにさらに分けられた。

 

  1.  洗えるものと洗えないものとの仕分け
  2.  汚いものを洗う
  3.  少し汚いものを洗う
  4.  最後の濯ぎ
  5.  ふき取り
  6.  干す

 

僕、最後の干す人を担当した。

1枚1枚、作業場に設置されたロープの洗濯バサミに挟んでいくのだ。


あのね、結構精神的にくる。

あまり考えないようにしているんだけど。

 

やっぱ写真って、いいことがあったときや記念日に撮るものだ。
みんな笑顔。幸せそう。

記念行事・子供の成長・何気ない日常の一コマ・そして結婚式まで…。

 

そんな写真がヘドロまみれだ。

無残としか言いようがない。

 

みんな丁寧に洗ってはいるけれど、そもそもかなり傷んでいたりしている。

洗っている間に剥げ落ちてしまったりもする。

 

ほとんど判別不可能なものや、大部分が消えてしまっているものもある。

それでも、顔が認識できればちゃんと洗って干すのだ。

力を入れ過ぎて顔の部分が剥げてしまったときの気持ちは、絶望しか感じない。


古い写真ほど、破損レベルが酷い。

だけども、そんな写真ほど貴重なんだろうなぁ、きっと。

モノクロ写真とか。

 

この写真に笑顔で写っている人は、無事なんだろうか…。

きっと大事であったこの写真、ちゃんと持ち主の元へと帰ってほしいな…。

1枚1枚、そういう思いで取り扱った。

 

あと、写真から滴った水滴が顔に落ち、そのままマスクに中に流れて口に入ったりした。
ヤベー!ウゲー!

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

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ボラセン6

この仕事を担当しているときは、昼休憩は歩いてボラセンまで帰った。

沿岸部とか遠くに行った人はお昼に帰って来れないので、僕らのように近場の人の特権だ。

 

特別にまかないがふるまわれるというので、ボランティアセンターの奥にある座敷席でみんなで食べた。

南相馬は食べ物とかも全く支給されないと聞いていたんだけど、これはありがたい。

経験上、出されたものは遠慮せずに食べたほうがいい。

スタミナ維持のためにもしっかり食べる。

 

昼休み時間にWebニュースとかを見て回っていろんな情報をキャッチするんだけど、宮城県石巻のボランティアは、今日は大人気で裁くのが大変らしい。


1000人くらいが容量の限界で、既にその人数を確保済みだから新規受け付けはしないと告知していたのに、今朝はさらに1000人くらい新規が来ちゃったそうだ。

断るわけにもいかないから頑張って受け入れたそうだけど。

 

石巻市はすごい規模だね。

南相馬なんて同じ日に、たったの132人だよ。

 

地元から手伝いに来ているおじさんとも話したけど、「みんな宮城や岩手に行っちゃうから、南相馬に来てくれて本当に嬉しいよ。」としみじみ言っていたよ。

風評被害の影響はこんなところにも出ているのだな…。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

遺留品洗浄、書類等にもみんなで取りかかった。

ヘドロで1つにビチッとくっついてしまったなった領収書や明細書の束を一生懸命洗ってバラす。

あとは、アルバムごとに仕分けたり干したり。

 

僕もブ厚い日記帳にチャレンジしたんだけどね、どうにもうまくいかない。

たぶん10年分くらい書けるハードカバーの立派なヤツなんだけど、結合のヒモとかブチブチに切れているし、ページごとにヘドロが混入している。

もうヌッチャヌチャだ。

 

水で洗ってもきりがないし、水圧強すぎると破れるし溶けるし。

でも、大切なんだろうなぁ、これ。

ほとんど文字も読めないし、読めても個人情報だからこんなところに書くわけにはいかないけど、なんだか誰かに充てて感謝の言葉とか書いてあるのがかろうじて読める。

 

悲しいね。

例えこんな状態でも、捨てずに持ち主を探してほしいけど、明日のことは何もわからん。ホントわからん。


最後に1時間くらいかけて全体的な後処理の仕分けや明日の準備、部屋の掃除などをする。
意外と重労働だ。

ヘドロまみれのアルバムとか、とんでもない重さですもん。

こうして遺留品洗浄の1日が終わる。

 

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遺留品洗浄4

外に出ると、防護服の人たちがすごい勢いで水が出るホースで、車を洗ってた。

放射能物質の洗浄ですかね。僕の愛車は洗わなくって大丈夫かな?

 

なんか自衛隊とかプロの人たちって、すごいマスクをしてるのよ。

ホントにガスマスクとかそれレベルのもの。


僕は安物の不織布マスクを箱買いしたときのものなのだ。

これを見て不安になった。

 

 

物資仕分け

 

物資の仕分けもやったことがある。

 

どんな作業かというと、僕が体験したのは、被災者の各家庭に配布する生活用品のセットを作るというものだ。

被災地を直で見ることは無く、被災者との交流もない。

被災地を直視するのがちょっと精神的にキツい人でもできる仕事だ。

 

体育館の中で人海戦術でやると効率が上がるので、多くの人出を募集している。

鹿島のボラセンが肉体労働系で屋外での活動がメインなんだけど、雨の日なんかはその人たちが原町のボラセンに流れてきて、みんなで一気にやるイメージ。

僕らも雨の日に応募した。

 

遺留品洗浄メンバーとも再会して「やぁ」とか言い合える間柄だ。

遺留品洗浄の若き監督は、既に本部スタッフになっていた。

慣れないようですっごいワタワタしていたが。

 

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物資仕分け1

雨の日は鹿島のボラセンの人も多く来るから、本部はとても大変なのだ。 

239人もいるのだ。激増だ。

マッチングの部屋は溢れかえり、入室待ちとなる。

 

物資仕分けのタスクが割り振られても、現場に行くための出発指示がなかなか出ない。

本部の人たち、やることが多すぎて混乱しているのだ。

そりゃそうだ。みんなボランティア。みんなこの震災直後の混乱の中で動いているのだから。

 

なんとかかんとか、車5台ほどで作業場所に向かうこととなった。

 

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物資仕分け2

現場に向かう時の光景だ。

漁船はそこいらにいくつも転がっている。車もグチャグチャに放置されている。

そして一面が茶色なのだ。

 

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物資仕分け2

到着したのは「石神中学校」であった。

 

案内された体育館の中はダンボールとビニール袋の山で溢れかえっていた。

ここの段ボールの物資を被災者の個人宅への配布用に、1家庭1袋のビニール袋に入れていく作業だ。


既に待機していたリーダーのボランティアさんに作業内容を教えてもらった。

仕分けは基本流れ作業。

僕らはランナーというポジションに着いた。まずは役職がカッコイイ。

 

ランナーは、大きなビニール袋を持って段ボールの迷路の中を順路に沿って移動する。

途中では、「箱ティッシュ×2」・「タオル×5」・「カップ麺×3」・「マスク×5」…などのような物資受け取りポイントがある。

そこでは、役職名は忘れたけどダンボールからそれらをワシャワシャ出してくれる人がいて、その人からから物品を受け取ってビニール袋に入れていく。

 

全部回り切ったら、1軒分の物資パックが完成。

これを無限に繰り返す。

とても簡単だ。

 

まさに人海戦術ね。人は多いほうがいい。

バシバシ物資パックを作ってやんよって、思った。

ランナーの名に恥じないよう、すっごい速さで走り回ってやった。

「1日の目標は○千個」みたいな目標があるのだ。

被災者の人に届け、物資!

 

もちろん、本部からの出動指示がもっと早ければ、あと100は多く作れていた。

リーダーはずいぶん早くから現場待機していたのだから、車1台ずつでも出動指示をくれれば、もっと早く到着して作業ができたのだ。

その時間がもったいない。今も困っている人たちがいるというのに。

 

…もっとも、ボランティアも頑張っていない人は誰1人としていない。

どうしてもテンパっちゃうのだ。

1日2000人を記録したという石巻市のボラセンとか、本当に大変なのだろうな…。

 

 

泥出し

 

最後に、泥出し作業をご紹介する。

おそらく未経験の人が「東日本大震災ボランティア」と聞いてイメージするのは、これが多いのではないだろうか。

 

津波が運んできたヘドロを撤去する作業だ。

ついでにいろんなガレキを巻き込んでいるから、そういうのの処分なども担当する。

 

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泥出し1

肉体労働のサンクチュアリ、鹿島のボラセンで働いたレポートだ。

 

南相馬市まごころセンター」ってところの駐車場に愛車を停め、準備をしたら数10mのところにある「むつみ荘」っていう福祉サービスセンターに行く。

ここがボランティアセンターに本部になっている。

 

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泥出し2

人、メチャクチャいる。

 

天気のいい日の鹿島は大人気だ。

ボラセンのオープンの20分前なのに、みんな鼻息荒い。

「ヘドロを掻かせろ。いっぱい掻かせろ。」という意気込みをヒシヒシ感じる。

 

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泥出し3

「天気がいいし、もう中には入り切らないから、受付もマッチングも説明も全部外でやっちゃうぜ!」っていうパワフルさがウリだ。

この雰囲気、嫌いじゃない。

 

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泥出し4

しかしみんな装備がすごい。

マイヘルメット・ツナギ・長靴装備済みは当たり前。

ガスマスクみたいなマスクとか、スコップ持参者もたくさんいる。

 

95%ガテン系で形成されている。

もちろん女性もいるけど、やっぱツナギとか気合入っている。

金髪にツナギ、似合うな。そして素手でケンカしたら絶対負ける。僕だけ武器持ってても、たぶん負ける。

 

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泥出し5

僕、不安になっちゃって、こっそり仲間に不安を吐露した。

「なぁ、インテリ眼鏡は引っ込んでろとか言われたらどうしよう。」

「僕さ、第2次世界大戦に竹槍で挑む人の気持ちが今ならわかるよ。」

…とかわかりづらい表現をし、変な顔をされた。

 

ガテン系の人たちの猛烈な熱気に押し負けたのか、ボラセンは予定より早くOPENしたりもした。

僕はギュウギュウの受付をうまくクリアするのが得意だ。

 

人ごみから素早く受付票をゲットしたら、喧噪からちょっと離れた場所で落ち着いて記載できます。

ペンを持参していているとこういうことができるのだ。

「ペンは剣より強し」って言うだろ?

 

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泥出し6

鹿島のボラセンでは、ほぼ全ての作業がガレキ撤去と泥出し。

現場は公園や河川敷みたいな公共施設もあるけど、大体が個人宅だ。


津波の被害を受けた地に直接趣き、作業するのだ。

ボランティアの猛者共、猛り狂っている。

 

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泥出し7

沿岸部の"Oさん"というお宅の庭のガレキ撤去と泥出しを担当したお話にフォーカスを当てて執筆したい。


メンバーは全部で15人くらいだ。うち女性2人だ。

ビジュアル的に、とんでもない戦闘力だ。

 

某車ディーラーの人たちが、ディーラーのつなぎを着て7人くらいで参加してきている。彼らの1人がリーダーになった。

それから車所持者を確認し、公共機関の人は誰かの車に乗り込む。

そんな感じで車4台ほどにチーム分けができました。

 

あとは機材の積み込み。

リヤカー・フォーク・スコップ・ほうき…。そういったものをボランティアセンター本部スタッフの人のアドバイスをもとに必要数揃え、それぞれの車に積み込む。

 

そして出発だ。

 

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泥出し8

車で10分ほど走る。

海岸部に近づき、津波を被ったエリアに足を踏み入れる。

あちらこちらにガレキや家具、車とかが散乱している。


今回の依頼主のOさんの自宅に到着する。

たぶん海岸からは1kmくらいの場所。

 

周辺は畑が中心だけど、津波の影響でドロンドロンの荒野と化している。

そしてところどころにガレキの山。

このガレキが、津波で壊れた家なのだろうかね?

 

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泥出し9

Oさんの家はそれなりに無事だ。

後から聞いた話だと、石垣や生垣がバリケードになってくれ、津波が激突はしたけど家の耐久力のほうが勝っていたのでギリギリで浸水は免れたんだって。

 

しかし庭を見ると一面茶色。

ヘドロだらけ。津波はいろんなものを運んできてしまったようだ。

家の前の用水路もベッタリとしたヘドロが詰まっている。

 

Oさんにご挨拶をする。

Oさんはこの地で農業をしているおじいさん。

最初にどこをどの程度の仕上げ具合にするか、打ち合わせをしてビジョンを固める。


僕らはエリアに合わせてメンバーを2グループに分け、さらにそのメンバーも掻き出し班と運搬班の2つに分けた。

 

最初は大型フォークの登場。てゆーか、コイツがメイン。

アイダホ州で麦わら帽子を被りオーバーオールを着たおデブなアメリカンが農作業をしているときに使う、あの巨大フォークだ。

 

津波は多くのワラを運んできているので、それをスコップで撤去は困難。

さらに庭には木や草などいろんな障害物があるので、フォークが最適だ。

 

ヘドロの表面は乾いているので、フォークで救い上げるとバサッと粉塵が舞う。

この粉塵は有害物質を含んでいるので厳重注意だ。

 

ただでさえ、ここは第一原発から21㎞ほどしか離れていない。

屋内退避区域なのだ。

だから放射能物質の心配も尽きない。

 

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泥出し10

フォークで掻きとったゴミは、運搬班がガンガンリアカーで運び、回収車のくる場所に捨てていく。

ヘドロはすごい堆積している。10cmくらい庭一面に積もっている。

悪夢としか言いようがない。頭がくらくらする。

 

ふぅぅ…、いい汗かくぜ。腰に来るぜ。

こんなシーズンだけど、Tシャツになっちゃうぜ。

ホントは肌を晒すのは、あまり良くないのだろうね。でも、しょうがない。

ヘドロをガシガシ撤去していくと、本来庭に映えていたと思われる緑の草が出てきた。あ、嬉しい。


しかし本来の庭の土とヘドロとが混じりあっていて、元の状態に戻すのは困難。

そもそも元の土も海の塩分を含んでしまっているから、このままじゃあまり良くないし。

どのへんまで掻き出すか、悩む。

 

しかしさすがに屈強な男たちがモリモリ働くので、庭はみるみる綺麗になる。

リアカーもひっきりなしに往復しています。途中でタイヤがパンクしたけど。

Oさんも僕らをいろいろ気遣い、声をかけてくれたり作業に手を貸してくれたり。


ここいらは水田があってOさんもお米を作っていたんだけど、この被害状況では塩抜きをするだけで3年はかかるような状況なんだって。

仮に塩抜きができたとしても、放射能汚染の可能性や風評被害もあるだろうから、前のようにはならないだろうって。

 

もう自分の代では再びお米を作ることは無いだろうって、悲しんでいたよ。

家の前にはそれなりの広さの畑もあって、副業としてそこでも農作物を作っていたんだけど、全滅しちゃっている。

 

ここより海側には知り合いや友人も数多く住んでいたけど、亡くなってしまった人も多いらしい。

 

そんな話を涙ながらに語るOさんに対して、僕らは返すことばが見つからない。
「頑張って」なんて逆効果になりかねないし、「大変ですね」とか言っても他人事みたいだし。

 

絶望的なこの状況下だけど、それを覆すために僕らボランティアは福島まで来ている。

復興を信じていなければ、ここにはいない。


僕らは作業をすることで、その活路を見出さなければ。地元の人と同じように悲しんではいられない。希望の光でなければいけない。

 

もう一度かつての、いや、今までよりも素晴らしい街を作るための第一歩としてここにいるんだよな。

虚しさを紛らわせるために、ひたすらに体を動かした。

 

昼過ぎには大体表面のヘドロは掻き出しが終わったんだけど、下の方が酷い状態なんだ。

なぜなら、ヘドロが3.11以来乾いていないのだ。

ヌッチャヌチャのベッタンベッタン。

重い、腰に来る、臭い。


そして足で踏むとさらにベッタリ固まって、スコップで持ち上げるのが大変。

リアカー班も「うおぉ!この重さはなんだー!」とか言ってる。

泥の密度がハンパないっす。

 

あと、ガラスがヘドロの中からヌチャヌチャと次々出てきて、処理に困った。
たぶん100kg分くらい出てきた。


午後の休憩のときにはOさんがみんなにヨーグルトと缶コーヒーを差し入れしてくれた。

わーい、ありがたいです。遠慮なくいただく。いや、少し遠慮してからいただく。

 

この15人、いい感じのチームワークが形成されてきた。

一緒に働いていると仲間意識も芽生える。

年齢も性別も出身もバラバラだし、名前すら知らないのに。

 

 

こうしてまた1日の作業が終わる。

機材を庭で洗い、車に積み込む。

 

Oさん宅、それなりに綺麗になった。Oさんも喜んでくれていた。

「ありがとうなー」と車1台1台にお礼を言っていくOさん。

みんな会釈をして出発していく。みんな、ことばに困っている。


お礼を言いながら寂しそうに次々去っていく車を見送るOさんに何か声をかけたい。

僕の車は最後の1台だ。何を言えばいいのだ。すごく迷う。

 

運転席から「あの…」とOさんに声をかけた。

ちょっとキョトンとするOさん。

 

僕は続けて「まだ寒い日もあるので、無理をせずに体調には気を付けてください。」みたいなことを言った。

Oさん、少しはにかんでで「ありがとう」と返してくれた。

 

被災もまともにしていない部外者だし、Oさんに比べれば遥かに若造である僕にそんなことを言われてOさんはどういう気持ちだったのか。

僕のことばは良かったのか悪かったのか。

ことばを発した直後からこの記事を執筆する2011年の夏現在まで、実は僕は悶々としている。

 

わかんないんだよ、難しいよ。

空はいつの間にか、泣き出しそうに曇っていた。 

 

 

変わり果てた世界で

 

ボランティア活動は16時までだ。

9時~16時まで。原則徹底している。

 

無理して体を壊すようなことがあってはいけないのだ。

ボランティアは役に立つために存在している。足を引っ張る存在であってはならない。

 

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僕の見た世界1

休むのもまた仕事である。

16時以降のフリータイムにて、町を見るのも重要な役目だと思っている。

 

おそらくは今回の震災は、遥か先まで歴史に残るような大事件だ。

僕はその証人の1人でありたい。

震災後しばらくしてからのボランティアだが、僕には僕の見た世界があるのだ。

 

その世界を、あなたにもお伝えしたい。

僕らは、これを乗り越えなければならない。

 

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僕の見た世界2

原発20㎞ゲートだ。

こっから先は、人の入れる世界ではない。

 

国道は常に監視員がいるが、県道はこの程度だったりする。

 

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僕の見た世界3

ここが限界だ。

ゲートの前で愛車を停めた。

 

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僕の見た世界4

犬だ。2匹いた。

愛らしい顔から、飼い犬であったことは一目瞭然だ。

「インテリ眼鏡の兄ちゃん、どうしたの一緒に向こうに行こうよ。」みたいな顔をしている。

原発20km圏内に住んでいた人たちは、そこを離れるにあたって止む無くペットを手離した人も多いと聞く。

20km圏内はそうしたペットや牛馬も野放しにされている例が普通にあるみたい。

 

 

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僕の見た世界5

また、津波などの被害に巻き込まれてペットだけが助かった例もある。

 

キミたちの飼い主はどこ?

2頭はひとしきり僕らに興味を示した後、20kmゲートの向こうに消えていった。

 

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僕の見た世界6

まだまだ崩れたままで手つかずの家もある。

ボランティア要請を出していないと、まだこんな感じなのだろう。

家主はどこかに行ってしまったのだろうか…。

 

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僕の見た世界7

狭い道は迂回の指示が出ていることも多い。

カーナビなどは役に立たない。

 

看板と自分の目で道路の安全を確かめて進む。

 

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僕の見た世界8

原発20㎞ゲート、国道6号に設置されたガチなヤツだ。

 

さすがに怖いので、陰から撮影している。

複数台の専用車両にガッチリ固められていて、警備厳重だ。

 

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僕の見た世界9

ここから先は当然いけない。Uターンだ。

 

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僕の見た世界10

時間が前後するが、これが僕らの見た最初の津波の被害状況だった。

なんだか、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。

 

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僕の見た世界11

津波、だよね?

送電線が津波に引っ張られるかなにかしたのだろう。

鉄塔がグニャリと折れ曲がり頭を垂れている。

 

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僕の見た世界12

その向こうには荒野が広がっていて、いろんな物が散乱している。

僕らの足元の畑が荒れていないことを踏まえると、あの辺りが運命の境界線だったんだろうな。

 

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僕の見た世界13

思いっきりズームしてみた。

向こうにはもう、何もなかった。

 

ディスプレイを見て、カメラを持つ手が震えた。

 

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僕の見た世界14

なにもかもが茶色であり、直線であるものは歪んで曲がりくねっている。

 

もう完全に津波浸水域だ、ここは。

右も左もガレキが散乱し、車が転がっている。

 

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僕の見た世界15

それでもこの道を、今現在ん僕の車が通れるということは、それなりにガレキ撤去したのだろう。

 

こんな大型車も転がるのだ。タンクローリーだ。

津波直後の被害の大きさが想像できる。

 

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僕の見た世界16

走っている車は1台もいない。

遠くを作業トラックや自衛隊車両が走っているのがかろうじて見える程度だ。

ここには動くものがいなかった。

 

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僕の見た世界17

すごい数の車だ。

あの3月11日から、この車はここで天を仰いでいるのだ。

 

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僕の見た世界18

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僕の見た世界19

震災が起きたのは、平日の昼間だ。

これらの「働く車」に乗っていた人は、当然いたであろう。

 

無事を祈りたい。

仕事よりも避難の方が大事だ。

 

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僕の見た世界20

道路標識は雑巾みたいにグニャっていた。

どんな力が働けば、上空にあったはずの標識がこんな無残な姿になるのだろうか。

 

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僕の見た世界21

さらに沿岸部を目指すと、本当に何もない。

見渡す限りの広々とした荒野だった。

 

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僕の見た世界22

しかしよく見ると地面には無数の建物の基礎が残っている。

 

ここも以前は普通に家が立ち並んでいたのだ。

笑顔で人々が生活していたのだ。

その残酷な事実にめまいがする。

 

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僕の見た世界23

津波は人々の生活を一瞬でさらって行ってしまったのか。

悲しすぎる。

 

この道も、震災前に僕は走ったことがあるはずだ。

しかし思い出せない。変わり過ぎてしまっている。

 

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僕の見た世界24

夕日が照らすこの大地に、僕らは言葉が出なかった。

 

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僕の見た世界25

ついにはアスファルトもどっかいっちゃった。

でもよく見たら、バラバラになって傍らに散乱していた。

 

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僕の見た世界26

ところどころには、まだ水が引いていない箇所すらある。

ヘドロに覆われた世界だ。海の臭いが一段とキツくなる。

 

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僕の見た世界27

テトラポットは砕けた状態で散らばっている。

テトラポットって砕けるのかよ…。

 

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僕の見た世界28

内陸部に戻る途中、被災者に手向けられた花束と、土鍋に線香を刺してある光景
を目にした。

 

その背後には、被災者に向けた応援メッセージのボードがある。

あぁ、胸が痛い。とても痛い。張り裂けそうだ。

 

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僕の見た世界29

遺留品洗浄で扱ってきた品々は、自衛隊さんがこういうところから掘り起こしてきたんだよね?

 

こんなにも何もなくなっちゃって、でもそこから写真が出てきたのなら、大事に大事に取り扱ってあげなきゃいけない。

改めて、翌日からの作業に気が引き締まる。

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僕の見た世界30

鹿島地区から海方面に来たときの光景だ。

ガレキしかない。

 

窓を開けると、ムワーっと変な臭いが車の中に入ってきた。

磯の臭いをもっともっと濃く煮詰めたような感じ。

きっと雨上がりだからなのかな。

かなり強烈だ。

 

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僕の見た世界31

この臭いは、忘れることができない。

 

この先夏場になったら、もっと強烈な臭いになるんだろうな。

衛生面が心配だ。

 

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僕の見た世界32

しばらく沿岸部を北上すると、やや小高い丘の上から沿岸部を広く見渡せるようなロケーションがあった。

道路以外の大地は、まだグチョグチョであった。

 

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僕の見た世界33

まだ一部海水が残っている土地に、ボロボロになった道路が一本伸びている。

3月以前はここはどのような景観だったのだろうか?全然わからない。


見渡す限り、どこまでも津波の被害。ずーっと遠くまで、絶望が広がっている。

 

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僕の見た世界34

わずかに残っているのは、鉄筋コンクリートの建物のみ。

木造建築はもう存在しない。

 

傍らには電柱が転がっている。

あまりの水圧で真っ二つに折れ、中から電線が飛び出ている。 

 

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僕の見た世界35

車に乗り込み、さらに進んでいく。

道路は一部路肩が崩落していた。

夜は絶対に走りたくない道だった。

 

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僕の見た世界36

この先、この地が再び笑顔になるのに、いったい何年かかるんだろうか?

 

全国から励ましの声もあるが、実際にこの目で見ると「本当に復興できるのか…?」と思ってしまう。

 

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僕の見た世界37

物理的な復活だけではない。人が笑顔でその土地に暮らせるようになるまでは、途方もない時間がかかるのかもしれない。

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僕の見た世界38

津波は、漁船を遥か内陸部まで運んでいきた。

ここまでは海から3・4kmはあるのではなかろうか。

 

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僕の見た世界39

恵みの海が、牙を剥いた。

 

僕らも海を眺めたが、海をこんなにも怖いと感じたのは初めてだった。

だからか、海の写真が大変少ない。

 

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僕の見た世界40

国道6号ギリギリまで津波が来たのだろう。

あと少し威力があったら、浜通りの大動脈である国道6号が機能しなくなって、交通
網はさらに大打撃だったんだろう。

 

僕らが見たのは本当に被災地の1シーンではあるが、ショックを隠せなかった。

 

※「松川浦」・「百尺観音」なども見て回ったが、それは後日別記事としてご紹介したい。

 

 

また来る日まで

 

僕は再びここに来たい。

今回はボランティアをしたかったにも関わらず、スケジュール調整ができずに来れなかった仲間もいるのだ。

その仲間たちと再びここを訪れたい。

 

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また来る日まで1

そしてもちろん、「東北=被災地」ではない。

そういうイメージは抱きたくない。

 

ちゃんと復興し、笑顔になった東北をノンビリとドライブする。

早くそういう日が来るように、応援をするのだ。

 

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また来る日まで2

この帽子は大切にしよう。

…そうだな、10年くらいは愛車に載せておくか。一緒に全国を巡ろうか。

 

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また来る日まで3

帰路へと着く僕らに対し、大量の自衛隊車両が正面からやってくる。

本当に、ありがとうございます。

 

僕らは実際に働いて、無力さを知ったよ。 

自衛隊さん、偉大だよ。日本を助けてください。

 

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また来る日まで4

大好きな東北。

これでいっときのお別れだ。

 

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また来る日まで5

でもまた戻ってくる。

 

約束だよ。

 


以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

No.088【和歌山県】ここは南国!広大な芝生!そして本州最南端「潮岬」は進化を遂げる!

本州本土の最南端。

 

 

それは「潮岬」である。

 

最南端という言葉の通り、紀伊半島の南端に当たる串本町や、南西部に当たる南紀白浜エリアは、なんだか雰囲気がトロピカルだ。

 

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そんな紀伊半島の南端に、かつて僕は足しげく通っていた。

その頃の思い出を振り返ってみたい。

 

 

南国、紀伊半島

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

本州の最南端である潮岬は、太平洋に突き出た紀伊半島の最先端に位置する岬だ。

 

北から西へと大きく湾曲する本州において、「最も南」と言われるとピンと来ないかもしれないが、近畿地方を形成する日本最大の半島紀伊半島を忘れてはいけない。

 

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紀伊半島は、「東京-名古屋-大阪-広島-福岡」と言ったベルトのように一直線に並ぶ大都市からは外れている。

それだけに「紀伊半島にも高速道路を!」みたいな声が長年聞こえており、近年少しずつ高速道路が出来てきている。

 

そんな紀伊半島の一番端にあるのだから、潮岬へのアクセスは良好とは言えないかもしれない。

 

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本州最南端の碑1

ただ、僕はそんな紀伊半島が大好きだ。

 

  • 高速が無い分、ゆっくり走れる。
  • 豊かな自然・景勝地を巡りながらドライブができる。
  • 沿岸部は道路も比較的走りやすい。
  • 温暖で冬でもドライブしていて気持ちがいい。

 

特に真冬は、岐阜県の「関ヶ原」付近で降雪の可能性が高い。

「琵琶湖」も北部となると途端にドカ雪となる。

そうなると、冬場はスタッドレスタイヤ等を装着していない限り、紀伊半島で遊ぶのが得策なのだ。

 

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本州最南端の碑2

それでは、実際に僕が何度か(何度も)潮岬を訪問した記録を複合して、現地レポートをしていこう。

 

 

潮岬観光タワー

 

さて、まずは潮岬一帯の敷地の構成お見せしよう。

 

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観光タワー1

こんな感じである。

僕は大体愛車は「潮岬観光タワー」の脇の広大な駐車場に停めている。

 

この駐車場ではその昔、日本全国を車で駆け巡る旅友FUGA君と初めて出会った。

「昨夜、四国最東端の蒲生田岬でクラッシュした」と言い、半泣きで愛車のバンパーをガムテープで修復しているところだった。

 

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観光タワー2

「経歴も車もかっこいいのに、登場シーンはあまりかっこよくないな」って思った。

とりあえず横に僕の愛車のHUMMER_H3を並べ、記念撮影をした。

初めまして。

 

※ そしてその後FUGA君とは、北は青森までいくつもの冒険を共にすることとなる。

 

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観光タワー3

ついでにパジェロイオで来たときの写真も掲載しておく。

背後に聳えているのが、潮岬観光タワーだ。

 

ここに登るには、300円かかる。

僕は何度も潮岬に来てはいるが、お金をケチって上まで登ったことは一度もない。

岬の先端からの景色だけで胸いっぱいになれるからだ。

だけどもいつか登ってみたい。

 

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観光タワー4

タワーの1F入口近くには、「本州最南端 潮岬」の標柱がある。

岬の先端付近にはもっとすごいのがあるが、記念にこれも撮影して損はないだろう。

青くてクールだし。

 

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観光タワー5

ミステリーツアーで来ちゃった人とか、あるいは友人に半分拉致られるようなドライブで来てしまった人は、併設の現在地で確かめよう。

ご覧の通り、紀伊半島の南端にいることが一目瞭然だ。

 

余談だが、観光タワーでは土産物屋さんや食堂がある。

ちょっとしたフード類のテイクアウトができる売店もある。

僕は過去にここで紀伊半島名物のめはり寿司を買った。

 

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観光タワー6

その夜に撮った写真だ。

暗くってブレてしまったが、緑色の手榴弾のようなお寿司だ。

とんでもなくうまいが、3つセットは僕の胃袋のキャパ的に無謀なチャレンジであった。

 

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観光タワー7

では県道41号を渡って、その先の芝生地帯に行こう。

ここからは徒歩なのだ。

 

 

望楼の芝

 

この岬の特徴は、広大な芝生で形成されているという点だ。

10万㎡もあるらしい。

 

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望楼の芝1

僕がもし犬で、ここで解き放たれたら、喜んで日没まで延々走っていると思う。

 

日本1周目と2周目のときは仲間と共にここを訪れたのだが、フリスビーとかして遊んだし。

そして、ここはキャンプ場も兼ねていてテントも張れるし。

すばらしき芝生なのだ。

 

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望楼の芝2

サバンナのように広大だ。

決して観光客が少ないわけではない。芝生が広大すぎて、人口密度が低いのだ。

ソーシャルディスタンスもバッチリだ。

 

しかし絵的に寂しいので、個人的にはキリンやシマウマを配置したい。

 

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望楼の芝3

芝生から観光タワーを振り返る。

摩天楼のように、夕暮れの空に聳えている。

 

尚、ここからの写真は芝生からの観光タワー、という図が多くなる。

のっぺりした芝生だけを撮影していても絵的に寂しいので、タワーを入れた構図にしたいのだ。

その点、ご理解いただきたい。

 

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望楼の芝4

徐々に引いていくぞ。

 

これは真冬で芝生がすべて枯葉色となっているシーンだ。

枯草がモジャモジャに茂っているが、毎年1月下旬くらいに芝焼きイベントがあり、一斉に燃やし尽くす。

 

僕は見たことは無いが、結構近くまで観光客が接近できるそうなので、もしあなたが気になるなら調べて見てほしい。

 

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望楼の芝5

観光タワーの左側にフォーカスしてみた。

 

タワーから渡り廊下で繋がる建物には、「おみやげ 大食堂 売店」と書かれている。

なんだか「大食堂」というワードに古き良き昭和テイストを感じてしまう。

 

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望楼の芝6

だか、上の写真では大型観光バスも停まっていたし、3つ上の写真にも観光バスが写っている。

観光客みんなでワイワイここでランチにしたりするのかもしれない。 

そんな賑わい、ステキだ。

 

そして、上の写真にはタワーの屋上から景色を眺める人も、何人も写っている。

盛り上がれ、潮岬!

 

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望楼の芝7

 

以上、充分に芝生の広さをおわかりいただけただろうか。

 

 

本州最南端の碑

 

さぁ、突端マニアにとってはメインとなる項目だ。

 

芝生地帯を海際まで歩くと、本州最南端の碑が2つある。

うち1つは巨大であり、芝生に足を踏み入れた直後くらいから気付けると思う。

まずはそちらをご紹介したい。

 

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本州最南端の碑2

まずは太古の昔の写真からだ。

本州最南端の碑、デカい。

 

ちなみにこれのさらに2・3年ほど前までは、文字が気持ち大きくて、さらに字体が明朝体っぽかった。

これは少しリニューアルされた直後のものである。

 

そして後ろに写っている建物、後年なくなるんだけど、それは後述ずる。

 

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本州最南端の碑3

その後の訪問時も、ピカピカの碑である。

けがれの無い、おでん鍋に入れてダシが染み込む前のはんぺんのようだ。

ね、神聖さすら感じるだろう?

 

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本州最南端の碑4

日本4周目の訪問時。

まだ綺麗である。「州」の字の右に縦の亀裂が見え始めているのが気になる。

 

あと、日が当たっているせいもあるかもしれないが、文字部分のペンキだけ白さが際立っている。

前述の文字リニューアルの痕跡だろうか?

 

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本州最南端の碑5

夕方にも来てみた。少し汚れが目立つようになってきた。

 

しかし僕はこの碑が大好きだ。

今回もこの角度から写真を撮る。

すぐ後ろは青々とした太平洋だ。ロケーションが最高過ぎる。

 

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本州最南端の碑6

さらに次。

「おいおい、碑どころか周囲の状態がヤバいぞ」というあなたの声が聞こえてきたが、まぁそこは後述するので今は気付かなかったふりをしてほしい。

 

ちなみに、背景左端に立派なリュゼツランが見えている。

この地に何10年も生えていたものらしいが、この直後にたぶんブチ抜かれてしまったようだ。どこかに移植されていると良いが…。

 

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本州最南端の碑7

ボロッボロだな。

 

これは今年2021年のものだ。

僕自身は動ける状態ではなかったので、冒頭の「半泣きエピソード」で登場したFUGA君に現地に行ってもらった。

その上で提供いただいた写真である。

 

この碑の劣化具合、どうにかしてあげたい。

本州最南端の誇りなのだから。

 

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本州最南端の碑8

さて、先ほど本州最南端の碑は2つあると書いた。

そのもう1つがこれだ。

 

さっきの碑に対し右に100mほどの距離にある碑だ。

 

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本州最南端の碑9

「潮岬 本州最南端」と書いてある。

さらに日本地図も。この地図があるのが、この碑のアイデンティティ

 

ずいぶんとデフォルメされた日本ではあるが、こういう突端地に日本地図があると問答無用でテンションが上がるのだ、この僕は。

 

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本州最南端の碑10

そして、とっておき情報だ。

随分前に撤去されてしまったが、この碑のすぐ左には以前立て札があった。

 

「ここに地終わり 海始まる」

 

お世辞にも立派な立て札ではなく、ハンドメイド感が溢れている。

「犬の糞は飼い主が片付けろ!」みたいな立て札とクオリティは一緒だ。

 

しかし、いい言葉じゃないか。

立て札はともかく、この言葉はその後も受け継いでほしかった…。

 

 

本州最南端の海を臨む

 

次に、潮岬の絶景をご紹介したい。 

 

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岬の絶景1

ただただ青くて奇麗なのだ。

何の小細工もない、最高の海がそこにある。

 

雲1つ無い晴天の日は、本当にため息が出るほどの海だった。

全てのストレスがこの瞬間に吹き飛ぶよ。

 

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岬の絶景2

水平線は確かに丸い。

そして海の向こうには何もない。もう、陸も島も何も見えない。

 

よければ地図とか見ていただきたいのだが、紀伊半島の沖にはもう島は無いのだ。

硫黄島」はやや東だし、「大東島」はやや西だ。

ここからの視点の先は、遥か遥か、とてつもない外国に到達するまで海だけなのだ。

 

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岬の絶景3

夕日もまた格別である。

南に大きく突き出たこの岬からは、日没も見ることができる。

その時間に合わせて訪問してみた。

 

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岬の絶景4

旅先で眺める日没っていうのは、生涯忘れられないものよ。

 

目に刻め。そして心に刻め。

地球の歴史において、今日という日はもう二度とないのだから。

 

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岬の絶景5

さて、前述の岬のMAPを思い出してほしい。

本州最南端の碑と灯台まではそこそこ距離が開いている。

 

数100mあり、正直車で移動したほうが早い。

しかし少なくとも僕が訪問した際には、いずれも灯台の駐車場は有料であり、しかも砂利の敷地だったため、微妙にテンションが上がらない。

 

だから観光タワーから歩いて往復することとした。

上の写真は、その途中で撮影したものである。

まさに南国。その一言につきる。

 

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潮岬灯台1

「潮岬灯台」だ。

これは日本中でわずか16基しかない、一般客が登れる灯台、「参観灯台」の1つである。

つまりメチャ貴重だということだ。

 

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潮岬灯台2

しかし僕は登ったことは無い。

さっきの潮岬観光タワーにも登っていないのだから、理由は記載するまでもないだろう。

 

灯台は登るのはなく、見上げる派なのだ。

鉄道好きが「乗り鉄」・「撮り鉄」とわかれるのと一緒だ。

 

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潮岬灯台3

ちなみにこのときは、「もう18:00で敷地が閉鎖していたので灯台に登れませんでした」という言い訳が成り立つ。

 

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潮岬灯台4

灯台の足元の岩礁は、荒々しかった。

強風の日にあんなところに漁船を停めるのは、結構テクニックがいるよね。

 

本州最南端の碑から徒歩で往復すると、岬のいろんな顔が見れてとても楽しい。

是非あなたにも、天気がいい日は散歩してみていただきたい。

 

 

売店の撤去

 

ここまでいろいろ盛り上がる目次を連ねてきたのに、いきなり落としてしまって申し訳ない。

しかし、結構重要な話なのだ。少なくとも僕にとっては。

 

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売店撤去1

先ほども掲載した写真。

 

実は本州最南端の碑の背後には長年売店があり、お土産物屋とか本州最南端到達記念証明だとかを販売していた。

僕も証明書、購入したりした。

 

しかし2011年ごろだろうか。閉店してしまったようだ。

 

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売店撤去2

2013年に訪問した際には、中は全ての什器が撤去されて、ガランとしていた。

「無料休憩所」とドアの上に書いてあるが、椅子もテーブルもない。ただの箱だ。

かなり無理矢理な用途設定である。

 

しかし、このとき既に僕はこの建物が辿る運命を感じ取れていたので、別れを惜しむためのも中を見学した。

 

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売店撤去3

かろうじて水道だけ残っていた。

ために蛇口をひねってみたが、水は1ccも出て来なかった。

 

この地で本格的な工事が始まったのは、その数ヶ月後のことである。

 

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売店撤去4

「おーおー、ハデにやっているなぁ…」

僕とFUGA君は、望楼の芝を歩きながら、工事風景を眺めてみた。

 

思い出の景観が今まさになくなろうとしている。

 

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売店撤去5

何がどうなるのかわからないほどに、地面は掘り起こされてエキサイティングな光景だ。

しかし1つ確信できるのは、もうあの売店もなくなるのだろうということ。

 

このとき不安だったのは、本州最南端の碑も一緒に撤去されてしまうのではないかということだ。

まぁこれだけシンボリックなものだから、何らかのかたちで本州最南端を示すものは今度も残るとは思っていた。

それでもこの工事風景を見ると、胸がザワついた。

 

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売店撤去6

本州最南端の碑の部分だけは、かろうじて観光客が入れるようにしてくれていた。

 

その溝を飛び越え、FUGA君に上の写真を撮ってもらった。

最後になるかもしれないなって思って。

 

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売店撤去7

そして碑は残ったが、売店が写った写真はこれが最後となった。

FUGA君と「パイプすっげぇな」って言いながら、工事風景を眺めた。

 

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売店撤去8

 

そして令和へ…

 

最後に、新しくなった潮岬の風景をご紹介したい。

実は、僕は日本6周目で潮岬にはまだ行けていない。日本5周目の序盤から、ずいぶんと間が空いてしまっている。

 

だからこの章では、全てをFUGA君の写真に頼る。

そして改めて、FUGA君にはお礼申し上げる。

 

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新バージョン潮岬1

以前工事でほじくり返されていた地面は、ご覧の通り綺麗な芝生となった。

 

やや右側には、日本地図入りの本州最南端の碑が見えている。

赤い屋根の裏が、きっとデカい方の碑なのだろう。

 

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新バージョン潮岬2

赤い屋根の家は、「潮風の休憩所」という無料休憩所で、日中開放されている。

上の写真を見るだけでも綺麗なことがわかる。

 

情報コーナーやトイレもあるそうだ。

「この蛇口をひねると水は出るのか?」と心配する必要は、もうなさそうだ。

 

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新バージョン潮岬3

「下村宏さん」の胸像!

今までは売店の裏にあり、工事で撤去されてしまったのではないかと心配していた!

そして、彼の歌碑も移設されてすぐ隣にあった。

 

春寒み 野飼の牛も見えなくに 潮の岬は 雨けむらへり

 

潮岬を詠んだ歌だ。

これからも胸像と歌碑は、ここで生き続けるのだ。

 

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新バージョン潮岬4

最後に、ビッグバージョンの本州最南端の碑だ。

 

背後の売店がなくなり、とんでもなく開けたロケーションとなった。

残念ながら上の写真は曇っているが、晴れた日であれば最高だろうな。

 

昭和から平成前半は、きっと観光地は土産物屋や軽食などありきで、風景はそれらの次だったのだろう。

しかし今の時代は、その土地の持つ風景だとかを大事にしているのかもしれない。

みんなスマホとか持っているから、使い捨てカメラを慌てて現地で買う必要もないし。

 

そんな象徴を、ここのBefore/Afterを見て感じた。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

…とはいえ、やはり自分の目で見てみないとな。

自分の足で立ってみないとな。

 

僕は必ずや再び、潮岬を踏む。

大好きな紀伊半島の、キラキラ光る沿岸部をドライブしていくのだ。

 

早くコロナ禍が落ち着き、首都圏の2度目の緊急事態宣言も撤回され、平和な世の中が訪れますように。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 潮岬
  • 住所: 和歌山県串本町潮岬2706-26
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:087【佐賀県】気分はドラクエ!?「吉野ヶ里遺跡」の広大なフィールドを探検しよう!

吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」をご存じか。

 

日本を代表する、弥生時代の大規模環濠集落である。

「もしかしたらここが邪馬台国だったのではないだろうか?」という声も聞こえたりする。

 

ペース配分を無視したスタートダッシュに定評があった僕は、マラソンではスタート直後にトップに躍り出て後半バテるし、日本史は古代にやたらと熱意を注いで力尽き、明治維新以降は寝ていた

「日本の夜明け」?知らん。入れ違いで僕は寝る。

 

だから弥生時代はけっこう得意分野だ。

僕の黄金期と言っても良いだろう。生まれてないけど。

 

そんな僕が、満を持して憧れの吉野ヶ里遺跡を訪問したときの話をしたい。 

(あれも梅の時期であった)

 

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古代史に熱心だったと書いたばかりだが、小難しいことは嫌いだしわからないので、ひたすらピュアな心でレポートしよう。

 

 

アレフガルド

 

僕は佐賀県の平野部、田園地帯をノビノビと走り、吉野ヶ里遺跡に向かっている。

今回こそは吉野ヶ里遺跡に行こうと、心に決めている。

 

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序曲

山麓から平野に向かって形成された段丘に遺跡はある。

 

日当たり良好、水はけ良好、といった土地だろうか?

弥生時代と言えば、日本国内で初めて稲作が行われた時代。

今のような水田を使った水稲栽培ではなかったそうだが、付近を走っていると「このあたりに村を作ってもいいかな?」みたいに思える。

 

春の気配が漂い、ポカポカとした陽気なのもそれを手伝ってくれているように感じる。

 

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冒険の旅1

さて、駐車場だ。

どうやらすごい敷地が広いらしく、駐車場やゲートも"東口"・"西口"って複数あるみたいだけど、とりあえず西口に来た。


たぶんここ、正面側ではないっぽい。微妙に裏口っぽい位置付けらしい。

うん、良い。

閑散としているところに駐車し、閑散しているゲートから入りたい。

自分、ぼっちですもん。だから目立ちたくないですもん。 

 

広大な駐車場は多くの車で賑わっているけど、一番遠い端っこの方はたくさん空きがあったので、そこに愛車を停める。

周囲はカップルやファミリーが多いから、ちょっとその中に入って行くのは気が引けるのだ。

 

吉野ヶ里遺跡は、かなりエンターテイメント性が強いテーマパークタイプの遺跡。

1人では入りづらいために、しばらく静観していた。いつか複数人で来たときに遊ぼうかなって思って。


だけども最近「僕は孤独だ」って自覚した。ようやく。

だから開き直って1人で来た次第。そのへん、僕も強くなった。

 

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冒険の旅2

園内に入った。

受付でもらったパンフレットを片手に、ポカーンとしてしまうくらいに広い。

 

ここは「サバンナですか?それともアレフガルドですか?」みたいな気持ちになる。

こんなに広いだなんて、思っていなかった。

 

さっきね、受付で颯爽と「1人です」って言って料金払った。

そしたら親切なスタッフさんが「遺跡の見学ですか?」って、僕に聞いて来てたのだ。

 

「いや、それ以外に目的ないっしょ」って思ったんだけど、本当に広くていろんなことができそうなフィールドだ。

 

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冒険の旅3

受付のスタッフさんにはとりあえず「はい、遺跡です」って言ったのだが、もしかしたら「ブーメランを投げて自分でキャッチする練習のために来ました」とかって言っても正解だったかもしれない。

 

スタッフさん、「それではまずここから東に行って湖を越えて、南の村に行くとよいでしょう。」と言っていた。

なんか「ドラゴンクエスト」で親切な村人に話しかけたときみたいな案内だなって思った。

じゃ、南の村で薬草とか銅の剣とか買おうかなって思った。

 

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冒険の旅4

そして今、その南の村とやらを目指してフィールドに出たってワケ。

 

人、全然いない。チラホラと地平線付近にうごめいている程度だ。

むしろ人間じゃなくて、スライムだとかオオアリクイだとかキラーパンサーだとか、モンスターが出現しそうだ。

 

僕は丸腰だし、モンスターに倒されても1人パーティー僧侶も仲間にいないので、復活できかねる。ドキドキする。

 

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冒険の旅5

そういえば、受付のスタッフさんは「園内バスもたまーに出ていますよー」と言っていた。

 

でもいい。1人で乗るのは恥ずかしいから歩く。

それに、ドラクエなどのRPGの世界では、乗り物を手に入れて安全な旅をできるのは、大体ストーリーの中盤からだ。

こんなタイミングでバスに乗るのは、なんだか世界の理(ことわり)に反するようで咎められるぜ。

 

 

みなみのむら

 

南の村にやってきた。

いくつかの建物では、弥生人に扮した従業員の人が壺を並べたり野菜を干したりとなんかかんや生活している。

 

第一村人発見、ってヤツだ。

話しかけると「ようそこみなみのむらへ」とか言いそう。

 

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陽だまりの村1

ここは弥生時代に一般の人々が住んでいた村だそうだ。

27棟の建造物が再現されているんだって。

結構大きい集落だね。メガロポリスね。

 

この村は、梅のシーズンだ。

「南」だものね。先行して春が訪れるのだ、きっと。

 

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陽だまりの村2

まずは手前にあった高床式倉庫を見学した。

建物は大体中まで見学できるので、1つ1つ入る。

 

 

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陽だまりの村3

こういう建物の中に宝箱とか壺とかあってさ、その中に武器とか現金とかあるじゃないですか。

 

それを盗んで我が物にしてしまうのが、ゲーム中の勇者の行動の基本やね。

イッツァ勇者ライフ。

冷静に考えると(考えなくても)、ジャイアンよりもヤベー行動理念だ。

 

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陽だまりの村4

ほら、大根あるぞ。大根干しているぞ、この家。

今夜はおでんか、ブリ大根か。

頃合いを見計らい、白飯を片手に突撃したい。

 

住人がいなさそうなので、ちょっと中を覗いてみる。

 

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陽だまりの村5

肉もあるぞ。下の段、これ肉だよな。

俄然盛り上がってきた。

いいもの食っているな、弥生人。毎日がスペシャルか。

 

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陽だまりの村6

こんなに晴れていていい天気なのに、観光客はほぼ皆無。

作業中の弥生人がいるだけだ。

 

しかし弥生人も人数少ないわ警戒心ないわで、セキュリティがザルな村だ。

セコム紹介したい。

 

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陽だまりの村7

復元された竪穴式住居は、どの住居共に手入れが行き届いていてとても綺麗だ。

「なんとかヶ丘ニュータウン」みたいな名前をつけたくなるような、新興住宅地だ。

当時もきっと時代の最先端を走っていたのだろう、この集落は。

 

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陽だまりの村8

まだ梅の季節なのだが、もうゲートからここまで歩くだけで軽く汗ばんだ。

距離も長かったし、ポカポカの陽気なのだ。

 

これはもう、住居の中でしばらく休ませてもらうしかないと判断した。

 

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陽だまりの村9

ワンルームのシンプルな間取りだ。

中は涼しい。エアコンが無くても快適な造りだ。

 

腰をおろし、ツーリングマップを読んでこの後の予定を立てたりした。

次はベタだけども久々に「太宰府天満宮」に行くぞ!とか心に決めた。

 

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陽だまりの村10

では、休んでHP(ヒットポイント)も回復したので、次の村を目指す旅に出る。

 

 

けんりょくしゃのまち

 

フィールドをテクテク歩いて次の集落にやってきた。

もうシャツを腕まくりしているのに、かなり暑いよ。

 

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夢見るわが街1

ここは南内郭って言って、ちょっと偉い権力者たちが住んでいたエリアだそうだ。


エリアをグルリと堀や木の柵で取り囲んでバリケード化してあり、さらに内部の要所要所には物見櫓が設置されていて、鉄壁の防御を誇っている。

要塞都市だ。

 

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夢見るわが街2

そのバリケードの外には高床式倉庫が並んでいて、いろいろ食料が貯蔵してある。

ここは当時の市場とかの役目を担っていたらしい。

 

まさにこれが環濠集落ってヤツかね。

集落を掘で囲んで外界との区画をキッチリさせた暮らしだ。

 

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夢見るわが街3

集落内に物見櫓があったので、当然登った。

物見櫓はランドマーク的な位置づけなのか、ここには観光客もそこそこ集まって来ていた。

 

みんなで集落を見下ろした。

いい眺めだ。集落内を一望できた。

人さえいればなかなか賑やかそうな町だ。コンビニ作ってくれるなら暮らしてみたい。

 

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夢見るわが街4

 

 

せいなるしんでん

 

それから僕は再び北へと旅立つ。

「中の村」という小さな集落を抜けて、さらに歩くと墓地

 

そしてその墓地の横に北内郭というエリアがあり、その中に巨大な祭殿が建っていた。

ここいら一帯のボスがいる建物なのだそうだ。

 

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王宮のロンド1

奇しくも、僕はここまで集落を小規模から大規模へと、順番に攻略してきた。

 

RPGであれば着実にレベルを上げ、攻略難易度の高い敵の居城にやってきた、といったところだろうか?

いや、敵とか知らんけど。

 

この祭殿も高床式なので、1階部分の吹き抜けの日陰に座り込んで休んだ。

もう結構な距離を歩いて疲れたのだ。


そしたら弥生人が話しかけてきた。

 

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王宮のロンド2

このオレンジの装束の弥生人だ。

 

ここがどれだけ立派な建物なのか熱心にアピールしたし、そして「今この内部で行われている祭事がオススメですよ。是非ちょっと見て行って。」と悪徳セールスみたいなことを言われた。

 

じゃあ中に入ってみるわとなった次第だ。

 

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王宮のロンド3

うわぁ、静粛に!

神妙な儀式の最中だった。

巫女が何やら占っており、横で従者がそれを眺めている。

 

冒頭でも書いたけど、邪馬台国はここだったという説もある。

卑弥呼」もこんな感じで神の声を聴き、そして民を治めたのだろうか?

 

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王宮のロンド4

最上階では、経営会議をやっている。

 

「おい、ちょっと今年の稲、どうするよ?」みたいなことを真顔で話している。
農民から稲の成長具合の報告を受け、「じゃあいつ稲刈りしようか」ってのをボスが決めるのだ。

 

ストーリー的に、さっきの巫女が儀式をして神からの啓示をしてもらう。

神は「稲は結構実ってきたから、来週水曜くらいに刈るといいと思うよ」とか、きっというのだろう。

 

そしてボスが決裁するのか。

稲作の黎明期。稲刈りの時期の見極めは、きっととっても大事だったのだろう。

 

僕らが毎日おいしいお米を食べられるのも、彼らがかつて頑張って稲作を研究し、それを後世に伝えてくれたからだろう。

 

ありがとう。

明日もご飯ムシャムシャ食べるわ、僕。

 

 

こくおうのはか

 

さらに北にある北墳丘墓ってところに行ったた。
ここには国王と思われる人の、歴代の柩などが収められた古墳が再現されていた。

 

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時の眠る園1

併設の資料館がある。

ここは出土品をしっかり保管するために、現代科学の粋を結集させた近代的な施設だ。

 

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時の眠る園2

資料館内で目を引いたのは、北墳丘墓の内部のものがそのまま展示されている点だ。

地面ごと当時のままで保存されている。

 

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時の眠る園3

このように遺体を入れていた甕棺も復元されているのだ。

これが本物だ。バラバラだったのを復元されている点に、よりリアリティを感じる。

他にも一緒に入っていた出土品などの展示があった。

 

説明板も充実していた。

どのように遺体を甕に入れて埋葬していたのかだとか、どのようなものを副葬していたのかとか。

そして、当時の人の死に対する倫理観の研究物だとか。

 

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時の眠る園4

死は、誰にでも等しくやってくるのだ。

弥生人だろうと、我々だろうと。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

いい勉強になったな。

実はここは、日本0周目で訪れたことがあった。しかしほとんど忘れていた。

時を経て、日本5周目でまた来れてよかった。

 

入口ゲートまでは、ここから1.5kmは普通にあるだろうけど頑張って歩く。

ここ、土地が広大すぎるぜ。1日遊べる。


帰り道は集落を離れ、弥生の大野だとか水田地帯などののどかなエリアを歩いて帰った。古代の風景を見ながら、いい散歩ができた。

 

 

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この道わが道

縄文時代弥生時代と反映した吉野ヶ里の集落。

 

しかし古墳時代になると、途端に人々は集落から消えてしまう。

土器を掘りに大量に割り捨て、いったいどこに行ってしまったのかは明らかにはなっていない。

 

文化も生活も代わり、新天地を目指したと言われているが…。

 

 

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そして伝説へ

遥か1700年前の物語。

 

遠い世界、遠い時代に生きた彼らの笑い声が聞こえたような気がした。

それだけで、僕はここに来た価値を見いだせた。

 

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遥かなる旅路

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 吉野ケ里遺跡
  • 住所: 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
  • 料金: 400円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00~17:00(夏季は18:00まで)

 

No:086【石川県】国内唯一の砂浜ハイウェイ!!しかし砂の流出で水没危機!どうなる!?

「千里浜なぎさドライブウェイ」。

砂浜を愛車で走れる、日本唯一の道路である。

 

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その距離は約8㎞。

波打ち際ギリギリの砂の上を、潮風を受けて走るのはメチャクチャにテンションが上がる。

 

2021年2月22日、この道路の真ん中付近が水没してしまい、復旧の見通しが立たなくなったというニュースが出た。

ショックを隠せない。

この道を走るのが好きなドライバーやライダーさんたちも「ザワッ」ってなった。

 

コロナ禍で気軽に見に行くわけにもいかない。

だからせめて、思い出を振り返らせてほしい。 

 

 

いざ、砂浜に突撃

 

さぁ、まずは楽しい思い出から書こうな。

 

海沿いを走る国道249号を反れて、標識に従いさらに海方面を目指す。

車道の両側には、既にうっすらと砂が堆積している。

 

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渚のハイウェイ1

キタキタキターー!

お気に入りのロックミュージックのイントロが流れてきたときのような高揚感に包まれる。

 

 幼い日の、海水浴に連れていってもらう際のワクワクも甦る。

「さぁもうすぐ海よ」

そう声をかけられて、夏の日射しに目を細めながら見上げる空は、まだ海が見えないのに、どことなく海色に染まっているのだ。

 

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渚のハイウェイ2

儀式だ。

砂浜に入る前に、僕は愛車の窓を全開にする。

そしてカーステレオの音楽を切る。

 

風を感じるのだ。潮騒を感じるのだ。

これ以上の贅沢があるだろうか?

 

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渚のハイウェイ3

ついに愛車のタイヤが砂の上に乗る。

 

「おっ…!?うほ……っ!?う、うほほほほーい!!」

みたいな感覚になる。

 

うまいうまいと聞いていた料理を、実際に初めて食べたかのような気持ちである。

まぁ僕は何度も千里浜なぎさドライブウェイを走ってはいるが、1回1回の訪問にはスパンが空いているので、毎回新鮮なのだ。

 

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渚のハイウェイ4

この絶妙な感覚をどのように表現すべきか。

アスファルトのように硬く無機質ではない。土の道のようなボコボコしてハンドルを取られる感覚もない。


例えるならば、ウレタンマットを押すような感覚だろうか?

もちろん砂浜はウレタンよりもずっと固いのだが、絶妙に角の立たない感触を演出してくれる。

 

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渚のハイウェイ5

気分は、初めて遊園地でゴーカートのハンドルを握る小学生のようである。

 

うわーうわー、うわーー!!!

 

笑みがこぼれる。

なんだったら、本能のままに「うおーー!!」って叫びたい。


いや、野生児のように叫んでもいいと思うのだが、僕は残念ながらここには1人で行くことが圧倒的に多いのだ。

1人だと、ちょっと恥ずかしいのだ。

 

この笑顔はもうどうしょもなく抑えることはできないが、歓声はあげずに心の中だけで咆哮する。

 

 

千里浜を疾走せよ

 

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渚のハイウェイ6

ここまでの写真をご覧の通り、横を見ると波打ち際だ。

ガードレールもアスファルトもなく、すぐに波打ち際だ。


車窓から海を眺めるシーサイドロードは、国内にも多くあるだろう。

ただし大体において、海に対して道路はかなり高めのところに設置される。

 

しかしここは、ほぼ同じ目線で海なのだ。

この違いは侮れないぞ。

海との一体感が違う。

ここは日本で一番、海と仲良くなれる道なのだ。

 

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渚のハイウェイ7

不必要にスピードは出さない。

ダカールラリーをやるつもりもない。

 

ただただ、この時間を楽しみたいのだ。

窓からは潮の匂い。おだやかなさざ波の音。足元からは砂浜を走る「ゾゾゾゾ…」みたいな独特の走行音と振動。


なによりこの絶景。

 

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渚のハイウェイ8

 

僕は、五感で千里浜を楽しんでいる。


これが大事なのだ。


ところで、あなたは旨味の相乗効果をご存じだろうか?

鰹節(イノシン酸)・昆布(グルタミン酸)・キノコ(グアニル酸)が混ざると、単体でも美味しいものにさらにブースターがかかり、何倍にも何十倍にもおいしさが感じられる。

味のシンフォニーだ。

 

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渚のハイウェイ9

千里浜なぎさドライブウェイも同じだ。

映像で見ても間違いなく素敵だが、こうして五感で味わうと旨味が大爆発だ。

困るね、これ。興奮冷めやらぬ。

 

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渚のハイウェイ10

ちなみに、車線こそないものの、ちゃんとここは僕らのジャパンなので左側通行だ。

僕はなるべく海のそばを走りたいので、すぐ左側に海を見れる北上ルートを使うことが多い。

 

もちろん南下ルートも使ったことはある。

ここまでの写真は全て北上ルートだったが、ここからは南下したときの写真も入れていこうかね。

 

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渚のハイウェイ11

南下ルートもステキだ。

海から若干遠いものの、砂浜を感じることができる。

 

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渚のハイウェイ12

もちろん海だって感じられる。

 

まぁここで究極のアドバイスなのだが、「一往復しよう」

千里浜なぎさドライブウェイは無料なのだ。

 

せっかく訪問したのなら、このくらい堪能しても良いであろう。

 

 

停車に注意、愛車の水没に注意

 

さて、ここに来たらみんなやりたいのは、愛車との撮影だ。

砂浜を写真に撮るだけ、あるいは人間と砂浜の写真を撮るだけ、であればここじゃなくてもできる。

 

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愛車と砂浜と1

実際にやってみたこともある。

 

しかし、これではそこいらの砂浜とほぼ代わり映えはしない。

よーく見ると僕らの足元の砂が引き締まっているのがわかるくらいだ。

 

ただし一般の人は、砂浜での記念撮影の写真を見たときに、浜辺の引き締まり方は気にしない。つまるところ砂浜、引き締まり損だ。

 

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愛車と砂浜と2

冒頭でも記載した通り、千里浜なぎさドライブウェイのアイデンティティは、愛車を乗り入れできることなのだ。

だったら砂浜と愛車のコラボ写真を撮りたいのは、人の常である。

 

だからこれが正しい。

しかし、いいタイミングで転がって来た伊右衛門のペットボトル、おまえは正しくない。

 

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愛車と砂浜と3

千里浜なぎさドライブウェイは、正直どこからどこまでが車道なのか、あやふやだ。

 

いや、僕がそう思っているだけなのかもしれないが。

夏場などはかなり混雑すると聞いてはいるが、僕の訪問時は不思議と毎回閑散としているのだ。不思議。

 

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愛車と砂浜と4

みんな、通行のジャマにならないような位置に停車し、記念撮影をしている。

ちなみにバイクはスタンドの下に板切れなどをおかないと、スタンドが砂に刺さって倒れるので注意だ。

 

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愛車と砂浜と5

あと、これは大事な大事な注意点だ。

砂浜はどこもかしこも安心なのかというと、そういうわけではない。


車道として使われている部分は、砂がシットリと濡れて絞まっている。

だが、そこを反れると場所によっては砂が乾いて白っぽかったり、砂が堆積することでデコボコしている場所もある。

 

そういう場所は要注意だ。

タイヤを捕られて脱出できなくなるぞ。スタックするぞ。

 

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愛車と砂浜と6

愛車のスペックとも相談だ。

 

四輪駆動であればまだ良いかもしれない。

だけども僕の日本6周目の愛車である日産パオだとか、非力な車だとヤバいかもしれない。

海に近づきすぎてはキケンなのだ。

 

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愛車と砂浜と7

Googleなどで「千里浜なぎさドライブウェイ_水没」と入力すると、愛車を海に近づけすぎたために水没してしまった写真がモリモリ登場する。

 

砂にタイヤを捕られ、脱出にモタついていると満潮になって水没するのだ。

誠に地獄である。

 

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愛車と砂浜と8

もっとも、そんなに海に近付く必要もないのでは、と僕個人は考える。

 

後ろは何もない海なのだ。

好きなように愛車と海の写真を撮れる。邪魔なものは何もない。

 

無理に近付いてリスクを負うだけの価値はないのだ。

周囲の車をよく観察し、似たような場所に少し間隔を空けて停めれば良いと思うのだ。
 

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愛車と砂浜と8

まぁこの際なので白状しますがね、僕は過去にここでスタックしかけたことがあるのだ。

 

まだ危機管理能力も充分にない、日本2周目のときであった。

愛車のステップワゴンを結構波打ち際ギリギリに停めたのだ。

そして写真撮影後、再び走行させようとするのだが、タイヤが空転する。

 

あのときは焦った。

タイヤの下の砂が掘り起こされて、タイヤはさらに沈む。

アクセルを踏めば踏むほど、深みにハマる。

 

とりあえず、前進はできないが後退はできた。

さらに海ギリギリなのでドキドキするが、これで砂の深みを脱出。

この状態でローギヤでゆっくりアクセルを踏み、無事に走行開始できた。

他にも脱出策はいくつか考えたが、この程度で脱出できて本当に良かった。

 

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愛車と砂浜と9

ちょうどこの写真を撮った直後であった。

このくらいの位置は、ヤバいのだ。 

 

いくら車で走れるといっても、砂浜は場所によって全然表情が違う。

自己責任なのだ。

無理のない範囲で楽しもう。

 

 

通行止めからの大逆転 

 

千里浜なぎさドライブウェイは、高波などの影響で安全に通行できないと判断されると、通行止めとなる。

後述するが、砂浜自体が狭くなってきていることも、高波等の影響を受けやすくなっている原因かと僕は考える。

 

昨年2020年は、なんと過去最多の119日も通行止めだったのだ。

1年の3分の1だ。 

むしろ今まで僕が一度も通行止めに合っていないのが奇跡なのかもしれない。

 

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高波の日1

しかし、過去1度だけヒヤッとしたことがあった。

日本5周目のときである。

 

南側の入口に、通行止めゲートがあった。

今日は波が高く危険なので通行止めなのだ。


「バカな…。何度も来ているが、こんなの初めてだ。波打ち際ギリギリでも行かない限り、危険は無いと思うのだが…。」

僕はショックを受け、呆然としたさ。

 

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高波の日2

とりあえず、入口付近の路肩に愛車のHUMMER_H3を停め、呆然としながらドライブウェイを見下ろす。


あー…、せっかく晴れて来たというのに…。

ここで晴天を祝って砂浜を爆走し、テンションをブチ上げようとしたのに…。

 

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高波の日3

すぐに僕の後から兵庫県のナンバーの車がやってきた。

そして僕の後ろに停車する。

 

車から出てきたカップルは、僕と同様に失意の表情で砂浜を眺めている。

「やっぱ今日は入れないんですかねぇ…?」と聞かれた。

そうですねぇ。よくわからないけど、そうなんでしょうねぇ…。

 

以前より何度も走行している僕と比べても、ここを楽しみに兵庫県から初めてやってきたというカップルの絶望は見るに堪えないレベルであった。

 

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高波の日4

砂浜の彼方を見つめていると、遠くからパトロール用の黄色い軽トラがこっちに向かって走ってくる。


…あれ?

 

僕は淡い期待を抱いた。

なぜ今あのトラックがここを走っているのか。

 

侵入者のチェック、あるいは波や道路の状態をチェックしている可能性が高いのだろう。

もし後者と仮定するならば、ドライブウェイの始点である僕の目の前まで走ってきた後に、「解除可能」・「解除不可」のどちらかの選択をすることになるのだろう。

 

トラックがドライブウェイ始点の僕のそばまで来るのを、丘の上から辛抱強く見守る。

 

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高波の日5

ちなみにここが丘の上からの光景だ。

一瞬砂浜にいるように見えるだろうが、車のすぐ脇にかなりの高低差があり、その向こうが砂浜となっている。

 

ドライブウェイの始点付近まで走ってきたあと、パトロールトラックはその場で停止する。

 

今がチャンスだな。

上から見下ろしていた僕は即座に丘を駆け下り、トラックに乗っていたおじさんに声を掛ける。


「あ、なるほど、走りたいのね。いいタイミングだね。今から開けるよ。」

 

そう言ってくれた。

やったー!!

千里浜なぎさドライブウェイ、本日オープン1台目として走れる!!

 

すぐに愛車の元に戻り、横にいたカップルにゲートがこれから開く旨を報告する。

カップルもマジ喜んでいた。

イェイ、お幸せに!!

 

エンジンをかけ、ゲートの前にスタンバイ。

そしてついに千里浜なぎさドライブウェイに足を踏み入れるのだ。

 

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高波の日6

感無量だ。

砂浜に車を停めて海を見ていると、先ほどの兵庫カップルもすぐそばに車を停めた。

 

「先ほどはどうも!HUMMERで渚を走れるなんて、最高ですよね!是非写真を撮らせてください!!」みたいに言われた。

なんやかんや、お互い写真を撮ったりした。ステキな交流だ。

 

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高波の日7

そのときにカップルが撮ってくれた写真がこれだ。

(今、お二人は元気に仲良くやっているだろうか?)

 

砂浜を疾走していると、先ほどゲートを開けてくれたパトロールトラックが、またターンして北上していたところに追いつく。


トラックは北側のゲートを僕の目の前で開けてくれた。

つまり、南側から先に開けてくれたのだ。

ここ北側ゲートの入口はたった今オープンしたということだ。

 

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高波の日8

これはすごいタイミングだったな。


トロールトラックは「①北口から入る→②南まで走る→③南ゲートを開ける→④北口まで走る→⑤北ゲートを開ける」の作業順だったみたいだ。


これがもし逆側からの作業開始であれば、しびれを切らした僕は南ゲートで待ちきれなくなり、千里浜なぎさドライブウェイの走行を諦めていたことだろう。

ラッキーとしか言いようがない。

 

 

千里浜はなぜ車で走れるのか

 

そんな思い出の千里浜なぎさドライブウェイ。

冒頭記載の通り、日本で唯一の砂浜を走れる道路と言われている。

 

これを世界に広げても、ここを含めて3つだけだ。
後の2つは、アメリカの「デイトナビーチ」とニュージーランドの「ワイタレレビーチ」だそうだ。

 

※「頑張れば他の砂浜だって車で走行できるぞ」という声も聞こえてくるかもしれないが、あくまで観光用に世間一般的に、という視点から話すのでご容赦いただきたい。

 

ではなぜ、この千里浜なぎさドライブウェイは車で走れるのだろうか?

それには千里浜の成り立ちを少し知っておく必要がある。

 

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石川県と岐阜県との県境の「白山」。

ここから「手取川」という川が日本海に注ぐ。

 

川は海に至るまでに山を削り取り、細かい石や砂となったそれらの破片を海に放出するのだ。 

 

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日本海には対馬海流が流れている。

手取川が海に運んだ石や砂は、対馬海流に乗って北東に運ばれる。

 

もちろん、重いものから先に沈む。

大きめの石は、手取川の河口付近の陸地に堆積したりする。

 

最も細かい粒子が運ばれるのが、河口からおよそ50㎞も北東に位置する千里浜だ。

千里浜は、白山から日本海に至るまでに削り取られた山々の微粒子で出来ている。

細かくかつ均一な粒子がキチッと堆積しているので、ちょっとの衝撃ではもうビクともしない。

 

さらに浸透圧だろうか?

千里浜の砂は晴れの日でも少し湿っているのだ。

この摩擦でなおさら強固なものとなっている。 

 

 これが、千里浜の上を車で走行できる理由である。 

  

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なぎさへ1

 「千里浜なぎさドライブウェイ」の名が全国的に知れ渡ったにはそんなに昔のことではない。

三十数年前、一人の観光バスの運転手が、広々とした波打ち際を思いっきり走れたらと、空バスを試走させたのがデビューにつながった。

 

これはドライブウェイの北側ゲートにある碑だ。

 

碑の設立年は1995年なので、ざっと1965年ごろ。

それが、千里浜なぎさドライブウェイが産声を上げた時代なのだろう。

 

 

消滅するドライブウェイ

 

僕は地質学者でも海洋学者でもないし、タモリさんでもないので、ここからの説明はさらにアバウトとなる。

 

千里浜は年々縮小が進んでいる。

砂浜の幅は1994年に50mあったが、2011年に35mになったと言われている。

他のWebサイトでは、過去70mだったのが30mになったとも言われている。

 

いずれにしても事実なのは、1年に1mあるいはそれ以上のペースで砂浜が消えているのだ。

 

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消える砂浜1

その要因は1つだけではない。

 

砂が波にさらわれて沖合に流れ出てしまっているというのもある。

また、手取川にダムを造った影響で、海に放出される土砂が減少したとか不安定になったという説もある。 

温暖化等で、海面が上昇したというのも一因かもしれない。

 

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消える砂浜2

こんなこともあり、高波の日は通行止めになりやすくなったのだ。

 

せっかくのこの砂浜を守るため、地元はずいぶん前から対策をしている。

砂を運んできてまた補充したりと、このドライブウェイを守っているのだ。

それに、消波ブロックや人工リーフを作り、ちょっとでも砂が遠くに行かないように防いでいる。

 

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消える砂浜3

それでも、前述の通り砂浜は年々狭くなり、そして通行止めの日も増えているのだ。

正直僕も近年懸念していた。

 

そこに来て、今回僕がこの記事を執筆する発端となった大事件だ。

 

www.ishikawa-tv.com

 

www.news24.jp

 

2つほどニュース記事を引用させていただいた。

千里浜なぎさドライブウェイのちょうど真ん中あたり、奥行30mほどあった砂浜がなくなり、500mほどに渡って砂浜の道路が水没してしまったそうなのだ。

 

いや、いきなりこれだけの規模の砂浜がなくなるってのは、大津波でも来ない限り考えられない。唐突過ぎるニュースだ。

調べてみると、2020年の12月上旬から2ヶ月以上も、ずっと通行止めであったそうだ。

 

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消える砂浜4

ニュースの中では『車の出入口付近が崩壊した』というコメントがあった。

 

しばらく水浸しであったことに加え、出入口が破壊されたことで「あぁ、出入りもできないし砂浜も無くなっちゃった。\(^o^)/オワタ」みたいな感じでニュースになったのだろうか。

 

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消える砂浜5

復旧の見通しは立っていない。

今までもどこかから砂を持ってくることで、どうにかこうにか砂浜の減少を遅らせていた。それでも確実に砂浜は減少していた。

 

今回ゴッソリ水没したこの状態をリカバリできるのか。

前述の通り、車が走れるようなきめ細かい粒子の砂だが、そんなに大量にすぐに確保できるのだろうか。

 

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消える砂浜6

そして、忘れちゃいけないことがある。

消えていっている砂浜は、何もこの千里浜なぎさドライブウェイだけではないのだ。

同じように全国各地の砂浜が、年々やせ細って行っている。

 

地球の陸地は少しずつだが常に変化している。

その一環として捉えるのか。

それとも、愚かな人間の環境破壊の一部として捉えるのか。

 

僕の頭では、正直その判断はできない。

 

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千里浜なぎさドライブウェイ

しかしね、また笑顔であの砂浜を走れる日が戻ってくることを願っている。

僕なんかでは願うことくらいしかできないけど、あの砂浜を失いたくない気持ちは強い。

 

蘇れ、千里浜なぎさドライブウェイ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 千里浜なぎさドライブウェイ
  • 住所: 石川県羽咋郡宝達志水町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(出入口・砂浜共にわりとフリーに停められる)
  • 時間: 特になし

 

No:085【愛媛県】四国最西端の「佐田岬」!!日本一細長い半島の端から九州を眺めよう!

四国本土の最西端。

 

 

その岬は「佐岬」だ。

読み方は「さみさき」。

 

鹿児島県にある本土最南端の岬は「佐岬」と書いて「さみさき」と読む。

書き方も読み方も、Webを見るとカオスになっている。

みんな気をつけようぜ。

 

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では、海にメッチャクチャ鋭角に突き出した岬、佐田岬をご紹介しよう。

そして、あなたが訪れる際には、心してかかってほしい。

 

 

 

日本一細長い半島

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

四国の最西端と聞いて、すぐに名前が出てくる人は、それこそ四国の人とか旅好き・地理好きの人のみではないだろうか?

僕も長距離ドライブを趣味にする以前にこの岬の名を知っていたかどうか、ちょっと自信が持てない。

 

しかし、本土最突端16岬を踏む上では重要かつシビアなプランニングを求められる岬の1つだ。

それだけに印象深い。

 

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さて、上の図でまずは大体の位置を把握していただけただろうか。

 

しかしこの岬の特徴は、もう少し愛媛県にズームしたほうがわかりやすい。

ただしね、よっぽどデフォルメされた日本地図でない限り、あなたも必ず地図上で目にしているほどに特徴的な岬なのだ。

 

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以前僕は、同じ愛媛県の記事の中でこんなことを書いた。

 

佐田岬は、日本一細長い半島である佐田岬半島の先端だ。

メッチャ尖っている。

 

子供に四国を与えるとしたら、 ケガをしないように佐田岬半島をポキッと折ってから与えたほうがいい。

 

逆にあなたが新米の殺し屋であり、ボスから与えられた武器が四国しかないのであれば、佐田岬半島をターゲットの首の後ろにブッ刺すがよい。

そのくらい尖っている。

 

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見よ!このノコギリザメの歯のように尖った岬を!!

 

 

…な、怖いだろ?

…ん? あぁ、そうさ。僕だって怖いさ。

ホラ見ろ、足だってこんなにガクガク震えてらぁ。我ながら情けねーよ。

 

でもよ、ここでシッポ巻いて逃げちまったらよ、命を懸けて僕らに暗号を教えてくれたボブに、あの世で顔向けできないだろうがよ…。(ボブ?)

 

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メロディーライン1

ちょっとよくわからなくなってきたので、普通に解説しような。

 

九周を突き刺すように伸びるこの佐田岬半島

なんと長さは40kmもある。往復で80kmだ。すごい旅路なのだ。

 

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メロディーライン2

岬の先端へと向かうのは、国道197号の通称「メロディーライン」。

かつては凄まじい酷道で、「197(イクナ)」と言われていたのだ。

 

今は文字通り、鼻歌でも歌いながら走ると良かろう。

ま、そのうちそれが阿鼻叫喚に変わるのかもしれないがな…。

 

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メロディーライン3

佐田岬半島の道のりは、大きく分けて3部構成になっている。

今がその第1部、鼻歌エリアだ。

 

制限速度で走ると、走行音が「みかんの花咲く丘」に聞こえるエリアもあるぞ。

 

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メロディーライン4

「三崎港」にやってきた。

国道197号はここで終わる。

 

この港からフェリーに乗れば、大分県の「佐賀関港」に行ける。

僕もかつて2回利用したことのある港だ。

 

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メロディーライン5

さて、ここからが第2部。

愛媛県道256号佐田岬三崎線、険道エリアである。

 

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険道1

まだ道幅は広い。

中央線は無いものの、まだHUMMER_H3であっても楽々走れる。

 

しかしジワジワと道幅は狭くなるのだ。

いや、道幅だけではない、半島そのものが、より鋭利になるのだ。

なんだこの精神的圧迫感。

 

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険道2

このくらいになると、もう対向車が来たらどうしようかと不安になるね、僕。

ギリッギリで擦れ違い出来るかな?

 

この気持ちのいい青空に反して、ひきつった笑いしか出ない僕よ。

 

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険道3

転げ落ちそうになる断崖の上を走る県道。

しかもこういう山間部が多く、アップダウンが連続する。

毎回毎回、この道は肩が凝るんですわ、まったく。

 

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険道4

頭上では「みさき風の丘パーク」の風力発電プロペラが回っている。

あー、気持ちよさそうだな、そっちは。腹立たしい。

 

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険道5

別の車でアプローチしたときの写真もご紹介しよう。

 

もう間もなく第2部のゴールである。

道の狭さも極まってくる。

道路には地元の人の軽トラだとかが停まっていて、さらに狭くなっているのだ。

 

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険道6

さらにこのときは1月だったのだが、道路脇に雪もあったのだ。

もう、なんってこった。泣けてくるぜ。

 

こうして第2部が終わる。

 

 

岬の先端へのハイキング

 

車道の突き当りとなる駐車場へと到着した。

半島の付け根からここまで、1時間かかった。

 

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駐車場にて1

あ、ちなみにこの駐車場はなかなか眺めがいい。

結構な断崖の上から、九州と四国との間の海である「豊後水道」を見渡せるのだ。

 

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駐車場にて2

真冬の朝の8時であれば、このように朝日をまだ見ることができる。

四国の最西端ではあるが、駐車場から東側の展望も開けているのだ。

 

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駐車場にて3

同じく真冬の、朝の10:30だとこんな感じだ。

まぁまぁの広さの駐車場である。トイレもあるので車中泊もできそうだ。

 

さて、この駐車場から今度は西側、岬の先端方面を見てみようか。

 

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駐車場にて4

はい、すっごい荒々しい岬だね。

眼下の海はとっても綺麗だね。

 

でも、僕が気になるのはそれよりも、写真の右奥部分なのだよ。

だって、岬の先端はあっちなのだから。

でも、車道はここで終わり。歩いていかないと行けないのだから。

 

右奥をちょっとズームしよう。

 

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駐車場にて5

泣けてくらぁ。

 

あれが「佐田岬灯台」だ。あそこまで歩くのだ。

距離もすごいが、アップダウンもハンパないのだ。

 

でも、ここまで来たなら行くしかない。

 

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ハイキング1

灯台まで1800mです。がんばりましょう!』

 

よーし、無責任な看板だ。

ここまでも僕、結構がんばってきたつもりなのに。

 

さて、ちゃんとトイレは行ったか?

往復1時間はかかるぞ、第3部のハイキングエリアへGO!!

 

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ハイキング2

ところでね、出鼻をくじくようだけどもスタート直後にガーディアンいるからね。

 

それは地元のおばあちゃんだ。

Web世界ではちょっと評判がイマイチだ。

 

「ミカンどうですか?」と言われた。夏に来たときにはアイスを勧められたかな?

愛媛の特産物なのに申し訳ないが、「僕はミカン苦手なんですよね」って言ってスルーした。

 

これは本当なのだ。

しかしミカンが苦手でない人はウソをつきづらいかもしれないし、複数名で行って全員ミカン苦手なケースはありえないだろう。

買うのか逃げるのか、戦略が必要なのだ。

 

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ハイキング3

道は長く険しい。そして木々がうっそうと茂っていて薄暗い。

夏は汗だくになるだろうし、冬は冬で岬に吹き付ける突風に凍える。

過酷な道のりだ。

 

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ハイキング4

中盤で、大きな谷が現れる。

下がってからまた正面の丘を登り、その向こうが灯台だ。

 

眼下にオレンジ色の三角形の建物や、白い施設が見えるだろうか?

あれは「佐田岬燈台キャンプ場」だ。

7月~8月の短い時期だけ営業しているそうだ。

 

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ハイキング5

閑散期のためか、なかなか荒れてしまっているように見えなくもない。

大丈夫か?

 

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ハイキング6

ところで、このキャンプ場付近でようやく一度展望が開ける。

四国最西端の海を眺められるのだ。

 

黄色いマスト(?)のヨットが行きかう姿は、とても雄大であった。

真夏の日に岬を歩いたこともあるが、真っ青な海の上に太陽が照っていて、とてもきれいな光景だった。ただし焼けつくような暑さでヘバった。

 

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ハイキング7

海はいよいよ透き通るのだ。

これは大切に守っていかねばならない海だ。

 

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ハイキング8

さて、ここはキャンプ場に下りていく歩道部分である。

 

九十九折りの途中部分、地面に黄色いシールが貼ってあるのがわかると思う。

これをちょっとズームしてみよう。

 

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ハイキング9

ジャーン!!

愛媛県道256号佐田岬三崎線の起点がここなのである。

 

あの、三崎港からクネクネと続いた険道は車道で途切れることなく、ここまで来ていたのだね。

車もバイクも入っていけない県道なのだ。

必ずみかん売りのおばあちゃんを突破しないと完走できない県道なのだ。

 

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ハイキング10

さぁ、目の前の丘を越えればゴール!!

佐田岬灯台、四国最西端だ!!

おめでとう!!

 

 

灯台と展望台

 

僕は階段の下から灯台を見上げた。

最後の行程。灯台へと続く直線階段を上がる。

 

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最西端の岬で1

風、強い。吹き飛ばされそうだ。

暴風だ。手すりに摑まると、冷え切った手すりの金属で手が凍えるし。

掴まらないと飛ばされそうだし。

 

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最西端の岬で2

なんとかかんとか灯台前までやってきた。

 

暴風に飛ばされそうである。

ここまで自撮りをするために三脚を持ってきたのだが、設置している場合じゃない。

三脚もカメラも、手を離せば最西端の海に飛ばされるわ。

 

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最西端の岬で3

まぁでもなんとか自撮りできたわ。

灯台の鉄柵にロープでカメラをグルグルと固定して、なんとか撮影。

 

これが四国最西端の碑である。

感無量だ。ここまでの道のり、長かった…。

 

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最西端の岬で4

本土最突端16岬の中でも、到達難度は僕が四天王の一角に数える岬である。

※ ちなみに他の3つは「トドヶ崎」・「蒲生田岬」・「鶴御崎」である。

 

労力も時間も使い、旅のスケジューリングも大変になるが、それでも無視できない岬なのだ。

なにせ日本一細長い半島なのだから。

走らないと損であろう。

 

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最西端の岬で5

その道のりを歩んだものだけが見れる、屈強なデザインの四国最西端の碑。

僕にとっては単なるプレートではないのだ。

 

僕はそれをなでると、最西端の海を眺めるためにさらに足を踏み出す。

 

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最西端の岬で6

あー…。

ちょっと天気が微妙なことになってしまった。

 

しかし、水平線に近い部分に陸地が横たわっているのがおわかりいただけるであろう。

あれが九州だ。大分県の、佐賀関付近だ。

 

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最西端の岬で7

これは、灯台の脇に設置されていたプレートの画像だ。

ここの位置関係を示している。

 

海に大きく突き出した岬は、瀬戸内海と宇和海の境界線となっている。

思いっきり突き出しすぎていて、四国の内陸部に戻るよりも九州上陸したほうが、距離的に何倍も近いほどの場所であることがよくわかる地図。

 

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最西端の岬で8

中央に見えている島は、大分県の佐賀関の沖に浮かぶ、「高島」だと思う。

距離はここから10㎞も無いであろう。

繰り返すが、佐田岬半島が40㎞あることを考えると、これはとても近い距離なのだ。

 

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最西端の岬で9

別の日ではあるが、高島の南側半分と、その背後の大分県

決して天気がいいとは言い切れない光景ではあるが、幻想的に浮かぶ九州の陸地を見てワクワクしたものだ。

 

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最西端の岬で10

足元を見てみよう。

 

…うん、肝が冷えるような高度だ。

消波ブロックがかろうじて顔を出している。

それだけ波が強いのか。佐田岬半島が凶暴なまでにギザギザなかたちであることも納得できる。

 

そして右奥に見えている断崖の地層が見事だ。

大地の年輪がダイナミックに刻まれている。

 

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最西端の岬で11

さて、この岬には灯台以外にも展望スポットがある。

それが、上記の「椿山展望台」だ。

 

突端マニアの人であれば、先ほどの四国最西端の碑を逃すわけにはいかない。

景観に重きを置く人は、ここ椿山展望台を逃したらもったいない。

…と考えてほしい。

 

椿山展望台という名称からは、何がどうなっている展望台かわかりづらいかもしれないが、灯台の背後に海が広がる絶景展望台なのだ。

覚えておいてほしい。

 

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最西端の岬で11

おそらくは、手前の綺麗に手入れされている木々がツバキなのだろう。

 

その向こうに、日本一細長い佐田岬半島の本当の突端が見えるのだ。

本当の「エンド of エンド」なのだ。

地図を見て、この意味を噛みしめて震えてほしい。

 

 

アナザーストーリー

 

さて、ここまでは日本4周目・5周目の訪問時の写真を中心に掲載した。

日本2周目は真夏の快晴の訪問だったのだが、あまり写真の画質が良くないので掲載を見送った。

 

この章では、日本3周目の訪問時について少しだけ触れたい。

 

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アナザーストーリー1

10月最終日の16:00ともなれば、もう太陽は大きく西に傾いている。

 

そんな中、僕は愛車の日産サファリをフェリーに積み、大分県の佐賀関港を出港した。

目指すは愛媛県佐田岬半島内にある三崎港である。

 

西日本を車中泊で一周している僕は、九州からその舞台を四国に移すのだ。

そして最初の目的は、今日中に佐田岬を踏むことだ。 

これができるかできないかで、明日以降のプランが大きく変わる。

 

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アナザーストーリー2

間もなく、船上から佐田岬灯台が見えた。

そして上の写真の右端にギリギリ写っているのが椿山展望台だ。

灯台の左下のトンネルは、太平洋戦争時の要塞だ。

 

これは船上からでないと見れない、レアな光景だ。

 

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アナザーストーリー3

あぁ、もうちょっと航路をズラして、僕を今すぐ灯台脇に降ろしてほしい。

 

三崎港からあの灯台までにとんでもない時間を要することを僕は既に知っている。

この時間からのアプローチで、日暮れまでに灯台に到達できる可能性は極めて低い。

相当にイチかバチかの、無謀な作戦なのだ。

 

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アナザーストーリー4

パノラマ写真を作ってみた。

スマホの人は見づらくって申し訳ないが、写真をタップして原寸サイズで横スクロールしてみてほしい。

 

まだ港まで20分。

港から駐車場まで30分。

駐車場から灯台まで20分。

 

なのに、既にこの夕暮れ!!

その絶望感を味わってもらいたいのだ。

 

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アナザーストーリー5

「ヤバいよヤバいよ…」と船上で僕は呟く。

優雅な船旅どころの騒ぎではない。

 

先ほどの僕の写真、10月最終日なのにTシャツ1枚だろ?

なぜかっていうと、駐車場から灯台までダッシュする気なのだ。

そのためには、今からイメージトレーニングをし、最大限の準備が必要なのだ。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

フェリーが港に接岸したのは、予定より5分遅れの17:15であった。

この5分がイタい。

タラップが下りるまではあと5分といったところか。

 

その5分でさらにしっかり荷物をまとめておいた。

水、良し。靴紐、良し。ハロゲンライト、良し。カメラと三脚、良し。

 

フェリーを降りた車がみんな半島の付け根の方向に向かうのに対し、僕の車だけが佐田岬方面のレーンに入る。

港の作業員さんが「えっ?」みたいな顔をしていたけど、関係ない。

アクセルを踏む。

 

駐車場まではハイビームをギンギンに照射し、もうほとんど真っ暗になる狭路に焦りながら到着。

駐車場にもちろんミカン売りのおばあさんはいない。

飛び出してダッシュだ。

 

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アナザーストーリー6

走れー!

遊歩道はもうほぼ真っ暗。

ただし灯台近くの空はまだ仄かに明るい。

なんか芥川龍之介の「トロッコ」の主人公みたいな気分で走りまくる。

 

オバケ出そうで怖いけど関係ない。

タヌキなら出た。お互いビビった。

 

数日前に熊本県の「日本一の石段」を攻略したときの筋肉痛がまだ残っているし、なんだったらさらにその前に「槍ヶ岳」を登山したときのダメージも残っているが、全無視。

僕は岬の先端に行くことしか考えていないのだ。

 

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アナザーストーリー7

もう二度と…、こんなことはやりたくない…。(ゼェゼェ)

 

汗が噴き出してるし、脈が死ぬほど速い。

灯台の前でヘタり込み、この写真を撮った。

ギリギリで真っ暗になる前に到着できた。

 

この後僕は、灯台の脇まで行き、暗い海を撮影した。

さっきまでいた佐賀関の夜景も綺麗だった。

 

 

また行ける日を夢見て

 

僕は、日本6周目ではまだこの佐田岬を訪問していない。

四国は既に東半分は走破済みだが、西半分はまだなのだ。

佐田岬には日本6周目の終盤で訪問する予定だ。再訪がとても楽しみである。

 

そして、ミカン売りのおばあさんとの再会も楽しみである。

Wikipediaの「佐田岬灯台」のページから、一部文章を抜粋しよう。

 

灯台への道は狭く、人がすれ違いするのがやっと。

その道に老女が待ち構えており、押し売りをはたらく。

果物や海産物を無理やり売る。

何品も勧めてくるので、観光客が根負けする。

灯台の駐車場には、伊方町が設置した、押し売りへの注意喚起の看板がある。

また駐車場にも押し売りがいる。

 

なんかすごい嫌なことがあったんだろうなーと推測できる文章だ。

「根負けする」と断言しているので、筆者の人は買ってしまったのであろう。

確かに僕もあのおばあちゃんは苦手だ。

 

ちなみに例の伊方町が設置した看板には、「粗悪なものを高値で」と書いてある。

マジか。そこまで叩いちゃって大丈夫か?

 

前述の通り、ミカンを断って灯台に向かった僕。

帰りにまたおばあちゃんからの攻撃を受けた。

「ミカンどうですか?」ってまた聞かれたので、「さっきお伝えの通り、フルーツダメです」と言った。

 

そしたら「それでは海藻どうですか?」と、自分で集めて来たというアオサを薦められたりなんやかんや。

値段を聞いてみると1000円前後と結構なお値段。

「それじゃあエンゲル係数が爆上げで死にます」と言い、スルーした。

 

しかし相手も人間。時間があるならば腹を割って話してみたい。

 

「これだけいい物なんですよ。こんなに紹介しているのですよ。だから買ってください。」と言われる。

ならば逆はどうだろうか。

 

僕はどこかでちょっといい物を買っていこう。

東日本限定のお菓子とか。

そして、ミカン売りのばあちゃんに高めに売ってみよう。手段は同じだ。

観光客に断る余地を与えないのであれば、逆に僕からの押し売りをおばあちゃんが断る理由もない。

 

まぁ本当にお金をふんだくるつもりはないが、こういったやりとりを経て仲良くなれたら、それもそれで良いと思う。

 

いつか待ってろ、コロナが明けたら待ってろ、佐田岬&おばあちゃん。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

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