週末大冒険

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ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.412【福島県】独立国家ニコニコ共和国とは!?日本に統合した「岳温泉」で痕跡を探る!

10月最初の週は半袖を着ていたというのに、ここ2・3日で一気に寒くなって暖房をつけたい衝動に駆られている。いや、100歩ゆずって暖房は尚早だとしても、温泉に浸かりたい気持ちにはなっている。

天気予報を見るとまた数日後には最高気温27℃などの日が目白押しで半袖が再登場する可能性も濃厚だが、大事なのは今であり今日だ。今日は寒い。それが事実だ。

 

…というわけでだ、10月は人肌恋しい季節であり温泉恋しい季節なので、ちょいと温泉ネタを多めに執筆したいと思うのだ。

 

 

今回は「岳(だけ)温泉」なのである。古くは「ニコニコ共和国」が統治しており日本国からは独立していたのである。

何を言っているのかわからないと思うが、まぁ読んでくれ。ニコニコ共和国の正体は後半で明かす。

 

 

温泉宿「花かんざし」で過ごす

ロビーと廊下

 

このときはね、身内との旅行で岳温泉を訪れた。

「お宿 花かんざし」、そこが予約していた宿の名前だ。温泉街のメインストリートに面した宿。小雨の降る昼下がりに到着した。

 

花かんざし1

暖簾が風流だねぇ。

駐車場がどこなのかわからず宿の前にデーンと駐車しどうしようかと思っていたら、着物を着た仲居さんが出てきて「そこでいいですよ」と言ってくれた。なので上の写真にある通り、やたらとインパクトのある停め方をさせてもらった。

正規の駐車場がどこなのかは未だにわからない。

 

花かんざし2

さて、撮影した時間は前後したりするが、宿の主要部分をお見せしよう。

まずは入った正面の抜け感がなかなかステキ。荘厳だよね。右手には年季の入った帳場があり、翌朝ここで僕は女将さんにお会計をしたのだよ。

 

花かんざし3

ロビー部分はちょっとしたお土産物屋や骨董品的なものの展示スペースになっている。さらには喫茶スペースのようなものもある。

時間的に営業はしていなかったようだが、テーブルの上にメニューが立てかけられていたことから、日中は観光客相手の喫茶店としても営業しているのだろうね。コーヒー・紅茶・あんみつなどの喫茶メニューが書かれている。あぁ、コーヒー飲みたい。

 

花かんざし4

ロビーや喫茶スペース周辺には様々なレトログッズが展示されている。ひときわ目を引いたのは人力車だ。人力車って屋内で見ると迫力すんごいな。天井スレッスレだぞ。

 

花かんざし5

他にも番傘だとか、古いタイプライターやスピーカーなどなど…。こういうアンティークは大好きなのだ。見ているだけでワクワクしてくる。まるで郷土資料館のようではないか。

 

花かんざし6

さて、先ほどの帳場の奥へと入っていくと、畳敷きの広い通路が続く。通路の脇は全面ガラス張りで、ガラスの向こうは中庭。まだわずかに残っている紅葉がライトアップされていた。

11月も後半に入りつつある福島県なので、紅葉ももう終盤なのだ。見られて嬉しい。

 

花かんざし7

この宿は昭和初期の建造物だそうだ。木造ベースでちょっと古く感じる部分もあるが、掃除は行き届いていてどこもピカピカ。畳もツルツルで綺麗。

 

古い造りだから廊下の鴨居とかもやや低めなんだよね。最初に仲居さんが先導して部屋を案内してくれたときは、「頭に気を付けて下さいね」って声掛けをしてくれていた。

だけどもメンバー全員チビなのだ。かすりもしねぇ。

 

花かんざし8

しかしせっかくの仲居さんのご厚意を無駄にしないために、僕はワザと精一杯の背伸びで歩いて、「おっと、確かに危ないですな」とか言って鴨居をかわすそぶりを見せたよ。マインドがイケメンだろ、僕。

 

 

お部屋

 

次は僕が宿泊したお部屋のご紹介だ。

 

客室1

うむ、綺麗だし広いし、座椅子のクッションがパッツンパッツンなほどにボリューミーだ。お尻で容赦なくつぶさねばならないスタンス。

で、奥の方に広縁が見えるよね。旅館によくある、テーブルと椅子が設置されている細長いスペース。ちょっとそっちに行ってみるね。

 

客室2

広縁。…だが、これで終わりじゃなかったのだ。さらに奥の方を見てほしい。ここから通路が続いているのだ。

そんなことってあるのか…!?ドキドキしながらさらに先の世界へと歩みを進める。

 

客室3

まさかのもう1部屋!広縁を経由しないと行けない2つ目の部屋が現れた!この絶妙な距離感、2家族での旅行とかに最適じゃないか!旅館側のいい気遣い!

この部屋、もしかしたら以前は独立した部屋だったのかもしれないね。写真の奥の方にその頃の名残っぽいものも見えているし。

 

客室4

しかもそれぞれの部屋ごとにに洗面台まであった。便利極まりない仕様。

 

仲居さんが抹茶と玉羊羹を運んできてくれた。おっ、備え付けの緑茶とかを、自分でポットからジャボジャボお湯を注いで作るタイプじゃないのか。わざわざ抹茶を用意してくれるのか。

 

客室5

 抹茶なんて飲む機会あまりないけど、改めて飲むとうまいなこれ。

昔は苦くて何がうまいのかわからなかったけど、僕の味覚もオトナになったということだと認識した。渋いオトナになれたのだ。バンザイ。

 

左に見えているブドウみたいなのが気になるでしょ?これ、玉羊羹っていうらしい。初めて見たよ。

 

客室6

小さなゴム風船に入っている丸い羊羹。爪楊枝でプツッと穴を開けるとツルリとゴムが剥けるんだ。おもしれぇ。うめぇ。

 

客室7

お風呂セットは1つ1つ木のカゴにセットされている。かわいすぎる。そんで足袋までついている。じゃ、お次は温泉だな。

 

 

温泉

 

温泉は2箇所。露天風呂付きの浴場と、内湯のみの浴場があつ。これらが時間帯で男湯・女湯入れ替わりになるのだそうだ。

僕は夕食前にひとっ風呂浴びに行ったのだが、その時間帯の男性は露天風呂付きの浴場だった。

 

温泉1

あ、完全に無人だったので宿の人に断って最初に数枚内部の写真を撮らせていただいた。

お湯はちょっと白濁した感じ。100%源泉かけ流しなんだって。僕は温泉の成分はあまりわからないタイプの人間なのだが、とりあえず白濁しているとありがたいって感じるよ。

 

温泉2

露天風呂には地酒が設置されていた。樽酒から備え付けの枡に取り、温泉に浸かりながら飲む。粗塩も一緒に置いてあるのでアクセントになる。

なにこれ最高ですか?温泉に浸かりながら地酒なんて、最高に風情があるじゃないか。この夕食前の時間帯、露天風呂側が男性でラッキーだなぁ。

 

温泉3

お風呂の縁で幸せ気分でクターっとなりながら、それなりの量を飲んだ。

一緒に温泉に来た僕の弟はやや酒が弱くてさ、このあとの夕食を懸念して一滴も飲まなかった。なんという自制心。僧侶かな?

 

温泉4

ここは湯上り処。廊下の脇にはこういう隠れ家のような小さな休憩所も複数あったのだ。

湯上り処は浴室の目の前にあり、文字通りお風呂上りに一息つける場所。安達太良山の湧水だとか、ハーブティーなどがポットに入っていて、自由に飲むことができる。

お風呂上りにここで冷たいお茶を飲むのが格別だった。

 

温泉5

あと、読書部屋もあったよ。アンティークのランプと年代物の肘掛け椅子がいい感じ。

お風呂上りに充分にリラックスできた。身も心も温まったぜ。

 

 

お食事

 

やっぱご飯、ワクワクするよね!温泉もいいけども、最高に宿の個性が出るのはご飯なんじゃないかと思う。お酒も飲めるし楽しみだ!

自炊宿・湯治宿みたいに適当なものを持ち込んで1人しんみり食べて飲むのもいいけど、こういう王道の懐石料理もたまらんよなぁ!!

 

懐石料理1

ところで夕食は部屋食ではなく、1グループごとの個室に案内されるんだ。綺麗で落ち着く和室。そしてお品書きは、"花かんざし"の名前の通り、季節の花が添えてあった。粋だ!

 

懐石料理2

達筆だ!漢字が多くてなかなか内容が頭に入ってこないが、お品書きだけでもううまいとわかった気分だ。

 

でもまずはビールだろ?仲居さんにビールの銘柄を聞かれたのでアサヒをセレクトしたよ。

あ、実はね、日中にアサヒビールの工場を見学したの。無料で試飲もできるの。だけどもドライバーの僕はもちろん飲めなかったの。1人だけ飲めなかったの。その借りをここで返さなくって、いつ返すの?

 

懐石料理3

風呂上がりのビール、うめぇぇーー!!

でも同行の母がね、「やっぱり昼間の出来立てのビールの方が遥かにおいしい」と評価するの。僕の知らない世界の味について語るの。どういうこと?

 

懐石料理4

料理はとても彩り鮮やかなのだ。どれもうまい。あん肝が酒によく合うのだ。

…って言ったら合計3人分のあん肝が僕の前の前に集まって、たじたじとなる。ふざけんな、そんなに食ったら胃がもたれるわ。痛風になるわ。あん肝苦手なメンバー多すぎ事件。

 

懐石料理5

旬の魚三種盛り。ここは福島県の中でも絶賛内陸部だけど、それでもお刺身はうまいのだ。ちょっと日本酒飲まないと失礼にあたるくらいのうまさじゃない??

 

懐石料理6

"人気一"っていう、ここ福島県二本松市で手作りで少しずつ作っている吟醸酒なのだそうだ。飲みやすいな、あっというまに一本なくなった。

  

懐石料理7

これは豚きのこ豆乳鍋なんだって。アクロバティックなメニューだなぁと思ったけど、クセが少なくて食べやすい。とてもうまい。料理はわりと和洋のバラエティーに富んでいるのだ。

 

懐石料理8

牡蠣オリーブ焼きと長芋コロッケだ。いきなり絵面がオシャレな洋食レストランみたいになった。タルタルソースも添えられてある。こんなもん、うまいに決まっているだろ!白ワインも欲しくなってきた!

 

懐石料理9

これがメインね。和牛の石焼ステーキ。ガッツリとボリューミー。しかし上質な赤身で食べやすい。そして僕の胃袋はまだまだ元気だ。

 

懐石料理10

締めの一品、蟹飯とざくざく汁。

仲居さん曰く、ざくざく汁っていうのもここ福島の二本松市の郷土料理で、いろんな野菜を小さなキューブ状にザクザク切り刻んだものを入れた汁なんだって。

これは結構みんなに好評だった。僕もこのくらい小さくすれば、少々苦手なゴボウだって食べれるんだぜ。

 

ただ、最後のデザートは食べれなかったけどな。ラフランスのコンポート。ラフランスな僕、苦手なのだ。ごめん、他のメンバーに食べてもらった。

 

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ついでに翌朝のご飯も少しだけ紹介しておこう。

 

朝ごはん1

オーソドックスだけれでもビジュアルがオシャレな朝ご飯。焼き魚はカマスだ。

胃に優しいものが勢ぞろいしている。実はね、懐石料理を食べた後に部屋でまた2次会をしまして。近所に買い物に行って酒を追加で買ってギャンギャン飲んで。

だからこういうメニューでありがたい。

 

朝ごはん2

桜茶もあるぞ。この時期なのに桜??

でも確かに桜の花びらが浮いているし、風味もいいのだ。この理由は最後の方でネタを明かそう。

 

 

独立国家ニコニコ共和国って何!?

 

ここまでしっぽりとした温泉紀行だったのに大変申し訳ないが、タイトルの回収をしなければならないので書く。

ここ岳温泉は、かつてニコニコ共和国の国土だったのだ…!

 

岳温泉を散策1

時をさかのぼること14時過ぎ、岳温泉に到着した。

温泉街の一番下部に大きな池があり、そこから山に向かって坂道。その坂道の両側に旅館やお店が立ち並んでいるのがメインストリートのようだ。

ただ、不安になるくらいに誰もいないし、車もほぼ通行ゼロだったけどな…。

 

上の写真は別の機会に1人訪問したときに撮影したものだが、まぁこのときも閑散としていたぜ…。

 

岳温泉を散策2

16:30くらいから散策を始めた。11月の小雨の日のためか、すでに外は薄暗くなり始めていた。

「温泉街の散策」っていうと、なんか食べ歩きだとか浴衣の観光客がぞろぞろ歩いていたりだとかで華やかなイメージがあるが、ちょっと今回はそんな感じではなく、「せっかく来たから少しだけ外の様子を見ておこうか…」みたいな温度を感じた。

誰も口には出さなかったが、そんなオーラを幹事の僕は感じていた。

 

岳温泉を散策3

旅館の仲居さんは僕らに傘を貸してくれた。とても感謝だ。旅館はすごく良いのだが、一歩外に出ると少し寂しい気持ちだ。

温泉街は静かで観光客は1人も歩いていない。たまーに地元の人っぽい車が通過する程度。お土産屋さんとかもそろそろ閉店なのか薄暗かったりして入りづらい雰囲気。

 

だけども、僕はこの温泉街に1つ強く興味を惹かれる要因があったのだ。

 

岳温泉を散策4

小さな独立国、ニコニコ共和国。ここは国会議事堂の名残。

1982年に設立され、だけども2006年に日本国に統合されて歴史を閉じた国。もう統合からそれなりの年月が経つけど、その名残はかろうじて残っているという。それを探したいのだ。

その一番わかりやすいのが、上の写真の国会議事堂である観光協会

 

岳温泉を散策5

僕もこれはあまり詳しくないんだけど、1980年代初頭に"井上ひさし"の"吉里吉里人"っていう本が出た。日本のとある村が日本から独立して吉里吉里国を名乗るっていうね。

それになぞらえて、1980年代前半に日本の各地で小さな独立国が出来たのだ。例えば和歌山の「イノブータン王国」も、「道の駅 イノブータンランドすさみ」となった。(さらに現在は名称が変わってしまったが…)

 

そういう時代は終わりをつげ、現存している独立国はほとんどなかったり、事実上活動を休止していたり、残っているのは名前だけだったりするのだ。

 

岳温泉を散策6

そのように日本に数多く作られた独立国の中でも一番本格的だったと言われているのが、このニコニコ共和国。

大統領もいるし、標準時間は日本のものと1時間ずれていた。国家もあるし、国境警備もしていたし、専用通貨もあった。

 

その残滓を、ちょいと探してみたくはないだろうか…??

 

岳温泉を散策7

例えば岳温泉のバスターミナル。こうしてみると何の変哲もない、レトロなバスターミナルだ。でも向かって右手のドアの上に目を凝らすと…。

 

岳温泉を散策8

まだニコニコ共和国の文字があるのだ。ニコニコ共和国国際バスターミナルだったのだ。震えるだろ、この設定。

 

岳温泉を散策9

「国立豆富蛋白研究所」と書いてあるが、は普通に真面目な豆腐屋さんだ。昔から続いていそうな硬派なお豆腐屋さんだ。

 

岳温泉を散策10

古い店舗の壁とかドアに、当時のニコニコ共和国を示すステッカーが貼ってあったり、シンボルキャラクターであるリスが描かれていたり。

写真の左下も拡大してみてみてね。ニコニコ共和国の国民証なのだよ。こんなものもあったのだよ。

 

岳温泉を散策11

これは翌日に入ったレストランに貼ってあったものだ。しかしすごく目立たない場所であり、半分隠れていたし、「貼ってある」じゃなく「剥がしていない」だけなんだろうな、きっと…。

 

途中のお土産屋さんでは、ショーウィンドウの外から見ると"ニコニコ焼き"っていうメニューが書いてある。これも当時からのものなのだろう。ほっこりした。

 

岳温泉を散策11

スギの植樹を示した石碑にも、ニコニコ共和国の名前が残っている。"ふくしま緑の百景"にニコニコ共和国の名前が残っている。すごい。

 

では、次はちょっとさっきの観光案内所…、っていうか国会議事堂にお邪魔してみましょう。

 

岳温泉を散策12

これは西暦何年かは明記しないけども、僕の日本5周目のときには上のようなプレートが内部に下がっていた。

とても年季の入ったプレートだけど、ニコニコ共和国の国立銀行本店がここにあり、日本円をコスモに両替できるのだそうだ。

 

あまりにローカルなオフィスてちょっと気が引けるけど、「コスモに換金してください」と頼んでみた。

  

岳温泉を散策13

100円=100コスモ。僕が300円を払うと、受付の人は奥の方から缶を持ってきて、その中に入っている100コスモ紙幣3枚と交換してくれた。これがかつてのニコニコ共和国の通貨だ。まだ現存していたのだ。しかもピン札。

他のメンバーが僕を見て「何やってるんだ、コイツ」って感じでポカーンと見つめる中、僕は1人猛烈に感動していた。

 

岳温泉を散策14

今でもこの温泉街の一部店舗では、この紙幣で買い物できると聞く。

ただ、この夕暮れで店舗は店じまいしそうな雰囲気だし、そして「コスモで買い物させてくれ!」と言うには多少強めの心臓が必要だし、僕の目的はこの紙幣を記念に持ち帰ることなんだ。だからこれはそっと封筒にしまうよ。

 

岳温泉を散策15

このあと坂の上の温泉神社まで行ってみたけど、16:30だというのにもうヤバいくらいに真っ暗で、この雨の中では足元も心配で。

 

岳温泉を散策16

幸い夜には雨は止んだし翌日は大体晴れだったんだけど、あまり温泉街を観光できなかったのは、少しだけ心残りだったかな…。

 

 

またニコニコできますように

 

岳温泉、それなりの数の旅館はあるけど一部はもう営業をしていないみたいな感じだったりして、なんだか寂しい気分だった。

花かんざしと、その他いくつかの旅館だけが光が灯るように明るく賑わっていた。

 

また行こう岳温泉1

 

もともとあまり大きくない温泉街だけど、それに加えて東日本大震災の直接被害と風評被害で、かなり苦しい状態になってしまったと聞いている。

花かんざしは本当に素晴らしかったが、温泉街全体でもっと盛り上がっていかないと、じょじょに全てが衰退してしまいそうだ。

 

また行こう岳温泉2

レストラン「ティーポット」は外観もかわいいし、中もオシャレだった。昼どきだったが数組しかいなくって、すんなりと座ることができた。

 

また行こう岳温泉3

ビーフシチューをオーダーしたらすごかった。

パイ包みになっていて、大きな器がこんもりとパイに覆われている。パイを崩せば中には具がゴロゴロのビーフシチュー。肉がすっごく柔らかく煮込んである。パイもふんわりしていてうまい。シチューをつけて食べるとさらにうまい。

でも、パイは器をすっぽり隠すほどに巨大で、しかも厚さも充分。つまりボリュームがハンパない。残念ながら少し残してしまうほどだったが、味はバツグンだ。

 

また行こう岳温泉4

大衆食堂「成駒」はなぜかとんでもなく混んでいた。そうなの?みんなこういうのが好きなの?僕は大好きだけどさ、オシャレではないし、福島ならではのメニューも少ないよ?

 

また行こう岳温泉5

このガチな昭和なテイストがたまらんのだ。

ここに入ったのは1人旅の途中。かつ丼を頼んだ。昭和食堂ではかつ丼。それを楽しみに生きている。

 

また行こう岳温泉6

バチクソに肉厚なカツじゃねーか!!

僕のカメラもビビって白飛びしやがったぜ!そんで安くてうまい!そりゃみんな大好きだわ、チクショウめーー!!

 

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チェックアウト後は、温泉街の一番下にある「鏡が池」を観光したんだよ。

 

また行こう岳温泉7

ここは周囲500mほどの中規模の池。池のほとりには「鏡が池碧山亭」っていう、岳温泉の立派な旅館が建っている。

池のほとりの草むらには、もう10年以上は放置されているんじゃないかってレベルの足こぎボートがいくつか転がっている。昔はここには「バードランド」っていうテーマパークがあったそうなのだが、撤去されて久しいらしい。もうその名残すらほとんど全て残っていないしね。

 

また行こう岳温泉8

紅葉を眺めながら池の周囲を歩いていると、ふと目に留まったものがある。冬桜だ。あぁ、そうか。桜茶はここの桜だったんだな…。

 

また行こう岳温泉8

ちょいと丘を登って展望台まで行ってみた。日が射してきて紅葉が美しかった。

そして安達太良山を背に立ち並ぶ岳温泉の姿が一望できた。

 

また行こう岳温泉9

ほとんどこの写真1枚に収まるほどのメインストリート。

かつてのニコニコ共和国は見つけられたが、現在の温泉街ももう少しニコニコを取り戻せればいいなと思った。

 

そんな気軽に行ける距離ではないが、また再訪したい。最後に宿の前で手を振って見送ってくれた、女将さんとご主人にまた会いたい。

だから、みんなで盛り上げていこうぜ、岳温泉

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 「お宿 花かんざし」
  • 住所:  福島県二本松市岳温泉1-104
  • 料金: 2名食事つきで約¥46,000~
  • 駐車場: あり
  • 時間: 宿の問い合わせのこと

 

No.411【愛媛県】5年半ぶり再開!!大規模修繕した「道後温泉本館」にまた行きたいなぁ!

3000年の歴史を持つ我が国最古の湯とも言われている「道後温泉」。

そのシンボルである「道後温泉本館」は明治時代に建てられたものだが、圧倒的な貫禄で現代も見るものを惹きつけている、道後温泉のシンボルだ。僕も大好き。5回か6回は通った。

 

 

この道後温泉本館は2019年1月から大規模な修繕工事をし、今年である2024年7月にようやくそれが終わり、本格的に営業を再開した。

実に5年半、長い長い工事だったぜ。ただ、本当は6年かかる予定が半年前倒しで終わったんだぜ。日本の修繕技術に感謝。

 

さて、本来であれば新しくなった道後温泉をご紹介したいところなのだが、残念ながら僕はシン・道後温泉にはまだ訪問できていない。

 

 

今年の春の、「もうすぐ工事終わりますよ」って感じの状態なら見ているんだけどな。入浴も再開していたんだけど、まだ工事のバリケードあったしショベルカーもいた。

 

なので今回はあえて工事が開始される前の道後温泉訪問記をお伝えしたい。これを振り返ることで、きっと僕もあなたもシン・道後温泉訪問の期待が高まると思うんだ。

それでは平成時代にワープ!

 

 

日本最古の温泉に浸かろう

 

この章では、日中に訪れた時の3回分くらいの写真をマージして掲載しますね。

ところでさっきも書いた通り、道後温泉は3000年以上前からある日本最古の温泉らしい。あの「聖徳太子」も道後温泉に入浴したという記録が残っているそうだ。

 

日中の道後温泉1

…という温泉の背景事情にはあまり興味はなく、ましてや泉質なんぞ全くわからないほどのガキみたいだった時代。そんなころに僕は道後温泉を訪れている。

上記がその時の写真。ちょっと貫録を出すためにザラついた加工をしちゃったけど。

 

じゃあなんで僕が道後温泉に興味を持ったのかと言うと、あのジブリ映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のモデルの1つだからだ。

他にもいろんな温泉地のいろんな施設をモデルとしているそうで、2024年現在では僕はそれらを多分全部行っている。

 

日中の道後温泉2

圧倒的インパクトを放つ巨大ダンジョンのような千と千尋の神隠し湯屋。そのモデルを一目見てみたいと思ったのだ。

そして入浴もできるというし、(当時は)1500円払えば個室を貸し切ってくつろげるというので、それにも興味を持った。5人で行ったら1人300円で個室エンジョイできちゃうじゃん!

 

日中の道後温泉3

こうして片道800㎞以上をぶっ飛ばして1泊2日で訪れた道後温泉は、本当に良かった。こういう世界観が日本になるんだなぁと、若き日の僕の心に深く刻まれた。

 

そして目的である個室使用の申し出をする。

「僕らみたいな連中が由緒正しい道後温泉本館の個室を貸し切っていいのだろうか?というより空室はあるのだろうか?」って思ったけど、もちろん普通に借りれたよ。

 

日中の道後温泉4

お茶と名物の坊ちゃん団子が用意されており、そして浴衣も用意されている。

しかし利用時間は、確か2時間だっただろうか…、あまり時間がないのだ。複数ある温泉に入り、お茶飲んでくつろいで退散するまで2時間。

そりゃあ全部込みで1500円という価格が破格なのだが、とりあえず時間がねぇ!

 

日中の道後温泉5

とりあえずこのプランで見学できる、館内の各所を見学。貴重な物品の展示などもあったが、正直あまりわからないのでサラサラと見て回る。

そんで浴衣に着替えて部屋の上の方に飾ってあるご先祖様みたいな面々に「行ってきます!」と言ってお風呂に行くのだよ。時間ねぇ!

 

日中の道後温泉6

というわけで、の建物内にいつくかある温泉に入った。ちょっとレトロな銭湯…というのが当時の感想である。

温泉のことはよくわからない。真っ白だったりすごい臭いだったら批評できるが、無色透明だったら水道水と見分けがつかないのが当時の僕である。

だから「よくわかんないけど雰囲気はレトロでお湯は暑い」みたいな感じである。

 

ポカポカに温まったらみんなで座卓を囲んで三色の坊ちゃん団子を食い、そしてお茶を飲む。まだ僕らにはよくわからない世界だが、趣のあることをしているんだろうなっていう感覚だけはあった。

そんな寒い寒い日の思い出が、僕の道後温泉の初回だ。

 

日中の道後温泉7

実は内部に入ったのは2024年現在まででこのときだけである。それ以降は全部外から慶安を眺めているにとどまっている。

まだ温泉の善し悪しが理解できていないから…というのがその理由。ちゃんと価値がわかったら内部にまた入ろうと思っている。(そろそろまた入っていいかな…?)

 

日中の道後温泉8

本館は外観を見ているだけでも面白い。重工に折り重なった屋根、正面から見ても横から見ても様になる画角…。

 

…というのも、近代では本来の正面とは違うところに入口が作られていたのだ。それをリニューアル時にまた元の位置に戻したりしている。84年ぶりに入口の位置を戻したりしたのだ。

だから正面は2つあるといっても過言ではなく、それらを確認するのも楽しいかもしれない。まぁ今回の記事ではリニューアル前のことしか書かないので、これ以上の詳細には触れないけどね。

 

日中の道後温泉8

太鼓が備え付けられた振鷺閣。赤いパネルをはめ込んだ、このシンボル的な小屋も大変カッコいい。一番上にいるのは鳳凰か?

 

温泉に全く興味のなかった僕だが、温泉目的のドライブを多分生まれて初めて実施し、かつ温泉に入らなくても温泉施設を外から見るだけで楽しい…と思えた最初のスポット。それ以降何度も訪問し、大事にしてきているスポットなのだ。

 

日中の道後温泉9

夏目漱石」の小説「坊ちゃん」の舞台の1つでもあり、本館のすぐ脇には坊ちゃんファミリーも勢ぞろいだ。他にも明治時代の文豪たちが訪れている、有名人御用達のスポット。

 

日中の道後温泉10

レトロなSL風の坊ちゃん列車が走ったり、坊ちゃんの世界観を模した巨大なからくり時計も町に設置されている。

道後公園とも呼ばれる「湯築城跡」や本館を見下ろす「伊佐爾波神社」も一緒に散策したりもしている。

 

日中の道後温泉11

これらについても語りたい次第だが、それらも盛り込むと記事がボリューミーになってしまうので、いつか「道後温泉駅」として独立した記事を書きたいと思っている。

じゃあ次、夜の道後温泉に絡めたエピソードを書こう。

 

 

松山ユースホステルに泊まる夜

 

ある真冬のことだった。日暮れと同時に「松山ユースホステル」にチェックインした。

ここは道後温泉エリアにあり、道後温泉本館までも徒歩数分の距離。あこがれの道後温泉宿泊が実現した日なのである。

 

松山ユース1

本来は僕、北海道や沖縄以外は基本的に車中泊のみで旅をするんだけどね。今回は寒すぎたので宿を取っちゃった。

オーナーさんに駐車場がどこか質問すると、道後温泉本館の臨時駐車場を案内された。そうなのだ、そのくらい道後温泉本館とこことの距離は近いのだ。

 

部屋は相部屋で、既に同室の人がチェックインしているとのことだ。

荷物をもって部屋まで行き、ドアを開けたが中は真っ暗だ。ただ、誰かがベッドで寝ている気配がする。

一応「すいませーん」って何度か声をかけるのだが爆睡のご様子で起きない。いきなり照明をつけるのも悪い気がするし、てゆーかこの部屋照明のスイッチどこだ?全然わからん。

 

松山ユース2

…というわけで暗い部屋にとりあえず荷物だけ投げ込んで、僕自身は談話室に退避した。どうせ夕食まであと30分。ダラダラしていれば一瞬さ。それにビールの自販機もある。飲みますか。

 

松山ユース3

前夜は睡眠時間を削ってドライブしていたので少し寝不足でお疲れだった。そこにビール。空きっ腹にビール。これは酔いが回りますな。普段の3倍酔う。

あと談話室にドラゴンボールあったので読んだ。知らない部分を読むことができ楽しめた。

 

腹ペコだったので18:30の夕食開始時間と同時に食堂行ったら誰もいないのな。あれ?空気読んでゆとり持ってきた方がよかった?フリーザ編の序盤も読んでおいた方がよかった?

でも腹ペコなので構わず食う。1人で食う。

 

松山ユース4

配膳状況から察するに、30人ほどの宿泊客がいる模様だ。今どきのユースホステルとしては最大規模かつ賑わっている方なのではないだろうか。

夕食はおかず8品ほどで、揚げ物多いし豚肉は固形燃焼のアレで自分で焼いて食べる形式だし、かなり豪華。さらにご飯はセルフでお替りできる。充分満足。満腹。

 

ただ、続々とやってきた周囲の人を見る限りファミリーや友達同士が多そうだ。

唯一僕の同室の人が1人旅っぽく、その席は僕の向かい側なんだけど全然来ねー。1時間かけて僕がゆっくり食べているのに来ねー。ぜってー爆睡中だ、アイツ。

 

食事を終えて食堂を出ようとすると、スタッフさんが「同室の人に夕食の準備ができていると声をかけてもらえますか?」と依頼された。

一瞬「そう簡単にはいかないのよ。だからアンタがやってくれ。」って思ったが、ちゃんと承った。

そんでもうスタッフさん公認なので自信満々に漆黒の部屋に「たのもー!!」みたいに討ち入りし、同室の人をたたき起こした。照明もつけてもらった。

 

松山ユース5

同室の人は50代くらいのおじさんだった。「ジャカルタおじさん」と呼ぼう。

ジャカルタおじさんは「うわっ、すみません!昼から酒飲んですごい寝ていた!昨日はこの部屋1人だったから、今日も1人だと思っていた!」と言いながら食堂に降りて行った。

相部屋である以上、いつ同室の人が来るのかわからんのだぜ。覚悟めされよ。

 

じゃあ、僕は食後の散歩に出かけることにするわ。

もちろん道後温泉本館を見に行くのだよ。せっかく道後エリアに来たのにユース直行で何もしていないから。

 

夜の道後温泉1

道後温泉の夜景を眺めながら丘を下り、道後温泉本館前にやってきた。あぁ、なんて雅なのだよ。昼間もいいが夜の情緒、たまんねーなー!

北海道の稚内市で出会った旅友の「BLUEayさん」が「道後温泉本館の夜はステキなのでいつかぜひ行ってみてください」と言っていた。だから今回来てみたのだが、その言葉通りだわ。情報ありがとな。

 

夜の道後温泉2

1月のくそ寒い時期の夜だというのに、観光客たちは浴衣で歩いている。

絵的には粋だが、寒くないのかなぁ。温泉上がりだから無敵なのかな?それとも旅の興奮が寒さを忘れさせてくれているのかな?両方か、承知。

 

夜の道後温泉3

まだ19時台なので本館は営業しており立ち寄り入浴もできるのだが、僕は温泉目的で来ているわけではないし、温泉自体にすごく興味があるわけでもないから今回は入らないよ。

宿にシャワールームがあるそうだからササッとシャワーだけ浴びる予定。宿に湯舟がないのは、きっとほとんどの宿泊客が温泉入りに行く前提なのだろうね。僕は異端者だ。

 

ところで本館の入口脇では営業を終えた人力車が整列して寝ていた。これもかっこいいぞ。

 

夜の道後温泉4

街灯もレトロで雰囲気ある。全部がついているわけではないが、どうして?こういうもの?そしてこれ、本物のガス灯だったりするの?

よくわからないけどとりあえず雰囲気いいので気にしないでおこう。

 

夜の道後温泉5

再び坊ちゃんファミリーに挨拶してから、宿に戻ることにする。実は僕もジャージにコートを羽織っただけであり、結構寒いのだ。ところでこのあたり、ここ数年で綺麗に開発されてきたね。

 

夜の道後温泉6

部屋に戻ると、食事を終えたジャカルタおじさんがいた。

日本人だけど早期退職してジャカルタ在住で、ときどき日本にフラッと帰ってきて旅をするのだそうだ。今回も日中は温泉に入り、そんでビール飲んでグダグダ昼寝する毎日を過ごしているらしい。

「明日は何をしよっかなー」とかつぶやいているが、明日もきっと同じだろうって思った。「ちなみに再来月には沖縄の八重山諸島に行くよ」と言うので、「実は僕もそれを目論んでいる。再会するかもしれないですね。」と答えた。

 

あとは子供の悩みをグチってきた。「早く孫の顔が見たいんだけどどう思う?」って聞かれたので、「人ぞれぞれの人生があります。息子さんには息子さんの考えがあるかもしれません。」と答えたらガッカリ顔をされた。正直すぎた?

 

松山ユース6

「ま、これから僕はシャワー浴びてくるんで、そのあと一杯ご一緒しましょうや」と声をかけてからシャワーを浴びて部屋に戻ると、ジャカルタおじさん寝てる!!また寝てる!!ふて寝してる!!

マジかよ。たった15分の間に…。

 

しょうがないのでさっきのマンガ部屋に行き、酒飲みながら読書することにした。隣の部屋ではオーナーさんが宿泊者たちになんかの講座をしているみたいだが、僕は今夜はそちらには混じらずに1人ですごすよ。

 

松山ユース7

そんでいい感じに酔って22時には寝た。

前夜は車中泊だったが、それと比べて寝心地もいいし布団も柔らかい。最高だ。ジャカルタおじさんのいびきのBGMも最高だ。うん、うるせぇ。

 

松山ユース8

こうして翌朝である。もうすぐ7:00だというのにこの暗さよ。今日は晴れるかなぁ。たぶん晴れるよね。

7:00ちょうどにジャカルタおじさんと食堂に向かった。

 

松山ユース7

朝食はバイキング形式だ。パンもあるけど五穀米をチョイスした。うまい。

対面のジャカルタおじさんは「うーん、特に観光したいところもないから、今日は温泉入って酒飲んでグータラかなぁ…」って言っていた。

すごい安定感。きっと滞在中はずっとこうなのだろう。それも1つの旅のかたちだよね。僕には向かないけど。

 

松山ユース8

「僕はこの後すぐに佐田岬に向かいますよ!」と言い、朝ご飯を終えると身支度をしてジャカルタおじさんに別れを告げ、出発した。

ちょうど日が差し、ユースホステルの黄色い建物がまぶしかった。

 

 

2024年、もうすぐ工事が終わるとき…

 

今年の春のことだ。冒頭にも記載したが、僕は道後温泉を訪れていた。

いつもは道後温泉本館近くの駐車場に駐車するのだが、このときは運悪くどこも駐車場がいっぱいで、臨時駐車場の看板に従って走っていたら松山ユースホステルの裏まで導かれた。

 

工事終盤の道後温泉1

あぁ、懐かしいなぁ、この黄色い建物。今も元気に運営しているみたでホッとした。

この松山ユースホステルを横目に見ながらテクテクと丘を下り、道後温泉本館の前までやってきた。

 

工事終盤の道後温泉2

以前は完全に工事の幕で覆われて全く中を窺い知ることができなかった本館だが、もう建物の外装はほぼ終了したのか、その全容を見ることができた。

詳細は知らないが、後は内装だとか建物の周囲の道路などの整備が残っているのみなのだろうね。

 

工事終盤の道後温泉3

道後温泉とショベルカーと人力車。今しか見られない組み合わせかもしれない。

こういうのも貴重なワンシーンだよね。例えば建造中の「東京スカイツリー」の写真とか、段階ごとに撮影したものが何枚か手元にあるが、もっと頻繁に撮っておけばよかったと今は思っているもん。もう一生撮れないからね、建設中の建造物。

 

工事終盤の道後温泉4

既に複数ある入浴施設の一部は運営再開しているそうだが、敷地内はご覧の通りまだ整備中だ。これから総仕上げだ。どんなデザインになるのだろうね、ワクワク。

 

工事終盤の道後温泉5

工事期間の終了は随分早まり、2024年の7月下旬まで。歴史的大修復作業もあと4ヶ月ほどで完了するのだ。

「あと4ヶ月訪問が遅かったら、リニューアルオープンのお祭り騒ぎを見ることができたのに…」と思う反面、この工事を最終段階を見れた感動も大きい。

 

工事終盤の道後温泉6

だから、いつの日かシン・道後温泉を訪れたらさ、そのときはまた内部の温泉までしっかり堪能して、ちゃんと独立した記事を執筆しようと思うのだ。

あぁ、その日が楽しみだなぁ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 道後温泉本館
  • 住所: 愛媛県松山市道後湯之町5-6
  • 料金: 入浴のみ¥650
  • 駐車場: 観光駐車場が複数あり
  • 時間: 6:00~23:00

 

No.410【埼玉県】飯テロ注意!!川越の古い町並み小江戸で食べ歩きしまくり秋を満喫!!

灼熱の2024年夏シーズンがようやく終わりつつあり、どうにか夜は涼しい日が増えてきた。

だとしたらあなた、季節は食欲の秋ですよ。食いまくりグルメツアーを敢行せずして何をすると仰るか。

 

 

そういうわけで、今回の舞台は川越の「小江戸」なのである。江戸時代の風情も残しつつ、そこに明治・大正・昭和の要素も入りこんできてレトロワールド大集結みたいになっている、僕も大好きなスポットだ。

 

 

今回は実際に、僕が日本6周目の秋にここで食いまくった内容をレポートしようと思う。

実際は雑貨屋を覗いたり神社仏閣に参拝したりもしているんだけど、そんなこといちいち書いていたら執筆が終わらないからな、もうグルメのことにしか触れないぞ。食欲バンザイなのだ。

 

 

蔵づくりの町並みエリア

 

まずは川越と言えばここ、蔵づくりの町並みを中心に縦横無尽に広がる店舗群。ワクワクが止まらないぞ、これ。見ても楽しい、食べても楽しい。

でもメインとなる道は普通に車道でありガンガン車が通るのでちょっと怖い。

 

蔵づくりの町1

だから必然的に今回ご紹介するお店もこのエリアに集約していることをご承知おきいただきたい。

 

蔵づくりの町2

本当は町並みだとか伝統的施設の内部を見学したときのことも書きたいんだけど、いかんせんボリューミーになりすぎちゃうのでカンベンな。

 

「醤遊王国 川越時の鐘店」の焼き団子

 

川越小江戸のシンボルと言えば、「時の鐘」という鐘楼なんだけど、そのすぐ近くにある。もうこの通りを歩くとそこかしこからお団子のいい匂いが漂ってきてヤバいよね。食おう食おう。

 

醤遊王国 川越時の鐘店1

写真の向かって左が焼き台だ。そこで焼いたお団子をほおばることができるシステム。

五平餅も大変気にはなったが、いろんなものを食べるとなると五平餅はさすがに重い。焼き団子がちょうどいいのだ。

 

醤遊王国 川越時の鐘店2

創業は大正時代の、弓削多(ゆげた)醤油のお店であり、木樽から仕込んだ醤油だれを使った焼き団子が1本150円だ。

うわぁ、醤油は絶妙に芳ばしいしお団子はモッチモチだし。正直何個でも食べられる。腹いっぱい食べたい。日本人に生まれて良かったと心から思える瞬間なのである。

 

 

「かのん」のたこせん

 

時の鐘のほぼ真下で魅力的な一品を発見した。店頭でたこせんを売っていたのだ。

ここで言うたこせんとは、たこ焼き1つをえびせんべい2枚でサンドしたものだ。レトロな商店街のたこ焼き屋さんなどでときどき見かけたことのあるメニュー。

 

かのん1

たこせんは150円だという。ジャンクなものではあるが、僕はたこ焼きが大好きなのだ。ここで買わない手はないだろう。

「くださーい」と突撃し、ものの10秒で入手してきた。

 

かのん2

ソースとマヨがすげぇ。でも我々人類にはね、こういう栄養素も必要なんだよ。

グラグラで安定しないので、えびせんべいでたこ焼きを軽く潰して食べる。味はあなたの想像の通りだ。でもそれがいいんだよ。川越の町で秋風に吹かれながら食べると最高なんだよ。

 

 

「鐘撞堂下 田中屋」の焼き団子

 

おっ、待てよ!危なく見過ごすところだった。前項の「かのん」の隣、ひっそりと暖簾を出しているのみなので賑わいは無いが、非常に味わい深いお店があるのだ。

 

田中屋1

創業は1861年という超老舗のお団子屋さん。

上の写真を見てほしんだけど、店頭のショーケースだけでキュンと来た。ご近所っぽい人が自転車でやってきて颯爽とお団子を数本買って帰る様を見て「間違いない」と確信したね。

 

田中屋2

あぁ、中も渋すぎるぜ。飾りっけゼロ。観光客に全くこびていない。壁に掛かっているお団子を焼くおばあちゃんのモノクロパネルは、かつての店主さんなのかな?すごく味わい深い写真。

お団子は炭火で丁寧に焼かれており、その達人的な捌きを間近で見ることができた。

 

田中屋3

いやぁ、いい色だなぁ。1本80円。球体ではなくってちょっと平べったいスタイル。余計な味付けは一切なく、醤油が香る程度のものだ。

とても素朴。ご飯の代わりに毎日食べても飽きがこなそうだ。

 

 

「新井武平商店」の黄金だんご

 

この店、あなたも覚えておけよ…。創業100年近い味噌屋さんだ。その店頭で、お味噌たっぷりのお団子を焼いている。そのお団子はお味噌で黄金に輝いているので、黄金団子と呼ぶらしい。

 

新井武平商店1

町が活気づく時間になると、もうずーっと行列になるお店。それを以前の訪問時に知っていたので、朝早めの時間で突撃した。ふふふ、誰もいなくって独壇場よ!

写真の左側を見てほしい。炭火の周りをグルリと取り囲むように黄金団子の串を刺して、ゆっくりじっくりと焼き上げているのだよ。

 

新井武平商店2

青空の下で美しいじゃないか!

そしてかじりつくと前歯がめり込む!口の周りが汚れる!それがいいんだッ!これだけたっぷり塗られていても全くしつこくなく優しい味。350円でボリュームもたっぷり。忘れがたい思い出だ。

 

 

「菓匠 芋乃蔵」のポテ蔵みたらし団子とあんこ入りみたらし団子

 

さつまいもスイーツの専門店だ。

ここは残念ながら、2024年現在は存在しない。というより、僕が訪問したのは閉店のほんの数日前であった。2010年にOPENしたという、老舗がひしめく中では新しいお店だったのだがね。

 

芋乃蔵1

『ポテ蔵発売11周年』と書かれていた。何ポテ蔵って。あとはおいもラテやおいもサンデーなどがある。インスタ映えを狙っている感じだ。ウーバーイーツにも対応しているらしい。手広くやっているな。

ひとまずポテ蔵みたらし団子という1番人気のスイーツと、あんこ入りみたらし団子を1本ずつ買った。

 

芋乃蔵2

1本130円。ポテ蔵の方は、おいもの餡が練り込んであるみたらし団子だ。

あ、うまいしちょうどいい量。僕ってさつまいもはそんなに食べないし、ましてやスイートポテトはほぼ絶対食べない。そんな僕でも、いもっぽさを気にせずに食べられたよ。逆に言うといもっぽさを求めるのであればちょっと物足りない?

 

 

寺子屋本舗」の昔しょうゆせんべい

 

京都生まれの手焼きせんべいの名店だ。雰囲気ある町の店頭でちょいちょい見かけるお店だね。間違いなく気になる。

 

寺子屋本舗1

濡れせんべいが多いのだが、僕は昔ながらのバリッバリのヤツが好きだったりする。

味も青のり・ごま・七味・マヨネーズ・カレー・シソなど定番から飛び道具までいろいろあるが、ここは定番に近い昔しょうゆ味だろう。昔の町並で食うんだもん、昔しょうゆ一択よ。

 

寺子屋本舗2

店頭で焼き上げているものを手渡しで受け取ると、ほんわりした温かさが紙越しに手に伝わってくる。

味もいい。いい醤油を使っていればなんでもうまいし、キチンとこだわりの米を使って焼いたおせんべいならば尚更だ。間違いない選択であった。

 

 

「中市本店」のねこまんま焼きおにぎり(かつお節といわし節)

 

おい、ここいろんな意味でヤベーから要チェックだぜ。焼きおにぎりが狂おしいほどにうまいのだ。だけども大行列だ。

 

中市本店1

かつお節のお店。江戸時代は鮮魚店だったのだが、今はかたちを変えて乾物店が本業だ。そこで売られているかつお節やいわし節をたっぷりとまぶした焼きおにぎりがさぁ!とんでもなくうまいんだよぉぉ!!

 

ただし鬼のように並ぶ。ディズニーランドみたいに店内までグルグルと並ぶ。できれば販売開始時間を確かめて、開店ちょい前から並ぶべし。ヘタすると1時間近く待つだろうが、それでもその価値はある。

 

中市本店2

網の上で数個ずつ焼かれるおにぎり。数量限定だし販売していない曜日もあるので要注意だ。自分の順番が近づいてくるとドキドキする。

自分の番になるとかつお節かいわし節か聞かれるので、もう両方頼んじゃう。2つ買うともさ!ちなみにどちらも300円。

 

中市本店3

うひゃひゃひゃひゃ…!見て、このふわっふわなかつお節といわし節。左がいわし節だ。

食べると凝縮された魚介の旨味が鼻腔を突き抜ける。あぁ、ホンモノのかつお節ってこんなにも風味豊かなのか…!いわし節もクールな味わいで超絶にうまい。食べ比べ、最高!

 

中市本店4

行列が続く店舗を眺めながら悠々と焼きおにぎりを食う。至福のひとときなのである。

 

門前横丁・菓子屋横丁エリア

 

ここは蔵づくりの町並みから横に反れた路地である門前横丁と、その先にある駄菓子屋大集結みたいなエリアの菓子屋横丁について書きたい。

 

横丁にて1

位置的には蔵づくりの町並みからシームレスに繋がっているので「わざわざ章を分けなくても…」という声も聞こえてきそうだが、そうすると蔵づくりエリアの数量が多すぎてしまうというメタ的な事情である。

門前横丁は石畳の道がかわいいよ。

 

横丁にて2

菓子屋横丁は狭い路地にビッシリと駄菓子屋さんやせんべい屋さん、ちょっとした串ものなどを売っているレトロなお店が並んでいる。観光客ギュウギュウで雑然としていて、一風変わった楽しさがある。

 

「コーヒー豆蔵」の水出しアイスコーヒー

 

あ、なんか僕のハートを射貫いてくる、かわいいコーヒー屋に遭遇した。

 

コーヒー豆蔵1

見て、左側の小さなカウンター。あれがいい。キュンキュン来る。

400円で水出しアイスコーヒーがあった。8時間かけてポタポタと抽出した一品らしいぞ。秋も深まっているけども日差しは暖かいし歩き回って体は火照っている。アイスコーヒー飲もう。

 

コーヒー豆蔵2

なんともスッキリしたテイストよ。酸味が少なく僕好みのアイスコーヒーだ。

店内にはお持ち帰り用のドリップコーヒーなどもあるし、インテリア系や小物もある。いろいろ見学し、お土産のコーヒーも買った。

 

コーヒー豆蔵3

ところでこのお店、看板もいい。こういうデザイン、好き。

 

 

「おきな園」の狭山茶

 

ここは食べ歩きというより「店頭で試飲した」になる。

今回ご紹介している店舗以外でも数々の試食や試飲をしているのだが、なんでここだけちゃんと取り上げたのかというと、しっかり座って店員さんともお話し、まったりした時間を満喫できたからだ。

 

おきな園1

ちょうどお土産用においしいお茶が欲しかったのだ。狭山茶の幟に惹かれてフラリと入った。

そこで店員のおばちゃんにいろいろ話を聞いたのだが、狭山茶って発祥は川越なのね。名前の通り狭山だと思っていたわ。

 

おきな園2

ちゃんと淹れたお茶からインスタントなものまで、何種類か試飲させてもらった。写真は粉にお湯を注ぐだけでできる、お茶の素だ。でもクオリティ高いぜ。さすがだ。

お茶っ葉をお土産に何パックか購入した。これで生活に華が添えられるぜ。

 

 

「菓匠右門」のわらびもち

 

わらびもちが食べられるとの看板に吸い寄せられてお店に入った。どうやらサツマイモを使うお菓子が主力商品みたいだけども、食べ歩き用のわらびもちを200円で販売しているのだ。

 

右門1

ピカピカできれいな店内にはいろんな商品が並び、どうやら幟情報によるとわらびもちの実演販売もしていたようだが、記憶にないしたぶん実際に見てもいない。

すぐにわらびもちを購入し、どこで食べようかと思ったら店内奥のほうにスタンディングのイートインブースがあったのでそこに向かった。

 

右門2

金色に輝くわらびもちだ。このグニグニの食感が好きだ。きな粉との相性も最高だ。

普段は甘味には全然興味がなく、わらびもちも実は数回しか食べたことないと思うけど、ここぞってときに食べると感動もひとしおだよね。

 

 

大正浪漫エリア

 

蔵づくりの町並みのさらに南側に広がっているのが、この大正浪漫通りを中心に広がるエリアだ。洋風のレトロ建築もあるし、昭和チックな建物もあるし、極めて現代的な建物もある。

 

大正レトロ1

上の写真は1927年に建てられた「川越商工会議所」である。貫禄がハンパない。ギリシャ神殿のようだね。

もともとは銀行であり、今はその歴史的価値から国の登録有形文化財になっている。中を見てみたかった。

 

大正レトロ2

レトロな建物と新しいビジネスとがうまく調和した空間。だからこそ誰もが肩の力を抜いて楽しめそうな、そんな町並み。すばらしい。

 

「串焼き りんりんや」のミニ蒲焼きときも焼き

 

お次はウナギの串焼きが食べられるお店だ。川越の町って、ウナギ屋さんがチラホラあるのよ。諸説あるんだけど、埼玉県って海がないので、江戸時代などにタンパク源を得るために川でよく獲れたウナギを食べていたらしい。

 

りんりんや1

店頭にわずかにベンチと立ったまま利用できるカウンターがある。

王道の蒲焼きのミニサイズと、スーパーなどでは購入困難なきも焼きの2種にした。お店はガラス張りなので、中で炭火を使って焼き上げている光景がよく見えた。

ちなみに鮎とか合鴨とかもメニューにあったよ。

 

りんんりんや2

ミニ蒲焼きは500円。きもは350円。串自体は決して大きいものではないんだけども、さすがウナギだ。その風味は少量でも充分なインパクトなのだ。

ちょっと苦味のあるきももうまいぞ。酒飲みてぇ!

 

 

「やきとり おいちゃん」の鶏モモと砂肝

 

焼き鳥屋が目に入った。安価で1本から購入でき、そのまま店頭で食べられるみたい。ちょっと立ち寄ってみるか。

100円台だと「どうしても食べたいから食べる」ではなく、「あ、ちょっと食うか」みたいな衝動でフラッと買えちゃうから怖いよね。塵も積もれば…。

 

おいちゃん1

どれもうまそうだ。もつ煮込みもあるそうで惹かれるが、そんなもん食べたら酒がほしくてたまらなくなる。では鶏モモと砂肝にしてみよう。どちらも150円だ。

 

おいちゃん2

おい、これ見てくれ、事件だ。

プリプリジューシーで脂もほど良く乗っている鶏肉に、塩をパラリだ。なんてことしてくれたんだ。こんなもんうまいに決まってるだろーがよ!秒で無くなったわ。

 

 

シマノコーヒー大正館」のピザトーストとチーズケーキ

 

町を散策しているときにふと目に留まり、その外観に一目ぼれした喫茶店がある。それがここだ。

 

シマノコーヒー1

すごいな!渋いな!名前の通り大正時代創業なのか?それともこの純喫茶テイストから察するに、昭和時代なのか?

調べたら1996年創業である。普通に平成時代だった。でもまぁいい。雰囲気が素敵なのだから。

 

シマノコーヒー2

絵に描いたような茶色一色の純喫茶。店内の装飾物や小物も1つ1つセンスを感じる。席数はそこそこ多いが、ひっきりなしにお客さんも来てほぼ満席状態をキープしている。大変人気なのだな…。

 

シマノコーヒー3

ピザトーストとコーヒーのセットを頼んだ。散々食べ歩きしているのでコーヒーのみでもよいのだが、セットだととてもお得なのだ。まんまと作戦に引っかかった。

だがそのピザトーストがうまいのだ。フカフカの高級マットレスみたいなパン。そこにチーズとソーセージとピーマンだ。昔ながらの日本のピザの具だね。安心感もあるし間違いない。

サラダとスープが付くのもうれしい。

 

シマノコーヒー4

コーヒーがうまい…。1日に3杯ほどはコーヒーを飲みたくなってしまう体質ゆえ…。あぁ、体に染み入るなぁ…。自家焙煎しているらしいね。ありがたし。

 

シマノコーヒー5

そしてチーズケーキ。しっとりタイプ。そして甘さはやや控えめかな?コーヒーにとてもマッチする。

川越を歩き疲れたら、また是非立ち寄りたいお店だ。良い時間を過ごすことができた。

 

 

「名代焼き団子 松山商店」の焼き団子といなりずし

 

「蓮馨寺(れんけいじ)」の境内で4代続くお団子屋さん。創業は大正時代なのだそうだ。美味しいと評判だそうなので行ってみた。

 

松山商店1

佇まいがいい。もうちょっと引きで撮影すればよかったと後悔しているが、広いお寺の境内の片隅にポツンだ。そこがいい。

赤い縁台がチラリと覗いているのもまたいい。あそこに腰掛けてお団子食べよう。

 

松山商店2

焼き団子といなり寿司だ。雅(みやび)な図でしょ。焼き団子は1本100円だったかな?ちょっと前までは80円ほどだったというから激安だ。

マイルドだが濃い味の醤油だれの焼き団子。地元のファンが多いというのも大いに納得だ。

 

 

ひとあし伸ばす

 

ここでは、大正浪漫エリアからさらに南側の「喜多院」までをこのように呼ばせてもらおうと思う。

 

喜多院1

古い町並みのワイワイガヤガヤした喧騒からは少し遠ざかり、静かなお寺を散策できたり、一転して車通りの多い幹線道路だったり…って感じの部分。

だけどもそんな中でも名店が見え隠れしているので、蔵づくりエリアから足を延ばしてみるのも面白いと思うんだ。

 

喜多院2

これからの季節は紅葉も綺麗だしね。

あなただけの川越を、ぜひ見つけてみてほしい。

 

「はすのかカフェ」のコーヒー

 

喜多院の目の前にあるカフェ。ここの駐車場に車を停めて町を歩き回っていたのだ。その際にオシャレな雰囲気のカフェが目を引き、入ってみたいと思っていたんだよね。

 

はすのかカフェ1

残念ながら店内の様子をご紹介できる写真は無いのだが、観葉植物にあふれたオシャレなカフェであり、ところどころにある流木オブジェがカッコよかった。

そしてお腹は満ちていたのでコーヒーのみをオーダーした。

 

はすのかカフェ2

晩秋に温かいコーヒー、心身ともに暖まる…。

このカフェは腸活をテーマにしていて、全粒粉とか玄米とか体にいいものを取り入れたメニューが中心だそうだよ。またいつか再訪してみたい。

 

 

「つぼ焼いも 平本屋」の焼きいも

 

ここは激渋で一発で気に入ったぞ、僕は。

 

平本屋1

つぼやきで作る焼きいも専門店だ。1949年創業なんだって。

大きな壺の中にサツマイモを吊り下げるように配置してじっくりと焼くことで、ホクホクになるのだそうだよ。

 

平本屋2

こうやって焼いたおいもは皮までおいしく、店主のおじいさんはひたすらに「皮も食べてね!」と繰り返していた。なんと身の部分の5倍も栄養があるらしい。

チャーミングなおじいさんで、記念撮影の際に女性陣の肩を抱く感じで割って入っていた。あと、僕自身はおいもを購入しなかったのだが、サービスで小さめのものを1つくれた。ありがたい。

 

平本屋2

昨今って甘くてねっとりした焼きいもがブームだそうだけど、これはホクホクで甘味が少なめ。僕は個人的にはそういうのが好きなのだ。だからこれ、最高。

 

…だが聞いてくれ。この記事を執筆するにあたって再度調べたところ、どうやら2022年から2023年にかけて閉店してしまった模様だ…。

なんてこった。戦後すぐから続く老舗なのに。こんなにいい思い出になっているのに。残念極まりない。もう再開はしないのかな…??

 

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群雄割拠する川越の町。

2024年も新しいお店が生まれているだろうし、その逆もしかりだ。

 

 

一度では語りつくせない、食べきれない超巨大エンターテイメント・ワールド。

あなたも秋の食欲を発散にし行ってほしいんだぜ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 小江戸川越
  • 住所: 埼玉県川越市幸町、他
  • 料金: 記事内の各店舗の項目参照
  • 駐車場: コインパーキングが各所にあり
  • 時間: 店舗によって異なるため、調べていただきたい…

No.409【石川県】踏ん張れ能登半島!断崖連なる景勝地の1つ「ヤセの断崖」を再訪したい!

能登半島、2024年は本当に大変な1年になっているよな…。元旦の大地震で大きな被害を受け、さらには9月の豪雨で各地が浸水した。

 

僕、2024年の春に能登半島をめぐるドライブをしようと思っていたんだよね。いつも春に走りまわることが多いので、日本7周目で再び訪れるのを楽しみにしていたんだよね。

しかし元旦の地震で計画を見送らざるを得なくなった。ニュースなどで目にする輪島の町や景勝地の「見附島」などの変わり果てた様子には胸が痛んだ。

 

この光景も、もう見れないのか…

僕が能登半島を訪問するのはまだもう少しだけ先になると思うが、大好きな能登半島から何か1つブログ記事を執筆したい。

そう考え、今回は「ヤセの断崖」・「義経の舟隠し」という隣り合う2つの断崖景勝スポットについて語ることにした。

 

 

能登金剛のダイナミックな海岸へ

 

あなたは"能登金剛"と呼ばれるエリアをご存じか。能登半島の西側(外側?)に当たる海岸線で、断崖絶壁や奇岩の連なる景勝地が目白押しなのだ。ここの各景勝地をちょこちょこ立ち寄りながらドライブするのがとても楽しいのだぜ。

 

機具岩

有名どころでは「巌門」かな。巌門はいつか個別の記事として執筆したい。

上の写真は能登二見とも言われる「機具岩」だ。ダイナミックで1枚の写真に収めるのがギリギリなスケールだぞ。

 

鷹の巣岩

標高の高い所から日本海を見下ろす「鷹の巣岩」もいいよねぇ。日本1周目からちょいちょい訪問しているお気に入りのスポットの1つだ。

他にも能登金剛を構成する景勝地は「関野鼻」・「福浦灯台」・「増穂浦」・「吹上滝」、そして今回ご紹介するヤセの断崖に義経の舟隠しなど、いろいろだ。

 

関野鼻

関野鼻は2007年の能登半島地震で大きく崩壊し、それ以降は原則立入禁止となってしまった。巨大な岩石が剥がれ落ちて海にゴロゴロと転がっている様子は恐怖だ。

僕はこの地震の前に一度だけ先端まで行ったことがある。とってもダイナミックで素敵な景勝地だったので残念な限りだ。

 

トトロ岩

そうそう、関野鼻の少し北にあり厳密には能登金剛エリア外なんだけども、「トトロ岩」というものもある。だが2024年の今回の地震でトトロの片耳が取れてしまったそうで、僕もショックを受けている。もうトトロには会えないのか…。

 

一方、ヤセの断崖も崩壊したのではないかとハラハラしていたのだが、なんとか景観は保っているらしい。もっとも、ここも2007年の能登地震では大きく崩壊したんだけどね…。

では、2007年より前の貴重な写真と共に、僕が訪問したヤセの断崖を振り返っていこう。

 

 

もともとはとってもスリリング

 

日本1周目、太平洋側に住み、まだ日本海すら見たことがない僕。学校の放課後に仲間と共に車に乗り込んで徹夜で走り、初めて日本海を見に行った先が能登半島であり、そのときにヤセの断崖も訪問した。

 

崩落前の断崖1

これヤッバい。高さ35mの海に迫り出した岩盤の上に立てるのだ。すごくスリリング。

実は手前にはひざ丈くらいの簡単なロープが張ってあり、『この先はヒビ割れているので入らないほうが無難ですよ。入る場合は自己責任ですよ。』みたいなことが書かれていた。

 

明確に立入禁止でないならば入ろう、無難な人生とサヨナラしよう、って感じでロープをまたぎ、岩場の先端まで行ってみたのだ。上の写真は同行した仲間だが、さすがに脇から見ていてもヒヤヒヤした。

 

崩落前の断崖2

ヤセの断崖は、古くは1961年に公開された「松本清張」原作の「ゼロの焦点」のクライマックスに使用されたことで全国的に知名度が上がったそうなのだ。

ゼロの焦点の舞台であることはこの日本1周目の訪問時から知っていたのだが、肝心なゼロの焦点のことを1ミリも知らない。2024年現在も知らない。

 

崩落前の断崖3

ただ、国内のサスペンスもののドラマや映画のクライマックスで、主人公と犯人が断崖などスリリングな場所で対峙するシーンって多かったみたいだけども、その原点がこれだそうなのだ。そういうのはみんなゼロの焦点のリスペクトだそうなのだ。

サスペンスものもほぼ見たことないからわかんないけど。

 

それでどうやら追い詰められた犯人はそこからダイブして自殺するエンドが多いらしく、ここヤセの断崖も自殺名所になってしまった。

だから2回目訪問時には『自殺する勇気があるなら生きてみろ!』という立て札もあった。

 

崩落前の断崖4

地震のちょっと前の訪問時。以前は簡易的なロープだったところもこのときは頑丈な柵になっており、断崖の先端までは行けなくなっていた。これは確か脇から撮影した写真だ。

そして2007年、能登半島地震が起きたのだな。

 

 

移ろいゆく時代と景観

 

2007年の能登半島地震からしばらく経ったタイミングで、久々に能登半島を訪れていた。

 

移ろいゆく時代と景観1

駐車場から展望スポットまで100m。ふーん、こんな看板ができたのか。とりあえず行こう。真冬でとんでもなく寒い上に雨で強風で、ビニール傘の骨は早速2本イカれてしまったよ。萎える。

 

そして看板に沿って100m進んだが記憶と全く違う場所で、マジに違う場所に来てしまったのかと勘違いした。

 

移ろいゆく時代と景観2

前に来たときと全然違うぞ。こざっぱりした展望台が出来ていて、スリリングな断崖がどこかに消えちゃっているぞ。そんで展望台の柵の向こうからピョコンと1本覗いている、あのアホ毛みたいな植物は何。

小雨が降る中、周囲をウロウロしてみたんだけども以前のようなダイナミックな景観は無い。

 

移ろいゆく時代と景観3

あぁ、そうか。思い出したよ。2007年の能登地震でヤセの断崖も先っぽが崩れ落ちたって聞いたっけ。今の今まで忘れていた。それで以前と違う景観になってしまったんだね…。

 

移ろいゆく時代と景観4

柵の向こうから下を見下ろすと、若干ではあるが迫り出した断崖の名残のようなものが見えていた。

初回訪問時、『岩に亀裂が入っている』という立て札があったことも思い出した。地震の影響でそこから崩壊したのだろうな…。

僕が今まで巡ってきた歴代の観光地の中でも、ここまで変化があったところは初めてかも。自然の力は恐ろしいと心から感じたよ。

 

移ろいゆく時代と景観5

ヤセの断崖の名前の由来は諸説あるけど、「断崖の上から下を覗き込むと怖すぎて痩せる思いをする」っていうのが有力だ。

かつては確かにそうだったろう。しかし今ではそれも失われ、名前だけが残るスポットとなってしまった。

 

移ろいゆく時代と景観6

ゴツゴツした岩肌がそのまま露出しており、そこを怖々と岩盤の先端まで歩いた地。そこもご覧の通り綺麗に舗装されて柵も付いた、安全で美しい展望所となった。

あぁ、春の夕日は心に沁みるなぁ…。

 

移ろいゆく時代と景観7

能登金剛の荒々しい海岸線。穏やかな東側の内浦と比べ、西側の外浦は波や風の影響でダイナミック。その海岸線が夕日に照らされて、より一層陰影が際立っている。

今までも何度も何度もちょっとずつ削られて崩落を繰り返し、そしてこれから先も長い歴史の中でかたちを変えていくのだろう。

 

移ろいゆく時代と景観8

僕らの知っている日本列島も、ずっとこのままではないのだ。1000年前と比べると細かいところでいろいろと形状が異なっているし、江戸時代と比べてもまた異なっているからね。

これからのドライブ人生、何度かはこういう場面に遭遇していくのかもしれないなぁ…。

 

 

歩いて義経の舟隠しへ行こう

 

このタイミングで義経の舟隠しという景勝地もご紹介したい。

 

義経の舟隠し1

ヤセの断崖からは海岸沿いの遊歩道を歩いて数分なのだ。僕の知る限りでは義経の舟隠しに固有の駐車場はないため、ヤセの断崖から歩いていくのがスマートなのである。

僕はここにも日本1周目から通っている。

 

義経の舟隠し2

ここは幅5m・奥行き100mほどの天然の入り江。

源義経」、平家を滅ぼした後に兄の「源頼朝」と政治絡みでなんやかんやがあり、育った地である奥州を目指して日本海側を逃げて行くじゃないですか。

その際ここいらで嵐に遭遇し、この入り江に48艘の舟を停泊させて身を隠したのだそうだ。この近所には、他にもいくつか義経や弁慶にまつわるスポットがあるらしいよ。

 

義経の舟隠し3

こんなところに嵐の日に48艘も船を入れて耐えられるのかどうかはちょっとわからないけども、なかなかに壮観な眺めだ。宮崎県の日向岬にある「馬の背」とニアリーイコールなビジュアルだね。

 

義経の舟隠し4

ここで夕日を見たこともあるが、最高だった。この入り江のシルエットが絵になって美しすぎた。

僕はここには何度か来ているが、自分以外の人を見かけたことがほぼない。静かに能登金剛の海岸を眺めるにはうってつけだ。

 

義経の舟隠し5

このときは春のとても穏やかな日。入り江への波も静かだった。

こういう1日の終わり方、最高。

 

義経の舟隠し6

一転、真冬の強風の日に来たときはヤバかった。既にビニール傘の骨を2本持っていかれているが、しっかり支えないとさらに2本くらい持っていかれそうだぜ。

 

能登日本海側は波が激しく岩礁に打ち付けられて発生する、"波の花"という現象がある。氷点下とかの極寒で強風の日にしか見られない光景で、純白の泡のようなものがそこかしこに溜まったり空中をフワフワと浮いたりするのだ。

このときはここでも他の能登金剛でも、その波の花を見ることができたよ。

 

義経の舟隠し7

義経ェーーッ!!」って思うほどの激しい波が入り江に出たり入ったり。これヤバいよ。こんなところい嵐のときにいたら、胃の中のものが全部出てきちゃうよ。

頑張れ義経、踏ん張れ義経って、時を越えて応援した。

 

 

再訪できる日に思いを馳せて

 

これは直近である日本6周目にて訪れたヤセの断崖。

 

移ろいゆく時代と景観9

2007年の能登半島地震からは10年以上が経過し、もう僕の中でもこの眺めがヤセの断崖として定着している。

しかし岩盤を先端まで歩いた思い出も、ちゃんと記憶の奥底に根付いている。

 

移ろいゆく時代と景観10

かつて駆け出しの旅人だった頃は、見るもの触れるものすべてが新鮮だった。

だけども何年も何周も日本を巡っていると、ちょとずつ装いを変える景勝地、閉店してしまうお店、人との別れも経験していくこととなる。それはこれからどんどん多くなるのだろう。

そういうのも含めて受け入れ、そして前に進まねばならないよね。

 

移ろいゆく時代と景観11

また行こう、能登半島。その日を楽しみにしている。

被災された方々は本当に大変だろうけど、他には無い能登の魅力や文化の復興を祈っている。ゆっくり焦らず無理をせず、復興の道のりを歩んでほしい…。僕もなんらかのかたちで応援します。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ヤセの断崖
  • 住所: 石川県羽咋郡志賀町笹波
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.408【福岡県・山口県】関門トンネルは海底を歩ける!気軽に九州と本州を行き来しよう!

日本列島はご存じの通り北海道・本州・四国・九州の大きな4つの島から成っていて、「離島航路整備法第2条第1項」に基づく定義だとこの四島が"本土”なの。

本州とほかの三島は橋なりトンネルなりで繋がっているんだけど、本州と九州の間は徒歩で海底を歩いて渡ることができるの。それを「関門トンネル」と呼ぶ。

 

 

歩行者用の海底トンネルって、世界的にも類を見ないすごく貴重なものなのだそうだ。

だから今宵は、本州の山口県側からと九州の福岡県側、両方からアプローチしたときの思い出を語ろうと思うのだ。

 

 

さてさて、今回のエピソードはほぼ全編アンダーグラウンドですぞ。

 

 

山口 ⇒ 福岡

みもすそ公園から海底へ

 

スタートは「みもすそ公園」だ。「関門橋」のほぼ真下にあり、歩行者用の関門トンネルである人道の入口にある。

 

みもすそ公園1

激しいテンションで海に向かって砲台が並べられているのだぞ。のっけから火力が高め。幕末の下関戦争のときに設置されたもののレプリカだそうだ。

 

みもすそ公園2

時代は全然違うけど、源平合戦のラストバトルの地でもある。源義経平知盛の両軍のエースが関門橋の下で対峙している様はメチャメチャかっこいいな。

あとは少し沖合の巌流島では宮本武蔵佐々木小次郎も決闘しているしな。下関ってバトル物の聖地なのだね。

 

上の写真、対岸に見えているのが九州福岡県だ。結構近いのだ。一番狭いところで幅はわずか700mという。

 

人道を歩く1

じゃ、九州まで歩こうか。

ところで最初に、この関門トンネルの人道を軽くご紹介しよう。多くの人はご存じかとは思うけど、本州から九州に渡るルートは複数ある。

1つは僕が今見上げている関門橋を渡る方法、もう1つは僕も過去に何度も通っている
関門トンネルを使う方法、そして裏技で船なんてのもある。

 

人道を歩く2

その関門トンネルなのだが、車道と人道の2種類がある。海の中のルートはほぼ一緒なんだけど、人間や自転車は入口も出口も車道とは別のところに設置されて、そこから出たり入ったりなんだ。

料金は歩行者は無料、そして自転車は20円。自転車は原付の人は、小さな料金箱が設置されているので各自その中にお金を投入するみたいだ。

 

今まで関門橋関門トンネルの車道も何度も使ってきたが、人道を使ったことは無い。大体今までの旅って「早く九州に渡りたいぃぃ!」って思っていたから、下関でゆっくりしている機会が無かったのだ。

なので今回あえての人道なのだ。車はみもすそ公園に停めてあるので、またすぐに戻ってくるけどね。

 

人道を歩く3

すごく無機質で金属丸出しのエレベーターで地下55mまで下る。

外観も中身もボタンもレトロな風合いで、小学校の頃近くにあったスーパーの上層部に住む友達の家に行くときに使ったエレベーターみたいだなぁと思った。

 

人道を歩く4

上りは「Gボタン」で下りは「Bボタン」なのだ。何の略?

口頭だとどっちもわかりづらいよね。「すみません、ギーボタン教えてもらえます?」みたいになって、「は?どっち?」ってなるよね。

ここに「Dボタン」を混ぜるとさらにカオスになるので、もし今後途中下車できる階層を設けるなら「D」にしてほしいな。

 

 

そして海底を九州まで歩く

 

はい、エレベーターで地下まで来たよ。

 

人道を歩く5

ちょっとしたホールがあった先に、九州まで貫く長い長いトンネルが口を開けている。対岸である九州側のエレベーターまで780mあるらしい。10分弱で山口県から九州福岡県まで歩けるってこと。

 

人道を歩く6

海底トンネルのスタート地点。人道だけども立派な国道2号。国道のオニギリ標識が誇らしげだ。

 

おぉ、結構人がいるな。ずーっと続いているトンネルを除いてみると、100人は余裕でいそうな気配だ。移動のためだけではなく、観光としても人気があるし、地元の人のジョギングコースとしてもよく使われているらしいよ。

ここから九州までは海底を780m歩けば到着できる。では、歩いて行ってみよう、九州!

 

人道を歩く7

バグったみたいに代わり映えの無い青いトンネルが続いている。まっすぐまっすぐ続いている。

レポートしようにもコメントに困る…。当然景色とか皆無だし。写真1枚貼っておけばそれが全てなのだ。

 

人道を歩く8

前半は緩い下り、そして後半は緩い登りになっている。中央部が山口県と福岡県の県境で、ここでは記念撮影をしている人も多かった。

 

僕の一人旅の身で会話相手はいないので、この変化の少ないトンネル黙々と歩くんだけど、子供たちはすっごいテンション高いのな。キャーキャー言いながら盆と暮れが同時に来たかのようにテンションマックスで走りまくり。最初から最後までクライマックス。

なんで子供ってトンネル内で走るの?声が響くから叫ぶのは理解できるけど、走るのはなんでだっけ??僕も過去走っていたが、もうその理由は忘れた。

 

3分九州1

はい、来たよ九州。徒歩だとおける範囲も限られているので、とりあえずは人道出口のすぐ目の前にある「和布刈神社」に来た。ここを九州最北端と定義づける人もいるよね。対岸にはさっきまでいた下関市のみもすそ川公園が見えている。

 

3分九州2

夜景の名所の「火の山展望台」も見えている。僕、あそこの夜景も3回くらい見たなか、確か。

出は戻ろうか。ちょっと付近を見渡したが、ここには店もないし立ち寄れそうな観光スポットも無い。でも今回の目的は九州ではないから、これでいいのだ。

九州に上陸していた時間はわずか3分。3分間九州。そして僕は再び歩いて人道を下関まで戻る。

 

 

福岡 ⇒ 山口

夜の和布刈神社を見上げつつ

 

少し月日は流れて、日本7周目をしている2023年。僕は再び関門トンネルの人道を歩くことにした。

 

夜の福岡から1

あのときゴールに定めた和布刈神社。今回はここがスタート地点。

夜の関門橋は、そりゃもうすごい迫力で、橋好きの僕としてはたまらない光景だったよ。ゴウンゴウン走る車の音で興奮する。

 

夜の福岡から2

時刻は21:20だ。なかなかのナイトタイムだ。さっき博多の屋台を満喫しすぎたツケがここに来ているな。

だが人道がクローズするのは22:00である。あと40分あれば余裕で山口県まで往復できるに違いない。行くぞ山口。

 

夜の福岡から3

ソリッドなエレベーターに乗り込む。時代は令和になったが、エレベーターは相変わらずなんだか昭和で止まっているようなデザインだ。でもそれがいい。そこがいい。

 

夜の福岡から4

今回ふと思ったけど、「G」は「Ground」・「B」は「Basement」の略なのだろうなって気づいた。「B1F」とか言うもんね。でも「B」って一文字だけ書かれると一瞬何のことだかわからなくなるし、対で「G」があるとさらにわからなくなったわ。

夜の福岡から5

ディストピアの世界の保育園みたいな地下ホールにやってきた。

大気が汚染されて外の空気は吸えず、太陽の紫外線は致死量で、生き残ったわずかな人類は温度管理が徹底された地下で細々と暮らすしかなくなった、呪われた未来の保育園だ。知らんけど。

 

夜の福岡から6

あぁ、まだ数人の人が歩いている…。ホッと胸をなでおろした次の瞬間、それを打ち消す不安がこみ上げてきた。

 

あの人たちって、たぶん片道切符だよな…。対岸に着いたらそれでゴール。方や僕は往復しないといけない。車を九州に停めているから、必ず戻ってこないといけない。

つまり僕は山口県まで行って初めて、ここに見えている人で言うところのスタート地点なのだ。今ここに人が数人いることは、何の安心材料にもならない…。

 

 

閉鎖間際の海底トンネルで

 

とりあえず急いで往復しよう。まだ35分あるのだ、充分なのだ。そのように自分に言い聞かせた。

 

人道閉鎖まぎわにて1

トンネル内には様々なイラストや説明書きが書かれている。あぁ、以前はパソコンが致命的にぶっ壊れたときみたいなブルースクリーンのトンネルだったが、いろいろペイントするようになったんだね。

でも見るヒマがない。見る余裕がない。チラチラと眺めながら早歩きする。

 

関門トンネル人道踏破おめでとう』とか書いてあったりするけど、始まったばっかだぜ。しかも最悪時間切れで海底に閉じ込められるぜ。ぜんぜんおめでたくない。

 

人道閉鎖まぎわにて2

そのうち説明が書かれたパネルはなくなり、クオリティが控えめな海底の絵がずっと続くことになった。ずっとこのテイストの海底。ただの青よりかはいいだろうが、これはこれで飽きが来そうな気がするな…。

 

人道閉鎖まぎわにて3

こうしてところどころに距離表示もしてくれているのがありがたい。

下関まで600mあるが、まだ時刻は21:27だ。33分もある。大丈夫大丈夫。トンネル内は閑散としていて、後ろを見ても進行方向を見ても、僕より後に海底に入って来たっぽい人はいない。今、対向からくる最後の人とすれ違った。でも間に合うはずなんだ…。

 

人道閉鎖まぎわにて4

しかし考えてもみてほしい。もしこの殺風景な海底トンネルに一晩閉じ込められることになったら。閉所恐怖症だったらきっと耐えきれないだろう。僕は閉所恐怖症ではないが、でも寂しくてきっと死ぬ。

例え時間ギリギリで下関に上陸してタイムオーバーになってもダメだ。なぜなら僕はこのあと大分港からフェリーに乗るのだ。このあとすぐに港に向かわないと家路につくことができないのだ。

 

人道閉鎖まぎわにて5

おっ、いよいよ県境か。またトンネルについて解説するパネルが増えてきた。

トンネルが中央部は下がっていて、でも逆に水抜き用のトンネルは中央が盛り上がっているのがわかる。海のど真ん中にいるんだなぁ。実感ないけど。

 

人道閉鎖まぎわにて6

本州って英語でMainLandって言うの、初めて知った。「他の三島に失礼じゃない?」ってちょっとだけ思ったけど、そもそも"本州"の"本"がMainっていう意味だね…。なるほど納得。

人道閉鎖まぎわにて7

県境を越えた。また28分ある。行ける行ける。

そして3・4分ほど歩いたときだ。ふいにアナウンスが流れた。『人道は間もなく閉鎖ー…』みたいなヤツだ。

 

戦慄が走った。ウソだろ、まだ23分はあるぞ。さすがにアナウンス早すぎないか?

そうだよね、アナウンスしてすぐ閉鎖したらリアルに取り残されちゃう人もいるもんね。今まさに海底に降りてきた人でも間に合うくらいの余裕をもって流しているに違いない。

つまりは片道分は充分に歩けるだろう。…だが、僕はこの後ほぼその1.5倍を歩かねばならない。本州側の地上まで出ようかなって思っていたけど、空気的にそれは厳しくなってきたな…。

 

人道閉鎖まぎわにて8

カメラをズームした。今、前方に唯一いるグループが本州側のゴールにたどり着くところだ。はい、おめでとう。

では、僕の後ろ側はー…?恐る恐る後ろを振り返る。

 

人道閉鎖まぎわにて9

 

ダ レ モ イ ナ イ …

 

 

たぶんダッシュで本州まで行ってUターンしても間に合うだろう。だが、既にこの段階で誰もいない状態にもかかわらず、それを実行するだけのメンタルは無い。不安すぎる。寂しすぎる。

1・2分葛藤したが、僕は九州側に帰ることにした。いいんだもん、前回はちゃんと往復できたからいいんだもん…!

 

人道閉鎖まぎわにて10

小走りで戻り、無事にゴール。

「上の写真、よく見ると遠くにまだ人がいるよ」って思うかもしれないけど、ごめんこれは歩き始める前に撮ったものだ。復路はマジに誰もいなくって、閉鎖のアナウンスばかりが延々流れて心細かったぞ。あなたが行くなら時間に余裕を持って行った方が、心臓に優しいぞ。

 

最後に鋼鉄のエレベーターでGボタン押して、それがちゃんと動いたところで本当に一安心した。でも面白かったな。

こうして僕は九州の旅路を終え、帰りのフェリーに乗るために大分県に車を走らせる…。

 

関門トンネルの車道も安いよ

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.407【長崎県】その井戸の中には大きなウナギが…!!樺島の古井戸を覗きに行こうぜ!

あなたが井戸に水を汲みに行くとしよう。

あ、「井戸で水なんて汲んだことねーよ」って思うかもしれないが、その場合は無理矢理脳味噌をタイムスリップさせてくれ。

 

あなたが井戸に水を汲みに行くとしよう。

井戸を覗き込むと、そこには体調2m近い巨大なウナギがグネグネしながら泳いでいた…。

 

 

恐怖だよね!!

僕なら水を汲むのも怖くなるし、その水を使うのも怖くなるし、夜は井戸のそばに行くのも怖くなるね。夜に井戸の中から「パシャン…!」みたいな水音が聞こえてきたら、もうダッシュで家の中に飛び込んで母親の布団に潜り込むね。間違いない。

 

巨大ウナギの住む井戸…。そんな井戸が実在するのだ。名前を「オオウナギ井戸」という。

長崎県の、橋で繋がった小さな島「樺島(かばしま)」。本日のお話の舞台はそこなのだ。

 

 

集落の狭路の先の井戸へ

 

2023年秋、僕は樺島を目指していた。長崎市の中心地から南へ南へと、半島の突き当り付近まで20数km進むことになるぞ。なかなかの距離。

 

樺島の集落の井戸へ1

あれが樺島なのである。実は初めての訪問ではないので「懐かしいな…!」って思った。

周囲7.5kmの小さな島である上、結構緑あふれて坂道の多い島であり、ほとんどの人は島の入口に当たる橋付近に住んでいる。

 

樺島の集落の井戸へ2

全長227mの「樺島大橋」を渡り、島へと入った。どうだい、島なのにかなり山深い印象でしょ?

丁寧に目指すオオウナギ井戸への標識が出ているので、それに従う。以前来たときは標識なくって心細くなりながら進んだ記憶があるな…。

 

そして上の写真、よく見ると「樺島灯台」を示す文字もある。

島の反対側、南端に立つ灯台だ。相当な狭路の峠道を越えていくことになり大変だぞ。前回は行ったが今回は辞めておくわ。

 

樺島の集落の井戸へ3

大きくて無料の観光駐車場があったのでそこに愛車を停めた。ここも前回は整備されていなかったな。ありがたい限りだ。

井戸はこの奥の集落の狭路にあり、とても車では入れない。仮に入れたとしても駐車できるような場所はない。ここから2・3分歩くのだ。

 

樺島の集落の井戸へ4

「レストランだいまん」の標識に従って歩けば間違いはない。伊勢エビトルコライスが名物なのだそうだ。そのワードに惹かれるが、まだ朝で開店前なので立ち寄ることはできない。

 

樺島の集落の井戸へ5

なかなかの狭路なのである。正面にそびえる山が、この島の緑豊かさを物語っているねぇ。すごい島。

しかし前回に比べて新しい家が増えてきているように感じる。着実に世代交代が行われているのかもしれない。

 

樺島の集落の井戸へ6

ゆるい坂道を登りながらどんどん奥へと進む。仮にこれが車であり、対向車が来たら確実に半泣きになる狭路だ。狭い上にクネクネなんだもん。徒歩でよかった。

 

樺島の集落の井戸へ7

レストランだいまんまで来た。

オオウナギ井戸はこの店の目の前なのでここより奥に僕は進んだことはないのだが、見る限りここから先は別次元にエグい道になっているね。Googleマップストリートビューで見る限りでは集落は基本上の写真で見えている部分で終わりで、あとは山深いクネクネ道がずーっと続いているようだ。

 

樺島の集落の井戸へ8

それでは本題、オオウナギ井戸だ。すごいでしょ、このエクステリア。

 

 

オオウナギ井戸を見学する

ウナギは井戸から水槽へ

 

目的のオオウナギ井戸。

 

オオウナギ井戸1

普通に一般家屋と一般家屋の間にある。敷地も家一軒分くらいだ。このチェーンのところに「売地」って書いてあった方がしっくりくるようなロケーションだが、オオウナギ井戸だ。

敷地は向かって手前側が井戸、向かって奥側が水槽小屋の2段構えの配置になっている。

 

雰囲気いいでしょ。こんなにもローカルな観光スポットはなかなかないぞ。ちなみに初回到達時の僕の手記には『福井県の「常神のソテツ」に匹敵するローカルさだ!』って書いてあった。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

常神のソテツが気になる方は、あとで上記リンクから飛んでいってほしい。

閑話休題

 

オオウナギ井戸2

まずは井戸を見ようぜ、井戸。オオウナギ井戸なんだから井戸を覗かずして何をするというのだよ。鉄格子の隙間から下を覗き込んでみた。

 

オオウナギ井戸3

薄暗くって空が反射してしまってなんも見えない。でもまぁいいのだ。なぜならば、この井戸の中にオオウナギはいないからだ。

「じゃあオオウナギ井戸じゃないじゃん」っていうツッコミを受けそうだが、その通りだ。ただ、以前は確かにこの井戸の中にオオウナギが住んでいたのだ。

2011年まで井戸に住んでいたオオウナギが死んで以降、井戸での飼育を辞めて隣の水槽で飼うことにしたそうなのだ。

アイデンティティを放棄してしまったか。しかしそれもまた人生。

 

オオウナギ井戸4

井戸の奥にある小屋、そこでオオウナギが飼育されている。井戸からほんの2mほどのk距離なのに、ご丁寧に「こちら」と書かれている。

 

オオウナギ井戸5

壁には「運勢うなぎ登り」と書かれたプレートと、顔はめパネルがある。これ、自分で壁から取り外して使っていいタイプなのだろうね。1人だからやらんけど。

しかしこれは果たしてウナギなのだろうか…。体長が短くってむしろナマズのようだ。なかなかに好みの別れそうなビジュアルをしているが、変にデフォルメされてゆるキャラ化されていないところが好き。

 

オオウナギ井戸6

そして主役のオオウナギだ。鉄パイプに入って1ミリも動かない。血圧を測るときの腕みたいになっている。パイプの長さはこれで正解?頭も下半身も出ちゃっているけど、ウナギ的にこれで快適なの?

 

オオウナギ井戸7

…というより残念なのが、頭が向こう側を向いてしまっている点だ。どう角度を変えようとも見えない。広角レンズ使ってももちろん見えない。

 

オオウナギ井戸8

精一杯のズームでこんな感じだ。

水槽は2つに仕切りで分けられていて、それぞれ1匹ずつ合計2匹のオオウナギがいる。それぞれ「うな子」と「チョロ」という名前がついているようだ。

しかしそのどちらも背面を向いていて顔を拝むことはできなかった。

 

 

ウナギはどうやってここに来た?

 

さて、先ほどはオオウナギについて、2011年までは井戸で飼育しており現在は水槽飼育だと書いた。ではこの2匹はどこからやってきたのだろうか?

どうやら正解は「他の場所で飼育していたものをもらい受けてきた」らしい。

 

歴代ウナギに迫る1

とはいえ、出身は遥か南国らしいな。日本まで泳いできて、そして捕獲されたのだろうな。チョロは『僕達樺島が、だ~い好き!』と言わされている。

1行目の「オオウナギ」の字の右側にきっと詳しいステータスが書いてあるのだろうが、にじんで消えてしまっている。知りたい。

 

歴代ウナギに迫る2

うな子は約30歳であり「田原ダム」で捕獲されたのだそうだ。

『私の名前をうな子って呼んでいるけど、本当はオスかもしれないのに…人間って、勝手よね。』って言っている。

 

それ以前に捕獲や展示している方に憤慨する方が先だと思うけどね。オスかメスかよりも、"うな子"っていう名前を付けた方に言及する方が先だと思うけどね。

「人間って勝手よね」とか「僕達樺島が、だ~い好き!」とウナギの気持ちを代弁しているかのような表記がすでに、人間って勝手よね。

この全方向から突っ込めるプレートが好き。

 

歴代ウナギに迫る3

この2匹は9代目のオオウナギ

そもそも初代はいつなのかっていうのはハッキリしていないそうなのだけど、大正時代に発見されたものを初代としているらしい。

 

そもそもオオウナギとは体長1.8mに達する巨大なウナギで、ここ樺島あたりが分布の北限地。1923年に天然記念物に指定され、集落の人々に長年見守られてきたのだそうだ。

 

歴代ウナギに迫る4

調べてみると、初代から6代目までは井戸の中に自然発生していたそうだ。島の中を流れる「田原川」がウナギの生息場所の1つらしい。

たぶんそれと井戸とがどこかで通じていたんだね。紛れ込んでしまった個体が井戸の中で大きくなったのだろう。

 

歴代ウナギに迫る5

ただ、7代目以降については前述の通り近くで捕まえてきた。9代目のチョロとうな子については井戸ではなく水槽で飼うようになった。

もう「オオウナギ井戸とは?」って感じだ。屁理屈を言いたい人にとっては「オオウナギの横に井戸があるだけじゃん…」とも思われかねない。

 

歴代ウナギに迫る6

まぁね。でも井戸も終盤は環境悪化の影響でオオウナギにとっては住みにくくなり、最後に井戸に暮らしていた8代目の「うな太郎」は、井戸を覗き込んでも滅多に見ることはできなかったらしいしね…。

そのうな太郎のお墓は水槽のさらに裏にある。大事に埋葬されている。

 

歴代ウナギに迫る7

でもさ、やっぱ井戸の暮らしていた頃のウナギの姿、ちょっと見たいよね。もう二度と見られないその光景。

…実は僕は見たことがあるのだ。では、2011年にお亡くなりになったうな太郎の時代にジャンプしよう!

 

 

かつて井戸の中に住んでいた姿

 

前方に、橋で繋がる小さな島が見えてきた。

 

うな太郎の時代1

あれが樺島なのである。朝の6時台のその島は、朝日に赤く照らされていた。実は初めての訪問なので「すごいワクワクするなぁ…!」って思った。行ったことの無い地に足を踏み入れるのはドキドキだもんね。

 

うな太郎の時代2

全長227mの樺島大橋を渡り島へと入った。アドリブで道を進んでいくと、オオウナギ井戸を示すの立て札があったので道が正しかったと確信できた。

 

民家に囲まれた空き地みたいなところが駐車場なのか?雑然としていてよくわからんのだ。しかし狭路であろう集落の中に車で突撃するのはリスキーすぎると判断した。

すぐ近くではおばさんが洗濯物を干していたりして、なんだかここにいていいのやら
悪いのやら。そんなすごいローカルな雰囲気なのだが、とりあえず空き地に車を停めた。

 

うな太郎の時代3

ボロボロの看板ではあるが、どうやら空き地を駐車場として使ってよかったらしい。ではここから狭い民家の路地裏を歩いて井戸に向かおう。

 

うな太郎の時代4

シニアカーのおばあちゃんと、ゆっくり歩いているおばちゃんが前方にいる。僕はおふたりに警戒心を与えぬよう、一定距離を空けてゆっくりゆっくりとついていった。

 

数分歩き、その井戸を発見た。普通の民家と民家の間にあり、うっかり通り過ぎるところだった。

でも、よくよく考えてみればそうだよな。この井戸って別にウナギを飼うためのものではない。生活のために使っていた井戸に、いつの間にかオオウナギが住み着いていたのだ。もともと観光スポットでもなんでもない。こういう場所にあってしかるべきなのだね。理解。

 

うな太郎の時代5

案内板によれば、ここに住んでいるウナギの名前はうな太郎。近年はこの井戸のウナギは環境悪化のせいで姿を現すことはめったになくなったそうだ。

見えるかなー、太陽が反射して見にくいぞー。肉眼ではよくわからないので、鉄格子の隙間からカメラのシャッターを押してみた。

 

うな太郎の時代6

写ったーー!!これがうな太郎!!

めったに姿を現さないというオオウナギが偶然に撮れた!しかもいい具合に頭の部分が水面の反射を免れていた!

うな太郎は体長170cm・体重14.8kg・胴回り47.5cmあるという。バケモンだぜ、なんてビッグスケール…!

 

うな太郎の時代7

井戸の奥には簡素な小屋があり、『オオウナギこの内です』と書かれている。

しかしまだ早朝だからか窓部分と思わしきところが施錠されていて何も見られないし、なによりオオウナギは井戸の中にいたのだから小屋を覗く必要もない。目的は達成できたのだ。

大満足!ではついでに樺島灯台に行こう!!

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

これは、うな太郎が亡くなる数ヶ月前の物語。

 

樺島のネコ1

今でこそ井戸から水槽に住処を移したオオウナギであるが、ちゃんとした環境で、正面にあるお店だいまんのスタッフさんの手によって飼育されている。きっとウナギたちにとってもこっちの方が幸せなのであろう。

 

樺島のネコ2

静かでのどかなこの島には、今もオオウナギの稚魚が住んでいる。この環境をこれ以上壊さないように、みんなで守っていきたいものだね。

 

オオウナギ井戸とだいまん

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.406【兵庫県】とろとろふわふわ!創業66年の老舗明石焼き屋「ふなまち」が大好きだ!

今夜は明石名物の明石焼きについて語ろうか。

なお、現地の言葉では"玉子焼き"なのであるが、当ブログではわかりやすく"明石焼き"と呼ばせていただきたい。

 

さて、明石焼きとは何なのか。ひとことで言うと「ダシで食べるたこ焼き」みたいになるのかもしれないけど、個人的にはその表現はたこ焼きにも明石焼きにも失礼に当たってしまうほどにそれぞれ違う良さがあると思っている。

 

「いまい」

確かに見た目はたこ焼きっぽいが、以下のような明石焼きならではの特徴がある。

  • ダシにつけて食べる
  • 小麦でんぷんを使うのですんごく柔らかい
  • 頑張って丸めようとせず、半球状
  • タコ以外の具材は基本入らない
  • まな板みたいなプレートで提供される
  • 1人前がやたら多い

 

「いずも」

もちろんそれぞれのお店に特徴があるのだが、いろんなお店を巡って違いを楽しむのもまた面白いのだ。

僕は日本1周目のときに初めて明石焼きを食べて感動し、以来いろんなお店を巡った。たぶん20店舗くらい。片道600kmほどを走り、3ヶ月に1回くらいの頻度で食べに行った。

 

「まるまる」

気に入ったに何度も行ってるけど、それでも延べ20店舗くらいは訪問しているかなぁ…。

その全部をご紹介したくってウズウズしているのだが、それをやっちゃうと僕もあなたも食傷気味になっちゃう。だから今回は厳選して1店舗のみ。

 

「喫茶・軽食 ヨシダ」

それがどこかというと、「ふなまち」だ。ご存じの方、今「うおぉ!」って言ったでしょ。明石焼きの老舗、レジェンド中のレジェンドだ。

そして僕が初めて食べた明石焼きのお店なのである。

 

 

旅の初心者、明石焼きに出会う

 

遠い遠い昔、日本1周目をしていた頃。

大学の先輩の「DIME」が西日本一周の車旅をしているというので、僕自身の空いた日程を見計らってちょっと応援しに行くことにした。

 

明石海峡大橋」を渡って本州から四国に渡る予定が近づいているとのことなので、「四国に渡られると追いかけるのが面倒だから、その直前、つまり明石の町で待っていてくれ。そんで2日間だけ一緒に遊ぼう」と伝えた。

明石の町に何か目的や思い入れがあったわけではない。上記の通り、ただただ海を渡る前にDIMEを捕まえたかっただけだ。

 

1人、夜通し数100km車を飛ばして明石の町に到着し、朝にDIMEと合流した。お昼はせっかくだから2人でうまいものでも食べようってなった。

明石焼きが名物だと聞いたことあるな」・「どっかいい店ないかな?コンビニでガイドブックでも見て探すか?」ってなった。当時はね、スマホ無い時代だったしアナログで確認する方がお互いに慣れていたの。時代だね。

「近くにあるふなまちというお店が有名らしい」という情報を獲得。早速そこに向かって食べることにした。

 

ふなまち、初訪問

小さなお店だがすんなり入ることができ、そして明石焼きの驚愕のとろふわ具合に感動した。感動しすぎて翌日もう1店舗老舗訪問したくらいだ。

さらには僕とDIMEは「明石っていい町だな!他の仲間も誘ってまた旅行に来よう!」ってなり、その企画は3ヶ月おきに2年ほど続いた。ふなまちにも何度か来た。

 

「いまい」も大好きだ。ふなまちの翌日に行った

当時のふなまち訪問時の具体的な味の記憶はあまりない。しかし乳児のときの記憶が無くても親から愛されていればその後の人生や親との関係性に関係するように、僕と明石焼きの関係も良好なのがそれを物語っている。

 

明石の町のもう1つ狂おしいほどに好きなポイントには世界一の長さの吊り橋である明石海峡大橋があるのだが、これについて語り出すと寝不足になっちゃうので、いつか独立した記事に執筆しよう。

 

 

2024年、久々のふなまちへ

超行列店だぞ、油断するなよ

 

日本7周目の2024年。春ではあるがまだまだ寒い小雨の中。僕は明石の町にやってきていた。

 

明石城

明石城跡が懐かしい。日本1周目~2周目で明石焼き屋めぐりをしていた当時、その合間に散策したりしたよなぁ。そのときのメンバーが今とても身近にいるのだが、一緒にここを歩いたことなんてもう覚えていないだろうなぁ。

 

明石の町1

…と、こんな風に書くとすごく久々に明石の町に来ているように思われてしまうかもしれないが、そんなことはない。日本1周目から6周目までまんべんなく来ている。

むしろ年1回に近いペースで明石海峡大橋を眺めている。

 

明石の町2

ただね、ふなまちはすっかりご無沙汰だったのだ。日本2周目以来来ていない。

なぜなら初回訪問時から2・3年ほどたった時点で相当な有名のため、数10分~1時間待ちなどがざらだったからだ。その待ち時間までを旅の行程に組み込むことは当時の僕らには難しく、ふなまちはチラッと覗いては諦めるお店となってしまっていた。

 

明石の町3

明石の町は懐かしくないが、初回にDIMEと「明石焼きってどんなのだろう?」って反しながらふなまちを目指したときのことが懐かしいのだ。久々に1人で向かう僕の心は、なんだか当時に戻ったかのようだ。

 

ふなまちに並ぶ1

これは退店後に道路の向かいから撮影したものであるが、これがふなまちである。あぁ懐かしい。歩道全体を覆うお店のひさし。そうだった、こうだった。

 

週末は2時間以上並ぶことも多いと聞いているので、平日の10:30開店より少し前くらいに来れば大丈夫だろうと考えたが、数分遅れた。

僕の前に待っている人は3組だった。まぁ上々であろう。

 

ふなまちに並ぶ2

歩道沿いにはロープが張られている。以前はこういうの、なかったな。そして10mくらいの場所には『このあたりで待ち時間は2時間位になります』と書かれていた。恐ろしい話よ…。

以前から有名だったが、こんなにも並ぶお店だっけ…?

 

ふなまちに並ぶ3

そもそも明石焼きって、近所の人が気軽に来てファストフード感覚で食べたり持ち帰って家でのんびり食べたりするものだった気がするけど。

だから僕が明石焼きめぐりをしていた頃は、食べていると頻繁に近所の人がテイクアウトでやってきていたけども。この行列ではそれも困難だよなぁ、きっと。知名度が上がって観光客がすごく増えたのかなぁ?

 

ふなまちに並ぶ4

お店の前から見た、2時間待ちのコーンまでの距離はこんな感じ。一見すると大した距離じゃないかもしれないが、お店のキャパが少ないのだ。

テーブルは2つ、うち1つは2人掛け。もう2つは4人掛けで、2人ずつを区切るパーティションがある。つまりは最大6人入れるのかな?従い回転率が良くはない。明石焼きのみならずお好み焼きなども時間差でオーダーしたり、お酒飲んだりしたら結構な長居になっちゃうだろうし。

 

結論から言うと、僕は店内滞在時間は20分ちょいだった。さっさとオーダーして焼き上がりを待って、1人で黙々と食べて20分ちょいだ。

複数名での訪問であれば30分はかかるだろう。つまりはテーブル3卓で1時間6組しか捌けない。そう考えると2時間待ちは普通かもしれないね。

 

ふなまちに並ぶ5

10:50、続々と人が並び始めた。ファミリー層も多く大人気だ。ここから並ぶ人は相当待つことになるのだろうな…。

10:55ごろ、店員さんから声がかかり中に入れることとなった。それでは突撃!!

 

 

とろふわの衝撃は今も昔も

 

ついに暖簾をくぐるときが来た!あえて何年ぶりとかって書かないが、相当久々だ!懐かしくって泣きそう!!

 

明石焼き1

席に着くとノールックで玉子焼き(明石焼き)をオーダーした。決まってるだろ、そんなもん。

2人だったらもう1品頼むことも可能だが、1人だと明石焼きだけでいっぱいいっぱいになるんだからな。覚悟が必要。

 

明石焼き2

そしてその後ゆっくりメニューを見た。明石焼きは20個入りで750円だ。最初にDIMEと来たときは500円を切っていたかもしれないが、相変わらずすごくお得な価格設定だ。

他にはお好み焼きやモダン焼きがあり、大阪チックなメニューが並ぶ。

 

明石焼き3

僕の席からの眺めはこんな感じだ。厨房と客席の境界がほぼないオープンワールド的な世界だ。そして2人の店員さんが一心不乱に明石焼きを焼いている。

ちなみにお好み焼きなどのオーダーが入った際には中央の大きな鉄板を使って調理をする。

 

明石焼きの特徴は、千枚通しでタコをひっくり返すのではなく、菜箸を使う点だ。そして焼きあがったら1つ1つをピックアップするのではなく、鉄板にまな板をかぶせて鉄板ごとひっくり返す。

 

明石焼き4

なのでご覧の通り鉄板の並びがそのまま、まな板の上に再現される。

はい、出来上がりましたねー、美しいですねー。右側にスタンバイしているのがダシ汁だ。少し温かい状態で提供される。これに浸けて食べるのだ。

 

明石焼き5

口入れたとたん、「じゅわーっ!」って感じで強烈なうまみが口中に広がる。とろとろで優しく、歯を使う必要が全くない。アツアツなので「ほ、ほわぁ…!」って小さく声が出る。うますぎる。うまみの爆弾だ。思わず口角が上がる。微笑みを抑えられない。

玉子を多く使っているので地元では"玉子焼き"なのだ。玉子の風味がさっぱりしただしの中にも濃厚な味わいを演出してくれている。絶妙。

 

明石焼き6

箸でギリギリ持ち上げられるくらいの柔らかさ。口に入れると溶けてなくなってしまうような儚さ。しかしタコの歯ごたえがプリップリ。なのでポンポン食べられてしまう。うまいうまいとつぶやきながらどんどん食べる。

 

ただ、ソースは使っていないとはいえ、そこそこ塩分あるよね。水もガブガブ飲む。後ほどの話だが、退店後にも水をガブガブ飲んだほどだ。それでもうまい。それがうまい。

 

明石焼き7

半分食べた。なかなかに胃に溜まってきた。

年季の入ったまな板には、明石焼きの残影が残っている。何千回も何万回も、きっとここに明石焼きを乗せてきたのだ。ふなまちの歴史がここに刻まれている。

 

明石焼き8

ちゃんと完食した。最高の満足感だ。

江戸時代後期に生まれた明石焼き。たこ焼きよりも歴史の古い明石焼き。それを提供するふなまちは創業66年だ。すごい老舗なのだ。

 

退店1

歴史あるこのお店をまた再訪できて心から嬉しい。

しかも僕のドライブの原点に近いところにいるお店だものな。僕が証を好きになったきかっけの1つであるお店だものな。これからも長らく続いてほしいね。

 

退店2

退店すると行列は一気に伸びていた。

みんなこの味を求めて長時間並ぶのだ。その理由も納得だ。僕もまたいつか、忘れたころに再訪しよう。ここに帰ってくれば、懐かしい仲間との思い出にまた浸れるから。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ふなまち
  • 住所: 兵庫県明石市材木町5-12
  • 料金: 玉子焼き¥750他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 10:30~17:40(木曜・金曜定休)

 

No.405【富山県】日本最高所を航行する「遊覧船ガルベ」はあと2ヶ月で廃止!ありがとう!

立山黒部アルペンルート」。

世界有数の山岳観光ルートであり、さまざまな乗り物を乗り継いで長野側と富山側を行き来できるようになっている。僕も何度か訪問し、全線攻略済みだ。

 

 

上記は以前、黒部峡谷ロッコ鉄道の記事にて使用した立山黒部アルペンルート近辺の地図である。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

トロッコ列車観光に興味がある方は、上記のリンクから過去記事を辿ってみてほしい。ひとことで言うと僕がトイレをガマンする記事なんだけどな。

でもそれ(トイレの話)はさておき、2024年はアルペンルート近辺にとって激動の年になっているのではないかと思う。

  1. 日本最後のトロリーバス廃止
  2. 黒部湖遊覧船ガルベの廃止
  3. キャニオンルート(2024年新エリア)の開放の次年度延期

 

最後のトロリーバス

「1」については悲しいけれども時代の流れだ。よりエコな電気バスになる。

「3」については今年の元旦に生じた能登半島震源とする大地震の影響が大きい。

「2」については…。それを今回、思い出と共に語ろうか。

 

 

何もかもが最高すぎる1日

 

先ほどトロリーバスの廃止について触れたが、実は2018年まではトロリーバスアルペンルート内に2つあった。「扇沢黒部ダム」の間を結ぶ、現在は電気バスとなっている区間だ。だからこの年も"トロバスラストイヤー"と呼ばれていた。

 

さて、本題のガルベの話に入る前に、駆け足でそこまでの経緯をお話ししよう。

 

トロバスラストイヤー1

朝の6時台の長野県扇沢駅である。ここからアルペンルートが始まる。もう期待で胸がいっぱいだよ。

こんなにも晴れているんだもん。そして、栄光ある1便のチケットを昨日Webのキャンセル待ちで偶然にも入手できたんだもん。

 

1便と2便では行程に大きく差がある。ほぼ誰もいないスッカスカの黒部深部に足を踏み入れ、なるべく早く最高標高ポイントの室堂に行かないと、各交通機関ドチャクソに混雑してしまうのだ。

 

トロバスラストイヤー2

7:30に扇沢駅を今は亡きトロリーバスで出発するチケット。2024年現在も僕の宝物だ。右側には1996年まで活躍した先代のトロリ―バスがプリントされている。

 

トロバスラストイヤー3

トロリーバス。名前もバスだし姿もバスっぽいけど、ジャンル的には電車だ。無軌道、つまりは線路を走らないタイプの電車だ。その証拠として電車と同じように屋根の上から絶えず電機の共有を受けているのだ。

トロリーバスで暗いトンネルを通過し、長野県から富山県黒部ダム手前まで行った。

 

トロバスラストイヤー4

とにかくどの写真も最高すぎるので、それらを全部掲載したら切りがない。なので厳選して数枚だけ掲載する。これらはいつか機会があったら「黒部ダムの記事」・「黒部平の記事」・「室堂の記事」…みたいな感じに分けて執筆したい。

 

ひとまずダイナミックな黒部ダムを横目で見ながら小走りで通過し、行列しやすいケーブルカーにサクッと乗車。

さらには黒部平をチラリと眺めた後に最大のボトルネックとなるロープウェイに乗車。この時間にここまで抜ければあとは大丈夫かな?

最後に2024年廃止となるトロリーバスに乗り、最高所の室堂に到達した。

 

トロバスラストイヤー5

7月の下旬、世間では災害級の猛暑と言われていたが、こんなにも涼しくて雪も残っている。「みくりが池」などゆっくり眺めながら散策した時間は至高だったぞ。

これまでも室堂には何度か来ているが、こんなにも晴れ渡ったのは初めてだ。一生大事にしたい思い出。

 

トロバスラストイヤー6

そして昼前に下り始めれば、対向はギュウギュウの行列だがこっちはスカスカよ。スイスイと帰路に就く。帰路につきながら前半にすっ飛ばした黒部平や黒部ダムをじっくり観光するのだ。

 

トロバスラストイヤー7

黒部平ではランチもしたしソフトクリームも食べた。心も体も大満足だ。

そこからさらに下って黒部湖と黒部ダムのエリアまで来た。ここからトンネルを抜けると長野県の扇沢駅になるので、ここが最後の観光ポイントなのである。

 

さぁ、ダム見学と…湖を遊覧するガルベに乗ろう!!

 

 

日本最高所の遊覧船ガルベへ

 

さて、遊覧船ガルベが航行する場所についてご説明しておこう。

 

ガルベに乗ろう1

冒頭のMAPを再掲した。黒部ダムによって形成されている黒部湖、そこを走るのが遊覧船ガルベなのだ。この湖面の標高はダムの満水時で1448m。日本一高いところを航行する遊覧船だ。楽しみ。

しかも上の図で示した乗り物はほぼすべて(観光も兼ねているとはいえ)移動のためのものであるが、ガルベだけは観光用に全振りしている。純粋に楽しむだけの時間があるって贅沢よ。

 

ガルベに乗ろう2

黒部湖のイメージがわかる写真をもう1枚。

誰もが見たことあるであろう黒部ダム。それを見下ろす展望台にヒーヒー汗をかきながら登ったときのものだ。時系列は前後するが、ガルベ乗船後のもの。

余談だが朝一はトロリーバスを降りた後に写真の左端から出てきて、ダムの堰堤を早歩きで横断し、写真右奥からケーブルカーに乗った。

 

向かって左側、広大な湖が黒部湖なのである。これを執筆時に気付いたのだが、湖の中央に小さな船がいるね。これ、ガルベ?

 

ガルベに乗ろう3

…というワケで高低差の大きいアルペンルートにおいて、ガルベは黒部ダムと同じ高度のエリア。

だけどもちょいと乗り場が離れているんだ。多くの人はこのエリアを「トロリーバス黒部ダム~ケーブルカー」というように歩いているが、そこから少し反れてトンネル内を歩かねばガルベの乗り場には到達できない。

 

ガルベに乗ろう4

だけどもさ、ディズニーランドとかにもこういう乗り場が袋小路的なアトラクションがあるじゃない。返ってワクワクする。

ディズニーランドだったらこのあたりで「あと90分」みたいなプレートが出てたりすると思う。でもここはスッカスカ。

 

ガルベに乗ろう5

わかる?赤丸で囲ったとこが黒部ダムの裏側。写真映えするのは反対側の水を大量放出しているところだけど、これはその背中部分の水を必須に貯蓄している部分だ。

写真左端に小さな滝が見えているのもなんだかほっこりするね。ガルベに乗るだけではない、ガルベに乗る人しかほとんど見ないような、こういう黒部の別角度が見られるのも嬉しいじゃないか。

 

ガルベに乗ろう6

ガルベの乗り場が見えてきた。その背後には先ほどと同様、黒部ダムの堰堤が見えているね。お客さんはそんなに多くは無さそうだ。余裕で乗船できるぞ。

ちなみにだがガルベは1日8便、9:35~15:00まで40分から1時間間隔で航行している。乗る際にはちゃんと時刻を調べておくとよいよ。僕は13:00の便に乗った。

乗船時間は約30分で、料金は1200円だ。

 

ガルベに乗ろう7

これは下船時の写真。小さな船で店員は80名。

スペースは2種類ある。1つは屋内でちゃんと座席に座り、天井まで設置されている開放的な窓から景色を眺める方法。もう1つは船の後部が2階建てになっているのが見えると思うけど、このふきっさらしのスペースに立って臨場感を味わう方法。

僕はもちろん後者なのだぜ!座っている場合かよ!

 

 

開放感抜群のガルベとお別れ

 

2024年6月、ガルベの運行終了が発表された。とても悲しい気持ちになった。

背景などをご説明しつつ、航行写真をお見せしていきたい。

 

ガルベの航海1

なぜガルベは廃止されてしまうのか。その理由は大きく2つある。1つは乗船客の減少、もう1つは船自体の老朽化なのだそうだ。

まぁ確かにすんなり乗船できたし、展望デッキもご覧の通りスカスカだったしな。おかげさまで自由気ままに動き回り、いい写真をたくさん撮れたしとっても気持ちのいい航海だったぜ。

 

ガルベの航海2

絶景すぎる。もちろんどこから見てもアルペンルートの景観は最高なんだけど、水面スレスレの位置から船に揺られながら見る山々って独特なのよ。こんな体験がもう今後できないなんて、寂しすぎる。

 

ガルベの航海3

ガルベの運行は1969年にスタート。現在のガルベは2代目で、2000年から導入しているのだそうだ。

2003年度には約5.5万人が乗船したそうだけど、団体客の減少などから2023年度はわずか1.8万人だったらしい…。やっぱコロナの影響からの回復も大変だったのかな…?

 

ガルベの航海4

もう1つは先ほど記載の通り船の老朽化であり、エンジンのメンテナンスのための部品調達も困難になってきたそうだ。

全く新しいデザインで1から造ればそんな悩みも無いのだろうが、もう1つの原因である利用客の減少のあり、そういうコストは捻出できないのであろう。

 

ガルベの航海5

でも決して観光客が減っているわけではないと思うんだけどな…。アルペンルートは国内では類を見ない大規模山岳観光で、いろんな乗り物に乗れる楽しみがある。

冒頭で書いた通り黒部峡谷のトロッコから黒部ダムまでを繋げる「キャニオンルート」も2025年度に観光化されるというし、さらに注目が集まっていると感じる。

 

ガルベの航海6

にもかかわらずガルベが引退してしまうのは、やっぱ交通手段ではないことと、乗り場が少しルートから離れていることが原因じゃないかなぁと思うんだ。

プロモーション次第ではもう少しどうにかなるかもしれないし、観光客もこうやってゆっくりプカプカする時間の余裕を捻出できればな…て思うよ。いや、いつもはせわしなく走り回る僕が言うのは全くもっておこがましいんだけどさ。

 

ガルベの航海7

終盤、短い間だが座席の方にも座ってみた。廃止されることを考えれば、貴重なワンシーンを撮影できてよかったと思っている。

なかなかにギュウウギュウだな、こっちは。みんな屋内が好きだったのだ。

 

ガルベの航海8

屋内は天窓からギャンギャンに光が降り注ぐので、温室のように暑い。むしろ外の方が爽やかで気持ちいいと思うのだがね。だけどもこの窓枠越しの世界もいいよな、とは思う。

 

そんなこんなで30分、およそ1.5kmの航海を終えて元の船着き場へと戻った。楽しい時間だった。船の観光っていいよね。独特の感覚。

 

ガルベの航海9

さて、ガルベの運行は2024年11月10日が最後である。55年に及んだ歴史の終幕まであと2ヶ月を切っている。

ラストイヤーということもあり、週末は大体満員が続いているそうなのであなたがもし行こうと思っているならば、計画にゆとりをもって行ってほしい。

 

僕はもうガルベに会うことは叶わないが、最後まで安全かつ楽しい航海が続くことを祈っている。

 

そのあとカンパ谷の吊り橋を見た

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 遊覧船ガルベ
  • 住所: 富山県中新川郡立山町
  • 料金: ¥1200
  • 駐車場: なし
  • 時間: 9:35~15:00にて8便

 

No.404【大分県】セルフ操作のケーブルカーで超巨大な砲台の中へ!「丹賀砲台」スゲー!!

九州本土最東端の岬である「鶴御崎」のちょっと手前には、「丹賀砲台」という砲台跡地がある。

ここがすごいのだ。この砲台はあなたの想像する3倍くらいの大きさがあるのだぞ。しかもその丘の上の砲台内部に行くにあたり、小さなケーブルカーを自分自身でスイッチ押して操作して向かうのだ。ワクワクするだろ?

 

 

もったいぶってもしょうがないので最初にネタバラしするとな、これが砲台のイメージ図だ。さすがに戦争当時のものなので大砲そのものはないんだけど、大砲をねじこんでいた地盤が残っているのだ。

上の図のネジ穴みたいな部分。"あなたの想像する30倍"って書いたけど、実際に写真に撮るとどうなるかというと… ―

 

 

このくらいにデカいのだ。町1つ消し飛ぶんじゃないかってくらいの火力を出せるんじゃね?震える。

こんな貴重なスポットを、スタッフさんの丁寧な解説までついて200円で見学できるんだぜ。これをお得と言わずして何がお得か。200円なんて、ミニケーブルカーの乗車代で取られてもよいレベルなのに、ここまでいろいろ楽しめるとは。

 

 

じゃあ、昨年である2023年に訪問した記録をベースにしつつも、過去2回の訪問写真をミックスしてお届しよう。

 

 

ユニークすぎる駐車場にて

 

鶴御崎へと続く県道604号…。

 

砲台訪問1

知ってさえいれば、岬の先端を目指す道すがら砲台跡に被せられた丘の上のドームの存在に気付くはずだ。あのキラキラと光る銀色のドームに。

 

砲台訪問2

今でこそただのドームではあるが、在りし日にはあそこに砲身が取り付けられていたのだ。とんでもなく大きなキャノンだ。

ここは九州最東端の地。つまりはあれは、四国と九州の隙間にある豊予海峡を望む丘。瀬戸内海に侵入する船を見張り、いざとなったら一発ブチかますための大砲なのだ。

 

砲台訪問3

さらに数分走ると砲台への分岐が現れる。トンネルの手前に『悲劇の巨砲 豊予要塞跡 丹賀砲台』という看板がいきなり出てくるのだ。

初回はこの丹賀砲台の存在すら知らなかったので、いきなり出てきた看板に驚いて「えぇー!?灯台!?じゃあ行くーー!!」って0.1秒で判断してハンドル切ったよ。迷う時間は与えてくれない看板配置。

 

砲台訪問4

狭くてやや荒れた道を50mギャリギャリと進むと、砲台との敷地に入る。

するとすぐ脇にスタッフさんの事務小屋があり、「車はあちらへどうぞー!」とにこやかに声を掛けてくれるのだ。1回目はおばあさん、2回目はおじいさんだった。どちらもとてもいい人だった。

 

2023年訪問時には「あちらの白線のところに停めてくださいねー」と言われた。以前は無かった白線が駐車場に引かれたらしい。

 

砲台訪問5

ハンドルを握りしめ、僕は「ワケわかんねーよ…」とつぶやいた。

何この白線。かたちが変だし大きさバラバラだし、どこにどのように車を停めればいいんだよ…。ひとまず写真左奥のあたりが一番きれいな四角形なので、そこに愛車を停めることにした。

 

砲台訪問6

「ようこそー!」みたいなテンションで近づいてくるスタッフのおじいさんに「白線がチグハグでよくわかんなかったのですが、この停め方であってます?」って聞いてみた。

 

おじいさんは「ふふふ、ユニークでしょ。TVに取り上げられたこともあるんですよ。」と言っていた。

ちなみに律儀に白線を守って駐車しなくてもいいらしい。そういや「白線の中に停めて」とは言われなかったけどなぁ…。

 

そしてネタバラし。この白線は駐車区画を現したものではない。かつての砲台の大きさを実感してもらうためのものだ。おじいさんはそのように解説する。

 

砲台訪問7

待て待て待て待て…。

えっとこっちから白線を眺めて…。なるほど全容がなんとなく見えて来たぞ…。しかし僕の身長ではここまでが限界だ。ここから先はGoogleマップ衛星写真のお力を借りて…。

 

砲台訪問8

うおぉぉ、砲台だぁーー!!

 

ちなみに青い四角で塗ったのは、僕の愛車が停まっている様を現してみたからだ。そのくらいの大きさなのだ。大きすぎる!!

 

砲台訪問9

基礎部分だけで直径21m、深さ12.8m…。

ということは深さはビルの4階分あり、直径は25mプールに少し届かないくらいの規模間なのだ。そんなものが、戦争時代にこの丘にあったのだ。

 

 

ケーブルカーで砲台に登れ

 

おじいさんは駐車場にて僕にいろいろとこの丹賀砲台の歴史やスペックを説明してくれた。10分くらい話していた。

しかしそれをここで全部書いては記事のバランスが崩れてしまうので、見学しながら小出しに記載することとしよう。

 

ケーブルカー1

それではいよいよケーブルカーで砲台まで登る。そのケーブルカーは駐車場脇のこのドアの向こうにあるのだぞ。

これも当時の軍事施設の名残だ。ここからベルトコンベアーで砲弾を上まで運んでいたらしい。

 

ケーブルカー2

2023年訪問時には入口周辺が綺麗に改装されていた。ただ、中の薄暗くてソリッドな雰囲気は以前のままだった。

 

スタッフさんのアテンドはここまでだ。あとは自分1人で行くのだ。ケーブルカーの操作方法、降りてからどう進めばいいか、万が一の際の連絡方法などを教えてもらい、スタッフのおじいさんとお別れとなるのだよ。

 

ケーブルカー3

ワクワクするだろ、この要塞感。ケーブルカーは定員6名。1人でしか乗ったことないけどな。ボタンさえ押せば目的地に着いたら自動停車する仕組みなのだそうだ。

 

これは、上の方の停車駅に停まっているケーブルカーをこちら側まで遠隔で戻すボタンを押し、おじいさんと一緒に待っているときのものだ。

ところで僕はこのあと上の砲台まで行ったのだが、自分以外に人間いなかったよ。なんでこのときケーブルカーは上の駅に停まっていたんだろう。怖っ。

 

ケーブルカー4

上の方から無人のケーブルカーが見えてきた。車体名は"伊吹"。

1人乗り込んでドアを閉め、おじいさんに手を振り出発だ。短い距離・短い時間乗るだけの小さなケーブルカーだが、すっごく楽しく感じてしまうのはなぜだろう。

 

ケーブルカー3

操作は簡単。シンプルに「上り」のボタンを押すだけだ。ベルが鳴ってゆっくりとケーブルカーが動き出す。

ここでな、上りではなくって下りのときなんだけども動画を撮ったので貼り付けるね。今まで当ブログで使っていた動画はりつけサイトが変な感じになっちゃっているので、初めてYouTubeからUPするわ。見られるかな??

 

youtu.be

 

ドアの開閉音が静かな施設内にやたらと響くよね。砲台施設の冷たく静かで巨大な様子、ちょっとでも感じ取っていただけただろうか…。

 

さて、およそ3分ほどで上の駅に到着した。たぶんここは砲台の深部。そして丘の中の地底に当たる部分。

 

軍事施設探検1

内部のMAPを見つけたので写真に撮った。

砲塔井っていうのが、冒頭でもご説明した砲台がネジのように刺さっていた部分であり、この施設のハイライトだ。

他にも火薬庫・動力室・計器室・水槽などいろんな部屋がある。大砲1発撃つだけでも、いろんな設備が必要なのだなぁ…。

 

軍事施設探検2

何とも言えない緑色の部屋。ゾクゾクしちゃう。

この丹賀砲台は、1931年に4年の歳月をかけて完成した超巨大砲台。巨大な大砲は巡洋艦"伊吹"からぶっこ抜いて持ってきたんだって。なるほど、巡洋艦クラスの大砲ってこんなにも巨大なのか…。

色んな説明パネルがあるから眺めながら進む。

 

軍事施設探検3

丹賀砲台の建造の総監督は、後に戦艦大和の設計もしたらしいぞ。すごい。

そんな超スペックを持つ砲台なのであるが、一度もまともな活躍をすることはなかった。

いや、「活躍をしない」ってのは戦争で使われることがなかったってことでむしろ犠牲者を生まなくてよかったねっていう側面もあるのだが、悲しいかな大事故で廃止されてしまったのだよ。

 

軍事施設探検4

1942年のこと。第二次世界大戦がはじまり、戦争は今後激化していくだろうと考えられていた。

従い、この砲台も試運転させて肩を温めておこうとなったのだ。つまり実射訓練。使われた砲弾は全部で9発で、最後の1発が砲身の中で爆発してしまった。すさまじい爆発だったそうだ。

この事故で16名が亡くなり、20数名が重軽傷を負ったとのことだ。

 

軍事施設探検5

この事件が、序盤で掲載したのトンネル脇の看板に『悲劇の巨砲』と書かれている所以ね。

試射の段階で廃止されてしまった施設ではあるが、そんな貴重な戦争遺構をたった200円でこんなふうに見学できるってとても貴重だ。

 

軍事施設探検6

それではハイライトの砲台部分に行くぞ。

 

 

爆発した巨大砲台の中で

 

足音がこだまするトンネルを進んだ先、ついに砲塔井が姿を現した。

 

巨大砲台1

砲台の最深部に当たる部分だ。その周囲をグルリと円形の回廊が取り囲んでいる。なんとも古代神殿のような神秘的なものを感じたよ。

 

巨大砲台2

わかりやすく、前述のイメージ図を再添付しよう。今いるのが砲台下部の左右に書いてある正方形の部分。たぶんだけどもこれは輪切りにした円形回廊を指しているのだと思う。だとしたら僕は今、この正方形の中にいる。

そこから砲台の真ん中に入っていくと…。

 

巨大砲台3

うぉぉ!!すごすぎる!!

砲台の深部から上部を見上げている。暗い軍事施設から見上げる空が青い。さらにここから螺旋階段で地上部分まで上がれるのだ。行こう。

 

巨大砲台4

そいてこれが有名なアングル。螺旋階段を上まで登ってから下を見下ろした図である。下半分はコンクリートが相当にガタガタになっている。これが当時の爆発の跡だ。

分厚いコンクリートはそれなりにダメージを負ったものの、こうしてキチンと原型をとどめて現代まで事故の悲惨さを教えてくれている。

 

巨大砲台5

螺旋階段はもちろん、観光化に当たって後世に造られたものだ。

先ほどお見せした写真はピカピカの階段だが、僕が初回に訪問したときはセピア色のレトロな階段であった。個人的にはこっちの方が雰囲気があって好きかもしれないなぁ。サビッサビだけど。

 

巨大砲台6

螺旋階段の最上部からドアを開けて外に出ることができる。では、ちょいと外の世界を眺めてみよう。

 

巨大砲台7

振り返ると砲台があった部分が温室のようなドームになっている。県道を走りながらでも眺められる、丘の上のドームがこれだ。

これは風雨で貴重な戦争遺構が劣化するのを防いでいるのだよ。

 

巨大砲台8

ドーム周辺はほどほどに整備されているが、日差しを遮るところもないし自販機もトイレもないしで、夏の暑い日は長居ができない。

以前訪問した際には有料の双眼鏡があったが、2023年訪問時には見た記憶がない。あったっけ?なくなったんだっけ?

 

巨大砲台9

海の眺めはいい。下の町も見える。細く突き出た半島の先端に近いので、視界も広い。

ここに大砲があったのだ。もし敵がこの海峡を抜けようとしたなら、さぞや脅威であったろう。怖いよね、戦争は。平和が一番だよ。

さて、それでは戻ろうか。

 

 

エピローグ

 

2回訪問したが、2回とも誰もいなかった。正直、自分だけの秘密にしておきたいスポットではあるが、でもみんな知っておいた方がいい戦争遺構だしな。

しかし1人200円で維持できるのか心配になるぜ…。

 

エピローグ1

ちなみに九州と四国の最短ポイントであるここ豊予海峡にはこういった砲台跡や軍事遺構が多い。

九州最東端の鶴御崎も、灯台そのものが軍事設備と融合してしまっているという奇妙なものだし。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

そして対岸である四国最西端の「佐田岬」にも、いくつもの砲台跡が残っている。数年前にはリアルな大砲レプリカも設置され、僕は興奮して2回見に行ったよ。

これもそのうち当サイトでご紹介したい。…にもかかわらず、佐田岬のミカンの押し売りのばあちゃんの話なんかしてしまい、完全にベクトルを見誤ったなぁ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

丹賀砲台の駐車場に戻ってきた。おじいさんが笑顔で迎えてくれた。僕は「もうちょっと近辺を見学していいですか?」と言い、駐車場敷地内を巡った。

 

エピローグ2

犠牲者の慰霊碑もあった。前面に砲弾のオブジェが置いてあるけど、犠牲者は心休まるのか?

 

エピローグ3

戦闘機のプロペラも展示されている。平成に入ってからこの近くで漁船の網に引っかかって引き上げられたものだ。

調査の結果二式大型飛行艇のものであると言われているそうだ。当時の最高技術で作成された、世界トップレベルの飛行機と言われているそうだよ。

 

戦争は遠い遠い過去のものではあるが、見て触って感じて。そうやって後世に少しでも伝えていくのが大事なのかもしれないね。

…と立派なことを言いたいところだけど、本音はケーブルカー楽しかったです!また行きたいです!

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 丹賀砲台園地
  • 住所: 大分県佐伯市鶴見大字丹賀浦577
  • 料金: ¥200
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:30~16:30(火曜水曜定休)

 

No.403【高知県】まるで九龍城!!カオスな「沢田マンション」に1泊したら最高だったぞ!

高知駅から徒歩圏内に、とんでもないマンションがある。

"高知のサグラダファミリア"・"高知の九龍城"・"日本最大の違法建築"・”軍艦島マンション”などなど、様々な呼称を持つマンションだ。その名は「沢田マンション」。"沢マン"と略されることが多い。

 

初回見学時1

僕も以前よりここに興味は持っていたものの、住民ではないのでおいそれと足を踏み入れるわけにはいかず、そして高知県に引っ越すわけにもいかない。

 

ただ朗報だ、聞いてくれ。ここは実は1泊からホテルのように宿泊することもできる。つまりは旅行の行程でちょいと一泊…ってことができるのだ。しかもとんでもなく安い。

安く泊まれて、かつこのカオスで魅力的な世界を公式に垣間見れるとあっては、旅人の血が騒ぐに決まっているだろ!むしろ沸騰するわ、全身の血液!!

 

初回見学時2

…というわけで宿泊してきたエピソードを公開したい。

結論から言うと最高だった。立地も建物もオーナーさんも。もう再訪したくってしょうがない。

では聞いてくれ、僕の小さな小さな沢田マンション物語。

 

 

【基礎知識】沢マンってこんなところ

 

まずは実録に入る前にな、沢マンについてあなたにもご理解いただく必要があるだろう。基礎知識を得た上で次章以降を読んでいただければ、ライヴ感もきっと3倍に跳ね上がるから。

 

初回見学時3

さて、沢マンの特徴をザッと書き出すと以下の通りだ。

 

  1.  1971年に素人夫婦が図面も引かずにセルフビルドで建造した。
  2.  5~6階建で60部屋ほどあるが、同じ形の部屋はなく部屋番号もメチャクチャ。内部は迷路のよう。
  3.  家賃は月額2~5万円台。
  4.  屋上はオーナーさん一族の居住区であり、水田・池があって豚も飼育されている。
  5.  ショップがあったり住人対象の祭りが行われていたりしてすごく活気がある。
  6.  現在は沢マン創設者の方は亡くなり、娘さんたちが運営している。

 

初回見学時4

相当自由な世界観だ。少なくとも当初は生活に困っている人やワケアリの人など、あまり事情を深く聞かずに門戸を広く受け入れていたらしい。そして部屋を改造しようが壁を抜こうが、住民の意向を尊重したノビノビしすぎる運用スタイルだったらしい。

建造形態から運用形態まで、フリーダムだ。これ、ほとんど1つの立派なコミュニティが形成されているよな。江戸時代の長屋みたいな感覚かもしれない。

 

「沢田マンション物語」より

だからハマる人にはとことんハマるだろう。僕も学生時代の1人暮らしだとか老後の寂しい時期なんかをこういうところで過ごせたら自分的に楽しいだろうなって思う。雑多だが古き良き日本の暮らしの名残があるような感じだ。

 

初回見学時5

違法建築という呼称もWebには多数あるが、当ブログでは宿泊体験談にスポットを当てたいので、違法うんぬんについては特に言及せずにいきたい。

この建物は1971年に建造開始されたものなのだが、当時は役所の対応もゆるゆるだったこともあるし、まぁ実際行政指導だとか工事の中座だとかピンチはあったのだが、それはもしあなたが興味あるなら独自に調べてみてほしい。

 

もともと「沢田マンション物語」は所持している

さて、ここまでは僕が最初に興味本位で沢マンの外観を見に行ったときのものである。だから敷地には足を踏み入れていない。

次章からは宿泊時の記録を執筆するぞ。

 

 

宿泊者用の部屋がきれいだ!

 

沢田マンションに宿泊すべく、数日前に予約電話をした。素泊まりで3500円だ。安い。

内心「こだわりの強い建設経緯があるし一族経営だから、ヘンクツなオーナーさんじゃないかな?」ってドキドキしていたが、とても感じのいい電話応対であった。

電話対応ってさ、「根はいい人」であってもなかなかそれが伝わりづらいんだけど、沢田マンションはそうではなくってすごくちゃんとした電話対応だった。嬉しい。もうワクワクが止まらない。

 

チェックイン1

正面の店舗の敷地から、チェックイン前の沢田マンションを見上げた。かっこいい。この計算されていなさそうな天然な造形にキュンキュンする。なんだか、上からビー玉を落とすとコロコロと縦横無尽に転がっていくオモチャみたいなデザインだ。

 

予約時には車で行くことを伝えてある。その際、「停める場所がわかりづらいので近くまで来たタイミングで電話ください。マンションの入口で待ってますから」って言われていた。

なんて丁寧な対応。なのでここで僕は電話した。「もう目の前なので1分で行きます」的なことを言った。

 

チェックイン2

しかし、ちょいと入口にクセがあって目の前に沢マンにスムーズに入れず、脇の小道に入ってからUターンしたりして、結果として5分以上かかったと思う。

だけども沢マンオーナーの方はちゃんとマンション入口で立って待っていてくれた。申し訳ない。ありがとう。

 

チェックイン3

マンション正面に愛車の日産パオを停めた。なんだかこの絵、僕がマンションの正式な住民になったみたいじゃない?嬉しい。

オーナーの女性の方に「ずっと泊まってみたかったんです!」と興奮気味に伝え、そして導かれるままに最上階のオーナーさん居住エリアへと昇って行った。

 

チェックイン4

ちなみにエレベーターは(原則)なく、徒歩での昇降だ。そして階段がまっ直ぐに1階から最上階までを貫いているわけではなく、ランダムに配置されているのでまるでダンジョンだ。覚えきれるな、ここの地理…。

 

チェックイン5

屋上へと昇る階段のすぐ右にブタがいた。マジで普通に階段を登る僕の顔面のすぐ横、このアングルでブタが登場するので「ぎょえぇぇ!」って言ったね。

前を歩くオーナーさんに「ブタいるんすか!?」と聞き、「はい、います」との回答を得た。

 

このあと屋上の一室でお会計をし、説明を受ける。

チェックアウト時は鍵を部屋に置いたまま立ち去って良いそうだ。屋上エリアの写真撮影はしていいが、夕暮れ以降~朝まではNG。住民エリアはプライベートスペースを撮影しないように、とのことだ。

それから宿泊する部屋を案内いただく。

 

宿泊部屋1

これが部屋だ。「うおぉ、スゲー!」って思わず声が出た。まずは広い。TVもあるしソファもある。これは今夜はここで1人で宴会ですな。

 

他もすごくちゃんとしている。充実している。キッチンもあるし食器もある。手ぶらで転がり込んでも生活をスタートできる親切設計だ。きっと入居者用の部屋もこんな感じなのだろう。喜ばしい装備だ。

 

宿泊部屋2

「外観がちょいとジャンクテイストだから部屋はどうなのかな…?」って正直思っていた。しかし随所に丁寧な心配りが見受けられるのだ。さすがに設備はやや古いものが多いが、清潔感はある。

 

宿泊部屋3

水回りも綺麗だ。1泊しかできないのが逆に悔しくなってきた。高知に数日間滞在してゆっくり観光する機会とかあったら、僕は間違いなくここにまた宿泊するだろうな。

 

宿泊部屋4

それでは、次章では驚異の屋上風景をお見せしよう。

 

 

屋上が個性的過ぎて噴いた!

 

屋上はチェックイン直後とチェックアウト直前の2回に分けて見学した。この章ではその2回分をマージしてお届けしたい。

 

屋上世界1

先ほどはいきなりブタの洗礼を受けたが、それ以外にも個性的な世界が広がっているのだよ。

管理人さんの居住区なので迷惑にならないように静かに速やかに廻ろう。

 

屋上世界2

池がある。鯉も泳いでいる。池の真ん中に小島があり、犬小屋みたいなものもある。

オーナーさん、やりたいことを全部やってるな、きっと。夢全部詰め込んでいるな。ウォルト・ディズニーかよって思った。細かい仕上げがちょっとだけ苦手なウォルト・ディズニー

 

屋上世界3

屋上緑地化計画だ。畑・水田・果樹園があって自給自足みたいなことが実現しているらしい。

水は山から引いていてタダだし、屋上に水をためておくことで夏場もマンション全体を冷却できるとのことだ。マンション完成間もないころからこういう工夫を取り入れているんだよ、ここ。

 

屋上世界4

地上だか屋上だか、もはやわからん光景が広がっている。しかしまぎれもない屋上庭園。下界を見下ろしながらここでくつろぐのは気持ちよいだろうな。

 

屋上世界5

あとでもご紹介するけどね、かなりいい立地なのだ。目の前はヤマダ電機。そしてスタバもあるしコンビニも回転寿司ある。徒歩1~2分でこれらに行ける。

そして左上に見えている「SUNNY MART」というスーパーにも徒歩3分ほどで行けるだろう。あとであそこで晩酌の食料を買おうと心に決めた。

とにかくかなり便利な立地。

 

屋上世界6

地上から見るとひときわ高くそびえ、「沢田マンション」と書かれた看板が掲示されているポイントの裏側まで来た。

ここは資材運搬専用のエレベーターになっているそうだね。住民が使用することはないが、大型の機材などはこれで昇降させるそうなのだ。

 

屋上世界7

その横にはクレーンもある。建造時のものが残されている。

創始者のオーナーさんは、素人ではあるけれどもとんでもない熱量とそれなりの技術を持っているということが窺い知れるね。

 

屋上世界8

機材がそこかしこに置いてあるゾーン。日曜大工っていうレベルじゃねぇぞ。どこかのガチめな町工場みたいな雰囲気を醸し出している。バイタリティしかねぇ。

 

屋上世界9

あとは鳥がいたり金魚の水槽があったり、ご覧の通り植木がもう360°どこを見てもあって植物園みたいだし。「マンション暮らしもいいけど庭が無いしペットも飼えないし…」みたいなよく聞く悩みを消し飛ばしてくれている。なんでもアリだ。

屋上を見るだけでも相当に楽しめるぞ、ここ。

 

それでは、ここから地上へと向かいつつ共有部分を少しだけご紹介していこうか…。

 

階下へ1

町の方向に開けた前面とは異なり、背面は山を背にしていて少しダークな雰囲気だ。ここはベランダ…?たぶん3階か4階なんだけど、奥の方に車が停まっているのが気になるよね…。

あと、反対方向には住民の方のものと思われる自転車がたくさん並んでいた。駐輪場も兼ねているのかな?

 

階下へ2

ベランダと通路が合体したような部分。ヘリが二重構造になっているのにお気づきだろうか?ここは土を入れられて、そこで住民が自由に草花を育てられるそうなのだ。つまりは花壇だ。オーナーさん自身が自然大好きらしくてね。こういうの、僕も好きだぜ。

しかしときどき「これは花壇と呼んでいいレベルじゃないだろ」みたいなサイズの木や鉢植えがバチコーンと突っ込まれていて笑える。

 

階下へ3

造りに規則性などはない。いきなり階段が出てきたり、花壇が出てきたり。

冒頭でも触れたけれども部屋番号もグチャグチャ。普通に考えると「201号室」であれば2階のような気もするけど、そうでもない。「201・202…」みたいに下2桁が順番に並ぶのが普通のような気もするけど、そうでもない。

 

階下へ4

かつて入居順に割り振り、しかも途中で付け替えたりしたのでわけわからんのだ。配達業者の人がこれで泣くらしい。そう、ここは壮大なラビリンス。迷い込んだら早々脱出はできぬのだ。

 

階下へ5

いきなり洗濯機が出てきたりする。コインランドリーというコーナーだ。僕の知っているコインランドリーとちょっと違うけど、1回200円で洗濯機を使用できるぞ。

 

階下へ6

この階段の後ろにあるのが、僕の宿泊する部屋ですな。この写真だけ見てもわかる通り、廊下と階段と裏の通路の位置関係が独創的過ぎる。

令和の現代、こんなアナーキーな建造物は絶対できないよなぁ。個性的でアートな建造物でも、裏ではしっかりと計算されているもん。でもきっと沢マンは、勢いと天然成分だけで突っ走ってきたんだもん。好き。

 

階下へ7

はい、部屋の前まで戻ってきたよ。どこか和のテイストが感じられ、漏れる光が落ち着く部屋だ。

 

 

おまちかね、お部屋で晩酌!

 

ここからが一番のお楽しみの時間だぞ!夕飯を買いに行き、そして部屋で食うのだ。料理もできれば最高だったが、1泊分だけ食材や調味料を用意するのも大変なので、そのまま食べられるものだけにするぞ。

 

買い物に行こう1

でも、それでも近所のスーパーに買い物に行って部屋で食べるということが、沢マンに暮らしているかのような錯覚になってウキウキする。

…てゆーか通路狭ッ!外に出るにはここを通るしかないんだよ、たぶん。なんて構造だ。

 

買い物に行こう2

集合郵便受けの裏あたりに、僕の宿泊する部屋へと通じる狭い通路があるのだが、知っていないと全体に気付かないような立地だなぁ…。

写真の左は屋上へと車で登っていけるというスロープだ。ただしどこか微妙に歪んでいるような気がして、見上げるだけでもスリリング。

 

買い物に行こう3

スロープの下には地下駐車場があるらしい。しかし狭そうだぞ…。僕の愛車の日産パオでも入り込めるかどうか…。中でちゃんとUターンできるスペースが無かったら詰むな…。

 

買い物に行こう4

そこかしこに古い発動機がある。創始者の方が古い発動機をいろんなところから集め、稼働できるように整備したそうだ。その名残がコレクションとして展示されている。40個くらいあるそうだよ。

そして沢マン内のお店の看板。活気があるねぇ。

 

買い物に行こう5

無人販売コーナーもあるのだ。住民たちの関係は良好で、助け合って生活しているのだろう。こういうのを見るとほっこりする。

 

買い物に行こう6

古本などは10円だ。古かろうと傷んでいようと、捨てずにリユースする精神だ。良い。

 

さて、見どころが多すぎて時間がかかってしまったが、ようやく沢マンの敷地の外に出た。さっき屋上から見下ろしたスーパー、SUNNY MARTに行って高知特有のお刺身や総菜、そしてお酒を購入した。

 

買い物に行こう7

歩いて3分でスーパー。なんという素晴らしい立地。ビールもキンキンに冷えたまま帰宅できるではないか。ま、冷蔵庫でさらに冷やすけどな。

そんでな、SUNNY MARTにて後ろを振り返るとな…、

 

買い物に行こう8

ブホホ、異形のものが見えている。スタバや四国銀行というありきたりな建物の後ろに、白いガチャガチャした建物が垣間見えている。沢マン、日本の九龍城とはいい例えだぜ。

 

買い物に行こう9

ディズニーランドでいうところのシンデレラ城みたいなところにズームしてみた。さっきはあそこの裏側で赤いクレーンを眺めていたのだ。

改めて、わけわからん建物だよ。いい意味で。

 

晩酌1

じゃ、飲むぞーー!!沢マンの夜にカンパイ!!

 

これ結果論なんだけど、このとき9日間ほど中国四国地方をドライブする旅をした中で、この時間が一番幸せだったぜ。ま、宿を取ったのはこことあと1箇所だけで、後は車中泊だったってのもあったかもしれないけど。

 

晩酌2

土佐の酢の物盛り合わせ!何がなんだかわからないけど全部うまい!

カツオのお造り!高知のカツオがマズいわけないと思い込んでいる!そして天然ブリのお造り!プリップリで脂が乗っていて、ビールが瞬く間になくなるぜ!!

晩酌3

うめぇうめぇ!なんで僕、1人なのにこんなに盛り上がっているのかなぁ!!

毎日毎日ヘロヘロになるまで運転しまくって遊びまくっているので、酔いが回るのが早いんだなぁ。普段の3倍酔う。

 

晩酌4

「ビールもう1缶買いに行こうかな…」って思ったら、すぐ近くにコンビニがあるありがたさ。酔っていると部屋までどのように行けばいいのかちょっと迷うという危うさ。

どれもこれもが最高の旅の夜なんだぜ。

 

夜の沢マン1

夜の沢マン、初めて見た。物見遊山で来る人も夜の沢マンを眺める人は少ないだろう。現地の人じゃないとなかなか見られない光景かもしれない。

この煌々と明かりの照らされた沢マン、無骨でかっこいい。

 

夜の沢マン2

最後はドリップコーヒーを買うためにもう一度コンビニに行き、そしてアツアツのうちに部屋でゆっくりと飲むことができた。至福。僕はコーヒーが大好きなのだよ。

 

夜の沢マン3

こうして旅の夜は更けていき…。

 

 

バイバイ、沢田マンション!

 

翌朝、朝風呂の好きな僕は浴槽にお湯を張って浸かろうと考えた。日常ではシャワーのみで済ますのだが、ちょっと色気を出したんだよ。

 

お風呂

この作戦、失敗した。蛇口を全開にするのだが、「ジョボ、ジョボボ…」と頼りのない水流。

20分待ったがくるぶしくらいまでしか溜まらないのな。しょうがないので半身浴しながらシャワーを浴びた。ここだけ改善してくれると嬉しいと思ったよ。

 

その後、朝の散歩に出かけたのだ。どこに散歩に行ったのかというと…。気になるなら下のリンクから先に飛んでみてほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

そして戻ってきた後に再度屋上などを見学させてもらい、チェックアウトの準備を進める。

 

チェックアウトのとき1

巨大でカオスな建造物、沢田マンション。オーナーさんと奥さんが昔々から長い年月をかけて築いてきた夢の城。

 

チェックアウトのとき2

現代ではもう同じようなことは法的にも困難かもしれない、伝説の建造物だ。こんなファンキーな建物、今後の日本ではお目にかかれないかもしれないぞ。

そこに一介の旅人である僕が泊まれたのだし、あなたも泊まれるのだ。そんなスペシャルな体験、しないわけにはいかないでしょ?

 

チェックアウトのとき3

序盤に書いた通り、チェックアウトのときには鍵はそのまま部屋に残して退室できる。オーナーさんにご挨拶できないのが少し寂しいけれど、まぁいいや。だってまたいつかここに来ればいいのだから。

 

チェックアウトのとき4

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 沢田マンション
  • 住所: 高知県高知市薊野北町1-10-3 沢田マンション
  • 料金: 素泊まり¥3,500
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明。問い合わせのこと。

 

No.402【千葉県】海の見える丘の防空壕に描かれた壁画を求めて!激坂・森・洞窟を探索!

南房総の、とある海の見える丘の上に防空壕がある。その中には大正時代から平成中期まで活躍した「岩崎巴人」の描いた3枚の仏教画があるという。

観光地ではなく、宣伝もされておらず、Googleマップにも存在しない。ただ、かき集めた複数の情報をパズルのように組み合わせると、おぼろげながらその場所がイメージできた。

 

 

じゃあ行ってみるか。…というわけで、僕が日本6周目と7周目にてここを訪問した記録を執筆したい。

ただし、場所は非公開とさせてもらおう。それと、仮に場所を特定できたとしても安易な気持ちで行かない方がいいかもしれないぜ。2023年時点でかなり道は荒れてきており、ヘタをするとケガするぜ。

その理由は本編でご説明しよう…。

 

 

激坂の先の防空壕

 

「そう来たか!」とハンドルを握る僕は叫んだ。

 

丘の上へ1

エグい坂道が現れたのだ。普通車がギリッギリで通れるくらいの幅の道。しかし激坂。見ての通り最序盤はガードレールすらない。対向車がくる可能性は極めて低いだろうが、ここを登れと?

一瞬ブレーキを踏んで躊躇したが、意を決して突っ込んでいった。

 

丘の上へ2

うおぉぉぉ…!!運転席からは空がよく見える。そのくらいの斜度。

未舗装路になる寸前のガタガタのアスファルトをかなり長い間進み、「ここいら辺かな?」って思ったところでハンドルを一気に右に切って支線に入った。別に目印があるわけではないが、結論から言うと僕の選択は正しかった。

 

丘の上へ3

海がきれいに見える丘の上の広場に着いた。まだ14時台ではあるが、真冬の太陽は既に大きく西に傾いていた。海がキラキラしているね。

道はここで終わっている。ここから先は徒歩で行く。そうそう、この回は仲間と3人での訪問であった。準備をして3人で歩き出す。

 

丘の上へ4

これは、広場への直前の道を撮影したものだ。ズームしすぎてしまったので全容がわかりづらく恐縮だが、すんごい急勾配で降りてきたのだ。かなり路面が荒れているので、「これ最後に車で登って行けるのかなぁ?」ってちょっと不安になった。

 

最初の洞窟へ1

奥を目指して進んでいくと、作業小屋のようなものがある。ちょっとドキドキしたけど人の気配はなかった。さらに奥へ奥へと進む…。

 

最初の洞窟へ2

なかなかにスパイシーなテイストの洞窟の入口が見えてきた。

日常生活では「じゃあ入りましょう」とは言い難いビジュアルだ。だがこの先に人知れず高名な画家の壁画が眠っているのだというからむしろテンションは上がるよね。

こちとらこれのために大型のハロゲンライトも持ってきている。入ろう。Go。

 

最初の洞窟へ3

最初の10数mは外界の明かりが内部を照らしてくれている。ご覧の通り、すごくキッチリした石積みの洞窟だ。

民間の防空壕なのであれば、こんな豪勢な造りになろうはずがない。一説によると軍事施設であったという情報もある。軍事施設を防空壕としても使用していた痕跡なのだろうか?

 

さて、上の写真をご覧の通り、洞窟はすぐに突き当りになっている。ただしこれは直角が直角に左に曲がっているのだ。いよいよ普通の防空壕ではないぞって思えてくるよね。

 

最初の洞窟へ4

恐ろしいほどに暗い。直角に曲がったことで、外界の光は完全に遮断された。ここから先は漆黒の闇なのだ。とりあえず慎重に奥へと歩いていこう…。

 

ある程度進んだところで、右に直角に曲がる分岐が登場した。曲がると同時に登り階段になっている。なんだこの不思議な構造は…。まるで迷路だ。

そちらの方向、右上部に懐中電灯の光を当てると…。

 

最初の洞窟へ5

うおっほ!!

闇には似つかわしくない、にこやかな笑顔が登場した!これが1枚目の壁画だ!

 

 

洞窟の中の壁画を巡る

 

真っ暗な洞窟の支線に1枚目の壁画が現れた。

 

壁画巡り1

神々しい姿の人の下で、青いアニマルがペチャンコになっている。憐れ。

いや、違うな。動物の上に座っているってことは、この人はきっと「文殊菩薩」だ。文殊菩薩は青い獅子に乗っているのだと聞いたことがある。獅子は智慧の象徴だそうだね。

岩崎巴人はその文殊菩薩をここに描いたのだ。

 

いつの時代のものかはわからないが、終戦後~昭和後期にかけてのものかな?真っ暗で誰も来ないようなところだからからか、異様に保存状態がいい。

 

壁画巡り2

壁画の前を通過してさらに先に行けそうな雰囲気だ。2枚目と3枚目の壁画はそっちなのだろうか?どっちが正解なのかわからないが、とりあえず階段を登って進んでいく。

 

壁画巡り3

うん、ダメこれ。埋まっている。階段や壁の造りも当初と比べるとチープになっていっているから、こんなところに壁画は描かないよね。引き返そう。

 

本線に戻って進行方向に洞窟を進んでいると、やがて出口の光が見えてきた。

 

壁画巡り4

おぉ…、これはどうしようか…。

直進すると出口だが、盛大に崩れた跡がある。ここを乗り越えるのは至難だ。一方でその直前には左側に延びる支線がある。その先もどうやら出口のようだ。

どっちに行っても出口。…ということは、残り2枚の壁画はここではなく、別の防空壕にあるということ。防空壕は1つではないのだ、きっと。

 

壁画巡り5

出口を前にいろいろ思案していると、足元にこんな石の動物がいることに気付いた。なにこの子。どういうアニマル?

とりあえず、正面は絶賛崩壊中だから左に行きますか…。

 

左から洞窟を出ると、完全に茂みの中の山道。しかもT字路だ。まだ分岐かよ。どっちに行くべきなのだ?

 

 

洞窟の出口が崩落していなかったのなら、進行方向は真っすぐ左だ。崩落がいつのものかは知らないが、何10年も前のものではないかもしれない。つまりは岩崎巴人が壁画を描いたときには崩落していなかったかもしれない。

2つ目の防空壕はどこだ…?岩崎巴人なら、どこに壁画を描きたいと思う…?

 

そうだな、画面左下の緑の道を左方向に進むべきだな。そうすれば洞窟の崩壊前の道に合流できるかもしれない。第2の防空壕があるとするなら、その先じゃないかな。

 

壁画巡り6

…わっ、また謎の子がいた!そこかしこに野生動物。

 

僕らは獣道を先へと進む…。道はゆるやかに谷底へと降りて行った。なんだろう。このなんだか手ごたえがない感じは。

きっと道が細すぎるのだ。さっきの防空壕の堅牢な造りからして、第2の防空壕もそこまでグレードダウンはしないと思う。こんな狭い道の先にそんな防空壕を造れるのか?

 

壁画巡り7

5分ほど歩いて到達した谷底で道はほぼ消えた。だが防空壕はない。

洞窟である以上、基本的には横穴であるはずだ。横穴であるということは、そこそこ垂直に近くて掘削しやすい山肌があるはずだ。なのに、それが存在しない。

これはどこかで選択を誤ったようだな…。

 

壁画巡り8

道を戻る。他に分岐がないか注視しながら戻るが、全然ない。どこで間違えた?それとも、最初の最初から間違えている?1つ目の洞窟のさらに手前にあったりしたのだろうか…??

 

とりあえず、洞窟には戻らずに獣道のまだアプローチしていない側に行く。

するとな、それが正解だったんだよ。マジか。こんな特異な構造だったとは…。

 

 

本線に接続するような配置で、2本の短い洞窟が延びていたのだ。入口まではかなり茂みを掻き分けないといけなかったが、どうにか到達した。真冬だから来れたが、夏場で草ボウボウだと厳しいかもしれないな…。

 

壁画巡り9

構造はシンプルだ。短い洞窟の突き当りに壁画が描かれている。なんだか物騒な気配のする壁画だが、近づいてみよう。

 

壁画巡り10

捨身飼虎図だな。昔々のインドで、腹を空かせた母トラと7匹の子供のトラがいて、それを見た王子が「かわいそうだから自分がエサになるわ」っていうヤツ。

これ、美談?こんなことしていたら命が1億個あっても足りないと思うんだけどね。

 

さらにはこの防空壕から少し離れたところに、3つ目の防空壕がある。

 

壁画巡り11

同じような造りで、短い洞窟の突き当りに如来像のようなものが描かれている。赤色がバックなのがちょっと毒々しいぞ。

 

ところで僕は考える。2つ目と3つ目の洞窟について、あまりにも短すぎる。数mしかない洞窟をわざわざ掘るだろうか?

例えば特攻兵器の震洋の格納庫などであればこのくらいの規模のものをいくつも見たことがあるが、山の中のこんなところにこの規模の洞窟を掘り、しかも綺麗に石造りで仕立てているのはちょっとおかしい。

 

壁画巡り12

推論だけどさ、岩崎巴人がわざわざ壁画を描くために洞窟の中に白地の壁を作ったんじゃないかな。1枚目~3枚目まで、全部そうだと思う。

 

 

少なくとも2枚目の壁画と3枚目の壁画は戦時中は存在しておらず、左右に延びるメイン通路に接続していたんじゃないかな。

このラビリンス感、やっぱ軍事施設だ。丘の上にあるという立地からも、もしかしたら過去にここには砲台があったのかもしれない。そのための施設だったのだろう、この洞窟は。

 

壁画巡り13

 

また洞窟を戻り、車を停めた丘の上の広場戻ってきた。鬱蒼と茂る森、暗い洞窟からのこのギャップよ。すばらしい。夕日が目にまぶしいぜ。

こうしてひとまず収穫を得て、僕らの小さな冒険は終わる…。

 

 

2023最新情報を得るために

 

時代は少しだけ流れたが、あの激坂は相変わらずだ。

 

埋もれゆく歴史1

2023年夏、僕は1人あの思い出の地へと向かっていた。あの洞窟はどうなっているのだろう。壁画は無事だろうか。

Webの中にはほとんど情報はない。SNSにもない。過去分はそれでもまだ数件あるが、ここ3年くらいは情報マジにゼロだ。僕の検索がヘタなのでなければ。

 

埋もれゆく歴史2

だから自分の目で確かめに行くしかないんだよぉーー!

…ってうおぉぉ、なんかカードレールがひしゃげているなぁ!落ち葉が大きくてこの傾斜だと滑りそうで怖いなぁ!!

 

埋もれゆく歴史3

なんだかテンション上がりすぎて、広場への分岐をスルーしてしまったそうだ。なるほど、まっすぐ行くとさらに道は荒れるのね…。

半分未舗装路みたいになったところで誤りに気付き、何度も切り返ししながらUターンした。変な汗かいた。

 

埋もれゆく歴史4

正解はここだな。ここで右だな。

こんな情報を書いたところで何の参考にもならないと思うけども。

 

埋もれゆく歴史5

そして懐かしの絶景の丘だ。こんなに草が生い茂っていたっけ?前回は真冬だったから土がむき出しだったのかな?

ただ、逆を言うと夏にもかかわらずこの程度の草原だということは、誰かしらが定期的に手入れをしているのだろうね。

 

埋もれゆく歴史6

小屋も健在だ。相変わらず謎の物品が周囲に散らばっている。

そしてこの先、木立の中に入っていくと途端に足元がヌチャヌチャして嫌な感じになってきた。

 

埋もれゆく歴史7

あー…、歩きやすい靴で来ればよかった。そしてちゃんとしたライトを持ってくればよかった。ショボい懐中電灯しか手元に無いんだよね…。もともとここに来る予定じゃなかったから。ふと気が向いて立ち寄っただけだから。

 

洞窟は開口していた。まずはそれがありがたい。崩れていたり封鎖されていなくってよかった。昔の施設や使われなくなったトンネルって、往々にして封鎖される定めだもん。

 

埋もれゆく歴史8

暗い。1人だと若干心細さもあるが、大丈夫。僕ったら1人でもそこいらの洞窟とか真っ暗な廃墟とかギュンギュン入っちゃうから。慣れているから。

写真でこそ明るいが、実は懐中電灯が弱くてほぼ真っ暗。それでもかつての右側への分岐にすぐ気づいた。

 

埋もれゆく歴史9

文殊菩薩、健在。

ライトの照射範囲も狭くって、文殊菩薩を照らすと青きアニマルが見えなくなり、青きアニマルを照らすと文殊菩薩が見えなくなるジレンマね。まぁいいけど。

さらに洞窟をずんずん進む。

 

埋もれゆく歴史10

洞窟内の石のアニマルもいた。逆にいなかったら怖いけど。

えぇと、ここで洞窟を左だったな…。洞窟の出口の部分、少し崩れているような気がしたけどまだ大丈夫。通れる。

 

埋もれゆく歴史11

ただ、ここから先は手入れがされていないな…。いきなり倒木だ。そして茂みが深くなる。蜘蛛の巣がすごいし蚊も多い。進行はかなり困難だ。距離は近いのに、植物がすごく旺盛なんだもん…。

 

埋もれゆく歴史12

第2の洞窟が見えてきた。あそこまでは到達できそうだぞ。茂みを掻き分けて向かう。汗が噴き出る。

 

埋もれゆく歴史13

捨身飼虎図、到達。もうおそらく二度と来ないであろうスポット。最後に目に焼き付けてやろう。

 

埋もれゆく歴史14

前回は気付かなかったが、壁画の左下にあるのは照明だろうか?ここがライトアップされて公開されていた時代もかつてあったのだろうか…?

あったとしても、世の中にインターネットが普及する以前の話だろう。Webの中にここの情報はほぼないのだから。

 

埋もれゆく歴史15

そして第3の洞窟は…。いや、これマジ無理。すんごい茂み。第2の洞窟からたった10数mの距離なのに、それがヤバい。

もちろん作業着みたいにちゃんと防御を整えていれば突破できるだろうが、普段着で半袖の僕にはこれ以上はキケンだ。

 

埋もれゆく歴史16

たぶん洞窟はすぐそこにある。なんとなくそこが、開口部がゆえに黒くなっているような気もする。それでも到達できない。諦めよう…。

赤い如来、確認できずだ。でも、きっとあるだろう。今もあるしこれからもあるだろうが、なかなか一般人が到達するには難しい世界となってきたようだ。

 

埋もれゆく歴史17

帰りの洞窟。さっき僕が出てきた開口部は、重い岩盤をかろうじて支えているようにも見えた。これが崩れたら、もう第2・第3の壁画を見ることは永久に難しいだろう。

近々歴史の中に埋もれてしまうかもしれないスポット、今回2つのみだけど見られてよかった。

 

さよなら、洞窟壁画

高名な日本画家、岩崎巴人が防空壕に描いた壁画…。

実は南房総にはもう一箇所ある。この辺が岩崎巴人のゆかりの地であることがその理由だそうだ。

 

もう1つの伝説

僕はもう1つもアプローチ済みなのであるが、その話はまた機会があったらしたいと思う。

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 岩崎巴人の壁画洞窟(丘の上)
  • 住所: 非公開
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

No.401【佐賀県】「大魚神社」の海中鳥居がカッコいい!その遥か延長には沖ノ島を臨む!

有明海。日本最大級の干潟であり、その干満差も日本トップクラスの6mだ。この有明海に面した太良町は"月の引力が見える町"とも言われている。

そんな太良町には「大魚神社」という映えスポットがある。有明海の沖合に向かって3つの鳥居が並んでるのだ。

 

 

なかなかに神秘的な光景でしょ。

まぁ僕の訪問時は干潮時であり、有明海特有のヌチヌチした干潟が露出しており、見栄えがイマイチだったかもしれない。完全に鳥居の足元が水没していた方が幻想的だったかもしれない。

 

まぁそんなこと言っていたら始まる話も始まらないので、かまわず話を始めるぜ。

 

 

干潟に並ぶ海中鳥居

 

大魚神社に到着した。なんか付近が工事中で駐車場がどこなのかわかりづらかったが、神社の横の空き地になんとか駐車できた。

 

大魚神社1

海沿いの車道を挟んだ反対側には、神社の本殿が建つ。一応お参りはしておいたが、今回の注目スポットはこっちではないのだ。車道を渡って海ギリギリのフィールドに足を踏み込む。

 

海中鳥居1

これが海中鳥居か!?チゲー!よく見てくれ、これ全然海中じゃない。砂浜にズンボリと埋まっている。

なんのためのものなのか僕にはわからなったが、海中鳥居と呼ばれているものはないのでさらに進もう。

 

海中鳥居2

これも違う。さらにフェイントみたいな鳥居がが出てきた。でもその向こうに3つ一直線上に並ぶ鳥居が見えている。。これが今回の目的のものだ。

さっきの本殿のまっすぐ正面にあたるのがここだよね、きっと。

 

海中鳥居3

この3つが海中鳥居と呼ばれているものだ。冒頭で書いた通り干潮なので泥の中にたたずんでいる絵になってしまったが、それでもなかなかにかっこいい。

 

しかしこの鳥居の写真を延々並べたところであなたも退屈してしまうだろうから、ちょいとこの神社の由来についてお話ししよう。

1600年代の終わり頃のお話なんだけど、この地に悪代官がいたんだって。地域住民は「もうやってられないわ」ってなり、有明海の沖合にある沖ノ島っていう小さな無人島で宴会を開き、そこの悪代官も招待したのだ。

そんで酔わせた隙に、悪代官だけ残してみんな船に乗ってスタコラ退散だ。ひでぇ。

 

海中鳥居4

ところがだ、あんた聞いてくれ。

満潮で島が沈みかけて悪代官大ピンチ!…っていうところで大きな魚が現れて、悪代官を背中に乗せて陸地まで送ってくれたのだ。

悪代官、生還!地域住民の悪だくみ、無駄!!

 

この大きな魚とは一説によればブリらしいけど、マジでブリのヤツったら余計なことをしてくれたよね。もうこれ書いていて僕もブリ憎い。今晩お刺身にして食ってやりたいほど憎い。

 

海中鳥居5

で、生還した悪代官はどうしたのか。

僕がもし悪代官だったら怒り狂って地域住民をちぎっては投げちぎっては投げってすると思うね。もう干潟全部使ってどろんこレスリングするよね。

 

ただ、どうやら悪代官は改心して住民に謝罪し、そして大きなブリにも感謝をして神社を建てたらしい。そう、それがこの大魚神社だね。

 

 

遥か沖ノ島を臨む

 

悪代官が置き去りにされた沖ノ島は、この陸地から6㎞地点にあるという。水産庁が選んだ"未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選"の1つでもあるそうだよ。

 

沖ノ島1

この3連鳥居。この延長線上にその伝説の沖ノ島がある。どうやら佐賀県に属する有明海の中では唯一の島なのだそうだ。

目を凝らすが6㎞先だもんな、大きな島だったらともかく非常に小さな島だそうなので、よく見えない。

 

沖ノ島2

これは海中鳥居の近くに設置されている説明板。ここからのロケーションについて記載されている。

沖ノ島は満潮時には海に沈むそうだが、干潮時には姿を現しているし、海上保安庁が建てた沖ノ神瀬灯標があるらしい。

 

沖ノ島3

僕も視力はイマイチなので目視できないが、ズーム力に定評のある僕の愛用のコンデジを使えば撮影できるかもしれな…。チャレンジしてみる。

 

沖ノ島4

よしっ!写った!コンデジ、グッジョブ!!

ゴチゴチにソリッドな沖ノ神瀬灯標がカメラ越しによく見えた。

 

ところで伝承によると3連鳥居と沖ノ島の間の海中にも鳥居が建てられ、それは干潮時に姿を現すらしい。たぶん今は干潮だから見えている可能性が高いかなって思ったけど、見当たらなかった。

現存しているよね?まだ干潮っぷりが足りなかったのかな?

 

沖ノ島5

沖ノ島は、男島女島の2つの岩礁から成るそうだ。あの灯標の足元、2つに分かれているけどもそれが男島女島なのかな?

 

沖ノ島にはもう1つ有名な伝説がある。その昔、干ばつが続いていたとき村に住んでいた「おしまさん」という娘が雨乞いのために身を投げた。その遺体が沖ノ島に流れ着くと、この土地は雨に恵まれれるようになったとのことだ。雨は良かったけど、そういうことしちゃダメだぜ、おしまさん。少なくとも現代の感覚ではな。

 

今も毎年沖ノ島にあるおしまさんの石像にお参りする文化が残っており、その石像のレプリカは同じく有明海沿いにある「道の駅 鹿島」にもあるそうだ。

 

道の駅鹿島1

僕はこのときも鹿島の道の駅に立ち寄っているし、以前も訪問したことがあるのだがおしまさんの像には気づかなかった。失敗したぜ…。

 

では、もう少し海中鳥居から見える光景についてご紹介をしよう。

 

大魚神社2

ハートのくっついた鳥居もある。その足元にはハート型にくりぬかれたプレートも何枚かある。

これの使い方は、ハートのプレート越しに海中鳥居を撮影すると、ハートフレームになってかわいい!…って感じにするというものだ。

いやぁ驚きましたね。あの悪代官がこんなファンシーなものを作るだなんて。否、あなたもお気づきの通り、このハートフレームは300年前のアイディアではないけどな。

 

大魚神社3

実は海中鳥居は3連だが、その少し手前の陸地にもう1つある。4つあるうちの3つが海中なのだ。こうやって青空バックに見上げる鳥居もまぶしいね。僕はハート越しよりこっちの方が好き。

 

大魚神社4

もう1つの大きな見どころは、海中鳥居からも見えるこの「太良海中道路」だ。

海の中に電柱が続いている。完全な干潮ではないので途中から水没してしまっているが、これは漁船などからの運搬などに使われる道路なのだそうだ。なかなかに珍しいロケーションだね。

 

大魚神社5

本殿と海中鳥居の間にある川(?)。干潟特有のドロドロっぷりが壮観だ。こういう干潮では、停泊している船は全く動かないだろうね…。

しかしこういう干潟だからこそ育まれる命もたくさんある。日本の宝だ。

 

 

道の駅から干潟を眺めよう

 

では、ちょっと余談になってしまうかもしれないけど、最後の章では有明海の干潟を一望できる道の駅 鹿島について語ろうと思う。あのおしまさんの石像のレプリカも置いてあるから、今回のお話に無関係ではないしね。

 

道の駅鹿島2

道の駅鹿島。これはずいぶん前、日本3周目にて撮影したものだ。初夏の兆しの暖かい日であった。

実は昨年である2023年もここを訪問しているのだが、なんであえて日本3周目の写真を出してきたのかというと…。

 

道の駅鹿島3

ドロドロっぷりが過去一だったからだ。美しいまでの茶色い大地。

毎年5月の下旬か6月の頭くらいに、ここで「ガタリンピック」っていうイベントもやっているんだよ。全身泥だらけになるから、汚れてもいい服か水着だとかを着て、グッチャグチャになりながら競技をするの。

 

道の駅鹿島4

ソリみたいなものも用意されていた。あれに乗って干潟内を移動できたりするらしい。ただ、バランス崩して転んだら悲劇だし、そうでなくても服装には気をつけた方がいいな。よそ行きのドレスとかはきっと不向き。

道の駅鹿島5

そしてここからは昨年の写真だ。道の駅に併設されている「干潟展望館」に僕は登る。日本でもここにしかないくらいに見事な干潟。有明海沿いをドライブするならば、絶対に見るに限るっしょ。

 

道の駅鹿島6

静かな空間でおじさん数人が厳かに話し合っていたのでちょっと二の足を踏んだが、ここで躊躇しちゃダメだ。干潟が好きなその気持ちに正直になれ。

おじさんの間を割って入って窓際に向かった。

 

道の駅鹿島7

ちょっと水が多いのかな?つゆだくなのかな?見ようによっては普通の海みたいだ。だからさっき過去の写真を先に出したのだよ。

あと、前回はきっと防波堤の上に立って干潟を眺めたんだろうな。展望館よりも防波堤の上の方が眺めがいいかも。

 

道の駅鹿島8

ただ、ここには無料の双眼鏡が設置されているのが嬉しい。

覗くと沖合にたくさんの棒が刺さっているのが見えた。海苔の養殖で使っている支柱だな、あれ。

 

道の駅鹿島9

その他、展望館内には干潟の漁で使用していた伝統器具がいくつも展示されていた。泥の中の闘いだから、普通の漁業の道具とはちょっと違い、なんだか農具みたいなテイストだったりするのがユニークなのだ。

 

道の駅鹿島10

もうこれ、写真だけ見せられるととても漁業風景とは思えないもんね。良くて潮干狩りだ。

だがそんな歴史を知り、風土を知り、伝承を知ると、また旅は楽しくなる。日本って面白い。

 

海中鳥居6

悪代官と、その悪代官を乗せた巨大ブリも、干潟の中を泥だらけになりながら陸地に戻ってきたのかもしれないねぇ。泥どろになった悪代官、見るも無残だったから住民も許しちゃったのかもしれないねぇ。

そんな想像をしながら、僕は干潟を眺めたのだよ。

 

最後にオマケ。「あ、ここにも僕と同じように干潟を見ている人がいるぞ」って思ったらですね…、

 

パーツが足りない…

…、恐怖しかなかった。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大魚神社の海中鳥居
  • 住所: 佐賀県藤津郡太良町多良栄2002
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

【リアルタイムレポート】2024年北海道を巡る旅②!なんでいつも台風激突するのかな!?

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

2024年の北海道を無計画に巡る旅も後半に入ってきたみたいです。あ、「前半ってなんだよ、知らないよ」っていうあなたは、下記のリンクをご参照ください。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

…ってわけで、8月28日時点の最大の敵はゆっくりゆっくり攻めてくる台風10号なのだ。コイツのせいで日本列島どこもかしこも雨だらけで大変ですね。

僕の北海道旅って、直近は「台風・地震・台風・台風」なんだけど…。前世でどんな悪行をしたら、こんなにも災難続きの旅になるのかな?

まぁそれでもなんやかんやで楽しんでいるから、YAMAさんってとても健気ですよね。(1ミリでもそう思ったら、好きになってください)

 

ところで、前半のページにおいて紹介しきれなかったスポット、たくさんあります。その一部を以下にご紹介しましょう。

 

鹿追に続く直線道路

斜里の「天に続く道」みたいなロケーションですよね?誰かこの道の正式名称を知ってます?

 

北海道中心標

富良野が北海道の中心なのです。翌日の天気次第で東西南北どちらにも動けるよう、この日は富良野エリアで宿泊したのです。さすがYAMAさん。

 

卯原内交通公園

実は今回の旅の前半だけで3台のSLを見ています。1つは既に掲載済みですが、これは2台目。車両内も無料で見学出来てお得感がありました。

 

紋別カニの爪

みんな大好き、紋別にあるカニの爪のオブジェです。

暴れださないように本体は地中に埋めて、片方の爪だけが地表に残っているのでしょうね。知らんけど。

 

それでは後半戦、行ってみましょう!!

 

 

 

■■■この下にポストが入っていきます■■■

 

 

5日目②(宗谷岬~羽幌)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6日目(羽幌~ニセコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7日目(ニセコ~函館)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8日目(函館~フェリー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9日目(フェリー~自宅)