あなたの暮らしの身近にある、郵便局。
「JP」の公式Webサイトから確認したら、2021年5月末時点で23,797局が存在するそうだ。
こんなにありがたい組織、他にちょっと思い浮かばないレベルだ。
もはや全国どこにでもある、といっても過言ではないだろう。
「人の住まうところに郵便局あり」という格言を作ったっていいだろう。
しかし、僕は知っている。
廃村でただ1軒、営業していた郵便局がかつて存在していたことを。
「日本一訪問の難しい郵便局」と言われたり、郵便局巡りを趣味とする人が「聖地」と崇めた郵便局があることを。
その名は、「東の川簡易郵便局」。
2005年の4月1日に閉鎖された。僕は営業している姿を見たことはない。
しかし、どんなところに存在していたかは知っている。
なぜなら、跡地を訪問したことがあるからだ。
さぁ、今回は郵便局のお話だ。
あなたはハガキ1枚郵便局に出しに行くのに、命を懸けられますか?
酷道425号(死にGo)
まずは紀伊半島のイメージMAPをご覧いただきたい。
「死にGo」というありがたくないゴロ合わせが存在する。
確かに結構ドキドキするような山間部のクネクネ道が永久に続く。
しかし、生命の危機を感じるようなレベルの道ではない。落石に当たったら死ぬかもしれないけど、確率は低いし。
それに、対向車もゼロなので擦れ違いを心配する必要もない。
なぜ僕が、「対向車がゼロ」と言い切ったのか。
それには理由がある。
この少し前に、かなり世間を騒がせた集中豪雨で、紀伊半島はかなりの被害を被ったのだ。
先ほどのMAPをもう一度ご覧いただきたい。
僕の目指す「東の川集落跡」と三重県の尾鷲市を結ぶ国道は崩壊している。
この3ヶ月前に、試しに尾鷲から行けるかチャレンジしたのだが、実際に失敗した。
だから今回は、三重県の深部から延々アプローチしているのだ。
そして東の川集落跡を訪問後、また来た道を延々戻る所存。
ちなみに、僕が今いるところから東の川集落跡までは車で1時間ほどかあるかと思うが、途中に集落は1つもない。
従い、僕と同様に東の川集落という廃村を目指すか、それとも通行止めを知らずに尾鷲方面に向かって絶望してUターンする車くらいしか、対向車の理由は考えられない。
なので、対向車は実質ゼロと僕は判断している。
災害時連絡先とか、掲示されている。
ふと、自分の携帯電話を取り出してみた。あまりの山奥につき、圏外だった。
なかなか死亡フラグが整って来たな、なんだこれ。
そのうち、道沿いに「坂本貯水池」が見えてきた。
秘境感バリバリの濃い緑色の水をたたえている。
そして僕は、さらに道を分岐し県道228号に入る。
この道は、もうマジに何もない。深い山に突き当たって消えるのみだ。
その直前に、廃村東の川集落があるのだ。
なんというワンダーランド…。
廃村はどこだ
道はさらに細くなるし、荒れてきた。
当たり前だ。この道を使う人はほとんどいないのだから。
林業の人だとか、ダムや河川工事の関係者の人は使うのかも知れないが、この先に人が滞在できるような設備は全くないのだ。
2kmほど走ったところで、右手にボロボロの廃校が見えてきた。
これについて語り出したら、それだけで記事1つ書けてしまう。
従い、ここの見学内容はまた機会があったらとさせていただきたい。
さて、僕はさらに山奥へとアクセルを踏む。
結論から言うと、このエリアへの往復3時間ほど車も人も全く見なかったが、シカだけは見た。野生の王国となっていた。
僕はシカを見て「わっ!シカだ!」って思ったが、シカたちは「わっ!人間だ!」って思ったに違いない。
イレギュラーな存在なのは僕の方だと思う。
「出口橋」という橋を渡り、坂本貯水池の上流方面にさらに遡上するのだ。
橋、ボロボロだなー。
メンテする費用対効果とか、あんまりないのだろうなー、きっと。
どんどん道は荒れてくる。
落石だらけだ。
テクニカルに回避しながら、深淵を目指す。
ところどころ土砂が堆積しているので、四駆モードに切り換えて乗り越えたりする。
…いやぁ、なかなかデンジャーだよ、これ…。
そしてついに絶望が眼前に現れた。
上の写真、僕の愛車のすぐ眼前を見てほしい。
土砂が道を埋め尽くしているのだ。
これはまいったぜ。
しばし呆然とする。
目指す集落まではどのくらいなのだろう?
もうそんなに距離はないはず。
ここからは徒歩で土砂を乗り越えて行ってしまおうか…。
しかし何かしあったら本当にヤバい。
前述の通り電波は圏外だし、僕は1人旅だし独り暮らしだ。
トラブルがあっても助けが呼べないし、しばらくは誰も気付かない。
ここでそこまでのリスクを負うのは賢くない。
東の川集落は、土砂に閉ざされてしまったのだろう。
そして、この道を復旧させるだけの意味もあまりないことから、今後永久に隔離された世界で、人知れず朽ちていくのだろう。
その運命を自分の目で見れただけでも、よかったとしようか。
狭路をしばらく恐々とバックし、何度も切り返しながら、なんとかターンできた。
センチメンタルな気持ちで、来た道を戻る。
廃校の近くまで戻ってきたところで、僕は自分の浅はかさに嫌気がさした。
なぜかというと、廃校のすぐ近くの山の斜面の中腹に、廃村が見えたからだ。
上の写真、僕はさっき右から左へと橋を渡っていたのだ。
すぐ背後には廃村があったのに、気付かなかったのだ。
確かに、行きのルートではとても見づらい位置にあり、視界に入らなかったであろう。
しかし、学校が集落から途方もなく離れたところにあるはずがない。
廃校を見つけた時点で、周囲の景色や分岐する小道、全てに細心の注意を払っておくべきだったのだ。
秘境アドベンチャーにある程度慣れているにもかかわらず、なんたる失態だ。
お恥ずかしい。
そしてどうやら、東の川集落は廃村としてのかたちはまだ保っているようだ。
さっきはセンチメンタルなことを言ってしまってすまない。
改めて、集落を訪問させていただこう。
僕のいる車道から集落までは、短いもののとんでもなく狭い道であり、かつ激坂でヘアピンカーブである。
かなりの運転テクニックが必要そうだし、路面がさらに荒れている可能性、そして集落内に駐車場がない可能性もある。
であれば、ほんの数分だから歩いて登ろう。
いよいよ、念願の東の川集落訪問だ!
現れし東の川集落
山の斜面の狭路。
そこに一直線に、長屋のようにように並ぶ廃屋。
これが、僕の見た東の川集落の最初の光景であった。
もったいぶった説明のほうが盛り上がるかもしれないが、残念、一番手前の建物が本丸である。
僕の第一目標である、東の川簡易郵便局だ。
素では郵便局とわからないほどの、ウッディさバリバリの素朴な小屋である。
そして、クリスマスがやって来たんじゃないかと勘違いするほどの赤さ。
この赤さが郵便局であると訴えかけてくる。
イメージカラー、大事。
ところどころに残っている四角い枠は、郵便局であったころの残滓であろう。
Wikipediaさんへのリンクを貼る。
営業当時の写真と見比べてみてほしい。
このころに訪問したかった。心から、そう思う。
さて、郵便局の在りし日に思いを馳せるのは、また後の項目でじっくりやりたい。
ひとまず東の川集落の全景を見ていこう。
下の方にかろうじて見えているコンクリの大きな建物が、前項で触れた上北山村立東ノ川小中学校だ。
そしてそのちょっと北の山腹に広がっているのが、東の川集落。
全部で8軒ほどの建物が残っているようだ。
郵便局から一列に続く長屋みたいな建物群を、反対側から振り返ってみた。
集落のメインストリートだ。
既に廃村となってしばらく経つが、生活の息遣いが聞こえてくるような世界だ。
その一因は、きっと建物の脇に設置されている二層式洗濯機。
すごいレトロだぞ、これ。上部についているダイヤルがとてもエモい。
そして、かつての住民は極まれにここを訪れて、家屋をメンテナンスしているという話を聞いたことがある。
だから、まだキチンとしているのだ。
廃村と言うと風雨でバッキバキになったり、いたずらされてひどい有様になっていたり、草ボウボウとなることが多い。
そんな廃村をこれまで無数に見てきた。
だが、ここは愛されている廃村だ。
静かに、そしてゆっくりと時が流れている。
もしかしたら、21世紀になったことすら気付いていないのかもしれない。そういう世界だ。
静寂。
ここに村はあるのに、生活音も人の気配も皆無。
周囲数10㎞に、僕以外の人間はいないかもしれない。
そんなドキドキ感がたまらないのだ。
観光地や景勝地であれば、再訪もあるだろう。
現に僕は日本を何周もし、同じスポットに何度も立ち寄ったりしている。
しかし廃村は別だ。
一生に一度切りが原則だ。
2度訪問した廃村もあるが、少し時間が流れただけで、大きく崩壊が進んでしまっていたりもしている。
2度と、同じ光景は見れないのだ。
だからこそ、目と記録に焼き付ける。
集落内には、ひときわ重厚なコンクリートの建物がある。
これは森林組合の事務所だ。正面玄関にプレートが掲示してあった。
ドアは施錠されているが、ガラスなので中が見える。
ちょっと近づいて覗いてみようか?
ザ・昭和って感じの灰皿。
それと、喫煙していた人がそのまま煙になって消えてしまったかのような配置で、一組のスリッパが残っていた。
少し高台にも2軒ほどの家屋がある。
よく見てほしいのだが、屋根にいっぱいタイヤが乗っているんだ。
瓦が飛ばないように抑えていたりするのだろうか?
ちなみにさっき引用したGoogleマップの衛星写真でも、屋根の上にタイヤが並んでいる様を確認できる。興味があったら再度ご確認いただきたい。
…東の川集落は、このような廃村であった。
最後まで営業した郵便局
村が廃村となると同時に、そこにあった郵便局も閉局する…であれば、きっとそんなに珍しいことでもないだろう。
しかし、ここの東の川簡易郵便局は違う。
廃村となっても営業していたのだ。
これが最大の特徴であり、多くの郵便局マニアや秘境マニアを惹き付けた要因の1つだ。
もともとは、もっと大きかった東の川エリアの集落。
しかし、前述の坂本貯水池の基となる「坂本ダム」の建設により、水没する。
1959年に工事が始まり、1962年に完成したそうだ。
村人多くは、これを機に山を下りて町へと移り住む。
わずか23世帯の人は、この東の川集落に残って暮らしていたそうだが、やはり山深い生活ではいろいろ不便もあり、少しずつ人口は減っていく。
いつから廃村となってしまったのかは、Webをいろいろ調べても明確な情報を発見できなかったが、1980年ごろにはほぼ無人となっていたのではないかと推測している。
ただ1軒の郵便局を覗いて、だ。
何10年もここを守っていたのは、1人のおじいさんだという。
三重県の尾鷲に住んでいたが、毎日酷道をバイクで走り、ここまで勤務していたそうだ。
誰もいない廃村。
しかし、極まれにやってくるかつての住民、そして郵便局マニアを対象に、長年営業を続けていた。
驚くべきは、この郵便局の特徴のもう1つである、オフラインであるという点だ。
当時は全国で2つしかオフライン郵便局は残っていなかったという。
オンラインが当たり前の時代なので、僕自身オフラインと言われてもピンと来ない部分がある。
具体的には、電話線が通っていなかった。
無線電話だ。
ネットワークも通じていなくって、もちろんATMなんぞない。
完全アナログな世界だ。
おじいさんはゆっくりゆっくり丁寧に、手書きで通帳を作ってくれたり、通帳にハンコを使って記帳してくれたりしたそうだ。
今でもWeb検索をすれば、運営当時に訪れた人の記録が少々残っている。
もしあなたが興味がおありであれば、ぜひ探して見てほしい。
おじさんが廃村で細々と郵便局を続けていた時代にも、終わりが来る。
2007年に行われた郵政民営化。
これに先駆けて小さな郵便局がいくつも消滅させられたという。
オフライン郵便局であり、かつほとんど利用者のいない東の川簡易郵便局は、もちろん真っ先にリストラされることとなったのだろう。
2005年4月1日で、ついに歴史に幕を下ろした。
僕がこの郵便局の存在を知ったのは、2005年の夏のことである。
一足遅かった!
悔いたが、もう消滅したものはどうしようもない。
その後も長い年月を悶々としていたが、この度ついに跡地を訪問したという次第だ。
郵政民営化以前の情報は、もう公式Webサイトでも情報がない。
東の川簡易郵便局は、当時を知っている人のわずかな情報の中で語られるだけの存在となってしまっている。
だからこそ、忘れちゃいけない思い出ってあるよね。
遅すぎた訪問者である僕がそう言ったところで、まったく説得力は無いかもしれないが。
だけども、みんなが生きた残滓はしっかりとこのハートに留めておくよ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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