そこに立てば、地球が丸いことを少しだけ実感できる。
遠くに列なる山々、草と土の香り。
信州を駆け抜ける爽やかな風。
僕は今、日本の中心に立っている。
…そんなスポットである。
おっと、「日本の中心に立っている」っていうのは比喩じゃあないんだぜ、ガチなんだぜ。
「日本中心の展望台」。
このストレートかつストロングなネーミングの展望台に登り、日本列島を見渡そうぜ。
そういう物語だ。
ここが日本の中心である根拠
日本の中心がどこにあるか、あなたはご存知だろうか?
実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状なのだ。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。
今回ご紹介するのは、辰野町にある「日本中心の標」である。
なんでここが日本の中心なのだろうか?
日本には、端数の無い緯度と経度が、本土の陸地上で交差する点が40個ある。
これを"ゼロポイント"と呼ぶ。
頑張って上の地図を作ってみたが、いかんせん手造りなので少し歪んだ部分は寛大な心で許してほしい。
(本州の最東部が思った以上にマッチョになっちゃった…)
その40個の中心に当たるのが、日本中心の標だ。
…いや、ゼロポイントが40個あるのはわかったが、なにをもって40個の中心を定義するのか。
上の図の黄色い●を見てほしい。
南北に分けても東西に分けでも真ん中にはならない。
だけども脳内でそれらを優しい気持ちでミックスすると、確かにここが日本の中心になりそうな気もする。
きっとそうなのだ。ファジーさが人の心を豊かにする。日本中心の標は、その産物なのだ。
ちなみにガチでジャスト(北緯36度00分00秒・東経138度00分00秒)の地点は深い山間部でとても碑などは作れない。
少なくとも1970年当時はみなさんそう考えた。
従い、少しずらして「北緯36度00分47秒・東経137度59分36秒」を日本中心の地としたのだ。
さてさて、僕の執筆した記事を満遍なくお読みいただいている方なんてほぼ皆無だと思うが、もしそんな方がいるのであればピンと来たかもしれない。
「YAMAのヤツ、以前にガチでジャスト(北緯36度00分00秒・東経138度00分00秒)の地点を目指していなかったっけ??」って。
ご名答だ。
「辰野ゼロポイント」。
今でこそ遊歩道が設置されたが、それ以前の2011年に突撃してアタフタしたのが上のリンクの記事である。
つまり、自治体は1970年には「正確なゼロポイント地点を日本の中心とするのは無理!」ってなったけど、30年後の2011年には「よーし、正確なゼロポイント地点を日本の中心としてみるかー!」ってなったのだ。
じゃあ、今回ご紹介する日本中心の標はもう過去の遺物じゃん。存在価値ないじゃん。
…って、そういう悲しいこと言うなよ!!
変わったっていいじゃない。
その時代時代に、正しいとされた日本の中心があってもいいじゃない。
「大山のぶ代」だって「水田わさび」だって、どっちも「ドラえもん」なのだ。
正解不正解はない。どっちも大事だしどっちも正義。
それと一緒。…たぶん。
では、行こう!!
「鶴ヶ峰」の絶景に聳える日本中心の展望台へ!!
未舗装路をバリバリ進め!
僕はここを幾度となく訪れているが、あれは最初の訪問のときだった。
カーナビもない車で道を見失ってグルグル走り回り、小さな集落内の交差点で、ようやく「日本中心」を示す看板を発見した。
しかし、その看板の設置角度が微妙で、交差点のどっちを指しているのかわからない。
交差点の横の畑でカマを持って畑仕事をしているおばあちゃんがいるので車を降りて聞いてみた。
そしたら狭ーい道を持っているカマで指し示してくれた。
「舗装されていなくて大変よ」・「最後は歩かないと」とかいろいろ怖いアドバイスをいただいた。
ありがとう、カマのばあちゃん。
それ以来、僕は何回この道を走っただろう。
お気に入りの場所なのだ。
道の名前は「玉城枝垂栗林道」だ。
数ある日本の中心の中でも、「景勝地」として最も高レベルなのがこの先にある日本中心の展望台だと、僕は考えている。
ちょっと地味なところも多い日本の中心シリーズだが、ここはすっごいのだ。
ところで、ここの場所は先ほど書いた通り辰野町の山深くである。
実はここには半径数㎞内に日本の中心が3つある。
半径10㎞圏内であれば4つあるので、興味のある方は一気に巡ってみると良いだろう。
この山間部にある3つのうちの1つは先ほど引用した「辰野ゼロポイント」であり、もう1つは「日本の中心の中心 チコちゃんポイント」だ。
後者についてはまたいずれ執筆しよう。
すれ違いできないレベルで狭い道を、愛車をバキバキ言わせながら進んでいく。
「大城山」に登るルートだ。なかなかに急勾配だぞ。
だが、僕は何度もここに来ているが一度も他の車とすれ違ったことはないけどな。
でも対向車来たらヤバい。
他の2つの日本の中心との分岐点が出てきた。
今回の僕は看板に沿って右に行くのではなく、真っすぐに進む。
目的地までラスト2㎞ってところで、道は未舗装路になるぞ。
ここからが本番だ。
行ったことがある方なら誰しも印象に残っているであろう、この鬼のヘアピンカーブ。
2022年現在、ここから未舗装路が始まる。
以前はもっと手前から未舗装になっていたと記憶していた。
少し舗装化が進んだのかもしれない。
この未舗装路は、なかなかに石の粒がゴロゴロと大きい。
しかも路面そのものがボコボコだ。
つまりとても走りにくい。車体がグラグラ揺れる。
つまり車高を下げたトヨタbBとかだとなかなかに走りづらいということだ。
あと、ついでに標高が高すぎて雲の中に入った。つまり濃霧。
細かい雨が降ってきて、難易度を凶悪なほどに押し上げてくれた。
時速5㎞で走った。
永遠と思えるほどに長かった。
三菱パジェロイオだと楽勝だ。
未舗装路を走る爽快感がなんとも言えない。
ただしそれでも、ヌタヌタの部分が突然出てきたり、アップダウンが激しい箇所もあるので注意が必要である。
走っていたら行きつけのカーディーラーの担当さんから電話がかかってきたので、車を停めて電話に出た。
「YAMAさーん!そろそろタイヤ交換ですねー!8万ですよー!とりあえず洗車だけでもいいので来てくださーい!」って言ってた。
なんてタイムリーな…。
レトロな日産パオで走るとなかなかに地獄である。
いろんなところからバキバキ音が鳴るし、パオちゃんも「わ"ーー!!」って感じのエンジン音でずっと叫びっぱなしだ。かわいそう。
それでも、この先に絶景が待っているのを知っているから頑張れる。
徐々に空が広くなってくる、この感覚が好きだ。
この丘を乗り越えれば、もうすぐに日本の中心だ。
想像以上に長く感じる2kmが、間もなく終わる。
日本中心の展望台から絶景を見よう
日本中心の展望台。ここで道は終わる。
駐車場と呼んでいいのかどうかわからないが、ロータリー的なエリアがあるのでそこに駐車をしよう。
なんという清々しさなのだろう。僕はここが大好きだ。
愛車の後ろに聳えているのが、目指してきた日本中心の展望台である。
なんか1本の柱だけで八角形の大きなプレートを支えていて心配になりかねない造形だが、その柱には日本地図とここが中心である旨の記載もしてあって、とても良い。
ズームするとこんな感じである。
ちょっと貼り付け方がチープだが、こんな山奥までこれを持ってきて貼り付けてくれたのだ。ありがたいとしか言いようがない。
ちなみに、これはここ数年のデザインだ。
長年通っている僕からしたら新しい。
しばらく前は、柱に「日本中心の展望台」という文字も無ければ、日本地図もなかった。
もうちょっと遡ると、展望台が大変なことになる。
次の写真でお見せしたい。
ボロッボロ。こんな時代もあった。
あと着目すべきは、展望台に登る螺旋階段が柵で覆われていないという点だ。
ちょっとスリリングである。
これが初回訪問時の展望台の写真。
裏側の朽ちっぷりがすごい。
排水口の奥をふと覗いてしまったときのようなショッキングな映像である。
…まぁとりあえず、展望台に登ろう。
景色、最高なのだ。
どこまでも山。360度の山。
向こうの平野部にかすかに見えているのは、さっきまで走っていた辰野町の市街地であろうか。
山の稜線は雲によってハッキリとは見えないが、こんなにもドラマティックな雲に感謝の思いすらある。
雲は空の表情だ。多少雲があったほうが、動きのあるいい絵が撮れる。
雲1つ無い天気の日であれば、八ヶ岳もクッキリ見える。
どっちを見ても山ばかりというこのロケーションが、「あぁホントにここは日本の中心なのだなー」と感じさせるのだ。
気持ちいいから叫んでいいと思う。僕は叫んだ。
安心してほしい、泣けど叫べど誰にも聞こえないから。(←使い方が違う)
余談でがあるが、展望台から愛車を見下ろすのも好きだ。
普段見れない角度から愛車を眺めることができる。
ここまで展望台直下まで車と一緒にくれる場所も、やや珍しいのではないかと思う。
愛車を眺め、そして景色を眺め。
最高のロケーションではないだろうか。
上の写真では霧でロクに景色が見えなかったが、展望台から愛車を見下ろしただけで満足した。
はい、肝心なことを忘れている。
日本中心の標を見なければならない。
展望台は素晴らしいけれども、オマケなのだ。
僕は日本の中心を踏みたくてここまで来たのだから。
歴史ある「日本中心の標」を拝め
日本中心の標は、展望台から少しだけ離れている。
距離にして150mくらい?
展望台からは戻る方面だ。
しかし車の駐車スペースは皆無と言ってもいい。
歩いてほんの2分ほどだから、車は置いて行くことをオススメする。
車の進行方向に向かってテクテク歩く。最高の天気。
冒頭で記載した通り、ゼロポイントにピッタリ碑を設置することが出来なかったから、少し離れて眺めのいい鶴ヶ峰エリアに日本中心の標を設置したのだ。
どうせズラすのであれば、ジャスト展望台のあるところにすればよかったのに。
実は日本中心の標がある場所は、周囲に木々が茂っていてそんなに展望は効かないのだ。
向かって右が、僕が来るまで登ってきた道である。
奥側から手前側へと来るまでやってきた。
一方、日本中心の標があるのは向かって左側の道である。
道と呼んでいいのかどうかってレベルで轍もなく緑に覆われているが、左に入ってほんの20mほどで道は終わり、そこに碑がある。
なんだったら上の写真、ズームすれば碑が写っている。
日本4周目で来たときなんかは、左側にもしっかりと轍があったんだけどね。
しかしわざわざ車で行くような距離でもないので、みんなも展望台から歩いたのだろう。
駐車したところでバックで出ないと行けないし。
その結果、左ゾーンは緑に覆われてきたのだろう。
これが日本中心の標だ。
リボンのようなちょっとユニークなデザインの石碑が、岩の上に乗っかっている。
周囲は木々に覆われている。
ずーっと前はもうちょっと気が少なかったんだけど、ここ数年でやたらとモジャついてきた。
「北緯36度00分47秒・東経137度59分36秒」、これは冒頭でご紹介した通りだ。
その下には標高1277mと彫られている。
どうりで涼しいわけだ。
猛暑続きの2022年の夏であるが、ここは快適で爽やかだ。
あと、「日本」の「日」の字が「◎」みたいになっているのオシャレ。
この碑の右側、よく見ると「中川紀元著」って書いてあるのだ。
「中川紀元さん」。
明治の中頃に生まれた、ここ辰野町出身の芸術家である。
Wikipediaで調べてみたら、1972年に亡くなっていた。
この碑が出来たのは1970年だ。つまり最晩年にこれをデザインしてくれたのだね。
僕はこの字体、大好きだ。
では、戻ろうか。日が沈む前に山を脱出したい。
そうそう、ここは自転車でのチャレンジコースでもあるのだよ。
もちろん上級者コースだ。
スタミナと未舗装路に自身がある方は突撃してみてはどうだろうか。
僕は再び愛車の日産パオに乗り込み、バキバキと車体から異音を奏でながら、鶴ヶ峰を下る。
老い先短いパオの寿命がさらに縮んだ気がしたが、パオでここに来れた思い出は永遠なのだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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