週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No:050【福島県】ヘンテコだが、それがいい!田園の「へたれガンダム」に会いに行こう!

あなたは機動戦士ガンダムをご存じか。

 

実は僕は1話たりとも見たことがなく、ガンダムについて何かを語るだけの資格を持った人間ではない。

 

しかし、そんな僕でもガンダムと言われれば、あのカッコいいデザインが脳内に思い浮かぶし、なんならおぼろげながらテーマ曲も脳内再生できるし、「親父にもぶたれたことないのに!」って言いたいけれども幼少期からボコボコだし。

 

つまり、おそらくは誰もがどこかでその情報に接したことのある、まさに国民的ロボットなのではないかな?

 

今回はそんな僕が、実際にそのガンダムに邂逅した話をしよう。 

 

さぁさぁ、ワクワクしてきたね。

 

 

永遠の男子よ(女子も)、心躍れ!

これが機動戦士ガンダムだッ!!

 

 

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へたれ。

 

 

 

へたれガンダム事件

 

これが、「へたれガンダム」である。

では、いきなりだがへたれガンダムとはなんなのかをご説明したい。

 

へたれガンダムは2020年初夏、以下に関するニュースによって全国的に知られることになった。

 

www.fnn.jp

 

ザッと説明すると…。

 

福島の某所にある、マニアのみ知るB級スポットのへたれガンダム

しかし5月に誰かがガンダムの持っているビームライフルを盗んでしまったのだ。

かわいそう!ライフル返せ!

 

…そんな感じの、悲哀に満ちた物語。

 

コロナ禍で犯人の心も荒んでいたのだろうか?

全国ニュースで度々流れ、Webニュースでも目にした本件だが、2020年10月現在も、元のライフルは 返却されず、行方不明のままだ。

 

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ニュースでは、本来持っているはずのビームライフルを取り上げられ、手持ち無沙汰になってしまったへたれガンダムが取り上げられていた。

より一層、へたれてしまったように感じ、胸が締め付けられた。

 

2020年の夏のコロナ禍が、どん底から少しだけ好転し、県境を跨ぐ移動が許可されることとなった。

 

…行こう。

へたれガンダムに会いに。

 

なんだろう?

へたれガンダムを助けたいわけでもないし、勇気づけられたいわけでもない。

ただただ、会いたいんだ。

 

コロナ禍で疲れた僕は、愛車に乗り込んでアクセルを踏んだ。 

 

 

へたれガンダムとの対面

 

…雨だ。

 

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へたれ1

くっそー。

真夏の快晴の空に浮かぶ入道雲とかを追いかけるドライブをしたかった。

なのに、なんだこのドロドロの天候は。

 

永遠と思われる梅雨がようやく明け、ようやくドライブができるかと思ったらこれだよ。

ある意味、へたれ日和なのかもしれないが。

 

福島市郊外の農村エリアを進む。

 

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へたれ2

そして、出会う。

 

…なんだこのマヌケな写真の構図は。

愛車のパオとへたれガンダム、どちらもユルユルに力が抜け、しかも天気もこれだから、なんだかフニャフニャした写真になった。

 

こんな畑の前の空き地に、彼は立っている。

 

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へたれ3

微妙に猫背だ。

シャキッと感がゼロである。

「あぁ、オフィス内での僕って第三者目線でこんな感じなのだなー」と、また1つ賢くなったコロナの夏。

 

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へたれ4

うわー、ガニ股だ。すごいガニ股だ。

ガニ股で猫背。

子供が憧れる要素を綺麗に取り除いた、そのフォルム。

 

なにか間違ってしまった、パラレルワールドガンダム

 

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へたれ5

見上げるような構図で撮影すれば、少しはりりしくなるだろうか?

…おっ、ちょっといい線を行っているのでは??

 

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へたれ6

こんな感じに、上半身だけの構図にして、画像サイズを小さくして…。

そんでビール飲んで酔っ払ったところでメガネ外してから薄眼で見れば、3回に1回くらいは本家と勘違いするかもしれないな。

 

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へたれ7

顔も、なーんか違うんだよなー。

絶妙な違和感。絶妙な頼りなさ。作画崩壊

 

お面を装着しているのが、もう近所のあのおっちゃんだってわかっちゃうような、そんな感じ。

 

かっこよくはないけど、にくめない。

世界が平和になって、15年くらいやることなくってゴロゴロダラダラしてゆるんじゃったガンダム

その分、近所の子供と遊ぶ時間を充分に取れたガンダム

 

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へたれ8

バックショット。

このランドセルみたいのは何?

ゴメン、原作もアニメも知らないから、うまいコメントはできないんだ。

 

ただ、このパーツだけ塗りが異様に綺麗。

貴重品とか入っているに違いない。無知なりに、そう結論付けた。
 

 

へたれガンダムは完全武装

 

ここまで掲載してきた写真から、あなたもお気付きかもしれない。

「へたれガンダム。ライフル持っているぞ。盗まれてないぞ。」と。 

 

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へたれ9

確かに彼は、ライフルを所持している。

しかしこれは、もともと持っていた彼の愛用の銃ではない。

 

盗難後に寄贈されたものなのだ。

丸腰になってしまったその姿が哀愁を誘い、いてもたってもいられなくなった人が、彼に武器を届けたのだ。

 

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へたれ10

ある親子は、へたれガンダムのために木製のライフルを自作して届けた。

また、ある男性は奇をてらったものを届けたいと考え、鎖付きの鉄球を自作した。

 

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へたれ11

ペットボトルを連結させてバズーカ砲を作った人もいた。

工業高校では、盗まれる前の写真を基に、精密な設計の元、ほとんどかつてのままのビームライフルを再現した。

 

既成品を届けた人も何人かいる。

確かに銃は、手作りよりも既製品の方が、メーカー保証もあるだろうし安全に扱えそうな気もわかる。

 

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へたれ12

区長は次々届く武器のため、近所の人に武器ラックを作るよう依頼したらしい。

こんな物騒なオーダーしてくる区長、なかなかいないぞきっと。

 

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へたれ13

よく見ると、盾の下からも錨のようなものが飛び出ている。

 

これも独立した武器か?って思ったけど、接続されている鎖を経由し、さっきの鉄球につながっていた。

なるほど、全部合わせて1つの武器であったか。 

 

とりあえず、すごい武装をしていることが理解できた。

絶対殺すマンだ、これ。

普段はのほほんとしているけど、キレると何してくるかわからないような、クラスに1人はいるタイプのヤツなのかもしれない。

 

もし元のビームライフルを盗んだ人がここに再び来ようものなら、この絶殺マンへたれガンダムは、全火力で攻撃をしかけてくるかもしれない。

 

 

…いや、前言撤回。

へたれガンダムはそんなことする人じゃない。

きっと平和的な解決ができるはず。

 

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へたれ14

そんな彼だからこそ、みんなに慕われた。

そんな彼だからこそ、このコロナの混乱の中でも失った武器を届けたい。

 

ja.wikipedia.org

 

※ 以前読んだ「のぼうの城」を彷彿とさせた。

 

 

そう思われる人徳

ロボットなのに人徳

 

なんという深い話よ。

 

 

へたれガンダム誕生秘話

 

へたれガンダムの生みの親は、「佐々木忠次さん」というアマチュア鉄作家の方だそうだ。

 

佐々木忠次さんは引退後、溶接技術を学ぶ。

そんで毎日工房にこもり、いろんな作品を生み出したのだそうだ。

 

2007年には、地域活性化のために鉄製の恐竜を何体か作り、平石地区のこの場所に、「平石恐竜の里」と名付けて設置をした。

だけどもすぐサビた。うん、鉄だから。

わずか3年の命であった。

 

でも、その場所に何もないのも寂しい。

地域の子供たちに親しめるような、何かが欲しい。

そんなことから次に佐々木忠次さんが作ったのが、へたれガンダムだ。

 

高さ2mの、なんだかヘンテコなガンダムが、2010年にこの地に爆誕した。

ヘンテコだけど、地域の人に愛された。

 

しかし、その翌年の2011年の6月に、佐々木忠次さんは亡くなっている。

へたれガンダムは、佐々木忠次さんの遺作なのだ。

 

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地域を愛し、キャラクターを愛し、子供のためにと造られた、遺作のへたれガンダム

そのビームライフルが心無い人に盗まれたのだから、残念な気持ちだよな。

 

だけど、があった。

コロナ禍でみんながロクに動けず、物理的に出会えない中でも、は確かにつながっていた。

 

だからこその、この大量の重火器

 

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へたれガンダムは、ライフルがあろうと丸腰だろうと、「やさい100えん」の無人販売所の前に立っている。そこであなたが来るのを待っている。

 

あなたもぜひ会いに行ってほしい。

彼が愛される理由が、よりわかるかもしれないから。

 

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雨は止み、周囲が明るくなってきた。

さぁ、次のスポットへ行こうか。


 


以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。 

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: へたれガンダム
  • 住所: 福島県福島市平石駒ケ池
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 周囲に数台分あり
  • 時間: 特になし 

 

 

No:049【北海道】遥かなる日本本土最北端!!宗谷岬は北を目指す旅人たちの終着地点だ!

日本の最北端。 

 

このシンプルなひとことに、どれだけの旅人たちの感情が揺さぶられただろうか。

どれだけの旅人が、その最北の地を踏むために旅立っただろうか。

 

数ある「○○の最先端の岬」の中で、今回ご紹介する「宗谷岬」は究極であると僕は考える。

いろんな意味で「TOP of TOP」の岬。

 

その世界に到達したエピソードである。

 

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北極星を象る最北端の碑

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

その中でも最北。

北海道最北であり、日本最北の岬が宗谷岬である。

 

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無数のツーリングライダー、旅ドライバー、チャリダー、ヒッチハイカー…、全ての旅人がこの一極を目指すといっても過言ではない。

 

僕も、2020年現在において7回か8回くらいは訪問しただろうか?

北の大地、北海道に上陸すると2回に1回くらいの頻度でここを目指す。

 

「北に行くなら、北の最果てまで」。

そう考えてしまうのだ。

 

そこはどんな岬なのだろうか?

いったい何があるのだろうか?

 

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最北端の碑1

 

そこにあるには、日本最北端の碑だ。

 

 

三角形のとんがったモニュメントがあり、石板に「日本最北端の地」と書かれている。

これだ。

これがあるだけで、僕は狂喜乱舞だ。

 

僕だけではない。旅人・ライダー・観光客、入れ代わり立ち代わり、みんなこの碑の前で記念撮影をする。

宗谷岬の象徴であり、日本最北端の地をこの足で踏んだという証明だからだ。

 

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最北端の碑2

少し拡大してみよう。

 

日本最北端の地

The Northernmost Point in Japan

 

英語でも、日本最北の地であることを書かれている。

よーく見ると、ちょっと後付けっぽくプレートが貼られている。

 

これ、実は2010年に訪問したときにはなかった。

2012年に訪問したときについていたから、きっとその間にインターナショナル化が進んだんだ、宗谷岬

 

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最北端の碑3

これが2010年。

比べてしまうと、ちょっとノッペリとしたデザインであった。

 

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最北端の碑4

この特徴的な三角形が何なのかというと、北極星の一稜をかたどったデザインなのだそうだ。

 

だから極星。

ところでボキャブラリーに乏しい僕は「一稜ってなんだよ?」って思うのだが、いろんなWebサイトで「北極星の一稜」とは書いてあるものの、それ以上の説明がない。

そもそも北極星自体に"稜"はない。

 

これさ、たぶんだけど…

 

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…ってことじゃないの?って僕は推測した。

北極星というよりかは、デフォルメされた「おほしさま」。

 

違っていたらごめんなさい。

そして「そのくらいみんな知っているよ!」だったらごめんなさい。

 

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最北端の碑5

 三角の間に、アンテナみたいな造形物。

これは「N」を表している。North(北)の「N」

 

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最北端の碑6

ドライブ・ツーリングシーズンの日中だと、大体いつもこの周辺で多くの観光客が写真撮影をしている。

このモニュメントを無人の状態で撮影するには、その記念撮影の一瞬のスキをつかないといけなかったりする。

 

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最北端の碑7

逆を言えば、1人旅であったとしても、カメラを持ってキョロキョロしていれば、親切な誰かが声をかけてくれてシャッターを押してくれる。

 

僕は、わりと現地で知り合った旅人と共に行くことも多い。

道北で出会う旅人は、大体宗谷岬を目指すか、宗谷岬から下ってきたか。

 

上の写真は、なんかすんごいスポーツカーで1人旅をしている女性と合流して宗谷岬を訪問したときの写真だ。

似たような写真ばかりをUPしているが、僕にとっては1枚1枚に壮大なドラマがある。

 

 

愛車と共に

 

記念すべき岬に到達したからには、自らの愛車と共に撮影をしたいと思う人も多いだろう。

結論から言うと、これがなかなか難しい。

 

駐車場の路面と、最北端の碑が立つ路面との間には、段差がある。

つまり、基本的には乗り入れ禁止であり、歩行者のみが立てる「歩道」に属する地だ。

 

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最北端の碑8

従い、もしWeb上で碑の間近にバイクを置いている人がいたら、段差を乗り越えたのだろう。自転車を置いている人がいたら、ヒョイと持ち上げたのだろう。

…とか考えていた。

 

しかし、この記事を読んでくれた、敬愛する先輩旅人たちから有益な情報をいただいた。

 

『碑の右側から行くと段差ほぼなしなので、押していける。通常は「乗り入れ禁止」的な掲示物があるが、過去災害があった際や2020年のコロナ影響のように、観光客が極めて少ないときにはこの掲示物がないことも。』

 

なるほど!

二輪の人たちには希望が!

でも四輪はさすがにマネできない! !

 

では、四輪車がこの最北端の碑と一緒に撮影する方法は…。

 

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最北端の碑9

なんとかかんとか、できなくもない。

 

まずは碑の目の前より少しずれた位置の駐車スペースを確保。

さらに隣に他の車がいないこと。

そして、背後の車道ギリギリ、あるいはさらに遠くまで下がってから目いっぱいのズーム。

 

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最北端の碑10

車が混雑していることが多いから、今まで6・7回ここを訪問して、愛車との撮影が成功したのは上記の2回のみである。 

 

余談だが、上の写真を撮った直後に愛車のHUMMER_H3の調子が悪くなった。

既に夕方で冷気が襲って来ているし、最北の岬も急に閑散となる中、愛車の不調は心底肝を冷やす。

 

後述する「日本最北端のガソリンスタンド」に飛び込んだものの「重大なトラブルかもしれません」と絶望的なコメントをもらったのは、今となってはいい思い出。 

※結論、問題はなかったのだが。

 

 

間宮林蔵とサハリン

 

もう1つ、定番のショットをご紹介する。

 

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間宮林蔵1

間宮林蔵」と日本最北端の碑の、コラボショット。

撮影方法には説明入らないだろう。上記の通りだ。

 

間宮林蔵は、僕の尊敬する探検家の1人だ。

北国を多く探検し、「サハリン」が島であることを発見したりした人。

 

【世界地図に名を残した唯一の日本人】探検家・間宮林蔵 | 歴人マガジン

 

彼の活躍は、例えば上記のリンク先などで確認してほしい。

間宮海峡」という名前で、サハリンとロシア本土との隙間の海峡に名を残しているぞ。

ちょっと肖像画の顔が「バカ殿様」っぽくてアレだが、実績はすごい人だぞ。

 

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間宮林蔵2

上の2枚の間宮林蔵の写真、そのいずれも水平線にサハリンが見えているのをお気づきだろうか?
間宮林蔵は、遥かなるサハリンをこの地で眺め続けている。

 

サハリンは、日本から一番近いロシア。

その距離は43㎞である。

 

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サハリン1

これが、僕が宗谷岬にて撮影した中でも、トップクラスにサハリンが良く映っている写真だ。

 

もっとも、一番無難かつ綺麗に撮影する方法は、「稚内空港」を飛行機で離着するときだと個人的に考えているが、飛行機からの写真は今回の趣旨とは異なるので割愛する。

 

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サハリン2

拡大すると、建物らしきものも見えている。

これだけロシアが近いのだ。逆に言うと、宗谷岬がすんごく北なのだ。

 

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サハリン3

日本はここで終着点だが、あの向こうには果てしない世界が広がっている。

 

あっちに渡ったときのことを想像するとドキドキとワクワクが同時に押し寄せてくるが、たぶん僕が世界を股にかけることはない。

日本という限られたエリア、狭く深く追求していきたいから。

まだまだ日本を追及しきれていないから。

 

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間宮林蔵3

…そんなことを言っているような、ちっぽけな僕。

 

だからこそ、開国前に早々に海外を意識している人間に敬意を表す。 

彼にとってはここは「日本の終わりの地」ではなく、「世界の始まりの地」だったのかもしれない。

 

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間宮林蔵4

 

宗谷岬の楽しみ方

日本最北端の店 

 

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最北端証明1

宗谷岬の駐車場の周囲には、食堂もあるしお土産物屋さんもある。

 

そんな中でも、日本最北端の店を名乗る 「柏屋」をご紹介しよう。

 

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最北端証明2

お菓子などの一般的なお土産も多く、僕も過去何度かここで友人や同僚へのお土産を購入している。

 

しかしそれ以上のアイデンティティが、「日本最北端到達証明書」を発行している点である。

100円で、日付と時間入りで証明書を発行してくれるのだ。

 

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最北端証明3

例えば2016年バージョンがこれだ。


7回ほど宗谷岬に通った中で、日本5周目と日本2周目だけ曇っていたが、上記の写真はその曇りの日本5周目である。

証明書の青空を見て、ちょっと気持ちを上向きにさせた。

 

日本1周目や2周目では嬉々として購入していたが、そのうち「何枚もあってもね…」と思って購入を辞めた。

だけどもこの日本5周目は特別な思いがあって訪問したので、久々に発行してもらったのだ。

 

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最北端証明4

お店には、デジタルの温度計もついている。

8月なのにだったり20℃だったり、9月なのに13℃だったり…。

どれだけここが寒冷な地か、ご理解いただけるかと思う。

 

日本最北端のガソリンスタンド 

 

尚、柏屋のさらに後ろにはガソリンスタンドがある。

日本で最北のガソリンスタンド、「安田石油店」だ。

ここで満タン給油をすると、ちょっと素敵なプレゼントがある。

 

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最北端証明5

「日本最北端給油証明書」!

 

あなたは日本最北端の給油所で給油したことを証明致します。

 

この証明書と周辺MAP、そしてホタテの貝殻の交通安全アクセサリーを無料でもらえる。

ホタテのアクセサリーは手作りだろう。

こういう品は嬉しいね。大事にしたい。

 

この写真は2010年のものであるが、通年やっているのか、今もやっているのかは不明なので、詳細はご自身で確認してほしい。

ちなみに僕は過去2回ほどもらっている。

 

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最北端証明6

「愛車がヘンなんです!助けて下さい!」と泣きそうになりながら駆け込んだのは、過去1回だけである。そして願わくば、もう2度とやりたくない。

 

 

宗谷丘陵から 

 

駐車場から国道を挟んだ丘を上がってみよう。

歩いても数分だが、車で行っても広々とした無料の駐車場があるぞ。

 

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宗谷丘陵1

この丘の上からは、ここまでの項目でご紹介したポイントが軒並み見渡せる。

もちろんサハリンも。

 

わかりづらいが、手前の店舗群と駐車場との間を国道が走っている。

この岬が非常にゆるやかなカーブを描いていることがおわかりいただけると思う。

 

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宗谷丘陵2

丘の上には、「宗谷岬灯台」がある。

この写真は、パジェロイオで到達した、日本4周目のときのもの。

奥のすごいスポーツカーで関東からやってきた旅人の姉さんとは、2020年現在も未だに親交が続いている。

 

宗谷岬灯台は、日本最北の灯台である。

国境を示す灯台であり、宗谷岬とサハリンの間を航行する船にとっては、非常に大事な役目を持つ。

 

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宗谷丘陵3

なんだかカクカクで、写真映えしないデザインかもしれないが、「日本の灯台50選」にもエントリーされている。

 

プチ情報だが、灯台が白黒あるいは紅白なのは、雪が降った時でも灯台が見やすいようにペイントしているためだ。

白黒と紅白の違いの理由は、ごめん知らないんだ。

 

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宗谷丘陵4

もう4台も車が登場して恐縮だが、全部僕の愛車。

 

背後には灯台の他にも、さまざまなモニュメントがある。

これらを見ながら最北の丘の上を散歩するのも楽しい。

 

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宗谷丘陵5

右手に見える男女カップルは「あけぼの像」だ。

 

K-1でヘンテコな負け方をして有名になった元おすもうさんのことではなく、この日本最北の地の、酪農の夜明けを表す像だ。 

 

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宗谷丘陵6

「祈りの塔」。

1983年にこの付近で勃発した大韓航空機撃墜事件にて、乗客乗員は全員死亡してしまった。 

その慰霊碑である。

アルメリアが咲き乱れていたので、慰霊の想いを込めて一緒に撮影してみた。

 

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宗谷丘陵7

これは「旧海軍望楼」である。この丘の上で、僕が最も好きなスポット。

 

日露戦争の時、「世界最強のバルチック艦隊、どっから侵攻してくる!?可能性のある海峡を全力で見張れ!!」ってなったときの宗谷岬の要所。

 

そんな場所だから眺めはバツグンだ。

上まで登って宗谷岬全域を見渡そう。本稿の冒頭の写真も、ここから撮影している。

 

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宗谷丘陵8

「ゲストハウス アルメリア」は、丘の上に立つ風車が特徴的な建物。

宗谷岬の肉牛を食べれるレストランだ。

 

この背後の丘陵は肉牛たちの大牧場で、それをダイレクトにここで食べちゃう作戦。

ジンギスカンとか牛丼とかあるぞ。

僕も初めて宗谷岬に来た日本1周目のとき、ここでランチにした。

 

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宗谷丘陵9

当時の写真である。宗谷黒牛の牛丼だ。

ピンボケしちゃっていて恥ずかしいな。まぁこれも思い出よ。

 

 

 

もし未達であれば、あなたも日本最北端の宗谷岬に立ってみてほしい。

 

そのとき果たしてあなたは、何を感じるだろうか?

 

旅人の数だけ思いはある。

2つとして全く同じものはないだろうが、達成感と笑顔は、そこにあるのではないかと考える。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 宗谷岬
  • 住所: 北海道稚内市宗谷村字大岬
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:048【大阪府】「ほな、さいなら」巨大ふぐ看板「づぼらや」コロナで100年の歴史に幕!

今日は10月15日…。

もう1ヶ月が経過してしまったのか。

 

大阪の「新世界」のシンボル的な存在であった巨大ふぐ看板を掲げていた、あの「づぼらや」が9月15日に閉店してから…。

 

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原因は、2020年に猛威を振るう新型コロナウイルスに伴う、営業自粛で経営難になったことだという。

 

まさか、あの巨大ふぐ看板が無くなるだなんてな…。

信じられない。

 

最後に見たのは、閉店からちょうど1年前に当たる2019年の9月中旬のこと。

ちょっと回顧させてくれないか、あの日のことを。

 

 

づぼらや閉店1年前の新世界

 

あの日、1年後の未来なんて何も知らない僕は、のほほんと巨大ふぐ看板を見上げながら、1人たこ焼きを食べていたのだ。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

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新世界へ1

あんまり賑やかなところに車で突撃したらパニックになりそうなので、「通天閣」から徒歩5・6分と思われるところに愛車のパオを停めてみた。

 

でも、大阪の中心地なためか、駐車場代が相当に高い。

あと、背後のビルの外壁がベロンベロンで、大丈夫かなぁと思った。

 

では、お散歩だ。

 

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新世界へ2

通天閣が見えてきたーー!!

 

再び大阪から世界へ!EXPO2025

 

万博、また大阪で開催されるもんね。

その日が楽しみだね。僕も行きたい。

 

通天閣をかすめて、さらに「世界の大温泉スパワールド」方面に歩く。

スパワールドも昔入浴したことあるが、インパクトすごかったなぁ。

 

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新世界へ3

両側のガチャつきレベルが飛躍的にUPしたーー!! 

この自己主張のバロメータを振り切った看板群にクラクラするわ。

 

頭上を船が通過する、不思議な光景。

 

確かに、上品ではないかもしれない。

でも、すごくすごく元気をもらえる町。

なんだか笑顔になれる町。

 

そういう存在、人生において必要だと思う。

 

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新世界へ4

看板を見ながら歩く。

 

串かつ・串かつ・串かつ…。

あ、その向こうがづぼらやだな。

 

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新世界へ5

 

なんか浮いているぞ。

 

あれが、づぼらやの巨大ふぐ看板だ。

看板の概念の向こう側まで行っちまっている。

 

しかしここ新世界や「道頓堀」には、そんなダイナミックな看板が溢れているから恐ろしい。

もはや食のアミューズメントパークだね、これ。

 

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新世界へ6

ここでいったん、後ろを振り買ってみた。

通天閣が、看板群に飲み込まれつつある。

 

だけども、それも含めて混然一体となり、1つの世界観を構築している。

なんでもかんでも無節操に入れてみたら、なんか味がまとまって美味しくなった鍋、みたいな感じだろうか。

 

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新世界へ7

恵比須様だ。

手にはなんだか雑なデザインの…串かつ?

 

串かつ屋だから、串かつなのだろう。

決してみたらし団子ではないし、「道の駅 望羊中山」の名物のあげいもでもないのだろう。

 

…さぁ、そうこうしているうちに、づぼらやの目の前に到達したぞ。

 

 

づぼらやとたこ焼き

 

づぼらやは、大きなふぐ看板を出している通り、ふぐ料理屋だ。

フラリと立ち寄った旅人1人で入るには、少々ハードルが高いかなって思った。

巨大ふぐ看板はカッコ良くて魅力的だが、それに釣られて店内に入るのは、思いとどまった。

 

何より僕はたこ焼きが好きである。

なんだったら、ここに来た最大の目的もたこ焼きだ。

 

そうだ、づぼらやの巨大ふぐ看板を見ながらたこ焼きを食べればいい。

僕は天才か。

 

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づぼらや前1

「新世界 かんかん」という名前のたこ焼き屋を発見。

 

振り向けばづぼらやの巨大ふぐがつぶらな瞳でこっちを見ているような立地。

そして、づぼらや新館の隣。

ここにしよう。

 

隣の「餃子の王将」のファンタスティックな看板も気になるが、王将は他でも食べれる。ここは、かんかん一択だ。

 

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づぼらや前2

はい、できたー!

8個入りで350円。結構安い気がする。

アッツアツだ。

 

たぶん持ち帰り専用のお店なので、こんな感じに渡される。

これ持って巨大ふぐの前に行こう。

…とはいっても、移動距離は数mだけど。

 

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づぼらや前3

さぁさぁ、ここがベストプレイスか?

づぼらやの巨大ふぐの正面近くまで来たぞ。

 

右を向いている人が多いが、これみんな巨大ふぐを見上げているのだ。

 

ところでスマホで写真撮影するときって、みんな両手を顔の前に持ってくるでしょ?

それが、タイミングが合えばみんな巨大ふぐを崇拝しているように見えるのよ。

なるほど、ふぐ神。

 

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づぼらや前4

右に巨大ふぐ看板。

そして左手に「日本一の串かつ 横綱」。

 

どっちもすごい。人間の横綱と、魚類の横綱の共演である。

 

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づぼらや前5

おすもうさんだ。

おすもうさんが、いっぱいおる。

 

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づぼらや前6

反対側にはビリケンさんもいる。

 

お店の外壁の宣伝看板を見る限り、ちゃんこ鍋・どて焼き・寿司…。串かつ以外にもいろいろあるようだ。

どうやら飲み会とかで使えるような、なんでもあるお店みたい。

こういうところで、昼間から陽気に飲んでみたいものだ。

 

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づぼらや前7

ふぐを見上げながら、たこ焼きを食べた。

熱いのでヤケドしないように気をつけて食べたつもりだが、上顎の皮はベロンとなったようだ。

まぁ、僕はO型なので細かいことは気にしない。そのうち再生する。

 

ところでこのたこ焼き、めっちゃうまいな。

トロトロだし、でも揚げ玉がたくさん入っているようで、若干サクサクしたような、複雑な食感が楽しい。

なによりダシもタコもうまい。

 

最近は大阪のたこ焼きからは遠ざかっていたので、感動した。

やっぱ大阪のたこ焼きはうまい。

ヘタすれば、もう一店舗このあとハシゴしてしまうかもしれない。

 

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づぼらや前8

すさまじいインパクトを誇る、巨大ふぐ看板。

これはふぐ提灯を模しているらしい。

 

なんと体長は5m、直径は3mだそうだ。重さは100kg。

 

そして、提灯だからか看板だからか理由はわからないが、夜になると内部に仕込まれたライトが光って明るくなる。

提灯としても看板としても、正解だ。

 

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づぼらや前9

スパワールド近くまで行き、ちょっと引きで巨大ふぐ看板を撮影してみた。

バックには通天閣

新世界を表す構図としては有名なショットだと思う。

 

人力車もいるぞ。正面はすごい人だ。

しかし撮影している場所は少しだけ喧騒から離れていたので、ここでたこ焼きをゆっくり完食。

少々のダメージを口内に負ったものの、大変に満足した。

 

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づぼらや前10

この巨大ふぐ看板、実は違法らしい…。

 

大阪市の道路占用許可基準にて、看板が道路にはみ出る許容範囲というのが定められている。

それによれば、看板は地上から4.5m以上の高さを保ち、かつ店舗から1m以上突き出ないこと、ってなっている。

 

だけどもこの巨大ふぐ看板は、高さは10cm足りないし、規定より道路側に4mも飛び出ているそうなのだ。

かなり大胆に規定を超過してしまった。

 

しかし、大阪の文化を表す代表的なスポットということで、市長も黙認してきたそうだ。

うん、やっぱふぐ神なのかもしれない。神の威厳と権力。

 

すでに看板というより、空中浮遊だもんね。

神は空にて民を見下ろすものだ。

 

 

道頓堀のづぼらや

 

前項でご紹介したのが、づぼらやの本店だ。

づぼらやにはもう1店舗、道頓堀店というのがある。

 

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道頓堀1

はい来たー。「道頓堀」である。

さっきの新世界より数㎞北に位置する地点だ。

 

そして「来た」とか書いたけど、これは時間軸をしばらくさかのぼっている。

直近の日本6周目では道頓堀は観光していないので、日本5周目に訪れた写真からご紹介する。

 

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道頓堀2

もうね、道頓堀もどこを見ても面白い。

こんなにもエネルギッシュな町がほかにあるだろうか?

 

その店舗も、看板に対して全力投球だ。

その前のめりな姿勢が、見るものに笑顔を与えてくれる。

 

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道頓堀3

「グリコ」・「かに道楽」・「くいだおれ」…。

まさに大阪巨大看板の王道だ。

 

かに道楽もくいだおれも入ったことないけど、看板はよく知っている。

大阪を代表する景観だと、勝手に思っている。

 

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道頓堀4

くいだおれ太郎」だ。

土産物店に設置されている。大人気であった。

 

くいだおれは、もともと老舗飲食店であったが、2008年に閉店しちゃったんだよな。

約60年に渡る長き営業に幕を閉じたのだ。

 

僕、実はその2008年のくいだおれの閉店の少し後に道頓堀に来ている。

 

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道頓堀5

これが、そのときの写真だ。

役目を終えたくいだおれ太郎は、たぶん自分探しの旅に出ていた。

 

話が反れてしまったが、そんな道頓堀の商店街の中にもづぼらやがある。

 

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道頓堀6

づぼらや道頓堀店。

ここにもふぐ提灯があるが、新世界と比べると少し小ぶりだ。

それでも、インパクトはなかなかのもの。

 

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道頓堀7

でも、これもなんとなく市の規定からはみでているような気も、しなくもないが…。

 

このときの道頓堀では、日本最北の島である「礼文島」で知り合った大阪在住の旅人と合流し、一緒にお好み焼き食べた。

すげーうまかった。

 

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道頓堀8

カオスな世界。

でも、僕はこの世界観が好きだ。

 

日本の他のどんな町でも得られない体験が、ここではできると思っている。 

 

 

づぼらやの閉店

 

そんな「大阪のイメージ」の代表格の一角である、づぼらやが閉店宣言をしたときには、とてもビックリした。

きっとニュースを見た日本中の多くの人も、同じ気持ちだったに違いない。

 

www.yomiuri.co.jp

 

1920年から、100年間も営業してきた老舗ふぐ料理店。

2020年の新型コロナウイルスの流行に伴う自粛のため、4月8日からは休業していた。

 

復帰する予定もあったんだけど、コロナの影響が長引いたこと、そしてもともと経営が苦しかった側面などもあり、そのまま9月15日に復活することなく、本店も道頓堀店も閉店したのだ。

 

「ほな!さいなら」の垂れ幕が掲げられ、シンボルである巨大ふぐ看板が取り外された。

それを今後どうするかは、決まっていないらしい。

 

当たり前のように存在していた、巨大ふぐ看板がなくなってしまった。

あの光景は、もう見れないのだ。

 

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心にポッカリと穴が開いた気持になる。

 

そして、こんな老舗店までもを閉業に追い込む新型コロナウイルスに憤りを感じる。

この状態が今後も続いたら、日本の飲食業・観光業はどうなってしまうのだろう?

 

まだまだ出口は見えない。

僕にエネルギーを与えてくれた大阪。

 

今度はわずかながらも僕がエネルギーのお返しをしたいところだが、GoToキャンペーンも使う予定もなく、陰ながらの応援となってしまっている。

 

せめて、コロナが落ち着いたら、もう一度遊びに行こう、大阪。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 「づぼらや
  • 住所: 大阪市浪速区恵美須東2-5-5
  • 料金: いろいろあるけど、2,000~5,000円目安か。
  • 駐車場: なし。付近のコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 11:00~23:00

 

【特集】「本土最突端16岬」!!北海道・本州・四国・九州の東西南北の突端を一挙紹介!

 

日本地図を広げてみる。

 

そこには、大きめの島が4つある。

北海道・本州・四国・九州だ。

 

これを日本本土と呼ぶ。

(「離島航路整備法第2条第1項」に基づく定義)

 

日本の本土の最北端は、「宗谷岬」だ。

では、日本の本土の最南端は…?

四国の東西南北端は…??

 

4つの大きな島があるからには、きっとそれぞれの島に東西南北端がある。

書き出してみた。

 

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これらをまとめて「本土最突端16岬」と呼ぼう。

 

 

その突端は、果たしてどんなところなのだろうか?

 

行けるところまで行ってみよう!

そこには何もないかもしれないが、少なくともロマンはあるに違いない!!

 

 

北海道

 

最北端:宗谷岬

 

 

北海道の最北端ということは、日本本土の最北端である。

それすなわち、日本の最北端である。

 

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宗谷岬1

無数のツーリングライダー、旅ドライバー、チャリダー、ヒッチハイカー…、全ての旅人がこの一極を目指すといっても過言ではない。

 

寒冷な地ではあるが、日本で1番、旅人たちの熱気であふれるスポットなのかもしれない。

 

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宗谷岬2

旅の終着点。旅の目的地。

全ての終わりと始まりの地。

 

それが、北海道最北端の「宗谷岬」だ。

 

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宗谷岬3

僕も、幾度この地を踏んだだろうか?

いつ行ってもここは、旅人たちの笑顔であふれている。 

 

旅する者が等しく夢見る、サンクチュアリ

北極星の一稜をかたどった三角のモニュメントが、遥かなる旅路を経て辿り着いたあなたを迎えてくれるだろう。

 

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宗谷岬4

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

最東端:納沙布岬

 

 

北海道の最東端ということは、日本本土の最東端である。

それすなわち、一般人の到達しうる日本の最東端である。

 

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納沙布岬1

正確に言えばさらに東には「南鳥島」とか「北方領土」とかあるのだが、ここは学術的な地理ではなく、旅人のためのページとご理解いただきたい。

 

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納沙布岬2

6月から9月にかけては、霧に覆われることが多い岬。

何度も訪問したが、快晴であったことは稀だ。

 

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納沙布岬3

北海道で最初に設置された灯台も建つ。

 

風が強く、荒涼としたイメージのあるエリア。

北方領土返還を求める看板や碑などが多く、複雑な思いを抱く。

晴れていれば、肉眼でも北方領土灯台が見えるのだ。

 

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納沙布岬4

手が届きそうで届かない、北方領土を臨む岬。

それが、北海道最東端の「納沙布(のさっぷ)岬」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。 

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

最西端:尾花岬

 

 

結論から言おう。

この岬に到達することは原則不可能だ。

 

車道も歩道も無いからだ。

 

そりゃ、陸地が続いている限り、卓越した肉体があれば不可能ではない。

無理矢理到達した人もいる。

しかし、前述の通りここでは一般論を書く。

 

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尾花岬1

上記が、隣の「帆越岬」から見た「尾花(おばな)岬」である。

尾花岬の一番のビュースポットだと思っている。

 

赤く囲った部分にトンネルが見えるだろうか?

このトンネルの入口と出口が、一番岬に接近できるところだ。

 

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尾花岬2

トンネルの反対側(北側)。

ここから岬の先端を振り返り、思いを馳せる。

 

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尾花岬3

古くから「陸の孤島」と呼ばれてきた、厳しい地形の果てに位置する幻の岬。

僕も10数年この岬を追いかけてはいるが、追っても追っても届かぬ幻。

 

それが、北海道最西端の尾花岬だ。

 

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尾花岬4

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最南端:白神岬

 

 

北海道の最南端は、本州の最北端に対し13kmも南にある。

海を越えた20㎞程の彼方には、津軽半島の「竜飛崎」が見えている。

 

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白神岬1

そんな立地上のこともあるが、海岸付近まで山々が連なるロケーションからも、「壮大な北海道」というよりも青森県に近い感覚に陥る。

 

さらにもう1つ、青森県との結びつきを強める要素がある。

 

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白神岬2

これが北海道最南端の碑である。

ここには、『海底下の 列車のひびき 聞こえ来て 白神岬は さざ波の列』という句が刻まれている。

 正確には少しズレるものの、この地下を青函トンネルが通っているのだ。

 

青森県と向かい合い、そしてつながる岬。 

それが、北海道最南端の「白神岬」だ。

 

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白神岬3

上記が、白神岬の駐車場である。

 

東から来るとすると、国道沿いの覆道の直前に滑り込むようにこの敷地がある。

逆に西側から来ると、覆道の直後に一瞬見えるものの、意識せずしてここに入るのは困難と思われる。

 

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白神岬4

近くに白神岬灯台もあるものの、岬自体にはただただ、北海道最南端の碑があるのみ。

しかし、その唯一の碑が、何物にも代えがたいものなのだ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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本州

 

最北端:大間崎

 

 

ここは、観光としての側面で評価するのであれば、きわめて100点に近い岬だ。

豊富な駐車場・土産・グルメ・景観・旅情、その全てがこの岬の周辺に集約されている。

 

…だからかどうかはわからないが、日本6周を走る僕も、かつて日本1周目の最初を飾るドライブで、ここを目指した。

 

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大間崎1

『ここ本州最北端の地』の碑。

北に目を凝らせば、北海道の地が水平線に見える。


残念ながら橋は架かっていないが、ここ大間から1時間半フェリーに揺られれば、さらなる冒険の大地が広がっている。

 

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大間崎2

もともとは最果ての小さな漁村と思われる地だが、岬周辺は観光客向けにきれいに整備されている。

 

それだけの経済効果があるのだろう。

盛り上がれ、観光産業。

 

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大間崎3

大間のアイデンティティはそれだけではない。

 

「マグロ一本釣りの町」。

大間のマグロと言えば、一大ブランドである。

従い、付近の食堂でもマグロ丼を多くの店が提供している。

 

突端岬と国内有数のマグロ漁獲地という、強力な要素を生かした観光地。

それが、本州最北端の「大間崎」だ。

 

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大間崎4

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最東端:トドヶ崎

 

 

控えめに言っても、ここは最高だ!素晴らしい岬だ!

達した瞬間、感動で胸が震える。涙が出そうになるくらいだ。

 

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トドヶ崎1

それは三陸の秘境、重茂半島の最深部にある。

漢字では「魚毛」を一文字で書き、"トド"と読む。

 

まずは一番近い宮古の町から岬の駐車場に行くまでが大変。

山深い山間部をクネクネと延々走る。

道の行き止まりである「姉吉キャンプ場」に、車を駐車することとなる。

 

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トドヶ崎2

ここは2011年の東日本大震災で最大の津波に襲われたところで、その前と後とではずいぶん景観が異なる。

直近ではずいぶんきれいに整備された。

 

ここから山道を4km歩く。

静寂に包まれた道を、ただただ延々歩く。

 

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トドヶ崎3

先端には東北一の高さの灯台と、本州最東端の碑がある。

 

このロケーションが開けた瞬間の感動は、筆舌に難い。

ここには気の利いたものなんて何もない。ただただ、三陸の険しい海岸が広がるだけ。

しかし、岬が本来持つ荒々しさ、自然の厳しさを体感できる。

 

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トドヶ崎4

僕は何度もここに行っているが、今まで出会ったのは日本1周している旅人2名だけ。

 

この何もない場所から何かを感じ取れることができるのであれば、また日本の良さに1つ気付けた証なんだと思う。

 

荒波と岸壁に囲まれた、到達レベルの高い岬。

それが、本州最東端の「トドヶ崎」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最南端:潮岬

 

 

南国テイストの溢れる紀伊半島の先端に、その岬はある。

どこまでも広がる青い青い太平洋は、地球の輪郭に沿って見事な弧を描いている。

地球は丸いのだと、改めて気付かされる。

 

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潮岬1

上記は少し古い写真である。

(かつては常連だったのだが、最近はあんまり行っていない)

 

2020年現在は背後に見えている建物が撤去され、どこまでも広がる海をバックに、「本州最南端の碑」を見ることができる。

 

堂々たる碑だ。

最突端16岬の碑の中では、最重量なのではないかと推測する。

 

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潮岬2

夕日もまた格別だ。

立地上、ここは朝日の夕日も見える。岬の敷地周囲、300度くらいが海だ。

 

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潮岬3

岬のかたちをさらに感じ取るのであれば、観光タワーに登るのもよいと思う。

土産屋や食堂もある。

 

岬には広大な芝生が広がり、キャッチボールやフリスビーに興じたこともある。

ピクニックもできるだろう。

 

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潮岬4

他にも本州最南端を示す碑がある。

敷地は広く、いろんなものがあり、いろんな景観を楽しめる。

 

芝生が広がり、太平洋を臨む南国ののどかな岬。

それが、本州最南端の「潮岬(しおのみさき)」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最西端:毘沙ノ鼻

 

 

下関市の中心部から20㎞程離れた郊外。

田園地帯の中を突っ切ったり、狭い山道をゴミ処理場ギリギリをかすめて進んだりと、道中不安になるようなこともあるだろう。

 

その先に、本州の最も西の地点がある。

 

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毘沙ノ鼻1

駐車場から岬の展望台までは徒歩5分である。

ちなみに、駐車場に公衆トイレが1つあることを除けば、他に「施設」と呼べるようなものは岬の先端まで何もない。

 

ただただ景色を見る。そのためにここに来た。

そういう意思を再確認しておこう。

 

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毘沙ノ鼻2

「本州最後の陽が見える丘」の標柱が立つ遊歩道。

日本2周目で初めて撮影してから現代に至るまで、ずいぶん劣化が進んでしまった。

 

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毘沙ノ鼻3

突き当たりには展望デッキがある。

 

前方には島があるし、九州の大地が見えている。

紺碧の海は、ここまで辿り着いた者を最大限に讃えてくれるだろう。

 

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毘沙ノ鼻4

本州最後の夕陽と九州の大地を臨む丘。

それが、本州最西端の「毘沙ノ鼻(びしゃのはな)」だ。

 

ちなみに僕は、過去2回ここでの日没にギリギリで遅刻している。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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四国

 

最北端:竹居観音岬

 

 

庵治半島のクネクネ道をひたすら進んだ先に、「竹居観音寺」へと下る狭路かつとんでもない傾斜の道が出てくる。

 

この道を降りた正面にあるのが、四国最北端の碑だ。

 

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竹居観音岬1

穏やかな瀬戸内海が、碑の背後に広がっている。

巨大な陸地のように見えるのは、「小豆島」だ。

 

上記は日本6周目の写真だ。

だがこれ、僕的には残念な要素がある。

日本5周目に当たる数年前まで、この上に時計のオブジェがあったのだ。

 

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竹居観音岬2

素晴らしい!!

このレトロな時計のデザインよ!!

 

僕はこれが好きで好きでたまらなかった。

撤去されてしまったのは、老朽化や故障が原因なのだろう。

残念極まりない。

 

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竹居観音岬3

晴れてさえいれば、海岸はとてもきれいだ。

時計のシルエットが浜辺に投影されるのもステキ。

 

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竹居観音岬4

ここは竹居観音寺の境内である。

もう少し進めば拝殿、及び断崖の洞窟に設置された社とかあるが、それはまたの機会にご紹介しよう。

 

瀬戸内海に突き出た、かつてレトロ時計が時を刻んでいた岬。

それが、四国最北端の「竹居観音岬」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

最東端:蒲生田岬

 

 

果てしない狭路。襲い来る肩こり。

ただただ1つの岬のために、全ての犠牲を払え。

さすれば、四国最東端に到達できるだろう。

 

…ちょっと大げさに書いたが、あながち冗談ではないことを、到達経験のある方ならわかっていただけると信じている。

 

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蒲生田岬1

延々続く狭路の果てにある、野鳥飛び交う岬。

それが、四国最東端の「蒲生田(かもだ)岬」である。

 

 2010年に、上記写真の四国最東端の碑が設置された。

それまでは四国最東端を示すものはほぼなく、「本当に何もないが最東端だから行く」という、屈強な意思が必要であった。

 

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蒲生田岬2

四国最東端の碑と同時に、不思議なモニュメントも設置された。

どちらも観光客誘致のためだが、効果は不明だ。

 

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蒲生田岬3

遊歩道を歩く。

灯台までの階段はかなりの心臓破りである。

 

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蒲生田岬4

先端には、特定方向の照射に固定された灯台が立つ。

 

基本的に観光客もほぼいないが、バードウォッチングの人が多数いたこともあった。

野鳥の楽園。

静かな秘境の岬。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

最南端:足摺岬

 

 

亜熱帯テイストの漂う、黒潮の打ち寄せる岬。

それが、四国最南端の「足摺(あしずり)岬」だ。

 

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足摺岬1

岬には黒潮が打ち付け、高さ80mの目のくらむような断崖となっている。

正直、自殺者も多い。

 

そんな足摺岬だが、1度だけおだやかな顔を見ることができたことがある。

 

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足摺岬2

真冬の日の出前。

断崖の上に立つ灯台。朝焼けに染まる静かな海。

いつも荒れ狂っている印象のあるこの岬の中で、僕が撮影した限りでは貴重な1枚だ。

 

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足摺岬3

岬には立派な展望台があり、朝日も夕日も見ることができる。

どっちも見たが、どっちも印象的であった。

付近には遊歩道が整備され、岬の周辺を南国植物など見ながら散策できる。

 

近くには水族館もあり、岬周辺が充実しているので多くの観光客が訪れる。

しかし付近の道はやや狭く、駐車場のキャパシティも心もとなく、ゴールデンウィークや夏休みなどは、やや離れたポイントからシャトルバスが出ている。

 

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足摺岬4

それだけの人気を誇る観光岬。

きっとステキな思い出になるであろう。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

最西端:佐田岬

 

 

佐田岬と書いて「さみさき」と読む。

九州の最南端は佐多岬と書いて「さみさき」と読む。

 

これを間違えると恥ずかしいので、要注意だ。

ハリー・ポッター」の「ハーマイオニー」を「オー・マイ・ハニー」と読み間違えるのと同じくらい、恥ずかしいかもしれないぞ。

 

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佐田岬1

日本一細長い佐田岬半島の先端に位置する岬である。

 

最寄りの比較的大きい町である八幡浜の町から、実に52㎞。

しかも、残り3分の1くらいは擦れ違いも困難な部分もある、クネクネ道となる。

 

さらに、試練はそれだけで終わりではない。

 

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佐田岬2

駐車場から灯台まで徒歩で1800mである。

「がんばりましょう!」とか書かれている通り、なかなかシンドい。

アップダウンもあるぞ。丘を1つ歩いて越える。

 

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佐田岬3

辿り着く先のその地は、九州大分県の「佐賀関」からはわずか14㎞だ。

 

少し道を反れて「椿山展望台」に登れば、灯台豊予海峡を一望する絶景が広がる。

ここが一番のビュースポットだ。

 

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佐田岬4

日本一細長い半島の最先端。九周を突き刺すような岬。

それが、四国最西端の「佐田岬」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

九州

 

最北端:太刀浦埠頭

 

 

九州の最北端は、再突端16岬で唯一埋立地になっている。

つまりは人工の土地だ。

 

そして全国の突端マニアの泣きどころなのが、ここがコンテナターミナルの敷地内であり、立入禁止であるという点だ。

 

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太刀浦埠頭1

1つアドバイスをしておく。 

あなたがここを目指すなら、一般人の行ける北限の限界点で、あんまりウロウロしていないほうがいい。

 

ゲートの向こうで2人の警備員がお互いを見つめて頷き合った後、こっちに向かって突進してきたことがある。

僕、逃げた。エスケープ・ダッシュには定評がある。

 

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太刀浦埠頭2

西側の岸壁から回り込んで、海沿いに北側に行く。

 

ここが、無難な北限点である。 

一般的にはここを最北端としているケースが多い。

 

背後には九州と本種を繋ぐ「関門橋」が見えている。

もうすぐ朝日が昇る時間だ。

 

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太刀浦埠頭3

岩壁にはコンテナを運ぶ作業員もいるが、釣り人もいる。

突飛な車でない限り、旅人でもまぁまぁ自然に溶け込めると思う。

 

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太刀浦埠頭4

コンテナの立ち並ぶ、立入禁止の埋立地

それが、九州最北端の「太刀浦(たちうら)埠頭」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最東端:鶴御崎

 

 

最寄りの大きな町である、佐伯から非常に遠い。

かつ、狭路のクネクネ道が続く。

九州の大地を駆け巡りたい者にとって、この岬に行くことはかなりのタイムロスとなる。

 

では、そんな岬には行く価値が無いのだろうか?

…そんなわけがないだろう。

 

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鶴御崎1

この景色を見れるだけで、心が躍る。

身体の奥の奥から、深呼吸ができる。

 

ところで灯台の脇に武骨なコンクリの建物があるが、これは第二次世界大戦中の砲台の跡なのだ。

前述の佐田岬と対を成すように、瀬戸内海へのバリケード的に突き出すこの岬。

そのどちらにも砲台はあるが、とくにこっちの武装力はすごいぞ。

 

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鶴御崎2

ここはかつての要塞。

70年以上を経て未だに残る負の遺産を掠め、さらに海に向かって歩いていく。

 

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鶴御崎3

すると、海を見渡す広場に、真新しい九州最東端の碑。

 

木製で朽ちてボロボロになり、それでも四方からロープで吊られてなんとか生き延びていた先代の碑から、新調されたばかりだ。感慨深い。

綺麗で青空に生える。

 

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鶴御崎4

ここの灯台はお気に入りである。

植栽含め、まるで日本庭園のように手入れが行き届いている。

 

険しい地形の半島の果てにある、要塞と一体化した岬。

それが、九州最東端の「鶴御崎(つるみさき)」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最西端:神崎鼻

 

 

九州の最西端ということは、日本本土の最西端である。

 

しかし、日本本土の他の3方位を固める宗谷岬納沙布岬佐多岬というビッグネーム比べると、やや知名度に欠けるのがこの岬だ。

 

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神崎鼻1

山と海に挟まれた狭路を進んだ先にある、静かな集落。

静かな漁港。

 

そこにポツンとある岬なのだが、僕は知っている。

ここ10数年で定期的に整備をし、バージョンアップをし、常に我々観光客のことを考え続けてくれている、その岬のことを。

 

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神崎鼻2

不思議な形のモニュメントは、場所と形こそかわらないものの、台座部分が見違えるほどに変わった。安全性、大幅UP。

スマホを設置して、自撮りできる台もある。時代にしっかり追いついてきている。

 

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神崎鼻3

岬を目指す旅人は、デカい日本地図がそこにあると無条件に興奮する。

その生態を把握しつくされている。

 

「床に輪を書くとネコはその中に入る」という習性と同じように、僕も当然この円形の日本地図の中にニヤニヤしながら足を踏み入れるのだ。

 

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神崎鼻4

静かな岬。静かな公園。西の果てへの旅の、完結の地。

それが、九州最西端の「神崎鼻(こうざきばな)」だ。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

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最南端:佐多岬

 

 

ついに、九州の最南端である。

九州の最南端ということは、日本本土の最南端である。

 

他の岬とは装いがまるで違う。

ジャングルの中を進むかのように、ヤシを見上げ、ガジュマルを潜りぬいて岬の突端を目指す。

 

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佐多岬1

上の写真は、2020年現在は既に撤去されて別のモニュメントに置き換わってしまっているが、北緯31度を示すものである。

 

記載の通り、カイロやニューデリーと同じ緯度なのだ。

これを見ただけで、また少し気温が上がったように感じられる。

 

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佐多岬2

ジャングルを抜けた先のトロピカル・パラダイス。

それが九州最南端の「佐多(さた)岬」だ。

 

そして極めて個人的かつ感情的なコメントだが、「佐多岬、大好きだ!!」

 

過去には岬に行く唯一の道が閉鎖されて廃道化される危機があったり、岬の施設が軒並み廃墟化して大変だったりしたけど 、ちゃんと今現在も多くの観光客が訪れる地として健在だ。

 

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佐多岬3

それだけの魅力があるから、今こうして残っている。

 

2018年にすさまじいレベルのリニューアルが行われたが、それだけの投資をする価値のある、唯一無二の魅力を持つ岬。

 

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佐多岬4

僕が狂ったように全国を走っていた頃とは、まるで変ってしまった岬。

 

「大きく変わったことでガッカリするかな?」って心配しつつ訪ねたら、全然そんなことなかった。

進化している!カッコよくなっている!

 

次世代の旅人の思い出の地となること、間違いなしだ。

そんな満足感を得て、僕はこの岬を後にした。

 

詳細情報については、以下を読んでいただけると嬉しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

以上が"日本本土"の東西南北端だ。

 

だけども日本は数多くの島で形成されている。

僕ら一般人は本土だけではなく、その先の島々にも行ける。

さらには単純な東西南北だけではなく、”斜めの突端”というジャンルもある。

 

じゃあ行きますか、次のステージへ!!

 

drive-ns.hatenablog.com

 

みんな、もちろんついて来てくれるよな??

 

【コラム】ドライブ日本6周・訪問スポット推定1万箇所の旅人です。ブログをやってみます。

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

とりあえず、ブログの開始からここまで、僕が今まで訪問した少しユニークなスポットを、ご挨拶代わりに47都道府県から1つずつピックアップしてみました。

 

人生でブログ執筆は初めてであり、少々手探りです。

文章を書く仕事をしているわけでもなく、旅行・観光業などに携わっているわけでもありません。

でも、 ドライブ旅行への好奇心だけは人一倍あります。

 

サイト開始からここまでの47エピソードは、そんな僕が綴る当ブログのプロローグでした。

 

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◆自己紹介◆:旅人YAMAの歩み 

 

「恐山にギャルのイタコがいる 」というウワサをどこかから耳にし、放課後に仲間と車を走らせて、片道900㎞の彼方の本州最北端エリアに向けて旅立ちました。

残念ながらイタコもギャルもいませんでしたが、これが僕のドライブ人生のスタートでした。

 

日本1周ごとのテーマ

 

僕は、日本を周回するごとにテーマを設けています。

 

  • 日本1周目:都道府県走破
  • 日本2周目:有名観光地・景勝地制覇
  • 日本3周目:島・旅人宿・車中泊・車中自炊
  • 日本4周目:秘境・廃墟
  • 日本5周目:レトロ・B級スポット
  • 日本6周目:ボロ宿・ボロ食堂・珍スポット

 

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次はどんなワクワクを探しに行こうか、って考えています。

時間の経過と共に、興味も変わるものです。

 

興味が変われば、同じ都道府県を訪れようとも見る場所が変わるし、同じ場所を訪れたとしても、また違った視点から物事を見れるようになります。

こうやって僕は、成長し続けたいと願っています。

 

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人生、いつだってワクワクなのです。

 

 

日本1周ごとの愛車

 

僕は、基本的に日本1周するごとに車を取り換えるスタンスです。

 

  • 日本1周目:トヨタ_プログレやレンタカー等
  • 日本2周目:ホンダ_ステップワゴン
  • 日本3周目:日産_サファリ&トヨタ_bB
  • 日本4周目:三菱_パジェロイオ
  • 日本5周目:HUMMER_H3
  • 日本6周目:日産_パオ

 

今まで、7・8台の車を使い、全国を駆け巡ってきました。

 

基本的には飛行機やレンタカーを使わず、全て愛車とのドライブです。

例外的に、沖縄本島や離島のみ、レンタカーなどを使用しました。

 

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愛車は、大切な旅のパートナーであり、そして僕の個性です。

 

北海道と沖縄以外では、基本的に車中泊なので、観光と食事以外の時間は全て車内で過ごすこととなります。

だから、どのドライブの思い出にも、必ずそのときの愛車が登場するのです。

 

それが、僕の人生です。

 

 

日本1周の定義

 

何をもって日本1周とするのかは、人によって少々異なります。

よっぽどでない限り、何が間違っている、とかは無いと思います。

その人が思う日本1周をしたのであれば、それが日本1周で良いのではないかと思います。

 

では、僕にとっての日本1周とはなんでしょうか。

 

  • 沖縄県を除く全都道府県を観光する。(できれば沖縄県にも行く)
  • 走行マップを書いたときに、大体日本列島の外枠を走れている。(細かい岬などは除外することも)
  • 高速道路や海路はノーカウント。上記を一般道で走る。

 

僕の場合はこうなります。

これを5回繰り返し、今は6回目の後半戦にてコロナ禍となり、ボケボケとブログを始めました。

 

しかし、ただ日本の外周ばかりを走っていては、内陸部をすることができません。

従い、外周を走りつつも内陸部にも積極的にアプローチをします。

 

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例えば、僕が日本5周を走ると、北海道の走行ルートは上記の青線のようになります。

道がある限り、いろんなところを走りたいし、いろんな場所を見てみたいです。

 

【週末大冒険】の名前の通り、僕は基本的には週末と夏休みくらいしか休みがないサラリーマンですので、都度マイカーで延々走って現地を目指すこととなります。

 

そんな感じなので、日本5周目を終えるころには36万㎞程は走行していました。

地球7.3周分ですね、長いです。

 

ついでに、「日本1周には100回以下のドライブ回数で完結させること」とし、ダラダラと長引かせないようにしています。

 

限られた時間、限られた週末、限られた人生の時間を効果的に楽しむために、そんな目標を立てて楽しんでいます。 

 

 

◆振り返り◆:力を入れたエピソードTOP5

 

今まで、全都道府県から1つずつ、全47スポットをご紹介してきました。

この47の中で、特に力を入れて執筆したエピソード5つを、簡単なコメントと共に公開します。

※対象5つの順位付けはせず、順不同でいきます。

 

静岡県】幻の池

 

drive-ns.hatenablog.com

 

このブログを構想する段階から、序盤で書こうと決めていた記事でした。

5番目に書こうって考えていたら、埼玉県の「鉄剣タロー」が閉店になるっていうので、繰り越して6番目となった記事です。 

唯一無二のエピソードとして、このブログの最初の武器になると思っていました。

 

ブログ公開からまもなく、某大手サイトで取り上げていただき、バズりました。

さらに登段家の「真人さん」に取り上げていただき、真人さんは僕の考察を参考に、実に10年ぶりとなる「幻の池」の発見の、一躍を買ってくれました。

 

kaidanmeguri.blogspot.com

 

(まだ始めて2週間ほどだったけど、)ブログをやっていて、こんなに嬉しかったことはないですよね。

 

 

【東京都】大宗旅館

 

drive-ns.hatenablog.com

 

僕が出会った木造の旅館での物語を、ただただ感じたままに綴りました。

何も考えずに執筆できて、とっても楽しかったです。

 

たった1泊で短時間滞在しただけですが、普段目にしない世界に心躍り、東京のイメージが変わりました。

 

この感動を、少しでも多くの人に分かち合えればと思い、執筆しました。

ビジネスホテルも安定していてとてもいいですが、たまにはこういうところにも泊まってみると、人生の深みが増すな、と感じました。

 

 

岐阜県深沢峡

 

drive-ns.hatenablog.com

 

人気のない秘境に行くときには、冒険心・探求心・背徳感・不安感が絶妙に交じり合った感情が押し寄せてきます。

※この感情に、なんらか名前を付けたいと思うのですが、未だにいい名前が思いつきません。

 

かつて多くの人が賑わっていた景勝地が、災害とダム開発で朽ち、そして消えていく現実を目の当たりにし、少々鳥肌が立ちました。

過去の栄華を想像しながら一歩また一歩と現地を歩き、一期一会の思い出を噛みしめます。 

 

僕の人生が「廃」寄りになった、転機となるエピソードです。

 

 

【鹿児島県】中渡瀬骨粉水車跡

 

drive-ns.hatenablog.com

 

誰からも見向きもされない、草木に埋もれた遺跡がありました。

言われてもそれが遺跡とは気付かないほどに、何もなく情報もないスポットでした。

 

しかし、どんな史跡や遺跡にも、歴史があります。ドラマがあります。

現地の専門家の方に連絡を取り、机上調査をし、1つ1つ謎を紐解いて、他のどんな観光客もが辿り着けなかった真実に近づけたとき、それは何物にも代えがたい知識と経験の財産となります。

 

机上調査編に力が入る珍しいエピソードとなっています。

2週間ほどかけてじっくり執筆しました。

 

 

京都府】芦生の森

 

drive-ns.hatenablog.com

 

これも、そのスポットを深く知ったことで深みを増したエピソードです。

 

貴重な森である背景事情・美しい森の景色・壊れゆくトロッコ線路・血を吸うヒルの恐怖と、見どころが盛りだくさんあり、執筆の焦点を定めにくく苦労しました。

しかし、どれもが大事な要素であり、入山した僕はその全ての要素を同時に感じ、同時に対処しながら歩みを進めました。

 

読むのには少々疲れるかもしれませんが、その疲れは実際に探訪した僕の疲れとちょっとだけリンクするかもしれません。

これも2週間ほどかけて執筆しました。

 

 

◆今後の目標◆:どんなエピソードを書くか

 

全国を網羅している旨をアピールしようと、プロローグパートで全都道府県から1つずつの47スポットをご紹介しました。

 

しかしここから先はこれまでのような公平な書き方はしません。

都道府県ごとに面積も異なるし、存在するスポットの数も大きく異なります。

このブログで取り上げたいと思えるスポットかどうか、という観点もあります。

従い、自由気ままにチョイスしようと考えています。

 

また、プロローグパートよりもクセの強いスポット、逆に誰もが知っているスポットもチョイチョイ取り入れていこうと思ってます。

例えば…で、ちょっとだけ構想をご紹介します。

 

 

メジャースポットの魅力を再確認

 

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北海道の「旭山動物園」の写真です。

超メジャーで、知名度バツグンのスポットです。

 

しかし、見る人が変われば考え方・感じ方も異なるし、季節や時間が変われば、また違ったシーンも目撃できるでしょう。

 

ありきたりなガイドブック情報に偏り過ぎないよう、ライブ感に溢れる執筆をし、そのときその場所で感じたことを、豊富な情報と共にお届けできればと思います。

 

 

マイナースポットのご紹介

 

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千葉県にある「岩崎巴人の壁画防空壕」の写真です。

 

これは、あんまりWebでは出て来ませんね。

ましてやどうやってたどり着けるのか、明確に書いてあるWebサイトはほぼゼロです。

僕も1回は空振りしました。

 

だからこそ、辿り着けたときはうれしいし、辿り着けなかったときには「次こそは」と情熱を燃やすことができます。

 

しかし、僕が本当に悔しいのは、「そこに辿り着けなかったとき」ではありません。

「こんなにユニークなスポットが存在していたのに、それまでそれを知らなかった自分自身」に対してです。

 

知ることは、極上の喜びと思います。

そんな情報をあなたに届けるため、執筆できればと思います。

 

 

旅人心をくすぐるテーマ別特集

 

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徳島県にある「ゆめりあ34」の日本の中心のモニュメントです。

 

徳島県なのに日本の中心を名乗っているのです。

どういう理屈で日本の中心なのでしょうか。

そして、実は日本の中心を名乗るスポットは、他にも国内に数多くあるのです。

 

調べてみると、どれが間違っているとかではなく、どれも正解なのです。

…全部訪問してみたら面白いと感じたりしませんか?

 

そんな感じに、僕が気になるテーマごとに片っ端から国内を巡った記録をご紹介したいと思います。

 

 

滅びゆく世界のアドベンチャー

 

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山梨県にある「廃村・折門」の写真です。

ここは50年ほど前から時計の針が止まっています。

 

古地図をもとに、山奥の廃村までの道のりを導きだし、ちょっと迷ったりしつつも山歩きをして2回訪問しました。

 

現代から隔離された、タイムカプセルを開けるかのような感覚です。

 全てが朽ちて土に返るギリギリのタイミングで、過去の人の想い出を掬い取るかのような感覚です。

 

廃村や廃墟の探訪は、少し危険で、すごくノスタルジックな冒険です。

あなたご自身が気軽に行くことはなかなか困難かもしれません。

せめてブログの中でご紹介できればと思います。

 

 

◆まとめ◆ 

 

いろいろ書きましたが、僕自身が楽しんで執筆できるようなブログとしたいと思います。

 

また、あなたが仮に全然行く予定の無い都道府県であっても、興味を持っていなかった分野であっても、読んで楽しい文章になるように心がけます。

そのためにも、1つ1つのスポットを愛し、読後感が良くなるようなまとめかたを心がけたいと思っています。

 

慣れてきたころに、さらに別角度からのテーマも取り入れたいと考えておりますが、それはまだ現時点ではナイショです。

 

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そんな感じで、みなさん初めまして。

(あるいは1年半ぶりの、お久しぶりです)

 

今後の執筆に、ぜひぜひご期待くださいませ。

 

No:047【神奈川県】香港の伝説のスラム街「九龍城」!!実は川崎にも存在していたのだ!

「東洋の魔窟」と言われた、香港の「九龍(クーロン)城」。

 

126m×213mの極小の敷地にグシャグシャのビルを500個も建て、 5万人もの人が密集して暮らすアジア最大のスラム街。

その人口密度は世界最大で、約190万人/k㎡。

1畳に3人が暮らす計算だという。

 

さらに警察も介入できない無法地帯。

ドラッグ・ギャンブル・売春、なんでもござれ。

 

他人事なので、ぶっちゃけワクワクが止まらない。

 

そんな九龍城だが、1994年に取り壊されて今は更地だ。

もう四半世紀以上も前の話だ。

僕が九龍城の存在を知ったころには、もう九龍城は存在しなかった。

 

残念な話だ。

機会があれば見に行きたかった。

 

しかし…!!

 

神奈川県にあった。

伝説の九龍城を模した施設が。

 

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九龍1

 

さぁ、47番目のエピソード、つまり「全都道府県から1つずつのスポット紹介」のラストを飾るのは、神奈川県の九龍城だ!

 

 

 

電脳九龍城、潜入!

 

ここで大変申し訳ないが、重大かつ残念な前提事項をお伝えする。

『神奈川県にあった。伝説の九龍城を模した施設が。』と書いたが、これは過去形と捉えていただきたい。

 

つまり、2020年現在は既に神奈川県からも消滅してしまっているのだ。

2019年11月17日、つまり1年近く前に閉鎖してしまったのだ。

今回の記事では、僕が閉鎖前に訪問したレポートを振り返るかたちでご紹介する。

 

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川崎1

年末の近付く川崎駅前にやってきた。

九龍城はこの近くだ。

 

とりあえず目についた地下駐車場に愛車のHUUMER_H3を駐車しておいた。

 

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川崎2

これから向かう九龍城にも駐車場はあるそうだが、どんな駐車場かはわからない。

狭い駐車場だと僕の愛車は停められないので、都市部では目についた無難なところに駐車するのがセオリーだ。

 

少しだけ歩く。

見えてきた、九龍城が。

 

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九龍入口1

うわ、きったない。

錆びついてドロドロだし、ヘンテコな漢字が書かれているし。

 

超娯楽魔窟煩悩覚醒
贅沢三昧
一日五食
電脳九龍城三升五合

 

うん、煩悩が覚醒してきた。

 

廃墟ビル?いや、ここが九龍なのだから現役だ。

施設名は「ウェアハウス川崎」。実はゲームセンターである。

 

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九龍入口2

あなたのウェアハウス」って書かれている。

いや、「あなたの」って何さ。そんな汚い体でなれなれしく近づいて来ないでくれない?こっちの服が汚れそうだ…。

 

…って思うかもしれないが、安心してほしい。

これはわざと汚れているような塗装をしているだけだ。

このビルは、九龍城になりきっているだけなのだ。

 

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九龍入口3

ビルの入口である。

この内部が九龍城を模した廃墟系ゲームセンター、「電脳九龍城」である。

 

18禁。

17歳以下は入っちゃダメなんだぜ。

無法地帯のスラムは危険だから??

いや、本当の意図は「オトナが落ち着いてゲームを楽しめる空間造りのため」らしい。

 

要塞のようで全く中を窺い知れない重厚な鉄の扉。

だけども自動ドアなので簡単に開いた。

 

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九龍入口4

狭い廊下があって、その先にまた鉄の扉。

不安を煽る、お化け屋敷のような効果音が流れている。

 

この扉も自動ドア。

前に立つと「プシューッ!!」って蒸気機関みたいないい音が鳴って、扉が開いた。

 

僕が通過すると、扉が閉まった。

まぁ自動ドアだから当たり前なのだが。

念のため後ろを振り返ってドアの前に立ってみたが、もう開かない。

つまり、この扉は外から中への一方通行なのだ。

 

ちょっと待って、ちょっと待って!!

帰れるよね、これ!?

このまま九龍の住民になって、スラムで一生を送ることにはならないよね?

 

焦ってウロウロしていたら、ちゃんと別の扉を発見。

こちらは中から外に行ける。

 

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九龍入口5

出口から建物内部側を振り返って撮影してみた図。

 

なんか魔法陣みたいなところから出てきた。

まだ中に入って何もしていないのだけども、「無事に魔窟から生還できてよかった」みたいな感情が早くも芽生える。

 

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九龍入口6

ちなみに足元にはドライアイスみたいなのが焚かれているが、さらにその下は池だよ。

飛び石から足を踏み外すと、ビショ濡れになるよ。

 

上の写真は、内部側から外側を撮影したもの。

奥の方に駐輪場が見えている。

 

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九龍入口7

手すりっぽいけど、水道管。

ちゃんとバルブがある。

しっかし、こんなクレイジー動線の水道管は初めてお目にかかったぜ。

 

 

蘇るスラム街

 

では、改めて内部に入ろう。

この電脳九龍城は、写真撮影禁止である。

 

閉鎖直前には解禁されたようだが、少なくとも僕が訪問したときは撮影禁止であった。

従い、事前に取材意図やWeb掲載許可を取った上での突撃&撮影としている。

 

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九龍2

…暗い。

そして通路が狭い。

さらに、ガヤガヤ・ボソボソと中国語での会話が聞こえてくる。

お化け屋敷のようだ。

 

狭い路地には、いくつもの家屋が軒を連ねている。

試しにその1軒の窓から内部を覗いてみた。

 

半裸の売春婦が寝ていた。

おっととーー!!いきなりR18来たー!

失礼。ジャマして失礼!

 

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九龍3

路地の突き当りは、エレベーターとエスカレーターだ。

どちらもボロッボロ。

 

あ、ゲームセンターなのに1Fにはゲーム機1つもないんだな。

世界観を作り出すことに徹底している。すんごい。

 

では、エスカレーターにて2Fに行こう。

エスカレーターは、ステップもサイドのガラス板も、茶色く薄汚れていた。

汚さを極めている。

 

もちろん、これらも本当に汚いわけではない。

そういうダメージ加工をしているだけなのだ。

 

エスカレーターに沿い、壁面に貼られている数々の中国語の怪しいポスターを見ながら、2Fへといざなわれる。

 

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九龍4

うお。

スラム街だ。

まごうことなき、ガチなスラム街が頭上に広がっている。

 

この時点で、ビル内にいるという感覚はほぼ失われた。

僕は今、夜の九龍にいる。

 

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九龍5

肉屋もある。

「今夜はクリスマスですかな?」ってくらいに、ダイナミックなチキンを陳列している。

 

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九龍6

30元・48元・60元…。

正直、高いのか安いのかよくわからない。

 

でも、そういう価値観の異なるフィールドで非日常を楽しむのも、海外旅行の醍醐味だと思う。

 

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九龍7

食べ歩きするなら、15元のこのサイズかな…。

 

ま、実際には打っていないし作りものなので食べられないけど。

しかしこのリアリティよ。

実に食欲をそそられる造形だ。

 

次は、バランスを取るために食欲を削ぐスポットをご紹介しよう。

 

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九龍8

トイレ。

 

キング・オブ・不浄スポットである。

もう入口前に立つだけで、「この先はヤベーぞ…」と足がすくむ。

 

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九龍9

注意!!!可疑人物

 

可疑人物ってのは、中国語で「不審者」だね。

はい、こちらの不安を煽ってきているね。

 

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九龍10

梅毒と淋病に特化した、診療所のポスターだな。

しっかしこの2つの病気ってさ…(以下、自主規制)。

 

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九龍11

中国語での『滑るので注意』の注意プレートと、『小便するな』の落書き。

トイレの前で立小便するかな?

あと一歩のところで限界来たのかな? 

それとも観光バスがジャンジャン来て、すんごい行列だったのかな?

 

まぁどうでもいいや。

中に入ろう。

 

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九龍12

 

おおぉぉぉぉーー!!!

 

 

どうだ、この写真からでもかぐわしい臭いが漂ってきそうな迫力は!!

この汚さはヤバいだろ!!

 

…と思いきや、これも汚れデザイン。

実際は綺麗だ。便器をよく見ればわかると思う。

 

しかし、気持ち的にはなかなか理解しづらいデザインだな。 

それだけリアルだということ。

 

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九龍13

洗面台も汚ーーい!!

 

鏡もボロッボロ。

何を洗っても綺麗にならなさそうな、このジレンマよ。

 

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九龍14

ちょっと変なアングルの写真しか残っていなくって恐縮だが、コインロッカーもボロボロの塗装を施されている。

 

徹底しているな、ホントに。

楽しくってしょうがないぞ。

 

 

レトロゲームセンター

 

そういやここ、ゲームセンターだったな。

 

ここまで読んでくれたあなたにとって、どこがどうゲームセンターなのか理解不能であろう。

従い、ゲームセンター部分を少しご紹介したい。

 

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ゲーム1

ゲーム機。

九龍の路地にポツンポツンと設置されている。

全然コロナの時代ではないのに、ソーシャルディスタンスがバッチリな配置だ。

 

◆手前のテーブル型のゲーム機は、昭和時代に喫茶店に置かれていたりしたものだな。

幼少期と、全国のレトロスポット探訪にて見たことがある。

 

内蔵されているゲームは平安京エイリアンだ。

1980年に稼働開始した、超有名ゲーム。

僕はプレイしたことないしどんなゲームかも知らないが、名前だけはよく知っている。

 

◆右奥はSEGAスペースハリアーだ。

1986年のゲーム。名前だけ聞いたことがあったが、今回初めて見た。

 

◆左奥の大きな筐体は、TAITOのダライアスだな。

これも1986年。

 

これはプレイしたことないが、よく知っている。

続編出ているうちの1つをやったことある。敵機のデザイン秀逸。クジラ好き。

横3画面分を繋ぎ合わせた、伝説の筐体だ。

現存しているゲームセンターは非常に少ないと聞いている。

 

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ゲーム2

退廃的な世界の中に、煌々とデジタルディスプレイの光。

ミスマッチなようだが、意外と溶け込んでいるようにも感じてきた。

ディストピアな雰囲気が溜まるところを知らない。

 

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ゲーム3

こういうところにシレッとゲーム機を配置するセンスな。

天才か。

 

アパートの住民も「さて、洗濯も終わったし、じゃあ1階でちょっとワンゲームしてくるわね」という気軽さだ。

 

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ゲーム4

申し訳程度の、ゆがんだひさしの下にある筐体。

100点。

非の打ち所がない。芸術性がダダ漏れして大洪水を起こしている。

 

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ゲーム5

なぜ、スラム街とゲームセンターを融合したのか。

どことなくアンダーグラウンドなイメージが合致したのだろうか…?

 

九龍というエッジの効いた題材を選んだ、その感性に僕のできる得る限りの賛辞を贈りたい。

九龍を味わえるこの幸せに、心からの感謝をする。

 

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ゲーム6

UFOキャッチャーと自動販売機だ。

古代兵器のブリキのロボットのようになっちまっているけど。

 

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ゲーム7

こいつ、サビッス台

 

…もしかして、サービスとサビ(錆)をかけているのか…!?

『できる得る限りの賛辞を贈りたい』って書いたばかりだけど、少し萎えた。

 

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ゲーム8

自販機で売っているものは普通。

だけどもパネルが汚くって、中身がやや霞んで見える。

全体的にセピア色に見える。

 

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ゲーム9

先ほどのチャイニーズ・ケンタッキーの横の路地から、バイクの尻が見えている。

これもライド系筐体だ。

 

いたるところにゲーム機が潜んでいる。

それが電脳九龍城。

伝説のゲームセンター。

 

 

九龍の生活

 

実際の九龍は、前述の通り狭い敷地に500ものビルが建っていた。

完全に違法建築。

ただただ無造作に階を積み上げていくようなイメージなので、ガッタガタ。

子供の積み木のように、今にも崩れそうな感じであった。

 

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九龍15

唯一のルールは、最上階の高さを守ること。

すぐ隣が空港なので、高すぎるビルは飛行機との接触の危険性がある。

飛行機は、本当にビルのギリッギリ頭上を掠めるように飛行していたそうだ。

 

ビルが倒れないように、隣と密着させるように建造していた九龍。

当然、内部には全く日がささない。

路地は迷路のようだし、いつもジメジメして真っ暗だったという。

 

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九龍16

そんな中でも緑を育てたいと思うのは、もはや人間の本能なのだろうか?

緑を見て、少しでもすさんだ心を癒そうと思っていたのだろうか?

 

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九龍17

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九龍18

そんな環境下で、洗濯物はちゃんと乾いたのだろうか?

「おひさまのにおいがするー!」みたいな、フッカフカのお布団にダイブすることはできたのだろうか?

 

水道管は整備されておらず、地下から汲み上げるスポットが何箇所かあったようだ。

あとは、汲み上げスポットからパイプで引っ張ってきたり。

しかし下水は無いのでそこいらに排水。

なかなかの不衛生。

 

電線とかも適当に引っ張ってきて接続。

従い、パイプやケーブルが縦横無尽に張り巡らされた、カオスな世界となる。

 

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九龍19

商売をするのに、資格は必要ではない。

だって無法地帯だから。

 

九龍には歯医者が非常に多かったという。

上に掲示されている「牙科」というのは、歯医者を指している。

 

スラムで無免許の歯医者に治療を受ける…。

なかなかにスリリングな思い出造りをできそうだな。

 

そして、上の写真内には「鮮菓」の看板も…。

こういうところで「鮮」の文字は、正直使ってほしくないよね。

 

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九龍20

衛生状態が悪いから、病院や虫歯の人も多かったのだろうと推測。

だから医者が求められる。

崩れ落ちそうな危ない世界の中で、需要と供給が握手をしている。

 

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九龍21

なんだかよくわからないけど、飲食もできるみたいだな。

 

九龍ではありとあらゆる商売があり、その中だけで生活は完結できるだけの環境はあったらしい。

エネルギッシュなのだ。何をやってもいいから、いろいろチャレンジしていたのだ。

 

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九龍22

そんな人たちが、ここでたくましく暮らしている。

 

www.albatro.jp


さらに階を登り、2Fと3Fの間の空間から九龍を堪能しよう。

 

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九龍23

薄暗いビルの一室。

生活空間が完全に再現されていた。

 

IKEA」のモデルルームに、こんなのが1つあってもいいかなって一瞬思った。

絶対やってくれないだろうけど、とんがったコンセプトがあってもいいじゃない。

多様化の時代なんだから。

 

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九龍24

そこかしこに、生活の匂いがする。

たかがゲームセンターに、ここまでの力を注ぎこむ決意は、並ではないだろう。

 

ゴミや一部の備品・ポスターなどは現地から取り寄せもしたそうだ。

こだわりのメーターが完全に振り切れている。

 

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九龍25

 

川崎スラムの終焉

 

そんな九龍を身近に感じられる存在であった、電脳九龍城。

冒頭に記載した通り、2019年11月で閉鎖してしまう。

 

一部マニアに人気だったのに、いきなりの閉店発言。

閉店予定のニュースを見た僕も、動揺を隠せなかった。

 

店側は、閉店理由は「諸般の事情により」としか公開していない。

取材に対し「建物の賃貸契約期間が満了したため」と返答したとの情報もある。

 

マニアたちは裏事情を知るためにいろいろ動いたり推測したりしていたようだが、僕はそこまでの興味はない。

 

ただただ、貴重な財産が失われてしまうことを残念に感じた。

 

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九龍26

こんな施設、2度と現れないだろう。

 

昭和レトロを再現した施設などはそこそこ見かけるが、アンダーグラウンドに真正面から突っ込んでいった、稀有な施設。

そして妥協を許さない、その作り込みの精度。

 

「らしさ」を表現するために、並々ならぬ調査や検討を重ね、それなりの費用を投じたのであろう。

 

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あの日、出会えたことを感謝する。

 

さらば、電脳世界のスラムよ。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 電脳九龍城(2019年11月閉店)
  • 住所: 神奈川県川崎市川崎区日進町3-7
  • 料金: 入場は無料
  • 駐車場: あり(有料)
  • 時間: 月〜金9:00〜23:45、土日祝7:00〜23:45

 

No:046【山形県】最上川に設置された巨大な堰!ただし魚と船が通れるギミックがあるぞ!

『五月雨(さみだれ)をあつめて早し最上川』 

 

我が国、日本を代表するポエマー「松尾芭蕉氏」が「最上川」を船で下る際、想像以上に川の流れがワイルドで、むしろ「スプラッシュマウンテン」のクライマックスみたいな感じだったそうで、その驚きに対し5・7・5の呼吸法で悲鳴を上げたのが、これだ。

 

そんな最上川の、河口からさかのぼること28㎞地点。

芭蕉の句の「さみだれ」を冠した大掛かりな堰(せき)が存在する。

※堰:堰堤とほぼ同じ意味。わかりやすく言うならダム。

 

その名を、「最上川さみだれ大堰(おおぜき)」という。

芭蕉もビビる天下の最上川を堰き止めるその施設は、いったいどのようなものなのだろうか…!?

 

 

日本最大級のラバーダム

 

梅雨の終盤の晴れ渡ったある日、僕はそこを目指した。

さぁ、見えてきたぞ、さみだれ大堰だ。

 

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大堰1

遠目から見ると、完全にただの橋だな…。

これをパッと見て「ダムでしょ」・「堰でしょ」と言える人は少ないかもしれない。

 

しかし、そんなこととは関係なしに、この最上川雄大な風景に心を打たれる。

緑に囲まれた大河。

なんか「日本の夏!」って感じ。

このような季節にこういうところをドライブできることに、至上の喜びを感じる。

 

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大堰2

もう少し近づいてみた。

橋の下で、川に高低差ができているのがおわかりだろうか?

そう、ここで水量を調整しているの。この下が堰なの。

 

最上川下流って、「庄内平野」っていうダダッ広い土地があり、米作りが盛んなのだ。

そこに安定した水を供給することで、おいしいササニシキだとかひとめぼれとかが、僕らの食卓にのぼるのだ。

ありがたいダム。

 

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大堰3

橋の上から下を見下ろした。

結構ワイルドに泡立っている。

 

ダム直下はやっぱキケンだ。

かつての芭蕉と同じくらいビビった。

 

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大堰4

遠くを見ると、こんなにものどか。

心が満たされるような眺め。

 

コロナ禍でずっと外出を控えていたので、この日差しと自然が身に染みる。

「生きているー!」って感じる。

 

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大堰5

橋の下に回り込んでみた。
ダムの高低差がよくわかるようになった。

 

これ、ラバーダムっていうらしい。しかも国内最大規模の。

どんなダムかっていうと、ゴム製の巨大なチューブを川の中に仕込んでいる。

 

ゴムがしぼんでいれば、川は普通に流れる。

ゴムに空気を送り込んで膨張させると、川の流れを大幅に堰き止める。

 

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大堰6

こんな絵でイメージできるだろうか?

川を輪切りにして、真横から見た図だ。

今はたぶんゴムが膨らんでいるから、橋の下が軽く滝みたいになっているのだ。

 

「ゴムってどんななの?」って思うあなたのために、敷地内にはサンプルもあるぞ。

 

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大堰7

ゴムチューブを輪切りにすると、上記のような感じだ。

これは膨張した状態での輪切りであろう。

 

MAXに膨張した場合、高さは2.7mにもなるそうだ。

これがちょうど、川面の高さと同じくらいになる。

 

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大堰8

これは日本5周目を走っている頃、ゴムが全然膨らんでいないシーンを撮影したものだ。

橋の下がすごく穏やかなのかおわかりいただけると思う。

 

こうやって季節に応じ、水量をコントロールしているのだな。

 

 

船通しと魚道

 

このダムには、面白い抜け道がある。

通常はダムを作ってしまうと、船も魚もその上流側と下流側を行き来できなくなってしまう。

 

ja.wikipedia.org

 

試しにダム界のカリスマ、「黒部ダム」の画像を引っ張ってきた。

こんなところ、船も魚も通行できないよな。 

しかしこのダムは可能なのだ。

 

船通し

 

まずは船側で見てみよう。

仮に上流から下流に向かって、芭蕉さながら下っていると仮定しよう。

さみだれ大堰が見えてきたぞ…!

 

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船通し1

堰あり、航行不可、右へ ⇒

 

橋にはこんな横断幕がかかっている。

その通り、右へと舵を切ってみよう。

 

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船通し2

 

船通し閘門(こうもん)!!

 

 

かっこいい、船用のゲートが右側にある!

結構狭そうでテクニックがいりそうだけど、ここのゲートを開けてもらうことで、船が通行できるようになっているのだ。

 

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船通し3

正面近くからも撮影してみた。

木々がジャマでいい写真が撮れなくって申し訳ない。

 

もっと接近して、船のルートを覗き込んでみよう。

 

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船通し4

 

はい、すごーい!

隣ではザブザブと滝のように水が流れ落ちている中、船通しはフラットに橋の下を通行できるようになっている。

 

僕としては右側のほうが「カリブの海賊」のちょっとした落下ゾーンのようで楽しめそうな気もするが、ここを通る船はそんな楽しさを求めているわけではないので、キチンと横の船通しを使うのだろうな。

 

 

魚道

 

実は、魚も通れるぞ。

先ほどは船専用の道を紹介したが、次は魚専用の道を紹介する。

 

それが…これだ。

 

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魚道1

 

世にも珍しい、魚専用の水路。

 

 

写真の右側に、先ほどの船通しが見える。

さらにその外側、川の端ギリギリに魚用の道が造られている。

 

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魚道2

上記は日本5周目で撮影した写真である。

川に沿って魚道が伸びているのがわかる。

 

最上川は、イワナだとかアユだとか、20種類ほどの魚が遡上してくるのだそうだ。

ダムがあっては、それらの魚がまともに遡上できない。

だからこうやって魚道を設けたそうだ。

 

このスポットには、もう1つ面白い施設がある。

 

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魚道3

それがあの中にあるんだぜ、フフフ…。

ダムの管理事務所の一角に、「フィッシュギャラリー」というコーナーが設けられている。

 

ガラス越しに魚道を真横から見れるんだぜ。

そうすると、川を遡上してくる魚が目の前に見れるんだぜ。

しかも無料で。

 

日本5周目のときには夕方で既に施設が閉まってしまっていたので、日本6周目の今回は見れるといいなーって思いながらやってきたのだ。

 

 

…うん、今回も閉まっていた。

 

サイトによると「月~金曜日 AM 9:00~PM 4:30 (5月~9月は土・日・祝も開放します)」とのことだが、ちょうど今はコロナ禍。

人の集まりやすい土日は閉鎖していたのだ。

残念。

 

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魚道4

せめてもの償いとして、施設前に掲示してあった説明板の写真を掲載する。

5月から9月は魚の遡上シーズンで、魚が見やすいんだってさ。

 

僕は実際見れなかったので、あなた自身で見に行ってくれれば幸いと思う。

僕のカタキを取ってくれ。

 

 

最上川は、暴れ川

 

本当に穏やかに晴れ渡った夏の1日であった。

しかし同じ日、九州はとんでもない豪雨となり、「令和2年7月豪雨」と名付けられた甚大な災害となった。

 

ja.wikipedia.org

 

その低気圧は数日後には東北にまで北上し、ここ山形県最上川エリアにも直撃することとなる。

大蔵村大石田町大江町村上市内の計6箇所にて最上川は氾濫し、周囲の住宅を飲みこんだ。

 

僕が訪問したほんの数日後の惨事であり、牙を剥いた最上川と周辺の住宅の変わり果てた様子にショックを受けた。

 

幸いにして最上川さみだれ大堰付近では目立った被害はなかったようだが、最上川は古来から有名な暴れ川である。

自然の力は恐ろしい。

 

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自然と共存し、自然をうまくコントロールしていければよいのだが。

むしろ逆効果になってしまった事例も多いだろう。

 

なかなか人間は罪深い。

 

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しかし、まずは知ること。

そして考えること。

 

1人1人ができることは限られているけど、いろんな視点から日本を見ていきたいと思う。

 

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…嵐の前の静けさ。

本当に、青空の綺麗な1日。

僕は最上川をさかのぼり、次のスポットへとアクセルを踏む。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 最上川さみだれ大堰
  • 住所: 山形県酒田市上安町1-2-1
  • 料金: なし
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし。フィッシュギャラリーは月~金曜日9:00~4:30(5月~9月は土・日・祝も開放)

 

 

No:045【石川県】怪鳥ロックの巣!?湾に浮かぶ「ボラ待ち櫓」は日本最古の漁法の痕跡だ!

あなたは「ロック鳥」をご存じだろうか?

 

アラビアンナイト」の「シンドバッド」の冒険で出てくる怪鳥ロックが有名だろうか?「ディズニーシー」のアトラクションにも登場するし。

グリフォン・フェニックス・ガルーダなどに派生する場合もある。

 

いずれもデカい鳥で、ゾウを3頭ヒナに一気に与えたりする伝説がある。

うん、デカい。

 

翼を広げると、昼でも周囲が暗くなるほどだという伝説がある。

うん、さすがにそれは盛りすぎだろう。

 

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ボラ待ち櫓1

そんな「怪鳥ロックの巣」と例えられた建造物が、能登半島の七尾湾にある。

名前を「ボラ待ち櫓(やぐら)」という。

今回はそれをご紹介したい。

 

 

中居湾ふれあいパーク

 

ボラ待ち櫓は全部で3つある。

 

うち2つは、日本2周目から6周目にかけて毎回訪問している、ヘビーリピーターだ。

うち1つは未だ訪問したことがない。

すさまじいヒエラルキーを作ってしまって申し訳ない。

 

言い訳をするならば、8年ほど前のツーリングマップルには、僕が訪問している2つしか掲載していないからなのだが。

 

今回は3つ全てご紹介したいところだが、未訪問スポットを紹介はできないので、まずは過去4回訪問している「中居湾ふれあいパーク」のボラ待ち櫓からだ。

 

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中居湾1

これがボラ待ち櫓。

海に浮かぶアスレチック遊具のような建造物だ。

 

僕の訪問した2箇所はいずれもデザインは酷似している。

主な違いを挙げるとすれば、ここ中居湾のボラ待ち櫓は愛車と一緒に撮影できるという点。

 

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中居湾2

日本3周目では、1月の厳冬期に訪問した。

 

すごい雪だったので、このときのみはノーマルタイヤの愛車ではなく、スタッドレスタイヤのレンタカーを使用した。

ドライブに愛車を使わなかった、非常に稀有な例だ。

 

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中居湾3

ドロドロに曇った夕暮れの、HUMMER_H3とボラ待ち櫓。

これもこれで絵になる気がする。

 

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中居湾4

時代とともに、僕の愛車はコロコロ変わる。

 

しかしボラ待ち櫓は変わらない。

春夏秋冬、晴れの日も曇りの日も、中居湾に佇んでいる。

 

あ、もう1つだけ、ずっと変わらないものがあるよね?

 

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中居湾5

 

彼だ。

 

 

櫓の上で微動だにせず、仙人のように悠久の年月を鎮座している。

彼は何者なのか。

 

今回写真は掲載しないが、愛車ステップワゴンで豪雪の中を訪れた日本2周目の際には「吉村ぁーー!!」と呼びかけながら雪玉を投げたが、肩が貧弱すぎて余裕で届かなかったばかりか、吉村も微動だにしなかった。

 

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中居湾6

このことから、僕はいくつかの仮説を立てた。

 

  1.  吉村は耳が遠い
  2.  吉村は人形である
  3.  吉村は静かに過ごしたい

 

あなたはこう考えたはずだ。

「2が正解だろう。1と3は、YAMAのヤツが笑いを取るために書いたのだろう。」

 

悔しいが、あらかた正解だ。

確かに吉村は人形である。日本6周もしていると、さすがに気付いた。

しかしある意味「3」も正解だ。

 

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中居湾7

吉村が人間なのか人形なのか、そんなことはとりあえず置いておこう。

次項で、「なぜ動こうとしないのか」に着目してみよう。

 

 

日本最古の漁法?

 

そもそもボラ待ち櫓とは何なのか。

ボラってのは、魚のボラだ。 

 

ja.wikipedia.org

 

僕が子供のころ、父親とときどきハゼ釣りに行った。

父親はボラが釣れると「これはおいしくない」といってリリースしてたりした。

調べてみると、ボラは水質の悪いところだと身に臭みが出るらしい。

僕ら、ダーティーな海に生きる一家だったのか。最近知った。

 

しかしここ七尾湾の水はとても綺麗だ。

ボラを刺身にして食べるととてもおいしいらしい。

従い、古来からこの地ではボラの漁が盛んであった。

 

では、どうやってボラを捕獲するのか。

 

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ボラ待ち櫓2

その答えがボラ待ち櫓である。

 

吉村は、櫓の下に網を設置してひたすら待つ。

静かに、音を立てぬよう、動かぬよう。

 

なぜなら、ボラは臆病な魚であり、人影が見えると即座に逃げてしまう。

だから吉村は動かない。動かざること、岩のごとし。

ひたすら待つ。

何時間でも、櫓の上でその時を待つ。

 

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ボラ待ち櫓3

その網の中に偶然ボラの群れが入ったとしよう。

吉村の目が光る。

一気に網を引き、ボラの群れを一網打尽だ。

 

これがボラ待ち櫓の漁法。

僕が雪玉を投げたくらいで吉村が動じない理由がおわかりいただけたと思う。

 

しかし、極めて個人的な感想を言わせてもらうのであれば…。

ただただボラが通過するのを待つのではなく、「エサにおびき寄せる」などの集客性をプラスしたほうが効果的ではなかろうか。

 

 

そしてもう1つ。

網を引くというシンプルな動作のために人間1人を長時間拘束するのがもったいない。

ネズミ捕りやゴキブリホイホイなど、他の多くの捕獲系の罠がそうであるように、オートマチックにボラを捕獲できるギミックはなかったのだろうか?

 

正直「考え方がノビノビしすぎているぜ」って思った。

しかし、同時に「それもまた風流」って思った

もはや侘び寂びの境地だ。禅問答だ。悟りを開きかねない。

吉村上人。

 

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ボラ待ち櫓4

 

尚、このボラ待ち櫓は日本最古の漁法と呼ばれている。

江戸時代ごろから伝わる、伝統的な漁法だそうだ。

 

インパクトのある肩書だが、本当なのか?そもそも「漁法」ってなんだ?

水産庁農林水産省のWebページにて、ちょっと調べてみた。

…が、正直よくわからなかった。

 

広義の漁法には、釣り竿や手持ちの網を使う方法も含まれる。

もっと大掛かりなギミックのみを漁法という言い方をするケースもあるが、例えば地引網などは室町時代の段階で「九十九里浜」で始まっている。

 

かといって、ここ以外に日本最古の漁法を名乗っているところはなかった。

なにをもって日本最古の漁法なのか。

これは、また追って調査をしていきたいと思う。

 

 

根木ポケットパーク

 

ここまで掲載したのが、中居湾のボラ待ち櫓だ。

次は、同じく複数回訪問している、根木ポケットパークのボラ待ち櫓をご紹介したい。

 

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根木1

ここは、トイレのみの小さなパーキングから徒歩5分強の場所にある。

中居湾と比べてアクセスがやや面倒。

 

しかもロクに歩道がない国道を歩き、最後ボラ待ち櫓に接近する際にも、歩道などない岸壁のゴチャついているエリアを突破する必要がある。

 

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根木2

いちばん簡単なのは、国道に一瞬路駐し、ズームで櫓を撮影する方法だ。

近付いてゆっくりの写真撮影は、中居湾側でやればよい。

 

…しかし、僕にはここで譲れないものがある。

だからこそ、ほぼ毎回ボラ待ち櫓までテクテク歩く。

正直、国道を走る車からは奇異の目で見られるのだが。

 

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根木3

それがこれだ。

『日本最古の漁法 ぼら待ちやぐら』の標柱。

前項でネガティブな発言しておいて申しわけないが、こういう標柱は好き。

 

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根木4

標柱と小さな漁船、そして浅瀬のボラ待ち櫓。

なんだかすごい自然体で絵になるでしょ。

 

中居湾の方は目の前の駐車場にジャンジャン観光の車が停まるけど、こっちのほうは自分以外の観光客を見かけたことがない。

そういう意味でも好き。

 

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根木5

直近の日本6周目で訪れた際は、標柱もリニューアル。

周辺もなんとなくこざっぱりしたように感じた。

地域にもまだ見捨てられてないぞ、愛されているぞ。

 

さらに、以下のような説明板がある。

 

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根木6

僕が特に興味津々が後半部分を以下に抜粋しよう。

 

明治二十二年(一八八九)に当町を訪れた米国人天文学者のパーシヴァル・ローエル(一八五五~一九一六)が、「創世記に出てくるノアの大洪水以前に在った掘っ建て小屋の骨組みを、これも有史以前の伝説による怪鳥ロックが巣に選んだ場所」と形容している。

 

著書「NOTO」の中で、そう書いたらしいね。

正直、かなりわかりづらい形容だ。少なくとも、明治時代の人は「ノアの大洪水」とか「ロック」とか言われても、ポカーンだよね?

 

しかし、興奮したときってとりあえず突っ走った形容をしちゃうことってあるよね。
ローエルさんも、きっとそうだったのだろう。

あるいは、ちょっと変化球を投げすぎなポエマーだったのだろう。

 

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根木7

ボラ待ち櫓は、高さ10m~15mにもなるという。

実際に見てもそこまで大きい感覚はないんだけど、吉村のサイズを見ればかなり目のくらむような位置での漁業ではないかと想像できる。

高所恐怖症には無理だろう。

 

最盛期には、これが40基ほども湾内に設置されていたそうだ。

さらに、実際に漁をする際にはボラを獲るための大きな網も海面に設置しているしな。

 

そんな様子を思い描くと、ローエルさんが驚くのも納得だ。

 

 

終焉と復活

 

ボラ待ち櫓を使った漁は、1996年まで行われていたそうだ。

割と最近までやっていたんだなって思った。

 

平成の世であれば、もっとテクノロジーを駆使した漁法もあっただろうが、櫓の上でノンビリとボラを待っていたのかー。

 

こうして歴史に幕を閉じた漁であるが。2012年に復活した!

 

www.seiryo-u.ac.jp


 

16年ぶりの復活。

当時の漁師さんの胸の高鳴り。

2時間待って3匹。

 

これが成功と言えるのかどうかは僕にはよくわからないが、読んでいて僕も胸が熱くなった。

 

その後、観光客向けにたまに実演することがあると聞いたことがある。

あいにく僕は実際現地でその情報を得たり、目撃したことはないのだが。

 

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ボラ待ち櫓5

鏡のような静かな湾に佇む櫓。

一見ノンビリしているように見えるが、水面下のボラを息を飲んで待ち構える漁師さん。

 

そんな江戸からの伝統が、現代もこうして目に見えるかたちで存在することに、大きな喜びを感じる。

 

 

吉村、ありがとう!

これからもここで、観光客に夢を与えてくれ!

…吉村!!

吉村、聞こえてる!??

 

> 1. 吉村は耳が遠い

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 中居湾のボラ待ち櫓
  • 住所: 石川県鳳珠郡穴水町中居
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

  • 名称: 根木のボラ待ち櫓
  • 住所: 石川県鳳珠郡穴水町根木ホ165
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

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No:044【茨城県】筑波山の「ガマ洞窟」!B級スポットの聖地であるオバケ洞窟に潜入した!

筑波山」の山麓には、「ガマランド」というテーマパークがある。

 

テーマパークという単語を使うのを憚られるほどに、世紀末でカオスなスポットである。

「生ける廃墟」とかって単語がよく似合うスポットである。

 

まさにテーマパークのゾンビ

ゾンビのテーマパークではないよ、「テーマパークのゾンビ化」。

存在そのものがゾンビなテーマパーク。

 

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ガマランド

これらの詳細を取り上げていては、いくら時間があっても足りない。

今回は、ガマランドの中で最大…、いや、唯一のアトラクション??

…そんな位置づけの「ガマ洞窟」をピックアップしてご紹介したい。

 

とりあえず、あなたもガマランドがマジな廃墟になる前に、ガマ洞窟は行っておいたほうがいい。

人生が豊かになるから。…たぶん。

 

 

チケット購入

 

テーマパークに行くと、「どのアトラクションに行こうかな?」とワクワクするに違いない。

しかし、ガマランドには選択肢が少ない。

ガマ洞窟しかまともな施設が残っていない。

 

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ガマ洞窟へ1

しかしそのガマ洞窟が強烈すぎる。

残念ながら選択肢は他にないものの、ワクワク感だけは本物である。

僕は今、最高にワクワクしている。

 

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ガマ洞窟へ2

ガマ洞窟入場の方は売店にて入場券をお求めください

 

ここが洞窟入口である。

黄色い暖簾(?)と立て看板に、ほぼ同じメッセージが書いてあるが、どちらも見づらい。今一歩、工夫を…。

 

そして、ガマ洞窟は有料である。

ガマランド唯一の有料施設。料金は500円。

隣接する、唯一の有人施設である売店で料金を前払いする必要がある。

 

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ガマ洞窟3

売店のおばちゃんに料金をお支払い。

売店はすんごい昭和レトロ感を醸し出していた。

 

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ガマ洞窟4

ガマ洞窟

無事通れれば どんな災害も まぬがれるでしょう

(通ってみて ラスカルより)

 

「ま、ガマ洞窟自体が災害だけどな…」っていう感情を押し殺しつつ、ふんぞり返るタヌキの頭を撫でておいた。

 

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ガマ洞窟5

では、ガマ洞窟突撃。

 

 

エントランスホール

 

黄色い暖簾を「よ、飲んでるかい?」って居酒屋に入ってくるおっちゃんのようなノリで押し上げ、洞窟に一歩足を踏み入れる。

 

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ガマ洞窟6

お客様へ

入場料の払い戻しはいたしません

 

入口から入ると同時に、この注意書きだ。

「なんだこのくだらない施設は!500円返せ!」

そんな戦いが過去何度も繰り広げられたことを想像させる。

 

ところで、書くなら入口より手前に書いておけばいいのに。

料金払ってから掲示しても遅くないかな?

まぁ僕は後悔なんてしないけどね。ここには500円以上の価値があると確信している。

 

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ガマ洞窟7

『別世界に入ってみよう』のスローガン。

 

別世界というか、なんというか…。

やさぐれた一家が住まうボロアパートの玄関みたいな雰囲気になっている。

正直、戸惑いを隠せない。

 

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ガマ洞窟8

使い古したウサギのぬいぐるみに、造花。ヘタクソな逆ハート(?)の切り抜き。

ビニール袋の中の消化器。おっちゃんの人形の上半身。

 

この世界観をうまく表現できるボキャブラリーが無いのが悔しい。

ホント、カオスな一家のアジトとしか言いようがない。

 

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ガマ洞窟9

あぁ、これ。

昭和の台所の入口にかかっている、ジャラジャラしたアレだ。

正式に言うなら木製暖簾だ。

 

あるいは、映画「レオン」で「ゲイリーオールドマン」がベートーベン聞きながら一家皆殺しするときに、ジャララ…っと開けるヤツだ。

 

まだ洞窟に入って4mなのに、ネタが多すぎるぞ。

では、次なる部屋である、台所(?)に入ろう。

 

 

暗闇のストレート

 

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ガマ洞窟10

暗ッ。

ほぼ何も見えない。

 

目を凝らす。

 

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ガマ洞窟11

『入場券は必ずお求めください』

 

おどろおどろしい字体で、まだこんなことを書いている。

お金の恨みは恐ろしい。

ちゃんとチケット購入してよかった。

 

そして、ちょっと気になったのでフラッシュ撮影をしてみた。

どうせお客さんは皆無だし。

 

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ガマ洞窟12

うーん、チープだ。

そしてまた暖簾だ。暖簾には、泥遊びした人の手形みたいのが大量についている。

足元には、着物を着た鳥かなんかのぬいぐるみ。

 

はい、では2つ目の暖簾をくぐろう。

 

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ガマ洞窟13

暗いなぁ。とにかく暗い。

手探りで狭い廊下を歩いている。

 

左右の壁にはブラックライトで絵が描かれている。

 

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ガマ洞窟14

オバケかな?

そしてその周囲には無数の人魂が飛んでいるようなペインティングだ。

 

「あぁ、ここの創造主はお化け屋敷を作りたいんだな」って、初めて思った。

ここまでは、何を作りたいのか全くプロファイリングできなかったので。

 

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ガマ洞窟15

 …クソォ。

この1枚の写真だけで、どれだけのツッコミどころを用意してくれているんだよ。

どれだけ多岐にわたる世界観を融合させているんだよ。

このセンス、悔しい。

 

  • 無造作に吊り下げられる着物
  • 「巨大イノシシ」を示す蛍光プレート
  • エロい紫色のブラックライト
  • 注連縄
  • 影絵で造ったネコっぽい獣の横顔
  • イカつい系のカーアクセサリーメーカー「DAD」のタオル

 

スゲーな。

このメンバーが一堂に会する場なんて、ここ以外にないよ。

アベンジャーズ」みたいな感じになっているよ。夢の共演

 

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ガマ洞窟16

フラッシュ焚いてみた。

着物と「DAD」がよく見えるようになった。

「DAD」の下に吊るされているのは、「ディズニーシー」の浮き輪マンじゃないか。

ポートディスカバリーから持ってきたのか?

 

あと、正面奥に「鍋島の」って書いてある札がある。

「鍋島の猫」って書いてあるんだろうな、あれは。

確か戦国時代に九州で勃発した化け猫騒動だ。ネタがレア。

 

次に、吊るされたピンクの着物を潜ったところで写真を撮ろう。

 

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ガマ洞窟17

 「DAD」、風呂上りみたいに手ぬぐいを頭にかけている人、般若心経、ネグリジェ

ネグリジェ!??

 

ところどころにパワーアイテムを配置してくれる。

 

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ガマ洞窟18

なんだか、ちゃんと怖いものがあると安心する。

 

でも、よく見ちゃダメ。

「手ぬぐい?バスローブ??」って、また情報処理が追い付かなくなるから。

ふんわりと、視力0.01くらいの設定で世界を見たほうが、人生楽しいって。

 

 

イノシシとヘビ

 

次は、巨大イノシシ行こう。

道は二手に分かれているので、まずはイノシシを紹介する。

 

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ガマ洞窟19

「DAD」のT字路を左に曲がる。

 とにかく暗い。手探りだ。

 

ちょっとさ、またフラッシュ焚いて撮影してみよう。

 

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ガマ洞窟20

そう来ましたか。

フジカラーの立て看板(?)がこんなところに。

昔、写真屋の店頭とかでよく見たヤツだ。

 

写ルンですあります。」とか書いてあるけど、絶対ないだろ、こんな洞窟内に。

 

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ガマ洞窟21

イノシシの看板に導かれるまま、緩い階段をのぼって行き止まりまでやってきた。

 

登り坂だけども天井の高さは変わらずで、なんだか非常に圧迫感のある空間。

手前には岩がゴロゴロ。

そして、岩の上に「ヘビの谷」と書かれた木片が無造作に投げ出されている。

 

その奥には檻。この中にイノシシがいるのかな?

横にはプレートが掲げられている。

 

猪明神

(猪突猛進)

入試突破

合格祈願

家内安全

 

猪突猛進でいいのか、それら?

まぁ勢いって大事だからいっか。

 

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ガマ洞窟22

檻を覗いた。イノシシいた。剥製だ。

暗闇で見るイノシシって割と怖いことを知った。

 

「つくば山産」って書いてあった。ここで捕れたのか。

 

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ガマ洞窟23

 改めて、ヘビの谷を見てみよう。

 

「ヘビの谷」と言うからには、それはもうヘビがウジャウジャと蠢いているのかと思いきや、1匹丸まっているだけだった。

隣にはタバコの吸い殻がギッチリ詰まったネットが置いてあった。どういう魂胆??

 

 

暗黒ブティック

 

来た道を戻り、DADのT字路を反対側に行く。

 

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ガマ洞窟24

相変わらず真っ暗。

ところどころ原色に光り輝いている。

 

ディズニーシーのマーメイドラグーンを限りなく陳腐にしたら、こんな感じになるかな?

あ、いや別にガマ洞窟が劣っているとか言いたいわけじゃないよ。

どっちも正解よ。なんだったら僕、こっちのほうがワクワクするよ。

 

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ガマ洞窟25

「アヒャヒャヒャヒャ…」とか聞こえる笑い声を聞きながら、ふと横を見るとオバケ…!

ではなくって、なんかスウェットみたいなヤツだった。

 

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ガマ洞窟26

キティちゃんのぬいぐるみに、またまたリラックスできそうな部屋着がチラホラとディスプレイ…。

 

なんだここ。

ファンシーテイストになってきた。ブティックみたいになってきた。

 

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ガマ洞窟27

 真っ暗でよくわからないが、緑色の台座の上に野球帽が乗っているのがわかる。

その左下にも、同じく帽子があるようだ。

 

よし、フラッシュ撮影してみよう。

 

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ガマ洞窟28

帽子帽子帽子…!!

兵隊さん、帽子の上に帽子被っているよ。

 

手にはおそらく槍を持っているのだろうが、帽子とタオルに埋め尽くされていて原型がわからない。

帽子を粗末に扱うとお仕置にやってくる妖怪みたいなことになっている。

 

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ガマ洞窟29

狭い通路の頭上では、あったかそうな冬着を着たミイラが首を吊っていた。

その後も、布切れを見学しながら奥へ奥へと進んでいく。

 

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ガマ洞窟30

なんだか赤いゾーンが出てきた。

中央にかわいい女の子が鎮座していた。

 

右には首の無い着物を着た人がいたり、よく見ると帽子がおいてあったり、「安達ヶ原の鬼婆」と書いてあるのであろう看板があったり。

安達ヶ原の鬼婆伝説は、茨城じゃなくって福島だけどな。

 

でも、この赤いゾーンの世界観は嫌いじゃない。

むしろ一番好きな空間だった。

 

 

ガマのいる洞窟

 

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ガマ洞窟31

「ガマ洞窟 ⇐  足元に気をつけて下さい」

 

看板見て吹いた。

足元に気をつけるのは、今に始まったことではない。最初の最初からだ。

 

そして、「ガマ洞窟 ⇐」って、じゃあ今まで僕がいたのはどこだったのだ。

そういえば、ガマ洞窟なのにカエル全くいなかったな。

 

「ヘビに食べられたのか?」とか思ったりもしたけど、ヘビ1匹だけだったし、やせ細っていたので、カエルを食べてしまったとは思えない。

 

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ガマ洞窟32

あ、左端にいるの、ドラえもんだ。

なんか安心する。

インドを一人旅していたら、偶然同じ県の出身の日本人に出会ったときみたいな気持ちだ。

 

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ガマ洞窟33

しかし、ドラえもんの右側1mには「死」の文字。

ドラえもんに出会ってほっこりしていた心臓を、キュッと掴まれた気分になる。

 

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ガマ洞窟34

次は「殺」だ。 

文字のチョイスが小学校中学年くらいだ。

「死とか殺とか、強そう!悪そう!」みたいに。

 ちなみに小学校中学年の僕も、そんな感じだった。(大学生くらいまでそんな感じだった気も。)

 

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ガマ洞窟35

オバQか。かわいいぞ。

 最後にオバQに見送られ、さらに奥へと歩を進める。

 

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ガマ洞窟36

おぉ、なんかフェンスの向こうに怖い生首がある。

モロに目が合った。

 

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ガマ洞窟37

生首マネキンのラッシュ。

ガマを見せる気はさらさら無いらしい。

 

…と、諦めかけた矢先だった。

 

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ガマ洞窟38

うお、なにこれ。

狭い通路を3分の1くらい塞ぐ、巨大な物体が壁面にへばりついている。

 

これ、カエル?

ゴーカートくらいのサイズあるけど、カエル??
RPGとかで、主人公パーティーが洞窟で突然モンスターにエンカウントする気持ちがよくわかった。

 

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ガマ洞窟39

フラッシュ撮影してみた。

 

ご名答、カエルだ。

ここに来てガマ洞窟の主、ようやく登場。

 

そっか。ダンジョンの主は最深部で待ち構えていたのだな。

なんか鼻血出ているけどさ。

なんか顔の上にヒヨコ乗っているけどさ。

 

しかしカタルシスを感じた。

「おぉぉぉーー!!」ってなった。

 

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ガマ洞窟40

さぁ、この冒険もエンディングが近いはず。

 

相変わらずコートや帽子などのアパレル系が不意打ちしてくるが、もう場慣れしているので動じない。
「暗闇の洞窟にコート?それが何か?」くらいに落ち着き払っている。

 

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ガマ洞窟41

廊下の隅で、小さめのカエルが寂しそうにしていた。

とはいえ、柴犬くらいのサイズだから、実在していたらちょっとイヤなサイズだが。

 

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ガマ洞窟42

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ガマ洞窟43

お供えされている、勝ち組のカエル。

軽く神々しい。


お参りしておいた。

 

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ガマ洞窟44

ゴールだ。

 

全てが名残惜しい。

「払い戻しいたしません」・ジャラジャラ暖簾・写ルンです・DAD・イノシシ・アパレル・オバQ・ガマ…。

走馬灯のようによみがえる。

 

頭上のわずらわしいシャワシャワしたビニールの断片を払いのけ、最後の暖簾をくぐる。

 

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ガマ洞窟45

土産物屋。

 

 

最初に戻ってきた。

ゲームの無限ループみたいな感覚に苛まれつつも、20分前と比較し一回り大きい人間になった自分に気付く。

 

なんと素敵で意味ある20分だったろうか。

500円で人生経験が格段に豊かになった。

 

相変わらずの曇天が、心なしか明るく見えた。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ガマ洞窟
  • 住所: 茨城県つくば市筑波つつじケ丘
  • 料金: 500円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 定休日…12・2・9月の木曜日 9:00~17:00(冬季は16:00)

 

No:043【奈良県】奈良・和歌山・三重にまたがる三県境の「瀞峡」!その壮大な渓谷美!!

「瀞峡(どろきょう)」という、奈良・和歌山・三重にまたがる雄大な渓谷がある。

 

まさに秘境という表現がふさわしい、荒々しい岩壁の中を流れるエメラルドグリーンの清流。

僕はかつて日本1周目の際にこの景勝地を見て以来、ここのとりこだ。

 

今回は三県境(さんけんきょう)に絡め、奈良県側からこの瀞峡を訪れたときのエピソードをご紹介したい。

 

 

三県境とは 

 

三県境というのは、 3つの都道府県が1点に集まっているスポットを指す。

つまり、以下のような感じだ。

 

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「珍しいのか?」と言われれば、正直そんなには珍しくはない。

全国で48箇所ある。

 

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点を打ったところが全て三県境である。

あなたも県境付きの日本地図を見れば、即座にチェックできるであろう。

※ちなみに四県境以上は存在しない。

 

しかし、「三県境」という言葉を聞いたことがある人の大半は、おそらく上記のうちの2地域に対してのみなのではないかと思う。

 

 … 栃木・群馬・埼玉の三県境(柳生の三県境)

 … 奈良・和歌山・三重の三県境

 

なぜこれらの2地域のみが有名なのか。

大多数の三県境が高山の山頂や大きな河川の中央という、人が立つには少々難易度が高い場所であるのに対し、緑丸は平地にあり、気軽に徒歩で踏める日本唯一の三県境であるからだ。

 

赤丸は、5つの三県境が入り乱れるという前代未聞の事態が勃発しており、「これはただごとじゃあないぜッ!」ってマニアたちが注目しているからだ。

 

前者の「柳生の三県境」については、またいずれ語りたい。

今回は、後者の赤丸が密集してわけがわからなくなってしまっている、奈良・和歌山・三重の三県境について、紐解いていこうと思う。

 

 

奈良・和歌山・三重の三県境

 

なぜ、「奈良・和歌山・三重の三県境」が5箇所も存在するのか。

 

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上の図を見ながら考えてほしい。

事前知識の無い方に対しては、なかなかのトンチになってしまうと思う。

 

ウソのようだが、事実として5つあるのだ。

 

 

その答えが、以下だ。

 

 

 

 

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和歌山県、子供を産み落としている。

 

 

これが有名な「飛び地」というヤツだ。

このおかげで、5つの三県境が1地域に密集して存在することが可能となっている。

 

飛び地について語ると話が長くなるし、飛び地は和歌山県に属するので、それについてはいずれ和歌山県の項目で語りたい。

 

ちょっとこの飛び地部分を、Googleマップ上でおさらいしてみようか?

 

 

わかりづらいかもしれないので、さらに着色してみよう。 

 

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これで、5つの三県境がわかりやすくなったと思う。

 

では、今回はこの5つのうち、「A・B・C」の3つを実際に現地からご紹介させていただこう。

 

 

「A・B」の三県境、攻略

 

僕は、早朝の国道168号を走る。

 

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秘境へ1

和歌山県新宮市の海沿いから「熊野川」沿いに山間部へと駆け上がっていると、どんどん秘境テイストがUPしてきた。

 

ここでちょっと車を停めて、川の写真でも撮ってみるか?

 

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秘境へ2

熊野川の上流は「北山川」。

その北山川が目指す三県境を有する「瀞峡」である。

 

僕はそのあとさらに北山川をさかのぼり、道路が崩壊して行き止まりになるところに残る廃村まで行こうかと考えている。

 

だからまだまだ序の口だぜ。

 

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秘境へ3

ここは「道の駅 瀞峡街道 熊野川」だ。

あぁ、ここいらからは「瀞峡」って名前を使っていいエリアなのだね。

 

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秘境へ4

道の駅から見えるのは、荒涼とした熊野川

そんな風に見えてしまうのは、この薄らドンヨリとした天気のせいかな…って思った。

 

だけども、理由はそれだけではないことに気付いた。

 

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秘境へ5

対岸、すっげぇ崩壊しているし。

キケンキケン!瀞峡はキケン!

 

そういえば、2011年の9月に超巨大な台風12号紀伊半島を襲った。

ここいらのその被害が甚大だったと聞いている。

あれもその影響かもしれないな…。

 

そうこうしているうちに、「A」の三県境に到着した。

 

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三県境1

いかがだろうか?

見事なS字を描いているのが、熊野川の上流に当たる北山川だ。

 

僕の立っている奈良県の端の端から、左右それぞれに三県境が見える。

2つの三県境を同時に見れるスポットなんて、国内でもここだけだろう。

 

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三県境2

そして、写真の腕がヘッポコであることを、あなたに深くお詫びしたい。

どんな高級食材を入手しても、料理の腕がなければ美味しい食事を提供できないのと同じ理論である。

これでは、片方の三県境を遠望しているだけだ。

 

恥を忍んで、ほぼ同じ位置からの景観を、Googleさんにお借りした画像で改めてご紹介しようか。

 

 

北山川のS字部分を正面に捉えた。

これに県表示をするのなら、以下のようになるだろうか?

 

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三県境3

実際に見えない境界を想像するってのは、難儀だなぁ。

そんな難儀な境界に興味を持ってしまう僕もまた、難儀な人間である。

 

では、次の三県境を目指そうか。

擦れ違い困難な断崖ギリギリを攻めながら、さらに北山川を遡上する。

 

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秘境へ6

 

「C」の三県境、攻略

 

アプローチ

 

国道169号の旧道を進む。

狭い狭い狭いー!

なかなかスリリングで楽しいぞ。

 

動画で撮影している方がいるので、ご紹介させていただく。

ワイルドな感じをご理解いただけると思う。

 

www.youtube.com

 

そして「蟻越峠」でいったん奈良県を離れ、和歌山県へと入る。

またすぐに奈良県に戻るけどな。

ここいら辺、もう自分が何県にいるのか理解できなくなる。

 

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秘境へ7

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秘境へ8

「C」の三県境は、国道沿いではない。

国道169号を離れ、これまた狭めの道で後述する「瀞ホテル」や北山川のある方面に突き進む。

 

この道はドン詰まり。

さらに細く、Googleストリートビューの車ですら、2020年現在も立ち入っていないようですぜ。

 

秘境感モリモリだ。

1人旅でこんな喧騒を離れた場所をふらついていることに、いいようのない快感を覚える。

 

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秘境へ9

狭路を走ること15分。「C」の三県境前に到着した。

ここはギリッギリで奈良県に属している。

 

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三県境4

看板は陽気に「よう来たのら」とか「ようきたのし」とか言っている。

ちょっとさ、こんなノンキなキャラに愛想笑いなんてできる余裕がないくらい、ハードな道だったんですけど?

 

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三県境5

駐車場に愛車のパジェロ・イオを停めたあと、しばらく遊歩道沿いを歩く。

眼下に不気味なほどに緑色の北山川が見えてきた。

 

さらに進むと、おそらく川面方面に下りれるであろう階段が出てくる。

さぁ、この先が瀞峡のハイライトであろう。

 

 

瀞ホテル

 

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三県境6

 

わっ!

いきなりホテル出てきた!

 

 

すごい秘境のすごい立地に、めちゃめちゃレトロなホテル出現だ。

ビックリした。

 

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三県境7

名前は「瀞ホテル」。

ホテルの概念を超越する勢いでレトロだ。

 

断崖の上、渓流を見下ろすように佇むレトロな施設。

その建物からは、ボロッボロな吊り橋が対岸に向けて伸びていた。

 

…あれ?

まっったく同じシチュエーションを、僕は知っているぞ。

岐阜県にある幻の渓谷「深沢峡」の、廃茶屋「いさまつ」だな。懐かしいぞ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

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三県境8

ここがホテルの入口かな?

見上げた看板は、文字が右から左に書かれている。そんな時代の一品なのか。

そして、もはやホテルというより神社と呼んだほうが共感が得られそうなほどに、古風な建物だ。

 

帰宅後に知ったんだけど、このホテルはここ数年はオーナーさんが亡くなったために営業していなかった。

だけども僕の訪れる数日前に、息子さんがカフェとして再オープンさせたんだんだって。

 

あー、このとき知っていれば!

レトロ好きだしカフェ好きの僕、きっと数10分待てばきっとここのカフェに入れたのに!

残念!またいつか!

 

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三県境9

瀞ホテルのほんの数m下には『台風12号水位』と書かれた石が置いてあった。

前述の、2011年9月の台風12号のヤツだ。

 

こんなところまで水が来たのか。川の水面はまだ2・30m下なのに…。

ここいらは確か一番被害が出たエリアだったんだよね?

さぞや大変だったであろう…。

 

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三県境10

ホテルを見上げるような構図になった。

ここまでくると、先ほどちょっとだけ触れた「対岸に向かって伸びるボロッボロの吊り橋」がよく見えるようになる。

さぁ、よく見ようぞ!!

その朽ちっぷりを!!

 

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三県境11

スタートからゴールまで、まんべんなくデンジャラス。

 

吊り橋は「葛川」という北山川の支流をまたぎ…。

はい、一緒の吊り橋の行く先に目線を移そう。

 

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三県境12

わわっ、この辺は静岡県の「夢想吊り橋」にも匹敵するディストラクションレベルだ。

その向こうに、何か見えてきたぞ…。

 

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三県境13

 

瀞ホテル別館。

 

正直、笑いしか出てこないような立地だ。

もちろん、今は使用されていない。

吊り橋が渡れないもんね。

 

でも、かつては使用されていた。
その事実に、身の毛もよだつほどの興奮を覚える。

 

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三県境14

僕は懸け造りの建造物が好きである。

断崖に半分せり出したこの建物を、数本の華奢な足のみで支えている現実に震える。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

台風12号の際、増水して建物ギリギリまで水位が上がったが、押し寄せる水流にこの華奢な足は耐えた。

しかし吊り橋は耐えきれず、ご覧の通り崩壊した。

 

ちなみに懸け造りって神社仏閣が多いけど、これは宿泊施設だ。

今しがた表記した通り、かつては使用されていたのだ。

それがどういうことか。

 

雨の日であっても、宿泊客は旅の荷物を、吊り橋を通って別館に運んだのだろう。

食事も本館から吊り橋経由で運んだ可能性が高いだろう。

すごい時代だ。

 

おそらく、この先吊り橋を架け替えることはないであろう。

目の前にあるのに、別館は永久に人が到達できない場所。

このまま朽ちていくのを、対岸から見ることになるのであろう。

 

これもまた、崩壊美。

 

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三県境15

ちなみに、瀞ホテル本館は奈良県である。

吊り橋の先の、瀞ホテル別館は和歌山県の飛び地部分。

複雑だ。

 

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瀞峡の渓谷美

 

いよいよ、瀞峡のハイライトに当たるスポットが、僕の前に姿を現した。

息を飲むような、静けさの中に力強さを持つ渓谷であった。

 

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瀞峡1

瀞峡は、日本唯一の飛び地の自治として有名な和歌山県北山村から、和歌山県新宮市にかかる北山川沿いの渓谷。

上流のほうから「奥瀞・上瀞・下瀞」とネーミングされている。

 

下瀞の中でも上瀞に近い部分が「瀞八丁」と呼ばれるハイライト。

まさに、ここから始まるエリアだ。

 

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瀞峡2

眼下に見えているのは、瀞八丁を巡る観光船と「田戸発着場」。

 

観光船はここで20分上陸し、休憩をするプランとなっているそうだ。

ちょうど今は休憩の停泊中なのかな。レアシーンだ。

 

観光船は、「ウォータージェット船」というタイプ。

川の水を取り込んで、後方から噴射することで進む仕様。

これまた非常にレアな船で、国内で一般人が乗れるスポットはここ以外に知らない。

 

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瀞峡3

岩壁の上を移動し、少し見る角度を変えてみた。

渓谷は綺麗だ。

だが、おそらく2011年の台風12号の被害と思われる痕跡がそこかしこに見える。

 

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瀞峡4

短時間の停泊スポットなので、施設が仮設テント程度なのは、台風以前からなのかもしれない。

 

しかし、背後の山の斜面には大量の流木が転がっている。

これらが台風被害のものと推測した。

 

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瀞峡5

反対側、瀞峡の上流側にギリギリまで移動してみよう。

足元に注意しながら岩壁を辿る。

 

深い深い緑の渓流が見えてきた。

 

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瀞峡6

高さ30mほどの絶壁の渓谷、瀞峡の瀞八丁。

 

対象物がないのでわかりづらいが、目も眩むような絶景だった。

僕はしばらくここで座り込み、大自然の創り出した景勝を堪能した。

 

 

ちなみに、この写真のど真ん中が、三県境「C」である。

奈良・和歌山・三重の3県が、僕の目の前で交わっている。

 

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瀞峡7

目に見える瀞峡の渓谷美

目に見えないレアスポットの三県境

そして、この地で歴史を紡ぐ瀞ホテル

 

五感を全開にし、これらを感じ取ろう。

 

 

紀伊半島の奥の奥。

秘境、瀞峡。

日頃のオフィスワークのストレスが、溶けて流れてなくなっていくのを感じた。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 瀞峡
  • 住所: 奈良県吉野郡十津川村大字神下田戸405
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:042【岡山県】昭和テイストな激渋銭湯を発見!瀬戸大橋の下はノスタルジックな世界!

日々ヤンチャなドライブに明け暮れる僕であるが、正直お風呂に入るときくらいはホッとしたい。

何も考えず、ただただ日中の疲れを癒したい。

 

ちなみに僕にとって上記を満たすような入浴施設は、スーパー銭湯とかそんな感じ。

そんな僕が、ガチで昔ながらの銭湯を訪問してしまった話をしよう。

 

銭湯は、僕にとってはカルチャーショックの連続であった…!

 

 

お風呂難民を回避せよ

 

「瀬戸大橋」の岡山側の袂(たもと)を見下ろす絶景スポット、「鷲羽山」。

とある春の日の夕暮れ時、僕はそこから夕焼けを眺めていた。

 

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瀬戸大橋の下へ1

絶景すぎるよ。

瀬戸内海、なんて穏やかで綺麗なんだ。

心が洗われ、身も心も浄化された気分になる。

 

…いや、その気分は間違いだ。

百歩譲って心は多少綺麗になったとしよう。

トトロとかも見えちゃうくらいになったとしよう。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

しかし身体(からだ)はどうか。

1日泥だらけになって遊んだ僕の身体は、不浄の極みに違いない。

ここでシャワーを浴びてスッキリ爽やかになるのが、紳士の嗜み(たしなみ)ではなかろうか。

 

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瀬戸大橋の下へ2

この日最後と思われる太陽が、雲の隙間から顔を出した。

 

僕はバッグからツーリングマップルを取り出すと、夕日で赤く染まるページをめくる。

これからお風呂に入ろう。

清潔なジェントルマンになろう。

さて、どこの入浴施設に入ったら、そんな理想的なナイス・ガイになれるだろうか?

 

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瀬戸大橋の下へ3

「ヘルス共和国Z」!!

※ 当時の僕の手記を見ると、マジにここを候補に挙げている。

ジェントルマンを目指していたハズの僕だが、かなりの変化球なチョイスだ。

 

大衆演劇も見れる温泉施設』ってなんだ?

謎が謎を呼ぶ。

 

目的地は、広島県福山市

ここから結構西まで走る必要があるが、ヘルス共和国に入国できるのであれば、頑張れそうだ。

 

…と思ったところで、僕の第六感がささやく。

「用心なさい。今一度、情報を調べなさい。」と。

 

念のため、携帯電話を取り出して調べてみた。

「ヘルス共和国Z」、2009年5月で閉鎖していた。遥か昔だ。

電話番号を調べ、ダメオシで電話もしてみた。番号、使われていなかった。

 うん、持っていたツーリングマップルが古すぎた。

 

今一度ツーリングマップルを調べる。

 

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瀬戸大橋の下へ4

あるじゃないか。

ここから瀬戸大橋を挟んだすぐ反対側に、『昔ながらの銭湯』が。

 

少なくともこの当時の僕としては、この表記は魅力的には感じない。


銭湯はなんだか近寄りがたいイメージだし、ドライヤーなどのツールの品揃えが悪そうだし。

清潔感も、スーパー銭湯の方が上回りそうだし。


しかし、僕は今回の旅のような車中泊であっても、しっかり毎日お風呂には入りたい紳士(マジで)。


手近なところにあるのであれば、覗いてみようか。

これも経験!

銭湯のイメージか良い方向に換わるかもしれない、ラッキーチャンスと捉えよう!


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瀬戸大橋の下へ5

あのあたりだな、大体。

 

鷲羽山の山頂から目星をつけた僕は、ダッシュで愛車のもとへと戻る。

そしてすぐにエンジンをかけ、下界へと降りて行った。 

 

 

橋の下の小さな漁港

 

さて、鷲羽山のふもとにやってきた。そして車を停めた。

ここは下津井の町の、「田ノ浦」という集落。

 

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田ノ浦1

夕日で赤く染まる湾に、漁船がミッチリと停泊している。

その上を巨大な瀬戸大橋が通過している。

このギャップがすごい。

 

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田ノ浦2

 

エモーショナルの極み…!!

 

 

昭和のまま、時が止まったような景観の路地が続いている。

このあたりの人はほとんど漁業従事者だという。

昔からストイックに変わらない生活をしているのかもしれない。

 

そしてその集落の頭上には、ゴチゴチでメカメカしいデザインの瀬戸大橋。

このギャップがたまらない。

 

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田ノ浦3

僕は、想像してしまう。

この集落の上に瀬戸大橋が建設されてしまった日のことを。

 

静かに漁業を営んでいた人たちの日常をブチ壊してしまったりはしなかったのかと。

港の真ん中に橋脚を立てて大丈夫だったのだろうかと。

巨大な政府の力に、庶民は無力だ。

 

「アンダージュノン」という漁村を覆うように超巨大な砲台を設置し、漁村を常に日陰にしてしまった巨悪カンパニーの逸話が脳裏をかすめた。

元ネタ、わからなくって結構。

 

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田ノ浦4

およそ20分後、薄暗くなった瀬戸大橋を再び撮影した絵。

かっこいい。

僕は巨大橋が大好きだ。

 

しかし、今までは橋ばかりを見ていて、その足元を見ていなかったな、と実感。

アレね、「東京タワー」の足の1本は墓地にある、とかそういう系ね。

 

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田ノ浦5

木造の集落越しに見上げる、ライトアップされた巨大な橋は、なんだか不気味にさえ見えた。

 

では、こんな集落内の銭湯を、いよいよご紹介しよう。

名前は「大黒湯」だ。

すごいぞ。

 

 

激渋銭湯「大黒湯」

 

銭湯だ。ちょっと入るのを躊躇してしまいそうなほどに、ガチの銭湯だ。

 

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大黒湯1

ここ大黒湯は、週に3日も休みがあるし、営業時間は17:30~19:30までのレアな銭湯だそうだ。

 

集落の人をターゲットに、こういうピンポイントな営業スタイルにしているのだろう。

17:30~19:30という早い時間帯の営業なのも、普通のサラリーマンなんかを相手にしているわけではなく、朝も夜も早い漁師さんが主な利用者だからなのだろう。

…とか、勝手に想像を巡らせる。

 

ってゆーか、暖簾がなければ普通の一軒家のような銭湯なのだな。

全く中が想像できず、僕なんかがフラッと入っていいものかどうか少し不安だ。

 

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大黒湯2

前提として、僕は銭湯なんてほとんど来たことがない。

 

唯一これに近い体験をしたのは、岩手県宮古市を旅したときのこと。

東日本大震災スーパー銭湯などが軒並み被災し、少し内陸部にある唯一の入浴施設が古めかしい銭湯だったときだ。

そのとき以来だと思う。

 

なので、まずは入口が2つあり、この時点で男湯と女湯に分かれていることにビックリした。早々とビックリした。

 

では、男湯に入ろう。

 

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大黒湯3

はい、いきなりタッチが変わって驚いたかもしれないが。

写真がないので絵を描いた。

絵を描くツールも無いので、マウスのフリーハンドでヨチヨチ描いた。

大変だった。

 

仄暗い茶色な空間が広がっていた。

長年の人々の生活の営みを吸収してこそ、かもし出せるような、深い深い茶色の空間だった。

 

まずは番台のおばあちゃんに料金を払った。

番台の向こう側半分が、女湯なのだろう。

靴を脱いで、板の間に上がる。

 

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大黒湯4

 

すげーロッカーきたーー!!! 

 

 

こんな字、初めて見た。

普通の漢数字ではなく、大字(だいじ)と呼ばれる「壱・弐・参…」くらいなら、僕も見たことはあった。

 

しかしこれ、大字のさらに旧字だよね? 

なんだこの「壺(つぼ)」みたいな「1」は。

 

…背負っている歴史の厚みが違う!!

(使っているインクの量も違う)

 

恐れ多くて、こんな骨董品みたいなロッカーに僕のパンツなんか収納できねー…。

 

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大黒湯5

いや、入れたけどな。

せめてもの敬意を払い、大字ではない「十四」のロッカーに入れた。

 

そして、いよいよ浴場だ。

 

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大黒湯6


おぉぉ、必要最低限のツールしかない、なんとコンパクトな造りよ。

 

壁に「富士山」とかは描かれていない。

白いタイルだが年季が入り、ちょっとグレーがかっていたり、ボロボロに剥がれかけてきたり。

歩んできた年月を感じさせる。

 

シャワーもない、シャンプーやボディソープもない。

シャンプー・ボディソープは常備しておいてよかった。

 

洗い場は4・5個のみ。

でも、地元の人たちは湯舟近くに座り込んで、洗面器で湯舟から汲んだお湯をザブザブ掛けるのがお好きのようだ。

 

とりあえず僕は、洗い場に座り、頭と体を洗うぞ。

 

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大黒湯7

なんだこのカラン?

お湯専用水専用とがあるのな。 

スーパー銭湯でこんなのはお目にかかったことがないぞ。

 

頭を洗ったり体を洗ったりするのに必要なのはお湯である。

お湯専用カランのボタンを強く奥側に倒す。

 

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大黒湯8

いや、ごめんなさい。少し大げさに描き過ぎました。

 

しかし、水量調整レバーとかないんだよね。

魔晄キャノン的な勢いでお湯が発射された。すごい衝撃だった。

 

しかもお湯、触れられないほどの熱湯。

ヤケドした。

なるほど、だから水専用カランで薄めるのだな。 

 

だが、この配分がすごく難しい。

 

お湯に水を足す。まだ熱すぎる。

⇒ さらに水を足す。ぬるすぎる。

⇒ お湯を足す。熱すぎる。

⇒ 水を足す…。

 

ネバーエンディング・ストーリーである。

 

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大黒湯8

もどかしいカラン。

たぶんだけど、「タカラ 湯屋カラン S型ハンドル」ってヤツだと思う。

愛らしいデザイン。でも使いづらい。

 

洗面器たった1杯の適温のお湯を作るのに、どれだけ苦労したことか。

なるほど、だから地元の人たちは湯舟から汲んだお湯をザブザブ使用しているのだな。

 

でも、僕は諦めなかった。

お湯1:水4くらいか?濃いめのカルピスくらいの分量で適温を見極め、なんとかかんとか頭と体を洗った。結構疲れた。

 

次は湯舟に入る。

 

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大黒湯8

ごめんなさい。また少し大げさに描いてしまいました。

でも、メッチャ熱かった。

 

さっき『だから地元の人たちは湯舟から汲んだお湯をザブザブ使用しているのだな』とか書いたけど、違うわそれ。

 

カランも灼熱・湯船も灼熱。

どちらを選んでもイバラの道よ。

 

ガマンして2・3分浸かった。

しゃぶしゃぶと同じくらいはボイルされたと自負している。

隣の入れ墨のおじさんは、なぜに涼しい顔をして湯舟に使っているのか謎だ。

たぶん、歩んできた人生の重みが違う。

 

湯上りの脱衣場、冷房が効いているわけでもないし、風通しがいいわけでもない。

さっさと外に出て、夜風に当たったほうがクールダウンできそうだな。

あと、ドライヤー無いのは少々不便。

 

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大黒湯9

外に出て振り返ると、既に暖簾が取り外れていた。

 

まだ時間は19:10を少し回ったところなのだが、19:30閉館だもんな。

実際は17:30~19:00くらいまでしか入館できないのだろう。

 

そんなタイミングで、僕は運よく銭湯体験をできたのだ。

 

 

大黒湯を振り返る

 

この大黒湯の情報や写真は、Webではなかなか出てこない。

しかし山陽新聞の2019年9月6日の記事で、取り上げられた情報がWebにあった。

 

www.sanyonews.jp

 

これは貴重な情報だ。

少しだけ、ここからの情報をかいつまんでご紹介させていただく。

 

大黒湯は、この下津井の町にに残る唯一の銭湯。

昔は複数軒あったのだが、風呂付きの家が 増えたことで需要が少なくなり、30年ほど前に相次いで廃業。

ここ数年は、大黒湯1軒のみとなってしまった。

 

現在のおかみさんのおじいさんが戦前に開業したそうで、70年前に改修していると記載されていたので、少なくとも創業からは80年以上は経っていると判断した。

 

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あの旧字を使用したレトロなロッカー。

あれは、まさにその創業当時から使われていたものなのだそうだ。

 

本当に貴重なものだ。

それが今も実際に気軽に使用できるのだから、貴重な体験をさせていただいた。

 

現在の1日の平均利用者は 30人ほど。

やればやるほど赤字になるのだが、自宅にお風呂がない人など、ここを必要としている常連さんがいる。

 

だから、2020年現在は89歳になっているであろうおかみさんは、今日も瀬戸大橋の下のこの銭湯に暖簾をかけるのだ。

 

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田ノ浦6

未知の体験が目白押しで、あんまりゆっくりとかリフレッシュとかはできなかったけど、とてもワクワクした。

もしかしたら、数10年後には体験できないような出来事だったのかもしれない。

それを、旅を通じて体験できたことに心から感謝する。

 

そして、清潔な紳士になるという目的は果たせた。 

このあとどこかで車中泊をするので、生き様は紳士とは程遠いかもしれないが。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大黒湯
  • 住所: 岡山県倉敷市下津井田之浦1-6-21
  • 料金: 420円
  • 駐車場: 目の前の田ノ浦漁港に駐車可能と思われる
  • 時間: 水・金・日曜休み。17:30~19:30営業。

 

 

No:041【栃木県】「夢だけど、夢じゃなかった!」トトロはいた!!田園の中の神社に!!

えぇ、信じていますとも。

いい歳していますが、心の中にトトロがいますとも。

 

僕がそう言い切れる根拠となったエピソードを、日本5周目のドライブの中からピックアップしてご紹介したい。

僕は、あの日、確かにトトロを見た。栃木県の田園の中で。

 

 

 

トトロ神社、発見!

 

1年で最も寒い時期。

作物もなく土ばかりのオフシーズンの田畑の上を、木枯らしが吹きすさぶ。

 

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神社1

メルヘンとは程遠い、この大平原で、僕は1つの神社を探していた。

その神社の名は、「星宮神社」。

そこにトトロがいるという。

 

ちなみに、この周囲数㎞に星宮神社は10個ある。

僕、さっき間違えた星宮神社に行っちゃった。

 

別の星宮神社にて、トトロを探してキョロキョロする僕。

付近の家で庭仕事をしていたおじいちゃんは不思議そうにこっちを見ていた。

僕も不思議な思いだった。…トトロ、いないのか。

いや、そんなハズない。トトロはいるもん、ホントだもん!

 

…という経緯を経て、再度神社の場所を確認し、僕は荒野を走っているのだ。

さて、僕の勘が正しいのであれば、そろそろ…。

 

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神社2

 

いた。

 

 

てっきり心の清い子供にしか見えないのかと思っていた。

心の汚いサラリーマンにも見えるんだ、トトロ。

ありがたいトトロ。

 

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神社3

神社の横の駐車場に、愛車のHUUMER_H3を駐車する。

 

背後には平原。その後ろには雪を被った山々。

なんだか北海道みたいな気分になる。

 

早速トトロに抱き着きたい。

しかし、まだ早い。

ちょっとはやる気持ちを抑制して、神社の入口、鳥居からご紹介したい。

 

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神社4

なんかシャワシャワした、ナイロンみたいな素材の鳥居。

横には『日本一の行灯祈願鳥居』という立て看板がある。

 

これ、実は石の鳥居がナイロンの服を着ているわけではないのよ。

中はスッカスカ。

鉄骨のフレームで、鳥居のかたちを保っているに過ぎない。

 

そんで、特定の日の夜になると、この鳥居が光るの。

立て看板にある通り、この鳥居自体が行灯(あんどん)となって光をともし、ボンヤリと輝くのだ。

もちろん今は昼間なのでムリ。

 

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神社5

『ようちえんの先生になれるように。』

 

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神社6

『おりこうさんになりますように。』

 

鳥居にはびっしりと願いごとが書かれていた。

祈願鳥居というわれる所以がこれか。

鳥居にダイレクトに願いを書くとは、なかなか斬新なイベントだと感じた。

 

『七国山病院にいるお母さんが、早く良くなりますように』…とか、書きたいな。

例の姉妹の代筆で。

 

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神社7

鳥居には、白ヘビがくくりつけられている。

 

星宮神社の公式Webサイトによると、ヘビってのは脱皮を繰り返すから、古来から不死だとか復活と再生をイメージする生き物なんだって。

それは、長寿や蓄財にリンクする。

 

そんな意図から、神社で祀っているのだそうだ。

 

hoshinomiya-jinjya.com

 

では、いよいよトトロに対峙しよう。

 

となりのトトロと胎内めぐり

 

トトロ、鳥居の隣にズドンと立っている。

身長、推定4m。

かなりデカい。実物よりデカい。実物ってなんだよって話だけど。

 

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トトロ1

サイズ的には、大仏かな?

ロケーション的にも大仏かな?

 

種明かしをすると…、これは神社で使われた「かかし」の1つ。

この神社では毎年夏から秋にかけての時期に「古山のかかし祭り」というお祭りをしている。

2020年は残念ながらコロナの影響で中止となってしまったけど。

 

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トトロ2

以前、そのお祭りのかかしとして造られたのが、このトトロ。

そんで好評だったみたいで、ここに残っているのだ。

 

Webなどを検索した限りでは、以前のトトロの顔はもっとブサイク。

これはリニューアル後のものなのかもしれないね。

 

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トトロ3

ちなみに、以前にはこのトトロの横には「さつきとメイ」のパネルもあった。

なんかデザイン怖いしボロボロだったみたいだけど、たぶん老朽化で撤去されてしまったようだ。

 

尚、2020年現在は新バージョンとなって2人が再登場しているようだ。

やはりデザインは少しビミョーな感じだけども。

 

あと、昔はネコバスのペイントをされた車も傍らにいたようだが、それも今はいなくなっている。

さつきとメイを乗せて、七国山病院にでも行っちまったのだと思っておこう。

 

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トトロ4

トトロのおなかには穴が開いているぞ。

ここから中に入れるのか??

 

ほんの少し身をかがめれば、ラクに入れるサイズの入口。

では、おじゃまします。

 

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トトロ5

 

胎内には神社があった!!

 

やけにパンクなデザインの鳥居だなって思ったら、これペットボトル製だ。

 

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トトロ6

その神社の名は、「トトロ神社」。

星宮神社の中にいる、トトロの中にある、神社の名前はトトロ神社。

 

石ころとかドングリとか、落ち葉がお供えしてあった。

ペットボトルのデザインはトトロ感が控えめだけど、お供え物はトトロっぽい。 

 

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トトロ7

入口と反対側は、緑のトンネル。

 

え?なになに??ここってトトロのどこの部分??

背中?背中の突起??

 

とりあえず、中腰になってモリモリ進む。

あ、これトトロを探しているときの森の中のシーンみたいだ。

 

…トンネルを抜けると、そこは境内だった。

 

 

境内も、また不思議

 

トトロの胎内巡りの行きついた先は、星宮神社の境内であった。 

 

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境内1

拝殿は、まぁ普通。

鳥居やトトロに比べれば、安心して見ていられる造形。

…とか失礼なことを思ってしまった。ちゃんとした神社なんだからね、ここ。

 

しかし、注連縄にちょっとご注目いただきたい。

 

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境内2

注連縄もヘビのかたちだ。

その理由は前述の通り。

 

昔はこの付近の多くの神社が、このようなヘビの注連縄だったそうだ。

しかし、近年はこれを作れる技術者が減ったこともあって、もうこういう注連縄を設置している神社もほとんどなくなってしまったらしい。

 

貴重な文化なのに、残念な限りですな。

 

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境内3

うおっ、拝殿に登る階段の下に変なヤツがいる!!

 

いきなり、「オリエンタルランド」から出てきたようなアニメっぽいキャラクターの登場だ。

狛犬の前座的な位置に笑顔で立っている。

 

これは中国の貘(バク)だそうだ。

あの、悪い夢を食べる想像上の動物ね。

よく見ると足元の賽銭箱にも「夢福神」って書いてある。

 

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境内4

背中には大きく「夢」。

なんだこのデザイン。

バクってこんなだったっけ?僕、変な夢を見ているような気分だ。

 

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境内5

これは「ミリオンズ」のキャラクターだな。

境内の片隅にいたが、なぜだろう?

かかし祭りの残留品なのだろうか?

 

なんだか、文化祭テイストがさらに強くなってきた。

 

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境内6

柔らかそうな天守閣を発見。

 

これはもう、どう見てもかかしの概念を超越していそうだが、なんなのだ??

基盤を支える石垣だけ、ガチな造りだ。

 

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境内7

あ、「くまもん」だ。

 

しかし体に何かポスターが貼ってあるぞ。

石橋病院移転新築工事 作業所一同』って書かれてある。

写真には工事作業者と思われるおじさんたちが集まって、ワーイみたいな感じになっている。

 

この人たちが、かかし祭りにくまもんを提供したのかな?

ねぇくまもん、覚えている??

 

 

*-*-*-*-*-*

 

となりのトトロ」のキャッピコピーを、ご存じだろうか?

 

「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」

 

…いろいろいたし、いろいろ変だったなー。

トトロだけじゃなかったなー。

 

朝からカオスな世界の片鱗に足を踏み入れ、僕は大満足だ。

さぁ、次のワクワクを探しに行こうか。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 下野星宮神社
  • 住所: 栃木県下野市下古山1530
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

No:040【京都府】関西最後の秘境「芦生の森」!!単独立入禁止の山中で廃線跡を辿る!!

ここに再度警告致します。

ご自分の命を大切になさって下さい! 

 

警告  

一人での入林禁止!

芦生研究林では、毎年死亡事故を含む遭難が発生しています。 

 

さて、困ったね。

あたかも「青木ヶ原樹海」ような、デンジャラスな文言の並ぶ「芦生の森」の公式Webサイトの画面を見て、僕は思案した。

 

僕は「午後の紅茶」を午前中に飲むのをためらうくらい、法を順守する男だ。

…というのは大げさすぎだが、1人での訪問がダメと言われているのに、無理矢理1人で突撃するのは得策ではないことくらいはわかる。

 

関西地区に居住していて、山岳アドベンチャーに同行してくれそうな仲間…。

ふと思いついて、僕は携帯電話を取り出した。

連絡先は、3年前に有人日本最南端の島「波照間島」で出会った旅人、「ひまこさん」だ。

 

姉さん、僕のムチャに付き合ってくれ。

 

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…というわけで、関西最後の秘境とも言われる、「芦生(あしう)の森」に行ったときの話をしよう。

 

 

 

芦生の森に行くために

 

最初に、少し「芦生の森とは何か」を語らせていただく。 

 

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なぜなら、万が一にもこのレポートを最後まで読まずに、僕のブログの影響で芦生の森へ突撃してしまう人がいたら、大きなご迷惑をおかけしてしまうかもしれない。

 

芦生の森に行くためには、まずは芦生の森を知ることから始まる。

実際、僕もそうした。

 

もしあなたが特に芦生の森に行くつもりがないのであれば、それはそれで安心。

しかし、本編に入る前に本章を読んでいただくことで、より盛り上がるのではないかと思う。

 

…とまぁ、大層な導入でもったいをつけたが、芦生の森っていったい何なのか。

 

 

99年の約束

 

まずはその正式名称だ。

京都大学フィールド科学教育研究センター森林ステーション芦生研究林」

長い。僕も素ではこの正式名称を言えない。

 

この森は、実は「京都大学」が管理しているのだ。

スポット名からそのことだけでも感じ取ってくれればOK。

 

時は1921年(大正10年)。

京都大学は研究の目的で、京都府滋賀県福井県に囲まれた深い深い山間部の森、約4200haの地上権契約を結んだ。

 

 

それが上記である。

 

まわり一面、グリーングリーン

西日本屈指の広大な原生林。

高速道路で行こうとしても、どこからも遠いという困った立地。

 

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地上権契約の期間は99年

なんか小学生みたいな期間設定だ。

 

現に僕も、ゲーム機を親から買ってもらえなかった幼少時代、クライメイトの「有澤くん」からゲーム攻略本だけ借りて、「へぇ、ドラゴンクエストってこんなゲームなのかー」って、やりもしないのに攻略法だけ詳しくなった。

そのゲーム攻略本、有澤くんから「99年貸してやる」って言われていた。

もちろん今も大事に所持している。

 

有澤くんが芦生の森を意識して99年と言ってきたのか、もはや知るすべはない。

しかし、そこには確かに約束があった。

 

 

手つかずの巨大原生林

 

芦生の森は、巨大な原生林。

 

太平洋と日本海の中心くらいにあるので、そのどちらの特徴をも兼ね備えているという稀有な存在。

また、標高600mちょっとの場所に位置する暖温帯林と冷温帯林の中間くらいの気候なので、これらの両方の特性を持っている。

 

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こんなレアな条件を満たし、ここまで巨大な原生林は日本に他に例がない。

 

さらに、4200haの敷地の多くは、ほぼ手つかずの原生林である。

一部は大学の研究だとか財源のためだとかで、一部伐採して運び出したり、加工したりもされたが、その範囲はわずか6%とも言われている。

 

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つまり、広大で貴重な原生林が、ほぼ手つかずの昔のまま残っているのだ。

これは、京都大学が管理したからこそだと思われる。

一般の観光地ではないので、他者による訪問・伐採・環境の変化が起きにくかったのだろう。

 

もちろん動植物などの生態系も、環境まるごと長年保存し、研究されている。

まさに研究者たちのサンクチュアリ!!

芦生の森は、1つの世界だ。

これで関西最後の秘境と呼ばれていることにも納得!

 

ja.wikipedia.org

 

昭和時代前半に活躍した、植物学者の「中野 猛之進さん」はこう語っている。

植物を学ぶ者は、一度は京大の芦生演習林を見るべし」と。

すごいぞ、芦生の森の評価!

 

※ちなみに、「芦生演習林」っていうのは、芦生の森の昔の呼び名ね。

 

 

森に足を踏み入れるには

 

さて、これで芦生の森の概要はご理解いただけただろう。

芦生の森は、京都大学のものであり、研究者のための森だ。

だから一般の人の認知度はかなり低い。

 

荒らされることなく、生態系を守る必要があったからだ。

一般人がワイワイ入って踏み荒らしたり、「森のくまさん」歌いながらハイキングしたり、オニギリをパクついてゴミを捨てられたらどれだけ迷惑か、想像できよう。

 

しかし、一般人もこの森に入れなくはない。

 

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…しかるべき条件を満たし、そしてしかるべき申請をすれば。

 

京都大学目線で考えれば、一般人が自分の敷地にノコノコ入って遭難したり自殺したりしては、それこそ大迷惑である。

だから、もろもろの条件をつけ、申請をさせ、警告もしているのだ。

 

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芦生の森の公式Webサイトは2017年ごろにリニューアルされ、スタイリッシュなデザインのものとなった。

 

しかし、それまではTOPページに上記の文字がドンと構えるものだった。 

上記はその旧Webサイトを、かつての僕が念のため保存しておいたものである。

 

怖いだろ?

ちなみに、もっとガチなのをご消耗であれば、以下のエピソードもどうぞ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

では、具体的に芦生の森に入るための条件って、なんなのだろうか??

これについてはあえてここには記載しないこととする。

本当に興味があるなら、あなた自身で問い合わせ、そして調査してほしいと思う。

 

なぜなら、僕が訪問時のルールが現状と同一とは限らず、そして現状のルールがあなたが訪問する際のルールと同一とも限らないからだ。

 

研究の都合、環境保全のため、コロナの影響、何でどのように変わるかわからない。

そしてさらに、次項でご説明する内容も絡んでくるかもしれない…。

 

 

歴史の狭間の執筆

 

前述の通り、京都大学1921年に99年の地上権契約を結んだと記載した。

1921年から99年…。

 

2020年、今年じゃないか!

 

そう、芦生の森にとって、今年は歴史的な年なのだ。

さぁ、契約満了で新たな運命を辿るのか、それとも京都大学が契約を更新するのか…。

 

僕は内心ドキドキしていたさ。

実はすでに結果は出ている。

今年の4月くらいに発表された。

 

fserc.kyoto-u.ac.jp

 

『京大・芦生研究林 30年間借地再契約_南丹・地元財産区と期限切れ迫り』

 

京都大学が契約更新した!

今度は30年!

 

地元の新聞と、京都大学のサイトにこじんまりと出ただけ。

かなりマニアックな話題だったようだな。

 

しかし、もし京都大学がこの土地を手放したらどうなるか、とか一部ではウワサがされれていたところ、もうしばらくはこの森は、手つかずの秘境でいられるようだ。

 

そんな99年目の最後の年である2020年、僕は是非ともこの森のことを執筆したかった。

 

*-*-*-*-*-

 

さぁ、前置きが長くなった。

 

時は少々さかのぼる。

梅雨入り前の一番緑豊かな時期に森を歩こうと思っていたら、数日前からずっと土砂降り。

そんな最悪のコンディションの中、僕は芦生の森を目指しハンドルを握る…!

 

 

ロッコ道への突入

 

土砂降りの中、僕は愛車を山の奥へ奥へと走らせる。

滋賀県大津市でひまこさんと合流後、芦生の森の登山口へと向かっているのだ。

 

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秘境へ1

早朝はワイパー最速でも視界が効かないほどのザーザー振りの雨だった。

今はそこまでではないが、普通の雨。

 

こんなコンディションで、マジ大丈夫なのか??

 

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秘境へ2

はい、到着。

装備を整えた後、「芦生研究林事務所」で入林手続きをした。

 

…ってサラっと書いたが、実態は結構大変だった。

事前確認済みなのに、なぜか施設がOPENしていなくってさ。

念のため電話をしてみたがつながらなくってさ。

 

ひまこさんがさらに上位組織の電話番号を調べてくれ、なんだか事情をわかっていない職員の人に交渉を重ね。

なんだかんだで了承を取り付け、2人で手作りした入林届に、上位組織から聞いた必要事項を聞いて投函。

 

これでいいんだよな?

正規なフローは踏めなかったが、一応許可はもらってやることはやったぞ?

では森に足を踏み込むぞ?

 

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秘境へ3

登山道の入口は、森林軌道の起点でもある。

まぁつまりトロッコね。以下トロッコと書く。

 

森の研究のためのあれこれの理由からトロッコが積極的に使用されたのは、1927年から伐採作業が終了した1960年代まで。

1980年代には、ほとんど使用されなくなったようだ。

 

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秘境へ4

では今も残る、この機械式のトロッコはなんなのか。

…っていうと、今でもすごーく稀に巡視のために運行することがあるそうなのだ。

 

しかしその区間は一部であり、後述する「灰野集落跡」まで。

その先は、軌道は大きく崩れるからな。

 

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秘境へ5

このトロッコ道は、2008年に近代化産業遺産に登録されている。

『山間地の産業振興と生活を支えた森林軌道の歩みを物語る』のだそうだ。

 

さぁ、ここでいよいよ今回の僕の目的を明かそう。

 

  1.  トロッコ道を歩いて当時に思いを馳せる
  2.  トロッコ道の深部、線路の芸術的な大崩壊スポットを見る
  3.  緑豊かな森の風景を写真に収める

 

この3点だ。

「1」と「3」は、「屋久島」でその面白さに目覚めた。

「2」は、当時少しずつ目覚めつつある廃墟趣味へのプロローグだ。

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秘境へ6

幸いにして雨は小降りになり、ゴアテックスのレインウェアを着ていればそんなに気にならない。

カサはなくても歩けそうだな。

 

では、森へと突入だ…!!

 

ロッコ軌道にいざなわれ

 

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ロッコ道1

薄暗い森の中、線路に沿ってテクテク歩く。

屋久島の「縄文杉」を目指して延々と歩いたときの風景に似ている。

 

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ロッコ道2

おっ、街灯がついている。

異世界に吸い込まれそうな、神秘的な風景だ。

 

なぜこんなところに街灯があるのか。

それは、この先に1軒だけ民家があるからだろう。

 

古来から森の中にはいくつか集落があり、京都大学の土地となってからも存在していた。そして、あらかた廃村となった現在、最後の1軒が現存している。

…と聞いたことがある。

 

予想は当たったようだ。

間もなく森の中に1軒の民家が出てきて、電線はそこに引き込まれた。

その先にはもう電線はない。

 

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ロッコ道3

由良川」が右手に見えてきた。

由良川は、京都の北海岸に注ぐ川。その源流に近い部分が、こうして目の前にある。

 

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ロッコ道4

この写真、左手の傾斜の先が川。

 

川に合流していく支流も多い。線路の下が橋になっているのがおわかりだろうか? 

同じ写真を、ちょっと左側から橋にフォーカスして見てみよう。

 

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ロッコ道5

こうなる。

ロッコは小さな小さな橋を渡る。

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ロッコ道6

歩き出して40分。

灰野集落跡にやってきた。

1960年まで、ここには集落があった。

 

今、その面影はほとんど残っていない。

その1つは、当時家が建っていたであろう石垣。

 

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ロッコ道7

もう1つの面影は、「灰野神社」が今も存在していること。

小さな祠と鳥居が残る。

 

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ロッコ道8

鳥居も祠も綺麗だ。

今も誰かがしっかり手入れをしているのだろう。

 

森の神は、住民がいなくなった後も、60年間この森を守り続けている。

そしてきっとこの先も、守ってくれるのだろう。

 

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ロッコ道9

説明版があったので、掲載しよう。

 

灰野集落は、江戸時代初期の1638年に山番っていう名目のもと、人を住まわせたのが始まるだったそうだ。

最盛期には8軒の家があったそうだ。

うん、最盛期でも小規模だね…。さすが山奥。

 

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ロッコ道10

線路の脇には、次世代を担う予定の線路の枕木が積まれている。

ほとんど運行しないトロッコだけど、枕木が劣化したらここの在庫から取り換えているのだろう。

 

前述した通り、トロッコの運行終着点はこのあたりらしい。

ここから先はもうトロッコは走らないので、線路は荒れてくるぞ。

 

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ロッコ道11

ね、結構不安な品質になってきたでしょ。

 

…それとは逆に、森はより一層、深みを増す。

 

 

スグリーンの世界

 

雨、ほぼ止んだ。

 

最初は多少降っていたけど、ほぼ頭上の木々が覆ってくれていたので「適度度なクー
ルダウンになって逆に嬉しいね」とか話していた。

初夏なので、晴天であれば相当暑かったろう。

特に遠景を楽しむわけではないので、安全に歩けるのであれば天気は関係ない。

 

いや、むしろ雨や雨上がりのほうが、森は生き生きする。

 

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スグリーン1

昔は、苔ってあんまり好きではなかった。

ジメジメして日陰に育ち、汚いイメージがあった。

 

しかし、屋久島でそのイメージが一変した。

苔は森を包む緑のスポンジ。水を吸い込み、みずみずしく輝き、全ての動植物の生活を地表で支えている。

少なくとも、森の苔はすごい。そう力説したい。

 

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スグリーン2

少しブレている写真が多くて、大変に申し訳ない。

ぶっちゃけ太陽光が少ないせいで、写真がちょっとブレやすい。

 

苔って、晴天で乾燥しているときは茶色ですごい見栄えが悪かったりもする。

写真を撮るとさらに白っぽく、色あせた森に映る。

 

しかし雨に濡れると苔は一気に緑になる。

を本気で見るなら雨。つまりを本気で見るなら雨。そう感じた。

 

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スグリーン3

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スグリーン4

見よ、至ところから水が滴っている。

こうやって森はうるおい、成長する。

同時にしっかり水を吸収することで、川の急な増水だとかも防いでいるのだ。

苔すごい!苔すごい!

 

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スグリーン5

苔は拡大写真にするとさらにかわいい。

さながら、ミクロな木のようだ。

 

ジオラマやテラリウムで、森や木を苔で再現する手法がある。

苔は小さな小さな森なのだ。

 

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スグリーン6

こんな感じでところどころで足を止め、接写写真を撮っている。

僕らの歩みは遅いが、とんでもなくワクワクしている。

 

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スグリーン7

まぁね、でもあまりに雨が多いと、苔も水を吸収しきれないけどね。

ほら、そのせいで土砂崩れだ。

ここ数日の尋常じゃない土砂降りの影響か??

 

ロッコ線路が見えているせいで、事故感がハンパない。

実際の鉄道でこうなったらニュース速報が止まらないだろう。

 

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スグリーン8

唐突に歩道が鉄板になった。
なぜだろう?身を乗り出して足元の由良川を覗いてみる。

 

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スグリーン9

かつての木製歩道がバッキャバキャになって転がっていた。

なんだったら、かつての歩道そのものが崩落していた。

 

これも自然の摂理。

芦生の森は、その気候から京都の街中に比べ1.6倍も降水量が多いのだ。

 

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スグリーン10

苦手な人と食事中の人に配慮し、一部のみ小さな画像でご紹介する。

 

これは、獣の骨だ。

滑落死だろうか?白骨が散乱し、それを取り巻くように毛皮の残骸。

 

これも自然の摂理。

 

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スグリーン11

森は霧に包まれた。

雨が止み、気温が高くなって地中の水が蒸発してきているのかな?

 

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スグリーン12

雨が森をはぐくむ。由良川を作る。

しかしその雨が、土砂崩れなどで牙を剥くこともある。動物がそれに巻き込まれることもあるだろう。

 

そういう自然界の営みが、手の届くところで繰り広げられている。

 

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スグリーン13

複雑な成長をした木。

プレッツェルに似ている。「プレッツェルの木」と名付けた。

 

この日撮影した写真の中でも、お気に入りレベル上位だ。

森の緑の鮮やかさが、非常にうまく記録に残せた。

 

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スグリーン14

苔と戯れていると、背後からゾロゾロと10数人の中高齢者のハイカーが登場。


森に入って初めて他の人と出会った。

結論から言うと、唯一の他者との邂逅であった。

そのくらいに、人が少ない森。


僕らはゆっくりと歩きたいので、グループの人には先に行ってもらった。

 

そして上の写真からも感じ取れるかもしれないが、歩道はさらに崩壊が進む

さぁ、ゾクゾクしてきたぜ。

 

 

崩壊したトロッコ橋梁

 

歩き始めて1時間30分。

ふと左手の由良川を見ると、橋が落ちていた。

 

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崩壊ゾーン1

このときは、「ふーん、橋が落ちていますね」くらいにしか思わなかった。

これは、「赤崎谷仮橋」という名の橋だ。

あとで少し出てくるから、覚えておいてほしい。

 

この橋は、僕らの進む道ではない。

僕らはトロッコの軌道跡を進むのだ。

引き続き線路に沿って歩く。

 

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崩壊ゾーン2

うおっ!!

 

ロッコ線路がなくなっている!

谷間の向こうに線路の続きが見えているが、谷間を渡るためのレールは消失している。

 

まさかこれ…。

来たか、僕が見たかった大崩落ポイント…!!

 

遊歩道はこのちょっと手前から、谷間の底に向かって続いている。

遊歩道に沿って谷間の底に行けば、レールの先がどのようになっているのか見える。

 

僕ははやる気持ちを抑えながら谷間へと降りた。

そして、線路の途切れた部分を谷の底から見上げた。

 

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崩壊ゾーン3

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崩壊ゾーン4

 

 

ロッコ橋梁、崩壊!!

 

 

シビれた。

この崩壊美に。

 

僕は、この1枚の写真に魅入られ、芦生の森に行こうと決意したのだ。

つまりはこの写真を撮ることが、芦生の森に来た目的なのだ。

 

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崩壊ゾーン5

そしてレールは、ギリギリ力尽きそうになりつつも、なんとか谷の反対側に手を乗せている。

「ファイト、いっぱーつ!」って感じに踏ん張っている。

 

人工物が自然に飲み込まれ、朽ちていく。

この状態は、今だけのもの。来年は来年の良さがあるのかもしれないが、同じ状態は2度とない。

それが、崩壊美なのだと僕は考える。

 

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崩壊ゾーン6

間に合ってよかった。

僕がここに来るきっかけとなった1枚の写真と、ほぼ同じ状態で見ることができた。

一期一会に感謝する。

 

 

ところで、目線をさらにレールの進行方向へとズラしていくと…。

 

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崩壊ゾーン7

 

あ、向こうにも橋が転がっている。

 

 

慌てて駆け寄った。

「大丈夫かー!」って。いや、全然大丈夫じゃなさそうなんだけど。

 

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崩壊ゾーン8

こっちはまだ、橋を形成する木の板が残っている。

落橋してからそんなに年月が経過していないのだろうか…?

 

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崩壊ゾーン9

橋を支えていた木の柱は、朽ちて完全に倒壊している。

これでは、いくらレールや橋板が丈夫でも、こうなってしまうよな。

レールは急角度に地球に激突していた。

 

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崩壊ゾーン10

ギリギリまで線路に近づいてみた。

向こうからトロッコが走ってくる絵を想像すると、ド迫力だ。

 

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崩壊ゾーン11

線路はさらに続く。

バッキバキに折れながらも、谷を這い上がっていく。

下にいるひまこさんと比べると、4mほどの落差だろうか?

 

ところで、川を渡るトロッコレールが朽ちて落ちているにもかかわらず、僕らはこうして両側から写真を撮れている。

 

いったいどうやって川を渡ったのかというと…。

 

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崩壊ゾーン12

 

丸太橋。

 

 

その下を、土砂降り直後の由良川がゴーゴーと流れている。

これが現在の正規ルートであった。

 

さて、ここで直近で登場した橋とルートを、ヘタクソな絵でご説明したい。

 

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唐突に名前を出して恐縮だが、落橋したトロッコ軌道は、それぞれご紹介した順に「赤崎西橋梁」・「赤崎東橋梁」というそうだ。

 

しかし、Webサイトで調べてもなかなかこの2本の橋の情報は出てこなかった。

落橋した写真も、ほとんど見つからなかった。

(少なくとも訪問前後において)

 

「なぜだろう?」って考え出したのが、上の図だ。

赤崎谷仮橋が現役であれば、歩行者は赤崎西橋梁・赤崎東橋梁の目の前まで行く必要がなかったのだ。

仮橋が落ちたからこそ、丸太橋ルートができ、赤崎西橋梁・赤崎東橋梁を見れるようになった。

 

推測だけど、仮橋が落ちたのは僕らが訪問する2・3年前と判断した。

複数の条件が重なっての、奇跡的な邂逅なのであった。

 

 

遊歩道の終焉

 

崩壊ゾーンでは、50分ほども費やして周囲の見学をしていた。

 

その間に、先ほど僕らを追い抜いて行った中高年ハイカーさんたちが戻ってきていた。

「この先は通行止めだったよ」とか言っていた。


あと、おじさんの1人がヒルに噛まれたらしく、手から血をダラダラと流していた。
ヒルに詳しいひまこさんが対処のアドバイスをしていた。
僕は、手持ちのポケットティッシュをおじさんに丸ごとあげちゃった。

 

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終点へ1

さぁ、どうやら僕らの探索も終盤らしい。

イカーさんたち曰く、あと1㎞もしないうちにこのコースは通行止め。

そこまでは歩いておこう。

 

崩壊ゾーンから谷間をよじ登って、またトロッコ軌道の続きを歩き出す。

 

ちょっと歩いていると、首筋にほんのちょっとだけどチクッとした感覚が走った。

何気なくその部分を手で触ってみると、プリッとしたものが指に当たった。

 

 

来たーーー!!来やがった!!
ヒルだ!!
そしてそこは僕の頸動脈ゥゥーーー!!

 

 

ja.wikipedia.org

 

すぐに引き剥がす。

まぁホントは出血が酷くなるから無理に剥がしちゃダメなんだけど、そんな理性的に行動できるほどオトナじゃないのよ、僕は。

 

「チクショウ!チクショウ!ひまこさん、首から血が出ていませんか?」と尋ねるんだけど、どうやら大丈夫みたい。

助かった。僕が敏感肌で良かった。

 

あと、さっきヒルに噛まれて血だらけだったおじさんを見ていなかったら、わずかなチクッとした痛みとヒルとをリンクできずに対応が遅れたかもしれない。

たぶん僕の足音か体温かで察知して樹上から落ちてきたんだろう。

恐ろしい。そして腹立たしい。

 

数分も歩かないうち、今後は腕に違和感。

 

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ヒル、いるーー!!

腕の上でウネウネしているーー!!

 


デコピンで地平線の彼方に吹っ飛ばす。

今度も噛まれる前だったみたい。危ない危ない。

 

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終点へ1

歩き始めてから2時間半後。

「小蓬(こよもぎ)作業場跡」に到着。

 

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終点へ3

伐採作業の作業小屋がかつてあった場所。

しかし現在は小屋は解体されて残骸が山積みにされているだけ。

数年前に落雷かなんかで壊れちゃったと聞いている。

 

他には、よくわからないけどコンクリートの遺構が残っていた。

 

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終点へ4

『この先間もなく通行止』的なことが書いてある。

だが、まだ進めそうだ。

行けるところまで行こう。

ロッコ軌道も、まだ先を示している。

 

さらに歩くと…!!

 

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終点へ5

またまたトロッコ橋梁が大崩壊!!

これはまたハデにやられちゃいましたねー。

 

全容を把握するため、谷を滑り降りて下から見上げることにした。

 

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終点へ6

これは谷に下りる途中、少し違う角度から撮影したもの。

かろうじて残る支柱に、見事なバランスで乗っかっているだけのレール。

大道芸のようだ。

 

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終点へ7

空中を結ぶ、限界ギリギリの橋の残骸。

橋と言っていいものかどうか迷うくらいの、最後の姿。

お相撲さんが支柱に張り手をかましただけで、この橋の歴史は終わるのだ。

 

そのスカスカの橋越しに見上げた空が、さっきよりも随分と明るくなっていてきてることに気付く。

このあと、晴れ間が見えるな、きっと。

 

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終点へ8

谷の反対側を、レールが駆け上る。

そこを上がったところが終着点であった。

 

引き返そう。

目的は果たした。

 

 

血塗られたメモリー

 

降水確率100%からの見事な大逆転を決め、意気揚々と引き返す。

 

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帰路1

崩壊ゾーンまで戻ってきた。

日が当たると、またイメージ変わるな。

 

ここでランチにしよう。

2つの廃橋の見える、最高のデルタ地帯でパンを食べた。

 

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右を見ても廃橋。左を見ても廃橋。

 

あぁ、僕は目覚めそうだ。廃墟趣味に目覚めそうだ。

滅びゆく美。なんて甘美な世界。

 

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帰路2

この森に入って歩き始めてから既に3時間半。

では、入口を目指して戻ろうか。

 

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帰路3

行きに見てきた光景が 走馬灯のように再来する。

しかし、日があたると清々しさがUPしている。

 

雨と晴れ。その二面性を1回で見れて嬉しいぜ。

 

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帰路4

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帰路5

…あ!

線路の向こうから、灰野神社の鳥居がニョッキリと見えてきた。

 

灰野集落の片隅には、巨大なトチの木の倒木があることに、帰路に初めて気づいた。

芦生の森訪問者の中では、ちょっとだけ有名な木なのだそうだ。

 

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帰路6

完全に苔に覆われていて、森の主って感じだった。

倒れて消えゆく命も、ここではまた神聖だ。

 

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帰路7

集落から見上げる山々は上の方が霧で覆われ、なかなか神秘的だった。

森の天気はめまぐるしく変わる。

人知を超えた、圧倒的パワーだ。

 

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帰路8

もう周辺の雰囲気は深い森というより、日当たりのいい木立の中。

草に飲み込まれそうになっている日向のトロッコ軌道が、夏の到来を予感させる。

 

森の中の一軒家の脇も通り過ぎ、ゴール間際。

全ての危機も過ぎ去り、僕らはヘラヘラと談笑しながら最後の約300mを歩いていた。

 

 

甘かった。

 

 

ひまこさんが「靴の中に違和感がある」と言って、靴を脱ぎ始めた。

僕はこの時点で、「その違和感はヤベーだろ」って思った。

パンドラの箱を開けてくれるな」って思った。

 

靴の中から覗いたのは、血みどろの靴下と、クネクネクネクネと踊り続けるヒルが2匹

すぐに靴下を脱いでもらった。

するとさらにヒル、追加1匹。

 

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う、うおぁわぁぁぁーー!!

バイオレーーーンス!!! 

 

グレートジャーニーからの、いきなり火曜サスペンス劇場

 

血を拭こうにも、ポケットティッシュは数時間前に、ヒルに噛まれたおじさんにあげちゃったし。

靴下からヒルを剥がそうにも、鋭い牙で靴下に噛みついていて、引っ張ってもグニグニ伸びるだけで剥がれないし。

ムリに剥がそうとするときっとこれ、血液をゲボッと吐いてさらに周囲が大惨事になるよ。

 

どうしょもないけどあと200mほど!

このまま進む!

 

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帰路9

ゴールが見えてきた!

5時間前に駐車した、愛車のパジェロイオが見えてきた!

 

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帰路10

ひまこさんは素足に靴を履いてゴール!

 

僕は片手にひまこさんの血だらけの靴下を持ってゴール!!

 

終盤に我らのパーティーに加わったヒル2匹も、靴下にかじりついて一緒にゴール!!


なんだかわけわんねーけど、もういいや。

 

 

*-*-*-*-*-*ー

 

「ひまこさん、医務室…!」  

「あれー、事務所まだ開いていない!」

 

「水道で洗濯…」

「車内に救急箱…!!」

 

 

まだしばらく現場はバタバタしそうだけど、これが関西最後の秘境を歩いた僕らの物語。

 

ありのままの原生林に、等身大でぶつかった物語。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 芦生の森
  • 住所: 京都府南丹市美山町芦生
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: いろいろ制限あるので、各自調べてほしい。