本州本土の最南端。
それは「潮岬」である。
最南端という言葉の通り、紀伊半島の南端に当たる串本町や、南西部に当たる南紀白浜エリアは、なんだか雰囲気がトロピカルだ。
そんな紀伊半島の南端に、かつて僕は足しげく通っていた。
その頃の思い出を振り返ってみたい。
南国、紀伊半島
北海道・本州・四国・九州。
日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
本州の最南端である潮岬は、太平洋に突き出た紀伊半島の最先端に位置する岬だ。
北から西へと大きく湾曲する本州において、「最も南」と言われるとピンと来ないかもしれないが、近畿地方を形成する日本最大の半島、紀伊半島を忘れてはいけない。
紀伊半島は、「東京-名古屋-大阪-広島-福岡」と言ったベルトのように一直線に並ぶ大都市からは外れている。
それだけに「紀伊半島にも高速道路を!」みたいな声が長年聞こえており、近年少しずつ高速道路が出来てきている。
そんな紀伊半島の一番端にあるのだから、潮岬へのアクセスは良好とは言えないかもしれない。
ただ、僕はそんな紀伊半島が大好きだ。
- 高速が無い分、ゆっくり走れる。
- 豊かな自然・景勝地を巡りながらドライブができる。
- 沿岸部は道路も比較的走りやすい。
- 温暖で冬でもドライブしていて気持ちがいい。
「琵琶湖」も北部となると途端にドカ雪となる。
そうなると、冬場はスタッドレスタイヤ等を装着していない限り、紀伊半島で遊ぶのが得策なのだ。
それでは、実際に僕が何度か(何度も)潮岬を訪問した記録を複合して、現地レポートをしていこう。
潮岬観光タワー
さて、まずは潮岬一帯の敷地の構成お見せしよう。
こんな感じである。
僕は大体愛車は「潮岬観光タワー」の脇の広大な駐車場に停めている。
この駐車場ではその昔、日本全国を車で駆け巡る旅友FUGA君と初めて出会った。
「昨夜、四国最東端の蒲生田岬でクラッシュした」と言い、半泣きで愛車のバンパーをガムテープで修復しているところだった。
「経歴も車もかっこいいのに、登場シーンはあまりかっこよくないな」って思った。
とりあえず横に僕の愛車のHUMMER_H3を並べ、記念撮影をした。
初めまして。
※ そしてその後FUGA君とは、北は青森までいくつもの冒険を共にすることとなる。
ついでにパジェロイオで来たときの写真も掲載しておく。
背後に聳えているのが、潮岬観光タワーだ。
ここに登るには、300円かかる。
僕は何度も潮岬に来てはいるが、お金をケチって上まで登ったことは一度もない。
岬の先端からの景色だけで胸いっぱいになれるからだ。
だけどもいつか登ってみたい。
タワーの1F入口近くには、「本州最南端 潮岬」の標柱がある。
岬の先端付近にはもっとすごいのがあるが、記念にこれも撮影して損はないだろう。
青くてクールだし。
ミステリーツアーで来ちゃった人とか、あるいは友人に半分拉致られるようなドライブで来てしまった人は、併設の現在地で確かめよう。
ご覧の通り、紀伊半島の南端にいることが一目瞭然だ。
余談だが、観光タワーでは土産物屋さんや食堂がある。
ちょっとしたフード類のテイクアウトができる売店もある。
その夜に撮った写真だ。
暗くってブレてしまったが、緑色の手榴弾のようなお寿司だ。
とんでもなくうまいが、3つセットは僕の胃袋のキャパ的に無謀なチャレンジであった。
では県道41号を渡って、その先の芝生地帯に行こう。
ここからは徒歩なのだ。
望楼の芝
この岬の特徴は、広大な芝生で形成されているという点だ。
10万㎡もあるらしい。
僕がもし犬で、ここで解き放たれたら、喜んで日没まで延々走っていると思う。
日本1周目と2周目のときは仲間と共にここを訪れたのだが、フリスビーとかして遊んだし。
そして、ここはキャンプ場も兼ねていてテントも張れるし。
すばらしき芝生なのだ。
サバンナのように広大だ。
決して観光客が少ないわけではない。芝生が広大すぎて、人口密度が低いのだ。
ソーシャルディスタンスもバッチリだ。
しかし絵的に寂しいので、個人的にはキリンやシマウマを配置したい。
芝生から観光タワーを振り返る。
摩天楼のように、夕暮れの空に聳えている。
尚、ここからの写真は芝生からの観光タワー、という図が多くなる。
のっぺりした芝生だけを撮影していても絵的に寂しいので、タワーを入れた構図にしたいのだ。
その点、ご理解いただきたい。
徐々に引いていくぞ。
これは真冬で芝生がすべて枯葉色となっているシーンだ。
枯草がモジャモジャに茂っているが、毎年1月下旬くらいに芝焼きイベントがあり、一斉に燃やし尽くす。
僕は見たことは無いが、結構近くまで観光客が接近できるそうなので、もしあなたが気になるなら調べて見てほしい。
観光タワーの左側にフォーカスしてみた。
タワーから渡り廊下で繋がる建物には、「おみやげ 大食堂 売店」と書かれている。
なんだか「大食堂」というワードに古き良き昭和テイストを感じてしまう。
だか、上の写真では大型観光バスも停まっていたし、3つ上の写真にも観光バスが写っている。
観光客みんなでワイワイここでランチにしたりするのかもしれない。
そんな賑わい、ステキだ。
そして、上の写真にはタワーの屋上から景色を眺める人も、何人も写っている。
盛り上がれ、潮岬!
以上、充分に芝生の広さをおわかりいただけただろうか。
本州最南端の碑
さぁ、突端マニアにとってはメインとなる項目だ。
芝生地帯を海際まで歩くと、本州最南端の碑が2つある。
うち1つは巨大であり、芝生に足を踏み入れた直後くらいから気付けると思う。
まずはそちらをご紹介したい。
まずは太古の昔の写真からだ。
本州最南端の碑、デカい。
ちなみにこれのさらに2・3年ほど前までは、文字が気持ち大きくて、さらに字体が明朝体っぽかった。
これは少しリニューアルされた直後のものである。
そして後ろに写っている建物、後年なくなるんだけど、それは後述ずる。
その後の訪問時も、ピカピカの碑である。
けがれの無い、おでん鍋に入れてダシが染み込む前のはんぺんのようだ。
ね、神聖さすら感じるだろう?
日本4周目の訪問時。
まだ綺麗である。「州」の字の右に縦の亀裂が見え始めているのが気になる。
あと、日が当たっているせいもあるかもしれないが、文字部分のペンキだけ白さが際立っている。
前述の文字リニューアルの痕跡だろうか?
夕方にも来てみた。少し汚れが目立つようになってきた。
しかし僕はこの碑が大好きだ。
今回もこの角度から写真を撮る。
すぐ後ろは青々とした太平洋だ。ロケーションが最高過ぎる。
さらに次。
「おいおい、碑どころか周囲の状態がヤバいぞ」というあなたの声が聞こえてきたが、まぁそこは後述するので今は気付かなかったふりをしてほしい。
ちなみに、背景左端に立派なリュゼツランが見えている。
この地に何10年も生えていたものらしいが、この直後にたぶんブチ抜かれてしまったようだ。どこかに移植されていると良いが…。
ボロッボロだな。
これは今年2021年のものだ。
僕自身は動ける状態ではなかったので、冒頭の「半泣きエピソード」で登場したFUGA君に現地に行ってもらった。
その上で提供いただいた写真である。
この碑の劣化具合、どうにかしてあげたい。
本州最南端の誇りなのだから。
さて、先ほど本州最南端の碑は2つあると書いた。
そのもう1つがこれだ。
さっきの碑に対し右に100mほどの距離にある碑だ。
「潮岬 本州最南端」と書いてある。
さらに日本地図も。この地図があるのが、この碑のアイデンティティ。
ずいぶんとデフォルメされた日本ではあるが、こういう突端地に日本地図があると問答無用でテンションが上がるのだ、この僕は。
そして、とっておき情報だ。
随分前に撤去されてしまったが、この碑のすぐ左には以前立て札があった。
「ここに地終わり 海始まる」
お世辞にも立派な立て札ではなく、ハンドメイド感が溢れている。
「犬の糞は飼い主が片付けろ!」みたいな立て札とクオリティは一緒だ。
しかし、いい言葉じゃないか。
立て札はともかく、この言葉はその後も受け継いでほしかった…。
本州最南端の海を臨む
次に、潮岬の絶景をご紹介したい。
ただただ青くて奇麗なのだ。
何の小細工もない、最高の海がそこにある。
雲1つ無い晴天の日は、本当にため息が出るほどの海だった。
全てのストレスがこの瞬間に吹き飛ぶよ。
水平線は確かに丸い。
そして海の向こうには何もない。もう、陸も島も何も見えない。
よければ地図とか見ていただきたいのだが、紀伊半島の沖にはもう島は無いのだ。
「硫黄島」はやや東だし、「大東島」はやや西だ。
ここからの視点の先は、遥か遥か、とてつもない外国に到達するまで海だけなのだ。
夕日もまた格別である。
南に大きく突き出たこの岬からは、日没も見ることができる。
その時間に合わせて訪問してみた。
旅先で眺める日没っていうのは、生涯忘れられないものよ。
目に刻め。そして心に刻め。
地球の歴史において、今日という日はもう二度とないのだから。
さて、前述の岬のMAPを思い出してほしい。
本州最南端の碑と灯台まではそこそこ距離が開いている。
数100mあり、正直車で移動したほうが早い。
しかし少なくとも僕が訪問した際には、いずれも灯台の駐車場は有料であり、しかも砂利の敷地だったため、微妙にテンションが上がらない。
だから観光タワーから歩いて往復することとした。
上の写真は、その途中で撮影したものである。
まさに南国。その一言につきる。
「潮岬灯台」だ。
これは日本中でわずか16基しかない、一般客が登れる灯台、「参観灯台」の1つである。
つまりメチャ貴重だということだ。
しかし僕は登ったことは無い。
さっきの潮岬観光タワーにも登っていないのだから、理由は記載するまでもないだろう。
灯台は登るのはなく、見上げる派なのだ。
ちなみにこのときは、「もう18:00で敷地が閉鎖していたので灯台に登れませんでした」という言い訳が成り立つ。
強風の日にあんなところに漁船を停めるのは、結構テクニックがいるよね。
本州最南端の碑から徒歩で往復すると、岬のいろんな顔が見れてとても楽しい。
是非あなたにも、天気がいい日は散歩してみていただきたい。
売店の撤去
ここまでいろいろ盛り上がる目次を連ねてきたのに、いきなり落としてしまって申し訳ない。
しかし、結構重要な話なのだ。少なくとも僕にとっては。
先ほども掲載した写真。
実は本州最南端の碑の背後には長年売店があり、お土産物屋とか本州最南端到達記念証明だとかを販売していた。
僕も証明書、購入したりした。
しかし2011年ごろだろうか。閉店してしまったようだ。
2013年に訪問した際には、中は全ての什器が撤去されて、ガランとしていた。
「無料休憩所」とドアの上に書いてあるが、椅子もテーブルもない。ただの箱だ。
かなり無理矢理な用途設定である。
しかし、このとき既に僕はこの建物が辿る運命を感じ取れていたので、別れを惜しむためのも中を見学した。
かろうじて水道だけ残っていた。
ために蛇口をひねってみたが、水は1ccも出て来なかった。
この地で本格的な工事が始まったのは、その数ヶ月後のことである。
「おーおー、ハデにやっているなぁ…」
僕とFUGA君は、望楼の芝を歩きながら、工事風景を眺めてみた。
思い出の景観が今まさになくなろうとしている。
何がどうなるのかわからないほどに、地面は掘り起こされてエキサイティングな光景だ。
しかし1つ確信できるのは、もうあの売店もなくなるのだろうということ。
このとき不安だったのは、本州最南端の碑も一緒に撤去されてしまうのではないかということだ。
まぁこれだけシンボリックなものだから、何らかのかたちで本州最南端を示すものは今度も残るとは思っていた。
それでもこの工事風景を見ると、胸がザワついた。
本州最南端の碑の部分だけは、かろうじて観光客が入れるようにしてくれていた。
その溝を飛び越え、FUGA君に上の写真を撮ってもらった。
最後になるかもしれないなって思って。
そして碑は残ったが、売店が写った写真はこれが最後となった。
FUGA君と「パイプすっげぇな」って言いながら、工事風景を眺めた。
そして令和へ…
最後に、新しくなった潮岬の風景をご紹介したい。
実は、僕は日本6周目で潮岬にはまだ行けていない。日本5周目の序盤から、ずいぶんと間が空いてしまっている。
だからこの章では、全てをFUGA君の写真に頼る。
そして改めて、FUGA君にはお礼申し上げる。
以前工事でほじくり返されていた地面は、ご覧の通り綺麗な芝生となった。
やや右側には、日本地図入りの本州最南端の碑が見えている。
赤い屋根の裏が、きっとデカい方の碑なのだろう。
赤い屋根の家は、「潮風の休憩所」という無料休憩所で、日中開放されている。
上の写真を見るだけでも綺麗なことがわかる。
情報コーナーやトイレもあるそうだ。
「この蛇口をひねると水は出るのか?」と心配する必要は、もうなさそうだ。
「下村宏さん」の胸像!
今までは売店の裏にあり、工事で撤去されてしまったのではないかと心配していた!
そして、彼の歌碑も移設されてすぐ隣にあった。
春寒み 野飼の牛も見えなくに 潮の岬は 雨けむらへり
潮岬を詠んだ歌だ。
これからも胸像と歌碑は、ここで生き続けるのだ。
最後に、ビッグバージョンの本州最南端の碑だ。
背後の売店がなくなり、とんでもなく開けたロケーションとなった。
残念ながら上の写真は曇っているが、晴れた日であれば最高だろうな。
昭和から平成前半は、きっと観光地は土産物屋や軽食などありきで、風景はそれらの次だったのだろう。
しかし今の時代は、その土地の持つ風景だとかを大事にしているのかもしれない。
みんなスマホとか持っているから、使い捨てカメラを慌てて現地で買う必要もないし。
そんな象徴を、ここのBefore/Afterを見て感じた。
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…とはいえ、やはり自分の目で見てみないとな。
自分の足で立ってみないとな。
僕は必ずや再び、潮岬を踏む。
大好きな紀伊半島の、キラキラ光る沿岸部をドライブしていくのだ。
早くコロナ禍が落ち着き、首都圏の2度目の緊急事態宣言も撤回され、平和な世の中が訪れますように。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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