九州本土の最東端。
その地は「鶴御崎(つるみさき)」という岬である。
佐伯市の外れの外れ。
長いクネクネ道をひたすら走り、ようやく攻略できる岬だ。
しかし、それだけの価値のある岬だ。
四国と九州に挟まれる「豊後水道」に突き出した地にて、最高のロケーションを味わってほしい。
僕も何度か訪問しているが、その中で日本4周目~6周目の3回の訪問分をブレンドして、その魅力をお届けしようと思う。
ゆとりを持った計画を
北海道・本州・四国・九州。
日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
この16岬の中で、四天王と呼んでもいいんじゃないかという岬が4つある。
「トドヶ崎」・「蒲生田岬」・「佐田岬」・鶴御崎だ。
うん、鶴御崎も四天王にエントリーしている。
判断基準が何かというと、この岬1つを目指すだけで(場合によっては)半日くらいを要するということ。
厳密に言えばそれぞれの岬の近所には他の景勝地もあるのだが、まぁそこは少し誇張して表現してみた。
※僕個人の見解なので、異論ある人もいるでしょうけど、そこはご理解いただきたい。
しかしながら、16岬コンプリートのためにはここに行かねばならぬ。
今回の記事が、大いなる栄光を手にするための、ほんの少しのご参考になればと思う。
まずは、鶴御崎の位置をおおまかにご説明しよう。
なかなかにワイルドな行程の果てに鎮座している。
佐伯市中心部からクネクネ道をアクセスし、その後どこに行くにしても、また佐伯市中心地近くの国道まで引き返すのがベターだ。
つまり岬へのアプローチを旅の行程に組み込むだけで、甚大な時間を消費する。
「スケジュールに余裕を」が、ここに行くにあたっての僕らの合言葉だ。
ちなみに僕はいっつもカッツカツで汗だくの到着であり、合言葉ガン無視である。すまない。
ここいらはノンストレスのドライブを楽しめる。
前述の図でいう「鶴見豊漁祭」のあたりから、ちょっと胸がザワついてくるかもしれない。
あ、ちなみに僕は前述の図内の各スポットは訪問済みだが、それはまたいずれかの機会でご紹介したい。
四天王の他の岬と比べると、立ち寄りできるスポットがやや多いように感じられる。
時間に余裕さえあれば、ちょこちょこ各所での観光や休憩を挟みながらのアプローチが実現するかもしれない。
海沿いの道がクネクネクネクネと続く。
道幅は極端に狭いというわけではないが、中央線もないしこのスラロームなので、スピードは出せない。
景観だけは、すっごいい。
のどかな漁港風景が、遮るものなく左手にすぐに広がっているのだ。
前方には、これから走る道がずーっと見えている。
終盤までひたすらに海沿いだ。
ちなみに、「夕日に間に合うかどうかギリギリだ」みたいな時間帯に、鶴御崎を目指すことはオススメしない。
クネクネして全然進まない距離に、じれったさMAXになることを保証できるからだ。
岬の駐車場まであと20分は掛かるというにこんな光景が見えてしまったら、絶望しか感じないだろう?
まぁそれ、僕のことなんですけどね。
たぶんだけど、少しずつ道は綺麗にメンテナンスされてきている。
やや狭いものの、路面状態はとてもいい。これはありがたい話だ。
最後の4㎞程は、一気に内陸部となる。
急坂を上り、グネッた道を攻略する。
一箇所だけわかりづらい場所がある。
それを上にGoogleマップのストリートビューから掲載する。
これは右が正解だ。左に行くと明後日の方向に迷い込むので注意だ。
もちろん、注意力散漫かつカーナビ未使用での訪問が多い僕は、道を間違えた経験ありだ。
あのときは困ったが、母親譲りのの天真爛漫さで持ち直した。
かつてのミュージアムパーク
そろそろ鶴御崎の先端だ。
岬一帯は、かつて「鶴御崎ミュージアムパーク」と呼ばれた有料の敷地だったためか、現在も綺麗に整備が行き届いている。
ここがかつての料金所だ。
ゲートが残るだけで、無料でスルーできる。
右側には「平成18年4月より入園無料」と書かれた看板がある。
平成18年は2006年だ。
ずいぶん昔の情報を掲げ続けている。
僕がこのゲートを最後に確認したのは、2016年のことであった。
その後、正確なタイミングは不明だが、このゲートは撤去された。
ただし、ゲートを支えていたコンクリートの擁壁は撤去が困難だったのか、残っている。
あるいは、木製のゲートなので老朽化による崩壊の懸念があったのかもしれない。
昨シーズンである2019年の秋、僕はここを再訪した。
そのときのゲート跡地が、上記だ。
きれいさっぱり。
しかし、右手に喫茶店の廃墟がまだ残されていた。
「サンヨーコーヒー」の電光看板がまだ残っているのがもの悲しい。
ちなみにだが、僕は有料時代の末期である2005年秋にここを訪れている。
当時、ここのゲートで300円払ったと、手記に残っている。
2005年以前は、有料だっただけにもっと設備が充実していたりしたのだろうか?
ちょっと気になり、Web検索したのだが、情報は得られなかった。
古いツーリングマップルも見てみたが、特筆すべき情報もなかった。
また、2005年時の僕は岬の先端にしか興味がなかったので、それ以外のものは目に入っていなかったし。
とりあえず、無料開放に感謝。
展望ブリッジからの絶景
岬の先端の敷地内には、「展望ブリッジ」という設備がある。
突端マニアにとってここはメインとはならないが、一般観光客にとってはここがメインになると思う。
絶対見ておくべき絶景だからだ。岬の先端からの景色の比ではない。
岬の先端で道路が行き止まりとなる1km手前に、この看板が出てくる。
これを絶対に見逃してはならない。
1㎞も距離があるし、道路は狭くてクネクネなので、ちょっと歩きたくはない距離だ。
しかし展望ブリッジへの遊歩道脇に、専用の駐車場がある。
「行き止まりまで突っ走るな、1㎞手前で車を停めろ」をあらかじめ頭に入れておいてほしい。
日本5周目で訪れたときは、「もうダメだ、絶対太陽沈んだわ」と諦めていたところ、ここで再度太陽が顔を出した。
これからダッシュで展望ブリッジまで駆け登れば、ギリギリ日没に間に合うかもしれないなって考えた。
説明書きを見ると、展望ブリッジまではここから上りの山道。
「10代で4~5分・20代で4~6分・30代で6~7分」だそうだ。
よーし、じゃあ僕は走って3分で行くわ!
丁寧な忠告を無視し、年齢の垣根を超越するわ。
真冬だけど、このあとのハードな運動を鑑みて上着は素早く脱ぎ捨てた。
このときの僕、きっとすごくかっこよかったと思う。
誰も見ていなかったのが残念だ。
僕は既に薄暗くなってきている木立の遊歩道に突入した。
「うおぉぉぉーー!!」って階段を駆け上った。
中学時代の雨の日の部活と、通勤電車に乗り遅れそうなときくらいしか発揮しなかった、埃を被っていたガッツが久々に稼働した。
ガンガン走って、普段運動不足なのにムリするから「ゲホォッ!!」ってなったりした。
だけども負けない。
ここで立ち止まったら、夕日が沈んでしまう。
せっかくここまで頑張って、狭い道なのにデカいHUMMER_H3で頑張って運転して来たのに、ここでの1分の甘えが、取り返しのならない事態を招く可能性もあるのだ。
休んでいる場合じゃない。
展望ブリッジが見えてきた。
最後の心臓破りの登りだ。
歩道橋みたいな展望台を、力を振り絞って駆け上る。
3分30秒で丘の上の展望台に到着した。
これ、10代は4分で到着って書いてあったけど、ムリじゃね?
どっかで走らないと絶対間に合わなくね??
もう喘息のじいさんみたいにゼーゼーいってるけど、僕。
… で、夕日は …??
DEAD or ALIVE ??
夕日に間に合ったーーー!!!
もう山の稜線ギリッギリよー!!
どうだ見たか、僕の筋肉!そして不屈の精神!!
真冬の夕日は、他の季節とはまた違った魅力がある。
短い昼の終焉に、もの悲しさを感じる。
展望ブリッジに到着してから日が沈むまでは、わずか2分であった。
無理矢理年齢をさかのぼって、出せない力を出したがゆえに見れた絶景だった。
そんで、日が沈んだところで少し冷静になり、思った。
「ん?なんで僕は最東端で西に沈む夕日を見れているんだ??」って。
冒頭に周辺図を載せた通り、奇抜なかたちの半島なので場所によっては西への見通しが効くのね。
そして、ここ高台であることも有利に働いたのだろう。
一番東で西の海への日没を見る、というファンタスティックな経験ができた。
岬の先端である東側を見ると、淡い空と海の中に、灯台が浮かんでいた。
なんという素晴らしい眺め…。
汗が急激に冷えて身震いをしたが、この身震いは決して寒さだけが理由ではなかった。
ここを快晴の日に眺めたら、いったいどれだけの感動となるのだろうか…!!
やってきた。
日本6周目の僕がやってきた。
「今日は暑いよー、クラクラするよー。」と、シチュエーションが変わったところで文句がとどまるところを知らないのは、以前と一緒だ。
あおーーーーーーーーい!!
「灯台のお手本」みたいな風景だ。
180度、水平線が見える。そして緑豊かな丘が連なる。
縁起でもないけど、死ぬ前にベッドの上で回顧したい風景の中にノミネートさせてやろう、って思った。
ただただ、海の香りとむせかえるような緑の匂いを肺一杯に吸い込む。
夏休みだ。
今の僕は、古来から伝わる夏休みの理想像を実現していると自負する。
周囲には誰もいないが、誇らしい気持ちだ。
さぁ、次はあの灯台まで行こう。
よく見ると、灯台の白い建物が、若干灰色の古びた建物と融合している。
その理由も次項で話そう。
白亜の灯台と戦争遺構
再び車に乗り込んだ僕は、灯台を目指してアクセルを踏む。
軽く丘を1つ越えた先が、灯台である。
谷を挟んで対岸に灯台。
目線の高さは、今一緒だ。なんかすごい高揚感。
駐車スペースこそないものの、ここからの眺めは穴場の1つだと思う。
頑張って駐車して撮影している人を、時々見かける。
僕もチャレンジしてみたことがある。
日本4周目を担当してくれた、パジェロイオだ。
白い愛車と白い灯台。
どちらもほれぼれする。
車道の突き当りの駐車場までやってきた。
実はさらに車道は灯台までは続いているのだが、一般車両はここまでだ。
公衆トイレもある広い駐車場が実質の終点なので、覚えておこう。
灯台までは緩い登り坂を徒歩5分ほどだ。
ちなみに日本2周目のときは例外だった。
「ここから歩くの嫌だなー。もっとラクな人生を送りたいなー。」と思っていたら、トイレ掃除を終えたスタッフさんがそれを察してくれたみたいで、「ちょうどこのあと灯台まで行くから、この軽トラの助手席にに乗っていきなよ」って提案してくれた。
もちろんホイホイついていった。
「九州一周車中泊ドライブしていて、九州東西南北端巡りの最後がここなのだー」とか、スタッフさんに話したりした。
灯台前だ。
園芸職人さんが丹精込めてカットしたかのように、植栽が美しい。
ここからのアングルは、非常に絵になると思う。
どちらも2019年の昨シーズンの写真だが、もう1枚掲載しよう。
灯台の右側の灰色の建物。
これは鶴見崎砲台の遺構だという。
(岬は鶴御崎だが、砲台は鶴見崎と表記するようだね)
冒頭で記載の通り、鶴御崎は豊後水道に鋭く突き出す岬だ。
そして反対側の四国からは佐田岬が突き出している。
だからここに砲台を設置すれば、瀬戸内海への敵軍艦の侵入を防ぎやすいというわけだ。
ちなみに、2010年代の前半に灯台直下の植栽が少し変更されている。
以下に2011年秋の写真をご紹介しよう。
モジャッぷりがすごい。
着目点は2つある。
灯台の右下と、左奥の植栽だ。これが後年大幅にカットされているのだ。
あなたは、「園芸マニアでもあるまいし、そんなことどうでもいいよ」と感じてしまっただろう。
僕も園芸マニアではない。
しかし、周囲を見て回った後、これが次世代の鶴御崎の方針を示す大きな根拠になるのではないかと感じたのだ。
これはまだ植栽がジャングル化していたころに、灯台の左奥に入り込んで撮影した写真である。
右手に重厚感ハンパない壁面が見える。
これが、かつての要塞である「鶴御崎海軍望楼」の一部だ。
ちょうど植栽が変更されたくらいのタイミングで、ここにも変化があった。
白い綺麗なコンクリの展望台が上から被さるように設置されていて、しかもその柱は何本も戦争遺跡を貫通するような感じで建てられていた。
展望台には、カップルで一緒に鳴らす鐘みたいな、なんだかファンシーなもんがくっついていた。
僕はいつもロンリーなので、そういう鐘には1ミリも興味がなかったが。
とりあえずね、今までは鬱蒼としていて木々に隠れていた要塞跡。
綺麗さっぱりさせて、見せる部分はもう見せる。
そして、そのデザインを多少は流用し、新たな観光資源としての展望台設置。
過去を隠すわけでも忘れるわけでもなく、次の一歩に進んでいる。
いろんな意見があるだろうが、僕はそれでいいんじゃないかと考える。
九州最東端の碑
ついに、突端マニアの真の目的地だ。
ここは、先ほどご紹介した灯台の左奥、要塞を見ながら進んだ小道の突き当りの広場にある。
広場の中央にブッ刺さる標柱。
その上にはミラー加工された鳥が舞う。
ここまで来る観光客は若干少ないが、僕にとってはこの碑が何よりも大事だ。
素晴らしくいい天気。最東端の碑も、この青空に映える。
背後の海も美しい。
下部にはここの経度・緯度の記載がある。
側面には、ここの住所も刻んである。
「The east end of Kyushu」
英語圏の人も、これを見て喜べ。
…僕がこれだけ喜んで、この碑を撮影するのにはワケがある。
実は2000年代前半までは、この碑はボロッボロだったのだ。
これが、日本4周目で撮影したもの。
デザインこそ同じだが、年季の入りようが別次元だ。
古民家に置いてあったら、薪と間違えて囲炉裏にくべてしまいそうなほどの木材っぷりだ。
印字もずいぶん薄い。近づかないと読めない。
ちょっと離れて撮影すると、これだ。
ただの黒い棒と化す。何が何だかわからない。
例えば、九州最東端を踏んだことでテンション爆上げの僕が、碑の背後で飛び跳ねたとしよう。
でも、こうなる。
「なんでこの人、柱の後ろで飛んでるの?」くらいになる。
柱の文字が読めずに、僕は撮影に苦慮していたのだ。
だから、日没後のトワイライトタイムでもしっかり柱の文字が読めるようにリニューアルされているのを目の当たりにしたときは、とても嬉しかった。
しかも、以前のものと同じデザインということで、愛を感じたし。
2020年12月現在は、まだWikipediaの鶴御崎のぺージにて写真が掲載されているが、先代の碑は本当に限界まで頑張ってくれたのだ。
足元グラッグラになり、3方位から荒縄で繋がれてなんとか立っていた状態。
終電間際の酔っ払いのおじさんレベルに、周囲に介抱されてまで、役目を全うしてくれた。
すごいありがとう、って思った。
この碑のある広場からの眺めだ。
木々が多く、広がりはあまりない。
展望ブリッジのレベルが高すぎるのでここの評価はかなり霞んでしまう。
しかし、木々の間から覗けば紺碧の海が覗いている。
木々に抱かれるように見える海もステキじゃないか、って思う。
佐伯市の中心地から遠く遠く離れた、緑多き岬なのだ。
戦争の記憶がなくなることは無いけれど、緑豊かな憩いの場として、今後も発展してほしいと心から思う。
少し西側を振り返る。
太陽の下で、海はキラキラと輝く。
夕暮れの中で、同じアングルで西を眺める。
海と空の中で、仄かに赤く染まる。
時間を割いてきたかいがあった。
なんと素晴らしい岬なのだろう。
そして僕は再び車を走らせる。
太陽の進む方角へと。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報