本州本土の最東端。
それは「魹ヶ崎(とどがさき)」という岬だ。
※ 「魹」という字は環境依存文字のようなので、以後の表記は「トドヶ崎」とさせていただく。
トドヶ崎。
僕はこの岬の名前を聞いただけで、懐かしさ・ワクワク・ドキドキ・誇らしさ・焦りや疲労の思い出…。
そんないろんな感情が一気に押し寄せてワケが分からなくなる。
例えると、「つい最近知り合った人の口から、遠い昔の自分の初恋の人の名前が出た」ときみたいに、脳がキャパオーバーしかけてバグるような感じだ。
うん、例えたらわかりづらくなったな。
とにかく、僕にとってはとても大切な岬なのだ。
その思い出を、満を持して執筆できることに喜びを隠せない。
あなたに伝われ、この岬への想い。
三陸の秘境・重茂半島
北海道・本州・四国・九州。
日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
「本州の最東端」と言われると、「千葉県の銚子?」・「青森県かな?」とか思われるかもしれない。
しかし岩手県なのだ。
一見すると出っ張っておらず、岬と言えるような岬も無さそうに見える岩手県なのだ。
具体的な市区町村名で言えば、宮古市だ。
「浄土ヶ浜」があることで有名だ。
「はいはい、じゃあトドヶ崎とやらも浄土ヶ浜のついでに気軽に行けそうですね」みたいにお思いであれば、それは甘い。
究極にグネっている!!
これが、トドヶ崎を有する三陸の秘境「重茂(おもえ)半島」だ。
さらに言うとアップダウンあるし1.5車線くらいの道幅なので、とんでもなく時間がかかるのだ。
ツーリングマップルにも『海に近いとは思えないほど山が険しい』・『まるで別世界に入り込んだよう』と書かれている。
さらに、車道は「姉吉漁港」で途切れる。
そこからは徒歩だ。片道約4㎞の山道を徒歩で。
そんなこんなで、宮古の市街地からトドヶ崎を往復するだけで半日は固いのだ。
もっとも、2019年の春先に重茂半島内にやや真っすぐな道が通され、急峻な山をブチ抜く「重茂トンネル」も開通した。
これで少しはラクになったことだろう。
ただ、僕が直近の日本6周目でこの岬を訪問したのは2018年の夏。
この道の恩恵はまだなかった。
今回はそれ以前の記録となることを、ご容赦いただきたい。
*-*-*-*-*-*-
2018年。
東日本大震災から7年だが、まだ爪痕は残っていると感じるロケーションだ。
重茂半島を南側から攻略。
小ぶりのボディの日産パオであるが、それでも擦れ違いは困難な道幅だ。
北側からHUMMER_H3で攻略したときも、なかなかにスリリングだった。
夕暮れが近付いていたので、なおさら焦りがあった。
部分的にアスファルトがかなり傷んでいることもある。
これは日本4周目、パジェロイオでアプローチした写真だ。
クネクネと、荒れた道を延々進む。
カーナビが無ければ自分がいったいどこにいるのかもわからなくなるほどの山奥だ。
僕も初回はナビ無しで行ったが、なかなかのドキドキ感を得られた。
重茂半島周遊道路を反れ、姉吉漁港に行く道に入ると、さらに道路は狭くなる。
海に出る直前には、姉吉集落の家屋が道に沿って立ち並ぶ。
見えてきた。車道のゴールだ。
計5回ほど訪問しているが、訪れるごとにロケ―ションは変わっていっている。
そのあたりの経緯などは、後述したい。
始まりの地、姉吉キャンプ場
ここが駐車場だ。
「姉吉キャンプ場」の駐車場である。
1つ前の写真「重茂半島攻略7」から右に数m程度の場所から撮影したのだが、見違えるように綺麗になった。
無料のデイキャンプ場だそうだ。
以前は普通にテント張って宿泊もできた記憶があるが、東日本大震災で大きく事情が変わったのだ。
どうせだからコーヒーを淹れよう。
天気もいいし、東屋もあるし、キャンプ場なのだから。
こういうときのためにアルポットとコーヒー一式をを持っている。
茶菓子は先月に広島県呉市の「大和ミュージアム」で買った零戦クッキーだ。
うまいしカッコイイ。
さぁ、出発だ。清々しい朝だぞ。
正面に見えているのが、姉吉漁港だ。
ここから登山口までは徒歩5分ほどだ。
そしてトドヶ崎灯台までは約1時間だ。
震災前を知っている身として、心が痛い。
聳え立つ岩山。
これからこの岩山を登るのだ。登山口到着だ。
とはいえ、激しい上りは序盤のみ。
灯台までで一番高い地点は海抜110mであり、これを最初の15分ほどで攻略する。
このあたりで上を見上げると、遥か上空の木立の枝にブイが絡まっているのがわかる。
東日本大震災のとき、ここには国内最大の高さとなる40.5mもの津波が押し寄せたのだ。
先ほどの姉吉キャンプ場ももちろん、消失した。
姉吉漁港もほぼ崩壊した。その名残である。
左下の小さな立て札を見てほしい。
『津波浸水地点 自然歩道 ここまで 2011 3.11』
こう書かれている。
津波はここまで来たのだ。
上の写真では高度が少しわかりづらいので、ここから下の景観がわかるように改めて撮影しよう。
こんな感じである。
ビルであれば何階だろうか?10数階ではないだろうか?
こんなところまで津波が来たのだから、恐怖しか感じない。
ちなみに、海の色はとてもきれいだ。そして澄んでいる。
では、本格的な山道ウォークだ。
最果ての山道を行く
4㎞近い山道。ゆっくり歩けば1時間ほどの距離だ。
しかし前述の通り序盤を除けば高低差はあまりない。
僕は1人のときは小走りで進み、大体40分くらいで灯台まで到達できる。
コースは延々、リアス式海岸のギザギザの入り江に沿って設置されている。
左手は崖、右手は海。ずーっとこれだ。
海は綺麗な気配がする。
しかしちゃんと見える場所は姉吉の漁港以来ほぼ皆無だ。
木立で邪魔されている。
つまり、景観に期待をしてはいけない道なのだ。
変わり映えの無い道が淡々と続く。
だけども、最後に現れる絶景岬への準備と思い、それを心待ちにしてほしい。
最後の最後に、特大のカタルシスを感じるのだ。
なお、道は原則一本道だ。
長い道のりではあるが、迷う可能性は少ない。
保証はしないし責任も取れないが、1人であっても充分安全な道と考える。
僕も複数名で行ったのは1回きりだし、往復して他の人を見かけたのはうち2回ほどだ。
全然観光客、いない。
道中で僕がとても大事にしていたのは、上記のような立て札だ。
現在地が書いてあるし、姉吉漁港と灯台までの距離も記載がある。
単調で進んでいるかどうかもわかりにくい道。
そんな中で、この距離表示にどれだけ勇気を与えられたか。
これによって自分のペースが測れ、灯台到着時刻も予測できるだろう。
行きにこれらの写真を撮っておけば、帰り道に見返すことでより心理的な安心感も感じられるだろう。
逆に言うと、この立て札が無く1人で初めてトドヶ崎を目指すと考えると、とんでもなく心細いと思う。
実は、これは冗談ではなさそうなのだ。
…というのも、直近の日本6周目で行ったときには、これらの立て札が根こそぎ撤去されていた。
正直、結構ガッカリした。
もしかしたらちょうど交換時期だったのかもしれない。
いや、でも撤去と設置の間に空白期間を作ること自体、不自然だし懸念だよな。
旅人の道しるべのため、心と体の安全のため、復活を心から願っている。
(その後設置されていたらごめんなさい)
さて、これまでギザギザの海岸線に沿って蛇行しながら続いていた山道が、ストレートになり、そいて少し周囲が明るくなる。
そうしたらゴールは近い。
上の写真では『本州最東端の碑 120m→』とかかれているが、僕の場合はこのまま山道を直進する。
写真の一番奥に、白っぽくてわかりづらいけども壁が見えているだろう?
それが本州最東端、「トドヶ崎灯台」なのだ。
お疲れ様!!
灯台と最東端の碑
木々が開け、いきなりこの光景が目に飛び込んでくる。
「う、うおぉぉぉぉ…!!」って思わず叫んでしまう光景だ。
真っ青な海。白亜の巨大な灯台。
世界が急に広がった。ここは天国かな?
なんてシュッとしたデザインだろう。
高さは33.72mもある。全国でも屈指の高さだ。
コイツが前触れもなく登場するのだ。
右下に東屋が見えているだろう。そこに行ってみよう。
思い出ノートの入っているBOXがある。
このノートには、来訪者が自由にコメントを書き込めるのだ。
こんな感じで書いたりする。
18時過ぎにここに到着したときには、もう不安しかなかったな。
この時点ですでに夕暮れ。
ここから駐車場まで4㎞を無事に引き返せるのだろうか…って。
来た人の数だけ、ドラマがあるのだ。
パラパラめくってみると面白い。
朝日に照らされる灯台はこんな感じだ。
最東端だから、日の出をここで見ることも可能だろう。
だけども日の出前の山道を歩くのはイヤなので、僕の場合は最速でも6時過ぎに姉吉キャンプ場を出発としている。
東屋からの眺め。
岩礁の断崖がすぐ目の前に見え、その先は無限に広がる太平洋だ。
ここまで歩いて火照った体に、海風が心地よい。
では、次は「本州最東端の碑」だ。
岩礁地帯を経由して100mほどの位置にあるぞ。
僕はもう、この写真の時点で興奮が隠せない。
荒涼とした岩礁地帯。
強風で木々も育たず、低い茂みがあるだけ。
これだけなのだ。
基本的に何もないのだ。
こんなところを歩いたりするので、足元には注意だ。
手すりがあるわけでもない。自己責任。
宮崎の「日向岬」や、能登の「義経の船隠し」を思い出すような、深い入り江だ。
ここにあるのは生のままの大自然だ。
自販機もない、お土産物屋もない、「恋人の聖地」でもない。
観光客もほぼ来ない。
来るのは突端マニアとか釣り人くらいなのだろう。
それでいいのではないかと思う。
純粋に景観だけを楽しめる岬だ。
ファミリーレストランや遊園地のようにいろんな楽しみ方がある岬もステキだ。
しかし頑固なラーメン屋みたいにメニューがラーメンしかない店もステキだ。
トドヶ崎は、きっと後者なのだ。
大地の亀裂を乗り越えた当たりで、一旦振り返ってみよう。
灯台が青天を突いていた。
うわー…、なんだこの清々しさは。
風の音と波の音しか聞こえない中に、これよ。
全身の細胞が今、活性化して蘇っている。
そして…、
本州最東端の碑。
岩だ。なんとも言えないユニークな造形の岩に、金属プレートが埋め込まれている。
単純に「かっこいい!」とかではなく、巨匠の造った芸術品を見るかのように「ほぉ…」という感想だ。
上の写真ではわかりづらいと思うので、銘盤を拡大するとこうなる。
渋いね。
潮風に耐え、長年ここに佇んできた貫禄を感じる。
灯台と一緒に撮影するとこうなる。
僕が鼻血出そうになるくらいに大好きな構図だ。
いつかマイホームを建てたら、書斎に飾る写真はこれだろうな。マジに。
本土最突端16岬はそれぞれ何度も踏んでいるが、かつて一番最後に到達したのがこのトドヶ崎であった。
そのとき改めて、突端巡りを趣味にしていて良かったなぁと思った。
そんな思い出の灯台と碑だ。
「何もない」に価値を見いだせ
改めて、周囲を少々ご紹介したい。
左端に写っているのが、本州最東端の碑だ。
なんだか保護色みたいになっていて、岩場のカエルを見つけるみたいに難しいが。
そして、それ以外は岩礁地帯だ。
岩と海しかない。
エゾカンゾウと思わしき花なら咲いていた。
色のバリエーションの少ないこの世界に一石を投じてくれている。
ちなみに天気が良くない日に来ると、当然だがさらに色味が少ない。
荒涼さがさらにブーストされている。
切なくなってしまうような世界観だ。
しかし全然嫌いじゃないぞ、こういうの。
今、僕は果ての地にいるのだ。
世界の果てっていうのは、このくらいダーティーでもいいのだ。
なんだかダークファンタジーみたいな世界観に、1人で「うむうむ」と納得する。
これは、ほぼ同じアングルで快晴の朝に撮影したものだ。
もちろんこれもいい。
天気がいい日もあれば、悪い日もあるのだ。
当然どちらも正しいトドヶ崎の姿である。
そういったバリエーションを知ることに満足ができる。
僕の旅路は、こうやって深みを増すのだ。
万人受けするかと言われたら、しないだろう。
初デートでここに来たとしたら、2回目のデートは存在しないかもしれない。
現在の世の中で遊園地のように「これはこうすると楽しいですよ」と決まられていて、何も考えずに受け身で楽しめるものが多い。
しかしここは、自分で楽しさを見つける必要がある。
白いキャンパスを「何もない」と表現するのも正しいだろう。
そのキャンパスに絵を描くのも正しいだろうし、折り紙のように何か形を作り出すのもまた正しいのだろう。
トドヶ崎というキャンパスはあまりに大きく、物理的な干渉はできない。
あなたの心のキャンパスに、問いかけてくる。
願わくば、僕もトドヶ崎を愛する1人として、あなたが実際に訪れた際にこの岬を気に入ってくれると嬉しい。
過去の攻略戦を振り返る
ここからは、厳選エピソードを2つさらにご紹介する。
1つ目は東日本大震災の爪痕も大きい、2011年の訪問記録である。
ダイナマイト・エイジ(日本4周目)
岩手県沿岸部の被災地を巡っている途中で、トドヶ崎を訪れることにした。
朝4時台に宮古市街地を出発し、明るくなると同時の攻略だ。
重茂半島の途中で『この先路肩崩壊で通行止め』と看板があり、ショックを受けていたところ、地元のおじいさんが原チャで通りかかり、「とはいえ、自己責任で行っていいよ」と言ってくれたので突き進んだ。
うむ、道の3分の1が崩壊し、かつ倒木のオマケつきだった。
ギリギリで避けて進んだ。
被害は甚大だ。
入り江、こんなに奥深くまで来ていたっけ…?
そして道すがらにあったはずのいくつかの集落が、軒並み崩壊している。
この川も、津波で逆流したのだろう。
向かって右側は木々が完全になくなり、左側も路面やガードレールが消失している。
道路もガタガタだ。
…こんなに山の奥地まで津波が…。
絶句する。ハンドルを握る手に力が入る。
そして、姉吉の集落に入る。
実は、姉吉の集落内で津波による死者は出なかったのだ。
よろしければ以下のリンク先を読んでみていただきたい。
明治中期・昭和初期にも、この集落は津波に襲われた。
いずれも生存者数は片手にも満たなかった。
だから津波記念碑を建てたのだ。
「これより海側には絶対に家を建ってはいけないよ」と。
それを守ったから、東日本大震災の際には家屋は無事だったのだ。
古い碑にはそういう子孫への大事な大事なメッセージが込められていることがある。
無下にはできないなって改めて感じた。
…とはいえ、この光景だ。
朝日でほとんど何も見えないが、僕は愕然とした。
無い。
何もかもが、無い!
ここは…、いつもの駐車場だ。
去年も車を停めた、姉吉キャンプ場の緑に覆われた駐車場だ。
全てが津波に飲まれて、岩肌が露出している。
この道は、キャンプ場の管理棟があって、自販機があって、脇をのどかな小川が流れていて…。
あれ…?こんな開けてなかったよね?もっと鬱蒼とした林だったよね…??
混乱する。
で、なんですか、発破作業のお知らせって。怖いぜ。
10時から爆発させるの?
それまでに帰って来れるようにしておけばいいよね?
それであれば、発破に巻き込まれないよね?
大好きな岬が、こんなことになってしまうだなんて…。
とりあえず姉吉漁港の近く、車で安全に行ける範囲のところに駐車して歩く。
振り返る。
脳が混乱するくらいにロケーションが変わってしまった。
改めてショックだ。
岬への登山口のちょっと手前。
今までは「フェイントでもう1つ階段があるから注意しろ」と言われていたのだが、そのフェイント階段は途中からザックリ消失していた。
正規の登山口もこんな感じだ。
そこいらじゅう、ガレキだらけだ。転ばないように気をつける。
しばらく登ってから下を見た写真。
誰もこれを見て、元漁港とは思わないだろう…。
この地は復活するのだろうか?
あと、この先トドヶ崎までちゃんと道は通じているのだろうか?
そんな不安の中で、岬を目指したのだ。
…ちゃんと、岬まで行けたんだよ。
それが、冒頭にも掲載した写真なのだよ。
無事に岬を往復してきた僕は、再び姉吉漁港で海を眺めたんだ。
あの向こうから、40.5mもの大津波が来たのだ。
今はキラキラと輝いているが、海はときとして牙を剥くのだ。
恐ろしい。
重茂半島を南側ルートから抜けた。
もう、例の崩壊した道は通りたくなかったので。
しかしこちらも被害は大きかった。
道路の残骸が無残に転がっていた。
この光景を目に焼き付けておく。
大好きな地が変わり果てた姿。
しかし、復興への道を歩み始めた。
僕もそれを応援する。また近いうちに絶対に戻ってくる。
こうして僕は、また次の地へと向かった。
黄昏の旅人たち(日本5周目)
東北一周車中泊ドライブ。
時刻は17:30。
夏とは言え、雲が多く既に周囲には夜の気配が立ち込める。
そんな絶望的な状況下で、僕は姉吉キャンプ場に到着した。
余計なものは全部おいて行こう。
服装もTシャツ1枚でいいや。大切なのは水。帰り道用のヘッドライト。
よっっしゃー!行くぞ!曇り空だけど!!
漁港から山道へ入るポイント。
震災の年とは異なり、ちゃんと山道への標識が出ているので初見殺しは回避できる。
安心だ。
ここに1台の自転車が停めてある。
名前付きの日本一周のプレートがくっついている。
おぉ、同業者!!
こんな時間にこんなところにいるとはなかなかだな!
そして、夕闇迫るここからの山道の奥に人間がいるというのは、とても心強い。
トドヶ崎で自分以外の人に出会ったことはないから、これは大変に貴重だ。
この人とは、このあとどこかで擦れ違うだろう。楽しみ。
山道は基本ダッシュだ。
自分はジャパニーズ・ニンジャの末裔だと信じて走る。
汗だくで息切れひどいけど。
山道の開始から2.2km地点で、「ゼツエン君」という日本一周のチャリダーに出会った。岬から戻ってくる途中であった。
うれしくって世間話をした。
ゼツエン君は「この先に徒歩で日本一周している人がいましたよ」と言う。
えぇぇー!マジか。
日本一周人が3人も、この夕闇のトドヶ崎にいる。
日本一周徒歩の人は、なんかこの山道の沢で水浴びしていたらしい。
これから岬の先端に向かうところだったらしい。
うおぉ、ってことはもしかして岬の先端で野宿とか?やるなぁ…。
「コヒガシリ沢」だ。どんな意味だろ?
きっとここで徒歩の人、水浴びをしていたのだろう。
その後も走り、ゲロ吐きそうなほどヘロヘロな状態で岬に到着した。
震える手で思い出ノートに記録を残す。
そして岩場をヒョコヒョコ飛び跳ねながら本州最東端の碑に向かう。
いた、悟りを開いている坊さんのような人がいる。
「さるぼぼさん」だ。徒歩で日本一周している。
僕は興奮して「岬の先端で人に出会ったのは初めてだー!」って言った。
岐阜の飛騨高山を出発し、今日で110日目なのだそうだ。
なんか3年かけて日本一周するって言ってた。すげー!
これから北海道っすね。青森のねぶたとか、間にあったら楽しそうっすね。
いいなー、これから北に行く人はー!
お互いの写真を撮った。
「礼文島」にぜひ行ってほしいと薦めておいた。
いっぱい話したいが、時間だ。
そろそろ周囲が本格的に暗くなる。
お互いの旅人用の名刺を交換。
旅をしている限り、またどこかで出会うかもしれない。
そのときはよろしくですよ。
ここでこのあと夕食を作り野宿するという、さるぼぼさんと別れる。
※ さるぼぼさんとはこのあと何度か連絡を取り合い、この翌年の秋田県の「大曲花火大会」ではすっごく近くにいたけどニアミスしたりした。
2021現在も再会は叶っていないが、また会える日を延々楽しみにするのも、醍醐味だ。
さぁ、走れ―!
さすがに山間部で19:00を越えたらかなり危険だぞ!
山道はすぐ暗くなるからなぁ…。
もう不安でしょうがない。
確実に対向から人なんて来ないしさ。来たら来たで別の意味で怖いけど。
だからこの山の中に今、僕1人。
オバケ出そう。怖い。
足元がだんだん見えなくなってきた!
しかしいったんヘッドライトを使うと、照射範囲以外は全然見えなくなる。
ライトを使うのは最終手段だ。
もうちょっと!
汗だくだ!
早くお風呂入りたい。宮古の市街地でお風呂入ろう。
お風呂情報は旅友の「FUGA君」に検索しておくよう依頼済みだ。
今頃リモートワークしてくれているハズだ。
姉吉漁港が見えた!
震災のときよりずいぶん片付いていてホッとする。
こうして夕闇のトドヶ崎攻略が終わった。
ちなみに、宮古のお風呂はおばちゃんがシャッターを下ろしかけているところを「待ってー!」と滑り込み、15分で入浴した。
なんて日だ。
こうして思い出を紡ぐ
僕が初めてトドヶ崎を踏んでから、何年が経過しただろうか…。
ずいぶん昔のことのように感じるが、それでも人生単位で見れば、そんなに長い年月ではない。
しかし、その短い間にこの岬は大きくその姿を変えた。
なんだか1つの歴史を見てきた気分になる。
そして、来るたびに印象的なエピソードも得られた。
一度だけ行って、パッと見てすごいステキな場所だと感じたのであれば、それはそれでとても喜ばしいことだ。
僕もそういう意味でも好きだが、もっと深い意味でも好きだ。
例えると、山頂からの景色は、登山口から延々歩いてきた実績と比例して美しく感じるように。
おいYAMA、聞こえるか?
オマエが今「過去と同じ位置で同じポーズで写真撮ろう」とか思って撮った、その場所。
1年も経たないうちに津波ですべて消えるんだぞ。
その後も何度もここに来ることになるのだが、今の1回を大切にしろよ。
*-*-*-*-*-*-*
トドヶ崎。
僕はこの岬の名前を聞いただけで、懐かしさ・ワクワク・ドキドキ・誇らしさ・焦りや疲労の思い出…。
そんないろんな感情が一気に押し寄せてワケが分からなくなる。
2018年の僕は、改めていつもの場所から姉吉漁港を見下ろす。
少し復興。
少し穏やか。
初夏の風の中、トドヶ崎は笑っているかのようだった。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報