日々ヤンチャなドライブに明け暮れる僕であるが、正直お風呂に入るときくらいはホッとしたい。
何も考えず、ただただ日中の疲れを癒したい。
ちなみに僕にとって上記を満たすような入浴施設は、スーパー銭湯とかそんな感じ。
そんな僕が、ガチで昔ながらの銭湯を訪問してしまった話をしよう。
銭湯は、僕にとってはカルチャーショックの連続であった…!
お風呂難民を回避せよ
「瀬戸大橋」の岡山側の袂(たもと)を見下ろす絶景スポット、「鷲羽山」。
とある春の日の夕暮れ時、僕はそこから夕焼けを眺めていた。
絶景すぎるよ。
瀬戸内海、なんて穏やかで綺麗なんだ。
心が洗われ、身も心も浄化された気分になる。
…いや、その気分は間違いだ。
百歩譲って心は多少綺麗になったとしよう。
トトロとかも見えちゃうくらいになったとしよう。
しかし身体(からだ)はどうか。
1日泥だらけになって遊んだ僕の身体は、不浄の極みに違いない。
ここでシャワーを浴びてスッキリ爽やかになるのが、紳士の嗜み(たしなみ)ではなかろうか。
この日最後と思われる太陽が、雲の隙間から顔を出した。
僕はバッグからツーリングマップルを取り出すと、夕日で赤く染まるページをめくる。
これからお風呂に入ろう。
清潔なジェントルマンになろう。
さて、どこの入浴施設に入ったら、そんな理想的なナイス・ガイになれるだろうか?
「ヘルス共和国Z」!!
※ 当時の僕の手記を見ると、マジにここを候補に挙げている。
ジェントルマンを目指していたハズの僕だが、かなりの変化球なチョイスだ。
『大衆演劇も見れる温泉施設』ってなんだ?
謎が謎を呼ぶ。
ここから結構西まで走る必要があるが、ヘルス共和国に入国できるのであれば、頑張れそうだ。
…と思ったところで、僕の第六感がささやく。
「用心なさい。今一度、情報を調べなさい。」と。
念のため、携帯電話を取り出して調べてみた。
「ヘルス共和国Z」、2009年5月で閉鎖していた。遥か昔だ。
電話番号を調べ、ダメオシで電話もしてみた。番号、使われていなかった。
うん、持っていたツーリングマップルが古すぎた。
今一度ツーリングマップルを調べる。
あるじゃないか。
ここから瀬戸大橋を挟んだすぐ反対側に、『昔ながらの銭湯』が。
少なくともこの当時の僕としては、この表記は魅力的には感じない。
銭湯はなんだか近寄りがたいイメージだし、ドライヤーなどのツールの品揃えが悪そうだし。
清潔感も、スーパー銭湯の方が上回りそうだし。
しかし、僕は今回の旅のような車中泊であっても、しっかり毎日お風呂には入りたい紳士(マジで)。
手近なところにあるのであれば、覗いてみようか。
これも経験!
銭湯のイメージか良い方向に換わるかもしれない、ラッキーチャンスと捉えよう!
あのあたりだな、大体。
鷲羽山の山頂から目星をつけた僕は、ダッシュで愛車のもとへと戻る。
そしてすぐにエンジンをかけ、下界へと降りて行った。
橋の下の小さな漁港
さて、鷲羽山のふもとにやってきた。そして車を停めた。
ここは下津井の町の、「田ノ浦」という集落。
夕日で赤く染まる湾に、漁船がミッチリと停泊している。
その上を巨大な瀬戸大橋が通過している。
このギャップがすごい。
エモーショナルの極み…!!
昭和のまま、時が止まったような景観の路地が続いている。
このあたりの人はほとんど漁業従事者だという。
昔からストイックに変わらない生活をしているのかもしれない。
そしてその集落の頭上には、ゴチゴチでメカメカしいデザインの瀬戸大橋。
このギャップがたまらない。
僕は、想像してしまう。
この集落の上に瀬戸大橋が建設されてしまった日のことを。
静かに漁業を営んでいた人たちの日常をブチ壊してしまったりはしなかったのかと。
港の真ん中に橋脚を立てて大丈夫だったのだろうかと。
巨大な政府の力に、庶民は無力だ。
「アンダージュノン」という漁村を覆うように超巨大な砲台を設置し、漁村を常に日陰にしてしまった巨悪カンパニーの逸話が脳裏をかすめた。
元ネタ、わからなくって結構。
およそ20分後、薄暗くなった瀬戸大橋を再び撮影した絵。
かっこいい。
僕は巨大橋が大好きだ。
しかし、今までは橋ばかりを見ていて、その足元を見ていなかったな、と実感。
アレね、「東京タワー」の足の1本は墓地にある、とかそういう系ね。
木造の集落越しに見上げる、ライトアップされた巨大な橋は、なんだか不気味にさえ見えた。
では、こんな集落内の銭湯を、いよいよご紹介しよう。
名前は「大黒湯」だ。
すごいぞ。
激渋銭湯「大黒湯」
銭湯だ。ちょっと入るのを躊躇してしまいそうなほどに、ガチの銭湯だ。
ここ大黒湯は、週に3日も休みがあるし、営業時間は17:30~19:30までのレアな銭湯だそうだ。
集落の人をターゲットに、こういうピンポイントな営業スタイルにしているのだろう。
17:30~19:30という早い時間帯の営業なのも、普通のサラリーマンなんかを相手にしているわけではなく、朝も夜も早い漁師さんが主な利用者だからなのだろう。
…とか、勝手に想像を巡らせる。
ってゆーか、暖簾がなければ普通の一軒家のような銭湯なのだな。
全く中が想像できず、僕なんかがフラッと入っていいものかどうか少し不安だ。
前提として、僕は銭湯なんてほとんど来たことがない。
唯一これに近い体験をしたのは、岩手県の宮古市を旅したときのこと。
東日本大震災でスーパー銭湯などが軒並み被災し、少し内陸部にある唯一の入浴施設が古めかしい銭湯だったときだ。
そのとき以来だと思う。
なので、まずは入口が2つあり、この時点で男湯と女湯に分かれていることにビックリした。早々とビックリした。
では、男湯に入ろう。
はい、いきなりタッチが変わって驚いたかもしれないが。
写真がないので絵を描いた。
絵を描くツールも無いので、マウスのフリーハンドでヨチヨチ描いた。
大変だった。
仄暗い茶色な空間が広がっていた。
長年の人々の生活の営みを吸収してこそ、かもし出せるような、深い深い茶色の空間だった。
まずは番台のおばあちゃんに料金を払った。
番台の向こう側半分が、女湯なのだろう。
靴を脱いで、板の間に上がる。
すげーロッカーきたーー!!!
こんな字、初めて見た。
普通の漢数字ではなく、大字(だいじ)と呼ばれる「壱・弐・参…」くらいなら、僕も見たことはあった。
しかしこれ、大字のさらに旧字だよね?
なんだこの「壺(つぼ)」みたいな「1」は。
…背負っている歴史の厚みが違う!!
(使っているインクの量も違う)
恐れ多くて、こんな骨董品みたいなロッカーに僕のパンツなんか収納できねー…。
いや、入れたけどな。
せめてもの敬意を払い、大字ではない「十四」のロッカーに入れた。
そして、いよいよ浴場だ。
おぉぉ、必要最低限のツールしかない、なんとコンパクトな造りよ。
壁に「富士山」とかは描かれていない。
白いタイルだが年季が入り、ちょっとグレーがかっていたり、ボロボロに剥がれかけてきたり。
歩んできた年月を感じさせる。
シャワーもない、シャンプーやボディソープもない。
シャンプー・ボディソープは常備しておいてよかった。
洗い場は4・5個のみ。
でも、地元の人たちは湯舟近くに座り込んで、洗面器で湯舟から汲んだお湯をザブザブ掛けるのがお好きのようだ。
とりあえず僕は、洗い場に座り、頭と体を洗うぞ。
なんだこのカラン?
お湯専用と水専用とがあるのな。
スーパー銭湯でこんなのはお目にかかったことがないぞ。
頭を洗ったり体を洗ったりするのに必要なのはお湯である。
お湯専用カランのボタンを強く奥側に倒す。
いや、ごめんなさい。少し大げさに描き過ぎました。
しかし、水量調整レバーとかないんだよね。
魔晄キャノン的な勢いでお湯が発射された。すごい衝撃だった。
しかもお湯、触れられないほどの熱湯。
ヤケドした。
なるほど、だから水専用カランで薄めるのだな。
だが、この配分がすごく難しい。
お湯に水を足す。まだ熱すぎる。
⇒ さらに水を足す。ぬるすぎる。
⇒ お湯を足す。熱すぎる。
⇒ 水を足す…。
ネバーエンディング・ストーリーである。
もどかしいカラン。
たぶんだけど、「タカラ 湯屋カラン S型ハンドル」ってヤツだと思う。
愛らしいデザイン。でも使いづらい。
洗面器たった1杯の適温のお湯を作るのに、どれだけ苦労したことか。
なるほど、だから地元の人たちは湯舟から汲んだお湯をザブザブ使用しているのだな。
でも、僕は諦めなかった。
お湯1:水4くらいか?濃いめのカルピスくらいの分量で適温を見極め、なんとかかんとか頭と体を洗った。結構疲れた。
次は湯舟に入る。
ごめんなさい。また少し大げさに描いてしまいました。
でも、メッチャ熱かった。
さっき『だから地元の人たちは湯舟から汲んだお湯をザブザブ使用しているのだな』とか書いたけど、違うわそれ。
カランも灼熱・湯船も灼熱。
どちらを選んでもイバラの道よ。
ガマンして2・3分浸かった。
しゃぶしゃぶと同じくらいはボイルされたと自負している。
隣の入れ墨のおじさんは、なぜに涼しい顔をして湯舟に使っているのか謎だ。
たぶん、歩んできた人生の重みが違う。
湯上りの脱衣場、冷房が効いているわけでもないし、風通しがいいわけでもない。
さっさと外に出て、夜風に当たったほうがクールダウンできそうだな。
あと、ドライヤー無いのは少々不便。
外に出て振り返ると、既に暖簾が取り外れていた。
まだ時間は19:10を少し回ったところなのだが、19:30閉館だもんな。
実際は17:30~19:00くらいまでしか入館できないのだろう。
そんなタイミングで、僕は運よく銭湯体験をできたのだ。
大黒湯を振り返る
この大黒湯の情報や写真は、Webではなかなか出てこない。
しかし山陽新聞の2019年9月6日の記事で、取り上げられた情報がWebにあった。
これは貴重な情報だ。
少しだけ、ここからの情報をかいつまんでご紹介させていただく。
大黒湯は、この下津井の町にに残る唯一の銭湯。
昔は複数軒あったのだが、風呂付きの家が 増えたことで需要が少なくなり、30年ほど前に相次いで廃業。
ここ数年は、大黒湯1軒のみとなってしまった。
現在のおかみさんのおじいさんが戦前に開業したそうで、70年前に改修していると記載されていたので、少なくとも創業からは80年以上は経っていると判断した。
あの旧字を使用したレトロなロッカー。
あれは、まさにその創業当時から使われていたものなのだそうだ。
本当に貴重なものだ。
それが今も実際に気軽に使用できるのだから、貴重な体験をさせていただいた。
現在の1日の平均利用者は 30人ほど。
やればやるほど赤字になるのだが、自宅にお風呂がない人など、ここを必要としている常連さんがいる。
だから、2020年現在は89歳になっているであろうおかみさんは、今日も瀬戸大橋の下のこの銭湯に暖簾をかけるのだ。
未知の体験が目白押しで、あんまりゆっくりとかリフレッシュとかはできなかったけど、とてもワクワクした。
もしかしたら、数10年後には体験できないような出来事だったのかもしれない。
それを、旅を通じて体験できたことに心から感謝する。
そして、清潔な紳士になるという目的は果たせた。
このあとどこかで車中泊をするので、生き様は紳士とは程遠いかもしれないが。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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