本州本土の最北端。
僕、この岬のせいで人生狂った。
その罪深き岬の名前は、「大間崎」だ。
理由は最後の項目で書こう。
ある者はそこを最果てと呼び、ある者はマグロを求めてそこへ赴き、そしてある者は北の大地の北海道に渡るための足掛かりとする…。
もともと大間とは本州最北端の僻地にある小さな漁師町ではあるが、こういった様々な顔を持ち、連日多くの人で賑わっている。
今回は、そんな大間崎の魅力をお届けしたい。
僕らは北を目指した
北海道・本州・四国・九州。
日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
16個ある岬の中でも、大間崎ほどオールマイティな岬は少ない。
- 景勝地として多くの人が訪れる
- マグロを始めとしたグルメが充実している
- お土産物屋などが充実している
- 無料のキャンプ場があり、キャンプ道具があれば気軽に宿泊できる
- フェリーに乗ればすぐ北海道に行ける
まぁ平たく言えば「毎日祭り」だ。
そりゃ、本州とは言えほとんど北海道みたいな緯度だから、冬場はさすがに観光客も少ない。
しかし暖かい時期に、ひっきりなしに観光バスが訪れるその光景は圧巻だ。
さて、僕も大間崎には多く訪れた。
別に多くの回数行ったことが自慢になるわけでもないと考えているが、そこそこ馴染みのスポットであるのは事実だ。
しかし、それよりもこの岬は僕にとって思い入れが深い理由が1つある。
人生で初めての超・長距離ドライブの終着地点が大間崎だったからだ。
いかんせん、昔の話だ。
それが何年前の話なのか、などはここでは語らない。
しかし僕らは大間崎から真っすぐ南の最果ての地である、神奈川県の「湘南海岸」で円陣を組んだ。
(厳密にはズレているが、ツッコまないでほしい。ガキのロマンだ。)
そして、放課後に車でひたすら北を目指したのだ。
当時、5人で最北を目指した。
企画立案者でありリーダーは、この僕であった。
免許を取ってからまだ充分な経験を積んだとも言えず、それまでの最長の走行は、せいぜい片道200㎞ほどであった。
しかし湘南海岸から大間崎までは900kmある。
学生には未知の領域だ。
だが、ほとんど気合とテンションで乗り切った。
リーダーの僕が仮眠を取り、「着いたぞ」と声を掛けられたから目覚めたら、なぜか「恐山」にいるというハプニングもあったが、まぁいい。
終着点は大間崎だが、最大の目的地は恐山だったのだ。
「恐山のイタコには、おばあさんではなく若いギャルもいる」というウワサを聞いたので、その真相を自分の目で確かめるのが、このドライブの目的なのだ。
僕は最初に大間崎に行くプランを立てていたのだが、若い女性の引力に負けて先に恐山に行ってしまったのも、僕らの年齢を考えれば納得である。
おっと、今は大間崎の話だ。
議題が反れるのはこの辺までとしよう。
そうすれば、あとは小さな集落が点在はしているものの、本州最北の大自然が広がっている道が大半だ。
信号機も少なく、ひらすら青空を眺め冷たくさわやかな空気を吸いながらのドライブだ。
大間の町だ。
ここを抜けた先が、大間崎である。
岬付近の道路はお土産物屋兼食堂のような建物がひしめき、観光客が闊歩し、路上駐車は極めて困難だ。
徒歩2分ほどのところに駐車場があるので、そこに停めることとなっている。
ちなみにこの駐車場の横には無料のキャンプサイトがある。
だからか、駐車場は天気のいいときは常に満車状態だ。
盛り上がりようがハンパない。
最北端の碑とオブジェ
さて、大間崎にはいくつかの碑やオブジェがある。
それを見て回るにも楽しみの1つだ。
下北半島国立公園
まずは「下北半島国立公園 大間崎」の立て札だ。
正直、人気レベルは低めだ。
※ おっと、これはあくまで「僕が今まで見た限り」なので、僕の知らないところでこの立て札にワラワラと人が群がっている可能性もある。
かなり昔からある立て札。
潮風にさらされながらもずっと現役で頑張ってくれている。
いや、僕の気付かないところで交換されていたのかもしれないな。
よく見ると木の色の濃さが違うしな。
マグロ一本釣り
さぁ、次は既にみんなが気になっている、木の立て札の奥にあるデッカい魚だ。
とてつもない巨魚だ。
「まぐろ一本釣の町 おおま」…というのが、このオブジェの名前だ。
大間のマグロといえば、耳にしたことがある人も多いだろう。
マグロと言えば、遥か彼方まで出かける遠洋漁業だとか、ロープにメッチャたくさんの釣り針を垂らしたトラップである延縄漁業などがイメージされる。
だけども、大間では漁師さんが一本釣りでマグロを釣り上げるのだ。
マジすごい。
男ていうか、漢(おとこ)って感じだ。
左側が、まさにそのマグロである。
大間で捕れるのはクロマグロだ。
コイツは、過去に一本釣りで釣り上げられた、440kgのマグロがモデルになっているそうだ。
デカすぎる。
人間と比べても、この大きさだ。
ちょっとした牛とかと同じくらいにサイズではなかろうか?
こいつが海の中を結構なスピードで回遊しているのだ。
闘牛と正面衝突しても、負けないかもしれない。
お相撲さんのぶちかましとかじゃないと、コイツの突進は止められないだろう。
敬意を表して、僕もマグロに跨がるのだ。
魚雷に跨ったかのような、重量感とスピード感を覚えた。
マグロは、海の中の王者だ。…そんな気がした。
では、それに対峙するマッチョな腕は何なのか。
…一本釣りする漁師さんの腕である。
本来であれば釣り糸とかで両者を結びたかったのかもしれないが、マグロに負けじと向き合う漁師のおっちゃんの腕が聳えている。
見ているだけで、手に力が入るような見事な造形だ。
海の王者と筋肉でぶつかり合うカクゴを感じた。
これが漁師の生き様だ。シビれるぜ。
この剛腕を前にすると、貫禄のあるマグロの顔も「これ、ヤバいかも…」と焦りの表情を浮かべているようにすら感じる。
海の男のオーラは、マグロをもひるませる。
ここ本州最北端
そして、これだ。
「ここ本州最北端の地」。
突端マニアの目的のものが、まさにこれなのだ。
青空に突き刺さるがごとく…。
かつての僕らもそうであった。
この碑を見上げ、この碑をみんなで取り囲み、ちょうど出てきた正面のお土産物屋のおばちゃんに記念写真を撮ってもらった。
そのときの写真は僕の宝物であり、そして僕の原点なのである。
よく見ると、緯度や経度も刻まれている。
南から走ってきた僕らはこれを見て、遠くに来たことを改めて実感する。
後年できたマグロのオブジェの方が人気で、やや押されがちなこの碑。
しかし僕は、この碑があってこその大間崎だと思っている。
ドライブを始めたばかりの僕が見上げたこの碑、今後もいつまでもここに立っていてほしいと心から願う。
日本地図
ここまで数々の碑やオブジェを西側から東側に向かって順に紹介してきたが、さらに東に目を移そう。
「豊国丸戦死者忠霊碑」だ。
豊国丸は、かつて北海道と横浜の間の石炭輸送で活躍した船。
第二次世界大戦中、ここ大間近辺で撃沈されたそうだ。
その慰霊の碑がこれ。
台座が船のかたちをしている点が特徴的だ。
そしてさらに奥の床面に描かれているのが、この日本地図だ。
2010年くらいに描かれたと記憶している。
日本列島の地図には、離島を含まない本土の、主だった東西南北端の岬が記載されている。
記載有無にはムラがあり、規則性は見いだせなかったが。
もちろんここ大間崎もちゃんと記載されている。
ただし津軽海峡の隙間に書かねばならないので、残念ながら文字は小さい。
…では、どうするか。
大間崎は大胆な手法に出た。
あまった敷地にもう1回、超デカデカと書いた。
左後ろに日本列島が見切れている点に注目だ。
太平洋をフル活用して大間崎の文字を書いている。
本州の定義どころか、日本の領海すらずいぶんはみ出してしまっているが、アピール効果は絶大だ。
数々の碑とオブジェに大間崎の熱意を感じる。
これらを見て回るだけでも充分に楽しい岬なのだ。
大間のグルメ
岬周辺は、お土産物屋と食堂で大賑わいである。
僕も日本1周目のファーストドライブでここに来たときは、マグロとホタテの乗った海鮮丼を食べた。
正直そのころの僕って食に無頓着であり、そしてマグロが特に好きだったわけでもなく、あまりここに書けるようなネタは無い。
確かこのお店だったな。
きっと食の善し悪しがわかるようになった現時点で入店すれば、すごくおいしく感じると思う。
あと、本州最北端の到達証明書を100円で買い、そして何をどう考えたのか、巻貝の貝殻を1つ買った。
大間で獲れたっぽくない南国風の貝だったが、まぁこれも思い出よ。
さて、今回は後年訪れたお店を2店舗ピックアップする。
まずは「あけみちゃん号」だ。
日本5周目にて、旅友のFUGA君と青森県広域を車中泊ドライブしている途中で入店した。
ドアに「生本マグロ食べられます」と書いてある。
プレハブの簡素で小さなお店だが、あなどるなかれ。
結論から言うと、人生TOPクラスにおいしいマグロであった。
テーブルは4つほど。
原則相席だし、詰めても20人が限度のようなお店。
僕らが入った朝の9:30ごろはまだお客さんはほとんどいなかったけど、すぐに満席状態になった。
僕は三食丼をオーダーした。
マグロとウニとイクラが乗っているそうだ。
海の幸の御三家、完全網羅だ。心臓の高鳴りを抑えることなんて無理だ。
ちなみに三食丼は2000円、マグロ丼で2500円する。
朝食としては貴族クラスの金額である。
コスト面でも心臓が高鳴る。
…なんだこのマグロ。
ぷわっ、とろっ、としている。
僕はかつてマグロの持つ鉄臭さに敏感で、あまり好きではなかったのだ。
しかしこれは違う。
柔らかい身の中に、旨味がこれでもかと凝縮されている。
マグロの概念が変わった。
大間、好きだ。
改めてそう思った。
たった2000円で過去の苦手を克服し、未来の希望を抱けた。
そう思えば安い買い物だった。
外のブースでは生ウニや浜焼きを売っていた。
ここに限らず、各所の商店の店頭や道ばたで、イカ・貝・ホタテなどの浜焼きが行われている。
浜焼きの匂いが周辺に充満しているのだ。
飯テロである。気をつけろ、みんな。
お次は「開運丸」だ。
いい名前だな、おい。ステキ。
ここも岬から歩いて2分とかからない場所にある。
日本6周目にて入店した。
プレハブの小さなお店ではあるが、ここもポテンシャルはすごいぞ。
生ウニだ。タイミング良ければ、まだ生きている。
その場でパックリだ。
「この母なる海の、一番ステキな部分を凝縮して黒い殻に収めました」 みたいな味わいである。
おなかの奥の深い部分に押し寄せる潮騒。
今、僕は海とシンクロしている。
そう確信した。
あと、このお店はマグロの内臓などの希少部位の串焼きもやっている。
マグロの産地だからこそできる、超レアビジネスだ。
最後に、お土産屋で昔購入したステッカーをご紹介しておこう。
青い空に青い海。
大間崎の魅力が詰め込まれたこのステッカーを、 僕はかつての愛車に貼って全国を走っていた。
岬の景観
大間崎からの景色
最後の章となってしまったが、大間崎を取り巻くロケーションをご紹介したい。
賑わう大間崎。
本州最北端の碑から道路を挟んで、土産物屋や食堂が立ち並ぶ。
碑の反対側は津軽海峡だ。
少しずつズームアウトしよう。
ゴールデンウィークは大賑わいだ。
夕方16時を回っているが、まだまだ続々と観光客が訪れる。
みんな碑やオブジェの前で記念撮影をしている。
ちなみに大間崎は大体いつも風が強い。
記念撮影すると、いつもと違う斬新な髪形で思い出が残る旨を、あらかじめ認識しておこう。
緩やかなカーブを描く岬。
海に突き出している感覚は少ないものの、津軽海峡を見ながらのドライブは充分に最果てを感じさせる。
岬から見える海だ。
遠浅で澄んでいる。霧が出てきても、綺麗な海であることが窺える。
晴れている日、北の海に見えるのは「大間崎灯台」だ。
この灯台は、本土の陸地内にはない。
大間崎から沖合600mの「弁天島」という無人島に設置されているのだ。
ちょっとコントラストをいじったが、晴れた日には北海道も見える。
ここから函館の「汐首岬」までは、わずか17.5㎞なのだ。
仮に時速60㎞で走れば、17分30秒で北海道まで行ける。
だからだろう、この付近には「本州北海道連絡橋」の看板があったりする。
長さ18㎞の橋を、津軽海峡にブッ建てようというのか。
すさまじい技術が必要な上、重要な要所である津軽海峡の海の交通への影響も気になるところだ。
でも、夢は見たいよな。
「あきめたらそこで試合終了ですよ。」
西吹付山展望台からの景色
最後に、「シーサイドキャトルパーク大間」からの景観をご紹介する。
「西吹付山展望台」と言ったほうが少し知名度が高いだろうか。
大間崎から南に3㎞ほどの位置にある牧場だ。
ここは旅友のFUGA君に紹介され、一緒に訪問した。
大間崎が一望できる絶景スポットである。
駐車場からは、展望台へと続く牧草地の中の遊歩道を上がっていく。
北海道に来たかのような景観だ。
そして実際、北海道まで18㎞であったことに気付き、震える。
このときは見かけなかったが、この牧場では黒毛和牛が放牧されているとのことだ。
魚もうまいし牛もうまい町か、最強かよ。
これまた北海道で多く見かけそうな、かわいい三角屋根の展望台だ。
登ってみた。
確かに絶景である。そして地球は丸いのである。
牧草地の向こうに大間の町が広がり、さらに向こうのその海の中に、大間崎灯台を有する弁天島がハッキリと見えている。
暴風による砂嵐の向こうに、弁天島。
さらに水平線の彼方に、北の大地である北海道の気配を感じる。
僕はここからの津軽海峡を眺め、いつかの自分を回顧する。
人生で初めての超・長距離ドライブで、僕は仲間と共に大間崎に到達した。
僕らの見せた先は、やはり津軽海峡の先であった。
そこには、北の大地・北海道がうっすらと見えた。
「行ける。北海道は射程距離だ。」
僕はそう考えた。
このあと、北陸や四国・中国地方などを走って経験を積んでからのアプローチとなるが、この日に大間崎から見た北海道が、僕の人生を変えた。
それはさ、日本最北端から「サハリン」を見据える江戸時代の冒険家、「間宮林蔵」と同じ気持ちだったのではなかろうか。
やればできる。
道は繋がっている。
この自信が、今の僕にまで繋がっている。
今の僕は、この思いに未だに支えられている。
まぁ、とはいえこのときの僕は、本州から北海道まで車道が繋がっていないことをまだ知らない。
しかし、夢見るガキどもには、もう少しナイショにしておいてほしい。
『歴史にif(もしも)はない』という言葉がある。
しかし、もしあのとき僕が大間崎を目指さなかったら。
もしあのとき大間崎から北海道が見えなかったら。
僕の人生は大きく変わっていたことだろう。
そういう意味で、大間崎は僕の人生を狂わせた、罪深い岬なのだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
※ 恐山にギャルのイタコはいませんでした。
※ 母親には「友達の家で勉強合宿をした」とウソをつきました。
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