あなたは「ロック鳥」をご存じだろうか?
「アラビアンナイト」の「シンドバッド」の冒険で出てくる怪鳥ロックが有名だろうか?「ディズニーシー」のアトラクションにも登場するし。
グリフォン・フェニックス・ガルーダなどに派生する場合もある。
いずれもデカい鳥で、ゾウを3頭ヒナに一気に与えたりする伝説がある。
うん、デカい。
翼を広げると、昼でも周囲が暗くなるほどだという伝説がある。
うん、さすがにそれは盛りすぎだろう。
そんな「怪鳥ロックの巣」と例えられた建造物が、能登半島の七尾湾にある。
名前を「ボラ待ち櫓(やぐら)」という。
今回はそれをご紹介したい。
中居湾ふれあいパーク
ボラ待ち櫓は全部で3つある。
うち2つは、日本2周目から6周目にかけて毎回訪問している、ヘビーリピーターだ。
うち1つは未だ訪問したことがない。
すさまじいヒエラルキーを作ってしまって申し訳ない。
言い訳をするならば、8年ほど前のツーリングマップルには、僕が訪問している2つしか掲載していないからなのだが。
今回は3つ全てご紹介したいところだが、未訪問スポットを紹介はできないので、まずは過去4回訪問している「中居湾ふれあいパーク」のボラ待ち櫓からだ。
これがボラ待ち櫓。
海に浮かぶアスレチック遊具のような建造物だ。
僕の訪問した2箇所はいずれもデザインは酷似している。
主な違いを挙げるとすれば、ここ中居湾のボラ待ち櫓は愛車と一緒に撮影できるという点。
日本3周目では、1月の厳冬期に訪問した。
すごい雪だったので、このときのみはノーマルタイヤの愛車ではなく、スタッドレスタイヤのレンタカーを使用した。
ドライブに愛車を使わなかった、非常に稀有な例だ。
ドロドロに曇った夕暮れの、HUMMER_H3とボラ待ち櫓。
これもこれで絵になる気がする。
時代とともに、僕の愛車はコロコロ変わる。
しかしボラ待ち櫓は変わらない。
春夏秋冬、晴れの日も曇りの日も、中居湾に佇んでいる。
あ、もう1つだけ、ずっと変わらないものがあるよね?
彼だ。
櫓の上で微動だにせず、仙人のように悠久の年月を鎮座している。
彼は何者なのか。
今回写真は掲載しないが、愛車ステップワゴンで豪雪の中を訪れた日本2周目の際には「吉村ぁーー!!」と呼びかけながら雪玉を投げたが、肩が貧弱すぎて余裕で届かなかったばかりか、吉村も微動だにしなかった。
このことから、僕はいくつかの仮説を立てた。
- 吉村は耳が遠い
- 吉村は人形である
- 吉村は静かに過ごしたい
あなたはこう考えたはずだ。
「2が正解だろう。1と3は、YAMAのヤツが笑いを取るために書いたのだろう。」
悔しいが、あらかた正解だ。
確かに吉村は人形である。日本6周もしていると、さすがに気付いた。
しかしある意味「3」も正解だ。
吉村が人間なのか人形なのか、そんなことはとりあえず置いておこう。
次項で、「なぜ動こうとしないのか」に着目してみよう。
日本最古の漁法?
そもそもボラ待ち櫓とは何なのか。
ボラってのは、魚のボラだ。
僕が子供のころ、父親とときどきハゼ釣りに行った。
父親はボラが釣れると「これはおいしくない」といってリリースしてたりした。
調べてみると、ボラは水質の悪いところだと身に臭みが出るらしい。
僕ら、ダーティーな海に生きる一家だったのか。最近知った。
しかしここ七尾湾の水はとても綺麗だ。
ボラを刺身にして食べるととてもおいしいらしい。
従い、古来からこの地ではボラの漁が盛んであった。
では、どうやってボラを捕獲するのか。
その答えがボラ待ち櫓である。
吉村は、櫓の下に網を設置してひたすら待つ。
静かに、音を立てぬよう、動かぬよう。
なぜなら、ボラは臆病な魚であり、人影が見えると即座に逃げてしまう。
だから吉村は動かない。動かざること、岩のごとし。
ひたすら待つ。
何時間でも、櫓の上でその時を待つ。
その網の中に偶然ボラの群れが入ったとしよう。
吉村の目が光る。
一気に網を引き、ボラの群れを一網打尽だ。
これがボラ待ち櫓の漁法。
僕が雪玉を投げたくらいで吉村が動じない理由がおわかりいただけたと思う。
しかし、極めて個人的な感想を言わせてもらうのであれば…。
ただただボラが通過するのを待つのではなく、「エサにおびき寄せる」などの集客性をプラスしたほうが効果的ではなかろうか。
そしてもう1つ。
網を引くというシンプルな動作のために人間1人を長時間拘束するのがもったいない。
ネズミ捕りやゴキブリホイホイなど、他の多くの捕獲系の罠がそうであるように、オートマチックにボラを捕獲できるギミックはなかったのだろうか?
正直「考え方がノビノビしすぎているぜ」って思った。
しかし、同時に「それもまた風流」って思った
。
もはや侘び寂びの境地だ。禅問答だ。悟りを開きかねない。
吉村上人。
尚、このボラ待ち櫓は日本最古の漁法と呼ばれている。
江戸時代ごろから伝わる、伝統的な漁法だそうだ。
インパクトのある肩書だが、本当なのか?そもそも「漁法」ってなんだ?
…が、正直よくわからなかった。
広義の漁法には、釣り竿や手持ちの網を使う方法も含まれる。
もっと大掛かりなギミックのみを漁法という言い方をするケースもあるが、例えば地引網などは室町時代の段階で「九十九里浜」で始まっている。
かといって、ここ以外に日本最古の漁法を名乗っているところはなかった。
なにをもって日本最古の漁法なのか。
これは、また追って調査をしていきたいと思う。
根木ポケットパーク
ここまで掲載したのが、中居湾のボラ待ち櫓だ。
次は、同じく複数回訪問している、根木ポケットパークのボラ待ち櫓をご紹介したい。
ここは、トイレのみの小さなパーキングから徒歩5分強の場所にある。
中居湾と比べてアクセスがやや面倒。
しかもロクに歩道がない国道を歩き、最後ボラ待ち櫓に接近する際にも、歩道などない岸壁のゴチャついているエリアを突破する必要がある。
いちばん簡単なのは、国道に一瞬路駐し、ズームで櫓を撮影する方法だ。
近付いてゆっくりの写真撮影は、中居湾側でやればよい。
…しかし、僕にはここで譲れないものがある。
だからこそ、ほぼ毎回ボラ待ち櫓までテクテク歩く。
正直、国道を走る車からは奇異の目で見られるのだが。
それがこれだ。
『日本最古の漁法 ぼら待ちやぐら』の標柱。
前項でネガティブな発言しておいて申しわけないが、こういう標柱は好き。
標柱と小さな漁船、そして浅瀬のボラ待ち櫓。
なんだかすごい自然体で絵になるでしょ。
中居湾の方は目の前の駐車場にジャンジャン観光の車が停まるけど、こっちのほうは自分以外の観光客を見かけたことがない。
そういう意味でも好き。
直近の日本6周目で訪れた際は、標柱もリニューアル。
周辺もなんとなくこざっぱりしたように感じた。
地域にもまだ見捨てられてないぞ、愛されているぞ。
さらに、以下のような説明板がある。
僕が特に興味津々が後半部分を以下に抜粋しよう。
明治二十二年(一八八九)に当町を訪れた米国人天文学者のパーシヴァル・ローエル(一八五五~一九一六)が、「創世記に出てくるノアの大洪水以前に在った掘っ建て小屋の骨組みを、これも有史以前の伝説による怪鳥ロックが巣に選んだ場所」と形容している。
著書「NOTO」の中で、そう書いたらしいね。
正直、かなりわかりづらい形容だ。少なくとも、明治時代の人は「ノアの大洪水」とか「ロック」とか言われても、ポカーンだよね?
しかし、興奮したときってとりあえず突っ走った形容をしちゃうことってあるよね。
ローエルさんも、きっとそうだったのだろう。
あるいは、ちょっと変化球を投げすぎなポエマーだったのだろう。
ボラ待ち櫓は、高さ10m~15mにもなるという。
実際に見てもそこまで大きい感覚はないんだけど、吉村のサイズを見ればかなり目のくらむような位置での漁業ではないかと想像できる。
高所恐怖症には無理だろう。
最盛期には、これが40基ほども湾内に設置されていたそうだ。
さらに、実際に漁をする際にはボラを獲るための大きな網も海面に設置しているしな。
そんな様子を思い描くと、ローエルさんが驚くのも納得だ。
終焉と復活
ボラ待ち櫓を使った漁は、1996年まで行われていたそうだ。
割と最近までやっていたんだなって思った。
平成の世であれば、もっとテクノロジーを駆使した漁法もあっただろうが、櫓の上でノンビリとボラを待っていたのかー。
こうして歴史に幕を閉じた漁であるが。2012年に復活した!
16年ぶりの復活。
当時の漁師さんの胸の高鳴り。
2時間待って3匹。
これが成功と言えるのかどうかは僕にはよくわからないが、読んでいて僕も胸が熱くなった。
その後、観光客向けにたまに実演することがあると聞いたことがある。
あいにく僕は実際現地でその情報を得たり、目撃したことはないのだが。
鏡のような静かな湾に佇む櫓。
一見ノンビリしているように見えるが、水面下のボラを息を飲んで待ち構える漁師さん。
そんな江戸からの伝統が、現代もこうして目に見えるかたちで存在することに、大きな喜びを感じる。
吉村、ありがとう!
これからもここで、観光客に夢を与えてくれ!
…吉村!!
吉村、聞こえてる!??
> 1. 吉村は耳が遠い
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
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