日本本土の最南端。
「佐多(さた)岬」だ。
鹿児島県に位置し、南国植物の溢れるトロピカルな風景が、日常を忘れさせてくれる岬だ。
なお、SNSなどを見ていると毎日誰かしらが「佐田(さだ)岬」と記載しているが、佐田岬は四国最西端の岬なので間違えないように気をつけたい。
本土最突端16岬の執筆のラストを飾るのは、この佐多岬だ。
新しい佐多岬を語ろう
北海道・本州・四国・九州。
日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
なお、日本本土の定義は、上記リンク先にも記載している通り、「離島航路整備法第2条第1項」に基づいている。
あなたは「沖縄本島も本土じゃないか」と思われるかもしれない。
そういう定義もあるのでそれも正解ではあるが、僕の定義は離島航路整備法なので、そこだけご容赦いただきたい。
…というわけで、沖縄本島などを加味しない九州の最南端であり、つまりは本土の最南端が佐多岬なのである。
さて、ここで最初にお断りしなくてはならないことがある。
佐多岬は大幅な改修をし、2018年9月にリニューアルオープンしている。
僕は改修前の世紀末テイスト漂う世界観も知っているし、改修工事中も見ている。改修後の新しい姿も知っている。
本当は、それらを全部執筆したい。
なんだったら、2003年にニュースになって全国の旅人をザワつかせた「岩崎産業」の報道だとかまでを執筆し、僕の佐多岬にかける熱い情熱をあますことなく書き殴りたい。
本当は、「北緯31度線展望広場」とかも織り交ぜて書きたい。
だけども、それらをすべて書いてしまうと、記事がとても長くなってしまうのだ。
あなたは、「いやいや、つい先日のトドヶ崎の記事は過去編まで含めて書いたでしょ」みたいに思われるかもしれない。
そこを突かれるとイタい。
ぶっちゃけ言うと、「トドヶ崎」は熱筆しすぎて大変に疲れた。
記事の文字数は、東日本大震災関連を除けば、「芦生の森」に続く第2位となり、相当な長文であった。
僕は懲りたのだ。
だから今回は、リニューアル後の佐多岬にフォーカスした記事としたい。
過去の佐多岬については以下の別項目で振り返っているので、これはこれでぜひ読んでいただきたい。
佐多岬ロードパーク
まずは佐多岬駐車場の8㎞手前から始まる、「佐多岬ロードパーク」という道路からご紹介したい。
正式名称は町道佐多岬公園線というのだが、2012年くらいまではこの名称であった。
そして現在も通称として使われているので、本記事の表記はこちらとする。
いきなり裏側からの撮影で、大変に申し訳ない。
これは帰り際に撮影したものなので、『またのお越しをお待ちしております』と書いてあるのだ。
来たときにこの表示だったら大問題だ。
以前はこの付近が佐多岬ロードパークの料金所だった。
1000円徴収されていたのだ。
これが無料になったのだから、とてもありがたい話だ。
この道はもともと、交通事業や観光事業を手掛ける岩崎産業が1964年に佐多岬の観光開発目的で設置した道路だ。
しかしやっぱり景気は浮き沈みするそうで、写真の背後に見えているの建造物も沈黙状態なんだけど、それは今回は見なかったことにしておこうか。
この道のステキな部分が、これだ。
ヤシの木の並ぶ、トロピカルロードなのだ。
道幅はそんなに広くはない。
むしろ中央線の無い区間もあるくらいだ。
そこそこアップダウンもあるし、曲がりくねるし、眺望もそこまでよろしくない。
にもかかわらず、僕にとってこの道は日本TOPクラスに好きなのだ。
なぜなら、僕のイメージする南国をこれでもかと詰め込んでくれているから。
これから本土最南端の地を踏む僕に対し、「ようこそ!これが南国だよ!」と出迎えてくれてくれているからだ。
例えると、「那覇空港」に降り立った到着ロビーにて、さっそく琉装のお姉さん方がいて、その頭上に「めんそーれ・沖縄」とか書いてあるような、そういうパターンだ。
嫌がおうにも盛り上がるであろう。
即、さーたーあんだぎー食べるわ。
道路に盛大にはみ出たガジュマルの木。
僕は毎回ここで写真を撮ったりする。
どうだい、カラフルでクチバシの大きい鳥の鳴き声が聞こえてこないかい?
枝から枝へとサルが飛び交う様子が見えてこないかい?
こっち側斜線はまだマシだけど、反対側の車線はもう、「よっ、飲んでいるかい」と暖簾をくぐるような感じになるよな。
もしくは昭和の台所の入口に設置されているジャラジャラだ。
もしくは映画「レオン」でスタンスフィールドさんがベートーベンをかけながら一家斬殺する際にスタイリッシュに開けるジャラジャラだ。
森の主のようによく育ってらっしゃる。
あなたも佐多岬に行く際には、忘れずに彼を見てあげてほしい。
あぁ、あとリアルに猿はいたりする。
タイミングが合えば、群れでウジャウジャいる。サファリパークかってくらい。
こうして岬まであと3㎞のところまでやってきた。
ここで急に景観が開けるのだ。ピッカピカの真新しい駐車場やトイレがある。
まぁこの場所もいろいろ語りたいことがあるのだが、今はスルーしよう。
さらに道はワイルドに、アップダウンを繰り返す。
高揚感もMAXだ。
最後の数100mのところでは、北緯31度線展望広場が出てくるぞ。
しっかりと駐車場が整備されており、ライダーさんなどはこの碑の前で愛車と記念撮影するのは定番だ。
2018年にできたばかりのスポットだが、大人気だ。
ここについてはいずれ、個別の項目でご紹介したい。
では、いよいよ佐多岬の駐車場である…。
最南端への遊歩道
充分な広さの駐車場だ。
そして中央にはズドンとガジュマルの巨木が生えている。
これでもかと、ここが南国であることをアピールしてくる。
最高だ。
イメージ作りはくどすぎるくらいがいい。
ガジュマルと愛車を並べて写真を撮れたら最高なのだが、それは少し困難だ。
駐車場は2018年にリニューアルされ、ガジュマルに愛車で近付けなくなってしまった。
こうやってガジュマルと愛車を、無理矢理同じフレームに入れてみる。
駐車場の奥には展望エリアがある。
これは以前は存在していなかったな。
行ってみよう。
はい、すごいね。
本土最南端の海が見事に広がり、佐多岬灯台までもを遠望できた。
素敵すぎて膝から崩れ落ちそうだ。
2018年以前にはなかった展望エリア。
今まではここからさらに1㎞ほど歩いて、眺望の良い本土最南端の碑まで行っていたのだが、ここからでも充分に最南端の絶景を楽しめるぞ。
ちょっと視点を変えると、本州最南端の碑のある丘が遠望できた。
山頂にあるのが、これまた新しい展望台だ。
そこに続く道は、まるで「万里の長城」のようだ。
あとで実際にレポートしてやろう。
あと、駐車場には建物があった。
観光案内所と書かれている。
中を覗きたかったが、この時間は既に17時過ぎ。
残念ながら既に閉館しているようであった。
さて、それでは歩く。
岬の先端の展望台、本土最南端の碑のところまで、当然行く。
ゆっくり歩いて15分ほどかかるし、アップダウンもそれなりにある。
水分の確保や日差し対策なとをしてとくと良いかもしれない。
まずは、トンネルだ。
夏でもヒンヤリ涼しいトンネルだ。
かつてはこの中にも料金所があり、佐多岬ロードパークと合わせてモリモリお金を吸いとられたんだけど、今は無料だ。
ありがたい。
トンネルを抜けると、このようなハイキングコース。
周囲には、南国植物が元気に生い茂っている。
ところで、ここも2018年に大改修が行われた。
かなり登り下りが連続していた遊歩道だったのが、完全にフラットになったのだ。
これはすごい!
さて、途中にはジャングルに埋もれるように建っている神社がある。
「御崎神社」というらしい。
本土最南端の神社だ。参拝してみてもいいだろう。
綺麗な遊歩道が続く。
もちろんアップダウンはあるものの、格段に歩きやすくなったように感じる。
すごいお金をかけたんだろうな。
そして、それだけのお金をかける価値のある岬なのだろうな。
嬉しいよ。
後述するが、遊歩道だけではなく、展望タワーも一新しているし、廃墟となっていたレストハウスも撤去されているし。
佐多岬は生まれ変わったのだ。
あと、下を見ると海がメチャメチャ青い。
穢れを知らない顔をしてやがるぜ、この海のヤツ。
海の向こうには薩摩富士こと「開聞岳」も見える。
素晴らしいシルエットだ。
あと、ちょっと見えづらかったので画質をいじっているが、条件さえ合えばしっかりと見ることができるぞ。
噴煙を上げているのは「硫黄島」という島だ。
当然だが、小笠原諸島にある太平洋戦争で有名になった硫黄島とは違うよ。
大パノラマだ。
見覚えのある広場にやってきた。
ここはコース内でも数少ない、ある程度の広さのある平地だ。
ここは以前はレストハウスだったのだ。
もっとも、僕が初めてここを訪れた2005年には既に廃墟だったが。
それ以降、ずっと廃墟を見続けていた。
廃墟の裏をすり抜けるようにして、本土最南端の碑まで行く必要があった。
しかし今はとても綺麗な広場になっている。
クリーンなイメージになったな。
かつての廃レストハウスからの激しい昇りの階段も、こうしてゆるやかなスロープに生まれ変わった。
ありがとう、匠の粋な計らいだ。
どんどん標高は上がる。
夕焼けを浴びて赤く染まる、岬の一端が見えている。
なんというダイナミックな世界観よ。
そして僕は、本土最南端の碑のある広場へとたどり着く。
本土最南端の絶景を見よ
来た。
「本土最南端 佐多岬」と書かれた碑だ。
個人的には、2018年までのウッディな感じで左右を植物に囲まれているロケーションのほうが南国レベルが高いように感じる。
しかしこれもこれで、スタイリッシュで素敵である。
1枚だけ、過去の同じ場所の写真を掲載しておこう。
これがかつての碑である。
非日常を感じられる、このスポットが好きであった。
これもいいでしょ?
両方体験できた僕は、お得だ。そう思っておこう。
同行者なんていない、ロンリーな車中泊の旅なので、1人で記念撮影だ。
ピンボケでよければ、改めてご紹介しよう。
陸地から離れた島にあるので、ここから歩いていくことはできない。
眺めるだけなのだ。
ただしズームすると相当にかっこいい。
左側の建造物が要塞のようだ。これまた万里の長城のようでもある。
同時に夕日も眺められる。
汗だくになるような1日であったが、少し風が出て、空気が爽やかになってきた。
いい時間帯だな。
さて、ここはまだ丘の中腹だ。
さらに登ろう。そこに展望台が建っているのだ。
展望台の遠景については、駐車場から見た写真を既に掲載済みなので、もし忘れた人は遡って見てほしい。
近景がこれだ。
めちゃめちゃオシャレ。石油王の邸宅みたいな感じだ。
以前の展望タワーは高さこそあるものの、「ホントにこれ登っていいの?」ってくらいに廃墟テイスト丸出しであり、そして展望室の窓ガラスは一部を除いて全部消滅していたもんな。
あれはあれで好きだったけどね、あれでは石油王は住まないよな。
展望台内部からガラス越しに景色を眺めることも可能だ。
しかし既にこの時間は閉鎖されていて入れなかった。
この綺麗な岬と綺麗な展望台を守るために、セキュリティがしっかりしているのだ。
だけども元より僕は屋上から景色を眺めたいタイプの人類なので、気にしない。
よしっ、文句なしの100点満点だ。
最高の景色。
ここでボンヤリと海への落陽を眺めたら、きっと最高過ぎる。
どこまでもどこまでも、水平線が広がっているのだ。
この海の向こうに何をイメージしようとも、あなたの自由だ。
参考までに、佐多岬展望台からの可視範囲を上記にご紹介しよう。
本土はもうここより南には無く、太平洋にいくつかの島が散らばっている。
それらの島々に、夢を馳せても良いだろう。
なんというダイナミックな眺望。
真下にはさっき記念撮影をした本土最南端の碑も見えている。
非常に絵になる。
…最近の世の中の流れとして、大幅リニューアルが加わるときは、大抵万人受けするように角が取れた設計となる。
かつては、一部のマニア向けだったり、立案者の趣味に合わせて奇抜なデザインだったりしたかもしれない。
しかし、21世紀はとにかく平等・平穏を追い求め、クレームを恐れているのだ。
従い、マニアからは「昔の方がもっとワクワクした」というコメントを聞く観光地が多い。
僕は、僕自身が佐多岬に対しそう思ってしまうことを恐れていた。
「以前はもっとワイルドな遊歩道で、ボロッボロの廃墟が建つスゲー岬だっただぜ」とか言い出しかねないと思っていた。
…だがどうだろう。
今の僕は心から穏やかで、この風景・この岬の設備を堪能している。
最高なのだ。
そりゃ、以前のワイルドな岬も好きだ。忘れることはできないし、今後も語りたい。
だが、岩崎産業時代から長い年月と(たぶん)多額の費用をかけて生まれ変わったこの岬も、とてもステキなのだ。
これからの時代に本土最南端を訪れる旅人たちにとっても、きっと生涯忘れられない思い出になるに違いない。
夢の残影
しかし、僕は少しだけ寂しい気持ちであった。
岬のほぼすべてが新しいものに交換されてしまい、2017年以前を彷彿とさせるものがあまりに少なかったのだ。
ちょっと切ない気持ちで遊歩道を戻っている最中、ふと脳裏によみがえった記憶がある。
あの駐車場にあった大ガジュマルに、確か立て札がくくりつけられていたよな?
もう日没近いので焦って遊歩道に向かってしまい、じっくりとは見ていなかったが、あの立て札には見覚えがある。
まさかあれは…?
駐車場に戻り、再度ガジュマルを確認する。
『本土最南端 佐多岬』
ちょっと泣きそうになったよね。
僕の知る、本土最南端の碑だ。
木製だからな、もしかしたらずいぶん補修されたのかもしれないし、まるまる作り変えられたのかもしれない。
だけども、今までの馴染みのあるデザインだ。
遠い昔、仲間と交替でハンドルを握り、真冬に目指した佐多岬。
若かりし日の僕が、カーナビもないステップワゴンに荷物を積んで、1人車中泊をしながら九州を一周した思い出。
日産サファリをうならせ、車中泊での西日本一周をしたときの思い出…。
全部全部、この立て札は知っている。
だとしたらな、 キミと写真を撮らないわけにはいかないだろう。
この立て札を残してくれて、ありがとう。
僕と同様に、以前を懐かしむ旅人がいるなら、僕も嬉しいな。
…そしてもう1つ、残存しているか気になっていたのが、「本土最南端の電話ボックス」だ。
かつては佐多岬ロードパークの終点、つまり駐車場の出入口にあった。
これは…、もうなかった。
これは以前の写真だ。
既に展望タワーや廃墟レストハウスが撤去されている中を訪問し、僕は「この電話ボックスも無くなるかもしれない。これが最後かもしれない。」と思って撮影したのだ。
残念ながら、僕のカンは正しかった。
『日本本土最南端の応手電話ボックスです 旅の思い出に声の便りを伝えてください』
誰もが携帯電話を持っているし、SNSで広く思い出を投稿できる現代において、公衆電話で感動を誰かに伝えることはなかなかに稀である。
灯台型のかわいい電話ボックスではあったのだが、お役目引退となったのだろう。
これも寂しいが、仕方のないことだ。
確認できてよかった。
上記リンクに詳細は書いてあるが、佐多岬の観光史を知った上で何度も足を運んできた僕にとっては、実に感慨深いものがあった。
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こうして僕は、佐多岬を出発する。
水平線に沈みつつある夕日を背中に浴びながら。
今でこそ、無料で誰もが訪問できる佐多岬。
しかし実は岩崎産業が岬への道を作ったところから始まり、激動の歴史を歩んできているのだ。
岩崎産業にもありがとうだし、そこから買い取って整備した南大隅町にもありがとうだ。
これからも、旅人に夢を与える素敵な岬であってほしい。
…最後に。
佐多岬ロードパークが終わった少し先に出てくる標識。
日本本土最北端の「宗谷岬」まで2700mを示す標識だ。
僕の知る限りでは、国内~国内を示す道路標識としては、2番目にスケールがデカい。
ここでも旅人に夢を与えてくれている。
こんな標識を見てしまったら、旅を終えられるわけがないではないか。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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