週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.202【岩手県】山奥の湯治宿「夏油温泉」!電波ないので風呂・自炊・読書のみ!最高!

現代日本人は、時間に縛られて生きている。

 

束の間の安眠を妨げる目覚ましのアラーム。

一堂に人が動く通勤ラッシュ。

会議、締め切り、昼休憩。


チャップリンの「モダンタイムス」のように、人が時間を支配しているのか、時間が人を支配しているのか、うやむやな世の中だ。

 

…もうやってらんないよね!

山奥の温泉宿に逃避行しようぜ。

 

 

もちろん1人だ。

スマホの電波も入らない宿。食事も自分で作る。

好きな時間に風呂に入り、好きな時間に飯を食い、好きな時間に寝るんだ。

時間に縛られないひとときを過ごそうじゃないか。

 

 

山奥に現れしワンダーランド

 

その温泉の名は「夏油(げとう)温泉」。

すんごい山奥の突きあたりにある温泉だ。

積雪のために1年の半分、5月中旬~11月中旬のみしか営業できない秘境中の秘境の世界。

 

そんな温泉地に僕が向かったのは、日本6周目前半の梅雨時のことだ。

 

いざ秘境へ1

まずは北上市の市街地。ここのスーパーで食材を購入しておく。

酒も買う。当たり前だ。

詳しくは後で話すが、今回の宿は食事なしの素泊まりプランなのだ。

 

いざ秘境へ2

食材やビールをクーラーボックスに詰めた。

もうワクワクしかないよね。

小学校時代の遠足に行くときの気分が久々によみがえった。

 

いざ秘境へ3

そしてこの道のりである。

こんな感じのひび割れたアスファルトを、標高650mくらいまで山を登って行く。

 

途中にひなびた温泉はあるが、商店みたいのは無いし、コンビニなんぞもちろんない。

どんどん文明から遠ざかっていくぞ、僕。

 

あと、なんか天気がドロドロしてきた。

さすが梅雨。さすが山間部。

こはちょっと前まで雨が降っていた模様だ。

 

いざ秘境へ4

ひたすら突き進んだ突き当たり、山がポッカリ開けたところが夏油温泉

そしてここで車道は終わる。

 

いろんな建物が連なっているが、実はこれは全て「元湯夏油」という温泉宿のもの。

1軒で温泉街みたいな雰囲気をかもし出している。

夏油温泉にはこの元湯と「夏油温泉観光ホテル」の2軒しか宿が存在していない。

 

いざ秘境へ5

時刻は13:30。

とんでもなく早い時間だが、チェックイン可能である。

これから僕、ダラダラするんだからね。ダラダラするのに忙しいんだから、このくらいの時間にはチェックインしたいんだからね。

 

いざ秘境へ6

さて、ここからが重要な情報だ。

 

夏油温泉元湯には、大きく分けて2種類の宿泊プランがある。

旅館部自炊部という。

 

  • 旅館部 … 普通の温泉旅館を想像してほしい。1泊2食が基本で、所定時間に大広間でご飯を食べる。部屋もやや豪華。10000円ちょいとか、そのくらい。
  • 自炊部 … 長期滞在を前提にした湯治宿の名残のプラン。ただ寝られればいいだけの部屋。食事は無い。自分で調理場で作るか食堂へ。最低料金2000円。

 

いざ秘境へ7

ワクワクゴロゴロしたいなら、そりゃあなた自炊部に決まっているだろ。

 

湯治という文化は、もう間もなく日本から消えていくだろう。

今のうちだ。今しかないんだ、湯治本来の楽しみができるのは。

ここの宿泊客も大半が旅館部と聞く。だからか、自炊部はすんなり予約出来た。多分当日予約も余裕だと思う。

 

時間に縛られず、好きなときに自分で作った安いもので食事を済ませ、長期滞在をする。

そんな湯治の考え方は、今の僕にピッタリだ。

 

行こう。自炊棟へ。

 

 

自炊棟と調理場のある風景

 

まずは最初に元湯の全体像をご把握いただきたい。

 

 

黄色い字が元湯の建物だ。本館と別館が旅館部、それ以外が自炊部の様子。

温泉は内湯も2つあるが、基本的には「夏油川」沿いに涌き出る露天風呂がウリ。

 

僕はこれから自分の部屋のある、自炊部の夏油館に向かう。

 

自炊部へようこそ1

はい、最高。

4畳半。余計なものが一切ない。TVもない。

小型冷蔵庫があるのは嬉しい。

 

エアコンが無いのは日によっては厳しいかもしれないが、この日の夏油温泉は23℃であった。

湿度は高いが涼しかった。窓を開ければ充分。

 

もうこの部屋にレクレーション要素は無いし、スマホも圏外だからな。

文庫本を3冊持ち込んである。なんてステキなアイディアだ、YAMAさん。

 

自炊部へようこそ2

ちょっと遡って外観もご紹介しよう。

 

まずはメインストリート、本館駒形館の間である。

ちょいとボロいけど、両方を繋ぐ渡り廊下がある。

自炊部はこのずーっと奥だ。

 

自炊部へようこそ3

次のエリア。別館獄館の間部分。

ここだけちょっと異質で、無機質なアパートの隙間を歩いている気分になる。

 

そして次よ。

次が「これぞ夏油温泉!」っていう、各種ガイドブックやポスターで紹介されているエリアだからね。

 

自炊部へようこそ4

 

来たーー!!!

 

マジこの光景好き!

左に夏油館、その向こうに昭和館。右側は紅葉館、その向こうに経塚館

 

僕のイメージしていた夏油温泉って、昭和館の軒先で物品やラムネが売られていたりと、もっと活気あってザワついている感じだった。

なんかとりわけレトロな昭和館は閉鎖してしまっているみたいでちょっと味気ないけども、でも風情のある光景だ。

 

自炊部へようこそ5

この紅葉館の昔ながらの長屋っぽい雰囲気が好き。

縁側で湯上りに休んだり、軒先に洗濯物を吊るしたりしていたのだろうな。

 

ただ、おそらく合計100人以上は余裕で収容できる自炊棟も、僕を含めて3名しか見かけなかった。

かなり施設も古びてきているので、ここでの湯治や自炊文化の継続に懸念を感じる。

 

自炊部へようこそ6

ここで僕、急にお腹が空いてしまいましたよ。

しまった、このパターンは想定していなかった。

 

食材はたくさんあるけど、これは夜に調理したいもの。

すぐにパパッと食べられるようなものは入っていない。

 

そうだ、本館の売店に行ってみよう。

もともと山深い湯治宿。お客さんが長居できるように、食材や調味料など生活に必要なものは大体取り扱っている…と聞いたことがある。

 

…で、まぁ結論から言うとカップ麺とスナック菓子くらいしかなかった。

近年自炊の人はほぼいないのだろう。そういう文化の衰退、寂しいな。

カップ焼きそばを買った。

手軽に食べたかったので、今はこれで充分。

 

自炊部へようこそ7

ここが夏油館内の共同調理場だ。こういう雰囲気が最高に好きだ。

とりあえずお湯を沸かす。

ヤカンを火にかけ、ボケッと待っている時間が愛おしい。

 

自炊部へようこそ8

調理場の奥にはVIP席がある。ここで食べるに決まっている。

ここで食べれば何でもおいしいに決まっている。

 

自炊部へようこそ9

"焼きそばバゴォーン"ですな。湯切りしお湯を使ってスープが作れるヤツ。

 

窓の外からは夏油川のせせらぎと、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえる。

それ以外の音は無い。

それらを聞きながら、焼きそばを食べる。そんで読書をする。

 

自炊部へようこそ10

おいおいおいおい、幸せ過ぎるだろ、これ。

 

そりゃ旅館部で豪勢な食事を食べるのもいいよ。

だけども、自炊せずとも町のスーパーでちょこっと買って来た地のものを冷蔵庫に入れておき、腹が減ったら食べるだけでもすごくいいと思うよ。

もっと人気出てもいいだろ、自炊部!

 

 

混浴露天風呂を巡る

 

おまちかね、温泉のご紹介だ。

今一度、敷地内MAPを貼り付けておこう。

 

 

滝の湯は女性専用。それ以外の露天風呂は全部混浴だ。

一部女性専用の時間帯が設けられたりもしているけど、とりあえず混浴前程の世界観。

 

まずは真湯女(目)の湯に行く。

 

温泉巡り1

別館と夏油館の隙間の、割ととんでもないところから入っていくぞ。

 

ちなみに女(目)の湯は、名前からして紛らわしいが女性専用ってわけではない。

昔は"女の湯"と呼んでいたらしいが、最近は同じ読み方で”目の湯”っていう表記も使っているそうだ。

 

温泉巡り2

下の方に夏油川が見えた。

なんて透き通った綺麗な青色なのだろう。まさに山奥の清流って感じだ。

 

温泉巡り3

ちょっとワイルドな歩道であるが、基本的に浴衣姿でサンダル履きでどの温泉も行ける。

いくつもの温泉をハシゴしていくので軽装であることが好ましい。

 

温泉巡り4

右が真湯、小さな橋を渡って左が女(目)の湯だ。

真湯はしっかりした建物。男女別脱衣所があってその先は合流。

女(目)の湯は脱衣所も一緒で、そもそも温泉のある小屋お壁自体がすだれ1枚でセキュリティ低めである。

 

温泉巡り5

~ 露天風呂は撮影禁止なので、ここからは音声のみでお楽しみください ~

 

まず前提に。

夏油温泉の各温泉は、全部源泉が違っていて、だから色も温度も特徴が全て異なるのだそうだ。

あと、足元から温泉が湧いているので、お湯が空気に触れるより先に自分の体で受けとめることができる、超フレッシュ温泉なのだそうだ。

 

温泉巡り6

真の湯は、結構熱めの温度だった。

しかし周囲をアブが飛んでいる。ここは夏場はアブが多い。

アブから身を守るために、首までしっかりお湯に浸からないとヤバい。

必然的に長湯はできない。

 

温泉巡り7

橋を渡って女(目)の湯に向かう。

 

真湯からほんのわずかな距離なので裸のまま移動する人もそこそこいるようだが、僕はこういうときにはTPOを気にするタイプ。

面倒だし汗も引いていない状態で気持ち悪いが、ちゃんと服着る。根が紳士なのだ。英国紳士。

 

温泉巡り8

女(目)の湯はぬるい。これは快適。ずっと入っていられる温度だ。

しかもアブもいなくって平和な世界だった。

いるのはミンミンゼミだけだ。

 

温度巡り9

川の向こうの方に、疝気(せんき)の湯・大湯のあるエリアが見えている。

 

先ほどのMAPではあえて点線で書いたが、ここから先は歩道はない。

階段をまた登って降りて、迂回するのが正しいルートだ。

ただし非公認でザブザブ歩いて移動する人もいるようだ。

 

ちなみに川の中で涼んでいる人もいた。ワイルドだ。

まぁ疝気の湯はマジで浴槽の目の前がすぐに川だったしな…。気持ちはわかる。

 

温泉巡り10

…というわけで、階段を昇ってからメインストリートを最奥まで行き、再び階段を降りて大湯に向かう。

この大湯が夏油温泉を代表する温泉とのことだ。

 

温泉巡り11

あそこに見えているのが大湯だ。立派な小屋。脱衣所も男女別だ。

 

ただし、この温泉は激熱で有名。

マジ無理。死ぬほど熱い。足首まで入ってもう限界。ひざまですら無理。

とりあえず浴槽のフチでチャパチャパ体にかけるのが精いっぱいだ。

 

夏油温泉では、熱いもぬるいも全て自然の恵み。

一切手を加えない源泉かけ流しなのだ。

 

温泉巡り12

近くにいたおじさんが「イテ!イテ!!」とか言う。

何事かと思ったら、アブに刺されたそうだ。

 

『アブ注意』の貼り紙があり、ハエたたきも置いてあるが、アブは素早いし多い。

とても対処しきれないだろう。

僕もここで刺された!!結構痛い!!

裸だしお湯にも入れず自衛手段がないので、そうそうに逃げよう!!

 

…って感じでここでは僕は無傷であったが、その後の夕暮れ時に真の湯に再度入ったときは僕も刺された。

テンション一気にガタ落ちだ。萎えるー…。

 

疝気の湯は川沿いの歩道に3・4人ほどしか入れない窪みがボコッとあるだけの、最強にワイルドな温泉だった。

 

 

上の写真は元湯様の公式Webから引用させていただいた。

何の囲いもないので丸見えだ。一応男女共同の脱衣所はあったが、これまた正面にすだれ1枚かかっただけの小屋であり、横方向は丸見えだ。

お湯はぬるめで快適だった。ここ好きかも。

 

 

洞窟・滝・内風呂を巡る

 

実は温泉巡りは数回に分けて実施しているし、翌朝にも入っている。

散歩もしている。

それらを時系列でいちいち書くのは大変なので、露天風呂以外のトピックスをここにギュギュッとまとめて執筆する。

 

 

洞窟と滝を探しに

 

 

再度MAPを掲載する。

気になっているのは左端の洞窟蒸風呂だ。

館内にあったMAPでは『現在は立入禁止』と書かれていた。入るのは無理でも、どんなところか訪問してみたい。よしっ、お散歩だ。

 

洞窟を訪ねて1

ちなみにこのタイミングで、滞在中唯一の青空が見えた。

ワクワクした。

 

目指す洞窟蒸風呂は夏油川の反対側。

位置的には女(目)の湯のすぐ裏なのだが、道のり的にはグルーッと「夏油山荘」の裏を通るようだ。

詳しくはすぐ上のMAPを見てほしい。

 

洞窟を訪ねて2

夏油山荘は廃業しているため、ドアや窓にはベニヤが打ち付けられていて生気を感じない。そんな廃墟チックな建物の裏に回るのだ。

「この道で大丈夫かな…」というドキドキ感を味わえる。

 

洞窟を訪ねて3

雨の後なので足元はぬかるみ、湿度もすごい。

もう体ベタベタだ。

またお風呂に入らなきゃ。あぁ入らなきゃ。そしてビール飲まなきゃ。ふふ、困ったなー。ふふふふふ。

 

洞窟を訪ねて4

なんだかアドベンチャーになってきた。

それはいいんだけど、誰とも擦れ違わないことが心配だ。人気ゼロなスポット。

 

そして洞窟蒸風呂がようやく姿を現す。

 

洞窟を訪ねて5

ここらしい。

最終的には橋を渡っていくのだが、その橋が通行止めになっている。きっと内部の岩盤崩れだとかが影響なのだろう。

このバリケードから向こうは行けないので、洞窟の内部の様子はよくわからない。

 

洞窟を訪ねて6

橋のたもとには「四郎左ヱ門の滝」という滝がある。

落差7mなのだそうだ。

実はこの滝を見ることも、この散歩の目的であった。

 

洞窟を訪ねて7

ここで歩道は終わる。

夏油山荘から数分なので、温泉を訪れた際にはここまで歩いてみてもいいだろう。

 

インターバル

そして温泉や散歩の合間には水分補給。これ大事だ。

ビールがいいかどうかはさておこう。

しかしビールがうまい。これ最も大事だ。すみません、あたり前のこと言いました。

 

 

内風呂巡り

 

次は内風呂をご紹介したい。

ここに書く上ではいろいろ時系列をいじっているが、内風呂にはシャンプーやボディーソープもあるしシャワーもあるので、最初に入っておくとナイスガイだ。

 

内風呂1

まずは駒形館の小天狗(しょうてんぐ)の湯を目指す。

 

「おいおい、じゃあ大天狗の湯はどこだよ」という屁理屈を言いたいあなた。

実はさっき廃墟となっていた夏油山荘にあったらしい。

そう、大天狗さんは既にお亡くなりだ。悲しみ。

 

内風呂2

マジ綺麗。ピカピカ。

夏油温泉最大のウリである風情は露天風呂には叶わない。

しかしここもちゃんと源泉だし、体を綺麗にするという風呂本来の目的は1000%達成できる。

 

内風呂3

当時の手記を見たら、『綺麗・シャワーある・アブいない』と片言みたいに書かれていた。

アブがいないことに相当安堵したと見受けられる。よかったな。

 

内風呂4

もう1つある内風呂、白猿の湯に向かう。

本館の裏側から地下に下がっていくような立地だ。

実際は浴室に窓があったので、傾斜地に建てられたものと思われる。

 

内風呂5

先客のおじさん2人がいて、「東北のどこそこの温泉がいい」みたいな話になった。

なお、僕は温泉にはあまり詳しくないので、「ほうほうそうですか」と聞く側だ。

 

内風呂6

ここ夏油温泉にある様々な温泉も、熱いかぬるいかくらいしかわからない。

ただ、僕は旅情を楽しんでいるのだ。

こうしてダラダラ風呂に入り、語らい合うだけで幸せだ。

 

 

鬼剣舞と自炊の夜

 

時刻はどうやら19:00を回ったようだ。

時間を気にしない旅っていうのが今回のテーマなので現地の僕は時間を気にしていないが、写真のタイムスタンプからそうであると振り返ることができる。

 

鬼剣舞1

夜の帳が下り、また一層雰囲気が増すメインストリート。

ここで僕は夜風に当たりながら、風呂上りのミルクコーヒーを飲んでいた。

館内に自動販売機があったので。

 

鬼剣舞2

宿の人がやって来て、「19時半から本館前で鬼剣舞(おにけんばい)が始まりますよ、よかったらどうぞ」と声を掛けてくれた。

 

オニケンバイ…??

なんのことかわからなかった。だが、なんらかのイベントのようなので行ってみよう。

 

鬼剣舞3

19:30ちょっと前、本館前に篝火(かがりび)が焚かれた。雰囲気バツグンである。

 

調べてみたんだけど、鬼剣舞って岩手県北上地方の伝統芸能だそうだ。

シンプルに説明するのであれば、鬼の面をつけて剣を持った人たちが勇ましく踊る。…って感じだ。

 

本館前の階段に10人ほどが腰を下ろす。

僕もその脇にヒッソリと立ち見をする。

 

鬼剣舞4

祭囃子みたいのが始まった。

ゴザの上に座った人たちが、笛とか太鼓の演奏を始めた。

 

それに呼応するように篝火が強く燃え盛る。

幻想的だ…。

 

…いやこれ、ちょっと火が強すぎないか??

スタッフさんがときどき水をかけて、「ジュッ」とハデな音をさせていたけど、その後もちょくちょく想定以上の火力を見せていた。

 

鬼剣舞5

演目が始まった。

10数演目あり、1人で踊るもの・2人で踊るもの・8人で踊るものなど様々だ。

どれもが力強い。

 

写真左下から奇妙なものが踊り手に向かって伸びている。

これは霊的なものではなくって、篝火にかけた水がデレデレと踊り手の方まで行っちゃったものなので気にしないでほしい。

 

鬼剣舞6

夏油温泉では、7月・8月の土曜日の夜のみ鬼剣舞を呼んでいた。

しかしコロナ禍で2021年は2回だけ、2022年は完全中止となってしまったようだ。

これは寂しいね。

 

鬼剣舞7

僕らが普段かかわり恩愛伝統に触れられる貴重な機会だ。

ぜひまた復活し、2023年には見られるようになってほしいと祈る。

 

鬼剣舞8

刀を持ち、殺陣のようにアグレッシブに動き回っている。

かっこいい。

 

鬼剣舞9

1本から徐々に刀を数を増やし、最大8本の刀を持って前転する演目だ。

「結構スリリングなので注目してほしい」というアナウンスが行われた。

僕の日常では8本の刀を持って前転する機会があまりないため、こういうことをできる人はすごいと思った。

 

そんなこんなで40分ほどの演目が終わる。

スゲー良かった。夢のような夜だ。

では飯だ。

 

自炊1

序盤でも出てきた共同調理場である。

ここで調理をするメンバーは僕だけだった。

まぁ自炊部自体3人しかいないっぽいからそれもうなずける。

 

悠々自適にクッキングだ。食器はたくさんあるぞ。自由に使って、洗って返却すればよい。

 

自炊2

この時点で初めて「ヤベー」と思いました。

「どこの相撲部屋ですか」って思いました。

 

ちなみに今夜のメニューはキムチ鍋です。

 

自炊3

白菜が少ししんなりしてきて、エベレストレベルが水面張力レベルまで落ち着いた。

しかしこのボリューム、不安しかない。

明日の朝も続きを食べるとして、明日の朝までに食べきれるのか、という次元である。

 

とりあえず、この歪んだ鍋をよたよたと自室に運ぶ。

あぁ、自炊部では余裕で部屋食OKなのだよ。優雅でしょ。

 

自炊4

このあと4畳半が戦場と化すんだけど、そのあたりを詳しく書いたところでアレなので、報告は以上とさせていただきたい。

味はともかく、腹がはちきれそうだ。

 

また明日の朝、温泉入って痩せなきゃ。

 

自炊5

そう思いながら布団の中で天井を見上げた。

 

 

雨の降りしきる夏油温泉

 

翌朝は凄まじい豪雨だった。てゆーか夜中から土砂降りだった。

どうやら西日本に台風が上陸したらしい。

岩手県のここも強風だし、なんなら寒いくらいの気候だ。

 

雨降る館内1

夏油館には談話室という簡素な部屋があり、そこにだけはTVがある。

僕は6:00には起き、ここで台風中継を見ていた。

 

雨降る館内2

しかしだ、雨だろうと嵐だろうと、ここではマイペースに過ごしたい。

温泉にも入る。

何事にも縛られない時間を獲得するためにここに来たんだもの。

 

雨降る館内3

朝の目覚めのコーヒーを淹れる。

僕はコーヒーを飲まないと1日が始まらない。

アウトドアグッズのアルポットを使うと、どこでもお湯が沸かせて便利だよ。

 

豪雨の中で1

じゃあ、露天風呂行くか。

もう既にシャワー浴びたんじゃないかってくらいにビッシャビシャだけどな。

 

豪雨の中で2

 

ドワワワワワーー…!!!

 

 

あの綺麗だった夏油川が完全に濁流だ!!荒れ狂っている!!

しかし温泉だ。温泉入ろう。

 

豪雨の中で3

真湯はこの天候だとぬるすぎると感じた。

歩道にポッカリと設置されている疝気の湯がちょうどよかった。

しかし頭上に天井がないのでスゲー濡れた。

だけども意外なことに、ここには3人ほど入浴者がいたぞ。

 

自炊6

朝食は、昨日の鍋の残りを温め直して食べることにする。

ラーメンの麺とか買って来ていたんだけど、そういうのはキャパオーバーだ。

鍋しか食べぬ。

 

自炊7

なんとか完食できたのでホッとした。

このあとまた内湯に入ってカロリー消費しておいた。

 

あ、ちなみにだけれども、各館は独立しているとはいえ電車みたいに連結されているので、雨に濡れずとも行き来ができるようになっている。

ちょっと横風が強いとひさしから吹き込んでしまうかもしれないが、一応は屋根がある。

だからこの日は屋内移動をメインとした。

 

では、自炊部の夏油館から本館まで歩いてみてあげましょうか。

 

雨降る館内4

こういうレトロな雰囲気の館内通路もたまらなく好きだ。

マットの敷いてある右手が調理場だ。

 

自炊棟では、擦れ違う人がいたら「こんにちは」と挨拶をする。そういう雰囲気。

自炊部がもっと盛り上がっていた時代であれば、一緒に調理場で料理をしたり、意気投合して酒を飲みかわすこともあったろう。

 

雨降る館内5

そういう経験は今回はできなかった。

この先もできないかもしれない。

 

もともと夏油温泉は自炊部のみの温泉だった。

東北を中心とした温泉地には、こういう湯治宿がかつて多くあったらしい。

 

雨降る館内6

別館を経由し本館に入った。

グレードが変わったことを空気で察知する。

 

雨降る館内7

とはいえ、なかなかに年季が入っている。

この雰囲気をずっと大切にしてほしい。

ピカピカの綺麗なホテル調にしてしまったら、夏油温泉の良さが失われてしまうような気がする。

 

日本にはまだもう少しだけ、こういう雰囲気の場所が必要なのだ。

 

雨降る館内8

あ、チクショウ大広間でございますね。

ここでご飯食べたら美味しそうだし楽しそうですねチクショウ。

さすが1万円以上を支払う方々は違いますなー。

 

雨降る館内9

あと、獄館にはシアタールームみたいのがあった。

ひっそりしていて誰もいなかったけど。

 

 

振り返れば記憶の中の宝石箱

 

こうやって自分のレポートを振り返ると世話しなく動いているみたいだけど。

実際の僕はありあまる時間をゆったりと過ごしていた。

 

温泉い少し入っては自室に戻って、常に敷きっぱなしの布団にゴロンだ。

 

湯治宿最高1

持ってきた小説も1冊半読んだ。

マジで読書くらいしかやることがなく、むさぼるように本を読んだのだ。

なんて幸せな時間。

 

湯治宿最高2

雨だっていいじゃないか。

日本には梅雨があるんだから。

 

ここの温泉が一切手を加えていないように、ありのままの自然を味わう。

それでいいじゃないか。

 

不便なこともあるだろうけど、心は豊かになるよきっと。

 

湯治宿最高3

ボロッボロの夏油館を振り返る。

間もなく11:00になる。チェックアウトの時間だ。

僕は腕に時計をはめる。

 

できれば数日滞在してみたかった。湯治とはそもそも数日から1週間は滞在しないと胸を張って実施したとは言えないだろう。

 

湯治宿最高4

一瞬の体験だったけど、それでも楽しかった。ありがとう、自炊部。

僕はこれで現実世界に帰らねば。

 

湯治宿最高5

土砂降りの中、愛車の日産パオにエンジンをかける。

 

これからまた深い深い山道を延々攻略し、ふもとの町を目指すのだ。

少しだけ進んだところで、僕は車を停めた。

そして来た方向を振り返る。

 

湯治宿最高6

おそらくここが、最後の夏油温泉を見られるスポットだ。

夏油温泉は豪雨に少し霞んでいた。

 

深い深い山奥で、1年の半分ほどしか営業できない秘境温泉。

僕はまたいずれ、ここに来ることができるだろうか?

そしてそのときここは、今と同じ建物で今と同じ営業をできているのだろうか?

 

未来のことはわからないけど、思い出は1つ。

しっかりと目に焼き付けた後、再び僕はアクセルを踏む。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 夏油温泉 元湯夏油
  • 住所: 岩手県北上市和賀町岩崎新田1-22
  • 料金: 自炊部1泊¥2000~
  • 駐車場: あり
  • 時間: 自炊部はチェックイン13:00~、チェックアウト11:00まで

 

No.201【兵庫県】日本の時刻の中心、明石市の超巨大な時計台!見上げるだけでワクワクだ!

現代日本人は、時間に縛られて生きている。

 

束の間の安眠を妨げる目覚ましのアラーム。

一堂に人が動く通勤ラッシュ。

会議、締め切り、昼休憩。


チャップリンの「モダンタイムス」のように、人が時間を支配しているのか、時間が人を支配しているのか、うやむやな世の中だ。

 

だからといって、僕らはもう時計を捨てることはできない。

人生とは時間であると言っても過言ではない。

 

てゆーか、そもそもなんで今は21時なのか。

誰がどのように21時だと決めたのか。

 

 

兵庫県明石市

本の時間のシンボルが、そこにある。

 

 

本の時間の中心

 

…というわけで、今回の議題は、日本の時間の中心についてだ。

そのシンボルが、「明石市立天文科学館」の時計塔だ。

 

時計塔1

僕は日本の中心と呼ばれるところが大好きである。

かつてはその日本の中心をいろいろ巡った。

 

こう書くと、あなたは「えっ?日本の中心っていろいろあるの!?」と思われるかもしれない。

うん、実は日本の中心というのは日本各地に無数にあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこれら無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。わりとアホでしょ。

 

日本の中心というと、大体が地理的な中心となる。

そんな中でもちょっと異質な時間の中心

 

ピンと来ないかもしれないが、時間の概念も大事だからね。

いくら「渋谷のハチ公前で会おうぜ!」と言ったところで、時間がズレていたらその2人は邂逅できない。

物事は常に四次元で考えねばならないのだ。

 

渋谷駅前

だからこそ"待ち合わせ"という。

待って合わせるという、時間の概念がここにある。

 

さて、そんな日本の時間の概念だが、それは標準時子午線をもとに定められている。

誰もが小学校時代に習ったであろう、懐かしい単語だ。

 

この標準時子午線が明石市を通っている。

日本全国、この標準時子午線に合わせて時間が決定しているのだ。


例えば、夏至近くの本土最東端「納沙布岬」では深夜3時台に日か昇った。

冬至近くの日本最西端「与那国島」では、朝7時の朝食を真っ暗な中で食べた。

日本も地域で随分と日の出・日の入りが違う。

 

時計塔2

だけども時間は1つ。

21時だと言ったら21時なのだ。

東の果てだろうと西の果てだろうと、標準時子午線に合わせるしかない。

 

「すげーな、標準時子午線!!」ってなるわけだ。

まさに時間の中心だよね、これ。

 

 

僕は時計台を見上げる

 

僕はこの明石市が大好きである。

かつては3ヶ月に一度は明石市に泊まりがけでドライブ旅行をしていたほどだ。狂っていた。好きにもほどがある。

 

時計塔3

だからもちろん、明石市立天文科学館も幾度となく眺めている。

国道2号線からも良く見える、いい立地なのだ。

 

6月10日。

それはかつて初めて国内で時計が使われたのと言われている日。

西暦671年6月10日、天智天皇の指示で水時計が造られたのがこの日だそうなのだ。

そんなことから6月10日は時の記念日と呼ばれている。

 

時計塔4

それを受けて1960年6月10日、日本標準時子午線の真上に建設されたのがこの科学館。

時と宇宙をテーマにした博物館である。

 

そんな科学館のシンボルの時計塔。

そこに設置されている時計は直径6.2mもあるそうだ。

 

時計塔5

青と白のクールなデザインだ。かっこいい。

そんで、この時計をさらによく見てほしい。

 

時計塔6

SEIKO TIME」と書かれている。

セイコーさんの時計だ。セイコーホールディングスがここに寄贈したのだ。

セイコーさんすごい。

 

そしてその上には「J.S.T.M」の文字。

これは「Japan Standard Time Meridian」の頭文字である。

訳すと日本標準時子午線。

まさにまさに、この時計の12と6の間を子午線が走っている。

 

別にこの時計が日本一正確なわけでも、日本中の時計がこの時計の時刻に合わせているわけでもないが、時間のシンボルがこの時計塔なのだ。

 

時計塔7

とても好きなので、何度も見に行っている。

ただ恥ずかしながら、僕はこの科学館の中には一度も入ったことが無い。

 

冒頭で「無数に明石に来ている」と書いたのに、シンボルの科学館の敷地には足を踏み入れたことがない。

内部のご紹介ができなくって申し訳ないが、まぁいつか中に入るさ。

その際は別途執筆するから楽しみにしておいてほしい。

 

ちなみにだが、上の写真でもわかる通り、時計の直下には展望台もある。

あそこから眺める「明石海峡大橋」は最高の眺めなんだろうな…。

 

 

科学館付近の子午線標示

 

時計塔付近のスポットを3つほどご紹介したい。

いずれも、せっかくあなたが興味をもって明石の科学館を訪れたのであれば、もう少し足を伸ばしてほしい場所だ。

ちなみに、いずれも科学館からは徒歩5分以内とお気軽な距離。

 

人丸前駅

 

1つ目は「人丸前駅」。

科学館の最寄りの無人駅だ。

この駅は国道2号と科学館の間にある。むしろ、この駅の高架下を潜らないと国道から科学館に行けない。そんな立地である。

 

ja.wikipedia.org

 

申し訳ないが、ここの駅舎は写真に撮り損ねた。

だからWikipediaさんへのリンクを貼っておく。

 

人丸前駅

この駅の改札前にあったのが、この看板だ。

標準時子午線を示す記載がある。こういうのを見られるだけで幸せなんだな、僕は。

 

なお、この駅のホームを標準時子午線が通っている。

ホームの路面に子午線が描かれているのがこの駅の特徴だ。

見てみたいが、駅への入場料をケチってしまい、僕は未だにそれを見たことがない。時間訪問時こそ、見ねばなるまい。

 

ところで人丸前駅って、おもしろい名前だよね。

これ実は、"人丸"って柿本人麻呂を指すのだそうだ。

飛鳥時代のすごい歌人だ。平安時代以降は人丸っていうあだ名で呼ばれていたりする。

彼、ここに所縁があるそうですぜ。

 

 

柿本神社

 

2つ目、時計塔の裏に回ってみよう。

ここからは直近である日本6周目の写真だ。

 

柿本神社1

神社がある。

その名は「柿本神社」だ!

うおぉ、柿本人麻呂さん、うおぉ!!

 

雨の降りそうな、いや、なんか嫌なもんポツポツ首筋に当たり始めたけども、きっと気のせい。かまわず行こう。

 

柿本神社2

階段を登り、境内に着く。

柿本さんも好きだけど、今回の目的は標準時子午線の標柱を目的にここまで来た。

だから参拝とかはサクッと済ませる。柿本人麻呂さんゴメン。

 

柿本神社3

ここは時計塔の裏側だ。

神社の燈篭と時計塔という、異色のコラボレーションを楽しめる立地である。

ここからもうちょっと進み、完全に時計塔の真裏まで行ったところに目指すモニュメントがある。

 

柿本神社4

これがそれ。

ドロドロの天気で見栄え最悪だけど、これを見たかった。

「トンボの標識」と呼ばれている、子午線標示柱だ。

その通り、柱の一番上にトンボがとまっているのだ。わかるかな??

 

柿本神社5

はい、拡大してみた。トンボが良く見える。

その下の球状のモニュメントには、十二支のアニマルたちがいるね。

 

子午線って、子(ね)・午(うま)だもんね。

古い時代の方位では子(ね)は北、午(うま)は南を表すから、南北に走るこの緯度を子午線と呼んだのだね。

 

柿本神社6

子午線標示柱についての説明板も掲載しておく。

興味があるのであれば読んでみてほしい。

 

 

明石子午線郵便局

 

3つ目は「明石子午線郵便局」だ。なんてナイスなネーミング!

国道2号沿いにあるぞ。

ここもお気に入りスポットだ。

 

子午線郵便局1

国道2号から撮影するとこうなる。

手前の看板の縦の赤い線が標準時子午線だ。

 

郵便局をぶった切り、その後ろに少し見えている人丸前駅のホームを通過し、さらに後ろの時計塔にぶつかるのだな。

 

標準時子午線2

目に見えるかたちで標準時子午線が書かれた看板もあるから、記念撮影にもオススメだと思う。

 

そして僕はWeb上でしか見たことが無いが、ここの風景印も科学館と子午線がプリントされたカッコいいものだ。

もしあなたがこの郵便局を訪れるのであれば、ぜひ風景印を押してもらってほしい。

 

子午線郵便局3

 

 

子午線の概念と明石の隆盛

 

最後に、標準時子午線と時のシンボル明石市との関連を改めてご説明したい。

 

まずは、なんで標準時子午線を明石市のこの地を通る場所に定めたのか。

これは東経135度がここを通っているからである。

 

じゃあなぜ東経135度を日本の標準時としたのか。

これはイギリスの「グリニッジ天文台」に由来する。
この世界の時間の中心は、グリニッジ天文台を通る経度0度だ。


地球は丸いし、1日は24時間だ。

じゃあこの丸い地球を24等分すれば、「そこはグリニッジから○時間ズレた世界」って定義付けられるでしょ。

円の360度を24で割った15度ずつ、1時間の誤差が生まれる。

 

 

そうやって考えたら、明石市を通る東経135度が、ちょうどグリニッジから9時間の時差のポイントだったのだ。

では、東経135度は点ではなくて線なのに、なんで明石市だけが時のシンボルなのか。

明石市以外にも南北の都市が標準時子午線上にあるのに。

 

 

これね、端的に言うと明石市が最初に時間のシンボルの街として名乗りをあげたからだ。

 

前述の通り、明石市は子午線ピッタリに時計塔を建てたり、グリニッジ天文台になぞらえて天文科学館を造ったり、町起こしを頑張ったのだ。

 

だから別に、国際的にとか国の指針として、明石が時の街というわけではない。

だが地域の人が盛り上げ、街のイメージを作り上げたのだ。素晴らしい。

 

…とはいえ、他の町だってちゃんと子午線モニュメントあるぞ。

かなりある。ほとんどが兵庫県だが、10数箇所ある。

僕も全ては踏めていないが、その中でも奇をてらって京都府の2箇所にちょっとだけ触れよう。

 

その他のモニュメント1

1つ目は、国内の陸地では子午線の最北端に当たる地。

スタイリッシュなモニュメントだ。

京丹後市網野町にあるのだが、網野の「A」をモチーフにしたデザイン。

 

その他のモニュメント2

太陽光パネルを備え付けており、そのエネルギーで世界標準時日本標準時のデジタル時計を動かすという、テクニカルなモニュメントだ。

 

その他のモニュメント3

2つ目は、一転してかなりダメージの蓄積された、傷んだミカンのようなビジュアルのモニュメント。しかしそれがいい。

これも京都府京丹後市で見つけた子午線塔だ。

 

その他のモニュメント4

ちょっとボロい木の杭には「ありがとうございます。みんな明るく幸せに。」と書かれていた。

何に「ありがとうございます」なのか謎だが、ありがとうと言われて嫌な気持ちにならないよね。ハッピーだ。こちらこそ、サンキュー!

 

…というわけで、ここでご紹介するのはごく一部ではあったが、もしあなたが興味をお持ちであれば子午線モニュメントを巡るドライブなんていうのも面白いかと思う。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-

 

時間は大事だ。

時は金なりだ。

 

忙しい中でも1日1日を大切に、人生を歩んでいこうじゃないか。

気づけば2022年も半分終わりつつある事実に驚愕しつつ、僕は明石を懐かしむ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 明石市立天文科学館
  • 住所: 兵庫県明石市人丸町2-6
  • 料金: 時計塔を見るだけなら無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 時計塔を見るだけなら特になし

 

No.200【埼玉県】山の高台にある「天空の楽校」!それは廃校を利用した絶景ちまきカフェ!

高原でちまきを食べるとうまい、というだけの話をしたい。

 

「そうなのか!知りたいな」という方は是非読んでほしいし、「そんなこと知ってるわ!」って方も読んで共感してほしいし、「そんなはずない」という方には先に現地に行ってから読んでほしい。

 

ちょうど2022年現在さ、北海道を除く日本列島全てが梅雨前線に覆われたから皮肉を込めて言うけど、それはそれはカラッと良く晴れた爽やかな日のことだった。

そんな日に僕は秩父の北部の皆野町という町から、山間部にグイグイ入っていくドライブをしていた。

 

 

いったい僕がどこへ行くのかと言うと、これから山の中の高台にあるという、ちまきカフェのお店に向かっているのだ。

 

カフェでちまきを出しちゃう??

なんて斬新な発想だ。もうこれ行ってみるしかないだろう、と。そういうことだ。

 

 

そのお店の名は「天空の楽校(らっこう)」。

楽しみだな。

 

 

天空で見つけたオシャレカフェ

 

なかなかに道はグネグネ、そしてところどころ触れ違いが危うい狭さ。

ふもとには少々集落があったが、高度を上げるにつれてそれも少なくなってきた。

 

天空へ1

僕の愛車の日産パオは小柄だから少々の道は問題ない。

ただ、前夜にこの子さ、いきなり警告灯がついて不調を起こしてしまったのだ。

 

その矢先、ホントその半日後なので、内心はかなり心配だ。

愛車に無理をさせたくないという親心

 

天空へ2

それ以上にちまき食べたいという本能

ちまきの勝ち。


だからがんばれ、昭和と平成の瀬戸際で生まれた車よ。

 

天空へ3

華厳の滝」の脇を通過する。

あの有名な日光の華厳の滝ではないよ。秩父華厳の滝

ここはあとで引き返した際に寄ってみようと思う。

 

天空へ4

人里離れた山奥を、さらに上に上にと登っていく。

激坂なのだが、チラホラと自転車でヒルクライムにチャレンジしている人がいるのな。すごい。

 

そして現れたのが今回の目的地、天空の楽校の入口だ。

 

天空へ5

山間部の鋭いカーブの途中にいきなり現れた。

それが上の図だ。

左側の白い木の柵の向こう側が敷地。

 

店舗自体は、柵の向こうの小道をさらに少し入ったところのようだが、四輪車はここまでのようだな。

 

天空へ6

駐車場と言えるようなスペースはなく、みんなカーブに沿って設置されている路肩にギュッと停めているようだ。

僕もそれに倣う。

 

ちなみにバイクはもっと内部まで行ける。ただし狭いし砂利道なので、突入するかどうかは自己判断が必要だ。

 

天空へ7

この、道路沿いにある敷地への入口の装飾からして、もうかわいい。

将来自分の家を持てるようになったら、こんな感じの庭を作りたいと思ってしまう。

 

天気もいいし、すごくワクワクするぞ。

僕のようなインテリメガネが1人で入っていい雰囲気のスポットなのかだけが気掛かりであるな、さてはて。

 

では、入店しよう。

 

 

廃校の敷地から世界を見渡す

 

廃校カフェ1

車道から店舗への道のりはこんな感じ。

名物"天空のちまき"を紹介するボードも設置されている。ちまきだけでなく、ハンバーガーもスイーツもあるのだぞ。

 

小道を歩くこと数10メートル。

開けた敷地が姿を表した。

 

廃校カフェ2

この天空の楽校なのだが、実はもともと学校だったそうなのだ。

40年以上も前に廃校になった校舎を改装して、ちまきカフェにしている。

 

ここの空間はもともと校庭だったのだろうか、とか考える。

しっかしすごい立地にあったのだな。

なにせ、ここに来るまでしばらく人家を見かけた記憶がなかったぜ。

 

廃校カフェ3

まずは受付テントに行く。

ここでメニューを決めてオーダーするのだ。

 

ちまきは6種類あった。

角煮・鶏ごぼう・ベーコンチーズ・海鮮・青じそチキン・牛すじカレーだ。

なんとなくワイルドにいきたい気持ちだったし”定番”と書かれていたので、角煮のちまきにした。

 

牛すじカレーちまきは新発売だって。

正直惹かれた。2つ食べるだけのキャパがあるのであれば、これも食べたかった。

 

廃校カフェ4

それとコーヒーだ。

カフェに来たからにはコーヒーを飲むと決めて、人生を歩んできている。

 

「好きなところに座ってお待ち下さい」と言われた。

カフェスペースはこの広い校庭に設置されているテーブルだ。

パラソルつきのテーブルもあるぞ。さてどうしよう。

 

廃校カフェ5

エリアは大きく2つに分かれており、受付の正面と受付の奥とがある。

正面エリアは既に6人ほどお客さんがいた。ライダーの人とかが楽しそうに談笑していた。

 

なんか頭上には運動会のときの旗みたいなものが飾られていて、この快晴の天気とさわやかな空気も相まって、マジに子供の頃の運動会を彷彿とさせた。

 

廃校カフェ6

木立に近い、ヒッソリ静かなゾーンもある。

落ち着けそうだし、日焼けしなささそうだ。

 

廃校カフェ7

奥のエリアはまだ誰もいないっぽい。

こんな感じの白いパラソル付きのエリアだ。ステキじゃないか。

では、ぼっちの僕は奥に行くぜ。

 

廃校カフェ8

 

うわー、最高のデッキ席だ!!

 


目の前にはどこまでも緑の山。

空気美味しいし風は爽やかだし、もうこれだけでここまできた甲斐があった。

このように手前のカフェスペースも一緒に写真に収めれば、まさに名前の通り"天空の楽校"であることをお分かりいただけるであろう。ピッタリなネーミングだね。

 

廃校カフェ9

では、次に柵越しの山々の風景をご紹介しよう。

 

もう元気モリモリに育った森が無限に続いている。人家とか、ちょっと見えない。

凄まじい山の中。そしてかなりの高所だ。

標高は550mあるらしい。どうりで結構涼しいはずだ。

 

廃校カフェ10

後ろを見ると、学校だった頃の校舎が連なっている。

受付テントの近くの部分は厨房として機能しているようだが、こっち側は当時の面影が残っていたりするらしい。

 

廃校カフェ11

よく見ると「皆野町立 立沢分校」と書かれている。

 

この立沢分校について改めて調べてみると、明治9年(1876年)に開校し、昭和54年(1979年)に閉校となったそうだ。

「山の家」という宿泊所として利用されていた時期もあったみたい。

 

廃校カフェ12

コロナ前は中を見学できたり懐かしいグッズなどで遊んだりもできたようだ。

だが、今は感染防止のために屋外スペースのみだ。

ちょっと残念だね。元廃墟マニアとしては、中も見てみたかった。

 

 

天空のちまき&コーヒー

 

敷地内をキョロキョロしているうちに、ちまきとコーヒーが運ばれてきた。

 

優雅なカフェタイム1

このアルマイト製と思われるトレーは、学校給食をイメージしているものかな?楽校なだけに。

かわいい。

ちまきはゴロッと大きく、少し大ぶりなおにぎりと同じくらいのボリュームがありそうだ。

 

優雅なカフェタイム2

いい絵だ。これが僕の視界だ。

ほんわかしたBGMが流れるこの最高のロケーションで、僕はちまき食べる。

 

優雅なカフェタイム3

ちまきオープン!

いや、ゴメン。わかりづらいし共感を得られにくい構図となってしまった。

 

ちまきにわりとモイスチャーで、ねちゃ~って感じで竹の葉に半分くらいくっついてた。

綺麗に剥がすのは結構なテクニックが必要そうだ。

 

しかし、それをちまちま剥がしながら食べるのもいいざゃないか。

時間はたっぷりあるのだ。

そしてもちもちでうまい。僕はもち米が好きなのだ。

 

さらにこの茶色いご飯、何のダシなのか味オンチでよくわからないが、このご飯部分だけでも一生食べ続けることができるくらいにいい味だ。

ゴロッとした角煮も出てきた。柔らかい。旨味が口中に広がる。

 

優雅なカフェタイム4

コーヒーもうまい。

近くに湧水があるらしく、その名水を使っているとのことだ。

マチュピチュの豆を自家焙煎しているのだと、公式Webにも書いてあった。

 

最高だな。

ちまき1つだが、なかなかに満腹になったし大満足だ。

 

どうやらオーナーさんはTV番組の料理レシピを担当していたり、音楽活動でTVに出たこともある人。なるほどなセンス。

 

 

ちょっといい気分になった僕は、このお店で動画撮影をしている。

ほんの7秒ほどの動画なので、少しでも雰囲気を味わってほしい。

この【週末大冒険】で初めての動画掲載だ。

 

ひとしきりダラダラしたあと、ふと「家にもお土産として買って行こうかな」って思い立った。

入口に「テイクアウトできます」というプレートがあったのを思い出したのだ。

 

お土産1

さっき角煮のちまきを食べたので、他の種類をお土産みしようかと思った。

しかしお持ち帰り用は角煮だけであり、個数も固定されていて最小3つだった。

 

まぁいっか。

角煮ちまき3つセットを購入する。

また同じのを食べることになるが、一度味わって間違いないことは知っている。

保冷剤付きの保冷バッグでもらった。丁寧に持って帰ろう。

 

お土産2

秩父の山奥、天空の楽校。

 

厳しい環境の地ではあるが、この春~秋にかけての晴れた日はとても心地良いだろう。

こんな日に来れて良かった。

あなたも機会があればそんな日に訪問してもらいたいと願い、初夏での執筆とした。

 

お土産3

ここにはBBQエリアやイベントステージもある。

僕が訪れたのは2021年である昨シーズンではあるが、その後もいろいろと楽しめる要素を増やしていっている模様だ。

 

リピートするっきゃないかもな、これ。

ちまき以外のメニューも気になるしな。

 

お土産4

-*-*-*-*-*-*-*-

 

お土産のちまきは、後日水をふきかえてラップして、様子を見ながら電子レンジで温めた。

ちゃんと温め方法を書いたチラシを同封してくれていたので、その通りにやったのだ。

 

お土産5

お土産6

天空の地で食べた味がよみがえった。

これで僕はもう少し、平日の退屈な日常を頑張ることができる。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 天空の楽校
  • 住所: 埼玉県秩父郡皆野町上日野沢652
  • 料金: 角煮ちまき¥430他
  • 駐車場: 店の敷地前に数台分あり
  • 時間: 月~金 … 11:00~17:00 土・日・祝 … 10:00~18:00  ※12月中旬~3月中旬は冬季休業

 

No.199【広島県】創業100年近い老舗酒店!その店頭に麺類レトロ自販機があるぞ!食う!!

昭和と呼ばれていた時代、トラックドライバーや旅行者の心身を温めていた食品自販機があった。

コンビニも無い時代、それらはとても重宝されたという…。

 

そんなセピア色の思い出が、令和の現代においても少しだけ残っている。

人はそれを"レトロ自販機"と呼ぶ。

 

もう全国に数10店舗しか残っていないレトロ自販機の保有店。

広島県には2022年現在で2店舗が存在している。

 

行かねばならない。

全国のレトロ自販機を大体網羅しつつある僕は、その「福原酒店」というお店を訪問したことが無かったのだ。

 

 

徐々に傾く太陽を気にしながら、僕は必死に福原酒店を目指す。

このお店に立ち寄るためだけに走る距離、約150㎞

 

…最高だぜ。

夢を叶えるのに遠回りなんて無いんだ。

ただただ突き進めよ、旅人!

 

 

レトロブームは盛り上がる

 

中国地方の内陸部に、その目指すお店はある。

 

 

ほとんどの人類には関係のない悩みだと思うが、中国地方を海沿いに一周しようと企んでいる人間にとっては悩ましい立地なのである。

 

僕は四国を走り終えて瀬戸内海を渡り、中国地方にやってきたところだ。

その足ですぐに福原酒店に行くべきか、それともグルーッと西側の海岸線を走って来た後に日本海から内陸に切り込んで福原酒店に行くべきか。

どちらもイバラの道ではある。

 

日本地図ベースで確認できるようなビッグスケールの悩みを抱えた僕は、四国から中国地方に向かって走りながらうんうん考え、そして結論を出した。

 

今日やれることは今日やろう。

旅の日程はどんどん少なくなり、そしてスタミナも少なくなってくる。

チャンスは逃すなよ、ってことだ。

 

遥かなる三次市1

瀬戸内海から、いや正確に言うと四国の愛媛県今治市からノンストップで一気に走ってやって来た、三次(みよし)市だ。初見では読めない町。

僕にとってもちょっと懐かしい町。久々に来たぜ。

 

時刻は間もなく17:00。

内心かなり不安になっている。

 

なぜならば、夕方ともなるともうレトロ自販機の麺類が売り切れてしまっている可能性があるからだ。

 

別店舗(中古タイヤ市場相模原店)

近年はレトロブームだ。

しかもレトロ自販機ににわかに脚光が当たっている。

 

2017年頃だったろうか、神奈川県の「中古タイヤ市場相模原店」がレトロ自販機を設置し始め、「ふーんそっかぁ」なって思っているうちにメディアにドバドバ取り上げられたのがブームのきっかけではないかと勝手に思っている。

 

別店舗(丸美屋自販機コーナー)

ここ2・3年ではずいぶん多くのレトロ自販機店がTVに取り上げられるようになったと感じている。

そりゃTV放送後はしばらくお客さんが殺到する。

めちゃ行列ができている、なんて情報をSNSでよく目にする。

 

ましてや、今はゴールデンウィークなのだ。

観光客はこぞってレトロ自販機に集まるだろう。うん、この僕もだ。

 

別店舗(ドライブイン_ダルマ)

瀬戸内海から70kmほどかけて、この三次市に来ている。

このあとまた瀬戸内海まで70㎞ほどを戻る。

 

それもすべて福原酒店に行くためなのだが、これで麺類売り切れだったらどうしようか。

もう盛大に笑ってメンタルをリカバリしないといけないよな。

 

遥かなる三次市2

さぁ、到着したようだ。

すごくのどかな田園、そしてなだらかな山々が連なっている。

こんなロケ―ションでレトロ自販機の麺類食べれたら、「最高」以外の感想が出て来そうにない。

 

…という思考ができるの余裕は1秒だ。

自販機はどこだ!自販機は動いているのか!麺類は残っているのか!

まず僕の興味はそれだけだ。

 

僕の生存本能が今、麺類を嗅ぎわける!!

 

遥かなる三次市3

 

 

ふつうのうどん、されど特別なうどん

 

まぁ大げさなことを書いたけど、普通に店舗の脇にレトロ麺類自販機はあった。

店舗も、そしてかなり古いはずの自販機もピカピカで綺麗だった。

 

自販機うどん1

さぁさぁ、在庫はあるのか?

Dead or Alive??

はやる気持ちを抑えながら、僕は自販機に近づく。

 

自販機うどん2

西日でよく見えないんだけどさ、2種類あるメニューのうちで売り切れランプがついているのは1つだけだった。

 

つまり僕はここで食にありつくことができる。

今日一番のガッツポーズが出た瞬間である。

僕の旅路は、意味のあるものだったのだと。

 

自販機うどん3

メニューは2種類だ。

「ふつうのそば」と「ふつうのうどん」。

 

ふつうって、なんだろな。

小さい頃、父親に物事を尋ねられて、「いや、普通の〇〇なんだけどさ」と答えると、「普通とはどういうことだ!具体的に言え!」とすんごい怒られた。

誠にメンドくさい人種である。

 

いいじゃん、普通。

人それぞれに普通ってのがあるんだろうけど、その人の普通が何なのか、その価値観を知ることができるじゃないか。

 

さて、正直そばを食べたかったが売り切れだった。

うどんは実は昨日まで四国で散々食べたのだ。

だけども神は僕に言うのだ。「この旅はしっかりうどんを堪能しなさい」と。

 

自販機うどん4

400円を入れ、ボタンを押すとニキシー管のメーターのカウントダウンが始まり、20秒ほどで取り出し口からアツアツのうどんが出てくる。

 

そこいらの工程は写真に撮っていないので、まぁあなたはイートインスペースの写真でも眺めておいてほしい。

自販機のすぐ隣にある半屋外的なスペースであり、居心地良さそうだ。

 

自販機うどん5

そしてこれが出来上がった"ふつうのうどん"だ。

「ヤベー、普通だ!!」って内心思った。

 

容器内の全てをまんべんなく占領する白い魔物、うどん。

…以上。

まぁチラッと緑の小ネギが見えているはいるが、それはバグなんじゃないかってくらいのささやかな物量である。

 

圧倒的な素うどん。かけうどん。

…って思って食べようとしたら、違和感に気付いた。

 

自販機うどん6

はい、デッカいヤツをサルベージしましたー。みんな大好き天ぷらですー。

フワフワの布団のようなヤツだ。今夜はこれを掛けて寝たい。

 

自販機うどん7

そして、オイこれとろろ昆布じゃねーか。

僕の知る限り、関西より東のレトロ自販機でとろろ昆布が入っているお店は1つも無い。

中国地方にわずかに存在するだけの、SSランクのレアアイテムだぞ。

 

自販機うどん8

緑の至宝、しかといただいたぜ。

 

なお、ここのうどんは400円とレトロ自販機にしては少々お高め設定だ。

しかし、まずはダシがとてもおいしい。

一口飲むと、長距離走行で疲れた体に優しく染み渡るようなダシだった。

 

さらに麺はしっかりと弾力があってもちもちで、かなりボリュームも多い。

自販機だと思ってナメるなよ。

これ、立派なグルメなんだぜ。

 

自販機うどん9

最後にゴメン、存在に気付かなかったけども、カマボコもあったぜ!

沈殿した天ぷらの衣の中から救い上げた。

 

うまかった!

"ふつうのうどん"とのことだが、具も麺も普通じゃないし。

何より僕の思い出の中では普通ではなくって"特別"だ。

 

 

福原酒店へのコンタクト

 

旅を終えた僕は思い返す。

必死に訪問して、ひたすらズルズルうどんをすすって、そのあと暗くなる前に瀬戸内海の呉市に行かねばならなかったので、嵐のように退散した。

 

だけども福原酒店について、もっと知りたいことがいっぱいあった。

もっとゆっくり見るべきであった。視野が狭すぎた。

 

福原酒店1

だから福原酒店さんに遠隔取材した。

 

福原酒店は、なんと創業1928年だ。

昭和の中でも初期の初期、もうすぐ100年にもなる超老舗。

 

だから「職人気質なガンコなおやっさんだったらどうしよう…」って思って僕の方も相当に身構えて連絡をしたのだが、若き店主さんが丁寧かつフレンドリーに受け答えしてくれたので、とてもハッピーな気持ちになった。

 

福原酒店2

ここの自販機は、現店主さんのおじいさんが最初に始めたとのことだ。

30代の店主さんが産まれる前からあったとのことだ。

この富士電気製の麺類自販機は40年以上前には製造が終わっているので、それも納得だ。

 

福原酒店3

お店の前は国道54号なんだけどさ、昔は中国自動車道も無かったからここが交通の要所だったようだ。

そんな道行く人のために酒屋のおじいさんが設置したのが始まりだ。

 

なるほど、「なんで酒屋さんに麺類自販機があるんだろう?」って思ったが、国道を走る人へのオアシス的なスポットとして設置してくれたのだね。

 

福原酒店4

ちなみに夏は30杯、冬は70杯ほども売れるのだそうだ。

冬は暖かい麺類だよね、やっぱ。

 

ただし、レトロ自販機保有店はどこもそうだけども、メンテナンスも仕込みもかなり稼働かかるし、お金もかかる。

維持には相当なご苦労をされているそうだ。

 

うーむ、体調崩さないように続けてほしい。

この自販機無くなったら日本中のマニアが泣くもんな。

 

福原酒店3

ちなみに酒屋のほうの店舗だ。バリバリに綺麗だ。

どうやら2017年頃に大幅リニューアルしたらしい。

お酒好きなのに、店内を見るだけの時間の余裕も心の余裕もなくって今は後悔している。

 

僕がかつてWebで見て思いを馳せていた福原酒店は、もっと年季の入った建物だった。

あれはあれで味があって良かった。

ちょっとそのときの店舗も僕のブログを通じてあなたにお見せしたい。

そう思って店主さんにお願いし、過去の店舗の外観画像をご提供いただいた。ありがたい。

 

福原酒店_いただき画像

左下に麺類自販機があるのがおわかりだろうか。

その左側にちょこんとイートインスペースがある。

あそこでも食べてみたかったね。

 

老舗酒店と、レトロな自販機。

今後も永らく、幸あれ。

 

最後に店主さんからあなたへのメッセージだ。

 

いつもありがとうございます!売り切れが多くて申し訳ないです…。

値上がりしてお客様にご迷惑おかけしておりますが、御理解の程よろしくお願いします🙇‍♀️

壊れるまで頑張りまーーす !

 

この度はお忙しいところの取材対応、誠にありがとうざいました!!

(壊れないことを願っています)

 

 

あの日の僕は、うどんに満足した後に、夕方の少し涼しくなった風を車内に取り入れながら、一路瀬戸内海に向かう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 福原酒店
  • 住所: 広島県三次市秋町977-1
  • 料金: ふつうのうどん¥400(2022年5月現在)
  • 駐車場: あり
  • 時間: 自販機は24時間

 

No.198【山梨県】多摩川は山奥の洞穴の一滴の水から始まる!見に行こうぜ、最初の一滴!!

多摩川」。

東京都と神奈川県の県境を作る、大きな川である。

首都圏を代表する一級河川の1つといえるだろう。

 

東京・神奈川界隈の方は、多摩川といえば河川敷でのBBQっていうイメージだったりするかもしれない。

多摩川下流域である都市部の河川敷は、暖かい季節はいつだって人で賑わっていた。

 

 

僕も幾度となくここでBBQをしたことがある。

ただ、手元で多摩川の写真を探そうとしたが、風景のものばかりで川はあまり映っていなかった。

探せば川をメインとした写真もあるような気もするが、O型はメンドウなことが嫌いなので早々に諦める。

 

 

さて、今回は肉…じゃなかった、多摩川の源流のお話をしたい。

(肉食べたいね)

 

東京都多摩市・川崎市多摩区多摩動物園多摩丘陵奥多摩…。

数多くのスポットにその名を刻む多摩川の源流って、いったいどんななのだろうか?

 

調べてみると山梨県の「笠取山」での一滴の水のしたたりから始まっているそうなのだ。

なんというロマンあふれる情報だ。

行くしかないだろ。

 

目指せ笠取山

とある年の5月、僕は笠取山に単独で向かう。

たった一滴の水を求めに。

 

 

多摩川沿いの登山

 

まずは笠取山の大体の位置を把握しておいてほしい。

僕は今、この笠取山の登山口に来ている。

今回はガッツリ登山企画だ。

 

 

なお、もう5月なのだが山間部なので木々に緑は無く、とても寒い。

Tシャツ姿の僕は少し後悔している。

(カバンの中に長袖の上着はあるが)

 

8:30 作場平橋駐車場

 

20台くらい停まれそうな駐車スペース。半分くらい埋まっている。

 

登山序盤1

この駐車場のほぼ対面は笠取山登山口だ。

ここの標高は1312m。目指す多摩川源流点は1865m。

 

ちなみに多摩川の源流近くは正式には「一之瀬川」というのだけれども、ここではレポートの趣旨的にも多摩川という呼称で統一させていただく。

 

登山序盤2

すぐ脇にはチョロチョロとした小さな水流が。

あれ、もしかしてあなた多摩川さん!?多摩川さんですよね!!

あの力強い大河も、ここではこんなにも幼いのだ。ほっこりする。

 

登山序盤3

そして今回のルートをご紹介する。

今回目指すのは「水干(みずひ)」っていうスポット。上の地図の一番上だ。

 

どうやら"沢の行き止まり"という意味なんだって。

そこからここから多摩川最初の一滴が染み出すそうなのだ。…運が良ければ。

その水干まで、赤く囲ったスポットを経由しながら登山をする。

 

登山序盤4

距離は5.2km。標高差は553m。

所用時間は上の看板によると2時間20分となるそうだ。

では、行こう。

 

登山序盤5

寒ーい。なんか寒ーい。

歩いて暖まるっきゃない。サクサク行こう。

 

さて、今回僕が多摩川源流点に興味を持ったのは、源流点が水流でも湧水でもなく、「一滴の水」だからだ。

僕もここに至るまでに「四万十川」だとか「最上川」だとか、その地方を代表する川の源流点はいくつか見てきた。

だけども最初の一滴が見れるってところはちょっと他に知らない。興味アリアリ。

 

登山序盤6

しかしだ。

僕がアプローチした当時の話ではあるが、Web上で検索してみても、この最初の一滴の写真撮影に成功した人がすごく少ないのだ。

辿り着いても滴っていなかったり、滴っていてもうまく写真に撮影できなかったり、し
ょうがないからすごい引きで人物と一緒に撮影していたり、源流点の碑だけ撮影していたり…。

 

Yahooの画像検索をしても2・3件しかちゃんとまともに水滴の画像が出て来なかった。

しかも個人サイトとなると、ほぼ皆無。

ならば僕が個人的にデカデカと撮影してやるよ、ってな流れ。

 

登山序盤7

しばらくは木立の中の平坦な道。

左手には多摩川のせせらぎが見えていて、いたって平和。

ちなみに看板とかの記載内容は物騒だ。

熊は出るわ狩猟事故は起こるわで、西部開拓時代みたいに全然平和じゃない。

 

2組ほど、他の登山者を発見した。

ちゃんとレインウェアと大型ザックの装備。しかも熊除けのスズを付けてた。

ヤベッ、僕は場違いな格好をしていますか?Tシャツ、ダメですか?

 

登山序盤8

10分ほど歩くと、多摩川を渡るポイントが出てきた。…って言っても木の橋。

多摩川さんはチョロチョロですよ。

 

河口付近だと川も橋もものすごい大規模なのにね。

河口付近の多摩川には到底太刀打ちできないけど、このレベルの多摩川ならケンカで勝てるかもしれない。

 

登山序盤9

水はとても澄んでいて綺麗だ。

 

 

ミズナラ林の急坂

 

8:54 一休坂分岐

 

1.1km歩いた。ここで悩ましい分岐が登場した。運命の分かれ道だ。

 

登山中盤1

『一休坂(急登)を経て水干 3.6km

『ヤブ沢を経て水干 4.1km

 

登山中盤2

…どうします?たぶん最初のコース表を見るに、一般的には後者みたいだ。

僕は頭が悪いから、短い方を選ぶよ。

距離が短い方がお得感がありますもんね。

 

登山中盤3

うぐぉ…。勾配キツいな。そんで直射日光もキツいし周りに誰もいないし。

汗かいてきたです。展望イマイチであまり面白くはないです。

 

9:01 馬止分岐

 

数分歩いて、次の分岐が出てきた。

ヤブ沢方面に戻りたい人用の分岐。これが馬止分岐だろうかね?

 

登山中盤4

最初のMAP看板の説明では、ここから先は『ミズナラ林の急坂』って書いてあった。

これを乗り越えれば40分ほどで「笠取小屋」まで行けるらしい。

よーし、心を無にして登りまくってやるぜ!

 

登山中盤5

はい、20分ほど一心不乱に登った。

ちょっと周辺の雰囲気が変わってきた。

さっきまではカサカサの道で辺りが開けていたんだけど、鬱蒼としたジメジメした道
になった。

 

登山中盤6

横には多摩川が流れている。

小さい橋で何度も跨ぐルートだ。

川沿いの道は楽しいね。

川に手を突っ込んでみたら、とびきり冷たいのな。ウヒャヒャ、楽しい。

 

登山中盤7

そして間もなく登山路はまた急坂になる。

今度は石がゴロゴロした、登りにくい急坂。

 

横の多摩川もえらいチョロチョロした流れになっちゃってる。

もう、頑張れば堰き止められちゃうくらいの規模。

 

登山中盤8

この水をもし今僕が堰き止めちゃったら、下流の人、困るかな?

BBQしている人たちが「あれ?川から水がなくなったぞ?」とか言い出すかな?

…うん、そんなことない。

 

登山中盤9

しかし源流は近いぞ。

急坂をバリバリ登っていると、上の方が開けてきた。

あ、ついに「笠取小屋」に到着ですかね?

人工物だ、うれしー!

 

 

小さな分水嶺


9:39 笠取小屋

 

登山開始からちょうど1時間くらいで到着だ。

最初に撮影したMAP看板には所要時間は1時間50分って書いてあったから、およそ倍のスピードで到着できたね。

 

登山終盤1

小屋の煙突からはモクモクと煙が出てて、その前でオーナーさんと思わしき人が薪
割りしていた。

のどかな光景ですなー。


てゆーか、軽トラが停まっているんですけど!?

バカな。どこに車が通れるような道があったのだよ?

山小屋のオーナーさんしか知らない秘密の道かな?

いずれにしても一般人は使えないよね?

 

登山終盤2

ここの小屋ではトイレを借りることができた。

水干まではあと1.5km。

なんだかここから先はなだらかな気がするし、モチベーション上がるぞー!

 

登山終盤3

小屋の裏から階段をテクテクと10分ほど登る。

木々もほとんどなく、空が広がっている。

ここまでの景色の中で一番開けているな。青空が綺麗で最高に気持ちがいい。

 

登山終盤4

水干までは、あとわずか1kmだ。

あとちょっと。ワクワクしてきた。

 

最初の一滴、見られるといいなー。実は昨日は最近にしては珍しく、1日中シトシト雨だったのだ。

内心期待はしている。

 

登山終盤5

出てきたのは「小さな分水嶺」の標識。

どうやら前方の小高い丘を指し示しているみたい。

分水嶺ー!興味ある!立ってみたいなー!早速丘を駆け上がる。

 

登山終盤6

 

9:51 小さな分水嶺

 

分水嶺には石の杭が打ち付けられていた。

ちょっとわかりづらいけど写真をご紹介しよう。

 

登山終盤7

左には「荒川」、右には「富士川」と書かれている。

この杭を境に、降った水はこの2つの水域に分岐する…。

…のではない!

石碑は三角柱だ。もう1つの面がある。

 

登山終盤8

忘れちゃいけない、多摩川だ。

多摩川・荒川・富士川。3つの大河に分かれるのだ。

 

おぉ…!!

想像以上のスケールだった!いい意味で裏切られた!

 

登山終盤9

確かに分水嶺と言えば普通は太平洋と日本海…みたいな規模の物なんだろうけど、この規模でもすごいと思うよ。

関東圏を代表する川だもんね、3つとも。

 

気分がいいから数分間丘の上に突っ立って風に吹かれていました。

…寒い。凍える。

 

登山終盤10

いよいよ笠取山の山頂部分が見えてきた。

ピラミッドのような綺麗な三角形。

これが笠に見えることが名前の由来らしいよ。

 

肉眼では山頂に向かってよじ登る人々が見えている。

…僕は登らないけどね。

今回は登山しに来たんじゃないのです。一滴の水を見に来たんです。

だから山頂が近かろうと、目的以上の疲労することはしないのだ。

 

さぁ、「水干」まではあと500m!もう一息!

そしてもう登りは無いそうなので楽勝よ!

 

 

多摩川最初の一滴

 

「水干」まであと200mのところで、「多摩川最初の流れ」への分岐が登場する。

 

最初の一滴1

しかしこっちに行っちゃダメ。

僕が求めているのは、流れではなくて水滴ね。

流れはそのあと行くから、もうちょっと待っててほしい。

 

最初の一滴2

少し進むと、登山路に綺麗なテーブルとベンチが登場する。

その時点ではまだ見えていないのだが、10mほどさらに進めばすぐ先の山の斜面に一本の杭が立っているのが見えてくる。

そこが水干だ。

 

最初の一滴3

上の写真の、左にある杭のようなところが水干ね。

ここが多摩川の源流オブ源流だ。

歩き始めて1時間半ほどで到達した。

パッと見、なんの変哲もない登山路の途中の地点だけど、ここが今日の僕の目的地なのだ。

 

10:05 水干

 

最初の一滴4

杭には多摩川の源頭 東京湾まで138km』って書いてある。

お、源頭って表現、初めて見たわ。

その後ろ側が多摩川の生まれるポイントだ。

 

さぁて多摩川

多摩川の最初の一滴は誕生しているのか!?

水干の岩場の洞穴の穴に首を突っ込んで確認する。

 

最初の一滴5

洞穴には水が溜まっている。

直径数10㎝ほどの水たまり。

各Webサイトで写真を見たことがある。

雨の少ないシーズンでもこれは存在しているみたいなので全く驚きはない。

 

最初の一滴6

穴の中の岩肌は湿っている。

頭上の岩肌も濡れている。触ってみたけど、うん、確かに水が染み出している。

問題は、水滴だ。…無い。

こんなに湿っているのに、水滴にはなっていない。

 

あれー…、昨日の雨量が足りなかったのか?

「異常気象でここ数年は見られない」とか、近年流行りのそういうパターンか?

 

最初の一滴7

どうしようね。

せっかくここまで来たのに、最大にして唯一の目的である多摩川最初の一滴が見れなかったらこのエピソードはお蔵入りか?

 

実はこの4日前に、「辰野ゼロポイント」という長野県のスポットを捜索しに行って空振りしている僕は、ちょっと落ち込んだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

辰野ゼロポイントを知りたい方は、上記リンクから飛んでほしい。

ちなみにこの数日後、僕は辰野ゼロポイントを再捜索してちゃんと到達している。

 

閑話休題

水干内部をくまなく観察する。

常に滴り落ちていなくてもいい。水滴スポットを発見できれば、何10分だろうと滴り
落ちるまで待機してやるよ。

そんな覚悟で探したら、洞穴の天井部分にそれっぽいところがあったた。

 

10分くらい待ったら水滴になるかな?それまで休憩してよう。

持ってきたパンを食べたり景色を見ながら、しばし待機した。

 

最初の一滴8

10分経過した。

では、そろそろ穴の中を覗いてみましょかね。

ヘンテコな体勢なのでヒザを付かなきゃいけないし、そうすると洞穴内部は湿っているので服とか汚れるんだけど、もういいや。

一滴の水滴に全てを捧げるっすよ、僕。

 

 

そして、ついに ―――

 

 

最初の一滴9

 

HAPPY BIRTHDAY、 多摩川ーー!!

 

 

生まれたよー、今、あの壮大な多摩川の最初の一滴が生まれたよー!!

おぉー、感動した!

 

最初の一滴10

ほとんどWeb上に公開されていない多摩川最初の一滴。

自分の目で見て、さらにカメラに収めることができたのだ。

 

最初の一滴11

多摩川は今、僕の前でプルプルと儚げに揺れている。

守ってあげないと1人では何もできないような、弱い存在だ。

 

それが今、ポトンと落ちた。

僕は思わず手を差し伸べた。

 

最初の一滴12

多摩川キャッチ!

なんか嬉しい。

 

さらに慎重に見渡すと、岩場の天井の苔を伝って数10秒間隔で滴り落ちている水
滴も発見。

やった!2つ目の水滴ポイント、見つけた!

最初の一滴13

それはまるで、1つの小宇宙のようだった。

だが確かに、この多摩川がどんどん大きくなり、下流に行くにつれて、多くの動物や魚が育ち、そして僕ら人間もその恩恵にあやかるのだ。

まさに1つの世界。

 

最初の一滴14

ボロボロのコンパクトカメラで2cmくらいまで接写してみた。

美しい…、そのひとことだ。

 

多摩川はこんなところで一滴一滴、ドモホルンリンクルみたいに丁寧に抽出されているんだぜ。

河川敷でBBQしてゴミをそのまま捨てて帰る連中にこれを見せてやりたい。

 

最初の一滴15

 

多摩川最初の流れ


じゃあ、ついでに多摩川最初の流れに行こうか。

水干で誕生した水は一旦また地面に吸い込まれる。

そして再び地表に登場するのが"多摩川最初の流れ"なのだ。

 

水干から200mほど、かなり急な山道を下りる。

 

最初の流れ1

10:27 多摩川最初の流れ


はい、到着した。

ホントにチョロチョロだ。

ここ多摩川は、初めて「川」と呼べる状態になるのだな。

握手握手。多摩川と握手。

 

最初の流れ2

そして記念に水を汲んでいこう。

煮沸すれば飲めるよな?家に帰ってからコーヒーでも淹れよう。

(無事、お腹壊したりはしませんでした)

 

最初の流れ3

はい、多摩川お持ち帰りだ。

なんか子犬や子猫をペットショップで買って家に連れて帰るときのようなワクワク感がある。

まぁ僕はペット飼ったことないけど、たぶんこういう気持ちだと思うのだ。

 

最初の流れ4

水干方面を見上げてみよう。

ここ、"多摩川最初の流れ"の真上に水干があるのだ。

上の写真だとほとんどわからないと思うけど、中央やや右寄りに登山路を支える石垣が見えていて、その奥が水干なんだ。

 

最初の流れ5

そして川は笠取山を下り、冒頭で説明した通り東京湾まで138㎞の旅をする。

 

…あなたは考えたことがあるだろうか?

日頃眺めている川の源流のことを。

身近に感じていた川も、その源流は装いも全然違っていて、未だ知らない世界を見れるかもしれない。

それを追いかけてみるのもロマンではなかろうか。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 水干
  • 住所:  山梨県甲州市塩山一ノ瀬高橋
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし(作場平橋駐車場から徒歩2時間20分)
  • 時間: 特になし

 

No.197【岐阜県】忘れ去られしあの地の今は…?朽ちゆく2005年の人口重心の記念碑を偲ぶ!

よしっ、今回はね、Web上でほとんど情報が出て来ないスポットをご紹介する。

 

ただし、Web情報が無いからすごく価値があるというわけではない。

むしろみんなが忘れ去ってしまったからWebにも無い、という残念な方向で考えてくれても構わない。

なんだったら、ここ10年近くこのスポットを訪れた人の話をWebで見たことすらない。

 

さてさて、「そんなスポットを紹介して何になるんだ」と、会場を充分に不安にさせたところでスポット名をお伝えしよう。

 

 

人口重心地点(2005年版)」!!

 

 

 

…はい、わかっちゃった!!

画面を見るあなたの表情が1ミリも変化しないの、わかっちゃった!!

 

でもご紹介する!

反響ゼロを承知で執筆できるのが趣味ブロガーの強みであり、自由の国アメリカで幼少期を過ごした僕の胆力なのだから!

 

 

日本の人口重心地とは

 

まずは、今回の僕の目的である人口重心地について説明したい。

いきなり本題に入ってしまったら、あなたも「( ゚д゚) ポカーン」となりかねないからだ。

 

前提だが、僕は数多ある日本の中心を巡る旅をしていた。

「は?日本の中心ってたくさんあるのかよ?意味わかんね」と思われるかもしれない。

でも、事実としてたくさんあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

 

さて、日本の中心の1つの概念が、人口重心地だ。

もう少し噛み砕いて言うと、「日本人全員の体重がピタッと吊り合いの取れる点」ってことだ。

 

 

もちろん、1人1人の体重なんてデータベース化できないから、日本人が全員同じ体重だと仮定しての計算となる。

そして、「日本人全員、静止しろ」とか言えないから、住民票のある地にいると仮定しての計算だ。

 

 

こんな感じの数式となる。

あー、はいはいなるほどねー、そう来たかー。

…1ミクロンもわからない。

 

なんにせよ、日本の中心って言うと普通は地理的な要素を思い浮かべてしまうが、完全に"国民"にフォーカスした、面白い日本の中心の概念である。

 

ただ、この概念には1つだけ注意しないといけないことがある。

国民の人口も居住地もどんどん変わっていく、ということだ。

 

だから改めて上の図を見てほしい。

僕は「日本人口重心地点2005」と表記した。西暦2005年に算出した地点だ。

5年に1度の国勢調査人口重心地が算出されているんだけどさ、その2005年版だ。

もちろんその前の回の2000年版も、さらに前の1995年版もあるのだが、今回のご紹介は2005年版なのだ。

 

 

山間部で路頭に迷う

 

…はい、とまぁここまでが冒頭なワケだ。

 

重心地はどこだ11

数少ない熱心な読者様は、前項が以下「日本人口重心地点2000」ととほぼ同一の文章であることにお気づきになったかもしれない。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

しょうがない。

マジに語りたいことは大体同じだし、イチから文章をひねり出すなんてメンドくさいだろ。時代はコピペ。

 

ここからの冒頭のストーリーも、今しがた引用した"2000"とほぼ一緒だ。

これもしょうがない。だって同時攻略したんだもの。

 

"2000""2005"を一緒に捜索したがために混乱し、"2000"に行くつもりが"2005"に辿り着いてしまったりと、わけのわからんタイムトラベルしていたんだもの。

それもそのはず、これらの人口重心地は比較的近い場所にあるのだ。

 

 

前述の通り、5年に一度行われる国勢調査人口重心地は上記のように推移している。

 

わかりやすく言えば、「どんどん東京に近づいている」ということだ。

どういうことかというと、地方の人たちが「東京(あるいはその均衡)に住みたい」って熱望している比率が増えている。

だから東京近辺の人口がどんどん増える。

結論、人口の重心は東京寄りになる…というシナリオ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

上記にて「水晶山」の激坂をゲロ吐きそうになりながら這い上がり、"2000"を攻略したのだが、今回はその少し南東にある"2005"に向かっている。

 

"2000"は山の中だったが、"2005"は集落内と聞いている。

それだけでも、とてもありがたい。

水晶山の隣の山をまた登れ、とか言われたら僕は死にますゆえ。

 

重心地はどこだ2

「道の駅 平成」に辿り着いた。

人口重心の町っていう看板がデカデカと掲示されていた。

 

しかし目的地はここではない。

"人口重心の町"に辿り着くのがゴールではなく、まさに人口重心のピンポイント、正確に言えば人口重心を示す碑の前に立ちたいのだ。

 

ただ、ここに来るまでも随分迷っていた。

ちょっと疲れていた。もう諦めようかな…という弱い心も見え隠れしていた。

 

そしたら道の駅の前の道路に標識があった。

「←人口重心地」って書いてあった。

 

重心地はどこだ3

これは別の場所で撮影したものだが、イメージ写真として掲載しておく。

 

残念ながら、その矢印が示す方向は、僕が今走ってきた方向だった。

戻れと。そういうことだ。

そうか、案内標識は道路の片方にしかなかったんだ。

僕は険しい峠道を越えて来たので、普通のアプローチルートとは反対側。

だから標識も全然なかったのか。

 

「チクショウ…」と呟きつつ、僕はUターンした。

 

途中で、ポツンと存在していた集落内にある、かなりローカルな風貌のガソリンスタンドで給油をした。

ガソリンスタンドのおじさんに「人口重心がなかなか見つからなかったんですよ。」とグチった。

そしたら手書きで詳細な地図を描いてくれた。

ありがとう、心強いぜ。

 

 

走っているのは県道325号。

なかなかの狭さの峠道を行く県道だ。

 

ま、ついさっきここを山の向こうからやって来たんだけどな。

また戻されてしまっている次第。

この県道沿いに人口重心2005があったのだが、おそらく看板は"こっち側"を向いているものしかなく、向こうから来た僕は全然気づかなかったのだ。

 

重心地はどこだ4

「これより雁曽礼」の看板。"がんそれ"と読むらしい。

その下に人口重心地を示す立て札がある。左を指している。

裏側にはこの看板は無いので、道の駅平成側から来ないと僕のようにスルーしてしまう危険性がある。

 

でも、おめでとう。

ここまでくればもうあと一息だ。

 

文字通り人口重心地は左なんだけど、写真にチラッと写っている車がその道をふさいでしまっている。

しかしここから先はかなりの狭さと傾斜。

むしろここから自分の足で歩くのが無難と判断した。

 

 

激坂の先の人口重心

 

周囲をキョロキョロすると、近所の人と思わしきおばさんがいる。

道端に愛車を停め、おばさんに「すいません、ちょっと車を停めさせてもらっていいですか?」と聞いてみた。

快く了承してくれた。

 

激坂歩け1

数10m歩いたところに2台ほどが駐車できる駐車場があった。

だけども、さっきの道をふさいでいる車がいなかったとしても、そこまでは入っていきたくないようなロケーションだった。

 

この道の先に人口重心がある。

なかなかの傾斜の登り坂だ。既にゼーハー言って呼吸が上がっているぜ。

 

激坂歩け2

 

数分歩くと、ハンパない傾斜の山道になった。

写真では表現しきれないけど、なんだこの傾斜。

 

そして滑る!!

朝露で滑り落ちるほどの傾斜!

危険!!


ヒーヒー言っていると、頭上にようやく人口重心を示す碑が見えてきた。

汗だくだー。

11月の朝8時の山間部、かなり外気は涼しいのにもう汗だくだ。

ふくらはぎはパンパンだ。

 

激坂歩け3

これが2005年の日本人口重心地を示す碑だ!

 

まずはこの碑の写真を目に焼き付けておいてほしい。

Web上にもほとんど無いものだからな。

そして、たぶんあなたはここに行くことは無いだろうし、行ったところでこれと同じものは見られないだろうからな。

 

激坂歩け4

あまりお金をかけたようには見えないが、ツヤツヤピカピカの3本の丸太である。

中央の丸太に「日本人口重心地点_関市」と達筆な文字で書かれている。

左右の丸太に刻まれたマークは、どちらも関市を表すものだな。

 

ここが人口重心と判明したのは2005年だが、この碑が建てられたのは2007年だそうだ。

そしてこの、僕による初回訪問はその翌年のことであった。

従い、まだピカピカである。

 

ずるずるに滑る坂道をおそるおそる下り、また愛車のもとへと帰ってきた。

さっきとは違う近所のおばちゃんが、僕の車のナンバーを見てビックリしていた。

このときの僕の車のナンバーは、首都圏のものだったからな。遥か彼方。


おばちゃんは昔、僕の住む町にに勤めていたことがあるそうだ。

話が盛り上がった。

旅のいい思い出になった。

 

 

朽ちゆくコンテンツ

 

数年が経過したころ、僕は再びここを訪れた。

険しい峠を下り、集落へと入った。

うん、僕はここの雁曽礼の景色を知っている。記憶に焼き付いている。

 

しばらく走ったところで、「はいここー!!」と車を停めて後ろを振り返った。

 

ロストワールド1

はい、バッチリだ。まさにここだ。

向こう側からは見えない看板なのだが、僕はちゃんとこの場所を記憶しており、車を停めることができた。

 

…ただ、なんかおかしいぞ…。

 

ロストワールド2

看板、ボロッボロじゃないですか。

前回は茶色だったのに、色まで剥げてしまっている。

相当にかわいそうだ。

 

この時点で僕は結構イヤな予感がした。

看板がコレで、本体の碑は大丈夫なのだろうか…と。

 

ロストワールド3

前回使わなかった駐車場とやらに、愛車のパジェロイオを停めた。

すごく狭いし、足場が悪い。

四駆でよかったと思えるロケーションだ。

 

ただ、県道から脇道に入ってすぐの駐車はなので、前回に対する歩行距離はほとんど変わらない。

さて、歩くか。

 

ロストワールド4

懐かしいな、このメチャメチャ歩きにくい遊歩道。

急だし滑るしヌチャッているしで、ふくらはぎすんごい鍛えられる。

 

おまけに今回は雑草が多い。
これ、整備していないよね、きっと。

遊歩道の全てからニョキニョキと新芽が出てきている。

さすが春。さすが4月。

 

ロストワールド5

さらに前回も苦慮した後半の登山路みたいな激坂。

もう草ボウボウ。

 

枝もすごい。枝が容赦なく体にこすりつけてくる。

蜘蛛の巣に絡まる。顔面から蜘蛛の巣に飛び込んでしまった。うげげ…。

あと、トカゲとかチョロチョロ出てくる。

 

冬の間に整備が行き届かないのはわかる。

ただしもう春だ。

これからやるのだろうか?

あと数週間も放置すれば、きっとこの遊歩道は緑に飲み込まれる。

早めに整備しないとヤバイでしょ。

 

しかし、その可能性は低いのではないかと僕は考えた。

あの入口にあったボロボロの案内看板が、その全てを物語っている。

 

ロストワールド6

人口重心はマニアックすぎだ。

わざわざ目指す人も少なかろう。

それにさ、失礼な言い方になってしまうがここは都市部から相当に離れた山間部の集落だ。

公共交通機関で来るのは困難だろうし、カップルやファミリーがここに来ようと旅行先にチョイスするとも思えない。

 

ましてや人口重心は5年ごとに移動するのだ。

もう次の期にあたる2010年の国勢調査も実施されている。

八方塞がりに近いぞ、これ。

どうやったら盛り上がるのか、ビジョンが浮かびにくい。

 

ロストワールド7

ようやく見えてきた、人口重心の碑。

「懐かしい」と言うほどに時が流れたわけではないのに、その朽ちっぷりに少し衝撃を受けた。

 

なんだか傾いている。

そして致命的に色褪せている。

大事にされている感じが全然しないぞ、これ。

 

ロストワールド8

付近はやはり雑草でモジャモジャだ。

ここで休む人のために設置されたであろうベンチも、雑草で覆いつくされて何がなんだかわからない。

 

ロストワールド9

人口重心地になったことに対する記念植樹もあったが、これを見ても切ない気持ちにしかならない。

周りの木々は元気なのに、この木だけ元気ないぞ。なんてこった。

 

「ここに来るのはこれが最後かもしれないな…」と思いながら、車の元に引き返した。

何度かズルッと滑りながら。

 

 

移り行く時代


そして随分と年月が流れた。

2022年現在、僕は久々にこの地を思い出し、そして執筆している。

 

あのあとの人口重心がどのように推移したのかは、冒頭にご説明した通りだ。

引き続きジワジワと引き続き南東に進んでいる。地図には記載していないが、大体同じペースで同じ方向に進んでいる。

 

 

次期に当たる2010年人口重心は、確か個人宅であったと聞いたことがある。

当然碑などを作って集客するのは困難。

 

2015年人口重心は、これまた私有地だ。私有地の山だ。

人口重心の近くの「中之保公園」に「あっちに見えている山の中が人口重心だよ」みたいな簡素な立て札もある。

 

nihonheiseimura.org

 

2020年人口重心は、Web上で情報を探せなかった。

 

人口重心は、まだ細々とその存在をアピールしているのかもしれない。

近年の人口重心岐阜県関市を横断しているイメージなので、関市は"人口重心のある地"としてちょこっとアピールしているのを知っている。

 

www.city.seki.lg.jp

 

だが、少なくともピンポイントの人口重心については、「1995→2000→2005→なし→2010」と、どんどんモニュメントが簡素になっていった。

 

1995年の「まん真ん中センター」は、揶揄されながらもキチンと設備として残っている。

2000年の水晶山のオブジェは、登山ルートなので人口重心以外の目的の人も少しは訪れる。Web上で写真も見つかる。

今回ご紹介した2005年は、ダメだ。人口重心を目的に来る人しか、あの小道には入らないもんな。オワコン。

 

僕はGoogleマップを開く。

検索しても出てこない2005年人口重心を、雁曽礼集落の名と当時の写真や手記から、ストリートビューでウロウロしながら探す。

 

 

あぁ、ここだ。

人口重心を示す立て札は撤去されていた。

道だけは格段に綺麗になっていた。

 

…そっか。

撤去されたということは、もう観光客を望んでいないということ。

ストリートビューでは見られないが、この左奥、僕が滑りながら歩いた坂道や、人口重心の碑は既に朽ち果てているのではないだろうか?

 

そもそもWebにもほとんど掲載のないスポットなので、今後ここの場所を知る人も出ないであろう。

ひっそり寂しく消えていったのかな。

 

 

そんな場所だが、僕は執筆する。

僕にとっては大切な場所の1つだ。

 

もう未来には期待できないが、過去を偲ぶことならできる。

人口重心になったとき、あの碑が立てられたとき、この集落の人は喜んだろう。

ニコニコしながら地図を描いてくれたおじさん、僕の車を見て声をかけてくれたおばさん。

僕だけは、忘れない。

 

あなたも心の片隅に止めておいてほしい。

年々変動する人口重心の裏側で、こんなドラマがあったことを。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 人口重心地点(2005年版)
  • 住所: 岐阜県関市富之保
  • 料金: 無料
  • 駐車場: かろうじて2台分ほどあり
  • 時間: 特になし

 

No.196【秋田県】たった1ヶ月の初夏のスペクタクル!!湖面に浮かぶ水没林は神秘的だぞ!

エメラルドグリーンの湖に、青々と葉の茂る林が水没している。

 

 

沖縄のマングローブの森だったらまだ納得だが、ここは東北の秋田県である。

なぜこんな事態になっているのか、林はこんな状態で大丈夫なのか、いろいろ不思議だ。

 

今回は、そんな神秘の「玉川の水没林」を見に行ったときの話をしたい。

 

 

宝仙湖_岩の目公園


まずは玉川と言われてピンと来ない方も多いと思うので、場所のイメージをお伝えしよう。

 

 

ここだ。

「八幡平」と「田沢湖」を結ぶ山間部の国道341号沿い、「宝仙(ほうせん)湖」・「秋扇(しゅうせん)湖」という2つのダム湖がある。

このどちらも水没林スポットだ。

これらをまとめて玉川の水没林と呼ぶのが一般的だ。

 

水没林の成り立ちとかベストシーズンだとか、小難しい話は最後にしよう。

まずは今からちょうど1年くらい前の2021年、僕が実際に行った訪問したときのエピソードを語りたい。

 

僕は八幡平を下り、この玉川エリアにやってきた。

1年の中でもわずかな期間しか出現しない水没林。

「頼む、まだ残っていてくれ!」と神に祈っていた。

道路脇には玉川の川の流れが見えているが、まだ木立が水没している気配はない。

DEAD OR ALIVE、運命はどちらに転ぶのか。

 

宝仙湖1

最初に車を停めたのは、宝仙湖だ。

ほとりには「岩の目公園」というスポットがあり、車はここに停めるのがオススメだ。

直近では日本6周目の最序盤に来ている。

 

宝仙湖2

そのときの写真がこれだ。

すっごい快晴で最高でしょ。

 

あのときは7月の初旬だった。

ちょっと遅すぎ、水没林はなかった。

 

宝仙湖3

ただし快晴だったし新緑は素晴らしく、この近辺を散歩しただけでも最高の気持ちにはなれた。

もともと水没林を見るのが目的ではなかったので、これでいい。

 

宝仙湖4

ここで僕はあなたに伝えたい事項は、ただの1つ。

宝仙湖は水没林を見るためだけのスポットではない。その他の季節も最高だってことだ。

 

はい、過去写真の引用はここまでな。

 

宝仙湖5

今回はご覧の通りの曇天だ。

なんならすごく寒い。

夏になるというのに上着をしっかり着ないとブルブル震えるくらいだ。

 

こんなかわいそうな境遇なんだから、せめて水没林くらいは見せてほしい。

ただ、これまでの行程から嫌な予感はムンムンする。

わずかな期待と共に、湖に架かる男神橋から宝仙湖を見下ろす。

 

宝仙湖6

うわー、微妙。

水没林、あると言えばあるのかもしれない。

しかしなんか期待と違うかもしれない。

 

宝仙湖7

カメラを思いっきりズームしないとわからないような水平線の彼方。

10数本の木がひっそりと半身浴を楽しんでいる。

 

ズームしてみれば少しは絵になるかもしれない。

ただ、肉眼で見ると感動には至らない、遠く遠くの情景だ。

 

宝仙湖8

真下を見ると、ここにも何本か水没している木があるな。

湖面ギリギリまで降りる歩道があるのは、前回訪問時に知っている。

湖面まで行ってみよう。

 

宝仙湖9

ちなみに今回の記事では、なんだか彩度の高い写真が度々登場する。

そういうモードで撮影したのだと、ご承知おきいただきたい。

 

曇天と思うような水没林がないというダブルショックを少しでも和らげるため、現場のYAMAさんが足掻いているのだと、暖かい目でご理解いただきたい。

 

宝仙湖10

うむ。

確かに水没している。

だけども神秘的とはちょっと違うな。なんか退廃的な雰囲気だ。

 

宝仙湖11

カラスが木々にとまっているのが似合う。このドロドロした天気も似合う。

しかし確実に、期待したのと違うな。

 

木々は必死に生きているのにこういう評価を下すのは非常に心苦しいんだけど、それが正直な僕の気持ちだ。要するに残念。

 

 

宝仙湖展望所

 

さらにしばらく玉川沿いに宝仙湖を南下する。

途中で展望スポットらしきものが出てきたので、車を停車させたりした。

 

玉川ダム移転記念碑1

そこには「玉川ダム移転記念碑」があった。

まぁここも語りだすといろいろ止まらないんだけど、今回の議題は水没林だから詳細説明はスルーしてしまおう。

 

玉川ダム移転記念碑2

猛烈に遠くに、少しだけ水没林が見えた。

ズームに定評がある僕のコンパクトカメラで、目いっぱいズームしてこれだった。

サバンナでキリンとか探すときのズームって感じだった。知らんけど。

結論、イマイチであった。

 

いやはや、テンションの上がりきらないレポートで大変に申し訳ない。

もう少し我慢してお付き合いいただきたい。

完全にネタバラシにはなるが、最後の最後でサムネイルにも使った絶景をお届けすることができるから。

 

宝仙湖展望所1

さらに次に車を停めたのは、「宝仙湖展望所」だ。

 

実はね、ここに来る1・2㎞手前で、車道から割と見事な水没林が一瞬だけ見えた。

しかし停車するようなスペースが無かったから、ここまで来てしまった。

こはちゃんとした駐車場がある。

さっき水没林が見えたことから、ちょっと期待している。

 

宝仙湖展望所2

デカデカと「玉川ダム」と書かれている。

ここはもう玉川ダムの堤頂のすぐ近くだ。玉川の流れがすんごい堰き止められているってこと。

つまりは堰き止められたことで、より木々も水没しているのではなかろうか。

いや、水没してしまえ。

 

宝仙湖展望所3

駐車場からの遊歩道を少し歩き、ダムを正面に見る展望所までやってきた。

展望所の周囲にはご覧の通り新緑が芽生えている。

 

ここで違和感を感じてほしい。

ほら、怪談とかでよくあるでしょ。

「窓の外を人影が通った。そっか人か、普通。…ん?待てよ、ここは3階だぞ。」みたいなヤツ。

それと一緒。展望所の外側に木々が生えているって、どういうこと?

あっち側は湖面のハズだぜ。

 

宝仙湖展望所4

なるほど、水没林!!

 

ここに来てようやく眼前に水没林を見ることができた。

ちょっとスケール小さいかもしれないけど、キチンと見れたのはここが初であり、「水没林を見た」というステータスは今ここでちゃんと達成されたと感じた。

従い、ここでメッチャ写真を撮った。

 

宝仙湖展望所5

正直、ちょっと物足りない。

水没はしているが、フォトジェニックかと言われればそうではない。

しかしこれも今しか見れない光景なのだ。

1つ1つの記録がきっと後々の宝となろうぞ。

 

宝仙湖展望所6

なんかちょっとデロデロした木くずが溜まっているエリアもあった。

せっかく水没しているのに、なんだかそこだけ地面があるかのような絵になった。

あまり綺麗ではない。

 

宝仙湖展望所7

ただ、少しだけ構図を工夫すれば、こんなにも湖面は綺麗だ。

 

ちょっとだけ解説すると、八幡平の麓の「玉川温泉」。

ここはこの玉川の上流に当たるんだけど、文字通り温泉が湧いている。

ここのすんごい強酸性の温泉成分が玉川に溶け込んでここに至っているんだけど、この成分が青色しか反射しないので、人間の目にはコバルトブルーに見えるのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

同じ原理で温泉成分を含む水面が青く見えるスポット、北海道の「白金の青い池」だとかが有名だから、よかったら読んでみてほしい。

他にも全国にポツポツ似たようなスポットはあるけどな。

 

宝仙湖展望所8

ちょっと天気がイマイチなので、今回の青さはこんなもんだ。

もし快晴であれば、息を飲むような絶景なのだろう。その点は残念だ。

 

宝仙湖展望所9

少し離れたところから宝仙湖展望所を眺めてみた。

展望所を囲むようにして水没林がある。

 

これはこれで幻想的なんだけど、僕的には今一歩足りない。

これだと陸地に近い木だけ水没しちゃったように見える。

もっと周囲全部水みたいなシチュエーションが欲しい。玉川の水没林って、そういう絵が有名だと聞いている。それを見てみたいのだ。

 

宝仙湖展望所10

ちょっと北側に歩いてみた。

ちょびちょびと水没林が見えたものの、遠いし見栄えもイマイチだった。

 

では、再び車に乗り込んで南に行こう。

次は秋扇湖だ。ここに賭ける。

 

 

秋扇湖_新玉川大橋

 

結論から先に言おう。

秋扇湖の最北部、さっきの宝仙湖展望所からは南に2.5㎞だ。

 

新玉川大橋1

ここがすごい。ここ最強。

名前は「新玉川大橋」。

 

しかし普通に橋なので、駐車場はない。

ただし橋を渡り切ってすぐ左に、かつて橋と並走していたと思われる旧道がある。

ここは通り抜けできない道であるため、車が通ることもほぼない。

しかも結構路肩スペースもあるため、ここに停めるのが無難と判断した。

 

新玉川大橋2

あいにく、このタイミングで雨が降り出してしまった。

しかしつい今しがた、僕は新玉川大橋を走りながら眼下の湖面に水没林を発見している。

絶対にこれは歩いて橋まで戻り、写真を撮るべきと判断した。

 

カサをさし、新玉川大橋の歩道を渡る。

 

新玉川大橋3

ついに見えてきたぞ、玉川の水没林だ。

ようやく僕の思い描くベストな光景に到達しつつある。鳥肌が立つ。

 

ちょっとここでご説明しよう。

この水没林を見るとこができるのは、毎年GWごろから6月中旬までのおよそ1ヶ月間だと言われている。

 

新玉川大橋4

もともとこの下は玉川が流れているものの、その両側は湿地帯のようだ。

春になるとそこに、八幡平だとか周辺の山の雪解け水が流れ込む。

一気に水量が増えて、川の近くの木々が水没するのだ。

こうして水没林が生まれる。

 

新玉川大橋5

ではなぜ、その光景を見ることができるのが6月中旬までの1ヶ月だけなのか。

 

それは、玉川が先ほどの通りダムとして機能しているからだ。

ダムは水を溜めておく。

しかし、稲作シーズンになると水がたくさん必要だから、水を溜めるのをやめて放水するのだ。

そうすると玉川の水量が減る。つまりは木々は水没せず、地表に姿を表すことになる。

 

新玉川大橋8

そのわずかな期間、この神秘的な光景を見ることができるのだ。

 

そりゃ木々にとっては、はた迷惑な話かもしれない。

人間の都合で、1ヶ月ほどとはいえ完全に水没するのだから。

しかも前述の通り、魚などは生きていけないほどの強酸性の成分なのだから。

 

新玉川大橋9

そんな過酷な環境下で、木々は枯れることなくこうして生き延びている。

毎年水没しながらも新緑の時期を迎え、こうして青々とした葉を茂らせる。

 

だからね、もしあなたがここを訪れたいのであれば、6月中旬に至るギリギリのタイミングがいいと思う。

より葉が茂った状態での水没林を見ることができるからだ。

枯れ木が水に沈んでいる光景よりも、それは一層神秘的に写るであろう。

 

新玉川大橋10

小雨の降る中であったが、この美しさに僕は息を飲んだ。

 

ダム建設だとかの良い悪いはさておき…だ。

文明が介入されることで生み出される、美しい自然の情景の1つであろう。

人と木々の共生、そのギリギリの境界線を見ているのかもしれない。

 

新玉川大橋11

玉川の色は、吸い込まれるような緑だった。

流れはほとんどないかのように思え、時間が止まったかのような景色だった。

 

新玉川大橋12

長い冬、厳しい冬から目覚めた東北にて見ることのできる、雪解けからわずかな間の奇跡の景観。

 

こんな時期でのご紹介で申し訳ないが、もしあなたが興味を持ってくれたのであれば、まだ間に合うのか調べた上、急ぎ現地に向かってみてほしい。

きっと心のわだかまりも溶かしてくれるから。

 

新玉川大橋13

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 玉川の水没林
  • 住所: 秋田県仙北市田沢湖玉川
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 新玉川大橋には無し。文中の通り注意して駐車のこと。
  • 時間: 特になし

 

No.195【奈良県】傾斜と激狭の殿堂!!生駒山系の「暗峠」を奈良側から非力な車で攻略!

日本の道路で最も急坂と言われる、奈良県大阪府を結ぶ「暗峠(くらがりとうげ)」。

 

はたしてこの峠を、ボロくて昭和で非力な日産パオで横断することができるのか。

誰しもが幼い頃に一度は思い描いた疑問であろう。

 

今宵、あなたのその疑問に僕が終止符を打つ!

愛車の日産パオで、これから暗峠に突撃する!!

 

 

天候は雨!!

凍えるほどに寒い!!

条件は芳しくないが、チャレンジに危険はつきものだ。

 

僕は奈良盆地を越え、大阪府との間に壁のように立ちはだかる生駒山系目指してアクセルを踏んだ。

 

 

暗峠の恐ろしさ

 

僕はこうして鼻息荒く「暗峠に行く!」とか言っているのだが、あなたがもし暗峠を知らないのであれば、僕とあなたとの温度差は絶望的なレベルであり、僕は執筆者として失格である。

なのでまずは暗峠についてご説明する。

 

暗峠の特徴は2つある。

  1.  鬼のように狭い
  2.  鬼のように坂が急

 

暗峠とは1

はい、これが狭さの一例だ。

上の写真を見て「これくらいなら運転できる」と思う方もいるだろうが、これ対向車も来るからな。

そして離合スペースとか基本ないからな。

 

住宅地とか民家とかあるエリアを繋ぐ峠道なのだ。

そこかしこに生活の息吹を感じ、その軒先をスレスレで避けていくイメージのエリアも多い。

スリル満点だ。

 

暗峠とは2

2000年ごろまでは「幅1.3m以上 通行禁止」という伝説の看板もあった。

アホかって話だ。

今はどんな軽自動車もこれ以上はある。

 

そしてもう1つの特徴、急坂について。

 

暗峠とは3

これまた他では大変できないほどのヤバいレベルだ。

日本の車道で最強の勾配とも言われている。

大阪側は特に激坂で、最大勾配37%となっている。

 

ちょっとピンと来ないかもしれないが、傾斜10%を超えると普通の人は「ヤベー坂だな」って感じる。

 

天下の険と言われる「箱根峠」の平均傾斜は斜度10%ほどだという。

車がひっくり返るんじゃないかと思った北海道の「茂津多岬灯台」への道も、斜度15.5%だった。

 

茂津多岬

静岡県の「薩捶峠」の由比側は、一度車を停めて躊躇した。

壁のように坂が立ちはだかっていたからだ。

誰しもがビビる、圧巻の坂。

しかしこれは斜度19%~20%ほどとのことだ。

 

薩捶峠

そして島根県の「ベタ踏み坂」。

これは斜度6.1%だ。もはや赤子である。

 

ベタ踏み坂

もう一度言おう。

暗峠は最大斜度37%。

 

もしかしたら軽トラしか入らないガチな林道だとか、坂道の狭小住宅の駐車スペースなど、これに勝るところもあるかもしれない。

だけども世間一般で国内最大傾斜と言われるのは、ここだ。

 

もう1つ言うと、狭さと激坂という特徴を持っているにもかかわらず、暗峠国道だ。

大阪府奈良県と繋ぐ、国道308号。

ついつい国道だからと信頼してしまったり、カーナビが安直な判断をしてしまうと、キツい洗礼を受けることになるのだ。

 

さて、今回は暗峠を「登り(奈良側)」・「下り(大阪側)」の前後編に分けてお送りしたい。

まずは奈良側なのである。

 

 

前哨戦、榁木峠

 

国道308号。

…いや、もうここは酷道308号と書こうな。

 

暗峠だけではない、奈良側から見るとその1つ手前に「榁木(むろのき)峠」というガーディアンがいる。

"第二暗峠"とか呼ばれたりもする。

 

榁木峠1

冷たい雨の降る奈良市和田町

愛車の日産パオのカーナビは頑なに榁木峠に行くのを拒否していたが、僕は構わずハンドルを榁木峠側に切った。

 

普通の人は榁木峠に行かないほうがいい。

現地の看板においても、榁木峠が国道にもかかわらず、「こっちは〇〇に行けますよ」みたいな道路標識が一切ないのだ。

だから僕、308号は国道なのにどこから乗ればいいのかちょっと迷ったわ。

 

榁木峠2

クソクソに狭い住宅の隙間を、「グオォォォ!」ってレベルに登っていく坂道。

路面は当然、ドーナツ型の滑り止めスタイルだ。

 

ドーナツあると、そこそこな急坂。

ドーナツなければ、まだまだ甘い。

有名な慣用句。

 

榁木峠3

そして絶望的に狭い。

本当に狭いところは停車なんてする心のゆとりがないので写真は無い。

しかし写真に撮れたところも充分に狭い。


これネタバラシしちゃうけど、この峠はあの暗峠の奈良側よりも狭く、そして急なところが多いからな。

榁木峠の名前、ここでしっかり覚えてから帰ってほしい。

 

榁木峠4

一度道を間違えて、半泣きになりながら狭い道で切り返しをした。

引き続き、榁木峠はどんどん山深いゾーンに入っていく。

 

榁木峠5

対向車来るな来るなと祈りながらハンドルを握る。

幸いにして四輪は来なかった。

バイクと歩行者ならいた。

 

榁木峠6

ちなみにこのときの僕は、まだ榁木峠と暗峠を対比できていない。

「こんなところで苦戦していては、暗峠なんて到底無理だぜ!気合い入れろよ!」って自分自身を鼓舞していた。

 

榁木峠7

この辺か!?

この辺が峠の頂上か…!!?

 

…どうやら峠のピークを越えたようだ。

 

まぁここまでもアップダウンはそれなりにあったのだが、本格的になかなか激しい下り坂となる。
下るっていうか、落ちる。

愛車のパオのギヤを珍しく1速に…、あれ、入らない

 

ちょっと物理的にレバー回りが壊れている。

ここは筋肉で解決だ。

バギッっといい音させながら1速に入れ、エンジンブレーキを最大限にかける。

ここで1速に入らなければ、暗峠では200%死ぬ。ここで動作確認できてよかった。

 

榁木峠8

エンジンをブオンブオン唸らせ、峠を下ってきた。

中盤でいきなり2車線の快走路になった。

そしてそのまま、南生駒の市街地へ。

 

榁木峠9

バスとか普通に見かけてあっけにとられた。

ちょっと安心した。

 

榁木峠10

しかし、ここは峠と峠の間のわずかな隙間に存在する町。

「駅もあるぞ」と安心したが、その駅のすぐ脇の踏切はこんなにも狭い。周辺の道路も狭い。

この時点で、次のステージの困難さを予感する。

 

さぁ、すぐに次の峠が待ち構えている。

おまちかねの暗峠センパイだ。

 

 

暗峠ヒルクライム

 

休む間もなく。

マジに南生駒駅前から数10秒のゆとりすらなく…。

 

ヒルクライム1

1.8m以上の幅の車の進入禁止看板。


かつての1.3mと比べたら大幅な緩和だが、厳しいことには変わりない。

1つ前の愛車のHUMMER_H3だったら、既にここで資格なしだ。

 

ヒルクライム2

ピッチリ立ち並んだ住宅地の隙間に入る。

擦れ違いは極めて困難。

しかし国道だ。

 

近所の人が自転車か徒歩でしか使わないような下町の路地であれば、このくらいの狭さもありえるかもしれない。

だが、繰り返しになるが県を越える立派な国道だ。

 

ヒルクライム3

「狭い!わりと狭い!」って思うけど、運良く対向車がほほ皆無だ。

普通の一車線より少し狭い程度なので、狭さは大丈夫。

もちろん一車線分の幅しかないので、対向車来たら泣きますが。

 

ヒルクライム4

そしてもう1つの要素、激坂。

なかなかにクレイジーなレベルの坂。

 

しかし僕は結構落ち着いている。

さっきの榁木峠と同程度、あるいはやや緩やかなくらいだ。

 

ヒルクライム5

あの静岡県、薩埵峠の壁坂に対峙したとき程の衝撃はない。

神奈川県横須賀市の「ツキコヤ」っていうお気に入りの喫茶店に行くときの激坂のほうかまだキツい。

 

ヒルクライム6

確かに暗峠は、峠の頂上までひたすらに登りが続く。

しかし大阪側と比べれば、奈良側はほぼ傾斜が無しで息をつけるスポットがある。

これはかなり大事だ。

 

登山でも、途中で平らなところを歩けたり、立ち止まったり、休憩できたら楽でしょ。奈良側にはこれがある。

追って書くけど、大阪側はこれがないから絶望感するのよね。

 

ヒルクライム7

…とはいえ!

このロケーションはすさまじい。

かなりずっと住宅地が続いているのもすごい。

 

これ暗峠のルールなのだが、対向車が来たら登っているこっちが下がる。

対向車はバックでこの坂を登れないからね。

しかしこの坂道を下がるのも大概だ。

マニュアル車クラッチが焼けて登れなくなると聞いている。ひぇー…。

 

ヒルクライム8

ところどころでカーナビを見る。

既にゴールは暗峠の頂上に設定済みだ。

(峠の向こう側をゴールに設定すると、暗峠を通らずに遥かに迂回する案内となってしまう)

 

ゴールまであと800m・500m…。

残りがわかるというのはすごく精神が安定する。

 

ヒルクライム9

正直、「あとちょっとだ大丈夫、なんてことないな」って思った。

時速10km台だと思うが、着実に頂上は近付いてきている。

段々畑と同じ斜度の坂を登っているが、日産パオでもちゃんと登れることがわかった。

 

ヒルクライム10

車道も綺麗だ。

きっと近年舗装されている。

 

道幅も少々拡張したのではないかと思われるエリアもあった。

もう頂上付近なのに、こんなにも道路幅が広い部分がある。

これ、かつての倍くらい広くなってない??

 

ヒルクライム11

そして…!


信貴生駒スカイライン」の高架まできた!

ヒルクライムのゴールだ!!

 

 

歴史ある石畳、暗峠

 

信貴生駒スカイラインの高架が見えたら、もうその向こうが頂上だ。

大阪府との県境だ。

 

暗峠のピーク1

生駒スカイラインは、この暗峠と交差するように、生駒山の尾根を走る有料道路だ。

余談だが、ここから10数分歩いたところに「ぼくらの広場」という、関西最強の夜景スポットがある。

もし気になるなら、僕の過去記事を読んでみて欲しい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

この高架手前が駐車スポットだと聞いている。

暗峠は原則全線、まともな駐車場はないのだ。

駐車はおろか、停車もできない狭さだ。

 

そんな中で、ここは2・3台ほど車を停められる貴重なスポット。

しかもここだけ傾斜がそんなに急ではないし。

 

暗峠のピーク2

パオを停め、ようやく肩の力を抜くことができた。

では、峠の頂上を少し見学しようね。

カサをさして高架下をくぐる。

 

暗峠のピーク3

暗峠


頂上の県境付近のわずか数10mであるが、石畳となっている。

石畳の車道の国道は我が国で唯一だ。

暗峠を含む「暗越奈良街道」は日本の道100選にも選定されている。

 

暗峠のピーク4

もともとは奈良時代平城京と難波を最短距離で結ぶ道として設置されたのが始まりなのだそうだ。

あまりに坂道が急で、馬の鞍がひっくり返りそうになることから、「鞍返り峠」⇒「暗(くらがり)峠」となったという説もある。

 

江戸時代には参勤交代のルートにもなった。

暗峠は歴史が古いのだ。

 

暗峠のピーク5

車時代よりも遥かに昔、徒歩で峠を越える人のために最短ルートでほぼ直線にブチ抜いた峠。

だからその分傾斜がえげつないし、車時代以前のものだから狭いのだ。

歴史を感じながら、古い暗峠の石碑を撮影した。

 

…おっと、その写真を撮っていたら、高架下から車が出てきたぜ。

 

暗峠のピーク6

どうだい、この傾斜だ。

ほんの10数m先の車なのだが、坂に隠れて上半分しか見えていない。

これが序の口。

 

暗峠のピーク7

地獄が口を開けたかのような高架下だな。

ちなみに僕の愛車のパオは今、この高架の向こう側でこっちを向いて停まっている。

 

パオが石畳エリアに到達するのは、もうちょっとだけ待っていてほしい。

 

 

峠の茶屋「すえひろ」

 

気温は5度。

さすがに峠は雨風も激しく、カサを持つ手も冷える。

しかし、そんな過酷なシチュエーションをありがとう、暗峠って思った。

 

すえひろ1

さて、そうは言っても外でのんびりしていられるような環境ではない。

ただし峠には茶屋がある。

「すえひろ」という名前だ。暗峠を攻める方にとっては有名すぎるお店だよね。

 

すえひろ2

ギリギリ奈良県だ。数m向こうは大阪府だ。

 

入ろう。記念に入ろう。

メニューには食べ物もいろいろあるようだが、ご飯はこのあと大阪で寄りたい店があるので食べる予定はない。

コーヒー一杯もらって温まろうではないか。

 

すえひろ3

入店すると、おじいさん&おばあさんが4人、壁を背にしたイスに座っていた。

下の写真でいうと、左側に並んだ部分だ。

 

すえひろ4

店員さんポジションのイスだ。

つまり誰が店員さんかわからない。

下手すりゃ全員店員さんだ。

正解はどれだ。

 

「こんにちはー」と言うと、全員「いらっしゃい」と言った。

なんてこった。

 

いや、正確にはホンモノは1人だけなのだろうか、レトロな食堂や喫茶店って、往々にして店員さんに限りなく近いお客さん、いるよね。

 

すえひろ5

大きなテーブルに案内され、350円のコーヒーをオーダーした。

ストーブが温かく、ありがたい。

すぐに持ってきてくれたお茶もアツアツでおいしかった。身に染みる。


テーブルの正面ではサイクリストのコンビが地図を見ながら「どうしよう、本格的な雨になってきた」と頭を捻っていた。

この暗峠、自転車でのヒルクライムのチャレンジャーも多いのだ。

 

すえひろ6

コーヒーが運ばれてきた。

うむ、僕の舌が正常なのであればたぶんアレだな。インスタント的なヤツだな。

だからどうのこうのってワケではないが。

 

暗峠の頂上で、ストーブにあたりながらコーヒーを飲むというシチュエーションが大事なのだ。

そして一緒に出してくれたかりんとうをバリバリ食べるのだ。

 

しばらくすると、サイクリストのコンビは意を決したかのように雨の中を出ていく。

4人のおじいさんおばあさんは、口々に「頑張れよ」・「気を付けてな」って言ってた。暖かい空間だ。

 

すえひろ7

入れ代わりで4人のアジア風の外国人のグループが入ってきた。

たぶん徒歩。

「さっき教えてもらったスポット、見つからなかったよ」みたいなことを、たどたどしくおばあさんに報告していた。

 

そして頑張っておばあさんとコミュニケーションを取り、うどんとかオーダーしていた。

おばあさん、うどんの種類の説明に苦労していた。

 

では、僕もそろそろ出発するか。

「あのー、誰にお金をお支払すれば…?」と聞くと、4人のおじいさんおばあさんが口々に「私に」・「私に」と言ってきた。

なんてこった。

 

そんなこんなで、ボス格と思われるおばあさんにお支払をし、僕は店を出る。

おじいさんが外まで見送ってくれ、「気を付けてな」と声をかけてくれた。

 

すえひろ8

 

暗峠での「気を付けてな」は、ありきたりの「気を付けてな」ではない。

本当に気を付けねばならないのだ。

 

言葉の重みが違うなってひしひし感じた。

 

すえひろ9

…では!

いざ暗峠の大阪側へ!!

 

奈良側と比較にならない、日本一の急勾配!!

奈落に堕ちるダウンヒル!!

 

ここまで比較的笑顔だったYAMAさんも、さすがにビビり倒したぞ!!

もしあなたが続編を気にしてくれるなら、以下からどうぞ!

 

drive-ns.hatenablog.com

 


以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 暗峠(「峠の茶屋 すえひろ」)
  • 住所: 奈良県生駒市西畑町1077-1-1
  • 料金: コーヒー¥350他
  • 駐車場: すえひろにはどうやら2台あるらしいが、活用しなかったので詳細不明。暗峠自体には原則駐車場無し。
  • 時間: 

 

No.194【岩手県】僕は確かに虹色の山を見た!早朝の「焼走り熔岩流」を歩いた記憶と記録!

5月の下旬。だがそこは息が白くなるほどに寒かった。

時刻は早朝。

朝の5時を回ってすぐのことだった。

 

一面に広がる溶岩の向こうに聳える「岩手山」が、虹色に輝いた。

 

生物がほとんどいない、静寂の世界。

そこに忽然と聳え、虹色の灯りを放ったその山は、息を飲むほどに美しかった。

 

 

では、今回は岩手山のふもとに広がる「焼走り熔岩流(やけはしりようがんりゅう)」をご紹介しよう。

 

 

早朝の閑寂

 

車中泊ポイントにて、午前4時に目を覚ました。

こんなパン屋さんみたいな時間に行動を開始したのは、もちろん朝一で焼走り熔岩流を訪問するためである。

 

早朝を走る1

眠い目をこすりながら、山間部を走る車のハンドルを握った。

少しだけ開けた窓から吹き込む風は、ヒンヤリを通り越して普通に寒かった。

もう夏だというのに。

 

早朝を走る2

それらしき場所に到着した。

ここが焼走り熔岩流の駐車場だろうか?

 

結論からいうと、焼走り熔岩流自体は車窓から見えない上、付近の看板も少ないし駐車場への案内も特になく、わかりづらかった。

まぁでもこのとき僕が停めたスポット、「焼走り野営場」が一番スタンダードな駐車場なので、もしあなたがここに行くと言うならば覚えておいてほしい。

 

ちょっと離れたところには「岩手山銀河ステーション」の天文台も見えていた。

上の写真、中央の車の向こう側に見えているのがそれだ。

 

遊歩道へ1

熔岩流の遊歩道の入口までやってきた。

ちなみに車道や駐車場と熔岩流の間には木立があり、それが前述の通り車窓から熔岩流が見えない理由だ。

 

遊歩道へ2

これが遊歩道マップ。

要点は以下の通りだ。

 

  • 遊歩道は片道1km。ずっと熔岩流の上。
  • 熔岩流の中に展望台のような目標にできるスポットはない。
  • 1km先、遊歩道が終わった地点に展望台がある。
  • 1km先の終点からここまではまた歩いて戻ることになるが、車道もあるのでそこを歩ける。

 

理解。

それでは歩こう。

もう夏になるが、くそ寒いので真冬の装備でだ。

 

遊歩道へ3

まだ朝の4時台。

誰もいない、静かな荒野が現れる…!

 

 

灰色しかない世界

 

一歩熔岩流に入ると、そこは地獄のような光景だった。

熔岩しかない。

ひたすらに熔岩の広がったフィールドであった。

 

熔岩の世界1

その向こうに聳えているのは、この熔岩を吐き出した張本人、岩手山だ。

 

今から300年前の1732年、岩手山はハデに噴火した。ドバドバに熔岩が流れた。

それが冷えて固まったのが、ここだ。

 

地球の歴史ってすごく長いから、地球にとっての300年なんて、マジ最近である。

最近の話だから、熔岩の上にはまだ植物がほとんど生えていない。

熔岩剥き出しの大地がこれだけ広がっているのって、とても貴重なのだそうだ。

 

熔岩の世界2

「でも、最近噴火したといえば、あの山もあの山も直近数10年以内に噴火して大ニュースになって…」っていう考えが頭をよぎった。

 

いや、あえてそれらは書くのを辞めよう。

火砕流を伴う噴火には、悲しい要素が多すぎるからだ。

300年前の、ちょっとピンと来ないくらい昔のスポットがちょうどいい。

 

熔岩の世界3

で、これ悲しいお知らせなんだけどさ、熔岩の上を歩いたところで、何かすっごいイベントがあるわけではない。

ただただ、淡々と歩くのみだ。

歩き、歩き、歩くのだ。

 

熔岩の世界4

僕は一人納得した。

Webでの焼走り熔岩流の紹介も、実際に行ったという人のブログも、記事がとても淡白である理由を。

 

そっか、書くネタがなかったのだな。

変わりばえしない光景。

展望台も説明板も何もない荒野。

浮き沈みが一切ないもんな。

 

熔岩の世界5

ただ一面の灰色の世界。

足元の遊歩道も熔岩で形成されている。

熔岩は踏むとカシャンカシャンと軽石のような音を立てる。

 

風を遮るものがないからか、岩手山から吹き降ろす風がダイレクトに僕に当たる。

烏の鳴き声が聞こえる。

 

…うむ、実に地獄みが強い。

 

熔岩の世界6

足元もゴツゴツした熔岩なので、かなり慎重に歩かないと足首をグキッとやる。

歩きスマホなどしていたら、遊歩道終点までに10回くらい捻挫するだろう。両足では足りないレベルの犠牲だ。

 

この変わらない景色を眺めながら、溶岩の上を終点まで1km歩いてまた帰ってくるって、ちょっとシンドいな。

それこそ地獄の試練の1つのようだ。

 

熔岩の世界7

僕はちょっと考えた。

遊歩道を終点まで歩くのは辞めよう。そして駐車場に引き返そう。

 

ただし、このまま焼走り熔岩流を立ち去るのではない。

1㎞歩いた遊歩道の終着点にあるという展望台に、車で行こう。

 

熔岩の世界8

…こういうことだ。

早速車に乗り込み、展望台へと向かった。

 

 

熔岩にも苔は生える

 

展望台への車道であるが、県道233号を反れてからの最後の100mほどは、とても狭かった。

これ、早朝で全く車がいないからいいが、対向車が来たら擦れ違えなかったな。

 

遊歩道終点1

そして展望台が見えてきた。

すぐ脇に駐車スペースもあったが、2・3台しか停められないような規模だった。

 

終末の日中などであれば、僕の作戦は期待しないほうがいいかもしれない。

無難に1km熔岩の上を歩くほうがいいのかもしれない。

 

遊歩道終点2

上の写真でも見て取れるが、ちょうど木々の隙間から朝日が昇ってきたところだった。

時刻は5:10頃。

この時期は日の出がとても早くてワクワクするね。

 

遊歩道終点3

展望台は木々の中にある。

さっきの無味乾燥な世界から一転し、この木立と朝日は「生命って素晴らしい!」という気持ちを抱かせてくれた。感謝。

 

しかし、展望台はもうちょっとだけ待ってくれ。

実は遊歩道終点部分を少しだけ歩いたので、先にそちらのご紹介をさせていただきたい。

 

遊歩道終点4

遊歩道に説明板が1つあった。

ここいらの足元の熔岩に着目すると、灰白色の苔があるというのだ。

 

遊歩道終点5

これか!これが苔か!!

 

シモフリゴケかハイイロキゴケというそうだ。

そして説明板にある通り、桜島伊豆大島の熔岩に比べて熔岩の上に植物が生い茂るスピードがメチャメチャ遅く、それが珍しい事象なのだそうだ。

 

遊歩道終点6

面白い。

カビのようにも見えるが、言われてみれば苔なのかもしれない。

なんでこんな過酷な環境を選んでしまったんだよ、って言いたくなるような世界に頑張って生きている。

 

遊歩道終点7

この苔はなかなか親しみやすいビジュアルだ。

僕らの生活の中にいても違和感のないタイプだ。かわいい。

 

遊歩道終点8

その他、溶岩流には複数の鳥もいるそうだ。

 

「ポッポロリ、ピッピキピ」・「チョッピー、チリーチョ」…。

これまで生きてきてお目にかからなかった擬音だ…。

 

耳をすましたが、このときは鳥の声は聞こえなかった。

だから僕は「ポッポロリ・ポッポロリ」と自分で口ずさみながら遊歩道を展望台方面に引き返した。

 

 

レインボーマウンテン

 

ではでは、展望台に登ろうか。

 

虹色の山1

木製の立派な展望台だ。

階段の途中に「宮沢賢治」の石碑があった。

 

虹色の山2

"熔岩流"という作品だ。

 

なんか長文でくどくど書いていて、この場で全文を読んで理解するにはちょっとカロリーが足りなかったし、今ここでこの内容をブログにうまくご紹介するカロリーも足りない。

簡単に言うと『黒くてゴツゴツしてスゲーな!鳥いないな!わっ、苔が2種類生えてる!』っていう内容だ。

 

ま、ようするに言っていることは僕と一緒。違いは表現力の有無だけ。

そういうこと言うと僕、宮沢賢治さんの遺族に消されるかもしれないけど。

 

虹色の山3

展望台から前方を見ると、さっきちょこっとだけ歩いた遊歩道終点部分が見える。

遊歩道の周囲に灰色の苔が生えているのがここからでもわかる。

そして、熔岩の上に少しずつ日が差してきたぞー…。

 

ここでだ。

僕はちょっと目線の上の岩手山を見て「あれ?」って思った。

 

虹色の山4

 

!??

 

 

…そう思ったのだ。

虹とは上下が逆だし並びも多少違うが、下から赤・オレンジ・緑・黄色・青…のような配色となっている。

 

虹色の山5

山頂付近の雲の影の青、麓付近の朝日に照らされた赤。

これらのコントラストが奇跡的にこのグラデーションを生んだのだろうか。

 

日が昇るに合わせ、刻一刻とその様相は変化していく。

面白い!これはいいものを見た!

僕はキャッキャとはしゃいださ。

 

虹色の山6

もしかしたら珍しくないのかもしれない。

大騒ぎするようなことではないのかもしれない。

 

しかし、遥々旅をしてきた地で早朝に見た、この一瞬の現象は、僕の心には大きく響いた。

またとないこの時間を大切にしたい。

そう思った。

 

灰色の世界の彼方に、虹が架かったのだ。

 

まさに極楽。

今日もいい日になりますように。

僕は朝日に祈った。

 

そしてさらに山間部へ

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

住所・スポット情報

 

 

No.193【東京都】標高の基準、「水準原点」を見に行こう!!標高0mの定義はここにある!

日本一高い山、「富士山」の標高は3776mである。

日本一標高が高い鉄道駅、「野辺山駅」の標高は1346mである。

 

人間は…、いや、動物も虫も植物もだ。

デカい方が偉い、デカい方が強いという理論を妄信して今日に至っていると考える。

 

野辺山駅1

そんな考えの世界だから、日本人男性の平均身長に遥かに満たない僕は幼少期より劣等感と共にあり、自分より背の高い全ての人類に牙を剥かざるを得なくなった。

チクショウだ。

僕の人生とは、デカいものに淘汰されぬよう抗う人生だ。

 

野辺山駅2

さらに人類というのは実に厄介な存在で、この大きさ・高さを数値化するという知恵を身に着けた。

山・土地・建造物、全てに標高という概念がある。

 

なんなんだよ、標高って。

…そう思っていたら、東京都心に標高の概念の根源となるスポットがあるという。

行ってみることにした。

 

 

国会議事堂にビビる僕

 

さて、今回ご紹介するのは「日本水準原点」というスポットである。

日本の標高を定める上での基準となっている、SSSランクの超重要アイテムだ。

 

水準原点1

もう最初にご紹介しちゃうと、こんな感じの重厚感漂う倉庫…の中にある。

まぁこのあたりは追ってご説明するが。

 

とりあえず、まさに日本の標高の中心点と言えるスポット。

つまり、広義の日本の中心なのである。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

僕はかつて、日本の中心を全て網羅したいと思い、各地を行脚した。

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

実は日本の中心というのは日本各地に無数にあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

それぞれ定義が異なるので、どれが正しくてどれが間違っている、とかはない。

今回の日本水準原点もその1つだ。

 

だから行くのだ。

東京都心へ!永田町へ!

 

国会議事堂1

 

「国会議事堂」!!

 

 

標高の中心以前に、日本の政界の中心であるシンボルである建物を前に、車内でハンドルを握る僕は「ウホホホホ…(汗)」って変な声が出てしまう。

ゲートの前にパトカーも停まっているしね。

そりゃそうだ。我が国にとってはとても大事な場所なのだ。

 

そしてヤベー…。

目的地はこのすぐ隣なのに、駐車場がない。

コインパーキングも全然ない。

 

「国会議員さん、コインパーキングもなくって国会に来るときにどうやって車を駐車しているんだよ…!」って一瞬思ったけど、議員さんはたぶんコインパーキングなんて使っていない。

 

千代田区役所1

皇居の周囲をウロウロしているうちに、千代田区役所に流れ着いた。

ここの地下にコインパーキングがあった。

 

東京都千代田区

ここはここで日本の中心に当たる場所だ。

僕はもちろんビビっているし、小柄で丸目でかわいい愛車の日産パオもビビっているのか、普段よりさらに小さく見える。

 

千代田区役所2

外に出て千代田区役所を見上げる。

では、国会議事堂方面に歩いて戻ろうか。

 

…まぁこの後は皇居にちょこっと足を踏み込んだりお堀を見たりといろいろしたんだけど、そういう工程はいったん全てすっ飛ばす。

 

国会議事堂2

戻って来た。国会議事堂。

改めてかっこいいぜ。

 

1920年着工、1937年竣工という、とんでもない期間をかけて建てられた大正ロマンあふれる建造物だ。

予約すれば内部見学も可能なんだよ。

 

国会議事堂3

僕も小学生の頃、それこそ参議院衆議院の区別もついていない時代に内部見学した。参議院本会議場とか見た。

 

閑話休題

水準原点があるのは、この国会議事堂の前庭である。

 

国会議事堂4

わかりやすくイメージを表すと、こうなる。

では、前庭の中を散策してみよう。

 

 

小さなパルテノン神殿

 

前庭は、なんだか平和な空気が流れていた。

警察警備の監視の目線から逃れてちょっとホッとした。

 

国会前庭1

これは南地区だ。

いい感じの密度の木々が生えていて、その隙間から国会議事堂が見える。

2・3回訪問したことがあるが、いつもほとんど人がいなくって静かな場所だ。

 

絵だけ見ると散歩するのにいい感じかもしれないが、国会議事堂前でメガホン片手に演説している"アッチの人"の声がここまで届いている。

 

国会前庭2

南地区には、国会前庭和式庭園っていう名前の庭園もある。

兼六園」・「後楽園」といった日本三名園と比べてしまうと規模も情景も少し見劣りしてしまうかもしれないが、都会の真ん中にこんなオアシスがあることで、僕の心は少し軽くなる。

 

次は北地区に入ろう。

 

国会前庭3

三権分立の時計塔」。

そうネーミングされた時計がここにある。

 

"三権"とは何か、あなたは答えられるだろうか?

僕もホコリを被った記憶の引き出しの奥地から、かろうじて引き出すことができた。

立法・行政・司法だな。

日本国憲法で定められていたな。

 

上の写真だと少しわかりづらいが、3つの柱から成る時計台なのだよ。

 

水準原点1

さぁお待たせした。

この国会前庭北地区の木立に佇んでいるゴチゴチに重厚な建物が、日本水準原点の格納庫だ。

 

この建物が水準原点なのではない。

水準原点を守っているのがこの建物なのだ。

 

上の写真、正午ごろに撮影したのだが、冬の低い日差しのせいですごい逆光かつコントラスト強すぎな絵になってしまった。

なので画質を少しいじろう。

 

水準原点2

…これで見やすくなったな。

 

僕は初見のとき、和と洋がゴッチャになったようなこのデザインに少し混乱した。

日本古来の石蔵のようでもあり、でも前面はパルテノン神殿のようでもあり…。

でも屋根の部分には、どこかしら和を感じてしまうのだ。

 

水準原点3

冒頭でも掲示したがもう1枚、日本3周目の頃に撮影をした画質悪めの写真も掲載しておこう。

 

この建物の正式名称は「日本水準原点標庫」。

先ほども書いた通り、水準原点の格納庫だ。

1891年(明治24年)に造られた物らしい。

 

 Wikipediaさんのご紹介によれば、『ローマ風神殿建築に倣い、ドーリア式オーダー(配列形式)をもつ本格的な様式建築で明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重なもの』…とのことだ。

これ自体も国の重要文化財なのである。

倉庫を見られただけでもありがたい、ありがたい。

 

 

水準原点とは?

 

水準原点は、この小さめの神殿の中にある。

まずはこの神殿の上部に着目いただきたい。

 

水準原点1

篆書体で"点原準水"って書かれている。

つまりは右から読めば水準原点だ。

 

水準原点2

そしてその下には黒塗りのブ厚そうな扉。

ここには菊の紋章だ。気が引き締まる。触れることさえおこがましい…。

 

僕ら一般人が見ることができるのはここまでだが、この黒い扉はガポッと上から開くことができるのだ。

そこに水準原点が格納されている。

 

水準原点3

それがどんなものかというと、100年以上経過した、年季の入った定規だ。

これはWeb上の画像と最近放映していた「ブラタモリ」でしか見たことがないが、大体以下のようなものだ。

 

水準原点4

これが何を表しているのかというと、標高24.3900mを表している。

 

ちょっと話を整理しよう。

標高とは何かというと、海からの高さだ。

 

じゃあ海の高さとはなんだろう?

海は海域によってそもそも高低差があるし、そして潮の満ち引きでも大きく変わる。

 

結論から言うと、海域は東京湾

そして潮の満ち引きは頑張って調査して平均となる高さを求めた。

これを標高0mとする。

 

水準原点5

ただね、海面ピッタリの標高0m地点に「ここを標高0mとする」っていう目印を作ったとしても、満潮時には浸水して何が何だかわからないし、100年・200年後には目印が劣化したり地盤沈下しちゃったりする懸念があるよね。

 

じゃあもう0mにはこだわらずに、「ここが標高〇m」っていう目印を作りましょうと。

そんでそこは厳重に管理できるようなところで、そして何があってもブレないような丈夫な土地を選びましょうと。

 

それがここだ。

 

水準原点6

台地上にあって地盤も強固。

ここなら未来永劫問題ない。

 

測ったらここは標高24.5000mだった。

これを日本の標高の基準値とする!!

 

…だが残念ながら過去2回この数値は変動している。

1回目は関東大震災。2回目は東日本大震災

これらで少し地盤が動いてしまったのpだ。

従い、2022年現在は前述の通り、標高24.3900mなのだ。

 

水準原点7

ブラタモリでは、実際に国土交通省の人がこの水準原点を使った測量をやってみせてくれていた。

 

水準原点に対し、対象物Aはどれだけ標高の差があるか。

測量器具を慎重に覗き、ミリ単位でそれを割り出す。

そしたらその対象物Aの標高がわかる。

 

じゃあ、対象物Aから見える対象物Bの標高はどのくらいなのか?

対象物Aとの差異で、対象物Bの標高がわかる。

…これを半永久的に繰り返し、日本全土の標高がわかったのだ。すっげ。

 

水準原点8

もしかしたら他の日本の中心と比べると、ちょっと地味かもしれない。

 

しかし!!

和洋折衷のこのデザインもしかり、今僕らが手にしている地図もしかり…。

 

ここには、明治時代に一気に世界の先進国に近づくべき奮闘した人たちの、熱い想いが込められていると感じるんだ。

 

そして僕の身長コンプレックスは今後も続く…!!

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本水準原点
  • 住所: 東京都千代田区永田町1-1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 近隣に無し
  • 時間: 特になし

 

No.192【秋田県】5月末~6月頭のみ出現!!八幡平の「ドラゴンアイ(龍の目)」を目指せ!

「これは…、想像していたよりもハードな道のりだな…!」

 

雪を踏みしめながら、僕はそう思った。

2・3日後には暦上夏になるはずだが、真冬の装備をしても凍えており、そして周囲360度全てが真っ白であった。

 

安全面を加味すると引き返したほうがいいかもしれない、とも思った。

しかしギリギリでなんとかなりそうな状況だったので進み、そして目的地に到達することができた。

結果として踏破できたわけだが、事前の情報収集や準備に不足があった点は反省している。

 

…という重い出だしだが、僕がどこを目指していたのか。

 

 

 

「ドラゴンアイ」。

 

 

東北地方を南北にぶった斬る巨大な奥羽山脈

その奥羽山脈内にある日本100名山の1つ「八幡平」。

その頂上付近にある「鏡池」という池。

 

雪解けシーズンになると池の周囲から徐々に溶けていき、ジャストなタイミングで訪れると巨大な龍の目のように見えるのだ。

これがドラゴンアイ

 

2022年の開眼も、もう間もなくだろう。

では昨年の2021年がどうだったのか。

実際訪問した様子を執筆したい。

 

 

八幡平は霧の中

 

「八幡平アスピーテライン」。

1年の半分近くが冬季通行止めとなる、東北山間部を貫く快走路だ。

 

僕はそこで眉間にシワを寄せて山を見上げると、「間もなく世界は暗転するな…」ってつぶやいた。

 

八幡平1

ここはまだかろうじて晴れている。しかし山の奥地はドロドロの雲だ。

今からあそこに行き、そしてしばらく散策をしようと予定しているのだ。

ヤベーなこれヤベーよって、ことだ。

 

八幡平2

薄明光線が世界の終わりのようにも思えた。

さて、しばらくは太陽さんともお別れだぞっと。

ここからの霧の中の世界、腹をくくれよっと。

 

八幡平3

はい、来た。

「山の天気をなめるなよ」が具現化した。

 

写真ではわかりづらいが、トロトロ運転をしなければいけないほどの濃霧だ。

そして雨。

さらには窓ガラスを通して冷気をヒシヒシと感じる。

萎える。

 

八幡平4

八幡平山頂駐車場に到着した。

何度も来ている場所なのだが、「駐車場への入口はどこだっけ?」っていうレベルの濃霧だった。

 

そしてガラガラに空いていた。

本来、ドラゴンアイの時期は、周辺はメッチャクチャ渋滞ですさまじいと聞いていた。

この天気のせいなのか、それとも現在が早朝6時過ぎという時刻のせいなのか。

おそらくはその両方だと思うのだが、事実スッカスカだった。

 

八幡平5

公衆トイレでトイレを済ませ、身だしなみなどを整えた。

車からのこの往復で既に僕は結構服を濡らし、かつ寒さで歯がカチカチ鳴っていた。

先を思いやられるな、これ。

 

マジどうする?

こんなロケーションだからドラゴンアイは諦めるか?

 

そういう考えも頭に浮かんだ。

だがせっかくここまできたのだ。

行けるところまでは行ってみよう。

 

冬用のジャンバーを着込み、手袋をする。

旅グッズを詰めたカバンを肩にかけ、手には傘。

靴は普通のスニーカーだ。

とりあえずこれで出陣。

 

八幡平6

アスピーテライン上にある、山頂への遊歩道入口部分。

ここに岩手県秋田県の県境を示す標柱がある。結構な人気スポットだ。

 

あなたもここで激しく反復横跳びしますよね?

岩手県秋田県岩手県秋田県…!」ってゼーゼー言いながら反復横跳びしますよね?

知らんけど、僕は昔から毎回やっている。

 

そして目指すドラゴンアイはギリギリで秋田県なので、今回の記事のカテゴリは「秋田県」としている。

 

それでは、いざ遊歩道へ!

 

 

雪中の歩み

 

ここで、僕が歩む行程をご紹介しよう。

 

雪道1

赤い線が遊歩道だ。

遊歩道開始」地点から歩き、ネタバラシしちゃうけど「雪道ゾーン」を経由して「ドラゴンアイ(鏡池」まで行く。

 

夏から秋にかけてであれば、何度も歩いているコースだ。

その時期であれば鏡池までは20分ほどの道のりだ。とりわけすごい傾斜も無い。

 

雪道2

まずは遊歩道序盤の光景。

小雨は降っているものの、歩道は綺麗に整備されているし滑り止めも充分。

左右も笹が生い茂っていて景色は"冬"ではない。

寒いけどね!寒いけどねッッ!!

 

雪道3

先ほどの地図にも出てきた分岐ポイントにて。

おそらくこの時期限定で設置されている、簡素な看板が出てきた。

ここからドラゴンアイまでは徒歩10分とのことだ。

 

これ、この先相当な悪路でちゃんと装備してきた人よりも遥かに時間がかかったのだが、あとから振り返るとピッタリ10分でドラゴンアイに到着していた。

(もっと長い時間を歩いていたような気もしたが。)

かなり素人に配慮して記載してくれたのかもしれない。

 

とりあえず、ここを左に行くのだ。

この時点で薄っすらと懸念していたことが脳内の多くを占めることとなる。

 

雪道4

雪道が現れた。

恐れていた雪道だ。懸念が実現した。

徐々に雪が積もっていくような感じではなく、いきなり雪渓の上を歩かざるを得なくなった。

 

これから見るのは雪に覆われたドラゴンアイなのだから、当然そこに行くまでの道も雪に覆われている可能性は充分にあった。

それを予測できなかった僕に落ち度がある。

 

雪道5

思い返せば、日本一周目でも6月上旬の八幡平を仲間と歩いていたのだ。

あのときも積雪だったし、みぞれ雪も降っていた。

 

仲間の一人はハーフパンツにサンダルであり、防寒具と呼べるものはなぜか車に乗っていたレスラーマスクしかなく、それを被っていたっけ。

僕も半袖であり、ひとしきり雪原を歩いたあとに戻ってきたレストハウスで震えながらお茶を飲んだっけ。

 

レストハウスで近くにいたおばさんが、僕らが雪原を歩いてきたと知り「すごいね、登山部?」と言ってきた。

僕は「登山部であればこんなバカはしないと思います」と言い、おばさんは「それもそうね」とうなずいた。

 

あれから日本を5周したのに、僕は全然成長していなかったのだ。絶望。

 

雪道6

 

とりあえず雪渓に乗ってみた。

うむ、なかなかに固くそれなりに滑る。

新幹線の中で買うアイスクリームくらいの固さだ。

 

完全に平坦な部分であればバランスを保ちつつ歩けるが、少しでも傾斜があるとヤバい。

特に下り坂はヤバい。滑って転ぶぞ、これ。

 

唯一の救いは傘を持ってきたことだ。

幸い傘をさすほどの雨ではなくなったので、畳んでストック代わりにした。

思いっきり雪に突き刺すのだ。

これで次の一歩を踏み出せる。

 

これを繰り返す。

ゆっくりゆっくり、確実に歩みを進めた。

 

雪道7

ここいらの写真が少ないのだが、行動面でも精神面でもそれどころじゃなかった。

開けたフィールドが出てくると、どこに行けばいいのか不安になる。

ピンク色のリボンで道は示されているし、雪には踏み跡もあるのだが、それでも広い空間というのは不安を演出してくれるね。

 

前から人がやって来た。

ベテランぽいおじさん一人だ。

わりとサクサク歩いてきた。

 

そっか、登山靴かスノーブーツ。それが必要だったのだ。

スニーカーは極端に性能が落ちるぞ。

これはこれからドラゴンアイを目指すであろうあなたへの教訓だ。

 

雪道8

ずいぶん長い時間歩いたような気がした。

「帰りのこともあるから、もうこれ以上はカンベンしてくれ」って思ったころに、ドラゴンアイの鏡池が姿を表した。

 

 

ドラゴンアイ出現

 

静かな霧の中に佇むドラゴンアイ。

ついに到達。

先客は2人ほどいた。

 

ドラゴンアイ1

これは少しだけ時期が早い。

ドラゴンアイの真の開眼は、池の中央に浮かぶ雪の真ん中が溶けて丸い穴が空いた瞬間だ。

あと1週間ほどだろうか?

 

ドラゴンアイ2

しかし開眼後は形が崩れやすく、雨が降っただけでドラゴンアイが崩壊したりする。

今回のこれも、ちょっと眠そうだけれども充分にドラゴンアイだ。

龍の白目に当たる部分は、澄みきったコバルトブルーだ。

天気がよければ本当に綺麗だったに違いないが、霧の中でも幻想的だ。

 

ドラゴンアイ3

奥の方をよく見てほしい。

曲線に亀裂が入っている。

 

なんでなのかわからないが、2週間くらい前からこの現象だそうで、今年のドラゴンアイは例年以上に崩れやすいのではないかと言われている。

 

僕はこれを「ドラゴンのコンタクトレンズがズレた」と呼んでいた。

決して綺麗なトラゴンアイではないが、見方を変えればこの光景もまたとないユニークなものだとポジティブに思えるもんね。

 

ドラゴンアイ4

僕は何枚も写真を撮った。
しかし構図は似たり寄ったりだ。

 

その理由は2つある。

ひとつは遊歩道が池をぐるりと取り巻いているわけではないから。

もうひとつは、下手に歩き回ることで転倒したり池に転落するリスクを減らすためだ。

 

ドラゴンアイ5

遊歩道からドラゴンアイへは、上図のようにすり鉢状になっている。

もしここで足を滑らせたら、龍の目の中にドボンだ。

たぶん這い上がることはできず、低温症で間もなく死ぬ。そんなのはゴメンなので、へタに歩き回らなかった。

 

ドラゴンアイ6

遊歩道とドラゴンアイを隔てているのは、1本の細いロープだけだ。

簡単に下をくぐることができるレベルなので、転倒したときの歯止めにもならない。

あなたも行く際にはくれぐれも気をつけてほしい。

 

ドラゴンアイ7

しばらくすると、2人組の人がやってきた。

では、そろそろ立ち去るか。

 

 

一場春夢の世界

 

帰還1

帰りの下り坂はさらに怖かったが、大体どのくらいの距離で雪原が終わるか把握していたので、気持ちはラクだった。

カメラのタイムスタンプを見たところ、なんだかんだで15分で車道に到着してた。

 

あと、分岐より手前のまだ雪道になっていない場所で、初老のご夫婦とすれ違った。

おじいさんは「ドライアイはこっちでいいですか?」と聞いてきたので、「ドラゴンアイはこっちですよ」と丁寧に応答した。

横にいたおばあさんが恥ずかしがっていた。

 

帰還2

車道や駐車場の霧はさらに深くなっていた。

もう愛車がどこなのかもよくわからなかった。

 

しかし帰って来れてホッとした。

短い時間であったが、ドキドキしたさ。

 

帰還3

なお、このあとのドラゴンアイであるが…。

 

公式Webでその後もずっと情報を追っていたところ、目玉が飛び出すようなヘンテコな成長を遂げたりし、例年には無い不思議な経過を辿って行った。

そして6月の下旬ごろに完全消滅したようだ。

 

 

これは昨年ではないが、僕が7月上旬に撮影した鏡池だ。

周囲には緑が溢れ、そして左右にかろうじて雪が残っている。

 

ドラゴンアイは、こうして終わりを告げるのだ。

 

 



晩春から初夏にかけての一瞬の夢のような光景、それがドラゴンアイ。

あなたも興味があれば、キチンと装備を整えて見に行ってほしい。

 

ほら、2022年もそろそろ龍が目を覚ますぞ。

耳をすませば、龍の唸り声が聞こえてきそうだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ドラゴンアイ(鏡池
  • 住所: 秋田県仙北市田沢湖玉川
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(八幡平山頂駐車場)
  • 時間: 特になし

 

No.191【京都府】日本三景「天橋立」を見下ろすミニ遊園地!サイクルカー楽しかったぞ!

日本三景天橋立

渋さあふれる良い景観だと思う。うん、みんな知っている。


僕はここを何度訪問したかは覚えていないが、5回は確実、10回には少し届かない程度ではないかと記憶している。

 

ところで天橋立には、絶景展望台が2つある。

北の「傘松公園」、南の「天橋立ビューランド」だ。

 

どっちも僕は複数回登っているし、そのどちらも素晴らしい眺めだった。

「これぞ日本三景!これぞ日本の誇る景景観!」とか思った記憶がある。

 

 

…ただしだ。

今回はそういう高尚な話ではなく、目線のレベルをググッと落として書きたい。

 

ご紹介するのは前述の天橋立ビューランド。

これは実はミニ遊園地なのだ。

そして今回は、天橋立を眺めるための展望台としての天橋立ビューランドではなく、"遊園地"としての天橋立ビューランドに重きを置いてご紹介したい。

 

 

つまりは「いい大人なのに、ここで遊んだら楽しかったぜ」と、言いたいことはこれだけだ。

 

では日本6周目前半戦、天橋立ビューランドを訪れた思い出を語ろう。

 

 

山の上は遊園地でした


ゴールデンウィーク

それはサラリーマンにとってゴールデンな連休であるだけではなく、気候も快適だし新緑もワサワサ伸びて、なんか世界が幸せ色に包まれるシーズンではないかと思う。

 

山上へ1

僕は天橋立にやって来た。

実は3日前にも天橋立に来たのだが、既に夜でね。なので戻ってきた。

ちなみにここに戻るまでの3日間に、中国地方の東側半分を走ってやった。

 

山上へ2

まずはビューランドに向かうには、モノレールorリフトだ。

往復で850円。

行き・帰りのそれぞれ好きな方を選べる。当然往復共にモノレールだとか、往復共にリフトも可能だ。

 

ちょうどモノレールが来ていたので、モノレールに乗ることにした。

1時間に3本のみの運行なので、比較的レアだ。

しかも今は朝の9:30。ゴールデンウィークとは言えこの時間はまだ空いている。

このあと大混雑するかもしれないから、今のうちにモノレールの方がいい。

 

では帰りはリフトにしようかな。

 

山上へ3

モノレールはこんな感じ。

非常に短い2両編成のケーブルカーと言ったほうがいいかもしれない。

 

リフトはちょっとスリリングで小さい子やお年寄りには不向きかもしれないが、モノレールは万人に優しい。

 

山上へ4

後ろ…というか下を見ると、このように天橋立の絶景が広がる。

モノレールの進みに合わせて徐々に見え方が異なって行くのがまたいい。

 

これご存じでない方も多いかもしれないが、上に登るケーブルカーやロープウェイの類は、必ず最後部を陣取るのがいい。

テンションに任せて一番前に行っても、見えるのは空ばかりだったりする。

後ろの方がマジ盛り上がるからな。

 

こうして7分で山頂駅に着く。

ちなみにリフトだと6分なのだそうだ。

 

山上へ5

はい、モノレールを降りたら秒で遊園地だ。

ワイワイガヤガヤ、気分も盛り上がる。

 

 

サイクルカーから天橋立を見る

 

天橋立ビューランドは、一歩敷地に橋を踏み込むと、もう目の前には観覧車があるし、頭上にはサイクルカーというモノレールの自転車版のようなアトラクションのレールが通っている。

 

サイクルカー1

「サイクルカー…、乗っちゃうか?」と僕は呟いた。

自分でも驚いた。

 

このときの旅は、同行者がいた。

とはいえ、天橋立をサクッと見たらすぐに山を下りてドライブを再開するつもりでいた。

今日はこのあと900km近く車を運転する予定がある。

ぶっちゃけ時間も体力も、そんなに使いたくはなかったのだ。

 

サイクルカー2

だけども、乗る。

幸いにして乗り場は全然混雑していなかったし、ここで1人ではやりにくい体験をすることも重要だ。

 

何より、この平和すぎる雰囲気に流された。

映画館でついついポップコーンを買ってしまうように、サービスエリアでソフトクリームを買ってしまうように。

あえて流されるのも人生には必要なのだ。

 

サイクルカー3

はい、気付けば2人乗りサイクルカーのコックピットに収まっていた。

2人乗りのものは500円だ。

 

スタッフのおじさんに送り出されて、いざ出発!!

 

サイクルカー4

うわー、なんかふんわり動くーー!!

完全に人力のアトラクションだが、動きはメッチャ滑らかだ。

小学校低学年の子でも動かせるようなペダルの軽さ。

この目線も相まって、まさに空の上を進んでいるような気分になる。幸せ。

 

サイクルカー5

このレール越しに見える天橋立がたまらんです。

一般の人々よりも高い目線でゆっくりと推移する天橋立

気分はさながらVIPだ。

 

サイクルカー6

はい、これぞ優越感。

足元では長い行列ができている。

人々が待っているのは”股覗き台"からの記念撮影だ。

 

天橋立の"股覗き"をご存じない方に説明すると、自分の股越しに天橋立を眺めるという行為。

 

サイクルカー7

下手な絵を描くと、こんな感じな。

そうすると天橋立が逆さまになる。

ここ天橋立ビューランドからの眺めは、それがまさに天に飛び立つ龍のように見えるとのことで、"飛龍観"と呼ばれている。

眼下の行列は、このポーズでの記念撮影している行列なのだ。

 

サイクルカー8

…そんな股覗きの人々を悠々と眺めながらサイクルカーは走る。

 

下界の人々は「あれが天橋立かー」みたいなことを思っているのだろうが、我々は「左をご覧ください。あれが股覗きでございます」みたいなアナウンスが脳内再生されている。

人々を含め、1つの景観だ。

 

サイクルカー9

手っ取り早く飛龍観を再現する方法。

それはカメラだけ逆さまにして撮影するか、普通に撮った写真を上下反転させればいい。

さて、あなたには空に飛び立つ龍が見えるかな??

 

サイクルカー10

…という感じで、おそらく250mほどの空中散歩なのだがとても爽快で楽しめる。

まもなくゴールが見えてくる。

 

サイクルカー11

童心に返るとは、まさにこのことであろう。

短い時間だったが、いい思い出となった。

 

 

その他のアトラクション

 

結論から言うと、僕が実際に乗ったのは前項のサイクルカーだけだ。

なのでその他のアトラクションについては多くを語れない。

 

しかし、乗らずともこの景観に華を添えてくれているのは事実。

実際、僕はこれらのアトラクションをニコニコしながら見て回った。

それらをご紹介したい。

 

遊園地を巡る1

まずは冒頭でも掲載したミニSL。

SL弁慶号という名前で、敷地中央を2周回る。

 

地表を走るので眺めはサイクルカーの方が上であろう。

しかし間違いなくチビッコのテンションがトップギヤに入るヤツである。

 

遊園地を巡る2

音楽が流れ、ときどき汽笛が聞こえ、そして子供たちの歓声も聞こえる。

平和の象徴みたいな乗り物だ。

 

遊園地を巡る3

そして遊園地と言えばこれだよね、シンボリックに聳える観覧車だ。

あまり大きくはないが、そもそもここが山の上なので天橋立の眺望は最高であろう。

公式Webサイトによれば、どうやら丹後半島の先の方まで見えるらしい。

 

遊園地を巡る4

メリーゴーランドもあるぞ。

小さい遊園地ではあるが、遊園地の要素は大体つまっている。

 

これらの乗り物が、大体それぞれ300円ほどで利用できる。

 

遊園地を巡る5

あとは、写真右手に見えている建物。この後ろにはゴーカート乗り場がある。

ライド系のアトラクションとしては以上であろうか。

 

ちなみに建物内にはアーチェリーや射的などの遊具がある。

これはこれで面白そうだった。

 

 

飛龍観回廊&敷地内からの眺望

 

次に、天橋立ビューランドの誇る展望台をご紹介しよう。

これ、2012年に完成したのだそうだ。

 

うわわ、僕はこれを初めて見た。つまり前回の訪問から結構な年月が経っていたということだ、うわわ。

 

飛龍観回廊1

これが飛龍観回廊だ。

なんか複雑でユニークなデザインだ。ワチャワチャしている。

どうやら龍をイメージしているらしい。なるほど。そう言われればそうも見える。

 

飛龍観回廊2

らせん階段をグルグルと上る。

そして龍の背のような回廊に乗る。

 

飛龍観回廊3

普通の展望台と比べて、ポジションイングの優劣が少ないように感じる。

回廊のどこであっても同じように最高の絶景が見えるつくりだ。

 

そしてこの写真、撮影者は隣の龍の背にいるのだが、ここもここでよい。

人が入っている状態での展望ってのも臨場感があるものだ。

だから他の展望所でも、僕はあえて人を入れて写真を撮ったりすることが多い。

 

飛龍観回廊4

グニャグニャ展望台、良いな。

しかし高所恐怖症の人は注意だ。足元の風通しはバツグンなのだ。

 

飛龍観回廊5

展望はもちろん申し分ない。

むしろ、ビューランドに上がってきた時点で基本的に全員勝ち組だから、あとはもう好みの問題だと思っている。

 

飛龍観回廊6

天橋立ってのはもともと土砂が堆積した砂州なのだが、その砂浜が綺麗にギザギザになっている部分が好きだ。

まぁこの天橋立そのものにフォーカスした記事については、いずれ別の記事で書こうと思っている。

 

その他の眺望1

モノレールを降りたすぐそばにある、この2本のポールを使った眺望も好きだ。

記念撮影に使える場所だと思う。

 

その他の眺望2

山頂からリフト乗り場には少し歩て下がって行く必要があるのだが、その途中での傾斜地の眺めもいい。

ここマジでなかなかの穴場だと思う。

 

綺麗に整備されており、それぞれに良さがあるのだ。

みんな違って、みんないい。

それがビューランドの眺望だ。

名前の通り、本当にビューするためのランドだ。

 

 

ピザフリッタの思い出を胸に

 

小腹の減った僕らは、遊園地内のカフェで何かを買うことにした。

 

ピザフリッタ1

ピザフリッタをオーダーすることとした。

『4種のチーズとハムが美味しい揚げピッツァ』と書かれていて、価格は300円。

これだ、って思った。

 

ピザフリッタ2

カフェの前にはこのように広いウッドデッキのスペースがあり、パラソルつきのテーブルとベンチのセットがある。

そのうちの1つを確保することができた。

 

ピザフリッタ3

ピザフリッタ、うまかった。

中身のトロトロチーズの写真は、顔面と共に撮影したものしかないのでここに掲載することは控えよう。

お見せできなくって残念だが、最高だった。

 

正確に言うと、味が良かったから「最高だった」と表記したのではない。

この世界全部がステキだったからだ。

 

帰りのリフト1

最高に気持ちのいい、5月上旬の新緑の時期。

穏やかな朝で、暑くも寒くもなくほど良い陽気。

 

旅先というだけでちょっと気分が高揚してしまうのだが、さらにここは展望のいい遊園地。

プカプカした感じの平和なBGMが流れ、みんな笑顔だし子供の歓声も聞こえる。ウグイスの鳴き声も聞こえる。

 

…そんなロケーションで、思いつきで「サイクルカー乗ろうか」、「ピザフリッタ食べようか」みたいになり、どちらもアタリだったのだ。

これを幸せと言わずして、いったい何が幸せか。

 

僕は言った。

「何10年後かにボケたとしても、今日ここでサイクルカー乗ってピザフリッタ食べたことは忘れたくないよな。」と。

 

帰りのリフト2

そういうことだ。

だから冒頭に書いた通り、今回の主役は天橋立ではない。

あくまでビューランドなのだ。

 

そんな思い出があってもいいと、そう思う。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 天橋立ビューランド
  • 住所: 京都府宮津市字文珠
  • 料金: ビューランド往復モノレール・リフト¥850
  • 駐車場: 山麓に有料駐車場あり
  • 時間: 9:00~17:00(季節により変動あり)

 

No.190【宮城県】コロナ禍で3月末に閉店!鮮魚店「まるか」でマイ海鮮丼を作った思い出!

2ヶ月近く前の話で恐縮だが、書いておきたいことがある。

石巻市にある思い入れのあった鮮魚店が2022年3月末で閉店してしまったのだ。

 

そのお店の名前は「プロショップまるか」。

市場のようなロケーションであり、買った魚をその場で捌いてもらって簡素なイートインスペースで食べることもできる、ようするに"勝手丼スタイル"のお店であった。

 

 

質素なスタイルの店構え、素材のみで勝負するその潔さに感銘を受け、僕は何度もこの店を訪問した。

合計7・8回は行ったであろうか…。

 

今回はそのうちの3回ほどの訪問記録をマージし、プロショップまるかの思い出を語りたい。

 

 

石巻は魚とマンガの町

 

このお店は、石巻駅から徒歩でも行ける距離にある。

石巻駅、ご存じだろうか?

あの漫画家「石ノ森章太郎」のゆかりの町であり、そこかしこで石ノ森キャラが出迎えてくれる。

 

石巻の町1

…とはいえ、僕は世代ではないのでキャラのことはよくわからない。

赤ばかりの戦隊もののゼロゼロなんとかが代表作の1つであることはかろうじて知っている。

 

石巻の町2

仮面ライダーはいろいろ種類がいるようだが、名前は何1つわからない。

でもどれもデザインは秀逸で好きだ。

 

石巻の町3

着物のおじいさんと思われる人が、炎天下で杖にすがっているので「大丈夫か!?」と心配になった。

しかしこれも石ノ森キャラの像であり、生身の人間ではないのだそうだ。

 

まるかへ1

そんなこんなで、プロショップまるかである。

「おさかなの店」と、シンプルイズベストなアピール文が看板にくっついている。

 

石巻港は、日本有数の水揚げ量を誇る港だ。

そして水揚げ岩壁の長さは1.2㎞もあって世界一の長さだし、魚市場も875mもあって殷洪一の長さなのだ。

 

このような最強ステータスをことごとくモノにしている石巻にて「おさかなの店」と掲げているのだ。マズいわけがない。

 

まるかへ2

このお店は、鮮魚を市内外の和食店や寿司屋などに卸している。

最盛期には取引先が250店舗もあったのだそうだ。

しかも一般の人も鮮魚などなど購入できる。

 

東日本大震災で大きな被害を受けて1階天井まで浸水したものの、2ヶ月後には立ち直っている。

すげーお店なのだ。

 

 

鮮魚コーナーを物色せよ

 

では、中に入ってみよう。

 

鮮魚コーナー1

ガチめの魚のお店である。

ここは市場そのものではないが、市場からゴソッと魚を持ってきているので、もう雰囲気は市場だ。

かなり巨大な魚もドデーンと並べられており、一般人である僕はちょっとたじろぐ。

 

鮮魚コーナー2

女川や金華山で揚がった魚もいっぱいいる。

もうその地名を聞いただけで「間違いないヤツですやん!」と叫びたい。

しかもそれが割と安価なのだ。

 

鮮魚コーナー3

先に言っておくと、こういう大体の魚は頼めば捌いてくれる。

綺麗にお刺身としてお皿に盛ってくれる。しかもたしかタダでだ。

三枚に卸そうとしてもただのミンチみたいなってしまうであろう、大雑把なO型の僕としては嬉しいサービスだ。

 

鮮魚コーナー4

右端、「ぶどう」と書いてあるけれどもフルーツではない。

ブドウエビだ。

高級かつメチャうまいブドウエビが無造作にモリッと置かれている。

 

鮮魚コーナー5

イクラ・ウニ・マグロ…、パッケージになっているのもある。

これは買いやすいね。

 

ちなみにタコもうまい。僕はよくここでタコを買った。

このあとの章では出て来ないので、ここでタコアピールしておく。

 

鮮魚コーナー6

ウニは木箱で買っても良し、殻つきをパックリ割ったヤツをスプーンとかでほじくって食べても良しだ。

 

鮮魚コーナー7

カニ・シャコ・ホヤなどなど…。

ホヤは東北の三陸ならではだね。すごくよく見かける。

 

しかし僕はホヤは苦手なのだ。

見た目がちょっとアレだし、初めて食べたときに「なんだなんだ!?海の隅っこの方のような味がずるぞ!」と騒いだ記憶。

 

鮮魚コーナー8

あとはバケツ一杯に蠢いている沢ガニがユニークだったので写真を撮らせていただいた。

1匹30円ですってよ、奥さん。子供のおやつにいかがか。

 

あとは焼き魚・煮魚・玉子焼き・コロッケのような加工品や総菜なども少々ある。

食べたいもの、決まったかい?

 

 

その場で食べよう、海の幸

 

魚介などのメインに加え、もしご飯や味噌汁が欲しいのであればレジで頼めば200円でセットにしてもらえる。

これで定食が完成するぞ。

 

イートイン1

そんでそれらをどこで食べるのかと言うと、ここだ。

売り場スペースのまさに中央、会議机とパイプ椅子が並べられている。

 

お店自体は朝から営業しているが、11:30~の昼の間だけ、ここで飲食できるのだ。

ほんの1m後ろには魚介を選んでいるお客さんが右往左往している中で食べるという、豪快さがまたいい。

 

イートイン2

配膳も後片付けも、お茶を淹れるのも醤油を用意するのも、全部セルフ。

あと電子レンジもあるので、惣菜類も自由に温め直すことが可能だ。

 

イートイン3

買ったものを並べていく。

1人だと胃のキャパシティ的にも金額的にも制限があるだろうが、複数名で来るのであれば具材をシェアできるというメリットがある。

1人がウニを買い、もう1人がイクラを買えば、ウニ&イクラのハーフ丼を2人で食べることができる。

 

イートイン4

はい、優勝ですね、これ。

味噌汁にはワイルドにカニが入っていたこともある。アタリだ、これ。

海の幸に感謝の気持ちしかない。

 

イートイン5

ウニも臭みが無くて新鮮だ。

こんなもの、関東だとなかなか手の出にくい値段なのだが、ここであればそれなりにリーズナブル。

 

イートイン6

柵で買ったお刺身も、そして1ブロックのゴロッとした状態だった玉子焼きも、こうやってカッコよく盛り付けてくれる。

ツマやシソもつけてくれるから、テンション上がっちゃうじゃない。

 

イートイン7

4人ほどで訪問してそれぞれがオーダーすれば、もう宴会みたいなビジュアルになる。

思わず日本酒が飲みたくなってしまう構図だ。

石巻、最高かよ。

 

イートイン8

これはヒラマサとアジ、そしてウニ・イクラを注文したときの図だ。

僕も何度かこのお店を訪れて熟練度が上がっていたので、初めてのメンバーを連れて行ったときの図だ。

非常に喜んでもらえて、僕も嬉しい。

 

イートイン9

3食丼にした。

とりあえずご飯の上に飾りたくなる性分なのだ。

 

イートイン10

石巻の魚介がおいしいのは当然だが、ここのように「まさに形ある魚を食べることができる」っていう体験をできることが貴重ではないかと思う。

ここは本当に海の町なのだ。海と共に生きているのだ。

 

イートイン11

このお店はまだ武器を持っているぞ。

それがこのイートイン専用のお弁当だ。

 

確か700円だったろうか。

その日の献立は漁獲で変わるけど、いい感じに詰め合わせた状態で個数限定で提供している。

手軽に楽しめるハッピーセットだ。

 

イートイン12

これはサンマだったな。うん、季節的にもサンマで間違いない。

都心部だとなかなか生で食べる機会もないだろうが、三陸だとこういうことも可能だ。

 

イートイン13

サンマ&イクラ丼と、お弁当のコラボ。

秋の味覚が口いっぱいに押し寄せた。

 

 

そんなお店もコロナに勝てず…

 

2022年の3月中旬のことであった。

あの忌まわしき3.11も過ぎ去ったころ、東北を巡った思い出の写真を眺めたり、現地の情報をWebから収集していた。

 

そこで目を疑った。

プロショップまるかが3月末に閉店するというクチコミであった。

マジで!?あと2週間で!?

 

しかし情報ソースはその1つだけであり、オフィシャルな情報もなければ多くの人が認識している状態でもない。

勘違いやガセかもしれないなって思い、僕も質問をWeb上に投げかけてみた。

 

情報は本当だった。

3月中旬ごろに急に月末閉店が確定し、地元もちょっとザワめいているのだそうだ。

 

www.asahi.com

 

Webで閉店が正式にニュースになったのは、たぶん3月27日だ。

もう本当に閉店直前だった。

 

オーナーさんは70歳になるので自分が引退することは前から考えていた。

そしてお店は後継者を見つけて譲りたいと考えていた。

しかしこのコロナ禍でお店の売り上げは半分になっており、後継者もやり手がいなくって、残念ながら閉店となったのだ。

 

そっか…。

僕自身、コロナ禍になってからここは訪問しなかったしな…。

あともう1つ言えば、3・4年ほど前に徒歩1分くらいの場所に「いしのまき元気市場」っていう施設ができたのも影響したかもしれないと思われる。

道の駅のようなピカピカ大規模施設で、魚屋さんもあればレストランもあり、とても充実していたのだ。

 

いしのまき元気市場

思い出の地が、また1つ無くなってしまった。

そして遠方なので、最後に食べに行くことも叶わなかった。

 

何度かやりとりしたことのある店員さんの顔が浮かぶ。

今頃、どこで何をしているだろうか。

 

まるかへ3

プロショップまるかさん、50年以上の長きに渡り、ありがとうございました。

 

二度とこの店に行くことはできないけど、それでも石巻が日本有数の魚の町であることは事実。

コロナがもう少し落ち着いたら、また石巻の町を再訪し、海の幸を楽しみたい。

そう夢見ている。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: プロショップまるか
  • 住所: 宮城県石巻市中央1-11-7
  • 料金: お弁当¥700他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00~18:00(閉店ずみ)