5月の下旬。だがそこは息が白くなるほどに寒かった。
時刻は早朝。
朝の5時を回ってすぐのことだった。
一面に広がる溶岩の向こうに聳える「岩手山」が、虹色に輝いた。
生物がほとんどいない、静寂の世界。
そこに忽然と聳え、虹色の灯りを放ったその山は、息を飲むほどに美しかった。
では、今回は岩手山のふもとに広がる「焼走り熔岩流(やけはしりようがんりゅう)」をご紹介しよう。
早朝の閑寂
車中泊ポイントにて、午前4時に目を覚ました。
こんなパン屋さんみたいな時間に行動を開始したのは、もちろん朝一で焼走り熔岩流を訪問するためである。
眠い目をこすりながら、山間部を走る車のハンドルを握った。
少しだけ開けた窓から吹き込む風は、ヒンヤリを通り越して普通に寒かった。
もう夏だというのに。
それらしき場所に到着した。
ここが焼走り熔岩流の駐車場だろうか?
結論からいうと、焼走り熔岩流自体は車窓から見えない上、付近の看板も少ないし駐車場への案内も特になく、わかりづらかった。
まぁでもこのとき僕が停めたスポット、「焼走り野営場」が一番スタンダードな駐車場なので、もしあなたがここに行くと言うならば覚えておいてほしい。
ちょっと離れたところには「岩手山銀河ステーション」の天文台も見えていた。
上の写真、中央の車の向こう側に見えているのがそれだ。
熔岩流の遊歩道の入口までやってきた。
ちなみに車道や駐車場と熔岩流の間には木立があり、それが前述の通り車窓から熔岩流が見えない理由だ。
これが遊歩道マップ。
要点は以下の通りだ。
- 遊歩道は片道1km。ずっと熔岩流の上。
- 熔岩流の中に展望台のような目標にできるスポットはない。
- 1km先、遊歩道が終わった地点に展望台がある。
- 1km先の終点からここまではまた歩いて戻ることになるが、車道もあるのでそこを歩ける。
理解。
それでは歩こう。
もう夏になるが、くそ寒いので真冬の装備でだ。
まだ朝の4時台。
誰もいない、静かな荒野が現れる…!
灰色しかない世界
一歩熔岩流に入ると、そこは地獄のような光景だった。
熔岩しかない。
ひたすらに熔岩の広がったフィールドであった。
その向こうに聳えているのは、この熔岩を吐き出した張本人、岩手山だ。
今から300年前の1732年、岩手山はハデに噴火した。ドバドバに熔岩が流れた。
それが冷えて固まったのが、ここだ。
地球の歴史ってすごく長いから、地球にとっての300年なんて、マジ最近である。
最近の話だから、熔岩の上にはまだ植物がほとんど生えていない。
熔岩剥き出しの大地がこれだけ広がっているのって、とても貴重なのだそうだ。
「でも、最近噴火したといえば、あの山もあの山も直近数10年以内に噴火して大ニュースになって…」っていう考えが頭をよぎった。
いや、あえてそれらは書くのを辞めよう。
火砕流を伴う噴火には、悲しい要素が多すぎるからだ。
300年前の、ちょっとピンと来ないくらい昔のスポットがちょうどいい。
で、これ悲しいお知らせなんだけどさ、熔岩の上を歩いたところで、何かすっごいイベントがあるわけではない。
ただただ、淡々と歩くのみだ。
歩き、歩き、歩くのだ。
僕は一人納得した。
Webでの焼走り熔岩流の紹介も、実際に行ったという人のブログも、記事がとても淡白である理由を。
そっか、書くネタがなかったのだな。
変わりばえしない光景。
展望台も説明板も何もない荒野。
浮き沈みが一切ないもんな。
ただ一面の灰色の世界。
足元の遊歩道も熔岩で形成されている。
熔岩は踏むとカシャンカシャンと軽石のような音を立てる。
風を遮るものがないからか、岩手山から吹き降ろす風がダイレクトに僕に当たる。
烏の鳴き声が聞こえる。
…うむ、実に地獄みが強い。
足元もゴツゴツした熔岩なので、かなり慎重に歩かないと足首をグキッとやる。
歩きスマホなどしていたら、遊歩道終点までに10回くらい捻挫するだろう。両足では足りないレベルの犠牲だ。
この変わらない景色を眺めながら、溶岩の上を終点まで1km歩いてまた帰ってくるって、ちょっとシンドいな。
それこそ地獄の試練の1つのようだ。
僕はちょっと考えた。
遊歩道を終点まで歩くのは辞めよう。そして駐車場に引き返そう。
ただし、このまま焼走り熔岩流を立ち去るのではない。
1㎞歩いた遊歩道の終着点にあるという展望台に、車で行こう。
…こういうことだ。
早速車に乗り込み、展望台へと向かった。
熔岩にも苔は生える
展望台への車道であるが、県道233号を反れてからの最後の100mほどは、とても狭かった。
これ、早朝で全く車がいないからいいが、対向車が来たら擦れ違えなかったな。
そして展望台が見えてきた。
すぐ脇に駐車スペースもあったが、2・3台しか停められないような規模だった。
終末の日中などであれば、僕の作戦は期待しないほうがいいかもしれない。
無難に1km熔岩の上を歩くほうがいいのかもしれない。
上の写真でも見て取れるが、ちょうど木々の隙間から朝日が昇ってきたところだった。
時刻は5:10頃。
この時期は日の出がとても早くてワクワクするね。
展望台は木々の中にある。
さっきの無味乾燥な世界から一転し、この木立と朝日は「生命って素晴らしい!」という気持ちを抱かせてくれた。感謝。
しかし、展望台はもうちょっとだけ待ってくれ。
実は遊歩道終点部分を少しだけ歩いたので、先にそちらのご紹介をさせていただきたい。
遊歩道に説明板が1つあった。
ここいらの足元の熔岩に着目すると、灰白色の苔があるというのだ。
これか!これが苔か!!
シモフリゴケかハイイロキゴケというそうだ。
そして説明板にある通り、桜島や伊豆大島の熔岩に比べて熔岩の上に植物が生い茂るスピードがメチャメチャ遅く、それが珍しい事象なのだそうだ。
面白い。
カビのようにも見えるが、言われてみれば苔なのかもしれない。
なんでこんな過酷な環境を選んでしまったんだよ、って言いたくなるような世界に頑張って生きている。
この苔はなかなか親しみやすいビジュアルだ。
僕らの生活の中にいても違和感のないタイプだ。かわいい。
その他、溶岩流には複数の鳥もいるそうだ。
「ポッポロリ、ピッピキピ」・「チョッピー、チリーチョ」…。
これまで生きてきてお目にかからなかった擬音だ…。
耳をすましたが、このときは鳥の声は聞こえなかった。
だから僕は「ポッポロリ・ポッポロリ」と自分で口ずさみながら遊歩道を展望台方面に引き返した。
レインボーマウンテン
ではでは、展望台に登ろうか。
木製の立派な展望台だ。
階段の途中に「宮沢賢治」の石碑があった。
"熔岩流"という作品だ。
なんか長文でくどくど書いていて、この場で全文を読んで理解するにはちょっとカロリーが足りなかったし、今ここでこの内容をブログにうまくご紹介するカロリーも足りない。
簡単に言うと『黒くてゴツゴツしてスゲーな!鳥いないな!わっ、苔が2種類生えてる!』っていう内容だ。
ま、ようするに言っていることは僕と一緒。違いは表現力の有無だけ。
そういうこと言うと僕、宮沢賢治さんの遺族に消されるかもしれないけど。
展望台から前方を見ると、さっきちょこっとだけ歩いた遊歩道終点部分が見える。
遊歩道の周囲に灰色の苔が生えているのがここからでもわかる。
そして、熔岩の上に少しずつ日が差してきたぞー…。
ここでだ。
僕はちょっと目線の上の岩手山を見て「あれ?」って思った。
虹っぽくない!??
…そう思ったのだ。
虹とは上下が逆だし並びも多少違うが、下から赤・オレンジ・緑・黄色・青…のような配色となっている。
山頂付近の雲の影の青、麓付近の朝日に照らされた赤。
これらのコントラストが奇跡的にこのグラデーションを生んだのだろうか。
日が昇るに合わせ、刻一刻とその様相は変化していく。
面白い!これはいいものを見た!
僕はキャッキャとはしゃいださ。
もしかしたら珍しくないのかもしれない。
大騒ぎするようなことではないのかもしれない。
しかし、遥々旅をしてきた地で早朝に見た、この一瞬の現象は、僕の心には大きく響いた。
またとないこの時間を大切にしたい。
そう思った。
灰色の世界の彼方に、虹が架かったのだ。
まさに極楽。
今日もいい日になりますように。
僕は朝日に祈った。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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