週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.183【石川県】桜の時期の「金沢城」&「兼六園」!春の訪れを祝い、陽気にお祭りだ!

日本三名園というジャンルがある。

 

日本庭園のトップ・オブ・トップの名誉を持つスポットで、「後楽園」・「兼六園」・「偕楽園」だ。

僕は全部行った。

まだこういう日本庭園の侘び寂びが理解できない日本2周目の時点で、既に全制覇してしまっている。

 

さて、この1つである金沢市兼六園

ここには日本3周目以降も桜の時期に2回訪問している。

かつては雪の眩しい真冬の快晴だとかにも訪れて感動したこともあるんだけど、今回は"桜の兼六園"にスポットを当てて執筆したい。

 

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日本5周目と日本6周目で訪問した記録をブレンドしつつご紹介しよう。

 

 

金沢市のシンボル、金沢城

 

金沢城を歩いた思い出から語ろうか。

兼六園や祭りの話は、後述するからもうちょっと待っててほしい。

 

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兼六園に行こう

とある年の4月のことだ。

うん、よく覚えている。この日の夜は皆既月食になるのだ。

天気図を眺め、日本列島の半分くらいがドロドロの曇りである中、桜と月が同時に眺められるスポットを割り出した。

 

能登半島だ。

こうして僕は能登半島に向かい、そこで兼六園に立ち寄るのだ。

ワクワクしてきた。

 

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金沢城1

はい、「金沢城」だ。金沢城兼六園のすぐ向かいにある。

…というより、金沢城の外郭に造られた庭園が兼六園なので、主は金沢城だ。

兼六園のすぐ北が金沢城なので、一緒に見学するとお得感が2倍である。

 

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金沢城2

お城と共に桜を見ると、これまたお得感も感動も2倍である。

 

金沢城は江戸初期に落雷で天守が燃えちゃって以降、一度も天守が建てられなかったお城だそうだ。

なので上の写真に写っているのも、天守閣ではなくって櫓(やぐら)だ。

石川門というらしい。

 

当然天守ほどは見栄えはしないので、僕も過去ここに何度か来たものの、感動レベルは控えめであった。

だけども今回は、満開間近の桜に綺麗に囲まれていて、初めて「綺麗だー!」って思った。

桜のパワーは偉大だと感じた。

そのように、当時の僕の手記にも書いてある。

 

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金沢城3

外国人の方も、桜とお城をバックに記念撮影をしていた。

笑顔で「ようこそ日本へ」って言いたい気分になった。

 

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金沢城4

兼六園金沢城を繋ぐ遊歩道から眺める桜並木もまた、格別であった。

ちょっと空は曇りがちだが、桜のエフェクトがそんなマイナスファクターを吹き飛ばしてくれる。

桜のパワーはそのくらい偉大だ。

 

…少し年月が流れ、日本6周目。

コロナ禍直前の時代。

 

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金沢城5

同じ歩道橋の上から、僕は桜を見下ろしていた。

あいかわらず綺麗であった。

しかも今回は快晴だ。世界はより一層キラキラしていた。

 

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金沢城6

最高だな、おい。

実は昨日の夜まで、ここに来る予定はなかった。

 

昨日は能登半島の先端にほど近い輪島の町で、車中泊スポットに付近をブラブラ歩いていたらお寿司屋さんがあったので突撃して、お刺身食べながらお酒を飲んだのだ。

そこにいたおっちゃんといろいろおしゃべりしたのだが、おっちゃんは「この陽気で金沢までは桜満開になったよ。兼六園きっと綺麗だよ。」って言ってた。

 

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金沢城7

「そっか、じゃあフラリと行ってみるか。」って思い、翌朝の今なのである。

来て正解だった。ありがとう、お寿司屋で飲んでいたおっちゃん。

 

付近は渋滞して結構大変だったし、駐車場もなくって結構遠いところに停めたんだけど、この光景を見たらそういう苦労は吹き飛んださ。

 

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金沢城8

改めて石川門を見上げる。

この石川門は、1759年に火事で焼け落ちたけどその後ほどなくして復元され、それ以来ずっと金沢城のシンボル的な存在だ。

 

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金沢城9

さて、今回はこの石川門の向こう側にも行く。

正直僕はお城はちょっと離れているところから眺めていれば満足な人種なのだが、今日は気温も20℃超でポカポカで、いろいろ散歩したい気分なのだ。

 

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金沢城10

三の丸広場だ。「広ー」って思った。

もともとは重臣の邸宅があった敷地だ。今はフリーダムな広場になっている。

 

その向こうにあるのが五十間長屋っていう、文字通り長屋のようになっている建物だ。

かつて武器庫として使われていた。

 

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金沢城11

その五十間長屋の左端が橋爪門続櫓っていう櫓。

石川門に負けず劣らずの存在感を放っていた。

 

僕はこれらを見渡せる三の丸広場をグルリと散歩し、次は兼六園内に足を踏み入れることとする。

 

 

神対応!無料開放される公園

圧巻の日本庭園

 

この金沢城に隣接する風光明媚な日本庭園が兼六園だ。

その日本三景に数えられる庭園にに桜が咲き誇ったら…。

 

そりゃもう最高でしょ?

普段以上に入場料が高くても入りたくなっちゃうでしょ?

 

…しかしだ!

兼六園は桜の時期に合わせて無料開放してくれる。

入園料が無料になるのだ。なってこった。神か。

 

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兼六園を散歩1

普段はセキュリティガチガチで、きっとサングラスをした黒服が立ちはだかっているであろうゲートも、今はフリーパスだ。

自由に出たり入ったり。VIP感がハンパねぇ。

 

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兼六園を散歩2

まずは見ておきたいのはこの徽軫灯籠。

読めない…。

"ことじとうろう"と読む。金沢城方面から園内に入ればすぐだ。

 

園内の霞ヶ池という家のほとりに立っている、兼六園を代表する景観の1つだ。

大体燈籠って足は1本か3本か4本なんだけど、これは珍しい2本。

琴の糸を支える琴柱(ことじ)っていうパーツに似ているのでこのネーミングなのだそうだ。

 

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兼六園を散歩3

左端の燈篭は3本足だな。これはこれでかわいい。

そして日本庭園が美しい。

以前は全然興味なかったんだけど、最近はしみじみいいなって感じる。

これは僕が渋い大人になった証拠だと自負している。

 

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兼六園を散歩4

池の上に張り出すように伸びた松なんか、すごくいいのだ。

 

なんで自らこんな危険な水の上に乗りだしているのか。

猪突猛進で集団入水していしまうレミング(タビネズミ)のようでもあるし、水場に先導されるハリガネムシに寄生されたカマキリのようでもある。

どっちの例えでも関係者には怒られそうだけど、この松の意思に感嘆する。

 

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兼六園を散歩5

「俺スゲーだろ感」の強い松。

僕も小学生~大学生くらいまでは、こんな感じのタイプであった。

 

「スゲーだろ」とか言っている割には、もう自身ではどうしょもできない角度にまで傾いてしまっている。ワンパク男子あるあるだ。

 

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兼六園を散歩6

霞が池の全容を収めてみた。

たまらんねぇ。松に囲まれる池。池の中の小島にも松がこんもり。

こういうのを風流と呼んでよいのだろう。

 

そして左側にチラッと見えている、池の上に乗りだした建物がステキだ。

内橋亭というらしい。

 

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兼六園を散歩7

茶屋では多くの人が休憩している。

 

これを今執筆しているのは2022年のコロナ禍なんだけど、こういう密集風景がすごく懐かしく感じてしまう。

以前は何とも思わなかった光景なのに。

 

ねぇ、これを読んでいる未来人さん。

あなたの時代はどうなっていますか?

やっぱまだ距離を空けた生活ですか?それともみんなで集まれる生活ですか?

まだ僕の人生はそれなりに長いと思うので、それが気になる。

 

 

桜咲く園内

 

ちょっと前章では「桜が少ないな」と感じられたかと思う。

うん、僕も正直そう思った。

金沢城もそうだけど、兼六園も桜の名所だ。

しかし、そんなワサワサと生えているとは感じなかった。

 

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園内の桜1

金沢城方面から入ると、ドーンと開けて霞が池の見える手前、入口から園内に繋がる遊歩道ゾーンが一番桜が多かったと感じた。

しかしそこも桜は点在しており、一枚絵で写真撮影するのであれば金沢城の石川門あたりがインパクト突出している。

 

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園内の桜2

調べてみたところ、兼六園内にも400本の桜の木がある。

決して少ない数ではない。

だが園内がとても広いので、多く密集しているようには感じにくいのかもしれない。

 

それに、桜は40種類の桜があるそうだ。

品種によって開花時期は様々なので、一度に楽しむというより、長い期間それぞれ異なる桜を楽しめる、といった感じかもしれない。

 

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園内の桜3

歩いていると、ひょっこり桜が現れる。

そんなシチュエーションを楽しめるのではないかと思う。

 

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園内の桜4

ちょっと人の少ないところに意外とたくさん咲いていたりするので、そういうスポットを探してみるのもまた、面白いかもしれない。

 

あとはもう1つ、眺望台と名前のついている、市街地を見下ろすスポットだ。

ここは桜すごい。

 

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園内の桜5

桜に包まれる市街地を見下ろすことができるのだ。

"園内に咲く桜"っていう図での撮影は困難だが、街並みと共に桜を撮影するにはうってつけのスポット。

 

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園内の桜6

桜も密集しているし、それを見る観光客も密集している。

でもいい。

この写真はコロナ直前のものだからセーフだ。

 

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園内の桜7

ただただみんなが、春の到来を楽しんでいた。

 

 

模擬店でまるまる焼きを

 

金沢城兼六園を繋ぐ区画では、多くの模擬店が軒を連ねていた。

この桜シーズンに合わせて出店しているのだろう。

 

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模擬店1

最高だ。

こういう祭りの雰囲気は大好きだ。

 

1人旅なのでちょっと気後れしてしまいそうな部分もあるが、せっかくなのでここで何か食べていきたい。

朝ご飯を食べていないので、少しお腹を満たせるコストパフォーマンスが高いものがほしい。

 

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模擬店2

あそこに見えている"まるまる焼き"に目をつけた。

 

まるまる焼きが何者かご存じか?

僕は知らなかった。

しかし慎重に模擬店を偵察し、大判焼きの型で作るお好み焼きだと判断した。

そして(確か)200円と比較的安価であった。

メチャうってつけだ。

 

ja.wikipedia.org

 

詳しく知りたい方は、上のリンクでも見てほしい。

大阪焼きだとかアメ横焼きと言われることもあり、この"まるまる焼き"という表現が使われるのは石川県を中心とした北陸地方に集中しているそうだ。…たぶんだけど。

 

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模擬店3

はい、いただきました。

そしてうまくないハズがない。

 

1人なので喧騒のちょっと端っこの方でがあるが、晴天と桜の木を眺めながら食べたまるまる焼きは最高の思い出となった。

最高のシーズンだ。

 

-*-*-*-*-*-*-

 

最後に、兼六園の無料開放期間についての情報だ。

これは開始日・期間ともに毎年変動する。

桜の開花情報が出てから判断され、そして期間はどういう判断かわからないけど大体7~10日ほどだそうだ。

 

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兼六園から少し歩いた駐車場

2022年は、4月3日から4月9日までの7日間である。

ちょっと短めであるので、興味のある方は早めに突撃していただきたい。

 

あと、残念なことにこのコロナ禍なので昨年に続き今年も模擬店の出典は無いそうなので留意されたし。

 

ちなみに、兼六園は有料期間でも320円と安価だ。

そしてたとえ桜の時期が終わったとしても、兼六園はもちろん素晴らしい。

 

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夏の兼六園1

夏の重要な緑に包まれる兼六園も最高なのだ。

今回は桜特集なので触れないが、いつか兼六園の夏と冬を取り上げた記事も執筆したい。

 

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夏の兼六園2

コロナ禍となってから3回目の春。

規模を縮小しつつ祭りを開催するところもチラホラ出てきた。

2022年を生きる僕も、そんな桜祭りに少し顔を出したりした。

 

もっと思い切り祭りを楽しめるような、そんな世界が早く戻ってくるといいね。

心からそう思う。

 

-*-*-*-*-*-*-

 

P.S.

冒頭で記載した皆既月食はちゃんと眺められた。

風呂あがりの能登半島和倉温泉」で、野営地でビール飲みながら見た。

神秘的な月見酒、最高だ。

いつもより酔いが回るのが早かった。普段の3倍酔う。

 

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皆既月食

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

名称: 兼六園

住所: 石川県金沢市丸の内1-1

料金: 320円

駐車場: あり(有料)

時間: 7:00~18:00(時期により変動あり)

 

【エッセイ】姿の見えぬ隣人に怯えて暮らす!!出会いの季節に送るちょっとホラーなお話!

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

2022年度がスタートしますね。

あなたも多かれ少なかれ、新しい1年に足を踏み出すのでしょうね。

おめでとう。陰ながら応援させていただきます。

 

さて、この僕は…。

ちょっと思うところがありまして、ブログの体裁をガラリと変えます。

 

ドライブスポット情報ブログはもう卒業です。うん、そんなもん止めだ止めだ!

これからは日常ホラー系ブログをやるのです。

時代はオカルトですよ、あなた。

 

 

週末大冒険改め、【終末大冒険】

 

4月からの新生活、一人暮らしを始める方も多いでしょう。

第1弾は、そんなあなたに贈るホラーでステキな応援歌!

 

それでは今年度もよろしくお願いいたします!

 

 

1. イワカン

 

これは、僕が仕事の関係で、とある都市(以下B市と記載)と実家の両方を拠点に生活していた時期のお話である。

 

7月の上旬。自宅のあるB市に久々に5日間だけ帰ってきた僕。

その最後の夜のこと…。

 

深夜1時すぎ、仕事を終えた僕はフラフラになりながらB市の自宅マンションに帰って来た。

もうここ数日シンドい。

朝6時台から24時台まで仕事。しかし今が踏ん張り時。

 

…ん?

アレはなんだ…??

 

ドアの両脇の円柱

僕の部屋の前に、なんか神社の狛犬みたいにドアの左右に置いてある、あの円柱状のものは何?

ま、すぐにわかったんだけども缶コーヒーだ。

眠くて頭の中には霞がかかっているが、そのくらいはわかる。


チッ、誰かここいらでたむろして捨てずに帰ったのか?

治安も良くない町だしな、ありえるかもしれない。

 

でも、オートロックの綺麗なマンションなのにな。

わざわざこんなところでコーヒー飲んで捨てていくかね?

しかも、こんな狙ったのように僕の家のドアの左右に…。嫌がらせも甚だしいぜ。

 

僕が出来るオトナであれば、ちゃんと缶を捨ててあげるんだけども、今は深夜1時過ぎ。ヘロヘロ。

だから今はどうでもいいやーって思い、そのまま無視してドアを開けて部屋に入ろうとした。

その際、チラッと足元の缶コーヒーを見る。

 

 

あれ…?未開封…?

 

 

背筋にゾクッと得体の知れないものが走った。

何かが奇妙だ。第六感が何かのアラートを告げている。

すぐに部屋に入り、そして施錠した。

 

 

2. サシイレ

 

午前1時過ぎのマンションの自室。

僕は心がザワザワと異変を告げるのをごまかすかのようにPCに電源を付ける。

そしてWebに『おぉ、退勤したのが24:30になっちゃった。でも帰れただけ幸運!』って書き込んだ。

 

…そのときであった。


僕のいる隣の部屋のドアが、「ギー… …」と開いた。

そして「カシャン…」と静かに閉まった。

 

まぁ僕の家は24時間眠らない町にある。

深夜だろうと何時だろうと、人が行き来するのは珍しくはない。

 

…いや。でもしかし…。

僕の隣って、人が住んでいたっけ?

それはさておき、僕の帰宅数分後という、このタイミングでのドアの開閉音に、言い知れない嫌な予感を感じた。

 

 

カツーン、カツーン、カツーン… 

 

 

深夜のマンションの廊下にやけに足音が響く。

しかしその足音もわずか数歩でピタッと止まった

 

ドアの向こうに、足音の主

あの…、そこってたぶん、今僕がいる部屋の前なんですけど…。

息を凝らして、聴覚全開でドアの向こうの動向を探る。

 

向こうも僕の気配を探っているのだろう。

しばらく時が硬直する。

 

…そしてまたカツーン、カツーン

音が遠ざかった。ホッとする。


そしたらまた数分後にカツーン、カツーン。

音が近付いてきた。

誰かが僕の部屋のドアをゴソゴソ触っている。

なんだなんだ??

 

しばらくの後、遠のく足音が聞こえ、隣の部屋にギィィー、バタン!!

 

 

 な  に … ?

 

 

僕の部屋の両側の人は引っ越していなかったハズ。

あぁだけどもそうか、ここ3ヶ月間は家を不在にしていたから、その間に誰か入居したのかもしれない。

 

しかし、僕の家のドアの前で一体何をしていたのだろうか?

鎮座されていた未開封の缶コーヒーを回収したのだろうか?

いや、もっとなんか嫌な予感がするのだよ。

 

ソイツは今、僕の隣の部屋にいる。

ベッドの横たわった僕の、ほんの数㎝の薄い壁の向こうにソイツがいる。

くしゃみをすれば100%聞こえてしまうくらいの薄い壁。

うわぁ…、嫌な感じ。

 

しかも僕、暑いのでバルコニーのある部屋の窓は開けたところであった。

これでさらに物音は筒抜け。

今日は窓を閉めて寝ようか…?

音が出ないようにそーっとそーっと、窓を閉める。

サッシの動くわずかな「キー」という音でも、僕の心臓は止まりそうになった。

 

そして寝た。寝るに限る。

4時間弱が経過。5:00に目を覚ました。

さぁ、すぐに仕事への出発の準備だ。


昨夜はシャワーどころでなかったので、朝一でシャワーを浴び、テキパキと荷物をスーツケースに詰める。

今日はいい天気だ。昨夜のモヤモヤした思いは、もう頭の片隅にあった。

 

いつもは朝ご飯もちゃんと自炊するのだが、今回は自宅の滞在日数が短いので、ほとんどコンビニで買ったもので済ませていた。

とりあえずこれから近くのコンビニでパンを買ってこよう。

そして出社したら仕事しながらそれを食べよう。

 

コンビニへ行こうと、ドアを開ける。

…ん?手ごたえが、変だ。

 

ドアの向こう側(外側)を見て、僕は面食らった。

ドアの取っ手にスーパーのビニール袋がかけてあったからだ。

中にゴッソリと何かが入っている。

 

玄関ドアの外側にスーパーの袋

うわっ、怖い怖い!!

だけどもとりあえずコンビニでパン買わねば!

ここはポジティブで現実逃避が得意なO型の僕だ。

スーパーの袋はそのまま見なかったことにして、コンビニでパンを買った。

 

そして帰宅時にスーパーの袋をチラッと覗く。

覗いただけだ。ドアノブから外したわけではない。

 

なんか食材が入っているみたいだ。

なんだ?なにこれ?差し入れ?

誰が何のために?

いや、普通に考えて例の隣人なんだけど、会ったことも無い僕のために深夜??

ゾッとするわ!

怖いから詳しく見ないで家に入る。

 

それから考える。

これは悪意か、それとも好意か。

好意を抱かれるような理由はこの4日間で何1つ無い。

悪意なら心当たりは1つある。

一昨日の夜、もうそれなりに遅い時間なのに洗濯機をゴインゴイン回したからな。

普段だったらそんなことしないけど、深夜にしか家にいないからしょうがなくやったんだよね。

それでキレて、毒入り食料をプレゼントされたのだろうか?

 

さて…。

人は好意にしろ悪意にしろ、人に物を上げたらその反応が気になるもの。

隣人は僕の反応を期待しているかもしれない。

僕がドアを開けた音は隣にも聞こえているだろうから、もし隣人が起きているのであれば、今このタイミングで自室のドアをちょっとだけ開けて、その隙間から僕の部屋の前を見ているかもしれない。

差し入れを僕が受け取ったか見ているかもしれない。

 

しかし、まだあれから4時間。時刻は6時前だ。寝ている可能性も高い。

だけども今僕があんまりゴソゴソやると、起きちゃう可能性がある。

ならば一刻も早く、静かにこの家を出なければ。


スーツケースを転がさずにそーっと持ち上げると、家を出る。

出る際にやっぱ後味悪いので、ドアノブにかかったスーパーの袋をひったくるようにして取り、ダッシュでマンションを後にした。

 

実はね、今日は仕事を終えたらそのまま自宅には帰らずに新幹線で実家のある町に移動する予定なのだ。

たった4日間だったが、さよなら我が家。

さらば謎の隣人。次にここに帰ってくるのは数週間後だぜ!

 

 

3. ソウメン

 

数10分後、到着した職場で考える。

 

これがB市最終日でよかった…。

また今夜この家に帰るような予定だったら、やっぱ怖いもん。

 

男の僕でも怖いのだから、こういうの1人暮らしの女子大生とかだったらマジで恐怖なんだろうなー。

そういう気持ち、ちょっとわかったぜ。

ちなみに僕は女子の平均よりも体格・筋力共にたぶん劣っているから、何かあったら相手が誰であろうと負ける気マンマンだ。絶望。


では、スーパーの袋の中身をチェックしよう。

職場のデスクに並べてみた。

 

不思議な詰め合わせ
  • 大袋に個包装の袋のおせんべいがいっぱい入っているタイプのヤツ。それの個包装が2枚。
  • おにぎり2つ。鮭と昆布。
  • コンビニのそうめん、"揖保乃糸(いぼのいと)"。
  • 缶コーヒー2本。

 

ん?缶コーヒー?

昨日の深夜に家の前に置いてあった2本の未開封の缶コーヒーがコレだったり?

あのときは銘柄までは見ていなかったから、コレとアレが同一かはもうわからない。

だけども思い返せば、今朝は家の前のコーヒーは消えていたな…。

じゃあコレがアレだろう。

 

全てがナゾだ。

これらをどうしようか?毒が入っているかもしれないし。

そうだ、あとで同僚が出勤してきたら、食べてもらおうかな?

 

僕は毒を食べるのはイヤだ。

毒を盛られている可能性があるのであれば、慎重にならざるを得ない。

しかし、毒が無い可能性もある。そしてなにより、食べ物に罪はない。

 

この事態をどう解決しようと考えた結果に出た答えが、「同僚に食べさせてみる」だったのだ。

…というより、得体の知れない隣人は、なんでコンビニそうめんなんていう要冷蔵の物をドアにくくりつけたのだよ?マジで意味わからん。

オニギリだって弱冷蔵環境が必要だしな。

 

8:30を過ぎると、オフィスに同僚が出勤してくる。

僕は声をかける。

「あのー、そうめん好きっすか?揖保乃糸好きっすか?そこのオフィス内の冷蔵庫に入っているんですけど」って。

当然「え?くれるの?なんで?」みたいな反応をされる。

 

そんなとき、僕はキチンと事情を話す。O型は損得なしに正直なのだ。それにわかった上で自己責任で美味しく食べてもらいたい。

だから話すのだ。

「昨夜の深夜1時に老若男女すらわからん隣人がゴソゴソ家の前の床に缶コーヒー置いたりドアにそうめんぶらさげたりした、そのそうめんです。」って。


当然誰しもビビる。僕も話しながら改めてビビる。

結局誰も食べてくれなかった…。

まぁそんなこったろうと思ったぜ。おいおいどうすんだよ、この食料の数々…。

 

昼近くになり、お腹が減ってきた。

しかし僕は仕事が忙しい。

食事のために外出もいいんだけど、そんな暇があるのであれば一刻も早く仕事をひと段落させ、新幹線に乗って実家のある町に移動する必要がある。

 

冷蔵庫から例の差し入れコンビニおにぎり2つを取り出して考える。

もし毒を盛るのであれば、一番容易なのがこのおにぎり。

チェックをして、包装が破れたりしていないことを確認。

うん、これを食べて無事であれば、他は大丈夫だと思う。だからまずはおにぎり食べてみよう。

最大リスクを乗り越えれば、それは安心への確信に変わるのだ。


同僚たちが「おいおい、食べるのかよ!」と心配する中、食べてみた。

まずは鮭。うん、大丈夫。

念のためにもう1つの昆布も食べてみた。うん、平気。

 

なんか胃が活発になって来た。僕の胃が「もっと食糧くれ」と言っている。

同封されていたせんべいもバリバリ食べた。

ここまで食べると喉も乾くので、缶コーヒー2本飲む。

 

この缶コーヒー、きっと昨晩ドアの前の床に置いてあったヤツだよな…。

一応飲み口の周りは入念に拭いておくけど…。

ただしこれが一番毒を混入させづらいだろうから、ここまで来たらたぶん平気。

これで仕事をしながら片手間にランチできちゃった。満足。

 

改めて考える。

誰が何のために、こんな奇妙なことをしたのだろうか?

まぁ、99%隣人なんだろうけど。

 

仲が良く、声を掛け合う間柄ならわかる。挨拶をする程度の人でも、まだわかる。

僕がすんごいイケメンで、そして隣人がいい感じの年齢の女性で、僕に一目ぼれとかでも、まぁわかる。

 

だけども僕の隣人のこと、名前も顔も性別も年齢も知らない。

…いや、もしかして知らないのは僕だけで、相手は僕のことを知っている?

でもこの4日間で僕は深夜にしか自宅にいないし…。

 

なんとも得体の知れない気持ち悪さを感じながらも午後の仕事をサクサク行い、夕方に仕事を一段落させる。

そして駅から新幹線に乗る。

 

今日からしばらく自宅に帰らなくっていいことに、ここからの安堵感を覚えた。

とりあえず、新幹線の中で小腹が減った。

よーし、オヤツにしよう。

取り出したのは、そう、アレだ。

 

揖保乃糸

 

ある意味一番怖い、隣人からの差し入れだ。

だけどもさ、これってコンビニで買うと400円くらいするのよ。

のり弁であれば400円で満腹すぎる状態になるのに、そうめんだとツルツル入ってすぐ終わっちゃうでしょ。

なのに400円。コストパフォーマンス悪い。

 

だから僕はコンビニでそうめんなんて買ったことない。お金がもったいないから。

しかしもらい物なら別。

つまり、コンビニそうめんを食べるチャンスは我が人生で今だけ。

だから勇気を出して食べた。

 

うまい。ツルツルだ。

こうして合計で推測850円ほどの奇妙な差し入れを1人でたいらげてしまった。

 

実際の写真です

B市から逃げだした僕。

しかし、これは事件の解決にはなっていない。

僕の本来の自宅はB市なのだから…。

数週間後の帰還が怖いぜ、これ。

 

 

4. スイロン

 

「なぁ、どんな人がどんな気分のときに隣人に差し入れをすると思う?」

 

揖保乃糸を食べてから2日経った日。僕はまだ生きていた。

昨日から今日にかけて、旅行をするほどには元気だ。毒は盛られていなかったのだと思う。

この旅行でどこに宿泊したのか気になる方は、以下のリンクでも見てほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

僕は車内で同行の彼女に不思議な事件の話をしつつ、自分の見解を述べていた。

 

  1. 悪意。やはり数日のB市帰還時に僕が隣人を怒らせた。夜中の洗濯機の音がうるさかった。だから毒入りの差し入れで殺そうとした。
    ⇒ 差し入れを全部食べた僕が、2日経ってもピンピンしているので可能性は低。
  2. 好意。隣人は女性(男性かも知れんが)。「YAMAさんってステキ!お近づきになりたい!」と思ったが、シャイで直接声を掛けられないのでいのでプレゼント作戦。
    ⇒ 隣人と会ったことが無い。深夜にしか家にいないので、擦れ違った可能性も低い。そして、「ステキ!」の結果の差し入れがせんべいやおにぎりや揖保乃糸?なんかセンスが変。
  3. 友情表現。男性の可能性。「チーッス、せっかくお隣さん同士だから飲みましょう!でもYAMAさん深夜しか在宅じゃないから誘えなかった…。飲み会のために買っておいた食材をあげるっす。」
    ⇒ 揖保の糸を缶コーヒーを?これがビールであれば、ちょっと可能性UPしたかもな。
  4. 譲渡。「ウチで仲間とホームパーティーしていたんだけど、食材があまっちゃって…。捨てるのもったいないんで、お隣さん、いります?」
    ⇒ これも食材チョイスがちょっとおかしい。
  5. 慰労。「YAMAさん毎日お疲れっす。これでも食べて元気を出してくださいね。」
    ⇒ ちょっと現実的だが、普通そういうときは栄養ドリンクとかじゃない?そして見ず知らずの人にねぎらってもらう理由もない。

 

…どうにも、もらったものから隣人のキャラや意図が全く見えない。

ちょうど一食分くらいの分量なのだが、要冷蔵の揖保の糸があったということは、僕が当日の夜食で食べることを想定していたのか?

ドアをゴソゴソやって荷物をかけていた行動は、あえてその物音で気付いていもらうことが前提だったのか?

だとしたらインターホンを押さなかったのはなぜ?

 

そして、なによりドアの前の床に2本置いてあった未開封の缶コーヒーが不可解。

人に物をあげるアクションとしては相当な悪手だ。

これで好意を示したつもりであれば、大いに感覚狂っている。うーむ…。


助手席の彼女が言う。

差し入れを食べた時点で好意を受け取ったと思われるからキケンだと。

そのままドアノブに掛けたままで放置するか、マンションのゴミ捨て場とか目に見えるような場所に捨てることで「拒否」を示さないと、受け取ったとみなされて行動がエスカレートするかもしれない、と。

 

いやー、でもドアノブに掛けたままB市を数週間留守にしてさ、ホントにそのままだったら腐るぜ。

この夏場に放置したら、次にB市に帰ったときに部屋の前がすごいことになっていそう。

それに揖保の糸、食べてみたかったし…。そんでおいしかったなぁ、ウフフ。

 

すると彼女がブリブリ怒り出すのです。

ヤッベ、さすがに得体の知れない差し入れを食べたのはまずかったか…。

僕のO型が故の軽率な行動を怒られるのだな…、怖いな…って思ったら、違ってた。

 

僕が悪いのではない、O型が悪い

「アホなYAMAはそういうエサをぶら下げられたら食べるのが当然!その点はもうしょうがない!!そんなYAMAに変な差し入れをした隣人が憎い!!」とか言ってる。


あれっ!!?

怒るのそっち!?僕はアホ確定!?食べちゃうの当然!!?

 

しかし、悪意でないのであれば、なんらかメッセージがあってもいいと思うのだが。

でないとこうして気持ち悪がられるのが普通。

だから「あまったのでどうぞ」、「いつもお疲れ様」、「YAMAさん好きです」とかのメッセージと共に、「誰それより」と自分の素性を明かすのが普通ではないか?


差し入れの時点で大なり小なり自己顕示欲があるのだから、それを示さないと意味がない。

もし示す必要が無いのであれば、得体の知れない差し入れをもらって困惑している僕をいつでも見れる位置にいるってことか…。それは怖いな。

 

いや…

僕は考えた。

既にメッセージはある。しかし僕が気付いていないだけだとしたら…?

メッセージを置いておけるような箇所に心当たりは複数ある。

 

実家拠点の生活からB市に戻るまではあと数週間。

それまでに心の準備ををしておかないと、突発の事態に耐えられませんぜ、こりゃ。

 

 

5. メビウス

 

僕は考えた。

隣人が差し入れと一緒にメッセージを伝えていたとしたら、それはどこに?

一番可能性が高いのは、ドアノブに掛けてあった食材モリモリのビニール袋の中。

しかしそこにはなかったことを確認済み。

 

残る可能性は、玄関の郵便受けと、マンションのロビーの郵便受けの2つだ。

そこに手紙などが入っているかもしれない。


しかし僕はあの日は差し入れを見ただけでビックリしちゃって、その後すぐにB市を出発したからこれら2つを確認していない。

数週間後にB市に戻った際に確認できれば、隣人が誰なのか、隣人の意図が何なのかわかるかもしれない。

 

しかしね、怖いのはその隣人が非常に僕に執着心を持っていた場合。

僕の部屋のドア郵便受けには、マンションの住民であれば誰でも触れることが可能だ。

なんか生卵だとか腐ったトマトとか入れられて、数週間後に帰ってみたら部屋がとんでもないことになっていた、とか辞めて欲しい。

僕の部屋は1階だから、外からバルコニーに物を投げ入れることもできる。

 

それに、今は夏場。大体みんな窓を開けている。

少々の生活音はお互い様だからいいんだけど、こういう人が隣だと本当に用心しないとヤバそうな気がするよ。

 

ドアの開け閉めだって気を使わなきゃ。

僕が外出する音を聞きつけて隣人がこっちを覗いてきたら、マジ気持ち悪いし。

廊下で擦れ違うのも怖いし。

 

てゆーか向こうから「あの差し入れ、どうだった?」って聞いてきたらどう答えようね。

彼女と考え、もし相手から聞かれたら「どこの誰からのかわからず怖かったので手を付けられませんでした」でいこうってアドバイスを受けた。

正直者の僕は「いや、食べたしおいしかったよ」と反論したのだが、「それはわかっている、アホ!」と一蹴された。

 

そして数週間が経過した。

8月中旬だ。

僕の実家のある町に住む彼女は、行楽がてら一緒にB市までやってきてくれた。このまま一泊の予定。

 

家の近くまで来た時点で、僕は彼女に言う。

「オマエは近所の喫茶店でちょっと待ってな。まずは僕1人で部屋の様子を見てくるから。」

そう言って僕は1人自宅を目指す。

 

マンションロビーの郵便受け…。怪しいものは無し。手紙等無し…。

ま、普通ないよなー。予想はしていたけど。

自室の前の共用の廊下部分には、ピンクのモコモコしたスリッパが片方だけ落ちていたが、これはまぁ気にしない。

 

そして玄関のドアを開けて部屋に入る。

バルコニーにも物を投げ入れられたような気配はない。

数週間前のままの、綺麗な我が家だ。

 

んっと、じゃあ最後に自室のドアの郵便受けをチェックしてみるわ…。

んで、なにこれーー!

 

出てきたのはタバコ。"メビウス"。しかも開封されている。

20本入りのタバコの箱に、18本が残っている状態。

 

喫煙者か不明な人に、斬新な贈り物

隣人?いつ入れた?揖保乃糸のとき?それともこの数週間の僕の不在時?

タバコだなんていう、吸わない人からしたら何のプラスにもならないものをなぜチョイスした?

僕が吸うことを知っているのであればまだ理解できるが、僕は吸わないし。

何度も言うけど、隣人に会ったことないし。


それに、なぜ開封済み?「自分が手を付けたタバコをYAMAさんにあげる」という、なんらかの繋がりを持ちたい心情?

ちなみにここにも手紙とかはない。うむ…、マジで謎。

 

モヤモヤと同期を考えながら、タバコは試しに後日1本だけ吸ってみた。

長らく吸っていないが、昔ちょっとだけ吸ったことあったので。毒など無いか、念のためだ。

 

とりあえず、釈然としないけど、これからまたしばらくB市での生活となる。

そう、隣人との密着生活は、これからが本番なのだ…。

 

 

6. ホウモン

 

B市での生活を再開させて2ヶ月半が経とうとしていた。

10月下旬、秋も深まって来た。

 

忙しすぎて、ここ最近は例の隣人の存在はもうあまり気にしなくなっていた。

相変わらず微妙におかしな現象がマンションの廊下で目撃されたりもしたけど、ここに書くほどのイベントではない。

 

この日、久々に再会する同僚がいた。ここまでの一件を大体話している同僚だ。

その同僚に「あれ以来、奇妙なお隣さんはどうだい?」って言われた。

いや、やめてよ。せっかく忘れかけていたのに。

こういうこと言われると、また何か起こっちゃいそうじゃないか…。

 

…ってなやりとりがあったりもしたのだが、昨今のあまりにボリューミーな残業時間のために産業医に面談をしてもらい、珍しく早めに帰宅する。

あと、先日いきなりお風呂の配管が取れたので、やってきた業者の対応をした。


同時に、明日の夜から訪問予定の新潟県にある「世界一神社」っていうワイルドな神社の情報を調べる。忙しい。

あ、ちなみに世界一神社について詳細を知りたい方は、以下のリンクを見てほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

まぁそんななんやかんやがあった1日だけど、今日は久々に早めに寝れる…。

そう思ってベッドに入り、たぶん24時前にはグースカ寝てた。

…このまま朝まで寝れると思っていた…。

 

 

ピ  ン  ポ  ー  ン  …

 

 

ん!?

いきなり鳴ったインターホンの音で目を覚ました。

枕元の時計を確認すると、午前1:10

 

え…?

こんな時間に誰…?

 

嫌な予感がする。

今日の昼、同僚に「あれ以来、奇妙なお隣さんはどうだい?」って言われた言葉が甦る。

言わんこっちゃない…。意識したことは現実になるのだよ…。

でも、まだそうと決まったわけではないけどな…。

 

インターホンは液晶映像があるから逆に怖い

とりあえず、ベッドから上体を起こす。

そうすると、マンションのロビーに設置してあるカメラが撮影した、インターフォンを押している人物の映像が見れるからね。

 

見えるような、見えないような、

微妙に見えぬ…。

そもそも深夜でロビーも暗いし、こっちは眼鏡もない裸眼だし、そもそもベッドからインターフォンの液晶画面まで数mあるし…。

 

でも、確実に誰かが立って、こっちを見ている。逃げもせず。

その様子が液晶画面にボンヤリと映っている。

だけども性別すらわからん。

かといって、立ち上がって液晶画面をまじまじと見に行くのもイヤだ。

 

 

ピ  ン  ポ  ー  ン

 

 

もう一度インターホンが鳴った。

当然僕は出ない。

まともな用事のハズがないからな。

もう一度言うが、今は深夜1時なのだ。

 

何度かインターホンが鳴ったが、しばらくすると相手も諦めたのか、静寂。

一定時間が経過したことで、液晶画面も消えて真っ暗になる。

 

さて…、僕の勘が正しいか実証されるのはこれからだ…

耳を澄ましてみよう。

 

1階にある僕の部屋から、マンションの1階ロビーまでの距離は10数m。

深夜に耳を澄ませば、ロビーの音が聞こえるのだ。

 

 

ガチャガチャ… 、キー… 。

 

 

カギでマンションのロビーのドアを開けた音。

これで誰かが鍵を忘れたので僕に代わりに開けてもらいたかった、という理由が消えた。

もっとも、そんなことを頼まれるほどの知り合いもいないが。

 

 

カツーン、カツーン、カツーン

 

 

足音が聞こえてくる。

 

 

カツーン、カツーンカツーンカツーン!!

 

 

 来 た 。

 

 

悪い意味で予想通りだ。

足音はエレベーターホールの前を通過した。

つまり足音の主の行き先は、2階より上ではなく、1階のどこかの部屋だ。

 

近付いてくる足音…

僕の部屋の前までやってきた。

足音が止まる。

はいビンゴー!!

 

息を止めて次の行動を見守る。

 

揖保乃糸

また差し入れくれるか?YAMAさん食べちゃうぞ?

 

静寂。

ドア越しの睨み合い。なにこの緊張感。

空気がビリビリと張り詰める。

足音の主の目線は、間違いなくドアを透過して、ベッドの上にいる僕を見ているはずだ。

 

しばらく時間が経過した。

「カツーンカツーン」とまた足音が進み、隣の部屋のドアの前で「ガチャガチャ、ギー」という音がした。


やはりお隣さんだったか…。

僕はもう今日は進展はないだろうなーと、そのまま寝た。

 

翌朝、ドアに何かまたいたずらされていないかドキドキワクワクで確認したけど、何もなかった。

一体何だろう、あの深夜1時の行動は…。ナゾだらけ。

せめて性別と年齢層くらいは知りたい。何もわからないのは恐怖すぎる。

…って望んでしまった。

これもすぐに、変なかたちで現実化するのだ。

 

 

7. モクゲキ

 

8月中旬、僕の部屋のドアの前付近に、スリッパが片方転がっていた。ピンク色のフワフワモコモコなスリッパ

…そう書いたのをあなたは覚えておいでだろうか?

 

当時、「誰の?なにこれ?」…って思った。

誰かがまたまた落としていったものかもしれないので、どこかに撤去するわけにはいかない。

少なくとも僕のものではないので、若干例のお隣さん方向の廊下に場所をずらして置いておいた。

 

その後普通だったら、落とし物なら落とし主が拾う。

あるいはゴミなのであれば、定期的に清掃しているビル管理会社が回収していく。

このマンション、ビル管理会社はかなりしっかりしているのだ。

 

だけども不思議なことに、そのピンクのモコモコは、いつまでたってもそこにあった。

むしろ、ときどき僕の部屋のドアの前に移動していた

 

スリッパはいつも僕の部屋の前に

もうこっちも疑心暗鬼だからね、そうなる度に「隣のアイツー!」って思って、かなり隣人寄りにピンクのモコモコを移動させていたりした。

ピンクモコモコ攻防戦。

今から振り返れば、何も根拠のない子供じみたやりとりなんだけど、ちょっと心の余裕が無かったよな。

 

そんな攻防が、実に3ヶ月続いた

いや、長かったね。

もう季節は夏から秋もめっきり深まろうとしているんだけど。

ピンクのモコモコも、もう雨やホコリで灰色っぽくなっていたしな。

 

そんな10月末のことだ。前章のピンポン事件から数日後だ。

僕は最大の油断をした。

 

マンションのロビーの郵便受け(集合ポスト部分)から、溜まっていたチラシ類をゴソゴソと引き抜いていた。

 

後ろから視線を感じた。

「あぁ、誰か僕の次に郵便物を取り出したんだな。さっさとどかなきゃな。チラシを捨てる作業は今じゃなくってもできるしな。」

そう思い、すぐに郵便受けの前を立ち去ってマンションの中へと入るドアを開けた。

 

 

…ん!??待てよ!!

 

 

1秒後に嫌な予感がした。

 

 

僕がいたら郵便物が取り出せないほどに、郵便受けが近い人物?

 

 

そんなのは、数人しかいない。

郵便受けの列が縦に並ぶメンバー、僕と同じフロアに住むメンバーだ…。

 

マンションの集合ポストはチラシがいっぱい

ひょっとしたら…。

僕は悟られぬよう歩調を崩すことなくサクサクとマンション内を歩きつつも、次の角を曲がる際にほんの一瞬だけ、ロビーの郵便受けを振り返った。

 


その人物は、僕の郵便受けのすぐ下を開けているところだった。

 

 

つまり、隣の住人の郵便受けだ。

 

女性。

そして、僕と同じくらいの年代か、わずかに上くらい。

 

一瞬だから全然見れなかったけど。

顔も覚えられないくらいの一瞬だったけど。

少なくとも、知らない人。

冒頭で書いたような差し入れをもらう理由は何1つ無い。

 

これで得られた情報は大きいけど、失ったものも大きい。

それは、僕の方が長い時間監視されたということ。

僕がチラシ類をゴソゴソと取り出していた時間はわずか数10秒だけど、でもその間はほぼ一方的に見られていたかもしれない。

 

どう思われていただろう?「あれ?あんな人か?差し入れあげて損したわ。」みたいな感じだと最高なのだが。

とにかく、僕は最悪横顔をガッチリ覚えられた可能性がある。それが一番の失態。

 

しかし、僕は内心隣人は男性だと思っていた。

女性だったとは…。

僕にコンビニのそうめんを送り付け、床に缶コーヒーを並べ、部屋の郵便受けに開封したタバコを入れ、廊下にピンクのモコモコを3ヶ月も放り出し、そして深夜に僕の部屋のインターホンを鳴らし…。

 

インターホンの件、もし仮に僕が応答していたらなんて答えていたのだろうかね?

「一緒に飲みましょう」とか言われていたんすかね?

深夜に女性から、見知らぬ男性の部屋に乗り込んで来ようとするかね?

マジでナゾだ。


そんなこんなでさらに数週間が経過し、11月上旬。

まだピンクのモコモコは転がったままだ。


友人の「バンザイ」がウチに泊まりに来たりした。

そのあと、2人で「黒部渓谷」を始めとするドライブ旅行に行ったりもした。

詳細は以下のリンクをご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

上記エピソードの数時間後のことだ。

B市に向かっている車内で、バンザイが眠いというので、眠気覚ましにここまでの一連の話をた。

 

「オマエ、先日僕の部屋に泊まって気付かなかったか?あのときもそのピンクのモコモコは、廊下の前に転がっていたんだぜ。」と言う。

うん、我ながらカンペキな締めだ。

バンザイは「ひいぃぃーー!」みたいなリアクションをしてくれた。素晴らしい。

 

僕は悪ノリして「せっかくだからピンクのモコモコ見て行けよ!なんなら持って帰ってよ!B市土産!」とか言うんだけど、断固拒否された。

僕の家の10数m手前まで来ながら、僕の家に寄ることなく、バンザイはそのまま電車に乗って帰って行った。

 

バンザイ、笑顔で逃げ帰る

「ふふ…、怖がりなヤツめ…」

バンザイを駅で見送った僕は、1人自宅に引き返す。

 

そこで僕は隣の部屋を見て、腰を抜かさんばかりに驚いた。

 

封印された部屋

 

ドアがー!!隣人の家のドアがーー!!

 


隙間という隙間、お札まみれ!!

なにごと?そんでピンクのモコモコ、また僕の部屋の前に転がっているし。

 

バンザイ、オマエ正しかったよ。これは見ない方が良かったよ…。

今夜、僕はどういうテンションで自室で過ごせばいいというのだ…。

 

 

8. サヨナラ

 

いつしか季節は晩秋から冬へと移り変わった。

7月の下旬にドアの前に転がっていたピンクのモコモコスリッパは、11月半ばにようやく消滅した。

誰がどう撤去したのかは謎だ。

 

例の、黒部渓谷から帰って来た際に死ぬほどビックリした、ドアを封印していた御札は、翌日にはさすがになくなったた。

ま、ドアと壁を塞ぐような形で貼られていたからね。

つまり家主は外出中ということ。

剥がさない限りは家に帰ってくれないということ。

 

どういう意図だったのだろうか?

留守中の自分の家に守備魔法でもかけていたのだろうか?

 

12月下旬には、ピンクのモコモコの代わりに我が家の前の廊下に黒いサンダルが片方転がっていたことがあった。

デジャブ。

そしてまた片方なんだー。そうなんだー。

 

結局、まともに対面したのは10月の郵便受けの一件のときの1度きりだ。

てゆーか、生活の気配がほぼ皆無。不自然なほどに皆無。

 

ただ、気になる情報がある。

前章で僕はバンザイに眠気覚ましにこの話をしたと書いた。

その際に「住んでいるはずなのに、家に帰っている気配がないんだよねー…」とも付け加えたのだ。

するとバンザイはこう答えた。

 

「いや、YAMAは寝ていたから気付いていたんだろうけどさ。深夜1時過ぎに帰って来たみたいだ。隣の部屋から壁をゴソゴソカリカと何かをやっていたぜ。しばらく寝れなかった。」

うん、寒気がした。

 

夜型生活の人かな?

そういえば、今までのなんやかんやも、深夜1時過ぎに起きたことが多いしな。

だとしたら昼過ぎだとか夕方くらいの、僕が仕事で外出している間に出掛けているのだろうか?

 

しかし、例え夜間の仕事をしている人間だとしても、休みはあるはずではないか。

買い物したり廊下で擦れ違ったり、洗濯物干したり窓を開けたりゴミを出したりするはずではないか。

それが全くない。

 

愛車の駐車場に行く際には、外からバルコニー側の路地を歩く。

その際にバルコニーを追う壁越しに、隣人の家も少し見える。

だけども、夜間に電気がついているのを見たことがない。

日中に洗濯物が干してあったりカーテンが空いているのを見たことが無い。ひたすら漆黒なのだ。

何10回どころか、何100回見てもそうだった。毎日毎日、こうだった。

 

そして、バルコニーって隣人との区画の間に下の方に少し隙間があるでしょ。

その区画から汚いダンボールがチラッと見える。

そして、なんかナゾの汁がそこから漏れて、ウチのほうのスペースにデロデロ入って来ていたり。

 

隣人のバルコニーから謎のおつゆ

うわぁ、カンベン。

そんでなんで毎日毎日汁が出ているのかなー、このダンボール…。

 

前年の冬は、結露による湿気を防ぐために朝とかは家のドアも少し隙間を空けて風通しを良くしていた。

しかしこの年は、怖くてそれができない。

ドアの隙間からキッチンとか丸見えになっちゃうからね、怖い怖い。

朝に料理をしていてふと背後からの視線に気づいたら、隣人がドアの隙間から覗いていた…とかあったら、ホラーだもんよ。

 

そんな妄想劇場を楽しみながらも冬は終わり、春になった。

春の陽気が心地いい。

 

僕は引っ越す。仕事の都合で、ずっとずっと遠い地に行く。

 

あれ以来隣人との接触はなかったし、いろんなことが謎のままだ。

だが、これは映画でもドラマでもマンガでもない。オチや結論があるとは限らないのだ。

 

「もうビクビクしながら暮らす必要もない。」

それが重要なのだ。

 

 

荷物、よろしくお願いします。

 

春うららかな日。

 

 

僕はB市を後にした。

 

 

さよなら、B市の数々の思い出よ。

 

… …

 

…!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ END ~

 

No.182【和歌山県】関西一の早咲き桜!「紀三井寺」で満開の桜と金ピカの巨大仏像を見る!

僕は、仏教のことも宗教のことも疎い。神社仏閣についても詳しくない。

だけども、寺に咲く桜の美しさは理解できる。

社殿と桜のコラボレーションに思わず目を奪われる、それは日本人でもそうでなくても共通の反応なのではなかろうか。

 

日本5周目において、ちょうど3月下旬の早咲き桜のシーズン、僕は和歌山県の西海岸を走っていた。

ドライブしているとところどころで桜の花が目に入り、新しい季節がやって来たのだと気分を高揚させてくれる。

 

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今回は、関西一の早咲き桜の名所と言われる「紀三井寺(みきいでら)」を訪問した話をご紹介したい。

 

 

早咲き桜のお寺へ

 

和歌山市の国道42号。

この国道沿いには紀三井寺っていう有名なお寺がある。

あまり神社仏閣に知識がない僕でも、名前くらいは聞いたことがあるスポットである。

 

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桜満開、紀三井寺1

国道42号から見ると、上記のような絵である。

国道42号が紀三井寺に突き当り、そして右に折れている。

紀三井寺の政治的パワーで国道を屈折させたのであろうか?

事実、結構日本各地にはそういう背景があるスポットもあるが、ここにおいては背景事情をWebからは調べきれなかった。

 

日本5周目にいたるまで、何度もこの道を走っている。

当然紀三井寺も視界に収まっている。

だけれども神社仏閣巡りを趣味とはしていない僕は、あえて立ち寄ったことは無かった。

 

ただ、今回は「今回は行ってみよっかな?」って思った。

上の写真のようにお寺が視界に収まってから判断した。

なぜなら今日ははポカポカの快晴でいい天気。そして紀三井寺の桜が満開を迎えているのが、国道を走る車からでもよく見えたからだ。

こういうテキトーな判断ができるのが、一人旅のメリットである。

 

 

国道42号がカーブするポイント。

寺の境内はここからさらに奥なのだが、もうこの時点でこの周辺は参拝客の人がゾロゾロと歩いている。

しかもこの先は道も狭そうだし、駐車場は満車かもしれない。

 

僕の車はHUMMER_H3っていうんだけど、かなり横幅が広いし左ハンドルで運転しにくいしで、あまり狭路には入りたくない。

もしものときのUターンも大変だし。

 

従い、国道沿いのコインパーキングにスルリと入った。

上の写真のように、紀三井寺のガーディアンのようにモスバーガーがあるので、朝食がてら入ってみた。

そしてホットサンドを1つテイクアウトにした。

境内で食べられそうな場所があったらこれを食べよう。

 

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桜満開、紀三井寺2

ここが入口だな。

護国院の楼門。これは重要文化財とのことだ。

そいてその周囲の桜の見事さに感動したわ。これには僕もニッコリだ。

この桜を見ただけでも、ここに来た意味があったと感じる。

 

境内でモスバーガーをムシャムシャ食べるのもよろしくないと思い、周囲の桜がいい感じに咲いている場所に移動した。

まず食べよう、ホットサンドはホットなうちに。

 

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桜満開、紀三井寺3

「300円したわりにはペラペラな感じなのな…」と、普段モスバーガーを食べない僕は思ったが、味は確かだった。さすがモスバーガーさん。

 

なにより桜の木の下でご飯を食べる。これ花見の代表的な楽しみ方じゃないですか。何を食べてもうまいに決まっている。

さらに、ここ紀三井寺ソメイヨシノは関西で一番開花が早いのだそうだ。

 

つまり関西で今年最初に満開の桜の下でモスのホットサンドを食べているのは僕なのかもしれない。優越感しかない。

 

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桜満開、紀三井寺4

では、改めて楼門をくぐり境内に入って行こう。

 

階段がマジで急だ。本堂までは231段あるらしい。

いや、段数だけ見ればたいしたことないように思われるかもしれないけど、傾斜がえげつないんだ。

運動不足の身には堪えますな、これ。

 

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桜満開、紀三井寺5

中央の立て札にご注目いただきたい。

この石段は「結縁厄除坂」という名前だそうだ。

若き日の「紀伊国屋文左衛門」が、結婚と出世の契機となる出会いをした坂なんだって。

 

そしてさらに気になる表記が。

 

是より上の登段最速記録は二一・九秒

無謀な挑戦はおやめください

(元陸上100m日本記録保持者・青戸慎司選手)

 

なるほど。煽っているのか諫(いさ)めているのかわからないフレーズだが、少なくとも僕はやらない。

「青戸慎司選手」はソウルオリンピックバルセロナオリンピックに出場した、若山出身の陸上選手だ。

 

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桜満開、紀三井寺6

しかもだ、2018年から「紀三井寺福開き 速駈詣(はやがけまいり)」というイベントが始まったらしい。

年始にみんなでここをダッシュで登り、そのタイムを競うようだ。

 

「鯉の滝登りに開運を目指せ!」的な意図だそうだが、なかなかにパワフルな行事ですな。

初回は青戸慎司選手もゲストとして来たそうだぞ。

 

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桜満開、紀三井寺7

途中で足を停めて桜を見上げたりする。

決して息が切れたり足が限界に来ているからではない。桜が綺麗だからだ。

ゼーゼーと荒い呼吸をしているのは、この桜を見て興奮しているだけだ。いたって普通。

 

階段の途中には湧水がある。

これが紀三井寺の名前の由来となった湧水の1つだろうか…?

 

実はね、紀三井寺って僕はあんまり由緒とか知らないんだけど、名水が3つ湧いていることがこのお寺の名前の由来になっているようなのだ。

ツーリングマップルの情報から知ったのだけれど。

"紀三井寺の三井水(さんせんすい)"という名称で、「日本名水百選」にもエントリーされているのだよ。

 

 

境内と黄金の仏像

 

石段を登り切った。暑い、疲れた。

まずは右手に仏殿っていうゴッツい立方体のお堂がある。最強の守備力を誇っているようなフォルムだ。

 

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境内と仏像1

ちょっと境内での写真がないので、国道から遠望したときの写真を引用する。

これが仏殿ね。文字通り新しそうだ。

 

このすぐ前に下界を見下ろせるスポットがある。

まずは登って来た街並みを見降ろそうそうではないか。

 

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境内と仏像2

 

すげー絶景だな!!

 

 

いやこれ、頑張って石段を登って来た甲斐があったというものですな。

なんか足がプルプルと小鹿のように痙攣しているけど、そこまで足を酷使してきたことが報われた瞬間だ。

 

あの下界の町の中から一気に石段を上ってきたのだな。

遠くには和歌山市の由緒ある景勝地である「和歌の浦」も見えているぞ。

 

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境内と仏像3

しいて言うのであれば、ちょっとだけ残念なのは、ここまで登ったらまだ桜がほとんどツボミだったことだ。

 

2つ前の絶景写真を改めてご覧いただきたいのだが、写真の下半分は全て桜の木なのだ。

これらが満開になったら、桜の花に包まれるように下界の町を眺められるだろう。

想像するだけで鳥肌が立つような絶景だ。

あと5日…ってところかな?僕が来るのはちょっと早すぎたのかもしれない。

 

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境内と仏像4

続けては本殿だ。

小さな堀に、これまた小さな朱塗りの橋が架かっているのが風流だね。

 

頭上の桜は2分咲きといったところだろうか?

実は、和歌山県ソメイヨシノ開花宣言は、ここ紀三井寺の標本木が基準となっているそうなのだ。

和歌山の桜の基準となるスポットなのだ。

 

なぜ和歌山県内に数ある桜スポットの中でも、この紀三井寺がエントリーされたのかというと、かつての第二次世界大戦の和歌山空襲で、多くの桜が燃えてしまったそうなのだ。

そんな中でも紀三井寺の桜は無事だったため、標本木とされたそうだ。

 

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境内と仏像5

そう考えると、境内に少しずつ咲いてきたこの桜たちが、とても愛おしいよね。

そして咲いたばかりの桜はとても生命力がみなぎっているように生き生きしている。

満開前ならではの力強さかもしれない。

 

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境内と仏像6

本殿で参拝をした。

この1年はいろいろと人生に動きがありそうだからな、無事を祈るのだ。

 

提灯にも書かれているが、ここは救世観音宗の総本山なのだそうだ。

しかし僕自身はあまり知識がないため、これ以上は語れぬ。

でも開創が西暦770年だというから、気の遠くなるような歴史があるのだ。すごいところに参拝できたものだ。

 

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境内と仏像7

これは多宝塔だ。これまた重要文化財だ。

周囲の桜は1分咲きくらいではあったが、周囲の観光客はみんな春の訪れを喜んでいた。

ホントステキなシーズンだ。境内はどこも観光客で賑わっており、僕もウキウキであった。

 

さて、僕は仏殿に戻る。

あの最初に見た、セキュリティがゴッツリゴリゴリの建物である。

鉄筋コンクリート3階建ての、強靭な建物である。

その中には金色の巨大な仏像があり、入場無料だというのだ。

記念に見て行こう。

 

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境内と仏像8

 

はい眩しい。

 

 

目がくらんだ。なんだこの部屋。

大千手十一面観世音菩薩像という、高さ12mの巨大な千手観音が中央にチュドーンと聳えていた。

 

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境内と仏像9

木造の立像としては、日本最大の大きさなのだとか。

そしてこれは「松本明慶さん」という仏師さんの作で、2007年に完成したもの。

まだ歴史が浅いので、これだけピカピカなのだろう。

 

ちなみに100円払うと、頭のすぐ脇くらいの高さの回廊まで登れるそうだ。

いや、それはいいや…って思った。

僕は下から見上げるくらいの上下関係でちょうどいい。

 

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境内と仏像10

髪の毛が青いのが、なんともオシャレだな。

寄木造りの仏像で、ここで組み立てたのだそうだ。従い、よく見ると正中線が走っている。なるほど納得。

 

そして「あれ?小指から赤い糸が…?」って思ったのだが、両手の手のひらの間から出て入るっぽい。

そして用途は不明だ。Web検索してみたが、僕の探した限りではこの用途について触れられているページは無かった。

 

たぶんだけど、この赤い糸は僕にか見えていない。

僕と千手観音との赤い糸だ。ラブ。

 

 

紀三井寺は進化する

 

こうして日本5周目の僕は、桜とモスバーガーを堪能して紀三井寺を後にした。

今でもよく覚えている、ステキな思い出である。

 

さて、つい先日の2022年3月下旬のことだ。

日本6周目の紀伊半島を走る僕が、再び紀三井寺の前にやって来た。

紀伊半島にはかろうじて桜前線が到達したようだが、まだまだ1分咲きにも満たない状態だ。

 

僕は紀三井寺の正面に立つと、遠くから紀三井寺の撮影をした。

今回はあそこには行かなくていいんだ。今回は今回でやることあるから。

 

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進化の道1

…こうして撮影したのが、トップに掲載した写真である。

懐かしい思い出に駆られながら撮影した。

 

そうそう、2020年にはエレベーターが設置されたそうだよ。

上まで少し楽に行けるようになったのだ。

そこまでは知っていた。

 

旅を終えて帰宅後に改めて調べると、2022年4月頭にケーブルカーも運行開始!!

…とのことだ。

うおぉ、アツいな。どんどんハイテク化が進んでいくのな。

 

Webを調べていると、仏殿の右側あたりに山頂駅が設置されるらしい。

3月末開業であれば、先日お寺の前を通った僕の視界にも収まっているハズだよな…。

遠景を撮影した写真を改めて見返してみた。

 

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進化の道2

あった。メッチャちょっとだけ、ケーブルカーのレール部分が写っていた。

 

さて、2022年の春を生きるあなたにお知らせとご提案だ。

今年の紀三井寺開花宣言は3月25日、満開は3月31日とのことだ。

ピカピカのケーブルカーで満開の桜を見ながら丘の上まで登ってみてはいかがだろうか。

僕が10日ほど早くて実現できなかった夢、叶えて見てほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 紀三井寺
  • 住所: 和歌山県和歌山市紀三井寺1201
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。近くのコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 特になし(本堂・納経所開所時間は8:00~17:00)

 

No.181【徳島県】日本の中心「ゆめりあ34」!!カクゴはいいか!?超絶山道を乗り越えろ!

僕:「ゆめりあ34!」

工事現場のおじさん:「ヌメ…?ヌメリア??なんだそれは?」

 

もういい。道を聞ければと思ったが、もういい。

こんなところでヌメヌメしている場合ではない。

僕が目指すのは日本の中心の1つである、「ゆめりあ34」。

この先の道はかなりシンドいだろうが、心を強くして突撃するのだ。

 

僕は工事現場のおじさんにお礼を言うと、山中を目指して愛車のアクセルを強く踏んだ。

 

 

なぜここが日本の中心か

 

今しがた僕は、『日本の中心の1つである「ゆめりあ34」』と記載した。

それを読んだあなたはどういうことかと思われたに違いない。

 

実は日本の中心というのは日本各地に無数にあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

しかし普通に日本の中心と言うと、多くの人は本州の真ん中あたりをイメージするだろう。

僕だってそうだ。

ではなぜ日本の中心が四国の徳島県なんかにあるのか。

 

 

日本国内の陸地が存在する地において、緯度経度の下2桁が同じとなる地の北端は北海道常呂町(北緯44度・東経144度)。南端は沖縄県竹富島(北緯24度・東経124度)。

この2つの地点の真ん中、つまり北緯34度・東経134度の地点がここだ。

 

つまりここが日本の中心なのだ。

「日本列島中心点」と呼ばれている。

日本の中心の概念はさまざまある。だからこそ、30個近くも乱立している。

 

乱暴に言えば「言った者勝ち」。

あなたの想像力が、今後新たな日本の中心を産むかもしれない。

…そういうジャンルだ。

 

僕の目指すゆめりあ34も、2005年前後に日本の中心にエントリーされた、比較的若手だと聞いている。

 

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阿波市に入る

さて、それでは本編の始まりだ。

 

日本3周目を走る若かりし頃の僕は、同時に各所の日本の中心も巡っていた。

日本の中心はシンドい立地の場所が多いが、ここもその例に違わず「また来たいとは思えないな」とヘロヘロになりながら振り返ったスポットだ。

 

 

山間部に突撃しよう

 

四国を流れる大河、「吉野川」に沿って僕はドライブをしていた。

この吉野川沿いのルートは好きで、これまでも日本1周目~3周目に至るまでに何度も走っている。半年前にも走ったばかりだ。

 

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山間部突撃1

「道の駅 貞光ゆうゆう館」という吉野川にほど近い道の駅にやって来た。

 

ちょっと歩くと吉野川が見えるので、このあとの行程を考えながら少し散歩した。

ゆめりあ34と「奥祖谷二重かずら橋」、どっちを先に行こうかなとか考えていたんだけど、前者を取った。

 

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山間部突撃2

あれは「美馬橋」だな。吉野川に架かる真っ赤な美しい橋。

橋好きの僕は、興奮して写真を撮った。

そして愛用のツーリングマップルを開いた。

 

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山間部突撃3

目的地のゆめりあ34は、おそらく画面中央の「」のあたりだ。

しかしどれだけ地図を凝視しても、目印になるようなものは無いし、道は複雑すぎて見ても無駄なくらいだし、極めつけに目的地に至る道は無い。

もうアドリブで行けってことだね、承知。

 

吉野川沿いをテクテク歩いているうちに汗をかいた。

このときは9月の朝だったのだが、早くも気温は30℃に迫ろうとしていたのだ。

汗をかくのは好きではないが、熱いのは好きだ。夏よ、去らないでって思う。

 

貞光ゆうゆう館に戻り、車に乗り込んで出発した。

ゆめりあ34を踏んでまたここに戻ってくるのに3時間半を要するのだが、このときの僕はまだそんなことを知らない。

吉野川沿いを少し西に走り、三加茂駅近くの県道44号から一気に山間部に入る。

 

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山間部突撃4

このあとは携帯が余裕で圏外の、秘境中の秘境だぞ。気合入れてくぞ。

しばらくはちょっとした集落があったけれど、すぐに山道になった。

そしてバリバリ標高が上がっていく。すごい。

 

この山間部の序盤で、道路工事の誘導員のおじさんに声をかけられた。

 

工事現場のおじさん:「あんた、どこまで行くんだい。この先は行き止まりだよ。」

YAMA:「ゆめりあ34ってところまで行こうと考えているんですよ。」

工事現場のおじさん:「え?なんだって?」

僕:「ゆめりあ34!」

工事現場のおじさん:「ヌメ…?ヌメリア??なんだそれは?」

 

…えっとー。もういいや。

あわよくばゆめりあ34までの所要時間とか、詳細な所在地とか聞ければなぁと思ったんだけど、諦めた。

おじさんは「この先は道も狭いし時間がかかるから気をつけてね。」って送り出してく
れました。

了解、頑張ります!!

 

 

高原の中の狭路

 

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山間部突撃5

もう対向車なんて当たり前のように1台も来ないし、人の気配すらゼロ。

クネクネとどこをどう走っているのかわからない山の中。

いやぁ、楽しいわ。

 

しかし気になるのが、ゆめりあ34の標識が1つも出てこないことだ。

この道で合っているんだろうな…??

 

合っていることを前提に要望なのだが、できればゆめりあ34までの距離を、百歩譲ってこの先にゆめりあ34がある旨の標識を作っていただたいのだが。

運転は楽しいが、心中は不安でならないわ。

もし道を間違えていたら行き止まりが出てくるまで永久に走り続けるよ、僕。

カーナビだって一応あるけど、そもそもゆめりあ34が登録されていないしさ。

 

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山間部突撃6

「桟敷(さじき)峠」という峠にやって来た。標高は1021mとのことだ。

ここまで、三加茂駅の前を通過してから30分であった。

 

ようやくゆめりあ34を示す標識が出てきて一安心。ルートは間違ってはいなかった。

ゆめりあ34まではここから6kmあるそうだな。

 

「風呂塔キャンプ場」・「水の丸ふれあい公園」などと同じ進行方向であるが、それらはツーリングマップルに一切の表記がない。あまり参考にならない。

ツーリングマップルに書かれないほどの秘境にいるということだな。

 

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山間部突撃7

桟敷峠にて県道44号を反れて水の丸方面に行く。

さらに道を進み、風呂塔キャンプ場へ行く道と分岐する。

 

ここまでは『風呂塔キャンプ場まであとちょっと!』みたいな励まし文句の立て札があってさ、僕もそこから勇気をお裾分けしてもらっていたんだけど、これで勇気の供給がストップされちゃったよ。寂しい。

 

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山間部突撃8

路面がやや荒れてきた。

しかしちょっと頭上が開けてきた。

 

水の丸エリアは高原地帯であり、3つ前の写真にもチラッと記載されているのだが四国の軽井沢とも呼ばれているらしい。

つまり夏でも涼しいということだな。窓を開けると確かに涼しい風が入ってくる。

 

間もなく『←水の丸ふれあい公園』という看板が出てくた。

もちろのこのままスルーで直進だ。

さっき撮影した桟敷峠での標識の写真によると、ここからゆめりあ34まではあと3kmか。

長いな。こういう狭路の3kmって果てしなく長く感じるよな。

 

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山間部突撃9

しかし眺めは最高であった。

どこまでも山の中。そんな山の斜面にポツンと集落があったりする。

「あんなところにも人々の生活があるんだなぁ…!」って思うのが、山間部ドライブの醍醐味だったりする。

 

さらに1km進んだところで「六地蔵峠」に出る。

ここ、ちょっとクセものだった。

 

 

僕自身の写真がないので、Googleマップストリートビューをお借りする。

 

ここが六地蔵峠だ。

右も左も同じ程度の道幅。どっちもメインロードのように感じる。

そしてゆめりあ34を示す標識などは無し。

…どっちだ…??

 

僕、右を選んだ。結果、失敗だった。

1km少々頑張って進み、あまりの狭さと向かっている方向から「違うのでは?」と思っ
て引き返した。

車1台がギリギリの道がずっと続いているような場所なので、Uターンに5回くらい切り
替えしたよ。

変な汗がいっぱい出た。一歩間違えたら脱輪で帰れないもん。

 

ちなみにここ、Googleマップで見てみると分岐などないのだ。

しかし実際はあるから要注意だ。

まぁこのときの僕はGoogleマップも使わずにカンだけで突き進んでいたんだけどな。

 

六地蔵峠まで戻り、左のルートを選ぶ。

すると山の中にちょびっと開けた集落みたいのがあった。

ビニールハウスが点在してる。

しかし人の気配は相変わらず無い。なにも音の無い静寂な世界で、僕の車のエンジン
音だけが響いていた。

 

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山間部突撃10

ゆめりあ34の標識があった!!よかった!!

 

たった1kmちょいだったけど、六地蔵峠からここまではドキドキだったよ。

集落前後である程度視界も開けるけど、逆に分岐が多くなってさ。

さらにゆめりあ34への標識は皆無だったからさ。

 

六地蔵峠で左を選んでよかったのかすらわからない状態だったから。

右が正解だったかもしれないなって思っていたから。

でも道を聞こうにも人がいないし。

 

ここまできてアプローチできなかった、とかはシャレにならない。かなりの時間と精神力を使っていますもん。

とりあえず分岐は全て道が太い方を選んだ。

微妙なところもあるけれど、そういうところは舗装面の色が分岐前と同じ方を選んだ。

 

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山間部突撃11

こうして、ようやく上の標識の場所まで来れたのだ。

日本列島中心点の文字が全ての疲れを吹き飛ばしてくれた。

 

あと700mだ!

なお、後から確認したところ、この先はGoogleマップに道すらない。

矢印を信じて突き進め!

さらに道は細く、そしてさらに荒れてくるけど、もう分岐は無い。突き進むのみだ。

 

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山間部突撃12

深い木立の中を突き進んで行く。

対向車来たら100%擦れ違い出来ない。

 

だが、序盤の工事現場のおじさん以降、人も車も全く見かけてないけどな。

でもここでシカがいてビックリした。かなりデカいヤツだった。わお。

 

 

日本列島中心点・ゆめりあ34

日本列島中心のモニュメント

 

着いたー!!

やっぱ疲れたわ。肩も凝った気がするし、精神的に疲れた。

だが爽快な気分だ。

 

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日本列島中心点1

三加茂駅から55分ほどだった。

六地蔵峠で迷わなければ45分くらいだったかな?

 

訪問当時にWeb上でわずかに発見できる情報では、駅からおよそ1時間と書いてあるところが多かった。

大体標準タイムだが、あなたももし行かれるのであれば初回は時間も精神力もゆとりを持っておくといいと思う。

 

砂利の駐車スペースには他の車は皆無。

のびのび出来ますなぁ!

外に出ると、標高が高いので空気が冷たく感じた。

 

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日本列島中心点2

駐車場に立っていた大きな立て札が、上のものだ。

 

ようこそ「ゆめりあ34」へ

さあ、あなたも日本列島のど真ん中に立ってみませんか。

そうすれば、あなたの夢はさらに広がることでしょう。

そして、夢の実現に向けての自信が湧いてくるかもわかりませんよ。

 

…と書かれている。

なんだかチープな自己啓発文のようだが、これはこれでいいんじゃないかと、優しい心になれる場所だ。

 

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日本列島中心点2

敷地内を歩いてみよう。

山の斜面に造られた公園が、ゆめりあ34だ。

 

何か特別な施設とかがあるわけじゃない。

傾斜にはアジサイツツジが植えられていて、綺麗に管理されている雰囲気だ。

ま、どちらも今は季節じゃないので花は咲いていないけど。

 

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日本列島中心点3

傾斜に沿い、遊歩道の階段を下りていく。

眼前には深い谷とどこまでも続く山々。そしてその山肌の小さいな集落。

 

四国の山間部ってこんな感じだよね。

酷道439号とか、まさにこんな感じだよね。

こうい雰囲気の四国が好き。

 

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日本列島中心点4

さて、僕が目指すのはあそこだ。

敷地内のほぼ中央、ツツジの植え込みが日本列島の形に植えられている場所の中。

 

そこに銀のポールが三角形に組んである。

あれが日本列島中心点のモニュメントなのだ。あれだけを見るために、わざわざここまでやってきたのだ。

 

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日本列島中心点5

はい、到着。

ピカピカのポールが青空に映えるなぁ。

 

しばらく僕はここで景色を堪能し、達成感を噛みしめた。

高原に吹く風が最高だった。

たぶん二度と来ないからな、ここ。一生に一度の光景を五感に刻めよ。

 

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日本列島中心点6

このモニュメントの中央部分には、三角点と思われるものが埋め込まれていた。

三角点には"ゆめりあ34"と刻まれていた。

なかなかにかわいい。

 

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日本列島中心点7

そして傍らには、日本列島の中心を名乗る根拠の説明板が設置されていた。

内容は前述の通りなので、ここでは詳細は割愛しよう。

 

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日本列島中心点8

そしてアホな僕はここに来るまで気付かなかったのだが…。

前述の通り、ここは北緯34度・東経134度の公会点。

だからゆめりあ"34"っていうんだね。

 

説明板の右上を読めばわかるが、ここ日本の中心だとわかり、そして名称を公募し、ゆめりあ34と名付けられたのだ。

2005年前後にネーミングされた、新しいスポット名だったのだな。

 

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日本列島中心点9

 

 

絶景ブランチを堪能

 

誰もいない。全くいない。

たぶんここを目指す人ってほとんど存在しないと思われる。

辿ってきた県道44号自体、もっと進むと四国山地にぶつかって行き止まりだしさ。

 

地元の人がピクニックやレクレーションで来るかもしれないけど、そう頻繁に来れるようなところでもないだろう。

だからとても静かで空気が澄んでいて、最高だ。

 

では、車内でご飯でも作るか。ブランチだ。

メニューは時間と環境が整ったときにしか作らないお好み焼きにしよう。

 

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アウトドアクッキング1

あ”ーー、汚い車内で大変恐縮だが、薄眼で見てくれ。

 

長旅では、1日1回は車中自炊するようにしているので、今日はここで作ることとする。

食材は四国を走りながら地元のスーパーで買ってある。

肉は無いので少し寂しいな。でもいいや。

 

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アウトドアクッキング2

見た目はあまりよろしくないが、ちゃんと自宅で作ればそれなりに上手なんだよ、僕。

車中自炊では最低限のクオリティしか求めないし、器具も限られているのでこんなもんだ。

 

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アウトドアクッキング3

四国山間部の絶景の山々を眺めながら、僕は外でお好み焼きを食べた。

幸せだ。

うまいのはお好み焼きではない。この旅のシチュエーション全てがうまいのだ。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

ゴミは残さず、しっかり回収してゆめりあ34を後にする。

集落の中は、帰り道だと行きとはまた違った視点となり、迷いやすそうな分岐が4つほ
ど出現する。

行きのときに注意深く周囲や後方を見渡しながら来たのでルートを覚えており、無事にクリアできた。

 

僕は下界を目指す。

数ある日本の中心の1つである、ゆめりあ34。

数多くある1つでしかないが、他には無い思い出を作ってくれた。

 

僕は、ここから眺めた景色を永遠に忘れることは無いだろう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ゆめりあ34
  • 住所: 徳島県三好郡東みよし町毛田
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.180【愛知県】名古屋の穴場的な桜スポット!?住宅地を流れる「山崎川」で花見散歩!!

僕は名古屋のバーカウンターにて、バーテンダーさんにこう尋ねた。

名古屋市内で、なんか穴場的な桜スポットはありますか?」

 

こうしてバーテンダーさんや近くに座っていたお客さんから得た情報、それが「山崎川四季の道」の桜並木である。

 

…さて、2022年の春本番がやってくる。

今年の冬は寒かったな。3月下旬にも東京で雪は降ったし、にもかかわらず大きな地震直後で節電を呼びかけられたりと、なかなかシンドかったな。

 

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でも、もう桜前線は南からやって来ている。

あと数日もすれば西日本・首都圏は桜が満開になるだろう。

待ちに待っていた季節だ。

 

そんな桜シーズン到来を記念し、日本5周目で訪れた山崎川をご紹介したい。

もう今回は桜の写真しかないからな、カクゴせよ。

もう環境BGMみたいな位置付けで、リラックスしながら桜の写真を流し見してほしい。

 

 

桜咲く川沿いの道

 

朝の名古屋市

天気予報は雨だったはずだが、予想を裏切り快晴となった。

 

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朝の名古屋

おやおや、僕の日頃の行い、最高かよ。

バーで「雨じゃ桜見ても感動が半減じゃないか」とグチッていた過去の僕を慰めてあげたい気分だ。

そしてこの時期にしてはかなり気温が低い予想だったのだが、実際はそれなりにポカポカの陽気だ。薄手のシャツ1枚で余裕である。

 

さぁ行こう、山崎川へ。

 

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山崎川1

はい、もったいぶってもしょうがないので、いきなり到着の図だ。

カンペキだなって思った。

なんだこの優しさに包まれる世界は。

桜は優しさの象徴だ。

 

写真、真ん中の奥くらいにゴミ捨て場があってゴミ袋も見えている。

だけどもそれすら美しいと感じた。それが桜フィルターなのだ。

 

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山崎川2

柵の向こう側が山崎川だ。

Wikipediaさんの情報によれば、山崎川は名古屋市内に源流があり、名古屋港に注ぐ2級河川。長さは13㎞ほどとのことだ。

なかなかに小規模な川ではある。

 

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山崎川3

そしてこの山崎川は、少なくともこの桜並木が続くゾーンにおいては、比較的込み入った住宅地の中を流れている。

周辺は民家だらけだし道はやや細いし、生活感が溢れているエリアだ。

 

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山崎川4

だからだろうか?

僕はこの桜の風景にすごい親しみやすさを覚えた。

 

誰でも知っている桜の有名なスポットのように、模擬店があるわけでもないしイベントやっているわけでもないし、花見客がピクニックしたり酒盛りをしているわけでもない。

 

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山崎川5

ゴミを出すついでに近所の人同士が「桜が満開になりましたね」とか言い合ったり、通勤途中の人がふと足を停めて上を見上げたりとか…。

もちろん観光目的の人もいるだろうが、こういう雰囲気の桜スポットなのだ。

歩きながら桜を見上げる、そういうスポットなのだ。

 

それがいい。

日常の中に感動があり、日常の中に春があるのだと、そう感じた。

 

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山崎川6

そんな僕の知らない町の日常風景に、春の陽気につられて僕がフラッと迷い込んでいるのだ。うん、最高かよ。

 

桜を見上げる僕の頬は緩みっぱなしだ。

桜のシーズン、大好きだ。

 

 

川面に架かる桜

 

さて、山崎川自体を見てみよう。

ところどころに小さな橋が架かっているので、主にそこからの景観をご紹介する。

 

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川面と共に1

山崎川はこんな感じだ。

川幅自体は2mもなく、両側をスロープ状のコンクリートでガッチリ固められている。

天然物の土手のような風情は無いが、きっちり設計された美しさがある。

 

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川面と共に2

川面に桜がかかる様子がとても好きだ。

一歩足を進めるごとに、その絵が変わってゆく。だから一歩ごとに歩みを止めて写真を撮りたくなる。

 

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川面と共に3

うん、永遠に終わらない散歩のようになるけどさ。それがまたいいのだ。

桜の時期は一瞬だ。人生の中で、桜を眺められる日数だってそんなに多いわけではないだろう。

だから、その期間の僕らの歩みくらいはゆっくりでいいじゃないかと。

 

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川面と共に4

ひとしきり歩いていると、もっと川を間近に感じたくなってくる。

せっかく川沿いの桜並木なのだから、川の近くに行ってみたい。

それを河川敷って言うのかどうかは知らないが、下に見えている川っぷちギリギリのコンクリの路面を歩いてみたくなったのだ。

 

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川面と共に5

しかしどこもキチンとガードレールが設置されていて、下に降りれそうな場所がない。

やっぱダメなのかな、危ないのかな、あそこに行くのは。

 

しばらく歩いていると、車道から河川敷に降りれる小さな階段があった。

階段に至る部分には、まるで一般家屋に取り付けられている玄関の門みたいな簡素なゲートがある。

試しに押してみると、施錠などはされていなくってギーッと普通に開けられた。

 

おぉ、これは導かれているのだと理解した。

では下に降りてみるか。ワクワク。

 

 

河川敷から見た世界

 

階段を降りて川の真横まで来た。

なにここステキ。

ちょっと視点が下がっただけで、まるでそこは別世界であった。

 

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川沿いにて1

頭上全てがピンク。桜のトンネル。

そして足元も桜吹雪が舞い落ちてピンク。

さらには頭上がピンクだということは、川面にも桜が映り込んでピンクなのだ。

ピンク一色のファンシーな世界観だ。

 

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川沿いにて2

車道からここまで下がると、もう街並みは見えないし、喧騒も遠くになる。

僕と桜だけの別世界。

そんな空間を川沿いにノンビリと歩くことにした。

 

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川沿いにて3

途中で若干の人はいた。

おじさんが1人、桜の下で読書をしていたりもした。

秘密の空間って感じだ。確かにこんな陽気の日にここで読書をしたら最高であろう。僕も本があれば読んでみたかった。

 

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川沿いにて4

ところで、後日調べて分かったことなのだが、この山崎川四季の道というのはそれなりに名誉ある称号を持っている道なのだ。

ザッと以下の通りだ。

 

なるほどすごい。

確かに桜並木は綺麗だが、住宅地の中なのでそんな高名なスポットだとは思わなかった。

近くにある「鶴舞公園」とかは有名で、僕だって聞いたことくらいはあったけどさ。

 

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川沿いにて5

ここの桜並木は全長約2.5kmにわたり、そこに約600本の桜が植えられているという。

桜シーズンの夜は、その中でもモリモリと桜が咲き誇っている「かなえ橋」から「鼎小橋(かなえこはし)」までの約120m区間がライトアップされているらしい。

 

それはそれで、きっとさぞかし綺麗だろう。

(2022年はコロナの影響でライトアップ中止だそうです)

 

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川沿いにて6

今回僕が歩いたのは、山崎川の桜並木の2.5㎞区間のおける、比較的上流の部分である。

ここはあくまで桜並木の一区間であり、僕が見た部分だけをご紹介する記事に過ぎない。

 

中流下流には足を伸ばさなかったが、それらもここと少しテイストが異なり、やや開けた景観を楽しむこともできるそうだ。

 

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川沿いにて7

もしあなたがここに行き、時間があるならぜひブラブラと全区間を歩いてみてほしい。

僕もいつか、コロナが明けたらまた歩きたい。

 

短い時間ではあったが、名古屋の桜を見ることが出来て良かった。

情報をくれたバーテンダーさんやそこのお客さんに感謝だ。

 

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川沿いにて8

ここから今日は、桜を見ながら東の静岡方面に走る予定だ。

幸先のいいスタートとなりそうだ。

ありがとう、名古屋の桜。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 山崎川四季の道
  • 住所: 愛知県名古屋市瑞穂区大殿町4
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし(近くのコインパーキングを使用のこと)
  • 時間: 特になし

 

No.179【滋賀県】琵琶湖の湖岸の「あのベンチ」!静かな湖畔をここでノンビリ眺めたい!

あなたは琵琶湖を眺めるために設置された絶景ベンチ、「あのベンチ」をご存じであろうか?

 

ここ数年のインスタグラム等のSNSの台頭により、2・3年前からインスタ映えするスポットとして有名になって来た。

場所は少し前まで公開しないのが暗黙のルールだったようだ。

最近はずいぶん有名になり、Googleマップでもピンが立っている。

 

そんなベンチを目指したドライブの話をしよう。

 

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木の根元にあるのが「あのベンチ」だ

 

 

あのベンチ_PartⅡ

 

たぶん、ここを右折なのだろうな…。

 

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湖畔へ1

事前にあのベンチの場所を調べておいた僕は、「さざなみ街道」の別名を持つ湖畔の県道25号を右折することとした。

 

湖畔沿いの県道25号から、さらに湖に接近するのだ。

本当に琵琶湖ギリッギリの湖岸の道だ。この道沿いにベンチが存在する。

 

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湖畔へ2

今、琵琶湖に向かっている。

右手に見えているのは琵琶湖ではない、「愛知川」だ。鈴鹿山脈を源流とし、琵琶湖に注ぐ一級河川だ。

 

愛知川と共に琵琶湖まで行き、僕は愛知川にように琵琶湖にダイブするわけにはいかないので、直前の道を左に進路を取る。

 

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ベンチは2つあった_1

…ん?ここか??

スマホからGoogleマップを確認してみた。ピンは確かにここを指している。

 

しかしなんか違う。確実に違う。

もっとこうね、大きな木があって、その木の根元に琵琶湖を向いたベンチがあって…。

 

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ベンチは2つあった_2

うん、確かに大きな木はある。そしてその根元には琵琶湖を向いたベンチがある。

でもなんか違うんだよなー。

いや、でもこんなもんなのかなー。マクドナルドだってメニューの写真と実物は違うしなー。

 

パラレルワールドに踏み込んでしまったような微妙な気持ちだ。

どこかがおかしい。

 

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ベンチは2つあった_3

木は、こんなに和テイストなグニャッた松だっただろうか?

ベンチは背もたれもない、こんなグンニャリとしたカーブを描いたものだったろうか?

 

僕は今、グニャグニャした別の世界線に迷い込んでいるのではなかろうか。

ちょっと落ち着け、ベンチ座って考えよう、せっかくだから。

 

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ベンチは2つあった_4

目の前に広がる琵琶湖は最高の眺めであった。

日本一大きい湖の貫禄は伊達ではない。どこまでもどこまでも広がり、対岸は霞んでいるのでパッ見では水平線まで続いてそうなスケールだ。

 

深呼吸してみた。冷たい空気が肺いっぱいに入る。

右を見ると、雪を被った「伊吹山」が聳えていた。

 

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ベンチは2つあった_5

うん、これでいいじゃないか。

そこにベンチはあった。なんか違和感はあるけど、そんなちっぽけなことでガタガタ言う人生はつまらん。

この巨大な琵琶湖を見ていると、そういうおおらかな気分にさせてくれる。

 

…いや、待て。

さすがに違うだろ。

 

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ベンチは2つあった_6

危なく「これでいいじゃないか」で終わるところだった。琵琶湖に絆されるところだった。

琵琶湖まで来て本命のベンチを逃して帰ったら、しばらくは悔いが残る。

 

ベンチに座り、ちょっと検索する。

結果から言うと、あと1㎞程湖畔を西に走ったところが本命の"あのベンチ"ではないかと考えた。

 

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ベンチは2つあった_7

で、このベンチはと言うと…。

2022年3月の執筆時現在の僕が、得られた範囲から推測も交えてご説明する。

 

Googleマップでは「あのベンチPartⅡ」と書かれている場所だ。

たぶんだけど最近誰かがそういうネーミングでピンを立ててくれた場所だ。

僕が現地訪問したときには、確かにここが"あのベンチ"であった。パートⅡなんかじゃなかった。

 

そして、おそらく結構最近、少なくともコロナ禍が始まってから設置されたものだ。

本命の"あのベンチ"は緊急事態宣言のときなどに長らく撤去されたりしたそうだから、もしかしたら誰かが代わりとして置いてくれたのかもしれない。

 

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ベンチは2つあった_8

さらに、Webなど検索すると"あのベンチPartⅡ"としてほんの少しずつ知名度が上がっているような気配だ。

決して偽物などではなく、「ベンチは2つある」ということで2つセットで立ち寄れるスポットとしてもっと知名度が上がれば、それは幸せな世界かもしれない。

 

では、本命に向かおう。

 

 

アクアブルーのコラボレーション

 

湖畔ギリギリの道をゆっくりと走って行く。

道すがら、何箇所かで数人ずつ固まった人々が、湖に向かって大きなカメラを構えていたのが目に入った。

バードウォッチングだろうか?いいね、確かにこのあたりは鳥が多い。

 

しばらく走ると、Web上でよく目にする"あのベンチ"が現れた。

うん、ここだ。間違いない。

 

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あのベンチ1

時系列は少しだけ前後するが、ベンチと木と湖畔を映した写真をまずはご紹介する。

 

ここだここだ。

周辺は広い空き地となっているので、駐車は非常に容易だ。

先客は2人いて、うち1人の方はベンチの横に愛車”ハスラー”を停めて撮影をしていた。

 

知っていたし想像も容易なことであるが、ここはインスタ映えスポットとして有名になったので、ベンチに座ってゆっくり休むための人よりも、撮影のために来る人が圧倒的に多いと思われる。

特に車乗りやバイク乗りの人は、愛車とこのベンチを一緒に撮影したいのだ。

 

結構そういう人がゾロゾロ来るので、写真を撮ったらササッと車あるいはバイクをどかすのがスマートだと思われる。

 

すぐにハスラーおじさんがこちらに来て、「すみません、すぐどきますので」みたいに言ってくれる。

気を使わせたくないので「いやいや、ごゆっくりどうぞ」みたいに返す。

すると「一緒に車を並べて写真を撮りませんか?」と提案してくれた。

 

フォッ!?

予想外のお申し出。よしっ、面白そうだ。

 

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あのベンチ2

 

あぁ…、美しい…!!

 

 

空も湖も車も青だ。

ハスラーおじさんは、「同じ色合いの車だから並べて見たくって」と言っていた。

どちらもレトロな風合いの車。

 

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あのベンチ3

「珍しい車と並べて嬉しい」としきりに言ってくれてた。

僕も、他の車と一緒に撮影する機会ってあまりなかったから嬉しいな。

 

ハスラーおじさんは「別にナンバープレートをマスキングなんてしなくっていいから」って言ってくれたけど、ポリシーとしてマスキングさせていただこう。

 

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あのベンチ4

ハスラーおじさんは何度もここに通っている常連さんとのことだ。

「葉の茂っている時期もいいが、冬のこの姿もいい…!」って言ってた。

 

この木は"センダン"っていう名前の木だそうだ。

センダン…。今までの人生で聞いたことのない名前だった。

Wikipediaさんの情報によると、別名はアフチ・オオチ・オウチ・アミノキなどがあるそうだ。

なるほどなるほど、1つも知らない。

 

どうやら温暖な国の木らしく、西日本より南にしか存在していないようだ。

…そっか、滋賀県って結構寒かったり雪がドチャクソ積もったりするんだけど、大丈夫なのかな??

 

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あのベンチ5

「さぁ、お次はソロでどーぞどーぞ!せっかく遠くから来ているんだから!」と譲ってもらった。

さっきのコラボ写真でも結構満足しているのだが、せっかくなので日産パオだけの写真も撮ってみようか。

 

写真のセンスは無いので、ただただセンダンの木の周囲を一周するだけの活動になるけどな。

 

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あのベンチ6

しかし、センダンの木はカッコいいな。

非常に絵になる感じで枝が綺麗に広がっている。

 

これが春以降だと青々とした葉が茂るし、ベンチの周りの草もより生き生きと映えるようになる。

まさに「木陰のベンチ」って感じで最高になるのだ。

だが冬もいい。この枝付きを見ることができるのだから。

 

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あのベンチ7

他の車が敷地内にやってきた。

別に圧力をかけられたわけではないが、早く譲ってあげたい気持ち。

かといって速攻で立ち去ったらそれはそれで相手に後味悪い思いをさせてしまいそうな気がして、「あとちょっとで終わりますんで待っててくださーい!」と声をかけてみた。

 

さっきのハスラーおじさんも見ているし、後続の人もいるので、実際はちょっとだけ恥ずかしい思い。

 

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あのベンチ8

後日談ではあるが、僕が立ち去った後すぐにベンチ設置者の方がここに現れ、ハスラーおじさんはその方といろいろ会話ができたそうだ。

あー、羨ましい。僕もいろんな話を聞いてみたかった―。

 

どうやら、このベンチが設置されたのは2008年頃。

近くに住む、2022年現在は70代の男性によるものらしい。

 

もともとこのセンダンの木は、その男性のおじいさんが植えたのだそうだ。

その木の根元に男性がベンチを置いたのが、2008年頃。

この1代目のベンチには背もたれが無かったようだ。

 

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あのベンチ9

背もたれの付いた2代目のベンチが置かれたのは2015年。

そのころから写真映えするとのことで、少しずつ口コミで広まる。

その後2018年にTVで取り上げられたりして、一気に有名になったらしい。

 

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あのベンチ10

詰めれば3人くらいの大人が座れる規模だろうか?

ゆっくり座るのはちょっと憚られるくらいの人気スポットではあるが、見るだけでも絵になるベンチというのも、また素晴らしいステータスなのかもしれない。

 

いつか機会があったら、緑豊かな時期に来てみようか。

そのときは、また違う感動を味わえるだろう。

 

パオに乗り込み、エンジンをかける。

近くで見守ってくれていたハスラーおじさんにお礼を言い、僕は次のスポットへと走り出した。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: あのベンチ
  • 住所: 滋賀県彦根市石寺町1331
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし(周囲に民家あり、良識のある範囲での訪問を)

 

 

No.178【福島県】穏やかな海辺の景勝地「松川浦」!震災の津波被害前後に訪れた思い出。

福島県北部の浜通りに、「松川浦」という景勝地がある。

 

日本2周目の穏やかな夏の日、フラリと訪れた。

静かで浅い内海に点々と岩が浮かぶ様子に、日本の原風景を見ているような気持になり、若かりし日の僕は心からここが好きになった。

ここで僕は初めて"浦"という単語の意味を理解したと感じた。

 

2011年3月11日、東日本大震災

松川浦は津波の直撃を受け、壊滅的なダメージを受ける。

 

11年目である2022年3月11日から遅れを取ってしまったが、今回は震災前から震災後までを追いかけた松川浦について執筆したい。

 

 

そこはマイナス7℃の氷の世界

 

気温は-7℃だ。とんでもない寒波が来ている。

「寒い」とつぶやく、その言葉ですら凍ってしまうような気温だ。

 

そんな中を僕は松川浦に向かって車を走らせていた。一人旅だ。

そしてこんな真冬に松川浦に来るのなんて、初めてだ。

前回は初夏で最高だったが、今回はなかなかに自然の猛威を感じちゃう。

 

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氷の松川浦1

松川浦に架かる「松川浦大橋」だ。全長520mほどの吊橋。

松川浦の形状っていうのは「一部が海に繋がっている湖」みたいな感じなんだけど、その海に繋がっている部分に車道を渡しているのが、この橋だ。

 

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今回の舞台

最初に、松川浦の全容をお見せしよう。

そして今回のエピソードに登場する主なスポットを書き出してみた。

砂州に囲まれた内海、それが松川浦だと認識しておいてほしい。

 

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氷の松川浦2

だからすぐ横には太平洋が見えている。

夕暮れの銀世界の太平洋。幻想的だが、尋常では無い寒さ。

 

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氷の松川浦3

こんなところをこれから観光しようとしているのだから、僕ってすごい。

いや、こんな寒波が来るとは思っていなかったんだけどさ…。

 

青森まで行こうとしたんだけども、とんでもない寒波で高速道路も何もかも止まり、トラブルに見舞われながらも決死の逃避行をしてここまで南下して来たのだ。

相当な災難だ。全然観光できずにここまで来ている。

 

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氷の松川浦4

だから、こんなアイスワールドだけどもヤケクソで観光したい。

寒さに目を瞑れば、こういう世界も悪くない。都会に住んでいてはなかなかお目にかかれない光景だ。

 

さて、写真の右上を見ていただきたい。

灯台があるのがわかるだろうか。「鵜ノ尾岬」だ。

以前の訪問時には灯台の足元までは行かなかったので、今回はあそこに行きたい。

 

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氷の松川浦5

海際に車を停めて、遊歩道から岩場を登って行く。

すると小さなお堂があった。「夕顔観音 奥の院」という名前とのことだ。

 

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氷の松川浦6

お堂と眼下の松川浦を同時に眺めるロケーションがステキだ。

実は上の写真は右も左も海で、車道がその真ん中を突っ切っている。

だが、向かって右側の"浦"に当たる部分はすっかり雪原でなにがなんだかわからない。

 

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氷の松川浦7

ハハッ。見ろよ、足跡がある。

よっぽどの物好きがここに来たようだぜ。

…というブーメランを投げて、自分自身に刺さったことを感じる。

 

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氷の松川浦8

氷と雪でズリズリに滑りながら辿り着いたのは、「鵜の尾岬展望台」だ。

簡素な木製の展望台。よし、登ろう。

 

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氷の松川浦9

 

クッソ寒い。

 

 

太平洋・相馬港・相馬共同火力発電所などが見えた。

太平洋の波はザワザワと不穏な勢いで打ち付けて来ていた。

風が強すぎる。飛ばされそうだ。

 

ここから100mほどで灯台だという。

強風で心がめげそうだが、もう少しなので歩こう。

 

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氷の松川浦10

「鵜ノ尾埼灯台」についた。

周囲をウロウロしたが、絶妙な角度で小枝がジャマしてくる感じがいいね。

ウザい前髪って感じでなんとも言えぬわ。

 

それでもいい角度を探そうと歩いていたら、手からカメラがポロっと落ちた。

落ちたら拾えばいいのだろうが、スッポリと雪に埋もれて、どこに落ちたのかもわからなくなった。

 

僕は泣きそうになった。

-7℃の暮れゆく寒風の岬で、手を真っ赤にしながら雪を掘り、1人カメラを探した。手袋なんぞ持っていなかったのだ。

10分かかってカメラを見つけたときには、すんごい嬉しかったね。

見当違いのところから掘り出した。奇跡だ。

 

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氷の松川浦11

このあとは、松川浦で喜びの舞を踊ったりしたのだが、読者様はそういうことにご興味は無いであろうから、この話はここでオシマイ。

はい、オシマイ。

 

 

震災、そしてガレキの山…

 

2011年3月11日。

30mにも及ぶ巨大な津波が、この松川浦に激突した。

 

YouTubeからその動画のリンクをご紹介する。

津波の画像があるので、ショックを受けやすい方についてはご注意いただきたい。

 

www.youtube.com

 

松川浦大橋、そして僕がお堂から見下ろした、海と松川浦を隔てる細長い道路の存在をお分かりいただけたかと思う。

想像を絶する光景であった。

 

それからしばらく経ったある日…。

 

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震災直後1

僕は松川浦に来ていた。

「どうしてもここを訪れて、どうなっているのか見たいんだ」と仲間に言い、災害復興ボランティアの合間に訪れたのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

そのときのボランティアのエピソードについては、ご興味あるなら上記からご覧いただきたい。

 

僕は、あの雪積もる日と同じルートでアプローチした。

しかし、周辺の光景は一変していた。

 

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震災直後2

重機がハデに転がっている。いや、重機って転がるものなのかよ…。

そして木々にはブルーシートがたくさんぶら下がっていた。

 

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震災直後3

大型クレーンのバケットか?

これまた不自然な場所に散乱している。本来はこれ、船とかに設置されているタイプではなかろうか…。

 

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震災直後4

ここいらは工業港だよね?火力発電所もすぐ横だし。

だからそういう関係の重機やクレーン類の残骸が津波に流されたまま、ゴロゴロしているというわけか?

 

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震災直後5

海岸には、青と白のストライプ模様のトイレの残骸があった。

僕は過去、このトイレを訪れたことがある。

きっと鉄筋コンクリートなのだろうが、津波はそれをも容易く崩したのだ。

 

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震災直後6

胸がズキズキするのをこらえ、松川浦大橋の200mほど手前までやってきた。

しかしそこには「関係者以外立入禁止」の看板が立っていた。


ぶっちゃけ小さな看板なので無視して突っ切ることもできるし、地元なのかどうなのか知らないけど目の前も何台か車が通って行く。

しかし、ここまでの道がこの惨状だったのだ。この先はもっと荒れているに違いない。

興味本位だけで、部外者の僕らがそこに行くことは憚られる。

 

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震災直後7

もう渡れなくなった吊橋。

写真の左、枯れ木の後ろの絶壁の上には、あの日の灯台が見えている。

あの灯台にも、当分行くことはできないのだろう。

 

松川浦大橋は、路面ギリギリまで浸水したらしいけどなんとか無事。

既にこの時点(2011年春)で、僕は前述の津波の動画を視聴済みだった。

改めてその怖さを実感する。

 

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震災直後8

そして、前日に一緒にボランティアした長野県のおじさんが教えてくれたんだけど、橋の内側にある小ぶりな灯台津波で破壊されたというのだ。

恐ろしい力だ。

 

僕らは立入禁止看板のところで車を停めると、外に出て少し周囲を見渡してみることにした。

 

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震災直後9

すぐ脇には公園があったらしい。

滑り台はグニャグニャになっていたけど、なんとか倒れずにギリギリのところで持ちこたえていた。

 

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震災直後10

ブランコは意外なことに、座面が全て健在であった。

津波をうまく受け流したのだろうか。

だが支柱は無残にねじ曲がっている。

 

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震災直後11

元は食事処だと記憶している建物の残骸の横に腰掛け、僕は同行のメンバーに松川浦の思い出について語った。

 

もう行くことはできないけど、あの向こうは細長い砂洲になっていて、海と松川浦とを隔てていたんだよ。そして穏やかな松川浦にはたくさんの小島があり、養殖いかだが浮かんでいたのだよ。浅瀬には貝や小魚もたくさんいた。

本当に素敵なスポットだった。

 

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震災直後12

あの豊かな自然は、またいつか戻るのだろうか…。

絶望に潰されそうになる気持ちを抑え、今日も僕らはボランティアに向かう。

 

 

震災の年の夏は、まだまだ苦しい

 

僕は、「なぁ、もう一度松川浦に行けるかどうか、試してみようぜ」って同行者に提案した。

2011年の夏、福島県南相馬市の復興イベントにお呼ばれした後のことだった。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

時系列は上記リンクと同じ日となる。

僕らはイベント参加を切り上げると車に乗り込み、ボランティアしたときの思い出の地を巡ってみることとしたのだ。

 

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震災の年の夏1

前回の震災直後は、北からも南からも試したが、松川浦に行けなかった。

今回はどうだろうか。

…早速だが、松川を示す標識が傾いており、この後の不穏な未来を暗示しているように感じた。

 

まずは南側から…。

うむ、案の定通行止めであった。

バリケードの前には誘導員の人がいて、「この先は入れないよ」って言われちゃった。

北側からのアプローチは最後に試したいので、次は対岸から遠望できるかどうか試してみたいと思う。

 

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震災の年の夏2

ここで今一度松川浦の全容をご説明しよう。

これで形状をなんとなくご理解いただけると思う。

 

次に僕が向かうのは、上図の「今回目指す地」の部分だ。

右側に細長く伸びる砂州の次くらいに眺めが良いだろうと推測したのだ。

 

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震災の年の夏3

到着した。…が、周囲一面はドロドロであった。

上の写真、水平線に沿って地面があるのがわかるだろうか。あれが津波を被った道路のある砂州の部分だ。

 

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震災の年の夏4

浅瀬に浮かぶ美しい小島。

津波で一部崩壊したのだろうか、よく見ると新しい断面があるし、足元には破片と思われる岩がゴロゴロしていた。

 

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震災の年の夏5

左手の遠くには松川浦大橋が見えた。

前述の動画は、この近くから撮影したのだろうな…。ここ一体の海面が、あの橋の路面と同じくらいの高さになったのだ。ホント恐怖しかない。

 

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震災の年の夏6

たぶん津波は、砂州に生えていた木を凪ぎ直しながら陸地に向かって来たのだろう。

海上に散乱している木々は、以前は砂州に生えていたものなんじゃないかと思うのだ。

 

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震災の年の夏7

遠くの砂州と今いる陸地を一緒に撮影してみた。

砂州の木々はまばらだが、まだ生えている。津波を乗り越えた木もあるようだ。

 

そして津波は僕の足元の岸壁に激突し、コンクリートの壁面をボロボロに破壊したのだろう。

しかし、それだけで勢いは収まらず、陸地に上陸したのだ。

 

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震災の年の夏8

後ろを振り向くと、1階部分に津波が激突した建物がある。

1階部分だけ綺麗に空洞だ。

2階部分は無事なようだが、1階という支えを無くして大きくたわんでいる。

 

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震災の年の夏9

 

招待されて先ほど参加した「災害ボランティア感謝の集い」では、大きな垂れ幕に『ご支援ありがとうございました』と書かれていた。

…いや、過去形じゃないだろ…。まだまだだろ…。

 

イベント内ではボランティアへの感謝の言葉などが述べられるが、正直大した活躍をできたなんて思ていないし、まだまだ復興は始まったばかりだ。

 

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震災の年の夏10

まだこんな大変なのにイベント開催して感謝までさせてしまって申し訳ない気持ち、しかしそれと同時に「こうやって少しずつ歩んで振り返って祝って…」ってやることこそが大事なのだろうという気持ち。

それらが入り混じってよくわからない。それが僕の正直な気持ち。

 

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震災の年の夏11

では、松川浦の北側に行ってみよう。

先ほど南側から砂州に入れなかったので、次は北側からのアプローチをチャレンジだ。

…たぶん無理だろうけど、念のためな。

 

転がって草木に覆われつつあるトラックを眺めながら、松川浦大橋方面に走る。

 

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震災の年の夏12

途中、陸に打ち上げられた漁船も見かけた。

 

そして震災直後に通行止めであった、松川浦大橋のたもと付近に到着。

しかしやはり、橋方面は通行止めであった。

しょうがない。僕らはまた、そこの付近を散策することとする。

 

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震災の年の夏13

またほぼ同じ角度からの松川浦大橋。

左端の灯台を絶妙にジャマしてくる木の位置まで一緒だ。

ただ、夏草が茂って来た。変化はそれだけ。

 

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震災の年の夏14

前回橋を眺めた、1階がボロボロの食事処も全く変わっていない。

市街地から少しずつ少しずつ、復興に進んできた矢先だ。まだまだこれからの道のりも長いよな…。

 

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震災の年の夏15

そしてこの後僕らは、さらに浜通りを北上して宮城県方面に向かうこととなる。

 

 

2年後、復興への歩みを確認する!

 

2013年の春。東日本大震災から2年が経った。

僕は2年ぶりに、1人松川浦へと車を走らせていた。

 

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2年後の松川浦1

「お食事処 たこ八」!

松川浦の内海に面したロケーションのいい場所に建っていたのでランチに立ち寄ってみた。

 

震災の津波で影響できない状態になっていたが、つい2週間前にリニューアルオープンしたという。

 

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2年後の松川浦2

店内ピッカピカだ。なんだか混雑していて食事にありつけるまで50分かかったが、復興の様子を感じ取れたのは嬉しい。

 

食べたのはホッキ飯だ。

ホッキ貝はここ相馬の名物。でも僕、ホッキ貝自体を初めて食べたかもしれない。

 

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2年後の松川浦3

お店の前からは、松川浦の砂州部分が見えた。

どうやらまだあそこは通行止めらしい。水平線に沿って長く伸びる砂州、また走ってみたかったけどな…。

 

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2年後の松川浦4

ここは2年前の夏に立ち寄った場所だ。

2年前に「今回目指す地」としてやってきた場所だ。

 

あのときはドロドロでグチャグチャだったが、現在は潮干狩り券販売所の小さな小屋が立っていた。

そっか、ってことはこの海にはアサリがいて潮干狩りができるんだな。

ちょっと嬉しい。

 

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2年後の松川浦5

向こうに見えているのは松川浦大橋。もうお馴染みだな。

あっち方面に少しずつ向かってみる。

 

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2年後の松川浦6

はい、途中でスゲーもんが落ちていた。

防波堤だか水門だかのパーツだろうか。よく見ると前回の写真にも写っているのだが、前回不自然に感じなかったのは、そこいら中に異物があったからだ。

2年後の現在は大半の漂着物が撤去されているので、こうして残っているものが異様に見える。

 

ただ、そんなすぐ脇でも地元の人々は悠々と釣りを楽しんでいる。

そりゃね…、以前はもっとひどい有様だったしね…。

 

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2年後の松川浦7

今は辿り着けない、鵜ノ尾岬の向こう側から始まる砂州の道路。

まばらな木々が生えているのが遠くに見えた。

 

松川浦大橋のたもとに向かった。

震災の年に通行止めになったところよりも少し先まで行くことができた。

橋は渡れなかったけど、見上げるくらい近くまで行けた。そこで車を停める。

 

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2年後の松川浦8

灯台

あの氷の世界を訪問した際に、僕がカメラを落として焦った灯台

未だ手の届かぬ場所にある。

 

ただ、今回はこの車を停めた場所にて新しい発見があった。

 

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2年後の松川浦9

なんか商業施設を建設中だ!

何の施設だろうか?次にまた僕がここを訪れることがあったら、その答えを知ることができるであろう。

 

さらに300mほど北に向かった。

津波で流された住宅地跡を活用した駐車場があったので、そこに愛車を停める。

 

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2年後の松川浦10

トイレだった建物が!津波で壊されたトイレが!

あの青と白のストライプのデザインをなんとなく踏襲したまま、縦に伸びている!

 

てゆーか、展望台になっていた。

なるほど。

 

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2年後の松川浦11

草むらの中には震災で犠牲になった人々のための簡素な慰霊碑と花束。

復興は進んでいるけれど、あの日のことを思い出すと胸が締め付けられる思いだ。

僕ですらこうなのだから、地元の人のショックは計り知れないものだろう。

 

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2年後の松川浦12

さらに少し北に行くと、もう道路の周辺もすごく綺麗に整備されていた。

コンクリートでコッチコチだ。

ここは以前、重機がゴロゴロと転がり、木々にはブルーシートが絡まっていたのだ。

 

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2年後の松川浦13

まだ傷は深いが、塞がりかけているのを感じることができた。

過去は無くならないし、失ったものも戻らないし、心の傷は一生残る。

だが、町は再生し新しく生まれ変わることができる。その片鱗を感じた。

 

 

10年目の再訪にカタルシスを感じろ!

松川浦大橋渡れ

 

うわー、ずいぶんと久々になってしまったなぁ…。

正確に言うと近くは何度も走っていたが、キチンとここを訪問するのは久々だ。

震災から10年目の2021年。

実に8年ぶりである。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋1

めっちゃズームを使って、松川浦大橋と灯台を撮影した。

 

もうね!あの橋ね!走れるんだってさ!!

この写真を撮っただけで僕さぁ、泣きそうになったぜ!

ずーっと待ってたんだぜ!!

 

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原釜尾浜~松川浦大橋2

ここは「原釜尾浜海水浴場」というらしい。

今までは海水浴場として見れるような状態ではなかったので、そういう名称だと知らなった。

そして今現在は春である上にコロナ禍なので、またもや海水浴の要素が全く感じられない状態。

だけども8年経って様相が大きく変わったことは感じ取れる。

 

とりあえず展望台に登ったさ。真っ青な海が目に染みたさ。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋3

前回僕が見つけた建設中の商業施設は、「浜の駅 松川浦」となっていた。

すごい賑わっている。

そして食事処も美味しそうだし充実していそうだ。素晴らしいことだ。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋4

浜の駅からすぐにでも松川浦大橋を渡りたいところだったが、まぁ待て。

 

逸る気持ちを抑えて僕は脇道に反れ、橋を一望できる内海の海岸にやってきた。

8年前に潮干狩り券販売所の小さな小屋があったり、とんでもなく大きいコンクリートブロックが転がっていた場所だ。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋5

今はとっても綺麗な漁港となっている。

天気も相まって、雰囲気バツグンだ。

ただ、潮干狩り券販売所の小さな小屋は消滅していたけど。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋6

ここから眺める鵜ノ尾岬方面。海に浮かぶ島のようで美しい。

では、今からあそこに行くか。

橋を渡り、画面左から右側に突き抜けるぞ。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋7

松川浦大橋の下で、愛車のパオと共に撮影をした。

この橋が再び渡れるようになったのは、震災から6年後の2017年。

しかし当初は橋を渡れるだけでさらにその先の砂州には行けず、砂州まで道路が開通したのは震災7年後の2018年だったそうだ。

 

あふれ出る感情を抑えられないぜ!

10年以上ぶり!!

久しぶり、橋の向こう側の世界よ!!

 

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原釜尾浜~松川浦大橋7

素晴らしい天気の日に、左手に太平洋を臨みながら海に架かる橋を渡る。

 

次の2枚の写真は、冒頭でUPした「氷の松川浦3・4」の2枚とほぼ同じ場所での撮影となるぞ。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋8

左手に見えていたはずの海が見えない。高くて頑丈な擁壁が出来ている。

 

100年に1度の大津波と言われた東日本大震災

太平洋岸の各所では、またいつか起こるかもしれない大災害に備え、盛り土をして嵩上げしたり、巨大な防波堤を作ったりしたのだ。

海が見えないのは少し悲しいが、もしまた津波が起きて沿岸部が壊滅したら、その非ではないくらいに悲しいからな。

 

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原釜尾浜~松川浦大橋8

鵜ノ尾岬の下をくぐるトンネルの直前だ。

頭上には懐かしの灯台が見えている。このあと、あそこまでまた歩くぞ!

 

 

鵜ノ尾岬と穏やかな干潟の世界

 

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鵜ノ尾岬1

鵜ノ尾岬の下をくぐるトンネルを抜けるとすぐに駐車場だ。

そこに愛車を駐車した。あの氷と雪の中を歩いたときと、同じ駐車場だ。

 

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鵜ノ尾岬2

灯台に向かって遊歩道の階段を昇ると現れるのが、このお地蔵様たち。

僕も震災前に見て写真も撮ったんだけど、以前は100体くらいのお地蔵様がいたのよ。

だけども震災で流されて、地元の人が捜索したりして、現在はこうして52体が並べられている。

 

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鵜ノ尾岬3

夕顔観音 奥の院だ。

いつの日かも、ここから写真を撮ったよな。

 

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鵜ノ尾岬4

見下ろす砂州

向かって左手の海側が以前よりも広く太くなり、そしてテトラポットも増量されているように感じる。

奥に向かって伸びる車道も嵩上げされて、高い場所を走るようになったみたいだ。

 

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鵜ノ尾岬5

人工物はずいぶん充実してきたが、失われた自然が戻るまでにはまだまだ年月を要する。

ここからの世界は茶色が多い。

しかし木々の植栽もスタートしているのが見て取れた。

 

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鵜ノ尾岬6

内海に広がる、美しい干潟。

日本2周目の初夏、初めて松川浦を見たときの感動が甦ってきて泣けた。

 

そうそう、あんな感じの海に続く歩道があったよね。

このあと、またあそこを歩こうか。

 

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鵜ノ尾岬7

鵜ノ尾岬展望台に到着した。

「へりおす慰霊碑」という碑がある。1986年にこの沖で消息を絶ち、9人の乗務員が犠牲となってしまった海難事故だ。

 

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鵜ノ尾岬8

左手には鵜ノ尾埼灯台が見えている。

次はあそこに行こう。

 

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鵜ノ尾岬9

あぁーー、懐かしいなー。こんなだったなー、たぶん。

もう記憶はあいまいだが、いいと思う。記憶なんて、これから新しく作ればいい。

とりあえずね、青空に真っ白な灯台が最高だ。

 

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鵜ノ尾岬10

あの日、寒さと言いながら眺めた松川浦から北の光景。

今は、その1つ1つに思入れがある。

すんごい擁壁の車道、松川浦大橋、青と白のストライプの展望台、浜の駅、重機が転がっていた道路、相馬の火力発電所…。

 

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鵜ノ尾岬11

10年か…。いろいろあったよね。いろいろ変わったよね…。

この光景からしばらく目を離せなかった。

 

じゃあ、最後に内海の干潟を歩こうか。

一番好きだったポイントだ。

 

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干潟を歩く1

うわわっ、すんごい逆光だ。まともに目を開けられない。

だがそれがいい

 

なんという明るい世界。戻ってきた世界。

あのときはこの干潟の中にたくさんの貝がいたよな。きっと今は、また戻ってきているだろう。

 

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干潟を歩く2

さっき書いた通り、自然が元通りになるのはずっと先だろう。

もっともっと干潟が豊かになって、植栽した木々は津波で流された木のかわりに高く強く育って…。

 

もう10年?いや、20年?

僕らの次の世代にも続くプロジェクトなのだろう。

 

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干潟を歩く3

道のりは長い。果てしなく長い。

だけども、僕らはきっとコツコツ歩いていくことができるだろう。

未来は眩しいくらいに明るいだろう。

 

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干潟を歩く4

そうだな…。

次はまた10年後、ここを訪れてみようか。

 

その頃は、僕は日本何周目かな?

8周目くらいにはなっているだろうか?

僕だって進化するんだぜ、楽しみに待っていろ。

 

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絶景の砂州道路

愛車の乗りこむと、長年走りたかった海上道路を使い、砂州を疾走する。

なんという素晴らしい日。

さらば、松川浦。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 松川浦
  • 住所: 福島県相馬市尾浜
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間 :特になし

 

No.177【岐阜県】山中に浮かぶ漆黒の球体に興味を持てたらマニア!日本人口重心地とは!?

『落石、段差、路肩の崩れ等による事故が発生しても、一切の責任を負いません』

マジか。

管理という概念から解き放たれた世界線の林道か。

そんな看板の立つ林道に、僕は車で突っ込んだところだ。楽しくなってきた。

 

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途中では山菜取りのおばちゃんが2人、道端でのどかにおしゃべりしていたんだけど、僕が横を通過したらすごくビックリ&ポカーンとした顔で見られた。

まさに「( ゚д゚) ポカーン」だった。

 

なぜだ。

遠方からの来訪者は珍しか?

若者の来訪は珍しいか?

 

真実はわからない。だけれども僕は気に留めない。

僕が目指すは、ただ一点。この林道の行き止まりからさらに登山をした先。

 

「日本人口重心地」のオブジェがそこにあるのだ。

それを見るためだけに、車を山奥に走らせる。

 

 

日本の人口重心地とは

 

まずは、今回の僕の目的である人口重心地について説明したい。

いきなり本題に入ってしまったら、あなたも「( ゚д゚) ポカーン」となりかねないからだ。

 

前提だが、僕は数多ある日本の中心を巡る旅をしていた。

「は?日本の中心ってたくさんあるのかよ?意味わかんね」と思われるかもしれない。

でも、事実としてたくさんあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

 

さて、日本の中心の1つの概念が、人口重心地だ。

もう少し噛み砕いて言うと、「日本人全員の体重がピタッと吊り合いの取れる点」ってことだ。

 

 

もちろん、1人1人の体重なんてデータベース化できないから、日本人が全員同じ体重だと仮定しての計算となる。

そして、「日本人全員、静止しろ」とか言えないから、住民票のある地にいると仮定しての計算だ。

 

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こんな感じの数式となる。

あー、はいはいなるほどねー、そう来たかー。

 

…1ミクロンもわからない。

 

なんにせよ、日本の中心って言うと普通は地理的な要素を思い浮かべてしまうが、完全に"国民"にフォーカスした、面白い日本の中心の概念である。

 

ただ、この概念には1つだけ注意しないといけないことがある。

国民の人口も居住地もどんどん変わっていく、ということだ。

 

だから改めて上の図を見てほしい。

僕は「日本人口重心地点2000」と表記した。西暦2000年に算出した地点だ。

5年に1度の国勢調査人口重心地が算出されているんだけどさ、その2000年版だ。

もちろんその前の回の1995年版も、次の回の2005年版もあるのだが、今回のご紹介は2000年版なのだ。

 

 

水晶山はどこから登る?

 

少し時間をさかのぼろう。

日本3周目のある日、僕は"日本人口重心地点2000"のある、この界隈を訪れていた。

「日本人口重心地点1995」や「日本人口重心地点2005」を巡っていたのだ。

 

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過去の旅路1

結論から言うと、"1995""2005"はアプローチできたが、"2000"には到達できなかった。

このときの旅の本題が別にあったこともあって下調べが不足しており、断念したのだ。

 

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過去の旅路2

県道325号という、ものすごい山の中の狭い峠道を走っていた。

 

この峠道は「水晶山」という山の脇を通っている。

その水晶山への登山路の途中に確か日本人口重心地点2000のモニュメントがあったと思うんだよなーと、朧げな記憶だけで山の周辺をウロウロした。

 

どうやって登山路に行くのかわからないのだ。

これは結構致命的な失態。

 

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過去の旅路3

とりあえずキョロキョロと左右を見渡しなら走る。

しかし、登山路を見つけるどころか逆に峠を下って集落に降りてきてしまった。

 

うーん、こんな下界ではないはずだと思うんだけど…。

確かどっかから林道に入り、ダート道をしばらく走ったところから登山道に入るとどこかのサイトで見た記憶がある。

 

それっぽい道はいくつかあったんだけど、明らかに危険な香りがしていたり、関係
車両以外通行止めの看板があったりした。

…そんなところに無理に突入して大変なことになっても困るしね。

集落で見つけた人に「人口重心地はどこですか?」道を聞いて、そして発見できたのが実は"2005"

"2005"も非常に見つけづらいスポットだったので情報をいただけたこと自体はありがたかったのだが、結局"2000"については見つけられなかった。

 

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リベンジマッチ

少し時は流れて日本4周目。

 

よーし、リベンジと来ますか!!

失敗してからの挽回。これこそ僕も視聴者も喜ぶ胸アツ展開よーー!!

一度挫折したほうが視聴率上がるんだからなー、これも計算よー、ハッハーー!!

 

こうして何かをこじらせてしまったようなテンションの僕は、懐かしい狭路を愛車のパジェロイオでグイグイと進んでいく。

 

 

林道・そして登山路へ

 

県道325号。

狭い道大好きだー、でも擦れ違いができねー!

 

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登山路へ1

集落の狭い民家の間をすり抜けたり、ブリブリと山道を登ったりと変化に富んだ道。

こんな先に人口重心地があるのだ。

 

人はおろか車の通行もずーっとゼロなエリアだけれども、日本中の人間の体重が、この山奥で釣り合うのだ。

日本人全員の命の重み、そこで感じ取ってやろうじゃないか。

 

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登山路へ2

このあと「馬越峠」っていう峠に到達し、野生のサルの出現に驚いたり咲き誇る桜に心打たれたりするのだが、それらまで記載すると話が長くなってしまうので、いったん割愛しよう。

 

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登山路へ3

さて、おそらく目的地である日本人口重心地点2000が視界に入った。

写真右手のコンモリとした山がたぶん水晶山だ。

 

そして、この先にその水晶山への登山路があるようだ。

前回失敗して見つけられなかった道を、今は歩んでいる。

 

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登山路へ4

人口重心地を示す看板も登場しだした。

登場、遅いよ。もうちょっと広い範囲に設置しておいてくれたら、過去の僕は迷うことが無かったかもしれないのに。

 

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登山路へ5

上の写真、橋のところは要注意ポイントだ。

写真の右端の立て札を見てほしい。

左上を指し示す標識があるけど、「橋の手前で左折」でなく、「橋を渡ってから左折」だ。

これはビミョーな位置に標識があるので、間違える人が多いらしい。

 

…って書いたけど。

これは訪問当時の僕の手記だ。

今から読み返せば『間違える人が多いらしい』ってソースはどこだよ、とかこの立て札であれば橋を渡って左折だとわかるよ、とか思ってしまう。

だけども訪問者のコメントは何よりもリアルだ。

ちょっともう2022年現在の僕は、このあたりの記憶はあいまいだが、過去の自分に敬意を払ってそのままのコメントを掲載する。

 

 

しかし事実、橋を渡った瞬間に未舗装路となり、極端に道が狭くなっているのが見て取れる。

 

そして、Googleマップの道もここで消滅する。

 

笑えるぜ。

僕の冒険の本番はこれからだっつーの。

未舗装路も登山路も、これから出てくるのだ。

 

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登山路へ6

『林道は森林管理のためにつくられた道路です。関係者以外の利用で落石、段差、路肩の崩れ等による事故が発生しても、一切の責任を負いません』

 

お呼びでないってか。

部外者は入るなら全て自己責任ってか。

しょうがない。カクゴを決めろ。

 

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登山路へ7

途中では山菜取りのおばちゃんが2人、道端でのどかにおしゃべりしていたんだけど、僕が横を通過したらすごくビックリ&ポカーンとした顔で見られた。

冒頭記載の通りだ。

 

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登山路へ8

林道はところどころ新しく舗装されている部分もあった。

用途はかなり限られている林道だし、この先は水晶山登山口で行き止まりだ。

とはいえ、新しい舗装部分があるということは、今後舗装化が進んでいくのかもしれない。

 

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登山路へ9

ただし、狭い。

終盤は落ち葉なども堆積している。

 

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登山路へ10

こんな区間で対向車が来たら完全にアウトだな…。

ビクビクしながら進むも、結局対向車無しで終点まで到着した。

 

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登山路へ11

終点には車が数台停められる駐車場がある。

しかし僕以外に車はいなかった。

ロンリー!

盛り上がってまいりました!

 

 

森の中のダークマター

 

林道の終点にある駐車場に到着した。

 

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登れよ水晶山1

愛車の後ろから始まる登山路の過酷さに、笑みがこぼれる。

ねぇこの山は知らないのかな、ウォーミングアップという言葉を。

とりあえず立て札があるので見てみよう。

 

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登れよ水晶山2

人口重心地遊歩道案内図』。そう書かれている立て札。

キチンと僕の目的地が明示されていることに安堵を覚えた。

 

右枠に描かれている説明文については、前述の事項とほぼ被るので改めてのご紹介は割愛しよう。気になる方はセルフサービスで拡大してご覧いただきたい。

 

あと、水晶山は水晶がザクザク出てくるからこのようなネーミングなのだな。

人口重心地点2000から水晶山山頂を一周すると50分のハイキングとなるそうだ。

だがしかし、今は水晶にも登山にも興味はない。

 

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登れよ水晶山3

僕の興味の対象は、この森の中に忽然と現れる漆黒の球体。

つまりは人口重心地点2000のモニュメント。これ1つだ。

あとはどうでもいい。

 

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登れよ水晶山4

人口重心地点2000まではここから15分だそうだ。

この数字だけ見ると楽勝だな。1ケタ台のタイムで行ってやる。

Go!!

 

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登れよ水晶山5

いきなりハードな登りだ。

しかし僕はダッシュで突っ込んだ。

 

歩行開始から1分30秒後、「炭窯跡」。

僕のふくらはぎが突然の運動量にビックリしているようだが、まだまだ序の口だぜ。

 

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登れよ水晶山6

だんだんとシンドい道になってきた。

果てしない登り。とことん登り。登り以外、なんもない。


景観も開けないし、ジメジメジトジトして湿度高めな薄ら寂しい山の中を、黙々と登る。

面白いか面白くないかで言えば、面白くない登山路だ。

そして久々の運動は疲れる。

着ていたシャツを脱ぎ捨て、Tシャツ姿となった。

 

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登れよ水晶山7

歩行開始から8分後、「炭窯跡休憩所」。

炭窯だらけなのだな、この山。そしてあまり休憩したくないベンチだ。

 

しかし、ものすごい勢いで突っ込んだのに、標準タイムを2分しか巻いていない。

愕然としたぜ。

本来全く運動しないのに、「富士山」も「槍ヶ岳」も「縄文杉」も標準タイムの半分以下で攻略してきた僕が、水晶山相手にヒーヒー言って苦戦している。

 

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登れよ水晶山8

歩行開始から8分30秒後、「氷柱岩」。

前述のMAPによれば、冬には水がしたたり落ちて氷柱を作る岩なのだそうだ。

もう春なので、よくわからない。

 

このあと、さらに容赦のない登りが続く。

ジグザグを繰り返しながらの、傾斜45度を超えんばかりの急斜面だ。

 

ふくらはぎが爆裂死するぞ、これ。

 

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登れよ水晶山9

歩行開始から10分30秒後。

頭上になんか黒いの見えたー!!

 

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登れよ水晶山10

メッチャクチャ急坂の果てに、あのボールがある。

待ってよ、今からそこ行く。

 

時間にしてわずか1分ちょっとだったが、疲労困憊だ。

ふくらはぎ、かわいそうに。

 

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人口重心地1

歩行開始から12分後。人口重心地点2000に到着。

ゼーゼーハーハー言っている。

 

何か感想をしゃべれるほどの肺活量が、今は無いんだ。

もし仮に充分な酸素を摂取できるなら、「こんなところで体重を釣り合わせるなよ日本人!」って言いたい。

 

そして最初の看板には15分って書いてあったけど、普通の人じゃムリだと思うよ。20分~25分が妥当だと思うよ。

 

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人口重心地2

景観は全然開けない。

最初から最後まで、絶望的なほどに山の中であった。

このモニュメントも激坂の途中にポツンとあるだけだ。

あまりの坂なので、この写真のアングルで撮影するのですら、すごい大変だったよ。

 

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人口重心地3

憧れのダークマターが、今目の前に。

「武儀(むぎ)町」と書かれている。

 

武儀町というのは、岐阜県武儀郡にかつて存在していた町の名前だ。

2005年に岐阜県関市に吸収合併されている。

 

2000年当時は、ここが日本人口重心

しかし前述の通り人口重心地は年々移って今は旧武儀町から移動してしまっているし、武儀町自体が消滅してしまった。

ちょっとだけ切ないスポットだ。

 

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人口重心地4

それでも、僕には価値のあるスポット。

 

おそらくは一生に一度の訪問になるだろうが、1回失敗し、そしてリベンジでここに到達できた思い出は忘れない。

ここに人口重心地があったという記憶と共に、永遠だ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 人口重心地点(2000年版)
  • 住所: 岐阜県関市富之保水成
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 水晶山登山口(水成林道終着点)にあり
  • 時間: 特になし

 

No.176【宮城県】よみがえれ南三陸!漁師小屋で昆布を結ぶボランティアをし平和を祈る!!

…また3.11がやってくる…。

11年目の、あの3.11が…。

 

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2011年、東日本大震災直後のことだった。

旅友の「ニコル君」が、「自分自身で被災地に物資を届けに行く!マイカーで宮城県南三陸町に行く!」と言い出した。

 

ビビリの僕は、辞めておけと言った。

まだ東日本大震災直後で道路網もガタガタだ。無事に辿り着けない可能性もある。

ボランティアセンターもまだ機能しておらず、そんな状態での個人による物資差し入れは被災地の混乱を招くこともある。

今はまだ、自衛隊だとかプロのフェーズなのだ。

 

僕は結構大規模な災害ボランティアの経験があり、災害直後のドタバタを見てきたこともあるので、そうアドバイスをした。

 

しかし南三陸町に強い思い入れがあり、そして独自のツテもあったらしいニコル君は、この単独ミッションを成功させた。

正直すげーと思った。ちょっとマネできぬ。

僕が被災地、福島県浜通りを訪れるのは、もう少しだけ後の話である。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

さて、これまでに僕は福島県南相馬市でボランティアをしたエピソードをいくつか書いた。

では今回は、宮城県南三陸町にてボランティアをした話をしてみたい。

 

 

暴風雨の南三陸

 

少し被災地が落ち着き、復興への道を歩み出した頃であった。

ニコル君から「一緒に南三陸町にボランティアに行きましょう」と誘われた。

今回は僕もOKした。

 

待ち合わせは現地の南三陸町

1日限りのボランティアだが、精一杯のことをやろう!

 

そして迎えた当日朝…。

 

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雨の南三陸1

 

ザブザブの雨である。むしろ暴風雨である。

 

 

今日は梅雨の初日。そりゃ天気も大荒れですわ。

しっかしね、わざわざこんな日に梅雨入りしなくたっていいのにね。

どうやら宮城県はここ1ヶ月半ほどは穏やかに晴れる日がほとんどで、こんなにまとまった雨が降るのは非常に久々なようだ。

 

なんてこった。

これ、悪天すぎてボランティアセンターが運営できないとかオチないよね…??

 

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雨の南三陸2

三陸に入ると、各所にまだ東日本大震災の爪痕が見てとれる。

津波を被ってボロボロになったままの建物があったり。

 

嵩上げといって、津波にさらわれて何も無くなった土地に土を積んで標高をあげて、今後津波が来たときに耐えられるような海岸にしていたりと。

 

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雨の南三陸3

南三陸町は、震災時に62%の家屋が損壊してしまったんだって。

町の中心部に限って言えば75%もの家屋損壊だったそうだ。

復旧にはまだまだ長い年月がかかるのだろうな。

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雨の南三陸4

…着いた。

場所を地図で確認しつつ、到着した。時刻は8:20。

今回の目的地である「南三陸町ボランティアセンター」だ。

 

広い駐車場にはほとんど車は停まっていない。

そしてすんごい暴風雨

大丈夫か、これ?人、来ているのか??

とりあえずニコル君に到着の連絡をする。まだ2・30分時間がかかるそうだ。

 

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雨の南三陸5

周囲の状況を調査。

どうやらここ、「南三陸ベイサイドアリーナ」っていう大きな施設の駐車場のようだ。

その一角に、ボランティアセンターの小さいプレハブ小屋がある。

 

車内から観察していると、小屋には関係者っぽい人が出入りを始めたし、ボランティアと思わしき人もパラパラ来だした。

よかった、活動自体は今日も行われるのだろう。

 

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雨の南三陸6

ちょっとトイレに行きたかったので外に出ると、傘をさしていてもあまりに激しい雨で一瞬で全部ズブ濡れになったよ。

泣いていいかな、これ。


しかもベイサイドアリーナにトイレくらいあるだろうと思ったんだけど、朝早いためか入れず。

泣いていいかな、これ。


でも、駐車場に仮設トイレがあったので、それを使用させてもらった。

そしてとにかく寒い。

季節はもう夏なのに、長袖シャツの上にさらに1枚上着が欲しい気分だ。東北をナメていた。

 

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雨の南三陸7

あと、ベイサイドアリーナ前には「清水浜」の鉄道駅を示す標識が立っていたよ。

これはなんで?

 

清水浜の駅は地図で見るともう少し東だったようなのだが…。

気仙沼線の駅のようだが、津波で被害を受けてしまったのでホームの行先板だけここに持ってきたとかなのだろうか?

僕はそう推測したが、後日調べてみると実際にその通りだった。

 

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雨の南三陸8

「寒い、寂しい」と呟きながら車内で待機していると、旅友ニコル君が車までやって来た。

徹夜で車を走らせてやって来たらしく、ちょっとグロッキーであった。

 

このときのニコル君とはわずか1週間ぶりだ。

先週は静岡県の伊豆で一緒に酒を飲んでいた。

旅人ってのは、どこでどう会うかわからないものだな。

 

では、今回は共にボランティアを頑張ろう。

 

 

漁師小屋で昆布を結べ

 

ボランティアセンターで今日の活動を割り振られた。

僕らは、他の6名のメンバーと計8人で、海の近くにある漁師さんのところで支援活動をすることになった。

 

あ、ちなみにだがヘドロを撤去したり生活物資を配ったりするだけがボランティアではないぞ。

今回のコンセプトは「人手が足りない人のお仕事のお手伝いをする」みたいな感じだ。

社会科見学みたいかもしれないが、僕もそう思った。

なんにしても、貴重な体験だ。

 

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漁師小屋で1

ゼッケンを手渡され、9:00過ぎにグループごとに車で作業場所に出発する。

僕はここの駐車場に愛車のHUMMER_H3を置いておき、ニコル君の車で現地へと向かった。

 

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漁師小屋で2

そんで着いた。今回の職場だ。

ここからの写真は漁師さんの許可を取って撮らせてもらった。

漁師さん、以後は「長(ちょう)さん」とお呼びしよう。

 

あと、僕が撮影した以外にも、ニコル君からもらった写真も一緒に掲載させていただく。

 
職場はテントだ。

この暴風雨でグワングワン揺れているけど、大丈夫かなこれ?

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漁師小屋で3

まずは長さんから作業の手ほどきを受ける。

僕らの仕事は昆布結び。

 

昆布って、ベロベローっと長いでしょ。

それをいい感じのサイズにカッターで切って、結んで、袋詰めできるような状態にする。


長さんが軽く実演してくれ、「昨日もやってくれたメンバーも今日来ているから、後は彼に聞いてね。はい開始。」と、すぐに実作業。

あわわ、でもやってみる。

 

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漁師小屋で4

木製のテーブルに4人ずつ2グループになって座る。

僕らはここまでの車が一緒だった女性2人と一緒のグループ。

 

昆布を切って結んで…を繰り返す。

まぁそれなりにすぐに慣れる。

 

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漁師小屋で5

長さんは「黙々とやっていてもつまらんから、オシャベリして楽しくやろう」みたいに言い、自らドッカリ腰を下ろしてひたすらおしゃべりをしている。

広告出すなら『アットホームな職場です』とリアルに書けそうだ。

 

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漁師小屋で6

長さんは、最近どんなボランティアさんが来たかとか、近所の様子だとか、旅行に行った話だとか、延々と話し続ける。

ちょっと天然が入ったユニークなキャラなので、僕らもツッコミを入れたりゲラゲラ笑って盛り上がる。

 

被災地だから、ボランティアだから感情を殺して淡々と作業をすべき…とかではない。

被災地はいつまでも被災地なわけでもないし、みんな人間だ。

その場の雰囲気に合わせることが大切だ。

 

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漁師小屋で7

昆布をずっと触っていると、その成分のためか手が真っ白の粉で覆われるようになる。

昆布の持つぬめり成分?塩分?

前者だったらスベスベになったりするのだろうか?

 

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漁師小屋で8

10:10過ぎ、漁師さんが「休憩にしよう!」と声を掛けてくる。

うお、休憩早いな。まだ作業開始から40分ほどなのに。

 

 

休憩とオヤツの多い職場です

 

ようやく作業も慣れて没頭モードになってきたところで、早くも長さんの号令で小休憩時間となった。

座っているだけなので全然疲れていないが、上司の命令には逆らえないよね。休憩しなきゃ。

 

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オヤツタイム1

「みんなでオヤツにしようね~」と、長さんが巨大な発泡スチロールをドンと置いた。

中にはメッチャ貝がつまっていた。

見たことないスケール、見たことないタイプのオヤツだ。

 

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オヤツタイム2

すっごい。

8人ではどう見ても食べきれないようなボリューム。

ただ海水で茹でただけらしいが、絶品なんだって。

そりゃそうだろうよ!素人だが見りゃわかるぜ!どいつもこいつもプリップリのワガママボディじゃねーか!!

 

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オヤツタイム3

みんなで興奮し、歓声をあげてさっそく食べる。

 

うまいし。海のエキスが凝縮されているし。

長さんは、これらはムール貝と皿貝であると解説してくれた。

皿貝ってこんなのだっけ?ホタテの小さいヤツみたいだけど?

まぁ美味しければ何でもいいんだけどな。

 

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オヤツタイム4

東北の海の恵みを食らう。最高だ。

 

長さんは「午後には大きなホタテを出してあげるからなー!」と満足げ。

あれ?僕らボランティアですよね?

なんかもてなしを受けちゃってますけど、立場逆転してない??

 

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昆布結び1

20分ほど貝パーティーをした後、昼までまた昆布を結び続ける作業だ。

パーティーで心もお腹も幸せ気分。

おまけにメンバー間も打ち解けてきて、マジに楽しい職場になって来たぜ。

 

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昆布結び2

長さんも相変わらず饒舌。

何を話していたかはもう覚えていないけど、覚えなくても良さげな話をずーっと話してくれていた。

 

結び昆布が1箱できたら、塩を振ってとりあえず完成。

あとで茹でて、パッキングして出荷するんだって。

 

…貝パーティーから1時間ちょいが経過した。

お昼休みだ。

まだ11:30を少し回ったところなのに。早ェ。

 

お昼ご飯はそれぞれ持参形式。

外は相変わらずのザーザー降りなので、僕らはテント内の作業スペースでご飯を食べた。

 

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昆布結び3

1時間休憩し、12:30過ぎから午後の作業を開始。

作業内容は午前中と同じもの。

淡々と実施する。

 

もうかなり達人の域になったと自負している。

昆布のかたちも綺麗だ。どこかの家の食卓で喜んでもらえればうれしい。

自分の仕事がかたちとなり、ダイレクトに誰かに届くという経験は初めてだ。

なんかやりがいを感じる。

 

…と思ったらまたオヤツタイムだ。

時刻にして13:40、午後の作業開始から1時間でもう休憩なのだ。

まだ疲れていないんだけどなー、でも上司の指示出しなー、参ったなー。ほんと参った。

 

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オヤツタイム5

ドシャーっとホタテが出てきた。デカい。

長さんは、これを2つずつ食えという。

 

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オヤツタイム6

いやー、まいりましたねー。確かにホタテ大好きですけどねー。

こんなにいただいていいものか。

でもこれも上司の指示だしねー、食べるよ。義務。

 

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オヤツタイム7

はい、うまい。

うまいに決まっているだろ、当たり前のこと言うな…って自問自答した。

ブリブリの弾力、母なる海の香り、ほのかな甘み。100点。

 

スーパーで買ったら一体いくらになるのだろうかね?

正直、お昼ご飯なくても大丈夫だったくらいにいろいろ振る舞われていない??

 

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昆布結び4

その後も長さんは、作業の合間にさんはいろんな話をしてくれた。

いや、逆かな。

いろんな話の合間に作業をしていたかな。

 

あと、ご自身で作っているというワカメのパックをみんなにお土産としてくれたりと、いたれりつくせりだ。

 

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昆布結び5

そんなこんなで午後の作業は15:00ちょっと前に終了となった。

お疲れ様。…疲れてないけど。

 

 

甦れ、宮城の海よ

 

作業は終わった。

なんだか終始しゃべっていたし、休憩時間やお昼時間もあったのでアレだったんだけど、結び昆布はそれなりの量ができた。

 

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三陸の復興を思い1

長さんも「ありがとう!上出来だ!」と納得していたので、良しとしよう。

 

あとは今回一緒に作業をした8人&長さんで、代わる代わる記念撮影をしたり。

和気あいあいの雰囲気だ。

なんだこれ最高だ。

いい体験できたし、長さんも仲間も海の幸も最高だ。

 

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三陸の復興を思い2

長さんは奥に行って何からゴソゴソすると、自分の船の大漁船を広げて見せてくれ、海に対する思いを聞かせてくれた。

 

海のせいで、東日本大震災のときには大変な目に合った。

だけども、海からの恵みはとても大きい。

海から離れて暮らすことはできないのだ。

 

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三陸の復興を思い3

感謝と畏怖。

人類が自然に対して感じるものって、原始時代からこういう相反するものだったのかもしれない。

そのギリギリのところで、人類は生きてきた。

 

長さんの家は、もともと息子さん一家の家と共に作業テントのある敷地内にあったそうだ。

だけども東日本大震災津波に飲まれ、特に息子さん一家の家は基礎すら残らず消滅したという。

家のあった場所だとかを説明してくれたけど、全くその面影はなかった。

 

どのようにリアクションしたらいいのかとても困るけど、こうして困るということも1つの経験なのかもしれない。

海に生きる人たちだって、こういうジレンマの中でずーっと闘っているのだろうと感じた。

 

あ、ちなみに大漁旗は船名がわからぬよう一部解像度を落とした。

長さんは「そんなことしなくていいよ」って言うかもしれないけど、念のためだ。

 

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三陸の復興を思い4

長さんは、最後に大量に手造りしているというストラップを僕らにくれた。

土嚢の袋を再利用したのだそうだ。

箱の中に何種類もたっぷりとあり、好きなデザインを選ばせてくれた。

 

「We♡南三陸のデザインを選んだ。

袋を押すと「ぷぅ」とマヌケな音がした。

 

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三陸の復興を思い5

外はまだ雨は降り続けている。

 

長さんは外を見て、「今年の東北は秋がなく、すぐ冬になるだろう。9月に入ったら寒くなって雨が降って、そのまま冬さ。」とか不穏なことを言っていた。

マジかよ、僕は今年も東北を走り回りたいのに。

夏をエンジョイしたい。東北と共に盛り上がりたい。

 

三陸も、今度は遊びに来たい。

ちゃんとお金を払って最高の海の幸を堪能したい。

だからその日まで、長さんお元気で。

 

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三陸の復興を思い6

ニコル君と共に、ボラセンまで戻って来た。

作業終了手続きだ。

 

スタッフの方には「あそこの漁師さん、変わり者だったでしょう?結構ウワサなんだよ。」みたいなことを言われた。

なるほど納得、そしてだからこそ楽しかった。

 

さて、どうするか。まだ15:30だ。

ニコル君は、自分の思い入れのある被災地を見たり、「さんさん商店街」という震災からの復興のための仮設商店街を見たりしようと提案してくれた。

一緒のグループで作業した4人で、ちょっと出かけるか!

 

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三陸の復興を思い7

こうして僕らは降りしきる雨の中を短いドライブに出かけるのだが、そのお話はまた機会がございましたら。

 

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あれから、それなりの年月が流れた。

僕は何度南三陸を訪れただろうか。


すごい回数訪問した。

被災地の復興状況も見たし、海の幸も食べまくった。

長さんとの再会はしていないが、あの特徴あるテント小屋は後年発見し、「僕があそこであの日ね…」と家族にも紹介した。

 

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三陸の復興を思い7

 

「We♡南三陸」。

 

久々に長さんのストラップを手に取った。

袋を押すと「ぷぅ」とマヌケな音が響いた。

 

あれから11年。

復興は進んではいるけど、まだまだ土地も人も傷が癒えていないこと、僕は知っている。

しかし僕は知っている。

結び昆布は「縁を結ぶ」という縁起物であることを。

 

せめて、みんなが元気でいることを遠くの地から祈る。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

No.175【愛媛県】鳥の目線から瀬戸内海随一の絶景を見よ!いざ、「亀老山展望公園」!!

しまなみ海道(かいどう)」

 

瀬戸内海に浮かぶ6つの島を、7つの橋で結んでいる絶景ルートだ。

※橋の名称だけで言えば、10種類の橋が架かっている。

本州と四国を結ぶ、"本四架橋"は2022年現在で3ルートあり、完成した順に以下の通りだ。

 

  1.  瀬戸大橋(岡山県香川県
  2.  明石海峡大橋大鳴門橋兵庫県徳島県
  3.  しまなみ海道広島県愛媛県

 

どれも死ぬほど好きだ。

四国を行き来する際には、どのルートを使おうか真剣に悩む。

1番なんて決められっこない。

子供に対し、「ハンバーグとラーメンとカレーライス、一番好きなものを言いなさい」って言うのと同じくらい残酷な仕打ちだ。

 

今宵はそんな御三家の1つであるしまなみ海道から、最強の展望スポットをご紹介したい。

 

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「亀老山(きろうさん)展望公園」。

これ、ドローンから撮影した写真じゃあないんだぜ。

ちゃんと僕が地に足をつけて撮った写真だ。(気持ちはフワついていました、すまない)

 

 

しまなみ海道から亀老山へ

 

寒いんだけど、暖かい。

そうとしか表現できない日であった。

 

季節的には真冬。だけれども瀬戸内海は温暖であり、そして今日は最高の快晴。

そして車窓から見える絶景に心も踊る。

だから体感的にはHotなのだ。

 

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しまなみ海道1

僕が今車を走らせているのは、しまなみ海道

冒頭でご説明の通り、瀬戸内海の小島を橋で繋ぎ、本州から四国に渡ることのできる長大で風光明媚な高速道路だ。

 

2006年に、この本州四国間の高速道路が全て繋がったのだ。

僕は全て繋がる少し前にしまなみ海道を走ったこともある。

橋の部分は高速道路、島の部分は一般道…っていうのを何度か繰り返して、お金も時間もそれなりにかあったが、あれはあれでとてもいい思い出になっている。

 

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しまなみ海道2

何より、しまなみ海道に架かる7種類の橋はどれも個性的。

それが次から次へと出てくるので、飽きさせずにとても楽しいのだ。

いつかこれらの橋のご紹介は、しまなみ海道そのものをご紹介する記事で執筆したい。

 

本州側から四国側に走る僕は、大島北ICで高速道路をいったん降りた。

名前の通り、「大島」という島にあるインターチェンジだ。

 

今回目指す亀老山は島の南にあり、大島南が最寄り。

だけどもあまりに景色が綺麗なので、島の北部から海岸沿いを一般道でノンビリを走った。

心にしみわたる海の青さだった。

 

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しまなみ海道3

亀老山を示す看板。

これに沿ってハンドルを切ると、それまでのどかだったカントリーロードが突如としてえげつない坂道に激変した。

 

亀老山は標高300mを超える山だ。

シーサイドからそこまで一気に登るのだから、それなりの急斜面だ。気合い入れろよ。

 

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しまなみ海道4

途中、2・3台の自転車を追い抜いた。

いや、しまなみ海道はサイクリングの超人気スポットであることは知っているけど、その途中であるこの亀老山に寄り道して、かつその山頂まで自転車で行っちゃうのか。

とんでもないヒルクライムだぞ、すげー!

 

心の中でサイクリングの人にエールを送り、僕はアクセルを強く踏む。

途中でチラッチラッと眼下の瀬戸内海が見えた。

一瞬しまなみ海道のラストを飾る「来島海峡大橋」も見えたりする。

 

うおぉぉ!絶景すぎる!

しかしここはまだ山の中の坂道の途中、そして駐車するスペースもない。

この展望をゆっくり満喫するのは、山頂の展望公園まで取っておこう。

 

 

亀老山からの絶景

 

駐車場に到着した。

早く絶景見たいぞ。でもちょっと待て。カメさんいる。

 

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亀老山1

わりとリアルなお顔立ちだ。

そしてその後ろには、亀老山の由来が書かれた立て札がある。

 

今から約一三〇〇年ほど前、光り輝く黄金色の観音像を背負った大亀を、旅の風来僧がとある大島の海岸の洞窟で見つけたそうじゃ。

早速その観音像を持って、とある山に七堂伽藍を建立して崇拝し、それ以後この山は亀老山と名付けられたそうじゃ。

 

「~そうじゃ」の語尾がいいね。エモい。

しかし、もしこの話を再現VTRにしたら、亀さんの出ているシーンはワンカットだけじゃないかな。

ほとんど風来僧と観音像の話じゃないか。

 

だけども山の名前をこの亀さんから取ってくれたんだね、感謝。

そして"老"の文字はどこからやってきたんだろう、謎。

 

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亀老山2

山頂の展望台だ。

わけのわからんアングルから撮影してしまった、とても申し訳ない。

 

全容をお見せできなくって残念だが、これはすごい建築なのだ。

建築家の「隈研吾さん」の作品。

めっちゃスタイリッシュで、それでいてあまり主張がなく展望台に立つと360度綺麗に景色が眺められる親切設計。

JCDデザイン賞'95の、文化・公共施設部門最優秀賞を受賞した名建築なのだそうだ。

 

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亀老山3

そして、待ちに待った絶景である。

すごすぎる。

 

瀬戸内海と来島海峡大橋だ。橋マニアとしては、身もだえするほどの歓喜だ。

正確に言うと来島海峡大橋は3つの橋で構成されている。

 

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亀老山4

こんな感じで、同じような橋が来島海峡第一大橋・来島海峡第二大橋・来島海峡第三大橋…って、連なっているのだ。

全長はなんと4105m。いくら亀老山からのバードビューとは言え、ちょっと全ては視界に収まらないほどの規模。

 

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亀老山5

展望台には周囲の地形を表したプレートがある。

これを引用させていただこう。

 

写真の下部に上下に伸びている道路が来島海峡大橋なのだが、綺麗に3等分できる構造になっているのがおわかりだろうか。

 

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亀老山6

地図で見る来島海峡大橋もステキだとわかった。

 

そしてこれ、実は世界初の3連吊り橋

1999年に完成しているのだが、それまで地球上にはこういう三連橋は存在していなかったのだ。

だからすごい。

 

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亀老山7

さらに、橋の下の海にも注目いただきたい。

ここの海域を「来島海峡」と呼ぶ。

 

鳴門海峡」・「関門海峡」と共に日本三大急潮の1つなのだ。

つまり流れのすごく早い海域だということ。

 

狭い瀬戸内海の中でも、さらに無数の小島があることで潮の流れは早くなるし、そして流れは複雑になる。

ここを通る船には相当な操縦テクニックが必要とのことだ。

 

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亀老山8

おさらいだ。

ここから見えるのは世界初の3連吊り橋、そして日本大急潮だ。

そしてそれを見下ろす僕は日本3周目…、じゃなかったわ、このときは4周目だった。

惜しい。

 

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亀老山9

引きで写すとこんな感じだ。

改めて、この海峡が狭いことがわかる。

右端に霞んでいるのは、「とびしま海道」の「大崎下島」だろうか。

そして左奥はこれから僕が向かう、四国本土だ。ワクワク。

 

一生忘れられないような絶景に心から満足し、僕は再び駐車場に戻る。

 

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亀老山10

ちなみに帰り道も絶景だった。

瀬戸内海に転げ落ちそうなスリリングな車窓が眼前に広がり、テンションはだだ上がりだ。

 

 

いきいき館で橋を眺めて

 

最後に1つ、亀老山と絡めてご紹介したいスポットがある。

「道の駅 よしうみいきいき館」だ。

同じ大島内、さっき眺めた来島海峡大橋のたもと部分にある道の駅だ。

 

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いきいき館1

小さな漁港みたいな敷地に併設して建てられている。

ここからの景色を眺めたくって、それこそ「きっといきいきしちゃうような景色なんだろうな」って期待してやってきたのだ。

 

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いきいき館2

で、もちろん申し分ない眺めだ。感動した。

まずは右端の旋回する道がいい。100点。

 

そして、橋本体。

手前から来島海峡第一大橋・第二大橋・第三大橋だ。

第一大橋と第二大橋の境目は巨大なコンクリートのアンカーブロックになっているのでわかりやすいね。

橋を走っていては見られない、橋全体が見渡せるアングル。

 

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いきいき館3

愛車のパジェロイオ来島海峡大橋

こういう構図の写真が撮れるのも、車好きにとってはありがたい。

 

では四国に渡ろうか、イオ。

真冬の快晴のある日、僕は四国を旅する。そのプロローグに当たるひとコマがこれであった。

 

大好きな四国への旅の、最高の幕開け。

きっと今回もいいことあるぞ。

 

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いきいき館4

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.174【三重県】冬の伊勢は牡蠣の宝庫!牡蠣小屋で激安の食べ放題にチャレンジしよう!

牡蠣小屋。

文字通り牡蠣を食べられる小屋…という営業形態を示す言葉である。

 

ただ、食事処に"小屋"という言葉を使うジャンルが牡蠣以外にあるだろうか?

ちょっと思い浮かばない。

そして僕はこの"小屋"という、素朴でワイルドな単語に言い知れない魅力を感じてしまうのだ。

 

「牡蠣をおいしく食べられるんなら、他の要素は全然いらないよな。お店が小屋であっても構わないよな。」という、無駄を一切排除した職人ソウルを感じる。

だからこそ、牡蠣小屋に行く僕らはひたすら牡蠣のみにストイックなのだ。

 

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これは岩手県で訪問した牡蠣小屋

今回は鳥羽の牡蠣小屋について書く。

旬の冬は終わろうとしているが、今回ご紹介する牡蠣小屋の営業は3月まで続く。

今が狙い目かもしれないぞ!!

 

 

雪降る日に思いを馳せて

 

日本5周目のときのことだ。

学生時代の先輩の「アヤさん」と数日間合流していた。

 

翌日と翌々日は伊勢に行こうと話していた。

その目的の1つが牡蠣の食べ放題だ。

いや、牡蠣の件は直前に思いついたんだけどな。昨日とか。

 

憧れの牡蠣小屋での食べ放題にチャレンジだ。

僕は早速、鳥羽市にある浦村という牡蠣の一大産地の牡蠣小屋に、予約の電話をすることとした。

 

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雪の降る町1

…「名古屋港水族館」から。

 

うん、前日は名古屋にいたのだ。

イワシトルネードとかシャチの巨大水槽とか見ながら牡蠣小屋の検索をしていた。

海繋がりで臨場感だけはある。

 

さて、安くておいしい牡蠣の食べ放題。

普通だったら前日に予約しようとしてももう予約一杯で無理に決まっている。

しかし僕には勝機があった。

 

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雪の降る町2

日本全国、ドッシャドシャに雪が降っていたのだ。

東京なんか30cm近い積雪となり、交通網が乱れるわ停電するわの、日本中大パニックの日であった。

僕がこの日にいた名古屋の町も、すっかり銀世界であった。

 

だからこそ、直前キャンセルが出るに違いない。

ノーマルタイヤで現地に向かおうとしている人がキャンセルするに違いないと。

だって、ここ名古屋港水族館も、怖いくらいにガラッガラなのだから。

 

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雪の降る町3

しかし甘かった。

牡蠣小屋のリストを片っ端から電話し、でもことごとく「予約に空きはありません」と断られて、くじけそうになった。


「もうダメだ…。これを最後の1件にしようかな…。」

そう思って電話したお店に、空きがあった。

捨てる神あれば拾う神あり!!…って思った。もちろんすぐに予約だ。

 

お店の人は「この雪の中ちゃんと到着できそうですか?」と言う。

だけども心はもう鳥羽だったので、「大丈夫です!きっと行きます!」って深くは考えず、凛として答えたのだ。

こんなカッコいい僕にアヤさんも惚れてしまうのではないかと思ったが、そんなことは全然なかった。

 

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雪の降る町4

翌日。

名古屋高速は雪で全面通行止めだわ、周辺道路大混雑しているわ、三重県に入ったら松阪ICから先はまた雪で通行止めで一般道に降ろされるわ。

 

早い話が、予定がずいぶん狂ったということだ。

どうした。昨日威勢よく見えを切っておいてなんだ、この体たらくは。

予約しておいた時間を20分ほど過ぎてしまう見込みなのだ。

 

まぁでもなんとかなる。

お店には遅刻する旨を連絡済みだからな。

アヤさんが。

 

 

念願の牡蠣小屋訪問

 

「スギムラ水産」。

ご紹介するのがかなり遅くなってしまったが、これが今回目指すお店の名前だ。

浦村牡蠣といえば、東海地方の牡蠣として有名。

その浦村の集落の奥深くにそのお店はある。

 

パールロード」という、車好きな人やライダーさん、そして僕も大好きな快走路の途中のゾーンにある。

 

このパールロードの「麻生の浦大橋」近辺から浦村牡蠣の牡蠣小屋が随所に出てくる。

その中でも僕らが目指すスギムラ水産はかなり奥側で、ほとんどの店が事前に看板等を出して存在をアピールしているのに、スギムラ水産は何の存在も感じさせなくって…。


不安になりつつ擦れ違いも困難なような漁村の奥へ奥へと走っていると、ようやくお店を発見できた。

 

 

Googleマップストリートビューから、お店の直前の風景を引用させていただく。

いいね!本場に辿り着いたぞ、って感じだね!

ワクワクが止まらない。

 

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牡蠣小屋へ1

愛車をズザザー…って感じで砂利の駐車場に停め、すぐに牡蠣小屋に飛び込む。

 

牡蠣小屋はどこも時間制限ありで、ランチタイムは前半の部・後半の部の2部構成になっているところが多い。

ここはその後半の部が13:00~14:30。

※訪問当時の情報です。

 

結局20分遅れてしまい、今の時刻は13:20だ。

まぁ1時間も食べればぜったに満足するだろうが、少しでも早くスタンバイしたいのが牡蠣好きの性(さが)だよね。

 

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牡蠣小屋へ2

これが牡蠣小屋内部だ。

実際は僕らの他に2・3組の方がいたが、彼らが帰ったあとに撮影したものだ。

簡素な手造り風の小屋だが、とても新しそうで綺麗だ。

 

後から知った話だが、このお店は以前から牡蠣を売っていたんだけど、こうやってイートインできるような店舗にしたのは僕らの訪問したシーズンが初だったのだ。

 

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牡蠣小屋へ3

テーブルには生牡蠣がモリッと置かれた。

これを横の炭火で自分で焼いて食べるのだ。

最初に焼き方とか焼き上がりの見極め方、そして殻の開け方を教えてもらった。

 

料金は牡蠣のみ食べ放題であれば2000円

上記にプラスして牡蠣めし・牡蠣鍋・牡蠣フライ・牡蠣の佃煮をつけると2500円

僕の訪問時には、このような2つの選択肢があった。


いや、オプションを付けてしまうと、もう焼き牡蠣食べ放題どころじゃなくなるんじゃない?

ご飯に鍋にフライだぜ?オプションだけで満腹必至だ。

 

でも、焼き牡蠣だけだと飽きるかもね。

1つは牡蠣オンリーの2000円コース、もう1つはオプション込みの2500円コースでオーダーした。

…しかし安いな。いくら食べても2000円とか、マジ安い。神か。

 

 

牡蠣食べ放題チャレンジ

 

さぁ、僕らの時間は1時間ちょい。

遅刻した分少し少なくなってしまったが、せいいっぱいがんばろう。

 

…って思ったら、お店の方が「ランチ後半の部で次の人いないし、制限時間は目安程度の考えていいですよ。延びてもいいから心行くまでお腹いっぱい食べてね。」って言ってくれた。

なるほど、やはり神か。

 

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牡蠣バトル1

浦村産の牡蠣は、小ぶりではあるが身がしまっていて、そして臭みも少なく味は濃い…という特徴があるそうだ。

楽しみだぜ。

 

実は僕、牡蠣はちょっと見た目が好きではなくって子供のころは食べたことすら無かったのだ。

日本1周目で宮城県の塩釜という町に行ったとき、同行の先輩が生牡蠣をおごってくれたので恐る恐る食べてみて目覚めたのだ。

 

食わず嫌いをしていた分、ここで取り戻す精神だ!

 

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牡蠣バトル2

説明しよう。

焼くときには上にアルミホイルをかけておくのだ。

なぜアルミホイルをかけるのかというと、中の汁が沸騰すると「バフンッ!!」ってハジけて、側にいるとその爆発に巻き込まれるからだ。

 

焼けてくると殻がいい感じに乾燥してくるとかなんとか、まぁよくわらかないのでそこは野生の勘で行く。

焼けたと思ったら、ヘラを隙間に射し込んでグイッと開ける。

 

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牡蠣バトル3

よし、いい感じに焼けていそうだ。

そしてウワサ通り、殻に対して身が大きいぞ。

 

これをチュルッと食べる。

うまーい!!磯の香りーー!!

牡蠣を食うというのは、「海を具現化させて食う」のと同義ではないだろうか。

僕は今、母なる海を食している。

 

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牡蠣バトル4

ガンガン焼く。

網に並べられるだけ並べる。

そうなるとどれが焼き始めたばかりで、どれが焼き上がり間近なのかわからなくなる。

アヤさんとモメる。


なんか牡蠣の殻を開いてみたら、コゲコゲで水分蒸発して小さくなっちゃったヤツとか出てくる。

大惨事だが、まぁそれはそれでうまい。燻製みたいだ。

 

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牡蠣バトル5

トレーに最初盛られていたものが全部無くなったら、またお替り。

すぐに次のトレーいっぱいに牡蠣が再登場する。

 

よーし、やるか…!

あ…、でも…、ちょっと食べ疲れてきた…。

 

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牡蠣バトル6

淡々と機械的に食べるマシーンになって来ちゃってるぞ、僕。

このままだと飽きてしまう。

牡蠣のありがたみを感じられなくなってしまう。

 

横の食べ慣れていると思われるファミリーを観察すると、いろんな調味料やドリンク・酒なんかを持参しているのね。

なるほど、これは賢い。

 

しかし僕らはそういうものを持参していない。

卓上の醤油とお茶だけだ。

では、オプションメニューをここで挟もう。

 

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牡蠣バトル7

牡蠣フライ。サックサクだけども中身はジューシー。

旨味が凝縮されている。

だけども油の分、腹には溜まる。

 

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牡蠣バトル8

牡蠣鍋だ。

こんなに牡蠣を入れちゃってもいいの?…ってくらいに牡蠣で埋め尽くされている。

なんて罪深い一品だよ。

 

そして牡蠣めしは、ダシがご飯に染みてて泣きそうにうまい。

 

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牡蠣バトル9

だけどもしばらくすると、どうしょもなくぜいたくな悩みが発生してしまうのだ。

 

違うものを食べたくなるのだ。

牡蠣がモリモリ入っていて、逃げ場がない。

でも逃げることなんて不可能なのだ。牡蠣縛りルールなのだ。

 

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牡蠣バトル10

そういや以前、佐渡ヶ島で旅友の「ニコル君」とカニ食べ放題にチャレンジしたときも同じような気持ちになったな。

カニ3杯食べた時点で早々に飽きが来てしまい、店員さんに「もうリタイアなの?」とか言われたな。

まぁでも美味しく食べれる範囲で辞めておくのが吉なのだ。

…とはいえ、飽きる飽きないではなく、食事としてのボリュームも相当なレベルに達しているとは思うぜ。

 

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牡蠣バトル11

牡蠣のトレーは3つ目に突入した。

これくらいは完食させて終わりにしたい。

 

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牡蠣バトル12

おさらいだが、トレーというのは上のものを指す。

牡蠣が20個弱乗るようなサイズだ。

2人でトレー3つ分をたいらげた。

 

ちょっと「ウップ」みたいな感じになった。

最後の数個はアヤさんと「どうぞどうぞ」と、美しい譲り合いの応酬。

だけどもなんとか2人で協力して食べきった。

 

 

激戦の果てに

 

やりとげたー!

10年分は食べた!充分に元は取ってやった気分だ!

しかし、もう当分牡蠣は見たくないー!!

 

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戦いの後1

トレー3枚分の牡蠣。

この牡蠣の殻は足元のバケツに捨てていくのだが、2人合わせてこの殻はバケツ1杯半分くらいになった。

 

メッチャ食ったな。

満足感。してやったり。

15:00くらいまで、本来のランチタイムの30分後くらいまで食べ続けていたらしい。

もう冬の太陽は西に傾きつつあった。

 

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戦いの後2

得意気にお会計をしようとすると、お店の方が「アラアラアラ、もったいない…」みたいなことを言い出す。

「は?何を言っているんだ?」って、発言の意図が分からなかった。

 

すると「アナタたち、随分少食なのね。これじゃもったいないわよ。普通の人は1人でバケツ1杯は食べるのよー。」とのことだ。

 

なにー!!

みんなそんな食べるの!?

 

これにはさすがにビックリした。

僕ら気持ち悪くなるくらいに食べたのに。

どうやら、すごい人はバケツ5杯分は入りそうな巨大な発泡スチロールのボックスが、牡蠣の殻でいっぱいになるんだってさ。

いや、ムリ…。体内が全部牡蠣で浸食されるわ。

 

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戦いの後3

もうこれ以上食べれないから、僕らは結果これで大満足なんだ。

無理せずに美味しく食べれる量が一番幸せだし、2000円でこれだけ食べれたからマジで幸せ。

実際、12月と比べると僕らの訪問した2月っていうのは、牡蠣の身が3倍ほどにまで成長しているらしい。

 

プリプリの牡蠣、充分にいただきました。ありがとう。

最後の客となった僕らはお店の方にお礼を言い、車に乗り込む。

牡蠣もメニューも人柄も太っ腹。

すばらしいな、浦村は。

 

では、このあと快晴のパールロードを疾走するか!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: スギムラ水産
  • 住所: 三重県鳥羽市浦村町1229-61
  • 料金: 焼き牡蠣+蒸し牡蠣食べ放題¥2300(2022年現在の情報)
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00〜17:00(火曜定休)

 

No.173【青森県】探しても絶対見つからない日本中央の伝説の岩!1200年後に見つかったぞ!

あなたは「インディ・ジョーンズ」を好きだろうか?

僕は大好きだ。

物心ついたころから見ている。サバを読んで大げさに言えば1万回見た。

 

彼の帽子も鞭も僕には似合わないが、革の鞄と分厚い手帳はインディ・ジョーンズをイメージして所持している。

 

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あの映画の何が僕をそんなにもワクワクさせるのか。

とあるシリーズでは、”モーゼ十戒”を刻んだ石板を収めたアークを探し、あるシリーズでは"キリストの最後の晩餐"で使われた聖杯を探していた。

これらから僕は1つの法則を見出す。

 

有名な人ゆかりのある物品が無くなっちゃって、「ホントにそんなものあるの?」ってくらいに時を経てからそれを探す。

 

…こういうのがワクワクの源泉ではなかろうか。

もちろんそれを探す際にライバル出てきてバトルして…っていうドキドキワクワクもあるが、物語の主軸は上記の赤字の通りだ。

 

そういえば、僕もこれに類する物語を知っている。

今回はそんな話をしようと思う。

 

 

プロローグ:つぼのいしぶみ伝説

 

ウソはホントかは置いておいて、まぁ聞いてくれ。

 

バチクソ強くて偉くて、死後神格化されるほどの将軍が、1200年前にいた。

この将軍が生前、矢じりを使って岩に文字を掘った。

「この国の中心はここだ」とも読み取れる意味の文字だ。

 

だが、その岩は歴史に埋もれて所在が不明となった。

いろんな人が長年探したが、見つからない。

「どこにあるかわからないもの」の例えとして、その岩の名前を使うことが詩人たちの間で一般化したりもした。

 

100年前には、皇帝が必死になって探したりもしたが、それでも見つからなかった。

 

実はこれ、日本の話だ。

今回のエピソードの根底にあるのが、この伝説だ。

ここでは「つぼのいしぶみ伝説」と呼ばせてもらおう。

 

 

日本の中心は青森県

 

今回ご紹介したいのは「日本中央の碑」と、それが発見されたスポットだ。

場所は青森県

これはたくさんある日本の中心の1つである。

 

あなたは「日本の中心がたくさんあるとか、意味不明なんですけど?」とか「青森?メチャクチャ北すぎると思うんですけど?」と、いきなり敵意剥き出しになってしまっているだろうが、まずは落ち着いてほしい。

 

実は日本中心の定義って曖昧で、様々な定義により無数に乱立しているのが実状だ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

青森にだってある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

さて、今回ご紹介する日本中央であるが、理系の方を納得させる根拠には乏しい。

「こういう測量方法をすればここが日本の中心」という理屈が無いのだ。

 

「有名な方が『ここが日本の中心だ』と言ったから、ここが日本の中心」という、イエスマンのお手本のような文化が創り出した日本の中心である。

このお方が発言すれば、白も黒になるかもしれないし、青森も日本の中心になるのだ。

 

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…という表現はさすがに乱暴かもしれないが、古来の伝承っていうのは100%理解するのは難しい側面もある。

であれば、ある程度クールな視点から見た方が面白い。

 

日本の中心を示すスポットは2つ用意されている。

かつて有名な方が「ここが日本の中心だ!」と言いながら岩に"日本中央"と刻んだ日本中央の碑を展示してある資料館と、その碑が発見された地だ。

 

うん、両方行こう。実際に現地に行ってみよう。

2回ずつ訪問しているので、それらをブレンドして執筆するぞ。

 

 

日本中央の碑_発見地

 

場所は青森県の東北町。

ちょっとローカルな林の中の一角に、発見地の駐車場があった。

 

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発見地1

まだ新緑にも早い時期に、1人フラリとやってきた。

砂利の駐車場には僕以外の車もいない。静かな静かな山の中だ。

 

一見すると足を止めるような場所ではないが、『「日本中央の碑」発見地 東北町』という真っ赤な看板がある。

大体目星をつけていた僕は、初回訪問時でも迷うことなくこの駐車場に入ることができた。

 

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発見地2

2回目に訪問したのは、2021年のことであった。

看板は少しくたびれていた。

盛夏ということもあってか周囲には草木が生い茂りってワイルドであった。

 

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発見地3

相変わらず、僕以外の車はいない。

 

実際に碑が発見されたのは、ここから遊歩道を数分進んだ場所である。

駐車場から階段を下り、森の中へと進んでいく。

 

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発見地4

正面奥に、立て札とベンチが見えるだろうか?

あそこからさらに階段を数10m下ると、日本中央の碑発見地を示す標柱がある。

 

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発見地5

「日本中央の碑」と書いてある。

まさにこれが碑であるかのような記載だが、前述の通りこれは碑ではない。

碑が発見されたことを示す標柱だ。

 

だけども、こうやって立派な標柱を作ってくれていることに僕は感謝したい。

この標柱があるからあるからこそ、僕はここに来たのだ。

何もなければ、例えここが発見地であったとしても僕の足が向いたかどうかは怪しい。シンボルって大事なのだ。

 

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発見地6

では、標柱の元に行こう。

一歩足を踏み出すと、ズブズブと足が沈んだ。

ここは駐車場から随分を下った、風通しも悪いジメジメしたエリア。

湿地帯みたいになっていたのだ。

 

だとしても、諦めるわけにはいかない。

僕は靴を泥だらけにしながら進んだ。

 

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発見地7

こうして撮影できた思い出の写真がこれだ。

日本3周目における初回訪問時の貴重な写真。

 

2021年、日本6周目の行程において久々に再訪してみた。

 

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発見地8

駐車場から見た遊歩道の入口部分だ。

初動に少しの勇気を必要とするほど、草木が生い茂っている。

 

僕は以前に来たことがるからある程度勝手がわかっているが、初見だとたじろぐかもしれないな。

 

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発見地9

前回と比べて手すりが朽ちているし、歪んでいる。

谷底にあたる地なので湿気が多いのだろう。木製のものはヤバい。劣化する。

 

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発見地10

2つ目の階段が出てきた。

こっちはもう階段の中央に笹が生い茂っている。元気。

 

そして階段のまっすぐ進行方向を見てほしい。

小さく標柱が写っているのが見えるだろうか。あれが先ほどもご紹介した、発見地の標柱である。

 

久しぶりー!また見れて嬉しいぜ!!

 

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発見地11

だが僕は階段の途中で歩みを止めた。

もう笹すごいし、階段を降りたところで今度は標柱までの茂みもすごい。

さらに茂み以外にも湿地にズブズブ沈む恐怖がある。

 

今日はあんまり服を汚したくないのだ。

階段からのズーム撮影に留めておきたい。

 

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発見地12

悲しいことに、標柱は相当に朽ちていた。

遊歩道の管理状況を見ても懸念がある。

近いうちにここは忘れ去られたスポットになってしまうかもしれない。

 

よっぽど綺麗に整備されて生まれ変わらない限り、僕自身もここに来るのは今回が最後であろう。

 

そういった思いもあり、今回見ることができてよかった。

 

 

伝説の始まりと、追い求める人々

 

次に僕は、前項で発見された石碑を実際に見に行く。

その前に、冒頭で触れたつぼのいしぶみ伝説を具体的にご説明しよう。

 

なお、いくつかのWebサイトや現地の説明板を基にしているが、どうしても情報のブレや僕の理解の追い付かない点もあり、つたない文章となることをご了承いただきたい。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

坂上田村麻呂

日本史で絶対に習うであろう、西暦800年前後、奈良時代の人物の名前だ。

 

初代の征夷大将軍である。

蝦夷(つまり現在の東北地方)に遠征し、その地を平定したことでも有名だ。

死後も神格化され、いろんなところで祀られている。

 

彼がこの地に来たとき、弓の矢じりで岩に文字を刻んだ。

「日本中央」と。

 

なぜそう書いたのかはいろんな説があって定かではない。

「千島列島も含めれば日本の中央だ」とか、「当時蝦夷は"日本"と呼ばれていて、そこの中央だからだ」とか、複数ある。

 

この岩の名を、つぼのいしぶみと呼ぶ。

漢字で書くと”壺の碑"となるそうだ。

 

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伝説1

つぼのいしぶみはたぶん行方不明になってしまい、存在だけが伝承として残った。

でも、伝承としてはかなり知名度が高かった。

11世紀から12世紀にかけての和歌で度々登場しているのだ。

 

みちのくの いはで忍ぶは えぞしらぬ かきつくしてよ つぼのいしぶみ

 

例えばこれは、源頼朝の詠んだ歌だ。

他にも和泉式部・懐円法師・西行法師・寂蓮法師・僧正慈円・阿仏尼など、平安時代から鎌倉時代にかけての結構有名な人たちが和歌に詠んだ。

「どこにあるのかわからないもの」・「遥か遠くにあるもの」という意味を満たせた歌枕だったようだ。

 

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伝説2

一方、「つぼのいしぶみを見つけ出したい!」って夢見る冒険野郎ももちろんいた。

1700年代くらいからの主要な探索記録が今も残っている。

 

一七七八、平沢元愷、北海道へ向かう途中野辺地に宿泊、「つぼのいしぶみ」を探索。
一七八八、菅江真澄、石文村で「つぼのいしぶみ」について尋ねるも不明。「遊覧記-いわてのやま」(七月五日の条)。
一八七六、7月、木戸孝允、「壷の碑」を求め千曳神社の発掘を先導するが見つからず。
一九三四、東京の江口少将が発起人となり「日本中央の碑」を求め捜査するも未発見(十一月二十二日付け東奥日報)。

 

…こんな感じだ。

上記には記載がないが、最も有名な探索は明治天皇によるものだろう。

つぼのいしぶみに強い興味を示し探索令を出したが、それでも見つからなかったのだ。

 

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伝説3

…っていう内容は全て、前項の発見地の階段を降りたところの説明板に書いてある。

これを読みに行くのも楽しいかもしれない。

 

そして伝説の結末だ。

そんなつぼのいしぶみが、昭和時代の中期にとうとう発見されたのだ。

1949年、地元の人がここで倒れている大きな岩を起こしたところ、その表面に日本中央と書いてあったそうなのだ。

 

今は「日本中央の碑保存館」という小さな資料館に展示されている。

次の項でご説明しよう。

 

 

日本中央の碑_保存館

 

日本中央の碑の発見地から、そう遠くない国道4号沿いに保存館がある。

1200年以上誰も見つけられなかった伝説の石碑、つぼのいしぶみがそこにあるのだ。

しかも無料でだ。

 

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保存館1

もちろんルンルンでやってきた。

2回目となる2021年だって、もちろんルンルンである。

 

ただね、このときは気付かなかったんだけど、愛車の前方にある小さな石柱を見てほしい。次の写真で拡大するから。

 

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保存館2

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、この保存館に入れるのはしばらくは青森県民だけとしていた。

僕は青森県民ではない。

入口まで行ったがそこの貼り紙に気付き、断念することとなったのだ。無念しかない。

 

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保存館3

窓越しに見えた館内。

ひっそりと静まり返っていた。

中に入って間近に伝説の石碑を眺めたかったが、それは適わなかった。

 

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保存館4

このときは、保存館の外観と周辺の碑文などを撮影するのみとした。

前項で挿入した碑文の写真なども、この敷地内で撮影したものだったのだ。

 

…では、日本3周目にて実際に内部に入ったときの写真をお見せしよう。

 

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保存館5

入口を入る。

21世紀に入ってからの数年間は有料だったそうだが、現在は無料の施設である。

だけども管理人さんはいて、ちゃんと管理が行き届いている。

 

保存館の中には日本中央の碑の伝説や、発見された経緯などがパネルで説明されていた。

2022年現在の僕は、そちらのパネルももっとしっかり読み込み、写真を撮っておけばよかったと後悔している。

 

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保存館6

小さな資料館の中央に、ご本尊みたいに鎮座して光り輝いている岩がある。

あれがつぼのいしぶみである。

 

実は写真に写っているのが表側だ。

つまり日本中央と書かれている側だ。あなたにはその文字が見えるだろうか?

 

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保存館7

近付いてみた。

これでわかるよね?

うっすらとであるが、日本中央の文字が刻まれている。

 

これ以上でもこれ以下でもない。

パッ見では何も心に響かないかもしれない。

それでも、この岩には1200年分のロマンがパンパンに詰まっているのだ。

 

この岩をとり巻く歴史スペクタクルを知った僕は、見れて良かったと心から思った。

 

 

エピローグ:伝説は伝説として

 

こうして1200年以上の月日を経て、伝説の石碑つぼのいしぶみは発見された。

そしたら次に「この石碑は本物なのか」という話が出るのは世の常だ。

実はこれ、近年まで相当ワチャワチャ議論がされているようで、結論は出ていないらしい。

 

まずは坂上田村麻呂自身はここ東北町までやってきてはいない。

ここに来たのは2代目の征夷大将軍である、「文室綿麻呂」だ。

 

それに、日本中央と書かれた文字がカジュアルすぎる。端的に言うとダサい。

本当に奈良時代の人がドヤ顔でこんな字を書いたのだろうか?

 

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そもそも当時の日本は"日本"とは呼ばれていない。

何を意図して日本と書いたのか。…というのは前述の通りだ。

 

さらに2012年に発覚した話で、「実は地元の人がそれっぽい石碑を作ってあそこに転がしたんだよね」っていう逸話もあるらしい。

 

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話の精度には確かに疑問が残る。

ただ、伝説や伝承ってのはそんなもんだったりするのかもしれない。

 

全国の温泉や石像の多くは「弘法大師」が発見したり作ったりしているし、デカい岩が不自然な場所にあったり割れていたりしたらそれは大体「弁慶」の仕業だ。

そんなわけないのだろうが、そんなもんだ。

 

1000年も前の話というのは、こうやってフンワリと角が取れて、人々の想いや理想の部分だけが残るのかもしれない。

霞の中に手を伸ばすような、太古の存在なのだ。

 

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それでも我々は、その想いを受けとめて継承する。

こうやって脈々と語り継がれるのが、日本の文化だ。

 

我々が暮らす21世紀っていうのは、「事実か事実でないか」・「そこにエビデンスはあるのか」・「5W1Hをしっかり報告しろ」みたいな世の中だ。

解像度が高くてブレがない。

これはこれで正義が満ち溢れた良い世の中なのだろうが、伝説や伝承を理解する上ではちょっと窮屈だ。

 

…夜の闇には魑魅魍魎が潜み、人の心には鬼が住む。

祟りもあれば、神の御加護もある。先祖はどこかで僕らを見守ってくれている。

 

そんな文化の片鱗を、日本中央の碑から少しでも感じ取れるのであれば、僕もあなたも人生勝ち組かもしれない。

 

…そして、そんなインディ・ジョーンズがいてもいい。

そう思うのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本中央の碑_発見地
  • 住所: 青森県上北郡東北町夫雑原
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

  • 名称: 日本中央の碑_保存館
  • 住所: 青森県上北郡東北町字家ノ下39-5
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00〜16:00(火曜定休)

 

 

No.172【茨城県】まるで古代遺跡!?「石切山脈」と「地図にない湖」はド迫力の採石場だ!

そこは採石会社の敷地内で、本来は観光地でもなければ景勝地でもなくって…。

 

そういうところに絶景が眠っているんだから、最高だよな。

ここ2・3年くらいで知名度が上がって来たけど、まだまだマイナーなスポットだ。

知っているとお得感を味わえるだろう。

 

今回ご紹介するのは、そんなスポット。

採石跡地が作り上げた造形美、「石切山脈」と「地図にない湖」である。

 

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幸か不幸か、僕が訪れたのはこの石切山脈にとって結構特殊な日であった…。

 

 

気付けばダカールラリー

 

僕が石切山脈の存在を知ったのは、2018年だとかそのくらいだっただろうか…?

ちょうど少しずつ有名になり始めた、まさに黎明期だったと思う。

 

「行ってみたいな」って思ったのだが、前述の通りそこは採石工場の敷地内である。

一般人も入ることは可能だが、調べた限りでは平日のみであった。

サラリーマンをやっているとちょっと厳しい。

 

「どうせ行くなら夏空の元で見たい!」とか、「有給取るヒマねぇー!」とか言っているうちに、新型コロナウィルスが流行した。

 

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採石場へ1

永久に続くんじゃないかって思われた緊急事態宣言が一時解除され、「じゃあ紀伊半島でも走ろうかな」と考えていた折、ふと石切山脈のことを思い出した。

Web検索してみると、なんと最近は土日であっても一般人が入場できるらしい。

 

なら行く。

ちょうど明日は日曜日だから、すぐ行く。

 

…こうして今僕は、石切山脈のすぐ近くまでやってきた次第だ。

 

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採石場へ2

遠くに削り取られて岩盤が剥き出しとなった山肌が見えてきた。

目的地は近いのかもしれない。

 

しかし僕は1つの懸念をしてた。

昨夜Web検索したら、なんか石切山脈では1周年感謝祭というのをやるそうなのだ。今日。

プログラムも載っていたのだが、9:15~お偉いさんの挨拶とかあるらしい。

 

何から1周年なのか、誰が何に感謝するのか、Webからはわからなかった。

だけども今日は混雑するかもしれない。駐車場に停められるかなって、ちょっとドキドキしている。

 

現在の時刻は9:50だ。

本当はもうちょっと早く来たかったが、途中で古墳を発見して遊んでしまったりしたので遅れた。大丈夫だろうか?

 

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採石場へ3

上の図の現在地に当たる場所で、誘導員の人からプリントをもらった。

閑散期であればここのすぐ脇の駐車場に入れるのだが、今日は混雑しているらしく、ずーっと奥の駐車場に車を停めた後に無料シャトルバスで石切山脈まで来るように、とのことなのだ。

 

うおぉ、そのパターンか。

やっぱ賑わっていたか。そして遅かったか。

まぁでも駐車できるだけ良しとしよう。

 

上に掲載したプリントの地図、石切山脈を取り巻く採石場の全容がよくわかってとても良い。

だが右上部分の文字や、イラスト全体がとてもラフだ。まるで下描きだ。冨樫か。

 

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採石場へ4

こんな雑な案内図を、臆することなく来訪者全員にバラまいているだなんて…。

 

…最高だッ!

 

いいかい、僕らはこんな時代の石切山脈を大事にしなければならない。

これが綺麗に印刷会社が作ったカラーのチラシだったら、もう黎明期は過ぎており、立派な観光地と呼べてしまうレベルだ。

従業員さんが片手間で、くわえ煙草で走り書きで作ったような、これが良いのだ。

大事にしよう。

 

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採石場へ5

チラシをもらった瞬間にダートの登場だ。

事務所の建物の横を砂煙を上げて疾走する。

 

道はある程度クネクネするが、いたるところに誘導員さんがいてありがたい。

 

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採石場へ6

こんな感じの狭い区間にはちゃんと誘導員さんがいて、片側通行にしてくれる。

しかし、なかなかアップダウンの激しい道でダカールラリーをしている気分だな。やったことないけど。

 

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採石場へ7

周囲に紅葉が残っていたので、彩度を上げて撮影してみた。

なるほど紅葉は綺麗だ。

しかし砂ぼこりがなかなかにヘヴィーだ。

 

普段だったら砂汚れも泥汚れも全く気に留めない僕であるが、このときはほんの10日ほど前に久々の洗車をしたばかりなので、少しだけ泣けた。

ま、そんなことも数10分後には忘れちゃうけどね。

 

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採石場へ8

敷地のエントランス部分から駐車場までは500mほどだっただろうか?

とりあえず指定された駐車場に到着した。

 

 

現場は大パニックです!

 

駐車場…というよりは作業現場みたいな場所にやって来た。

 

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祭り会場に行こう1

左右も進行方向の遠方も、山から切り出した岩がブロック状となってゴロゴロしている。

たぶんここのエリアは現役の採石場なのだ。

重機もたくさんあるぞ。

 

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祭り会場に行こう2

石切山脈のWebサイトから仕入れた情報を少しご紹介しよう。

ここで採石されているのは、稲田石っていう岩石。

明治時代から100年以上採石されているのだそうだ。

 

この稲田石っていうのは真っ白なので"白い貴婦人"とも呼ばれ、「日本橋」・「東京駅」・「最高裁判所」・「国会議事堂」など日本の中枢の名だたる建造物にも使用されているという。

なるほど、すごい。

 

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祭り会場に行こう3

メインスポットから遠く離れた駐車場に来てしまったものの、現役の雰囲気を感じ取れる場所に来れたのは、考えようによってはラッキーなのかもしれない。

誘導員さんの指示に従い、適当なところに愛車を停めた。

 

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祭り会場に行こう4

周辺は岩がゴロンゴロンである。

なかなかに荒ぶった光景だ。これだけでもテンション上がって来た。

 

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祭り会場に行こう5

ここから無料シャトルバスで祭り会場だ。

最初に指示をもらったのだが、歩いて祭り会場に行ってはいけない。必ずシャトルバスを使用するように、とのことだ。

たぶん道も狭いからね、歩行すると危険なのだ。(それでも歩いている人もいたが)

 

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祭り会場に行こう6

重機置き場と駐車場と、岩の散乱。

左下の大きめのヤカンもチャーミングである。

 

これらが絶妙にブレンドされたゾーンを歩いてシャトルバス乗り場に向かう。

これから祭りに向かうロケーションじゃないけど、確かにこの敷地内のどこかで祭りは始まっているのだ。

 

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祭り会場に行こう7

なんとなく他の人の進行方向に向かい、シャトルバス乗り場と思われる簡易テントを見つけた。

20~30人くらい並んでいる。

 

それに対し、シャトルバスは普通のワンボックスで、乗車定員は7名ほどのようだ。

何台運行しているのか不明だが、結構待つことになりそうな懸念。

 

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祭り会場に行こう8

…15分ほど待っていただろうか?

「1人の方はいますかー?助手席空いているのでどうぞ!」と声がかかったので、行列に並ぶ唯一のロンリーである僕が助手席に乗り込んだ。

 

多分普段であれば1人での来訪者もそこまでは目立たないだろうが、祭りでかつシャトルバス使用ということで、より独り身の僕が浮いているわ。なんてこった。

 

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祭り会場に行こう9

運転手のスタッフさん、この盛況ぶりにあきらかにナチュラルハイになっている。

 

「もう今日はお客さんがすぅぅーーっごいの!!こんなの初めて!!」って言いながらアクセルを踏んだ。そうか。

前述の通り、今日は1周年感謝祭である。

 

なんの1周年なのか聞いてみると、石切山脈が観光に力を入れ出し、敷地内にカフェとかを作ってから1年なのだそうだ。

 

www.atpress.ne.jp

 

後日検索して見つけた情報ではあるが、Webサイトへのリンクを貼る。

及び、一部文章を抜粋させていただく。

 

日本最大の採掘現場となる「石切山脈(いしきりさんみゃく)」の魅力をより多くの人にお伝えしたいという思いから、新たに観光事業会社「株式会社U-A」を立ち上げ、迫力満点の採掘現場を専用ガイドと車でめぐる『プレミアムツアー』の運営及び大パノラマの「石切山脈」を眺めながら、笠間名産の栗スイーツを味わえるカフェ『U-A Cafeモンブラン』の営業を2020年11月14日(土)9時よりスタートいたします。

 

…という経緯だ。

実際の1周年に対し少し時期をずらし、2021年12月5日を一周年記念感謝祭の日にしたみたいだ。

運転するスタッフさんは言葉を続ける。

 

「だからね、いろんな人に12月5日に来てねって告知していたの。そしたら数日前にTVの『秘密のケンミンSHOW』でここが取り上げられたでしょ?それを見た人もこの週末で押し寄せているから、ホントすっごいの!!」

 

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祭り会場に行こう10

…そうか、時期が良かったのか悪かったのか…。

 

僕は石切山脈を「誰も知らない、観光地化もされていない場所」と思っており、そんな感覚で今回も来た。

だけども今日の石切山脈は「観光化も進みつつあり、TVを見た人が押し寄せる場所」になっているようだ。

ちょうど歴史の転換期、大化の改新みたいな日だ。

 

運転手さんは「みんなもモンブラン目当てに来たんだよねー!普段は250食限定で昼くらいには売り切れるんだけど、今日は社長が『1000食提供する!』って気合を入れているからねー!!」って言う。

 

僕は「モンブラン?何のことですかな?興味も無いけど?」みたいに反応した。

運転手さんの「は?」みたいな空気を感じた。

「あれ?そうなの?他の人は」みたいな振りを受け、車内の人はみんな「うむ、もちろんモンブラン目当てだ」・「当然TV見てやってきた」というリアクションをする。

 

ちょっと待て。

 

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祭り会場に行こう11

僕が混乱している間、あなたの時間を奪うわけにもいかないので、後日仕入れた情報を端的にご紹介する。

 

ここ茨城県笠間市は、全国でも有数の栗の産地である。

だからそこから派生したモンブランも有名。

石切山脈ではインスタ映えする、パスタをこじらせたようなビジュアルのモンブランがウリであり、これも数日前の『秘密のケンミンSHOW』で紹介された。

だからその週末である本日、カップルやファミリーが大挙して訪れているのだ。

 

…なるほど、合点がいった。

今日の笠間は不自然に渋滞していたし、近くの道の駅もとんでもない混雑だった。

道の駅にもモンブランが売られており、TVで取り上げられたので混雑していたのだ。

 

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祭り会場に行こう12

しかしそんな事情がわかろうとわかるまいと。

 

そのときの僕の心情は複雑であった。

僕はモンブランに1ミリも興味がない。興味があるのは石切山脈だけだ。

しかし周囲のみんなはモンブランと祭りにしか興味がない。

この温度差。

 

「あれ?ここで『僕の目的は石切山脈の景観だ』みたいに言ったら相当恥ずかしい?そもそも山脈、見られるんだよね?」

「みんなから見た僕ってどういう存在?『モンブランも食べずに1人でここに来るおかしい人』みたいな感じ?」

ほんの数分であったが、精神がソワソワするには充分な時間であった。

 

スタッフさんたちも忙しさで大パニックだが、僕の精神も大パニックであった。

ゴトゴト揺れる車内で僕は、自分の命運を案じて胸の前で十字を切っていた。

 

 

石切山脈は1周年感謝祭!

 

敷地のエントランス部分でシャトルバスを降りた。

閑散日であれば、ここに直接車を停められたのだが、今回はここまで長い道のりであった。

 

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感謝祭1

採石場の事務所と思われる建物の前を通り、祭り会場や石切山脈のビューポイントであるエリアに向かう。

 

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感謝祭2

このあたりがいい味を出しているなって思った。

直射日光によるセロテープの劣化と、ブラインドの上げ下げによる摩擦の生み出す、唯一無二の芸術だ!…って思った。知らんけど。

 

すぐに簡易テントの受付が出てきた。

ここで入場料300円を支払う。

これは今日が祭りだからとかではない。デフォルトだ。

採石工場の敷地だからね、有料でも一般人が入れるだけありがたいのだ。

 

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感謝祭3

ここでもらった1周年感謝祭のプログラムをUPしておく。

興味のある方は拡大してご覧いただきたい。

 

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感謝祭4

ひとまず本項は、この1周年感謝祭について記載しようと思う。

 

実際は石切山脈を眺めたりするのと同時進行で行っていたのだが、それらをブレンドして執筆すると文字がボリューミーになってしまうしテーマがガチャついてしまう。

したがい、本来の僕のメインとなる石切山脈のご紹介はさらに次項とさせていただこう。

 

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感謝祭5

会場は大きく分けて2つある。

この写真は受付を入ってすぐのエリアである。とりあえず「第一会場」とでも呼ぼう。

 

右奥の小屋がウワサのモンブラン屋さん。

どうやら整理券を配って対応しているらしい。

稲田石の四角いプレートに、ニュルニュルとモンブランを絞り出して提供していた。

 

みんなそれを、稲田石でできたテーブルとイスのエリアで食べたり、あるいは石切山脈を眺めながらカウンター席で食べたり、だ。

 

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感謝祭6

これがカウンター席。

快晴で最高のロケーションだ。

 

季節はもう12月だから、もし天気が雨や曇りだったらいろいろ厳しい環境だったろう。

この快晴にも感謝だ。

 

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感謝祭7

子供向けの輪投げイベントがあり、そして近くにはパトカー。

プログラムを見ると「特殊車両も来るよ」という、変にオブラートに包んだ文言が確認できる。

これがそれなのだな。どういうミッションで来たのかは不明だが。

 

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感謝祭8

輪投げの景品。ほほえましい。

フワフワ揺れる風船が平和な世界を象徴しているようだ。

 

第一会場にいる来訪者の人数は、ざっと50人ほどだろうか?

すごい大人数とは思わなかった。

それでもシャトルバスのスタッフさんは「すっごいの!」と言っていた。

 

第二会場にすごい大勢いるのか、普段説くレベルと多いという意味か、それともワンボックスでのピストン輸送が本当にシンドいのか…。

たぶん最後の内容が大きな理由なんだろうなって思った。

 

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感謝祭9

後述する地図に無い湖のほとりを少し歩き、第二会場にやってきた。

ここは模擬店が数店舗出ていた。

 

ずわいガニのみぞれ汁・おしるこ・からあげ・焼きいも・石窯ピザなど。

ちょっと惹かれる。

だけども、1人で食べ物を買ってムシャムシャ食べていいだろうか…。

正直、テンションがそこまでは乗り切れていない。

 

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感謝祭10

ピザが食べたいな、とも思った。

しかし結構本格的で大きいし高くって、これまた1人で食べるのは苦労しそうだ。

500円で半分サイズだったら買ったかもしれないけど。

この後ちょっとランチしたいお店があるので、ここでガッツリは食べたくない。

 

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感謝祭11

第二会場にはステージもあった。

プログラムを見ると、ダンスショーだとかドラムとか和太鼓だとかがある。

今は活用されていないが、それらをステージ上でやるのかもしれない。

 

ステージの横にはお笑い芸人の「オスペンギン」さんがいた。

TVに疎い僕は存じ上げないが、会場を盛り上げるために一生懸命に休みなくトークをしていた。

 

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感謝祭12

そのオスペンギンさんが言うには、ちょっと前に餅つき大会でついたお餅を、今模擬店で無料で振舞っているそうなのだ。

もちろん先着順で、無くなり次第終了だ。

 

なるほど、ひときわ行列がすごいのがそれか。

さっきちょっと気になったが、スルーして先に石切山脈の写真撮影とかしていた。

「お餅少なくなってきましたー」みたいな声も聞こえているが、試しに並んでみた。

 

…ところが、僕の3人ほど前でお餅は終わってしまった。

稲田石の臼でついたというお餅、少し食べてみたかったが、まぁしょうがない。

1人でフラリとやってきた僕の代わりに、お祭りを目当てにやってきた人が食べられたのであれば、本望じゃないかと。

 

 

ダイナミックな岩肌と神秘の湖!

 

最後に、祭りと並行して眺めた石切山脈の絶景をご紹介しよう。

 

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石切山脈1

受付を通過してすぐに眼前に広がった光景がこれだ。

広場にある無数の意思のオブジェと、その向こうの石切山脈。

 

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石切山脈2

何を作ろうとしたものなのかは、センスのない僕にはちょっとわからない。

しかし"白い貴婦人"と呼ばれるこの稲田石が良質なことは心で理解できた。

青空に最高に映えるよな。

 

向こうに見えている、黄色い柵のところまで行ってみよう。

 

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石切山脈3

手前にあるのが地図に無い湖。

その向こうが石切山脈の代表的な光景である、剥き出しの山肌だ。

僕が車を停めたのは、あの山の後ろあたりだったな。

 

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石切山脈4

彩度を上げて撮影してみた。

湖に映る山がカッコいい。

 

ここに見えている範囲の採石場は「前山採石場」と呼ばれていて、2014年ごろまでは採石していたのだが、今はもう休止しているそうだ。

明治時代から100年ほどかけて、地下65mまで掘り進んだ場所。

 

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石切山脈5

その後、岩盤から染み出してきた水などが溜まり、いつしか今のような巨大な湖になった。

それが地図に無い湖と呼ばれる所以だ。

 

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石切山脈6

その向こうの綺麗に採石された跡地もかっこいい。

この古代遺跡のような独特の景観から、プロモーションビデオ・ヒーローものの撮影・ウェディングフォトなどの需要があるらしい。

それも納得の大スケールだな。

 

では、第二会場方面に歩いて行こう。

 

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石切山脈7

地図に無い湖の湖畔に沿い、3分ほどの散歩だ。

現役の工場の建物が左右に見えてくる。こんなところを一般人が歩けるのも貴重な体験だ。

昔懐かしい、社会科見学の気分。

 

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石切山脈8

「がんばってます!」って感じの建物だ。

この窓枠のゆがみ、最高だと思う。ギリギリな感じ、不安定な感じに心惹かれ、ずっと見ていられる。

 

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石切山脈9

そんなワイルドな風貌の工場だが、内部の作業はいたって繊細だ。

すっげぇ綺麗な稲田石のプレート。

建物の窓枠は全然整っていないのに、このプレートはメッチャクチャ整っている。これ以上ないほどに整っている。

 

僕だったら何に使うのか想像もつかないが、単純に「欲しい!」って思った。

誰しも美しいものには魅せられる。

 

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石切山脈10

そんなこんなで第二会場到着だ。

オスペンギンさんのトークが流れてくる中、僕はオブジェを眺めていた。

ゆるーい感じのものが多くて癒される。

 

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石切山脈11

引き続き、石の庭園。

これらを1つ1つ眺めていたら、無料のお餅を食べられなかったのがこの僕だ。

昼頃にもう一度餅つき大会をするそうだが、それまでは待てぬ。

 

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石切山脈12

第二会場のさらに奥、この岩の隙間を進んでいくと、地図に無い湖の湖畔ギリギリまで行けそうな気がする。なので進む。

 

祭りの喧騒は遠のき、オスペンギンさんの声も「餅が、餅が…」くらいしか聞き取れなくなった。

もう何ペンギンかもわからない。

 

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石切山脈13

ちょっと簡素な展望所が現れた。

眺めが良さそうな予感だ。

 

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石切山脈14

うん、とても雄大だ。

天然ではない、人工的なものではあるが、そこには文明も歴史もあるのだ。

それを僕は今、感じ取れている。

 

明治時代からここまできれいに山を削り取った技術、すごい。

 

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石切山脈15

白い岩と、それが映り込む湖面。

ため息が出る美しさであった。

 

モンブラン食べて帰ってしまう人にも、この光景を一目見てほしかった。

いや、向こうからしたら僕に対し「モンブランひと口食えよ」と言いたいのかもしれないが。

 

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石切山脈16

そんなモンブラン会場…、じゃなかった、第一会場は湖を挟んだ向こう側です。

写真の右奥。

 

じゃ、また戻るか。

石切山脈をしっかり堪能した。祭りを堪能したとは言い切れないけど、偶然にも突撃してしまったこの空気に少し触れられただけでも満足だ。

 

 

そして2年目へ!

 

帰りのシャトルバスは、タイミングよくすぐに乗れた。

「整理券式だし、時間かかりそうで…」とのことでモンブランを食べられなかったご夫婦と一緒の乗車であった。

 

出発前にチラリと車窓から見えたのだが、ここ石切山脈に向かってくる車はどんどん増え、渋滞が起きていた。

もう僕が停めた駐車場も満車であり、どこにも行けなくなった車が滞留しているのだ。

 

この近所は道も狭くてUターンすら困難である。

カオスになっていた。

 

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賑わう石切山脈1

地元のボランティアだという誘導員さんたちが「どうしよう…」とうろたえ、社員である運転手さんが「ちょっと私行ってくる!」と車を飛び降りて指示に向かう。

「山田さん(仮)の家の駐車場を借りて!あとは〇〇スポーツセンター!!」みたいな、恐ろしくプライベート感の高い名称が飛び出していた。

もちろんだが、事前にそういう手はずになっていたとのことだ。

 

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賑わう石切山脈2

こうして観光地化の道を歩み出した石切山脈は、ドタバタしながらも最高の天気で大賑わいの2年目を迎えることとなった。

 

僕は願わくばもうちょっと早い観光地化前に訪れたいとも思ったが、これはこれで良い。

これから長く続くであろう石切山脈の観光時代の、「最初の1年」とも言える時期に訪問したのだ。

誇れるべき体験だよね、これ。

 

それではさようなら、石切山脈。

これからもいろんな意味で、日本の建造物を支えてほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 石切山脈
  • 住所: 茨城県笠間市稲田4260-1
  • 料金: ¥300
  • 駐車場:あり
  • 時間: 9:00~16:00