日本2周目の穏やかな夏の日、フラリと訪れた。
静かで浅い内海に点々と岩が浮かぶ様子に、日本の原風景を見ているような気持になり、若かりし日の僕は心からここが好きになった。
ここで僕は初めて"浦"という単語の意味を理解したと感じた。
2011年3月11日、東日本大震災。
松川浦は津波の直撃を受け、壊滅的なダメージを受ける。
11年目である2022年3月11日から遅れを取ってしまったが、今回は震災前から震災後までを追いかけた松川浦について執筆したい。
そこはマイナス7℃の氷の世界
気温は-7℃だ。とんでもない寒波が来ている。
「寒い」とつぶやく、その言葉ですら凍ってしまうような気温だ。
そんな中を僕は松川浦に向かって車を走らせていた。一人旅だ。
そしてこんな真冬に松川浦に来るのなんて、初めてだ。
前回は初夏で最高だったが、今回はなかなかに自然の猛威を感じちゃう。
松川浦に架かる「松川浦大橋」だ。全長520mほどの吊橋。
松川浦の形状っていうのは「一部が海に繋がっている湖」みたいな感じなんだけど、その海に繋がっている部分に車道を渡しているのが、この橋だ。
最初に、松川浦の全容をお見せしよう。
そして今回のエピソードに登場する主なスポットを書き出してみた。
砂州に囲まれた内海、それが松川浦だと認識しておいてほしい。
だからすぐ横には太平洋が見えている。
夕暮れの銀世界の太平洋。幻想的だが、尋常では無い寒さ。
こんなところをこれから観光しようとしているのだから、僕ってすごい。
いや、こんな寒波が来るとは思っていなかったんだけどさ…。
青森まで行こうとしたんだけども、とんでもない寒波で高速道路も何もかも止まり、トラブルに見舞われながらも決死の逃避行をしてここまで南下して来たのだ。
相当な災難だ。全然観光できずにここまで来ている。
だから、こんなアイスワールドだけどもヤケクソで観光したい。
寒さに目を瞑れば、こういう世界も悪くない。都会に住んでいてはなかなかお目にかかれない光景だ。
さて、写真の右上を見ていただきたい。
灯台があるのがわかるだろうか。「鵜ノ尾岬」だ。
以前の訪問時には灯台の足元までは行かなかったので、今回はあそこに行きたい。
海際に車を停めて、遊歩道から岩場を登って行く。
すると小さなお堂があった。「夕顔観音 奥の院」という名前とのことだ。
お堂と眼下の松川浦を同時に眺めるロケーションがステキだ。
実は上の写真は右も左も海で、車道がその真ん中を突っ切っている。
だが、向かって右側の"浦"に当たる部分はすっかり雪原でなにがなんだかわからない。
ハハッ。見ろよ、足跡がある。
よっぽどの物好きがここに来たようだぜ。
…というブーメランを投げて、自分自身に刺さったことを感じる。
氷と雪でズリズリに滑りながら辿り着いたのは、「鵜の尾岬展望台」だ。
簡素な木製の展望台。よし、登ろう。
クッソ寒い。
太平洋・相馬港・相馬共同火力発電所などが見えた。
太平洋の波はザワザワと不穏な勢いで打ち付けて来ていた。
風が強すぎる。飛ばされそうだ。
ここから100mほどで灯台だという。
強風で心がめげそうだが、もう少しなので歩こう。
「鵜ノ尾埼灯台」についた。
周囲をウロウロしたが、絶妙な角度で小枝がジャマしてくる感じがいいね。
ウザい前髪って感じでなんとも言えぬわ。
それでもいい角度を探そうと歩いていたら、手からカメラがポロっと落ちた。
落ちたら拾えばいいのだろうが、スッポリと雪に埋もれて、どこに落ちたのかもわからなくなった。
僕は泣きそうになった。
-7℃の暮れゆく寒風の岬で、手を真っ赤にしながら雪を掘り、1人カメラを探した。手袋なんぞ持っていなかったのだ。
10分かかってカメラを見つけたときには、すんごい嬉しかったね。
見当違いのところから掘り出した。奇跡だ。
このあとは、松川浦で喜びの舞を踊ったりしたのだが、読者様はそういうことにご興味は無いであろうから、この話はここでオシマイ。
はい、オシマイ。
震災、そしてガレキの山…
2011年3月11日。
30mにも及ぶ巨大な津波が、この松川浦に激突した。
YouTubeからその動画のリンクをご紹介する。
津波の画像があるので、ショックを受けやすい方についてはご注意いただきたい。
松川浦大橋、そして僕がお堂から見下ろした、海と松川浦を隔てる細長い道路の存在をお分かりいただけたかと思う。
想像を絶する光景であった。
それからしばらく経ったある日…。
僕は松川浦に来ていた。
「どうしてもここを訪れて、どうなっているのか見たいんだ」と仲間に言い、災害復興ボランティアの合間に訪れたのだ。
そのときのボランティアのエピソードについては、ご興味あるなら上記からご覧いただきたい。
僕は、あの雪積もる日と同じルートでアプローチした。
しかし、周辺の光景は一変していた。
重機がハデに転がっている。いや、重機って転がるものなのかよ…。
そして木々にはブルーシートがたくさんぶら下がっていた。
大型クレーンのバケットか?
これまた不自然な場所に散乱している。本来はこれ、船とかに設置されているタイプではなかろうか…。
ここいらは工業港だよね?火力発電所もすぐ横だし。
だからそういう関係の重機やクレーン類の残骸が津波に流されたまま、ゴロゴロしているというわけか?
海岸には、青と白のストライプ模様のトイレの残骸があった。
僕は過去、このトイレを訪れたことがある。
きっと鉄筋コンクリートなのだろうが、津波はそれをも容易く崩したのだ。
胸がズキズキするのをこらえ、松川浦大橋の200mほど手前までやってきた。
しかしそこには「関係者以外立入禁止」の看板が立っていた。
ぶっちゃけ小さな看板なので無視して突っ切ることもできるし、地元なのかどうなのか知らないけど目の前も何台か車が通って行く。
しかし、ここまでの道がこの惨状だったのだ。この先はもっと荒れているに違いない。
興味本位だけで、部外者の僕らがそこに行くことは憚られる。
もう渡れなくなった吊橋。
写真の左、枯れ木の後ろの絶壁の上には、あの日の灯台が見えている。
あの灯台にも、当分行くことはできないのだろう。
松川浦大橋は、路面ギリギリまで浸水したらしいけどなんとか無事。
既にこの時点(2011年春)で、僕は前述の津波の動画を視聴済みだった。
改めてその怖さを実感する。
そして、前日に一緒にボランティアした長野県のおじさんが教えてくれたんだけど、橋の内側にある小ぶりな灯台は津波で破壊されたというのだ。
恐ろしい力だ。
僕らは立入禁止看板のところで車を停めると、外に出て少し周囲を見渡してみることにした。
すぐ脇には公園があったらしい。
滑り台はグニャグニャになっていたけど、なんとか倒れずにギリギリのところで持ちこたえていた。
ブランコは意外なことに、座面が全て健在であった。
津波をうまく受け流したのだろうか。
だが支柱は無残にねじ曲がっている。
元は食事処だと記憶している建物の残骸の横に腰掛け、僕は同行のメンバーに松川浦の思い出について語った。
もう行くことはできないけど、あの向こうは細長い砂洲になっていて、海と松川浦とを隔てていたんだよ。そして穏やかな松川浦にはたくさんの小島があり、養殖いかだが浮かんでいたのだよ。浅瀬には貝や小魚もたくさんいた。
本当に素敵なスポットだった。
あの豊かな自然は、またいつか戻るのだろうか…。
絶望に潰されそうになる気持ちを抑え、今日も僕らはボランティアに向かう。
震災の年の夏は、まだまだ苦しい
僕は、「なぁ、もう一度松川浦に行けるかどうか、試してみようぜ」って同行者に提案した。
2011年の夏、福島県南相馬市の復興イベントにお呼ばれした後のことだった。
時系列は上記リンクと同じ日となる。
僕らはイベント参加を切り上げると車に乗り込み、ボランティアしたときの思い出の地を巡ってみることとしたのだ。
前回の震災直後は、北からも南からも試したが、松川浦に行けなかった。
今回はどうだろうか。
…早速だが、松川を示す標識が傾いており、この後の不穏な未来を暗示しているように感じた。
まずは南側から…。
うむ、案の定通行止めであった。
バリケードの前には誘導員の人がいて、「この先は入れないよ」って言われちゃった。
北側からのアプローチは最後に試したいので、次は対岸から遠望できるかどうか試してみたいと思う。
ここで今一度松川浦の全容をご説明しよう。
これで形状をなんとなくご理解いただけると思う。
次に僕が向かうのは、上図の「今回目指す地」の部分だ。
右側に細長く伸びる砂州の次くらいに眺めが良いだろうと推測したのだ。
到着した。…が、周囲一面はドロドロであった。
上の写真、水平線に沿って地面があるのがわかるだろうか。あれが津波を被った道路のある砂州の部分だ。
浅瀬に浮かぶ美しい小島。
津波で一部崩壊したのだろうか、よく見ると新しい断面があるし、足元には破片と思われる岩がゴロゴロしていた。
左手の遠くには松川浦大橋が見えた。
前述の動画は、この近くから撮影したのだろうな…。ここ一体の海面が、あの橋の路面と同じくらいの高さになったのだ。ホント恐怖しかない。
たぶん津波は、砂州に生えていた木を凪ぎ直しながら陸地に向かって来たのだろう。
海上に散乱している木々は、以前は砂州に生えていたものなんじゃないかと思うのだ。
遠くの砂州と今いる陸地を一緒に撮影してみた。
砂州の木々はまばらだが、まだ生えている。津波を乗り越えた木もあるようだ。
そして津波は僕の足元の岸壁に激突し、コンクリートの壁面をボロボロに破壊したのだろう。
しかし、それだけで勢いは収まらず、陸地に上陸したのだ。
後ろを振り向くと、1階部分に津波が激突した建物がある。
1階部分だけ綺麗に空洞だ。
2階部分は無事なようだが、1階という支えを無くして大きくたわんでいる。
招待されて先ほど参加した「災害ボランティア感謝の集い」では、大きな垂れ幕に『ご支援ありがとうございました』と書かれていた。
…いや、過去形じゃないだろ…。まだまだだろ…。
イベント内ではボランティアへの感謝の言葉などが述べられるが、正直大した活躍をできたなんて思ていないし、まだまだ復興は始まったばかりだ。
まだこんな大変なのにイベント開催して感謝までさせてしまって申し訳ない気持ち、しかしそれと同時に「こうやって少しずつ歩んで振り返って祝って…」ってやることこそが大事なのだろうという気持ち。
それらが入り混じってよくわからない。それが僕の正直な気持ち。
では、松川浦の北側に行ってみよう。
先ほど南側から砂州に入れなかったので、次は北側からのアプローチをチャレンジだ。
…たぶん無理だろうけど、念のためな。
転がって草木に覆われつつあるトラックを眺めながら、松川浦大橋方面に走る。
途中、陸に打ち上げられた漁船も見かけた。
そして震災直後に通行止めであった、松川浦大橋のたもと付近に到着。
しかしやはり、橋方面は通行止めであった。
しょうがない。僕らはまた、そこの付近を散策することとする。
またほぼ同じ角度からの松川浦大橋。
左端の灯台を絶妙にジャマしてくる木の位置まで一緒だ。
ただ、夏草が茂って来た。変化はそれだけ。
前回橋を眺めた、1階がボロボロの食事処も全く変わっていない。
市街地から少しずつ少しずつ、復興に進んできた矢先だ。まだまだこれからの道のりも長いよな…。
そしてこの後僕らは、さらに浜通りを北上して宮城県方面に向かうこととなる。
2年後、復興への歩みを確認する!
2013年の春。東日本大震災から2年が経った。
僕は2年ぶりに、1人松川浦へと車を走らせていた。
「お食事処 たこ八」!
松川浦の内海に面したロケーションのいい場所に建っていたのでランチに立ち寄ってみた。
震災の津波で影響できない状態になっていたが、つい2週間前にリニューアルオープンしたという。
店内ピッカピカだ。なんだか混雑していて食事にありつけるまで50分かかったが、復興の様子を感じ取れたのは嬉しい。
食べたのはホッキ飯だ。
ホッキ貝はここ相馬の名物。でも僕、ホッキ貝自体を初めて食べたかもしれない。
お店の前からは、松川浦の砂州部分が見えた。
どうやらまだあそこは通行止めらしい。水平線に沿って長く伸びる砂州、また走ってみたかったけどな…。
ここは2年前の夏に立ち寄った場所だ。
2年前に「今回目指す地」としてやってきた場所だ。
あのときはドロドロでグチャグチャだったが、現在は潮干狩り券販売所の小さな小屋が立っていた。
そっか、ってことはこの海にはアサリがいて潮干狩りができるんだな。
ちょっと嬉しい。
向こうに見えているのは松川浦大橋。もうお馴染みだな。
あっち方面に少しずつ向かってみる。
はい、途中でスゲーもんが落ちていた。
防波堤だか水門だかのパーツだろうか。よく見ると前回の写真にも写っているのだが、前回不自然に感じなかったのは、そこいら中に異物があったからだ。
2年後の現在は大半の漂着物が撤去されているので、こうして残っているものが異様に見える。
ただ、そんなすぐ脇でも地元の人々は悠々と釣りを楽しんでいる。
そりゃね…、以前はもっとひどい有様だったしね…。
今は辿り着けない、鵜ノ尾岬の向こう側から始まる砂州の道路。
まばらな木々が生えているのが遠くに見えた。
松川浦大橋のたもとに向かった。
震災の年に通行止めになったところよりも少し先まで行くことができた。
橋は渡れなかったけど、見上げるくらい近くまで行けた。そこで車を停める。
灯台。
あの氷の世界を訪問した際に、僕がカメラを落として焦った灯台。
未だ手の届かぬ場所にある。
ただ、今回はこの車を停めた場所にて新しい発見があった。
なんか商業施設を建設中だ!
何の施設だろうか?次にまた僕がここを訪れることがあったら、その答えを知ることができるであろう。
さらに300mほど北に向かった。
津波で流された住宅地跡を活用した駐車場があったので、そこに愛車を停める。
トイレだった建物が!津波で壊されたトイレが!
あの青と白のストライプのデザインをなんとなく踏襲したまま、縦に伸びている!
てゆーか、展望台になっていた。
なるほど。
草むらの中には震災で犠牲になった人々のための簡素な慰霊碑と花束。
復興は進んでいるけれど、あの日のことを思い出すと胸が締め付けられる思いだ。
僕ですらこうなのだから、地元の人のショックは計り知れないものだろう。
さらに少し北に行くと、もう道路の周辺もすごく綺麗に整備されていた。
コンクリートでコッチコチだ。
ここは以前、重機がゴロゴロと転がり、木々にはブルーシートが絡まっていたのだ。
まだ傷は深いが、塞がりかけているのを感じることができた。
過去は無くならないし、失ったものも戻らないし、心の傷は一生残る。
だが、町は再生し新しく生まれ変わることができる。その片鱗を感じた。
10年目の再訪にカタルシスを感じろ!
松川浦大橋渡れ
うわー、ずいぶんと久々になってしまったなぁ…。
正確に言うと近くは何度も走っていたが、キチンとここを訪問するのは久々だ。
震災から10年目の2021年。
実に8年ぶりである。
めっちゃズームを使って、松川浦大橋と灯台を撮影した。
もうね!あの橋ね!走れるんだってさ!!
この写真を撮っただけで僕さぁ、泣きそうになったぜ!
ずーっと待ってたんだぜ!!
ここは「原釜尾浜海水浴場」というらしい。
今までは海水浴場として見れるような状態ではなかったので、そういう名称だと知らなった。
そして今現在は春である上にコロナ禍なので、またもや海水浴の要素が全く感じられない状態。
だけども8年経って様相が大きく変わったことは感じ取れる。
とりあえず展望台に登ったさ。真っ青な海が目に染みたさ。
前回僕が見つけた建設中の商業施設は、「浜の駅 松川浦」となっていた。
すごい賑わっている。
そして食事処も美味しそうだし充実していそうだ。素晴らしいことだ。
浜の駅からすぐにでも松川浦大橋を渡りたいところだったが、まぁ待て。
逸る気持ちを抑えて僕は脇道に反れ、橋を一望できる内海の海岸にやってきた。
8年前に潮干狩り券販売所の小さな小屋があったり、とんでもなく大きいコンクリートブロックが転がっていた場所だ。
今はとっても綺麗な漁港となっている。
天気も相まって、雰囲気バツグンだ。
ただ、潮干狩り券販売所の小さな小屋は消滅していたけど。
ここから眺める鵜ノ尾岬方面。海に浮かぶ島のようで美しい。
では、今からあそこに行くか。
橋を渡り、画面左から右側に突き抜けるぞ。
松川浦大橋の下で、愛車のパオと共に撮影をした。
この橋が再び渡れるようになったのは、震災から6年後の2017年。
しかし当初は橋を渡れるだけでさらにその先の砂州には行けず、砂州まで道路が開通したのは震災7年後の2018年だったそうだ。
あふれ出る感情を抑えられないぜ!
10年以上ぶり!!
久しぶり、橋の向こう側の世界よ!!
素晴らしい天気の日に、左手に太平洋を臨みながら海に架かる橋を渡る。
次の2枚の写真は、冒頭でUPした「氷の松川浦3・4」の2枚とほぼ同じ場所での撮影となるぞ。
左手に見えていたはずの海が見えない。高くて頑丈な擁壁が出来ている。
太平洋岸の各所では、またいつか起こるかもしれない大災害に備え、盛り土をして嵩上げしたり、巨大な防波堤を作ったりしたのだ。
海が見えないのは少し悲しいが、もしまた津波が起きて沿岸部が壊滅したら、その非ではないくらいに悲しいからな。
鵜ノ尾岬の下をくぐるトンネルの直前だ。
頭上には懐かしの灯台が見えている。このあと、あそこまでまた歩くぞ!
鵜ノ尾岬と穏やかな干潟の世界
鵜ノ尾岬の下をくぐるトンネルを抜けるとすぐに駐車場だ。
そこに愛車を駐車した。あの氷と雪の中を歩いたときと、同じ駐車場だ。
灯台に向かって遊歩道の階段を昇ると現れるのが、このお地蔵様たち。
僕も震災前に見て写真も撮ったんだけど、以前は100体くらいのお地蔵様がいたのよ。
だけども震災で流されて、地元の人が捜索したりして、現在はこうして52体が並べられている。
夕顔観音 奥の院だ。
いつの日かも、ここから写真を撮ったよな。
見下ろす砂州。
向かって左手の海側が以前よりも広く太くなり、そしてテトラポットも増量されているように感じる。
奥に向かって伸びる車道も嵩上げされて、高い場所を走るようになったみたいだ。
人工物はずいぶん充実してきたが、失われた自然が戻るまでにはまだまだ年月を要する。
ここからの世界は茶色が多い。
しかし木々の植栽もスタートしているのが見て取れた。
内海に広がる、美しい干潟。
日本2周目の初夏、初めて松川浦を見たときの感動が甦ってきて泣けた。
そうそう、あんな感じの海に続く歩道があったよね。
このあと、またあそこを歩こうか。
鵜ノ尾岬展望台に到着した。
「へりおす慰霊碑」という碑がある。1986年にこの沖で消息を絶ち、9人の乗務員が犠牲となってしまった海難事故だ。
左手には鵜ノ尾埼灯台が見えている。
次はあそこに行こう。
あぁーー、懐かしいなー。こんなだったなー、たぶん。
もう記憶はあいまいだが、いいと思う。記憶なんて、これから新しく作ればいい。
とりあえずね、青空に真っ白な灯台が最高だ。
あの日、寒さと言いながら眺めた松川浦から北の光景。
今は、その1つ1つに思入れがある。
すんごい擁壁の車道、松川浦大橋、青と白のストライプの展望台、浜の駅、重機が転がっていた道路、相馬の火力発電所…。
10年か…。いろいろあったよね。いろいろ変わったよね…。
この光景からしばらく目を離せなかった。
じゃあ、最後に内海の干潟を歩こうか。
一番好きだったポイントだ。
うわわっ、すんごい逆光だ。まともに目を開けられない。
なんという明るい世界。戻ってきた世界。
あのときはこの干潟の中にたくさんの貝がいたよな。きっと今は、また戻ってきているだろう。
さっき書いた通り、自然が元通りになるのはずっと先だろう。
もっともっと干潟が豊かになって、植栽した木々は津波で流された木のかわりに高く強く育って…。
もう10年?いや、20年?
僕らの次の世代にも続くプロジェクトなのだろう。
道のりは長い。果てしなく長い。
だけども、僕らはきっとコツコツ歩いていくことができるだろう。
未来は眩しいくらいに明るいだろう。
そうだな…。
次はまた10年後、ここを訪れてみようか。
その頃は、僕は日本何周目かな?
8周目くらいにはなっているだろうか?
僕だって進化するんだぜ、楽しみに待っていろ。
愛車の乗りこむと、長年走りたかった海上道路を使い、砂州を疾走する。
なんという素晴らしい日。
さらば、松川浦。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 松川浦
- 住所: 福島県相馬市尾浜
- 料金: 無料
- 駐車場: あり
- 時間 :特になし