週末大冒険

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ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.355【岩手県】高田の松原の「奇跡の一本松」…!またいずれ松原復活の日を夢見て…!

陸前高田に、かつて「高田の松原」という景勝地があった。

残念ながら僕はそれを見ていながらも写真に収めたことがないまま、2011年3月11日の東日本大震災津波で1本を残して壊滅した。

 

それが「奇跡の一本松」と呼ばれている松の木である。

まぁこの一本松も2011年の秋くらいには枯死してしまうんだけどね。今僕らが見ているのは、もう命のないサイボーグなのだ。

 

 

では、最後の一本すらも死んでしまって高田の松原は完全に全滅したのだろうか?もう復活しないのだろうか?…いや、実は未来に希望を抱ける情報があるのだが、それは最終章で記載しような。

 

それでは、震災直後のまだ一本松がかろうじて生きている時代から現在までを追いかけてみよう。

 

 

2011年、まだ一本松が生きていた頃

 

久々に高田の松原に到着した。

まずは道の駅の特徴的な建物が津波でボロボロになっていることに心を痛めた。建物の中をいろいろ見たりしたのだが、その話はまたいずれかの機会に書こう。今回の対象は奇跡の一本松だ。

 

最期の一本松1

しかし、ここから松原まではどういけばいい?

松原は対岸に横たわる砂洲にあったと記憶しているが、その砂洲がもうほぼ消滅している。さらにそこまで行く道も津波で無くなっている。

そもそも2kmほどに広く存在していた松原の中のどこに奇跡の一本松があるのだろうか。

 

最期の一本松2

再び愛車に乗り込んで付近を1往復する。

すると遠くに一本だけ高くそびえる木が見えた。

 

最期の一本松3

あった!あれか!南端に近い部分だね。国道からは200mくらいだろうか?津波に覆われた部分を歩かなければいけないので、愛車は国道沿いの空き地に停めておこう。

 

足もとがガタガタになっている中、ボロボロの建物とかガレキの山を横目で見ながら一本松を目指す。日差しが強くて暑い。気温は27℃もあるらしく、汗ばんできた。

 

最期の一本松4

あぁ、これが奇跡の一本松か。見上げるほどに大きい。10mはあるのかな?

本当に何もない荒野の中、一本だけしっかりと立っているのだ。まさに奇跡。

 

もともと江戸時代初期にこの地に6000本ほどのクロマツが植えられたのが高田松原の始まり。その後、松の本数は7万にもなり、日本百景に認定されたりもした。

観光客は年間100万人にも及んでいたそうだ。

 

最期の一本松5

しかし2011年3月11日の東日本大震災に伴う10mを超す津波により、たった1本を残して全ての松が消滅してしまったのだ。

災害の失意に沈む人たちに対し、この松がどれだけ希望を与えてくれたことか。復興の象徴なのだ。

 

最期の一本松6

この一本だけが残った理由としては、松原の中でも古くて大きな木であったこと、津波をこの「陸前高田ユースホステル」が防いでくれる位置にあったこと、さらには津波の引き並みを背後のバイパスの高架が防いでくれた、などの奇跡が重なったためだと言われている。

 

だがしかしだ。

これらの写真はかなり貴重だからよく見ておけよ。この1ヶ月後にはこの一本松は枯死してしまうのだから。これは一本松がまだ生きている激レアな写真なのだ。

 

最期の一本松7

震災直後の春にはまだ元気だったこの松も、津波による海の接近と地盤の沈下に伴う塩害で、徐々に状態が悪くなってきた。

みんなが必死にポンプで海水を汲み出したので、2011年には初夏には新芽すら出るほどに復活した。

 

だけども盛夏あたりからどんどん弱ってきた。

付近には浸水を食い止めるためのバリケードや、海水を排水するためのポンプが設置されているんだけど、それだけじゃ防ぎきれない様子だ。

 

最期の一本松8

どうにか元気になってくれればいいけれど…。

僕は祈るようにこの一本松を見上げた。

 

しかしその願いは叶わなかった。

2011年10月ごろの調査で、根がほとんど腐っていて再生できないとの決断が出た。従い、もう延命治療は無駄だ多判断され、水を汲み出すポンプ類の稼働も停止してしまったとのことだ。残念だ…。

 

 

2014年、宇宙基地のような世界

 

陸前高田に近づくと、思いもよらない建造物が宙を縦横無尽に侵食して度肝を抜かれた。

 

巨大コンベアー1

しかしなんだここは…??

以前と光景が変わりすぎ。一面ガレキだったところは更地にされたあと、縦横無尽に太い配管が頭上を駆け巡っている。宇宙基地みたい。

 

巨大コンベアー2

ベルトコンベアーだな、これは。津波対策の土地のかさ上げのための土砂を運ぶために一時的に造られている、今しか見られない建造物。

これにより、トラックだと9年かかる土砂の運搬をわずか2年半で終わらせるのだ。このコンベアーの全長は3㎞もあるそうだよ。

 

巨大コンベアー3

ベルトコンベアー、ガタンゴトンとすごい音が鳴り響いている。砂煙が一面に舞っている。まるで火星の基地のようだ。

周囲はその工事関係と思われる大型トラックが絶えず行き交っている。

 

この異様な光景、音やにおいや砂煙の感覚、この期間にここにいた人しかわからないだろうな。これも復興のひとこま。見ることができてよかった。

 

巨大コンベアー4

というより…、「奇跡の一本松」はどこ?

変わりすぎてどこだかわかんねー。ひとまず、この工事に携わる車両ではなく部外者も駐車してOKそうな駐車場があったので、そこに愛車を停めたのだがね。

 

巨大コンベアー5

駐車場の道路側に立っているヘルメットを被った工事車両の誘導員のおじさんに「奇跡の一本松はどこですか?」って声をかけてみる。

すると「昔はここいらにあったみたいだけど、どっかに持って行っちゃったんじゃないかなー?」と言われた。


えぇぇーー!!なんてこったい。そんなことしたのか!?

奇跡の一本松、引っこ抜いて撤去されたのか!??

 

巨大コンベアー6

一瞬絶望するんだけど、周囲を見渡したらこの駐車場、「奇跡の一本松駐車場」って書いてある。

あるじゃねーかよ、一本松!!おじさん、自分がどこに立っていたのか自覚なし!!

 

巨大コンベアー7

ここから一本松までの距離は1kmほどありそうだ。

これがもし景色がいいのであれば、1㎞程度はなんてことは無い距離だ。

だけどもここは白濁してホコリっぽい空気、ベルトコンベアの轟音とトラックの走行音、そして不快な暑さ…。ちょっとシンドい予感だぜ。

 

無機質な道のりを淡々と歩く。同じような観光客がチラホラいるのがせめてもの救いだな。

 

巨大コンベアー8

「希望の架け橋」という名前の巨大な吊橋が見えてきた。

ベルトコンベアー用の吊り橋というという非常に珍しい橋。主塔の高さは40m・塔柱間は220mもあるそうだ。

 

巨大コンベアー9

"陸前高田市が早く復興するように"と明るい未来への架け橋になるよう、市内の小学生から募集して名前が決定したのだという。

土砂の運搬用に短い年月存在するだけの橋だけど、これが未来の陸前高田を作るんだもんね。

 

巨大コンベアー10

あと10年・20年もしたら、きっと大半の人が忘れてしまうことだろう。

この地がこうやって復興してきたということを。この橋があったということを。

 

巨大コンベアー11

僕自身、記憶が薄れていくに違いない。だからこそ、今しか見られないこの光景をしっかりと写真に収める。五感で感じたことを記録に残す。

 

エンバーミング一本松1

見えてきた。ベルトコンベアーの向こうに見えていた。奇跡の一本松が。

 

前述のとおり、奇跡の一本松は2012年になるころにはもう完全に枯死していた。今のアイツはそれを解体して、人間でいうところのエンバーミング的な処理を施してまた元の様に組み直したものだ。

 

エンバーミング一本松2

今までは見慣れない風景だったけど、ここの沿岸部ギリギリまでくれば、確かにこの一本松の立っている位置は昔のままだったと理解できる。

陸前高田ユースホステルもあのときのままだ。このまま震災遺構として保存するのかな?

 

エンバーミング一本松3

一本松も見た目は同じだが、枯死した後にいろいろ処理を施された。

幹は5分割されて中身をくりぬき、鉄骨を入れて強化してある。

根っこは切り取られて別の施設で保存してある。枝葉は精巧に再現された複製品だ。そして避雷針を頭上に設置した。

そんな姿ではあるが、復興のシンボルであることには変わりない。

 

エンバーミング一本松4

わずかにその名残の見える高田の松原。次来るときには、もうこの面影もなくなっていることだろう…。

往復で30分強かけて駐車場に戻った。まだ朝だというのになんか体が汗とホコリでベタベタしちゃった。

 

 

2016年、解体される土砂運搬施設

 

空、スッキリしたな。

 

解体される施設1

そう感じたのは、2016年夏の夕暮れの訪問時だった。前回と同じ駐車場。だけども空中を走るベルトコンベアーはもうなかった。

つまりはかさ上げ用の土砂運搬作業はもう終わったのだ。震災からは既に5年以上が経過している。復興事業は次のフェーズに移っているのだろう。

 

解体される施設2

土砂の運搬は終わったのだろうが、土地の整備はまだ終わらない。

前回同様、工事のフェンスは設置されたままだ。そんな工事エリアの奥の奥に、奇跡の一本松がある。

 

解体される施設3

向こうの山には巨大なモジュラージャックみたいな穴が開いている。今まではあそこからベルトコンベアーが伸びていたのかな?

…てゆーか、あなたはモジュラージャックを知っている世代?近頃は電話機を設置している家も少なくなったし、あったとしてもその接続口をまじまじと見る機会ってあんまりないからピンと来ない表現だったかな…??

でもモジュラージャックなんだよ、あの山は。

 

解体される施設4

希望の架け橋は、今まさに解体中だった。

主塔の上の部分がちょっとずつ解体されているし、橋の両側の部分は存在しない。幻の橋よ、お疲れ様でした。僕はこの光景を忘れない。

 

解体される施設5

あ、一本松の背後に立派な防波堤ができている。

これはここに限ったことではないけれども、今後津波が来ても大丈夫なように、沿岸部は軒並み高い防波堤が築かれつつある。

海とともに見える景色が少なくなってしまうことに残念な気持ちもあるけど、また津波で同じような被害が起こることのほうがもっと残念だから、これはきっと受け入れるしかない決断。

 

解体される施設6

夕闇の静かな海面と一本松。まるで時が止まったようだ。

本当にそうなのかもしれない。ユースホステルはあの日のまま保存されているし、一本松は成長することも枯れることも、もうないのだから。

ユースホステルは、このまま震災遺構として残される予定となっているそうだ。

 

解体される施設7

僕は植物も好きだ。

日々ちょっとずつ成長する姿、残念ながら枯れてしまう姿、それを追いかけることが好きだ。だからフェイクグリーンはあまり好きではないのだ。

生命があり、寿命があるからこその美しさ。人間も同じことが言える。不老不死になってしまったら、人間も植物もちょっと味気ない。

前回見た時と1ミリも変わっていないのだから。

 

解体される施設8

だけどもこの奇跡の一本松については、それが大事なのだろう。

偉人の銅像と同じように、人々を鼓舞した姿を未来永劫残すのだろう。

僕もまた来るよ。陸前高田の未来へと進んでいく姿を確認しに。

 

 

2017年、整備の進む陸前高田

 

2017年は、実はここを2回訪れている。春だけでなんか2回来た。

うち1回は3月11日だ。つまりは震災の日だ。被災地を巡りながらいくつかのセレモニーなどを見たりしていた。

その行程で、高田の松原も訪問したのだ。

 

整備される沿岸部1

駐車場から一本松への道のりはさらにきれいになっている。周囲はどんどん埋め立て・堤防建設・盛り土が進んでいるのだ。

ただ、いたるところで工事がガンガン行われているので、一本松までの道のりは工事地帯を迂回・迂回ですんごい距離だったよ。来るたびに迂回距離が長くなっているな…。かなりの歩行距離。

整備される沿岸部2

あ、まだ一部は震災のダメージが残っているのだね…。かつての道路がひび割れ、そして途中で消滅したままで残っている。

 

整備される沿岸部3

わわっ、とっくにもう撤去されて埋め立てられたと思っていた、かつての松原の名残も少しだけあるではないか。

一本松ばかりにフォーカスされるけど、こういった松原そのものの残存部分も忘れたくはないなぁ…。みんなこっちにも目を向けてほしい。

 

整備される沿岸部4

もう何度も見上げた奇跡の一本松。

今日も変わりなく立っている。変わりないけど、何度も眺めたくなる姿。そのために毎回僕はここまで歩いているのだ。

 

整備される沿岸部5

今回は頭頂部にかなりズームしてみたぞ。

梢のやや左側、白い避雷針が設置されているのがおわかりだろうか?この木がサイボーグ化されてしまった痕跡の1つだね…。

 

整備される沿岸部6

その2ヶ月後、僕は落ち合った旅友と共に再びこの地を踏んでいた。

堤防がすんごいできている。もうユースホステルが目立たないくらいにそびえている。

 

整備される沿岸部7

周辺はガシガシ整備されていっている。

何がどうなるのかよく知らないが、この一帯が震災祈念公園として整備されるというウワサは耳にしている。

被災した道の駅 高田の松原も一緒に保存するみたいだな。

 

整備される沿岸部8

河口に水門も作るらしい。

平成32年までかかるそうだが、平成時代ってどうやら31年で終わるらしいね。陛下が最近引退表明をされたから。

でも、次の時代の名前はまだまだ決まるまでには時間がかかるそうだから、今は平成32年としか書けないよね。

 

整備される沿岸部9

あぁ、新しい水門は向かって右側のものだね。

左側は以前からあるもので、「川原川水門」という。津波を食らってもう動かなくなってしまっている。それに対し、右側に新しいものを作り始めているのだ。

調べると、川原川水門は新しい水門ができたら撤去されるそうだ。

 

整備される沿岸部10

堤防の内側には、まだ少しだけ松原の残骸が残っていた。

でも立ち枯れの木々はどんどん朽ちて減っているよね。

 

整備される沿岸部11

では、また来るよ。

 

 

2019年、かつての姿に思いを馳せて

 

6月末だというのに、寒い寒い日であった。雨が降っているせいもあったのかもしれないが、しっかりと長袖を着こまないと凍えてしまいそうな日であった。

 

小雨の記憶1

かつて空中にベルトコンベアーが張り巡らされ、トラックが行き来していた駐車場。

なんだか土産物屋などもできて一気に観光色が強くなったな。これはこれで喜ばしいことよ。

 

小雨の記憶2

しっかし寒いな。そして風も強く傘を握る手にも力が入る。

看板には『風が強いので気をつけてください!』の手書き文字。なんだこの優しさの不意打ちは。泣けちまうだろ。

 

小雨の記憶3

整備はされているが何もない大地が続いている。これ、嵩上げ工事を頑張ってやったんだろうな。

来るたびにちょっとずつ道が変わったり高低差が変わったりしていたもんな。なんだかんだで、こうして大地ができた。そこに花が咲くのはこれからだ。

 

小雨の記憶4

謎の階段が出てきたりする。

今までなかった高低差。そして次に来るときにはやっぱりないのだろうなって思える、仮設の階段。これも一期一会。

震災後、これだけの土砂をもってきて、あたり一面標高を高くしたのだ。そりゃあれだけのベルトコンベアーをフル稼働する必要あるよね。

 

小雨の記憶5

『高田の松原津波復興祈念公園をつくっています』、だそうだ。

奇跡の一般松へのアクセス、良くなる?芝生を突っ切って行ける?毎回毎回途方もない距離なので、どうしてもそこに目が行ってしまう。

あと、写真下部に濃い緑のカーブが作られている。おぉ、これもしかして松原を復活させる計画なのか!?

 

小雨の記憶6

一筋縄では一本松に行けない。

通り過ぎてから戻る感じになっていないか?まるで迷路のようだ。寒い。

 

小雨の記憶7

だがもうすぐ、このグチャグチャの大地が綺麗に整備されるのだろう。その過程を毎回見られてうれしいぜ。

そして今回も変わらぬ一本松が見えてきた。震災から8年。もうずいぶん長い年月が経ったね。でもこうしてまだ沿岸部は復興作業の真っただ中なんだな。

 

小雨の記憶8

陸前高田ユースホステル。震災2ヶ月前の2011年1月から長期休館に入った矢先に震災の被害を受けた。

休館中だったので被害者はゼロだったらしい。それは幸い。

 

かつては松原の中に囲まれて建っていたようだが、今はそれを想像することすら難しい。執筆していてふと思ったのだが、僕の知っているこのユースホステルの姿は、この渡り廊下が折れ曲がった姿だけなのだ。

往時の若者や旅人で賑わった姿も知りたいな…。

 

小雨の記憶9

ただね、今回母親を案内した目的の1つがこれだ。旅人の先輩でもある母親は、かつてここに宿泊したことがあるそうで。

海を眺める絶景の食堂でご飯を食べた記憶があるそうで。

 

小雨の記憶10

思い出の場所がこうして無残な姿になるのって切ないよね。建物も人も一本松も、震災前まで生きていたのに。

僕も今まで多くの被災地を巡ってきた。震災前にも訪問したことのあるスポットについては、心をえぐられそうになるぜ。

 

小雨の記憶11

新しい水門はずいぶんできて来たな。

その足元に小さな木々がピョコピョコ生えているが、あれは何?もしかしてすでに新松原の植樹がスタートしている!?おぉ、だったらテンション上がるぜ!

小雨の記憶12

帰り際に見かけたノッペリした施設。『高田松原国営追悼・祈念施設(仮称)をつくっています』という横断幕が掲げられていた。

さぁ、もうすぐこの地が生まれ変わるぞ。

 

 

202X年、これから始まる新しい時代

 

日本6周目も後半に入っている。僕は再びここにやってきた。

 

新しい時代1

前章のラストで見た施設は、2021年に全面供用となったそうだ。

道の駅だとか祈念公園・伝承館などが合併した一大施設になっている。

 

今回の記事では奇跡の一本松にスポットを当てたいので、道の駅 高田の松原のかつての姿から現在に至るまでのお話はまたいつか機会があったら書きたいと思う。

 

新しい時代2

なので、実はこのとき賑やかになった道の駅を覗いて買い物したりだとか、伝承館での生々しい被災状況の展示物を見たりもしたんだけど、その話には今回は触れるのはやめておこう。

 

新しい時代3

2021年時点で、4万本の松の苗木を植樹したそうだ。

なんとそのうちの600本は、かつて高田松原に生えていた松の子供なのである。

実は震災前の年に松原でクリスマスリーフ用の松ぼっくりをたくさん拾っていた人がいたらしい。その松ぼっくりから600本の松が誕生したのだ。

 

新しい時代4

その松がちゃんと育って"松原"と言えるようになるには、50年かかるらしい。

それでもみんな頑張るんだよね。

未来に生きる人たちのため、この震災の記憶を消さないため。ちょっとずつ景観は変わっていっているけど、一本松はこれからも変わらず僕らも見守ってくれるのだろう。

 

おじさんと松

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 奇跡の一本松
  • 住所: 岩手県陸前高田市気仙町砂盛176-6
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.354【宮城県】震災復興を祈り…。看板「がんばろう!石巻」の立つ祈念公園の伝承館へ!

石巻市の沿岸部は、2011年の東日本大震災津波で壊滅的な被害を受けた。

どこにでもあるような住宅地が、一瞬で人が住めないような荒野となってしまった。

 

しかし人々は立ち上がった。

とある水道配管工の方が、焼け野原となった自宅兼店舗跡地に「がんばろう!石巻」と大きく書かれた看板を設置したのだ。

 

 

その後、ガレキが撤去され、津波予防のための嵩上げ工事が行われ、近くにマンションができ、看板の周囲が公園になり、花壇ができて花が植えられ…。

その看板は傷んでくるので2011年の設置から5年ごとに更新され、2016年の2代目、2021年の3代目…と移り変わっている。

 

 

…そんな看板を何度も何度も見に行った話を1年前にしたのを覚えている?

僕はこの3代の看板をすべて見ているんだよ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

よかったら上記リンク先を見てほしい。そんじょそこいらの旅人にはマネのできない歴史を追いかける記事になっていると思う。

2023年3月に執筆したその記事の終盤、綺麗に整備された公園となったこの地を眺め、僕はこんなことを書いている。

 

もっともっとこの復興祈念公園について書きたいけどさ、それはまたいつか機会にしたい。

ちゃんと「石巻南浜津波復興祈念公園」としての独立記事にするからさ。

上の写真の2021年春以降、僕はここを訪れていないけど、この機会にまた行っていいかなぁ…?

 

執筆の1ヶ月後、僕は石巻の地を踏んだ。

 

 

石巻南浜津波復興祈念公園の誕生1ヶ月後

整備された大フィールド

 

まずは少しさかのぼって2021年5月初旬のお話だ。

2021年3月28日に開園したという石巻南浜津波復興祈念公園を訪れた。

 

広大な祈念公園1

うわぁぁぁ!!なんだこの広大で綺麗な公園は!

あの荒野がこんなにも綺麗になるだなんて!

 

これさ、アメリカの大統領がよく演説する「ナショナル・モール」のワシントン記念塔前の広場の絵にすごく似ているわ。ワシントンDCのど真ん中のヤツ。煙突がワシントン記念塔ね。

僕も昔行ったさ。演説はしなかったけど。

 

広大な祈念公園2

ただな、これはここまでを見て来た僕だからこそ感じられるカタルシス

もちろん地元の方、被災された方に比べれば僕の感情なんてちっぽけすぎるけど、それでも「あの状態からここまで来たか…!」って鳥肌立つよね。

 

ちなみに右端に見えている大きな円形施設が伝承館らしい。目の前まで行ってみた。

 

広大な祈念公園3

本来ならばすでにOPENしている日程なんだけど、コロナ禍なので開館させられないんだってさ。残念、またいつか訪問しよう。

 

広大な祈念公園4

向こうに見えている丘が「日和山」だ。桜の名所だし眺めも抜群だが、津波襲来時にはみんなあそこに登って避難したらしい。

 

広大な祈念公園5

山頂の鳥居にズームしてみた。ゴールデンウィークだがまだ少し桜が残っているね。

僕は震災前からあの日和山に通い、何度か桜も眺めている。いつかその特集記事も執筆したいと思っている。

 

広大な祈念公園6

ただただ広い。

よそ者の僕からすると「広いですねー。何もないですねー。」みたいな感じだし、犬からすると「ワンワンワン!(走れる!)」って感じかもしれないが、ここが地元だった方からするとかけがえのない空間なのだろう。

 

広大な祈念公園7

ここもあそこも、町だったのだ。誰かが普通に散歩し、買い物し、くだらない会話をしながら登下校していたのだろう。

そういう何気ない日常は、もう帰ってこない。

 

 

あの頃の町は今…

 

園内には当時の光景を収めた写真パネルがところどころに設置されている。

 

あの頃の町1

冒頭の丘の周辺は、かつてはこのように街を眺めることができた。いや、むしろかつては丘すらなかったのだがね。この丘は、かさ上げした土地だ。

 

あの頃の町2

ギッチリと住宅の立ち並ぶ町。きわめて普通の町並み。

いったい何1000人が生活していたのだろう?あの日にすべてが一変してしまったのだ。

 

あの頃の町3

僕も旅人やっているから気づくんだけど、景勝地もグルメも、自分が撮影しなくってもWeb上でゴロゴロとほぼ同じ写真が出てくる。

一番貴重なのは、何気ない自分の住む町、日常の家族や友人の顔。ふと思いついて探してもそういうのって出てこないのだ。

こういう"当たり前"が、一番の宝物。でも失ったり離れてしまわない限り、なかなか気づかないよね。僕もだ。

 

あの頃の町4

何かの建物の基礎。いったい何があったのかというと、かつての「門脇保育所」だ。

0歳~5歳の子供たちが通園していたらしい。毎月避難訓練をしていたので、そのときと同様に0歳児はおんぶ、1・2歳児は車両に乗せ、3歳児からは走って高台に向かったそうだ。

だからみんな無事に避難できたそうだよ。訓練って、ホント大事だよね…。

 

あの頃の町5

パネルにはかつての保育園の様子や震災直後の保育園、そしてみんながどのように高台にある「石巻保育所」まで避難したかのルートがパネルで残っている。

 

あの頃の町6

この溝は「聖人堀」という江戸時代の水路。

2000年ごろに水路にはふたをして暗渠のようになっていたのだが、この公園整備にあたり昔のようにむきだしの水路として復活させたようだ。

 

あの頃の町7

これも水路がむき出しだったころのパネルが展示されている。2世代前の警官が戻ってきたという特異な事例だね。写真左、レトロな車がエモい。

 

あの頃の町8

公園の向こう側、日和山のふもとあたりには「門脇小学校」が見えている。あれも大きな震災遺構の1つだ。

ギリギリまで近づいたこともあるし、ライトアップを眺めたこともある。…が、今回は詳細の執筆は割愛しよう。門脇小学校については、また機会がございましたら。

 

 

時は流れて…

 

以上が、2021年夏の訪問記だ。

震災から間もない荒野のころからドライブで何度も訪れた僕にとっては、見違えるほどに記載になったと思える公園が誕生していた。

 

時は流れて1

全部は歩ききれなかったが、いつか時間のあるとき、過ごしやすい季節のときにノンビリと散歩してもよいだろうと思っている。

 

時は流れて2

2021年はまだ公園が開園した直後なので、植栽も育ち切ってはいない。まだ整備途中の花壇もあった。

しかしこの地に咲く花が、今まで茶色一色だった大地に色を与えてくれている。目に眩しいな。

 

時は流れて3

誰かが住んでいた町。誰かの日常があった場所。

その人の心の傷が完全に癒えることはないのだろうが、せめて美しく彩れればいいと思う。穏やかに回顧できればそれに越したことがないのだろうと思う。

 

時は流れて4

「がんばろう!石巻」の前を、こいのぼりが気持ちよさそうに泳いでいる。

こいのぼりが設置されているポールは、あの日の津波の高さと同じものだ。恐ろしいけど、知っておかねばならない歴史。

 

時は流れて5

それではまたいつか、コロナが落ち着いた頃に再訪しよう。

そのころには今回OPENしていなかった伝承館を見学できるといいな。

 

 

2023年春、伝承館を見学する

沿岸は花に彩られて

 

メチャクチャ話が長くなってしまったが、前項までが前回の以下の「がんばろう!石巻」の看板の記事内に包括してもいいかな…って考えていた内容だ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

だけども上記記事をこれ以上長くするとダレちまうので、別記事「石巻南浜津波復興祈念公園」として切り出そうと考えたわけだ。

 

整備された公園1

2023年の桜の時期である。2年ぶりに石巻にやってきた。

少し前に日本6周目を完走したので、日本6周目を担当した日産パオを2週間後くらいに手放す予定だ。その最後のドライブがここ宮城県の地である。

 

あいにくの天気だが、まぁいいや。また来れてうれしいから良しとする。

まずは前回はまだ開館していなかった伝承館に行く前に、園内を少しだけ散策しよう。

 

整備された公園2

2年前とそんなには変わらない景観だが、それは「ひとまず復興も一段落」と捉えていいのかな?

更地だったころから完成までをちょくちょく眺めていたマンションが写真中央に堂々と建っている。

 

整備された公園3

伝承館ができる前までの小さな小さな資料館、「南浜つなぐ館」。

ここはしばしばお世話になりました。語り部の方ともいろいろお話した思い出がある。生々しい展示と語りには心を揺さぶられたよ。

 

整備された公園4

花がどんどん増えていってるね。

本格的な花のシーズンはこれからなのだろうが、四季折々の花が咲く公園になったら素敵な話だ。人はもう住まなくなったこの地に何を描くのか。この先も見守りたい。

 

整備された公園5

花壇の向こうに「こころの森ガーデンカフェ」というのができている。2年前には建築中だった建物、カフェになったのだな。

店頭でメニューをチェックするとドリンク類のほかに本格的なジェラート、そしてご当地グルメ石巻焼きそばがあった。

うぉぉ、石巻焼きそば食べたい!好きなんだよ!でも満腹なので断念。いつかまた…!

 

整備された公園6

以前は整備中だったところも花であふれている。何度も通った地なので、変化がわかる。それが嬉しい。

 

整備された公園7

昔を偲びつつも、新しい世界を受け入れる時期に来ているのだろう。震災以前の石巻を知らない僕がこういうことを言うと怒られるかもしれないけどさ。

でも、戦後の日本もこうやって復興してきたよね。戦前とは変わった部分も多いけど、戦前よりももっともっと豊かになったよね。

未来に継承する部分もあるけど、その上で変えていかねばならない部分もあるよね。

 

整備された公園8

最後に、3代目となる「がんばろう!石巻」の看板にご挨拶。これを外すわけにはいかない。

この看板があるからこそ、ここが祈念公園となったのだろうから。今や石巻市のシンボルだよね?

 

 

みやぎ東日本大震災津波伝承館

 

それでは、2年前の夏はOPEN時期が遅延したために入れなかった「みやぎ東日本大震災津波伝承館」に入ってみよう。

 

伝承館1

正直言うとな、まずは入口がわからずにグルっと回ってしまった。円形なので正面の概念がないのと、裏口がやや立派であり正面がそこまでアピールされていないように感じたからだ。

これ、工夫してくれるとありがたいかもしれぬ。

 

伝承館2

中は広々としたホールのようで、見学料は無料である。

基本的な形式はパネル展示であり、シアターでの10分ほどの映像上映が定期的に行われるスタイルだ。

 

上の写真にもある通り、『国内観測史上最大級_マグニチュード9.0の巨大地震』が、あの日に発生したのだ。

しかも当然前触れもなく。平日の午後だったのでみんな学校や職場で普通の日々を過ごしていたのだ。震える。

 

伝承館3

しかも津波も来るし、余震もかなりの規模のものが数日で何100回も来たのだ。それこそ、生きた心地がしなかっただろう。この世の終わりのようだったろう。

 

館内には語り部の人が何人かいて、「なんでも気軽に話しかけて」と説明書きに書いてある。

せっかくだから生のコメントをいただきたい気持ちと、何を話しかければよいのかわからない気持ちとの狭間でジレンマを感じる。「あのときは大変でしたねー。大きな地震でしたねー。」みたいな安直なこと言ってもよろしくないかもしれんんしな…。

 

伝承館4

勇気を出して話しかけた語り部の人は、ご自身の体験談のみならず学術的な観点からの地震についても話してくれ、勉強になった。

いや、知っている知識が多かったのは事実だが、それに対し実際に直面した人がどう考えどう捉えているのか、その人の口からきくことに意味があったと思っている。

 

伝承館5

これは震災前のここいらの写真だ。写真中央の緑が日和山だ。

着目いただきたいのはその下。海ギリギリまでギチギチに住宅がある。

 

伝承館6

震災の津波後…。あったはずの沿岸部の家がほぼ消滅している。

津波は来ないだろう」と思った人、一度避難したけど家財を取りに戻った人、足腰悪くて逃げられなかった人、家族を心配して家に向かった人…。いろんな人が犠牲になった。

 

津波は速い。人が全速力で走っても逃げられないし、車でも入り組んだ道では逃げるのは難しい。

いつか見たYouTubeの映像では、仙台近郊に押し寄せた津波から多くの人が走ったり車で逃げようとするが次々に津波に巻き込まれる様子がヘリから空撮される様子が映っていた。ヘリのカメラマンも自信が何もできないことにもどかしさを感じ、長らく苦しんだと聞いたな。

 

伝承館7

シアターは撮影禁止なので写真はない。

白い空間に簡素なイスが並び、僕と同行者以外では2人のみだった。

 

ドキュメンタリータッチで被災者の方数人が語っており、震災前の町の姿、津波の危機、そして失ったものなどについて語っていた。

津波からは逃げるしかない。そのためにも津波の怖さを知っておかねばならない。

 

日本は小さな島国で海に囲まれているし、海のない県の人も海の近くに出かける機会もあるだろう。他人事とは思わず、最低限の知識は得ておいたほうがいいかもな。

震災のときは、「自分は関係ない」って思っている人が真っ先に犠牲になってしまっていると感じるし。

 

伝承館8

あとは、写真パネルで震災前後の様子の展示。それから個人個人で使えるデスクで様々な映像を見られるブースがあったりした。

 

そうそう、この不規則に並んだ館内の柱が何を意味しているのか、語り部さんに聞いてみたよ。

この園内に植林した木々が育ったら、この柱とリンクするようになるんだって。

さらにこの管内の天井はやや傾斜しているけど、一番高い北側の高さが6.9mで津波の高さと一緒なんだって。

 

伝承館9

…しかし、水を差すようだけども僕は考えてしまう。

いつまでこの施設や活動を風化させずに残していけるだろうと。

 

無料とはいえ、地元の人が何度も来るような施設ではない。飽きさせないように展示を入れ替えるなどの工夫も困難。

観光客は来るだろうがリピーターにはなりにくいし、今や東北沿岸にいくつもの震災伝承館があり似たようなコンセプトなので差別化を図りにくいし複数行くだけのモチベーション維持もむずかしい。

地域の小中学生など若い世代はおそらく必ず来るだろうし、必要な体験になるだろうが、それでこの史跡をいつまで維持できるだろう。しかも無料だし。

 

伝承館10

この石巻津波伝承館は2021年のOPENした。震災から10年後だ。

他の地域の震災関連の資料館もいくつも巡っているが、設立されたのはかなり遅いほうだ。これが継続に影響しないといいが…。

 

 

エピローグ

 

寒い。4月なのに曇りの東北の沿岸部はえらい寒いな。

ポカポカだったら園内を散策したかったが、ちょっと無理。今回は伝承館付近のミニマムな散策に留めた。

 

エピローグ1

見上げる日和山の桜が目に入る。どうやら明日は晴れだそうなので、明日にあそこで花見でもしようと考えている。

 

エピローグ2

このブログで、宮城県福島県の記事は東日本大震災関連のものが多く申し訳なく感じている。本当はもっと楽しいことを書きたいし、楽しいスポットを紹介したいのに。

 

でも、旅というのはその土地やそこに住む人たちに敬意を払うことだと僕は思っている。そのためには最低限知っておかねばならぬことがある。

僕は客観的な立場から被災地を見てきた人間としては、他の人より少しだけ経験豊富だと思う。だからこそ、僕の視点でしか書けないことを書こうと思ったのだ。

 

エピローグ3

また来るよ、石巻

日本7周目、温かい時期になったらな。石巻の海鮮は日本トップクラスにうまいと思うので、それもいつかまた紹介させてくれ。

 

以上、日本7周目を旅する旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 石巻南浜津波復興祈念公園
  • 住所: 宮城県石巻市南浜町2‐1‐56
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 伝承館は9:00~17:00(月曜定休)

 

No.353【島根県】レトロ自販機の店「コインレストランかわもと」!中は雅、外は緑で至高!

山あいの、緑に囲まれたのどかなロケーション。横には川が流れている。

そんな"日本昔話"みたいなスポットに、昨今話題のレトロ自販機が設置されているドライブインがあるという。

 

…行くしかねーだろ、そんな素敵ドライブイン

そう思って僕が「コインレストランかわもと」に向かったのは日本6周目の終盤のことである。

あれは気持ちのいい春の朝のことであった。

2024年もいよいよ春になったがまだちょっと寒いよね。ほんの少し季節の進んだ春爛漫を夢見て執筆している。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yama31183/20240225/20240225123106.jpg

 

さて、これがコインレストランかわもとの、富士電機製のレトロ麺類自販機だ。

『ラーメン』・『うどん』と書かれたパネルの自販機。丼の絵も2つ描いてあるが、どっちがラーメンでどっちがうどんかわからないよな。謎の遠近感がベリーGoodだ。

 

…とまぁ語り出したら止まらなくなってしまうので、いったんここは刀を鞘に納めよう。

でも、この自販機からどんな麺類が出てくるのかあなたも気になるよね。それでは本編にいこう。

 

 

山と緑と、川とドライブイン

 

時刻は朝の6時台。車中泊から目覚めた僕は、朝ご飯を目指してハイテンションで疾走していた。

 

聖なる朝

こんなにもキラキラして空気の澄んだ朝。春のちょっとだけヒンヤリした空気が最高。そしてこの交通量の少ない山間部の適度なワインディング。これから向かうドライブインへの期待。

そりゃ1人旅だけども、これだけのステキ要素が一気に押し寄せてきているんだからハイテンションにもなりますって。

 

かわもと外観1

コインレストランかわもとに到着。

こっち側の側面に「ドライブスルー📞」って書いてあるけどどういうこと?あと「コインキャプテン」・「ファックス」って書いてあるけどどういうこと?

 

ドライブスルー📞はギリギリ想像できるし、ファックスはかつてお客さんも使えるサービスがあったのかなって想像できる。

だけどもコインキャプテンはわけわからん。この人生でいろんなキャプテンには会ってきたが、コインキャプテンにはまだお目にかかったことがない。誰か教えてくれ。

 

かわもと外観2

あまりにも清々しいので、ちょっと離れたところから建物と愛車を撮影した。

上の写真に写っている地面は全部このドライブインの駐車スペースだ。駐車線などはなく、フリーダムに駐車できるぜ。

そして左手のツツジが綺麗だな。ちょうどツツジの季節だな。

 

かわもと外観3

これはドライブインから眺める国道261号だ。川は「江の川」。川に沿って国道も緩やかに湾曲している様がわかる写真だね。

いいだろ、こんな道を快晴の朝に走れているんだぜ、僕は。リバーサイドドライブ、楽しかった。

 

かわもと外観4

さらに別角度から1枚。新緑がまぶしすぎる。ウグイスの鳴き声も聞こえる。

控えめに言っても100点満点の朝なのだ。そんな日にここに来れたことが嬉しい。

 

かわもと外観5

ここの営業時間は7:00~22:00。以前は24時間だったそうだが、僕の訪れた2022年現在はこうだ。

そして現時刻は7:05だ。これに合わせて車中泊から目を覚ましたんだよ。僕の本気度、わかっていただけたかな?

 

 

クラシック・ジャパンな空間へ

 

開店直後なので店内は誰もおらず、ガランとしていた。だけども演歌がかかっていて早速クラシックな雰囲気がバツグンだ。

 

和風テイストなドライブイン1

左の壁一面に自販機が並んでいる。その上には『音楽の里 かわもと』の文字。

なぜ音楽の里なのだろう?調べてみるとこの町内の「川本高等学校」がたびたび吹奏楽の全国コンクールで優勝していたんだって。

だから1985年に音楽の里を名乗るようになり、町内の施設は音楽をアピールしたものが多かったり、音楽系のイベントに力を入れたりしているんだって。

 

あと、右手前の侘び寂びあふれる植木が気になる。

 

和風テイストなドライブイン2

なかなかモダンな感じのタイルとテーブルとイス。ヨーロッパのカフェのようではないか。行ったことないけど。

でも天井の草花をまとめたボール(照明か?)が異次元な存在感を放っている。

 

和風テイストなドライブイン3

そしてそこに、この生け花を彷彿とさせる植木群。どう見ても和、だね。演歌もノリノリでかかっているし。

レトロフューチャーな日本がここにあるぞ。なんだかおもしろい空間だ。こういうのを雅(みやび)というのだろうな、うむ。

 

和風テイストなドライブイン4

壁際には日本人形もいた。なかなかに世界観が仕上がっている。なんだかおばあちゃんの家にやってきた気分になってきた。誰もいないのだけがちょっと不思議な世界だ。

 

ところでさ、ここまでの一連の写真であなたもお気付きになったかと思うが、ここメチャクチャ綺麗で掃除が行き届いているぜ。治安もすごくよさそうだ。

こんな朝から22時まで、基本無人で運営していてここまで綺麗で小物などにまで管理が行き届いているのがすごい。

オーナーさんも利用客も、きっと素晴らしい人ばかりなのだろうなぁ…。

 

和風テイストなドライブイン5

今度は自販機群をお店の奥側から撮影してみた。

富士電機製のレトロ麺類自販機が手前に見えているが、ちょっともったいぶらせてくれ。次章で紹介するから。

まずはその他の装備品をご紹介したいのだ。

 

和風テイストなドライブイン6

電気ポット。これから僕が購入しようとしているうどんはアツアツのダシが入った状態で出てくるが、右に見えているカップ麺自販機は自分でお湯を入れる必要がある。

カップラーメン自販機には専用のお湯の出てくるノズルがあるんだけど、それが壊れてしまっているようなのだ。だからそのための電気ポット。

 

着目すべきはそのポットの下の「どんぶり入れ」。

全国のレトロ自販機スポットを巡ったが、こんなキチンとした専用投入口は初めて見たかもな。しかも注目してほしい、投入口のかたちが逆台形で、どんぶりのかたちを模しているのだ。

なんと愛らしい。早くどんぶりをここに投入したいわ。

 

和風テイストなドライブイン7

オレンジの壁に埋め込まれた電子レンジ。ギラギラのシルバーが昭和家電って感じがする。

 

下のゴミ入れの投入口のかたちがユニークで、何を意図してこのかたちになったのが滞在中にずっと考えていられて退屈しない。あなたにはわかるか?

僕の推測は、左の空き缶・空き瓶と同じように丸い穴だったところ、ゴミが入るように無理やり広げた説だ。

 

和風テイストなドライブイン8

トイレの脇にはティッシュの自販機がある。

こういうの、昔々の駅のトイレに売っていたよな。駅のトイレにはトイレットペーパーがついておらず、自分でこれを買う必要があったんりしたんだよな。お金入れてレバーを「ぐいーっ」と下に引くと出てきたんだっけかね?

 

では、待望の朝ごはんタイムといこうぜ。

 

 

日本唯一のかしわうどんと鴎外先生

 

富士電機のレトロ麺類自販機の前に立つ。

 

かしわうどん1

遠近感があるんだか無いんだか、どっちがラーメンでどっちがうどんなんだか謎多きパネルがいい味をかもし出している。

お店ごとにオリジナリティのあるパネルも存在しているから面白いよね、富士電機の自販機は。

 

かしわうどん2

メニューはパネルに記載の通りラーメンとうどんだ。

ただちょっと待て、ただのうどんじゃあねぇ、かしわうどんだ!

実はかしわうどんを販売しているレトロ自販機って、2024年現在ここにしかないのだよ。これ、初訪問の僕としてはかしわうどん一択だろうよい。

 

かしわうどん3

あ、麺類自販機の左側を見てくれ。レトロではないが紙コップ式のドリンク自販機があるぞ。

こういう蓋無しの紙コップ自販機も最近ちょっと見なくなってきたよね。近い将来これも"レトロ自販機"と呼ばれる日が来るのかもしれないな。

 

鴎外先生!

「鴎外先生の珈琲」ってのがある!気になる!

 

現は郷愁に満ちている津和野に生まれ、若き日、ロマンと歴史に彩られたドイツへの留学…。

鴎外先生の人生の旅路の原点に触れる深みと真摯な味わいのオリジナルヨーロッパコーヒー。

魂を揺さぶる本物の味と香り…。

時空を超えてお届けします。

 

おいおいおい!なんだよこのポエムは!!僕のハートを鷲づかみしてくれるじゃないか!

使用している単語1つ1つが中二心をくすぐるし、締めの「時空を超えて」で完全ノックアウトだね。買うよ、買う。

 

かしわうどん4

かしわうどんと鷗外先生の珈琲。ワクワクセットが出来上がった。

ところであなたはかしわうどんをご存じ?

 

かしわっていうのは九州北部の言葉で鶏を指す。かしわうどんは、甘辛く煮つけた鶏肉の入ったうどんなのだよ。九州北側で発祥したものだけど、今は本州などでも"かしわうどん"って単語を聞くこともあるね。

 

かしわうどん5

あぁ、幸せを感じる温度。もちもちのうどんにスッキリしたダシ。ぷにぷにのかしわ。朝でも胃腸に負担を掛けない良いチョイスだ。

途中でとろろも出てきたぞ。全国のレトロ自販機うどんの中でもほんの一握りにしか実走されていないレアアイテムだ。うま。

山椒の葉も入っているぞ。これまたオシャレアイテム。いいアクセント。

 

食後の鴎外先生もいい仕事してくれた。最高の朝だ。

 

出発

こうして幸せいっぱいでドライブを再開するのだ。

いい朝だろ?だから春は楽しい。

そんな季節の訪れに、カンパイ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: コインレストランかわもと
  • 住所: 島根県邑智郡川本町川下1891-3
  • 料金: かしわうどん¥300他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 7:00~22:00

 

No.352【岩手県】東日本大震災から13年…。僕は「十府ヶ浦」の津波記念碑を忘れないよ…。

2011年の東日本大震災から間もなく13年となる。

ずいぶんと年月が経ってしまったようだが、それでも忘れてはいけない記憶だよね。

我々個人が記憶しておくのはもちろんのこと、後の世において万一同様の災害が生じたときにも被害を最小に留めておけるよう、子孫にも教訓として伝えていかねばならないこともあるんだと思うんだ。

 

 

津波記念碑、というものがある。

『過去に津波が起きてこれだけ大変だった。だから後世に生きるオマエらも気をつけろよ。地震が起きたらこうするんだぜ。』っていうことが刻まれた石碑だ。

昔は、こういう集落全体に後々までメッセージを残すのには、石碑を用いたのだ。こんな石碑が日本各地の沿岸部にある。

 

有名なものは岩手県宮古市の姉吉集落のものだ。

津波で集落の人間、2人を除いて全滅した。だからここから下には家を建てるな。』という旨が書かれており、それを守ったからこそ、東日本大震災で40m近い巨大津波に襲われたが、それが起因した被害者はいなかったという。

以下の記事の後半で少し触れているのでよろしかったら読んでみていただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

さて、毎年この時期に取り上げている東日本大震災関連のスポット紹介であるが、今回は野田村「十府ヶ浦(とふがうら)」の津波記念碑を追跡してきた、10年以上におよぶ訪問記を執筆しようと思う。

 

 

震災ジャスト1年前

 

震災のジャスト1年前、つまりは2010年の3月上旬まで話をさかのぼりたいと思う。

この時僕は「三陸海岸を最北端から最南まで全部一気に走破しよう」っていう企画を1人寂しく実行していた。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦1

小袖海岸」っていう海女さんが活躍していることで有名な海岸を観光し、県道268号という海沿いギリギリの狭路から三陸メインルートの国道45号を目指した。

海に近いのに峠道だしチラホラ雪もあるぜ。すごいローカルルートで楽しいな。他の車は全然いねぇし。

 

陸中野田で国道45号に合流し、少しだけ南下すると道沿いにいくつか食堂が出てきた。

おーし、そろそろお腹も減ったのでここいらで新鮮な魚介類でも食べていこうか。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦2

まずは食堂を選定する前に、海岸の見える駐車スペースに愛車を停めた。

どうやらここは十府ヶ浦海岸と呼ばれるスポットらしいな。これまでの荒々しい海岸線とは違い、穏やかな浜辺なのだね。調べてみると、三陸海岸でも珍しい砂浜の海岸らしいのだ。ふむ。

 

この海岸を見下ろす国道沿いには「綿津海(わだつみ)神社」っていう小さい神社もあった。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦3

なんだかすごく年季が入っているな。長い年月この海岸で風雨にさらされてきたからだろう、鳥居も相当に色あせている。

 

ジャスト1年前の十府ヶ浦4

敷地内の奥のほうには「津波記念碑」っていうのがあった。こういうのって初めて見たな。昔津波の被害があったことを示す碑文とかなんだろうか?

 

つい先日(2010年2月27日_チリ地震津波)の津波の件があるので、ついつい津波の言葉に敏感になってしまう自分がいる。

先日の件は杞憂に終わったが、せっかくこれを見たのだ。心に刻んでおこう。

 

十府ヶ浦食堂1

先ほども書いた通り、この近辺にはアットホームな感じの食堂が3・4軒ある。なんとなく海鮮ラーメンを売りにしているところが多いように思える。

ブラブラと歩いて物色し、海に面していてちょっと店内が明るそうな「十府ヶ浦食堂」っていうところに入ってみることにした。

 

十府ヶ浦食堂2

うんうん、いい雰囲気ではないか。一枚板の座卓の存在感がすごいな。

お昼から時間がちょっとずれているのかお客さんがほとんどいなかったので、海の良く見える窓際の座敷席を1人で占拠した。

 

海鮮系のいろんなメニューがある。海鮮ラーメンもいいけど、ご飯ものが欲しいかな。

店員さんにオススメメニューを聞いてみると、「ホタテの養殖をここいらでやっているのでホタテが良い」とのことだ。

イカ・ホタテ・イクラの三品丼にした。

 

十府ヶ浦食堂3

うまいぞ!自慢のホタテはプリップリでうまみが凝縮されている。イカはしっかりとした噛み応え。イクラはもう、僕はどこでどのように食べても大好きだからよくわかんないけどとにかくうまい。


そもそも海を見ながら海鮮を食べれるだけで美味しい気分なのだ。最高のロケーションだ。

食後は座敷席でパラパラとツーリングマップルを見て、「安家(あっか)洞」・「龍泉洞」などの鍾乳洞をこれからハシゴしよっかなって考えた。

そして女将さんに「おいしかったです」と報告し、再び三陸を走り出す。

 

まぁ安家洞はこの時期余裕で冬季閉鎖中で、雪に埋もれた山の中の洞窟の前で愕然とするんだけど、それはまた別の機会に話そうな。

 

 

震災の年の惨状

 

2011年の東日本大震災の発生…。

そりゃもうショックだったわ。しばらくドライブ自粛したり、福島県南相馬市に震災復興ボランティアに通ったりいろいろしたんだけど、そのあたりは割愛な。

 

その年の初秋のことだ。

僕は岩手県の沿岸部をドライブしていた。知っていた景色が全く変わってしまったことに心を痛めながら、過去の記憶をなぞるように走り続けるんだけど、それらも割愛。今回は十府ヶ浦にフォーカスして書くのだから。

 

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野田村付近に差し掛かった時にお腹が減ってきた。

ランチにしよう。どこか付近に食事処はないだろうか、と考えて思い出したスポットがある。

十府ヶ浦という景勝地。そこには震災1年前に立ち寄った十府ヶ浦食堂食事処があったはずだ。そこに行ってお昼ご飯にしよう。

 

面影を探して1

…嫌な予感はしていたんだ。というより、心のどこかで覚悟をしていた。

そして予想は悪い方向に当たってしまった。

 

ひとことで言うならば、1年半前にあったものが根こそぎ消滅していた。

一縷の望みは抱いていたんだけどな。三陸海岸特有のリアス海岸ではなくて砂浜だから、津波の被害は少ないかもしれないなって思っていたんだけどな…。

 

面影を探して2

変わり果てたとはいえ、「ここは確か…!」と思える程度に見覚えのあるロケーションが出てきたので、路肩の空き地に愛車を停める。空き地っていうか、津波で何もなくなった空間なんだけどな…。

 

願わくば、まずは十府ヶ浦食堂が無事であることを確認して安堵したかったのだ。しかしそれは叶わなかった。

 

面影を探して3

食堂があった場所には、数台のショベルカーが停まっているのみ。その向こうには積みあがったガレキの山があった。

なってこった。あれが十府ヶ浦食堂の残骸なのだろうか…。周囲の食事処も一軒もない。全部更地になっていた。津波は猛烈な勢いでここまで駆け上がってきたのだろう…。

 

(2011年当時は)この食堂の人たちがその後どうなったのかという情報は見つからない。無事に避難できていることを心から願う。

 

面影を探して4

"十府ヶ浦"と刻まれた石碑。これ、前回は写真には撮らなかったが、確か綿津海神社の入口にあったはずだ。つまりは上の写真、あのときの神社の境内なのだ。

せめてできる範囲で、その痕跡を見つけたい…。

 

面影を探して5

残っているのはほぼ基礎だけだ。やや左にある四角いブロックは、狛犬だか灯篭だか、何か重たいものが鎮座していたのだろうな。

 

面影を探して5

右にはおにぎり型の句碑がある。『夜や寒し 菅菰からん 十府の人』と書かれていた。

左でペタンとうつ伏せに倒れた大きな石碑は…!!おいこれ!!1年半前に見た津波記念碑はねーか!なんてこった!

津波の襲来に警鐘を鳴らす石碑は、自らも倒れてしまったのだ。

あぁ…、なんとか起こしてあげたい…。

 

ところで写真の後方に小さく映っている三角の石碑には、"金毘羅山神社"と書かれていたよ。

 

面影を探して6

今回のドライブ、わかっていたことだけど心が痛むことだらけだ…。

それでも僕は走る。それでも日本はきっと立ち上がる。…信じている。

 

 

新たに未来に伝えるべきこと

10年経った神社の跡地は

 

時は流れて日本6周目。震災からはおよそ10年の月日が経った。

僕は同行者と共に三陸海岸を北上していた。

 

綿津海神社1

見覚えのある海岸が前方に見えてきた。十府ヶ浦海岸だ。今の十府ヶ浦はどんな感じなんだろう?

 

あの日にランチを食べた十府ヶ浦食堂さんは、仮設住宅での営業を経て今は陸前野田の中心地で元気に営業していると聞いている。それは本当にうれしい情報だ。

少しずつ十府ヶ浦も変わってきているのかなぁ?

 

綿津海神社2

綿津海神社。あの日とほぼ同じアングルでの撮影だ。ガレキはなくなっているものの、きれいな何もない荒野のようになってしまっている。

もう神社はここには復活しないのかな。とりあえず残っている石碑を見てみよう。

 

綿津海神社3

おにぎり型の『夜や寒し 菅菰からん 十府の人』の石碑だ。あの日の津波の跡地でも見たものだ。今は綺麗な台座に乗っている。

しかも左側の細長い黒い石碑、ちょっとなんて書かれているのか確認しなかったけども、これも津波跡地にあったよな。おにぎり石碑の隣で倒れていたものだ。起こされてちゃんと設置されたのだね、よかった。

 

綿津海神社4

敷地の奥に立っている石碑に近づいた。2011年の津波の年にも立っていることを確認した石碑だ。

金毘羅山神社と書かれている石碑。10年経った今もちゃんと当時のままであった。

 

綿津海神社5

この石碑も一緒だ。

ただ、一番見つけたい石碑だけがなかった。それは津波記念碑だ。あの巨大な石碑は一体どこに行ってしまったのだろう…。

まさか処分されてしまった?津波に負けた津波記念碑なんて、もう価値はないと??

 

いや、そんなことはないと信じたい。

僕は同行者に話した。あの日の十府ヶ浦食堂の三品丼のことを。鄙びた鳥居をくぐった先に見つけた津波記念碑のことを。あの碑をまた見たいのだ。

 

 

 

二度と命を失わないように

 

十府ヶ浦海岸から国道45号を挟んだ向かい側に、「ほたてんぼうだい」という施設ができていた。震災から7年目の2018年3月11日にできたピカピカの施設だそうだ。

 

ほたてんぼうだい1

ほたてんぼうだい?変な名前だな。調べてみると、施設そのものがホタテのかたちなのだそうだ。ホタテの展望台ということか。かたちも名前もすごく斬新だな。

 

しかし、そういえば十府ヶ浦食堂の女将さんも「この地域はホタテがおいしいですよ」って言っていたしな。

時間も流れたし景観も随分変わってしまったが、話はこうして繋がっているのだな。

 

ほたてんぼうだい2

ほたてんぼうだいだ。ホタテかどうかはよくわからないが、屋根のウネウネしたウェーブが貝殻をイメージしているのだろうか?

2階が無料展望台になっているそうなので、登ってみる。

 

ほたてんぼうだい3

わりとガランとしている。いい意味で。

ドライブで疲れていたこのタイミングで、ボケーっとするにはうってつけの場所だ。

 

ほたてんぼうだい4

壁にはこの施設を俯瞰で見た絵が飾ってあった。おぉ、マジでホタテじゃないか。残念なのは、本当に屋根がこんな風にリアルなホタテ型なのか確認ができないということだ。

 

だから僕は、執筆しながらGoogleMAPの衛星写真でほたてんぼうだいを見てみた。おぉ、見事なホタテだった。

現地よりも皆さんの手元のスマホ衛星写真を見たほうがホタテ感がわかるというジレンマよ。

 

ほたてんぼうだい5

ただ、この爽やかな風を感じるられるのは現地だけだ。

ほとんど何もなくなってしまったけど、今は穏やかな十府ヶ浦海岸が目の前に広がっている。

2011年の東日本大震災のとき、およそ38mの津波がこの静かな海岸に牙を剥いたのだ。恐ろしいことこの上ない。

 

…あ!

展望台から何か見覚えのあるものが見えた。展望台を降りてそちらに向かう。

 

津波記念碑1

 

津波記念碑!!

 

 

1896年の明治三陸津波で大きな被害を受けたことを示した記念碑である。

なんて久々にこの碑の顔を拝めたのだろう。

2011年の時にはうつぶせに倒れてしまっていたので、正面から見られたのは2010年の震災前以来だ。

 

あぁ、会えてうれしいよ。10年、いろいろあったよね。

…10年以上経った今だから言えることだけどさ、あの頃は誰もが「この先日本はどうなるんだろう…」って考えが頭をよぎっていたよね。僕も実はとても不安だったのだよ。

 

津波記念碑2

その近くの広間の中央に、目立つスタイリッシュな記念碑がある。

これも津波記念碑だ。

…「いつの津波のものか」だって?

 

2011年の東日本大震災だよ。僕も初めて見たけど。

 

津波記念碑3

~ 二度と村民の命を失わないように ~

 

…刺さる言葉だ。悲しい言葉だ。

だけども震災が起きてたくさんの人が亡くなったという事実を、を未来に繋げなければいけない。大切な命を守るために。

 

津波記念碑4

いいかお前ら、心に刻んでおけよ。

誰もが当事者意識でいないと、守れる命も守れないからな。「自分は関係ない」なんてことはないからな。

 

  1. 地震があったら津波を考える
  2. 津波のときは高台に避難する
  3. 避難したら絶対に戻らない
  4. 避難場所や方法は家族や近所で相談しておく
  5. 避難するときは隣近所に声掛けをする

 

命があることに感謝し、この命を未来に役立てていかねばな。

それが亡くなった方々への最大の弔いかもしれない。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 十府ヶ浦海岸
  • 住所: 岩手県九戸郡野田村野田
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.351【大阪府】「大阪城公園」の梅の花は3月中旬まで楽しめる!さぁ春を感じようぜ!!

大阪城公園」。その敷地内には梅林があり、1200本以上の梅の木が植えられている。

梅の種類は複数あるために開花時期が異なり、1月下旬から3月中旬までの長い期間、梅の花を楽しめるという。

 

さて、2024年も本格的に春の足音が近づいてきた。

「もう梅見には遅すぎるかな?」って思っている方もいるかもしれないが、大阪城公園であれば大丈夫だ、きっとまだ梅の花はあなたの来訪を待っている。

 

ところで僕は2月の中旬に実際に見に行ったので、そのときのことをご紹介しようと思う。

 

 

春の香る梅林散策

 

2月中旬のある日。それは全国的に季節外れの暖かさであり、関東も関西も気温20℃を超えるところが出たという。4月下旬並みの陽気なんだって。

札幌も55年ぶりに2月の気温が2桁に行ったとかなんだで、日本列島全体が春に覆われた日。

 

城内に向かう1

これは梅見にうってつけだな。僕はルンルン気分で北外堀のさらに外側に足を踏み入れた。

もうこの辺から大阪城公園っていう位置づけでいいのかな?多くの人がのんびりと散策をしている。左手にはどうやら「大阪城ホール」があるそうだ。

 

城内に向かう2

あれは青屋門。外堀と内堀の間のゾーンに入るための門だ。

これをくぐった瞬間、内堀越しに大阪城天守閣がドーンと目の前に現れた。

 

城内に向かう3

こんな感じだ。写真で見ると「いや、天守閣遠くね?まだ迫力を感じられなくね?」って思われるかもしれないが、肉眼で見るとそんなことないのだ。

高く高く積み上げられた美しい石垣、その頂(いただき)に鎮座する天守閣は荘厳で目を奪われる。写真よりももっともっと存在感を感じる。

現にここの位置で記念撮影をしている人がたくさんいたわ。

 

梅林散策1

梅林は青屋門をくぐって左に行ってすぐである。徒歩で1分足らずで上の写真のような、梅林の入口を示す石柱が登場する。

すでに向こうの方にピンク色の木々が見えており、心なしかふんわりといい香りがここまで漂ってきているぞ。ワクワクしてきた。

 

天守閣はあとで行くし後でご紹介するので、まずは梅林な。天守閣はいつでも見れるけども、梅は梅の時期だけだから優先してご紹介な。

 

梅林散策2

梅林の中は、遊歩道が縦横無尽に張り巡らされており、みんな思い思いにそこを散策している。

外国人の人も多いぞ。日本へようこそ。日本の春はステキでしょ。

人々は花の写真を撮ったり記念撮影をしたり。冬が終わって春が来て。そんな陽気の中でみんなの笑顔もほころんでいるようだ。

 

梅林散策3

僕は梅の種類はよくわらない。木の根元付近には種類を示すプレートが設置されていたりもしたが、正直そこを注視もしなかった。頭上の花ばかりを見ていた。

梅の名前を知りたいのではないのだ。春の訪れを感じたかったのだ。

 

梅林散策4

さぁさぁ、怒涛の勢いで梅の写真をUPしていくぞ。

冬枯れの世界に初めて色が付くのだ。それを目に焼き付け、写真に撮らない理由はない。春の訪れは、1年で最も尊いイベント。

 

梅林散策5

これを執筆しているのは2024年の2月の半ばを過ぎたころなのだが、105品種ある梅の101品種が解かした状態という。

ちょうど最盛期であり、これらの見ごろは2月の末くらいまで続くそうだ。

 

残りの4種が遅咲きなのだろうな。遅咲きの品種は全部で218本あり、それらが3月中旬まで咲き続けるのだそうだ。

200本以上あるのだから充分に華やかだろう。あなたもこれから大阪城に足を運んでも充分に楽しめる算段だ。

 

梅林散策6

ところでこの大阪城梅の花、古来から楽しまれているわけではなく、割と近代に始まったものだ。

始まりは1963年、「大阪府立北野高校」の同窓会が、開校から100周年の記念イベントとして22新種880本の梅の木を大阪市に寄贈したことによるものなのだそうだ。

 

梅林散策7

その2年後の1965年、寄贈された梅を梅林として整備して植樹し、開園したらしい。

その後、現在に至るまで品種を増やしたり本数を増やしたり…。なんだなんだあったが、つまるところ歴史は60年ほどなのだ。だけどもその間に、関西でも有数の梅のスポットとなったのだな。すごい。

 

梅林散策8

梅の本数や品種もさることながら、大阪のシンボルである大阪城を臨む立地に作られたことがポイントの1つであろう。

梅越しに見上げる大阪天守閣は、そりゃもう立派でかっこよくって。

 

梅林散策9

では、次はあそこに見える大阪城天守閣を目指すお話をしよう。

 

 

大阪城天守閣を目指せ

 

梅林もいい。ほのかに香る梅は、1年で最も寒い時期を脱して季節がだんだんと春に向かう様を象徴しているようであった。

だけどもやっぱ大阪城に来たら天守閣が気になるよね。シンボルだもん。

 

天守閣へ1

話は青屋門まで戻る。梅林に向かう際には門をくぐって左に行ったが、天守閣は右だ。

あの日本一高いと言われる石垣の上にそびえる天守を目指そう。

今回のメインターゲットは梅林なので天守閣内部の見学まではするつもりはないが、あの天守の足元までは行きたい。

 

天守閣へ2

あ、御座船だ。大阪城の内堀をおよそ20分かけて遊覧する、優雅なクルージングだ。

そのデザインは、この大阪城を築城した「豊臣秀吉」が朝鮮出兵のときに作った軍艦”鳳凰丸”をモチーフとしているんだって。

 

天守閣へ3

迫りくる石垣を間近に見ながらの航行はさぞかし迫力あるだろう。石垣は30mもあり、さっき触れたとおり高さは日本一。

これをしっかりと組んでいった当時の職人さんの腕がすごすぎだよね。僕だったら頭大の石1つ持ち上げて腰を壊して、初日にリタイアするもん。無駄に現代に生きているだけで、古来の人に勝てる要素が何1つとしてないもん。

 

天守閣へ4

あ、今度はSLか…?

いや、写真ではよく見えなくって恐縮だが、先頭車両は煙突もあってSLを模しているものの、普通の車だ。ロードトレインという名の、城内を観光客を乗せて移動してくれる便利な乗り物らしい。

「ポエェェ~!」とバリバリ電子音の汽笛を響かせると、向こう側に去っていったのでこんな写真しか撮れなった。

 

天守閣へ5

極楽橋という名の、天に召されてしまいそうな名前の橋を渡って内堀の向こう側に渡る。そうすれば後は石垣の間の坂道を上るだけで天守だ。

平日だというのに、ここも非常に多くの人が往来していた。にぎやかだ。

 

天守閣へ6

途中の道すがら、横笛を吹いている渋いおじいちゃんがいた。風流だ。それぞれの方法で春の到来の喜びを表現すればよいと思う。

ところで2月中旬だというのに暑すぎる。

冒頭に書いた通りこの日は20℃ほどの気温だった。一応コートを着ていたのだが、そんなものは坂道を登るのにはいらぬ。

むしろ薄手のシャツ1枚で全然OKだ。暑ィ。

 

天守閣へ7

石垣の間の坂道を上り、いよいよ天守閣の全容が見えた。

ただ、後から気付くんだけども近づきすぎないくらいの位置が一番天守がきれいに見える。ちょうど上の写真のあたりだ。

坂を上り切った、天守と同じ標高の舞台に到達すると天守閣が近すぎてなんだか全体が把握しきれなくなった。天守は巨大すぎたのだ。

 

天守閣へ8

…こんな感じに。「お、おぅ…」ってなった。

しかし立派な天守だ。大阪城は戦国時代の前半からなんやかんやあったけども、豊臣秀吉が築城したっていう見方が一般的だね。

大阪の陣で徳川と戦ってボコボコになったけど、江戸時代に徳川家がまた復活させた。その後に明治維新で燃えたりして、今僕らが見えている施設はすべて近代になってからの代物だ。

 

天守閣は豊臣時代・徳川時代・現代、と3世代に渡って造られている。

今のものは昭和時代の初期に大阪の人たちが寄付したお金で建てられたもの。昭和時代とはいえ再建から90年以上も経っているし、国の登録文化財になっているよ。

 

天守閣へ9

ところで2024年現在の天守閣への入場料金は600円。だけども2025年の春からは一気に倍額の1200円になることが2024年2月中旬に発表された。

日本一高い入場料のお城となるらしい。

 

理由は「豊臣秀吉の時代の石垣を展示する施設も一緒に見学できるから」というものらしいけど、なかなかにブルジョアな価格だよね。過去も現代も、庶民は城主に年貢を献上しないといけないのだね。なるほど納得。

 

天守閣へ10

天守閣の脇の石垣の上に登り、下界を見下ろしてみた。

一段下の芝生はまだ冬色だかポカポカと暖かいこの陽気に触発され、多くの人がひなたぼっこしていた。なんとも平和な景色だ。

 

その向こうに立ち並ぶビル群は大阪ビジネスパークと呼ばれるエリアかな?

過去と現代が、こんなにも近くに同居している。どちらも時代の象徴として青空にそびえていた。

 

 

城内の期間限定ローソン

 

この最終章では、ちょいとユニークな切り口から大阪城を語りたい。それは城内にあるローソンだ。

うん、大阪城の中にはローソンがあるのだ。たぶん豊臣の時代や徳川の時代にはなく、現代になってからの施設だとは思うけど、たぶん。

 

城内ローソン1

これは前述の御座船のチケット売り場だ。しかしよく見るとローソンの看板が掲げられている。

ここではいったい何を売っていたのだろう?足を踏み入れたら強制的に船に乗せられてしまうかもしれないのでビビってしまい、中は覗けなかった。

しかしローソンの看板を掲げている以上、御座船のチケット販売だけということはないのであろう。あぁ、気になる。気になって夜しか眠れない。

 

城内ローソン2

次はこれ、「ローソン S青屋門下店」だ。

日中だけの営業であり、普通のローソンと比べると4分の1くらいの大きさしかない。店舗の外に置かれているアイスのケースがなんだか平成初期みたいな雰囲気だ。昔の駄菓子屋さんとか、お店の外にこんなケースがありそうだよね。

 

中を覗いてみるとまだお昼なのにおにぎりやパンが軒並み売り切れ。最後に残っていた鶏の炊き込みごはんのおにぎりを1つだけ買ってみた。

ちなみにからあげくんや肉まんならそこそこあった。

 

ローソン3

振り買って撮影。「トイレかな?」って感じの大きさの建物にローソンの看板がくっついている違和感よ。だけどもここ、年中無休なんだぜ。大阪城の人気がうかがえるな。

 

ローソン4

さて、最後に一番ときめくローソンをご紹介しよう。

梅林の中にある、梅の時期の1ヶ月ちょいだけしか営業しない、期間限定の激レアなローソンだ。

 

正面に見えるかやぶきの建物。アレがローソンだ。世にも珍しいガチなかやぶき屋根のローソン。梅林に自然に溶け込んでいるコンビニ。

 

ローソン5

「ローソン S梅林店」。

以前はローソンではなく、お土産や甘酒などを売っている商店だったらしい。だがそれが2017年にローソンになったのだそうだ。

梅に囲まれたローソン。そこに多くの人が群がり、買ったものを近くのベンチや石段に腰かけて食べている。こんなにほっこりするローソン、なかなか見ないぜ。

 

ローソン6

店頭では梅関連のお菓子やお土産なども売られている。

では中はどうなっているんだろう。入ってみた。

 

中は普通のローソンとは違い、たぶんかつての商店だったころの名残がある、少しレトロな雰囲気だ。

ただし売っているものは間違いなくローソン。いつものローソン。

僕は思わずホットコーヒーとハッシュドポテトを買ってしまった。いつも屋外でちょこっと一息つきたいときにローソンで購入する黄金セットだ。

 

ローソン7

いつもの味だけど、梅の下で食べるとまた格別だよね。

春のポカポカしたこの雰囲気の中で、多くの観光客と一緒に食べるローソン飯は、僕をこの上なく幸せな気持ちにしてくれる。

でもホットコーヒーが熱い。この陽気ではアイスコーヒーでもよかったほどだ。体が必要以上に火照ってきたぞ。

 

ローソン8

忘れてはいけない、さっきもう1つのローソンで買ったおにぎりだ。

おにぎり、うまい。梅の花、綺麗。これぞ日本の春よ。

2024年春、幸先のいいスタートだな。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.350【青森県】90歳のばあちゃんの焼きおにぎりが絶品!路地裏の小屋「はるえ食堂」へ!

青森駅からほど近い路地に、「はるえ食堂」という小さな小さなお店がある。

戦後の闇市みたいな雰囲気を残す本当に狭い路地に、バラック小屋がギュギュッと並んでいる中の1つだ。

 

"食堂"という名前ではあるが、4畳ほどの広さしかなく惣菜等の持ち帰り販売のみを行っているお店だ。店主は「はるえばあちゃん」という90歳のおばあちゃん。

 

手前がはるえ食堂、奥が後述の奈良商店

このばあちゃんが七輪で焼いてくれる焼きおにぎりが絶品だというのだ。

Webを見ても、「何度でも食べたい」・「ばあちゃんの人柄に心を打たれた」・「おにぎり食べるためだけに青森まで行く」などの愛のあるコメントがあふれている。

 

焼きおにぎりのレジェンドに会いに行こうではないか。

2023年の夏、僕は動き出す。

 

 

プロローグ:雪の日の奔走

 

実は僕は2023年の春に一度このはるえ食堂についてブログで取り上げている。それが以下だ。

特に読まなくっても本記事には影響しないが、たぶん読んでくれた方がカタルシスを感じられるし僕も喜ぶ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ザックリと説明するならば、レジェンド焼きおにぎりのウワサを聞きつけた僕が2023年初頭に雪を踏みしめてはるえ食堂へと向かう。だけどもお店は休業中。

横の「奈良商店」のおばちゃんに聞いたらはるえばあちゃんは骨折してしまったそうで。

 

奈良商店さん

では来月は…、と考えて1ヶ月後に訪問しても休業中。じゃあさらに1ヶ月後は…って思ってさらに訪問しても休業中。

行くたびに横の奈良商店のおばちゃんに「はるえばあちゃんはどうしているかなぁ?」って聞きながら惣菜を買わせてもらっていたので、奈良商店のおばちゃんとも仲良くなってきた。

 

雪の吹き込むはるえ食堂

しかし気になるのははるえばちゃんのことだ。ばあちゃんはもう90歳になるというし、これで引退してしまったのかな…。

って思った矢先、2023年ゴールデンウィークごろに営業再開したという嬉しいニュースを耳にした。

 

僕はスマホを握りしめて「うぉぉ!」と獣のように歓喜の咆哮をした。

行くしかない。それもなるべく早くに、だ。

 

 

青森名物、しょうが味噌おでん

 

2023年初夏。僕は再び青森の地を踏んだ。

あぁ、季節は流れたのだ。前回は周囲すべてが銀世界であったが、今は暑くもなく寒くもなくでとても爽やかな気候だ。首都圏とは全然違う、湿度の少ないカラッとした空気。胸いっぱいに北国の空気を吸い込んだ。

 

のっけ丼で有名な魚菜センター

「青森魚菜センター」。のっけ丼のお店と言った方がピンとくる方も多かろう。市場風の店舗の中を白米の入った丼片手に巡り、好きなお刺身を乗せてオリジナル海鮮丼を作れるのだ。

 

いや、しかし今回の目当てはのっけ丼ではない。

目的地はその奥、既に見えている。ブルーシートに包まれた一角だ。

 

戦後の闇市みたいなゾーン

「あれ?ここは戦後間もない時代かな?」って思ってしまいそうなバラック小屋が連なっている路地。

でも初夏の日差しでブルーシートも生き生きしているように感じた。真冬の豪雪の時期に来たときは、もう肩を寄せ合って寒さをしのいでいるように見えたもん。雪すごくって、道幅もこれの半分くらいだったし。僕は滑ったし。

 

店名より大きい、ねまがり竹アピール

ブルーシート群が始まるところに、各店舗の店名プレートが掲げてある。看板を出して言いないお店もあるので、店名はここでしか確認できなかったりする。

その中の真ん中に、僕の目指す"横山はるえ食堂"の文字もある。もう、たまんねぇな。この年になると涙腺緩くなるよ、まったくもう。

 

各店舗、日差しの中で生き生きと

僕は内心ドキドキしながらこの店舗群の枠を歩く。

はるえ商店まではあと3区画かな…?やっていなかったらどうしようって思っている。2023年だけですでに3・4回、こうしてドキドキしながら歩いては、誰もいない店舗の前でガックリ肩を落としているのだ。

再開したというニュースは聞いているものの、90歳のおばあちゃんなのだから体調に波もあるかもしれない。営業していないかもしれない。そのカクゴも必要だ。

 

小さなお店の中の小さなおばあちゃん

 

営業していた!はるえばあちゃん、いた!

 

 

嬉しいぜ。以前はガランとして寒風が吹き込む店舗を眺めていたが、営業しているとこんなにも物が多く賑やかな店内よ。

しかし小さな店舗。僕はこの写真をお店の入り口から撮影しているが、左右の壁も写っているし奥行きもそれほどないのがわかるだろう。

広さは4畳ほどだろうか?全方位に物がギッチリ置かれており、中央にいるはるえばあちゃんはほとんど歩くことなくそのすべてに手が届く感じだ。

 

僕が来たとき、はるえばあちゃんは店の入口に腰かけたマダムと談笑しているところだった。「こんにちは、焼きおにぎりはありますか?」って聞いてみた。

残念ながらまだお昼だというのにおにぎりはないそうだ。では明日の朝とかならあるのかな?そう聞いてみると「朝はご飯がまだ炊けない。でも明日の昼なら準備できるよ。何個ほしいの?」って聞いてくれた。

 

実際は半分くらいしか聞き取れず、マダムが通訳してくれた。ありがとう、マダム。あなたに出会えたことはビギナーズラック。

ついでにはるえばあちゃんに「写真撮っていいですか?」って聞いたのもマダムが仲介してOKをいただいた。

 

青森のしょうが味噌おでん

ただ、ここままのこのこ帰る僕ではない。

なぜなら店舗の隅で火にかけられたお鍋では、おでんがいい匂いを充満させているのだ。

ちなみにその奥の七輪でおにぎりを焼いているらしい。そのおにぎり、食いたかった…。

 

おでんはこんにゃく・玉子・厚揚げの3品を購入した。

はるえ食堂は"食堂"という名前はついているものの、店舗が狭すぎることもあって中で食べることはできない。昔はイートインできたというウワサはあるけど。

何にせよ今回はテイクアウトだ。宿で食べようか。

 

春うららの包み

おでんは新聞紙で包まれていた。

"春うらら"と書かれ、見つめあうサルの親子の記事。僕は新聞紙の包装の場合、どんな記事が見えているかで占うよ。はい、これ大吉。いいチョイスだ、はるえばあちゃん。

 

おでんパーティー

では、おでんを食べよう。あ、左に写ってるのは僕の好きな泡の出るドリンクです。おでんを楽しむには必須だと思って購入しました。

 

しょうが味噌おでんの魅力

パックの中には味噌だれがたっぷり入っていて、しょうがの香りがした。青森市の名物であるしょうが味噌おでんだ。

戦後、青森の厳しい寒さで凍える人をちょっとでも温めようと闇市のおでん屋さんで始まったのがルーツだ。

あぁ、温まるよ。心が確かに温まる。

 

 

念願の焼きおにぎり

 

翌日の昼のことである。僕は再びはるえ食堂に向かう。

昨日約束したんだもん。絶対行かねば。もう焼きおにぎりを食べるまでは青森を去るわけにはいかないと心に決めていた。

 

焼きおにぎりハンターの心得

はるえ食堂を覗き、ばあちゃんにご挨拶。

「昨日ご挨拶したものです。焼きおにぎりを買いに来たいんですけどー。」と言うと、はるえばあちゃんは「あいよー、あるよー。」みたいな感じで返事をしてくれた。

 

愛しの焼きおにぎり

店内のトレーに焼きおにぎりある!6つある!やった!

なんかゴマがいっぱいまぶしてあるっぽいな。うまそうだ。2つほしいと頼んだ。上の写真は、その残りの4つを撮らせていただいたものだ。

 

ばあちゃんが新聞紙におにぎりを包んでくれている間、僕はばあちゃんに冬からのことをちょっと語ってみた。

年始から何度も足を運んだこと。骨折したと聞いて復活できるのか、正直不安に思っていたこと。復活したと聞いて、ばあちゃんの絶品焼きおにぎりを食べられるこの日を待ちわびていたこと。

 

ばあちゃんと焼きおにぎり

ばあちゃんは「そうかいそうかい、ありがとねー…」と目を細める。

僕は骨折した腕の調子はどうか聞いていた。「まぁまだ痛いけどね。大丈夫。」とばあちゃんは微笑んだ。

そうか、どうかご無理をなさらぬよう。お会いできて本当によかった。

 

この喜びをだれに伝えようか。よしっ、隣の奈良商店のおばちゃんに報告しよう。

1m隣の奈良商店のおばちゃんに声をかける。…というより、どちらのお店も建物の前面に壁もドアもないので僕がはるえばあちゃんと話していた声も丸聞こえだったかもしれないけどな。

 

「おばちゃん、およそ3ヶ月ぶりの僕です」と奈良商店のおばちゃんに声をかける。おばちゃんはどうやら僕のことを覚えてくれていた気配で、「あぁ、お久しぶりね」と言ってくれた。

「あのとき何度も訪問したはるえ食堂、やってたの!」・「おばあちゃんもいたの!」・「おにぎり買ったの!」と小学生女子みたいなテンションで口早に報告した。

おばちゃんも「よかったわねぇ」と合わせてくれた。

 

奈良商店でも惣菜を買っていこう。カレイとサワラを購入した。

はるえばあちゃんがいない間に何度も僕と話してくれた奈良商店のおばちゃんにも感謝だ。このおばちゃんが僕に親身に接してくれたから、きっと僕はまたここに来ることができたのだ。

 

青い森公園

ぶっちゃけガマンできない。なぜなら僕の手の中にあるおにぎりがほんのりと温かいのだ。すぐに食べたい。

歩いていて見つけたのは「青い森公園」。青森らしい、いい名前の公園だ。ここで食おう。

 

新聞は奥入瀬渓流の記事

石段に腰かけて新聞紙に包まれたパックを取り出した。

奥入瀬渓流」の新聞紙だ。あぁ、奥入瀬渓流行きたいな。奥入瀬渓流は春夏秋冬全部行ったことあるけど、今の時期が一番新緑がきれいで好きだよ。

 

焼きおにぎりと対面

焼きおにぎりはこんなビジュアルだ。

正直言うとね、想像していたのとちょっと違った。焼きおにぎりと言えば表面に醤油を塗ったセピア色のもの、っていう先入観があった。

 

しかしこれは違う。塩とほぐした鮭を混ぜたご飯にたっぷりのゴマをまぶし、丁寧に七輪の炭火で焼きあげているのだ。

 

僕にとっての宝石

一般的に想像するもの一線を画す、このバージョンの焼きおにぎりはちょっと他では食べられないぞ。

 

ひと口食べるとゴマの風味が口いっぱいに広がり、そして次に芳ばしさが脳からドーパミンを放出させてくれた。さらには鮭の奥深い味わいが訪れる多重奏よ。

もちろん外側はややカリッとしており、中はもちっとしている焼きおにぎりオリジナルの食感は、あなたの想像通りだ。

 

県庁&裁判所をバックに

至福。とりあえず半分だけ食べ、残りは夕食にする算段だ。

…そして夜である。

 

儀式の準備は整ったぞ

暗い宿泊地の魔法陣(円形テーブルとも言うね)に、儀式のための供物を並べる。魚は奈良商店で買ったカレイとサワラだ。

こういう儀式には酒も捧げるのが常だそうなので、トリスハイボールも用意した。

ふふふふ、完璧だ。

 

うめぇうめぇ、酒もおにぎりもおかずもうめぇ

僕は自分の身に食欲の神を降臨させると、供物をムシャムシャ食べた。そしてトリスハイボールを飲んだ。

幸せである。これで今年も来年も、日本はきっと平和になるであろうぞ。

 

 

盛夏の再会、そしてまたいつか…

 

青森には梅雨はほとんど存在しないと聞いたことがある気もするが、その日は今にも雨が降りそうなドンヨリ天気であった。おっかしいな、天気ではそんなこと言っていなかった気がするのに。

 

梅雨空とバラック小屋

前回からおよそ1ヶ月後、再びはるえ食堂を目指していた。

霧が立ち込めたかのような路地。雰囲気がムンムンである。

 

できたて焼きおにぎりがたくさん

お店を覗くと、焼き立てのおにぎりがたくさんトレーにあった。ナイスタイミングだ。2つ購入し、また温かいうちに青い森公園とかで食べようと思う。

はるえばあちゃんは「あら?見た顔ね。また来てくれてありがとうね。」と嬉しそうに笑ってくれた。

 

雨の降りだす青森市

お店を出たとたん、パラパラと雨が降り出した。これは公園で食べるわけにはいかないな。かといって、せっかくできたての焼きおにぎりを冷ましてしまうのももったいない。どこかいい場所はないものか。

 

上の写真の中央に写っているのは、はるえ食堂から徒歩2分くらいのところにある八百屋さんなんだけど、そこに軒下にベンチが置いてあるのを発見。ここを活用させてもらおう。

ところで上の写真、一番奥にかすかに「田中惣菜」という僕のお気に入りのお店が写っている。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

この記事に興味を示してくれた人は間違いなくこっちも気に入ると思うから、よければ読んでみてね。

ちなみに前章の魔法陣の中に設置した惣菜も、ここで購入したものだったのだよ。

 

ありがたきフリーベンチ

話を戻そう。本日は営業をしておらずシャッターを閉めていた「ヤオケン」という名の八百屋さんの店先。

『ご自由にお座りください』と書かれたベンチに腰掛けた。

 

食欲そそる見た目だな

ワクワクしながら新聞紙を開く。アツアツの焼きおにぎりの登場だ。

ひと口食べれば幸せがこみ上げる。

新聞に書いてあるサラリーマン川柳を読みながら食う。雨が目の前でパラパラと音を立てて降る中で食う。

 

こういうのがね、幸せなんですよ

こういうささやかな幸せ、忘れたくない。

否、なんとなくの確信だけども、僕は今日のこのときのことを生涯忘れることはないだろう。雨の中、八百屋の軒下で食べた、はるえばあちゃんのおにぎりのことを。

 

…また少しだけ時間は流れる。

こっから先は、この記事のエピローグだと思って読んでいただきたい。

 

青森の夏もそこそこ暑い

あぁ、暑いね。関東や関西と比べると湿気がなくって快適だけども、それでも暑いものは暑い。

はるえ食堂の並びの商店群は、ドアもないしエアコンもないだろうから真夏は大変だろうなぁ…。狭い場所で火を使うから熱気もこもりそうだし。

 

屋根も商品も、緑がまぶしい季節

はるえばあちゃんは今日も元気に営業していた。

僕は今回も焼きおにぎりを2つ買う。ただ、今回は家まで持ち帰る魂胆だ。このはるえばあちゃんのおにぎりの味を、家族にも味わってもらいたい。

 

これから急いで帰路について、家まで5時間くらいだろうか?今は昼だから夕食には余裕で間に合う。夏ではあるが、保冷剤で冷やしていけば大丈夫だろう。

 

またね、はるえばあちゃん

今日も焼きおにぎりはできたてだった。

その場で食べたい衝動にも駆られるが、お土産にして一緒に食べたい人がいる。我慢だ我慢。

 

はるえばあちゃんに「またいつか来ます。お体に気を付けて。」とお伝えした。

手を振って見送ってくれるばあちゃんに別れを告げ、僕は家路につく。

 

遥か東北のおにぎり

その日の夜、家でおにぎりを開封した。衝撃だとかで焼きおにぎりは三角というよりパックのかたちに馴染むような感じに形状を変えつつあったけど、大丈夫だ。

冬からの探訪劇、そして夏の数回の思い出などを語りながら2人でおにぎりを食べた。

 

またいつか

焼きおにぎりを噛みしめた。

しばらくは僕は青森を訪れることはないだろう。でも、またいつか食べたいなぁ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: はるえ食堂
  • 住所: 青森県青森市古川1
  • 料金: 焼きおにぎり¥150他
  • 駐車場: なし。近くのコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 9:00~16:00(日曜定休)

 

No.349【広島県】レトロ自販機の「五洋売店」!埋立地の工場地帯で爽やかな朝を満喫した!

広島港にほど近い、埋め立て地の工場地帯の中にある小さな商店。そのお店の店頭に昭和時代に栄華を誇っていた、アツアツのうどんが出てくるレトロな自販機がある。

今ではもう取り扱っているお店も少なく、すごく貴重な自販機だ。

 

それを求めて全国を旅する僕がそこにやってきた。

今回ご紹介するお店の名は「五洋商店」。

 

 

普通だったらついつい見過ごしてしまいそうなほどの小さな商店で、かけがえのない思い出を作れたあの春の日のことを、僕は忘れることがないであろう…。

 

 

朝、広島港の工場地帯を目指して僕は走る

 

清々しいほどに晴れ渡った、ある春の朝のことであった。僕は五洋商店を目指してアクセルを踏んでいた。

朝ごはんにレトロ自販機のうどんを食べたいと思っていたからだ。いち早く食べたい。空気がきれいな朝のうちにうどんを空気のように吸い込みたい。そう思っていた。

要するに腹が減っていただけなのだが。

 

工場地帯の商店へ1

最寄りは広島南道路の出島ICだそうだ。僕は前のめりになりすぎて宇品ICで降りてしまったが、まぁ大した誤差ではない。O型はこういう細かいことは気にしない。

こうして瀬戸内海に突き出た埋め立て地の出島エリアへと入っていく。

埋め立て地の工場地帯だから、当然住宅地などはなくダイナミックな工場や倉庫ばかりが立ち並ぶエリアだ。場違い感がスゲーぞこれ。

 

工場地帯の商店へ2

こんなところに小さな商店なんてあるのか。レトロ自販機なんてあるのか。

…そう心配になってきそうではあるが、大丈夫でしょう。日本には、ホントここにそっくりな工場地帯に小さな商店があり、そこにレトロ自販機があるようなスポットが他にあるのだから。

それは僕の大好きな、神戸の「石田鶏卵」なんだけどな。あそこのうどん、また食べに行きたいよな。

 

おっと話が反れてしまった。僕は今いるのは広島だ。

慎重に地図を確認しながら進み、勢い余ってちょっと通しすぎてしまい、その区画を一周して戻ってきつつ五洋商店に到着した。

 

工場地帯の商店へ3

良い。工場地帯の真っただ中。平らでストレートで広い道が交差する角地にあり、大きな赤い屋根がその存在感を主張している。

だけども全然やぼったくはなく、無機質な工場に赤という名の彩りを添えてくれるような、ほっとできる存在のように感じた。

 

赤い屋根には『たばこ 弁当 ジュース』と書かれている。

僕の訪問時は朝だったので商店は営業開始前だったが、どうやらお弁当やパンや新聞などが売られており、付近の工場で働く人々の憩いの場となっているらしい。

 

工場地帯の商店へ4

なるほど、こういうところのお弁当も食べてみたかったな。それは次回以降の楽しみに取っておこう。

ところで本題のレトロ自販機はどこにあるのだろうか?左側からお店の裏方面に回り込んでみた。

 

工場地帯の商店へ5

あった。ブルーシートの陰となってわかりづらかったが、お馴染みの富士電機製のレトロ麺類自販機がたたずんでいる。

このお店のこの自販機を見るのは初めてだが、いつだって僕はこの富士電機のレトロ自販機を見ると、10年来の旧友に久々に再会したときのような気持ちになるぜ。

ただただ、出会えてうれしい。ここにいてくれて、ありがとう。

 

 

春うららかな自販機うどん、うまいに決まってる

 

さて、それではこの富士電機製の麺類レトロ自販機をまじまじと拝見しよう。

 

レトロ自販機うどん1

同じ規格で作られた自販機であっても、40年も50年も経つとそれぞれに個性が生まれる。それは汚れや傷や劣化であったり、貼り紙やカスタマイズであったり様々だ。

もう、自販機を見ただけで全国のどこの店舗のものかすぐにわかるマニアも多い子おtだろう。僕もその1人かもしれんな。

 

レトロ自販機うどん2

達筆な縦書きの貼り紙が渋い。

しかし食後の器を放置したりゴミを散らかす人もいるということなのだろう。心が痛む。

レトロ自販機の維持は大変なのだ。1日でも長くオーナーさんが自販機うどんを提供できるよう、僕らは感謝しつつ綺麗に店舗を使わねばなるまい。容器やゴミの放置、ダメ、絶対。

 

レトロ自販機うどん3

メニューは2種類。肉うどんと天ぷらうどんであり、前者は300円で後者は250円だ。んーと、天ぷらうどんにしようかな。

お金を入れてボタンを押すと、20秒ちょいのカウントダウンが始まる。そして0になるとともに取り出し口からアツアツホカホカのうどんの登場だ。この瞬間が人生で最も幸せだ。

 

あ、うどんの写真はちょっと待ってね。席についてから公開するから。

 

レトロ自販機うどん4

お箸や薬味などは自販機のすぐ脇にセットされている。容器や残り汁の回収用のバケツもある。

ご覧の通り、とても心がこもった親切な設備だ。自販機は無機質なものかもしれないけど、レトロ自販機はその向こうにオーナーさんの人柄も見えるように感じる。

お店はまだやっていないしオーナーさんがどのような方かはわからないが、きっとレトロ自販機を愛するいい人だ。感謝。

 

レトロ自販機うどん5

このお店にはテーブルは無いものの、座って食べるためのベンチならある。簡易的な屋根のあるあそこのベンチに座って食べようか。

僕はうどんを持ってそこへと移動した。

 

レトロ自販機うどん6

これが天ぷらうどんだ。ふふふ、七味唐辛子をなかなかヤンチャなボリュームでかけてしまったよ。好きなんだ、七味唐辛子が。

 

具はかき揚げとかまぼこ。かき揚げはふっこふこの衣で綺麗な円を形成している。なにこのゆるキャラみたいなフォルムは。食べるのを躊躇しちゃうくらいにかわいいじゃないか。

こんなまるまるとした自販機うどんのかき揚げは、他には徳島県の「横田自販機コーナー」くらいでしか見たことないかな。あそこのレトロ自販機、もう廃業しちゃって残念な限りだな。そんなことを考えながら食べる。

 

レトロ自販機うどん7

ダシは濃い部分が底にたまっているので少しかき混ぜてから食べるのがおススメだ。

朝の胃腸にもジワッと優しく染みわたるようなダシ。春のこの日差しとさわやかな風にとてもよく合う味わいだ。麺ののどごしも爽やかだ。

 

まだ静かな工場地帯の朝。ポカポカの容器の中で僕はレトロ自販機のうどんをすする。ちょっとこれさ、かなり幸せ。

こういう旅の朝を迎えられたことが、今心から嬉しい。

 

 

オーナーさん変更を乗り越え、今後も生きる

 

後から知ったことだが、ここは2021年にオーナーさんが代わったらしい。

2021年の8月にオーナーさんが亡くなられてしまい、それ共にこのレトロ自販機もいったんは稼働を停止した。存続の危機だった。

 

自販機復活劇1

しかし五洋売店は復活した。別の方がオーナーを引き継ぎ、そしてその年(つまり2021年)の11月にレトロ自販機も再開してくれたのだ。

レトロ自販機の運営ってすごく大変だそうなのに、なんというありがたい話よ。

 

僕の訪問はその半年後だったわけだが、まだ上記のような再開を知らせる貼り紙がしてあった。

当時は「故障でもしていたのかな?」って思っていたが、こういう理由だったわけだ。

 

自販機復活劇2

しかも朗報が1つある。

2024年現在は、この写真の一番右側にあたるところにもう1つ富士電機製のレトロ麺類自販機が設置されているのだ。

2022年初頭には設置されていたというWeb情報もあるので僕の訪問時にはなぜなかったのかナゾだが、結論として2024年現在は2つある。

 

神奈川県の「中古タイヤ市場 相模原支店」のように多くのレトロ自販機をジャンジャン導入して半ばアミューズメント施設化しているようなスポットだったらともかく、こういう昔ながらの個人商店でレトロ自販機を増大するというニュースはほぼ耳にしたことがない。

だからこそすごくうれしい情報だ。

 

自販機復活劇3

僕が食べ終わるくらいのタイミングで、続々と4組くらいの人たちが自販機麺を目当てにやってきた。

「これがレトロ自販機。美味しいのよ。」とほかのメンバーに紹介する複数名グループ、慣れた感じでササッと購入して車内で食べるタクシー運転手、笑顔で丼を運ぶ父子…。

 

先代オーナーさんの意思を受け継ぎ、現在のオーナーさんもしっかりと自販機を管理してくれている。その様子は前章に語った通りだ。

だからこそ、こうして今も変わらず地元の方に愛されているのだろう。

そんな光景を垣間見れて、僕は朝から幸せだ。

 

出島西公園1

最後に、五洋売店とは直接は関係ないが、お店から出島の埠頭をさらに500mほど先端方面に進んだところにある「出島西公園」をご紹介しておこう。

 

食後にあまりにも満ち足りたので、埋立地を走行時にふと目に入ったここの公園でしばしくつろいだのだ。

 

出島西公園2

新緑がまぶしくて、風がさわやかで。グラウンドもあり、遠くで子供たちが球技にいそしんでいた。

僕はベンチに座り、レトロ自販機うどんの余韻に浸る。春の朝、なんて平和なのだろう。

 

出島西公園3

こうして僕は旅を再開する。

ありがとう五洋売店。次は日本7周目にて、2台目の自販機から麺類を購入するとしようじゃないか。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 五洋売店
  • 住所: 広島県広島市南区出島2-14
  • 料金: 天ぷらうどん¥250他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.348【青森県】三陸海岸最北端「葦毛崎」!古城のような展望台は戦時中の軍事施設だ!

"三陸海岸"って大体誰もが耳にしたことあるよね?

リアス海岸で有名だ。僕も小学校の頃から社会の時間かなんかで習い、「海岸ギザギザじゃねーか!すげぇ。いつか僕も現地でギザギザを実感したい。」と思っていた。

 

ところでその三陸海岸はどこからどこまでを指すのかご存じだろうか?

これは諸説あるのだが、青森県八戸市の鮫角(さめかど)から宮城県石巻市万石浦までを指すのが一般的のようだ。その距離、総延長で600kmだ。

おおまかに地図で示すと以下のようになる。

 


鮫角は明確なスポット名ではない。

これが示すとすれば「鮫角灯台」、あるいは灯台のすぐ側にある「葦毛崎(あしげさき)」を指すこととなるそうだ。

 

では、今回はその葦毛崎と鮫角灯台について執筆しよう。

とりわけ葦毛崎については好きなスポットで、10数年通っている。全部の訪問時の写真をご紹介するとえらいことになっちゃうので、うち5回分の訪問記録をミックスしてお届けしようと思う。

 

これが最南端の万石浦

あ、せっかくなので最南端の万石浦の夕焼けを撮影した写真もオマケで掲載しておくね。ここもいいスポットだぞー!

 

 

西洋の古城のような展望台

 

僕が葦毛崎を好きな理由の1つ。それは展望台がとってもカッコいいという点だ。

展望そのものも大事だが、展望台のデザインも大事。まずはその「葦毛崎展望台」にスポットを当てたい。

 

要塞展望台1

寒い寒い時期の、少しどんよりした写真をまずはご用意した。そりゃ青空の展望台も大層ステキなのだが、ここは曇っていても絵になると勝手に思っている。

 

どうだい?なんとなく西洋の古城のように見えてこないかい?そして僕の勝手なイメージなのだが、西洋の古城ってこんな感じのドロドロした天気がとても似合う」と思ったりしている。曇っている方が「過酷な運命に立ち向かう」って感じで力強さを感じるっしょ。

 

要塞展望台2

ほとんど同じ構図だが、これは夏の早朝5時ちょっとすぎに撮影した。

さて、この展望台はなんでこんなデザインなのか。「石造りにしたらカッコいいかなー?」って感じでたまたま造ったのか。それとも本当に西洋の古城などをモチーフにしたのか。

 

実は、ここは幕末に国外の船を監視するために砲台が設置されており、さらには第二次世界大戦のときには軍がレーダーを設置していたそうなのだ。

つまりはガチの軍事施設を居抜いて展望台にしたのだ。

そんな名残があるからこそ、この物々しいテイストの景観なのだ。

 

要塞展望台3

夏の昼間の濃霧の中で撮影したお気に入りの写真である。

この近くに「蕪島」っていう3万羽のウミネコが舞うとんでもない神社があってよく行くんだけどね、そこはすごい晴れていたの。そこからここまでのわずか2㎞でメタクソにガスった。なにこれ。

 

ただね、霧は濃いけど、霧の中の岬ってのも絵になるね。幻想的。

夏の野に咲く花と一緒に撮影したらすごくいい感じになった。このあと再び走り出したらまたすぐに霧は晴れたし、ここだけ粋な演出してくれて今は感謝している。

たぶんだけど、この岬の北と南で地形が大きく違うから、気温や気候も違っていて、それがぶつかり合って霧になっちゃっただけなんじゃないかな?

 

要塞展望台4

日本6周目の真冬の夕景。耳がちぎれんばかりの寒風の中で見上げた要塞展望台。いつきてもここは心を打つような景色を見られる。

にもかかわらず、そんなに観光客は多くない。駐車場も大抵は充分なゆとりがある。もっとみんなに知ってほしいスポットの1つだ。

 

要塞展望台5

これは日本6周目の終盤、直近で訪れた際のものだ。

文句なしの快晴。あぁやっぱ快晴はいいよね。なんだか見上げているこっちまで誇らしい気持ちになるよ。

長い戦いの時代を終え、平和を勝ち取った後のお城のようだ。物語のエンディング。

 

要塞展望台6

ここまで似たような写真をモリモリご紹介してきたが、何気に展望台の上部の写真はこれ1枚しかなかった。

中央に円形のベンチのある広場。どうだい、爽快感があるだろう。ここからの眺めについては次章でお見せしよう。

 

 

遥かなる三陸海岸の始まりを臨む

 

冒頭でご説明した通り、葦毛崎から南側にリアス海岸の日本代表である三陸海岸がスタートすると言われている。展望台からその始まりのポイントを見ることはできるかなぁ…?

 

三陸海岸の始まり1

これは南側を眺めたときのものだ。

付近は遊歩道が連なっており、「種差海岸」というこれまた僕のお気に入りの景勝地まで歩くことも可能だ。寒いし風が強いので歩かないけど。車で行くけど。

 

目線が低いからあまりよくはわからないけど、沿岸の地形はそこそこワイルドなようにも感じる。少なくとも浜辺で海水浴ができるような平和的な気配は感じられない。

 

三陸海岸の始まり2

続けて北側の写真。とてもギザギザで危険極まりないシルエットだ。

もうすでにこの展望台のちょっと来たからリアス海岸が始まっているのかもしれない。2㎞北の蕪島はまだ穏やかな顔をしていたから、ホントここのすぐ近くで大きく海岸の様相が変わったのだろう。

このギザギザが、ずーっと宮城県石巻市まで続くそうなのだ。600㎞も。壮大な物語だな。

 

三陸海岸の始まり3

例の霧の日の写真がこれだ。海霧で手前部分しか海は見えないが、岩礁は光に照らされてコントラストがクッキリしている。

この時の写真、全部好き。

 

三陸海岸の始まり4

霧の中の岩礁にフォーカス。霧の中に牙をひそめているようだ。打ち寄せる波が白く砕け散っているところからも、その荒々しさを感じさせる。

海水浴はおろか磯遊びをするにも危険なレベルの岩礁だ。リアス海岸、攻撃力が高ェぞ。

 

三陸海岸の始まり5

そんな荒々しさを絶妙にマイルドにしてくれ、そして色鮮やかにまとめ上げてくれるのが手前の草原だ。黄色いのはハマナスの花かな?

夏の早い時期に行くとこんな光景を見ることができる。北国の海沿いの夏を感じさせるひとこまだ。

 

三陸海岸の始まり6

快晴で穏やかな日の海。申し分ないほどに綺麗だが、せっかく三陸海岸を見るなら風のある日、波の打ち付ける姿を見るのが粋かなって思ったりもする。

 

…って感じで、「明確にここのポイントから三陸海岸が始まる。地形が変わる。」って程にはわからない。

しかし、確かにここ近辺から岩礁地帯が始まるのは、周辺をドライブしつつこの展望台に登れば感じ取ることができるんじゃないかな。

 

駐車場のホロンバイル1

最後は後ろを振り返って駐車場を眺めよう。緑豊かでのどかな立地。

右端にオシャレな建物が見える。あれは「ホロンバイム」というカフェレストランだ。カレーやパスタもあるけど、観光客は店頭で気軽にソフトクリームを買っていくケースが多いように感じられる。

 

駐車場のホロンバイル2

今回の写真では取り上げていないけどさ、僕もすっと昔、初回にここに来たときは同行の仲間と共にここでソフトクリームを食べてひといきついたんだ。そんな思い出のお店。

ソフトクリーム片手に展望台から眺める三陸海岸は、なかなかにいい記念になるかと思うぜ。

 

 

日本の灯台50選、鮫角灯台へ

 

冒頭で書いたが、三陸海岸北端の地は"鮫角"と定義付けられている。この鮫角という名前を持つスポットは鮫角灯台であり、この灯台三陸最北端のポイントとなっているのではないかと考える。

つまり、「地形的な最北」は葦毛崎だけど、「名称的な最北」は鮫角灯台みたいな感じなのではなかろうか。

お互いの距離はとても近いので、一緒に訪れてみるといいかもしれない。

 

葦毛崎からの鮫角灯台2

どのくらい近いかというと、若干ズームはしているものの葦毛崎の展望台から見た鮫角灯台がこんな感じだ。

直線距離で200mちょっとしか離れていないところにある。とはいえ葦毛崎から行くには大きく迂回しなければいけないのでアプローチがやや厄介ではあるが。

名前こそ"葦毛崎”・"鮫角灯台”と関連性はないが、"葦毛崎灯台"という名称でも妥当な位置にあるのだ。

 

葦毛崎からの鮫角灯台2

道がわかりづらいくで面倒なので、僕もここには葦毛崎ほどには頻繁には訪れてはいないが、それでも数回は行ったことがある。

 

初めて行ったときは、北側にある蕪島から南下しつつ向かったんだったよな。

走っていると『鮫角灯台 1㎞』という看板が出てきて、「あぁたった1㎞だったら行ってみるか」ってなったのだ。

 

鮫角灯台1

その1㎞がまぁまぁハードコアでストロングスタイルだった。

いきなり分岐が出てきたの標識が標識がなかったりして出鼻をくじかれたけど、大体の予測で進路を決めた。

サラブレッドを育成している「タイヘイ牧場」の横を通過するんだけど、そこは未舗装だったりして。

 

鮫角灯台2

海の近くなのにその気配がゼロ。この先に灯台があるのかかなり不安になるようなロケーション。

それに対向車が来たらすれ違いも無理だ。もっとも、対向車はおろか灯台周辺で他の人を見かけたことすらないんだけどな。すごく静かな立地なのだよ。

 

鮫角灯台3

こうして辿り着いた、鮫角灯台の駐車場。そこそこ広くて自販機もある。

 

…ただ、一点注意だ。Webを見ると「駐車場がない」・「10分歩いた」・「5分歩いた」のようなコメントが散見される。

おかしいな、僕は毎回灯台の足元まで車で行っていたんだけどな。直近の日本6周目でも行けたんだけどな。

ルールが変わってしまっている可能背尾もあるし、曜日によって異なる可能性もある。なのであなたが行く際には少し時間に余裕を持っておくとよいな。

 

鮫角灯台4

灯台を見上げる。こうして写真で見ると大きいように感じるが、実際は22.73mで特段大きくはない。

灯台の足元からの眺めもすごくいい…って程ではない。葦毛崎展望台と比べてしまうと、どうしてもね…。

 

しかし驚くなかれ。この灯台はすごいのだ。

なぜなら「日本の灯台50選」に選ばれている貴重な灯台だから。これすごいんだぞ。周囲全部海で、かつ岬だらけで灯台だらけの日本において、そのTOP50に入る風光明媚でかつ価値のある灯台ということなんだから。

 

鮫角灯台5

どうやら「八戸港」を行き来する船の目印になっている灯台ということもあり、航海上の価値は非常に高いらしい。それは納得。

 

岬の知名度が高いわけでもないし、アプローチがややわかりづらいし、灯台自体が高くて大きいわけでもないし、人がたくさん来るわけでもないし、灯台の周囲に何もないけども。それでも50選なのだ。それが尊い

 

鮫角灯台6

実は、冬以外の週末は一般人も登れる灯台である。

常に公開されているわけではないので、日本に16基ある”参観灯台”には残念ながら含まれないが、準参観灯台と言っても良いだろう。

 

あなたも行く機会があったら登れる日を目指してみるといい。

僕は登ったことはないが、この灯台に登ればきっと葦毛崎を含めたリアス海岸を見下ろすことができ、三陸海岸の北端もしっかり判断できるかもしれない。

そんな報告を待っている。

 

 

エピローグ

 

最後に、自己満足のために書かせていただきたい項目がある。

あれは2022年初秋、日本6周目で2回目の葦毛崎展望台を訪問したときのことだ。

 

遥かなるシルバーフェリー1

展望台から左に鮫角灯台、そして右には八戸市街の沖合を臨む構図で写真撮影をしていた。
その際に「あっ!」って思った。写真の赤丸の部分だ。次の写真でズームしてみるね。

 

遥かなるシルバーフェリー2

八戸港と北海道の苫小牧港を結ぶシルバーフェリーの船である。

何を隠そう、僕は数時間前まであの船に揺られていた。そして八戸港に到着後、朝市でご飯を食べたり蕪島を観光しながらここ葦毛崎展望台に辿り着いたのである。

 

僕を乗せた船が遥か北海道へと帰っていく。僕の北海道を巡る旅がこうして終わる。

いいタイミングでお世話になったフェリーの後姿を見送ることができ、胸が熱くなった。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

葦毛崎

 

  • 住所: 青森県八戸市鮫町日蔭沢
  • 料金: 無料
  • 駐車場:あり
  • 時間: 特になし

 

 

 

鮫角灯台

 

  • 住所: 青森県八戸市鮫町小舟渡平
  • 料金: 無料
  • 駐車場:あり
  • 時間: 特になし

 

No.347【青森県】麺2玉分で400円!!吹雪の中、焼きそば専門店「後藤食堂」で満たされた!

この令和の時代においても、焼きそば並盛(麺2玉分)がわずか400円で食べられる焼きそば屋さんがあるという。

それを聞いて胸の奥が「キュン…♡」ってときめいた。

 

この国には数多くのラーメン専門店はあるが、焼きそば専門店はそこまで多くはない。家で食べる焼きそばもおいしいが、外で焼きそばを食べたいのだ。

安ければ尚のこと嬉しい。

 

「小」で充分に満腹

お店の名前は「後藤食堂」。

"食堂"って名前からしていろんな料理が出てきそうな気はするが、ストイックな焼きそば専門店だ。

 

僕は日本6周目においてこのお店を2回訪問する。

特に思い出深いのは、今からおよそ1年前の2023年2月の吹雪の中で目指したときのことだ。

では、2回分のエピソードをマージして執筆するので聞いてくださいまし。

 

 

吹雪の中をひたすら歩いて

 

青森市内はドカ雪だった。いや、地元の方々から見たら恒例なのかもしれないが、少なくとも僕にとってはこれまでの人生の中でなかなか見ないレベルの積雪だった。

 

雪中行軍1

僕はスーツケースを引きずりながら後藤食堂を目指して歩いていた。あぁ、車は訳あって近くにはない。少なくとも青森駅から後藤食堂までは歩くのだ。

 

雪は降り続ける。ここいらの人みんなそうなのだが、雪のときに傘はささない。フードを被る。傘をさすと片手が埋まるし、雪は縦横無尽に舞うので意味がない。

フードがあれば、あとでサラサラの雪をはたくだけで全く問題がないのだ。だから僕もフードを被ることを覚えた。

 

雪中行軍2

なんかさ、駅から遠ざかるにつれて歩道のコンディションが悪くなってきているんだけど…。

そりゃそうか、周囲を見てもだんだんと歩いている人が減ってきた。序盤の1.5kmほどはアーケードつきの商店街だったんだけど、今はもう足元には"白"しか見えない。

 

こんなところをスーツケース引きずるのはハードモードすぎる。

スーツケース自体が雪を全部抱き込んでくれている。重てぇ。なんだこれ。キャスター仕事しろ。

 

雪中行軍3

ゲラゲラゲラ。見てよコレ。歩道の中に細いスラローム出来てら。

どうやら雪降った次の日は最初に歩く人がフロンティアとなってこういう道を作るらしいね。車道を除雪した雪が歩道に積もっているポイントなどは、ご丁寧に雪の階段ができていたりもする。職人がいるのだな、雪の。クリエイター的な。

 

これだけ狭いと、こちとらスーツケースあるか対向から人が来たらマズいんだけど、歩いている人全然いないからいいや。

スーツケースの幅ギリギリなんだけど、かまわず左右をゴリゴリぶつけながら歩く。

 

雪中行軍4

ふぉう!なんて美しい除雪!これも歩道だよ。

だけどもこれは明らかに除雪機を使っているね。轍みたいな跡があるし。

歩きやすくて感謝。これぶっちゃけ後藤食堂に向かう道ではないんだけど、歩いてみたいから歩いた。

 

青森駅東側MAP

わかりやすいよう、ちょいと地図を書いてみた。

現在地のあたりで、もう歩道の除雪もあまりされていないゾーンとなった。無理矢理歩道をスーツケースを引きずって歩くより、車通りすら少ない車道を歩いたほうがいいかもしれないぞ…。

 

周囲に注意しながら車道の脇を歩くんだけど、ところどころ圧雪されていて足を滑らせそうになる。

車道で転んでもしタイミング悪くそこに車が来たら死ぬから注意だ。

タクシーが運良く来たら拾いたい気持ちにもなるが、タクシーも見かけないし。

 

雪中行軍5

終盤の難所、川に架かる橋だ。歩道がない!車道も雪で相当に狭くなってきている!

そしてこの橋、微妙に高低差があって中央に向けてゆるーく弧を描くように高くなっているタイプだ。ほんの数10cmの高低差の坂道なのだろうが、雪道ではそれがシンドい。

横を通る車も僕をチラチラ見て警戒しながら通り過ぎてくれる。気を使わせてゴメン。

 

ふひぃー、疲れた…。

橋の攻略後は後藤食堂まであとわずかなのだが、雪の降り方が激しくなってきた。

 

雪中行軍6

後藤食堂が見えた。2回目の訪問だから遠目でもわかる。写真の右端の建物だ。

しかしもう雪が深くて足はもつれるしスーツケースの制御が大変だし。左に見えているバス停付近まで来たときにちょうど路線バスが後ろから来て、「あれ?乗るの?乗らないの?」みたいな感じで僕のすぐ脇をゆーっくりと走っていて怖いし。

 

雪中行軍7

最後の200mにえらい時間をかけたが、ようやく後藤食堂の交差点正面まで来た。

ちゃんと暖簾が出ている。よかった、泣きそう。これで営業していなかったら僕、立ち直れないところだったよ。

 

 

もちもち絶品焼きそば

店内もなかなか渋いぞ

 

後藤食堂1

ようやく辿り着いた後藤食堂。感無量。

ひたすら降り続ける雪の中でも見える青い暖簾のなんとも心強いことか。

 

…というより、この1年半くらいで暖簾のデザインを変えたようだな。前回訪問した2021年夏はグレーの暖簾だった。青の方が雪の中で目立つので好き。

 

後藤食堂2

『後藤(太)やきそば』って書いてある。店名は"後藤食堂"だけども、焼きそば屋さんなのだ。

(太)ってどういう意味だろう?太麺ってことか??

 

ちなみにだが駐車場は店から同をを挟んだ斜めくらいのところにある。前回は車でここまで来たのだ。駐車場の位置はお店の外壁にイラスト入りで丁寧に書かれているよ。

 

後藤食堂3

これは初回訪問じの写真だが、入口から見た店内はこんな感じだ。カウンターが5席ほど、そしてその後ろに4人掛けのテーブルが3つほどの規模のお店だ。

 

まずはお店のおばあちゃんに「スーツケースで来たんですけど、入口付近とかに置かせてもらえますかー?」と聞く。

おばあちゃんは目を丸くした後、「大変だったわね。そこいら辺に好きに置いていいですよ。」と優しく答えてくれた。

 

後藤食堂4

店内一番奥のテーブル席からの光景がこれだ。

昼どきなので4人ほどの先客がいた。この天気でも普通にみんなここに来るのだ。大体半数くらいの人は持ち帰りにしていたよ。

 

では、メニューをご紹介しよう。

 

激安焼きそば1
  • 焼きそば 小 300円
  • 焼きそば 並 400円
  • 焼きそば 大 450円
  • 焼きそば 大々 500円
  • 卵焼きそば 小 350円
  • 卵焼きそば 並 450円
  • 卵焼きそば 大 550円
  • 卵焼きそば 大々 600円

 

以上だ。安い。

"大々"っていう表現、なかなかレアだな。そして大以降は卵代が50円から100円にUPしている。倍の量の卵を使ってくれるのかな?

 

ところで、「これだけ安いのだから大にしようか…」みたいな考えはかなりデンジャーなのでご注意いただきたい。

 

激安焼きそば2

"並"でも麺の量が2玉なのだ。当然食品ロスを出さないようにオーダーしないといけないのだ。

僕は"小"以外のサイズを頼んだことがなく、他のお客さんのをチラ見した程度であるが、並は「めっちゃ食うぞー!」みたいなテンションだったり普段から大盛に慣れている人が頼んだ方がいい。普通の1人前は"小"だと思っておいた方がいい。

"大々"は…。アレはもう山だよ。4玉あるらしい。

 

僕は2回とも卵焼きそばの"小"だ。

卵っていう単語に弱くてね。しかも50円だ。つけない手はないであろう。

 

 

卵焼きそば小サイズ

 

激安焼きそば3

厨房の中でおばあちゃんが大きな中華鍋で丁寧に焼きそばを作る。先客の方の分を作り中なので10分待機した。

 

あ、ところであなたがここに行く際の注意なのだが、くれぐれも時間に余裕をもって訪問してほしい。多分これは雪の日で相当に空いていた。

初回訪問時は夏の週末の昼間という繁忙時間帯だったが、たぶんラッキーで空いていた。

タイミングを誤ると40分待ちなどザラであり、ひっきりなしに持ち帰りオーダーの電話が鳴り続けている状況だというのだ。

このお店はそういうレベルの大人気店なのだ。

 

…ってことで出てきたのがこの焼きそばである。

 

激安焼きそば4

初回訪問時の焼きそばの写真も貼っておくね。同じメニューだからわざわざ掲載する必要もないんだけど、あなたの食欲を煽りたくってさぁ。

 

"卵"とは、薄焼き玉子を指す。表面にテローンとタオルケットのように優しく掛けてくれるのだ。ユニークだ。うまそうだ。

 

激安焼きそば5

ふぁはっ!うっま!!

やや太めの麺に、ちょっとだけ濃いめの味付け。写真だと少しギトついているように見えるかもしれないがそんなことなく、サクサク食べ進めることができるアッサリ食感だ。

具は豚肉とキャベツだけかな?麺にほんの少し青海苔をまぶしているようにも感じられる。

 

基本シンプルなのにすごくおいしく感じられるのは、ソースや麺にこだわりがあるから?それともここまでの苦労で感極まっているから??

 

激安焼きそば6

卓上にはいくつかの調味料がある。

一番大きいのはソースかな?そういえばお店のおばあちゃんは、お持ち帰りのお客さんにもソースが必要か聞き、追加で必要な人には小さな使い捨てボトル入りのソースを入れていた。

僕は追加ソースは不要だな。これだけで充分味がある。ほしいのは紅ショウガだ。アイツはいいアクセントになるぞ。

 

激安焼きそば7

色も味もいいアクセントとなった。うますぎ。

こんな安くてうまいお店が近くにあったら、そりゃ通うよな。地元の人が続々と来る理由がとてもよくわかるぜ。

 

激安焼きそば8

※ 執筆しててまた食べたくなった。メチャ行きたい。

 

 

雪を乗り越え、市街地へ

 

食べ終わった僕は考える。これからの帰り道はどうしようかと。

まぁ行きと比べると道や雪の状態も把握できているしエネルギーもチャージできたので少し難易度は下がるかもしれない。

でもぶっちゃけ言うと、もう嫌なんだ。雪道でスーツケースと一緒にヨタヨタしたくはないんだ。駅まで2.5kmもあるしな…。

 

青森市街地へ1

おばあちゃんに「ごちそうさま。おいしかったです。」と言いながらお皿を下げ、ついでに「もう帰りは歩くのが嫌なんでとりあえず青森駅までタクシーで行こうと思うんだけど、一番近くのタクシー営業所はどこですかねぇ…?」って聞いてみる。

 

おばあちゃんは「だったら私が電話してあげるわ」と提案してくれた。おばあちゃんマジ優しい。

結果、10分ほどでお店の前までタクシーが来てくれるようだ。

昼のピークを過ぎたためか、もう店内にはお客さんはいない。このままここで待たせていただくこととした。

 

夏の思い出1

待っている間、おばあちゃんと語らった。

1年半前の夏に初めてここにきて衝撃を受け、また是非来たいと思っていたのでこの雪の中でも頑張ってきたということを話した。

おばあちゃんはその話を嬉しそうに聞いてくれた。

 

夏の思い出2

このお店は1964年創業で、実に60年近く営業をしている。

もともとの発祥は戦争直後で、さっき僕がツルツル滑った橋のあたりに模擬店がたくさん出ていたんだって。そこでソース焼きそばの屋台もいくつかあったことから、今でも青森市内にはポツポツと焼きそば専門店があるのだそうだ。

なるほど、青森市DNSには焼きそばが染み付いているのだね。

 

夏の思い出3

そしてその焼きそばの値段は25年ほど変わらないという。すごい…。

今は息子さんがお店を回していることもしばしばあるみたい。僕は前回・今回共におばちゃんに会ってお話でき、おばあちゃんの焼きそばを食べられて良かったよ。

 

さぁ、ドアの外にタクシーが到着したようだ。出発の時間だ。

しっかりと上着を着てマフラーを巻き、スーツケースを掴むとおばあちゃんにお礼を言って引き戸を開ける。

 

青森市街地へ2

外はもちろん雪景色である。それでも暖かく感じたのは、お店の室温が快適だったからだけではないハズだ。

では、またいつか、後藤食堂。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

エピローグを少々。

タクシーのおじさんに、行きは延々歩いたことを話したらえらい驚かれた。「夏ならともかく、この雪の中をスーツケースを持って…!?」って言ってた。

後藤食堂のおばあちゃんも同じ反応していたな。

 

青森市街地へ3

駅前、すっげぇ雪。笑えてくる。

都市(人口10万人を指す)の中では正解一の豪雪と言われる青森市。ハンパねぇ!

 

青森市街地へ4

寒い時期は温暖な沖縄とかに逃げたくなるのが性分だけど、こうやって厳しい面も含めた四季の姿を見ておくのも大事だよね。いやしかしすっごい雪。

 

ジターヌ1

とりあえず駅前のコーヒー飲めそうなお店に飛び込んだ。

「Cafe des Gitanes」っていうらしい。読めない。「ジターヌ」って表記しよう。

 

茶店ではなく、店内でも飲めるコーヒー店と言った方がいいだろう。好みを聞かれたので「とびきり苦いヤツで」と言った。

渋いおじさまが丁寧にドリップしてくれた。

 

店員の方お二人に後藤食堂往復のくだりを話し、またまた驚かれた。

 

ジターヌ2

うまいな。キリッとしたクセの無い苦みが気分を高揚させてくれる。

気に入ったのでドリップパックを数個買い、そして雪の町に再び出た。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 後藤食堂
  • 住所: 青森県青森市茶屋町18-1
  • 料金: 卵焼きそば(小)¥350他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 10:00~18:00(月火定休)

 

No.346【青森県】県内で一番早く日が昇る!そこは青森県最東南端、小舟戸海岸の階上灯台!

「〇〇で一番早い日の出が見られる地」っていうステータスが存在する。

なんだかワクワクするフレーズだよね。輝かしい1日が一番最初に始まるのだから。

それは反対に言うと「〇〇で一番早く夜が来る地」なんだけど、やっぱ"夜"よりか"日の出"の方が、より多くの人の心を射止めるのではないかと思う。

 

さて、青森県で一番早い日の出が見られる地っていうのはどこなのだろう?

結論から言うと、青森県の「小舟戸(こみなと)海岸」というスポットである。

※"みなと"って読むのだ。初見では絶対無理。

 

ちなみにこの場所、「階上灯台」って言った方がピンと来る人もいるかと思うので併記しておこう。

 

 

現地にはこんな石碑がある。ちょっとそそられるでしょ?

じゃあ行ってみようか、階上町へ!…ってわけで、僕がここを訪れたエピソードを3回分、ダイジェストでお届けする。

 

 

朝日を見に行こうぜ

 

僕が一番最初にこの小舟戸海岸を目指したのは2011年、つまりはあの東日本大震災が発生した夏のことだった。

宮城・岩手・福島などと比べるとまだ被害は少なめだが、それでもところどころに津波の跡が見られる光景に胸を痛めつつドライブしていたときのひとこまである。

 

 

場所はここ。岩手県との県境がすぐ南側にあるのがわかるよね。

ピンを立てた階上灯台のところがちょっと海に突き出ているけど、岬ではないらしいんだ。小舟戸海岸という名前がついているんだ。

 

県境から階上町へ

東北地方を縦断する国道45号を北上してきた場合、青森県に入ったらすぐに海に向かって右折する。

そのままストレートに走った先が小舟戸海岸。

ただ、少なくとも当時は小舟戸海岸や階上灯台を示す標識とかは無い。それでも大体真っすぐ行けば大丈夫だ。

 

海沿いの遊歩道1

朝の5時台。夏とはいえ早朝は冷える。そんな中での到達。

 

これは途中で振り返って歩んできた道を撮影したもの。

車を停めたのは、遊歩道の延長にある小さな小屋のあたり。そこから数分歩くと広大な芝生の丘があり、その上に階上灯台が立っている。

 

海沿いの遊歩道2

地震 津波がくるぞ 高い所へすぐ避難』

…という看板があった。ここは海岸からそこそこ近いような気がする。東日本大震災のとき、ここはどうだったのだろうか。

この高さであれば波を被りそうなのだが、パッ見たところ被害を受けたような痕跡が無い。無事だったのかな。だったらいいな。

 

遊歩道を歩いた先、階段を数10段登ったところに灯台を発見。

その周囲は海を見下ろす広い芝生地帯になっていた。

 

階上灯台1

青森県で一番早い日の出が見られる地だというから、ここで朝日を見られたらうれしいなって思ったんだけど、ご覧なさい太陽どこですか?

むしろ「海もどこですか?」ってくらいに周囲がホワイトアウトしている。

 

とりあえず、先に石碑を拝もう。上の写真にも石碑は写っている。灯台の右手だ。

 

最東南端の碑1

青森県最東南端の地』の碑。

こういう斜めの端っこってなかなか数も少なくて珍しいよね。さらに青森県の最東南端なんて、日本地図レベルで見れば別に出っ張っているわけではないから、失礼ながら地味めな存在だと思うんだ。

 

そこにこんな碑があるから心に刺さる。碑があって当然のロケーションにあるのではなく、「おぉ!こんなところにあるのか!」ってなるのが良いのだ。

 

最東南端の碑2

ここに来れてよかった。

実は僕がここの存在を知ったのは5年くらい前なのだ。とにかくいろいろなスポット情報を調べるのが趣味な僕は、その過程でここを知った。

 

しかしそのときは1都道府県の斜めの端っこには特に興味はなくってね。「でもそういうのも面白いかもな」って思ったのはつい最近だった。

 

階上灯台2

うーん、いまだに空は霧で覆われている。

 

それでも、たぶん今日は曇りではなくて晴れなんだ。まだ早朝だから朝霧でモヤっているけど、もうちょっと経てば放射冷却で晴れ渡ると思うんだ。

だから10分ほど空を見上げていたけど、晴れるまではまだ数10分はかかると判断した。

 

もう今回はこんな感じの天気でいいや。これで満足しよう。

また近いうちにここに来ればいいや。

 

予想通り晴れた

 

 

2ヶ月後の再訪

 

…その2ヶ月後のことだ。僕はまたも小舟戸海岸を再訪することとなる。

被災した岩手県の海岸線を確認しつつ、青森県に足を踏み入れるところまでを走行する目的であった。

 

快晴のアプローチ1

時刻はやや太陽が西に傾いてきた時間だ。朝日とは程遠いが、別に朝日とかはもういい。むしろ前回は霧だったので、晴れ渡った小舟戸海岸と階上灯台を眺めたいっていうのが第一目標だ。

 

快晴のアプローチ2

これは国道45号を反れて真っすぐに海に向かっているときの絵だ。

快晴だと爽快感が違う。少し開けた窓から吹き込む風も爽やかだった。春や秋の東北は、ドライブしているときの風が最高に気持ちいいよね。

 

快晴のアプローチ3

突き当りにあるちょいと貧相で駐車場と呼んでいいものかどうか迷うような駐車スペースに愛車を停める。

…これさ、正しい駐車スペースってここでいいの?誰か小舟戸海岸に詳しい人がいたら教えてほしいぜ。

 

海沿いの遊歩道3

2ヶ月前の自分の姿と重ねるように、灯台を目指して歩く。前回は振り返って撮影したけど、こうやって青空と灯台を入れて撮影した方が遥かに絵になるよな。お気に入りの1枚だ。

 

海沿いの遊歩道4

こんなにも水平線がくっきり見えて。空も海も青くて。

でも、もうしばらくは太平洋を見て胸が苦しくなるような日々が続くのだろう。

僕自身が東日本大震災で被災したわけでもなく被災地に所縁があるわけでもないのにこんな気持ちになるのだから、なんらか関係性のある方々の苦しみは筆舌に尽くし難いのであろうな…。

 

海沿いの遊歩道5

遠く、海を臨む少し突き出た芝生の高台に、石碑2つとブイがあった。思いっきりカメラをズームしてこれを撮影。

 

ごめん、実は2024年の執筆現在もこの碑がなんであるかは僕は知らないんだ。Webでも調べたけども、出てこなかった。

なんで2011年当時に近くまで行かなかったかというと、ここまで岩手県の被災地をずっと見て来たので少し心が重い状態だった。横にブイがあることからも「大津浪記念碑かな?」って思ったけど、そうであるとまた少し心が重くなる。

だから遠望だけですませてしまったのだ。

 

階上灯台3

さて、話を明るい方向にシフトしていこう。丘の上の灯台だ。芝生がまぶしい。

灯台を取り巻く背の低い柵がオシャレだ。

 

最東南端の碑3

西日を受ける最島南端の石碑。

こういう端っこだとか真ん中だとか交点だとかを示す石碑やオブジェが大好きでね。もしこの碑がここになかったら、僕は2024年現在に至るまでもここに来ることはなかったかもしれない。

場所を示すことって、大事なのだ。示したこと自体が魅力となり、マニアがそこに訪れるきっかけにもなるから。

 

最東南端の碑4

ちなみにこの石碑、意外と小さい。チャーミング。

 

 

寒風にさらされながら

 

ここで一気に時系列を飛ばし、直近の日本6周目にて訪問したときの写真を最後にご紹介したい。

真冬のすんごい寒い中で、僕はここに訪れている。

 

寒風の小舟戸海岸1

"東北"というフレーズが出ただけで「雪がすごいんでしょ?」という方が多いが、雪がすごいのは日本海側とか山間部だ。

太平洋側は積もるときはそこそこ積もることもあるが、基本的には積もらない。山脈が西からの雲を堰き止めるから、太平洋側は基本冬場は晴れるのだ。そして仮に降ったとしても、海沿いの町は風が強いから少々の雪は全部吹っ飛んでいく。

 

なので上の写真もあまり寒そうではないかもしれないが、実際は指がちぎれ飛びそうなほどに寒い!さすが真冬の青森!ちょっとナメてた!夕方だしなおさら寒い。

しかも風通し抜群の丘の上なので、分厚いコートのフードもしっかり被って震えながら灯台を目指した。

 

寒風の小舟戸海岸2

灯台の右手に建てられている看板には『三陸復興国立公園 階上海岸 小舟戸園地』と書かれている。震災後に新設されたものだ。

東北の太平洋沿岸の多くの景勝地三陸復興国立公園として、未来に向かって歩んでいる。

 

寒風の小舟戸海岸3

あまりに寒くて、この石碑を撮影して早々に引き返した。これで満足だ。

 

…ただ、もしかしたらまたいつの日か再訪し、日の出チャレンジするかもしれない。

灯台から少し南側に歩いた川の中には、岩手県との県境を示す『境』と書かれた石があるそうで、それは見たことないし面白そうなので見に行くかもしれない。

 

おそらく地元の方以外にはかなり知名度の低いこの青森県最東南端。

あなたも国道45号をスルーするのではなく、ちょこっと立ち寄ってみるとよいです。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 小舟戸海岸
  • 住所: 青森県三戸郡階上町道仏廿一
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.345【愛媛県】海を見ながらのレトロ自販機うどんがうまい!いざ漁港施設の自販機へ!

全国津々浦々のレトロ自販機を巡ってきたが、きっと海から一番近いレトロ自販機がここだと思う。

漁港にて、漂ってくる磯の香と共に食べたレトロ自販機のうどんは、そりゃあもう旅情をくすぐるものだったよ。

 

 

ここに至るまでは(主に自販機さんの境遇に)なんやかんやがあったのだが、今回はそれを僕の旅のエピソードに絡めて少しお話しできればと思うのだ。

そんなわけで今回の舞台は穏やかな瀬戸内海を望む「大久保自販機_三島販売所」なのである。

 

 

【日本5周目】そびえる工場群の隙間で

大王製紙の中でうろたえる

 

数年前の真冬のことだ。

僕は少しでも温暖なエリアをドライブしたいと思い、瀬戸内海沿いを走っていた。そして、そのついでに四国内にあるレトロ自販機を全部巡ってやろうと考えていた。

 

工場群1

レトロ自販機を目指しているとは思えない、すんごい光景が眼前に広がっていた。

 

ここは「大王製紙」という紙を作っている工場だ。エリエールが有名だね。あなたの家にもあるよね?無いなら、2024年ももうすぐ花粉が飛ぶ季節だから買っておくとよいよ。僕もファンだ。

もう地図を見ると道沿いしばらく大王製紙関連。右も左も大王製紙。盛り上がってる。

 

工場群2

とりわけ「大王ですねー」みたいな存在感の煙突を見上げてみた。

雲1つ無い晴天の青空に立ち上る煙突からの煙がまぶしい。ゆらゆら揺れながら空に溶け込むその煙は、見ていて飽きないな。

 

工場群3

…いや、違うんだ。煙突を見たくて停車したわけではないんだ。

このすぐ近くにレトロ自販機があるそうなのだが、そういう雰囲気じゃないよね…って不安になって停車したのだ。

 

調べたところこの道から少し反れたところにあるそうなのだが、少しでも反れたら大王製紙の敷地じゃないの?

もし警備員に「何しに来たの!?」とか詰め寄られたら気弱な僕、「エリエール買いに来ました」ってウソついちゃうかもよ。「レトロ自販機があると聞いて…」って正直に言って頭のおかしいヤツだと思われたくはないから。

 

レトロ自販機と対面1

着いた。まぁここに来るまではいろいろ大変でしたよ。

工場関係者しか通らないような道に入っちゃって僕以外はトラックと関係者の車のみで完全に浮いちゃったり、激狭の住宅地に入ってUターンすらできない危険性を感じたり。

一瞬あきらめようかとも思ったけど到達できてよかった。

 

 

場所はここだ。僕の写真では海が写っていなくってロケーションがわかりづらいので、GppgleMAPから引用させていただく。

もう背後は全部海よ。海以外は周囲全部工場よ。相当目立たないので知らなければ見過ごす立地。というより、工場関係者じゃなければこのエリアにすら絶対に入らないであろう立地。

 

 

よかったらストリートビューで視点をグリグリ動かしてほしい。

さっきの(勝手に名付けた)大王煙突も見えているから。

そんな埋め立て地の埠頭、巨大な倉庫にピッタリと背中を寄せて自販機が立ち並んでいたのだ。

 

 

埠頭で食べたうどんはうまかった

 

駐車場という名の駐車場は特にないけど、工場地帯の埠頭の一部なので適当な場所に駐車可能のようだ。愛車を停めた。

では、改めて自販機群を見ていただきたい。

 

レトロ自販機と対面2

ほとんどが飲料自販機。それが若干ヨレヨレした青いトタン屋根の下に並んでいる。

おそらくは付近の工場で働く人たちのために設置されているのだろう。だが一応公道だから一般人も利用可能だ。

 

自販機群のほぼ一番右、そこに目指すレトロ自販機がいる。あぁ、キミに会いたかったよ。

 

レトロ自販機と対面3

富士電機製のレトロ麺類自販機。

メニューは天ぷらうどん一択のみ。そして価格は250円。安い。

硬貨を投入し、ボタンを押す。わずか20秒で出来立てアツアツのうどんが登場するのだ。レトロなのに現代でもあんまり見ないこのギミックに僕は虜になり、こうして日本中を走りまわっている。

 

レトロ自販機と対面4

おいおいおいおい、正気かこの自販機。

天ぷらとお揚げが一緒に入っているぜ。こんなの他のレトロ自販機で見たことはちょっとないぜ。タヌキとキツネが同棲してる。盆と暮れが同時に来たようなお祭り騒ぎだ。

今しがた『メニューは天ぷらうどん一択のみ』とか書いたけど、実質2つ分のフィードバックだ。歓喜

 

レトロ自販機と対面5

ここは、レトロ自販機販売スポットとしては珍しく飲食スペースが設けられていない。

大体こういうスポットってテーブルやイスがあったりするんだけどね。工場の人を対象とした自販機とかで、みんな工場内かトラックの中とかで食べる想定なのかな??

では僕も車の中でいただくか。

 

レトロ自販機と対面6

食べてみると、自販機麺とは思えないほどにしっかりコシがある。

ダシはさっぱり系。ごくごく飲んでも罪悪感のないタイプだ。おいしい。この寒い時期に車の中で食べているから、一層おいしい。

 

車の中で、隣の埠頭でモクモクする大王煙突の煙を眺めながら、僕は真冬にあたたかいうどんをすすった。こういう旅路、いい…。
(「ティッシュがエリエールじゃないじゃないか!」みたいな目ざといツッコミは禁止ですよー…)

 

 

【日本6周目】第2の人生は海の近くで

2021年の撤去危機を乗り越えて

 

今でこそ笑って話せるかもしれないけどな、このあとこの大久保自販機_三島販売所には大ピンチが訪れたのだ。

 

それは2021年4月のことだった。

詳細は大人の事情なのかWeb検索してもわからなかったが、設置場所の都合上撤去せざるを得なくなったという事件だ。

1965年から56年間も、ここでずーっと自販機麺を提供してきたというのに。(←途中で自販機は変わったりしているけども)

 

終盤、自販機には以下のような貼り紙がしてあったという。

 

この度、四月をもって撤去する事に成りました。永らくの御愛食ありがとう御座いました。

設置場所を検討しております。御希望の方はご連絡下さい! 

大久保

 

おぉぉぉ…!まだ自販機は生きようとしている!まだまだ自販機は、これからも色んな人にうどんを提供しようとしている。

僕も当時、SNSで最後の様子をハラハラしながら眺めていた。

そして2021年4月末、自販機は撤去された…。

 

…がッ!!

次の設置場所が決まったようだ。朗報!!嬉しさで号泣ですわ。エリエールで拭いた。

そこは「三島漁港」。これまでの設置場所から500mほどの距離だろうか?

撤去からおよそ1ヶ月後には、早くもそこで営業再開となったようだ。

 

めでたい。僕も見に行きたいが当時はコロナだ大流行。

少し待機し、翌年である2022年に腰を上げた。

 

 

漂ってくる磯の香と共に

 

季節は違えど、あのときのように雲1つない快晴なのである。

 

再び工場群1

あぁ、懐かしき大王煙突よ。大王製紙は今日も休むことなく稼働しており、周辺は相変わらずトラックなどが多い。活気づいている。

 

再び工場群2

三島漁港の場所は、西向きに走っていると工場群を通り過ぎた直後。

国道11号沿いにあるようにも見えるが、実は一本裏道に入る必要があり、スイスイ流れるこの国道においてその脇道に入っていくには少しタイミングが必要かもしれない。

 

三島漁港にて1

これが三島漁港の建物だ。堅牢な感じだ。

さて、あの埠頭の倉庫群からやってきたレトロ自販機はどこだろう…。あなたは気付いたかな?

 

三島漁港にて2

丸囲みしたところにあるのが例の自販機だ。

「一般人があそこまで行って自販機でうどん買っていいのかな…?」ってちょっと躊躇した。日陰にあることが、より一層に行きづらさを感じさせた。

だけどももう先人たちはあそこのうどんを食っている。だからいいのだ。

僕も勇気を出して、漁港のうどんを食おう。そのためにここまで来たんだもん。

 

三島漁港にて3

自販機のすぐ左はリアルに漁港内の作業スペースで、このときも数名の人が黙々と働いていた。

この建物に沿って設置されている自販機群も、ほぼ従業員の方専用みたいなスタンスなのであろうな。お邪魔にならないようにササッと撮影しつつ購入しよう。

 

三島漁港にて4

よぉ、お久しぶり。第2の人生はどうだい?エンジョイしているかい?

 

うどんの取り出し口のプラスチックカバーは取れてどこかに行ってしまったようだ。

自販機時代の右下の部分も、たぶんダシがこぼれてしまったりした影響からかずいぶんと錆びてきている。…ずっと頑張ってきているんだもんな、それもしょうがない。

 

三島漁港にて5

ボタンは手書きの『うどん』になっていた。"天ぷら"とはもう書かれていない。天ぷらではなくなってしまったのかな??

しかしお値段はかつてと変わらず250円だ。

 

硬貨を入れて出てきたうどん。どこで食べようか。イートインスペースはなく、そして自販機の前で食べたら漁港の人の邪魔になってしまうかもしれない。

 

三島漁港にて6

だから三島漁港の建物の正面、海を眺めるこの駐車場で食べようと思うのだ。

車内で食べてもいいけど、せっかくのポカポカの気候だからな、もう立ったまま食べちゃおうぜ。

 

三島漁港にて7

お揚げと天かす。以前はタヌキとキツネが同棲していたけど、タヌキ瀕死ですな。

でもうまい。麺はもちもち。ダシはさっぱり。

 

…だけどもな。正直味なんて二の次だ。

大事なのは、この自販機と再会できたということ。こんな素敵なロケーションでレトロ自販機のうどんを食べられているということ。

ザザッ、ザザーッと打ち寄せる波の音が心地よい。どこからかカモメの鳴き声もする。

 

三島漁港にて8

つまり…。また冒頭と同じ文を書いてしまうことになりますが。

 

漂ってくる磯の香と共に食べたレトロ自販機のうどんは、そりゃあもう旅情をくすぐるものだったよ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大久保自販機_三島販売所
  • 住所: 愛媛県四国中央市三島中央1-11-17
  • 料金: うどん¥250
  • 駐車場: あり
  • 時間: 24時間

 

No.344【青森県】24時間食堂「エンデバー」!テーブルはレトロゲーム内蔵でお年寄り集う!

雪深い青森の町で、24時間営業するパワフルなレストランがある。

そのお店の名前は「エンデバー」。

 

店内はちょっとレトロで、昭和時代にスペースインベーダーとかができて大ブームとなったテーブル型のゲーム機がいまだに多数現役で、地元のおじいちゃんやおばあちゃんがずーっとそこでゲームに興じているんだよ。シニアの楽園だね。

 

ゲーム集中エリア

ただ、当然シニアじゃなくっても気軽に入れるし、いろんなフードメニューがあってボリュームもそれなりで、かつ24時間なのだから覚えておくと確実に人生お得になれるお店なのである。あなたも今のうちにブックマークしとけよ。

 

だからもちろん僕も気になってちょいちょい行っちゃいますわ、エンデバー

今宵はそんなお店をご紹介したい。

 

 

豪雪でも決して消えない光

 

1月末から2月の上旬って、一番雪が降りやすい気候ではなかろうか?少なくとも青森市においては。

 

銀世界での出会い1

あたり一面真っ白で、ゆっくりゆっくり車が走る。

ちなみに歩く場合についてだが、首都圏のように雪はベチャベチャしておらず滑りにくい。まぁ滑ることもあるけど雪がフカフカだから別に痛くもない。

 

エンデバーがあるのは、ちょっとオトナなお店の立ち並ぶエリアだ。

向かっているときに何名ものお兄さんに勧誘の声掛けをされた。全部断ったけど、寒い中お疲れ様ですって思った。

こういう界隈だから、エンデバーも24時間営業なのかもしれないね。

 

銀世界での出会い2

あ、エンデバーを発見。その看板は少し雪に埋没してしまっている。『エンデバー』と書かれたのトゲトゲしい字体に、このお店のやる気を感じる。

看板には『軽食喫茶』とも書かれているが、めちゃガッツリメニューもあるからな、ハラペコの諸兄よ、早まってページを閉じることなかれ。

 

どうやらこのお店の看板のすぐ後ろが入口のドアのようだが、そこに至るまでの歩道が雪でモッフモフだよ。スブスブと靴を埋没させながら歩くべきか…。

…と思ったんだけど、反対側にもお店の入口がありそうなのでそちらを目指す。

 

銀世界での出会い3

はい、青信号のすぐ後ろで輝いているのがお店のメインゲートだ。

雪に埋もれていたのは向かって右奥の部分。こっちも普通に使えることは使えるけど、券売機が遠くってうろたえると思うので、初回は正面を使うのをおススメする。

 

この店の光は、24時間消えない光だ。豪雪だろうと吹雪だろうと、灯台のように僕らの進路を照らしてくれるのであろう。

 

銀世界での出会い4

窓やドアからは内部が一切見えない。この界隈の雰囲気も相まって「大丈夫なお店かな?普通にご飯食べに入っていいのかな?」って思うかもしれないけど、大丈夫だ。エンデバーはあなたの食欲に正面から答えてくれるから。

 

銀世界での出会い5

ただしエンデバーはマスク着用に若干厳しい。

上の写真は1年前、つまりまだコロナウイルスが5類に移行する前のものなのでしょうがない。5類移行後もマスク着用をやんわりお願いする旨の貼り紙がしてあったから、これから行くあなたも一応ポケットにマスクを忍ばせておこう。

 

では、全く想像の付かないこのドアの向こう側の世界に行こうか。

 

 

トイレ以外はいたって落ち着く空間

 

正面から入ると、まずはそのすぐ左手に券売機があるので食券を買おう。このお店は食券制なのだ。

 

券売機1

見切れてしまっているが、一番左が僕の入ってきたドアだ。マスク着用をうながす貼り紙があったドアの裏側だ。

 

券売機2

これが魅惑のメニューだ。目が泳ぐね。全部食べたい。

そしてどれも良心的な価格。モーニングもある。朝限定でこれを食べることができるのだろう。それも気になる。

あと、アルコール類はない。健全なのだ。

 

食券を購入したらカウンターに持っていこう。お店の中央にカウンターがあり、大体スタッフの方がそこにいるからすぐに気づくはずだ。

 

券売機3

バッチリとカウンターが写った写真は手元にはないが、上の写真の左奥がカウンターだ。

ここに座れる勇気があるのは常連さんだけだろう、きっと。

店内はおそらく70席分くらいあるが、僕の訪問時のお客さんは大体3~7名程度だ。だから1人であっても悠々と4人掛けテーブルに座れるのだ。

カウンターはスタッフの方とおしゃべりする目的がないと座りにくい。常連さん以外が座っているのを見たことがない。

 

店内風景1

食券をスタッフの方に渡したら、好きな座席を選ぼう。

 

店内は広々としていて、そして落ち着いた空間。お客さん同士の距離感も適度な感じに取られていて、そして各所の観葉植物がオシャレで、ついつい長居してしまいそうな世界である。

あ、ちなみにだが喫煙はOKなのでそこだけ苦手な方は注意ね。

 

店内風景2

あぁ、いい眺め。僕はちょっと奥まったスペースであり、内窓越しにカウンターが見えるこの席が好きだよ。最多回数座った。

 

店内風景3

8人ほどが座れる巨大なボックスシートもある。

ただ、印象としては1人できている人が大多数だった。後述するゲーム機で遊ぶおじいいちゃんおばあちゃん、あるいはご飯を食べにくる老若男女様々な年代の人たち。その中には近所で働いていると思われる夜のお仕事関係のお兄さんもいたな。

 

そんな方々を相手に24時間、このお店は家族経営で回していると思う。たぶんだけどもホール1人、厨房1人とかそんな感じだ。すごい。

 

こういう落ち着く純喫茶風のテイストのお店だけなのだが、トイレだけは異次元だから気をつけろよ。

 

トイレ1

 

赤い!! 広い!!

 

 

どうしてトイレだけデザインが突き付けてしまったのか、すごく謎だ。入った瞬間に圧倒されること間違いなしである。

 

トイレ2

個人的に厄介だったのが上の写真だ。

ドアが2つある…のではない。鏡に映り込んでいるのだ。ドアは1つだ。しかし鏡がピッカピカに磨き上げられているので、あたかもそこに世界があるように感じる。

だからね、まずはトイレに入った瞬間に鏡に映る自分にビビり、そして出るときにもう一度ビビる。

背景が赤でいきなり人影がトイレの中に写り込むんだから、そりゃ心臓も止まりますわ。

 

トイレ以外は落ち着くけど、トイレは落ち着かないお店。

「ご飯の紹介の前にトイレの紹介かよ!」って思われるかもしれないが、最後は平和に物語を締めくくりたいからこのタイミングで書いたのさ。

 

 

どれもボリューミーで満腹・満足

 

では、満を持してエンデバーのメニューの一部をご紹介していこう。

 

焼うどん1

まずはこれが僕のスペシャル・チェアだ。

初回入店時は「1人席がいいのかな…」と思ってキョロキョロし、壁に向けて設置してある昭和時代のゲームテーブルを見つけたのでそこに着陸した。

写真をよく見てほしい。テーブルの中でお姉さんが「いらっしゃいませ」的な顔をしてくれている。これで注文もできたら一気にモバイルオーダー確率で令和時代に追いつく。

 

焼うどん2

すぐに冷たい麦茶が出てきて、そしてオーダーした焼うどんも出てきた。

吹雪にもかかわらず冷たい麦茶なのだが、店内温かいので全然気にならない。むしろシャキッとする。

でもテーブルの液晶画面の切り替わりが若干チカチカする。

 

焼うどん3

極太麺の焼うどんの上でカツオ節が踊っている。味はややあっさりめで、ノンストレスでスイスイ食べ進めることができる一品だ。

あぁ、雪の夜に焼うどん。なんて心安らぐチョイスをしたのだろう、僕。自分で自分を褒めたい。

 

ホットコーヒー

ホットコーヒー。なになになに?なんか目線を感じるんですけど!

恐ろしいなゲーム機テーブル。昭和のみなさんは落ち着いてご飯食えていたのか、こんなもので。

 

親子丼1

普通のテーブルとゲーム機テーブルのハイブリッドみたいな座席もある。

真ん中に座るとご覧の通りガタついて具合が悪いので、どっちかに寄るような感じで座ろうね。

 

親子丼2

親子丼。隣のお味噌汁と比べてわかる通り、丼はかなりのジャンボサイズだ。

スプーン付き。「ガッツキたければ遠慮なく飛び込みなさい」というお店からのメッセージを感じる。まぁ僕は育ちがいいからお箸使いますけど。

 

親子丼3

程よい固さの玉子。大ぶりだけどもちゃんと火が通って甘味があふれるタマネギ。鶏肉も噛み応えがあって旨味あふれる。

「もうちょっとお茶が欲しいな」って思うといいタイミングでスタッフの方が麦茶を入れてくれる。最高だ。

 

モーニング1

500円のモーニングが気になったので朝も来てみた。巨大なプレートでモーニングが登場した。これでコーヒー付きで500円。

 

モーニング2

見えにくいけどもサラダはなかなかの量で、キャベツの山の向こう側には厚切りトマトも2つある。トーストは4枚切り程度の厚みがあり、2段に重ねられている。

なかなかのコスパではないか。

 

モーニング3

醤油さしがセットで出てきた。目玉焼きにかけろということだね。普段は塩コショウ派の僕だけど、醤油もいいよね。

目玉焼きに、慎重にちょこっと醤油をかける朝のひとときが尊い

ナポリタン1

ナポリタンいくぞ!

店の看板には『軽食喫茶』と書いてあった。たてつけは喫茶店風のお店なのだろう。だとすればナポリタンを食わないわけにはいかない。喫茶店と言えばナポリタンだからだ。

これも大皿で来た。タバスコ・チーズをお好みでかけられるのもうれしい配慮だ。

 

ナポリタン2

これでもかってほどに刺激的な赤い色のナポリタンがうまい。細切りピーマンがアクセントになっている。

今回は裏山のトマトもちゃんと激写してやったぜ。

 

しょうが焼き1

しょうが焼き定食。ご飯はなかなかの大盛だ。

昭和の時代、ゲームテーブルでカフェメニューを食べた人は多かろう。でもこんなガッツリした定食を食べられるようなお店にゲームテーブルが置いてあるケースはあまりなかったんじゃないかな。もしそうであれば貴重な絵だ。

 

しょうが焼き2

思っていたのとちょっと違うビジュアルのしょうが焼き。とりあえず野菜がとても生き生きした色彩だし、ひと口大で食べやすい。

ただ、ものすごくおなか一杯になるぞ。これで850円。この令和のご時世、これだけ食べて1000円行かないのはありがたいと感じる。

 

からあげ1

からあげ定食頼んじゃった!しょうが焼きで若干いっぱいいっぱいだった時点で、同じことになるだろうと結果は見えていたのに!むしろしょうが焼きよりもハードル高いくらいなのに!

 

からあげ2

でもあなたもわかるよね?どうしてもからあげを食べたい夜もあるじゃない!

見てご覧なさい、これ。カリッと揚がっていて、噛めば肉汁ジュワーですぞ。たまらんて。誠に罪深き食べ物ですって。

正直ボリューミーなので終盤は食べ飽きてきたが、幸せは勝ち取れた。

 

カレーライス

みんな大好きカレーライスだ。なるほど付け合わせは紅ショウガなのか、珍しい。

キーマカレーのように挽き肉を使っている様子。そんなに辛くもなくって食べやすく、そして「カレーだったらこのくらいご飯があっても普通だよね」みたいな感覚で、スイスイと食べることができた。うまかった。

 

まだまだラーメンとか気になるメニューもあるのだが、ひとまず今回はこのへんまでとしておこう。

 

 

シニア世代のゲームセンター

 

エンデバーはご飯を食べても満足なところだが、多分もう1つの魅力はレトロゲームが現在も稼働しているという点。

 

少し雪が溶けてきたある晩

僕はそこそこレトロ好きで、これまでもゲームテーブルの設置してある喫茶店などはそこそこ行ったことがある。

ただ、ゲームテーブルってたぶん全盛期は1970年とかそのくらいでしょ。40年も50年も経過すると、それがキチンと稼働しているケースは非常に少ない。非稼働の筐体が1つ置いてあるだけでも「おぉ!」ってなるレベルなのだから。

 

ゲームセンター1

それなのにこのお店はこれな。

ラーメン「一蘭」の"味集中カウンター"みたいなテイストで、ゲーム集中エリアが設けられているのだ。

もちろんゲームテーブルは全部動く。このエリアだけではなく、見た感じ店内の10基ほどあると思われるもの全部だ。そんなの初めて。ここは昭和かな?

 

ゲームセンター2

だからか、店内にはゲームに興じるシングルのお年寄りが散見される。

どうみてもご飯を食べ生きているとかお茶を飲みに来ている雰囲気ではないので。とにかく真剣なまなざしでゲームに夢中になっている。

ゲームがメイン。喉が乾いたらドリンクを頼み、腹が減ったらフードを注文しているのかもしれない。

 

ゲームセンター3

残念ながら僕はゲームそのものにはあまり興味がないので、どんなゲームが内蔵されているかとか、そのゲームがレアなのかどうかとかはわからないのだが、骨董品レベルのものであることは間違いないだろうと考えている。

 

ゲームセンター4

あ、でもたぶん大半が麻雀ゲームなのであろう。上でご飯食べていてなんとなくそう判断した。

 

ゲームセンター5

店内にの壁にはいたるところに『当店のゲームは換金できません』という旨が書かれている。

こんなにも書くということは、「これだけ勝ったのだから金くれ。食事をタダにしてくれ。」という人がチラホラいるのだろうか…。それって普通の感覚なの?昭和はそうだったの??

ゲームセンター6

でもゲームは頭も使うし手も使うし、高齢者の脳の活性化に最適だという話も聞く。

お年寄りたち、みんな元気に日々通ってゲームテーブルにお金を投入していれば、このお店も安泰だよね?

 

そんな24時間レストランのエンデバー

Webを見ても驚くほど詳細情報や口コミが少ないお店。入りづらいからかな?

勇気を出してドアを開ければ、なかなかいいお店なのだがね。

 

いつの間にか季節は夏へ…。

あなたも青森に行く際には、ちょっと立ち寄ってみてほしい。

そしてトイレのデザインに驚愕してほしい。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: エンデバー
  • 住所: 青森県青森市本町2-7-1
  • 料金: 焼うどん¥600他
  • 駐車場: なし。付近のコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 24時間

 

No.343【青森県】吹雪の日に宿泊したレトロな「尾野旅館」!女将の即席晩酌セットに感謝!

年始早々の津軽地方は、そりゃもう寒くてさ。

前日は頑張って車中泊したのだが、今晩は暖かい布団で寝たいと心に決めたのだ。

 

こうして出会ったのが、鰺ヶ沢駅前にある「尾野旅館」である。

五所川原から鰺ヶ沢の間で素泊まりできて安くて、そしてヴィンテージなエクステリア。そんな条件を満たしていたのでここに決めた。

 

そういうわけで、今回は凍てつく寒さの中でも温かくてハートフルな思い出をくれた尾野旅館のお話をしたい。

 

 

雪の津軽で出会った旅館

 

19時過ぎとは思えないほどに、鰺ヶ沢は静かだった。木枯らしから身を守るために完全防御体制に入っているんじゃないかってほどに、駅前ロータリーも静寂であった。

 

尾野旅館へ1

そこから尾野旅館を目視で発見。

かろうじて玄関に灯りはついているようだが、飛び込むには少し勇気が入りそうなほどに夜の闇に溶け込んでいる。

いいぞいいぞ、雪の夜はこういう宿でひとり静かに過ごしたい。

 

とりあえず愛車を宿に横付けした状態で中に入り、出てきた女将さんに挨拶しがてら「車はどこに停めればいいですか?」と聞いた。

 

尾野旅館へ2

玄関脇の車庫をガラガラッと開けてくれた。そこにかわいく収まる愛車の日産パオ。

レトロな旅館にレトロな車。いいコラボレーションができたな。

ありがたい、これで夜に雪が降っても車に積もることはないし、霜で凍りつくことも防げるな。

 

尾野旅館へ3

人間用の玄関はこちら。

失礼ながら、さっきは駅前ロータリーから見て暗そうだと思ってしまったが、ちゃんと正面に立つと「ピッカー!」ってくらいに明るい。まばゆい。

 

尾野旅館へ4

そんで一歩中に入ったロビーがこちら。

おぅふ。渋いね。一転してあまり明るくないが、こういうのスゲー好みだぜ。

照明なんて最低限でいいのよ。自分を見つめ直す時間に光なんて不要なのよ。知らんけど。

 

尾野旅館へ5

暗い廊下を女将さんに案内されて辿り着いたマイルーム。

昭和レトロでいい雰囲気!特にハンガーをぶら下げているヤツが好き。名前は知らないけど。

ワクワクしてきた。そして充分に部屋を暖かくしてくれていて、かつこのポカポカ毛布!うれしー!誰だよこのクソ寒い時期に車中泊なんてしようとしていた人は。

 

 

女将の気まぐれ晩酌セット

 

僕は女将さんに「ちょっとこのあと近くにご飯食べに行きますね。車でここに来るとき、徒歩圏内で営業していそうなラーメン屋とか何軒かあった気がしたから。」って言った。

 

背景をご説明しよう。

実は五所川原で夕食にしたかったのだが、ありつけずにここまで来てしまったのだ。

「バスラーメン工藤」というボロボロのバスの中で食べられるラーメン屋があってね、そこに行きたかったのだがどうやら数ヶ月前に廃業していたようで。

 

ここに来るはずだったバスラーメンは永久に来ない…

暗くなりゆく中、来ないバスを待っていた時間は切なかったぜ。40年続いたバスラーメン工藤にほんの数ヶ月間に合わないって、なんというタイミングの悪さ。人生おもしろ。

 

あとは五所川原の駅のほど近くに「鹿内そば屋」という、ワンボックスカーでおでんやそばを食べさせてくれる高齢のおばあちゃんがいてね。

それも目視はしたんだけど準備中だったので素通りしちゃった。

だから僕は飢えているのだ。

 

話が長くなるので館内の画像を挟みます1

…というわけで僕は女将さんにラーメン宣言をした。

そしたら女将さん、「近くのラーメン屋さんにわざわざ行くんだったら、何か簡単なものを作ってあげる。お正月の残りとかを使う感じになるけど、そっちの方がオススメよ。お酒に合うものを作ってあげる。」と言うのだ。

 

「えっ!でもいきなりお願いするのも悪いし…」とモジモジしてみたいのだが、「大丈夫!」というお返事だったので、お言葉に甘えてお願いすることにした。

せっかくの旅だもんな、なるべくレアな選択肢を選びたい。素泊まりの予定だったこの宿でご飯を食べられるんだぜ。素敵じゃないか。

 

駅前に買い物へ

そういうわけで、女将特製メニューはおよそ1時間後に受け取る約束をし、とりあえず僕は駅前のスーパーにお酒を買いに行くことにした。

駅前って言っても、徒歩1分だけどね。「鯵ヶ沢ショッピングセンターパル」だ。駅のロータリーにはブサカワ犬として一世を風靡した「わさお」のパネルもあった。わさおはこの町に住んでいるのだ。

 

買い物から帰ってからは冷えた体をお風呂で温めた。厳冬期のお風呂、最高。

 

水回り

この共同の洗面台もいいなぁ。ステンレスなのがいい。床が赤じゅうたんなのもVIP感があっていい。

ちなみに僕の部屋のある2階のこの洗面台はお湯が出ない。階下の洗面台だけお湯が出る仕様だった。

 

廊下を歩く

…静かだな。僕以外にお客さんはいないのかな?

賑やかな旅館もいいけど、深夜とか閑散期の静寂さを感じられる旅館の雰囲気も好きだ。

さいころ、両親が寝静まった後にふと目が覚めてしまい、忍び足で廊下を歩いた、あの足の裏の感覚をまだ覚えている。そして辿り着いた冷蔵庫をそっと開けたときの、冷蔵庫の中からの光がまばゆいことよ。で、急に冷蔵庫が「ヴゥゥーン…」って言って心臓止まるんだよね。

あ、話が全然関係ない方に行っちゃった。

 

そして1時間経過。

女将さんが僕の部屋に食事を持って来てくれた。うおぉ、持って来てくれるのか。ここで食べていいのか。なんか本格的なテイストになっちゃった。

 

女将セット1

おぉぉぉ!なんかすごいの来たー!

女将さんは「ホントありあわせでごめんなさいね」とか言っていたけど、僕は踊り出しそうだ。

特に蕎麦のボリュームすげーぞ。立ち上る湯気にフワッと醤油の香りが乗っていて食欲をそそる。

 

女将は「明日の朝食も準備できるけど?」と言ってきたので、「お願いします」と即答したよね。

 

女将セット2

うめぇ。蕎麦は体の芯から暖まる。

この寒い日の夜、しっかりお風呂に入り、湯上りに温かい蕎麦、そしてビール。笑顔がこぼれるに決まっているじゃありませんか。

塩辛もうまい。おにぎりも食う。ダブル炭水化物か、望むところよ。

 

すんごい満腹になって天国のような気持ちで就寝した。

 

 

優雅な朝食時間を満喫しよう

 

朝を迎え、部屋の窓を開けてみた。

 

旅館の朝

目の前が鯵ヶ沢駅のロータリーである。こうしてみると本当に近いのだな。

残念ながら曇天…というかこの時期の日本海側はあんまり晴れることはないので全然ショックでも何でもない。

しかしあの遠くに裾野だけ見えている山は、「岩木山」だよね?あの津軽富士と呼ばれる美しい山だ。あぁ、それが見えないのはショックだよ。

いや、冬以外の岩木山は見ているし車でグイグイ登ったこともあるけどね。冬の岩木山も拝みたかった。

 

トイレ1

トイレ。見ていただきたいのは隅っこにある小さな手洗いコーナーだ。

青緑色のバケツ。これが手洗い用の水の入ったタンク。珍しいなって思って写真を撮ってしまった。

呼び名はこの執筆時の1年くらい前にようやく知ったんだけど、"衛生水栓"というらしい。昭和時代に流行していたものだそうだ。

 

トイレ2

下に突き出た棒のようなものを手のひらで押し上げると、中の水が一定量出てきて手を洗える仕組みだ。

他にも普通に水道管の通っている蛇口でもこのように突き上げて水を出すタイプや、蛇口の真下にあるハンドルをひねることで水が出るタイプもあり、それらも衛生水栓だ。

手で触れる部分に強制的に水がかかることで清潔を保てるから"衛生"っていうらしいよ。

 

8時ちょうど、女将さんが朝食を持って来てくれた。

 

朝食ゴージャス1

わぁ、お盆が2つ来た。

和風寄りで行くのかと思いきや洋風も負けじと食い込んできて同時にゴールインしたようなすごいメニューだ。

おかずだけでも相当なボリュームだが、ご飯がお櫃ですぞ。女将は僕のことをプロレスラーかなんかだと思っているのかな?チビなインテリメガネボーイなのに。

 

女将さんは「ふふ、ときどきいるのよ、このくらいペロリと食べちゃう人が」と言って去っていった。

まぁいるでしょうね。世の中にはね。僕じゃないですけどね。

 

朝食ゴージャス2

それでもありがたいことこの上ない。

正直昨夜のご飯がまだ消化しきれていないんだけど、おもてなしっていいよね。食うよ。こういう女将さんがありあわせの品で作ってくれるご飯がうれしいんだよ。

…ただ、食べるペースは落ちてきたけど。

 

朝食ゴージャス3

TVでは今年は雪が多いと言っている。

昨年が2cmのところ今年は39cmだそうだ。んっと、それはどこだっけ?聞きそびれた。青森市だったらもっともっとアホみたく積もると思うしな。五所川原あたりの情報?

 

そんな天気予報も終わったが、僕の朝食タイムが終わらない。食べ終わらない。

TVは情報バラエティみたいな番組になり、なんでもかんでも低温調理するとうまいとか専門家が言ったりしている様を「ふーん」とドライな眼差しで眺めたりした。

 

結局1時間ずっと食べ続け、食べ終わったら9時になっていた。

お櫃のご飯は軽めに1杯のみ。これが限界。

 

ありがとう、尾野旅館

チラチラと雪が舞う。風もある。寒い。

女将が「ありがとうね」と言ってくれた。

 

こちらこそです、お蕎麦おいしかったです。真冬の津軽で、いろいろ温かいものに出会えたよ。

女将に手を振り、愛車の日産パオのアクセルを踏む。

 

木枯らしと共に

この数分後に僕がどこに行ったのかというと…。

まぁ気になる方は以下のリンクを辿ってみていただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 尾野旅館
  • 住所: 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町舞戸町下富田32-5
  • 料金: 1泊2食¥7000~
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明