週末大冒険

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ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.342【奈良県】なんと美しい親子丼…!激渋「涌本食堂」で大将と語り飯を食った冬の日!

いつからだろう。昭和レトロな大衆食堂に興味を持つようになったのは。

日本1周目のころはグルメ自体に興味がなく、「コンビニのパン1つあれば2日は運転ができる」とかアホなことを言っていた。

その後はいっぱしにご当地グルメに目覚めたりもした。

 

今ももちろんご当地グルメは巡っているが、地元の人が昔から通い続ける食堂でご飯を食べ、お店のご主人と語らうっていうのもとても楽しいなって思うようになった。

 

あれも真冬の寒い日のことであった。

僕は「涌本(わくもと)食堂」という名前の激渋食堂を訪れたのだ。

 

後光がさす

うん、後光がさしていたね。

尊い。実に尊い体験ができた。その思い出を少しだけ語りたい。

 

 

北宇智駅よりトイレの方が大きい

 

五條市をドライブしていたら腹が減り、キョロキョロしていたら渋い食堂が目に入った。それが涌本食堂だ。

 

しかしまだ暖簾が出ていない。

ただいまの時刻は11時ピッタリ。食堂って大体11時からオープンするイメージがある。まだ開店前なのかな?それとも臨時休業なのかな?

 

ほんの少し時間をおいてから再訪してみたほうがいいかもしれない。

涌本食堂から200mほどの距離にある、小さな「北宇智(きたうち)駅」を訪問してみることにした。

 

北宇智駅付近にて1

「駅舎だ!」って思って撮影したけどすまん、これ右側に写っているのはトイレだ。ホントの駅舎は左奥。トイレの方が大きいような気配がする…と言ったらさらに失礼に当たってしまうかもしれないが、正直な話そう思った。

 

北宇智駅はJR和歌山線の駅で、2007年までこの駅に来た電車はスイッチバック方式でターンしていたんだってさ。それは珍しいな。

 

北宇智駅付近にて2

無人駅の駅舎。電車を待つ間の雨風をしのぐくらいの機能しかないのだろう。

スイッチバックの廃止と共にリニューアルしたというから、まだ15年ほどしか経過していない駅舎。かわいい。ちょっとしたログハウスのようでほっこりする。

 

11時を10分近くすぎた。涌本食堂に向かってみようと思うが、僕はチキン野郎でしょ?

再び行って暖簾が出てなかったらガッカリしてそのまま諦めてしまうかもしれない。ダメ元でドアを開ける勇気なんてないかもしれない。

現にそういう弱き心の持ち主だから北宇智駅に立ち寄っているのだから。

 

なので念のため電話した。

電話に出た人、第一声がすっごい慎重な名乗りで、僕が「今近くにいるんですけど営業していますか?」って聞いたら「え?あ…、はい…」って感じだった。

あれ?なんかマズかったのかな?招かざる客なのかな?まぁいいや、やっているなら行くさ。

 

北宇智駅付近にて3

ほんのちょっと先に進んでから適当なところでUターンしようとしたら、すんごい住宅地の狭路に入ってしまった。

ターンできそうな空き地もあったのだが、なんかちょうどケガ人がいて近所の人があるまり、救急車も来ていたのでターンどころではなく、さらに奥に行くしかなくなった。

 

北宇智駅付近にて4

そしたらやたら開けたけども農道みたいな感になり、相変わらずターンできるようなところはない。

しばらく枯草を眺めながらのドライブを楽しんでしまった。

 

ようやく無理やりターンし、救急車の脇をすり抜け、北宇智駅を「よしっ、トイレより小さい」と指さし確認し、涌本食堂の駐車場に愛車を停めた。

 

激渋食堂へ1

ゴチゴチにハードテイストな、涌本食堂の駐車場。

勢いあまって頭から入れてしまったので、これはきっと出るときに大変なんだけど、未来のことは未来のYAMAさんが考えてくれるだろうから、今の時間軸の僕はさほど気にしない。

さぁ、腹減ったな、メシだ!

 

 

そこで旅を愛する者が繋がる

 

よかった、今度は暖簾が出ている。

しっかし良いビジュアルだな。ここのお店の存在に気づいてよかったぜ。

 

激渋食堂へ2

緑と黄色の軒がなんだか酒屋さんのような商店のような味わいを見せている。そして2階にデカデカと掲げられた「涌本食堂」のパネルが存在感をアピールしている。

 

ガラス戸をガラリと開け、「いらっしゃい!」と迎えてくれた大将に、僕が先ほど電話した者である旨を打ち明けた。

「あぁー!そうなんだ。ウチは暖簾は11時に出しているけど、近所の人は朝から勝手に入ってきたりするからさ、あんな電話をもらってビックリしちゃったよ!」って言われた。

 

なるほど、そういう理屈か。つまりは地域にドップリ根差した食堂で、観光客はあまり来ないということかな。うってつけだ。

 

激渋食堂へ3

大将には、ブログ掲載することを前提に店内の写真を撮らせていただいた。

こういう老舗食堂って、カウンター周りにひさしがついていたり柱があったり、ちょっとした社みたいじゃない。それが好きなのだ。

 

「えぇ…??こんなどこにでもあるようなお店の写真なんて撮らないでくださいよ…」って最初は苦笑していた大将だが、僕が「渋いお店を巡るのが好きな旅人なもんでして…」とか言っていると、だんだんスイッチが入ってきた。

 

激渋食堂へ4

先代店主であるお母様をご紹介いただいたりもし、挨拶をした。

あぁ、このニコニコしている小さい体のおばあちゃんが、きっと長年このお店を守ってきたのだろう。

創業何年だか聞きそびれたが、地元の人に何10年も愛されてきたお店にハズレなしだぜ。

 

激渋食堂へ5

では何を食べようかな。どれも安くてお得感があるぞ。

僕は大体初めての食堂だとカツ丼か、もつ煮定食だ。ここにはそれらはない様子なので、親子丼にしよう。麺ではなく、ご飯を食べたい気持ちだ。

 

激渋食堂へ6

親子丼620円。これも良心的な価格だ。

 

待っている間、大将から「今回はどのような旅をしているの?」と聞かれた。

日本6周目の本土で残っている海岸線を塗りつぶす目的の旅だと答えた。でも残っている海岸線は愛知県と静岡県の西半分なのに、なぜか関西エリアをグルグル巡ってエンジョイしてしまっている旨を伝えた。そういうテキトー系な旅人。アドリブ大好きな旅人。

ちなみに昨日は「高野山」まで行ったけど、あっちは山間部なので雪ですごかったよ。

 

激渋食堂へ7

大将は「そうそう、旅人と言えばねぇ…。群馬県から何度もウチに通ってくれている人がいて。その人が手作りの旅行記を頻繁にウチに送付してくれるんだよ。」と言い出した。

「待っている間に見てみないかい?」と言われたので「喜んで」と返答した。

 

旅人の便り1

重厚な封筒がテーブルに置かれた。この群馬の旅人の名刺も見せていただいたのだが、個人jy方法だからここでは伏せるね。

心のこもった達筆な字。向かって右側は『わきもと食堂』になっているね、惜しい。僕も訪問後ときどき”わくもと”なのか”わきもと”なのか混乱したから、気持ちはわかる。

 

旅人の便り2

すんごい丁寧に製本された旅行記だ。しかもNo.16。このシリーズ、なかなかの長編ですぜ。

直近はコピー版だが、このころは原本が送られてきていたそうだ。魂を感じる。

 

現代はなんでもWebで調べられるし、スマホからでもPCからでも気軽に執筆できるし追記も修正も簡単だ。しかし20年ほど前は手書きでこうやって作っていた人も多かったろう。

 

旅人の便り3

ガイドブックを読み、パンフレットをコピーし、余白に思い出を連ねる。

苦労して作ったからこその味、手書きだからこその感情が見えるようだ。

 

遠い昔、小学生のころに僕も岩手に旅行に行き、奥州藤原氏について調査したことをこんな感じに夏休みの自由研究としてまとめたことがあったよね。まぁ文章考えたのはほとんど母親なんだけどさ。

それでも、そのときの旅行で源平合戦について興味を持ったし、「仏像かっこいいー!」ってなってずっと中尊寺金色堂の仏像群の写真を眺めていたのはよく覚えている。

うむ、余談でした。

 

旅人の便り4

この旅人はちょいとご年配の人だろうか?旅の先輩かな?

正直文字は達筆すぎてすべては読めないが、読むんじゃないんだ、感じるんだ。それに僕も行ったことのスポットもチラホラ出てきて感情移入。

あと、僕の親子丼まだですか?

 

 

トロトロ親子丼がうまかった

 

ようやく親子丼が運ばれてきた。

大将、「遅くなってすみません。ご飯が炊けていなかったもので…」と言っていた。なるほど、時間がかかった正体はそれか。しかしOK。待ち時間も楽しめたから。

 

親子丼1

なんかいいぞ。なんかエモいぞ、この写真。

窓から差し込む冬の低い日差しを受けて、丼がスポットライトを浴びた美術館の作品みたいになっている。

むしろこれ、骨董品のようだ。この番組が「開運!なんでも鑑定団」で、僕が鑑定士の「中島先生」だったら、「これは素晴らしい唐の時代の丼ですね」とか笑顔でほめたたえ、300万くらいの査定額を出しちゃう。

 

親子丼2

ふたを取った。黄色いじゅうたんのような玉子が現れた。プルプルツヤツヤでソフトなタイプだ。

誠に罪深い親子丼よ。このビジュアルでいったい何人の地元民を虜にしてきたのやら。

それではいただきます。

 

親子丼3

うめぇ。

「これは飲み物ですかな?」ってくらいにスイスイ入っていく親子丼。ダシがしっかり感じられ、かつジューシー。玉子部分だけ永久にすすっていられるな。風邪引いてても食えそうだし、遭難から何とか帰還して最初に食べるものとしても最適だと思う。

鶏肉もプリップリの弾力で、噛むごとに肉汁があふれる。ご飯も進むぞ。

 

冬の日差しを浴びたテーブル席で、1人ハフハフしながら親子丼を搔き込む。

大勢でワイワイとご当地グルメを食うのもいいけど、今のこのようなシチュエーションも狂おしいほど好きなんだよ、僕は。

一期一会かもしれないこの味、五感でしっかいr受け止めようぞ。

 

親子丼4

おぅ、すっげぇつゆだく。いいじゃないか。最後はもはや雑炊だ。丼の底にたまった汁には、この世の森羅万象が溶け込んでいる。この老舗食堂の歴史が溶け込んでいる。

アツアツのまま完食できた。至福だ。この人生に悔いなし。

 

少しだけ時をさかのぼるが、僕がご飯を食べていると常連と思わしきおじさんが入ってきた。

慣れた様子で新聞を広げ、早速お酒を飲み始めていた。

 

語らい1

常連のおじさんにも旅の話をし、そこに大将も交じって「これからどこに行くんだい?これまではどこを走っていたんだい?」みたいに聞かれた。

今夜は伊賀あたり、明日は名古屋とかかなぁ…。

 

おとといの夜に大阪中心地にいた話をしたら、「えべっさんをやっていたろ?行かなかったのか?」と聞かれた。ふむ、今までえべっさんとは何かすら知らなかったわ。

1月10日前後に行われる十日戎なのだね。「通天閣」の少し北の「今宮戎神社」もその舞台だったのだね。

僕、通展開までは行ったけどもそこまでは足を延ばさなかったわ。通天閣の南側をウロウロしていたわ。えべっさんはまた機会があたたら行くね。

 

語らい2

おじさんや大将には、いくつか大阪のおすすめスポットも教えてもらった。

「なかなかあそこまでは行けないんだけどな」って言ってた。だよね、ここは奈良県だしね。結構静かな町で、大阪の繁華街とは雰囲気全然違うしね。

 

話はまだまだ尽きなさそうだが、もうずいぶん長居をしてしまったのでそろそろ出発しよう。

おじさんと大将に「気を付けてこの後も旅を楽しんでな」って見送られ、お店を後にした。

 

語らい3

静かな町の小さな食堂。観光客の目をとりたて引くようなものでもないし、僕がした会話もたわいのないものだったろう。

それでもこうしてこのお店のことをブログに書きたいって思ったってことは、心に響いたってことだ。

 

語らい4

そういう”自分だけの旅”を見つけるのが、僕は好きだよ。

その魅力を言葉にしたり文章にするのはとても難しいんだけど、記憶が薄れる前にかたちに残しておきたいと思ったんだ。

 

「このお店は素晴らしい」とか「このお店はおススメだ」っていう表現はできない。そういうベクトルでは全然ないんだ。

でも、この体験が誰か1人にでも響いたら幸せだよ、僕。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 涌本食堂
  • 住所: 奈良県五條市住川町 住川
  • 料金: 親子丼¥620他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明

 

No.341【山口県】池のほとりの不夜城「長沢ガーデン」!レトロ自販機のうどんが沁みるぞ! 

ドライブイン全盛期を知らない僕が言うのもアレだが、「長沢ガーデン」が最も僕の中において完成されたドライブインである。

レストラン・自販機・スナックコーナー・宿泊・お風呂などがそろっており、しかも続々とトラックやバイクがやってくるという賑わい。昭和のドライブイン全盛期ってこんな感じだったのだろうか…とか想像してしまう。

 

僕はレトロ自販機ハンターである。

この長沢ガーデンの存在も、今から10年以上前ではあるがレトロ自販機のあるスポットとして知ることになった。

 

さて、では僕の訪問記録を3回分ほど振り返ってみようか。

 

 

【日本4周目】不夜城との出会い

 

最初はいつだったかな?今から10年ちょっと前だったかな?

肌寒さが心地いいくらいの時期、夜にこの長沢ガーデンを目指して国道2号を突っ走っていたのだ。

 

僕の印象ではあるが、国道2号のこのあたりはポツポツと町はあるものの、町と町の間はひたすらに暗いバイパス的な直線道路で、少し不安になるほどだった。

その暗がりの向こうに、煌々と輝く建物が見えてきた。

 

不夜城との出会い1

あぁ、なんてあったかい…。

例えると、暗く寒い夜に家路を急ぎ、ランプの灯る我が家に入るとお母さんが温かいシチューを用意して待ってくれていたかのような、ホッと一安心できるスポットだなって感じた。

 

ワクワクするようなまぶしさ。

見たところ一番大きな建物には昔懐かしい雰囲気のレストランが入っていて、さらにはその裏側で同様の雰囲気のホテルとも合体しているドライブインのようだ。


そんな施設にもかかわらず、と言ってしまって誠に失礼なことは重々承知だが、ここはかなりの車で賑わっている。今までの経験上、こういう施設はガラガラで寂れていることがほとんどなのに、だ。

なんだなんだ、ここは最高かよ。

 

不夜城との出会い2

今回僕がここに立ち寄ったお目当ては、レトロ自販機なのである。

2011年にレトロ自販機というものがこの世にあると知り、それ以降は有名どころや興味を持った店舗から順々に訪問している。いずれは日本全国のレトロ自販機店を済めて立ち寄る所存よ。


屋外の飲食エリアにてそのレトロ自販機を発見した。

あぁ、いいなぁこの景観。少し寒いが、温かいうどんを食べるのだから、この屋外の
飲食エリアで大丈夫だ。いや、寒くたってここで食べたい。風情を感じたい。

 

不夜城との出会い3

富士電機の麺類自販機が仲良く2台並んでいる。

よく見るとそれぞれ、パネルの赤と黄色の配色の位置が違うのだ。右のタイプって、ここ以外では国内どこにもないよね?どうかな??

 

不夜城との出会い4

肉うどんをチョイス。280円だ。安くてありがたい。

肉うどんは関西の自販機麺では定番だが、関東では少ない。だから関西でなるべく肉うどんを食べておきたいと考えたのだ。

 

『お菓子の自販機におむすびがあります うふどんといっしょにいかがですか?』っていう貼り紙がある。

なんだろう、この書き方とイラスト、すごくハートにキュンキュン来る。食べたい衝動に駆られるけど、そこまで空腹ではないのでまたいつかね。

 

不夜城との出会い5

わずか20秒ほどでアツアツのうどんが出てきた。

なんかこの麺、すごく美しくない?まるで打ちたてのようだ。それが夜の光に照らされてツヤツヤと光っている。

ちなみに自販機内ので湯切りのときに落ちないように、具は麺の下に入っているんだよ。

 

不夜城との出会い6

写真撮影前に具を底から引っ張り出して上に乗せてみた。最高のビジュアルである。

 

ひと口食べてみた。

おいしー!アツアツ!冷え込んできた屋外で食べるから、なおさらおいしい!薄めの上品なダシ、コクのあるお肉!食べ応えのあるマッチョな麺!そのすべてが僕にとってありがたい!

これからもうしばらくハンドルを握る僕にとって、これはこの上ない栄養ですぞ。身も心も充実する。

 

実はこれ、隣のドライブインの板前さんが作っている本格派のうどんなんだ。

ありがたい夕食だ。

 

夜風に吹かれ、静かな屋外のテーブル席でツーリングマップルを広げながらすすった温かいうどん。旅っていうのはこういうことを指すのではなかろうか。最高。

 

 

【日本5周目】春の雨に打たれて

 

数年後、小雨の降る肌寒い春の日に再訪した。

 

近年はレトロ自販機にもスポットが当たり始めているそうだ。ここも関東をはじめとした全国からレトロ自販機ファンが来るほどの聖地となっているのだそうだ。

まぁそれだけ現代に残るレトロ自販機の数が少ないということもあるのだろう。ぜひこれからも長く続けてほしいな。

 

春の雨に打たれて1

明るい時間には初めて見る長沢ガーデン。そびえたつ巨大な緑の看板に描かれたピクトグラムインパクト絶大である。

近年の高速道路のSAやPAはメッチャ綺麗で最高だけどさ、このくらい尖がったコンセプトのSAやPAがあっても面白いと思うんだ。レトロブーム来ているから、刺さる人には刺さると思うぜ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ちょっとメタ的な発言になってしまうが、そういう意味では僕のブログ内では三重県の「伊賀上野SA」の記事が安定して人気があるから、あなたがもしまだ未読だというのであればぜひ読んでくれよ。胃袋に響く記事になっているぜ。

 

春の雨に打たれて2

2台の自販機は元気だ。おむすぎをおススメする貼り紙も相変わらずだ。

ちなみにこの自販機、前回訪問時に35・6年経過しているものだと聞いた。現時点ではもう40年近いのかな?

骨董品級だ。ファンタジー映画に出てくるような、古代のブリキのロボットのような存在だ。

 

現時点でのメニューは、肉うどん・きつねうどん・天ぷらうどんだ。全て290円。

前回から10円値上げされたね。時代の流れだ、しょうがない。むしろ10円程度の値上げで大丈夫かと心配になる。

前回は肉うどんだったので、今回は天ぷらうどんにしてみた。

 

春の雨に打たれて3

おっ、なかなかに具沢山。特に刻みネギの多さが他では見られないレベルだ。

かき揚げも巨大で厚みがあるぞ。パワフルになれるボリュームだ。

 

前回同様に麺は極太でもちもち。ダシは上品な薄味。でもかき揚げのおかげで食べ応えは充分だ。

うん、うまいうまい。290円でこのクオリティよ。コストパフォーマンスも高いし、顔も知らない板前さんに感謝の気持ちしかない。


雨は降り続けているけど、元気が出た。引き続き山陽地方を走り続けるぞ。

日本5周目の山口編は、こうして進んでいった。

 

 

【日本6周目①】夕暮れはエモい

 

2022年、日本6周目でまた訪れた。3回目である。だから今回はちょっと趣向を変えて書こうじゃないか。

 

総合アミューズメント施設1

晴天のドライブイン。充分な広さの駐車場。17時を大きく回り既に西日だが、ツーリングライダーさんたちがひっきりなしに訪れている。

 

まるでここだけずっと時が止まっていたかのように、初回訪問時から同じ光景だ。

いや、きっとベテランの常連さんからしたら僕なんてヒヨッコすぎだよね。10年どころか数10年前から時間は止まっているのしれない。

 

総合アミューズメント施設2

駐車場から本館に向かう際に現れる、写真真ん中の立て札。

左に行くと一般浴場と旅館があるそうなのだ。そっちの方向には行ったことはなかったな。

話には以前から聞いているが、一般浴場も旅館もどこにあるのか知らない。1回目は夜だし2回目は雨だったので、あまり敷地内をウロウロしたことはなかったのだ。

 

総合アミューズメント施設3

小さな文字で日帰り温泉は400円、旅館は1泊3500からだと書いてある。安いじゃないか。いいじゃないか。機会があれば宿泊してみたいな。

 

今回の記事には写真はないけど、この長沢ガーデンって「長沢池」っていう大きな池に半島のように突き出した立地にあるのだ。オーシャンビューならぬレイクビューな部屋とかあるんじゃなかろうかね。昭和レトロな宿泊所でそんな朝を迎えてみたい。

 

総合アミューズメント施設4

これが旅館棟かな?ちょっと暗めな入口。簡素なガラス戸が見えている。

僕好みだ。落ち着いた夜を楽しめそうな雰囲気じゃないか。日本7周目で再度訪れいた際には宿泊してみようかな。

 

総合アミューズメント施設5

あ、仕出し部って書かれた看板ある。そしてドアが限りなく簡素。

仕出しもやっているのかな?その建物に通じるドアなのかな?いろいろやって大体賑わっている。改めていいドライブインだ。

 

総合アミューズメント施設6

「板さんの店 長沢ガーデン」とナイスなフォントで書かれたレストラン。板前さんが料理を作っている、長沢ガーデンのメイン施設だ。前章までに取り上げたレトロ自販機は、この建物の向かって右側を回り込んですぐのところにある。

 

今回ここで食事をする予定はないが、せっかくなのでちょっとディスプレイを眺めていこうぜ。

 

総合アミューズメント施設7

うむ、ドライブインの王道をしっかりと抑えてきているようなメニューだ。手ごろなものからちょっと贅沢したい気分にうってつけのものまで、うまく取り揃えてあるように感じる。

肉うどんは自販機で売られているヤツの、ちょっとゴージャス版なんだろうね。

 

僕、長沢ガーデンをレトロ自販機スポットとして知り、過去2回はレトロ自販機だけを利用してきた。

しかしまだまだ奥が深いのだ。これからやること、多いぞ。ワクワク。

 

 

【日本6周目②】ラスポテト

 

では、お馴染みのレトロ自販機を確認しに行こうね。

 

ラスポテト・ハンター1

前回からさらに数年が経過したので、若干くたびれた雰囲気になってきたレトロ自販機。もう40年以上は確実に経っているもんな。風雨にさらされつつも頑張っているよ。

 

右側の自販機はパネルがかなり色あせた?それとも光の差し込み具合?自分の目で見ているハズだがちょっと記憶から抜け落ちてしまったわ。

そして麺類の値段は350円に。おむすびおススメの貼り紙は無くなっちゃったな。

 

まだ最後の1つであるきつねうどんを食べたことがないのだが、今回はレトロ自販機は使わない。

もう1つ、ある意味レトロ自販機よりもレアなものがここにはあるのだ。

 

ラスポテト・ハンター2

「メリーランド」という名前の、敷地内の小さな売店

たこ焼き・カレー・回転焼き・スフとクリームなどの軽食を店頭販売している。よくあるミニ売店であり、僕も今までスルーしていた。

だがうかつだった。ここにはラスポテトがある。ラスポテトがあるんだよ、ラスポテトが。

 

ラスポテト・ハンター3

ラスポテトが何かというと、オランダ生まれのフライドポテトだ。ジャガイモをそのまま細切りしているのではなくって、粉にした後に整形して作られている。

 

どうやら昭和後期には模擬店や商業施設などで目にすることも多かったらしいが、時代と共に廃れてしまっているという。

Web情報なので正確性はわからないが、令和時代の現時点では沖縄ではそこそこ食べられるお店はあるものの、それ以外では4・5店舗しか提供店がないらしい。

マジか、激レアの絶滅寸前じゃあないか。

 

ラスポテト・ハンター4

店舗の奥に控えめに「Ras オランダ生まれの… スーパーフライポテト」と書かれている。もうスーパーって付いた時点でレギュラーレベルではないってことだよね?特別ってことですよね?それすぐに僕に食わせろ。

 

ラスポテト・ハンター5

売店がまだ営業していてよかったよ。店頭販売の小さな売店なので、17時で閉まっている可能性も考えていた。閉まっていたら僕、長沢池のほとりで夕日を見ながら泣いたでしょうね。

 

窓口の横の券売機に200円を入れてポテトのボタンを押すと、緑のカードが出てきた。なるほどこれが食券なのね、何も書いてないけど。ガチめな横浜家系ラーメンと同じシステムね。

窓口のおばちゃんに渡し、待つこと数分。ラスポテトを入手した。

うれしいな。おばちゃんちょっと無愛想気味なクールキャラだけど、僕はうれしすぎてニコニコ笑顔で受け取ったよ。

 

ラスポテト・ハンター6

200円でこの量。ちょっとわかりづらいけどもマクドナルドのポテトのMサイズくらいのボリュームはあるのかな?なかなかコスパいいと思うよ。

そしてごらんなさい、西日に照らされてゴールデンに輝いておりますぜ。

 

ラスポテト・ハンター7

あ、この写真の方がボリュームわかるかな?結構大きな袋。

家族4人で1つのラスポテトを囲み「今夜のディナーはこれだ」って感じの構図だが、実際これを食うのは僕1人だ。僕1人のものだ、1本たりとも他人には渡さん。

 

ラスポテト・ハンター8

食べてみた。

ザクッ…!といい音がした後に、ほっくりモチモチした感じの噛み応え。そして油のジャンクな香りが口いっぱいに広がった。

 

なにこれ最高。僕の乏しい経験で例えると、コンビニやスーパーで普通に売られているポテロングってあるじゃない。あれが一番近い。

最初のザク感と、何とも言えないジャンクな味わいがアレに近い。でもラスポテトにはそれに続くモチモチ感もある。さらには絶妙な塩味。

これは止まらないな。いや、無理やり止めよう。そして残り半分は今夜の晩酌のおつまみにしよう。

しかしこれが絶滅寸前だって?冗談でしょ?全員好きだろこんなもん。

 

またここに来てラスポテトを食べねばな。

いや、他のラスポテト店を巡ってみるのも楽しいかもしれないな。

 

また来るよ

長沢ガーデン。山陽地方の瀬戸内海沿いを走る国道2号に面したドライブイン

中国地方の大動脈の1つなので、目にする人も多いだろう。しかし今までスルーしていた人多いだろう。

 

今のうちに行っておいた方がいいぞ。昭和な要素がいくつもある。でもいつまで続くかわからない。

人は未来には行けるが過去には戻れないからな。未来へのお土産、経験しておくといいと思うのだ。だから僕はまた行くのであろう。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 長沢ガーデン
  • 住所: 山口県山口市鋳銭司2296
  • 料金: 肉うどん¥350他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.340【佐賀県】田園にそびえるエッフェル塔!高さビル7階分!もはや立派な佐賀の名所!

2024年、今年のオリンピックの舞台はフランスである。フランスと言えばパリであり、パリと言えば「エッフェル塔」なのである。

…ならば!2024年は僕もエッフェル塔の記事を執筆すべきであろう!そうに決まっている。

 

だが残念ながら僕はフランスには行ったことがない。

でも心配しなくていい。「佐賀のエッフェル塔」になら行ったことがあるので、それを書けばいいのだ。

 

 

うん、もうよくわかんない理屈だけど、突っ走ろう。だってオリンピックイヤーだもの!

 

 

田園の中のパリ

 

世界中の誰もが華のパリにあこがれる。昔も今もそうに違いない。

そして僕も例外ではない。パリではないけど、佐賀のエッフェル塔を目指してアクセルを踏んでいるのだから。

 

 

地平線まで続くかのような田園の中の道は、ちょっと僕のパリのイメージとは違うような気がするが、たぶんこれが佐賀の「シャンゼリゼ通り」。

だからもうすぐエッフェル塔が見えてくるに違いない。興奮してきた。

 

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興奮しすぎて道を誤り、なんかえらく狭いところに吸い込まれたりもした。落ち着け落ち着け。

そしてなんだこの道路の文字は。逆側から見ているからということもあるが、なんて書いてあるのか皆目見当がつかない。フランス語かな?

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yama31183/20240121/20240121144632.jpg

 

で、これが佐賀のエッフェル塔だ。

唐突に到着してしまってすまない。実は地平線の向こうからこの尖塔が見えてきたときは興奮もひとしおだったんだけど、ドライブレコーダーからその映像を引っ張り出すのも面倒だなって思っているうちに画像保存期間が終わったからな。その光景は僕の心の中だけで再生するよ。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/y/yama31183/20240121/20240121144606.jpg

 

ほとんど同じ構図だ。うれしくって似たような写真を何枚も撮っていた。

現地の僕は有頂天だが、いざ冷静にブログ執筆する段階になると「もっと工夫して撮影できなかったのかよ」と過去の自分を責めたくなる。

でもいいや。さっきまでドロドロに曇ってのに青空が出てきただけで満足のいく光景だから。

 

そしてごらんなさい。塔の足元にはたくさんの車が停まっている。さすがエッフェル塔、観光客が続々と詰めかけている。

…のではない。「馬場ボデー」という車の板金工場だよ。ここの工場の社長さんがエッフェル塔を作ったんだよ。

 

きわめてのどかな田園の中の板金工場。その敷地にエッフェル塔

仕上がってるな、このロケーション。最高。

 

 

手造りエッフェル塔

 

では、ドキドキしながらエッフェル塔に近づいてみよう。

てゆーか、馬場ボデーさんの敷地内に車を停めてしまったが大丈夫だったのかな?

板金するつもりはないのだが、観光目的で駐車してエッフェル塔の写真を撮っちゃって大丈夫なのかな?でも近くに駐車できるようなスペースもないし…。

 

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しかしエッフェル塔の下には『写真撮影はどうぞ、ご自由に。ありがとうございます。』って書いてあったので大丈夫であろう。

「ありがとうございます。」って、なんて丁寧なんだ。お礼を言いたいのはこっちだよ。僕がここに来て写真を撮っても馬場ボデーさんにとっては1ミリも利益はないだろうに。

 

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それでも気になってチラッと工場の方の様子を窺う。

あわよくば馬場社長にお会いしてエッフェル塔を作るに至った逸話とか聞ければなぁとか思うが、数人の人が忙しそうに働いていてとても声を掛けられる雰囲気ではない。

 

むしろ仕事に集中しているからこそ、わざわざ先ほどの看板に「写真撮影はどうぞ、ご自由に」って書いてあるのかもしれないな。

ではお言葉に甘えてエッフェル塔を見学しよう。

 

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無骨なデザインがいいね。男子が好きなタイプのソリッドなデザインだ。

このブラウン一色で飾り気がないのにオシャレなたたずまい。三角形に空を一直線に刺すシルエット。

 

「東京タワー」はエッフェル塔をモチーフに作られたでしょ?東京タワーは今でこそ「東京スカイツリー」にちょっと勢力を握られちゃったけど、長らく日本のシンボルだったでしょ?

だから日本人、潜在的エッフェル塔が好きだと思うのだ。ほら、富士山のかたちにも似ているしな。

 

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塔の真ん中には階段が付いており、上の方に行くとハシゴになるのだが、ある程度の高さまでは登れる構造になっている。

もちろん勝手に登ったら怒られるだろうから僕は下から見上げるだけだが、もし登ったら景色はいいだろうなぁ。田園地帯が足元にどこまでも広がっているのだろうなぁ。

 

このエッフェル塔、高さは23mあるという。本場のエッフェル塔が320mであり、本場の15分の1ほどの高さ。

ただし周囲が田園なので相当なインパクトがある。23mといえば、ビルで6階か7階分くらいもあるもんな。なかなかのスケールだ。

 

なのにみんな普通にこのエッフェル塔の横を車でブーンって普通に通り過ぎているから、僕は「おいおいおいおい、みんなこの光景に違和感を感じないのかよ!」って思ってしまう。

逆に田んぼの脇でカメラを構えている僕自身が、ドライバーたちに不思議そうな目で見られているよ。違う違う不思議なのは僕じゃない、エッフェル塔だろ。気は確かか、お前ら。

 

 

なぜこれを作ったの?

 

なぜ馬場社長はこんなものを作ったのだろうか?実際にお話を伺うことはできなかったので、Web等から情報を収集させていただいた。

 

それによると、馬場社長は若いころにエッフェル塔を見て感動し、「自分でこれを作ってみよう」ってなったらしい。

板金工場をやっているので、鉄の加工は得意だったのだろう。それでも5年かかったそうだ。

 

ちなみに今回僕が訪問したのは2代目のエッフェル塔。初代より大きく、年数もかけて7年半使った大作なのだそうだ。

仕事の合間にコツコツ作ったらしい。

 

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一個人が作れるもんなんだな、エッフェル塔って。しかも仕事の片手間に。

でもこの馬場社長、こういう加工技術はすさまじい腕をお持ちのようで、以前は零戦を精巧に作り上げ、それは映画「永遠のゼロ」にも使われたそうだよ。すごい。映画は見てないけど原作なら読んでいる。

 

さて、序盤からあなたが気になっているであろう、主塔のサイドにくっついている2つの小さな塔。

「あんな両翼の塔は本場のエッフェル塔には無いぜ。勝手にくっつけやがって。」とあなたが息巻いているのが画面越しに僕にも伝わる。いや、落ち着いてほしい。

 

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実は本場のエッフェル塔ね、このようになる案もあったのだ。

 

もともとエッフェル塔は、1889年にパリで開催された「第4回万国博覧会」の目玉として建造された。

当時って世界一高い建物は240mとか260mとか、そのくらいでしのぎを削っていたので、それを大きく上回る300m超の建物を作ろうぜってなってできたのがエッフェル塔なのだ。

 

万博も無事に終わったので取り壊しの案も出たけど「いい感じだからもうちょっとこのままにしておこうか」ってなったり、10年くらいして「なんか新しいことやってみない?」ってなって両翼の小塔を作る案が出たのだが、資金が足りずに幻に終わった。

 

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馬場社長がその話を知り、幻のリニューアルを実現させたのがこれだ。すごい。ある意味本場よりも先を行っている。リニューアル案を出したのに採用されなかったデザイナーがこれを見たら感動で泣くぞこれ。

 

エッフェル塔万国博覧会というイベントのアピールのために作られた。

それから13年経った今もフランス・パリのシンボルであり、2024年はそこを舞台にオリンピックが開催される。

かつてを彷彿させるイベントじゃないかな。

 

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佐賀の田園地帯を眺めた。これは敷地の端からエッフェル塔とは反対側を眺めたときの写真だ。

 

確かにここは田園だし、エッフェル塔は本場よりはるかに小さい23mだ。

でも、珍スポットマニア垂涎もののスポットだし、地元でも有名だし、Googleマップにも”佐賀のエッフェル塔”として掲載されている。

 

2024年のオリンピックイヤー。あなたもこのエッフェル塔の下でパリを感じてみないか?僕は一足早く感じてきたぞ。最高だった。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.339【東京都】「江古田コンパ」って何!?少し怪しく愉快な空間に1人で3回突撃した!

東京の下町っぽいテイストを残す江古田駅

その駅前にバブリーなビジュアルのお店がある。

「江古田コンパ」。

 

なんだコンパって?

お店の外観を見たことがあっても、中まで入って真相を確かめた人は多くはないだろう。

今回はそんなあなたのために3回ほど突撃し、心を込めて執筆したから読んでいただきたい。

 

あの虹をくぐってみないか?

 

輝くアーチをくぐろうか

 

江古田コンパ、結論から言うとバーのようなお酒を飲めるお店である。

しかしまずは外観が怪しいのだ。赤ちょうちんに誘われてフラリと居酒屋に入る人はいても、この江古田コンパの外観に誘われてフラリと入る人はいないだろう。そんな人がいたらいろいろ心配になる。

 

怪しいアーチが呼んでいる1

昭和レトロなビルに「いらっしゃい」的なムード満載な黄色い電飾アーチが張り付いている。しかしその電飾アーチが怪しさ全開で、逆に本能が「やめておけ」とささやいてくるだろう。

 

僕もさすがに少しだけ事前調査した。

これでエロいお店だったりボッタクリのお店だったりしたら、少なくともこのブログ内にて大きな声では語れなくなるもんな。

 

怪しいアーチが呼んでいる2

しかしそこだけは安心めされよ。女性1人で入ってもまぁ大丈夫なお店だ。

ただ名物ママの長島さんが下ネタしか言わないので、そこだけご留意いただければ良い話だ。

 

…さて、初回のことである。

開店が19時だというのでその数分後に江古田コンパの前に行った。

別に待ちきれないほどワクワクしていたからではない。開店からしばらく時間が経つと、お客さんも増えてお店の雰囲気がいい感じに出来上がっちゃうでしょ?

 

その前に入っておいた方が自分を保ちつつお店の空気に馴染めるからだ。

お湯の中にカエルを入れるとビックリして跳び上がるが、水から徐々に温度を上げると気づかずに茹でられる…という残酷な例え話があるでしょ?僕は後者でありたいのだ。ビックリは危険。

 

怪しいアーチが呼んでいる3

ブッ…!閉まってるじゃねーか!!

当然ながらアーチの電飾も点いていない。

 

江古田コンパはいきなりしばらく休業したり、臨時休業することもあるとウワサで聞いている。ママは高齢だそうだしな…。

こりゃ空振りかな…。でもせっかく来たのだから数分ウロウロしてみようかな…。

 

怪しいアーチが呼んでいる4

しばらくお店の付近にいると、1人のおばあさんがトテトテ歩いてきた。そしてお店のシャッターをガラガラと開けた。

あっ!きっとこの人が名物ママ「長島さん」だ!

 

「お店に来たんですが、これから開店ですか?」って声をかけた。

すると長島さんは「これから準備するわよー。10分くらい待ってから来てね。着替えてお化粧して綺麗になっておくから。ムフン♡」と言って階段を登って行った。

 

怪しいアーチが呼んでいる5

とりあえず「マジかー。そりゃ楽しみですー。」って若干棒読みで返答しつつ、階段を登る長島さんの背中を見送った。

 

ロングドリンクス 自分で作る 処方

カクテル教室 コ ン テ ス ト

創作カクテル シェーク

 

アーチの左下にはそう書いてあった。なんだかわかるようなわからないような。日本語不自由なのか、この文面考えた人は…?

 

怪しいアーチが呼んでいる6

お店の入口で待っているのも、通行人から怪しい人だと思われかねないよな。江古田コンパのことをエロいお店だと思っている人もいるかもしれないし。

 

だからちょっと離れた自転車置き場の影から監視していたら、数分後にお店の電飾がビガガッと点灯した。

そのせいだかどうかはわからないが、自転車を発進させようとした若いお母さんが僕の横でズッコケ、助け起こしたりした。そのお持ち帰りの牛丼、崩れたりしていないですか?大丈夫ですか?

 

怪しいアーチが呼んでいる7

約束の10分が経った。…行くか。

いや待て。何で僕はおばあさん約束なんかでドキドキしているんだ。違う。これはときめいているんだじゃない、ビビっているのだ。

 

この昭和の歌謡曲番組の歌手登場ゲートみたいなのを、1人でくぐっておばあさんに会いに行くんだぜ。どういうテンションでいればよいのか。待ちゆく人の目には、僕はどのように映っているのか。

 

怪しいアーチが呼んでいる8

行くしかない。モジモジしていたらマジにヤバい人だ。

僕は無表情で煌びやかなゲートをくぐると、スタスタと階段を登り2階の店舗入口を目指した。

 

 

豪華なカウンターとカラフルな瓶

 

階段を登る。1階に何があるのかは知らないが、店舗は2階なのだ。

 

店内すごいぞ1

ペンダントライトが複数本ブラブラしている空間。向こうにマリリン・モンロー。あそこが店舗の入口だ。

 

店内すごいぞ2

根拠はよくわからないが、昭和テイストのあふれるドアだ。

丸い取っ手がそう思わせるのか。それともハンドメイド感のある花の絵柄がそう思わせるのか。…どっちもだな。

さて、店内はどんな様子なのだろうか。ドアを引く。

 

店内すごいぞ3

 

か、かっこいい…!!

 

すまん、心のどこかでこのお店をナメていた。

どうせおばあちゃんが自分の好きなように内装を整え、結果「物であふれた昭和の実家」みたいなノスタルジー空間が出来上がっているのだろうと、たかをくくっていた。

 

しかしここは違う。

左右に張り巡らされた重厚な黒いカウンター、赤い絨毯、酒の瓶の並ぶライトアップされたバックバー。

洗練らされた、文句無しにオーセンティックな空間だ。

 

店内すごいぞ4

長島さんが「お待たせ。さぁこっちに座って。」と言いながら現れた。

キチッとバーテンダー衣装に身を包んでいる。こちらも襟を正さねばならぬ。

 

あ、このタイミングで長島さんに許可を取り、店内の写真をいろいろ撮らせていただいたよ。

開店直後、他にお客さんのいない今が最大のチャンスだものな。

 

店内すごいぞ5

店内入って左側、中央付近のイスに座った。誰もいないときは基本ここになるぞ。

目の前には青くライトアップされた棚があり、まるで暗い水族館の中の水槽のように不思議な心地よさがある。

 

店内すごいぞ6

さらにその奥には、同一規格の瓶の中に色とりどりのお酒の入っている棚がある。

ちょっと他のバーでは見ない光景だ。

アメリカのお菓子屋さんでさ、カラフルなジェリービーンズをセルフサービスでスコップでワシャワシャ取るコーナーあるじゃない。アレを思い出したよね。ワクワクしてきた。

 

店内すごいぞ7

さっきの同一規格の瓶もバラバラの規格の瓶も、テプラが貼ってあってナンバリングと内容が書かれている。

あ、これはおばあちゃんっぽいぞ。

普通のバーだったらちょいとダサいが、このあとこのお店の空気を知った後は一周回って「クールだな」って思えた。

 

店内すごいぞ8

500円のおつまみを一品選べる。そしてチャージ料金は400円だ。

おつまみ不要な場合はチャージ料が900円になる。

 

どのみちドリンク以外に900円かかるのだから、おつまみオーダーしておけよって話だ。つまみ一切無しでお酒を飲むことを人生目標にしている人以外であれば。

 

店内すごいぞ9

お酒は基本的にショートカクテル。

所さん・日芸・ムサシ大学・令和・ながしま…。

 

???

お酒の名前に聞き馴染みがないぜ?そもそもこれ、お酒の名前なのか…??

 

 

ショートカクテル・チャレンジ

 

長嶋さんが「そんじゃアンタ、何が飲みたいんだい?どれもすんごくうんめェぞ?えぇオイ!?」って、独特のテンションで絡んできた。

一応好みだとかは聞いてくれるが、僕の経験上なんとなく”江古田の夜”という名物カクテルに誘導されることとなる。

 

僕は記念すべき1杯目を”ヨコハマ”にした。

 

カクテル1

「おぉ、なんだい。アンタ見る目があるじゃぁねぇか。」と長島さんが言い、後ろの棚の「ヨコハマ」と書かれたビンの中身と氷をシェイカーに入れてシェイクしだした。

そうなのだ、この店のカクテルはあらかじめ調合されてビンに入っている。

バーテンダーの役目はそれを氷と共にシェイカーの中で混ぜて冷やすことだ。

 

カクテル2

「はい、うめぇぞ、ヨコハマは」と言われて提供された。

ホテルニューグランドで発明されたカクテルだな。今でもニューグランドで飲めるけど、あそこで飲んだら2000円以上はする。ウチではたったの800円なんだ。800円でいろいろ本格的なカクテルを飲めて、すげぇんだからな。」と、いちいちドラゴンボールの悟空を彷彿させるイントネーションでしゃべりかけてくる。

そっか、オラなんだかワクワクしてきたぞ。

 

ちなみにこれとほぼ同じ説明は1時間ほどの滞在時間で5回は聞いた。

 

カクテル3

バーテンダーのおじさん、原さんが出勤してきた。

長島さんは「シャケトバをお願いね」と、僕のおつまみを原さんにオーダーした。ささやかなボリュームではあるが、鮭とばはうまい。

 

2杯目は名物の”江古田の夜”だ。このカクテルの創作者は長島さん。

カウンターの上には「アルコール度数80%」と書いてあるが、実際はもちろんそんなではないよ。80%のあったら喉が燃えるね。

 

原さんは「これ、作ったのでどうぞ」と生チョコを出してくれた。マジでうまい。

原さんはご機嫌になり、市販のチョコからいかに簡単に生チョコが作れるのか熱弁してくれた。物静かだが女子力高いおじさんだ。惚れる。

 

カクテル4

メニュー表に”ばった(蝗虫・ミント)”と書かれたお酒がある。

これ、グラスホッパーだよね、間違いなく…。バッタと表記されるとは…。なんだか虫の汁みたいじゃないか。

 

しかし僕の好きなデザートカクテルなのだ。長島さんに「グラスホッパーのことですよね?」と確認を取り、オーダーした。

 

カクテル5

うん、うまい。バーでこれで締められると幸せな気持ちになる。

いい感じに酔い、僕は2軒目を探してまた江古田の町を1人徘徊し始めたのだが、それはまた別の機会に書くとしよう。

 

別の日の訪問時のメニューを書いていくぞ。

 

カクテル6

ブルームーン”である。有名なカクテルだよね。ジンベースでスミレとレモンの香りのするスッキリかつフルーティーなカクテルだ。名前もよい。

 

カクテル7

おつまみにはナッツをオーダーした。僕はナッツが大好きなのだ。リスと同じくらいにナッツが好き。

長島さんは「ショートカクテルつぅのはよ、3口でグイっと飲むもんだ。でもアルコール度数が高いから必ずチェイサーの水が一緒に出てくる。ショートカクテルと一緒に水が出ない店は偽物だからな。」と謎に息巻いている。

 

モタモタしているとカクテルがぬるくなるから、昔はそのように言われていたよね。

僕はそこまで職人気質ではないので3口で飲むことは少ないが、おいしさが持続しているいうちに飲むようにはしている。

 

カクテル8

”所さん”という名のカクテル。

所ジョージ」がこのお店に来たときに調合したレシピで作られているカクテルだ。このお店、自分でオリジナルカクテルを作ることもできるのでね。

よくわからないが、黄色ってなんだか所さんっぽいよね。幸せ色。

 

カクテル9

”グラッドアイ”。グリーンミントの香りがほとばしる、さわやかさ全開のカクテルだよね。グラスホッパーと同じく、僕はデザートカクテルとして飲むことが多い。

 

3回目の訪問時は、”令和”という名のカクテルで幕開けとした。

 

カクテル9

レシピはよくわからない。僕は特にレシピを知りたいとも思わないタイプで、見た目と味わいと雰囲気だけを重視する。

ラムっぽい?よくわからないが、おつまみのポッキーのチョコ味にとても合う。

 

カクテル10

メニューにはないが、この店に”ニコラシカ”があることは、以前近くにいたお客さんのオーダーを見て知っている。よしっ、ニコラシカ行くか。

 

これは原さんが作ってくれる。

ニコラシカはブランデーを注いだグラスの上にカットレモンと砂糖を乗せたものだ。レモンごと砂糖を口の中に入れてしばらく嚙み、そのあとブランデーを一気飲みする。こうして口の中で完成するカクテル。当然結構強い。

 

オーダーすると長島さんは「うほほー!知ってるねーアンタ!」と喜ぶ。

そして「飲み方知ってるかい?そうだよ、知っているのか、すごいね!30回は噛むんだよ!」とコメントしてきて、ちょっと離れたところにいる原さんに「30じゃ多いよ。20でいい…。」と冷静なツッコミを受けている。

 

ニコラシカはうまいが、一気に飲むから口から胃まで熱が一気にこもるぞ。

 

カクテル11

”サンダークラップ”をオーダーした。

長島さんは「サンダークラッ」という惜しいところで切れてしまったビンを手元に引き寄せるが、他のお客さんとの会話に夢中になり、「サンダークラッ」のビンが一本だけ寂しそうにたたずんでいた。

 

しばらくしてこのビンの不自然さに気づいた長島さんが「?」って顔をして本来の位置に戻そうとする。

すかさず「あ、それ僕がオーダーしてまだいただいていないヤツです」と説明した。

急かすことも焦ることも無いのだ。江古田の夜は長い。ゆるく行こうぜ。

 

カクテル12

雷鳴という意味のなかなか強いカクテル。しびれるぜ。最高だ。チェイサーの水もうまい。

 

あと、メニューにはないが”レインボー”という7層に分かれたとんでもないカクテルがある。作るのに非常に技術のいるカクテルを原さんが作ってくれる。

それなりに高価だが、あなたがもし興味あるならオーダーしてみるといい。

 

それとさっきちょこっと触れたとおり、この店ではオリジナルカクテルを作ることもできる。

長島さんとお客さんの会話が弾んだとき、あるいはこっちから会話を振ると専用のメニュー表を見せてくれる。

 

カクテル13

僕はやったことないので知らない。自分でやると失敗しそうなので手を出すつもりもない。

だけども興味のある方はやってみると楽しいと思うよ。自分でカクテルの名前もつけられるし。

 

1年に1回でその年の大賞を確定させ、大賞になると店内に貼りだされる。正規メニューになる可能性もあるから夢があるよね。

 

 

愉快なばあちゃんと仲間たち

 

…とまぁ、ここまでは江古田コンパのカッコいいところをメインに取り上げてきた。

ただし避けて通れないのが長島さんのキャラクター。むしろこのキャラクターを受け入れられなければ江古田コンパニの敷居はまたげない。

 

江古田の夜1

事前にほんのちょっとテイストは知っていたが、実際に話すと強烈なクセしかない人だな、長島さん。

初回、「江古田の夜をください」と言うと、「そっかそっか!江古田の夜か!♂♀だなー!」と謎の反応を示された。ちょっと待て、今なんつったよ、このばあさん??サラッと放送禁止用語言ったよね。

 

まぁ息を吐くのと同じくらい普通に下ネタを言う。

手持ち無沙汰になると「♂♀!♂♀…!」って、蒸気機関車の走行音みたいなリズムで繰り返している。

男女グループが来たときなど、♂♀の数でカウントしている。

 

江古田の夜2

イケメンが来ると素直にメッチャ食いつく。経験を聞いた来たり「今どきの…」とか言い始めたり、「みんな学生時代にここに来てお酒のことも性のことも勉強して大人になっていくんだ!」と語りだしたりする。

 

このノリが苦手だったらこのお店は向いていないだろう。

僕は別に好きではないし1人で入店するからワイワイと盛り上がることはできないけど、一緒にいるお客さんや長島さんとほどほどに歩調を合わせることならできるし楽しい時間を過ごせるから大丈夫だ。

 

常にクールで真面目な原さんとのギャップがまたいい。原さん、きっと何10年も長島さんと組んでいるからか、下ネタを聞いても眉1つ動かない。

 

江古田の夜3

でも、長島さんは半分ホスピタリティ、半分天然であろう。

触ってくるようなことはなく、あくまで客商売の一環としてやっている。

まぁ京都名物の生八つ橋を口に突っ込まれたことならあったけどね。常連の女性のお土産の生八つ橋がふるまわれ、「”あーん”しなさい!私がアンタに食べさせてやりてぇんだよぉぉ!」と言われたので。

 

江古田の夜4

10数年ぶりに食う生八つ橋が、こんな店でばあちゃんに口に押し込まれたものだったとはな。人生って何が起こるかわからんよね。

 

江古田コンパは創業70年ほどであり、長島さんは40年以上ここを営んでいるという。

「みんなでワイワイ飲みましょう。それがコンパの意味。もともとはドイツ語。」・「かつては日本のいたるところにコンパがあり、学生とか若い人であふれていた。みんなそこで大人の社会の勉強をした」・「今ではコンパという形態のお店は日本でここだけ」と長島さんは語った。

 

バーともスナックとも居酒屋とも違うこの空間。なるほどこれがコンパか。うまく表現できないけど、これを表す言葉がコンパなのかな?

旅人宿に悪酔いするメンバーが集結してしまったときの夜に近い雰囲気だ。

 

江古田の夜5

隣のグループと旅の話で盛り上がったこともある。

僕が日本を何周もし、車中泊したり旅人宿で出会った人と飲んだりしているスタイルを大興奮しながら「すげーすげー!」と聞いてくれた人もいた。

こういう出会いがいいよね。旅人宿での出会いもいいし、こういうお店での出会いもいい。

 

江古田の夜6

初回訪問時、長島さんは「すげぇんだから。江古田は学校がいっぱいある町だから、そのうち女の子がガンガン来るんだから。」と言っていた。

「えっと、武蔵と日芸と…」と早々に詰まり、あとは原さんが淡々と引き継いでいた。

 

「そんで男女が出会ってカップルが誕生したりしてな。今まで25組が…」って自慢気に話していた。

その話は1時間ほどで5回ほど出たが、出るたびに「23組が…」・「21組が…」と減っていっているのが謎だった。新手の怪談みたいにカウントダウンされているぞ?

 

江古田の夜7

初回は結局女子は現れず、男性客が数名来ただけだった。長島さんは「そのうち来るぞ!そのうち来るぞ!すっげぇんだから!」と言っていたが。

 

長島さんが過去の賑やかだったころの時代の妄想に取りつかれてしまっているだけかもしれない。それとも本当にたまたま静かな夜だったのかもしれない。

つまりは一度だけでの訪問ではこの店の本質を見極められない。だから僕はもう何度か通っていることにした。

日本で唯一のコンパという店、もうちょっと知りたかったのだ。

 

江古田の夜8

こうして2回目以降はワイワイした空気、2つあるカウンターの両方が埋まるような状態となって、長島さんが忙しそうに「♂♀・♂♀!ベロベローー!」とか言いながら走り回るカオスな様子も見ることができた。

 

間を空けて3回目では「あら?見たことあるわね。」・「そうなのね。遠くからまた来てくれたので、うれしいわ、うふん♡」と言われたりもした。

 

江古田の夜はこれまでもこうして何10年も続き、そしてこれからも続くのだろう。

時代と共に人も形態も少しずつ変わるかもしれないけど、長島さんのあの元気で暴走する姿はいつまでも変わりなくいてほしいものだ。

 

 

店を出るとさっきまでの熱気が嘘のように、木枯らしが吹いていた。

ふりかえった黄色いきらびやかなアーチが、夢の終わりを告げていた。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 江古田コンパ
  • 住所: 東京都練馬区旭丘1-67-7
  • 料金: チャージ&おつまみ¥900・ショートカクテル¥800
  • 駐車場: なし
  • 時間: 19:00~25:00(日曜定休)

 

No.338【宮崎県】海が十字に裂けている「クルスの海」!!ここで願えばきっと夢も叶う!

十文字に切り裂かれた海。そんなかっこいいビジュアルの景勝地が日向市にある。

その名も「クルスの海」だ。

僕は中二病だから十文字とかクロスとかって単語を聞いただけで「ヒョー!かっけぇぇ!」ってなる。英語だとクロスだが、あえてポルトガル語でクルスだ。うぉぉ、ダブルかっけぇぇ!!

 

 

細島半島にあり、「日向岬」の一部に属しているとも表現できる。

この日向岬ってヤツが大変魅力的でしてね、日向岬とクルスの海をセットで1つの記事にに執筆しようか三日三晩悩んだ。

だけどもそれだと書きたいことが多すぎてボリューミーになっちゃうから、とりあえずクルスの海だけをピックアップすることにした。

 

 

日向岬の話はまたいつかね。

 

 

トロピカルワールドにようこそ

 

そんな日向岬から1.5㎞ほど。車で走れば一瞬だ。そこに「クルスの海展望台」がある。

…が、まずはもったいぶって日向岬からクルスの海に向かう道中の光景をご紹介したい。なぜならそこがトロピカル感あふれていて大好きだからだ。

 

 

これは日本3周目。正確には日向岬の先端付近からクルスの海方面を眺めた図だ。もう画角にヤシの木が入ると脳は「ここは南国である」と勘違いする。僕は「その通りだよ、きっと」って口に出して答える。

 

 

この道なのだ。このとびきり晴れた日にここをゆっくりと走るのが好きなのだ。

ほんの1㎞ちょっとの道ではあるが、僕にとっては夢が詰まっている。こんな南国植物の並木道がたくさんあるから宮崎県、好きだぜ。

 

 

全く同じ構図を早朝撮影するとこうなる。

まさにハワイアンな常夏サンセットであり、オシャレにフルーツを盛りつけたジュースなんかを飲みながら眺めたい景色である。

 

ただ、実際はハワイじゃなくって宮崎県であり、夏じゃなくて真冬であり、サンセットではなくサンライズであり、僕はフルーツは食べられない。

あべこべだろ?誰がこの事態に収拾つけるんだい?まぁいっか。景色きれいだから。

 

 

ここが駐車場。ここもトロピカル樹木に囲まれていい雰囲気だ。

写っているのは僕の日本4周目の愛車のパジェロイオだ。

 

ちなみにだけどもここは充分な広さの駐車場があるが、自分以外の車が停まっているところを見たことが一度しかない。なぜだ。みんなここには来ないのか?こんな素敵なスポットなのに。

 

 

これは夕暮れの時間の写真。日本6周目、当時の愛車の日産パオで訪問した。

もう日が沈んでしまった後ではあるが、木々のシルエットが夕暮れ空にほんのり浮かんでいい雰囲気だった。

 

 

最後に日向岬とは反対側から駐車場を撮影してみた。あぁ、芸術的なまでにナイスなカーブを描いているじゃないか。

どこから見ても絵になるのだ。まだ駐車場の前後の道を紹介しているだけなのに、うっとりしてきた。クルスの海はまだ1ミリも出てきていないのに。

 

 

十文字に割れた海を見下ろす

 

それでは本題である。駐車場から海ギリギリの展望所までほんの少し歩き、柵ごしに絶壁の下にある海を見下ろす。

 

 

その図がこれだ。東西・南北と、それぞれ岩礁によって約200mずつ海が割れている。岩礁の高さは10mほどあるそうだ。

 

これが日本3周目で初めて僕がクルスの海を見たときに撮影した記念すべき写真。

なお、日向岬には日本2周目から通っているんだけど、そのときはクルスの海の存在をまだ知らずにスルーしちゃったのだよ。

 

 

日本4周目では、ほんの少しだけ引きのアングルで撮影してみた。

なんで海がこんな形になっちゃったのかというと、波や風による浸食だな。

 

もともとね、日向岬もなんだけども柱状節理っていう地形なのよ。

ここいら一体はマグマが冷えて固まってできている。マグマがゆっくり固まるとき、体積が縮んで縦に無数の割れ目ができるの。上から見ると蜂の巣のようにきれいな多角形に。これを柱状節理と呼ぶ。

 

 

柱状節理と言えば福井県の「東尋坊」だとかが有名だけど、とりあえず僕のブログで過去取り上げたスポットだと京都府の「やくの玄武岩公園」だとかかな。上の写真がそれだ。

 

やくの玄武岩公園、僕の記事の中ではアクセス数少なめで寂しい記事なので、この機会にアクセスしてみてほしい。下にリンクを貼っておくね。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

そんな柱状節理だから崩れやすく、しかもここいらの海岸線はリアス海岸的な要素もあるから、波で壊れてまたまた十文字になってしまったというわけだ。

いくら柱状節理だからといってそうそう簡単に十文字になれるわけではなく、僕も日本中の奇岩スポットを巡っているが十文字の海なんてここだけだ。すごいのだ。

 

 

朝日を浴びるとより陰影もクッキリ写っていい感じでしょ?

日向岬で朝日を見るか、クルスの海で朝日を見るか悩んだけど、日向岬の先端で朝日を見ることにしてね、その後マッハでここに来たのだよ。

 

 

波が強い日は十文字部分に波がゲボゲボ入り込んで大変なことになっていた。こうやって長い年月をかけて岩のかたちも海のかたちも変わっていくのだ。

向かって左上の三角の岩、数100年後にはきっと削れてなくなるぞ。そうしたらもうクルスじゃなくなっちゃうから、そのときどう呼べばいいのかあなたも考えておいてほしい。

 

 

願いが叶うスポットとは…?

 

ここね、日向市の公式WebサイトGoogleマップでは名称が「願いが叶うクルスの海」ってなっているのよ。

前からそうだったっけ?10年前とか、そんなゴテゴテした名前だったっけ??

なんだか今はそれが正式名称だそうだが、当ブログでは"クルスの海"と表記させていただこう。

 

さて、なぜ願いが叶うと言われているのか。それは””の字をよく見てほしい。十文字に”口”が追加されると”叶”になるでしょ?

それを踏まえてもう一度クルスの海を見下ろすと…。

 

 

お、おぅ…?

なんとも言えないリアクションをしましたね、あなた。眉間に少しシワが寄りましたね、あなた。大丈夫、僕もだ。「”口”はどこ…?」ってなるよね。

 

 

これは現地の説明版を撮影したものだ。"口"、すげー小さい。マンボウも体に対して口がすごく小さい生き物だけど、クルスの海の口はもっと小さい。

それに海のかたちが"口"の半分も形成できていないし、説明版のように真上から見るなら百歩譲って解釈できるかもしれないけど、展望台からの斜めのアングルだとなかなか理解しがたいなって感じた。

 

 

ただし諸君よ、物事ってのは信じるところから始まるんだと思う。これ、人間関係も同じなんだと思う。知らんけど。

不信を信念に変えてくれるいいオブジェがここにあるのだ。

 

 

その名も「願いが叶うクルスの鐘」!!名称がまんまだ!必死だ!好き!!

これを鳴らせばきっと願いも成就するし、カップルも幸せになれるというぞ。

 

 

この鐘のオブジェは、人と人が支えあうような構図をイメージしているものらしい。助け合い・支えあい、大事。

残念ながら僕は何度も通いながらも一度も鳴らしたことはないが、縁起がいい地なのは確かだ。あなたが行った折にはぜひぜひブチ鳴らしてみてほしい。

 

 

オブジェの向こうの残照が徐々に消えゆく景色も眺めた。海際の断崖の上のオブジェ、これだけでなかなかに絵になる景色だ。

 

 

反対側の空から朝日が昇り、周囲を真っ赤に染めていく景色も眺めた。最高の1日が始まりそうな予感に胸が高まった。

 

僕は”恋人の聖地”的なスポットでは鐘は鳴らさない。ときどき誰もいないときに「どんな音がするのかなー」程度の興味本位でカランコロンすることはあっても、その動作に特別な願いは乗せない。ここクルスの海でも同じくだ。

 

でもね、僕の願いはここに来てこの雄大な景色を眺めた時点で、大体叶ってしまっているんだよ。そのくらい満足感のある景観なのだよ。

 

 

フェニックス並木のゆるいカーブを疾走しながら、次なるスポットに夢を馳せる。

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: クルスの海
  • 住所: 宮崎県日向市細島
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.337【島根県】西日の日本海を見つつ自販機麺!そんな「ドライブイン日本海」が最高だ!

山陰の海沿いの国道に「ドライブイン日本海」がある。

…どうだろう?なんだかこの一文だけでエモーショナルな感覚がしてこないだろうか?

 

実際そうなのだ。

日本海を見ながらのシーサイドドライブの途中に出てくる、ちょっと昭和レトロなドライブイン。そこにはこれまた昭和に隆盛を誇ったレトロな麺類自販機があり、身も心も温まることができる。

 

 

昨今注目を浴びているレトロ自販機を目当てに、あなたも日本海を走ってみてはいかがだろうか?

 

 

始まりは失意から

 

日本4周目を走っていた頃のこと。そこで初めて僕はこのドライブイン日本海を目指すこととなる。

それまではレトロ自販機の存在すら知らなかったからだ。世の中にそんなワクワクする自販機があっただなんて。「義務教育で教えておけよチクショウ!」とすら思ったほどだ。

 

失意の記憶1

なんとも言えない斜線を巧みに使った造形のドライブイン。24時間営業と書かれているが、中はちょっと薄暗そうな雰囲気だ。

これまで何度も走ってきた山陰地方の大動脈、国道9号沿いにこのドライブインがある。でもこれまで視界に入った記憶がない。

 

趣味が変わり、視点が変われば同じところを走っていても、今まで見えなかったものが見えてくる。だから人生って楽しいよね。何度かやり直したい。

 

失意の記憶2

いい感じのレトロ感じゃないか。

だけども自販機はいろいろと充実しているし、ちゃんと清潔感のあるイートインブースがある。これで24時間オープンしてくれているのだ。

高速道路があればSAやPAがあるだそうが、高速の無いこのエリアにおいては貴重なオアシスだろう。ましてやコンビニの無い時代であればなおさらだ。

 

失意の記憶3

中には例のレトロ麺類自販機がある。

ヒャッホー!!ご本尊!!貫禄が違うぜ、他の自販機とはよぉぉーー!

この木目調シートはオリジナルのものであろう。他ではちょっと見たことない。それが渋くって古くて価値のある家具みたいにも見えて、思わず手を合わせたくなる。

 

失意の記憶4

メニューは天ぷらうどんと、西日本特有の肉そばで、どちらも330円。

じゃあ肉うどんを食べよっかな…。そう思って自販機に近づいて、ヒザから崩れ落ちるくらいのショックを受けた。

 

失意の記憶5

どちらもすでに売り切れなのだ。

せっかくここのためにランチを軽めにたこ焼きだけにしておいたのに、なんてこった。

 

過去にもレトロ自販機を訪問したら売り切れだったっていう経験は何度もあるけど、やっぱ自販機だからしょうがないよね。

そして人間って、こういう挫折を乗り越えて大人になるしかないんだもんね。

 

失意の記憶6

でも、店内は古いながらとても綺麗で、オーナーさんの愛を感じたよ。

自販機には手書きの『具は、めんの下に入っています!!』の貼り紙があったし、片隅には『ご自由にお持ち帰りください』の貼り紙と共に、かわいい折り紙の細工とかあって、ほんわかする。

どちらも利用者のことをすごく考えているのだろうなぁ。

いずれ機会があれば、ちゃんとここで自販機メシを食べたいなぁ。

 

…はい、ここまでが日本4周目当時の手記だ。

 

 

念願の自販機麺

 

その後、日本5周目ではいろいろあってスルーした。

ときは流れて2022年、日本6周目の後半、満を持してこのドライブイン日本海を目指す。リベンジだ。

 

西日のドライブイン1

なんていい天気なのだろう。空も海も綺麗だ。

だがそんな景色とは裏腹に、僕の心はザワついていた。

 

現時点の時刻はすでに17時過ぎ。夕方なのだ。

ドライブイン日本海の商品補充のスパンってどのくらい。1日に準備している商品数ってどのくらい?

自販機ではあるが中の商品は高齢のオーナーさんが手作りしていることも多く、毎日朝から天ぷらをあげてくれていたりするのだ。ホント頭が下がる。

 

で、ここ数年レトロ自販機ブームでしょ?需要と共有のバランスは如何に。朝の商品補充直後だったらまだしも、この夕方の時間に在庫は残っておるのか?

そりゃ心中穏やかなワケがなかろうて。

 

西日のドライブイン2

到着。あぁ懐かしいドライブイン。西日を受けて本来の色よりもやや赤みがさしている。エモ。

 

しかしそんなことはさておき。気になるのは自販機麺が売り切れていないかどうかだ。

前回も空振りだった。そしてもしまた今回も空振りだったら、あなたなら立ち直れますか?僕はちょっと自信ない。

DEAD OR ALIVE」とつぶやいた。

 

自販機そば1

店内に入った。

前回同様「いらっしゃいませ」のフォントが元気爆発している。レトロ自販機の右側に、以前はなかったカップヌードル自販機が設置されている。

いや、そんなことはどうでもいい。麺はあるのかないのか。いらっしゃいませモードになっている僕の胃袋に麺を届けることはできるのか。

 

自販機そば2

よぉぉしッ!!にくそば・天ぷらうどんどちらもご健在!!在庫がある上に選択肢もあるという幸せ。喜びの舞を踊っていいですか?

 

興奮を抑えつつも僕はどちらを食べようか考え、にくそばを選んだ。

そして実は最初の訪問から10年近い歳月が流れているにもかかわらず、値上げが330円から350年と、20円だけなことに感謝した。

 

自販機そば3

およそ20秒後、取り出し口からそばが出てきた。うおっ、驚くほどに黒一色。麺自体もなかなかに黒い上に具が見えない。

しかし案ずるなよ、貼り紙にある通り『具はめんの下に入っていますョ』。以前の張り紙に対し"ョ"が追加された。特に余白を埋めるためとも思えない、この無理矢理な"ョ"により、優しい世の中がさらに優しくなったという説もある。

 

自販機そば4

以前はな、このテーブルは空白なままで、僕が突っ伏して泣くのに使われたんだよ。

しかし今回はこのテーブルの上にそばを置くことができるんだよ。うれしいじゃないか。絵を描いてこそのキャンバスだろう?そういうことだ。テーブルは突っ伏して泣くためのものではない。ときどきだったらいいけど。

 

自販機そば5

麺の下に入っている具を掘り出した。かわいいカマボコが2つ出てきた。

にくそばだから当然肉も入っているよ。カマボコの横にチラッと写っているのだが麺と完全に同じ色なのでほぼわからんがな。忍者のように同化している。

 

とりあえずだ、うまかった。

醤油ダシはスッキリしつつも牛肉の旨味が溶け出していてコクがあり、力強い側面を感じる。麺はあっさり食べやすい。

手軽に食べられておいしい。自販機麺の魅力だ。あぁ、なんて幸せな時間…!

 

 

潮騒を聞きながら

 

そばをすすっていると、外からかすかながら電車の走行音が聞こえてきたので外に出てみた。

 

潮騒ドライブイン1

ドライブインの目の前を、ちょうど列車が通過する瞬間であった。

国道9号に沿って山陰本線の線路が走っているのだ。実はこのドライブイン折居駅からほんの200mほどしか離れていないのだよ。

 

潮騒ドライブイン2

西日に当たりながら日本海を進む列車。なんて風光明媚なんだろう。

僕はほとんど電車旅の経験はないのでわからないが、この景色を見ながらノンビリ列車に揺られるのも最高なのだろうな。

 

潮騒ドライブイン3

食べ終わった後は、日本海潮騒を聞きながら少し施設内を見て回った。

『いらっしゃいませ』の左側には、数々のメニューの札が掲示されている。おにぎり・いなり・サンドイッチ・ハンバーグ…。

 

過去のメニューだろうか?

今も汎用自販機内にちょっとしたパン類などはある。しかしこれらのメニューを自販機で提供するのは難しいだろう。

ドライブインが以前有人の食堂だったりしたのだろうかね?昔は食堂スタイルだったが今は自販機のみとなったドライブインって結構あるもんね。

 

潮騒ドライブイン4

昔懐かしいゲームテーブルもある。しかもちゃんと稼働しているようだ。全然リアル世代ではないけど、これを見かけると嬉しくなっちゃうな。

 

潮騒ドライブイン5

卓上の七味唐辛子はなかなかに攻めたサイズだ。辛党も満足するだろう。割り箸はワンカップの日本酒を再利用しているようだ。良い。

 

潮騒ドライブイン6

小さなゲームコーナーもある。

『店内で「ネコ」に食べ物をやらないで下さい』の貼り紙もある。謎のネコ強調だ。ノラネコでも付近に住み着いているのかな??

 

では、そろそろ出発するか。

 

潮騒ドライブイン7

あぁ、来れてよかったなぁ。次に来たら天ぷらうどんを食べたいものだね。

自販機の在庫が気になってすぐに店内に飛び込んだが、最後はゆっくりと全容を眺める。

…ん?あれ?お店のロゴ部分に違和感を感じてカメラをズームしてみた。

 

潮騒ドライブイン8

ネコいた。あんなところを悠々と歩いていた。

そこからの日本海の眺めはさぞかし良いであろうな。じゃあな、ネコちゃん。

 

潮騒ドライブイン9

西日に追いかけられながら、僕の日本海ドライブが再開される。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.336【京都府】千本鳥居で有名な「伏見稲荷大社」!!夜はダンジョンっぽくてドキドキ!

京都について常識的な知識を持つ人々よ、申し訳ない。

今回は、千本鳥居として世界的に有名な、あの「伏見稲荷大社」に何の事前知識もない僕が突撃する話をさせていただきたい。

恥ずかしながら、この年まで伏見稲荷大社についてほぼ知識ゼロのまま過ごしてきたのだ。

 

遠い異国の地に住む人が「日本には赤い鳥居が無数に連なっているスポットがあるんでしょ?」って、どこかで見た1枚の風景写真を元に語る。そういう次元の知識しかない僕が、ふと思い立って伏見稲荷大社を目指すのだ。しかも夜に。

 

観光情報としてはほとんど参考にならないと思うので、あくまでエピソード紹介として執筆するぜ。

刮目せよ、これがレベル1の京都観光だ!

 

 

伏見稲荷大社って夜でも行けるの?

 

2023年の年始のことだ。日が暮れてずいぶんしてから、滋賀県を経由し京都府に足を踏み入れた。

 

古都を走る

今夜中に大阪府に行きたい。しかし京都府を素通りするのは失礼だ。どこか観光したい。夜でも観光できるスポットは無いものか。

そして行き先を鑑みると京都駅よりも南がいい。

 

拝観料がかかるスポットは夜はもうクローズしているだろう。

京都駅の南で夜間も解放されていそうで京都っぽいスポットと言えば…。

伏見稲荷大社だ。今行くしかない。かつては毎年のように秋に京都一人旅をしていながら、一度も行ったことのないこのスポットに今こそ行かねば。

 

ナビに伏見稲荷大社を入力し、それに従って車を進める。

 

京都タワー見えた

右手の彼方に「京都タワー」が見えた。妖しく光っている。

ちなみに僕、あのタワーの中に入っていたレトロ浴場「京都タワー大浴場」にだって入ったことあるんだぜ。2021年のコロナ禍に、57年の歴史を閉じてしまったよね、悲しい。

 

伏見稲荷大社が近づいてきたようだ。

しかし道は住宅地っぽいところに入りアホみたく狭くって不安になる。あれ…、伏見稲荷大社ってこんなところなの?道を間違えていない?ナビ入力を間違えていない??

しかも周囲は真っ暗だ。ワクワク感がゼロ地点まで乱降下する。

 

伏見稲荷駅

路地の途中、いきなりピカピカに明るい駅が現れた。伏見稲荷駅だ。なるほど、目的地は近いと判断で来たぞ。

まだチラホラと電車から降りてくる人もいるし、駅前の食堂も営業している。すごく安心した気持ちだ。

 

こうして伏見稲荷大社の目の前まで来たが、駐車場はどうしようか。

とりあえず鳥居に向かって数100m左に進んだらコインパーキングがあったのでそこに停めた。

有名スポットだし正月だからか、すんごい割高。ガラガラなのもうなずけるくらい高い。まぁしょうがない。出費を抑えるためにも30分で観光してここまで戻ってこよう。

 

参道を行く

暗い参道だが、ほのかに明かりが灯っている。歩いている人もいる。

よしっ、これは大丈夫だ。この時間の訪問でもOKだと確信したぞ!僕はルンルン気分の小走りで鳥居をくぐった。

 

 

千本鳥居って夜でもくぐれるの?

 

いきなり明るくて広い空間に飛び出した。横から。

 

楼門登場

どうやらこれは楼門らしい。そして僕は拝殿に対して正面にあたる表参道ではなく、一本左手の裏参道である神幸道というところを歩いていたらしい。

まぁいいけど。駐車場が神幸道側だったから、自ずとそっちを選ぶことになるよね。

 

しかし20時過ぎのこの時間でも明るく、数人の観光客が写真を撮っている。さすが伏見稲荷大社、この時間でも観光客がいるのだ。

 

楼門を正面から

楼門がカッコいいので正面に回って撮影もした。

よい。さっきまで滋賀県にいたしこれから大阪府に行く僕だが、ちゃんと京都観光をしているぞ。そんな自分を褒めてあげたい。

 

外拝殿は暗かった

楼門の後ろにあるのは多分外拝殿。

暗い。なんでか知らないけどここだけ暗い。なんで?

 

ギャンギャンに明るいエリア

その横のブースは目がくらむくらいに明るいのに。

これは日中であればお守りとか売っている場所かな?もう夜だと何が何だかわからんよね、これはこれで楽しい。

 

改めて外拝殿

感度のいいカメラにチェンジしてもう一枚外拝殿を撮影した。

外拝殿をグルリと一周してしまっているのだが、高額なコインパーキングのためにも早め観光が必要な僕がなんでこんなことをしているのかというと、千本鳥居の場所を見つけられてないからだ。

 

千本鳥居ってどこにあるの?なんかこう、もっと目立つところにあるのか、看板とかでデカデカと示されているのかと思った。

もっと言えば、伏見稲荷大社って千本鳥居だけで出来ているのかと思っていた。もう何もわからん。

 

本殿が現れる

階段の上に本殿が現れた。本殿は明るくてかっこいいな。しかし千本鳥居はどこだ。

キョロキョロすると本殿の後ろの方が少しだけ明るい。あっちかな?

 

そうだな、冷静に考えればなんとなくわかるハズだったのだ。千本鳥居は奥の院へと続く参道であり、本殿の後ろにあるということを。

すっかり舞い上がって冷静な判断力を無くしていた。

 

玉山稲荷社の横から入る

暗いしデカいし怖い。

あれ?千本鳥居ってこんなだったっけ?僕の記憶がおぼろげなのかもしれないけど、鳥居がすんごい連なっているのって伏見稲荷大社で間違いないよね?

そして千本鳥居ってもっとこう、赤くって小さくなかったっけ?


僕の前に暗がりの鳥居に吸い込まれるように入っていった人がいるので、僕も続いてい見ることにした。ほぼ真っ暗だが先人がいるなら一握りの勇気を持つこともできる。

 

念願の千本鳥居

千本鳥居だ!!念願の千本鳥居だ!!

メッッチャ暗いけど!!!

 

 

赤くて暗いダンジョンの中で

 

暗い。僕が泣き出さないギリギリ限界まで暗い。

 

左右の分岐

序盤でいきなり左右の分岐が出てきた。そんなの聞いていない。

どっちも暗くてほとんど見えないくらいだ。怖い。でも前にいた人が右の道を選んだので僕もそっちに行った。

 

しかししばらく鳥居の中を歩いていたのだが、前にいた人が消えた。

「おかしいなー、なんだろなー、怖いなー。」って思っていたら、鳥居の隙間からいきなり現れたので心臓止まった。

 

暗闇に連なる鳥居

前の人は別に僕を驚かそうとして鳥居の陰に隠れたわけではない。

このほぼ真っ暗な中で写真撮影をすると、どうしても手ブレする。手ブレを抑えるには腕を固定する必要がある。腕を固定できるようなところは、ここには鳥居の柱しかない。

だから柱に腕を密着させてシャッターを切るのだ。自分で撮影してその理由に気づいたわ。

 

おかげで上の写真のようにそこそこ明るい写真が撮れるのだが、実際は死ぬほど暗い。

てゆーかこの写真、全然鳥居に見えないよな。赤くて怖いダンジョン。

 

なんか広いところに出た

いきなり鳥居が途切れた。一瞬だけだけど。

ここは奥社奉拝所というところ。ダンジョン内の序盤に出てくるセーブポイントみたいなところだと思う。知らんけど。

 

境内MAP

ここに境内MAPがあった。

なんだよ、もっと序盤にこれを見せてほしかったよ。

いや、たぶん序盤にもあったのだろうが。暗くて気づかなかったか、裏参道を歩いたので見れなかったのかのどっちかだ、きっと。

 

この地図で千本鳥居を辿ると、メッチャ距離が長いのな。稲荷山って山の山頂まで行っているじゃないか。

これ登山じゃないか。何分かかるんだよ。真冬の夜に登って遭難しないか?他に登っている人はいるのか?

 

そもそも観光気分でフラリと来た人って、山頂まで登るのが正解?途中で引き返すのが正解?引き返すとしたらどこいらへんで?

 

赤の洞窟1

まだ周囲に何人かの人のシルエットが見えるので、もうちょっとだけ進んでみようか。

僕は再び赤いラビリンスに突入する。

何もない赤い空間。進んでいるのか進んでいないのか、感覚がマヒする。昼間であればもっといろんなものが見えてそうは思わないだろうけど、夜はわからんのだ。無限ループに吸い込まれていないだろうな、これ。

 

新しい鳥居

平成後期の比較的新しい鳥居もある。

どうやらこの稲荷山には1万本の鳥居があるらしい。全然千本鳥居じゃないじゃん。1万本鳥居じゃん。こんなの全部くぐっていられないよ。ありがたみが深すぎるよ。

 

赤の洞窟2

連なりすぎる赤い鳥居。

なんだかもう内臓の中を進んでいるような、グロテスクな気分にもなってくる。…そんなこと考えるヤツにご利益なんてないですよね、すみません。でも不安なんです。

 

こういうとき、僕は芥川龍之介の「トロッコ」という小説の少年の気持ちにメチャ共感してしまうのです。

旅が好きだけども、遠くに行きすぎてふとした瞬間に泣きたくなるくらいに不安になる気持ち、わかるのだ。あ、読んだことない人、ごめん。

 

赤の洞窟3

鳥居に導かれてゆるゆると山を登っていた。

しばらく歩くと再び鳥居が途切れて山のふもとに降りていけそうな歩道があったので、そこから帰ることにした。

後日ふりかえると、たぶんそこは熊鷹社のあたり。

 

暗い道を歩く

そしてこれも後日ふりかえってわかったのだが、稲荷山には1万本の鳥居があるものの、その中の"千本鳥居"と呼ばれているのはふもと付近のみらしいね。

鳥居がギュウギュウに密集していて絵になるスポット。僕らが想像する千本鳥居がまさにそこ。

 

そして僕が今回歩いたのも、ちょうど千本鳥居部分の最初から最後付近だったらしい。

偶然にも初心者として一番適切な部分だけを歩いていたらしい。

 

あ、京都タワー

道すがら、すごく遠くにまた京都タワーが見えた。うんとズームさせて撮影した。暗闇を照らすロウソクのようだと思った。

 

こうして本殿脇まで続く遊歩道を降りてこれた。帰りは表参道を歩いてみたよ。

 

表参道に建つ鳥居

表参道を最後まで歩いて気付いたんだけど、鳥居の右側に参拝者用の無料駐車場あるじゃないか。しかもガラガラじゃないか。なんてこった。

 

まだ初詣シーズンだから日中はきっと満車だっただろうが、この時間は空いているのだ。知っておけば有料駐車場に停めて焦って観光することもなかったな。

まぁいいけど。これも思い出だ。これを人生唯一の伏見稲荷大社観光にするつもりはないからな。初回はこんなもんでいい。

 

 

エピローグ:メシと風呂を求めて

 

駐車場に戻る前に、目の前にある伏見稲荷駅を再び訪問してみた。

さっき車窓からチラリと見えた駅前の食堂、雰囲気がよさそうだったな。まだ営業しているなら立ち寄ろうか。

駐車場代は増えるけど、それだけの価値があるなら別にいい。何より僕は腹が減っているのだ。

 

再び伏見稲荷駅

しかし駅前食堂はちょうどおじさんがシャッターを下ろしているところだった。

しょうがない、縁がなかったと思おう。

 

駐車場に戻ると近くの入浴施設を検索し、そこに向けて車を発進させた。

夜になったら飯食って風呂入って寝る。でもあてのない車中泊旅だと、都度ご飯を食べるところもお風呂も寝る場所も探さないといけないのだ。

大変だし疲れるけど、これがとても楽しい。アドリブは楽しい。1分先どうなるかわからんから。

 

たこ焼きナイト

だから、庶民的な雰囲気のたこ焼き屋さんをふと見つけたときはうれしかった。

そこで買ったたこ焼きが「あれ?関西圏のたこ焼き屋さんって、もれなくおいしいんじゃないの?あれれ?」ってレベルだったんだけど、それもまた楽しい。

 

伏見温泉

車も入れないような狭い道の先にあった「伏見温泉」という激渋銭湯に入ったが、ここもよかった。地元の人とゆっくり熱いお湯に浸かった。

寒い夜、千本鳥居を歩いた後に最高のお湯。

 

またいつか、千本鳥居

次は明るい時間にいこう、伏見稲荷大社

そして右側通行で正解だったんだな、左右分岐ゾーン。知らず知らず歩む道は大体正しい。今後もそう思える人生でいたい。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.335【青森県】泊まれる遊郭「新むつ旅館」!!またいつか再開してほしいと切に願う…!

国の登録有形文化財であり、泊まれる元遊郭「新むつ旅館」。

女将さんが亡くなり2022年廃業となった。

 

現在は外観は見ることができるものの、中に入ることはできない。あの激渋な建物内部、特徴的なY字階段、吹き抜け部分の空中回廊…。

あのドキドキワクワクする空間に、僕らはまたいつか足を踏み入れることができるのだろうか…。

 

 

これは世の中にコロナが蔓延するほんの少し前の年始、僕が新むつ旅館に宿泊した物語である。

手を伸ばしてももう届かない思い出、この折に聞いてはくれまいか。

 

 

美しきY字階段と空中回廊

 

日本6周目、刺すような寒さに凍えながら、僕は新むつ旅館に到着した。

ちょうど日が暮れ、あたりが暗くなってきた時間帯であった。

 

新むつ旅館外観1

泊まれる元遊郭。僕はこの日を楽しみにしてきた。

明治時代に建てられたというこの激渋な建物は、(訪問当時)80歳になる女将さんが営んでいる旅館である。

歴史的建造物に泊まれることに僕は興奮を隠しきれない。

 

新むつ旅館外観2

暗い街の中、旅館の中からふんわりと温かい光が漏れている。ガラリと引き戸を開けると女将さんが「寒かったでしょう」と迎え入れてくれた。

 

Y字階段の間1

これは翌朝撮影したものだが、玄関に足を踏み入れたときの光景がこれだ。

 

奥のメインホール右手にY字階段の最下部が見えている。あぁなるほど、あのY字階段は横向きで設置されているのね。

そしてホールに石油ストーブが最低2つ設置されているのも目に入った。1月の青森、しかも断熱材などない明治時代の建物はとても寒いのだ。

しかし夢にまで見たこの光景に興奮し、カバンを握る手に汗がにじんだわ。

 

Y字階段の間2

少しだけ足を踏み入れた。2階の吹き抜けがよくわかる位置だ。

右手頭上には空中に渡り廊下が設置されている。Y字階段とこの空中回廊がこの旅館の何よりの特徴であり、洋風のデザインも意識つつ造られたというこれらのセンスが最高だ。

 

実際は女将の案内で一度お部屋に入って荷物を置き、そのあと許可をいただいて各所を見学したのだが、そういうのは割愛してすぐにY字階段の正面に回った写真をお見せしようぞ。

 

Y字階段の間3

 

Y 字 階 段 !!

 

 

すごくいい!この良さを言葉で表現できないことが悔しい。なんて美しい造形なのだろう。

 

ちなみに僕が想像していたよりも規模は小さめで、身長のある人は階段を降りる際に頭を下げないと空中回廊にぶつかる。

そしてこの記事で写真は掲載しないけど、チェックアウト前に同行者と一緒に階段に座って写真を撮ったら、かなりぎゅうぎゅうになるほどの幅だった。かなり小柄な人間2人がなんとか座れるくらいの幅なのだ。当然だが100年前の日本人基準で造られたものだからなのだろう。

 

Y字階段の間4

このY字階段の正面に当たる吹き抜けホールは、天井も高い。その最上部の屋根には天窓が開いている。

今でこそ蛍光灯が昼も夜も明るく照らしてくれるが、明治・大正時代はきっと昼間はこの天窓が活躍したのだろう。周囲をグルリと壁に囲まれてはいるが、頭上からほのかな光がこのY字階段を照らしてくれたに違いない。

 

Y字階段の間5

Y字階段を登り、空中回廊を眺めてみた。この歴史の重みを感じさせる色合いの廊下と手すりがたまらんじゃないか。何10年と磨かれて、黒光りしているよ。

こんなところに実際に宿泊できるんだぜ。うれしくって回廊を何往復もした。

 

Y字階段の間6

回廊を回り込んでみた図がこれだ。真下にY字階段正面の玄関ホールを見下ろしている。写真の1階部分右奥に見えているのが玄関だ。

ところでここだけ手すりが竹製なんだね。もしかしたら途中でリノベーションしたのかもしれない。

 

では、この回廊から客室に入るぞ。

 

 

和の魅力が散りばめられた客室

 

僕の泊まる部屋は七番だと言われた。

 

客室1

部屋の扉の上に将棋の駒のような造形の部屋番号札があり、そこで確認する。これも明治時代当時のものだそうだ。

その下の梁にくっついている黒いものは釘隠しだ。これはどうやら梅を象ったものらしい。遊郭はこういう1つ1つの装飾にいたるまでオシャレだな。

 

客室に一歩足を踏み入れて、うれしさのあまり「わぁ…↑」という声が漏れた。

 

客室2

二間続きだ。キュンキュン来る空間だ。充分に広い和室はしっかりとストーブで暖められており、ちゃぶ台の下には電気カーペットもありぬくぬくと温かい。

そして布団もさすが北国、重厚だ。あとの話になってしまうが、すっごく温かくって快適に幸せに、に朝を迎えることができたのだよ。

 

客室3

そりゃ僕も一時期は「和室は古臭くてダサい。洋室がいい。」って思っていた時期があったさ。

自宅であればそうかもしれないけど、せっかく旅立ったら日本の文化を深く知りたいと思うんだ。普段できない体験をしてみたいんだ。だから和室の宿、すごくいい…!

 

客室4

それに見てくれ、この床の間を。鶴が咲いている木があるぞ。

女将さんが一羽一羽丁寧に折ったのだそうだ。その他の小物も含め、この空間すべてが芸術品だ。客室にこんなチャーミングで渋い装飾があるなんて、感動の嵐だ。

 

客室5

もう片隅には歴史ある陶器と、あとは何やら書かれた木材がゴチーンと置かれていた。

これは、かつてこの旅館の横に蔵があったんだけど、それを解体した時に出てきたものらしい。ちなみに達筆すぎて僕には解読できない。

 

客室6

ただ、新むつ旅館の公式Webを拝見したところ、明治や大正時代当時の遊郭料や米や酒の値段なども書かれており、当時の情報を知る上で大変貴重なものなのだそうだ。

そんなものが客室に…。これ、本来は資料館とかに置いておくべきレベルの一品なのでは??

 

客室7

右は年季の入った鏡台だ。左は…、何かな?小物入れ?

鏡台も明治時代のものが残っているとのウワサを耳にしている。この写真のものはいつのものなのだろうか?少なくとも僕よりも先輩であろう。骨董品級に違いない。

 

客室8

部屋の中の釘隠しのデザインは折り鶴だ。なんてかわいいデザイン。

たくさんあったものの、長い歴史の中で次々と盗まれて、ただ1つを除き後からレプリカ作成したものなんだって。これは本物かな?レプリカかな?もうどちらも同じようにこの旅館に馴染みきっているのだろう。

 

客室9

部屋の入口とは反対側、つまりは外側は窓になっているわけではない。

障子を開けるとごらんのとおり、窓との間に細い縁側のようなスペースがある。ここを辿っていくと1階に降りるメッチャ急な隠し階段があったりしたのだが、転げ落ちそうなので使用しなかった。

冷気を遮断するためにこうやって2重構造になっているのかな?

 

客室10

客室だけで情報量が多すぎ。僕にとって未知のワクワクがいっぱいだ。

楽しいなぁ。

 

 

小物であふれる賑やかな帳場

 

Y字階段の正面の部屋は帳場だという。

 

帳場1

…ん??帳場ってなんだ?聞いたことはあるが自主的に使用したのは生まれて初めてだ。

どうやらホテルのフロント、お店のレジのような役割をするブースのことだそうだ。なるほどなるほど。

ここには家庭的かつ庶民的なテイストも同居していたよ。

 

帳場2

ちなみに帳場から眺めるY字階段はこんな感じ。

 

帳場3

女将さんが作っている折り紙の細工が華やかだ。そうか、ここは折り紙細工が次々生まれる工場でもあったか。

 

帳場4

何がどう魅力的なのか、うまく説明できない。

だけどもちょっとオシャレな親戚のおばあちゃんの家を垣間見ているような気分になり、ほっこりするのだ。忘れていた日本人のDNA。体験すらしたことないけど先祖の代から刻まれてDNAが喜んでいるのかもしれない。

帳場5

これはなんだろう?たぶん衣桁。着物を掛ける専用のハンガーを衣桁というということを、初めて知った。

それのミニチュア版だろう。人形用とかで制作しているのかな?ゴージャスさが遊郭って感じだ。よく知らないけど。

 

帳場6

酸いも甘いも味わってきたような顔をしているタンスたち。

古民家などで飾ってあるのは見たことあるが、普段使いされている様はなかなか目にする機会もないよな。

 

着物の切れ端をリメイクしたような布で彩られていて綺麗だな。

使われている限り、道具はいきいきする。このタンスたち、まだまだ引退せずに頑張り続けるのだろう。

 

帳場7

一番背面の壺のようにくびれたオシャレな棚は何?デザインからして割と最近のものかなって思ったけど、足元を見てなかなかの年代物かもしれないと思い直したけども。

これまたセンスのいい小物でコーディネイトされているのだ。

 

帳場8

足元の円形の棚もハイカラだ。埴輪もチョコンと鎮座している。

 

帳場9

トトロ?これは和風なミニトトロ??

こんな光景を愛でながら夕食の時間を待った。楽しいひとときであった。

 

 

豪勢な食事とブラタモリ

 

19:00ちょっと前、夕食が出来上がったそうなので食事部屋に向かった。

ちなみに食事前にお風呂は済ませてある。お風呂はリノベーションされていて使いやすく快適だったぞ。

 

食事1

刺身に煮魚に肉野菜炒め、それから小鉢がいくつか。うんうん、それなりに豪華ですな。

女将さんに瓶ビールを頼んだ。飲まねばと。同行者とカンパイとかしていると、女将さんが追加でサンマを滑り込ませてきた。

 

食事2

1人1匹か。急に完食の難易度がUPしたぞ。酒飲みながらこれらを食べきれるのか…!?

僕らの様子をイスに座って眺めている女将さんに「量多いですね…!」って感想を述べると、「せっかくの旅行なんだから足りないって言われないように多めにしているのよ」との回答が返ってきた。

僕も出していただいた食事は残したくないしな。長期戦覚悟で挑もう。

 

食事3

見てくれ、この刺身のツヤツヤ感を。冬の東北の海の幸って、レベル違うからな。

東京でも銀座とか一級のところで食べればこういうのに出会えるだろうけど、近所のスーパーではどう頑張ってもこのレベルのものは食べられないからな。マジで魚の概念変わるぞ。

 

ゆっくり食べているとTV番組「ブラタモリ」が始まった。番組史上初めての海外ロケであり、女将さんも「すごいねぇ、珍しいねぇ」と言って見入っていた。

女将さんと一緒に感想を述べ合いながら見たブラタモリ、楽しかったなぁ…。

 

食事4

この写真に、女将さんが腰かけていたイスの写真が写り込んでいる。

足腰が弱くなっていた女将さんは、ビール瓶の向こうのあのイスから穏やかな顔で僕らを眺め、そして語らい合ったのだ。

 

しきりに寒さのことを気にしていたが、大丈夫、部屋もここもすごく暖かかったよ。

でも正直、そこ以外は死ぬほど寒かったけどな。夜のY字階段の間もトイレも、点在するストーブが稼働していたにも関わらず、キンキンに冷え込んでいたな…。

しかしそれも真冬の日本家屋の醍醐味だと思っているよ。

 

食事5

終盤、ドカンと具が盛りだくさんなお味噌汁とモリモリなご飯が出てきた。

ギリッギリで完食できた。食べ終わったらもう20:30だったよ。そのあとは部屋でゆっくりとお茶を飲んですごした。

 

…ちなみに翌朝なのだが、ちゃんとここでご飯を食べたのだが写真を撮らなかった。それが今では悔やまれる。

"正しい日本の朝ごはん"みたいな感じの、みんなが思い描く旅館の朝食そのものだったのだが、もうその写真は二度と撮れないのだ。

 

洗面台

なので代わりに洗面台の写真でもご紹介しておきますね。

昭和感のあふれる洗面台。昔の民宿だとか、こんな感じだったよね、確か。角の部分がガムテープで補強されているのもよい。国の登録有形文化財ではあるが、まぁ細かいところはガムテープでいいんだよ。人間だもの。

 

とりあえず最高の食事時間だったのだ。

女将さんはユニークでお話し好きで、ニコニコしながら僕らとずっと話してくれた。あの時間が今となっては愛おしい。

 

 

貴重な歴史的資料を垣間見る

 

1日目の夜と2日目の朝の2回に分けて、Y字階段の間などの共用部分に展示されている貴重な資料類を拝見した。

 

資料を見る1

明治時代にここにいた女性たちの写真などが置かれていた。

…ん?右側の明治の写真に写っている人は女将さんと同じ姓だ。確認すると女将さんは4代目のご主人に嫁いできた人だったらしい。ってことはご主人側の祖先の方なのだろう。

 

資料を見る2

八戸エリアは国内の各所との船便で繋がっているために繁栄しており、その影響もあって最盛期はこの地区には30件以上の遊郭が立ち並び、120人ほどの女性が働いていたのだそうだ。

 

資料を見る3

遊郭の歴史は表舞台にはあまり出てこないだろうし、僕には安易にいいとも悪いとも発言はできかねる。

変わらない建物、少しずつ変わっていく時代。そういうのを旅先で見たり聞いたり感じたりし、結論は出ないけれどもそれを糧に自分の人生を模索していっているよ。

 

資料を見る4

120年。長いようではあるが、思いっきり長生きした人の人生と同じくらいだ。

僕が小さいころに出会った高齢の方は、120年前の光景を見てきた人もいるであろう。そう考えるとすごく昔のこととも思えない。

アルバムに写る女性の顔も、少し親近感を感じてしまう。

 

資料を見る5

明治時代の遊郭帳。つまりはお客さんがどこの誰でどんな特徴がある人で、いついくら支払ったかなど、すべての訪問記録が記載されているすごいノートだ。

これは確かレプリカだよね?数年前までは本物が置かれていて誰でも触れたんだけど、こんな貴重すぎる資料をポンと置いておくのはちょっとヤバいという助言を受けて、れプリカを作成したとのウワサを聞いている。

 

資料を見る6

ふむふむ。中身を見てみた。レプリカであっても記載内容は事実だ。

なので念のため全体にモザイクをかけてみた。どこかの誰かにとってのデスノートになりかねないからな、これ。

 

資料を見る7

明治34年に制作された九谷焼の皿もある。もはや歴史資料館なのだここは。建物も含めてな。

ちなみに僕が普通にムシャムシャとご飯を食べていた食器類も骨董品級のものが多く使われているそうだ。恐ろしい話よ。

 

資料を見る8

遊郭に泊まる』という書籍。女将さんが得意げに「表紙がウチなのよ。そしてY字階段も見開きで載っているのよ」と教えてくれた。

うん、確か知っている。どこかでこれ、読んだことあったよな…。そして新むつ旅館のことは僕、昔から知っていたのだ。

 

資料を見る9

はぁ…。やっぱスゲーな、プロのカメラマンが撮ると。ため息が出るほどに美しいわ、Y字階段。

いやしかしな、これ重要なんだけど、どんな写真よりもやはり実物がいいんだからな。木のにおい、手すりの冷たい手触り、歩くとかすかにキーキー言う板張り。五感で味わったこの思い出は、ずっと忘れたくないものだよ。

 

資料を見る10

そんな貴重な120年前の建物がこの時代に現存することに感謝。

昭和中期に遊郭から旅館に代わっても、ここを守り続ける女将さんがいることに感謝。

こんな宿に1泊2色で7000円ほどで泊まれるのだ。僕の人生史に残る貴重な体験だ。

 

資料を見る11

資料を見続けていた僕がふと上を仰ぐと、おかめ面が優しく微笑んでいた。

 

 

さよなら、泊まれる遊郭「新むつ旅館」

 

2日目、朝ご飯を食べているとイスに座ってそれを眺めていた女将さんが申し訳なさそうに口を開いた。

「あの…。あなたたちチェックアウトは何時ごろかしら…。実は私は9時ごろにここを出てどんと焼きに行こうと思っていて…。」とのことだった。

 

さよなら、新むつ旅館1

「あい、大丈夫です。僕らもそのくらいの時間にはチェックアウトしようと思っているんで。」って答えた。

旅の途中だものな、まだまだ行く場所はたくさんあるし、まだまだたくさん走らねばならないのだ。

 

さよなら、新むつ旅館2

「あらそうなのね、安心したわ。まぁ普通にギリギリまでここでくつろいでいってもいいんだけどね。」と女将さんは笑った。しかしちゃんとお礼を言ってチェックアウトしたいのだ。僕らは荷造りを開始する。

 

さよなら、新むつ旅館3

新むつ旅館の玄関から通りの奥の方を見る。袋小路だ。そしてここがかつては花街だった名残は見受けられない。

かつて16軒ほどあったという遊郭不夜城のごとく明かりがつき、人が行き来し、料亭から仕出しが届けられ、人力車が行き交う…。そんな光景はちょっと見受けられないかな…。

 

さよなら、新むつ旅館4

違和感のようにたった1軒だけ残った新むつ旅館。しかし残っていること自体が奇跡なのだろう。

一見すると不便なこの袋小路も、表に出しづらい街を隠すのに一役買っていたという…。

 

さよなら、新むつ旅館5

最後のにももつの運び出しと、女将さんの外出とが一緒のタイミングだった。

 

僕は「もうちょっとだけ建物の外観を撮ったら出発しますね」と言った。女将さんは「ごゆっくり、また来てね」とニッコリ笑うと、パタパタと速足でどんと焼きに向かっていった。

さて、僕らももうちょっとしたら車に乗り込んで初詣に行くか…。小さくなっていく女将さんの背中を見ながら、そんなことをつぶやいた。

その後ろ姿が、女将さんを見た最後だったな。

 

さよなら、新むつ旅館6

2021年の暮れに女将さんが82歳で亡くなった情報は、僕もすぐにキャッチアップした。

悲しかった。またいつか訪問し、おなかいっぱいご飯を食べながら女将さんとブラタモリを見たかった。

 

後をを継いでくれる人がいるなら、せめて旅館業でなくっても内部を保存し、時折公開とかしてくれると嬉しい。…が、2024年現在そういう話も聞こえてこない。

 

さよなら、新むつ旅館7

国の登録有形文化財だからそのまま手つかずで朽ちていくってことはないだろうが、心配である。

保存してくれればうれしいが、ホントのところ僕がここに価値を見出したのは「保存されているから」ではない。建物が活用され「生きている」から魅力を感じたのだ。

そう考えると、僕がこの先また新むつ旅館を訪問することはあるのだろうか…。

 

さよなら、新むつ旅館8

二度と来ないかもしれないけど、絶対忘れない思い出をありがとう。

女将、川上紅美子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 新むつ旅館(2024年現在廃業)
  • 住所: 青森県八戸市小中野6-20-18
  • 料金: 1泊2食¥7100
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明

 

No.334【滋賀県】雪の中の初詣で気が引き締まった!東近江の奥座敷「永源寺」参拝記録!

2024年がスタートした。誠にめでたい。

いや、率直に言うとめでたいかどうかよくわからないが、めでたくあるべきだとは思っている。

 

だから僕らは初詣に行くのだ。

あなたはもう初詣には行かれただろうか?僕は実はまだなので、2年前の初詣の記録でも振り返りたいと思う。

 

 

舞台は「永源寺」。

かなりの古刹ではあるが、訪問当時の僕はそのような予備知識はない。

「疲れてきたし腹が減ってきた。気晴らしに観光できてご飯を食べられれば最高だ。」って思っていたら大層なお寺の看板が出てきたのでハンドルを切っただけである。

それもまた出会い。僕は神に呼ばれたのかもしれない。

 

 

空腹抱えて雪の積もる峠の古刹へ

 

場所は滋賀県三重県を繋ぐ国道421号沿い、県境の峠も近い三重県寄りの岐阜県だ。古くからの酷道好きの方には県境の「石榑(いしぐれ)峠」と言えば膝を打ってくれるに違いない。

 

石榑峠の記憶1

石榑峠とは、幅の広い車を遮断するために2mの隙間しかない重厚なコンクリートブロックを設置してあることで有名だった峠道。

しかし峠を貫通するトンネルが2008年秋の災害で崩れたことと、2011年のトンネル開通に伴い、今は廃道なのである。

 

上の写真は、その災害のほんの2ヶ月後に閉鎖情報を知らずにワクワクしながら向かっていたときに撮影したものだ。

だから残念ながら僕は、名物のコンクリートブロックの間近までは行ったもの、ブロックを拝んだことがない。

 

石榑峠の記憶2

あぁ、こんな感じに愛車を挟んでみたかったなぁ。ミラーを畳んでギリッギリで通過してみたかったなぁ…。

今はその旧道は徒歩でだったらアプローチでき、コンクリートブロックを目指すマニアもいるのだが、僕はもう興味がない。だって愛車でそこを通過してみたかったんだもん。

 

…ってことで話がわき道からスタートしてしまったが、県境の近い割と山深いエリアに来ているとご理解いただけたのであれば幸いだ。

 

永源寺に出会う1

冒頭に書いた通り、僕は腹が減っていた。さっきも安土の町を徘徊しながら「腹減ったなー」ってつぶやき食事処を探していたのだが、ピンと来るところがなかったのだ。織田信長像よりもご飯、って思いながら観光していた。

 

でも走っているうちにこんな山深いところまで来てしまい。

「ヤバい。もう食事処があるそうな雰囲気ではない。」って絶望していたところ、右手に「えいげんじの駅」という食事処が見え、そして同時に左手に永源寺があったので、とりあえず左に車を突っ込んだ次第。

 

永源寺に出会う2

そういえば年を越えてから数日経ったが、まだ初詣をしていなかったな。初詣もできてご飯も食べられたら一石二鳥ではないか。まずはチャチャッと初詣して、それからさっきの食事処でご飯かな?

よかったよかったと思いながら、ウェルカム感の強い赤い欄干の橋を渡って永源寺の駐車場に入っていった。

 

永源寺3

 

神社仏閣内の食事処は心惹かれる

 

駐車場から境内に向かっていると、なかなかに渋いお土産物屋兼食事処が目に入った。

 

境内へ1

この店頭に並べてある赤いテーブルや椅子が好きだ。これらがあるだけでジャパニズム(?)が急上昇するように感じられる。

写真奥の方では半分屋外みたいなところでお蕎麦をすすっている人たちがいて、なかなかに粋だ。少しだけ僕もやりたい気持ちがあるのだが、なんだか寒そうだしせっかく食べるのであればもうちょっとくつろげる空間がいいのでスルーした。

だが好きだぜ、こういうお店群。

 

境内へ2

もうここは境内なのだろうな。これは手水かな。"和泥水"って書いてある。

ちょっと僕の人生経験値が低いのかもしれなけど和泥水って初めて見たので「泥水!?大丈夫??」って思ってしまった。

 

調べてみると和泥水(和泥合水ともいう)は、『我が身を顧みずに泥まみれになってでも人に尽くす』っていう意味らしい。なるほど、ちょっと僕には100%できてないことだったわ。どうりで知らないわけだ…。

 

境内へ3

参道にチラホラ雪が出てきた。そして右端に見切れているんだけども参道はあそこから階段を登っていくそうで、思ったよりも道のりが遠く厳しそうでややゲンナリしている。

あと、左手の売店の雰囲気がよさそうで写真を撮った。

ここまでもそうだけども、ちょっと引くくらいにメシ屋の写真が出てくるからゴメンな。きっと腹減っている。かわいそうなYAMA。

 

境内へ4

『うどん・そば・でんがく・酒・ビール』…。

たまんねぇな。それらをフルコースで持って来てほしいって言いたい。だが少なくとも今は営業していないようだ。残念。せっかく看板、赤くて魅力的なのに。

 

境内へ5

川の対岸に渋すぎる建造物が見えた。

『釣具・釣えさ』・『茶房 お食事…』という文字を遠望できる。営業しているのかな?営業していないっぽいな…。でも気になる。参拝中だというのに邪念でいっぱいだ。いかんいかん。

 

境内へ6

階段がなかなかに長い。体が火照ってきた。

刺すような寒さの日だというのに、もう上着いらないかもしれない。

 

十六羅漢1

階段をほぼ登りきったところで、十六羅漢の立て札が唐突に現れた。どうやらこの岩肌に江戸時代に造られた十六羅漢像があるのだという。

 

十六羅漢2

見上げた岩肌に…、あぁ確かに仏像が点在している。わかりやすく赤丸を付けてみたが、あなたにもおわかりだろうか?

 

十六羅漢3

左上にほーんの少ししか見えていないが、釈迦如来像が鎮座しており、そして左右には阿難と迦葉のトップ2の弟子がいる。

その下にさらなる弟子たちが点々と。

 

十六羅漢4

なかなかユニークな顔立ちの石仏だ。

大丈夫かな?僕がお釈迦様だったら、自分のありがたい話をこんな顔して聞かれたらソイツには単位やらんけどな。

 

雪原の初詣1

総門が見えてきた。いよいよメインエリアだ。気を引き締めていこう。

 

 

雪の積もる境内を歩き、初詣

 

階段を登り、十六羅漢を眺めた先に総門が見えてきた。ここからは山上のフラットで広大なエリア。多くの社殿が立ち並ぶのもここだ。

 

雪原の初詣1

総門のすぐ先には受付があり、「横の券売機で参拝志納料をお支払いください」みたいな案内をされた。

そうであったか。ここは有料であったか。拝観料等のことは全然考えずにここまで来てしまったので一瞬「うおっ」となったが、逆に志納料が必要だということはそれだけの価値のあるお寺に違いない。

 

雪原の初詣2

はい、払いました。500円。

志納料のボタン、「1人~10人」までキッチリあって律儀すぎ。ちょっとウケた。4人くらいまでなら見たことあるが、ここまで羅列されているのは人生初だ。

グループで来たとしても複数回に分けて購入する必要がない。これも1つのワン・ストップ・サービスではないか?

 

雪原の初詣3

受付でパンフもらった。社殿、スゲーいっぱいあるのな。あまり頑張ろうとすると沼るので、軽く外観を見学させてもらい、そして初詣ができればいいと思う。

すごく興味があるわけではないので、雰囲気を味わうことを重視したいのだ。

僕の観光って、大体そんなもん。最初はよくわからず特攻。それでもっと興味があったらまた行けばいい。

…だから日本を7周もすることになるのだろうね…。

 

雪原の初詣4

大きな山門が見えてきた。キャー!セピア一色で渋くてかっこいい!

1802年に造られたもので、2階には釈迦三尊像十六羅漢がいるそうだが、一般人は登ることはできない。

 

雪原の初詣5

うわー、良い!なんだこれすごくいい!

急に頭上が開けたと思う。階段を登っている時からずっと閉鎖環境であったが、山肌に沿ったエリアを抜け、山上の平地に出たようだ。

一面の雪で寒々しいが、歩道部分だけ除雪されているのもいいし、青空が心地よいし。もう一度言うけど、すんごい清々しくていい気分だ。

 

写真の左手は庫裏。事務仕事や料理などを行う作業用の建物だ。近年建て替えられて鉄筋コンクリだが重厚感があっていいぞ。

その奥には本堂が見えているし、右手には鐘楼が見えている。

 

雪原の初詣6

左手に本堂が見えるところまで来た。雪の十字路がなんだか良い。

どこまでも静かな境内で、見渡してみると僕以外にはファミリーが一組いるのみ。静寂に包まれた境内。

ちょっとだけ雪を踏みしめてみた。雪が鳴る音以外、何も聞こえない世界だった。

 

雪原の初詣7

本堂、離れてから振り返ってみてその規模に驚いた。近くで見上げていては気付かなかったが、なんてサイズだよこの屋根!

琵琶湖で採れた葦(ヨシ)を使った屋根であり、ヨシ素材のものは大変珍しいのだそうだ。これはすごい。ご利益あるぞ。初詣しよう。

 

雪原の初詣8

今年の無事と夢の実現、それとアレコレ生々しいことを祈願できたら、もう少し奥へと進む。

上の写真は本田の横を通過しつつ、山門側を振り返って撮影したもの。この空間が一番好きだったのでね。

 

雪原の初詣9

法堂。雪に埋もれている。

さて、この永源寺臨済宗黄檗宗に属する各派閥が15個あるうちの、永源寺派の総本山なのだそうだ。全国に127も末寺があるそうだが、恥ずかしながら僕はここに来るまで永源寺の存在すら知らなかったぜ。

 

雪原の初詣10

経堂だ。文字通りお経が収められているっぽい。

それぞれの拝殿は(たぶん)中を窺い知ることはできないが、こうして雪と青空のコントラストを眺めているだけでも心が安らぐぞ。

 

雪原の初詣11

開山堂。正面がちょっとだけ思わせぶりに開いていたので中を覗いた。

このお寺ができた(開山)したのは1361年だそうで、それに関与した偉いお坊さんの墓所の上に建てられているそうだよ。

 

雪原の初詣12

社殿を全部紹介しようとなると僕もあなたもヘトヘトになっちゃうから、今回はこんな感じでサラッと終わらせよう。

なんか「何も知らずに立ち寄ったら詫び寂びあふれるいい空間だった」と、要するにそういうことだ。

 

雪原の初詣13

後から知るのだが、ここは滋賀県内でも有数の紅葉スポットらしい。なるほど、またいつか機会があれば紅葉を眺めに来たいものだ。

 

参道を戻り、一番最初に車で渡った赤い欄干の先にある食事処に向かうと、なんか音楽イベントをやっているようで、ドカンドカン盛り上がって普通に食事できるような状態じゃなかった。無念。

 

そして県境へ

結局僕がランチにありつけるのは、さらに雪深くなった県境を越えて三重県の町に下ってからとなる。

ま、別にいいけどね。永源寺で散歩して充実して、空腹を忘れられていたしね。

 

永源寺の空気は良かった。身も心も胃袋も引き締まった。

今年1年、良い年になりますように!!

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.333【兵庫県】のどかな山間部のドライブイン!!レトロ自販機のうどんが最高だった!

新緑が風にそよいで。暑くもなく寒くもなく爽やかで。山にはウグイスの鳴き声が響き渡り。それがBGM。

交通量は多くはないけど、ときおりブーンと走っていくトラックの排気ガスにおいがほんの少しだけ店内でも感じ取れるのが、これまたいい感じに旅情を刺激してくれて。

 

ドライブイン「コインスナックふじ」。

僕の心の中で「これぞ正しい峠の自販機コーナー」って感じの、絵に描いたようなお店がそこにあった。



 

昨年である2022年の春、ここにあるレトロ自販機のうどんを食べに行くお話。

季節は今とは真逆だけども、だからこそ強くあの日に思いを馳せることができる。

 

 

峠のオアシス発見

 

そこは兵庫県北部の山間部である。

僕は北部海岸線を走ることはよくあったのだが、正直山間部までは今まで走り切れていなかった。養父市の中心地付近は何度か訪問していたが、コインスナックふじを通る道は初めてかもしれない。

 

峠のオアシス、ふじ1

だから面白いのだ。

「今まで行けていなくてごめんね」・「全国走り回っているのに未訪問なのが恥ずかしい」・「でも常に新しい発見があってうれしい」、その全部の感情が入り混じっている。

 

ただ、人生はポジティブでありたい。僕は最後に書いた感情を大事にする。

日本を何周しようとも、走っていない道は無限にあるし、立ち寄っていないスポットもたくさんある。趣味嗜好も変化するから、都度新しい発見があり、同じ旅なんて2つとして無いのだ。

 

峠のオアシス、ふじ2

目的地まではまだ数10分あるが、すでに僕はウキウキ感を抑えられなかった。

こんなにも快適なシーズンの快晴のドライブの日に、コインスナックふじに行けるのだ。最高ではないか。

 

存在は昔から知っていはいたが、ついつい海岸線ドライブを優先してしまったり

近くまで来たのに失念してしまっていたりと訪問が遅れに遅れた。

日本6周目も終盤に差し掛かったこのタイミングでようやく初訪問だ。でももったいぶっただけの価値がありそうなシチュエーションだ。

 

峠のオアシス、ふじ3

到着。この少し手前にもハートを掴まれた峠のドライブインがあったのだが、グッと堪えた。

今回はここ。レトロ自販機の麺類がタッチの差で売り切れるなんてことがないよう、なるべく時間を無駄にせずにここに来たのだ。

 

24時間と看板に書いてある。うれしいね。昔はコンビニもなかったからこういう施設が長距離ドライバーの人にとって貴重だったのだ。

"コインスナック"という言葉ももはや死語だと思うが、ここには息づいている。自販機でちょっとした軽食を購入できることをアピールした単語であるが、これまた今やどこにでもコンビニがあるからあんまり必要性を感じなくなってきているみたい。

 

ちなみにこの看板、夜はエロい感じの紫色に光るらしいぜ。いつか見てみたい。

 

峠のオアシス、ふじ4

店舗はオレンジの屋根がかわいい。

数年前までは黄色と赤のストライプで、屋根にはデカデカと『うどん・コーヒー・パン・牛乳・たばこ』と書かれていたが、シンプルになったね。

昔のバージョンの方がエモかったような気もするが、これもこれで良い。

では、店内に入ろう。

 

 

レトロ自販のでうどん

 

店内に入った。ドアは開け放たれていたが、内部は少しヒンヤリとして外との温度差が心地よかった。

 

店内1

これが店内の飲食ブースだ。仄暗くって簡素なイメージだが、それがいいじゃないか。

特徴的なのは、椅子の一部は古い車や観光バスなどから外してきたものを流用している点。

リクライニング機能とか、生きているのかな?試してみたい気もするけども、万一にもこの文化遺産を破壊するわけにはいかないので試さない。

 

店内2

これは観光バスの椅子だろうかね?後ろからパカッとトレーを取り出したい気持ちになるが、もうこの後ろに座る必要もないので永久にこのまま使う人は現れないであろう。

 

2023年現在は、どうやらこれら車やバスの椅子が少なくなっている模様だ。

劣化して傷んでいるから交換したのだろうか?このお店のアイデンティティの1つなので、今後もみんなで大事に使って継続していってほしいな。

 

店内3

そんなテーブル席を取り囲むように配置されている自販機群。

普通のドリンク自販機・汎用自販機・カップ麺自販機などがあるが、僕のお目当ては一番左側に見えている富士電機のレトロ自販機なのである。

 

自販機うどん1

メニューは一種類のみで、きつねうどん300円。

売り切れてはいなかった。よしっ!レトロ自販機巡りは売り切れと故障が怖いもんね。食べられることのありがたみを神に感謝しよう。

 

300円を投入し、そして20秒ほど待つ。すると取り出し口からアツアツのうどんが登場する。それを注意してテーブル席まで運んだ。

 

自販機うどん2

おっと、全容を撮影する前に食べ始めてしまって失礼。

なのでちょっと写真にはおさめきれなかったのだが、小さな油揚げ・カマボコ・とろろ・きざみネギが入っていた。とろろ入りのレトロ自販機は僕の知る限りでは中国地方の2・3店舗のみで、とてもレアだと思う。

 

自販機うどん3

麺はかなり太めでモチモチ。ダシは薄めでスッキリした後味であった。

うまい。秒速で食べてしまった。

 

内容から察するにおそらく2015年のものだが、店内に新聞の切り抜きが掲示してあったのでご紹介しよう。

 

店内4

このドライブイン富士電機のレトロ自販機が設置されたのは1993年頃のこと。つまりはレトロ自販機が製造を終了した後のことだったのだ。

当時のオーナーさんに対し、兵庫県豊岡市の機械業者さんが「すでに販売停止されている珍しい自販機を入手したのだが、これをお店に置いてみないか?」と持ち掛けたらしい。

 

それ以来30年、今は息子さんがオンアートなり、この自販機はここで活躍しているのだ。

 

店内5

2014年まではそばも売られていたらしい。しかし仕入先がそばの製麺を辞めてしまったので、以降はうどん一本で続けている。

 

毎日10~15杯が売れ、1日2回点検と補充をしているそうだ。

ここ数年はレトロブームが来てレトロ自販機も注目されているので、もっと売れているかもしれないね。

 

 

今後も末永く…

 

もう販売されておらず、部品もなく、修理できる業者さんもほとんどいないレトロ自販機。メンテナンス・補充などに非常に労力がかかる上、往時から自販機麺を運営してきたオーナーさんはすでに高齢であるため、徐々に国内から姿を消していっている。

このお店も2020年にピンチが到来したそうだ。

 

店内6

自販機内部の冷蔵機能が故障してしまったそうなのだ。

このレトロ自販機、内部で麺や具を器に入った状態のまま冷やしておき、お客さんが購入ボタンを押すとお湯を数回かけて湯切りして温め、そしてダシを注いで提供する…という作業を20秒ほどで行っている。冷蔵機能が故障したら商品の管理ができなくなるのだ。

 

修理料金は65万ほどもかかるためにオーナーさんは自販機の廃止も考えたそうだが、全国のファンから「辞めないで!」という声が届いたためにクライドファンディングをしたところ、無事に目標額達成し、自販機も修理できて今日にいたる。

なるほど、僕はこの事態を今日まで知らなかったわ、ごめん。そしていろんな人の思いを乗せて今日のこの自販機があることに感謝。

 

峠のオアシス、ふじ5

ところでね、前項で取り上げらた通り2015年の新聞記事では自販機設置は1993年と書かれていた。

しかしクラウドファンディングについて記載された2020年の記事では『1976年に設置』・『40年以上休まず』と書かれていた。

どっちが本当なのかわからないが、より古い方が当時の記憶が鮮明なのだろうと思い、前者をベースとした記事を書かせていただいた。

 

まぁどっちでもいいけどね。どちらでも「永年自販機麺を提供してくれている」ことには変わりないもんね。ごちそうさまでした。

 

峠のオアシス、ふじ6

食後に僕がこれら掲示物を見ていると、ドライブしている親子がやってきて早速自販機うどんを購入していた。まだ中学生くらいと思われるお子さんが大人になったときにも、まだ日本にレトロ自販機が残っていればうれしいな。

 

今後も永らく、このお店が峠のオアシスであることを願う。

それでは、またいつか。

爽やかな空を眺めながら、僕は再びドライブを続ける。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: コインスナックふじ
  • 住所: 兵庫県美方郡香美町村岡区長板1069
  • 料金: きつねうどん¥300
  • 駐車場: あり
  • 時間: とくになし

 

No.332【富山県】リアルな石像が1000体以上!!富山屈指の珍スポットはミステリアスだ!

1200。

このエリアにある石像の数だ。無数の仏像が立ち並ぶスポットは国内にはそこそこあるが、さすがに1200体は聞いたことがない。

ましてやそのスポットを作り上げたのは一個人だというから常軌を逸していると感じた。

 

そのスポット名は、「ふれあい石像の里」と「おおざわの石仏の森」。その2つは800mほどしか離れておらず、車を使えば一瞬での移動距離だ。

そして富山県内ではちょっと名の知れた珍スポットだそうだ。

 

行かねばならぬ。

その情熱の源泉はいったいどこなのか、確かねばならぬ。

 

 

朝日に照らされた美しい紅葉を見ながら山間部を走っていたのだが、ふれあい石像の里が近づくと途端にドンヨリしてきた。

なるほどなるほど、僕の不安が空模様に反映されている。

 

 

プロローグ:狭路の先の石仏王国

 

国道41号は「神通川」の西側に沿って設置されている。その川の対岸には県道188号があり、そこにふれあい石像の里&おおざわの石仏の森があるという。

 

県道188号1

国道を反れて県道に入った僕は「マジか」とつぶやいたよね。

国道と県道、その扱いにメリハリが効きすぎている。格差社会が著しい。この道で合っているのか不安になって一度車を止めて地図を確認し、どうやら僕の選択が正しいそうなので再びアクセルを踏む。

 

県道188号2

対向車が来たら擦れ違い困難だが、対向車なんて全然来ないような静まり返ったロケーション。寂しい。「対向車来ないで」と「対向車来てくれ」の感情がハーフ&ハーフ。

 

県道188号3

ただ、しばらくこの道を走っていたら、右手にモリモリととんでもない数の石像がこっちを見ている人口爆発状態になったので寂しさは消し飛んだ。

異様すぎて怖いけども。前面に立ちはだかっているのは人間ですらない異形の者々だし。

 

県道188号4

…というわけで、まず到着したのは向かって南側にあるふれあい石像の里だ。

県道沿いに上の写真のような駐車スペースがあり誰もいやしねぇ。しょうがない、僕1人で満喫するか。

 

 

ふれあい石像の里

大量の一般人の石像がほほ笑むよ

 

ふれあい石像の里。いきなりフレンドリーなフレーズのスポット名だが、何をどうふれあえばいいのか戸惑う。

「そのフレンドリーさは、片道通行じゃないですか?」とか思ってしまう。

 

ふれあい石像の里1

まぁまずはご覧くださいよ。山深い地に、チュドーンと立派な『ふれあい石像の里』という石碑が立っているのよ。物理的にも精神的にもなかなかの重みを感じる石碑。

そしてその奥に…。

 

ふれあい石像の里2

ふれあい待ちの石像たちがお行儀よく並んで待っている。ふれあい大渋滞。

シュールすぎて1人で来たことを後悔してしまう。僕1人で受け止めきれるのかな?ふれあい石像の里とおおざわの石仏の森で合計1200体の石仏があるそうだけど、ここだけで700体ほどいるというしな。

 

ふれあい石像の里3

ドキドキしながら足を踏み込んでみた。

すぐに気づくのだが、これらは仏像ではない。現代人だ。しかも服装がラフな人も多い。偉人でもない。一般人だこりゃ。

表情もおだやかかつ和やかであり、「なんかの呪いで石化されちゃったのかな?」って思う。僕も「オマエが1201体目だ!」とか言われて石化されそうで怖い。

 

ふれあい石像の里4

こうやって、この辺でキッチリ座っていれば石化されたりするのかな?

みんなと同じように座ってみたつもりだ。ちなみにこの並びは正座している人が多かった。僕は正座するとすぐに足がしびれちゃうタイプ。あなたはどうですか?

 

ふれあい石像の里5

 

その男、自分の知人を石仏にした

 

さて、このスポットの由来について説明していこう。

ここは「古河睦雄さん」っていうこの地域のちょっとお金持ちな人が作ったスポット。石像が好きな古河さんは、「石像いっぱい作って観光地化させてこの地を盛り上げるぞー!」ってなったらしい。

ふれあい石像の里とおおざわの石仏の森でテーマは違うんだけど、こっちは一般人中心スポットだ。

 

ふれあい石像の里6

この人たちがどなたなのかというと、古河さんの友人・知人・親族・恩師などだ。実在の人物だ。

 

古河さん、きっと自分の人生で出会った人たちをこうして具現化したかったのだろう。僕らから見たら全く知らない人たちで見たところで何のありがたみも感じない。

知らない人の写真を見せられて「これ、自分の知り合いなんだよね」と言われても「へぇ」以外のリアクションが出てこないのと同様に、感情が迷走する。

 

ふれあい石像の里7

それに僕は古河さんがだれかすら知らない。知らない人の知り合いだからダブルでよくわからない。

古河さんにとってはきっと重要な人たちなのだが、僕にとっては知らない人に囲まれ過ぎて混乱しか感じえない。

犬とかもいるけどね。犬は「かわいいですね」とか思えるけどね。

 

ふれあい石像の里8

この一般人の石像はここに400体ほどあるという。

400人も石像にしたいほどの知り合いがいるってなかなかにすごいよね。古河さんの人脈はすごい。僕は40人すらも思いつかない。そして石像にはしたくない。

 

古河さん、自分で所有しているこれら知人たちの写真を中国の業者に送付し、「写真をもとに石像造ってほしい」とオーダーしたらしいよ。

何気ない写真が元になっているから、みんな表情が穏やかなのだ。

 

ふれあい石像の里9

上の写真の中央みたいに、ときどき異物が紛れ込んでいるのを探すのも面白い。

あきらかに等身の違うナイスバディなお姉さんがいるけど、これは別の趣旨で設置したものか?それとも古河さんがキャバクラとか行って知り合ったのか?

ふれあい石像の里10

お姉さんはギリギリ実在するかもしれないけど、これになるともうナイトメアとしか思えない世界観なんだけど。どうした古河さん。僕、心配になってきた。

 

ふれあい石像の里11

おーい、おーい、古河さーん。

…なんか古河さんが遠くに行ってしまった気持ちだ。

 

ふれあい石像の里12

とりあえずここまでで僕は理解した。

ふれあい石像の里とは、僕らが石像にふれあうという意味ではない!古河さんがふれあった人たちを石像にしたという意味だ!

 

なんてこった!真実はそうだったのか、これはいっぱい食わされたぜ!趣旨もスポット名も、すんごい自分主体なものであった。

そのバイタリティがこのカオスワールドを生んでいるのだ。好き。

 

ふれあい石像の里13

ついでにもっとカオスな1枚をご紹介しよう。

これは最前面、県道側から撮った写真だ。前章で書いた通り異形の者が並んでいる。十二支の動物たちを擬人化したものだそうだ。

左側から亥(いのしし)・戌(いぬ)・酉(とり)…と並んでいるのがわかるね。完全に化け物チックになっているけどな。

 

ふれあい石像の里14

敷地の奥の方に行くとテイストが変わった。

仏像っぽくなってきた。みんな坊主だ。古河さんの坊主の知り合いを密集させたのか?「ハゲは奥に引っ込んでろ」みたいなスタンスの方だったのか、古河さんは?

いや、実は違う。

 

ふれあい石像の里15

これらは次にご紹介したい、おおざわの石仏の森に置ききれなくなってあふれた石仏なのだ。それが300体くらいいる。石仏だから坊主なのだ。

坊主人口爆発であふれかえり、強制移民。そしてボッコボコの廃車もあって世紀末な扱いのゾーンじゃねぇか。ワクワクしてきた。

 

…ということで、次は800m離れたおおざわの石仏の森に行くぞ!

みんな話に着いてきているか!?僕はもうゲシュタルト崩壊しているよ!

 

 

おおざわの石仏の森

造りすぎた五百羅漢の話

 

僕は再び県道188号を走る。

 

県道188号5

相変わらずのロケーションだ。夜だったらちょっとここは走りたくないものだ。

ふれあい石像の里&おおざわの石仏の森は、県道であるがゆえにかなり気付かれにくい立地になってしまっているのだろう。

だが仮に国道にあんなもんあったら、ドライバーさんたちビックリして事故るかもな。やっぱ県道にあって正解なのかもな。

 

県道188号6

落石もあるらしい。ワイルド。

しかしすぐに右手に石像がたくさん見えてきてデジャブ。2回目なので僕も「はいはい、また来ましたよ」と手慣れたもんですわ。

 

おおざわの石仏の森1

仏塔がそびえ、ヤシの木みたいなのが生い茂り、そしてチラチラと無数の石像が見えている。世界観がバグり散らかしていて非常にGoodです。最初からクライマックス感がある。

愛用のバッグをひっさげて車から飛び出した。僕もハイテンションになってきた。

 

おおざわの石仏の森2

石垣の上から数人のお坊さんが僕を見下ろしている。右手には狛犬みたいな配置で牛がいる。

前述のとおりこっちも古河さんの立ち上げたスポットなので、基本的なテイストは一緒だ。ただしさっきのふれあい石像の里とは違い、こっちは"石仏"。羅漢像が立ち並んでいるのだ。

 

おおざわの石仏の森3

さっきのように実在の一般人ではないためか、顔立ちは大体一緒。

だけども衣装やポーズなどはよく見ると1人1人違う。中には変なポーズをしている人だとかもいるので、あなたがもしヒマだったらそういうのを探してみるのも一興だろう。

僕はちょっとだけ疲れたのでそういうのはしない。

 

ちなみにここは"五百羅漢"を再現しているのだそうだ。

五百羅漢の名の付くスポットは日本各地にあるのでご存じの方もいると思うが、ブッダに付き従った弟子が500人いたのでそういう呼び名になっているのだ。

 

おおざわの石仏の森4

それを等身大の仏像で作ったのだから山の斜面がすごいことになっちゃっている。古河さん、これのための6億円を費用を賭けているからファンキーすぎる。

"おおざわの石仏の森"という名称、森の中にあり、かつ石仏が森のようにあるというダブルミーニングなのかな?なんてセンスだ。感服。

 

ただ、古河さんのすごいところはそれだけではない。

「五百羅漢だったら他のスポットにもあるよね。自分はここを世界一にしたい。だったら500体じゃ足りない。もっと作ろう。」…そう思って追加300体、つまり独自に八百羅漢を作ってしまったのだ。

弟子は500人のハズなのに古河さんが勝手に300人増やしちゃって、極楽浄土できっとブッダもビックリしているに違いない。

 

その追加300体をここには設置しきれなくなって置いたのが、さっきのふれあい石像の里の深部なのだ。話が繋がったね。

 

おおざわの石仏の森5

他にも如来像・菩薩像・明王像などなど、70体いる。五百羅漢と全部合わせて570体。

ここだけ見れば、まだ「仏教に熱心な人」だったのだろう。

ふれあい石像の里に五百羅漢からはみ出た300体と知人の像を作ったことで一気に珍スポットレベルが跳ね上がったよね。僕はそんなふれあい石像の里が好きなのだが、順番的にはこのおおざわの石仏の森から見た方が良かったかもな。

ラーメン屋に行って王道のラーメンを食べる前に、カレーライスみたいな飛び道具的なメニューを頼んじゃったような気分だ。

 

 

その思いを胸に刻んで

 

このスポットにあなたが訪問するならば、ぜひ見つけてほしい石像が1体いる。それは巨大な毘沙門天明王像などと一緒の列にひっそりとたたずんでいた。

 

古河先生1

一番手前だ。

「あれ?現代人の服装の人がいるぞ?こういうコンセプトはふれあい石像の里だったのではないか?」って思われるかもしれない。

この人だけは違うのだ。例外なのだ。

 

古河先生2

これが古河睦雄さんである。

1990年代に中国の彫刻家に6億円をかけて無数の石像をオーダーしてこれら2つのスポットを作り上げ、そして2013年に80歳で亡くなられた人だ。富山県の珍スポット界では偉大なる人物だ。

 

古河先生3

足元の台座にも名前と、そしてこの像が中国で造られた旨が刻まれている。

 

その近くには、おおざわの石仏の森とふれあい石像の里のスペックやコンセプト、思いについて記載された説明版もあった。詳しく知りたい方は以下の写真を拡大してみてほしい。

 

古河先生4

このスポットは、古河先生が平和・幸福・健康などを願って造ったのだそうだ。

さらには「心のなごみになってほしい」・「富山県の観光や飛騨路の話題になれば幸いだ」と思ったそうだ。

 

なるほどなるほど。平和・幸福・健康などはスケールが大きすぎて僕が推し量れるものではない。

心のなごみは…。うーむ、なごむというよりちょっとザワついたかな。富山県の観光や飛騨路の話題には、一部熱狂的マニアが沸いていると思うよ。一般観光客にはハードルが高いかもしれないけど、珍スポットの聖地だと思うよ。

 

古河先生5

ここには無料休憩所も設置されている。

僕の訪問時は朝の7時を少し回ったくらいの時間だったので開いてはいなかったが、冬季以外の日中は解放されていて管理人さんもいるらしい。

 

古河先生6

ガラス越しに中が見えた。

時間が合えば管理人さんと話してみたかったかなって、ちょっとだけ思う。レトロな椅子に座ってノンビリした時間を過ごしてみるのも楽しそうだな。

それらはまたいずれ、機会があれば。

 

古河先生7

敷地は山の斜面であり、その小高い地からは神通川がよく見えた。石仏たちもみんな川を眺めていた。右端にはダムがチラリと見えているね。「神通川第2ダム」だ。

 

川の西側は国道がある道も広いし家もあるが、東側は道が狭くてご覧の通りカオスなスポットが2つあるのみ。

まぁでもこうやって東側から穏やかな空を眺めるのも悪くないかな。晴れてきたし。

 

古河先生8

熱い情熱を持って、強い信念を持って、人には理解しがたいけれども自分のやりたいことを突き進む。

そういうエッジの利いたアイデンティティがあった方が、凡庸な人生を送るよりも価値があるのかもしれない。

 

古河先生9

古河さん、たぶんあなたはすごい人だよ。

人間、死んだ後にも何か後世に残せるものが1つあるだけでもすごいもんだと思う。

僕にはできるかなぁ…?

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

ふれあい石像の里

 

  • 住所: 富山県富山市寺家
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

おおざわの石仏の森

 

  • 住所: 富山県富山市牛ヶ増高割1092
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

 

 

 

 

 

 

 

No.331【茨城県】日本最大の埴輪「はに丸タワー」がクレイジー!くれふしの里を散策した!

「くれふしの里古墳公園」には日本一大きい埴輪(はにわ)がいる。

ズドーンとロケットのように芝生広場の中央に鎮座している。「そもそも埴輪ってなんだったっけ?」って感じにゲシュタルトが崩壊しそうなくらいに巨大な埴輪だ。

 

 

その名は「はに丸タワー」。高さは17.3m。

ウケ狙いのためだけでここに立っているのではないぞ。ここは茨城県内でも有数の古墳群であり、公園内には16基もの古墳がある。一部は綺麗に復元されている。

それらを楽しく遊びながら学べちゃうスポットなのだ。

 

ならば行っちゃうしかないよね!

前々から存在は知っていたが、僕が訪問したのは日本6周目も終盤に差し掛かってからだ。

そのときの訪問記をリポートしよう。

 

 

前方後円墳に登ろうぜ

 

常磐道の水戸ICのほど近く。

正直、なかなかの住宅地にあったので「こっちであっているのかな?」ってドキドキしながら小道に入った。

 

くれふしの里へ1

だがすぐに僕は納得する。

古墳はお墓。お墓があるということは、近くに人が住んでいたということ。すなわち太古の住宅地。

その場所が今も人が多く住む場所であることは至極当然だ。今も昔も、ここは住み心地のいい場所だったに違いない。そういや空も風も気持ちいいし。

 

くれふしの里へ2

どうやら到着したようだ。

あんまりキチンと写っていないけど、前面道路がちょっと狭くって奥まった立地だ。でもそれなりに車の往来はある。

 

くれふしの里へ3

敷地の入口で出迎えてくれるのは馬の埴輪だ。

実在する馬の埴輪を再現したものだろう。なんだかワクワクしてきたな。埴輪にはいろんな種類があるが、やっぱ人間や馬などの生物をかたどったものが好きだ。

 

牛伏4号墳1

駐車場から公園内に入ると、ドーンと素晴らしい古墳が現れた。あとからわかることだが、結論としてこの古墳が一番大きくて一番かっこいい。

名前は「牛伏4号墳」というらしい。

 

Googleマップではこの公園の敷地内には他に牛伏5号墳・牛伏6号墳・牛伏9号墳・牛伏10号墳・牛伏17号墳の存在が記述されている。

冒頭に書いた通り公園内には16基の古墳があるそうだが、その中でもTOP6にあたるのが4号墳を含んだこれらなのだろう。

しかもGoogleマップでは4号墳だけ「牛伏4号墳(唐櫃塚古墳)」というようにナンバリングの後に別称までついている。きっと特別な存在なのだ。

 

牛伏4号墳2

長さ72m・幅54m・高さ7mほどの規模の前方後円墳らしい。6世紀後半ごろのものなんだって。

それ以上の詳しくは、興味がある方は上の説明版を拡大して読んでほしい。

 

牛伏4号墳3

細かいことは置いておいて、僕は今興奮しているのだ。なぜなら古墳に上るための会談があり、そして古墳の上には無数の円筒状の埴輪が並べられているからだ。

はに丸タワーの存在は知っていたが、こんないいものがあるということは恥ずかしながら調査不足だった。上らねば、一刻も早く。なぜなら冬の日は短いのだ。

 

牛伏4号墳4

前方後円墳の"前方"部分まで上ってきた。多数の円筒埴輪が出迎えてくれている。

いいねぇ。埴輪って人型や馬型を思い浮かべる方も多いだろうが、数量で言えば圧倒的に円筒型が大多数なのだよ。

小学生時代はそれを聞いてちょっとガッカリした記憶もあるが、こうやって並べると圧巻なのだよ。

 

牛伏4号墳5

円筒型の埴輪は主にこうやって墳丘に沿って並べて、その輪郭をクッキリ美しくかたどるのに使われていたそうだ。

たくさんの埴輪を復元してこうやって並べ、しかも無料で上まで登れるようにしてくれている公園に感謝だ。

 

 

はに丸タワーに登ろうぜ

 

そろそろ園内の目玉、はに丸タワーの話をしよう。

 

はに丸タワー1

なんともシュールな絵なのである。園内のほぼ中央に位置する芝生広場の真ん中に、このアンニュイな顔をした巨大な埴輪が立っているのである。

冒頭にも書いたけど高さは17.3mだ。デカいが気の抜けた顔をしているので、怖くないやら別の意味で怖いやら。

 

はに丸タワー2

青空に堂々とそびえるテカテカな顔をしたはに丸タワー。

実はコイツの頭の上が展望台になっていて、無料でそこまで登ることができる。世にも珍しい埴輪型の展望台、登るしかないだろう。

 

はに丸タワー3

そう思って裏に回ったら、なかなかのハリボテ感にあふれていた。

なんだよ、埴輪的なコーティングがされているのは表側だけかよ。裏側はどこまでも四角くスリッドな階段がむき出しだ。どうやら6階建てらしい。

 

はに丸タワー4

内部に入った。

『この「シンボルモニュメント」は宝くじの普及宣伝事業として整備されたものです』って書いてあった。

 

一瞬「宝くじで高額当選した人が建てたのかな?」って思ったけど、違うよね。

宝くじって1等の当選額もものすごいけど、結局は多くの国民が買ってハズレるので、ガッポガッポお金が入るよね。その儲けたお金がどこに行ったのか…、っていう答の1つがきっとこれなのだろうね。

平成初期に宝くじを買った人ー。あなたのお金がはに丸タワーの一部になったよー。

 

はに丸タワー5

納得したところで鉄階段を登っていく。足元からカンカンいい音が響く。

「このまま同じ無機質な光景が6回繰り返されて屋上展望台に到達するのだろうなー。屋上に至るまでは、どうせ大したネタもないのだろうなー。」って思っていたら、違った。ネタにあふれていて飽きることがなかった。

 

はに丸タワー6

途中の踊り場に、なんだか異様なデザインの円形の穴があった。

なんだろうか?覗き込んでも何も見えない。何も聞こえない。意味不明だ。そのときはそうとした思えなかった。真実は後から知ることとなる。

 

はに丸タワー7

わっ!いきなりデカい埴輪の顔面が出てきた!すごく意味が分からない!

いや待て、埴輪の左右に何か説明書きがされている。それを読まねばならない。

 

はに丸タワー8

『はにわの口にそっと手を入れてごらん。古代から、宇宙からのメッセージがあなたに届くよ。』

なるほどなるほど、意味わからん。百歩譲って埴輪だから古代からのメッセージは届くかもしれないが、宇宙はどこから来たのだろう。

 

はに丸タワー9

手を入れてみた。何も起こらない。どうやら壊れているようだ。

僕の敬愛する珍スポットハンターの方が昔ここを訪れているのだが、そのときには埴輪の目が光って短い音楽が流れた後、「あなたと同じ人はこの世にいません」だとか「爪は短く切りましょう」だとかのメッセージボイスが流れていた。

 

ふむふむ、確かに爪を短くするのは遥か彼方の宇宙から届けなければいけないほどに重要なことなのかもしれないな。

とりあえず埴輪に手を食われて、爪どころか手が短くならなくてよかったわ。

 

はに丸タワー10

はにわの反対側の壁の掲示物だ。

メロディーサウンド??

『はにわの声を聞いたかい。コインを入れて、耳を当ててごらん。美しい世界が広がるよ。』

 

はに丸タワー11

コイン投入口があるが、何円が必要なのかわからない。そして見るからに正常稼働していない。お金を投入したら負けだな、これ。

 

後から調べたところ、小銭を入れるとパイプを伝って下に落ち、その際の音がパイプ内に反響して聞こえるギミックだったらしい。

"美しい世界"か、これ?ちょっとだけいやらしい世界かもしれない。でもやればよかった。次回行ったら新500円玉入れてみよう。

 

はに丸タワー12

屋上まで来た。思いのほか楽しかった。

そして屋上にはチューバのようなデッカいパイプ状のものがあった。序盤でもあったな、この形状のもの。

ここれ気づいたのだが、これはタワーの内部の異なる場所同士で音声通話できるギミックだったのだろう。

 

ja.wikipedia.org

 

正式名称は伝声管だ。僕はジブリ映画の「天空の城ラピュタ」での使用シーンが印象に残っている。

 

とはいえ、多分今はこのタワー内にいるのは僕1人。誰とも通話はできない。

もっとも誰かタワー内に入ってきた人とこのパイプを通して気の利いたトークができるほどのコミュニケーションスキルもないわ。絶望。

 

はに丸タワー13

ちょっとヘタな絵と、ひらがなだけの丁寧を通り越してちょっと読みにくい注意書き。

"かみなり"という単語が3回使われている。落雷、とっても怖いのだ。

 

はに丸タワー14

上を見上げると青い空に避雷針がまっ直ぐに伸びていた。

今日は雲1つない快晴だ。寒いけれども気分は最高だ。

 

 

古墳あふれる憩いの公園

 

はに丸タワーの展望台から園内を見下ろしてみよう。

 

古墳公園1

冬なのでちょっと殺風景な印象もあるが、きっと眼下の木々は桜。春には一面がピンク色に彩られるのであろう。

調べてみるとピクニックスポットや花見スポットになっているそうだ。住宅地だし、暖かいシーズンには賑わいそうだね。

一組のファミリーがいて、小さな子が1つしかない遊具で楽しそうに遊んでいた。ほほえましかった。

 

古墳公園2

反対側からは、木々の向こうにチラッと街並みが見えた。

あっちは南側かな?ここまでは小高い丘だけど、ここを境界に南側はどこまでも平野が続いているのだ。それを見下ろすにはちょうどいい立地。古代の人もそんな理由からここを集落にしたり古墳を作ったりしたのだろうか?

 

最後に少しだけ、園内を散策したときの写真をご紹介しよう。

 

古墳公園3

園内、ブランコのようなちょっとした遊具ならある。

そして園内の倉庫だか事務室だかの建物は、竪穴式住居みたいなデザイン。なかなか凝っているな。

 

古墳公園4

こっちの遊具はすんごい。土器っぽいデザインだ。どう遊ぶのかよくわからないけど、これで遊んで育つ子供たちはラッキーだ。独特の感性が育つぞきっと。

 

向こう側ではピクニックしているファミリーがいる。寒いのにすごい。

でも気持ちはわかる。真冬でも日中少し暖かかったら、ピクニックしてみたくなるよね。屋内に引っ込んでいるだけでは人生もったいないよね。

 

古墳公園5

東屋の屋根が前方後円墳

最初は気付かなかったが「なんだかあの屋根おかしいぞ」って思って眺めていて気付いた。

この発想はすごい。墓が浮いているんだもん。大地に作られるはずの丘が浮いちゃっているんだもん。その下でくつろげと言うんだもん。好き。

 

古墳公園6

最初の章では牛伏4号墳だけを取り上げたが、園内の林の中にはこのようにほかにもいろんな古墳がある。前方後円墳のかたちのプレートでそれが示されている。

ただし4号墳以外はかなり小規模で、上の写真のようにこんもりした丘が見て取れるだけだ。埴輪などもない。

 

古墳公園7

どこからどこまでが古墳なのか。

ちょっとした高低差も全部古墳に見えてきて、何が何だかわからなくなる。

 

まぁでもそんなもんでしょう、この世の中って。

僕らが我が物顔で暮らしいているこの土地も、昔は誰かが生活を営み、そして死んでいく。地球上にはこうして無数の人生が堆積しているのだ。

 

古墳公園。太古の墓場ではあるが、なんとも陽気でなんともユニークで。

そんなゆるい世界が僕は好きだ。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: くれふしの里古墳公園
  • 住所: 茨城県水戸市牛伏町201-2
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.330【福岡県】「軍艦防波堤」には本物の軍艦が埋まっている!今もその姿を見られるぞ!

ここ2年程で、「AIが描いた絵」というのが話題になっているよね。主にちょっと変な方向に行っちゃった系を中心に。

 

例えばピザハットを描かせたら巨大なピザを帽子にしたおじさんができあがるし、丸亀製麺を描かせたらうどんの中にぽっちゃりしたカメが入っているし、サブウェイを描かせたら巨大なホットドッグみたいなメカが地下鉄ホームに滑り込んでくる絵が出来上がる。

そういうのがWebで人気だ。まだAIは黎明期でピュアなのだ。単語そのままで幼稚園児のように純粋な発想をする。

 

じゃあここで問題だ。

「軍艦防波堤」と言ったら何が正解?そしてAIはどんな絵を描く??

 

京都の舞鶴で撮影した軍艦

賢明なあなたは、「軍艦が停泊している防波堤でしょ?」って思うよね。

そうだね、常識を身に着けるということは、そういうことだと僕も感じる。

ただ、今回の軍艦防波堤は違うんだ。AIが考えるようにピュアすぎる一品が存在してしまっているのだ。

 

 

軍艦で防波堤作っちゃいました。

 

 

これ、AIが作った画像じゃないぞ。実際に僕が撮ってきた写真なんだからな。

 

 

そこは巨大な埋め立て地

 

朝の6時台。僕は気持ちのいい秋風を浴びながら北九州市の海沿いの埋め立て地を走っていた。

 

埋め立て地1

福岡県北九州市若松区の響町。ここって地図で見る限りは町が丸々埋め立て地なんじゃなかろうかね。どこまでもフラットな台地であり、道は直線で幾何学的な美しさを感じる。

 

埋め立て地2

立ち並ぶ倉庫や工場などを見ながら、どんどん埋め立て地の深部へと入り、いよいよ「この先は海に突き当たって道も消滅しますよ」っていうストレートな道に出た。

大丈夫だ、僕の目的地はこの道が終わる場所にあるのだから。

 

埋め立て地3

こうしてエンド・オブ・ロードまでやってきた。

お目当てはタイトルにもある通り軍艦防波堤なのだが、それ以前に気持ちいいぞ、ここ。

早朝の穏やかな朝日、潮風が香り、カモメが鳴く。ドライブで立ち寄る海って、なんでこんなにも旅情をくすぐってくるのだろうか…。

 

埋め立て地4

対岸も埋め立て地。もう見渡す限りの埋め立て地。

あの煙突は「戸畑共同火力株式会社」だ。24時間休むことなくモクモクと頑張ってらっしゃる。朝日を浴びて輝く工場群、スゲーいい…。

 

埋め立て地5

さて、この埋め立て地の先にある防波堤。

どんでもないものを埋め立ててしまっている。うん、軍艦なのである。埋め立て地って、軍艦埋めてもいいんだー、そっかー。初耳。学校では教えてくれなかった。

 

「でも軍艦と防波堤ってかたちは似ているよね!」っていうじゃっかん棒読みのフォローくらいはできる心の準備をして、僕は防波堤へと足を踏み入れた。

 

 

軍艦が埋め込まれた防波堤

 

軍艦防波堤。正式名称は「響灘沈艦護岸」。

もう最初っからインパクトがすごい。

 

軍艦防波堤1

冒頭でも使った写真を再掲させていただくが、防波堤に足を踏み入れて最初に目に入る光景がこれなんだもん。防波堤と軍艦を足して2で割ったようなビジュアルなんだもん。

強烈な違和感を感じるのに無表情で釣り糸を海に垂らしている人たちがいるのがシュールで素晴らしい。

 

軍艦防波堤2

実はこれ、第二次世界大戦時の軍艦なのだ。つまり1945年あたりに現役だったもので、造られてから少なくとも78年経っている。

ここいらの軍艦の歴史については次の章で詳しく触れるね。

 

とにかく古いものなので、そりゃ普通にボロボロで、それでも防波堤として機能するようにセメントで固められているから細部のパーツなんかは全然なくなっちゃっているんだけど、それでもご覧のとおりこの防波堤は軍艦であった日のことを忘れてはいない。

 

軍艦防波堤3

近付いてみた。

うおぉぉ!!迫力あるじゃないのーー!!

これみなさん、釣りをしている場合ですか?あなたの後ろにあるのは、第二次世界大戦を潜り抜けた軍艦ですよ!?

 

…って言いたい気持ちをグッとこらえる。

もう北九州の人にとっては当然なのだ。防波堤に軍艦が埋まっているのも、軍艦のすぐわきで釣りをするのも当たり前なのだ。常識は地域や文化によって異なる。『言葉』でなく『心』で理解できた!

 

軍艦防波堤4

早速この船の輪郭に沿って歩いてみよう。釣り人に不審に思われない程度に静かに、ネコのように歩いてやろう。

…防波堤のすべてが軍艦ではないとは思うが、こうしてみるとどこまで軍艦でどこから防波堤なのかわからなくなってくる。迫力がすごい。

 

船の輪郭部分は、外郭ではなくって軍艦の上部の部分が見えているにとどまる。それでも当時の面影を残しているのが素晴らしい。

こんな気軽に足で踏んづけていいのかなって思ってしまう。

 

軍艦防波堤5

たぶんだけど、輪郭に沿うように残されたこの鉄のラインがその境界線なのだろう。

きっと往時の軍艦の本物の鉄部分。貴重だ。これを辿って歩くだけで気持ちがたかぶるのを感じる。

 

軍艦防波堤6

防波堤の最先端部分、つまりは船尾部分までやってきた。

鉄の輪郭がここで折り返している。現在船のかたちがこうして露出している部分は全長70mとのことだ。

この軍艦、まぁ正確には駆逐艦なんだけども、全長は85.85mとちょっと小柄だ。その8割以上が見えているということなのだね。なかなかのスケール。

 

軍艦防波堤7

さーて、折り返して最後にとっておいたのは船首部分だ。

ここは文句なしに一番船っぽさが残っている。舳先に立てるのだ。こんなにうれしいことはないよね。

 

軍艦防波堤8

…てゆーか誰だよ、舳先に『昭和』って刻んだのは。センスもないしモラルもないわ。

しかしここには確かに、激動の昭和が息づいていた。

 

 

戦争を生きた軍艦3隻、ここに眠る

 

最後に軍艦防波堤が誕生した経緯をお話ししよう。

 

3隻の軍艦の物語1

さっき僕がご紹介した軍艦は「駆逐艦_柳」という。

実は軍艦防波堤を形成する船は3隻あり、残りの2隻は「駆逐艦_冬月」・「駆逐艦_涼月」だ。

冬月と涼月は、あの戦艦大和と共に「沖縄特高作戦」の直衛艦として出航したんだよ。ギリギリで生き延びて、でも前進する機能がブッ壊れて後ろ向きに航行しながら帰還したんだよね。

 

3隻の軍艦の物語2

横のパネルには柳・涼月・冬月について詳しく書かれたパネルもあるので、しっかり読んでみると感慨深いのだ。

 

戦後、普通はこういう戦争の遺物は解体されるかアメリカに没収されちゃうかなんだけど、この3隻は防波堤としてここに沈められることとなった。

実は柳より手前側に涼月・冬月も埋められていたのだ。

 

3隻の軍艦の物語3

パネルの写真の拡大図だ。かつてはこうやって埋め立てられた。

今は埋め立て地がマッチョになってしまい、涼月・冬月の姿は全く見えないけど。

 

ここに3隻が沈められたのは、戦後3年目の1948年のことだそうだ。

その頃は九州本土とここはまだ橋でも陸でも繋がっていなくって、船でしか来れない人工島。

柳・涼月・冬月共に外観は現役時代ほぼそのままで、船内にコンクリを入れて固められただけだったそうで、そんな島だったにもかかわらずみんな珍しがってここに観光にやってきたらしい。

 

3隻の軍艦の物語4

その後、金属ドロボウに荒らされたり、台風でバキバキになったりし、1961年に「あぁもうこれヤバい」ってなって涼月・冬月はコンクリに埋められた。

柳は今のようにちょっとだけかたちがわかる程度に残されて、それ以外の船のパーツ部分は撤去されたとのことだ。

 

もう少し工夫したら、もう少し技術があったら、もっと軍艦当時の面影を残せて、観光面でも文化遺産面でも価値のあるものにできたかもしれない。

それは少し残念ではあるかな…。

 

3隻の軍艦の物語5

それでも、ここは他にはない貴重なスポットであることには変わりない。

当初は「軍艦が埋まっている防波堤!?スゲー!!」みたいな安易なテンションでやってきたけど、ひとことですごいとは言えない歴史の重みがコンクリと一緒にギュッと詰まっていたな。

 

3隻の軍艦の物語6

軍艦が戦時中にどのように活躍したかは語られることがあっても、戦後の末路まで触れられることは少ない。

しかしここでは、第二次世界大戦中の軍艦の最後の物語を見ることができ、触ることもできたのだ。

 

戦争は決して繰り返してはならないことではあるが、それでも当時を生きた先人の血と汗と涙とコンクリートの上に、僕らはこうして立てているのだろう。

 

以上、日本7周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)
  • 住所: 福岡県北九州市若松区響町1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 駐車スペースあり
  • 時間: 特になし