週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.215【静岡県】ずっと大将のターン!!「とんかつ一」は無限にお替りを盛られ続けるぞ!

おかわり自由なお店であれば、世の中に数多とある。

バイキングやビュッフェもこの類だ。

だが、それらは自分の意思でのおかわりだ。

 

もし店側が積極的におかわりを盛りつけてくるとなると、こちらの姿勢もガラリと変わる。

この代表例はわんこ蕎麦であろう。

満腹まで食べるのが大前提のエクストリームスポーツだ。

 

さらにクライマックスでは、満腹になっていようとも強引におかわりを盛ろうとしてくる店員さんの攻撃をどのように停止させるかという、一世一代の攻防劇が繰り広げられる。

フィナーレにふさわしく、最も視聴率の上がる瞬間だ。(自分劇場の中での妄想)

 

伊豆半島下田駅

今回ご紹介するとんかつ屋さんはスゲーぞ。

もともとドカ盛りなのに、減った分だけ足してくる。

絶望の未来しか見えない。

 

だが、過去の偉人たちは絶望の先に明るい未来を見つけ、それを手に入れている。

だったら僕もやるしかないのだ。

 

行くか、「とんかつ一(はじめ)」。

今、僕は伊豆半島南部の下田駅前を通過した。

もうすぐ目指すお店だ。

ドキドキでハンドルを握る手にも力が入るぜ。

 

 

「初めてならミックスでいいよね」

 

とんかつ一(はじめ)。

その店頭に僕は立った。これから激戦が始まる。

 

突撃1

パッと見では普通の食事処だが、個性的な対象が個性的な接客をしてきて、勝手を知っていないと一見さんは慌てふためくこと間違いなしのお店である。

大丈夫、僕は予習してきた。

 

突撃2

とんでもなくゆるいブタの看板が特徴的。

小学校低学年くらいのクオリティを感じ、微笑ましい。

 

…ただ、この顔で油断するべからず。

このブタ、とんでもなく鋭い牙を持っているぞ。

油断するとこちらが噛み殺される。

 

左側のポスターのお姉さんは極楽顔をしているが、隣のマッサージ屋さんのポスターなので無関係。

店内ではシリアスな戦いが繰り広げられているのだ。ヘヴンなんてこの世には無い。

 

突撃3

店内に入った。

テーブル席もあるが、カウンター席がメインのお店だ。

 

体格のいい人たちがカウンターに一列に並んでいる。

ドカ盛りのお店なのでこれは頷ける。

一生懸命ムシャムシャ食べているのだが、カウンター越しの店員さんから次々におかわりを盛られて「ありがとうございます」やら「もうカンベンしてください」やら、どちらにしてもドM的なコメントが僕の耳に届いてくる。

 

少食気味の僕は場違いだぞ。

大丈夫かな、生きて帰れるかな??

 

突撃4

カウンターは満員なので、カウンター裏の小さなテーブル席を案内された。

ここはカウンター席のデカい方々の死角となり、店員さんの攻撃を免れることができるかもしれないな。

 

カウンターの向こう側、テロンテロンの白い肌着みたいな服を着ている、2022年現在79歳の大将が僕に声を掛けてきた。

大将:「旦那、初めて?」

 

あぁ、ちなみに成人男性は一律"旦那"と呼ばれる。

人生初旦那を得た僕は素直に「初めてです」と言う。

 

大将:「初めてならミックス定食でいいねー」

 

質問でもなく強制でもなく、「太陽は東から昇るよねー」くらいにサラッと言われた。

 

突撃5

このお店にはいろいろメニューはある。

ただ、初めての人は老若男女を問わずにミックス定食なのだ。

事前知識が無いと戸惑うこと山の如しだが、僕は知っていたので「はい」と言った。

 

ミックス定食。

今回の敵の名前である。

口の中でメニュー名を反芻し、そして水をゴクリと飲んだ。

 

 

「カレーかけていいですか?」

 

カウンターの内側では大将と奥さん・店員さん(娘さん?)が忙しそうに動いている。

メニューの到着を待っていると、店員さんが僕に「ご飯にカレーかけていいですか?」と聞いてきた。

 

提供後に聞かれるとWebで呼んでいたが、僕がカウンター裏にいるためかあらかじめカレーをかける作戦に出たのだろうか?

とりあえず「はい、お願いします」と言った。

 

戦いの布陣1

「では受け取って下さーい」とのことで、カウンター越しに丼を受け取る。

 

丼にご飯。そして昭和っぽい黄色いカレー。

なかなかのボリュームである。お茶碗1.5杯分はある。

お腹ペコペコでなければ「これだけでよい」と判断してしまいそうなほどの量だ。

 

続いて味噌汁がやってきた。

かなり大振りのお椀であった。

 

そしていよいよ真打登場である。

 

戦いの布陣2

宅配ピザのMサイズくらいの大きなお皿。

そこに茶色いカツがビッチリと鎮座しているプレートだ。

 

よく「凄腕の格闘家は相手と対峙したり握手しただけで、相手との実力差がわかる」と言うじゃない。

その言葉を借りるなら、僕はコイツと対峙した時点で負け犬の顔をしていたと思う。ダメこれ。

 

戦いの布陣3

写真を見ているあなたには、どれもが茶色い似たような物体に見えてしまっているに違いない。

なので店先に掲げられていたメニュー表を基に内容物をご紹介する。

 

戦いの布陣4

こんな感じだ。

大きなメンチカツ1つ・ヒレカツが4つほど・カニクリームコロッケ1つ・鶏のから揚げ4つほどだ。

女性だとヒレカツやから揚げの個数が減る代わりにエビフライになるらしいが、そこいらはよくわわからないので、もしあなたが興味あるなら実際に行ってみてほしい。

 

戦いの布陣5

では、いただくとしよう!

…食いきれるのか、これ!?

 

 

「スパゲッティ、足しておくね」

 

食べ始めた。

カレー丼は辛くなくって食べやすい。

味噌汁には豚肉も入っていた。豚汁だこれ。敵は手ごわいぞ。

 

無限ループ1

メンチカツには甘めのデミグラスソースがかかっている。

中は肉汁たっぷりでジューシーだ。

その他の揚げ物は、なかなかハードに揚がっている。ちょっと固くて芳ばしめのタイプ。食べ応えあるぞこれ。

 

メニューが登場するちょっと前の時点で追加のお客さんが来て相席になっていたのだが、このタイミングでカウンター席が1つ空いた。

奥さんが「よろしかったらカウンターへどうぞ」と言ってくれる。

 

この後に詳細は語るが、乗ったら敵の餌食だ。

でも僕は乗る。「わぁ、ではせっかくなのでカウンターへ…」と言い、巨大プレートをそそくさとカウンターに運んだ。

盛大な死亡フラグである。

 

無限ループ2

さて、僕は序盤にスパゲッティとキャベツをモリモリ食べていた。

なぜそうしたのか、今となってはもうよく覚えていない。

たぶんスピーディーに食べることができ、そして無くなればお皿がスッキリして見えて"食べてやった感"を感じやすいからだったと振り返る。

 

大失敗だった。

 

カウンターの隣の席では、大将がお客さんに「おー、食べているねー。じゃあスパゲッティとキャベツを足すねー。」・「ご飯どうする?OK!じゃあカレーもかけるね!」とかやりとりをしている。

次は僕だ…。

 

「スパゲッティとキャベツ、足しておくねー」と言われた。

「はい」と答えた。

1回くらいはOKして敵を油断さえておきたかった。このやりとりもしたかった。

決してもっと食べたかったわけではないが。

 

無限ループ3

バットからキャベツがドガっと盛られた。

大きなボウルに入っていたスパゲッティも無造作に盛られた。

 

おやおや。

最初の段階でキャベツってこんな富士山みたいに聳えていましたっけ?

スパゲッティもこんなにトグロを巻いて存在を主張していましたっけ?

 

端的に言うと、最初より増えた

ロスタート、「振出しに戻る」どころではない、スタート地点より前に戻った。

 

ここは肉以外は無限におかわりを盛られる。

なので肉を最初に攻略すべきであった。失敗だ。

 

無限ループ4

満腹中枢がビンビンに刺激されている。

既に腹8分目~9分目だ。これヤバいぞ…。

スパゲッティとキャベツのおかわりをを受け入れてしまったことを後悔し反省している。

 

こうしている間にも、奥さんや店員さんから続けざまに「ご飯足しますかー?」・「お味噌汁追加していいですかー?」って続けざまに聞かれている。

大将からの誘いを断っても、1分後には奥さんから同じことを聞かれる。

 

厨房内の情報連携が一切できていない。まぁ連携しようもないだろうけど。

絨毯爆撃と言うか、長篠の戦いの"鉄砲三段撃ち"というか、もう隙がないわ店の攻撃。愉快。でも苦しい。

隣の人は何度かおかわりしつつもダウン寸前であったが、大将から「せめてたくあんだけ!なっ!」と押し切られ、お皿に半ば強引にたくあん置かれていた。

 

無限ループ5

カウンターの向こう側でも、店員さんが「スパゲッティ盛っていいですかー?」と聞きつつもまさにもう盛り付けんばかりに麺を掲げ、お客さんがアワアワしていた。

お客さんの目の前でスパゲッティを「ほーれほーれ」みたいに揺らしていた。

敵は全員ドSだぞ、気をつけろ!

 

店内のテーブル席にはご夫婦と小学校中学年くらいの女の子の3人連れもいた。

カウンターの中から大将が「旦那ァ!おかわりは!?味噌汁は!」みたいに頻繁に声が飛んでいた。

 

最初はご飯にカレーをかけるのを断っていた女の子にも、「ねぇカレーかけよう。その方がおいしいし食べやすいから!」って、はにかむ女の子に3回くらい積極的に交渉を持ち掛け、最終的に「じゃあかけよう。おーいオマエ、カレーかけてやってくれ!」って奥さんに指示していた。

店内各所が阿鼻叫喚となっている。

 

無限ループ6

もうちょっとなのだが、胃がはち切れそうだ。

人生でTOP3に入るんじゃないかってくらいに食べている。

 

まぁ持ち帰りも可能だと聞いてはいるが、食べきれるのであれば食べてしまいたい。

しかしこのちょっとがどれだけキツいか、あなたも想像できるであろう。

ギリギリなのだ、本当に。

 

そう逡巡している間にも、カウンター内の3名から代わる代わる「ご飯足りてる?」・

「カレーだけでも食べる?」と聞かれている。

「もう限界です」とキッチリお断りする。…それでも聞かれるけど。

 

無限ループ7

食べきった。

足元に置いてあったカバンに手を伸ばすときにお腹が圧迫され、本気で「うっぷ」ってなった。

歩くのも困難なくらいで油断すると口からミックス定食が出てきそうだが、平静を装って退店することだけを取り急ぎの人生目標とした。

 

大将はニコニコしながら「マズくてゴメンねー!」・「お腹いっぱいになった?」と聞いてくる。

お客さん全員にこんな感じで自虐気味に話しかけてくるのだ。

 

感謝とごちそうさまを伝え、店を出る。

駐車場までの数10mがシンドかった。

車に乗った後のシートベルトがシンドかった。

このあと2時間ほどは満腹すぎで車を降りる気力もなく、東伊豆を淡々と走った。

 

 

絶メシだけども頑張るお店

 

「絶メシロード」というグルメ系ドラマがあった。

2020年に放送された。

 

絶メシとは"絶滅してしまいそうな飯屋"のことであり、個人経営のレトロな食堂など、高齢の方が運営していて後継者もいないようなお店が主である。

もともと群馬県高崎市で「絶メシリスト」というWebサイトがあり、これをモチーフにドラマ化したものだ。

 

別店舗で撮影した写真です

その中でこのとんかつ一も登場しており、それで知った。

お客さんと店との応酬もそこで知った。

絶メシロード、どの回もマジ楽しかった。

 

今回このような記事を書いたが、あなたにご理解いただきたいのは、僕が今回の記事をネガティブな気持ちでは書いていないということだ。

「客にメニューを選ばせない・強引におかわりを盛るなんて酷い店だ!」とは思ってほしくないし、僕もそういう気持ちでは書いていないということだ。

 

 

僕は心から楽しみ、ぶっちゃけかなり苦しかったけれども、自分のキャパの中で楽しんだ。

 

初回訪問の人にミックス定食を進めているのも、まずはいろんなメニューの要素を詰め込んでいるミックス定食を食べてもらい、2回以降に気に入ったおかずをメインとしたメニューを頼んでほしいからだ。

たぶんだけども理由があれば断ることもできるだろう。

 

 

おかわりをすすめてくるのも、お腹いっぱいになってほしいという強い気持ちから。

あ、でもちょっとS気質があるのは否めない。

これまたしっかり断ることも可能だし、持ち帰り用のパックもある。

 

お店の人はとてもフレンドリーでいい人なのだ。

お客さんの嫌がるようなことを臨んではいない。

 

もちろん万人受けするかと言われればそうではないだろうし、そもそも万人受けするようなお店なんてほぼ存在しないと思う。

ちょっと独特で事前知識があったほうがいいお店ではあるが、個性の尖ったこういうお店があってもいいと思う。

なんでもかんでも無難で丁寧でクレームを恐れて…という世の中であるが、多少のブレ幅があったほうが人生面白い。

 

 

絶メシロードのシーズン2が、今月(2022年8月)の末から始まる。

 

またこういう個性的でワクワクするようなお店を取り上げてくれることを期待している。

老舗食堂、それはエンターテイメント。

食が充実するということは、人生が充実するということのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: とんかつ一
  • 住所: 静岡県下田市東本郷1-13-1
  • 料金: ミックス定食¥1450他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 11:00~19:00(日曜定休)

 

No.214【岡山県】世紀末感が漂う…!!水没ペンション村「グリーンファーム」がヤベェ!

瀬戸内海に面した牛窓(うしまど)という町をご存じだろうか。

別名"日本のエーゲ海"とも呼ばれる、本当に穏やかで綺麗なスポットだ。

 

そんなエリアの片隅に、なんだかドロドロした廃墟村のようなものがある。

そこだけ世界が暗転しているのだ。

 

現地で実際に撮った写真です

元廃墟ハンターである僕は、「これはゆゆしき事態ぞ」とか言いながらも、内心少しワクワクしながら岡山県に向かうのだ。

 

 

美しい牛窓

 

まずは本題に入る前に牛窓の美しい景色をお届けしよう。

なぜなら牛窓の美しい姿もご紹介しておかないと、「牛窓のイメージダウンの記事を書きやがって!」と僕がフルボッコにされなねないからだ。自衛、大事。

 

牛窓1

まずは公衆トイレだ。

公衆トイレなのにこんなに異国情緒あふれるファンシーなデザイン。

ギリシャ風車だろうかね?同じ瀬戸内海の「小豆島」にあるヤツの小さい版って感じだ。

 

こんなにワクワクするトイレはなかなか無いよね。

これが牛窓だ。

 

牛窓2

牛窓の港には「波濤崎」と書かれた石碑があった。

地図で見てもここいらは全然岬っぽくないのだが、昔は、岬の形状だったのかもしれない。港は埋め立てされた形跡があるので、岬だった頃の記憶の断片なのかもしれない。

 

牛窓3

穏やかな海にボートがずらりと停泊していた。

僕の写真の腕がイマイチなので、この写真だけでは日本のエーゲ海とは認識しにくいかもしれないが、とても静かでいい場所なのだ。

時間がゆったりと流れていると感じた。

 

牛窓4

かつての僕は、この港にあるレストランでランチをすることにした。

「昼どきなのにわりとガラガラだな」と思ったけど、気にしない。

1人旅なので周囲がカップルやファミリーだと心が折れるだけなので、逆に空いている方が良い。

 

このお店の名前は「シーフードグルメ館UOUO(うおうお)」という。

なんてネーミングセンスだ。

 

ただ、調べてみると2022年1月末で閉店してしまったらしい。

コロナの影響だろうか?それ以外だろうか?

いずれにしてもちょっと切ない気持ちになった。

 

牛窓5

ここでオーダーしたのは、牛窓の郷土料理である"水夫のじゃぶじゃぶ"。

なんてネーミングセンスだ。水夫、溺れてないか?大丈夫か??

 

海の男が食べる、ぶっかけご飯とのことだ。

シタビラメを骨ごとミンチにして野菜と一緒に汁ものにし、それをご飯にかけて食べるんだって。汁は醤油ベースの甘めの味付けで、ワサビをつけて食べるのだ。

 

もう昔のことなので味は覚えていないのだが、当時の手記いんは『ちょっと変わった味付けだった』と書いてある。

なんかオブラートに包んでないか、過去のYAMAのヤツ。

 

しかし同じ店で同じものを食べることは一生不可能なので、真相は闇の中だ。

ただ、海に向かって大きな窓のある居心地のいいロケーションで、居心地は最高だった。

 

牛窓6

あとはね、「牛窓オリーブ園」が観光地の目玉で、丘からの瀬戸内海の眺めとか最高らしいんだけど、1人で行く勇気がないので未訪問である。

 

…さてと、このくらいにしておこうかな。

では、次項からが本題だ。

 

 

水没した世界

 

2022年…。

僕は牛窓水没ペンション村「グリーンファーム」を目指していた。

水没ペンション村ね、Googleマップの表示からしてまずすんごいのよ。

 

水没世界1

Googleマップから画像引用させていただいた。

戦争時での各隊の配置を地図上に表すときって凸字を使うじゃないですか。

その凸字が海上に無数に並んでいて、並々ならぬ攻撃性を感じさせる。

「全軍北東に進軍!」って感じだ。何事だ。

 

まぁこれペンションの1棟1棟が上から見ると凸字なんだけどさ、廃墟を訪ねる僕としては事前にGoogleマップを見た瞬間に戦慄するわ。

 

水没世界2

夕刻が近付いてきた。

雲も広がってきた。

 

そんな廃墟探訪を盛り上げてくれるようなシチュエーションの中、僕は現地に到着した。

広い路肩があったので助かった。短い時間なのでここに駐車させていただこう。

 

水没世界3

そしてグリーンファーム跡を眺めるのだ。

はい、すごいね。

 

一面の水。立ち枯れの木。

日本の各所には、池の中に立ち枯れの木々があることで幻想的な雰囲気を作り出しているスポットがいくつかある。

代表例では北海道の「白金の青い池」とか。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ただし、ここにはそういう神聖さはねぇ。

ここあるのはただただ世紀末感、それだけだ。

映画とかで出てくるようなディストピア、つまりは退廃した未来世界、そんな感じだ。

 

水没世界4

水没しているのは立ち枯れの木だけではない。

人工物も水没しているのだ。

まずは目に入って背筋がゾクッとするのは、道路標識だな。

 

水没世界5

「徐行」の標識と、何かのネット。

徐行なんてしようがない。ブクブクと沈むしか選択肢の無い世界。

 

僕さ、数々の廃墟を見てきたし、火山灰や水や土砂で埋もれた地も見てきた。

しかしその中でも「怖いな」って思うのが、この道路標識が埋没している光景だ。

なぜなのか自問自答してみた。

 

それはきっと、「標識の下には道路があり、車が走り、人が歩く"生活"があった。それが埋没してしまった。」という連想をしているからなんだと思う。

道路標識、それは僕の深層心理の中では生活の象徴の1つなのかもしれない。

 

水没世界6

水没した木々にズームしてみた。

「おぞましい」という言葉がぴったりな木がした。

 

木々の各所には黒い鳥が止まっている。

実は水鳥なのだが、遠目にはカラスのようにも見え、それが世紀末感によりブーストをかけている。

 

水没世界7

ちょっと場所を変え、コテージ群がたくさん残る様を見に行こうか。

 

 

コテージ群の残骸

 

前述の通り、ここは水没ペンション村。

実は当時運営してしていたときのまま、数棟のコテージが放置されている。

ここの目玉である。

 

コテージ群1

水の中に残されたコテージ群。

随分と朽ちてはいるが、まだしっかりと自立している。

 

手前に残る街灯がまた怖い。さっき語った道路標識と同じ理屈で怖い。

あと、コテージの中で閉じられているカーテンが怖い。

 

コテージ群2

ここでは多くを語らないが、廃墟の内部において僕が怖いと感じるのは、布だ。

カーテン・布団・服…。

これらがドロドロに朽ちていくのを見るは、精神的になかなか来る。

あとはこれらを踏むと気持ちが悪いとかもあるんだけど、まぁその話は追い追い…。

 

コテージ群3

管理棟かな?

中央では平屋の建物が半身浴している。

そして見てくれ、その左手には車が2台停まったままだぜ。

 

コテージ群4

運転席周りしか見えていないということは、後ろ半分は荷台、つまり軽トラだな。

きっとこのペンション村で運搬等に従事していた軽トラなのだろう。

それが放置され、これまた水没している。やるせない気持ちになる。

 

コテージ群5

遠くの方には、ボス的な存在のひときわ大きい建物。

大人数用のコテージ?

 

あの中はさぞや魅力的なんだろうと、僕は想像する。

しかしその想像はかき消す。

僕はとうの昔に廃墟ハンターを卒業済みなので、こうやって安全圏から遠望するくらいに留めるのだ。

 

コテージ群6

電柱と、その足元の小さな倉庫。

この倉庫の土台が一番高いところにあり、そして基礎がしっかりしている。

なんか皮肉なヒエラルキー

 

この倉庫は静かに朽ちゆく廃墟群を、これからもここから高みの見物をするのだろう。

どんな気持ちでこの光景を見ているのは知らないが。

 

 

なぜ滅びたのか

 

そもそもこのペンション村はなぜビタビタに浸水してしまっているだろうか?

いつから廃墟になったのだろうか?

そして、「浸水したから廃墟となった」のだろうか、それとも「廃墟になってから浸水した」のだろうか?

 

あなたも気になるよな?

気になって気になって、もう夜しか眠れないよな?

では、そこのところをご説明していこう。

 

廃墟村はこうしてできた1

昔々、江戸時代はここいらは塩田であった。

穏やかな海、満ち引きのある海岸、晴れの日の多い気候…、そんなところがきっと好条件だったのだと考える。

 

でも、昭和も中期に入ると経営が厳しいことになる。

塩は海外で大量生産したものを輸入した方が安いしね。

コツコツ塩田で塩を作るのって、労力もかかるし大変なのだ。

 

こうして1970年代ごろ、このエリアの塩田の歴史は終わったらしい。

 

廃墟村はこうしてできた2

そしてこの地は、リゾート地として再開発された。

1980年頃だと言われている。

 

ペンション村ができたのも、このときだ。

正式名称は「鹿忍(かしの)グリーンファーム」。

僕の調査力がないのか、かつてどんな感じの施設あったのかを窺い知れる内容は、Web上では見つけることができなかった。

 

ただ、この地には1つ大きな特徴がある。

それは、かつて塩田にしていたような地なので、潮の満ち引きが大きい。

定期的にポンプで排水しないと水没する。

 

そんな土地だったのだ。

ペンション村は排水を繰り返しながら運営してきたのだ。

 

廃墟村はこうしてできた3

鹿忍グリーンファームが閉鎖されたのは、2000年頃らしい。

なんでなのかは調べたけどもよくわからない。

不況のあおりとか、施設の老朽化とか、娯楽の多様化とか、きっとそんなところだろうとは思っている。

 

グリーンファームはすぐには沈まない。

しかし2013年に一気に水没が始まったと聞いている。

 

廃墟村はこうしてできた4

2013年の春に浸水が始まり、秋ごろにはドップリと浸かったそうだ。

 

水流が一気に流れ込んだのではなく、ゆっくりとした浸水だったから、建物はその姿をしっかりと留めながら今に至る。

ゴルフ場やテニスコートのネットもこうして今も立っている。

 

さらには残った木やコテージなどが、水鳥たちの格好の住処となったのだ。

 

廃墟村はこうしてできた5

まぁ、本来ならば所有者が責任を持って解体すべきなのだろう。

それがなされずに20年経過しているということは、それが困難な状況であることは容易に想像できる。

 

僕の現地訪問時は感じなかったが、虫が発生したり異臭が発生したりと、周辺住民は迷惑しているそうだ。

確かに夏場はキツそうだな。

そして、景観・風評・治安の面でも影響はあるだろう。

せっかくの日本のエーゲ海牛窓なのにこれは残念だ。

 

廃墟村はこうしてできた6

自治体が費用を捻出しない限り、このペンション村はずっとこのままで、ジワジワと朽ちていくのだろう。

 

一瞬立ち寄っただけの僕はこの光景を「ユニークだな」みたいに表現できるかもしれないが、世の廃墟の抱える真の闇のことを考えると、重い気持ちになる。

廃墟は好きなのだが、胸を張って「好き」とは言えない理由の1つがここになる。

 

2022年。今回の牛窓では、時間の都合からもほとんどここしか訪問しなかった。

しかしまた次回、それは日本7周目になるのだろうが、そのときにはキラキラと輝く牛窓をご紹介したい。

ただ、これナイショだけどさ、やっぱ僕って廃墟は好きなんだからな。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 鹿忍グリーンファーム跡
  • 住所: 岡山県瀬戸内市牛窓町鹿忍830
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 路肩等ならあり
  • 時間: 特になし

 

No.213【長野県】日本中央の碑が建つ「生島足島神社」!なぜここが日本の真ん中なのか!?

あまり神社仏閣には食指の動かない僕であるが、「生島足島(いくしまたるしま)神社」は別だ!

 

ずーっと昔、日本3周目の前半でも訪れているが、日本6周目の終盤で久々に再訪することとした。

「何がそこまで僕を突き動かすのか」だと?

待ってました、いい質問だ。

 

それはね、この神社の境内に日本中央と書かれた石碑が立っているからだ。

 

 

僕は自問自答する。

「あなたは職場のグループの中心ですか?」

「あなたは友達の輪の中の中心ですか?」

「あなたは家庭…」

「あなtah ―

 

うるさいうるさい!!

好きで端っこにいるわけじゃないんだよ!

僕だってたまには日の目を浴びたいことだってあるさ!

 

なぁ…。

日本の端っこばかり追いかけていないで、日本の中央に立てば、何かわかるかなぁ…?

日本3周目の僕は、こうしてハンドルを握るのだ。

 

 

日本の中心を巡るということ

 

最初にあなたに断っておかねばならないことがある。

それは、日本の中心は1つではないということだ。中心なのに複数あるという時点で混乱させてしまったな、申し訳ない。

 

確かに、日本の中心は1つしかないと思われるのが一般的な思考であろう。

ただ実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状だ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

今回の記事は、その日本の中心の1つである生島足島神社が掲げる日本中央の碑にスポットを当てる。

 

ここは生島足島神社公式Webサイトを見ても、そして数あるWebの中を検索しまくっても、「なぜここが日本の中央なのか」の答えが記載されていない。

そうなのだ。

日本の中心って概念が様々にありすぎて、そして複雑すぎて、把握している人が極端に少なくなってしまったようなスポットもあるのだ。

だから面白いのよ。パズルのようなのよ。

考えて・調査して・そして納得する。これすげーエクスタシーよ。

 

今回僕は生島足島神社さんに直接取材させていただき、納得できる解をいただけた。

最終章でご紹介するからワクワクしながら読み進めてほしい。

 

 

日本3周目の思い出

 

生島足島神社の最寄りの道の駅は、「道の駅 マルメロの駅 ながと」である。

5:20、車中で仮眠を取っていた僕が目を覚ました。

 

「寒い…」ガタガタ震えていた。室温計は2℃を指している。

5月中旬の信州の山間部をナメていた。

毛布1枚で足りるわけがない。羽毛布団を持ち込むべきだった。

真冬用の上着を着ることで、かろうじて寝ることがわ。

 

自販機で缶コーヒーを買って温まり、そして10数㎞北にある生島足島神社を目指したのだ。

 

早朝の神社1

6:00ちょいすぎの神社だ。

無料駐車場がついていて助かった。

 

想像していたより境内が広くて立派な神社だ。

早朝の冷たい空気がピンと張り詰め、神聖な感じが際立つ。

さて、お目当ての日本中央の碑はどこかな…とウロウロする。

 

早朝の神社2

なんか池にはガチョウやらカモやらがいて、しかもガチョウが僕を見たら興奮して近寄ってきてガーガー言うし、つっついてくるし。

 

好かれてるの?嫌われてるの?

どっちか謎なのだが、この静かな早朝にガーガー言われるのは近所迷惑になりそうでヒヤヒヤするのだ。

 

早朝の神社3

この神社では境内の池でこれらの鳥を放し飼いにしている。

神社の本殿は上の図のように、「神池」という名の池の上に浮かぶ「神島」にあるのだ。

すごい神々しいネーミングだ。

 

そしてこんないい感じのロケーションだから、鳥たちも大喜びで暮らしているというワケだ。

 

早朝の神社4

本題の日本中央の碑、パッと見つけられずに境内をグルリとしてしまったが、ちゃんと見つけたぞ。

神島に渡ってすぐの橋のたもとだった。

 

石碑の上部に日本中央と刻まれている。

 

早朝の神社5

なぜここが日本中央なのだろう?

日本3周目当時の僕も、もちろんそれは考えた。

そしてWeb検索した。

当時の僕は以下のような記載を見つけた。

 

この神社には、生島大神(いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)の2人の神様を祀っている。

どちらも日本国全体の御霊として奉祀されている神様である。

従い、この神社は太古より日本総鎮守として位置付けられ、それがすなわち日本中央なのだ。

 

神様のことは全然わからないが、とりあえず納得するしかなかった。

2022年現在は検索しても、上記旨はどこにも記載されていない。

今一度定義を確認したほうがいいだろうな。

そして、久々にまた生島足島神社を訪問してみたいな。

 

そう思って日本6周目の終盤を走る僕は、長野県に向かうのだ。

 

 

闇の中を徘徊する

 

2022年の夏、僕が再びやってきた。

あ、いきなり話が脇道に反れるが、生島足島神社の直前で撮影した以下の写真を見てほしい。

 

アプローチ

前方に滝があるっしょ。

すごくない?信じられなくない?

長野県のド真ん中に、こんなナイアガラ級の滝があるんだよ。知ってた?

 

…まぁこれ、雲なんだけどね。

しかし滝のような雲。僕はビックリしたさ。

写真じゃこのスケールを表現するのは難しいだろうけどさ。

 

ちょうどここの車載動画がある。

7秒しかないからぜひ見てくれ。

 

 

ね、とんでもないスケールでしょ。怖いでしょ。

 

わかっていただいたところで、生島足島神社だ。

まぁこんな感じで壮大な雲に浮かれていたら、すっかり暗くなっちゃったんだけどな。

 

夕暮れ神社1

ほぼ真っ暗で静かな境内に足を踏み入れる。

記憶の奥底にかろうじて境内のMAPが残っているが、暗すぎて参考にならないレベルだ。無事ウロウロと彷徨う。

 

夕暮れ神社2

ただ、暗い時間帯の神社って神聖な感じがしてスキだ。

ところどころに提灯の明かりがついているのも、またよかった。

 

大丈夫。ちゃんと僕は覚えている。

本殿の前に日本中央の石碑があったことを。境内の中でもメインに当たる部分なので、ほどなくしてそこ場所に到達する。

 

日本中央1

はい、かつてとほぼ同じ構図で写真を撮った。

石碑もきっと同じものだ。

 

天皇陛下幣帛料御下賜」の立て札だけ新しい。2016年に皇室からの寄進を受けてなんやかんやしたらしいな、なるほど。

 

日本中央2

ホントはもうちょっと、境内のいろいろなスポットだとか池だとかをあなたにご紹介したいのだが、いかんせん暗くって何も見えないしいい写真もない。

ちょっと書くネタに困ってきたところです。

 

とりあえず日本中央の文字は石碑に控えめに彫られているので、でっかく映るようにもう1枚写真を撮ったところだ。

 

夕暮れ神社3

少し引きでもう1枚ご紹介する。

右側が日本中央の碑。そして左側に見切れているのが本殿だ。

 

夕暮れ神社4

はい、これが本殿だ。

生島足島神社は道路沿いにものすごく大きな電光看板(?)を出して存在をアピールしているが、本殿はかなり控えめな大きさだ。

 

もちろん、そのことを悪く言いたいわけではない。

先ほども書いた通り、生島大神足島大神というかなりの権威のある2人の神様を祀っている、すごい神社なのだそうだ。

 

夕暮れ神社5

では、次の項では日本中央たる所以について、掘り下げていこうか。

 

 

なぜここが日本中央?

生島大神足島大神

 

まずは生島足島神社の由緒から紐解いていこう。

この神社の主祭神は、生島大神足島大神の2人だ。これは前項や前々項でも触れたね。

 

この2人がどんな力を持つ神様なのかというと、Wikipediaさんによると以下の通りだ。

生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。』

ぶっちゃけよくわからないし、僕個人は耳馴染みが無いけど、とりあえずすごいらしい。

 

ja.wikipedia.org

 

さらに小難しい話になって恐縮だが、上記にWikipediaさんの「宮中・京中の式内社一覧」の項を取りあげる。

これは平安時代に書かれた「延喜式(えんぎしき)」っていう法律文書みたいなものが元になっているのだが、この中に生島神と足島神の文字がある。

 

何が言いたいのかっていうと、生島大神足島大神は西暦900年ごろには既に書物に登場していて、かつ朝廷との縁も深い神々だっていうこと。

 

日本中央を考える1

ここまでは、なんで生島足島神社が日本中央かを調査したり取材するにあたり、最低限知っておかねば失礼な知識かなって思い、苦手ながらも理解した。

 

 

神社に取材する

 

生島足島神社がすごいらしいことはわかった。

しかしすごいことと日本中央であることとは別物だ。

 

なんでここが日本中央なのか。

2022年現在、Webを検索すると「地理的に日本のほぼ中央だから」・「長野県のほぼ中央だから」と書かれている個人のWebサイトがチラホラと出てくるのだが、それを信用していいのか。

 

日本中央を考える2

そして、僕が本当に知りたいのは、「どういう根拠で地理的に日本のほぼ中央なのか」だ。

 

メンドくさい思考の人間でごめんなさいね。

お仕事でもこのくらいの探求と追及を重ねられればいいんだけど、お仕事はすごいアッサリでいつまで経ってもダメ社員なの。…って何言わせるんじゃい!

 

とにかく僕は、生島足島神社さんに質問をした。

ブログに掲載すること前提にいろいろ教えてくれって言った。

そして情報をいただいた。

 

詳細な地理的計測ということではない

 

はい、まずは現在Webで調べられる大半の事由がバッサリ否定されてしまった。

聞いてみるもんだな、こりゃ。

じゃあなぜ日本中央なのか。

 

御祭神である生島・足島大神が、その時代の国の真ん中あたりでお祀りされて来られた

 

この、その時代の真ん中の例として、今でも生島大神足島大神を祀る神社が近畿地方に数社あることを教えてもらった。

近畿地方は、かつての政権の中心だしな。

前項で取り上げた通り、"朝廷との縁も深い神々"ってことだな。

 

日本中央を考える3

東日本で生島・足島大神をお祀りしている神社は当社のみである

 

そうなのか。

確かに東日本を主な拠点としている僕は、これらの神様の名に馴染みがなかった。

ここ生島足島神社でしか聞いたことがなかった。

 

…ん?

さっきは「生島・足島大神は、基本的にその時代の国の真ん中あたりで祀られてきた」という旨のコメントをされていたよね?

ここ長野県は日本の政治の中枢だったことはないのに、なんで生島大神足島大神を祀っているの?

 

日本中央を考える4

日本列島の地図は誰が見ても長野県・群馬県岐阜県あたりを真ん中辺と見ると思いますが、正確な地図の無かった古代に当生島足島神社が鎮座する東信濃小県郡の地に生島・足島大神をお祀りしたということが凄いことだと思う

 

僕は正直ここで少し混乱した。

ちょっと時間を置いて今一度主旨を分析していこうと思う。

 

  1.  生島大神足島大神は基本的に政治の中枢の場所に祀られる
  2.  だけども例外的に長野県に1箇所だけ祀られているのがここ
  3.  それがなぜかというと、政治の中枢じゃないんだけども地理的に日本の真ん中あたりだから「例外的に生島大神足島大神を祀ろっか」ってなったから
  4.  (昔の人が長野を地理的な日本の真ん中だとわかったの、スゲースゲー!)

 

…ということか。

自分なりにもっと噛み砕き、解像度を低くして表記するなら、以下のような感じかな。

 

  1.  政治の中心のシンボルがある。
  2.  そのシンボルが長野県から見つかった。なんでだろう?
  3.  長野は地理的な中心だから、「1」との"中心繋がり"でシンボル作ったんだね。

 

100%の腹落ちはしていないが、ひとまず理解はできたぞ。

 

 

中央なのか中心なのか

 

取材ネタはもう少しだけ続く。

生島足島神社さんは2点の留意点を僕に提示してくれた。

 

この由縁は古文書等の文献ではなく、古くからの伝承で言い伝えられて来ている

 

うん、いいじゃない伝承。

確固たる文字の根拠はないが、古来から人から人へと脈々と伝えられている内容なのだ。

それを文字にしてしまう僕はヤボなのかもしれないが、ブログ掲載前程の質問なので許してほしい。

 

「日本中央」という言い方は近代的、東京の表現ですので、古くからの「日本の真ん中」の表現でお願いしたい

 

ムホホホホ…!!ちょっと待って、ちょっと待って!!

 

日本中央を考える5

境内の目立つところにゴチーンと日本中央の碑を建てておられますが!?

自分で名乗っておいて、それに同意しようとすると否定しちゃう感じですか!?

 

例えると、「ほら、私ってブスだからさ~」って言ってくる女性に対し、「そうだね、君はブスだなー」って同意を示すと鬼のようにキレられる現象と一緒?

 

日本中央を考える6

ほら、この看板の右下にも「日本の中央」って書いてあるしさ。

 

近代的で東京的な表現…っていうか、書いてあったら読み上げちゃうって。

近代的で東京的な人じゃなくて、江戸時代の鹿児島人が今ここにタイムスリップしてきても、「日本の中央」って読んじゃうって。

 

日本中央を考える7

うん、だけども『古くからの「日本の真ん中」の表現でお願いしたい』についての意図は理解したから、僕はこの記事内では石碑等の読み上げ以外については日本中央の単語は使っていない。

 

何より今回の取材で、生島足島神社さんがいろいろ丁寧に解説してくれたことに感謝しかない。ありがとうございました。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

日本中央を掲げながらもそれを否定し、日本の真ん中を名乗る神社…。

 

 

最高に面白いじゃないか。

 

そりゃ僕のもう1つの得意分野、日本の突端岬巡りも面白いけれども。

日本の中心巡りはこうやって考える余地があるから、面白い。

まだ誰も踏み込めていない領域、あるかもしれないんだぜ。

 

日本中央の電飾に背中を照らされながら、僕は生島足島神社を後にする。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.212【山口県】インスタ映え!使われない棚田の次世代活用「棚田の花段」が美しすぎる!

青空・海・花・ハンモック・ブランコ・ジェラート…。

1つ1つが魅惑的な単語だが、それらを掛け合わせればさらに魅力が増すのは想像に容易い。

 

そうなのだ。

これらを全て網羅させたスポットが、山口県にあるのだ。

名前を「棚田の花段(はなだん)」という。

 

 

僕は存在すら知らずに車でローカルな道をダラダラと走っていたのだが、そんな折に偶然遭遇したのだ。

今回は、そんなひとときの夢の世界の話をしたい。

 

 

突如出現する夢空間

 

僕は「元乃隅(もとのすみ)神社」を目指して車を走らせていた。

元乃隅神社とは、日本海をバックに無数の鳥居が立ち並ぶ、インスタ映え間違いなしのすごいスポットだ。

このスポットについては、またいずれ機会があったら執筆しよう。

 

元乃隅神社

その元乃隅神社から3km弱手前(西方向)の、県道66号沿いであった。

 

対向車が来たら擦れ違いギリギリだな…と思われる山間の道を走っていたところ、ふと左手に目を奪われた。

海・広場・ハンモック・売店…。

 

冒頭に記載した単語とはとはちょっと異なるが、ハンドルを握りながらの最初の1秒で理解したパーツはこの通りであった。

 

花段との出会い1

…で、車を停めた。

 

どんなスポットかわからなかったので停車すべきかどうか2秒迷ったが、眺めは良さそうだし、風景写真を撮るくらいの余裕はある。

ドライブをしているとなかなかアドリブで急に立ち寄るのは難しいかもしれないが、できる限り足を止めたいとは思っている。

 

ちなみに上の写真、背後に映っているのは「東後畑棚田」と呼ばれる、丘陵地帯に造られた棚田だ。

 

花段との出会い2

駐車場の隅にあった、このポール。

主要スポットやそこまでの方位・距離を掲示しているこのポール、景勝地でときどき見るけども正式名称はなんていうんだろな。

 

ここには『棚田の花壇』と書かれているが、正確には『棚田の花段』だ。

公式Webサイト等で念のため確認した。

 

2つ前の写真には、このポールの後ろに小さな小屋が写っている。

どうやら薪やもみ殻などを売っているようだが、まだ朝のためか営業していなかったし、営業していても一人旅には不要だな。

 

花段との出会い3

そしてこれが、棚田の花段のメインフィールドである。

快晴の空の下に、真っ白い広場。その向こうに青すぎる海。

最高だろ。連日こんな快晴続きなんだぜ。

 

ちなみに2022年8月現在、Googleマップストリートビューではここは2014年までの情報しかない。

その当時はただの深い草むらであった。

詳細は後述するが、このように綺麗に整備されたのは、ほんのここ数年であるのだ。

 

 

ハンモックと絶景ジェラートショップ

ハンモック

 

では、ロケーションを順にご紹介していこう。

 

ハンモックと絶景1

うん、いきなり1枚目からブレた写真で申し訳ない。

お恥ずかしい限りだ。ぜひ薄眼で見てほしい。

 

広場には点々と、このようなハンモックが設置されている。

僕の訪問時は、朝夕がまだ少し涼しくて過ごしやすい時期。かつ快晴。

ハンモックに揺られるにはベストシーズンだ。

 

ハンモックと絶景2

僕以外にはチラホラと観光客がいる。

しかし雰囲気だけの憶測だが、ここを知ってきたというよりも、僕と同じようにたまたま目に入って立ち寄ってみた…という感じだ。

 

そして、ここにはスタッフさん的な立場の人が少なくとも現時点ではいない。

なので、人々は「えっと、このハンモック使ってみていいんだよな…。よいしょ…。」と、どっか遠慮がちで、ぎこちない。

例えると、家に迎え入れた初日の犬が緊張しながらも与えられたベッドやクッションに身を沈めるような感じだ。ペット飼ったことないから知らんけど。

 

ハンモックと絶景3

結論から言うと、僕はこれらのハンモックは使わなかった。

この位置は県道から丸見えであり、そんな中で1人で使用するのはなんだか恥ずかしかったのだ。

なるほど僕が犬だったら、引き取られた家庭に馴染むまでは数日かかるな。

 

ただし、後述するがブランコやベンチは使っているので、ちゃんとこのスポットを楽しんでいる。その点はご安心いただきたい。

 

ハンモックと絶景4

あるハンモックの前には、花が添えられていた。

すげーいい。

この時点でスタッフさんはいなかったが、きっと朝誰かがセットしてくれたのだろう。

 

 

ジェラートショップ

 

広場にはジェラートショップがある。

僕は食べなかったが、とりあえずできる範囲でご紹介をする。

 

ジェラートショップ1

このお店の名前は「むかつく」だ。

 

すげーネーミングセンス…と、一瞬思うかもしれない。

しかしこの半島の名前が「向津具(むかつく)半島」なので、納得だ。

それであっても、あえてひらながで店名をつけるところにアグレッシブさを感じるね。

 

ジェラートショップ2

週末のみで11:00~の営業だそうなのだが、僕がここを立ち去る10:00ちょいすぎくらいには営業開始した様子だった。

 

この日のジェラートの種類は、抹茶・ハッカチョコ・デコポン・ミルク・レモングラスミルクティー・きなこ。

食べようか悩んだが、空腹なわけでも暑いわけでもないので、今回は辞めておいた。

 

ジェラートショップ3

絶景の前に立つ、顔はめパネル。

『むかつく ― 探さないといけないジェラート店 ―』と書かれている。

 

このお店は2019年に創業し、当初はこのサブタイトル通りに山口県長門市の各所を移動販売していたとのことだ。

しかしそれだとお客さんもなかなか訪問できずにハードル高すぎ状態となってしまったので、2022年現在はここ棚田の花段に落ち着いているそうだ。

 

ジェラートショップ4

『むかつく顔をどうぞ。』・『【!】自己責任において、ご使用ください。利用者の顔による事故は責任を負いかねます。』

…って書かれている。そりゃそうだ。

あなたもここに行かれた際には、むかつく顔をしてみてほしい。

 

あと、店舗には『ご自由にお使いください』と日傘が置かれていた。

ありがたい。

これで今年のような猛暑であっても凌ぐことができるかもしれない。

 

 

棚田再生プロジェクト

 

僕が各Webサイトで入手した情報を基に、棚田の花段の全容を見ていきたい。

 

棚田再生1

棚田再生プロジェクトの結晶。

このスポットをひとことで表現するなら、こうなるかもしれない。

 

昭和の後期頃、ここ向津具半島には2万5000枚もの棚田が広がっていたそうだ。

ちょっとピンと来ないほどのビッグスケールだ。

 

ただ、高齢化や過疎化で人手不足となり、かつ後継者の確保も難航した。

こうして耕作放棄された棚田が目立ってきたそうだ。

 

棚田再生2

そこでどうしようってなった。

せっかくのこのロケーションをうまく活用して、集客効果を狙えないだろうか、と。

そんな経緯から2019年にこの棚田の開墾作業が開始され、棚田の花段となったのだ。

 

メインフィールドから一段降りてみよう。

さらに下の方にブランコやステージのようなものが設置されていることに気付く。

みんなメインフィールドのハンモックに夢中で、下界の存在には気付いていないっぽい。

 

棚田再生3

ブランコに座って、軽く漕いでみた。

人もいないし眺めもいいし、いいなここ。

 

棚田再生4

眼下はこの絶景よ。

 

しかし眺める分にはいいが、これ1つ1つが水田だった時代はさぞかしハードワークだったろう。

単純な昇り降りもそうだし、トラクターも入れなかったりするだろうし、入れたところでトラクターの水田間の移動も大変だし、水の管理とかも…。

そんなこんなで、全国各地の棚田が深刻な継続危機だと聞いたことがある。

 

棚田再生5

今はこの棚田を利用して、40種類ほどのハーブを栽培しているみたいだ。

 

あ、死角になんかある。

なんていうの、これ?ベンチ・ハンモック・ブランコ、3種の長所を掛け合わせたようなものだ。

 

棚田再生6

ホールド感がとても心地良かった。

次回また来る機会があったら、ここに座ってジェラートを食べたい。

 

棚田再生7

このメインフィールドから一段下がったところにも、ハンモックがあった。

誰も気付かず、使い放題。

あなたも訪れることがあったら、ぜひ下界に目を向けてほしい。

 

棚田再生8

階段を昇って、再びジェラートショップのあるメインフィールドに戻る。

なんか結構車も人も増えて賑わっていた。

ジェラートショップもオープンしていた。たぶんこの日は10:00のオープン。

 

キャッキャと賑わう声を聞きながら、僕は車に乗りこんで、改めて元乃隅神社を目指すのだ。

 

余談1

最後に余談である。

 

元乃隅神社はここから3km弱と書いたが、この道のりが結構キツかった。

駐車場のキャパが狭く、完全にパンクしていたのである。

 

僕はエアコンの効かない車内で「アチーアチー」と言いながら10数分待った。

それでも10数分で良かった。朝なのでまだそこまで混雑していなかったのだ。

昼過ぎには2時間近くの渋滞になったと聞いている。地獄だね。

 

余談2

だからあなたも週末に元乃隅神社に行く際には、充分な体力と時間を確保しておくとよいだろう。

 

僕は直前に棚田の花段に立ち寄れたおかげで心が満たされており、そこまでこの渋滞を苦にすることなく乗り越えることができた。

ありがとう、棚田の花段。

いっときの清涼剤のようだったが、今も爽やかな記憶として僕の心に残っているよ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 棚田の花段
  • 住所: 山口県長門市油谷後畑1500-2
  • 料金: 入場は無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 入場に際しては特になし

 

No.211【香川県】日本のウユニ塩湖「父母ヶ浜」!1人だとうまく撮れず虚しさ込み上げる!

インスタ映えという言葉が世の中にはびこっている。

 

…とか言うとSNSにドップリ浸かっている方々を揶揄するようにも聞こえてしまうが、インスタ映えはいいことだと思う。

国民全員がカメラを持ち、国民全員がアーティストになれる時代だ。

 

そりゃ僕だってできることならいい写真を撮りたい。

インスタ映えって言葉ができる前からいい写真を撮りたいと思っていたし、逆に世の中にカメラが登場してから今日に至るまで「いい写真を撮りたくない」と思った人は稀有な存在であろう。

 

旅をしていると風景写真を撮りたくなる。

しかし、そんな風景写真であっても人物が入ることで各段に映えるスポットもある。

そんな場所に1人で行ってしまったら、一体どのような悲劇が起こるのだろうか…。

僕はそれを検証する。

 

候補地は「父母ヶ浜」だ。

 

 

アイディール

 

まずは父母ヶ浜についてご説明したい。

父母ヶ浜は、"日本のウユニ塩湖"と言われているスポットだ。

ってことは、まずは原点である「ウユニ塩湖」を知っておいた方がいいかもしれない。

 

ウユニ塩湖(Web検索)

僕はウユニ塩湖には行ったことは無いのだが、ボリビアにある平原だ。

世界で一番平らな平原らしい。

雨季、その大平原に雨が溜まると、わずかな期間だが超巨大な水たまりが出現する。

波風が立つこともなく、天空を映す壮大な鏡が形成されるというわけだ。

 

はい、ここまでがウユニ塩湖。

次は、そのウユニ塩湖を彷彿させるという父母ヶ浜だ。

 

父母ヶ浜(Web検索)

はい、まずはお手本の写真をWeb検索から持ってきた。

なるほどなるほど、ウユニ塩湖ほどの世界観の広がりはないものの、それでも広い鏡面が美しい。

 

2017年ごろからインスタ映えのスポットとして有名になったそうだ。

確かにこんな写真が撮れたらテンション上がるだろうな。

 

さぁ、僕はこんな写真を撮れるのだろうか?

行ってみようぜ、父母ヶ浜!

 

早朝・瀬戸大橋

僕は「瀬戸大橋」を渡り、四国の香川県に上陸した。

 

 

アーリーモーニング

 

はい、僕がやって来た。

父母ヶ浜近辺までやってきた。

朝の6:30のことだった。瀬戸大橋から大体1時間だ。

 

実はゴールデンウィークの真っ只中である。

コロナも少し落ち着いており、3年ぶりとなる行動規制のないゴールデンウィークで、世の中は行楽客で溢れている。祭りだ。

 

つまり、日中ともなればここ近辺は渋滞・駐車場はパンク・浜辺は人だらけ・僕は一層孤独を感じる…と、いろいろとマズくなることが予想される。

渋滞回避と精神ダメージ軽減のため、早朝にやって来たのだ。

なるほど、YAMAはとても賢いね。

 

駐車場1

駐車場についた。

驚くほどにガラガラでどこに停めたらいいのか迷うほどの広大なフィールドだった。

さすが早朝。

とりあえず真ん中に停めた。

 

駐車場2

これだけで気分は爽快だった。

上の写真、実際は駐車場と海との間にバリケードがあるが、一見するとそのまま海に繋がっていそうな気もする。

世界は広い。そう感じられる朝。

 

駐車場3

見る限り、浜辺にも観光客はパラパラしかいない。

 

早速僕は浜辺に突撃した。

駐車場からはわずか数10秒だ。

父母ヶ浜1

さて、全容はこんな感じだ。

一見すると普通のビーチだ。

遠くに海があるのはわかるが、冒頭でご紹介したような神秘的な写真はどこでどうすれば撮れるのか、ちょっとわからないかもしれない。

 

父母ヶ浜(Web検索)再掲

しかし、着目すべきはこの浜辺。

海水が浜辺に残って水溜まりになっているのがおわかりだろうか。

これ1つ1つが、小さなウユニ塩湖だ。

 

父母ヶ浜2

これをいかに壮大に見えるように撮影するかが、ここでのテクニックだ。

求められる要素は以下の通りだ。

 

  • 水鏡のように景色を反射させる
  • 水溜まりの幅を、なるべく感じさせない
  • 水溜まりの向こう側に、なるべく陸地を感じさせない

 

これを全て満たす撮影は、水溜まりギリギリまで接近し、そしたら水面ギリギリにカメラを構えて撮影する方法だ。

 

父母ヶ浜3

ちょっと近づき、ちょっとしゃがんでみた。

 

周囲のみんなも、水溜まりの縁のいたるところで変な格好でしゃがんで撮影している。

傍目から見るとなかなか愉快だ。

しかし少しコツがいるな。

そして、干潮と満潮のタイミング次第ではナイスなロケーションがなくなるし、1人で孤独にガンバっているのだが少し人目が気になるな。

でもせっかくなので、できる限り頑張ってみよう。

 

 

リフレクション

 

いいかい?

ここからは悪い例もいっぱい載せるから、ぜひ反面教師にしてほしいな。

 

リフレクション1

水を怖がって、水溜まりの少し手前でしゃがんでしまった。

ほら、新品のスニーカーを汚すと、これ帰宅してからスゲー怒られるのよ。

だから靴が汚れることを懸念したのだ。

 

しかし「浜辺における小石の含有率」みたいな写真になってしまい、全然インスタ映えしない。大失敗。

 

リフレクション2

じゃあせめて小石の少ないところで撮影しようかって思った。

でもそういう問題じゃないことに気付いた。

 

陸地はジャマなのだ。

ただ、手前の砂をないものとして考えれば、奥の方の水面の反射はなかなか綺麗かもしれない。

水溜まりに雲が映ってステキだ。

 

水だ。水がたくさんあるゾーンを目指そう。

 

リフレクション3

うむー…、水が多すぎ&深すぎだと、さざ波が立っちゃうのかもしれないね。

リフレクションにならずにただ水溜まりを撮影した人みたいになった。

 

そして、気付いたんだけども浜辺だけでいい写真がなかなか生まれない。

冒頭の父母ヶ浜のWeb検索結果を思い出してほしい。

 

人間がいるのだ。

しかも何か小物を手にしたり躍動感のあるポーズをすることで、リフレクションした際の絵によりインパクトを与えているのだ。

 

じゃあ1人で来ている僕は一体どうすればよいのかと。

 

リフレクション4

悩んだ。

この快晴の空に似つかわしくないくらいに悩んだ。

1人ではいい写真が撮れない、しかも"父母ヶ浜"なんていうファミリー感を前面に押し出した名前にしやがって、1人旅の人間をないがしろにしやがって…って、ちょっとやさぐれたりもした。

 

何か高さのあるものを設置すれば、人間代わりになるかな…。

一度車に戻って、車内を捜索してみた。

 

高さを出せそうなものは、ビニール傘くらいだった。

これはあまりに貧相だ。悲しみ。

 

リフレクション5

これどうかな?

300円ショップのランタン。車中泊で大活躍。

高さは全然ないけど、それでも車内にあり地面に置いて濡れてもそこそこOKなものの中では大きい方だ。

 

浜辺にランタン。

なんかディストピア感のある、芸術的な絵にならない??

 

リフレクション6

うん、なんかチゲーな。

いいか悪いかとかそういう問題ではなく、ウユニ感がない。

水溜まりの底が透けてしまっているからだろうか?手前側のリフレクションが甘い。

 

しかもランタンは強烈にずん胴なので、真っすぐに置くと鏡面反射と融合してただの長い柱になる。なんだこれ。

 

リフレクション7

かといって斜めに設置してもイマイチだ。

まずは後々から見返すと位置取りがダメ。

 

そして所詮はプラスチックのランタン。砂浜に斜めに刺そうとしても軽すぎてしっかり刺さらずに、すぐにコテッと倒れる。

それをいちいち立て直す。

周囲から見ると結構変な人だ、僕。

 

周囲には1人だけ、僕と同じように1人で頑張ってしゃがみこんでいる女性がいた。

「お互い被写体になりましょう」なんて提案をできるほどの強いハートがあればよいが、下手をすれば不審者なのでそれは慎んだ。

 

リフレクション8

なんだかんだで、そこいらの人をご迷惑にならない程度に写真に収めてしまうのが一番無難と気付いた次第で。

 

リフレクション9

自分としては30点ぐらいの評価だが、それでもこの写真が一番成功だと感じた次第で。

そんなこんなで、もう僕はしゃがみ込むのをやめました。

 

 

アゲイン・サムデイ

 

父母ヶ浜の撮影タイミングにはいくつかコツがある。

ここまでにも触れた点もあるが、以下の通りだ。

 

  • 干潮時
  • 夕暮れ時
  • 風のない日

 

つまり、水溜まりがいっぱいあってチャンスが生まれ、そして夕暮れ時の太陽が水面の反射をより強め、そして風のないことで水に風景がしっかり映り込む。

 

またいつか1

現地に掲示してあった、撮影のコツを掲載する。

ここでも夕方を推奨している。まぁゴールデンウィークの夕方では、調整してここに来たところで人が多すぎて駐車すらできなかっただろうが。

 

でも、いいのよ。

僕は芸術家ではないから。

「ちょっといい写真を撮ろうかな」って、できる範囲で頑張ってみる。

そんなアクティビティが旅の楽しさなのよ。

 

結果が成功とか失敗とか、そういうのはあんまり大事ではない。

実際に自分でやって、感じて…。それがどれだけ大事か。

コロナ禍で思うように外出できない日々が長かったからこそ、それを痛感している。

 

またいつか2

浜辺の風紋も綺麗だったしな。

多くの人が踏みしめる前の、この美しい紋様を見れたのも良かった。

早起きは三文の徳だ。

 

そして旅は課題が残るから楽しい。

またいつの日か、こんどか誰かほかの人と一緒にここに来る日を楽しみにしよう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 父母ヶ浜
  • 住所: 香川県三豊市仁尾町仁尾乙203-3
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.210【島根県】レトロ自販機「コインレストランコウラン」!7月末閉店と思ったら誤報!

おい、事件だ。

レトロ自販機を有する「コインレストランコウラン」が閉店するらしい。

 

2022年7月末で閉店、つまりもうあと数日しかない。

今月上旬にいきなり告知され、僕もレトロ自販機マニアも度肝を抜かれた。

 

中国地方にはポツポツとレトロ自販機のお店が残っている。

群馬県の次くらいの密集地帯だ。

この中でも知名度はトップクラスだと思っていたコウランがよりによってクローズとは…。

なんてこった。

 

 

…と思ったらすみません。

記事を一度公開後に知ったのだが、誤報が流通していたそうだ。

本店のお弁当屋さんが閉店であり、分店のこちらは継続するそうなのだ。

ホッとした。

 

さて、しかしせっかくなのでコウランについて書く。

最近の僕はコウランを訪れていなかったのでやや古い情報で恐縮だが、僕がレトロ自販機巡りに目覚めてまだ1年足らずの2012年まで遡りつつ、複数回訪問した思い出を放出する。

 

 

出雲のコインレストラン

 

そもそも、コインレストランとはなんぞや。

おそらくは昭和の後半に全盛期を迎えたスタイルの売店であり、僕が当時を未体験なのでリアルなご説明はできかねるが…。

 

それは、まだ世の中にコンビニが登場する前の物語。

夜間に営業している店はほとんどないが、でももちろんトラックドライバーや旅行者など、夜間に車を運転する人は存在する。

 

そんな人たちの夜間の空腹を満たすため、食料を購入できる自動販売機のお店が登場した。

それがコインレストラン。たぶん。

 

コウランへ1

今では目にすることも耳にすることも稀な昭和な響きだが、各地をドライブすればコインレストランと看板を掲げているお店や自販機群をたまに目にする。

もっとも、どこにでもある飲料自販機やアイス自販機だけのことが多いが。

 

令和の現代、実際に食料を購入できるコインレストランは非常に希少だ。

ましてやそれが、アッツアツの麺類やトースト・ハンバーガーなどを買えるとなると、全国に10数店~数10店ほどしかない。

 

コウランへ2

今回の舞台は出雲。

普通の人は"出雲"と聞けば条件反射で「出雲大社!」とか言うのだろうが、レトロ自販機マニアは「コインレストランコウラン!」と叫ぶのだ。

 

…ウソです、やっぱ出雲大社のほうが偉大です。全国の神々が集結するし。

でも、コインレストランコウランだってそこそこ偉大だ。

全国のレトロ自販機マニアを惹き付ける、とんでもなくレアな自販機があったのだからね。そのくだりは追って話そう。

 

上にご紹介したのが、コインレストランコウランの外観である。

 

コウランへ3

そして、そのお店の古いバージョンの外観である。

以前は白かった。ちなみにここ数年は緑だ。

」⇒「」⇒「」。イタリアの国旗のカラーをなぞっていやがる。

 

白時代には、"昼定食"という文字が残っていた。

かつては定食も店内で振舞われていたのかな。

左側には僕の4周目の愛車であるパジェロイオが写っている。懐かしい。

 

コウランへ4

かつての僕は、コインレストランコウランを目指して一人旅をしていた。

中国地方に数ある自販機のなかでも、コウランを真っ先に目指していた。

コウランに一番行きたかった。

 

なぜなら、そこには(当時)日本に1台しか稼働していない川鉄製カレー自販機があったからだ。

自販機から出てくるカレー、実際に見てみたいではないか。

 

そりゃ出雲大社もそこそこに、コウランを目指すわけだ。

では、ドキドキしながら店内へ…!!

 

 

自販機メシを堪能しよう

ラーメン

 

レトロな自販機が複数台並ぶ店内。

そのワンダーランドっぷりに、僕の目はキラキラと輝いた。

 

レトロ自販機1

昭和時代に青春を送った人たちにとっては当たり前なのかもしれないし懐かしいのかもしれないが、僕にとってはこのレトロさが斬新で心にブスブス刺さりまくる。

 

さて、前項で「カレーライスが目的だ!」と書いておいてアレだが、まずはラーメンの話を最初にしたい。

 

レトロ自販機2

3台並んだレトロ自販機の中央。

格子状の黄色いパネルに「天ぷらそば・らーめん」と書かれている。

このパネルデザインはこのお店オリジナルのものかな?他で見たことはない。

 

ラーメンは250円だ。安い。

 

レトロ自販機3

ちなみに後年訪問した際には『ラーメンの当たりにはチャーシューが多めに入っています。』との張り紙がしてあった。

 

しかし初回訪問時の2012年にはそのようなアタリ・ハズレ運用は無かった。

残念ながら僕はアタリのラーメンを見たことが無い。

 

レトロ自販機4

お金を入れてラーメンを選択し20秒ほど。

写真の中央下に見えている取り出し口から、スープが並々と入ったラーメンが登場する。

この瞬間が、人生で有数のワクワクである。

 

レトロ自販機5

うわ、すっげーモヤシ。

生活費を切りつめて最近モヤシばっか食べていたのだが、またモヤシ。

まぁいいけど。

 

レトロ自販機6

どこにでもありそうな、しょうゆ味で化学調味料多めのスープ。

そしてプリプリのスタンダードな麺。

このあと何年もかけて全国のレトロ自販機を渡り歩くが、その中でもトップのモヤシ量。

 

味はきっとあなたも想像できるものと差分はほとんどない。

ありふれたチープなものだ。

 

だけどもこうやって食べるとうまいのだ。

前時代のロボットみたいな自販機から出てきて、昭和の雰囲気の店内で食べる。

味じゃないんだよ。雰囲気なんだよ。

 

 

カレーライス

 

本命だ。カレーライスを食べる。

 

レトロ自販機7

自販機群の一番左だ。他の自販機と比べて少し大型。

しかしカレーライスの自販機とは…!

 

こんなものがかつて当たり前に存在したのか…!

僕の心臓はバクバクいったさ。

麺類自販機と比べてもかなり複雑な機能を持つものであるため、早めに世の中から姿を消し、もう2012年時点で稼働しているのはここの1台のみ。

 

レトロ自販機8

下手をすれば、カレー自販機を見るのも食べるのも、これが最初で最後だ。

これは心して食べなきゃならない。

緊張の面持ちで自販機前に立った。

 

レトロ自販機9

シンプルな絵柄だが、いい雰囲気が出ている。

フォークとナイフが臨戦態勢だが、少なくともナイフの活躍の場は少なそうだ。

 

レトロ自販機10

貼り紙がしてある。

 

召し上がり方

本格炊きコシヒカリ

ご飯にカレーパックの封を切りかえてお召し上がりください

 

容器の持ち帰りはご遠慮ください

島根県産こしひかり

 

ここ島根県のお米を食べられるのはありがたい。

しかしちょっとだけ残念なのは、カレーがご飯にかかった状態で出てくるのではなく、レトルトパックである点だ。

 

本来この川鉄製カレー自販機には、レトルトパックを自販機内で開封してご飯にかける機能があるのだ。

(2012年時点においては)もう日本には存在しない、ロストテクノロジー

 

レトロ自販機11

メニューは3種類だ。

カレーライスの中辛と辛口はそれぞれ350円。たっぷりビーフカレーは400円。

よし、辛口のカレーにしよう。

 

レトロ自販機12

27秒後、自販機の下部の丸いトレイ部分に「シュゴッ!」って感じでご飯の盛られた丸いお皿が登場した。

同時にその1つ上の「カレーパック出口」と書かれているドアの向こうにレトルトカレーのパックが落ちてきた。

 

レトロ自販機13

よーし、役者はそろったぞ。

ご飯に福神漬けが添えられている点に、お店の心意気が感じられる。嬉しいぞ。

パックのカレーをご飯にかける。

 

余談だが、ご飯とレトルトパックが別々に出てくるのは、このお店オリジナルの改造だ。

実は自販機内でこのパックを開封する機能はとても複雑であり、故障が多かった。

だからこのようにしてしまったそうだ。

 

ずっと時は流れて2022年5月、神奈川県の「中古タイヤ市場相模原店」というレトロ自販機を100個くらい並べている聖地の社長が、このカッター機能を有する川鉄製カレー自販機を復活させた。

 

中古タイヤ市場相模原店

これは2022年3月、最終調整中のその自販機を見せてもらったときのものだ。

このお店のネタは多すぎるので、またいずれ機会があったら語りたい。

 

コウランのカレー自販機は2015年くらいから故障を繰り返し、2020年ごろから撤去されてしまっている。

2022年現在で川鉄製カレー自販機があるのは、もう中古タイヤ市場相模原店だけなのだ。

 

レトロ自販機14

このビジュアルに痺れた。

レトロ自販機でカレーが出てくるところは他にもある。

徳島県の「コインスナック御所24」、千葉県の「24丸昇」などだ。これまら死ぬほど貴重ではある。

ただしそれらは、どこにでもある四角い惣菜パックにご飯が詰められ、そして一緒にカレーパックが出てくるものだ。

 

しかし、この丸皿に盛られたスタイルは、ここにしかない。

この絵を僕は求めていたのだ。

この出会いに僕は感謝する。

 

 

天ぷらそば

 

少し時が流れて再訪したときのことを書きたい。

実は、またカレーを食べたかった。次は400円のたっぷりビーフカレーでも食べたかった。

ちょっとふところ暖かかったからな、僕。

 

レトロ自販機15

 

あるはずのものがなかった。

 

 

コウランの最大のアイデンティティである、川鉄製カレー自販機がなかったのだ。

動揺した。ショックだった。

自販機があったところはベニヤ板で覆われていた。

 

あと、貼り紙がしてある。見てみよう。

 

レトロ自販機16

めっちゃカワイイ文字。好き。

 

只今修理中です。

もうしばらくお待ちください。

なお、手作りカレーを対面販売しております。

お声を掛けて下さいませ。

8時~17時。400円

 

400円でレトルトカレーを食べる予定が、同じ400円で手作りカレーを食べられるのだ。

普通の人間であれば喜ばしい提案だ。

しかし僕はこのとき、自販機の天ぷらそばを選ぶのだ。

 

レトロ自販機17

悲しいかな、レトロ自販機マニアはレトロ自販機から出てきたものを好む。

仮に同じものだろうがグレードアップしたものだろうが、それが自販機経由でないとなると、ちょっと興奮が抑えられてしまうのだ。

 

天ぷらそばは300円だ。

ボタンを押すと中で調理が行われ、20秒ほどで登場する。

 

レトロ自販機18

なかなかに気合の入った黒さの麺だな。

ダシは西日本にしてはやや濃いめかなって感じだ。

大きなかきあげが乗っかっている。

具もたくさんで、これは嬉しいぞ。

 

そして僕は出雲大社に向かう。

当時の手記を見たら『もう出雲大社は散々行っているので特に行きたくはないんだけど、本当に目に前を通過するし駐車場はタダだしと誘惑いっぱいなので、今回も一瞬立ち寄ることにした』と、八百万の神々に大変失礼なことを書いていた。

お詫び申し上げます。

 

 

歴史に幕が下りるとき

 

最後の章では、店内の雰囲気と汎用機についてちょっと触れたい。

僕はそんなに興味を示したことは無いのだが、"汎用機"と呼ばれるフレキシブルなレトロ自販機も設置されている。

 

レトロ自販機19

自販機内の小部屋に入る大きさのものなら、なんでも入れて売ることができる形状。

僕ら購入者はお金を入れて、購入したい小部屋の番号を押すのだ。

 

焼きそば・エビピラフ・チキンライス、そして具はなんなのか不明だが”丼どんぶり”と書かれたもの…。

 

どれも比較的安価だ。そして店内の電子レンジで温めて食べることができる。

ご丁寧に、レンジでどれくらい加熱するのがオススメなのか書いてある。

 

レトロ自販機20

フランクフルトや唐揚げもある。

これだけのものを用意しているのだが、バックヤードはさぞかし大変だろう。

しばらく見ていると、地元の人と思われる方々がちょいちょい購入しに来ていた。

 

店内1

白飯も150円で売っている。

汎用機で惣菜を買い、別売りの白飯をオーダーすれば、それだけで定食の完成だ。

ありがたいシステム。

 

店内2

ちょっと写真がボケちゃって恐縮だが、それらをこの雰囲気の中で食べる。

オシャレでもなんでもなく、余計なものの一切ない店内だが、不思議と落ち着く。

 

一番奥の扉の向こうはゲームコーナーになっていて、ちょっと古めなコインゲームなどが並んでいる。

レトロドライブインあるあるだ。

 

店内3

惣菜を買いに来る人も多かったことから、地域に愛されていると感じた。

 

だからこそ、この度の閉店の知らせには驚いた。

カレー自販機は結局復活しなかったし、そばも廃止されて、ここ最近はうどん・ラーメンのみだったと聞いてはいる。

昨今のレトロブームでも、閉店する店は閉店するのだ。

 

いや、冒頭で書いた通り実は閉店しないのだが、いずれにしても昭和の文化は脆く儚いものなのかもしれない。

昭和時代から、もうそのくらいの時間が流れてしまっている。

 

 

2022年5月、僕はコインレストランコウランの前を車で通っている。

「おぉ、懐かしいな」と思い、横目でチラリと見ながら通り過ぎた。

 

あの日は島根県内のレトロ自販機の他店舗をたくさん巡っており、コウランで何かを食べるだけの胃のキャパシティがなかったのだ。

 

 

閉店ではなくて、本当に良かった。

そして元気に営業しているうちに、もう一度行かねば。

 

1977年(昭和54年)創業から45年間頑張り続けるドライブイン

令和の荒波に負けずに営業し続けてほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: コインレストランコウラン
  • 住所: 島根県出雲市斐川町上直江1306
  • 料金: 天ぷらうどん¥350他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 24時間

 

No.209【長野県】高原にある「平面直角座標系第Ⅷ系原点」!!通称は"日本のおへそ"だ!

「平面直角座標系第Ⅷ系原点」。

よくわからないが、カッコいい響きである。

 

ここは「日本のおへそ」と呼ばれている。

つまりは日本の中心にあたるスポットということだ。

 

場所は長野県の南牧村

確かに日本列島のおへそと言われても納得感のある位置だが、なぜそこがおへそなのだろうか?

そこには何があるのだろうか?

平面直角座標系とはなんなのだろうか?

 

 

数々の疑問を解消させるため、僕は信州に車を走らせる。

 

 

日本の中心はたくさんある


2022年の梅雨明けは尋常ではなく早く、そして殺人的な暑さの日が続いている。

おまけに愛車の日産パオのクーラーは壊れた。

ダブル死亡フラグ

 

…ではなかった。

なんて爽やかな信州の高原よ。最高に涼しく快適だ。

三角窓から吹き込む風に目を細めつつ、標高1300mを越えるの野辺山高原を疾走した。

 

さて、もう少し北に行くと目指す平面直角座標系第Ⅷ系原点だ。

実は今回が初訪問なのである。

 

内心、「僕としたことがこんなスポットを今まで見落としていたとは。ちくしょう!」って思っていた。

僕は昔から、数ある日本の中心を巡っていた。

なのにここの存在すら知らなかったのだ。不覚。

 

…そう、実は日本の中心ってたくさんあるのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

日本の中心というのは日本各地に無数に30箇所くらいある。

それぞれ定義が異なるので、どれが正しくてどれが間違っている、とかはない。

 

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ることを生き甲斐にしているのが、この僕だ。

アホでしょ。

 

目指す平面直角座標系第Ⅷ系原点は、今年の初頭にとあるライダーさんから情報をいただき、こうして訪問できる日をワクワクしながら待っていたのだ。

 

日本のおへそへ1

場所は国道141号沿い。

マジかよ、ここは大昔から幾度となく走っていた場所だ。

なのに気付きもしていなかった。

 

目立たないとはいえ、ちゃんと国道に看板まで出ているのに。

こりゃ僕の人生、今後も伸びしろありますぜ、嬉しいな。

 

 

マレットゴルフ場にあるシンボル

 

国道から看板に沿って小道を20mほど入る。

 

日本のおへそへ2

バカ正直に国道に掲げられた看板に従ってこの道に入ってしまったが、結論から言うとすぐ脇に国道から直で入れる広い無料駐車場があるので、そちらに行った方が賢い。

だが、あなたが30秒歩くのを短縮したいのであれば、この小道でもよい。

 

小道の先にある、10台ほど停められそうな駐車場に入れば、もう真横が平面直角座標系第Ⅷ系原点だ。

 

日本のおへそへ3

写真の左側、黒い石碑だとか茶色い木組みだとか、それらが平面直角座標系第Ⅷ系原点を示す数々のシンボルの集合体だ。

 

では、まずはわかりやすいものから順にご紹介していこうか。

 

へそのシンボル1

ちょっと引きで見てみよう。

ここは「市場マレットゴルフ場」の敷地だ。マレットゴルフっていうのは、ゲートボールで使うようなハンマー状の棒で球を打つ、お年寄りにも優しいゴルフ。

 

ただ、見渡す限りこの敷地には誰もいないし、国道に面した広い駐車場にも車は1・2台しかいなかった。

連休なのにね。

猛暑でゴルフしている場合じゃないのかな。この高原は涼しいのにな。

 

そして上の写真の通り、丸太で組んだような建造物と、四角推のモニュメント的なものがある。

 

へそのシンボル2

四角推の中には、若干ボロボロになった旗が立っている。

なんか位置的にもあそこへのホールインワンを狙いたくなっちゃうかもしれないが、ゴルフとあの四角推は関係ない。

 

四角推の木組みが何を示すのかは、追って後述しよう。

 

へそのシンボル3

まずは丸太の木組み。

これは鐘を吊り下げている鐘台だな。

 

観光地や景勝地によくあるよね。

男女が2人で鳴らすとなんらか…とかいう、僕は大体1人で行動するので心の中で「あいつら爆発しろ」と念じることくらいしかできないスポット。

それがここにもあるのかな。

 

へそのシンボル4

いや、なんだこれ鐘に紐がついていないぞ。

つまり鐘を鳴らせない。

男女に幸せ訪れない。

いい気味だゲラゲラ。

 

へそのシンボル5

『心の中で鳴らしてみて下さい』と書いてあった。

斬新なオーダーだ。

 

普通に考えると、マレットゴルフ場でガランゴロン鐘を鳴らされると気が散ってパフォーマンスが落ちるから、ということだろうか…?

ライバルが集中しているとき、どうしても鐘を鳴らしたくなっちゃうもんねぇ…。

 

そして説明板にいろいろ解説がされているので、以下に書き出してみよう。

 

日本のおへそ Ⅷ系原点 八ツ星の鐘

 

鐘の位置からⅧ系原点の延長線上にある桜の木の上空を見ると、そこには常に北斗七星が輝いています。

実は北斗七星は8個の星からできていて、その8個の星が重なって幸せをもたらすとされています。

8個目の星はひしゃくの柄の外側から二番目の星がミザールとアルゴルという2つの星からできており、8回目の鐘を鳴らすと見えるといわれています。

 

「古老の口伝」より

 

アルルじゃなくって、アルルな。

昔の人はこの星が見えるかどうかで視力のいい悪いの判定をしていたと、聞いたことある。

 

てゆーか、なんでこの看板、いきなり北斗七星について熱弁しているのか。

「Ⅷ」系原点だから「8」にちなんだエピソードが欲しかったのか。

しかし「8」ネタが思い浮かばなかったから、基本的に日本のどこからでも北方面に見える北斗七星が「実は8つの星」というトリビアを絡めて語ったのか。

まぁいいけど。

 

(あと、古老って誰だ。)

 

へそのシンボル6

そのすぐ脇にある看板がこれだ。

平面直角座標系第Ⅷ系原点のキャラクターだろう。名前は不明。

 

日本列島の中心から飛び出た、ちょっと神経逆なでする系の顔の鳥(?)。

頭はきっと八ヶ岳で、鼻は日本のおへそだからかヘソっぽいデザイン。

胸に描かれているのは野辺山の巨大パラボラアンテナだろうか…?

 

…とか分析してみたが、言うほど興味は惹かれなかった。失礼。

 

へそのシンボル7

では、次項ではこのスポットの真髄である、このモニュメントに迫ろう。

 

 

平面直角座標系とは?

 

平面直角座標系。

地理を仕事にしていない限り、あまり聞くことのないフレーズだと思う。

僕もよくわからん。

 

平面直角座標系1

平面直角座標系とは何か、この黒い石碑に記載されている。

 

楕円形である地球の位置は、緯度経度と平均海面からの高さで表示すると測量法に定められていますが、球面上で長さや面積を計算するには少々複雑な計算が必要です。

 

そこで、場合によっては義務教育でも習う数字のX座標、Y座標、Z座標を用い、メートル単位の数値を使って平らな紙の上で簡単に距離、咆哮、高低差、面積などを計算できるようにしていますが、これを「平面直角座標法」と言います。

 

測量法では、日本を十九の区域に分けてこの平面直角座標を定めていますが、この地が、長野県、新潟県山梨県静岡県が属する(八)系の公共測量の原点です。

 

はい、付いて来れていますかぁーー!?

僕も読んでもよくわからんが、わからんなりに頑張って解説する。

 

『緯度経度と平均海面からの高さで表示すると測量法に定められている』

この経緯度と高さ(水準)の原点が東京都心にあることは、既に取り上げたね。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

drive-ns.hatenablog.com

 

でも、地球は丸い。

地球は丸いけども地図は平らだし、僕らも普段の生活で地球の丸さを意識していない。

ぶっちゃけ「日本」とか「東京」とか、小さなスケールで暮らしている分には地球の丸さは関係ないのだ。

 

うん、潰そう。

丸い地球を叩いて潰して平らにして考えよう。

ただ、この荒業にはもちろん欠点もある。

 

平面直角座標系2

上の図のように、例えば半分にした地球を紙にギューッと押し付けるとしよう。

北極に当たる部分は綺麗にそのままの形で紙に到達できるだろうが、右端とか左端の部分は圧縮されてきっとグチャグチャになる。

丸いものをそのまま平面にするのって、難しいのだ。

 

ただ、いきなり地球半分だなんていうビッグスケールなことをやろうとするから無理が生じる。

小分けにしよう。

 

平面直角座標系3

例えばこのくらい。

地球のホント端っこだけだったら、もともと結構平ら。

デザインを崩さずに平面に押しつぶすことができそうな感じだ。

 

つまり、範囲が狭ければ狭いほど容易に平面にできる

容易に平面にできる、イコール誤差の少ない位置情報が表現できる

 

…で、具体的にどんくらい細かくやります??

 

平面直角座標系4

 

答え:日本を19分割します!

 

 

とりあえず離島と北海道以外は、同じ都道府県がちぎれちゃったりしないよう、うまい感じに19個に分けた。

離島とかは「沖ノ鳥島で1つ」・「南鳥島で1つ」とかいう贅沢な配分になってしまったが、いかんせん飛びぬけて遠いからしょうがない。

 

これを、表示されている数字の通り「平面直角座標系Ⅰ系」・「平面直角座標系Ⅱ系」と呼ぶ。

ここ長野県が属するのは、「平面直角座標系Ⅷ系」だ。

 

そして、Ⅰ系・Ⅱ系・Ⅷ系などなどエリアごとに、その指針となる原点がある。

はい、話の解像度がだんだん上がってきたね。

 

平面直角座標系5

それがここだということだ。

ここを基準に、Ⅷ系内の位置情報を算出できるようにしてある。

 

平面直角座標系6

ちなみにここを経緯度で表現するなら、以下の通りだ。

  • 経度 東経138度30分0秒0000
  • 緯度 北緯36度0分0000 

 

平面直角座標系7

四角推のオブジェの中央の地面には、上記の基準点そのものが埋め込まれている。

その四方をゴロリとした石が取り囲んでいる。

これが、Ⅷ系に属する長野県・新潟県山梨県静岡県を表している。

 

こうやって、球状の緯度経度を平面のXY座標での表記に換算できるようにしているのだ。

 

vldb.gsi.go.jp

 

国土地理院のWebサイトには、緯度経度を平面直角座標に換算できるツールもあるので、興味のある方は触ってみてほしい。

 

ちなみに以下がその計算式だ。

 

平面直角座標系8

あー、はいはいなるほど、あれがこうなって、それがこうなって…、

…1ミクロンもわからない。

 

まぁそれでも平面直角座標系Ⅷ系の定義は理解できたし、その原点がここだということもわかった。

では、なぜここが日本のおへそと呼ばれているのか。

 

 

答え:19分割した、大体真ん中だから

 

 

うおぉ、いきなり話の解像度が荒くなったぞ!

いきなり親近感を覚える案が出てきたぞ。

これまでのロジカルな思考、どこいった。

 

平面直角座標系9

果たして「8」は真ん中なのか。

 

19個あるのだから、その真ん中に当たるのは「10」だ。

ただし、振り分けられいるエリアには離島が多いので、離島は無視して考えているのかもしれない。沖縄県には大変申し訳ないが。

 

じゃあ「1~13」、つまり「離島航路整備法第2条第1項」に基づく本土の真ん中となるエリアは?

普通に左右から真ん中を求めるとⅦ系だ。

石川県~愛知県のエリア。

 

Ⅷ系も真ん中に見えなくもないが、結論をⅧ系にしたのは、きっと理屈ではないゴリ押しの力なのだろう。

うーむ、最終的に力技になっちった。

 

平面直角座標系10

それでも、他の日本の中心と同じく、いいとか悪いとかはない。

考え方はかなり自由なのだ。

これはこれでいいのだと思う。

 

平面直角座標系11

ちなみに、ここの原点も東日本大震災の影響を受けていたりする。

あの地震で日本、ちょっとだけ歪んだから。

それに対し数値を変えるのではなく、原点そのものを移動させて調整したのだそうだ。

 

平面直角座標系12

日本の中心は、本当にどれも面白い。

日本の中心について考えることは、日本の地理についてさらに深く知ることに繋がる。

 

ここを訪問できて、確かな満足を得られた。

僕の心の中では、しっかりと鐘の音が鳴ったぞ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 平面直角座標系第Ⅷ系原点
  • 住所: 長野県南佐久郡南牧村海ノ口
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.208【東京都】東京都タワー足元の「増上寺」の思い出!そして安倍元総理、安らかに…。

「東京タワー」の足元にある「増上寺」。

東京タワーを見上げるビュースポットの1つとして有名だ。

 

先月、つまり2022年の6月も僕はここを散歩していた。

そのときには思いもよらなかったさ。

 

安倍元総理が銃撃され、そしてこの増上寺で葬儀を上げることになるだなんて。

 

歴史の1ページとして記したい。

僕の人生における記憶の1ページと記したい。

 

増上寺の思い出と、安倍元総理に献花しに行ったときのことを。

 

 

プロローグ:震災直後

 

2011年の桜の季節。

まだ日本は東日本大震災の混乱の渦中であった。

 

この日は、福島の原発事故の危険度数がレベル7と発表された。

過去にチェルノブイリしか例のない、最悪のレベル。なんてこった。

放射線は北半球全体にまで及んでいるらしい。

 

震災直後1

僕はフラフラと増上寺にやってきた。

別に仏教を深く信仰しているわけでもなければ、このお寺に思い入れがあるわけでも無い。

ただただ東京タワーを見上げたかったのだ。

 

1ヶ月前の震災で先端がちょびっと曲がっちゃった東京タワー。

増上寺の境内に咲く桜と共に見上げた。

 

震災直後2

2011年4/11(月)~16(土)の6日間、東京湾側(つまり増上寺側)にのみに「GANBARO NIPPON」の光のロゴが浮かぶんだ。

たった6日間だけ、しかも18:40~22:00までの非常に限られた時間のみのイベント。

 

ヘロヘロに疲れていた僕は、これを見て勇気をもらいたかったのだ。

そのためにここにやってきた。

 

なぁ、僕は被災地に対して何ができるのだろうか…。

 

 

新年を迎える増上寺

 

元旦に増上寺に行ったこともある。

年越しカウントダウンは別の場所でやったのだが、その後首都高を走ったりし、都心部をグルグルと徘徊したのだ。

 

元旦1

増上寺に到着したのは元旦の早朝4時ごろ。

普段であればスヤスヤ寝ていて運転するどころではない時間だが、年越しという尋常ではないテンションが僕を突き動かしていた。

 

ちなみにここ付近の駐車場はアホみたいに混雑していた。

穴場の地下駐車場のみ、そこそこ空きがあった。

 

元旦2

大殿という敷地のど真中の一番目立つ建物。

その背後にビカビカにライトアップされた東京タワーだ。

 

このライトアップパターンは"ダイヤモンドヴェール"という。

丸っこいLEDライトが無数に点灯しているタイプ。

 

元旦3

ついでに東京タワーの足元まで行ってみた。歩いてわずかな時間だしな。

 

そしたら展望台待ちのすごい行列ができていて面食らった。

展望台は深夜は閉鎖されているけど、元旦の明け方に解放されるらしい。

 

元旦4

初日の出をタワーの上から見るためにみんな並んでいるのだね。

付近の駐車場が満車だったのも、この人たちによるものだったのね。


この人たち、すっごい寒い中で座り込んであと数時間耐えるのか…。

頑張れッ!

 

元旦5

とりあえず、敷地内にイルミネーションのトンネルが出来ていたのでくぐった。

なんだか知らないけどメンバー構成がハーレム的な感じだったので、女子たちとキャッキャしながら写真も撮った。

 

元旦6

境内には模擬店もいくつか出店していた。

すげーな、夜通しで営業しているのだな。

何か食べたい気分にはなるが、実はちょっと前に新宿歌舞伎町でムシャムシャと夜食を食べたばかりなので、ここは匂いを嗅ぐだけとしよう。

 

こうして僕らは、初日の出スポットに向かって、再び車を走らせる。

 

 

梅雨迫る日の散策

 

2022年6月、少しコロナも落ち着いた世界の中、僕は増上寺を歩いていた。

とても蒸し暑い日であった。

 

梅雨1

これは境内の一番手前にある三解説門という巨大な門だ。

ちなみに屋根から東京タワーが突き出るよう見えている。

 

梅雨2

一度壊れて1622年に再建された門で、都内では最古クラスの歴史を誇り、そして門としての大きさは東日本ではほぼTOPなのだそうだ。

 

確かに巨大。

一歩足を踏み入れると身が引き締まる思い。

そして東京都心なのにとんでもなく広い空間が、この門の後ろに広がることに驚く。

 

梅雨3

お馴染みの、大殿と東京タワー。

後ろからは、ニョッキリと巨大なビルが育ってきているな。

 

梅雨4

門を入ってすぐ左手に、聖観世音菩薩が立っている。

 

これは1982年のホテルニュージャパン火災事件の犠牲者に対する慰霊碑。

宿泊客の寝タバコによる出火に端を発し、ホテル側のずさんな防火体制によって33名が死亡することとなった。

 

梅雨5

「詠唱発祥の地」の碑がその隣にある。

そうなのか。詠唱発祥はここなのか、初めて知った。

 

終戦直後の時代、路頭に迷っている人の心のよりどころとするために、この地で詠唱したのが始まりだったらしい。

 

梅雨6

鐘楼だ。深い緑の木々に囲まれている。

草木が一番勢いづく季節だ。

ジメジメした梅雨の日でなければ、決して嫌いではない季節なのだがね。

 

梅雨7

さて、もうしばらく増上寺に来ることは無いだろうな。

 

境内の脇道から東京タワーを見上げ、次第に近付いてくる雨雲から逃げるように、僕はこの地を立ち去った。

 

 

未来の君に、この事件はどう映る?

 

なぁ、遥か未来に生きる君よ。

2022年7月8日の「安倍晋三元総理銃撃事件」は、歴史の教科書には載っている?

それを習ったあなたの目には、どう映っている?

 

正直、まだ事件から10日も経っていないので、僕はまだ心の整理がついていないんだ。

 

ja.wikipedia.org

 

奈良県大和西大寺駅前、11:30頃だったという。

選挙を控えた候補者の街頭演説の応援のため、台に登った安倍さん。

 

ほんの1分後くらいに後ろから、1人の男が手造り散弾銃で銃撃。

安倍さんは演説中にこぶしを掲げた状態のまま2秒ほど硬直し、「なに?」みたいな感じで後ろを振り向く。

その瞬間、第2撃の轟音が響き、安倍さんは慌てて台を降りたと同時にうずくまった。

 

SPの人たちは安倍さんのもとに駆け寄ったり、犯人を取り押さえたり。

銃社会の外国のSPとくらべるとかなり初動が悪かったようだが、そこいらの判断は僕にはできない。

 

安倍さんはほぼ即死に近く、この日の17:00すぎに死亡と発表された。

 

安倍さん1

唖然とした。

僕はスマホのニュース速報で12時ごろにこの事件を知り、容体が極めて深刻だというので祈るように次報を待っていた。

17時台に届いた速報は、悲しい知らせであった。

 

この令和の時代に、こんな暗殺が起こるなんて。

そりゃ政治家だから反感を持つ人もいるだろう。

森友学園問題とかコロナ禍初期のアベノマスクとか、確かにわけわからんと思う。

 

安倍さん2

だけどもだ。

それを暴力で訴えるなんて最低だ。

 

"政治"のルールは、有権者への語り掛け・有権者からの投票。

そこに銃を持ち込むのは、「自分より筆記テストでいい点を取ったヤツがムカついたので殴る」のと同じくらいに理不尽かつ幼稚だ。

そんなことで失われる命があっていいはずがない。

 

…と、いきなり安倍さんのことを語り出してしまい、大変申し訳ない。

次の項で、安倍さんの話と増上寺の話が繋がるのだ。

 

安倍さん3

 

 

夜の増上寺ダッシュする僕

 

安倍さん銃撃事件から3日後、7月11日19:51の大門駅。

僕は息を切らせながら駅前に出た。

 

大門1

大門駅の"大門"とは、増上寺の大門を指す。

境内から見て300mほど手前に大門駅があり、200mほど手前に増上寺大門がある。

 

6月の散策から1ヶ月ちょっと。

こんなに早く、またこの場に来るとは思っていなかった。

 

大門2

安倍さんのお通夜と葬儀が、増上寺で行われるとのニュースを今日の日中に知った。

そして今日、7月11日がお通夜なのだ。

 

夕方のお通夜には、日本の政界を代表するそうそうたる面々が増上寺を訪れたし、海外からの要人も来たりしたそうだ。

 

大門3

そして、一般人も献花できるらしい。

Webで調べたところ、いろいろと情報が錯綜しているもののどうやら20:00までらしい。

 

あと9分…!!

 

いろいろ忙しく、この時間となってしまった。

それにごめん、実は花を持っていないんだ。ここで花を買ったら間違いなく遅刻する。

だけどもせめて手だけは合わせたいんだ。

だから向かう。

 

その夜1

巨大な門、三解説門の前まで来た。

その向こうにはチラッと東京タワーも見えている。

 

しかしすごい人だ。増上寺への行き帰りの人も多くいる様子だ。

そして警察の数がすごいし、黒塗りの車も数台いる。

 

その夜2

安倍さんは、内閣総理大臣として歴代最長の期間を務めた。

その日数は、なんと2822日間だ。

 

東日本大震災の混乱の抜けきらない2012年から第2次をスタートさせ、2020年9月の第4次まで続投。

未成年世代にとっては「総理大臣といえば安倍さん」くらいな感じであろう。

 

その夜3

期間が短く外国からナメられがちな日本の総理の中で、ズバ抜けて長く勤めた。

震災復興から東京オリンピック開催へのバトン、コロナ時代への対応など、大きなイベントも多く生じた時代だったと思う。

 

世間から叩かれるようなことももちろんあったが、この増上寺に集まる人の人数、各国の首相クラスからの追悼の言葉などから、安倍さんの影響が非常に大きく、そして慕われる人物であったことがうかがえた。

 

その夜4

…そういや僕もだ。

政治に関心があるわけでも、安倍さんが好きなわけでもない。

 

なのになんで息を切らせて増上寺まで来た?

長い期間日本の政治を背負ってくれた人に、ひとこと挨拶をしたいのだ。お別れを言いたいのだ。

きっとみんなそうだ。

 

その夜5

先月、最後に東京タワーを見上げた境内横の路地に入った。

こっちが献花台らしい。

19:58。あと2分だ。ギリギリで間に合った…。

 

しかし境内への入口部分警察や関係者が入場者をブロックしていた。

「もう今日は終わりです。明日の朝は9時から15時までです。」と言っていた。

 

その夜6

「通り沿いにいた警察官は『まだ大丈夫』と言っていたのですが!」と、花を持った誰かが反論していた。

 

周囲の僕らも、目の前の警官が「そういうことであれば…」と言ってくれることを少し期待したろう。

だけども結果ダメだった。

たぶん予想以上の反響だったのだろう。19:30ちょっと過ぎくらいに献花は終了したようだと後から知った。

 

みんなUターンし、トボトボと去って行った。

時価や服装からも、仕事帰りの人が多かったろう。

退勤後に急いで来たのだ。

それもまた、安倍さんの人徳だったのかもしれない。

 

その夜7

…であれば。

献花台は境内の横に入口があったが、ここは境内の正面である三解説門から大殿に行こう。

献花できないのであれば、増上寺に参拝しよう。

 

僕は正面から増上寺の境内に入る。

 

その夜7

大殿前に来た。お馴染みの構図。

 

東京タワーの今夜のライトアップは、インフィニティ・ダイヤモンドヴェール 海色 というもの。

もともとダイヤモンドヴェールは月曜だけのライトアップパターンなのだが、四季ごとに細かいパターンの違いがある。

ちょうど今日から夏のパターンが始まったそうだ。

 

その夜8

多くの人が、境内にある増上寺光摂殿や増上寺会館の方を向き、そして手を合わせていた。

僕はドタバタしていてあまり情報を持ち合わせてなかったが、きっとあそこに安倍さんのご遺体が安置されているのであろう。

僕も手を合わせた。

 

献花台に飾られている安倍さんの写真にご挨拶をしたかったけども、これが今の僕にできる精一杯だ。

 

その夜9

後ろを振り向くと、さっき入れなかった献花台エリアがあった。

そっか、そういう立地だったか。

 

大殿前にいる僕と献花台の間にはローピングがされていて献花台に行くことはできないが、物理的な距離はとても近かった。

そして、ちょうど今献花台の撤収作業が始まった。

僕も周囲の人も、その光景を見守った。

 

その夜10

わわっ!

その大きいのは安倍さんのお写真!

その安倍さんにご挨拶をしたいこっちを向いてほしい!

…そう思ったが、その想いは成就しなかった。

 

その夜11

献花台でご挨拶をできなかったという悔いは残ったが、しょうがない。

僕も撤収しよう…。

最後にダイヤモンドヴェールを見上げ、大門方面に歩き出す。

 

…ん?待て?

とにかく今のことしか考えていなくって耳を傾けていなかったが、あのときあの警察官は何と言ったっけ?

 

「明日の朝は9時から15時までです。」

確かそう言っていたな。

そして僕、明日の朝9時すぎくらいまでであれば、ギリギリ時間を調整できるかもな…。

 

明日はお葬式。

明日も行くか?

 

 

僕は僕らしく

 

翌日、7月12日の朝9時少し前。

 

さよならを1

僕は昨夜の場所に並んでいた。たぶん最前列から100~150人くらいの位置だ。

後から知った話だが、このあと行列がどんどん伸びて、隣の「芝公園」まで続いたそうだ。

 

ちなみにマスコミ、すっげぇ来ている。

 

さよならを2

9時になると50人単位くらいで5列になって境内に入る。

そしてグループごとに献花していくような感じだ。

 

さよならを3

スーツを着た関係者の方が、順次手にアルコールをかけてくれ、そして花を持っていない人には一輪ずつ手渡していた。

 

いろんな服装、いろんな年代の人がいる。子供もいる。

安倍さん、すごい人だったのだなぁ…。

 

さよならを4

10分ほどで献花台の前まで来た。

上の写真、左に見切れているのが大殿だ。

 

献花台は撮影OK。この別れを、この思い出を是非記録に刻んでほしいと。

ただし最前列は待っている人も多くいるので撮影しないように、とのことだった。

 

さよならを5

僕はかなり端の方からだったが、そっと献花台に華を置き、手を合わせた。

写真の中の安倍さんは最高の顔で微笑んでいた。

 

さよならを6

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

 

これまでずーっと長いこと、日本のこといっぱい考えてくれてありがとう。

安倍さんよりも日本のことを考えていた人、ほとんどいないのだろうな。

 

僕は政治のことはあまりわからない。

だけども政治ではない、誰にも負けない"旅・ドライブ"という分野では、日本のことをいつも考えているよ。

 

僕は僕なりに、これからもがんばるよ。

 

がんばろう日本

今回の件で、国民みんなの心に不安が生じてしまった日本。

まだまだ終息せず、第7波が始まりつつあるコロナ禍で混沌とする日本。

 

最後に振り返った東京タワーに、あの日の「GANBARO NIPPON」の光のロゴを重ねた。

 

そうなのだよ。

どんな道でも進まなきゃいけないし、否が応でも時間が流れるし、きっとがんばれば日本の未来は明るいはずなのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 増上寺
  • 住所: 東京都港区芝公園4-7-35
  • 料金: 参拝は無料
  • 駐車場: 通常参拝であれば無いと思われる。付近のコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 参拝であれば特になし

 

No.207【沖縄県】鮮魚屋の店頭で刺身をツマミに生ビール!!石垣島の船旅の合間に最適だ!

日本最南端、八重山諸島

 

ただでさえ常夏なこの島々だが、そこで昼間からオリオンビールを飲むと、さらにフワフワした気持ちになって、まるで夢の中だ。

 

いいじゃないか、たまのバカンスなんだろ?

ちょこっとビールを1杯ひっかける。

それだけで、ほど良い幸せが手に入るのだ。

 

 

八重山諸島の中枢となる石垣島

その石垣島の「離島ターミナル」から徒歩1分の魚屋さん「マルハ鮮魚店」で粋に飲めば、もうあなたは八重山マスターだ。

 

 

追憶の与那国

 

今回は石垣島のマルハ鮮魚店の記事なのだが、初訪問時から2・3日さかのぼりたい。

 

日本最南端、国境の島である与那国島

ここに僕は4日間滞在していた。

その島の宿で知り合い、3泊一緒だった旅友の荻窪(仮名)と毎晩楽しく飲み明かした。

 

与那国にて1

死ぬほど飲んだ。

2人でアルコール度数60度の泡盛をストレートで空けた翌日は、二日酔いでマジ死ぬかと思うほどに苦しんだが、その日の夕方にはまた飲んだ。

 

同泊者全員でハデに飲み会を開催したりもした。

与那国島の記憶は、酒の記憶。

 

与那国島にて2

その荻窪君にもらった情報が1つある。

 

そう、あれは僕が「石垣島の離島ターミナルで次の便を待つときって、手持ち無沙汰だよな」とか話したときだった。

「マルハ鮮魚で飲むといいよ」というアドバイスをくれたのだ。

なるほど覚えた。必ず行く。

 

こうして与那国島滞在4日目の昼、僕は島を離れる。

中途半端な時間なので、宿には同泊者もほとんどいない。

同じく宿で知り合った旅人の"ダイバー姉さん"と2人だけの静かな島抜けになるかなって思っていたが、ギリギリのタイミングで自転車に乗った荻窪君がやってきた。

僕を見送るため、息を切らせてやってきてくれた。

 

わざわざ来てくれてありがとうな。

そして4日間、楽しかったよ。またどこかで会えたらいいね。

荻窪君に別れを告げ、僕とダイバー姉さんは空港へ行く。

 

与那国島にて3

与那国島を発った飛行機は、いったん石垣島石垣空港に着陸するのだ。

その後、石垣空港から那覇空港までの飛行機に乗り換えるのだが、乗り換え時間が3時間ある。

 

さてどうするか。

レンタカーを借りて石垣島をドライブするプランも考えたが、快晴とはいいがたい天気であり、そこまでのモチベーションは無い。

では、離島ターミナル周辺で酒飲んでダラダラするか。

早速マルハ鮮魚に行ってみるか。

 

 

コーラルリーフに囲まれて

 

マルハ鮮魚店

そのお店は離島ターミナルから徒歩1分の距離にあるのだが、先に離島ターミナル付近の天国っぷりをご紹介しよう。

 

店舗と海を同時に写真に収めるのが困難なので、まずはあなたに店舗周辺の世界観を認知してもらいたいのが狙いだ。

 

離島ターミナル1

別名"離島桟橋"。

僕の出会った旅人は、こっちの呼び名を使う人が多かったが。

 

石垣島南部にある、八重山の島々への便を司るプラットホーム群である。

竹富島」・「黒島」・「西表島」・「鳩間島」・「波照間島」・与那国島…。

全部ここから船が出ている。

僕もここから夢を乗せて出航し、いろんな島を巡った。

 

離島ターミナル2

巨大な波に襲われて、ちょっとシャレにならない危機に見舞われたこともある。

結構率が非常に高い波照間便の最新情報をヒヤヒヤしながら見守るのは、毎度のことだ。

 

当然挫折もあるし大どんでん返しもある。

人生ってのは、そういうものよ。

 

離島ターミナル3

そんなエピソードはさて置き、見てほしいのはこの海の色だ。

本州ではちょっとお目にかかるのが難しい色。

 

沖縄本島の海もすごく綺麗だが、それよりもまた一段と青いのだ。

同じ日本なのが信じられない世界。

 

離島ターミナル4

数10分から1時間前後の、珊瑚礁の上を疾走する船旅。

それらの船は、基本的にどれも石垣島の離島ターミナルとの往復である。

 

複数の島に行きたい場合、必ず石垣島が中継点になるというワケだ。

まぁ例外が無いわけではないけれども。

 

離島ターミナル5

そんな中で、A島から戻ってきてB島への船が出航するまで少し時間がある。

どうしますか?…っていう悩みだ。

これが冒頭で僕が荻窪君に相談したことだ。

 

離島ターミナル6

「離島ターミナルの受付施設を、海に向かって左に出て徒歩1分」というのが、荻窪君の答えだ。

 

ちょっと今回は例外的に船ではなくって飛行機で与那国島から帰ってきてしまった僕だが、離島ターミナルに戻ってきた。

そして言われた通りに歩く。

 

マルハ鮮魚1

一瞬で見つけた。

海ギリギリを通る道に面した店舗に掲げられた、青い「まぐろ」の看板。

あそこに違いない。

 

 

魚屋さんで飲もうぜ

 

マルハ鮮魚は、文字通り鮮魚店である。お魚を売っている。

 

マルハ鮮魚2

だけども店頭には簡素なプラスチックのテーブルとイスが設置されており、ここでイートインすることも可能なのだ。

4人掛けテーブルが3つある。

 

マルハ鮮魚3

ここでお酒好きの僕やあなたは、もう気付いているかもしれないが、このお店にはワクワクするような掲示物が貼られている。

 

マルハ鮮魚4

「おさしみ」…じゃないよ。

「生ビール」の方だ。魅惑的な響き。

 

ここでは生ビールも売っているのだ。ゴクリとしちゃうよね。

いかんせん、じっとしていても汗をかくような常夏の島。

真冬だって長袖着ることはあっても、外でご飯食うくらいなんでもないくらい温暖な気候の島。

 

体は常にビールを欲していると言っても過言ではない。

 

マルハ鮮魚5

ガラス戸にも「生ビール」・「生ビール」と、サブリミナル効果のように訴えかけてきている。

頭上にはオリオンビールの提灯だ。奥のガラスケースには手書きで「さしみ」の文字が見える。

 

もう祭りの準備は整っている!!

 

離島ターミナルの具志堅用高さん

僕はお店に入り、お刺身のケースを覗いた。

しかし悲しいかな、もうお刺身はほとんどない。

天ぷらみたいな惣菜類が少し残っているだけだった。

 

荻窪君の「昼くらいになるともう売り切れちゃっていることもあるよ」という言葉が思い出された。

なんてこった。

 

悲しみに震えながら店員さんに質問してみる。

「今、お魚が港から来たところだよ。ちょっと待っててもらえればすぐに捌きますよ。」

とのことだ。

 

ワッショーイ!!

 

マルハ鮮魚6

待ちますとも。

ビールを飲みながら待ちますとも。

仕入れたての新鮮な魚を食べれるのなら、かえって嬉しいよ。

 

オリオンビールをオーダーし、僕はテラス席に腰掛ける。

数分で刺身が登場した。

 

マルハ鮮魚7

プラスチックのなんかのフタに乗せられた、シンプル&ワイルドな登場のしかたであるが、それがまたいい。素朴イズ・ベストだよ。

 

あー、幸せー!

昼間っから刺身食って酒飲んでほろ酔いでさ!

 

ちなみにこのとき世間は冬なのに、ここではオープンテラスで暖かい風に吹かれてヌクヌクできているんだぜ。

横の席では地元のおじいさん2人がプチ宴会をやっており、店のラジカセからは陽気なBGMが流れている。

 

お刺身500円、ビール500円で合計1000円だ。

いいな!ここ最高だな!!

 

まーさん道

※ このあと別のお店で二次会しちゃいました。また飲んじゃいました。

 

 

最南端への景気付け

 

ちょっとだけ時間が流れた。

また僕は石垣島の離島ターミナルに来ていた。

 

これから日本最南端の波照間島に行く。

しかしその船便までは2時間ある。

その2時間で竹富島か黒島かを往復することも考えたが、ちょっと厳しいかな…。

 

…じゃあまたマルハ鮮魚行けばいいじゃない。

僕はもう既にビール脳になっていた。

 

マルハ鮮魚8

今回はマグロのなかおちがドッサリあった。よしっこれにしよう。

それともちろんオリオンビールくれ。

 

マルハ鮮魚9

気温は3月なのに27℃だ。ビールの季節だ。

 

よく同僚など身近な人からは「オリオンビールは薄い」って聞くけどさ。

本州で飲むのと沖縄で飲むのは違うの。

沖縄のこの常夏の中で麦茶のようにグビグビ飲むならオリオンビールなの。

その土地で食べられたり飲まれているものには、ちゃんと理由がある。

 

マルハ鮮魚10

どこまでも青い海を眺めながら、昼間から一杯。

最高じゃないか。

 

メッチャクチャ早起きして羽田空港から一便でやってきたこともあり、寝不足で酔いが回るのが早い。普段の3倍酔う。

最高。ととのった。

 

マルハ鮮魚11

もちろんマグロの刺身もうまい。

一品だし量が多いので少し飽きが来る気もするけど、それでもビールが進むのだ。

 

マルハ鮮魚12

これから向かう最南端の波照間島への航路の安全を祈願し、飲む。

以前は船が壊れたり、知り合った旅人が乗った船が沈没したりといろいろあったが、今回は大丈夫かな?

 

八重山の海

滞在時間はわずか。

サクッと飲んでサクッと去る。粋に行こうじゃないか。

 

まだまだこれからの旅はオリオンビールに溺れるのだから。

 

夢乃屋 本店

※ このあと別のお店で二次会しちゃいました。また飲んじゃいました。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: マルハ鮮魚
  • 住所: 沖縄県石垣市美崎町1-1
  • 料金: 刺身¥500他
  • 駐車場: 無し(離島ターミナルを使用がよいかと)
  • 時間: 9:00~19:00(無休)

 

No.206【大阪府】日本一の急勾配!!「暗峠」のダウンヒルで奈落に堕ちる恐怖を味わえ!

日本の道路で最も急坂と言われる、奈良県大阪府を結ぶ「暗峠(くらがりとうげ)」。

 

特に大阪側の傾斜が殺人級で、その斜度はなんと最大勾配37%だ。

通常、10%を超えると普通の人は「ヤベー坂だな」って感じる。

その4倍弱だ。

「ヤベー」どころではない。「地獄に堕ちる」と感じてしまっても、それは大げさすぎることは無いであろう斜度だ。

 

僕はこの暗峠を奈良から登り、大阪に降りる。

殺人坂は下りとなるわけだ。

もし登りであったら空しか見えないだろうが、下りだと奈落が見えるに違いない。

 

果たしてブレーキが焼けついたりしないだろうか。

激狭の道で対向車が来て擦れ違えずにゲームオーバーにはならないだろうか。

 

暗峠の頂上部で、僕は深呼吸をし、愛車の日産パオにエンジンをかける。

さぁやってみようぜ、日本最強のダウンヒル!!

 

 

 

暗峠の奈良編おさらい

 

冒頭から極めて攻撃力の高いご説明をしたが、なんと暗峠一般国道だ。

国道308号。否、酷道308号。

 

さて、実は今回の記事は前後編の"後編"に当たるものである。

前編は暗峠の奈良側であり、峠の頂上部までのヒルクライムのフェーズを執筆した。

前編が気になる場合は以下のリンクからご覧いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

簡単に言うと、「狭い!しかも左右が住宅!そして激坂…、でもカクゴしたほどではないかな…?」みたいな感じで峠の頂上部の奈良・大阪県境に到着。

 

奈良編ダイジェスト1

歴史ある峠の石碑や国道の石畳部分を見学し、頂上にある「峠の茶屋 すえひろ」でおばあさんやおじいさんに囲まれながらコーヒーを飲んだ。

そういう話だ。

 

暗峠の特徴は2つある。

  1.  鬼のように狭い
  2.  鬼のように坂が急
     

なのに住宅がひしめき、さらに国道だからヘタなカーナビだと奈良と大阪を行き来する際にこの道を案内してしまうこともある、という凶悪なロケーション。

 

奈良編ダイジェスト2

数々のWebを見て収集した、暗峠のすごさを物語るトピックスを以下に列挙しよう。

 

  • 「普通車で行くなよ!運転自信ないヤツは行くなよ!もし対向車とのすれ違い時に脱輪とかしたら国道を封鎖することになるんだからな!」という脅し文句多数。
  • でも同時に「軽自動車で行くなよ!馬力ないから登れないぞ!」とのコメントも。
  • 二輪やマニュアル車は、登り坂で一旦停止するとその場で再発進できないらしい。あと、マニュアル車クラッチ焼けて壊れる。
  • 対応車が来た場合、下り側の車はバックで坂を登ることはできないので、登り側の車がバックする。とんでもない狭い激坂を延々バックするカクゴがないと無理。
  • 下りもヤバい。ギヤを1速にしてもスピードを殺せず、ブレーキが煙を噴く。
  • 大阪側の日本最強の斜度部分は、ビジュアル的にもすごすぎて写真撮影ポイント。
  • そんなこうばしい峠なので、自転車でのヒルクライマーに人気だし、YouTubeに走行シーンをアップする人もそこそこいる。

 

奈良編ダイジェスト3

そんな過酷な峠を、昭和時代の最後に設計された日産パオというボロボロで非力な車で攻略する。もういろんな意味でスリリング。

 

では、大阪側へのダウンヒル、次章からスタートだ!!

 

 

最狭区間の攻略

 

奈良県側から大阪府に入った。

この県境前後のわずか50mではあるが、酷道は石畳である。

 

最狭区間1

実はこの暗峠を含む国道308号ってすっごく歴史が古くって、江戸時代は参勤交代のルートだった。

だがあまりの斜度で人も馬も滑ってしまうので、その滑り止めとして石畳が設けられた。その名残だ。

現存する区間はわずかだが、国道の車道部分が石畳なのは、ここが全国で唯一である。

 

走り心地はどうか、だと?

うん、最悪。

 

時速10数㎞で走っても「ボゴボゴボゴボゴッ!!!」ととんでもない振動。

僕の愛車はサスペンションとかその他もろもろの構造があんまり良くはないから、結構ダイレクトに振動を感じる。

もしこれあなた痔だったりしたらね、一生治らなくなるからな。

 

車自体も「バキッ!ミシッ!」といいサウンドを奏でている。

壊れる壊れる!!

 

 

そして車道の幅、メチャクチャ狭いからね。

これで国道、これでちゃんと対向車来るからね。

 

Googleマップストリートビューで、この区間の画像を貼り付けるから、適宜イメージ走行して震えてほしい。

 

最狭区間2

ただ、県境からの大阪側への100mほどは傾斜がそこまでえげつくない。

 

ジェットコースターに例えると、最初カタカタ言いながら巻き上げし、コースの一番高いところに来るじゃない。

そのあとビッグ・ドロップが訪れるんだけど、その急降下の直前、嵐の前の静けさみたいな数秒の区間があるじゃない。今がそれ。

 

ほら、もう道の先が見えないでしょ。あそこで急降下が始まるのだ。

 

最狭区間3

はい来たー!

見通しの良い激下りに背中がゾワワッとするし、かつ道幅はとんもでなく狭い。

 

ここいらが、奈良側・大阪側あわせても一番狭い区間だ。

これで対向車が来たら本格的にヤバい。

ちなみに対向からチャリダーさんなら来た。人力なのでヒーヒー言いながら登って来ていた。

お互いギリッギリ端に寄り、なんとか擦れ違いができた。

 

最狭区間4

…ただしだ。

これ、これでもここ数年でずいぶん道幅が拡張されているよね?

ちょっと前までは左側のガードレールなんてなかったよね?

 

実際に走行しなくっても、10年ほど前からYouTubeGoogleマップで何100回もここいらは見ているのだ。

それと比べて、かなり路面環境が良くなっている。

 

車道のやや左寄りに、切れ目があるでしょう。

たぶん以前はそれが道路の端だったと思う。

この道の2012年のストリートビューで、反対側から見てみよう。

 

 

 

軽自動車がアホかってくらいにシンデレラフィット。

 

 

しかも左側、ガードレール無いしな。

あと、軽自動車でよく見えないけど、この先って左側にカーブしていて見通しも悪いのだ。

マジ凶悪の極み。

そう、このイメージ。暗峠って。

 

 

全く同じ位置の、2022年のストリートビューだ。

すっごい平和になったよね。まぁこれでも全然擦れ違いなんてできないんだけど、これだけ改善された。

今、僕はここまで下ってきた。

 

最狭区間5

ちなみに気温は5℃だ。春だけど。

凍えるような気温だけど、もうなんか脇に変な汗をかいている。

 

そして汗をかくようなシチュエーションはまだ続く。

てゆーかこれからが本番。

 

 

日本最大傾斜を堕ちる

 

間髪入れず、とんでもない下り坂が出てくる。

まぁ最狭区間は通過したので、じゃあ道は広くなったのかと言うと、相変わらず擦れ違いはできない。

それでかつ激坂だ。

 

ダウンヒル1

写真ではわかりづらいが、すっっっごい下りだ。

坂ってのは、下りの方がビジュアル的に怖い。

 

登りは「挑んでいく」という感覚があるが、下りはひたすら奈落に堕ちるのだ。

そんな地球のGを食い止めながら進まなければいけない。

 

ここの車道の左側に切れ目がある。この分が昔は無かったに違いない。

 

ダウンヒル2

大蛇がのた打つようにカーブする道路。

 

それをギヤを1速に入れ、すごい音で唸りながら下っていく。

1速だが、それでもブレーキを踏んでいないとダメだ。

あと、エンジン回転数がヤバいことになっていて、このままでは壊れかねない。

 

ごくごく短い区間であれば、このくらいの斜度は経験したことはある。

 

 

例えば、宮城県石巻市のシンボル「日和山」の下りルートなんて、車道脇の歩道が階段なんだからな。

しかも車道部分の滑り止めは洗濯板のような激しいギザギザのものなんだからな。

 

…そんな坂でも、短い区間であり終点が見えているのであれば精神的重圧はそれほどでもない。

 

暗峠は違うんだ。

ずーーーっとこれなんだ。しかも途中で停車して休めるような場所はない。

車と人間の(精神面での)スタミナが心配になるのだ。

狭いので対向車が来ても怖いしね。

 

ダウンヒル3

来たーー!!
最大勾配37%スポット!!

 

 

暗峠のハイライトであり、日本で類を見ない傾斜地だ。

しかもこのヘアピンカーブ。

えぐるように、めり込むように、カーブを曲がって下がっていく。

 

 

上の地図を見てほしい。

右下から左上を貫いている道が、国道308号だ。

 

赤いピンが立っているのが、最大傾斜ポイント。

思いっきりコの字にカーブしている。

そしてここで車を駐車することは不可能。でもこのカーブの写真を撮りたい。

 

そんな時に使えるのが、向かって左側に見えている「不動明王石像」だ。

ここに車を2・3台停められることは事前に確認済み。

 

不動明王1

車を停めた。

久々に肩の力を抜くことができた。そして「ふぅぅーー…」って大きく息をついた。

 

愛車のパオのエンジンを切る。

ちょっとコイツを休ませてあげたい。

 

そして僕は不動明王を見学がてら、さっきの最大傾斜ポイントを歩いて見に行こう。

ここから300mほどの距離なので、歩くには何ら問題のないレベルだ。

 

 

地獄坂を撮影するために

 

まずは駐車したところにある不動明王石像をご紹介しよう。

この不動明王の敷地は、国道308号を挟んで左右に分割されている。

 

不動明王2

もし僕のように大阪側へのダウンヒルでやってきた場合、道路の左側に出てくるのが上の写真。

鳥居があり、そして古い石碑が一堂にギュッと集められている。

 

不動明王3

そして車道を挟んだ反対側には不動明王の石像だ。

わりと小柄で、慎重は1mちょっとかな?

 

立て札が横にあるがここの不動明王の由緒などを書いているわけではなく、『御不動様の御誓願は…』から始まる不動明王の基礎知識的な内容であった。

Webなどちょっと調べてはみたが、由緒はよくわからなかった。

 

不動明王4

ただし、いずれにしてもこの国道が非常に古い時代からのものなので、旧時代の旅人等を見守ってくれた存在なのだろう。

険しい顔つきではあるが、どこかユニークで親しみやすそうな顔立ちであった。

 

最大傾斜ポイントへ1

では、改めて最大傾斜ポイントに戻ろう。

雨がポツポツ降っているのでカサをさして歩き出す。

今車で降りてきた坂を300m歩いて戻るのだ。

 

しっかしすんごい勾配だな。

車で下ってきた坂だけど、自分の足で踏みしめるとまた味わいが違うぞ。

 

最大傾斜ポイントへ2

いや…、すっごいシンドいんですけど…。

 

この傾斜、足に来る。

階段だったらまだいいのだが、斜面というのは常につま先が上を向いている状態となり、立っているだけでも負担のあるなのだ。

そこを歩き続けるって、疲れるのな。階段発明した人、偉いな。

 

最大傾斜ポイントへ3

数分前に車で下ってきたばかりだから知っているんだけどさ、カーブまでの激坂をようやく登っても、そのカーブの向こうから見えるのはまた激坂。

たった300mなのに、なかなか疲労するぞ。

 

最大傾斜ポイントへ4

狂おしいほどの斜度。

だけども、これでもまだ最大傾斜ポイントには劣るのだ。

 

道路についたブレーキ痕が生々しい。

今日のような寒い雨の日は、本当に注意しなければならない。

 

最大傾斜ポイントへ5

はい、戻ってきたぞ、最大傾斜ポイントだ。爆裂コの字カーブだ。

ちょっとゼーゼー言っている、僕。

 

しかしここの写真をゆっくり撮りたかった。

歩いて戻ってくるだけの価値は1000%ある。

 

最大傾斜ポイントへ6

このくらいの角度からが、一番迫力のある構図だろう。

自転車の人なんかは、この最大傾斜に沿って自転車を停めて撮影したりしているようだよね。

車じゃこんなところに停車するわけにはいかないから、愛車との撮影はできないけど。

 

最大傾斜ポイントへ7

たった1つのカーブ。

右下の橋の欄干と、左上の橋の欄干を見てほしい。

これら、曲線の開始から終了までの距離は20mほどだろうか?

それだけの距離で、一体どれだけ高度を上げた?ビル何階分の高さだ?

 

斜度37%というのは、100m進んだ時点で高度が37m上がっているという意味。

単純計算、20mだと7.4mだ。

目で見てもすごいけど、理屈でもすごい。

 

こんな道が、今も実用されている立派な国道なのだ。

 

 

峠からの生還

 

カサをさして最大傾斜ポイントを往復した僕は、再び不動明王石像に停めた愛車のもとに戻ってきた。

 

そして町へ1

最大傾斜は乗り越えたワケだが、まだまだ試練は続く。

この先も狭い激坂がずっと連なっている。1ミクロンも気を抜くことはできない。

 

極端な話、ここから先の方が怖かったかもしれない。

ここまでは強いカーブの連続で、そのために多少傾斜にも緩急があった。

 

そして町へ2

しかし暗峠の終盤は、カーブが少なくストレートに落ちていくような斜面が多くなったと感じた。

 

スキーで例えると、上級コースでワインディングを描きながら滑るよりも、中級コースで直滑降する方が怖い、みたいな感じた。

まぁこの終盤は中級どころか極めて最上級なんだけど。

 

そして町へ3

雨なのでわかりづらいが、大阪の町が霞んで見えている。

随分下の方に見えている。

 

あと1㎞先か2㎞先では、あの街並みと同じ高度まで降りているのだ。そのくらいの斜面が、この先も続いている。

 

そして町へ4

こんな感じだな。

もう平坦なエリアは目の前だが、平地に至る最後まで傾斜は手を緩めてくれない。

 

下まで降りて、2車線道路となった。

ギヤも1速からとりあえず2速に入れても大丈夫となった。

「なんて素晴らしくて、そして平らな世界なんだ」と思ったよね。

 

そして町へ5

天王寺駅前。すっかり都会エリアだ。

ほんの少し前まで峠の中でヒーヒー言っていたのが信じられない。

雨空も晴れてきて、進行方向彼方には青空も見えてきた。

 

これまでの写真でお見せした通り、暗峠のところどころには住居があり、当たり前のように暮らししている人がいる。

そんな世界でよそ者の僕がギャーギャー驚くのはちょっと失礼かもしれないけど、それでも日本を代表する峠の1つであることは事実だ。

「生還できたー!!」って思ったのも、僕の正直な気持ちだ。

 

結論だ。

日産パオで暗峠は攻略できる。

…ってことはおそらくだが、ちまたの軽自動車であっても1人乗りであれば攻略できる。

 

 

ある程度のカクゴと技術は必要だろうが、あなたがもしそれらをお持ちなのであれば、ぜひ一度訪ねてみてほしい。

地理・歴史の観点からも、きっと面白い体験になると思うんだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.205【東京都】国内の位置を示す基準点「経緯度原点」!大使館だらけのエリアにあった!

…もし、この小さな丸いプレートが無くなったら、日本国内の「場所」の概念が根本から崩れて大パニックになってしまうのだろう。

 

 

きっとそれは、ある日突然この世から「住所」という概念がなくなることを想像するのと同義ではないだろうか。

 

そんなことを考えながら、僕は小さいプレートにそっと触れた。

 

日本の位置を示すための唯一無二の宝。

これこそが「日本経緯度原点」だ。

剥き出しで設置されていて、僕のような一般人も気軽にタッチできるけども。

 

このプレートを中心に、北海道から沖縄まで、網の目のように正確に位置情報が設定されている。

その真ん中に僕はいる。

まさにここは、日本の真ん中ではなかろうか。

 

 

日本地理の基準点

 

…というわけで、今回のスポットは日本経緯度原点だ。

広義での日本の中心の1つである。

 

こう書くと、あなたは「えっ?日本の中心っていろいろあるの!?」と思われるかもしれない。

うん、実は日本の中心というのは日本各地に無数にあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこれら無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

上のリンク先を見ていただければわかると思うが、「日本の中心」といえばそれは大体地理的な中心を指す。

じゃあその"地理"の大本はどこなんだよ、と言えばここなのだ。

 

  • 平面座標を司るのが、経緯度原点
  • 高度を司るのが、水準原点

 

「この2つで日本のあらゆる場所を定めなさい」って、測量法(昭和24年法律第188号)第11条でも定められている。

経緯度原点を例にとると、「経緯度原点の緯度と経度が〇〇度だから、どこそこの緯度と経度は△△度だね」っていうふうに、どんな場所も経緯度原点からの距離で定められているのだ。

 

ちなみに日本水準原点は「国会議事堂」の前にあり、これについては以下の記事で執筆済みだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

経緯度原点と水準原点も、地理の根幹を示す法的なスポットなのである。

 

だからなのか、場所も東京都心なのである。

水準原点は国会議事堂前というすんごいVIPな場所にあるが、経緯度原点だって負けてはいない。

どんなところなのか、気になるでしょう。

 

じゃ、ごたくはとりあえず中断し、実際行ってみるか。

 

 

怒りのアフガン

 

青空に「東京タワー」。最高。

 

目指せよ原点1

東京スカイツリー」にお株を奪われて随分年月が経ったが、それでも東京タワーは渋さ溢れてカッコいい。

 

真っ赤に染まる東京タワーを横目で見ながら、僕は経緯度原点を目指す。

そう、経緯度原点はこの近くにあるのだ。

 

目指せよ原点2

付近ではどうやら祭りの準備が進められている。いいね。

東麻布の町内会にて開催している、熊野神社祭禮というお祭りなのだそうだ。

 

目指せよ原点3

これは山車かな?小さいけども山車がある。

お神輿も付近で待機しているのを見かけた。

こういう光景を見るだけでワクワクする。

 

そんな界隈ではあるが、同時にこのエリアは大使館がすごく多い。

ちょっと付近の地図を掲載しよう。

 

目指せよ原点4

左端の矢印の先が、経緯度原点。

赤く囲ったのが大使館。この地図だけでも6箇所ある。

でも6箇所だけなのかと言うと、この地図では端折られているだけで、もっとある。

 

日本経緯度原点のすぐ隣にも、上の地図には無いが2つ大使館がある。

日本の地理のシンボルにも関わらず、大使館に挟まれた異国情緒かほとばしるスポットなのだ。

 

あなたも行く前にはカクゴしておいたほうがいい。

ちょっとした海外旅行気分になることを。

 

目指せよ原点5

あと、現地付近は道が狭い上に(たぶん)駐車場ないし、大使館の警備が物々しいので、車で行くのであれば少し離れたところでコインパーキングを探しておくといいんじゃないかと思う。

 

国道1号から小道に入る。

都心の国道1号という華々しいステータスだが、一本道を反れると途端に閑静になる。

 

目指せよ原点6

振り返ると東京タワーも、狭い路地のビルの間に挟まれてほっそりしている。

 

この狭い路地の正面にズドンと「ロシア大使館」がある。

警備員とモロに目が合うので、怖くて写真は撮っていない。

なぜなら屈強なロシア人とトラブルになったとき、僕の体格ではかろうじて太刀打ちできないからだ。

まぁあなたも行かれるのであれば、有事に備えて経緯度原点を見学しに来た旨をロシア語で説明できるようにしておくと吉だ。

 

目指せよ原点8

ロシア大使館に沿って左に折れると、「東京アメリカンクラブ」が現れる。

上の写真、右端の石垣がロシア大使館で、左側が東京アメリカンクラブだ。

 

うおぉ、なんてインターナショナル並びだ!セレブリティ!

そして冷戦終わって良かったな。隣同士で仲良さそうだな。

 

目指せよ原点9

前方に警備員がいた。

アメリカンクラブ正面の「サウンドシティ」の警備なのかわからないが、一見するとその先には許可者しか入れなさそうな雰囲気。

でもちゃんと行けるので、強い心で突き進んでほしい。

大丈夫、あなたは怪しい人ではない。

 

さらにそのすぐ先、「アフガニスタン大使館」があって行き止まりだ。

上の写真の正面がアフガニスタン大使館。


もちろんゲートには警備ががいる。

まっすぐにそのゲートに向かって歩くこととなる。

そのギリギリの右手、写真に写っている右端の黒い柵の向こう側が経緯度原点だ。

 

目指せよ原点10

アフガン警備員に目的を訪ねられたときの言い訳、もう大丈夫だよね?

下手すると、そりゃもう「ランボー3/怒りのアフガン」だよね。不朽の名作。

 

こうした幾多の困難を経て、経緯度原点を踏めるのだ。

感無量ってヤツだ。

 

 

ここから広がる日本

 

いやはや、実に大変な道のりでしたな。

アフガンの人に「なんでアイツ、あんな何もない公園に1人で入って行くんだ?」みたいな目で見られたけど、アフガニスタン大使館の前の公園が僕の目的なのだ。

日本経緯度原点なのだ。

 

経緯度原点1

こんな感じの、芝生の広場。

説明板があったり碑があったり、そして肝心な経緯度原点とそれが設置されている台座がある。

あるのは大体そのくらいだ。

 

経緯度原点2

国土交通省国土地理院が定めた、経緯度原点を示す立て札。

誇らしい。ここは日本だ。それは譲れない。

 

経緯度原点3

そしてここが経緯度原点である謂れを書いた石碑だ。

簡単に要約しよう。

 

1892年(明治25年)、ここには「東京天文台」があったんだ。

そこには子午環っていう、子午線に沿った方向にしか動かせないレトロでナイスな特殊望遠があったのだ。

その中を「経緯度原点にしようぜ」って定めたのが始まりだ。

 

経緯度原点4

ところがだ。

1923年(大正12年)の関東大震災で、大事な大事な子午環がブッ壊れた。

まぁ子午環はアナログなギミックだから壊れたら壊れたでしょうがないんだけど、経緯度原点どうしようかって考え、そのままその位置にプレートを埋め込んで経緯度原点の定義を守ることにした。

 

経緯度原点5

はい、この碑文の左側を見てほしい。石の台座がある。

これが、旧天文台の子午環が設置されていた台座部分だ。

中央に黒い小さな丸があるのがわかりだろうか?それが経緯度原点だ。

 

経緯度原点6

 

日本経緯度原点

 

 

パワフルな書体で刻まれている。

そしてなんかちょっと濡れている。梅雨だからかな?

 

経緯度原点7

ただ、大事なのはその右の丸いプレートの方だ。

すごく小さいが、接近してみよう。

 

経緯度原点8

あ、ちょっと写真ボケた。なんてこった。

ただ、プレートの中央には、お鍋にシイタケ入れるときみたいに、綺麗に十文字のマークがある。

そして日本経緯度原点の文字。

 

まさにここが経緯度の中枢。

東経139度44分28秒8759・北緯35度39分29秒1572。

全然キリはよくないけど、ここの経緯度が上記であることを基準に、全国すべての経緯度が確定する。

 

経緯度原点7

日本全国にある11万箇所ほどの三角点も、元をたどれば全てここから測量技師さんがコツコツ測量して位置を定め、全国に展開して行ったのだ。

 

あとは、原点方位角という、要するに「真北からどれだけズレているの?」っていう基準点の要素も持っている。

ここ経緯度原点と茨城県の「つくば超長基線電波干渉計観測点」を結んだときの角度。

それが真北から32°20′46.209″ズレている。

このズレも、全国の北の定義の基準となるのだ。

 

経緯度原点8

説明の碑文のすぐ右にある石柱の上に、原点方位角を示すプレートがあるぞ。

「現方位方向↑」って書かれているから、ここでつくばに思いを馳せてもいいんじゃないかな。

 

経緯度原点9

こんなところから、日本地理は始まるのだ。

すごいじゃないか。さすが東京だぜ。

 

 

東日本大震災でズレた!?

 

あと、経緯度が永久ではない。

2001年には測量方法がアナログな測量から衛星を使ったハイテクなものに基準が変わり、それによってここの経緯度も少し修正された。

 

それから、これは日本水準原点の項目でも書いたが、やっぱ地球は生き物だから地殻変動もあるし、大きな地震とかでちょこっとズレちゃうこともあるのだ。

そのたびに修正している。

 

前述の大正時代の関東大震災でもズレた。

2011年の東日本大震災でもズレた。東北を中心とした未曾有宇の災害であったが、この東京都心にも影響したのだ。

ほんの3cmほどではあるが、ミリ単位で計測して微修正したのだ。

 

旧時代の記憶1

地震でのズレが、経緯度原点そのものに何か影響を及ぼしたわけではない。

だが、僕は経緯度修正前の2000年代一桁時の写真を持っているので、最後のご紹介しよう。

 

これが経緯度原点だ。

なんかちょっとブレている。なんてこった。

 

旧時代の記憶2

その左の、子午環台座部分の名残だ。なんか濡れている。

"日本経緯度原点"の文字がキラキラの金色だ。剥げ落ちて保守していないことが判明した。

キラキラよ、カムバック!

 

旧時代の記憶3

あ、なんか広場がすごく狭い。

きっと現在の4分の1くらいしかない。昔はこんなにもモジャモジャだったのだ。

僕が現在の開放感のあるロケーションの方が好きだな。

 

*-*-*-*-*-*-

 

そんなこんなで、ちょっと地味だけども地理マニアには知っておいてほしいスポット。

誰もいなくって静かな小さな広場だけど、日本には無くてはならない広場。

 

 

高いビル群に囲まれたエリアだけど、これからもここから日本が広がるのだ。

ここに立てば、日本全国を感じられるかもしれない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本経緯度原点
  • 住所: 東京都港区麻布台2-18-1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。付近のコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 特になし

 

No.204【福井県】かつての国道唯一の天然トンネル「呼鳥門」!今もその雄姿を見られるぞ!

「呼鳥門(こちょうもん)」。

人工的なものではなく、自然にできた巨大なトンネルである。

 

驚くべきは、そのトンネルの中を国道が通過していたという事実。

ほんの20年前まで。

21世紀が始まっていたというその時代まで、そんなトンネルが実用されていたのだ。

 

 

今でこそ国道はその呼鳥門を避けて通るルートはなっているが、それまでは我が国で唯一の天然国道トンネルだった。

 

裏を返せば、我が国で最後の天然国道トンネル。

一体どんなスケールのトンネルだったのだろうか?

当時の国道ごと、そっくりそのまま残っているので訪問してみた。

 

 

天然の巨大ゲートに関する話

それは旧国道に出現する

 

海沿いの国道305号の脇に、今もそれは現存している。

福井県のかたちをイメージするときに欠かすことのできない「越前岬」からメッチャ近く、と覚えておくとよいだろう。

越前岬から来たに1㎞ほどの場所に呼鳥門があるのだ。

 

越前岬

僕はこの呼鳥門が好きで、福井県の海沿いを走るときには基本的に必ず立ち寄っている。

 

海沿いの国道からサクッと寄れるし、なんだったら停まらずとも車窓からも見える便利スポットだからだ。

今回は、過去4回分ほどの写真を織り交ぜてご紹介したい。

 

 

…で、何度も訪問しているにも関わらず申し訳ないが、呼鳥門付近を視野広めで撮影した写真がないので、Googleマップストリートビューで代用したい。

 

上の写真は2014年のものだが、なぜ2014年という絶妙に過去のストリートビューを持ってきたかというと、一番晴れた日に撮影されていた様子だったからだ。

 

道路の左側に「花のゆめ」というドライブインがある。

そしてさらにその先、進行方向にあるトンネルの右側にカーソルを持って行くと見えるのが呼鳥門だ。

 

 

スマホの人でもこのサイズだったらわかりやすいかな?

目の前のトンネルが394mの「呼鳥門トンネル」。

2002年にこのトンネルが開通したから、呼鳥門ルートは廃止されたんだよね。

 

かつてはトンネル手前を右に、海ギリギリに進んでいた。

今も上の写真から、当時の道の名残が見えるだろう。

そして奥に見えている呼鳥門をくぐるのだ。

 

では、現在の話に戻ろう。

国道を挟んだ反対側に広い駐車場があるのでそこに車を停め、国道を横切って呼鳥門を見に行く。

 

呼鳥門1

見よ、このスケール。

 

あなたがイメージした天然トンネルとはちょっと違うだろう。

トンネルというよりゲートみたいな感じかもしれない。

だけどもこれはこれでスゲーだろ。

 

斜めの天井。ゴロゴロした岩で形成された海側部分。

もう素材そのままだ。ワイルドさがほとばしる。

こういう洞門であれば、日本中探せばそれなりにいくつかある。

だけどもここで重要なのは、その素材を生かして国道ブチ抜いてしまったということだ。

 

 

国道時代の名残りを見る

 

呼鳥門2

今はこうやって歩道になっているが、これがかつての国道305号だ。

 

なんか逆光がすごすぎてまもとに映っていない写真で申し訳ない。

午後だとこうなる。

綺麗に順光で撮影したいなら午前中だ。

だがしかし、午前中かつ晴天に撮影できたことが無かったのだ。

 

呼鳥門の手前までやってきた。

 

呼鳥門2

ご覧の通り、旧国道の名残である遊歩道は、呼鳥門に入る直前でブチッと終わってしまっている。

上の写真の僕が立っているところが、その限界点だ。

 

呼鳥門3

なぜかというと、危険だからだ。

ま、あえて言わなくてもわかるよな。

 

天然のトンネルってのは、いつ崩れるかわからない。

むしろ定期的にボロボロと岩の残骸が降り注ぐ。

 

上の写真、天井裏を見てほしい。

ワイヤーネットで覆ってある。

その下を、今は廃道となっているかつての国道が続いている。

 

呼鳥門4

ただ、さすがにこの状態のトンネルに車を通行させていたわけではなく、この下にさらに人工のトンネルを作っていたとのことだ。

だが、2002年の呼鳥門ルート廃止時に撤去したんだって。

Webで検索してみたら、かろうじて1枚その当時の写真を発見できた。

 

しかし同時に発見したのだが、1991年のときには人口トンネルが無く、マジで上の写真のように剥き出しの岩盤の下を車が走っていたようだった。

ひえぇ、恐ろしい…。

 

呼鳥門5

カメラをズームさせてみた。

廃道となったかつての国道には、落石がゴロゴロしている。

うむ、これを食らったらひとたまりもないよな。

 

今後も呼鳥門はゆっくりと崩れていくのだろう。

天然だもの、それが定めだよな。

 

 

洞門の成り立ち

 

この呼鳥門はどのくらいの規模であり、なぜできたのか。

そこいらは呼鳥門手前の説明板に書かれている。

ちょっとここに掲載できるような解像度の写真ではないので、文面だけ転記しよう。

 

呼鳥門

 

県道の新設中に発見された洞穴である。

大きさは、高さが約15m、幅約30mある。

日本海に張り出した礫岩の断崖基部が、太古の昔から年月をかけて風と波の浸食作用によりくり抜かれてできた洞穴である。

 

荒々しい岩肌、海の青さ、洞穴をとおして山肌に自生する「越前水仙」や「菜の花」などが見事にマッチし、越前海岸を代表する景勝のひとつになっている。

また、この洞穴はここを訪れる人々の心に「大自然に対する畏怖の念」を抱かせる迫力で迫ってくる。

 

付近は、シベリアから飛来する渡り鳥のコースに当たり、すぐ近くにある「鳥糞岩」は名の示すように渡り鳥の糞で白くなる。

なお、この洞穴は、平成14年3月まで国道305号の天然トンネルとして利用されてきた。

 

1958年(昭和33年)に県道として道路が開通したとき、第37代福井県知事・羽根盛一氏が「渡り鳥を呼ぶ門」ということで「呼鳥門」と命名した。

 

はい、カンペキだ。さすが説明板。

僕がここまで語ったことも、これから語りたかったこともカンペキに網羅し、もうこのブログの存在価値がゼロに等しくなった。

 

呼鳥門6

つまりだ。

ずーっと昔から少しずつ削られて、これだけの穴の開いた海蝕洞窟。

 

だけどもそれが発見されたのは『県道の新設中』とのことだ。

県道ができたのは1958年なので、その工事を始めたのはその数年前とかそのレベルなのだろう。

意外なことにかなり最近だと感じた。

 

その県道が1970年に、国道305号にランクアップしたというわけだ。

 

呼鳥門7

そして、この呼鳥門というネーミング。

 

洞門のかたちとかが由来なのかなって思ったりしていた。

しかし違うのだ。

渡り鳥のルート上であり、まさに鳥を呼んでいる門のような存在なので、このネーミングとなったのだ。

 

 

鳥の糞と、人間用のトイレの話など

鳥糞岩

 

前項の説明板を引用した文章の中で、気になるワードがあったよね。

「鳥糞(とりくそ)岩」。

 

なかなかパンチが効いた、良いネーミングだ。

上品なセレブが眉をひそめそうなテイストだ。

"ふん"だったらまださておき、"くそ"って部分に小学生男子的な力強さと無邪気さを感じる。

だから小学生男子の感性を大事にしている僕の食指が動くのも当然だ。

 

 

またGoogleマップを貼り付けてみた。

上の画像から、国道305の旧道と新道、そして呼鳥門と鳥糞岩の位置関係がわかるだろうか?

 

 

絵に起こしてみた。こんな感じだ。

 

呼鳥門を語る上では、呼鳥門トンネル、そして鳥糞岩との関連性まで語りたいと考えている。

立地的にも、名前的にもリンクするもんな。

 

鳥糞岩1

 

そしてこれが鳥糞岩だ。

鳥クソ岩だ。(2度言った)

 

 

高さ100m近い断崖である。

ここに頑張ってトンネルを通したのだ。それが2つ上の手書き地図、灰色のトンネルだ。

海沿いの道を作るのがいかに困難だったかわかるようなロケーションだ。

 

ただし僕らにとって大事なのかそこではない。

 

鳥糞岩2

ちゃんとネーミングの由来を確認すること。これ大事。

断崖の左端が真っ白くなっていることにお気づきだろうか。

 

岩の成分ではない。これこそが鳥糞。

スゲーの。長年の堆積なのかシーズンになると一気にホワイトアウトするのかは知らないけど、もう真っ白なの。

2km近く離れた越前岬から見ても、ちゃんとスノーホワイトなの。

 

鳥糞岩3

僕も全国を旅して来たが、"糞"と名の付く景勝地は少ない。

糞込みで景勝地になっているところはさらに少ない。

なんてワンパクなのだろう。好き。

 

 

青木まりこ現象

 

本屋で急にトイレに行きたくなる現象を、青木まりこ現象という。

本の紙がトイレットペーパーを連想させるからだと言われている。

 

となれば、鳥糞岩を見たあなたも僕も、もう便意を催しているに違いない。

では、冒頭で車を停めた駐車場を有するドライブインのトイレをご紹介しよう。

 

だけどもとても残念なお知らせだ。

今からご紹介するトイレは、今はもうない。

ドライブイン「花のゆめ」が旧店名「レスト有情」だったころのものなのだが、2018年夏くらいにトイレは改装されてしまったようだ。

 

マジ残念。

僕は2018年の春、きっとギリギリのタイミングでこのトイレを使用した。

もったいぶってしまってすまない。お見せする。

 

日本庭園トイレ1

 

日本庭園トイレ!!

 

 

石畳、燈籠、緑豊かな植栽、鳥のさえずり…、からの便器!!

いきなり便器というパワーワードが飛び込んでくるのだが、用を足しに来たのだからこれは正しいし必須の設備。

 

普通のドライブインに普通にトイレを借りたのだが、この広々空間が現れるので、ちょっと落ち着かない。

本来ならば落ち着く絵なのだが、どうにも落ち着かない。

 

日本庭園トイレ2

洋式もある。どちらも素晴らしデザインだ。

日本有数のユニークなトイレだったので、今は無くなってしまいとても悲しい。

呼鳥門と一緒に"観光できるトイレ"だったのに。

 

 

水仙廼社

 

では、最後にお口直し的な意味合いで、もう1つのスポットをご紹介しよう。

それはドライブイン駐車場の奥の方にある。ちょっと目立たないけど、探してみよう。

 

水仙廼社1

水仙廼社(すいせんのやしろ)。

これまた洞窟の中にあるのだ。調べたところ、これも長年の風と波の浸食による、海蝕洞窟なのだそうだ。

 

呼鳥門と一緒だし、両者の距離も徒歩1・2分ほど。

ほぼ同じ条件下のものなので、一緒に覚えておくと良いだろう。

 

水仙廼社2

洞窟の奥行きは、暗くってどのくらいだかわからないし、奥まで行けない。

洞窟の入口から数mのところに、このように愛染明王を祀っている社があるので、お参りしておこう。僕もお参りした。

 

ここの名前の由来は、越前町の名物スイセンから来ているのだろう。

前述の説明板の引用にある通り、越前スイセンが各所自生しているのだ。

それに、越前岬灯台のすぐ脇には「越前岬水仙ランド」っていうのもある。

 

水仙廼社3

ここで旬のスイセンを見たことはないが、街灯がスイセンの花のかたちなのは知っている。

かわいいよね、この街灯。

 

 

呼鳥門と、それの成り立ちに関連するいくつかのスポット。

ダイナミックな福井県の海沿いを走る際には、ぜひ立ち寄ってほしい。

きっと最高だから。

 

呼鳥門から北の海岸線を見る

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 呼鳥門
  • 住所: 福井県丹生郡越前町梨子ケ平
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.203【三重県】昭和の面影を残す忍者ドライブイン!2022年3月の閉店ギリギリに行った!

あなたは、果たして3ヶ月前の3月末、何を考えていたのかパッと思い出せるだろうか?

 

まかせてくれ、僕は思い出せる。

3月末で55年の歴史に幕を下ろす「名阪上野ドライブイン」に涙していたのだ。

 

延々に枯れることなく流れ続けると思われていたその涙も、3ヶ月経ってようやく止まった。

今年の梅雨は観測史上一番短く、そしてとんでもなく早く明けてしまったが、時を同じくして僕の涙も梅雨明けした。

 

では書こう、昭和レトロな名阪上野ドライブインを訪ねた思い出を。

 

 

 

消滅前に行かねばならぬ

 

2022年1月。

僕はWebニュースを見て驚愕した。

 

三重県奈良県を繋ぐ名阪国道っていうバイパスがあるんだ。

その沿線、伊賀上野にある名阪上野ドライブイン。別名忍者ドライブイン

それが2022年3月末をもって閉鎖するというのだ。

 

ショックだ。

ショックすぎて、それが名阪上野ドライブインなのか「伊賀上野SA」なのか「伊賀SA」なのか、「伊賀ドライブイン」なのか、しばらくゴッチャになったほどだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ちなみに2kmほどしか離れていない伊賀SAなら上記で既に執筆済みだ。

伊賀ドライブインは忍者だらけだ。こっちこそ忍者ドライブインと呼んでいいのかもしれない。ここは機会あったら執筆しよう。

 

これは伊賀ドライブイン

とにかくね、名阪国道のこのあたりは個性が尖りすぎているドライブインが複数あり、そのどれもが令和の現代では絶滅危惧種

どれが潰れても不思議ではない。

 

だからWebニュースを見た人も混乱して、「どて焼きのあるボロボロのドライブインか!」(←それは伊賀上野SA)、「忍者館がー!」(←それは伊賀ドライブイン)、「道の駅と共に消えるのか!?」(←それは伊賀SA)と、阿鼻叫喚のカオスとなっていた。

もうこのエリア、わけわからんくらいに紛らわしい。

 

これが忍者ドライブイン

これらの中でも最大クラスの規模、名阪上野ドライブインが消えてしまうのだ。

 

理由は利用客の減少だという。

並行する新名神高速道路ができたし、大型観光バスがドライブインでワイワイするような時代でもなくなったし、なによりコロナ禍だし。

 

悲しすぎる。

僕は過去写真を探した。

 

夜中に立ち寄ったことはあるのだが、写真はなかった。

夜中なので施設内のどこにも立ち寄った記憶もない。

 

忍にゃんに会いたい…

このまま終わっちゃっていいんですか?

一生後悔しますよ。

 

僕はこの名阪上野ドライブイン閉店までになんとか訪れようと画策する。

しかしずっとコロナの蔓延防止なんたらで動けず、またたく間に3月下旬となった。

 

もう終わっちまう!

名阪上野ドライブインがこの世から消えちまう!!

 

ギリギリのタイミングだ。

僕は走り出す。遥かなる三重県へ。

目的は1つだ。待ってろ、昭和のドライブイン!!

 

これは誰?



僕の夢見た忍者ドライブイン

 

名阪国道

三重県奈良県を繋ぐ無料バイパスである。

"高速道路"というくくりには入らないのだが、自動車専用でインターチェンジもあるしサービスエリアもあり、使用する上ではまるで高速道路のような感覚だ。

 

忍者ドライブインへようこそ1

そんなバイパスの大内ICを降りたところに名阪上野ドライブインがある。

 

バイパスからもドライブインの建物が見えるんだけど、建物自体に『大内ICおりる』と強烈なフォントで書かれているからな、もう何ごとかとみんな降りちゃうよね。いや、そんなワケないよね、すみません。

でも僕は降りるのだ。降りさせてください。

 

忍者ドライブインへようこそ2

駐車場はとんでもない混雑だ。

車もバイクもすごい多い。

みんな駆け込みでここに来ているのだ。最期の別れを惜しんでいる。

 

忍者ドライブインへようこそ3

なんとか駐車できた。

駐車場にはケバブとかそれ系の販売車輌がズラリと並び、メチャ盛り上がっている。

だけども僕はここで食べたいものがあるので、それらはひとまずスルーだ。

 

それではまずは、特徴的な外観からご紹介しよう。

なお、建物は非常に横長なので全てを一枚の写真に納められない。

 

忍者ドライブインへようこそ4

まずは真ん中、"名阪上野ドライブイン"の電飾が最高である。

昭和を彷彿とさせるのこの字体、このギラギラした感じが好きだ。

願わくば、夜の点灯した写真も手もとに残したかった。

 

ただ、"レストラン"の文字に隠れてしまっているのが残念だけどな。この通り、中央はレストランエリアなのだ。

 

その屋根の上には点々と忍者いる。

忍んでないけど、忍者いる。さすが忍者ドライブイン

点在している忍者を見ながら、向かって左手の方まで移動してみた。

 

忍者ドライブインへようこそ5

左側は"おみやげ広場"と書かれている。

内部ではいろんなお土産が売られている。

 

…あ、ちょっと行き過ぎたのでもう少しだけ中央方面に戻りたい。

そこの屋根に、ひときわ目を引く忍者がいるので。

 

忍者ドライブインへようこそ6

ネコだ。

その名前は"忍にゃん"。名阪上野ドライブインのマスコットキャラ。


公式Webを見たところ、お父さんはフランスのセレブで、お母さんは古風な日本人とのことだ。

 

忍者ドライブインへようこそ7

そっか。よくわからないってことがよくわかった。

まぁかわいいからどうでもいいや。

 

次は正面の右側に行ってみよう。

 

忍者ドライブインへようこそ8

なんかフリマ的なイベントが行われていて賑わっていた。

 

ここには2階エリアもある。

どうやら大体のお客さん用の大広間だったりしていたらしい。最近も使われていたのかな?

最近はドライブインにツアーバスでドバドバお客さんが来るケースってあんまりないと聞いているしなぁ…。

 

忍者ドライブインへようこそ9

右側の一番すみっこに、「太陽」と「おすみ」という食堂がある。

どっちも人気店だ。

特におすみのほう、パッ見で20人近くが外まで行列を作っているぞ。もう13時近いのに。

 

忍者ドライブインへようこそ10

そして右の側面から見たドライブインだ。

東側から名阪国道を走ってくると、この『大内ICおりる』が車道からも見える。

 

…という感じの、平成時代を挟んだ向こう側から生き続けている立派なドライブインである。

スゲースゲーって、内心叫んでいた。

 

じゃあ、この写真の左端に見えている、おすみの行列に並んでみるか。腹減った。

 

 

おすみのホルモン定食

 

おすみは、この忍者ドライブインの名物的な存在だ。

パワフルなホルモン定食が人気で、ライダーからトラックドライバーから、元気な地元の人たちまで多くの人がいつも訪れているお店なのだそうだ。

 

おすみ1

僕は忍者ドライブインに来るために旅をしているが、忍者ドライブインに来たからにはおすみに絶対入りたいと思っていた。

20人待ちだろうがなんだろうが、並ぶのだ。

 

おすみはこの後移転するらしいが、ここでのおすみはこれが最初で最後だ。

 

おすみ2

並びながら店頭のディスプレイを眺める。

このちょっとくすんできた感じのディスプレイもいいじゃないか。

そしてケースの中は見事なまでのホルモンパーティーだ。

 

おすみ3

これ絶対ビールほしくなるヤツだ…。当然飲めないし飲みませんけど。

一番下の段に"忍ジャーエール"っていうジンジャーエールみたいなドリンクのメニューがあるのがちょっとツボった。

 

…って思っていたらすんなり店内に入れた。10分くらいしか待たなかった。

この店、とんでもなく回転率がいい。

 

おすみ4

店内はコの字型のカウンターだ。

カウンターの中央では威勢のいい店員さんたちが、それこそ"戦闘"みたいな感じでお客さんをさばいていた。

 

僕も指定されたカウンター席に座る。

頼むのはホルモン定食だ。あきらかに常連さん的な感じの人以外、みんなホルモン頼んでいたな。

ちなみにホルモン大盛にする人が多かったが、僕は普通だ。

 

おすみ5

店内は常に炒め物やら焼き物やらをしているので、スモーキーな感じ。

ふと後ろを見ると、壁のメニューもナイスなブラウンだ。

これを拝めただけでも嬉しい。

 

おすみ6

気合の入ったオーナーのじいちゃんがカウンター内をまとめ、次々に入ってくるオーダーをテクニカルに捌いている。

 

まずは水のグラスの上にお漬物の小皿を乗っけた状態のものを、カウンター越しに渡される。

間髪入れず、ご飯や味噌汁が出てくる。

そしてメインのホルモンのお皿だ。

 

おすみ7

うむ。ご飯はデフォルトでも結構な大盛だ。

ただそれを加味したとしてもちょっとホルモン少ないかなーと思ったりした。

ただ、それは最初だけだったと言っておこう。

 

とりあえず、いただきますだ。

 

おすみ8

ヤベ、これ、マジうまい。

 

ホルモンはプリップリで噛み応えバツグンだ。

そしてキャベツはシャッキシャキで、いい感じにホルモンからの脂をまとって輝いている。

 

そして極めつけはタレだよね。

甘辛で濃い味付け。ご飯が進むすすむ。このくらいご飯が無いとバランスが取れない。

悪魔の味だ。

 

おすみ9

グハッ…。食べ疲れた。

最初は「おかず少ないんじゃないか」とか思っていたけど、充分だ。

 

これすんごい腹に溜まる。少食の僕にはこれで充分。てゆーかもっと少なくっても余裕で満足できる。

おっかしいな。朝ごはん食べていないんだけどな。それが逆に胃を小さくしていたのかな?

 

お味噌汁はこれに反して味噌が薄めでスッキリした貝汁。

なごむー!うまー!

 

おすみ10

そして完食。おなかいっぱい。満足しすぎた。

 

オーナーのおじさんは常連っぽい人に、「3月末まではきっとやらないと思うんだ。もっと早く店を閉めちゃおうと思う」と語っていた。

後日調べたところ、3/27が最後だったみたいだ。

 

僕が訪れたのは本当に、閉店数日前のギリギリであった。

 

太陽

そしてこちらも人気の太陽さんだ。

からあげがうまいと聞いているけど、当然ハシゴするようなキャパシティはない。

太陽さんも忍者ドライブイン閉鎖後に移転しているそうなので、またいずれ機会があれば…。

 

 

最後の別れをするために

 

食後、僕は「もうこれで最後だ」と覚悟を決め、忍者ドライブインを後にした。

 

だけどもその2日後、なんかまた忍者ドライブインの前にいた。

うん、実は紀伊半島をグルーッと海沿いに一周して戻ってきた。

 

最後の訪問1

あ、別にご飯を食べるためではないよ。

残念ながら今回も太陽さんには行けないのだよ。

 

なぜなら今から数分前に、伊賀上野ドライブインの「おふく」さんでどて焼きを食べ、お腹がMAX状態だからだ。なんだったら満腹すぎてフラフラだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

そのあたりの詳細は上記をお読みいただきたい。

 

今回ここに来たのは、家族へのお土産などを買いにだ。

どこで買ってもいいのだが、どうせ買うならここで記念に買おうかなって思ってね。

そのついでに、店内を改めていろいろ見て回ろう。

 

最後の訪問2

2日前の曇天とは異なり、かろうじて青空だ。

それだけでも嬉しいな。

 

多くの人が最後の記念撮影をしている。

何10年もここに通い続けた人も多いだろう。子供の頃の家族との思い出が詰まっている人も多いだろう。

残念ながら僕はそういう思い出はなく一期一会に近い状態ではあるが、万感の思いで最後の雄姿を見上げるよ。

 

最後の訪問3

55年の歴史のフィナーレ。

1月下旬から感謝セールが開催されている。

 

最後の訪問4

おみやげ広場への入口のドア周りには、ミニフォトギャラリーが設けられていた。

10枚程度の写真であるが、忍にゃんの姿に胸がちょっとジンとなる。

 

お土産も買いたいが、その前にここから内部で続く、トイレコーナーやフードコートのほうを先に見てみたいと思う。

 

最後の訪問5

トイレだ。

忍者がデカデカと描かれている、外国人大喜びな仕様だ。

内部には忍者いるのか不明。今からでは遅いが、中にも入っておけばよかった。

 

最後の訪問6

続いてはフードコート。

年配の方やファミリーで賑わっていた。

久々に来る人も多いのかもしれないが、誰しもここに思い出があるのだろう。

…とか勝手に想像してセンチな気持ちになってみたりもする。

 

最後の訪問7

外側にはちゃんと忍んでいる忍者もいた。

襖ごしのシルエット、かっこいいじゃないか。

 

最後の訪問8

おみやげ広場内部だ。

もう閉店間際なので品薄になって来てはいるが、取り扱っている商品は非常にバラエティに富んでいる。

そしてお客さんもメチャ多い。すごい活気であった。

 

グルグルと5周くらいして、選んだのは定番の赤福であった。

どこでも買えるものだが、まぁいい。赤福好きだし。

 

閉店日のニュースでもピックアップされていた、長年勤めている一番声の大きいおばちゃんのレジで買った。

赤福2つーー!!!」みたいに叫んでいた。

よかった、恥ずかしいものを買ったわけではなくって。

 

最後の訪問9

昭和はどんどん遠くなる。

アナログなことが多く、決して「あの頃が良かった」と一概に言えるような時代ではないと思う。

 

だけども、どんな時代にも生きていた人はいて、みんな過去の思い出を大切に大人になっていく。

「あそこはまだあの頃のままだね」って言って、心のどこかでほっとできるような場所が、人生には必要なのかもしれない。

 

最後の訪問10

ここはきっと、多くの人にとってそんな場所であったのだろう。

 

エネルギッシュで型にとらわれることなかった時代の象徴。

ちょっと不便だったかもしれないが、このドライブインに訪れる人はみんな笑顔。

 

そんな場所だったに違いないと考える。

 

最後の訪問11

大人になるということは、いろんなことを経験しいろんなものを得る。

…だけではない。

きっと過去に出会ったいろんな物や人とお別れをしなきゃいけないってことでもあるんだ。

 

最後の訪問12

車に乗り込み、振り返る。

 

この後この施設は解体される。

最後の眺め。失われる昭和のドライブイン

 

せめてこの記憶と写真データに、ずっと残り続けますようにと。

たった2回だけのまともな訪問だったけど、ありがとうございました。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 名阪上野ドライブイン
  • 住所: 三重県伊賀市大内2017
  • 料金: さまざまにつき割愛
  • 駐車場: あり
  • 時間: 8:30~18:30(テナントは異なるケースあり)