「東京タワー」の足元にある「増上寺」。
東京タワーを見上げるビュースポットの1つとして有名だ。
先月、つまり2022年の6月も僕はここを散歩していた。
そのときには思いもよらなかったさ。
安倍元総理が銃撃され、そしてこの増上寺で葬儀を上げることになるだなんて。
歴史の1ページとして記したい。
僕の人生における記憶の1ページと記したい。
増上寺の思い出と、安倍元総理に献花しに行ったときのことを。
プロローグ:震災直後
2011年の桜の季節。
まだ日本は東日本大震災の混乱の渦中であった。
この日は、福島の原発事故の危険度数がレベル7と発表された。
過去にチェルノブイリしか例のない、最悪のレベル。なんてこった。
放射線は北半球全体にまで及んでいるらしい。
僕はフラフラと増上寺にやってきた。
別に仏教を深く信仰しているわけでもなければ、このお寺に思い入れがあるわけでも無い。
ただただ東京タワーを見上げたかったのだ。
1ヶ月前の震災で先端がちょびっと曲がっちゃった東京タワー。
増上寺の境内に咲く桜と共に見上げた。
2011年4/11(月)~16(土)の6日間、東京湾側(つまり増上寺側)にのみに「GANBARO NIPPON」の光のロゴが浮かぶんだ。
たった6日間だけ、しかも18:40~22:00までの非常に限られた時間のみのイベント。
ヘロヘロに疲れていた僕は、これを見て勇気をもらいたかったのだ。
そのためにここにやってきた。
なぁ、僕は被災地に対して何ができるのだろうか…。
新年を迎える増上寺
元旦に増上寺に行ったこともある。
年越しカウントダウンは別の場所でやったのだが、その後首都高を走ったりし、都心部をグルグルと徘徊したのだ。
増上寺に到着したのは元旦の早朝4時ごろ。
普段であればスヤスヤ寝ていて運転するどころではない時間だが、年越しという尋常ではないテンションが僕を突き動かしていた。
ちなみにここ付近の駐車場はアホみたいに混雑していた。
穴場の地下駐車場のみ、そこそこ空きがあった。
大殿という敷地のど真中の一番目立つ建物。
その背後にビカビカにライトアップされた東京タワーだ。
このライトアップパターンは"ダイヤモンドヴェール"という。
丸っこいLEDライトが無数に点灯しているタイプ。
ついでに東京タワーの足元まで行ってみた。歩いてわずかな時間だしな。
そしたら展望台待ちのすごい行列ができていて面食らった。
展望台は深夜は閉鎖されているけど、元旦の明け方に解放されるらしい。
初日の出をタワーの上から見るためにみんな並んでいるのだね。
付近の駐車場が満車だったのも、この人たちによるものだったのね。
この人たち、すっごい寒い中で座り込んであと数時間耐えるのか…。
頑張れッ!
とりあえず、敷地内にイルミネーションのトンネルが出来ていたのでくぐった。
なんだか知らないけどメンバー構成がハーレム的な感じだったので、女子たちとキャッキャしながら写真も撮った。
境内には模擬店もいくつか出店していた。
すげーな、夜通しで営業しているのだな。
何か食べたい気分にはなるが、実はちょっと前に新宿歌舞伎町でムシャムシャと夜食を食べたばかりなので、ここは匂いを嗅ぐだけとしよう。
こうして僕らは、初日の出スポットに向かって、再び車を走らせる。
梅雨迫る日の散策
2022年6月、少しコロナも落ち着いた世界の中、僕は増上寺を歩いていた。
とても蒸し暑い日であった。
これは境内の一番手前にある三解説門という巨大な門だ。
ちなみに屋根から東京タワーが突き出るよう見えている。
一度壊れて1622年に再建された門で、都内では最古クラスの歴史を誇り、そして門としての大きさは東日本ではほぼTOPなのだそうだ。
確かに巨大。
一歩足を踏み入れると身が引き締まる思い。
そして東京都心なのにとんでもなく広い空間が、この門の後ろに広がることに驚く。
お馴染みの、大殿と東京タワー。
後ろからは、ニョッキリと巨大なビルが育ってきているな。
門を入ってすぐ左手に、聖観世音菩薩が立っている。
これは1982年のホテルニュージャパン火災事件の犠牲者に対する慰霊碑。
宿泊客の寝タバコによる出火に端を発し、ホテル側のずさんな防火体制によって33名が死亡することとなった。
「詠唱発祥の地」の碑がその隣にある。
そうなのか。詠唱発祥はここなのか、初めて知った。
終戦直後の時代、路頭に迷っている人の心のよりどころとするために、この地で詠唱したのが始まりだったらしい。
鐘楼だ。深い緑の木々に囲まれている。
草木が一番勢いづく季節だ。
ジメジメした梅雨の日でなければ、決して嫌いではない季節なのだがね。
さて、もうしばらく増上寺に来ることは無いだろうな。
境内の脇道から東京タワーを見上げ、次第に近付いてくる雨雲から逃げるように、僕はこの地を立ち去った。
未来の君に、この事件はどう映る?
なぁ、遥か未来に生きる君よ。
2022年7月8日の「安倍晋三元総理銃撃事件」は、歴史の教科書には載っている?
それを習ったあなたの目には、どう映っている?
正直、まだ事件から10日も経っていないので、僕はまだ心の整理がついていないんだ。
選挙を控えた候補者の街頭演説の応援のため、台に登った安倍さん。
ほんの1分後くらいに後ろから、1人の男が手造り散弾銃で銃撃。
安倍さんは演説中にこぶしを掲げた状態のまま2秒ほど硬直し、「なに?」みたいな感じで後ろを振り向く。
その瞬間、第2撃の轟音が響き、安倍さんは慌てて台を降りたと同時にうずくまった。
SPの人たちは安倍さんのもとに駆け寄ったり、犯人を取り押さえたり。
銃社会の外国のSPとくらべるとかなり初動が悪かったようだが、そこいらの判断は僕にはできない。
安倍さんはほぼ即死に近く、この日の17:00すぎに死亡と発表された。
唖然とした。
僕はスマホのニュース速報で12時ごろにこの事件を知り、容体が極めて深刻だというので祈るように次報を待っていた。
17時台に届いた速報は、悲しい知らせであった。
この令和の時代に、こんな暗殺が起こるなんて。
そりゃ政治家だから反感を持つ人もいるだろう。
森友学園問題とかコロナ禍初期のアベノマスクとか、確かにわけわからんと思う。
だけどもだ。
それを暴力で訴えるなんて最低だ。
そこに銃を持ち込むのは、「自分より筆記テストでいい点を取ったヤツがムカついたので殴る」のと同じくらいに理不尽かつ幼稚だ。
そんなことで失われる命があっていいはずがない。
…と、いきなり安倍さんのことを語り出してしまい、大変申し訳ない。
次の項で、安倍さんの話と増上寺の話が繋がるのだ。
夜の増上寺にダッシュする僕
安倍さん銃撃事件から3日後、7月11日19:51の大門駅。
僕は息を切らせながら駅前に出た。
大門駅の"大門"とは、増上寺の大門を指す。
境内から見て300mほど手前に大門駅があり、200mほど手前に増上寺大門がある。
6月の散策から1ヶ月ちょっと。
こんなに早く、またこの場に来るとは思っていなかった。
安倍さんのお通夜と葬儀が、増上寺で行われるとのニュースを今日の日中に知った。
そして今日、7月11日がお通夜なのだ。
夕方のお通夜には、日本の政界を代表するそうそうたる面々が増上寺を訪れたし、海外からの要人も来たりしたそうだ。
そして、一般人も献花できるらしい。
Webで調べたところ、いろいろと情報が錯綜しているもののどうやら20:00までらしい。
あと9分…!!
いろいろ忙しく、この時間となってしまった。
それにごめん、実は花を持っていないんだ。ここで花を買ったら間違いなく遅刻する。
だけどもせめて手だけは合わせたいんだ。
だから向かう。
巨大な門、三解説門の前まで来た。
その向こうにはチラッと東京タワーも見えている。
しかしすごい人だ。増上寺への行き帰りの人も多くいる様子だ。
そして警察の数がすごいし、黒塗りの車も数台いる。
安倍さんは、内閣総理大臣として歴代最長の期間を務めた。
その日数は、なんと2822日間だ。
東日本大震災の混乱の抜けきらない2012年から第2次をスタートさせ、2020年9月の第4次まで続投。
未成年世代にとっては「総理大臣といえば安倍さん」くらいな感じであろう。
期間が短く外国からナメられがちな日本の総理の中で、ズバ抜けて長く勤めた。
震災復興から東京オリンピック開催へのバトン、コロナ時代への対応など、大きなイベントも多く生じた時代だったと思う。
世間から叩かれるようなことももちろんあったが、この増上寺に集まる人の人数、各国の首相クラスからの追悼の言葉などから、安倍さんの影響が非常に大きく、そして慕われる人物であったことがうかがえた。
…そういや僕もだ。
政治に関心があるわけでも、安倍さんが好きなわけでもない。
なのになんで息を切らせて増上寺まで来た?
長い期間日本の政治を背負ってくれた人に、ひとこと挨拶をしたいのだ。お別れを言いたいのだ。
きっとみんなそうだ。
先月、最後に東京タワーを見上げた境内横の路地に入った。
こっちが献花台らしい。
19:58。あと2分だ。ギリギリで間に合った…。
しかし境内への入口部分警察や関係者が入場者をブロックしていた。
「もう今日は終わりです。明日の朝は9時から15時までです。」と言っていた。
「通り沿いにいた警察官は『まだ大丈夫』と言っていたのですが!」と、花を持った誰かが反論していた。
周囲の僕らも、目の前の警官が「そういうことであれば…」と言ってくれることを少し期待したろう。
だけども結果ダメだった。
たぶん予想以上の反響だったのだろう。19:30ちょっと過ぎくらいに献花は終了したようだと後から知った。
みんなUターンし、トボトボと去って行った。
時価や服装からも、仕事帰りの人が多かったろう。
退勤後に急いで来たのだ。
それもまた、安倍さんの人徳だったのかもしれない。
…であれば。
献花台は境内の横に入口があったが、ここは境内の正面である三解説門から大殿に行こう。
献花できないのであれば、増上寺に参拝しよう。
僕は正面から増上寺の境内に入る。
大殿前に来た。お馴染みの構図。
東京タワーの今夜のライトアップは、インフィニティ・ダイヤモンドヴェール 海色 というもの。
もともとダイヤモンドヴェールは月曜だけのライトアップパターンなのだが、四季ごとに細かいパターンの違いがある。
ちょうど今日から夏のパターンが始まったそうだ。
多くの人が、境内にある増上寺光摂殿や増上寺会館の方を向き、そして手を合わせていた。
僕はドタバタしていてあまり情報を持ち合わせてなかったが、きっとあそこに安倍さんのご遺体が安置されているのであろう。
僕も手を合わせた。
献花台に飾られている安倍さんの写真にご挨拶をしたかったけども、これが今の僕にできる精一杯だ。
後ろを振り向くと、さっき入れなかった献花台エリアがあった。
そっか、そういう立地だったか。
大殿前にいる僕と献花台の間にはローピングがされていて献花台に行くことはできないが、物理的な距離はとても近かった。
そして、ちょうど今献花台の撤収作業が始まった。
僕も周囲の人も、その光景を見守った。
わわっ!
その大きいのは安倍さんのお写真!
その安倍さんにご挨拶をしたいこっちを向いてほしい!
…そう思ったが、その想いは成就しなかった。
献花台でご挨拶をできなかったという悔いは残ったが、しょうがない。
僕も撤収しよう…。
最後にダイヤモンドヴェールを見上げ、大門方面に歩き出す。
…ん?待て?
とにかく今のことしか考えていなくって耳を傾けていなかったが、あのときあの警察官は何と言ったっけ?
「明日の朝は9時から15時までです。」
確かそう言っていたな。
そして僕、明日の朝9時すぎくらいまでであれば、ギリギリ時間を調整できるかもな…。
明日はお葬式。
明日も行くか?
僕は僕らしく
翌日、7月12日の朝9時少し前。
僕は昨夜の場所に並んでいた。たぶん最前列から100~150人くらいの位置だ。
後から知った話だが、このあと行列がどんどん伸びて、隣の「芝公園」まで続いたそうだ。
ちなみにマスコミ、すっげぇ来ている。
9時になると50人単位くらいで5列になって境内に入る。
そしてグループごとに献花していくような感じだ。
スーツを着た関係者の方が、順次手にアルコールをかけてくれ、そして花を持っていない人には一輪ずつ手渡していた。
いろんな服装、いろんな年代の人がいる。子供もいる。
安倍さん、すごい人だったのだなぁ…。
10分ほどで献花台の前まで来た。
上の写真、左に見切れているのが大殿だ。
献花台は撮影OK。この別れを、この思い出を是非記録に刻んでほしいと。
ただし最前列は待っている人も多くいるので撮影しないように、とのことだった。
僕はかなり端の方からだったが、そっと献花台に華を置き、手を合わせた。
写真の中の安倍さんは最高の顔で微笑んでいた。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。
これまでずーっと長いこと、日本のこといっぱい考えてくれてありがとう。
安倍さんよりも日本のことを考えていた人、ほとんどいないのだろうな。
僕は政治のことはあまりわからない。
だけども政治ではない、誰にも負けない"旅・ドライブ"という分野では、日本のことをいつも考えているよ。
僕は僕なりに、これからもがんばるよ。
今回の件で、国民みんなの心に不安が生じてしまった日本。
まだまだ終息せず、第7波が始まりつつあるコロナ禍で混沌とする日本。
最後に振り返った東京タワーに、あの日の「GANBARO NIPPON」の光のロゴを重ねた。
そうなのだよ。
どんな道でも進まなきゃいけないし、否が応でも時間が流れるし、きっとがんばれば日本の未来は明るいはずなのだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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