あまり神社仏閣には食指の動かない僕であるが、「生島足島(いくしまたるしま)神社」は別だ!
ずーっと昔、日本3周目の前半でも訪れているが、日本6周目の終盤で久々に再訪することとした。
「何がそこまで僕を突き動かすのか」だと?
待ってました、いい質問だ。
それはね、この神社の境内に日本中央と書かれた石碑が立っているからだ。
僕は自問自答する。
「あなたは職場のグループの中心ですか?」
「あなたは友達の輪の中の中心ですか?」
「あなたは家庭…」
「あなtah ―
うるさいうるさい!!
好きで端っこにいるわけじゃないんだよ!
僕だってたまには日の目を浴びたいことだってあるさ!
なぁ…。
日本の端っこばかり追いかけていないで、日本の中央に立てば、何かわかるかなぁ…?
日本3周目の僕は、こうしてハンドルを握るのだ。
日本の中心を巡るということ
最初にあなたに断っておかねばならないことがある。
それは、日本の中心は1つではないということだ。中心なのに複数あるという時点で混乱させてしまったな、申し訳ない。
確かに、日本の中心は1つしかないと思われるのが一般的な思考であろう。
ただ実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状だ。
ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。
今回の記事は、その日本の中心の1つである生島足島神社が掲げる日本中央の碑にスポットを当てる。
ここは生島足島神社の公式Webサイトを見ても、そして数あるWebの中を検索しまくっても、「なぜここが日本の中央なのか」の答えが記載されていない。
そうなのだ。
日本の中心って概念が様々にありすぎて、そして複雑すぎて、把握している人が極端に少なくなってしまったようなスポットもあるのだ。
だから面白いのよ。パズルのようなのよ。
考えて・調査して・そして納得する。これすげーエクスタシーよ。
今回僕は生島足島神社さんに直接取材させていただき、納得できる解をいただけた。
最終章でご紹介するからワクワクしながら読み進めてほしい。
日本3周目の思い出
生島足島神社の最寄りの道の駅は、「道の駅 マルメロの駅 ながと」である。
5:20、車中で仮眠を取っていた僕が目を覚ました。
「寒い…」ガタガタ震えていた。室温計は2℃を指している。
5月中旬の信州の山間部をナメていた。
毛布1枚で足りるわけがない。羽毛布団を持ち込むべきだった。
真冬用の上着を着ることで、かろうじて寝ることがわ。
自販機で缶コーヒーを買って温まり、そして10数㎞北にある生島足島神社を目指したのだ。
6:00ちょいすぎの神社だ。
無料駐車場がついていて助かった。
想像していたより境内が広くて立派な神社だ。
早朝の冷たい空気がピンと張り詰め、神聖な感じが際立つ。
さて、お目当ての日本中央の碑はどこかな…とウロウロする。
なんか池にはガチョウやらカモやらがいて、しかもガチョウが僕を見たら興奮して近寄ってきてガーガー言うし、つっついてくるし。
好かれてるの?嫌われてるの?
どっちか謎なのだが、この静かな早朝にガーガー言われるのは近所迷惑になりそうでヒヤヒヤするのだ。
この神社では境内の池でこれらの鳥を放し飼いにしている。
神社の本殿は上の図のように、「神池」という名の池の上に浮かぶ「神島」にあるのだ。
すごい神々しいネーミングだ。
そしてこんないい感じのロケーションだから、鳥たちも大喜びで暮らしているというワケだ。
本題の日本中央の碑、パッと見つけられずに境内をグルリとしてしまったが、ちゃんと見つけたぞ。
神島に渡ってすぐの橋のたもとだった。
石碑の上部に日本中央と刻まれている。
なぜここが日本中央なのだろう?
日本3周目当時の僕も、もちろんそれは考えた。
そしてWeb検索した。
当時の僕は以下のような記載を見つけた。
この神社には、生島大神(いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)の2人の神様を祀っている。
どちらも日本国全体の御霊として奉祀されている神様である。
従い、この神社は太古より日本総鎮守として位置付けられ、それがすなわち日本中央なのだ。
神様のことは全然わからないが、とりあえず納得するしかなかった。
2022年現在は検索しても、上記旨はどこにも記載されていない。
今一度定義を確認したほうがいいだろうな。
そして、久々にまた生島足島神社を訪問してみたいな。
そう思って日本6周目の終盤を走る僕は、長野県に向かうのだ。
闇の中を徘徊する
2022年の夏、僕が再びやってきた。
あ、いきなり話が脇道に反れるが、生島足島神社の直前で撮影した以下の写真を見てほしい。
前方に滝があるっしょ。
すごくない?信じられなくない?
長野県のド真ん中に、こんなナイアガラ級の滝があるんだよ。知ってた?
…まぁこれ、雲なんだけどね。
しかし滝のような雲。僕はビックリしたさ。
写真じゃこのスケールを表現するのは難しいだろうけどさ。
ちょうどここの車載動画がある。
7秒しかないからぜひ見てくれ。
ね、とんでもないスケールでしょ。怖いでしょ。
わかっていただいたところで、生島足島神社だ。
まぁこんな感じで壮大な雲に浮かれていたら、すっかり暗くなっちゃったんだけどな。
ほぼ真っ暗で静かな境内に足を踏み入れる。
記憶の奥底にかろうじて境内のMAPが残っているが、暗すぎて参考にならないレベルだ。無事ウロウロと彷徨う。
ただ、暗い時間帯の神社って神聖な感じがしてスキだ。
ところどころに提灯の明かりがついているのも、またよかった。
大丈夫。ちゃんと僕は覚えている。
本殿の前に日本中央の石碑があったことを。境内の中でもメインに当たる部分なので、ほどなくしてそこ場所に到達する。
はい、かつてとほぼ同じ構図で写真を撮った。
石碑もきっと同じものだ。
「天皇陛下幣帛料御下賜」の立て札だけ新しい。2016年に皇室からの寄進を受けてなんやかんやしたらしいな、なるほど。
ホントはもうちょっと、境内のいろいろなスポットだとか池だとかをあなたにご紹介したいのだが、いかんせん暗くって何も見えないしいい写真もない。
ちょっと書くネタに困ってきたところです。
とりあえず日本中央の文字は石碑に控えめに彫られているので、でっかく映るようにもう1枚写真を撮ったところだ。
少し引きでもう1枚ご紹介する。
右側が日本中央の碑。そして左側に見切れているのが本殿だ。
はい、これが本殿だ。
生島足島神社は道路沿いにものすごく大きな電光看板(?)を出して存在をアピールしているが、本殿はかなり控えめな大きさだ。
もちろん、そのことを悪く言いたいわけではない。
先ほども書いた通り、生島大神と足島大神というかなりの権威のある2人の神様を祀っている、すごい神社なのだそうだ。
では、次の項では日本中央たる所以について、掘り下げていこうか。
なぜここが日本中央?
生島大神・足島大神
まずは生島足島神社の由緒から紐解いていこう。
この神社の主祭神は、生島大神と足島大神の2人だ。これは前項や前々項でも触れたね。
この2人がどんな力を持つ神様なのかというと、Wikipediaさんによると以下の通りだ。
『生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。』
ぶっちゃけよくわからないし、僕個人は耳馴染みが無いけど、とりあえずすごいらしい。
さらに小難しい話になって恐縮だが、上記にWikipediaさんの「宮中・京中の式内社一覧」の項を取りあげる。
これは平安時代に書かれた「延喜式(えんぎしき)」っていう法律文書みたいなものが元になっているのだが、この中に生島神と足島神の文字がある。
何が言いたいのかっていうと、生島大神と足島大神は西暦900年ごろには既に書物に登場していて、かつ朝廷との縁も深い神々だっていうこと。
ここまでは、なんで生島足島神社が日本中央かを調査したり取材するにあたり、最低限知っておかねば失礼な知識かなって思い、苦手ながらも理解した。
神社に取材する
生島足島神社がすごいらしいことはわかった。
しかしすごいことと日本中央であることとは別物だ。
なんでここが日本中央なのか。
2022年現在、Webを検索すると「地理的に日本のほぼ中央だから」・「長野県のほぼ中央だから」と書かれている個人のWebサイトがチラホラと出てくるのだが、それを信用していいのか。
そして、僕が本当に知りたいのは、「どういう根拠で地理的に日本のほぼ中央なのか」だ。
メンドくさい思考の人間でごめんなさいね。
お仕事でもこのくらいの探求と追及を重ねられればいいんだけど、お仕事はすごいアッサリでいつまで経ってもダメ社員なの。…って何言わせるんじゃい!
とにかく僕は、生島足島神社さんに質問をした。
ブログに掲載すること前提にいろいろ教えてくれって言った。
そして情報をいただいた。
詳細な地理的計測ということではない
はい、まずは現在Webで調べられる大半の事由がバッサリ否定されてしまった。
聞いてみるもんだな、こりゃ。
じゃあなぜ日本中央なのか。
御祭神である生島・足島大神が、その時代の国の真ん中あたりでお祀りされて来られた
この、その時代の真ん中の例として、今でも生島大神と足島大神を祀る神社が近畿地方に数社あることを教えてもらった。
近畿地方は、かつての政権の中心だしな。
前項で取り上げた通り、"朝廷との縁も深い神々"ってことだな。
東日本で生島・足島大神をお祀りしている神社は当社のみである
そうなのか。
確かに東日本を主な拠点としている僕は、これらの神様の名に馴染みがなかった。
ここ生島足島神社でしか聞いたことがなかった。
…ん?
さっきは「生島・足島大神は、基本的にその時代の国の真ん中あたりで祀られてきた」という旨のコメントをされていたよね?
ここ長野県は日本の政治の中枢だったことはないのに、なんで生島大神と足島大神を祀っているの?
日本列島の地図は誰が見ても長野県・群馬県・岐阜県あたりを真ん中辺と見ると思いますが、正確な地図の無かった古代に当生島足島神社が鎮座する東信濃小県郡の地に生島・足島大神をお祀りしたということが凄いことだと思う
僕は正直ここで少し混乱した。
ちょっと時間を置いて今一度主旨を分析していこうと思う。
- 生島大神と足島大神は基本的に政治の中枢の場所に祀られる
- だけども例外的に長野県に1箇所だけ祀られているのがここ
- それがなぜかというと、政治の中枢じゃないんだけども地理的に日本の真ん中あたりだから「例外的に生島大神と足島大神を祀ろっか」ってなったから
- (昔の人が長野を地理的な日本の真ん中だとわかったの、スゲースゲー!)
…ということか。
自分なりにもっと噛み砕き、解像度を低くして表記するなら、以下のような感じかな。
- 政治の中心のシンボルがある。
- そのシンボルが長野県から見つかった。なんでだろう?
- 長野は地理的な中心だから、「1」との"中心繋がり"でシンボル作ったんだね。
100%の腹落ちはしていないが、ひとまず理解はできたぞ。
中央なのか中心なのか
取材ネタはもう少しだけ続く。
生島足島神社さんは2点の留意点を僕に提示してくれた。
この由縁は古文書等の文献ではなく、古くからの伝承で言い伝えられて来ている
うん、いいじゃない伝承。
確固たる文字の根拠はないが、古来から人から人へと脈々と伝えられている内容なのだ。
それを文字にしてしまう僕はヤボなのかもしれないが、ブログ掲載前程の質問なので許してほしい。
「日本中央」という言い方は近代的、東京の表現ですので、古くからの「日本の真ん中」の表現でお願いしたい
ムホホホホ…!!ちょっと待って、ちょっと待って!!
境内の目立つところにゴチーンと日本中央の碑を建てておられますが!?
自分で名乗っておいて、それに同意しようとすると否定しちゃう感じですか!?
例えると、「ほら、私ってブスだからさ~」って言ってくる女性に対し、「そうだね、君はブスだなー」って同意を示すと鬼のようにキレられる現象と一緒?
ほら、この看板の右下にも「日本の中央」って書いてあるしさ。
近代的で東京的な表現…っていうか、書いてあったら読み上げちゃうって。
近代的で東京的な人じゃなくて、江戸時代の鹿児島人が今ここにタイムスリップしてきても、「日本の中央」って読んじゃうって。
うん、だけども『古くからの「日本の真ん中」の表現でお願いしたい』についての意図は理解したから、僕はこの記事内では石碑等の読み上げ以外については日本中央の単語は使っていない。
何より今回の取材で、生島足島神社さんがいろいろ丁寧に解説してくれたことに感謝しかない。ありがとうございました。
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日本中央を掲げながらもそれを否定し、日本の真ん中を名乗る神社…。
最高に面白いじゃないか。
そりゃ僕のもう1つの得意分野、日本の突端岬巡りも面白いけれども。
日本の中心巡りはこうやって考える余地があるから、面白い。
まだ誰も踏み込めていない領域、あるかもしれないんだぜ。
日本中央の電飾に背中を照らされながら、僕は生島足島神社を後にする。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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