週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.160【栃木県】50年続くコーヒー屋台「カフェ・アラジン」!!ランプの光の下で語ろう!

もしあなたが夜道を歩いていて…。

道端にランプの火が揺らめく小さなコーヒー屋台があり、香ばしい匂いが周囲に漂っていたとするならば。

 

おめでとう。

それがあなたと「カフェ・アラジン」との出会いだ。

 

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ちょっと立ち寄ってみると良いだろう。

マスターも、そしてきっと他のお客さんたちも話好きの良い人たちだ。

コーヒーを飲みながら繋がるご縁は、なんだか渋い大人の世界のようで心地良い。

 

一期一会かもしれない。

だがその素敵な思い出は、ずっとあなたの中で生き続けることとなるだろう。

 

 

夏の夜の蛍火

 

今回のお話は、足利市で50年以上続く、世にも珍しいコーヒー屋台だ。

話は数年前にさかのぼる。

 

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真夏の夜の出会い1

僕は夜の足利の町を歩いていた。

実は足利にはお気に入りのバーがあり、さっきまで旅友の「ニコル君」と落ち合って飲んでいた。

 

そこから歩いて行ける距離に、夕方から夜だけOPENするコーヒー専門屋台があると最近知ったので、そこを目指して歩いている。

コーヒーも喫茶店も大好きな僕としては、是が非でも行ってみたいスポットだ。

 

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真夏の夜の出会い2

その屋台が現れた。

この光景を見ただけで、僕は危なくキュン死しかけたね。

なんというロマンティックなロケーションなのだろうと。

 

上の写真には写っていないが、屋台の裏側や側面にもイスやテーブルがいくつか置かれ、10名近いお客さんが談笑していた。

23時過ぎの暗くて静かな街中で、ここだけスポットライトが当たっているかのように暖かい空間であった。

 

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真夏の夜の出会い3

僕がここに来たときには、10席ほどの座席は全て埋まっていた。

 

ちょっとマゴマゴしていると、他のお客さんがすぐに予備のイスを取り出してくれた。

そしてすぐに「どこから来たの?」・「今日はにぎやかだね」みたいな世間話の輪に入ることができた。

 

なんだかお客さんみんな、とてもフレンドリーなのだ。

僕は「ドミトリーとかの旅人宿の雰囲気に近いな」って感じた。

行ったことは無いが、それはきっとスナックとかの人間関係にも近いのだろう。

みんな温かく、そして楽しい雰囲気の空間であった。

 

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真夏の夜の出会い4

僕が数100㎞離れた遠方から来ていることを知ると、屋台のカウンター席に座っている2人組の人が「せっかく来たなら特等席でどうぞ。僕らはいつも来ているから。」と譲ってくれた。

最高の計らいだ。感謝あふれる。

 

目の前でマスターの「次郎さん」が「一気に10名分かぁー、よーし!」と言いながらネルドリップで大量のコーヒーを作る様子を見ることができた。

ワイルドな風貌で繊細な作業をする次郎さん、マジかっこいい。

 

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真夏の夜の出会い5

ありがたきコーヒーだ。

 

僕の前後でバタバタとお客さんが来ていたらしく、コーヒーの登場まで30分近く待っていたが、お客さんや店主の哲夫さん・次郎さん兄弟との会話が盛り上がって全然苦ではなかった。

むしろ楽しすぎてコーヒーのことを忘れかけていた。

 

一口飲み、「うめぇ…」って思わず声が出た。

僕はそんなにコーヒーの知識があるわけでもないのでうまい表現はできないが、しっかりした味、ほど良い苦みが効いていて、僕好みであったのだ。

 

何より深夜でちょっと涼しくなったこの時間に、胃の中に温かく流れ込むコーヒーが心地よかった。

 

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真夏の夜の出会い6

カフェ・アラジンは、40数年前からずーっとこの地でやっているコーヒー屋台だ。

メニューは1杯400円のコーヒーのみ(初訪問時の価格であり、2021年現在は異なります)。

バリエーションメニューも無ければフードメニューもない。

 

それでも40年以上も続いている理由とは。

それはもちろんコーヒーがおいしいこと、そして哲夫さんと次郎さんの人柄。

これに尽きるだろう。

 

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真夏の夜の出会い7

僕はこの初回訪問前に、WebやTV番組等でこのカフェ・アラジンのことを予習していた。

だからこそ、感動もひとしおであった。

その一部をあなたにもご紹介しよう。

 

  • 1971年に創業。
  • 1代目店主は現在の店主の哲夫さん・次郎さんのお父さん。元外国船コックであり、中東で見たコーヒー屋台を再現しようと、65歳で屋台を始める。
  • 哲夫さん・次郎さんがサポートに入る。
  • 創業10数年で1代目店主引退、以後哲夫さん・次郎さんにて営業を続けてきた。
  • ミルもポットも創業当時のもの。すごい年季入っていて貫禄ある。

 

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真夏の夜の出会い8

今回、次郎さんとは東北地方の温泉やツーリングの話で盛り上がった。

次郎さんはライダーで、東北大好きなのだ。

 

そして、常連さんと思わしき人や次郎さんから話を聞いたのだが、以前にここの常連だった人が宮城県登米市で自家焙煎コーヒー店をOPENさせているそうだ。

そこを勧められた。

 

そのお店の名は「coffeeiPPO」。

"イッポ"と読む。マスターの名前だ。

 

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iPPO1

後日実際に行ってみたら、すんごい山奥のとんでもないところだがお客さんも多く雰囲気も良く、コーヒーもケーキもメチャクチャうまい。

 

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iPPO2

何度も通った。足しげく通った。知人にも紹介した。

iPPOのマスターとカフェ・アラジンの思い出トークもした。

 

…といろいろ語りたいことはあるのだが、それはいつかcoffeeiPPOの記事を書くときに詳しくご紹介しよう。

 

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真夏の夜の出会い9

楽しい時間はあっという間に過ぎた。

もうすぐ24:00という時間であるが、まだ屋台は賑わっていた。

 

最後に常連さんに記念写真を撮ってもらった。

2021年現在、貴重な思い出となっている写真だ。

 

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真夏の夜の出会い10

少し歩いてから振り返った屋台は、暗闇に灯るホタルの光のようにも見えた。

屋台の周囲だけ、日常から隔離された幻想的な空間であった。

 

早い話が、最高に楽しかったしおいしかった。

 

 

深夜の残滓

 

数年が過ぎた。

コロナ禍でなかなか思いように外出できない時期が続いていた。

 

そんな折、カフェ・アラジンにかつてない危機が訪れていたことを、僕はWebニュース等で知っている。

 

「カフェ・アラジンが営業している区画が工事により消滅するため、立ち退き命令が発生」というものだ。

あなたは「屋台なんだから自由に場所変えられるでしょ?」って思われるかもしれない。

 

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瀬戸際の攻防1

しかし、外野の僕が知ったような口を利くこともおこがましいが、そんな簡単な話ではないのだ。

 

給水とかトイレの問題もあるし、なにより先代の時代から50年もこの場所でやって来たのだから思い入れもひとしお。

マジに閉店の危機となり、多くの人がアラジンを守ろうと署名運動まで開始し、ワチャワチャした2021年の春と夏。

 

何より2021年9月16日はアラジン50周年記念日。

それを目前に閉店してしまったら残念なんてレベルの話ではないし、仮にそうでなくても今の場所で50周年を迎えたい。ずっと続けてきた場所だから。

 

僕もドキドキしながら続報を待った。

7月上旬だっただろうか?

移転先が見つかったとニュースで見て安堵した。

 

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瀬戸際の攻防2

だがしかし、工事開始は着々と迫っている。

いつまでアラジンは今までの場所で営業できるのか…!?

 

工事本格化が2021年8月からと言われていたので、カクゴを決めていた人が多かった。

だけども、どうやらこれまでの場所はもう少しだけ工事の影響を受けずに済むようだし、店主さんたちもギリギリまで場所を変えずに営業を続けたい意向だ。

 

8月に入ってほんの少し経ったタイミング。

僕は再びアラジンに車を走らせる。

 

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瀬戸際の攻防3

東京オリンピックの真っただ中だし、首都圏はコロナウィルスの緊急事態宣言が発令中だ。

しかし、夕方から夜にかけて東北道(&その近辺)をどうしても走らなければいけない理由があったのだ。

 

夜通し走るのも困難なので、足利市に宿を取った。

アラジンでコーヒーを飲んだらチェックインしようと、そういう算段だ。

直前にアラジンの営業状況も調べた。

まだ"あの場所"で営業している!よしっ!

 

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瀬戸際の攻防4

ただ、うまくはいかなかった。

 

不測の事態で予定が多いに狂い、3時間ほど遅れていた。

足利に着くのは24時近くになってしまう。

アラジン、もうやっていないだろうな…。

 

しかも日中快晴だったのに23時過ぎに雨が降って来た。最悪だ。

アラジンは雨だと営業ストップする。

 

それでも僕は宿を取った足利に向かわざるを得なかった。

もはやアラジンが営業している可能性は1%もないだろう。

でも、遠くからでもチラリといつもの場所にあの屋台を確認できれば満足なのだ。

きっとそれが最後の、あの場所での営業風景だ。

それを見たかったのだ。

 

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瀬戸際の攻防5

うん、跡形もねぇ。

 

アハハ、そうだよね。知っていたよ。もう24時を回っているしね。

それでもこの場所に来たかったんだよ。

 

間もなく工事が始まるのだろう。

屋台があったすぐ背面はポールで通行止めの措置がされていた。

 

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瀬戸際の攻防6

いよいよ工事が始まるのだな…。

この場所も見納めか。

 

ふと屋台があった場所の地面を見てみると、濡れていることに気付いた。

 

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瀬戸際の攻防7

屋台を片付けた跡だ。

哲夫さん・次郎さんはほんの少し前までここにいたのだ。

どこかで「屋台の片づけには1時間近くかかる」と聞いたことがある。

もしかしたら擦れ違いだったのかもしれない。

 

痕跡を見られただけで、少しだけ満足した。

このコロナ禍では、2021年9月16日の50周年を迎えるまでに再訪はできないだろう。

遠い地でそれを祝おう。

 

 

秋に揺らめく仄光

 

2021年10月の頭から、首都圏をはじめとする各地の緊急事態宣言が解除された。

まぁだからと言って油断はできない。

およそ1ヶ月を慎重に様子見した。

 

遥かなるカフェ・アラジンを目指して愛車のアクセルを踏んだのは、それからのことだった。

アラジンはもう、新しい地に移転している。

 

懐かしい足利の町にやって来た。

てゆーか、どこ?新アラジンはどこ?もしや今日は営業していない??

車でキョロキョログルグルし、ようやくとある駐車場の奥に仄かな光を発している屋台を発見した。

 

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50年目の屋台1

 

新・アラジン!!

 

「開倫塾」という塾の駐車場を借りて営業できるようになったのだ。

次郎さんに聞いてみたところ、駐車も屋台のすぐ脇の開倫塾でよいそうだ。

これは車で来る身として便利になった。

 

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50年目の屋台2

しかも、ちょっとわかりづらいかもしれないが頭上にはカーポートという駐車場用の屋根がある。

今まではにわか雨が降ってきたら屋台はさんざんで、撤収作業のうちにズブ濡れだと次郎さんは言っていたが、これで安心だ。

 

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50年目の屋台3

さらに車道脇ではなく駐車場なので、ゆったりと綺麗な形でテーブルやイスが置かれている。

 

ステキだ。

道路脇に忽然と現れるあの風景も好きだったが、これはこれで居心地最高だ。

 

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50年目の屋台4

「50年」と書かれたプレートが見えるだろうか?

この訪問の1ヶ月半ほど前、アラジンは偉業を成し遂げたのだ。

僕もWebでその様子は見た。あの場にいたかったが、無理だった。

 

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50年目の屋台5

でも、次郎さんに「50周年おめでとうございます」と直接言えた。

あと、移転成功と聞いてホッとした旨を伝えることができた。

 

次郎さんから聞いたところによると、この場所で営業することとなったのは10月10日から。

明日でちょうど4週間になるそうだ。

以前の場所と同じ通り沿いで、かつ200mほどの移転距離。

…とは言えいろいろと勝手は違うだろうが、なんにせよ良かった良かった。

 

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50年目の屋台6

コーヒーが運ばれてきた。

今回はテーブル席だ。

ランプの光に照らされるコーヒーは、非常に美しく感じるな。

 

そしてテーブルの上に飾ってあるのはユーカリ

カーポートにも束ねて吊るしてあった。

その理由を次郎さんに聞いたはずだが、内容は忘れた。

 

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50年目の屋台7

うまい。

 

コーヒーがうまいのはもちろんだ。

しかし、味がロケーションに左右されるのもまた事実だ。

 

超一級のフランス料理であっても、タッパーからガツガツ食べたりしたらおいしくないでしょ?

食事には、環境だとか誰と食べるかの要素も大事だ。

そういう意味を全部ひっくるめて、僕は「うまい」と言った。

 

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50年目の屋台8

ヒンヤリ涼しい秋の夜に、ランプの光を見ながらコーヒー。

そしてみんなと談笑する。最高かよ。

 

次郎さんには、宮城県のcoffeeiPPOに何度も行った旨と、教えてくれたお礼をした。

宮城県の「追分温泉」がメチャ最高という共通の話題で盛り上がったり、気仙沼・釜石・東北日本海を走る話でも盛り上がった。

人種が似ている。

 

ついでに8月にここまで来たのに閉店直後っぽかった旨も話した。

どうやら22時すぎ~23時頃で完全に閉店しているようだ。

…だよね。

でも、今日来れて良かった。

 

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50年目の屋台9

話が尽きないのでお替りした。

 

次郎さんは「先日、NHK栃木でこのお店のことは放送されたので見てくれ」と言う。

ご自身のスマホをテーブルに設置してくれた。

アラジンのかつての場所の最終営業日の状況、そして新天地であるここでの営業初日の様子が取り上げられていた。

 

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50年目の屋台10

スマホの画面ではよく見えなかったのだが、次郎さんが「最後のシーンで屋台の上を流れ星が飛ぶから、自宅で絶対見てくれ」と言う。

 

帰宅後にちゃんとの大画面から神懸かり的なタイミングでの流れ星を見て、次郎さんに「見たよ」と報告した。

すごかったね。

 

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50年目の屋台11

こうして僕は有頂天でアラジンを後にする。

…あ、だがしかしだ。

50年営業を続けてきた"あの場所"もきちんと見ておいた。

もう工事のフェンスが高々と設置されていた。ここも見納めなのだね。

 

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50年目の屋台12

 

 

冬を迎える大輪の花

 

さぁ、また来たぞアラジン!!

 

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寒風と闘う1

嬉しさのあまり、車を飛び出てすぐにシャッターを切ったらこうなった。

無邪気だろ、僕。

 

いや、でも本当に嬉しかったのだから聞いてくれ。

話が長くなるので写真を羅列しながら話すので聞いてくれ。

 

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寒風と闘う2

冬ももう目前のある日のことだ。

実は今日はね、遥々コーヒー好きの母親を連れてきたの。

誕生月祝いだ。

 

雨だと営業しないアラジンだけど、今日の天気はアホみたいな快晴

それはそれでいいんだけど、アラジンにはもう1つ営業できない条件があって、それが強風

 

この地域に冬に吹き荒れるからっ風を知っているか?

そりゃもう寒いし強いしで、屋台営業には厳しい条件なのだ。

 

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寒風と闘う3

前日、次郎さんがSNSにて「明日の風が心配」みたいなことを呟いていた。

 

「うわーーー…」って思った。

このパターンは営業できないヤツだ、って思った。

ま、だけども足利行くけどね。足利に宿まで取っちゃったもんね。

 

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寒風と闘う4

今日の昼の時点でも、「今日の営業ビミョー」と書いてあった。

ダメだこりゃって思った。実際風強いし。

 

足利に向けて運転しながら、ときどき車を停めてSNSをチェックしていた。

太陽が西に傾いてきたころだった。

「防風ネットの効果を試すためにも、営業してみる」と次郎さんがSNSに書いていた。

 

やっっったーー!!

 

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寒風と闘う5

あとは、防風ネットの効果を願うのみ!

からっ風に次郎さんが負けないことを願うのみ!

 

こうして、空が真っ暗になるとほぼ同時にアラジンに到着したのだ。

冒頭の写真が嬉しさで大きく手ブレしたのも、これでご理解いただけただろう。

 

次郎さんは「おっ、ちょっと前にも来たよね?」と迎えてくれた。

嬉しい。

 

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寒風と闘う6

改めて、アラジン冬バージョンを一歩引いて見ていただきたい。

カーポートに防風ネットを取り付けて、蚊帳のように2面を覆ってある。

 

かつての立地でも風対策はしていたんだけど、次郎さん曰く「今日の風は以前だったら絶対に営業しない」とのこと。

だからこそ次郎さんはこの新天地でも防風具合をいろいろ気にしていたけど、僕はなかなかにディフェンス力があるぞって思った。

 

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寒風と闘う7

ただ、この時期の夜の屋外だからなかなかに寒かった。

 

今回はカウンターの特等席。

後ろにはストーブが設置してあったし、ブランケットも持参したのである程度大丈夫だったけど、やっぱ寒いと言えば寒い。

(もちろん真冬も毎日続ける次郎さんや哲夫さんのほうが過酷な環境だが)

 

だからこそコーヒーありがたい。

結構なスピードで1杯目をいただき、母と共に2杯目お替りだ。

 

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寒風と闘う8

次郎さんや後から来た常連さんに、今回僕がここを訪れた目的などを話した。

喜んでもらえた。僕も嬉しい。

あなたももしコーヒー好きならば、ぜひここを訪問してくれるとさらに嬉しい。

 

なんだかんだで今回も寒空の下、1時間ほど楽しく過ごした。

来訪ノートにコメントを残したり、アラジンが取り上げられた雑誌を読ませてもらったりした。

 

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寒風と闘う9

次郎さんに「織姫神社」を勧められた。

「ここから車で5分、徒歩30秒。ライトアップ最高だからぜひ見て行って。」と。

 

僕は少し考えた。

足利の町を走っているときに、ライトアップされた織姫神社は見ている。

そしてこのあとは夕食の予約がある。

…だけども、ちょこっと見ていくくらいは大丈夫だろう。

なによりせっかく地元の人のおススメ、こういうのは大事にしたい。

 

車に乗り込んで織姫神社に向かうことにする。

次郎さんは車のそばまで来て僕らを見送ってくれた。

今回もありがとう!また来ます!

 

*-*-*-*-*-*-

 

5分後、織姫神社駐車場に着いた。

小高い丘の頂上付近の駐車場だ。

 

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織姫神社1

ほとんど真っ暗でわからないが、確かに駐車場からフラットな歩道を数10m歩けば境内のようだ。

 

そちらに向かおうと歩いているとき、遠くから「ドーン」・「ドーン」と音がする。

何?もしかして花火??

 

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織姫神社2

境内に出た。

写真がブレているのは、例の音の正体を確かめるために小走りで来てしまったからだ。

足利の町の夜景を見下ろせる素晴らしい立地であった。

 

そして… … !

 

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織姫神社3

 

花火だ。

 

 

もしかして次郎さんはこのことを知っていて、僕に熱心に織姫神社を紹介したのか?

Webで調べてみると、『足利青年会議所(JC)は11月下旬以降の年内に、日時と場所を秘匿した「あしかがシークレット花火大会」足利市内で開く』と書いてあった。

 

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織姫神社4

後日、次郎さんも「自分も全然知らなかった」と語っていた。

マジか!

完全にサプライズであった。なんという偶然よ。

 

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織姫神社5

旅先の町で偶然出会えた、サプライズ花火。

短い時間ではあるが、冬を迎えようとするこの町の空に、大輪の花が咲いた。

 

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織姫神社6

そしてこれが、次郎さんが紹介してくれた織姫神社のライトアップだ。

幻想的で竜宮城のように、暗い夜空に浮かんでいた。

 

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織姫神社7

織姫神社は縁結びの神社。

 

アラジンで人と出会い、織姫神社で花火と出会い。

こういう出会いが旅の醍醐味だよね。

 

それはね、まるでアラジンのランプから出てきた一夜の魔法のようだったよ。

 

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Thanks

また暖かくなったころ、僕は足利の町へ行くだろう。

夜だけ魔法のように現れる、あのコーヒー屋台を求めて。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: カフェ・アラジン
  • 住所: 足利市旭町847-12開倫塾駐車場
  • 料金: コーヒー¥500
  • 駐車場: 数台あり
  • 時間: 夕方~22:00頃(季節や天気で変わるので、Twitterで確認を)

 

No.159【鳥取県】活力の欲しいあなたにヤル気地蔵!もうすぐ年末年始だ、気合入れろよ!

結局のところ、人間の原動力は"やる気"なのですよ。

ほら、「元気があれば何でもできる」っていう名言があるじゃないですか。

裏を返せば元気がなければ何もできないのですよ。

 

…さて、今回ご紹介するスポットは「やる気地蔵」だ。

漢字で書くと「弥留気地蔵」だ。

 

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あ、もしかして「どうせ地名かなんかのこじつけでしょ?」って思ったよな?

確かにそういうスポットは多い。

 

宮崎県の土々呂(ととろ)集落には「トトロのバス停」があるし、鳥取県の羽合(はわい)の町はまるでハワイのようだ。

 

ただ、ここは違うんだ。

ガチのやる気だ。

そこから名前を付けた、正統派の体育会系熱血地蔵尊だ。

 

さぁ気になって来たな。

あなたはどうする?ちなみに僕は気になって会いに行ってきた。

 

 

紅葉に染まる佐治川ダム

 

晩秋のある日であった。

もう冬本番が直前までやってきている、ギリギリのある日であった。

僕は鳥取県岡山県の山間部を縦横無尽にドライブしていた。

 

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佐治川ダム1

このツーリングマップルの記載を見てくれ。

山間部をグネグネと走る国道482号沿いの「佐知川ダム」の東端くらいに、弥留気地蔵という記載がある。

『参拝をすれば「やる気」がアップ!』なのだそうだ。

 

国道482号を走る以上、立ち寄るしかないだろオイ!…って思った。

ありがたき生命力をいただきたい。

 

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佐治川ダム2

そんなこんなで、鼻息荒く佐治川ダムだ。

 

山深い秘境ダム。

冬は湖面が凍るというレアな特徴を持つダムだそうだ。

それだけ山深いってことだ。

 

周囲一帯が見事に紅葉しているな。

まだ朝早く日が昇ったばかりなのでちょっと湖面は暗いもの、見事な水鏡を演出してくれている。

 

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佐治川ダム3

少し走り、ダムの堤体がやや近くに見えるところまでやってきた。

 

目を引いたのは、写真中央に聳える円柱状の建物だ。

どうやら取水施設らしい。なんともかわいらしくて絵になる。

 

そして湖面に映る山が綺麗すぎる。穏やかで波1つ無いのだ。

風も無ければ人も車もずーっと見かけず、だから音も聞こえない世界。

もしかして、この世界は僕を残してみんな消えちゃったのだろうか?…って思えるほどであった。

 

そのくらいに神秘的で幻想的な世界観。

 

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佐治川ダム4

見上げる紅葉も綺麗だ。

こんなに山は色付いているのに、昨日の日中はシャツ1枚で過ごせるほどの陽気だ。今日も日中はそのくらいの気温になるらしい。

 

紅葉もこの陽気も、秋の最後の贈り物だろう。

2・3日後にはここ、雪が降るそうだからな…。

 

 

集落奥で輝くお堂

 

この佐治川ダムのすぐ東の集落内にいらっしゃるのが弥留気地蔵である。

 

国道からの距離はそんなに長くはないが、集落内の道は笑みがこぼれるほどに細い。

僕は国道にいる時点で嫌な予感がしたため、国道沿いの駐車帯にうまく愛車のHUMMER_H3を停めておいた。

 

ここから歩く。

 

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弥留気地蔵1

結論、それでよかった。

軽自動車とかならともかく、HUMMER_H3で対向車が来たら完全に摘んでいるところであった。

 

改めて2021年12月現在で最新のGoogleマップを見ると、弥留気地蔵から150mほどのところに10数台分の駐車場と公衆トイレらしき綺麗な施設がある。

 

 

ここを使うのが無難と思われるが、国道からここまでも狭いので気をつけよう。

 

さて、僕はテクテクと国道から7分歩いた。

集落から山の斜面に続く狭い路地へと入り、しばらく坂を登った先にお地蔵さんを祀るお堂があった。

 

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弥留気地蔵2

これが弥留気地蔵と集落を一望する構図である。

 

まだ朝だから集落内では太陽は山に隠れて日陰であった。

しかしやや高いところにあるお堂の周辺だけ太陽がピカーッって照っていた。

早速神々しい。ありがたい。

 

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弥留気地蔵3

あと、近くのイチョウの木が最高に綺麗に紅葉していた。

もっとちゃんとイチョウにフォーカスして写真撮影すればよかったと、あとから後悔した。

手前の屋根、いらなかったよね。

 

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弥留気地蔵4

では、弥留気地蔵をご紹介しよう。

 

彼は、このお堂の中にいる。

左右を「やる気」・「やる気」と(漢字で)書かれた幟や提灯に挟まれて鎮座している。

もう本当にやる気の神って感じだ。

 

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弥留気地蔵5

まだその顔は良く見えない。

周囲を取り巻く「やる気」の文字が暑苦しいのだけはよくわかった。

 

たぶんお地蔵さん本体も、めっちゃ暑苦しいスポ根あふれる顔をしているのだろうと推測していた。

彫りが深くて眉毛が太くて、金剛力士像とか不動明王みたいだったら優勝だ、って思っていた。

 

…そしたらだ。

聞いてくれ。

 

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弥留気地蔵6

割と淡白なお顔立ちであった。

 

いや、人の外見にあーだこーだと言いたくは無いのだが、なかなかにやる気なさそうな顔だなって失礼ながら感じた。

これ、月曜朝の出勤前の僕と同じ顔じゃないかって思った。

 

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弥留気地蔵7

「人生オワター」みたいな顔だ。

カップ焼きそば作るとき、お湯きりする前にソース入れちゃったことに気付いたときの顔だ。

 

いいけど。

ご利益あるなら全然それも良し。

 

 

やる気をくれ、この僕にも

 

冒頭でも少し書いたが、弥留気地蔵はマジにやる気を授けてくれる設定のお地蔵さんだ。

「為せば成る」をスローガンとして製作された。

 

近くにあった説明板に書いてあったのだが、芸術家の「水野邦雲さん」っていう人が「やる気地蔵っていうのを作るぞ!」って発起して1977年に造ったのが、この弥留気地蔵だそうだ。

 

ちなみに水野さん、「やる気おじさん」と呼ばれており、やる気マラソンややる気キャンプなど様々な企画を作り出したのだそうだ。

バイタリティ、とんでもないよね。

 

-*-*-*-*-*-*-

 

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やる気1

あらあら、向こうから冴えない男が歩いてきましたよ。

どうやら彼、職場ではうだつが上がらず、プライベートもパッとせず、おまけに旅行に行っても車の中で寝るような、しょっぱい人生を歩んでいるそうですよ。

 

そりゃ顔には生気がなく、足取りもおぼつかないですよね。

やる気とは反対側の世界にいる人間なのでしょう。

 

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やる気2

そんな彼が弥留気地蔵を参拝しました。

生まれて初めて熱心に、「やる気をください」とお願いしました。

 

彼は後に語ります。

「お地蔵さんの静かな瞳の奥に吸い寄せられるようだった。」と。

また、「お堂の周囲にだけ光が差した」とも言っていました。

 

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やる気3

ここに奇跡が起きます。

 

彼の表情はみるみる明るくなり、その場で「うおぉぉ、やってやるぞー!僕の時代の夜明けだー!」と叫んで飛び跳ねたのです。静かな朝の集落の片隅で。

 

-*-*-*-*-*-*-

 

…とまぁ、信じるか信じないかはあなた次第である。

 

どうやらやる気おじさんは、ここにかつてあった「佐治谷青少年旅行村キャンプ場」の一角に「やる気の美術館」をOPENさせ、それと同時にこのお地蔵さんを開眼させたらしい。

しかし2004年の"平成の大合併"でキャンプ場のあった佐治村は鳥取市に吸収合併され、あまり盛り上がっていなかった佐治谷青少年旅行村キャンプ場もその後すぐに解体されてしまったのだそうだ。

 

せっかくのやる気が空回りしてしまったようで切ないが、そんな中でもこの山間部にポツンと残った弥留気地蔵がすごい。

 

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やる気4

今でもやる気が欲しい人がポツポツとここを参拝しているのだという。

 

…あなたには充分なやる気があるだろうか?

冬は日照時間が少なく、ウインターブルーという鬱状態になることもある。

僕もね、なんか寒いしすぐ日が落ちてしまうしで、やらなきゃいけないことをやる気力が全然ない。

 

仕事や思いっきりドライブする日であればいいが、そうでない日はゆっくり起きてブランチして、コーヒー2杯飲んでいたらもう日没だ。

なんだこの人生…。

 

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2021年冬の光景

だからね、ときには無理にでも奮起させなきゃいけないこともある。

心のどこかに弥留気地蔵がいれば、それができると思うんだ。

 

…弥留気地蔵を参拝した後は、もう結構日が高く昇っていた。

車道が熱せられて蒸気があがり、寒い時期ならではの見事な演出が見られた。

 

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やる気5

来たる冬に負けないよう、突き進もうぜ!

僕はHUMMER_H3を走らせ、中国地方奥地の旅を続けた。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 弥留気地蔵
  • 住所:  鳥取県鳥取市佐治町尾際827
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 150mほど離れたところにあり
  • 時間: 特になし

 

No.158【福島県】100年前に東洋で1番高い建造物は南相馬にあった!!その歴史を追え!!

2021年現在で日本一高い建造物は、「東京スカイツリー」である。

 

では、時を100年遡ろう。

1921年で日本一高い建造物は何だろう?

 

南相馬市にある「原町無線塔」だ。高さ201mだ。

1921年ちょうど今から100年前に完成した。

なので節目となる2021年のうちにこの記事を執筆できてよかった。

 

ところで、原町無線塔って現存しているのだろうか?

結論から言うと無い。1982年に解体されてしまった。

だけども10分の1サイズのミニチュアが残っているし、今も人々の記憶にも歴史にもしっかりと刻まれている。

 

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さぁ語ろう、この白い巨塔のことを。

南相馬市に縁もなく、この塔のことを知ったのはほんの11年前くらいの僕が執筆するのは恐縮だが、それでも語ってみよう。

 

また、本記事のために上記写真をご提供いただいた南相馬市役所様および南相馬市博物館様には、心から感謝申し上げます。

大好きだぜ、南相馬

 

 

震災直後の出会い

 

2011年4月…

南相馬の町は騒然としていた。

 

前月の東日本大震災の影響で沿岸部は壊滅状態。

市街地も多くの自衛隊車両や物資運搬トラックが走り回り、放射能対策の防護服を着ている作業員も多くいる。

 

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震災直後1

そんな渦中に僕らは来ていた。

6・7時間ほど車を飛ばし、震災復興ボランティアに複数回訪れていたのだ。

そのあたりの詳細は以下などからご覧いただくことも可能だ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

それはある日のボランティア活動の終わった夕方であった。

一緒に来たボランティア仲間と共に「道の駅 南相馬」に車を停めた。

 

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震災直後2

どうしても見ておきたいものがあったのだ。

ただ、それは正確に言うと道の駅の敷地内にあるものではない。

そこから信号を渡った1つ隣の区画にあるものだ。

 

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震災直後3

 

「憶・原町無線塔」。

 

 

それがこの建造物の名前である。

高さは約20mの、白くてのっぺりした煙突のような塔である。

 原町無線塔の10分の1サイズのミニチュアだ。

 

1年前、つまり震災前にもこの道の駅には来ているんだけどね。

大寒波の到来した夜、寒さに凍えながら「この近辺に入浴施設はないだろうか…?」とか言いながらパンフ類を漁っていたりしたんだけどね。

この無線塔の存在にも気付いたが、真っ暗だったしそんなに興味もなかったので、スルーしてしまったのだ。

 

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震災直後4

じゃあなぜそこから1年経った2011年の僕が、この塔に興味を持ったのか。

ヘドロと粉塵にまみれた僕が、この塔を見上げて何を感じたのか。

 

…まぁそのあたりはゆっくり書いていきたいと思う。

 

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震災直後5

参考までに、ここで"憶"の意味を記載しておこう。

 

憶(読み)オク

 

1 いろいろなことを思いやる。「憶念/回憶・追憶」
2 心にとどめて忘れない。「記憶」
3 おしはかる。「憶説・憶測」

 

(引用元:「コトバンク」)

 

 

大正時代~昭和時代の物語

 

時代を遡ろう。

原町無線塔は1921年(大正10年)、ちょうど今から100年前に完成した。

 

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原町無線塔1

その高さは約201mだ。

この時点では、日本一高い建造物であると共に、東洋で一番高い建造物でもあった。

すげぇ。

 

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憶・原町無線塔1

用途はその名前の通り、無線塔としてだ。

特にアメリカと無線通信をする用途で開局したらしい。

 

開局パーティーなんて、すごかったらしいぞ。

世界最先端の技術、そして世界最大規模の建造物。

記念式典は洋風のパーティー形式にしたので、不慣れな参加者はみんなプチパニックだと聞いている。

 

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憶・原町無線塔2

そんな最新鋭の無線塔が早速大活躍をしたのは、それから2年後の1923年のことだ。

 

1923年9月1日、東京大震災発生。

 

これに伴うSOSを発信したのが、この原町無線塔だ。

 

Conflagration subsequent to severe earthquak at Yokohama at noon today.
 Whole city practically ablaze with namerous casualties.All traffic stopped.

 

本日正午横浜において大地震に次いで大火災起こり、全市ほとんど猛火の中にあり、死傷算なく、すべての交通通信機関途絶した。

 

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憶・原町無線塔3

これを受けたアメリカが、世界中に関東大震災発生をさらに展開。

世界中が「日本を助けろ!日本の首都がヤバい!」と一致団結したのだ。

 

もしこの原町無線塔の完成が数年遅かったら、どうなっただろう?

無線塔が首都圏にあったら、どうなっただろう?

 

100年近くが経った今ではほとんど話題にもならないし、僕も知ったのは東日本大震災前後だったのだが、原町無線塔は日本の危機を救うために真っ先に動いたのだ。

 

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憶・原町無線塔4

ぶっちゃけ言うと、それ以降の活躍はそこまでではなかった。

 

無線の短波や長波の話になっちゃうと複雑すぎて僕もダウンしてしまうので辞めておくが、とりあえず無線技術が進んだのだ。

そして、わざわざ通信をするのに原町無線塔みたいな大げさな施設は不要となったのだ。

 

完成からわずか10年で、原町無線塔はその役目を終える。

 

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憶・原町無線塔5

でも、確かに最初の10年は世界最新だったし、関東大震災でも活躍した。

なにより南相馬の人々にとっての誇りだしシンボルだ。

 

無線塔はそのまま残されることになった。

漁師さんなんかは、沖合から見えるこの無線塔が重要なランドマークになったそうだよ。

 

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憶・原町無線塔6

だが、どんな建造物の命も永遠ではない。

 

1982年のことだ。老朽化により原町無線塔は解体されることとなる。

もうコンクリート片がボロボロと崩れてきていて、大変にキケンだったそうなのだ。

南相馬の人はかなり残念がったそうだが、これ以上はマジにヤバい。

惜しまれつつも解体された。

 

だがしかし、やっぱみんなあの勇姿を忘れられないのだ。

解体からわずか5ヶ月後、アイツが誕生する。

 

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憶・原町無線塔7

憶・原町無線塔だ。

 

10分の1スケールで、高さは約20mだ。

まぁちょっと小さいけどさ、南相馬の人たちにとっての大事な存在であることは、ここまでの経緯で充分すぎるほどに理解できる。

 

そのミニチュア無線塔を、東日本大震災の復興ボランティア時に僕は見に行ったのだ。

その後も数回見に行っている。

 

せっかく縁があって南相馬でボランティアをしたのだ。

もっと南相馬のことを知ろうとした。

そのとき、関東大震災東日本大震災と巨大な2つの震災と密接に繋がったというこの町の歴史は無視できなかったのだ。

 

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原町無線塔2

なので、冒頭に示した通り当時の写真を入手した。

 

南相馬市博物館さん、震災10年目のあれやこれやで忙しい中、資料ご提供いただきありがとうございます。

そして、3月に写真いただいたのに記事の執筆が12月になってしまって申し訳ないです。

 

 

無線塔の痕跡を探せ

 

東日本大震災から10年目となる2021年3月上旬。

僕は再び南相馬市を訪れていた。

 

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道の駅 南相馬

ゆっくりと街中を見るのは本当に久しぶりだ。

あの頃にボランティアした地域が10年経ってどのようになったのか、見に来たのだ。

その詳細は、興味がある方は以下からご覧いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

さて、今回の目的はもう1つある。

それは原町無線塔の名残を見ることだ。

 

憶・原町無線塔だけではなく、市内にはもう2箇所、かつての無線塔の名残を確認できるスポットがある。

今まで何度も南相馬に来ていながら、それらを未訪問だったのだ。この機会にアプローチせねば。

 

 

無線塔跡花時計

 

道の駅南相馬だ。

今までスルーしていて恐縮だが、実はこの道の駅の裏手の公園に、原町無線塔の跡地がある。

 

うん、原町無線塔が立っていたのは憶・原町無線塔の場所とは違うのだ。

200mくらい離れているのだ。

 

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無線塔跡地1

上の写真、左が愛車で右端が憶・原町無線塔だ。

愛車はここに置いておく。裏の公園までは徒歩3分ほどだし。

 

いやぁ、うかつだった。

跡地があり、そしてこんなに近くだったとは。何度も南相馬に来ていながら、跡地の存在自体をを知らなかったぜ。

 

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無線塔跡地2

子供がチラホラ遊んでいる、夕暮れの公園だ。

西日がとても眩しい。

 

この公園内に花時計がある。そこが無線塔の跡地だ。

 

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無線塔跡地3

はい、発見した。

文字通りの、花壇を使った巨大な時計。そして時計は正確に時を刻んでいた。

 

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無線塔跡地4

かつてここに、アジア最大の建造物があったのだ。

そう思うと感慨深い。

 

ちなみに上の写真、右寄りの枯れ木の背後にちょこっとだけ憶・原町無線塔が見えている。

もうちょっと工夫して、しっかり映り込むように撮影すればよかったな、後悔。

 

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無線塔跡地5

時計の文字盤の背後に回り込むと、『無線塔跡地花時計』っていうプレートが見えた。

 

あと、近くには原町無線塔について書かれた説明板がある。

内容は大体ここまでの項目で説明してしまったので、記念に説明板の写真だけ掲載しておこうか。

 

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無線塔跡地6

在りし日の原町無線塔の写真が2枚も掲載されているのが大変貴重だな。

 

あと、無線塔の基底跡は花時計の外周道路だと記載してある。

60mの外周道路、それがかつての無線塔の立地と太さにピッタリ合致するのだ。

 

そして申し訳ないが、僕はその外周道路を歩いておきながら写真撮影をしなかった。

花時計をもう少し引きで撮影すれば、あなたにも規模感をわかっていただけたのに。

ま、でも現代にはGoogleマップ衛星写真あるからいいよね。

それを見ていただこう。

 

 

はい、これでバッチリだね。

これが原町無線塔の痕跡だ。

 

 

南相馬市博物館

 

まだ僕には明るいうちに行きたい場所がある。

道の駅から車で10数分の、南相馬市博物館にやってきた。

 

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南相馬市博物館1

博物館なのにメッチャ森の中でビビった。

なんか大きな森林公園の中に博物館があるらしい。

 

既に太陽は山の陰に隠れ、すごく寒い林の中を1人でトボトボ歩いた。

ほとんど人もおらず、2人の犬の散歩の人とすれ違っただけだ。心が折れそうになった。

 

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南相馬市博物館2

そんな中で、僕を元気づけてくれたのはこのSLだ。

かっこいいー!って思った。

まぁこのSLが出てくる頃には、もう目的地は近いんだけどな。ここまでが大変だった。

 

さて、僕が何を目指しているのか。

それは博物館の正面玄関に展示してある、かつての原町無線塔の一部だ。

40年前に解体された無線塔のパーツ、まだあるのだ。

 

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南相馬市博物館3

博物館前にやって来た。

僕、博物館のすっごい裏手から歩いてきたようだ。

正面アプローチであれば、もっと近くに駐車場があったり、あまり歩かずにここまで来れたんじゃないかな?まぁいいけど。

 

そして博物館はもう営業時間終了している。

これも知っていた。

ちなみに以前は原町無線塔特集みたいな展示をしていたこともあったそうだ。その頃に訪問してみたかったものだな。

 

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南相馬市博物館4

…で、これが原町無線塔のパーツだ。

パッと見、なにがなんだかわからない。じっくり見てもわからない。

 

これは無線塔の頭頂部に設置されていた滑車なのだそうだ。

何のための滑車かというと、無線塔の周囲に設置されていた副柱といわれるたくさんの柱とワイヤーで結ぶための滑車だ。

 

…といってもわかりづらいだろうから、絵を描いてみよう。

 

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南相馬市博物館5

無線塔の周囲に18本、高さ60mの副柱。

そして中央の無線塔とワイヤーで蜘蛛の巣のように繋ぐ。これが無線通信を行う真の姿だ。

 

ヤバいレベルのスケールだな、これ。

これらが全て揃った状態を見たことがある人は、今はもう90歳過ぎであろう。

「かつての無線塔を見たことがある」という方も、副柱がなくなり支えるべき対象の無い主塔の姿なのだ。

 

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南相馬市博物館6

そんな90年以上も前のワイヤーを支えていた、主塔の頭頂部の滑車がこれなのだ。

まさに心臓部だったのではないかな。

これを見れて感無量だよ。

 

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南相馬市博物館7

そっと触れてみた。

「かつての栄華を少し感じ取れた」とか言えればカッコいいが、普通に冷たくてザリザリに錆びた鉄塊だった。

 

でも、嬉しかった。

 

 

光の中に蘇る無線塔

 

最後にもう1箇所行きたい場所がある。

愛車の日産パオに乗り、夕闇の中を走らせて沿岸部に向かった。

 

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光のモニュメント1

上記は道の駅で撮影したポスターだ。

概要をご説明しよう。

 

前述の通り、原町無線塔が出来てから今年(2021年)はちょうど100年だ。

町のシンボルであったあの無線塔を、光で再現しようじゃないか。

そして震災から10年目の3月。

鎮魂と再生への願いも込めて、空を照らすのだ。

 

…って感じのエピソード。

これ、行くしかないだろ。

場所を変えつつ3月は5回行われる。そのうち1回が、今日これから始まるのだ。

 

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光のモニュメント2

本日の"のモニュメント"の会場、「泉十一面観音」ってところにやってきた。

 

「ホントにこんなところでやるのか?」ってくらいに郊外で真っ暗で、そして誰もいなかった。

境内を正面から覗いても真っ暗なので、絶対に場所を間違えたって思った。

念のため敷地の脇からも覗いて見たら、なんか境内に続く階段が明るかった。

こっちか?

 

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光のモニュメント3

光の灯る階段に導かれるように、僕は登って行った。

すると、ちょうど作業員の人が上空を照らす巨大なライトにスイッチを入れたところであった。

 

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光のモニュメント4

ポスターには18:30開始と書かれていたが、実際は18:00だった。

よかった。実はこの後も行くべき場所があり、あまり長居ができないのだ。

早めに点灯してくれて感謝だ。

 

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光のモニュメント5

徐々に暗くなりゆく空を、青い光が照らしている。

 

作業員の人は1人で寂しそうに作業をしていたんだけど、2つのライトを点灯させると「完了」みたいな連絡をして去って行った。

 

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光のモニュメント6

…あれ?

そうなの?これが完成形なの??

 

2本?ライトは2本!?

なんかもうちょっとほしい欲望に駆られた。

 

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光のモニュメント7

震災10年目の節目のイベントだし、原町無線塔完成から100年目のイベントだから、もっとダイナミックで荘厳で、人々が集まるようなのを想像していた。

歓声とかも上がるかと思っていた。

 

実際は、暗い境内に作業員さん1人と僕だけだ。

歓声上げようがない。

むしろなんかお互い気を使って軽く会釈をするとかその程度であった。

 

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光のモニュメント8

さっきのポスターからの抜粋だ。

空を照らすイベント自体は2017年からやっているそうだ。

 

上の写真では、何本もの強い光が遥か上空を照らしている。

まさに原町無線塔のようだ。

 

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光のモニュメント9

しかし僕の目の前のこれは…。

 

短いな。20m行くか行かないか、かな?

規模的には憶・原町無線塔だ。

そして写真はうまく撮ったけど、なかなかに光量が控えめだ。

100m離れたら存在に気付かないかもしれない。

 

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光のモニュメント10

周囲には誰もいないので、興味本位で光源に近づいてみた。

 

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光のモニュメント11

SF感満載のサイバーな感じの光を静かに放出していた。

なんかカッコイイ…!って思った。

 

*-*-*-*-*-

 

…ま、いっか。

思ったほどの規模ではなかった。

複数回行う光のモニュメントの中では、小規模な部類だったのかもしれない。

 

しかし、僕の中には物語がある。

今日こうして南相馬に戻って来れたこと。原町無線塔ゆかりの場所を巡れたこと。

そしてその締めくくりにこんなイベントを見れたこと。

 

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光のモニュメント12

…そう考えれば最高じゃないか。

 

ありがとう。

僕にはちゃんと、光の先に原町無線塔が見えている。

そしてまだまだ道のりは途中だけど、復興が進む南相馬も見ることができた。

 

憶(読み)オク

心にとどめて忘れない。「記憶」

 

南相馬よ、またいつか!

この10年のことを、僕はいつまでも忘れない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 憶・原町無線塔
  • 住所: 福島県南相馬市原町区高見町2
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。ただし道の駅南相馬から徒歩1分なので道の駅を活用が良い。
  • 時間: 特になし

 

No.157【青森県】巨大馬と戯れろ!本州最果ての「尻屋崎」は下北半島行くなら外せないぞ!

本州の最北東端は、下北半島にある「尻屋崎(しりやざき)」だ。

 

わりかし近くに本州最北端の「大間崎」があるのでそっちに観光客を持っていかれがちかもしれないが、ここはものすごく魅力的な岬なのだ。

"絵になる岬"で争うならば、僕は尻屋崎の圧勝と判断する。

 

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こんな写真が普通に撮れるからだ。

この岬には大きな馬が何10頭と放牧されている。

 

灯台と馬と、芝生と海と…。

すごい贅沢なコラボレーションではないか。

マジで絶景だ。

 

だから日頃の仕事や勉強でお疲れのあなた、行こうよ尻屋崎。

命の洗濯しようぜ尻屋崎。

 

 

そこは最涯の地

 

まずは前提のご説明をさせていただきたい。

今回の記事は、日本の突端をいろいろご紹介する以下の【特集】の一環として執筆する。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

端っこ好きや岬好きな諸君は、本記事のみならず上記リンクから行くまで突端を味わってほしい。

輪郭を知れば中身が見えてきて、それが日本を理解することにも繋がると思うのだ。

 

 

さて、今回ご紹介するのは本州最北東端の尻屋崎である。

 

僕は以前に今回の【特集】について、「勝手に僕が突端だと定義するんじゃないよ。ちゃんと公表されている突端だけを選ぶよ。」と言っていた。

 

実は尻屋崎は特集内では唯一、現地に明確に本州最北東端を示す碑などがない。

「じゃあYAMAが適当に定義付けただけか。あるいは一部の人が主張しているだけか。」と言えば、そうではない根拠が2つある。

 

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最涯地の碑1

…読めます?

"最涯(さいはて)地"と読むのが正解だ。

ここ以外であまり見たことがない表記だ。

 

しかし、紛れもなくここは本州の最果ての地。

なぜ最果て?

それはちょっとこの碑の言葉足らずなんだけど、本州の最北東端だからだよね?

地図を見るとメッチャ鋭く北東に突き出ているからね、刺さったら痛い系の岬だよね?

 

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最涯地の碑2

そしてもう1つの根拠は、自治体を始めとする複数のWebサイトで公式に本州最北東端だと定義付けられているからだ。

 

斜めの突端って、単純に緯度と経度から誰もがわかるような方法で定義できない。

言ったもの勝ちだったり、アレコレ協議して決まるのだ。

尻屋崎、大丈夫だ。

キミは間違いなく本州最北東端だ。

 

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最果て紀行1

ところで僕は、この岬は結構好きで幾度となく足を運んでいる。

今回の記事はそんな中でも4回分の訪問履歴から写真を選りすぐって執筆して行こうと思う。

 

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最果て紀行2

大体どこに行くにも自ら車を運転していく僕だが、うち1回は神奈川県にて旅友「FUGA君」の車に乗せってもらって、そのまま助手席で寝ぼけながら訪問したという貴重なパターンも経験した岬である。

うむ、助手席からだと道路の写真を自由に撮れてとても良い。

 

では、次項からはこの岬の魅力をモリモリ書いて行こう。

 

 

青い海とテキサスゲート

 

尻屋崎に接近する。

すると灯台よりも2.5㎞ほど手前でゲートが現れる。

 

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テキサスゲート1

こんな感じだ。

電車が来るわけではない。料金所があるわけでもない。

だけれどもこのゲートだ。

 

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テキサスゲート2

遮断器の真下はテキサスゲート。

ここからは後述する馬が放牧されているエリアだ。

 

その馬たちが敷地外に逃げないように、上の写真のように足場を網状にしておく。

馬たちは怖がってこの上を歩くことができないのだ。

与那国島」でよく見かけるスタイルのゲートである。

 

…つまりここからは、どこで馬と遭遇してもおかしくないサファリパーク的なエリアである。ゆっくり進もう。

 

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青い海1

すぐに車窓から見えてくる海は、沖縄かと思うほどに青く澄んでいる。

馬たちはこんな環境でノビノビ暮らしている。

…もっとも、冬は極寒だけども。

 

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青い海2

愛車と共に青い海を撮影しても良いだろう。

愛車を写真フレームに入れたいなら、灯台に行く着く前の海沿いロードがオススメだ。

 

この写真を撮ったときは、少し霧が出ている日だったが海の色が最高だった。

初夏の海は綺麗。

 

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尻屋崎灯台1

こうして2㎞程走ると、向こうに「尻屋崎灯台」が聳えているのが見えてくるのだ。

…霧の中で下半分しか見えていないけどな…。

 

 

日本一のレンガ灯台と霧笛

 

次は灯台にフォーカスしたい。

僕も各地で灯台を見てきたが、その中でもこの尻屋崎の灯台はとても美しい。

 

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尻屋崎灯台2

青空と灯台

これだけでご飯3杯はお替りできるよね。

 

さて、この灯台は見た目だけではない特徴がいくつもあるエリート灯台である。

まずはその歴史。

1876年に建てられた、東北で一番古い灯台だ。

それだけ航行に重要なポイントだったのだ、尻屋崎は。

 

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尻屋崎灯台3

そして、この聳え立つスケール。

地上からの高さは32.82m。

 

これは日本のレンガ造りの灯台としては1番の高さだ。

コンクリート造りも含めると上がいるけど、レンガでこの規模はすごいのだ。

 

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尻屋崎灯台4

まだまだあるぞ。

日本の灯台50選にもエントリーされている。

 

周囲が海だらけで岬だらけ、灯台だらけの日本において、50選に入るのはとてつもない確率だ。

俳優のオーディションを受けたら即合格でドラマの主要人物に抜擢されるくらいの確率だ。知らんけど。

 

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尻屋崎灯台5

それに、日本でたった16基しかない参観灯台(一般人が登れる灯台)の1つだ。

なんだったら国内最北の参観灯台だ。

ちなみに僕は登ったことは無い。登るの有料だし…。

 

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尻屋崎灯台6

さらに大きなステータスがある。

あえて霧の写真を掲載してみた。

 

あなたは霧笛(むてき)をご存じだろうか?

霧の中でも灯台の場所がわかるように、濃霧のときに音で知らせるシステムだ。

今は各船舶がレーダーを備え付けているので、2010年のその歴史に幕を閉じた。

では、日本最初の霧笛はどこなのか…?

 

…そうですね、もうわかったね。

尻屋崎だ。

1879年(明治12年)、我が国の霧笛はここで産声をあげる。

 

ただ、尻屋崎の霧笛は1994年には廃止されたのだそうだ。

僕も聞いてみたかったなぁ、生の霧笛。

 

 

ビッグホース・寒立馬

 

尻屋崎の最大の特徴は、前述の通り馬が放牧されていることであろう。

この馬が、とっても絵になるのだ。

 

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立馬1

どこかの高原のような絵だが、背景に灯台があって海の近くのような気もして、脳がバグる。そんなスポットだ。

 

馬が闊歩している岬は、僕の知る限りは日本で3箇所ほどだ。

尻屋崎以外では、宮崎県の「都井岬」、与那国島の「東崎」だ。どっちも行った。

まぁでも灯台の馬とのコラボを一番綺麗に撮影できるのはここだろうな。

 

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立馬2

美しいの一言だ。

 

ただし、あまり馬に見とれていると足元がおろそかになるから気をつけよう。

ほら、足元にはアレがあるから。

茶色いアレがあるから。

どうしても生きていく上では、出ちゃうから。

 

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立馬3

この馬は寒立馬(かんだちめ)という。

尻屋崎にしか存在しない馬だ。

 

20数年前には9頭まで減っていたが、2021年現在は40頭くらいにまで増えてきている。

すごい希少種だ。

特徴は、ゴツくてデカいこと。

 

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立馬4

このくらいある。

この地域で冬の寒さに負けず、そして農耕馬としての働きをするために、どんどんマッチョになっていったのだ。

 

だけども性格はすごく穏やかそうだ。

人が近付いても悪気さえなければ、ノンビリと草を食べている。

 

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立馬6

海をバックに馬が歩いている様は、とても絵になる。

こんな風景が灯台周辺では普通に見られるのだ。

 

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立馬7

リラックスして寝っ転がっている馬もいたりする。

気持ちよさそうだな、僕も混ぜろって言いたい。

 

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立馬8

僕のかつての愛車の前で「キャキャウフフ」と戯れていたりもする。

 

ちなみに上の写真、あたかも車で草原を走っているようにも見えるが、これ実は駐車場だ。

未舗装の駐車場のギリギリ端で撮影するとこうなる。

 

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立馬9

季節によっては仔馬もいる。

春に生まれるのだろう。まだ生後数ヶ月なのだろうが、とても大きい。

 

僕からはあまり近寄らず、相手から来るのを待ってみる。

近くで母馬が心配そうに我が子を見守っていた。

うん、僕もドキドキしている。動物にはあまり接したことがないので。

 

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立馬10

灯台の周囲をゾロゾロと群れになって闊歩していることもあった。

 

逆に、テキサスゲートから灯台周辺まで1頭も見かけずに「あれ?」ってなったこともあった。

そのときの同行者はFUGA君だったんだけど、なんか馬に異様なラブ精神を抱くFUGA君は、現地近くの馬好きの知り合いにすぐにTELして、馬の場所を問い合わせしていた。

 

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立馬11

そしたら灯台から少し離れた林の中にいた。

馬は風が吹くと林の中に隠れるのだそうだ。

 

FUGA君のエマージェンシーコールでやってきた馬好きの「SilverMacおじさん」が、ここまで案内してくれたのだ。

一般観光客が間違っても行かなそうな、岬の奥の方だった。

 

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立馬12

1頭1頭の見分けがつくSilverMacおじさんからは、いろんな馬たちの物語を聞いた。

ただ"光景"として見るだけではない、深い知見を得ることができた。

こういう経験、大事だね。

 

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立馬13

最後、SilverMacおじさんはお気に入りの馬を発見すると、車から飛び出て追いかける。

馬、草原を地平線の彼方まで逃げる。

おじさん、それをポテポテ走りながら追いかける。

 

西に傾いた太陽の中に馬もおじさんも消えて行ったことを確認し、僕とFUGA君は岬を後にした。

 

 

ダイナミックな最果ての岬で

 

本州最涯地、尻屋崎。

本州の最北東端、そして下北半島の鋭く北東に突き出た突端にある、まさに最果ての岬である。

 

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おススメしたい岬1

今回は灯台や馬に絞って記事を書いてきたが、ただただ灯台周辺を散歩していてもとっても楽しい。

 

天気や季節にもよるが、東北を吹き抜ける風は爽やかだ。

芝生の上を歩き、断崖ギリギリから海を眺め…。

 

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おススメしたい岬2

確かに同じ下北半島にある、大間崎も最高だ。

本州最北端の碑・お土産物屋・グルメ…。万人を受け入れる体制が整っている。

 

だけども、"岬らしさ"を楽しむのであれば、僕は地形的にも景観的にもこちらに軍配を上げる。

こんな風光明媚な岬はなかなかないのだ。

 

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おススメしたい岬3

日本全国、数100の岬は見てきた。

その中でも尻屋崎は、おススメしたい岬のTOP10には間違いなく入っている。

もしかしたらTOP5にも入るかもしれない。

 

どんな岬にも特徴があり、あまり序列をつけたくないので曖昧だが、そのくらいに好きな岬ではある。

だからこそ、何度も通ってきた。

 

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おススメしたい岬4

もしあなたが青森県下北半島に行くのであれば、この尻屋崎にも足を伸ばしてみていただきたい。

僕が言いたいのはそれだ。

 

もっとも、これからの真冬の季節はさすがに厳しい気候でおススメはできないかもしれない。

SilverMacおじさんの撮影する冬の尻屋崎の写真で、僕は「ヤバい世界だ」と驚愕した。

 

しかし、また春が来て、夏が来て…。

尻屋崎にまた仔馬が増え、緑の大地が広がる…。

そんなシーズンは最高だ。

僕もまた下北半島を走りに行きたい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 尻屋崎
  • 住所: 青森県下北郡東通村
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 7:00~17:45(車道ゲート稼働時間。ただし時期により異なるので注意)

 

No.156【京都府】レトロ自販機の聖地!「ドライブインダルマ」の激レア麵類自販機に感動!

京都には何があるか。

 

金閣寺」・「平等院鳳凰堂」・「伏見稲荷大社」…。

 

うん、全部正解だ。全部歴史があって素晴らしい。

じゃあ今回はもう1つ、知ってて得する歴史があって素晴らしいスポットをあなたに紹介しよう。

 

ドライブインダルマ」だ。

 

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1971年創業だ。

 

…いや、そりゃ金閣寺に比べれば"今は"歴史が浅いけどな。

だが、覚えておけよ。今のうちに子孫に語り継げよ。

300年後にはここも世界遺産になっているんだから、情報先取りに喜んでいただきたい。

 

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なにせここには超激レアの麺類自販機があるのだから!

国内唯一、川鉄自販機が3つ並ぶ圧巻の光景を刮目せよ!

 

 

西日本に2つ、ハンバーガー自販機!

 

ドライブインダルマ。

昭和後期くらいの雰囲気を色濃く残す、今や貴重なドライブインである。

 

その最大の特徴は、麺類やハンバーガーなどの食品自動販売機があるということだ。

それも1970年代くらいの、もはやアンティークに分類されるような機械が未だに現役で稼働しているのだ。

 

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伝説のドライブイン1

僕も複数回ここを訪問している。

そのときのことをうまくマージして執筆していきたい。

 

このドキドキがあなたに伝わるか?

僕はこのドライブインの外観の、やたら疾走感のある"ダルマ"のロゴを写真で見ただけで脈拍上がるわ。

また行きたい。

 

 

ハンバーグ編

 

さて、2回目に僕がここを訪問したときのことを少し話そう。

実はこの1ヶ月前にも来ているが、自販機で購入するのはこれが初回だ。

 

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ハンバーガー1

それは朝の6時ちょっと過ぎのことであった。

なかなかに早い時間帯だ。

 

お店のドアは開いていたので中に入ってみたが、なんか真っ暗で誰もいなかった。

きっと準備中だったのだ。

30分ほど外の車の中で待機し、お店に電気がついたのを確認して再突撃した。

 

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ハンバーガー2

ハンバーガー自販機である。西日本にはこれ1つしか存在しない。

ちなみにトースト自販機は西日本に1つしかなく、それも高知だ。

西日本はパンに弱いと感じた。

 

結論から言うとこの機種は2021年現在もうドライブインダルマには無いが、当時を回顧しながら思い出を書く。

 

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ハンバーガー3

メニューは3種類だ。

ホットドッグレタス・ホットドッグハム・ホットドッグハンバーグ。

価格はどれも150円。

 

ボタンを押す前に、「ちょっと待てよ」と僕は考える。

ディスプレイのイメージはどう見てもハンバーガーなのだ。

ハンバーガーに挟まっているのはパティ(≒ハンバーグ)だ。

 

ホットドッグハンバーグは、僕らのイメージするオーソドックスなハンバーガー?

であれば、ホットドッグハムはもしかしたらパティの代わりにハム?

ホットドッグレタスは?まさかレタスパンじゃないよな??

 

…ビビリの僕は無難にハンバーグを選択した。

 

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ハンバーガー4

ボタンを押すと、内部で数10秒加熱される。

昔のこたつの中みたいな、力強い赤いランプが点滅する。

 

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ハンバーガー5

このランプ、見方を少し工夫すると、パネルに表示されているじいさんの心臓がドクドクと…。違うか、心臓右になっちゃうし。

 

どうでもいいが、じいさんの持っているプレートが「デブの見た夢」みたいになっているな。

なんでもかんでも全部盛りで、テンション上がりっぱなしで成層圏行くヤツだ。

 

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ハンバーガー6

そうこうしているうちに、コロンと箱が登場だ。

箱ごとアツアツだ。

 

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ハンバーガー7

箱の中からは、白い紙に包装された小さなハンバーガーの登場である。

この小ささは大体どこのレトロ自販機でも共通なので、僕は驚かない。

 

おっと、なんだか外から見る限りでは中身の主張が控えめだが、どう出るか…?

ドキドキしながら上のバンズを取ってみる。

 

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ハンバーガー8

工夫ーーーーーッ!!

 

そうきましたか!僕は膝を打った。

ハンバーガーを四つ切りにし、うち2枚をうまく挟んでいるのだ。

これで1枚のハンバーグで2つのハンバーガーが作れる。天才的な発想だ。

 

そして、ホットドッグかどうかはわからんが、ハンバーグは確かに挟まっていて安心。

あとはわずかなマヨネーズとケチャップソースだ。

 

フニフニっとした、コッペパンを加熱しすぎたような食感。

シンプルとしか言いようのない味。

これですよ。これがいいんですよ。

 

フニフニを味わい、1日のドライブが幕を開ける!

 

 

レタス編

 

また来たぞ、ダルマー!

2年後のことだった。再び僕はダルマを訪問した。

 

さてさて、例のハンバーガー自販機のパネルのじいさんはお元気かな…?

 

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ハンバーガー9

じいさん自販機、リストラされていた。

スタイリッシュなタイプになっていた。じいさんどこいった?

 

…とはいっても、これもレトロ自販機だ。

たぶん40年ほどの前のものであろう。

そして、ハンバーガーは150円から200円にガツンと値上げされていた。

 

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ハンバーガー10

メニューは、左からレタスバーガー・ホットドッグ(?)・ホットドッグ(?)・レタスバーガー・ホットドックロースハム・ホットドックハンバーグ。

 

うわぁ、チグハグだ。

バーガーが混じっているし、ホットドッとホットドッも入り乱れている。

「複数名のバイトたちの連帯感が無いのか?」とか思ってしまう。

 

しかも左から2番目と3番目は、ホットドッグに続いて何か2行目が書いてあるのだ。

しかしネームプレートが地盤沈下でバーガーボックスに沈んでいる。メチャクチャ内容知りたい。

 

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ハンバーガー11

今回はレタスバーガーにした。

かつてのホットドッグレタスではないのだ。バーガーであれば、確実に肉が挟まっているハズ。レタスパンではないハズ。

 

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ハンバーガー12

はいはいはいー、出てきましたよー。

まだ中身は見えない。吉と出るか凶と出るか!

 

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ハンバーガー13

肉キター!

お馴染みのハーフサイズ!知ってる!お久しぶり!

 

そしてレタス!

メニュー名にしていいほどの量かどうかは微妙だが、せっかくなので大声で言うぞ「レタス」!!

 

味の感想は省略しよう。

前回とほぼ同じで、レタスが1枚挟まっただけだからだ。

 

マクドナルドなどと比べるとコストパフォーマンスは悪かろう。

しかし、ドライブインのオーナーさんが毎日作って補充しているし、自販機自体の管理もとても大変なのだ。

この自販機から出てきたものを食べられる。

 

それだけで大変な価値があるのだ。フニフニパン、ごちそうさま!

 

 

日本で2箇所、川鉄自販機!

 

冒頭で「川鉄自販機を刮目せよ!」とか言っておいて、遅くなってしまった。

ドライブインダルマの名物は川鉄の麺類自販機だ。

これが圧巻であり、代名詞ともなっている。

いよいよそれをご紹介したい。

 

 

天ぷらうどん編

 

まずはこの光景を見てほしい。

 

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天ぷらうどん1

川鉄自販機だ。

すごい。3つも並んでいる。

三十三間堂」に入ったときはその厳かな雰囲気に息を飲んだが、この川鉄自販機の三並びにも息を飲む。

 

メチャクチャにレアな自販機なのだ、これ。

山形県の「ドライブインアメヤ」にあったり四国のとある路上にポツンとあったりしたが、2つとも故障してさ、あわやここ1箇所のみになりそうだったこともある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ドライブインアメヤについて知りたい方は、上記リンクを辿ってほしい。

 

2021年現在は神奈川県相模原市や埼玉県にて稼働している川鉄自販機があるが、それでも国内数基だけの非常に貴重なものだ。

1980年ごろにはもう生産中止されているそうだから、最低でも41年前のものだ。

とんでもねぇ歴史遺産。

 

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天ぷらうどん2

ザ・昭和って感じのオレンジ。

 

天ぷらうどんを食べよう。

ボタンなどはない。250円を入れると自動的に作り始めてくれる。

 

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天ぷらうどん3

はい、そんで20数秒で出てきた。

天ぷらうどんが「おはよう」って感じの顔して出てきた。かわいすぎる。

 

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天ぷらうどん4

小エビの天ぷらに、カマボコとネギ。

ダシは関西だけあってやや薄めのあっさりテイストだ。うまい。

 

以前に朝6時にここに来たときには、麺類自販機は準備中のためか食べることが出来なかったのだ。

今回初めて麺類を食べることができ、感無量だ。

 

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天ぷらうどん5

 

 

きつねうどん&ラーメン編

 

夕暮れ時に訪問したこともある。

川鉄自販機は日本中でここ1箇所だった時期であったと記憶している。

 

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うどん&ラーメン1

麺類自販機は3台だ。

前回は天ぷらうどんであった。まだきつねうどんとラーメンがある。

 

全部食べねばなるまい。

それで初めて、3つある川鉄自販機全てを使ったこととなる。

 

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うどん&ラーメン2

川鉄自販機は、まるで壁にあるドアのようだ。

厚みが全く無いのだ。

 

なぜかというと、壁に自販機が埋め込まれているから。

川鉄自販機に合わせて壁を造ったのだろう。それだけ大事な自販機。このドライブインの顔なのだ。

 

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うどん&ラーメン3

そんな自販機が3台とも稼働していてうれしいよ。

 

40年前のものだから、壊れたらもう交換部品の調達も困難だし、修理できる業者さんもわずか。

修理出来ずになくなく営業終了してしまうケースも多いのだ。

だからレトロ自販機のお店はどんどん減少していっている。

 

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うどん&ラーメン4

はい、できた。

ここまでの過程は前項の天ぷらうどんと一緒だ。

 

お揚げ・かまぼこ・ネギ。

プルプルのうどんとあっさりしたダシが絶品である。

 

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うどん&ラーメン5

次はラーメンだ。

楽しみ過ぎて待ちきれない。

むしろこちらから迎えに行くぞという意気込みで取り出し口の中を覗いた。

 

容器がとんでもない角度になっている。

これは何をしているのかと言うと、陽気にお湯を注いだ後に斜めにして湯切りをしているのだ。

これを2・3回繰り返して麺を温めた後、ダシなりラーメンスープなりを注いで完成となるのだ。

 

機種によって斜めにして湯切りしたり、蓋をしてからスピンさせて遠心力でお湯を吹っ飛ばしたりと様々だ。興味があれば調べてみると面白い。

 

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うどん&ラーメン6

ラーメンお待ちー!

醤油のいいにおいが香ってくる。

 

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うどん&ラーメン7

チャーシュー・モヤシ・ネギだ。

テンションをチャーシューに全振りしているので、モヤシとネギはいささか元気無さそうだ。

しかしチャーシュー素晴らしいな。今すぐに噛みつきたい。

 

誰もが思い描くことができる、シンプルで安心できる味だ。

とても満足だ。

 

 

転んでも立ち上がれ、これからも。

 

最後の項目では、その他の施設内の自販機等をご紹介しながら、このドライブダルマの歴史について語りたい。

 

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その他の設備1

冒頭で記載した通り、1971年創業のドライブインダルマ。

50年も昔のことだ。

 

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その他の設備2

現在80歳近いオーナーさんご夫妻が、食堂としてオープンしたのがここの始まりだ。

転んでも立ち上がれるように、ダルマという名前にしたそうだ。

 

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その他の設備3

その後すぐにこれら川鉄自販機を設置し、24時間の年中無休での営業となった。

当時はコンビニもないので、トラック運転手や釣り人たちの憩いの場だった。

深夜にご飯を食べたり、暖かいドリンクを飲むのって、当時はなかなか困難だったのだ。

 

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その他の設備4

これらの食品自販機の中身は、オーナーさんご夫妻とご家族にて基本的に手造りをしているのだそうだからすごい。

 

ハンバーガーとか、まんま外注している店舗も多いと聞いているが。

ここはかき揚げから油揚げやチャーシューまで、ちゃんと仕込んでいるのだとニュースで見た。

 

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その他の設備5

多い日は300杯ほどの麺類を仕込むという。

そりゃ大変だろうよ。古い機械のメンテナンスや電気代等もあるし、この価格で昭和レトロを楽しめるのはとても貴重だよ。

 

ヘタすりゃ博物館に展示され、触れることすら許されない存在であってもおかしくはないのだ。

それをこうして実際に使わせてもらっているのだ。感謝しかない。

 

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その他の設備6

2004年のときの台風では、1m以上も浸水して自販機が壊れ、復旧不可能となるギリギリのところだったそうだ。

 

それでもダルマ、転んでも立ち上がった。

当時の奇跡の復活劇がなければ、僕はここの川鉄自販機に出会うことすらなかったろう。

 

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その他の設備7

どんどん衰退していくドライブイン

どんどん壊れていく、ちまたのレトロ自販機。

 

そんな中で幻の川鉄自販機が永年3台並んでいる光景がいかに貴重か。

 

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素晴らしき世界1

京都の歴史的仏閣も素晴らしいが、こっちもこっちで本当にすごいのだ。

ちゃんと守らなければいけない日本の歴史の1ページであることは事実なのだ。

 

しかしレトロ自販機の歴史は、風前の灯火。

せめて僕は何度も訪れ、全てを味わい、記憶と記録にそれを記したい。

そう思ったのだ。

 

目ざとい方は気付いたかな?

全てを食べたいと言っておきながら、僕はまだハムの挟まったバーガーを食べていない。

食べようと思ったら売り切れだったりしたのだ。

コンプリートは果たせなかった。

 

しかし、だから良いのだ。

なぜならもう一度僕がドライブインダルマを目指す理由があるから。

 

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素晴らしき世界2

外に出ると夜の帳が下りていた。

「また来るよ」と、僕はアクセルを踏む。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ドライブインダルマ
  • 住所: 京都府舞鶴市字丸田822-1
  • 料金: 天ぷらうどん¥250他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 8:00~18:00(水曜日定休)

 

No.155【茨城県】ドライブインの廃墟を見つけたつもりが現役だった!!食べに行かねば!

「メニューは2種類。そのテーブルの上の板の裏と表に1種類ずつ書かれているから選んでくれ。」

 

おじいさんの言っていることは半分くらいしか聞き取れなかったんだけど、3回聞いてそういうニュアンスだと理解した。

 

1回目は全く理解することもできなかった。

2回目はメニュー表を割り箸で指し示したおじいさんから、その割り箸を奪いとってポカンとするしかなかった。完全にダメな子だ、僕は。

 

…メニューは2種類!

上等じゃねーか!

そもそも人生において選択肢なんてそんなにねーんだよ!

大事なことは、いつだって二者択一だ。

 

やるのかやらねーのか!

のるかそるか!

裏か表か!

進学か就職か!

ビアンカかフローラか!


さぁ、決めてやろうぞ。

 

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焼肉か… !!??

 

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… … !!?

 

 

…あの…、メニュー名を書いてよ。

(値段も書いてよ)

 

 

名馬里ヶ淵の伝説

 

少し時をさかのぼろう。

3月のことだ。

まだ山は枯草色であり、そして少し前まで山に彩を与えていた梅はほぼ散ったという、中途半端な時期だ。

 

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名馬里ヶ淵1

そんな時期に僕は「名馬里ヶ淵(なめりがふち)」にいた。

 

上の写真の立て札にも"名馬里ヶ淵"と書いてあるが、"ケ"がとんでもなく小さい。そんなにメリハリつけなくてもいいのにな…って思いながら撮影した。

 

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名馬里ヶ淵2

なぜここが名馬里ヶ淵と呼ばれるのか。

それはこの立て札に書いてある。結構ボロボロだけども、概要をご紹介しよう。

 

川下の集落に住む伊兵衛さんの飼っている牝馬は、よくここの水場で遊んでいた。

その牝馬は仔馬を産んだ。

なんかこの仔馬は変なヤツで、棒の上で寝たり木に登ったりするのだ。

 

伊兵衛さんは「この仔馬は蛇なんじゃね?そういやあの水場の主も蛇だし。これヤベー。」と言い、仔馬を水場に突き落として殺した。

 

そしたら天変地異で水場も溢れて洪水となり、集落丸ごと水に流された。

それ以来、ここは名馬里ヶ淵と言われるようになった。

 

なるほど、行動が極端なヤツばかりの物語。

そして"名馬"という言葉が1回も出て来なかったけど、名馬里ヶ淵。

では水場を見てみよう。

 

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名馬里ヶ淵3

うむ、元気に荒れ狂っている。

 

実は昨日は暴風雨で警報も出ていた。

この3時間前までは付近の高速道路も通行止めになっていたくらいなのだ。

 

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名馬里ヶ淵4

こりゃヘビさん絶好調ですわ。

水はドロドロに濁っており、周囲もまだ枯れ山なのであまり見映えがしない。

しかし夏場は牝馬よろしく水遊びもできるスポットなのだそうだ。ちょっとタイミングが悪かったね、こりゃ。

 

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名馬里ヶ淵5

ちなみにこの名馬里ヶ淵、国道461号沿いではあるが非常にわかりにくい場所にある。

注意しないと存在自体に気付かないし、存在を知っていてもうっかりしていると通り過ぎてしまう。

 

僕も何度もこの国道を走ったことがあり、「今回は初めて名馬里ヶ淵に行くぞ」って心に決めていたのに通過してしまったのだ。

 

春夏秋冬この道は走ったことがあるが、あまり人がいたのを見たことがないスポット。

あなたも行くならしっかり調べてからアプローチして見てほしい。

 

 

廃墟ドライブイン梅の花

 

前項で書いた通り、僕は名馬里ヶ淵に行く前に、そこをうっかり通過してしまったのだ。

しかし山間部のワインディングロード。

いきなりすぐにUターンするような場所もない。

 

数100m先で脇に入る道があったので、そこでUターンをすることとした。

 

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脇道の先で1

うおぉ…、すごいものが出てきた。

ドライブイン…の廃墟??

生気を感じさせない佇まいだ。

 

ただでさえドライブインが生き残るのは厳しい昨今において、山間部の国道から一本入った先の立地とあっては苦しかったろう。

国道からギリギリで見えないくらいの位置にあるんだもんな。

 

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脇道の先で2

しかし、前述の通りこの道は以前から走っていたが、初めて存在を知った。

いつから廃墟なのかは知らないが、国道に標識も看板も立っているのを見たことがない。

随分前から営業していなかったのかもしれないな。

 

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脇道の先で3

こういう諸行無常も、またドライブの醍醐味よ。

Uターンして一瞬で立ち去る予定であったが、なんとなしに記念撮影をしておいた。

 

あと、この写真を撮るために車を降りたら、付近に少し梅の花が残っていることに気付いた。

 

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脇道の先で4

わずかに残った梅の花

もう1週間早いタイミングで来たかったな。

 

しかしこのコロナ禍、僕も思うように動けなかったのだ。

むしろ今日、こうしてドライブできていること自体が非常に嬉しい。

ワガママ言っている場合じゃない。

 

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脇道の先で5

少し青空が見えてきた。

この後のドライブに期待が持てそうだと感じた。

(事実、快晴となって最高のドライブ日和となる)

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

さて、あなたは気になる情報があった場合、すぐにその場でスマホから検索するのかもしれない。

 

しかし僕は、帰宅してからPCの大画面でゆっくり調べるのを好む人間だ。

ドライブ中はドライブに注力したいのだ。

 

従い、帰宅後にPCに写真データを移し替えると、その日のドライブを振り返りながらおさらいをしていた。

 

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脇道の先で6

もちろん、その振り返りの中にはあの廃墟ドライブインも含まれる。

 

検索エンジンで調べてみると…。

廃墟じゃなかった。現役だった。

 

マジか。

これまでさんざん廃墟廃墟と連呼してしまった。

達観した顔で諸行無常とか言っちゃった。

 

なんかウナギがうまいとかWebに書いてある。

そうなのか。ウナギ好きだ。

 

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脇道の先で7

過去にさんざん廃墟・廃村探索をして来たのに、誤った判断をしてしまって大変に申し訳ない。

僕の目は節穴であった。

 

うーむ、しかしこれまで僕がこの国道を走っていたときも、営業していたってことだよなぁ…。

全然気付かなかった。

この控えめすぎる立地と宣伝力で、ちゃんと営業してこれたのだろうか?

 

そして、今回は朝だったので営業していなかったのだろうか?

とりあえずだ。ちゃんと営業しているときに再訪し、ウナギを食べなければならない。

これは人生課題だ。

 

 

冬の始まる時期の再訪

 

あれから8ヶ月ちょっとが過ぎた。

僕は再び山間部の国道461号を駆け上がる。

 

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再訪への道1

紅葉、なかなかでしょ?

 

でも実はこれ、彩度を上げて撮影している。

実際はもう結構葉が落ちてしまっていて、ちょっ寂しい色合いの山となっている。

うーむ、紅葉を見るには1週間遅かったな…。

いつだって僕は出遅れてしまうんだ。幼少期からずっとこれだ。

 

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再訪への道2

稀にまだ頑張って紅葉している生き残りを見つけて「わーい」ってなる。

暦上はもう冬だが、限界まで抗っている。

そういう生き方がステキ。

 

…さて、そんな話をしたいんじゃない。

いよいよ見えてきたぞ、国道の分岐が。

 

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再訪への道3

おぉ、営業中の幟が国道に立っている!

しかもなんだアレは!?前回あんな看板(?)なんてなかったぞ!

 

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再訪への道4

ビミョーなクオリティだな!!

"ナメリ"って竹で書いてあるけど、そうまでして竹を使いたかったのかな?

小学生の図工っぽさが満ち溢れていて、道行く人が「ここに入ろうぜ!」ってなるビジョンが希薄だぞ。

 

そして、もう一枚別角度から写真を撮ればよかったと後悔しているが、向かって右手に書いてある文字は何だ?

ちょっと画像をトリミング&縦圧縮してみよう。

 

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再訪への道5

読めない!!

 

 

たぶんここに書きたい内容は"ナメリ"か"ウナギ"だと思うんだ。

3文字目がなのはすぐにわかる。

2文字目はのどっちかだ。

 

1文字目は小学校で習わなかった字だ。

ナ・ウ・ヤとかが近いだろうか?

 

「ウナギー」?

「ヤナギー」?

いずれにしてもなぜ最後を伸ばした?ストレスかかる解読だな、これ。

なぜ普通に看板を書こうとしなかったのか。

 

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再訪への道6

よーし、営業しているぞ!!

しかも車3台も停まっている。大盛況だ。

 

そして店の前の看板がリニューアルされている。

しっかり赤いペンキで『ドライブイン名馬里』ってなぞられている。

 

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再訪への道7

だが裏から見ると血が滴っていた。

よく見ると赤いペンキが看板内の各所に擦りつけられていて、ハンドメイド感がヤバい。

 

これ、不器用な人の仕事だ。

それがいい。

こういうところで重要なのは技術というよりも人情だ。一生懸命さが伝わってきたぜ。

 

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再訪への道8

店は山と山の間の谷間の立地。

まだ12時台だというのに太陽は林の中に隠れようとしている。

ちゃんと日が当たる時間はわずかだと思われるような山深い立地だ。

 

ここで僕は気付くのだが、入口を大きく覆うひさしができているな。

数ヶ月前と全然風貌が違う。

そこに垂れ下がるオレンジの暖簾がかわいい。

 

今年度、このお店はかなりバージョンアップしたのだ。

これはご飯にも期待できよう。

 

僕は意気揚々とお店の扉を開ける。

 

 

ドライブインうな重

 

内部は丸太をふんだんに使った、なんとなくログハウスのような造りであった。

古さは感じるが、清潔なイメージだ。

ただ、店内をネコがウロウロしていたので、そこだけ神経質な方はご注意だ。

 

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ウナギ1

僕以外にお客さんは2組いた。

それに僕が入ると入れ替わりに出て行った人もいるし、最後に僕が出ていく直前に入ってきた人もいた。

 

結構にぎわっている気配であった。

従業員さんも3名いたし。

 

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ウナギ2

ボスと思われるおじいさんが、小上がりの席を1つ占拠して、箸袋に割り箸を入れる作業をしていた。

そこでのやりとりが、冒頭の部分だ。

 

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ウナギ3

うな重だ。うな重をください。

値段が書いていないので少々恐ろしいが、以前調べたところこれが名物だそうなので、僕はウナギを食べる気満々だ。

 

さらに、うな重を食べて帰宅してから知ったんだけど、2021年11月13日放送の「出没!アド街ック天国」という番組にて、ポツンと穴場食堂として登場していたそうなのだ。

 

なるほど、なんかこんなタイミングで訪れた僕がミーハーっぽいではないか。

そして、もしかしたら国道の看板やお店の前のひさしなどは、それを機にバージョンアップしたのかもしれないな。

 

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ウナギ4

トイレはずーっと奥の方だ。

 

途中で今は使われていない座敷席を通る。

ドライブイン全盛期はここも客席だったり、あるいは宴会や会合などが行われていたのかもしれないな。

 

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ウナギ5

こういう茶色い空間、結構好きだ。

ゴロンと横になってひたすら読書をしていたくなる。

 

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ウナギ6

トイレは絶滅危惧種だ。

いや、和式のトイレとかは普通に見たことあるけどさ、便器が床より一段高くて、そして丸石がゴロゴロした感じのタイル張り。

平成を通り越して昭和まで時間が巻き戻った感覚に襲われた。

 

席に戻るとおじさんが大声で「どうだー!?トイレきれいだったろう!?」と聞いてきた。

おじいさんご自慢のトイレらしい。

実際綺麗だったので「きれいでした!」と負けじと大きな声で答えた。

 

三者に言わせることで、店内のお客にトイレが綺麗と認識させる作戦ですな、わかっておりますよ、おじいさん。

僕とおじいさんはアイコンタクトを交わしてニヤリと笑うと、親指をグッと立てて… …、いやゴメンなさい、そんなことしていませんウソです。

 

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ウナギ7

はい、アホな妄想していたらうな重が来た。

結論から言うと、お値段2500円。

Web情報によれば、少し前までは2000円だったようだ。

日常的にウナギを食べている人間ではないのでわからないが、どうやら良心的なお値段のご様子。

 

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ウナギ8

食欲をそそる、いいテカリっぽりではないか。

とてもおいしそうだ。

 

これまた帰宅後に調べたアド街ック天国からの情報で恐縮だが、うな重は良質なウナギを入荷できたときだけの限定品なのだそうだ。

ウェルカム、良質なウナギさん!!

 

…てゆーか、良質なウナギが仕入れられなかったときは焼肉定食一択!?

それはそれですごいドライブインだぜ。

 

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ウナギ9

うむ、おいしい。

僕もあまり舌が肥えている方ではないのでうまい表現はできない。

しかし、身はふっくらでタレはちょうどいい具合に濃厚だ。

焼きの香ばしさがもうちょっとあると、さらに最高かもしれない。

 

ただ、僕は別に究極のウナギを求めてここに来ているわけではない。

1人でフラリとドライブして立ち寄ったドライブインで、うな重を食べている。

そういうシチュエーションが最高なのだ。

いい体験をしているぞ、僕。

 

少し遅れてやってきた汁物は、なかなかの塩分濃度だった。太平洋のエキスだ、って思った。

 

*-*-*-*-*-*-*-*

 

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紅葉を追いかけて…

ドライブイン名馬里は、1973年(昭和48年)の創業とのことだ。

もうすぐ50年になる老舗である。

 

当時の国道はどうだったのだろうか?

いつくかのWebを見ると、ドライブインがある場所を"旧道"と表現している。

ドライブインの前の狭い道が、旧国道だったのだろうか?

 

現国道が開通して少し奥まった場所になってしまっても、半世紀頑張って営業をしているのだろう。

そんな歴史を垣間見れたのは、最初の些細な偶然から。

 

この出会いに感謝だ。

こういうエピソードがあるから、旅は面白い。

 

 

そして僕は再び、わずかに残る紅葉を求めて車を走らせる。

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.154【神奈川県】初日の出は2度現れる!!たった1100円で洋上から絶景の新年スタート!

もうすぐ2021年も終わりだ。

 

あなたも2022年の初日の出をどこで見ようか考えているに違いない。

初日の出イベントの企画にワクワクすると同時に、「あの日の出を待つ間の寒さが身に染みるんだよな…」とジレンマを感じているに違いない。

 

あの日の出を待つやきもきした時間も醍醐味なのであるが、確かに年々寒さが身に応えるのも事実であろう。

かといって、眺めのいいホテルの一室を予約するのは、お財布事情的に苦しいだろう。

 

さて、首都圏在住の方にフォーカスした記事になってしまうかもしれないが、朗報だ。

暖かい場所から絶景の初日の出を安価で見れる技がある。

 

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お値段、1100円(2021年現在)!!

東京湾フェリーーー!!!

 

 

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航路は上記の通り。

今でこそ「東京湾アクアライン」を使って車でスーッと東京湾を横断できるが、一昔前までは三浦半島と房総半島を繋ぐ重要な交通手段の1つだったようだ。

 

そしてこれが、今までいろんなところで初日の出を見てきた僕の一押しのプランである。

 

 

闇夜の港

 

元旦。深夜2時の久里浜港にやってきた。

出航は6時50分だそうだ。まだ5時間近くある。

 

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久里浜港1

真っ暗。

真っ暗すぎて、車もどこに停めたらいいのかよくわからない。

なので適当に停めた。たぶんここが駐車線。

 

フェリーターミナルの建物も、停泊しているフェリーもほぼ真っ暗。

上の写真は補正したからなんとか見えているけれど、肉眼だとほぼ真っ暗。

本当にこの数時間後に営業を開始するのか不安になるレベルの暗さ。

ぶっちゃけ不安しかない。

 

このあと、不安すぎて車内でグーグー寝てしまった。

 

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久里浜港2

なんかアナウンスがかかったので飛び起きた。

時計を見ると5時10分であった。

 

アナウンスの声が割れすぎていて、何を言っているのか全然聞こえなかった。

寝ぼけまなこで「今、なんつった?なんつった?」とキョロキョロする。

 

車窓から見てみると、もう建物もフェリー自体も灯りが付き、煌々と輝いている。

愛車のHUMMER_H3の周囲は、他の車でビッチリだ。

大型バスもたくさん停まっている。

 

すげー。3時間寝ている間に祭り準備が整ったってヤツだ。

新年が動き出す!!

 

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久里浜港3

アナウンスは全く聞き取れなかったが、ボチボチ窓口に行ってみたほうがいいと判断。

現時点でどのくらいの人が待機しているのか見に行こう。

 

受付まで来ると、チケットの販売が開始されていた。

実はこのプラン、事前予約ができない。当日販売のみだ。

なので窓口が開いたらすぐに買おう。

 

買うチケットは片道でも往復でもない、遊覧だ。

これがとても大事。

 

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久里浜港4

はい、これ。

ご覧の通り2017年元旦の情報でちょっと古いんだけどさ、2022年も同じプランが存在しているから気にするな。

 

遊覧って何かと言うと、ここから出発する千葉県の金谷港で船を降りれないのだ。

そのまましばらく待ち、また久里浜港に引き返す。

 

だが、それがいい

車は久里浜港に停めてあるからな。車の元に戻らねばならないから。

もちろん車も一緒に千葉に連れて行くことも可能だが、それだと高価になるしな。

 

たった1100円で久里浜と千葉をフェリーで往復してくれる。

ありがたい価格帯だ。

 

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久里浜港5

しかも無料で甘酒の配布までしていた。

なんというホスピタリティー。なお、僕は甘酒は飲めない。

 

「さて、チケットを買ったからにはもう乗船は約束されたのだろうな。では車内で先ほどの夢の続きを…」って思ったら、「チケットを持っていても先着順なので気を付けて下さいね」とのこと。


つまり、せっかくこの券を購入したのに、先に並ぶ人が多数出てしまったら始発便に乗れないのだ。

マジか。

乗船口の方を見ると、既に数10人が列を作っている。

では並ぼう。

 

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久里浜港6

5時50分、車内でしっかりと装備を整えた僕が、乗船待ちの列に並んだ。

6時10分、つまり出航40分前。

乗船が開始されたようだ。

ボーリングブリッジの行列が動き、船内へと入ることができた。

 

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久里浜港7

座席は自由席だ。

さーて、どこに座ればいいと思う??

 

 

朝焼けの乗船

 

まずは座席の確保だ。

これ、重要なポイントだから聞いてくれ。

 

フェリーの最前部。

ここは前方全てがガラス張りのすごい席だ。

早くから列に並んでいた人たちは、こぞってそちらに突撃して行った。

 

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乗船1

僕が乗り込んだころには、最前列はとっくに埋まっていた。

 

そりゃそうだ。

座席の目の前が窓なのだし、そしてフェリーは三浦半島から東にある房総半島に向かうのだ。朝日に向かって進むのだ。

そりゃ特等席になるよな。

 

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乗船2

2番手に甘んじた僕は、その少し後ろの左舷の窓際に座った。

4人掛けのボックスシートだ。

ちょっとしたミニテーブルまで付いていて便利だ。

 

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乗船3


座席の位置は、上図の赤丸くらいの場所だった。

とりあえず窓際席を取れてよかった。お客さんはどんどん入ってきて、瞬く間に満席となった。

座席がなくってウロウロしている人も結構いる。

 

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乗船4

座席から東の空を見ると、徐々に空が白んできていた。

神奈川県の元旦の日の出時刻は大体6時45分。

 

あと30分ほどで水平線から太陽が昇る計算だ。

ワクワクしてきた。どこかに旅立つわけでもなく、またここに戻ってくるというのに。

この船のエンジン音が、気持ちを高揚させるのだ。

 

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乗船5

日の出の瞬間もいいけど、空の色が好きなのはやっぱこの夜明け前だなぁ。

神秘的すぎる。

 

では、座席も確保できたことなので、ちょっと船内をフラフラするわ。

 

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乗船6

デッキに出た。

 

ここはまだ空き座席がある。しかしバチクソ寒いヤツだ。

これからこの船は、真冬の夜明けという一番寒いシチュエーションの中を、風を切って航海に出るのだ。

相当に屈強な猛者でないと耐えられない。温室育ちの僕には無理。

 

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乗船7

だが、世の中には強い人もいっぱいいる。

最上階デッキはそれなりに賑わっている。

みんな覚悟を決めた顔をしている。かっこいい。僕はここにいる自分以外の全員を尊敬しよう!今ここに讃えよう!

 

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乗船8

朝が近付いてきた。

6時25分、出航まであと25分、そして日の出まであと15分だ。

 

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乗船9

さぁ、ここで僕は限界である。

暖かい船室に戻ろう。出航までは持参した温かいお茶を飲み、そしてヌクヌクしながら出航シーンを見るのだ。

 

心に決めている。それが新年の抱負だ。

 

 

洋上の初日の出(1回目)

 

6時50分、出航。

空はずいぶん明るくなってきた。既に房総半島の向こうには太陽があるはずだ。

そんな中、新年第1便が出航する。

 

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出航1

陸地には、浜辺で初日の出を待つ人たちが見える。

寒そうだ。

昨年までの僕の立ち位置は、まさにあっち側であった。

 

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出航2

しかし今年の僕はひと味違うぞ。

たった1000円ちょっとで、暖かい船室から大スペクタクルを眺められるのだ。

気分もセレブである。

 

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出航3

右奥の船、おわかりいただけただろうか。

あれは房総半島側の金谷港から久里浜港に向かってくる船だ。

東京湾フェリー同士が擦れ違う。

 

ちなみに「金谷⇒久里浜⇒金谷」の遊覧チケットよりも、僕が今回使った「久里浜⇒金谷⇒久里浜」の遊覧チケットの方がお得な要素がある。

これについては後述しよう。

 

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初日の出1

僕の座る左舷側の席、進行方向ギリギリ見えている山の稜線が燃えてきた。

あそこから太陽が昇る…!

 

つまりさ、前方のガラス張りの席は取れなかったけど、ここから座ったまま初日の出を見れてしまうのではなかろうか?

 

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初日の出2

7時ジャスト。出航から10分。

もう間もなく太陽が上がるぞ。

 

既に出てきていいタイミングなんだけど、この船は房総半島に接近していくから山の稜線がどんどん上がっていく。

つまり太陽はそれ以上のスピードで昇らないと、山の上に出ることができない仕組み。

 

ちょっともどかしい数分を過ごしたが、7時4分、ついに御来光!!

 

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初日の出3

あけましてーーー

 

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初日の出4

おめでとうございます!!

 

 

船内から歓声が上がる。

これは僕も知らなかったのだが、結果として僕の座っている左舷の席が特等席だった。

 

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初日の出5

初日の出の瞬間は、船は大きく太陽に左舷を向けていたのだ。

なので僕の席の周囲にも多くの立ち見客が集まり、みんなで写真を撮りまくった。

なんか一体感が生まれた。僕を中心に。

 

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初日の出6

トロトロの卵の黄身のような太陽だ。

たまらん。トーストとコーヒーがあれば最高の朝食になりそうな卵だ。

 

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初日の出7

水平線上には少し雲があったが、それもまた粋な演出と言えよう。

 

神々しい光が船内まで長く射し込んでくる。

あぁ、明るい。そして暖かい。

 

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初日の出8

長いこと初日の出ドライブを続けてきたが、こんな室内でヌクヌクと初日の出を見れたのは、史上初だ。ありがたい。

デッキに出る必要すらない。この席の眺め、最高だから。

 

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初日の出9

このタイミングで船は少し進路を変え、前方のガラス張りの席の正面に太陽が見えるようになった。

 

「ファーストクラスの方々、お待たせ!」って感じだ。

とりあえず充分に初日の出の写真を撮ったから僕はOK。満足した。

 

…と思いきやだ。

日没。

7時13分、つまり日の出から9分で太陽は房総半島に沈む。日本一早い日没?

 

船内のテンションが急に下がったのが空気でわかる。

日没から9分後の7時22分、フェリーは金谷港に到着した。30分ほどの船旅であった。

 

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金谷港1

まだ日の出前の静かな金谷港だ。なんか時間が巻き戻った。

ここで片道切符の人たちは降りていく。

遊覧チケットの僕は、船を降りることはできないので、次の出航までの10分ほど船内待機となる。

 

さてさて、これで初日の出を見れてしまったわけだが、遊覧チケットの底力はまだこれからだ。

復路に期待せよ!

 

 

再び日は昇る(2回目)

 

10分の停泊時間で、僕は再びデッキに上がった。

 

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金谷港2

目の前には絶壁の「鋸山」だ。右端にロープウェイも見えている。

太陽はこの山の陰なので、地上に日があたるのはまだまだ先だろう。

 

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金谷港3

一方、西側の景色だ。

東京湾の向こうに見えているのが、久里浜港のある三浦半島だ。

既に日が当たって明るくなっているのがわかる。

 

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金谷港4

少しコントラストをいじった写真だが、左端に「富士山」が見える。

絶景だな、これ。

正月早々、おめでたい光景だ。

 

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金谷港5

…ところでだ。

乗客の中の結構な人数が、金谷港で降りてしまった気配だ。

そして金谷港から新たに乗って来た人は少ない。

つまり、船内の人数は結構少ない。

 

これまでは座席確保のためにも航行中は自席にいたのだが、もう復路はデッキに出ていようかな?

往路と比べて気温も明らかに上がってきている。

テンションも上がってきている。

つまり、寒さに耐えられる。

 

7時35分。金谷港から出航。

そしてーーー!!

 

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セカンドインパクト1

 

7時39分、2回目の初日の出!!

 

 

1回目とは違うぞ。

既にある程度高い位置まで昇っている太陽は、「ピカーーーッ!!」って感じに力強く僕らを照らすのだ。

 

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セカンドインパクト2

さて、ご理解いただけただろうか?

タイトルにもある『初日の出は2度現れる』とは、このことを指している。

そして、東京湾フェリーも、久里浜からの遊覧第1便をこのようにアピールしている。

 

逆の「金谷⇒久里浜⇒金谷」では、洋上から見れる初日の出は1回のみなのだ。

よりドラマチックな船旅をしたいのであれば、久里浜発がいいかと思う。

 

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セカンドインパクト3

いいわー!これ、いいわー!!

デッキの最後部から見える、フェリーの通った後の軌跡がたまらない。

朝日から延びるように見事な曲線を描いていて、カッコ良すぎる。

 

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セカンドインパクト4

往路に比べても、デッキに出ている人の数が違うと感じた。

多いのだ。

 

みんなこの爽やかな海風を感じたいのだ。

寒さなんかは吹き飛んだのだ。

それが、2回目の日の出の威力!!

 

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輝け新しい年1

そして、明るくなった復路には人間だけではない仲間も増えているぞ。

それはカモメたちだ。

 

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輝け新しい年2

カモメと共に航海だ。

なんて絵になる風景よ。

カモメたちと一緒に富士山に向かっているんだぜ、僕ら。

 

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輝け新しい年3

確かに、1回目の初日の出もすごかった。

荘厳で神々しく、思わず手を合わせたくなるような朝日であった。

 

しかし2回目は、1回目にない良さがまたある。

「ヒャッホー!」と新しい1日の始まりを祝って踊りだしたくなるようなテンションだ。

気分は船上パーティーだ。

 

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輝け新しい年4

だからね、あなたももしこの東京湾フェリーで初日の出を見たいと思われるのなら、ぜひ遊覧チケットにしてみてほしい。

 

この時間の航海、最高なのだ。

2回楽しめるのだ。そして何度も言うが、1000円ちょいなのだ。

 

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輝け新しい年5

写真内の方々の顔はマスキングしているが、みんな笑顔だ。そして元気だ。

 

浜辺で初日の出を待っていたのであれば、今頃はもう初日の出を見終わり、近所のファミレスか車の中で「寒かった…」とか言いながらお茶飲んで温まっているだろう。

しかし僕らはさっきまで暖かい船室にいたから、今も元気なのだ。

これ、大事。楽しめる時間が長い。

 

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輝け新しい年6

途中でデッカいタンカーみたいな船が急接近して来たりした。

上の写真はちょっと離れたタイミングでの撮影だったので、本来はもっと近くまで来た。ビックリした。

なんだったのだろう?

 

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輝け新しい年7

真っ暗な時間から、光り輝く時間まで。

いろんなイベントが詰まっている。全く飽きさせない演出が、ずーっと続いている。

 

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輝け新しい年8

もちろん富士山も綺麗だ。みんな見ている。

東京湾からの富士山って、こんなに大きく見えるんだな…。

 

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輝け新しい年9

こうしてフェリーは、久里浜港へと帰還する…。

 

 

良い年になりますように

 

真っ青に晴れ渡った久里浜港に、船がゆっくりと入っていく。

 

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久里浜港8

海はコバルトブルーで、鏡のように穏やかだ。

なんという気持ちのいい正月だ。

これが、今年を象徴するような光景であってほしい。

 

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久里浜港9

最後にデッキから房総半島側を振り返る。

日は高く登り、そしてカモメたちが別れを告げるように旋回している。

 

8時12分久里浜港着岸。

6時50分から1時間半ほどの航海であった。

 

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久里浜港10

フェリーを降りた。

1時間半前まで確かに僕はここにいたはずなのに、違う世界に降り立った感覚だった。

 

明るい世界。

新しい年が始まった世界。

そう感じた。

 

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久里浜港11

愛車の元に戻り「今年もよろしく」と声を掛ける。

今年も1年、一緒に日本中を巡ろうねって。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-

 

新型コロナウィルスとの闘いが2年になろうとする、2021年12月…。

このときの初日の出を懐かしむとともに、来年こそは平和な年になってほしいと切に願う。

 

少しずつ観光地にも人が戻り、僕らは外で過ごす楽しみを思い出しつつある。

ご予定許せば、あなたもぜひ東京湾フェリーでの日の出にチャレンジしてみてほしい。

 

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あなたにも、そして僕にも、2022年幸あれ!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.153【山口県】本州最北西端「川尻岬」!!ムカツク半島の最先端で荒々しい海を見よ!

普段は温厚で知的な僕が、いきなりタイトルで「ムカツク」とか言い出して会場をザワつかせてしまった旨、申し訳ない。

まずは誤解を解いておきたい。

 

ムカツクは漢字で"向津具"と表記する。

今回ご紹介したい「川尻岬」は、向津具半島の最先端にある岬だ。

だから別に半島や岬に対してムカついているわけではない。むしろ好きだ、愛している。

 

なぜならこの半島の先端にある川尻岬は、本州本土の最北西端という珍しい斜めの突端岬なのである。

これには突端マニアも胸キュンだ。

 

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…と言いたいところだけど、残念ながら知名度はイマイチだよな?

せめて僕がアツく語りたい。

 

 

東西南北端の次に来る試練

 

今回の記事は、日本の突端をいろいろご紹介する以下の【特集】の一環として執筆する。

本記事のみならず、どうぞ心行くまで突端を味わってほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

「のんたん、僕は川尻岬に行きたいよ。」

 

ある年の秋のことだ。

僕は助手席の「のんたん」にそう申告した。

 

彼女とは、この数ヶ月前に日本最北の有人島である「礼文島」のとあるクレイジーに突き抜けた宿で出会った。共に冒険をした仲だ。

そののんたんと山口県で再会し、今日は一緒にドライブをしている。

 

…っていうのが初回にこの岬を訪れた経緯だ。

日本3周目の前半戦であった。

しかし写真は日本3周目~5周目での訪問時のものをブレンドさせて掲載させていただきたい。

 

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ムカツク半島1

僕の運転する日産サファリは、向津具半島の狭路へと突入する。

この先に目指す川尻岬がある。

 

ではなぜ僕が川尻岬を目指しているのか。

 


冒頭でも記載の通り、川尻岬が本州最北西端だからだ。

珍しいだろ、最北西端とかいう斜めの突端岬って。

 

既にこのときの僕は、北海道・本州・四国・九州の本土の最東西南北端である本土最突端16岬は攻略済みだ。1回のみならず、既に2回目・3回目の訪問に入っている。

しかし斜めの突端はまだ行けていない場所もある。

山口県に来たからには、そこを踏まないわけにはいかないのだ。

 

…さて、まずはあなたにクイズを出したい。

 

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川尻岬はいったいどこにあると思う?

本州最北西端、つまり本州の最も左上だ。

 

…たぶん、少し迷われたことだろう。

 

「左」を優先すべきか、「上」を優先すべきか。

それによって回答は異なる。

左と上を公平に評価する方法も、パッとは思いつかないだろう。

 

まずは正解だ。

 

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ここ。

正解しましたか?

 

そして最北西端の根拠だが、すごく雑な言い方をしてしまえば、「言ったもの勝ち」だ。

そのくらいに斜めの定義は難しい。

あいまいで恐縮だが、だからといって「ムカツク!」とかは言わないでいただきたい。

 

ここいらの話は、日本本土の最北西端にあたる佐賀県波戸岬」のエピソードでも記載してあるので、興味があったら読んでみてほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

…いずれにしてもだ。

突端を名乗る岬にはロマンを感じる。

 

人は理論で動くのではない。ロマンで動くのだ。

だから僕は狭路に突っ込んでいく。愛車、日産サファリの巨体で突撃する。

 

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ムカツク半島2

 

日本海に荒波打ち寄せる

 

岬の駐車場に到着した。

そこは「川尻岬キャンプ場」の敷地となっている。

管理人のおばちゃんに300円を支払う必要がある。

 

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岬の先端へ1

日本4周目、パジェロイオで訪問したときだけ駐車場の写真を撮っていたので、記念にご紹介しておこう。

 

あと、2021年12月現在においては、Webから調べたところどうやら川尻岬キャンプ場は【利用中止】となっているようだ。

冬季だからなのか、それともサイト内に「2021年6月に漏水して水が出なくなった」と書いてあるためなのか、それはわからない。

もしあなたがキャンプ目的で行く場合は、要注意だ。

 

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岬の先端へ2

では、駐車場から岬の先端方面へと歩いて行こう。

 

現れるのは、綺麗に整備された芝生地帯。

ここいら一帯がキャンプ場のようだ。炊事場や東屋などがある。

 

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岬の先端へ3

上の写真を撮ったのは、まだ朝の5時台。日の出前の景色である。

なのでボンヤリした写真となってしまっているが、キャンプしてここで眺める青空はさぞや綺麗なものだろうと思う。

 

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岬の先端へ4

あのベンチの向こうは、一旦ガクンと標高が下がり、その向こうにまた小山が聳えている。

ここいらでキャンプ場エリアは終わりだ。

 

しかし岬の先端はまだ先だ。

どうやら岬の先端ヘは徒歩で10~15分ほどらしい。

 

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岬の先端へ5

う、うわぁ…。

 

思ったよりもワイルド、かつゴールは遥か彼方だぞ…。

僕はのんたんと顔を見合わせた。

 

実はのんたんと訪問した日本3周目のときは、もう1つの試練が僕らの前に立ちはだかっていたのだ。

 

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岬の先端へ6

それは、強風と荒波だ。

 

駐車場のおばちゃんには、「今日は時化てるから波にさらわれないようにね」って言われている。

さっきキャンプ場で擦れ違った釣り人のおじさんは、道を尋ねた際に「道が細くなってる部分が風が強くて海に落とされそうだったから行かなかったよ」って言っていた。

 

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岬の先端へ7

道が細くなっている部分、来た!

まさにナイフエッジ!

 

右も左も海だし、仮に強風でよろけたらそのまま眼下の海にドボンでサヨナラだ。

屈強そうな釣り人のおじさんですら行かなかったエリアだ。

…まぁでも行った。

「ヒィィィーー!」とか言いながら、2人で突破した。

 

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岬の先端へ8

怖かったが、海はとても綺麗だった。

 

日本海の荒波、力強くてかっこいい!僕らは今、大自然を満喫している!

人間にとって自然とは、畏怖するもの!!

言葉ではなく心で理解できた!!

 

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岬の先端へ9

灯台に到着した。

長門川尻岬灯台」っていう名前らしい。

 

川尻岬を目指す人は、キャンプ客や釣り人がメインのようだ。

僕のような突端マニアも少数いるが、後述する理由によりここまで来る人は少ない。

従い、人の気配のない静かな灯台であった。

 

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岬の先端へ10

…ただね。

僕の一番のお目当てがない。

 

本州最北西端の碑がどこかにあるはずなんだけど、岬の先端まで来たのに無いのだ。

あれ…??

 

 

本州最北西端を示す碑

 

突端マニアたるもの見逃すわけにはいかない、突端を示す碑。

「本州最北西端の碑」はどこにあるのか…。

実は前項で大きなヒントが出ていた。

 

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最西北端の碑1

これだ。

さっきナイフエッジのデンジャラスゾーンを通過する手前の、キャンプ場の端の部分だ。

赤く囲ったオブジェにご注目頂きたい。

 

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最西北端の碑2

北長門海岸国定公園 

自然と生命を大切に

山口県油谷町 向津具青年団

 

…このように書かれている。

往路でも目に入ったが、個人的には別に心に響くような内容でもないので、チラリと横目で見て「はーい」みたいなテンションで通過した。

 

しかしだ!

このオブジェの裏を見るのだ。

上の写真の通り、裏と言ってももうすぐそこは手すりで、その向こうは絶壁。

ざわざわ裏に回り込む理由も無さそうだが、とにかく行くのだ。

 

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最西北端の碑3

 

はい、『本州最西北端 川尻岬』。

 

 

この初見殺しには、正直僕ものんたんも参ったぜ。

知っていない限りなかなか気付かないよ。

灯台から戻ってきたときに必然的に裏側が見えるから、それでようやく気付いたぜ。

 

この碑だけを目的とするなら、暴風で転げ落ちそうなエリアも灯台も、行く必要はなかったのだ。…ま、行って良かったけどさ。

 

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最西北端の碑4

さて、ここで目ざとい人は「あれ?」って思ったろう。

 

今まで僕は記事内で「最北西端」という書き方をしてきた。

しかしここに彫られている文面は「最西北端」だ。

 

隣り合った2つの方位を並べる際、北と南を優先するように僕らは小学校で習った。

なのでそれに準ずれば「最北西端」であるはずなのに。

 

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最西北端の碑5

なぜなのか。

それはWebで調べてもわからなかったので推測の域を出ないが、西を強調したかったのだと思う。

 

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上図を再掲するが、本州最西端「毘沙ノ鼻」をベースとしての、本州最北西端なのだ。

これがもし本州最北端「大間崎」をベースとしていたら、本州最北西端は「竜飛崎」になるのかもしれない。

 

…と言ってもピンと来ない方もいるかもしれないので、地図を以下に埋め込んでおく。

 

 

逆に言えばだ。

本州最西北端の座は川尻岬がゲットした。

本州最北西端の座が、まだ確保できるかもしれないぞ…?

 

「そんなのアリかよ?」って思われるかもしれないが、斜めの定義はそのくらいファジーなのかもしれない。

フレキシブルに定義づけていく感覚が、面白いかもしれない。

 

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最西北端の碑6

碑の向こうから朝日が昇りだした。

綺麗だ…。

 

なんだかパックマンみたいな不思議なデザインだし、いつ来てもボロボロの碑だが、それでも僕は満足だ。

本州最西北端。このレアな響きが心地よい。

 

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最西北端の碑7

北であり、西である。

太陽の昇る東とは、一見縁の無い岬に思えるが、ちゃんと日の出を見れるのだ。ありがたい。

 

この日の日本海は、非常に穏やかだった。

いい日になりそうな予感がする。

 

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最西北端の碑8

岬の先端部分も碑の光を浴びて、クッキリ綺麗に輝いていた。

 

…完全に余談ではあるが。

僕とのんたんは、この岬の駐車場でランチにした。

僕は車に自炊道具や車中泊セットを乗せての旅をしている。

節約のために1日1回は自炊をしているのだ。

 

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岬のランチ1

「パスタでいいなら作るよ」ととか言い、麺を茹で始めた。

 

のんたんは「YAMAはどうせロクなものを食べてないだろうと思い…」とか言いながら、作って来てくれた唐揚げと玉子焼きを取り出した。

うおぉ、ありがたい。

 

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岬のランチ2

荒波砕ける岬を眺めながら、2人でパスタを食べた。

これが僕の、本州最北西端の思い出だ。

 

まだまだ日産サファリで西日本を巡る僕の旅はこの先長く、これからもいろんな旅人との出会いがあるし、いろんなトラブルや感動が僕を待ち受けている。

そんな中での、束の間の平和な時間であった。

 

のんたん、元気かな?

川尻岬に来るたび、僕の胸には初回のエピソードが去来するのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 川尻岬
  • 住所: 山口県長門市油谷向津具下
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(300円)
  • 時間: 特になし

 

No.152【山形県】「アメヤ」の幻の麺類自販機はどこへ!?行方を追い、当時を懐かしむ!

…これは、一台の自販機の運命を追いかける、壮大なドキュメンタリーである。

 

自販機にも人生がある。

飼い主(所有者)がいて、エサ(商品)を補充され、定期検診を受け、場合によっては住む家を与えられていたりする。

愛おしい存在だ。

 

そんな自販機が、もし飼い主の元を去り里子に出されるとしたら、どんな気持ちだろう。

僕は自販機の立場でも飼い主の立場でも、涙なしではいられないね。

 

別れの瞬間ももちろんつらいだろうが、例えば愛犬を手放し、その後に犬のいなくなった犬小屋を眺める元の飼い主とか、マジ切ないよな。

自販機業界でも、きっと同じことが起きている。

 

…おっと、待ってくれよ!

あなた今、「何言っているんだコイツ」って顔してページを閉じようとしただろ?

わかったわかった、ちゃんと本題に入る。

だからもうちょっとだけお付き合いいただきたい。

 

 

イントロダクション

 

まずは今回この記事を執筆する、きっかけとなったニュースをご紹介したい。

 

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自販機小屋1

この小屋が解体された。

2021年11月22日のことだそうだ。今から約1週間前だ。

全国ニュースでもなければ、三面記事にすらならない、日本人の99.99%にとっては「あぁそうですか」レベルのニュースだ。

 

しかし0.01%の人は「ドヨッ」としたよな!

僕はそっち側の人間だ。あなたもこっち側だと嬉しい!

 

この小屋、いったい何なのか。

 

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自販機小屋2

日本に数台しかない、幻の麺類自販機を稼働させていた自販機小屋だ。

 

もっとも、その麺類自販機はとっくに壊れてとっくに撤去されている。

小屋だけがここに残っていたのだ。

その小屋が、もう用済みとなったか、結構長い歳月を経てこの度取り壊しとなった。

 

自販機がなくなっても小屋を見て当時を偲んでいた0.01%の人々は、この小屋の取り壊しで1つの時代の終了を悟るに違いない。

 

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自販機小屋3

…とまぁ、こんな感じのイントロダクションだ。

 

次の項目からは、僕の思い出をさかのぼり時系列で書いていくから、読んでほしい。

あと、カエルが苦手は人は薄目で読んでほしい。

 

 

黄昏のそばと東北の風

 

5月の夕暮れ。

僕は山形県の果樹園の広がるエリアをドライブしていた。

いつもの通り、車中泊での一人旅だ。

 

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黄昏ドライブイン1

まだ肌寒いが、風邪の心地よい夕暮れであった。

 

夕暮れというのは、どこを切り取っても絵になる。

刻一刻と暗くなっていく空を眺めながらのドライブは、「旅をしている」って感覚で大好きだ。

 

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黄昏ドライブイン2

そんな僕がどこに向かうのか。

それは「ドライブイン アメヤ」だ。今回の舞台となるお店の名前である。

 

静かな国道沿いにあり、なんなく発見できた。

アメヤは、ラーメン・そば・定食などを扱っている庶民的な食事処、つまりドライブインという位置づけである。店名にもドライブインって付いているし。

 

ただ、僕が興味を持っているのはこの食事処本体ではない。

併設の自販機小屋だ。

 

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黄昏ドライブイン3

これだ。

4人ほど入ったらギュウギュウになりそうな小さな建物。

今しがた僕はここを"自販機小屋"と表現したが、ドリンク自販機は屋外だ。

では、中には何があるのか…。

 

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黄昏ドライブイン4

 

川鉄自販機!!

 

 

天ぷらそばが出てくる自販機だ。

あなたも昭和時代のレトロ麺類自販機について、TV等で目にしたことがあるかもしれない。

よく出てくるのは昭和後期に製造中止となった富士電機製のもので、これはこれでとてもレアだ。全国探しても70台とかしかない。

 

だけども川鉄自販機はそんなレベルではない。

全国で2店舗。それが、僕がアプローチした当時の状況だ。

もう1店舗は僕も大好きで何度か通っている京都の「ドライブインダルマ」っていうレジェント級のお店なんだけど、その話はまた今度な。

 

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黄昏ドライブイン5

とにかくすごいのだ。

もう有名人に会ったときのように僕はドキドキが止まらなかったさ。

 

先客がいたのでちょっと待ち、入れ替わりで自販機小屋に入る。

よしっ。売り切れランプはついていない。

結構人気店は売り切れることが多く、それが最大の懸念なのだ。

 

自販機に300円を入れて待つこと27秒。

メニューは天ぷらそば1種類なので、お金を入れたら何もボタンを押さなくても自動的にそばが出てくるぞ。

上の写真、右下の四角い窓が取り出し口だ。

 

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黄昏ドライブイン6

はい、出てきたー!うまそうだー!!

小屋の中で早速食べるんだぜ。

 

これは実は、本格手打ちのそばだ。

隣のドライブインで作り、そしてドライブインで提供しているものをこういう形態で自販機に入れただけであり、中身はホンモノだ。

 

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黄昏ドライブイン7

麺はちょっと太目、そして東日本らしく強めの醤油ダシの汁。

木のテーブルとイスのセットがあるので、そこで外の車の往来の音を聞きながら食
べる。

 

こういうの、いいなぁー…。

しみじみとそう思った。

 

遥か遠方から車中泊で東北にやってきた僕。

まだ東日本大震災の爪痕を残す地も巡った今回。

ちょっと疲れた体と心に、このそばの濃いダシが染み込んだ。

 

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黄昏ドライブイン7

「またいつかここに来よう。そしてそばを食べよう。」

…そう思ったが、その思いは一生叶わないこととなる。

 

 

最後のメッセージ

 

時は流れた。コロナ禍だ。

そんな隙間を縫って僕は山形県を走っていた。

 

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小屋との再会1

別にドライブイン アメヤを目指していたわけではない。

あのお店からは、既に川鉄自販機は無くなってしまっているのだ。

 

2015年5月、あの自販機は故障してしまったのだ。

1970年から45年間もここで稼働してきたのだが、ついに終焉の時だ。

もう替えの部品も修理出来る人もほぼ絶滅。お店としては、どうしょもなかったのだ。

 

そんな話を僕もリアルタイムで聞いていた。ショックだったさ。

しかし、自販機がないならもういいやって思って、長らく立ち寄っていなかった。

 

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小屋との再会2

ダラダラと走っていたら、刺激的な赤い看板が目に入った。

 

アメヤ…。

…アメヤ…?

アメヤ!!あのアメヤか!!

 

忘れていた記憶が一気に蘇った。

そっか、ここはドライブイン アメヤの近くだったのか。

じゃあちょっと寄ってみよう。あの自販機小屋はどうなっているだろうか?

 

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小屋との再会3

ちなみにこっちが店舗本体だ。

入って食べたい誘惑にも駆られたが、このときは入っていない。

この先にどうしても立ち寄りたい食事処があったのだ。申し訳ない。

 

そして小屋は…。

 

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小屋との再会4

あったよ。当時のままだ。

久しぶりだなぁ。懐かしいなぁ…。

 

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小屋との再会5

屋根の上には当時と変わらず、天ぷらそば自販機コーナーの電光看板が乗っていた。

色あせていて最高にエモい。

 

この小屋は、今は無料休憩コーナーになっているそうだ。

中を覗いてみることにした。

 

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小屋との再会6

ガラン…としていた。

ここに座ったところで手持ち無沙汰になること必至、ってくらいに何もない。

知らない人と一緒にこの空間にいたら、結構ハイレベルな試練であろう。

 

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小屋との再会7

右奥のベニヤ板が貼ってある部分。

あそこがかつて川鉄自販機が設置されていた場所だ。

 

前回の写真をご覧いただければわかると思うが、自販機を壁に埋め込むようなかたちで設置していたのだ。

自販機のためにこの小屋を作ったのか、自販機を置くために壁をくり抜いたのか…。

どちらかはわからないが、45年も扱っていた自販機がいかに大きい存在だったかわかるだろう。自販機ファーストな小屋なのだ、ここは。

 

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小屋との再会8

当時を懐かしむ人も一定数いるのだろう。

ドライブインではあの当時と同じ天ぷらそばを食べることができる。

食べたら僕、泣くだろうな。

 

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小屋との再会9

僕が神と崇める人の書籍を宣伝する掲示物がある。

日本全国、大体全店舗行っているが、どれも最高の想い出であった。

そして年々こうしてレトロ自販機は少なくなっていく…。

 

ふと1枚の掲示物が目に留まった。

 

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小屋との再会10

内容を以下に転記しよう。

 

【懐かしの川鉄自動販売機】に関してですが、興味のある方が、未だ当店を訪れて下さるので、こちらでも【最後】のお知らせをさせて頂きたいと思います。

 

お嫁入しました自販機は現在、【神奈川県 相模原市の中古タイヤ市場】さんにて、隅々まで綺麗になって、元気に作動しているとの事です。

 

店主の方には親切にして頂き、取材のことなどか載った【本】まで送って下さいました。

 

新たに【きつねうどん】として皆さんに可愛がられているでしょう。

他にも、沢山の自販機がずら~り並んでいて圧巻です。

皆さんも、是非一度訪れてみてはいかがでしょうか。

 

うん、知ってた。

例の自販機が2018年に「中古タイヤ市場 相模原店」に行ったことも知っていた。

 

だけども、この貼り紙を見てジーンと来たね。

わざわざこんなことを掲示してくれたアメヤの店主さんの親切心、そして文面から自販機を大切にしていたことだとか、相模原で稼働して喜んでいることだとか、店主さん同士のやりとりだとか…。

どこを切り取っても最高過ぎるじゃないか。

 

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小屋との再会11

相模原の中古タイヤ市場ね…。

そこには複数回行ったことがある。

ただ、その店でかつてアメヤに置いてあった自販機で食べたことは無い。

コロナ禍で首都圏は大変な事態ではあるが、どうにか行けるチャンスを作らなければならないな。

 

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小屋との再会12

とりあえず、ここでランチにすることは予定上で困難なので、せめてドリンク自販機を使わせてもらうこととした。

今日は猛暑なんだ。すごく喉が乾いているのでちょうどいい。

 

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小屋との再会13

そして、おいちょっと待て、ここを見てくれ。

わかる?

 

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小屋との再会14

絶妙なところでカエルがくつろいでいる。

おつりが必要だったら、僕はうろたえていたところだ。

 

そんなこんなだ。

ありがとう、ドライブイン アメヤ。

 

 

追跡劇は、神奈川県へ…

 

来たぞ!中古タイヤ市場 相模原店!!

数年前に爆誕し、一気にレトロ自販機の聖地となったとんでもないお店だ。

お店っていうか、もはやテーマパークだ。

 

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相模原にて1

レトロな自販機は、ずらーり100台ほどある。

カニックの社長が、なんでもなんでも引き取って直す。神すぎる。

 

例えば、以前に以下の記事でご紹介した「鉄剣タロー」の自販機だって、今はここで稼働している。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

変に有名になり過ぎて、2021年秋にはカップルが貴重なハンバーガー自販機を殴って破壊するなど、全国ニュースにもなったりした。

とても悲しい事件であったが、いろんな人がワイワイ来るような一大スポットであることは事実だ。

 

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相模原にて2

本当だったらここの自販機群についてアツく語りたい。

2021年秋現在で20種類弱くらいの食品をここの自販機から食べているので、ジャンジャンご紹介したいところだけど、この記事の主役はアメヤなので、また今度だ。

 

さて、アメヤから嫁入りしたという自販機はどこにあるのか…。

 

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相模原にて3

あそこである。

幻の川鉄自販機が2台並んでいる。

 

向かって手前が2021年に登場した日本で唯一のお茶漬け自販機、そして奥側がアメヤからやって来た麺類自販機だ。

 

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相模原にて4

今はきつねうどんの自販機として第2の人生を歩んでいる。

前回訪問したときは残念ながら売り切れだったが、今回は在庫ありだ。

食べるっきゃない。

 

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相模原にて5

銀パネルに設置された四角いランプが、上から下へと下がっていく。

これがカウントダウンだ。

一番下まで行ったとき、きつねうどんが姿を現す仕組みなのだ。

 

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相模原にて6

さぁさぁ間もなくだ。楽しみだな。

そして、チーンと音が鳴る。

 

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相模原にて7

わぁ、油揚げがデッカいぞ!

しかも2枚入っている!

 

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相模原にて8

アツアツでジューシーなきつねうどん。300円。

アメヤで故障してしまったものを、2018年にここの社長さんが引き取って修理し、その年の夏にここで復活を遂げたのだ。

 

あの日、僕が夕暮れの中で食べたそば。

震災の爪痕がまだ生々しい東北を旅して味わった自販機そば。

その自販機が時空を超えて今神奈川県にある。すごい話だ。

 

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相模原にて9

メニューは変わったけど、心身ともに温まるのは同じだ。

ツルツルうどん、とてもおいしい。

 

おーい、アメヤのご主人!

あなたが永年愛した自販機は、元気ですぞ!!

 

 

アメヤの小屋は役目を終える

 

話は冒頭に戻る。

 

あの小屋が解体された。

ドライブイン アメヤの自販機小屋だ。

2021年11月22日のことだそうだ。今から約1週間前だ。

 

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全国ニュースでもなければ、三面記事にすらならない、日本人の99.99%にとっては「あぁそうですか」レベルのニュースだ。

 

しかしそれが僕の心にはガツンと響いたこと、ここまで読んでくれたあなたであれば、ほんの少しだけご理解いただけたかな?

そしてもしあなたの心にも響いてくれたのであれば、とても嬉しい。

 

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あの日、そばを求めてルンルンで飛び込んだ小屋なんだ。

自販機ファーストだった小屋は、川鉄自販機という主を無くし、ついに役目を終えて解体されることになったのだ。

 

山形の歴史はこれで幕を閉じる。

しかし全てが終わったわけではない。

次の物語は、もう神奈川で始まっている。

 

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僕が生まれる前から現役バリバリの自販機たちが、ちょっとオンボロになりつつもどうにかこうにか、令和の時代を生きている。

 

「たかが機械」とは思ってはいけない。

その背景には、何10年も支えてきた人々の想いがあるのだ。

だから、殴って壊してはいけないよ。

 

どうかこれからも末永く、僕らに夢を提供し続けてほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ドライブイン アメヤ
  • 住所: 山形県天童市山口1955-5
  • 料金: 店舗に関する記事ではないので未記載とします
  • 駐車場: あり
  • 時間: 店舗に関する記事ではないので未記載とします

 

No.151【新潟県】おじいさんに群がる野鳥の大群!白鳥飛来地「瓢湖」の冬は野鳥の楽園だ!

ヒッチコックの「鳥」と言えば、動物もののパニック映画の原点である。

 

公開は今から60年近く前の、1963年。

おびただしい数のカラスなんかが人に群がり攻撃してくる映画だ。

 

僕が生まれるよりもずーっと昔の映画であるが、何かの折にTVでやっているのをチラリと10分ほど見た記憶がある。

ちょっと現代の映画と作風や画像などのギャップがあり、10分ほどで番組を変えてしまった。

だけども、そんなわずかな時間であっても、カラスが人に群がるシーンは衝撃であり、今も記憶に残っている。

 

時は流れて令和の現代。

1人の老人が鳥に囲まれているのを見た。

 

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あの日10分だけ見たパニック映画だ!!ヒッチコックだ!!おじいさんが大ピンチだ!!

僕は思わずそう叫びそうになった。

 

ここがどこか、だって?

瓢湖(ひょうこ)」だ。現場は瓢湖だ。僕の目の前で事件は起きている。

一瞬、「そういや"ッチック"と"ょう"って少し似ているな」って考えてしまったほどに、僕も鳥乱している。いや、取り乱している。

 

落ち着け。

まずは深呼吸だ。そして目次から入り、話を整理しよう。

 

 

鳥鳥鳥鳥鳥鳥…

 

僕は瓢湖にやって来た。

晩秋から冬になると白鳥が集まると聞いていたからだ。白鳥が集まるなら、それを見るための人間も集まる。当然の成り行きだと感じた。

 

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鳥のパラダイス1

瓢湖を英語で表すと"HYOKO LAKE"だ。

さらにそれを日本語にすると"ひょうこみずうみ"ってなって、"湖"が二重換算される仕組みだ。

利根川(トネガワ・リバー)」や「チゲ鍋(なべ・なべ)」と同じスタンスで行こうという気概だ。良い。

 

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鳥のパラダイス2

天気も良く、駐車場は満車ギリギリであった。

しかし結論から申し上げると、鳥密集地帯の一番近くの駐車場に停めることができた。偶然だけど。

 

右奥に大きなケージが見えるだろうか。

 

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鳥のパラダイス3

あのケージにはクジャクがいる。

鳥の洗礼はもう始まっている。白鳥は飛来してくる外来者だが、クジャクはいつだってここにいる。主だ。

 

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鳥のパラダイス4

徒歩1分少々で湖が見えてきた。

人々はみんな湖面を見ていてワイワイ言っている。

あの人たち、いったい何を見ていると思う?

 

いや、「そんなのわかりきっているだろう」みたいな顔をしないで、場の空気を読んでほしい。

じゃ、せーので言おうか。

 

せーの…

 

 

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鳥のパラダイス5

 

鳥。

 

 

…当たった?簡単すぎた?

でも、こんなにいるって想像できた?

僕は正直、ビックリしたね。

 

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鳥のパラダイス6

ときどきTVとかで出る、ネコの多頭飼育の現場みたいなゴチャつきっぷりになっている。

ブロイラーの飼育環境がかなりかわいそうな話はときどき聞くが、この鳥たちは自ら進んでブロイラー並の密集度を実現している。なんてこった。

 

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鳥のパラダイス7

ほとんどがカモだが、ところどころに白鳥もいる。

白鳥飛来地として有名なので、白鳥がメインキャラクターの湖ではあるが、まだ真冬ではないので白鳥は少ないのだろうか?

安物のビーフカレーの中のビーフくらいの少なさだ。まぁいいけど。

 

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鳥のパラダイス8

しかし、なぜゆえにここだけ朝の新宿駅みたいな喧騒なのだろう?

写真に写っている木製の桟橋の内側が特にラッシュだ。駅構内みたいだ。

 

おかげであの桟橋には観光客は誰も近づけない。

ヘタに桟橋に行こうものなら、糞まみれかヒッチコックか、未来はその2択だ。

 

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鳥のパラダイス9

ちょっと物事を俯瞰で見てみよう。

僕はその場を離れることにした。

 

瓢湖は広いのだ。

なのにまだ湖岸20mくらいしか見ていないのだからな。

 

 

いったん、喧騒を離れよう…

 

僕は鳥パニックゾーンから徐々に距離を置いている。

少しずつ、鳥も人も少なくなってゆく。

 

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湖岸を歩く1

ほら、もう閑散としている。

 

ま、それでもかなりの数なんだけど、僕はもうそういうバロメータ故障しているので、閑散としていると感じた。

新宿駅から田端駅に来た感覚だ。

 

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湖岸を歩く2

100mほど向こうには、まだ新宿エリアが見えている。

なんなんだ、あのカオスなエリアは。

客観的に見ると異様だ。もっとも、渦中にいても異様だったけど。

 

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湖岸を歩く3

ここまで来ると、ようやく落ち着いて説明板を読むことができる。

カモだけで3種類いる、みたいなことが書いてある。

 

しかし僕の気持ち的には、ここまでウジャウジャいるとじっくり種類を確認しようという気持ちにはならない。

なんとなく全体像を把握するだけで充分で、意識を個体にフォーカスできるほどの鳥耐性がまだ身についていない。

 

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湖岸を歩く4

瓢湖に白鳥が飛来するようになったのは1950年ごろからで、そんな大昔ではない。

 

なんかイメージ的には太古の昔とか江戸時代から来ている感じだったが、普通に戦後になってからの飛来なのだそうだ。

ここからの歴史については、後の項目でご紹介しよう。

 

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湖岸を歩く5

いい感じのソーシャルディスタンスで休んでいるカモたちだ。

しかしこれはこれでシュールな絵だと思う。

どこまでもどこまでも、一定間隔のカモ。

 

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湖岸を歩く6

少し僕も冷静になってきたので、カモをズームして撮影ができる。

黒い子がかわいいかもしれぬ。

さっきの説明板によれば、キンクロハジロだ。

 

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湖岸を歩く7

もう少し進むと、突然滅亡した世界みたいな光景が出てきた。

ハスかな?ハスが枯れている。

 

よく見るとここにもカモがいる。ハスの陰で休んでいる。

新宿に進出できないコミュ障のカモは、ここで引きこもっているのだろう。

 

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湖岸を歩く8

湖を形成する一辺の端から端まで来た。

そこには白鳥の像が立っていた。

あ、そういや白鳥の湖だったね、ここ。カモだらけで白鳥のデータが埋もれていた。

 

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湖岸を歩く9

誇らしげに聳える、白鳥飛来地の碑だ。

いつか僕も、白鳥で真っ白に染まる真冬の瓢湖を見てみたい。

 

 

タッパーご飯を食うおじさん

 

鳥の密集地帯の近くに再び戻ってきた。

ここには無料休憩所がある。なんとなしに、そこに入ってみた。

 

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瓢湖を語る1

瓢湖関連の説明板が掲示されていたり、書籍などが置いてあるものの、閑散とした休憩所であった。

僕以外には1人のおじさんがいるのみであった。

 

しかし説明板は勉強になる。

瓢湖とはいったい何なのか、ここに記載されている。

どうやら江戸時代初期に人工的に作られた瓢箪(ひょうたん)型の池で、だから瓢湖っていうネーミングだそうだ。

そっか、全然知らなかった。

 

前述の通り、1950年ごろに急にこの池に白鳥がやってくる。

"吉川重三郎さん"というおじいさんが、「自分がこの白鳥を守る!池にはエサも少なそうだから、自分がエサをやる!」と言って保護活動を開始した。

 

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瓢湖を語る2

おじいさんは白鳥に好かれるようになった。

警戒心が強い白鳥がこんなにも人に慣れることは珍しく、もうこの時点で世界的なニュースになった。

 

まぁこのあと、2代目となる"繁男さん"は白鳥から完全にシカトされてションボリしたりといろいろあったんだけど、これまた最終的には仲良くなれたりするので安心してほしい。

 

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瓢湖を語る3

そんな繫男さんも1994年に恒例となってエサやりを引退した。

その後、ずーっとエサやりおじさんは不在であった。

復活したのは2014年だ。20年もの歳月が流れていた。

 

3代目の白鳥おじさん、"齊藤功さん"。

白鳥シーズンになると1日数回のエサやりをしている。白鳥たちはこのおじいさん以外には絶対になつかないのだそうだ。

 

「白鳥は2種類いて、クチバシの色が違う」

 

急に声が聞こえたのでその方向を見ると、この休憩所にいた唯一の人物である、おじさんであった。イスに座ってタッパーご飯を食べながら話しかけてきた。

 

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話が長いので、瓢湖の敷地内の風景です1

「そこに野鳥の冊子があるから見てみるといい。まだ今年は白鳥飛来数が少なくって、6159羽でね…。」

いろんなうんちく話が始まる。おじさんはタッパーからご飯を食べながら語り続ける。

 

「あそこに掲示されているパネルを見てほしい。あの頃はオオハクチョウが…。」とか語り、そしてまたタッパーご飯をひとくちほおばるのだ。

 

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話が長いので、瓢湖の敷地内の風景です2

察しのいい僕はピーンと来たね。

 

これだけ物知り。このタッパー飯を悠々と食べている余裕の貫禄。

まぎれもない白鳥への愛。

 

「あなたは…。あなた様はもしや…。」

ゴクリとつばを飲み込んだ後、そう口を開いた。

 

20年の歳月を経て復活した白鳥おじさん。そん眼差しは、まさに本物だと確信したのだ、僕は。

 

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話が長いので、瓢湖の敷地内の風景です3

その瞬間だ。

僕の腕時計が11時を告げた。

 

外の鳥たちがより一層とギャアギャアと鳴き喚く。

どうしたのだろうとチラリと外を見ると、冒頭の湖に架かる桟橋を、1人のおじいさんが歩いていた。

11時はエサやりタイムなのだ。

 

あれ?

あれが白鳥おじさん…。

ではこの休憩所にいるおじさんは…??

 

 

タッパー飯おじさん。

 

 

それ以上でも、それ以下でもない。

白鳥に詳しく、親切なタッパー飯おじさん。

 

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瓢湖を語る4

白鳥の飛来数を正確に把握しているからすごいと思ったが、おじさんの座っている位置から外を見ると、現在の飛来数がデカデカと掲示してあったわ。

 

おじさんは、まだうんちくを語り足りない&まだタッパーご飯を食べ続けたい、みたいな顔をしていたが、こちとら白鳥おじさんに興味津々だ。

タッパー飯おじさんにお礼をいい、すぐに湖畔に向かった。

 

 

鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥鳥!!!

 

湖上の花道を、白鳥おじさんが歩く。

周囲で鳥たちが「ウホーッ!おじいさんサイコー!!」みたいな感じで盛り上げる。

そういうイベントが始まった。

 

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白鳥おじさん1

もう、とんでもない鳥の密集度だ。

こちとらコロナ禍で密集している生物を見るだけでヒヤヒヤしてしまうが、鳥たちは通勤ラッシュの小田急線みたいな感じに、お互いを潰し合っている。

これ、密集ではなくて圧縮だ。

 

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白鳥おじさん2

湖面がどこだかわからないほどだ。

序盤の鳥の密集度なんて、まだまだ序の口だった。

白鳥おじさんが出て来てから、この祭りは本番を迎えるのだ。

 

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白鳥おじさん3

白鳥おじさんは、給食で使うアルマイト製のお椀みたいな感じの容器でエサやりをする。

鳥のエサを入れた状態でフルスイングだ。

エサが美しい弧を描く。

 

カモも白鳥もそれに群がるが、ハトもやってきた。

何おじさんと呼ぶのが正解なのかわからなくなってきた。

 

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白鳥おじさん4

白鳥おじさん、エサをやる。

 

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白鳥おじさん5

鳥、群がる。

 

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白鳥おじさん6

白鳥おじさん、エサをやる。

 

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白鳥おじさん7

鳥、群がる。

 

この単純作業のループであるが、不思議と目を離せない。

人っていうのは、一心不乱に物を食べる者は動物でも人間でも、つい注視してしまう習性があるようなのだ。

さっきは僕も、タッパー飯おじさんにある程度の時間を費やしてしまったしな、納得。

 

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白鳥おじさん8

はい、ドバドバと…。

 

「うわー、おじさん!ついに肩が疲れてエサをダイレクトにブチまけた!!」って思ったけど、実は違う。

エサがすんごいつゆだくだ。配合が違う。

もう1種類のエサを取り出したのだ。

 

これにはつゆだくが好きなタイプの鳥たちも、狂喜乱舞だ。

そんなイベントがしばらく続き、そしてお開きとなった。

 

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狂宴の後1

…いかがだろうか?

これが瓢湖だ。

 

人工の池だし、白鳥に餌付けしているのも人間だ。

僕は今まで瓢湖を手つかずの大自然の、ラムサール条約的な景勝地だと思っていたが、ちょっと違った。

 

でも、とても楽しいスポットであった。

人が造った人工池にて、おじいさんを慕って鳥が集まり、その鳥を見に人間が集まり、鳥も人間もみんなで盛り上がる。

 

ステキじゃないか。

 

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狂宴の後2

あの山が真っ白に染まるころには、白鳥の数も数倍に増える。

瓢湖はさらに盛り上がる。

 

あなたもこの宴に参加してみてはいかがだろうか?

冬には冬の祭りがあるのだ。(ヒッチコック祭り)

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 瓢湖
  • 住所: 新潟県阿賀野市外城町16-15
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.150【千葉県】絶壁の狭間の聖域!「燈籠坂大師」の切通しトンネルは写真映えも最高だ!

インスタグラムで爆発的な人気となる観光スポットが稀にある。

 

「濃溝の滝」・「モネの池」・「父母ヶ浜」・「清津峡渓谷トンネル」・「あのベンチ」…。

少なくとも四角いフレームに収まる範囲で言えば、どれもインパクトは絶大であり、文化と自然の融合した芸術作品だ。

僕もそういうところには、それなりに足を運んでいる。

 

そして今回ご紹介する「燈籠坂大師(とうろうざかだいし)の切通しトンネル」も上記の例に違わない。

ここ数年でライダーさん界隈に人気爆発中のインスタ映えするスポットである。

 

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ここだ。

インスタ映えスポットなので、正直この1枚の迫力をお届けすることでもうお話は90%くらい終わってしまう。

ただ、せっかくブログを運営しているのだから、もう少し多角的に書いて行こうと思う。

 

…僕がここを訪れたのは、ある晴れた冬の日…。

 

 

国道裏の切通

 

いやはや。僕は驚いた。

 

房総半島は以前よりちょくちょく走っており、ましてや海沿いの国道はお馴染みのドライブコースであった。

燈篭大師坂の切通しトンネルは、その海沿いの国道沿いにあると言っても過言ではない。

距離にして200mほどであろう。

 

にもかかわらず、僕は近年まで燈籠坂大師の切通しトンネルを全く知らなかった。

インスタで人気沸騰してから知った。

皆さんの調査能力、素晴らしい。

 

 

ではでは、国道からのアプローチイメージをまずはご紹介したい。

 

国道127号。

房総半島を一般道で一周するならば誰もが走る、内房の国道の一角だ。

トンネル手前に鳥居のような赤いアーチがある。ここが入口だ。

 

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切通しへ向かえ1

赤い柱にちゃんと「燈籠坂大師」って書いてある。

そして、その後ろで黒い車が停まっているのが駐車場だ。6台くらい停められると思う。

 

駐車場から切通しまでは非常に道が狭いので車での侵入はよろしくない。

徒歩2分で切通しまで行けるので、ちゃんと駐車場に停めておくのが無難だ。

 

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切通しへ向かえ2

午後13時台だけども、もう太陽は見えない。

そういう谷間の立地なのだ。木枯らしが身に染みる。

 

では、歩いて切通しに向かおう。

すぐにトンネルが出てくるが、それは有名な切通しではないのでバシャバシャ写真を撮るのは時期尚早だ。

 

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切通しへ向かえ3

立て札がある。

 

これより先は駐車できません

手前の駐車場をご利用ください

※地域住民以外の車両通行はご遠慮ください※

 

手前の駐車場というのが、さっき僕が駐車したところだ。

 

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切通しへ向かえ4

ゴチゴチの素掘りトンネルだ。

有名な切通しではないが、これはこれでハンドメイド感が素晴らしい。

 

ただ、仮に車で突入したら擦れ違いはできないだろう。

インスタ等にUPするライダーさんたちはもちろんここを通過してしまっているのだが、まぁあえてそれには僕は言及しない。

 

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切通しへ向かえ5

トンネルの出口が見えてきた。

人がいるのがわかるだろう。あそこはもう切通しの目の前だ。

あの人がいるところで道は直角に右に曲がり、そしてすぐに切通しだ。

 

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切通しへ向かえ6

はい、すごーい。

綺麗に垂直に削られた岩盤。その隙間の小道が現れた。

右奥が黄金郷みたいに金色に光っている。神々しい。

 

ここが今回の目的、燈籠坂の切通しトンネルだ。

 

 

古代遺跡のような空間で

 

では、実際に切通しを歩いてみよう。

ちょうど数人のライダーさんが愛車の撮影に勤しんでいたので、うまいことその合間を縫ってトンネルに入った。

 

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切通しを行く1

うん、確かにあそこに愛車を停めて撮影したらかっこいい。

僕の愛車の日産パオもできれば停めてあげたいが、さっき『通行はご遠慮ください』って書いてあったから辞めておくわ。

 

なんか途中で地元の方と思われる軽トラがすぐ目の前までやって来て、そしてバイクが数台停めてあったのでスムーズに通れずにマゴついてしまった事象も目にした。

うまいこと地元の方にも許容いただける状態が続けばいいけど…って思う。

 

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切通しを行く2

しかし、かっこいいな…。

トンネルの天井までの高さは10mほどはあるだろうか?

トンネルの上の木々が生えているところまでは20m近くはあるのだろうか?

 

見上げるほどにダイナミック。

そんな素掘りトンネルなのだ。

あえてライダーさんが写真に入っているのは嫌味からでも無いし、本来はフレームアウトさせたかったとかそういうわけでもない。

このスケールをお届けしたかったための媒体だ。

 

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切通しを行く3

少しだけ歩いて、トンネル入口を振り返った。

真冬の低い日差しがトンネル開口部から長く射し込んでいる。

 

それが神秘的ではなかろうか。

僕はまるで古代神殿のようだと感じたが、よくよく考えたら古代神殿を見たことがほぼゼロだ。お恥ずかしい。

 

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切通しを行く4

進行方向の図だ。

既にトンネル区間は終わっている。頭上にトンネルがあったのは、15mほどだろうか?

その後は、上の写真のように深いクレバス状の切通しとなって続いている。

 

ただ、その切通し自体も間もなく終焉だ。

山の傾斜に合わせてここから50mほどで消えているのがお分かりだろう。

 

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切通しを行く5

天を仰いだ。

わずかな隙間からは、冬とは思えない緑が覗いていた。

「天上界はまだ夏なのかな?」と思ってしまうような眺めであった。

 

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切通しを行く6

再び後方を見る。

まだ入口のバイクが視界に入っているが、そろそろ切通しも終わりだ。

切通し自体の長さは100mに満たない程度なのだろう。

 

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切通しを行く7

そして出口だ。

短かかったが、そこには確かに冒険があった。

「あのSNSで有名なスポットを歩けたんだな」という満足感があった。

 

 

燈籠坂大師を参拝する

 

よし、ここで重要なことを忘れてはいけないぞ。

今回訪問したのは燈篭坂大師である。

あくまで、あの切通しは"燈籠坂大師に行くための切通し"なのである。

 

…となれば、ゴールの燈籠坂大師とはどういうものなのか見ていかねばなるまい。

なにせ、燈籠坂大師のために切通しができたとも言えるのかもしれないからな。

 

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燈篭坂大師1

燈籠坂大師は、切通しを抜けたところから折り返すように山の斜面を登る立地だ。

 

上の写真の右上の隅に赤い社が見えるだろうか?あれが拝殿のようだ。

徒歩2分ほどの距離なので、あなたもせっかくここまで行かれるのであれば、ぜひ参拝も兼ねてほしい。

 

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燈篭坂大師2

石段を20段ほど登ったところで参道は二手に分岐する。

男坂は短いが階段であり、女坂は少し距離はあるがスロープが多く取り入れられていた。

 

僕は何も考えずに目先のゴールに飛びつく人種なので、ゴールに向かって一直線の男坂をチョイスした。

 

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燈篭坂大師3

谷間を脱出し、参道にも僕にも冬の日の光が当たる。

地下から天上へと出てきた気分だ。とても気持ちがいい。

さぁ、もう少しだ。

 

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燈篭坂大師4

そして到着。

うおぉ、なんか気持ちがいい!

 

ここは切通しの真上とまではいかないが、天井部分の真横近くに当たるのだろう。

道路からの高さは20mほどだろうが、なかなかに爽快だ。

 

拝殿付近には何名かの人がベンチに腰掛けて景色を見ていた。

SNS世代は下の切通しを眺めているが、シニア世代はここからの眺めだ。

人気が二分されているのが面白い。

 

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燈篭坂大師5

景色を眺めていたら、ちょうど眼下の線路を内房線が走って行った。

深い谷間ではあるが、ご覧の通り背後には海が見えている。東京湾だ。

ここは、海沿いの房総半島一周ルートからほんの少し離れた秘境なのだ。

 

 

なぜ切通しはできたのか

 

燈籠坂大師は、あの「弘法大師」が旅の途中に立ち寄って休憩した、という伝説があるらしい。

もっとも、弘法大師さんは神出鬼没で全国各地に足跡を残しているし、なんでもなんでも弘法大師さんに絡ませているような節もある。

だけどもそういう謂れは大切にしたいね。

 

どうやら江戸時代の人々は、海沿いから山を越えてこの燈籠坂大師を参拝していたようだ。

しかしそれはシンドいので山を削ってトンネルを作り、アプローチを楽にしたらしい。

 

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歴史1

こんな感じだそうだ。

まずは明治時代、素掘りで小さな切通しとトンネルが出来た。

まぁまぁ便利にはなったが、まだ地面との高低差があるし、切通し自体が狭くて不便であったのだろう。

 

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歴史2

昭和初頭、さらに切通しを掘り下げて、現在のようにほぼフラットな路面を実現したのだそうだ。

だから現在、バイクや車で切通しを通り抜けすることもできるほどに高低差がないのだね。

 

そして、これを念頭に改めて切通しトンネルの断面をご覧いただきたい。

 

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歴史3

こんな感じで、2段階工事の痕跡がわかるのだ。すごい。

ちなみに昭和のこのダイナミックな掘り下げは、地元の人たちが頑張ってやったそうなのだからなおすごい。

 

ただ、地元の人も素人ってワケではない。

石切りのスキルを持っている人たちだったのだ。

内房を走ったことがある方であれば、この"石切り"の単語でピンと来るものがあるだろう。

 

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鋸山1

内房景勝地、「鋸山」だ。

 

上の写真から窺い知れるように、この山は石切り場跡であり、大規模な石切りが江戸時代から昭和末期までずーっと続いていた。

房州石っていう、石のブランドになっていたのだよ。

 

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鋸山2

内房の人たちは、このスキルを要していたのだ。

鋸山をここまで削っちゃうくらいだもん、燈籠坂大師の10mや20mの切り下げなんて朝飯前だったのかもしれない。

 

こうして完成した切通しトンネル。

苦労して開通させた、燈籠坂大師への参道である。

 

昭和時代に成就した利便性と、令和に通じるカッコ良さの双方を持ち合わせたこのスポット。

今後も大事に守っていきたいね。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 燈籠坂大師の切通しトンネル
  • 住所: 千葉県富津市萩生8-2
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.149【沖縄県】頑張れば台湾が見える!国境の島、与那国島の「西崎」は日本の西の果て!

その岬の名は、「西崎(いりざき)」。

 

与那国島」の最西端であり、つまりは日本の国土の一番西の端である。

 

読み方は、決して"にしざき"ではない。

「"いり”だなんて読めねーよ。覚えられねーよ。」というあなた。

「太陽は東からあがり、西にはいる」と覚えておこう。

 

ちなみに与那国島の最東端の岬が「東崎(あがりざき)」だ。

すげー納得感であろう。なぞなぞみたいだ。

 

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僕ももちろん、与那国島に行ったことはある。

この日本最西端の島をグルグルとドライブし、知り合った旅人たちと毎晩酒を飲みかわした。最高の島だった。

 

では、今回はそんな国境の島から、日本最西端の西崎のお話をしたい。

 

 

その車は鍵がかからない。

レンタカーショップ、「与那国ホンダ」。

そこの受付で僕は朝一から「すみませーん、すみませーん!」と呼び続けていた。

 

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最西端を目指せ1

なんかちょっとあなたの知っているホンダのお店とは違うかもしれないが、ちゃんと世界に名だたる自動車メーカーのHONDAだから安心してほしい。

壁に直描きされたクワガタやハイビスカスが躍っているが、まぁ落ち着いてほしい。

あと、自転車もレンタルできそうだが、驚かないでほしい。

 

僕はこれからここで車を借りるのだ。

いや、正確に言うともう借りている。

 

昨夜与那国空港に着いた途端、「はい、これ君の車だから今から自分で運転して。あ、手続きとか精算とかはいいから。明日の朝にでも来てくれればいいから。」と言われた。

なので明けて今朝なのだ。ゆるい。

 

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最西端を目指せ2

…で、ようやく出てきたスタッフのおじさんから手ほどきを受け、料金を払って正式に車をレンタルした。


ホンダ・ライフだ。

なかなかにサビサビで、ツギハギだらけのボディだ。

鍵は壊れてドアロックが掛からないらしい。僕はそれをキーレスエントリーと呼ぶことにした。

 

おじさんは「ついでだからお茶あげるよ。」と、さんぴん茶くれた。ありがたい。

そして「晴れたねぇ。予想に反して晴れたねぇ、ハハハ。」とゆるく笑って僕を送り出してくれた。

 

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最西端を目指せ3

そうなのだ。

本来、今日は降水確率80%である。しかし晴れたのだ。

まだ車のフロントガラスも地面も濡れている。ついさっき晴れ間が出たのであろう。

この奇跡を大事にしないといけない。

 

まずは一番晴れてほしいスポット、西崎を目指したのはあなたもご納得の決断であろう。

レンタルショップのある集落から10分と走らないうちに、与那国島の西の集落までやって来た。

 

あそこが日本最西端だ。

 

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最西端を目指せ4

実はね、2019年に国土地理院の地図が更新され、西崎より260m沖の「トゥイシ」という岩が最西端となったのだ。

上の写真でいうと、画面右端の灯台の上あたりの海の中だ。

満潮だと大体沈む。

 

…とはいえ!

僕がやりたいのはそういう地理的観点の極めてギリギリに立つことではない。

世間一般的な突端に立つというステータスにロマンを感じたい人なので、トゥイシとかに命かけて行くようなモチベーションは無いわ。

 

さぁ登るぞ、あの絶壁の上へ!

灯台と東屋がチラッと見えている、僕の夢みた最高の舞台へ!

 

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最西端を目指せ5

よーし、道が狭いぞー!とんでもない登り坂だぞー!
そして左右がソテツの木だらけでテンション上がりまくるぞー!!

 

ボロボロのライフはブオンブオンと唸りながら、坂を登る。

そして到着だ。

 

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最西端を目指せ6

やった。来た。

ではあの展望台へ行こう。車には鍵をかけずに行こう。そもそもかからないから。

 

 

一般人が立てる、唯一の日本の端

 

西崎。日本の最西端の岬である。

国境の島、与那国島の西の端。もうとんでもなく西にいるのだ、僕は。

 

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西崎1

九州本土の最西端とか、与那国島から見たら遥かに東だ。

大阪から見た長崎よりも、長崎から見た与那国島のほうが西なのだ。

 

なんて広いんだ、日本。

だからこそ、隅々まで行きたい。

 

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西崎2

最西端の丘の少し手前には、カジキのオブジェがある。

見上げれば空を飛ぶようにも見えるカジキ、カッコいい。

与那国島の"町の魚"がカジキなのだ。

 

では、カジキの鼻の指し示す(?)、日本最西端の展望台東屋に登ろうぜ!

 

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西崎3

灯台の横にある、琉球テイスト溢れる赤瓦の東屋。

これが日本最西端の展望台だ。

すげーいい…。風、気持ちいい…。

 

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西崎4

どこまでが日本なのだろうか?

見えているあたりはもう隣国なのだろうか?

そういうドキドキ感がたまらん。それが与那国。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

今さらながらのご紹介だが、今回の記事は上記の【特集】の一環である。

日本の極地や斜めの突端までをご紹介しているので、興味があったらあとで覗いてみてほしい。

 

ちょっと上記リンクから1つ地図を引用させていただこう。

 

 

日本が主張する領土の最東西南北端である。

結論から言うと、北東南の3つは一般人のアプローチは2021年現在で困難だ。

 

行けるのは西のみ。

(前述の通り、トゥイシの文言はスルーして考えてほしい)

 

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西崎5

そんな貴重な貴重な突端が、ここなのだ。

そりゃ晴れてほしいよな。

奇跡のように晴れ渡った国境の空を見上げ、僕は目を細めた。

 

…しかしだ。

突端マニアにとって真に重要なのは灯台でも景色でもない。

 

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西崎6

シンボルである。

こいつを何よりも見たかった。

マジで嬉しい。ゲロ吐くんじゃないかってくらいに嬉しい。

 

石板にはこのように刻んである。

『渡海の西崎の潮はなの清らさ与那国の美童の容姿の清らさ』

僕は教養がないので何言っているのかわかりそうでわからないけど、そんなことはどうでもいいくらいに嬉しい。

 

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西崎7

Webサイトで何度も見て、夢を馳せた場所に僕はいるのだ。

 

よくね、例えば日本最北端に立つと「今、俺が日本で一番北にいる!」って感じる人がいるじゃないですか。SNSなど見ても、そういう投稿は多い。

 

そりゃ事実だし、そう感じられるのはとてもステキだ。

だけども僕はなぜかそういう感情はない。

人と比べるのではなく、「日本は広いな」・「ここまで来れて幸せだな」って、なんかホンワカする。(僕の住む世界に、他人っているのかな?)

 

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西崎8

 

『日本国 最西端之地 与那国島

 

 

あぁ、いるんだよ。

今まさに僕はそこにいるんだよ。

沖縄本島石垣島と西へ西へと旅した最終到着地点。

 

日本はここで終わる。

 

 

西で果てで浮かれる僕の話

 

石碕にはいくつかのオブジェ・モニュメント・説明プレートなどがある。

突端でそういうのを見るの僕は好きなのだ。

いくつかご紹介したい。

 

まずは最西端の碑の裏のプレートだ。

 

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西崎9

上記の数字の単位は「㎞」だ。

特筆すべきは、日本国内よりも海外の方が近い点だね。

 

同じ八重山諸島石垣島に行くよりも台湾の方が近い点。

首都である東京に行くよりも、ソウルや北京やマニラの方が近い点。

距離感がバグる。

 

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西崎10

東屋の壁に埋め込まれていたプレートだ。

ここでも台湾への近さをアピールしている。

 

しかし、年間平均気温24度ってなんなのさ。

極楽か。そんな楽園で僕もヌクヌクと暮らしたいって思ってしまった。

まぁ実際はいろいろと苦労も多いかもしれないが、24度の魅力は恐ろしい。

 

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西崎11

あと、なんか黒潮与那国島に激突して無残にバラける図があった。

与那国島って固いんだなーって思った。

 

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西崎12

あと、日本最西端の碑のすぐ近くには「太陽の火」というモニュメントがある。

これは曇りの日に行ったときの写真しかなくって恐縮だ。

 

全然詳しくないんだけど、1987年に行われた「第42回国民体育大会」の主催地が沖縄で、そしてテーマが「海邦国体」だったそうだ。

そのときの採火を西崎でやったらしい。

だから上の円盤状の石に"沖縄海那国体採火記念碑"と刻んであるのだ。

 

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西崎13

最後に、やっぱもう一度日本最西端の碑を見てほしい。

手元のあらゆる写真を放出するから見てほしい。

 

これまで日本全国の突端に行ったのだが、ここは格別だった。

本州最東端の「トドヶ崎」到達と同じくらいの感動だった。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

だからね、僕はこの碑の周りをニコニコしながら盆踊りみたいに何周もしたわ。

ちょっと下の写真を見てほしい。

盆踊りにうってつけなロケーションだから。

 

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西崎14

このとき西崎には僕1人しかいなかったが、碑の周囲ではソテツがギャラリーのように輪を描いていた。

 

日本最西端は、常にお祭りモードだ。

 

 

あなたには台湾が見えるか?

 

西崎、それは台湾が肉眼で見える岬だ。

前述の通り、台湾までは111㎞。論理的に見えない距離では全然ない。

 

でも、晴れれば見えるかっていったらそういうレベルではない。

年間数回とかそのくらいの激レアなイベントだ。

 

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台湾は見えるか1

これは、僕が3泊した旅人宿の壁に貼ってあった写真の切り抜きだ。

「台湾が見えたぞ」的な新聞記事になるほどレアだ。

住民らが歓声を上げるほどの事態だ。

 

まぁ僕だって夢見るお年頃さ。

あの日は台湾見えるかなって少しは期待したさ。

雨が上がって突然の快晴。つまりは空気中のチリが少ない状態だから。

 

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台湾は見えるか2

しかし、西の水平線上には雲がかかっていた。

無念。やはりそうそう簡単ではないのだ。

 

年に数回しか台湾が見えないのは、なぜだろう?

このように雲がかかりやすいのかな?黒潮の影響かな?

気象予報士ではないので、そこいらはよくわからなかったし、調べるほどの根性もなかった。

 

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台湾は見えるか3

日を改めて行ったら、台湾どころじゃないスケールで曇っていた。

本来は日本最西端で日本最後の夕陽を見て、あなたにもその感動を伝えたかったのだが、全然無理。

空のどこを見渡しても、太陽自体がナッシングであった。

 

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台湾は見えるか4

ちょっと絶望の顔して記念撮影をした。

さて、そんな僕にもあなたにも朗報だ。

現地で台湾ビューの追体験をできそうな場所がある。

それは先にもご紹介した日本最西端の東屋だ。

 

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台湾は見えるか5

はい、じゃじゃーん。

写真の中央を見てくれ。

 

ソテツの赤ちゃんの群れではないよ。

その後ろ、東屋の壁に大きな絵が描かれているであろう。

これが、台湾が見えた日の光景なのだ。

 

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台湾は見えるか6

なんというダイナミックな大陸なのだろう。

晴れればこんなにも大きく台湾が見えるのだ。それは先ほどの写真の切り抜きからも窺い知れる。

 

こんなにも大きな陸地が、普段は雲の中に隠れているんだね。

見えなかったのは残念だが、なんだかラピュタのようなロマンがある。

レアで都市伝説チックな方がワクワクするもんな。

 

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台湾は見えるか7

この後フラリと入った雑貨屋さんで、日本最西端到達証明書が売っていたので記念に買った。

これ系は日本1周目とか2周目くらいの初期の頃しか購入していなかったので、久々の購入だ。

 

それだけ、与那国島の思い出をかたちに残しておきたかったというわけだ。

 

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台湾は見えるか8

日本の西の、端の端。

普段は他の島も見えないような絶壁の孤島で、僕はたくさんのステキな景色を見て、たくさんのステキな人たちと知り合った。

 

一朝一夕で書ききれるほどの内容ではとてもないので、また機会がございましたら、故郷の島について語りたい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.148【鹿児島県】廃墟みたいで入りづらい!戦争関連資料をグチャッと集めた「戦史館」!

「あの!!このラーメン食べ終わったら!!戦史館も見学したんですけど、いいですかーーー!!!」

 

軍歌に負けないように、僕は叫んだ。

腹から声を出してシャウトするなんて、いつ振りだよ一体。

 

…何を言っているのかわからないだろう。

僕は今、薄暗くってお相撲さんがブチかましたら崩れそうな小屋の中にいる。

そんで、90歳近い老夫婦に見守られながら、"おいしい"の真逆に位置するラーメンを食べている。

 

普通の声量で会話をしたいが、軍歌がノリノリの大音量でズンドコかかっており、意思疎通が困難である。

 

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…何を言っているのかわからないだろう。

 

でも悲しいかな、全部事実なので呑みこんでほしい。

そういうちょっとスパイシーな世界線に僕がいるのだと、とりあえずご理解いただきたい。

 

どうしても詳細を知りたいなら、下記をクリックしてほしい。

ちなみにエンターテイメント性なら、今回の記事よりも以下のリンク記事の方が高い。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

僕が現在テロンテロンのラーメンを食べているのは、「ドライブイン薩摩隼人」という名前の崩壊一歩手前の建物。

これから行きたいと咆哮したのは、「戦史館」という併設の資料館。

第二次世界大戦時代の貴重なグッズが展示されているらしい。

 

いや、怖いよ。行きたいないよ。絶対まともじゃないもんよ。

誰だよ、『行きたい』なんて書いたのは。

でも、たぶんこれは一生で一度のチャンス。そして他では味わえない体験。

これを自ら拒否してしまっては、なんのために旅しているんだよ僕は。

 

だから咆えたのだ。

軍歌がうるさいせいもあるし、おじいちゃんの耳が遠いせいもある。

しかし、何よりも自らを鼓舞するために咆えたのだ。

 

 

酒と軍服、「軍国会館」

 

「おぉいいぞ。案内しよう。」と、おじいちゃんが答える。

おじちゃんが答える。

そして食べ終わった僕を先導し、ドライブインの2階への階段を昇り始めた。

 

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軍国会館1

おじいちゃん、90歳近いとは思えないほど背筋がシャッキリ伸びていて、どんどん階段を2階へと登って行った。

逆に僕が猛暑とヘンテコラーメンでヘロヘロで、遅れを取りそうだった。

 

しかし、大音量の演歌が足元に遠ざかるに連れて、安堵感を感じた。

いや、ホントに大音量だったんだもんよ。小屋の壁、ビリビリ震えるかと思った。

 

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軍国会館2

ちょっと説明しよう。

 

上の写真はこの建物の外観の一部である。

もう「混沌とはこういうことだ」ってくらいに謎の看板が乱立しているのだが、どうやらその一部から汲み取れた情報によると、2階は「軍国会館」というらしい。

だから僕も本記事ではそのように表記する。

 

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軍国会館3

わぁ、すげぇ。

戦争関連のグッズがどうとか、そういう意味ではない。

「ゴッチャゴチャだな、おい」っていう意味での「すげぇ」だ。

まぁ1階がアレなので充分に想像はついていたが。

 

そしておじいちゃんはラジカセのスイッチを入れる。

割れんばかりの音量でBRMが流れ出した。

はい、出たよ軍歌。

 

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軍国会館4

おそらくは貴重な軍服の数々が、こうやって無造作に吊るされていると「労働者の休日」みたいに感じてしまう。

 

軍服そのものに意識が行くのではなく、「軍服の下にテーブルやイスがあるのって、座っている人はどういう気持ちだ?」とか、「扇風機が4つあるぞこの部屋!」とかに着目してしまう。

 

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軍国会館5

かといって服を着せるマネキンのセンスも問われる。

なんかみんなエスニックな顔立ちなので、いまいち感情移入できないのが僕の本音だ。

 

おじいちゃんに「これ、全部本物ですか?」と聞き、「ホンモノ」という回答は得た。

展示品に対し、おじいちゃんは丁寧に説明してくれた。

 

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軍国会館6

ぶっちゃけ雑然としているし、埃も被っている。

何もかもがメチャクシャであり、高級住宅街の綺麗好きな奥様をここに放り込んだら、狂ったように掃除を始めるであろうレベルだ。

 

だけども、ここに対するおじちゃんの思い入れは相当に強いんだろうなっていうのは感じた。

 

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軍国会館7

僕はこの部屋に対してドン引きの感情も半分くらいはあったが、展示品を見るおじちゃんの眼差しはマジであった。

きっと語り切れない思いや歴史が詰まっている。

 

おじいちゃんは語りだした。

これらは昔おじいちゃんが全国各地に足を運び、所持者から譲り受けたものなのだそうだ。

 

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軍国会館8

所持者の想いもあれば、おじいちゃんの想いも詰まっているだろう。

終戦から70年以上経過した現代において、一個人の収集物をこんな気軽に見ることができるのは貴重であろう。

 

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軍国会館9

『この鉄兜などはサイパン島の洞堀の中で見つかった鉄兜などと思います。鹿児島県遺族会の人が持って来られた軍用品です。一つ一つに霊が、魂が残っております。』

 

この貼り紙から、おじいちゃんのまじめな部分が伝わってくるよな。

1枚1枚、おじいちゃんがこれらの掲示物を手書きで書いたのだそうだ。

 

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軍国会館10

そんな熱い魂を持っていながら!!

惜しむべきはその展示センスとプロデュース力!!

 

貴重な遺品と同じ空間に飲み食い処を作るなや…。

右端をご覧の通り、割り箸や調味料が並べられている。

 

軍服と飲食物、どっちにも失礼にならないか?

清潔感についても…、うんこれはノーコメントとさせていただきたい。

 

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軍国会館11

機関銃はすごかった。男の子であれば誰しも目を停めてしまう逸品だ。

まだ弾丸がズラーッと残っているではないか。

 

そんな品々を見た後、おじいちゃんは「では続けて戦史館に行こう」と言って来た。

まだあった!

てゆーか本体はこれからだ!!

 

 

膨大な遺品、「戦史館」

 

2階の裏手には出入口がある。

ちょうど坂道の中腹へと出た。そこからおじいちゃんの後に続いて丘を登って行く。

 

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戦史館1

道端には何かの資材がゴロゴロと転がっていて若干デンジャラスなのだが、おじいちゃんは脇目も降らずにスタコラ登って行く。

 

すぐに左手の頭上にコンクリートの立派な建物が見えてきた。

あれが戦史館だ。

おじいちゃんが戦争資料を展示するためだけに造ったらしい。ハンパねぇ。

 

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戦史館2

そしてその入口である。

会議チェアが大層きたない。無数の貼り紙は充分なスペースのある館内に貼ればいいのにって思うけど、あえて屋外に貼っちゃうスタンスだ。

 

おじいちゃんが鍵を開けて重厚な扉を引くと、なんだかカビくさいような独特の酸性の香りが外に流れ出てきた。

 

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戦史館3

申し分ないほどしっかりとした建物。

そこに申し訳ないほどチープなベニヤ板とガムテープと白い布で彩を加えた資料館。

僕はそう感じた。

右端で「ようこそ」みたいなポーズをしているのは、ここのマスコットキャラかと思った。

 

おじいちゃんはザックリと一周、主な展示物を紹介しながら館内を回ってくれた。

 

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戦史館4

ただただ青い下地の上に、大量の軍艦のプラモデルが並べられている。

奥には「桜島」と書かれた岩山がある。

 

これはおじいちゃんの力作だ。

説明文の掲載があるのでご紹介しよう。

 

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戦史館5

『このコーナーは、私が小学校一年ぐらいのころ、鹿児島湾に日本海軍の軍艦が多く入港しまして私遠の部落の小さなポンポン舟で軍艦見物がありましてそれを思い出して作ったものです。セメントです。』

 

最後の『セメントです』で文章がグッと引き締まったね。

まさかの原材料を書いてきた。噴いた。

 

これは戦争が開幕するくらいのタイミングなのだろうか?

おじいちゃんは終戦時に中学生くらいだと思われるので、僕はそう考えた。

工作の技量はともかく、当時の光景が鮮明に目に焼き付いているのであろう。

 

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戦史館6

鹿屋航空隊だそうだ。

ズラっと並んでいるのは零戦だろうか?

ラバウルまで度々出撃して大変なダメージを追ったのって、鹿屋だっただろうか?

 

いくつか思い浮かぶイメージはあるが、しかしどれもこんな白い布地の飛行場ではない。

足元が悪すぎて隊列がバラけてカッコ悪いことになっている。

これ、厳しい上官にブン殴られるヤツだ。

でも何もかも、ズルズルになっている布地が悪い。こんなんじゃタイヤを取られて出撃どころじゃない。

 

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戦史館7

布・ガラス・ガムテープ・ベニヤ板。

この施設のそれらに当たる部分は、やっぱ外注しておくべきだったと感じた。

 

薄汚れたガラスの向こうに茶色いものがポテポテ置いてあるように見える。

これでは歴史的な価値があったとしてもB級テイストが拭えない。

 

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戦史館8

ビニール幕まで登場した。下部分の処理が甘すぎる。

DIY感が満ち溢れて洪水を引き起こしているかのようだ。

 

あと、軍服をズラッと吊り下げているせいで、その裏側のおじいちゃんの力作の文章が何1つわからないジレンマよ。

 

おじいちゃんは一通り説明をすると、「あとはゆっくり見ていってね。自分はさっきの2階の軍国会館にいるから。」と言って去って行った。

 

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戦史館9

改めて館内を見て回った。

一周目に比べてちょっと冷静になってきたので、各所のダメージが気にならなくなり、展示品そのものを見れた気がする。

 

…しかし、僕は元来マジメな人間ではない。

正直、展示品を見たところでおじいちゃんの本来の意思を汲み取れてはいない。

ここを訪問する他の人もそうであろう。

「戦争のことを勉強したいから戦史館に行く」という人はほぼゼロで、ネタ的な扱いで突撃する人が大半と思う。(統計を取ったわけではないので個人の主観だが)

 

今回この記事を執筆するにあたり、どんなスタンスで書けばよいのか、正直悩んだ。

戦争時代のことを軽々しく扱う気持ちはない。

ただ、戦史館というこの珍妙なスポットに足を踏み入れたいと考えた僕の経緯、そしてそのファーストインプレッションは正直に書きたい。

そんな思いからこのようなテイストで書いた次第だ。

 

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戦史館10

真面目さと天然さが入り混じった、狂気の空間。

これは他では味わえない、白昼夢のような体験であった。

 

 

記憶を紡ぐ者

 

この戦史館、及び併設のドライブイン薩摩隼人は、その歴史に幕を下ろした。

 

2020年秋、どうやらシンボルの天守閣部分が崩壊したのか取り壊したのか、なくなったそうだ。

2020年の年末から2021年の年明けごろには、数多くあった看板なども撤去され、建物の周囲が不自然に綺麗になってしまったそうだ。

 

つまり、もう営業している気配が無い。

 

 

2021年11月現在にGoogleマップストリートビューから見れる戦史館も、この状態のものに更新されてしまった。

どうやら2021年4月時の画像だそうだ。

 

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戦史館11(いただいた写真)

僕は2021年2月以降、何度も電話をした。

しかし呼び出し音が続くのみであった。

上記はそのころに現地を訪問した、Twitterのフォロワーの方から提供いただいた写真だ。

 

おじいちゃん、そしておばあちゃんはどうなったのだろう?

ドライブインや戦史館は閉鎖してしまったのだろうか?

SNSなどから情報を得ようと呼びかけたりもしたが、長らく情報は入手できなかった。

 

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戦史館12(いただいた写真)

ようやく情報を掴めたのは、2021年9月になってからであった。

情報源は、「ワンダーJAPON編集部」さん。

知る人ぞ知る伝説の珍スポット雑誌の「ワンダーJAPAN」を復刻させたSNSアカウントからの情報であった。

 

それによると、戦史館・ドライブイン薩摩隼人共に廃業。

理由はおじいちゃんが90歳になったことを機に引退を決意したため。

ただしおじいちゃんもおばあちゃんも2021年夏現在お元気、とのことだ。

 

そっか、元気か。

それは良かった。

あのスポットが閉鎖されてしまったことは残念だが、僕は安堵した。

 

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戦史館13

…ただし、だ。

おじいちゃんが半生をかけて収集した戦争遺品の数々。

それらが今後どうなるのかだけ、気がかりだ。

 

歴史的な価値っていう観点もあるのだろが、僕としてはそれよりも、おじいちゃんの強い想いの受け皿っていう観点で気になった。

 

人はいつか死ぬし、物はいつか壊れる。

だけども人の想いってのは、脈々と引き継がれるものだ。

自分の目指してきたもの、自分が生きた証を、なんらか紡いで行けたら幸せだと思うのだ。

 

 

さらば、傾く牙城よ

 

戦史館を回った僕は、再びドライブイン薩摩隼人2階の軍国会館に戻ってきた。

なんだか埃っぽいソファに腰掛けて展示品を眺めるおじいちゃんに「戻りましたー」と声を掛ける。

 

「来てくれてありがとう。また遊びに来てね。」・「九州一周頑張ってな。これは眠気覚ましだ。」とおじいちゃんは言い、冷たい缶コーヒーを1本取り出して僕にくれた。

それ、さっきドライブインでももらって飲んだばかりだけどな、もう1本くれるのか、ありがとう。

 

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最後におじいちゃんと記念撮影をした。

そしておじいちゃんに見送られ、ボロボロで崩れ落ちそうな天守閣みたいな建物の前に停めた愛車に乗り込む。

 

…たぶん、僕がもうここを訪れることがないことは、この時点で察していた。

だからこその今回の突撃であった。

一期一会。それもまた旅の醍醐味。

 

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僕はもう一度だけバックミラーから戦史館をチラリと見た後、鹿児島湾沿いを勢いよく走り始めた。

 

真っ青な海、そして桜島

さっきまでの体験は、まるで白昼夢のようにも感じた。

 

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しかし夢ではない。

一度きりだけども、忘れてはいけない体験。

普通の人がなかなか味わえない世界。

 

おじちゃんが眠気覚ましのために最後にくれた缶コーヒーをお守りのように握りしめ、僕は九州一周の続きを走る。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 戦史館(閉鎖済み)
  • 住所: 鹿児島県霧島市隼人町野久美田5540
  • 料金: 500円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 不明(不規則)