「あの!!このラーメン食べ終わったら!!戦史館も見学したんですけど、いいですかーーー!!!」
軍歌に負けないように、僕は叫んだ。
腹から声を出してシャウトするなんて、いつ振りだよ一体。
…何を言っているのかわからないだろう。
僕は今、薄暗くってお相撲さんがブチかましたら崩れそうな小屋の中にいる。
そんで、90歳近い老夫婦に見守られながら、"おいしい"の真逆に位置するラーメンを食べている。
普通の声量で会話をしたいが、軍歌がノリノリの大音量でズンドコかかっており、意思疎通が困難である。
…何を言っているのかわからないだろう。
でも悲しいかな、全部事実なので呑みこんでほしい。
そういうちょっとスパイシーな世界線に僕がいるのだと、とりあえずご理解いただきたい。
どうしても詳細を知りたいなら、下記をクリックしてほしい。
ちなみにエンターテイメント性なら、今回の記事よりも以下のリンク記事の方が高い。
僕が現在テロンテロンのラーメンを食べているのは、「ドライブイン薩摩隼人」という名前の崩壊一歩手前の建物。
これから行きたいと咆哮したのは、「戦史館」という併設の資料館。
第二次世界大戦時代の貴重なグッズが展示されているらしい。
いや、怖いよ。行きたいないよ。絶対まともじゃないもんよ。
誰だよ、『行きたい』なんて書いたのは。
でも、たぶんこれは一生で一度のチャンス。そして他では味わえない体験。
これを自ら拒否してしまっては、なんのために旅しているんだよ僕は。
だから咆えたのだ。
軍歌がうるさいせいもあるし、おじいちゃんの耳が遠いせいもある。
しかし、何よりも自らを鼓舞するために咆えたのだ。
酒と軍服、「軍国会館」
「おぉいいぞ。案内しよう。」と、おじいちゃんが答える。
おじちゃんが答える。
そして食べ終わった僕を先導し、ドライブインの2階への階段を昇り始めた。
おじいちゃん、90歳近いとは思えないほど背筋がシャッキリ伸びていて、どんどん階段を2階へと登って行った。
逆に僕が猛暑とヘンテコラーメンでヘロヘロで、遅れを取りそうだった。
しかし、大音量の演歌が足元に遠ざかるに連れて、安堵感を感じた。
いや、ホントに大音量だったんだもんよ。小屋の壁、ビリビリ震えるかと思った。
ちょっと説明しよう。
上の写真はこの建物の外観の一部である。
もう「混沌とはこういうことだ」ってくらいに謎の看板が乱立しているのだが、どうやらその一部から汲み取れた情報によると、2階は「軍国会館」というらしい。
だから僕も本記事ではそのように表記する。
わぁ、すげぇ。
戦争関連のグッズがどうとか、そういう意味ではない。
「ゴッチャゴチャだな、おい」っていう意味での「すげぇ」だ。
まぁ1階がアレなので充分に想像はついていたが。
そしておじいちゃんはラジカセのスイッチを入れる。
割れんばかりの音量でBRMが流れ出した。
はい、出たよ軍歌。
おそらくは貴重な軍服の数々が、こうやって無造作に吊るされていると「労働者の休日」みたいに感じてしまう。
軍服そのものに意識が行くのではなく、「軍服の下にテーブルやイスがあるのって、座っている人はどういう気持ちだ?」とか、「扇風機が4つあるぞこの部屋!」とかに着目してしまう。
かといって服を着せるマネキンのセンスも問われる。
なんかみんなエスニックな顔立ちなので、いまいち感情移入できないのが僕の本音だ。
おじいちゃんに「これ、全部本物ですか?」と聞き、「ホンモノ」という回答は得た。
展示品に対し、おじいちゃんは丁寧に説明してくれた。
ぶっちゃけ雑然としているし、埃も被っている。
何もかもがメチャクシャであり、高級住宅街の綺麗好きな奥様をここに放り込んだら、狂ったように掃除を始めるであろうレベルだ。
だけども、ここに対するおじちゃんの思い入れは相当に強いんだろうなっていうのは感じた。
僕はこの部屋に対してドン引きの感情も半分くらいはあったが、展示品を見るおじちゃんの眼差しはマジであった。
きっと語り切れない思いや歴史が詰まっている。
おじいちゃんは語りだした。
これらは昔おじいちゃんが全国各地に足を運び、所持者から譲り受けたものなのだそうだ。
所持者の想いもあれば、おじいちゃんの想いも詰まっているだろう。
終戦から70年以上経過した現代において、一個人の収集物をこんな気軽に見ることができるのは貴重であろう。
『この鉄兜などはサイパン島の洞堀の中で見つかった鉄兜などと思います。鹿児島県遺族会の人が持って来られた軍用品です。一つ一つに霊が、魂が残っております。』
この貼り紙から、おじいちゃんのまじめな部分が伝わってくるよな。
1枚1枚、おじいちゃんがこれらの掲示物を手書きで書いたのだそうだ。
そんな熱い魂を持っていながら!!
惜しむべきはその展示センスとプロデュース力!!
貴重な遺品と同じ空間に飲み食い処を作るなや…。
右端をご覧の通り、割り箸や調味料が並べられている。
軍服と飲食物、どっちにも失礼にならないか?
清潔感についても…、うんこれはノーコメントとさせていただきたい。
機関銃はすごかった。男の子であれば誰しも目を停めてしまう逸品だ。
まだ弾丸がズラーッと残っているではないか。
そんな品々を見た後、おじいちゃんは「では続けて戦史館に行こう」と言って来た。
まだあった!
てゆーか本体はこれからだ!!
膨大な遺品、「戦史館」
2階の裏手には出入口がある。
ちょうど坂道の中腹へと出た。そこからおじいちゃんの後に続いて丘を登って行く。
道端には何かの資材がゴロゴロと転がっていて若干デンジャラスなのだが、おじいちゃんは脇目も降らずにスタコラ登って行く。
すぐに左手の頭上にコンクリートの立派な建物が見えてきた。
あれが戦史館だ。
おじいちゃんが戦争資料を展示するためだけに造ったらしい。ハンパねぇ。
そしてその入口である。
会議チェアが大層きたない。無数の貼り紙は充分なスペースのある館内に貼ればいいのにって思うけど、あえて屋外に貼っちゃうスタンスだ。
おじいちゃんが鍵を開けて重厚な扉を引くと、なんだかカビくさいような独特の酸性の香りが外に流れ出てきた。
申し分ないほどしっかりとした建物。
そこに申し訳ないほどチープなベニヤ板とガムテープと白い布で彩を加えた資料館。
僕はそう感じた。
右端で「ようこそ」みたいなポーズをしているのは、ここのマスコットキャラかと思った。
おじいちゃんはザックリと一周、主な展示物を紹介しながら館内を回ってくれた。
ただただ青い下地の上に、大量の軍艦のプラモデルが並べられている。
奥には「桜島」と書かれた岩山がある。
これはおじいちゃんの力作だ。
説明文の掲載があるのでご紹介しよう。
『このコーナーは、私が小学校一年ぐらいのころ、鹿児島湾に日本海軍の軍艦が多く入港しまして私遠の部落の小さなポンポン舟で軍艦見物がありましてそれを思い出して作ったものです。セメントです。』
最後の『セメントです』で文章がグッと引き締まったね。
まさかの原材料を書いてきた。噴いた。
これは戦争が開幕するくらいのタイミングなのだろうか?
おじいちゃんは終戦時に中学生くらいだと思われるので、僕はそう考えた。
工作の技量はともかく、当時の光景が鮮明に目に焼き付いているのであろう。
鹿屋航空隊だそうだ。
ズラっと並んでいるのは零戦だろうか?
ラバウルまで度々出撃して大変なダメージを追ったのって、鹿屋だっただろうか?
いくつか思い浮かぶイメージはあるが、しかしどれもこんな白い布地の飛行場ではない。
足元が悪すぎて隊列がバラけてカッコ悪いことになっている。
これ、厳しい上官にブン殴られるヤツだ。
でも何もかも、ズルズルになっている布地が悪い。こんなんじゃタイヤを取られて出撃どころじゃない。
布・ガラス・ガムテープ・ベニヤ板。
この施設のそれらに当たる部分は、やっぱ外注しておくべきだったと感じた。
薄汚れたガラスの向こうに茶色いものがポテポテ置いてあるように見える。
これでは歴史的な価値があったとしてもB級テイストが拭えない。
ビニール幕まで登場した。下部分の処理が甘すぎる。
DIY感が満ち溢れて洪水を引き起こしているかのようだ。
あと、軍服をズラッと吊り下げているせいで、その裏側のおじいちゃんの力作の文章が何1つわからないジレンマよ。
おじいちゃんは一通り説明をすると、「あとはゆっくり見ていってね。自分はさっきの2階の軍国会館にいるから。」と言って去って行った。
改めて館内を見て回った。
一周目に比べてちょっと冷静になってきたので、各所のダメージが気にならなくなり、展示品そのものを見れた気がする。
…しかし、僕は元来マジメな人間ではない。
正直、展示品を見たところでおじいちゃんの本来の意思を汲み取れてはいない。
ここを訪問する他の人もそうであろう。
「戦争のことを勉強したいから戦史館に行く」という人はほぼゼロで、ネタ的な扱いで突撃する人が大半と思う。(統計を取ったわけではないので個人の主観だが)
今回この記事を執筆するにあたり、どんなスタンスで書けばよいのか、正直悩んだ。
戦争時代のことを軽々しく扱う気持ちはない。
ただ、戦史館というこの珍妙なスポットに足を踏み入れたいと考えた僕の経緯、そしてそのファーストインプレッションは正直に書きたい。
そんな思いからこのようなテイストで書いた次第だ。
真面目さと天然さが入り混じった、狂気の空間。
これは他では味わえない、白昼夢のような体験であった。
記憶を紡ぐ者
この戦史館、及び併設のドライブイン薩摩隼人は、その歴史に幕を下ろした。
2020年秋、どうやらシンボルの天守閣部分が崩壊したのか取り壊したのか、なくなったそうだ。
2020年の年末から2021年の年明けごろには、数多くあった看板なども撤去され、建物の周囲が不自然に綺麗になってしまったそうだ。
つまり、もう営業している気配が無い。
2021年11月現在にGoogleマップのストリートビューから見れる戦史館も、この状態のものに更新されてしまった。
どうやら2021年4月時の画像だそうだ。
僕は2021年2月以降、何度も電話をした。
しかし呼び出し音が続くのみであった。
上記はそのころに現地を訪問した、Twitterのフォロワーの方から提供いただいた写真だ。
おじいちゃん、そしておばあちゃんはどうなったのだろう?
ドライブインや戦史館は閉鎖してしまったのだろうか?
SNSなどから情報を得ようと呼びかけたりもしたが、長らく情報は入手できなかった。
ようやく情報を掴めたのは、2021年9月になってからであった。
情報源は、「ワンダーJAPON編集部」さん。
知る人ぞ知る伝説の珍スポット雑誌の「ワンダーJAPAN」を復刻させたSNSアカウントからの情報であった。
理由はおじいちゃんが90歳になったことを機に引退を決意したため。
ただしおじいちゃんもおばあちゃんも2021年夏現在お元気、とのことだ。
そっか、元気か。
それは良かった。
あのスポットが閉鎖されてしまったことは残念だが、僕は安堵した。
…ただし、だ。
おじいちゃんが半生をかけて収集した戦争遺品の数々。
それらが今後どうなるのかだけ、気がかりだ。
歴史的な価値っていう観点もあるのだろが、僕としてはそれよりも、おじいちゃんの強い想いの受け皿っていう観点で気になった。
人はいつか死ぬし、物はいつか壊れる。
だけども人の想いってのは、脈々と引き継がれるものだ。
自分の目指してきたもの、自分が生きた証を、なんらか紡いで行けたら幸せだと思うのだ。
さらば、傾く牙城よ
戦史館を回った僕は、再びドライブイン薩摩隼人2階の軍国会館に戻ってきた。
なんだか埃っぽいソファに腰掛けて展示品を眺めるおじいちゃんに「戻りましたー」と声を掛ける。
「来てくれてありがとう。また遊びに来てね。」・「九州一周頑張ってな。これは眠気覚ましだ。」とおじいちゃんは言い、冷たい缶コーヒーを1本取り出して僕にくれた。
それ、さっきドライブインでももらって飲んだばかりだけどな、もう1本くれるのか、ありがとう。
最後におじいちゃんと記念撮影をした。
そしておじいちゃんに見送られ、ボロボロで崩れ落ちそうな天守閣みたいな建物の前に停めた愛車に乗り込む。
…たぶん、僕がもうここを訪れることがないことは、この時点で察していた。
だからこその今回の突撃であった。
一期一会。それもまた旅の醍醐味。
僕はもう一度だけバックミラーから戦史館をチラリと見た後、鹿児島湾沿いを勢いよく走り始めた。
真っ青な海、そして桜島。
さっきまでの体験は、まるで白昼夢のようにも感じた。
しかし夢ではない。
一度きりだけども、忘れてはいけない体験。
普通の人がなかなか味わえない世界。
おじちゃんが眠気覚ましのために最後にくれた缶コーヒーをお守りのように握りしめ、僕は九州一周の続きを走る。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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