建物の前で、僕は躊躇する。
「これ、ヤベーぞ。マジでヤベー。1人で来るような場所ではない。
しかし、今入らなければきっと一生中には入れない。
逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…!!」
意を決して、僕は建物内に入ろうとする。
うむ、入口はどこかな?
*-*-*-*-*-*
…さぁ、刮目せよ!
コロナ禍の始まる少し前のある日、僕はとんでもない食堂に足を踏み入れる。
「ドライブイン薩摩隼人」・「戦史館」・「軍国酒場」…。
いくつかの呼称があるが、ここではドライブイン薩摩隼人と呼ばせてもらいたい。
いやしかし、こんなドライブインは一生に一度だぜ、マジ…。
戦慄の車中泊で見たものは!
ちょっと話を遡ろう。
日本5周目のお話である。
薩摩半島最南端の「長崎鼻」で夕陽を見て、鹿児島市内のラーメン屋で夕食にした僕。
夜の鹿児島湾を大隅半島方面に走っていた。
「そろそろ眠くなってきたな」と思っていたところ、暗がりに店舗のようなものと広めの駐車場があったので、愛車をそこにピットインさせた。
闇夜に浮かび上がった、そのシルエットに僕は恐怖した。
ボロボロの館…!?
なんかさ、深夜ドライブで車を停めたら太古に戦で滅んだお城で、怪奇現象がいろいろ起きて…っていうベタな怪談を彷彿とさせる。
なんなのか気になる。
しかし当然この時間はやっていない。
ちょっと、ここで朝まで仮眠させてもらおう。
いい夢を見れますように…。
そして改めて朝だ。朝の5時台だ。
昨夜の建物を見上げた。
改めてクレイジーだ。朝日で浮き彫りになった天守閣のような屋根の部分の骨格が、相当に儚い感じに見えるぞ。
台風来たら全部飛んでいきそうだ。
ジャンクさが大渋滞している。
雑多な感じがとんでもない。
波照間島の「たましろ」と那須の「戦争博物館」を足して2で割って、それに廃材をパラパラ振りかけた感じだなって思った。
文字情報もとても多い。
一番目立つ太字は『戦史館 強ぃ日本軍魂』って書いてある。
小さい「ぃ」が、一昔前のギャルのようだ。
・老兵は死なず ただ消え去るのみ
・燃ゆる思いは大阿蘇か たつすいさをは高千穂や
・さつまの軍人さんは西郷さんの志をついておられたから出さなかったそうです。牛小屋のワラの中に隠し持っておられた物です。
・大山大将は鹿児島市出身です。西郷さんの部下だったそうです。
・朝日に映ゆる高千穂の 聖き姿を振り仰ぐ 隼人の気魂烈々の 誓いに燃えて空を征く
・海とう天をつくところ 燃えて火を吐く櫻島 花はつぼみの稚児桜
・個人 日本一 戦史館 ヨコミチ
さぁさぁさぁ!
朝の5時台なのに胃もたれして来たな!
文字フォントがパワフルすぎて暑苦しいぞ!
・百聞が一見にしかず 耳で聞くよりひと目で見た方が良いと思います。
・国のために 戦死なされた人達の遺品が数多く供養されております
・現在の日本の発展は、この戦争で散華された幾多勇士の尊き犠牲に依ってもたらされたものである。この心理は今後幾星霜を経ても決して消滅することなく後世に継承されることを信ずる。 店主
・国のために310万人の兵隊さんの遺品・写真など数多く供養されて居ります
なんなんだ、気になり過ぎる。
徐々にしっかり建物に日が当たってきているが、なんだこの奇抜すぎるデザインは。
凡人には描けないフォルムだ。
すっごい不器用な小学生が夏休みに造った割りばし工作みたいだ。
三角屋根をさかさまに乗せたような部分が気になり過ぎる。
天文館で43年 隼人10線で38年 今だ現役 チスレ行ケ
「天文館」とは、鹿児島市の繁華街の名前だ。
「隼人10線」は、国道10号線の薩摩隼人という意味だろう。
「今だ現役」は、きっと「未だ現役」ってこと。
最後のフレーズはわからん…。
接続された建物の前には、「うどんそば」の立て看板。
あとは、元気なフォントで「ハチミシ.黒糖 たい焼」って書いてある。うん、ハチミシ。
堂々たる「横道店」。
あとでわかるのだが、横道というのは店主の名前だ。
うん、知っている。
まだ会ったことすらない店主に、心の中でツッコミを入れた。
この建物の名は、戦史館。
(後日、1階部分がドライブイン薩摩隼人だということを知る)
ご飯を食べることもできる。
オーナーの名前は「横道さん」。
ひとまずこれだけの情報は掴んだ。
過去も走っているはずなんだけど、気付かなかったな。
夜のことが多かったからかな。
愛車に乗り込んで、走行スタートする。
口直しに、道路を挟んで反対側の「桜島」をどうぞ。
帰宅後、Webでこの施設の調べた。
内容は後述するか、「次回鹿児島をドライブをする際には絶対に立ち寄ろう!」と決めた。
…これが、僕とこの店との出会いであった。
さて、少しだけ月日が流れた。
日本6周目の僕だ。
今日は朝イチから皮膚科に行くハメになって若干浮かない顔をしているが、天気は最高だ。
桜島がめっちゃカッコいい。シビれる。
昼前に、懐かしのドライブイン薩摩隼人にやってきた。
よしよし、今日は元気に営業しているようだ。
以前の 『強ぃ日本軍魂』の看板がなくなってしまっているが、大丈夫だ。このお店は、まだまだ強いままだ。
しっかし、このジャンクさよ。
「マッドマックス」に登場しても違和感ないぜ、この店。
世界観からして違うのだ。
営業中の立て看板があり、シーツのような白いのれんに「ヂャンボ からあげ屋」と書かれているが、不安しか感じない。
見たことないタイプのからあげ屋だ。
奥の方の三角屋根の前には、ハンドメイドではなく既製品の幟が数本立っている。
からあげとかうどんとか書いてある。
既製品を見たことで、ほんのちょっとだけ心臓の鼓動が落ち着く。
いやしかし、ここはドライブインの概念をどうみても超越しているだろう。
ドライブ中に「あ、ドライブインだ。ランチしていこう。」とはなりにくいビジュアルだ。
ことさらドライブデートの途中に立ち寄ろうものなら、嫌われるかある意味尊敬されるかのどっちかだ。(僕は後者がいい)
怖いよ。あぁ、怖いさ。
でも行くしかない。
チャンスは今回が最初で最後だと覚悟してきた。
入口はここか?
演歌だか軍歌が、中からすんごい音量で聞こえてくる。
中を覗くと、すぐ目の前は薄暗いバーカウンターのような場所だった。
帽子を被ったおじいちゃんが1人、座っていた。
オーナーの横道さんだな。御年89歳だそうだ。
「こんにちはーー!」と声をかける。
おじいちゃんは「どうしたー!?」、「戦史館!!?」と聞いて来ているようだ。
しかし、軍歌の音量がすごくて全然聞こえない。
僕:「ランチ!」
おじいちゃん:「はぁ!?」
僕:「お昼食べたいんだけど、やってますか!!」
おじいちゃん:「なにー!?」
僕:「お昼食べられますか!!!?ラーメンとか!!!」
ようやく通じたようだ。たぶん。
「じゃあこっちへ入りなー!!」
台風直後みたいにガッチャガチャに引っくり返った建物内の小道を抜けて、深淵へと誘導される。
なるほど、これだけ温暖でいい気候の鹿児島湾沿いで、この店には窓1つ無いのか、そっか。
アンダーグラウンドな気配が充満している。
おじいちゃんは僕をカウンターに座らせると、その向こうに佇むおばあちゃんに対し、「お客さん!!ラーメン!!」と叫んだ。
あ、もう僕ラーメンをオーダーしたことになったのか。
まぁいっか。
このクソ暑い中で、クーラーの無い店内でアツアツのラーメンを食べるのは、悟りを開けちゃうかもしれないけど。
…で、おじいちゃんからのオーダーを受けたおばあちゃんなのだが。
微動だにしない。
ダメこれ。
歌の音量デカすぎ、かつ店内ゴチャゴチャすぎてさ、おばあちゃんは僕が入ってきたことすら気付いていない。
もう、なんだこれ。
おばあちゃんもそれなりのお年なのだから、耳が遠いのかもしれない。
もうちょっと音楽のボリュームを絞るといいのでは?って思ったけど、そのアドバイスすら聞こえないであろう。
おじいちゃんは大きく息を吸い込むと、「ルァァーームェーーンン!!」と、ヘビーメタルのヴォーカリストのようにシャウトした。
カウンターの向こうのおばあちゃんがピクリと反応した。
通じたのだ。
おばあちゃんが僕の方を向き、その口のかたちが「いらっしゃい」と動いた。
音は聞き取れない。今は演歌がうるさい。
さぁさぁおばあちゃん。
作ってくれ、僕のラーメンを。
って思ったら、おじいちゃんが「じゃあワシ、奥でラーメン作ってくるわ」と消えていった。
アンタが作るんかい。なんでさっきおばあちゃんにオーダーしたよ。
もう、なんだこれ。
おじいちゃんが奥でラーメンを作っている間、僕はおばあちゃんとカウンター越しで1on1だ。
軍歌のボリュームが大きくてほとんど聞こえないが、たぶん「はいお水」と言われてカウンターにグラスが置かれた。
飲んでみた。常温だった。
おばあちゃんが「どこそこから汲んできたいい水で…」と説明しているような気がするが、爆音軍歌の中では固有名詞はほぼ聞き取れず、高度のリスニング能力が必要だ。
いい水でなくっていいけど、冷たい水が欲しい気がする。
今日は朝8時から汗だくになるくらいに暑いのだ。南九州、ヤベェのだ。
カウンターの背面を撮影させてもらった。
つまり、僕の視線の先がこれだ。この写真の中央に、こっちを向いているおばあちゃんが立っていると想像してほしい。
情報量が多いな。
たぶんおばあちゃんがいなくなり、ラーメン登場まで1時間がかかっても苦にならない。
そのくらい、得るべき情報の多いカウンターである。
『昔の味で出しています』って、なんだろう。
そばやラーメンに文明開化ってあったっけ?
次に、僕が座っている位置から首を右に回してみよう。
伝説のダウンタウン、「九龍城」みたいなことになっている。
各所に貼り付けてある波状のトタン板は、どれだけの歴史を見てきたのだろう。
それと、延長コードが空中を横切っているのが壮観だ。
ここの部分とか、もうサーカスみたいで優勝。
あと、元気からあげ・大安からあげ・若とりステーキなどの貼り紙がある。
「大安からあげ」はたぶん「おおやす」と読むのだろうが、「たいあん」みたいでおめでたいことになっている。とても良い。
『昔の味で出しています』
あくまでこの店は、クラシックスタイルにこだわるのだ。
大切なことだからな、2度言ったぞ。
先ほどの写真にも写っているが、カウンターの後ろ側にはとんでもないスペースがある。
これは…、「小上がり」と呼んでいいのか?
小さな小さなテーブルが無ければ、ただの荷物台だろう。
しかし、そこにテーブルがあるだけで、僕らはものの見方を変えねばなるまい。
おそらく手作りの木の台の上に、絨毯の切れ端。
そこに小さなテーブルを設置。
これで、幅数10cmのワンダーランドの完成だ。
座ろうとすると扇風機やコード類が絶妙にディフェンスしてくるけどな。
座布団もないので、あなたのお尻にとっては過酷な環境だろう。
…さて、おばあちゃんとの会話であるが、すっごい難易度が高かった。
とにかく軍歌と演歌のボリュームが大きく、聞こえないのだ。
声が聞こえないからお互いカウンターに乗り出すようにし、大声で会話した。
怒鳴るように声を張り上げていたが、決して怒っているのではない。
こうしないと意思疎通ができないのだ。
僕、ラーメンの待ち時間のうち、半分くらいは立ち上がっていたような気がする。
こうして会話した内容は、大体以下の通りだ。
おばあちゃん:「あの人は器用でね。なんでも1人で作るの。この建物の上のお城みたいなのも、あの人が作ったのよ。すごいでしょ。」
おばあちゃん:「えー!あなたそんな遠くから九州まで来て、1人で一周しているの!?青春ね!」
おばあちゃん:「以前は鹿児島の中心で軍国酒場をやっていたんだけどね、昨年にお店を畳んで、今はこっちがメインなの」
文字に起こすとシンプルだが、一節一節で「え!?なんすか!?」と言い、何となく聞き取れたら「~ってことですか?」と復唱する。
そして、おばあちゃんが「そうだ」とうなずいたら、「へぇー、すごいっすね!」と、アメリカ人のように大げさなジェスチャーをつけて返答する。
大変な労力なのであった。
摩訶不思議ラーメンと対峙する!
20分くらい待っただろうか。
おじいちゃんがラーメン持って登場した。
「うまいぞー!これを食べると元気になるぞー!」って、ニコニコしながら言ってた。
さてさて、具材の多くがフレッシュだなって思った。サラダだ。
キャベツとネギには火が通っておらず、きっと歯ごたえはシャキシャキだ。
ネギは切っているうちに途中で腕力がなくなったのだろうか。
薄い切れ込みが入っただけの、見事な筒状で転がっているケースが散見される。
ワイルドスタイルである。
目玉焼きと、その下にあるなんか秘伝のタレを絡めたかのような鶏肉はおいしそうだと思った。
しかしスープが見えない。
最近では、まぜそばや汁なしラーメンなどが流行っているが、このお店もそれに追従しているのだろうか?
だとしたら、『昔の味で出しています』はどこ行った?
まぁごたくはいい。食べるか。
「いただきます」と言うと、おじいちゃんは「おぉ!食べてくれ!」と得意げだ。
まずは、おじいちゃんがラーメンと共に割り箸を持ってきてくれてよかったなぁ、って思った。
なぜなら、カウンターにある箸立てにも箸袋に入った割り箸があったのだが、その箸袋がちょっとベタついて変色していたのだ。
おじいちゃんの持ってきてくれた割り箸の袋は、キチンと綺麗だった。うれしい。
最初にスープを飲みたかったが、スープが見えないのでまずは麺を食べた。
フニフニだった。
歯のない老人でも余裕の、優しさがほとばしる煮込み具合だ。
僕は固めが好きな人種なのだが、これは好き好きだろう。正解は無い。
次にキャベツを食べた。もちろん生だ。
味付けもないので、鶏肉と一緒に口に入れた。キャベツと肉の触感にギャップがあったものの、味のお裾分けが実現した。
スープが姿を現した。レンゲの登場である。
おじいちゃんが持ってきたレンゲは、なんだか黒ずんでいる。
卓上のティッシュで拭くと、レンゲは白く、ティッシュは黒くなった。
問題解決した。
ようやくたどり着いたスープ。
ぬるい。
ラーメンを作り終わってから目玉焼きを焼き始めたと推測した。
カウンターの奥の貼り紙をまじまじと見た。
そして小首をかしげた。
「あつあつ」…。
おじいちゃんは、相変わらずニコニコしながら横に座り、「どうだ!うまいか!」と言っている。
いろんな意味で温度差があるなって感じた。
あと、おばあちゃんがおじいちゃんに「この人はすごいの。すごい遠方から来て、車中泊で九州一周しているの。」みたいなことを言っている。
もちろん演歌がだいたいかき消してくれて、僕の耳にはニュアンス程度しか届かない。
おじいちゃんは「ほう!そうかそうか!そういえば数日前に来た連中も…」みたいに語りだした。
あ、一見さんのお客さんも来るんだ。正直、失礼ながらそう思った。
おじいちゃんは「若いころにいろんな世界を見て回るといい」と言っていた。
これはすごく同感です。ありがとう。
一度席を外したおじちゃんが戻ってきて、「これを飲んでいきなさい」と、キンキンに冷えた缶コーヒーをくれた。
とてもありがたい。
ラーメンの後半戦、僕はコショウをかけたいタイプの人間である。
しかし、卓上のコショウケースは湿気でペッタペタになっていて、1ミリたりとも出てこなかった。
まぁしょうがない。おじいちゃん、おばあちゃんとの会話がスパイスだ。
味に集中する必要がなくなるし。
ごちそうさま。
ひとまず完食できた。一生忘れられないラーメンだったよ。
あのお店の、2021年現在は…!
何度目だろう。
いつまでも鳴り響くコール音にため息をつき、僕はまたスマホを切った。
僕は2021年2月以降、何度もこのドライブイン薩摩隼人に電話をしている。
しかし誰も出てくれないのだ。
3月26日、僕はTwitterを用いてフォロワーの方々に現地情報のご提供を依頼した。
数時間後、現地にて写真を撮ってくれた方がいる。
この度、許可をいただきその写真をここに掲載する。
天守閣のようなオブジェが無い。
あれほどあった看板もない。
閉店してしまったのだろうか…。
2020年、コロナ禍の中でも「コロナ割り」などの名目で、さらに値引きをして営業していたことを知っている。
2020年秋、どうやらシンボルの天守閣部分が崩壊したのか取り壊したのか、なくなったそうだ。
かなり痛々しい写真である。
なぜか1つ残った立て看板、『いつまでもあると思うな親と金 ないと思うな地震と津波、台風』。
これが皮肉に思えてしまう。
看板が撤去されたのは、2020年の年末から2021年の年明けごろなのだそうだ。
そのころから、この店が営業しているのを見た者はいない…。
せめて僕は、このお店がどうなったのかをしっかり確認したいのだが。
横道さんは、2021年現在は91歳だろうか?
人知れず、引退してしまったのだろうか?
まだ建物内に軽自動車が停まっている。
ナンバープレートがあるということは、登録上は生きているということだ。
リニューアルをし、このお店にまた横道さんが現れることに、一縷の望みを託したい。
また、これをお読みのあなたがもし、このお店の情報を得たのであれば、僕に教えてもらえるとありがたい。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
ねぇ、横道さん。
今だから話すよ。
あのラーメンはね、
「食べると元気になる」のではない。
「元気な人しか食べられない」って言うんだと思うよ。
ネギ、すごく辛くて涙が出そうだったよ。
僕が味わったのを「ラーメン」だとするなら、評価は限りなく低いよ。
しかしね、僕は味だけを求めているのではない。
店の雰囲気、店員さんの人柄、そこであったエピソード。全部ひっくるめた思い出を求めているのだ。
「そんなボロボロのお店に入って、マズかったらどうするのさ」
人からそういう言われることも多い。
仮にマズかったとしよう。
それでも、個性的なお店に滞在したことや、店員さんとのやりとりに価値を見出せればいいじゃないか。
食事はエンターテイメントなのだ。
だからさ、もし僕がこの店で味わったのが「旅情」だとするなら、限りなく評価は高いものだと感じてる。
だから、ありがとう、横道さん。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
…時間軸を少し戻そう。
「あの!!このラーメン食べ終わったら!!戦史館も見学したんですけど、いいですかーーー!!!」
軍歌に負けないように、僕は叫んだ。
「おぉいいぞ。案内しよう。」と、おじいちゃんが答える。
あなた、もしやラーメンの話だけでお腹いっぱいになったりなんて、していないよな?
ここからがメインだぞ。
横道さんが個人で収集し、作り上げた戦争博物館「戦史館」に行くのだ。
まぁでも、僕も鬼ではない。
少しだけインターバルを置こうな。
呼吸が整った人だけ、以下に行ってほしい。
drive-ns.hatenablog.com
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報