宮城県仙台市には、「日和山(ひよりやま)」という標高わずか3mの山がある。
国土地理院にも認定されている、日本一低い山である。
…と、サラッと書いた。
感情を抑えて、あえてサラッと書いた。
しかしその裏で、この山は数奇な運命を辿ってきたのだ。
ねぇ、宮城県のみなさん。
仙台市の皆さん。
僕が、この山のことを語っても良いだろうか?
どうしてもセンシティブな内容に触れざるを得ないが、せめて最大限の愛を持って執筆したいと思うんだ。
旧・日和山の思い出
2009年…。
東日本大震災発生の、1年11ヶ月前のことだ。
僕は宮城県石巻市まで桜前線を追いかけるドライブ旅行をしており、その際に仙台市に立ち寄った。
目的は、"元祖日本一低い山"と言われる日和山である。
これが、僕が今まで訪問した「日本一低い山」だ。
日本一低い山とは、様々な定義から複数存在している。
その中で日和山は"元祖"の称号を持っているのだ。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
日和山の場所はツーリングマップルには掲載されているものの、住宅地の奥にあってかなりわかりづらい。
カーナビにも出て来ないので、手探りで進む。
大きな目印は、「三井アウトレットパーク 仙台港」の観覧車だそうだ。
前年である2008年の秋にできたばかりらしい。
それを横目で見ながら通過する。
うーん、ずいぶん曇ってきたな。
昼間の石巻はポカポカの青空で、そして桜も満開で最高だったのに。
もうすでに18:00近いということもあるが、この天気は残念だ。
日和山は、海ギリギリの「蒲生干潟」っていう干潟の中にあるらしい。
とりあえず大体のポイントを定めて海に向かって走っていると、日和山を示す看板を発見。
しかしその先は車両通行止めだったので、付近の駐車ペースに愛車を停めて歩くことにした。
住宅の間の狭い路地を抜けると、池の向こうに小高い丘が見えた。
あれが日和山だ。
相撲の土俵を彷彿とさせるような、台形状の山だ。
その標高は、6.05mである。
どうやらあれは人工の山(築山という)だそうで、明治時代に漁師さんがその日の天候を確認するために、小高い丘にしたのだそうだ。
さぁ、登山口までやってきたぞ。
眼前に聳えるは、頂上まで続く急峻な14階段。
一気に攻略してやる。
僕は、昔日本に存在したというNINJA(忍者)のような素早い身のこなしで、この山を駆け上がった。
4秒だ!
ダッシュ開始から4秒後、 僕は山頂で歓喜のジャンプを繰り返していた。
元祖日本一低い山、今攻略してやったぞ!
山頂から見た、海側の景色がこれだ。
ビチビチの干潟が広がり、そしてすぐ先は太平洋だ。
あなたはわずか6mだと笑うかもしれないが、ほぼ周囲が海抜0m近い平地なので、この6mはなかなかに高い立地なのだ。
ツーリングマップルの内容をご紹介する。
日和山の周囲が水浸しであることがよくわかるであろう。
まさに干潟の中の浮島なのだ。
前述の、日和山の全容写真の左側にも写っているが、山のふもとには小さな社がある。
「川口神社」という名前だそうだ。
お参りをし、写真に記録をしておいた。
登山口近くにある、日和山の看板である。
かなり経年劣化が激しいが、『元祖 日本一低い山 日和山 標高6.05m』と書かれている。
「元祖」の部分だけ、印字が新しいのがポイントだ。
それがなぜなのかは、後述しよう。
曇っているのが残念だが、これにてミッション終了。
もしまた機会があれば、晴れた日に来よう!
寒い寒い。
では、仙台中心地にあるお気に入りの牛タン屋さんでも行くか!
…しかし、その後に僕がこの状態の日和山を登ることはなかった。
従い、本記事内ではこの山を"旧・日和山"と呼ぶこととした。
あの山を追悼するために
2011年3月11日、東日本大震災。
沿岸部にあった日和山は、巨大津波の直撃を受けて消滅したそうだ。
ニュースで知り、とてもショックを受けた。
しかしそれ以上に北日本を中心とした人的被害・町の被害が甚大すぎてショックだった。
リンク先の通り、僕は福島県にボランティア活動に出かけたりしていた。
そんなこんなでいろいろあり、かなり遅れてしまったけれども、宮城県の海岸沿いを走るドライブにやってきた。
えっと、確かこの観覧車が目印だったな…。
というより、ここは自身の津波、大丈夫だったのだろうか?
間違いなく浸水はしたと思うのだが。
蒲生干潟。
看板のこの文字を見るだけで、胸がキュッとする。
既に周囲はかつてのものとだいぶ違う。
不自然に建物が無いのだ。
きっと津波で全て消滅してしまったのだ。
そのうち、蒲生の集落跡に入った。
一面が荒野であり、残った家屋の基礎が、ここがかつて人々の暮らす地域であったことをかろうじて教えてくれる。
心が痛い。
家々は無いが、なんとなくかつての日和山があったであろう場所を見つけ、車を降りた。
かつての日和山はどこだろう…??
暗い気持ちのまま、僕は探す。
仙台市の沿岸部って海が遠浅だし、陸側も平野がずっと続いているんだ。
津波が来ても逃げ場はないし、波がすごいスピードで内陸に向かって進んで行ったのだろうな…。
干潟のすぐ脇には「七北田川」という比較的大きい川がある。
津波はこの川に突撃して行ったのだろう。
つまりはここいらは、そりゃもう甚大な被害を受けたと思うのだ。
見当をつけて進んでいくと、かろうじて続いていた未舗装の道すらなくなった。
この先は深いヤブだ。
津波で何もなくなった土地に、雑草が生い茂ってきたのだろうか?
とりあえずそのヤブを掻き分けながらさらに進む。
ヤブを抜けた先には…。
さらにヤブしかなかった。
もう、干潟があったのかどうかすらわからない。
どこが日和山だったのかすら、よくわからない。
カクゴはしていた。
その上で、ケジメをつけるためにここに来たのだ。
僕がヤブ漕ぎをした地点のすぐ横には、「高砂神社」という神社があった。
ここもかなりの被害の痕跡がある。
鳥居は近年新調したのだろうが、その後ろの参道はひどい有様だった。
燈篭も石碑も、津波で倒れたり壊れたりしたのだろう。
それを丁寧に参道に並べ直してある。
その奥には、おそらく簡易的に設置したであろう拝殿だ。
狛犬も、なんだか表情がよくわからないことになっていた。
参道を後ろ側から見る。
大層立派な『日露戦役記念碑』が倒れたままだった。
デカすぎて誰も起こせなかったのかな?
右手には数本の松がしっかり聳えていた。
津波に耐えたんだろうね、すごい。今後も頑張ってほしい。
でも、僕がもうここに来ることは無いだろう。
全てが終わったことを見届けに来たのだから。
だけどもね、日和山はちゃんと記憶と記録に残しておく。
僕が震災前からWeb公開している【日本一低い山リスト】には、今後も残すからね。
思い出は永遠に…。
その山は復活し、返り咲く
2014年4月9日、日和山復活!!!
そのニュースで僕は泣きそうになったさ。
国土地理院が改めて跡地を測定し、「3mの山として認める」と正式発表したのだ。
山は復活した。
今まで国土地理院に認められていた日本一低い山である、大阪の「天保山」を下回る標高で復活した。
ヤベ、泣ける。泣けすぎる。
偶然にも、その数日後に僕は仙台に出張していた。
あの三井アウトレットパーク仙台港のすっごい近くのビジネスホテルに泊まった。
あぁ、日和山に行きたい!
うおぉ、行きたい!
そんな気持ちで昼休みに公園のブランコを漕いだ。
結果、この出張中には日和山には行けなかった。
しかし、東北に訪れた春の気配が、すぐ近くに復活した日和山とリンクし、とても温かい気持ちになった。
近いうちに、また東北をドライブしよう…。
その際には絶対に、復活した日和山(「新・日和山」と呼ぼう)を登ろうって、心に決めつつ、仙台の夕日を眺めた。
*-*-*-*-*-*-*-*-
― 3ヶ月後 ―
えーと、確かここいら辺だったよなー…。
三井アウトレットパーク仙台港の観覧車を横目で見ながら、愛車HUMMER_H3のハンドルを握る。
帰ってきたぜ、東北!!
僕は今、車中泊で東北を一周巡る旅をしてるのだ。
早朝6時台。
石巻市の沿岸部の真っ暗な津波被災地で車中泊をしていた僕は、夜明けと同時に車を走らせて仙台までやって来た。
夏草に覆われた、津波被災地。
しかしそれらの草が生えているのは、かつての住居だ。
目を凝らせば家の基礎が見える。
ボコボコに歪んだ道を進み、適当なところで車を停める。
日和山があると思われる方面に歩く。
あぁ、この道とこの木は、少しだけ覚えている。
震災後は、この道の左端にトトロのぬいぐるみが置いてあったのだ。
そして…。
新・日和山だ。
土手なのか何だかわからないような立地だけど、山頂には聖剣エクスカリバーみたいな木が刺さっていて、神々しかった。
手前に朽ち木で囲まれているのが、きっと登山道なのだな。
薄っすらと土の階段が見えている。
登ろう。久々の日和山登山だ。
0.7秒で山頂到達。
登頂と同時に、ずっと晴れていたこの旅で初めての雨が降って来た。
しかし心は晴れやかだった。
山頂からは、太平洋と干潟を見ることができた。
前回はなぜ干潟を見ることが出来なかったのか。
干潟が近年復活したのか、それとも僕の進路が少しズレてしまっていたのか。
それはちょっとわからない。
しかし、昔と似たようなおだやかな干潟に、安堵感を覚えたのは事実だ。
干潟ってさ、いろんな生き物がいるんだろ?
そんな生き物たちがまた戻って来てくれているなら、とても嬉しい。
上の写真、左下には2羽のカモがゆうゆうと泳いでいるのだ。
なんと癒される光景だろうか。
看板はラクガキで結構汚い。
右下には『来た時よりも美しく』と書かれているのに、汚くされている。
いや、これが訪問者たちの美的感覚?
…まぁ、アレだ。
これで僕が嫌悪感を抱いたかと言うと、ぶっちゃけそうではない。
メッセージの中には山の復活を喜ぶものや、被災したこの地を励ますものが多かったからだ。
過去、震災ボランティアをしていたとき、数多くのこういう激励の手書きメッセージを見てきた。
場合によっては、Web・SNSよりも手書きの方が思いが伝わるってのは、ある。
そういう柔らかい思考も持ち合わせたい。
今日、ここに来れたことに、心からの感謝をしたい。
また会えてうれしいよ、日和山。
前回立ち寄った、高砂神社とその脇の松の木。
これらもほぼ同じ姿を見せてくれていた。
でも、鳥居は短い年月でずいぶん傷んだなぁ。潮風の影響かな?
前回は取り上げなかったが、高砂神社の近くには1本のすっごい高い松の木がある。
「さんこやずの一本松」というらしい。
あまりWebなどでも出て来ない、レアスポットだ。
今後も力強く、この地に生きてほしい。
そう願い、再び僕は車に乗り込んで東北一周の旅を再開した。
初夏に輝く日和山
また少し、月日は流れた。
三井アウトレットパーク仙台港の観覧車だ。
うん、みんな知っているな。
蒲生地区の、かつての津波被災エリア。
もう草が生い茂っていて、昔からこういう草むらであったかのようになっている。
年月が経過したためなのか、それとも初夏の草木の生命力のなせる技なのか…。
…と思ったら、復旧工事が始まっていたりした。
日和山を目指す人はごく少数なので、日和山を示すような看板があるわけでもなかった。
どこをどう行けばいいのかわからない。困る。
なんとか回り道をしながら、高砂神社を発見し車を停められた。
思い出の道と、特徴的な立ち枯れの木だ。
震災後は、この道の左端にトトロのぬいぐるみが置いてあったのだ。
そして、日和山だ。
青天をバックに聳え、すごい生き生きした顔をしていると感じた。
絶好の登山日和だ。
あ、今僕は"日和"という単語をサラッと使ったな。
言語面でも日和山と握手できた瞬間である。
山麓にて、少し角度を変えてもう1枚撮影してみた。
上の写真といい、さらにもう1つ上の写真といい、正直山らしさはない。
土手のようだ。
しかし国土地理院が山だと認めたのであれば、これはれっきとした山なのだ。
胸を張ろう。
前回に比べて階段が整備された登山道。
足腰ラクになっただろう。
ちゃんとふもとに「登山道」と書いてあるので、遭難する人も激減だ、これ。
1.0秒後。
登頂した。
登山道が整備されたのに記録が0.3秒も遅くなったことにヤジが飛んできそうだが、そこは温かい目で見てほしい。人生はいろいろあるのだ。
今、一番低い山の一番高いところに、僕はいる。
こういうナンバーワンがあってもいいと思う。
改めて、山頂である。
前回刺さっていた聖剣エクスカリバーはなくなっていた。
どこぞのアーサー王が無事に引き抜いたのかもしれない。(おめでとう)
横にはヒマワリだ。
もうすぐ開花しそうだな。黄色い花が咲いたら、さぞや山頂は絵になるであろう。
そして、これが山頂からの絶景である。
蒲生干潟だ。
美しい干潟、ほぼ復活と言ってもいいのではなかろうか?
左のほうでは親子が水の中を覗いている。
何かいるのかな?
これも美しい風景に華を添えていると感じた。
日和山を示す看板の裏側には、例の復活の文字がしっかりと残っていた。
では、下山しよう。
次は軽く高砂神社を確認しておきたい。
なるほど…、残念ながら爪痕はしっかりと残っていると感じた。
だが、爪痕を後世に伝えることも重要なミッションである。
僕らは津波の怖さを忘れてはいけない。
未曾有宇の大災害をもたらした東日本大震災だが、その死者のほとんどは、地震そのものではなくその後に発生した津波によるものだ。
津波は本当に恐ろしいのだ。
逃げようと思えば逃げられる時間であった。
しかし「逃げなければならない」と思わなければ、人は逃げない。
これが致命的であった。
津波警報が出たら、逃げなければならないのだ。
しかも、横への避難ではない。縦への非難が重要だ。
高いところに行くべきなのだ。
あなたは「そんなの知っている、当たり前だろ?」と思ったかもしれない。
その常識は、東日本大震災の尊い犠牲を持って得られた常識である。
そして、これからもずーっと、この世のみんなが「そんなの当たり前だろ?」と言い続けられるよう、僕らはこれを後世に伝えねばならない。
だからこそ、僕はこの記事の冒頭に旧・日和山のことを書いたのだ。
現在の日和山だけしか知らない世代がたくさん出てくるのが恐ろしいのだ。
ちゃんと、日和山の歴史を忘れずに継承したい。
高砂神社に手を合わせ、そして僕はこの地を後にする。
さぁ、市街地に戻ろうか。
最低峰の争奪戦
冒頭からここまで、正真正銘の日本一低い山だの、元祖日本一低い山だの、国土地理院に認定されただの、大阪の天保山がどうだの、いろいろ書いてきた。
最後の項目では、ここを整理したい。
前述の通り、日本一低い山は複数ある。
どれがホントでどれがウソかとかではなく、定義が複数あるのだ。
その中の定義の1つに、「国土地理院に認定されている」というものがある。
つまり国に正式に山と定められ、国の認める地図や地形図に掲載されるかどうかということだ。
これは大きなステータスである。
そして、この日和山と大阪の天保山は、「国土地理院に認定されている日本一低い山」の称号を獲得するためのデッドヒートの歴史がある。
わかりやすく年表を描いてみよう。
スマホからの方は、見づらいのでぜひ拡大してご覧いただきたい。
あと、もし僕の調査力が及ばず、ミスがあったならご指摘願いたい。
2つの山は、どちらも築山である。
さらに盛ったり削ったり地盤沈下したり、国土地理院に登録したり消滅したりと、様々な運命を辿って今に至るのだ。
これで、東日本大震災前に僕が旧・日和山を訪問したとき、"元祖"日本一低い山と書かれていた理由がわかったろう。
今では残念ながら天保山は日本一低い山ではなくなってしまったが、上の図を見れば良きライバルであったことが窺える。
もう、どっちも日本一低い山でいいのではないかと思ってしまう。
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見当違いかもしれないが、僕は考えてしまう。
東日本大震災で「日和山は消滅した」と言われたが、実は3mの残骸が残っていたのではないか。
2014年の国土地理院への再登録までの間に、"物理的に"山を復活させたわけでは、ないのではないか。
つまり、「日和山は消滅した」は、当時の宮城県民の心を反映している。
2014年の「日和山復活」も、震災を乗り越えて前向きに歩み始めた宮城県民の心を反映している。
…という側面もあるのではないかと考えた。
もしそうだとするなら、日和山は心の鏡なのかもしれない。
*-*-*-*-*-*-*-*
僕らはいつだって、「上を目指しなさい」・「一番になりなさい」と、 教育を受けてきたよな。
確かに高みからの眺めは格別であろう。
しかし、そうではない大半の人間も、日々切磋琢磨しているのだ。
チビにはチビなりの世界があり、ドラマがあるのだ。
チビな僕は、ゴールデンウィーク明けの明日からもまた、仕事をがんばろうと思う。
日和山に勇気をもらいつつ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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