あれは、新潟市内をドライブしていたときのことだった。
ビルの隙間を、「弘法大師」が練り歩いていたのだ。
日本仏教の祖と言ってもいい立ち位置の、弘法大師。
その彼が、電線の張り巡らされた雑居ビルの間で穏やかな顔で立っている。
なんというミスマッチだよ。
「こんなシーンをどっかで見たな」って思った。
たぶん「ゴーストバスターズ2」だ。
ビル群の間を自由の女神が歩くのだ。そのシーンがフラッシュバックした。
いかんせん昔の映画だし、そもそも僕はゴーストバスターズ2を見たことすらない。
なぜゆえ記憶の奥底からサルベージできたのかは謎だが、仮にそれが明確であったにしてもあなたの興味を得られるとは思えないので、本題に行こう。
弘法大師を探せ
僕はこの日、「人情横丁」を歩いていた。
新潟の中心地に終戦直後に造られたという商店街だ。
およそ160mの長さの、ギザギザ屋根の長屋のような商店街。
現在も38店舗ほどが営業中だという。
…が、行った日が悪かったのかな?シャッターが目立つ。
新しいカフェもあるし、アメリカンな雑貨屋もある。
チラホラ興味をそそられるが、いかんせん人が少ないな、と感じてしまった。
これも新型コロナウイルスの影響なのだろうか?
何事においても「もしコロナが無かったら…」と考えたいところだが、もうこの地球はウイルスに汚染されている。どうしたものだろうか?
少なくとも、人情だけは失いたくは無いものだが。
閑話休題。
僕はこの商店街も見たくて来ているのだが、もう1つ大きな目的がある。
この近くにデッカい弘法大師像が聳えている、というものだ。
場所は…、あんまりよくわからないや。
なんとなくの方向はわかるので、歩いて探す。
「ふるまちモール7」だ。
名前の通り古い歴史を持つ、新潟の繁華街だ。
歩いているうちにお腹が減ってきたので、レンガ調のクラシックなカフェで美味しいグラタンを食べたりしたのだが、その話は関係ないので割愛しよう。
とりあえず、なかなか弘法大師が見つからずに、「こっち方向のはずなんだけど、全然そんな雰囲気無いじゃないか」・「あの坊さん、どこほっつき歩いている?」 と、若干言動も荒くなりつつあるとき、発見した。
イエロー・ビッグガイ
ようやく会えたぞ、弘法大師。
ビルの背後にその姿が見えたとき、思わず「おぉぉぉ!!」って叫んだ。
たぶんだけど、大昔は仏教とかお坊さんってのは、幸せに暮らす上でなくてはならないものだし、なんなら死後の運命まで左右するような大事なものだった。
だけども現代においては、そこまで崇める対象ではなくなってしまっている。
そんな現代だが、弘法大師像をようやく見つけて「うおぉぉ!」とか叫んでいる僕は、まさに古代人の感覚なのかもしれない。
このカタルシスよ。迷って逆に良かったかもしれぬ。
よーし、常にビルがジャマだなー。
そして電線の本数もえげつないなー。
生活感モリモリのビルから我々を見下ろす黄色い弘法大師。
どういう感性であればこれを造れるのか、ちょっとナゾすぎる。僕には無理だ。
角度を変えて見上げてみた。
レーザートラップか。
セキュリティガッチガチの美術館に深夜に忍び込む弘法大師か。
…失礼。
「弘法大師はそんなことしない」というテレパシーを受信した。
「手編みのマフラーを作ろうとしたけど、糸がグッチャグチャに絡まって、手元に出来上がったのはゴリゴリのダークマター(電柱)」、…みたいな角度の撮影もできた。
もうね、どこから見てもビルの電線に包囲されているのだ。
実に庶民的だ。親しみしか感じない。
弘法大師が開いた、真言宗の総本山の「高野山」とか何度も歩いているが、あそこのキリッと張り詰めたような荘厳な空気と真逆だ。
ビルに登ったりしない限り、このくらいが一番全身が見える角度であろう。
いろいろ調整し、コインパーキングに足を踏み入れながら撮影などし、付近を歩く人からは奇異の目で見られた。
いやいやいや。あなたが奇異の目で見るのは僕ではない。あのとんでもない弘法大師であろう。…そう力説したかった。
弘願寺の謎
では、弘法大師の足元に注目してみよう。
するとあなたは気付くはずだ。
弘法大師は地に足をつけているわけではない。建物の上に立っているのだと。
写真中央の「道後温泉本館」みたいなビジュアルの建物、あれが弘法大師の足場になっているのだ。
ちょっと近づいてみよう。
ビルとビルの間にミチッと建てられている。
この建物の名は、弘願寺。そう、お寺なのだ。
建蔽率とかすごいことになっていそうなお寺だ。今まであまり見たことのないタイプ。
しかし貼り紙を見ると、ちゃんと「真言宗 新潟山 弘願寺」の文字。
左右にはちゃんと仁王像も立っているぞ。なかなかの迫力なのだ。
しかしお寺の拝殿(?)そのものは、ゴッチリした石造りで要塞や蔵のようであり、異様な雰囲気である。
…で、ちょっと僕個人の調査力では解明に及ばないので、こちらのWebサイトや、その他いくつかのサイトを参考にさせていただいた。
どうやらこの建物は元からのお寺ではない。
「オリオン座」というストリップ劇場&キャバレー施設だったそうなのだ。
うおぉ、いっきに香ばしくなってきたぞ。
そういう先入観で建物を改めて見ると、不思議とそれっぽく見えてしまう。
しかし、なぜにストリップ劇場などという煩悩の塊みたいな施設が、いきなりお寺になったのか。
その理由は、管理者が同一人物だったかららしい。
「ストリップ劇場のオーナー」=「弘願寺の住職」。
なんとも奇妙な転職だ。
…って思ったけど、ストリップ劇場のオーナーが病気で死にかけたとき、夢枕で「お寺を作りなさい」みたいに言われて、こんな感じにドデカい弘法大師を造っちゃったらしい。1955年ごろのお話だそうだ。
財を成した人間も、最終的には病になるし、そうなったら神にすがるのだ。
弘法大師に健康を願うのだ。
だから弘願寺っていうのかな。うまい。
弘法大師の高さは約9mほど。
仁王像は人間国宝の「松久朋琳」の策と言われている。
これらの総費用は1億2500万円だったが、寄付等には一切頼らなかったそうだ。
そして、先ほどもご紹介した貼り紙の通り、不動明王と毘沙門天の命日である毎月28日には護摩供養をしているのだ。
いたって真面目なのである。
最初から煩悩の入り込む隙間の一切ない、神聖な神社仏閣もいいだろう。心が真から清められる。
しかし、一度煩悩にドップリと使った人間の造ったお寺もよいかもしれない。
少なくとも僕はね、人間的にこっちのほうが近いかもしれない。
(しかも、まだ煩悩を捨て去るつもりはさらさらない)
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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