杜の都、仙台。
東北一の都市である。
しかし、この仙台市も西の外れまで来ると、都市とは言い難い大自然のアドベンチャーゾーンが現れる。
…そんな話を僕がしたのは、ちょうど今から1ヶ月前の2020年12月上旬のことである。
「奥新川(おくにっかわ)駅」を目指すドライブなのに、そこに行きつかないまま話が終わった前回のエピソード。
続編があるような書き方で終わったようだ。
正直去年の僕が何を言っていたかなんて記憶がおぼろげだけども、書くようなそぶりを見せてしまった以上、ちゃんと書こう。
仙台の奥地に潜む、秘境駅を訪問した物語だ。
奥新川渓谷のさらに奥へ
宮城県内の有名な温泉地である「作並温泉」から、国道を反れて迷い込んだ秘境。
まずはその全体イメージをMAPにてお見せしたい。
前回は、右端の作並温泉エリアから「奥新川渓谷」までを執筆した。
いきなりの狭路に面くらいつつも、未舗装路を駆け抜け、緑に包まれた渓流や吊り橋を眺めた話は、冒頭のリンクの先からご覧いただきたい。
今回はそのさらに先だ。
僕は車で仙台市内の駅に向かっている。
文字にするとスーツを着込んだイケメンが都会の喧騒の中、車を走らせている光景が浮かぶかもしれない。
しかし実態はこれだからな。
こんなハイキングでしか見ることの内容な光景だが、場所は仙台。
この奥は駅。
駅へと続くメインロードを疾走しているだけだ。
ありがたい要素があるので紹介しよう。
- 道が舗装されている。
- 道に水が流れていない。
- 道がやや平らな場所が多い。
まぁ最初は「大丈夫かな?」ってレベルの坂道が出てきたりしたが、そこはほら、仙台市内の駅前だし、やっぱさすがに小奇麗よ。
クマ出るそうだけど。
あと、道は狭い。奥新川渓流までの道よりも若干狭いくらいだ。
しかしこれまでも、ここからも対向車はほぼゼロだ。
強気で行くしかない。
さぁ、着いた。
奥新川駅だ。
秘境駅の周囲ご紹介
ちょっとだけ引いた写真をお見せしよう。
駅前ロータリー。
Wikipediaさんの情報によれば、奥新川駅の周辺の住人は2017年時点で3世帯3人らしい。
やや少ないな。
駅前に食堂もあるのに。
この「奥新川食堂」が気になるが、まずは駅を見なければ。
駅は、上の写真では向かって左側10mくらいの場所にある。
うん、すごいな。
砂利の地面にノッペリした白いコンクリートの建物。
駅名表示が無ければ、何の建物なのか想像もつかないだろうな。
だけども、まがりにも仙台市内だし、これだけの広さのある建物なのだから、中はそこそこご立派なのであろう。
あー…。
泥棒が盗めるだけ盗んだ部屋みたいに、何もない。
人間の力で持ち上げられそうなものが何もない。
なんだこの潔い空間は。逆に清々しいぞ。
奥には駅員室のようなものがあるが、厚いカーテンがかかっている。
きっとこれ、今は営業していない。
いかんせん、2007年時点で利用客は1日16人だというのだ。
2020年の訪問当時はさらに少ないだろう。
駅員さんがいても、ヒマになっちゃうに違いない。
…だからか、乗車時には上の機械を利用する。
乗車駅証明書発行機だ。
これを持って、シームレスにホームに行けるのだ。
Suica?なにそれ。
この付近は昭和初期の1936年、木材を輸送する新川森林鉄道の拠点として栄えた。
仙山線の工事などが行われていた時代は作業員が多く住み込んでいて賑わっていたようだけど、その工事が終わるとグッと人が減ってしまったらしい。
さらに1960年に森林鉄道が廃止されると、小さな集落になってしまったようだ。
そういった歴史が、このパネルに記録されている。
仙台駅から奥新川駅までは、50分弱。
同じ市内で50分はなかなかの所要時間だが、それでも気軽に大都市仙台駅に出れるので、アクセスは悪くないだろう。
…ただ、ちょっと電車の本数は少なめだな…。
2時間に1本だったりしている。利便性は良いとは言えない。
では、ホームに行ってみよう。
線路を挟んで2面のホームがある駅だ。
ホームから駅舎を振り返ってみた。
「ようこそ!!秘境奥新川へ」と書いてあった。
果たして住民以外にどのような人が、ここに来るのだろうか?
秘境駅マニア?
キャンプ場があったらしいが、2016年に閉鎖してしまったようだし。
ハイキングコースと湧き水ならあるが、それがメインなのだろうか?
先ほど遊んだ渓流も、目的地の1つになるのかな?歩いたら結構時間がかかりそうだけど。
駅名の表示板の写真にも、渓流が描かれていた。
奥新川の名物は渓流だ。
ホームから眺める、緑あふれる線路。
誰もいないホーム。僕1人。
セミが鳴いているだけ。
…なんてステキな時間なのだろう。
ゆっくりゆっくり、時間が流れる。
ふと耳を澄ますと、電車の音が聞こえる。
反対側の線路を、電車が通過していった。
仙山線は、仙台と山形を結ぶ路線。
それなりに本数は多いのだろう。
しかし、その大半はマイナーなこの駅を通過して行ってしまうようだ。
駅舎の前から、奥新川食堂を見下ろす。
これが駅前の眺望だ。
下手をすると「山頂まで登ってきました。すぐ隣には山小屋があります。」と書かれていても信じてしまいそうな光景だ。
この先は長い長いトンネルで県境の峠を越え、そして山形県に入るのだ。
さらに少しだけ視点を右に向けた光景。
ひたすらのどか。
引退したらこんなところに住んでみるのもいいかもしれない。
駅前だし、電車に乗れば仙台駅だ。
工夫すればそれなりの暮らしができるに違いない。
ただ、冬はとんでもなく寒そうだな。雪に閉ざされそうだ。
さて、前述の奥新川食堂に接近してみよう。
なんだったら、まだ朝だけども何かご飯を食べてみよう。
営業しているのかな?
そんな気配はなさそうだが、確認してみよう。
中を少し覗くが、雑然としていて営業しているような雰囲気ではない。
Webサイトを見ると、数年前は食事を提供していた。
直近ではドリンク類のみだったという情報もある。
ましてや、このコロナ禍だ。
今期の営業はストップしてしまったのだろうか?
この豊かな緑を見ながらご飯、食べてみたかったけどな。
またいずれ、訪れてみたい。
廃発電所を目指して
今度は、来た道と反対側を散策してみよう。
駅前で車道は途絶えているが、ここから先はハイキングコースになっている。
この奥だ。
MAPを見ると、1㎞ほど歩いた先に発電所の廃墟があるそうだ。
よーし、そこまで行こう!廃墟、好き好き!
ちなみにさらにその先まで行くと、落石等の影響でハイキングコースは通行止めらしい。
あと、クマ出るよ。
政令指定都市に住むクマ。
未舗装の道だが、わずかに轍がある。
この先数100mのところに神社があるというが、関係者はそこまで車で行けたりするのだろうか?
いずれにしても、擦れ違いは100%無理なすさまじい道。
難易度は高かろう。
雨上がりなので地面はヌチャヌチャだ。
泥の跳ね返りでズボンのスソが汚れるのだが、どうしてくれよう。
そして、この湿気と陽気で小さい虫が異様に沸いているのだが。
僕の顔の周りをコバエが飛び交い、メガネのレンズにも激突してくる。
歩いても歩いても、顔の周りにコバエ。
どういうシステムなのだろうか、これ。
緑に飲まれつつある廃屋。
手前はきっとかつては畑だったのだろう。
いきなり、頭上を通過する仙山線の高架が現れる。
このギャップ、なんだか好きだ。
いいタイミングで電車が来てくれればもっと嬉しいが、さっきホームで通過電車を見たばかりだから、そんな頻繁には来ないだろう。
高架の隙間から、太陽を仰いだ。
真夏の日差しが差し込んできていた。
これは、わりと好きな写真だ。
日当たりが良い路面と斜面。
路面にはくっきりと轍が残っている。
斜面の上には、線路の電線が見えている。
このタイミングで電車が通ったら、相当ステキなハプニングだぞ。
…来ないけど。
「奥新川神社」だ。
想像していたのよりだいぶスモールサイズだ。
社って感じだ。
しかし綺麗に手入れがされていると感じた。
「コロナ収まれ」と、世界平和を祈った。
さらに数分歩くと、発電所の遺構が姿を現した。
奥新川直流変電所跡地
東日本旅客鉄道株式会社
仙台電力技術センター
奥の方にある骨組みだけのジャングルジムのようなものが、かつての発電所だ。
規模はそんなに大きくはない。
でも、なかなかに貴重な施設だ。
JRがまだ国鉄と呼ばれていた時代、東北地方としては初めての電気鉄道用の発電所として造られたのが、これだ。
奥新川直流変電所は、国鉄として東北地方で初めての電気鉄道用変電所である。
仙山線の作並・山寺間は奥羽山脈を貫く路線のため、長大トンネルと急勾配が避けられず、これを克服すべく国鉄は当該区間の電化を計画した。仙山トンネルが難工事の末に開通し、昭和12年11月10日に仙山線全線開通とするとともに、東北地方で初めての直流電化区間が誕生した。
このようにして奥新川直流変電所は作並・山寺間へ電力を供給したが、昭和43年に仙山線全線が交流電化へ切換えられたことによってその使命を終えた。
旧変電所建屋の撤去にあたり、その面影を遺すとともに交流を直流に変換する回転変流機や大理石製の配電盤を貴重な技術遺産として保存展示することにより、山岳線電化を成し遂げた先人の功績を称え後世へ伝えるものである。
説明板にはこのように書かれていた。
直流時代の貴重な遺構だ。
2010年ごろまではまだコンクリートの壁があったそうだが、老朽化が進んで壁は撤去され、こうして鉄骨剥き出しとなったらしい。
見ての通り、すぐ後ろには仙山線の線路が通っている。
ということは、電車の中からこの廃発電所も見れるのだな。
いつかそんなチャレンジもしてみたい。
「モニュメント」と書かれたプレートが鉄骨に貼りつけられていた。
廃墟でも遺構でもなく、これはモニュメントなのだ。
かつて鉄道に電気を送った歴史を後世に残すモニュメント。素敵だ。
横には小さいけども綺麗な建物がある。
実はこれ、資料館らしい。
めっちゃかわいい。
だけどもドアのカギは閉まっていて入れなかった。
くやしい。
ガラス扉越しに中を覗いてみた。
回転変流機というバカデカいエンジンのようなものが見えた。
これがかつて活躍したギミックだったのだな。
ここで僕は引き返す。
またコバエどもを顔の周りに集めながら、駅前へと戻った。
愛車のパオに乗り込んで、奥新川食堂をかすめ、また狭路へと突入する。
仙台の奥の奥。その名も奥新川。
県境近いその地には、仙山線の歴史を支えた集落があった。
それを少しだけ見れたのだ。思いがけない出会いに感謝をしたい。
そしてこの後、僕は同じエリア上にある既に廃駅になってしまった「八ツ森駅」に向かう。駅があった頃は秘境駅ランキング5位という、とんでもない駅だ。
続きのストーリーを読んでみたい方は、下のリンクを辿ってほしい。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報