2021年度の秘境駅ランキング、第14位。
「峠(とうげ)駅」。
日本の鉄道駅は、2017年時点で9909駅あるそうだ。
ザックリ1万駅だ。鉄道大国、日本。
その中の秘境度ランキング14位という、エリート中のエリート駅をご紹介したい。
情報ソースは、「秘境駅へ行こう!」のWebサイトである。
筆者の「牛山隆信さん」は秘境駅のスペシャリストで、さまざまな関連書籍も出しているぞ。
僕も尊敬している。
ちなみに第1位~20位くらいまでは、駅周辺には人家無し、あるいは片手に収まるほどの家があったら「オォ、ブラボー!メガロポリス!」といったレベルだ。
当然駅なので電車は停まるが、電車以外の手段で駅に行こうとなると、道が無かったり・山道だったり・舗装されていなかったり、過酷を極めることがほとんどだ。
ちなみに、以前ご紹介した「奥新川駅」は55位だ。
では、見せてもらおうか。
第14位、峠駅の実力を。
姥湯温泉から峠駅へ
僕は、まずは秘湯「姥湯温泉」に行ったのだ。
今回ご紹介する峠駅より数段山奥にある温泉だ。
ここでは、その姥湯温泉について詳細を語るつもりはない。
でももしあなたが「姥湯温泉気になる、気になる―!」というのであれば、上記リンクを先にご参照いただきたい。
僕はその姥湯温泉から戻る道すがら、本日で執筆する峠駅に立ち寄ろうというのだ。
今は夏なのにいきなり秋の深まる写真をご紹介してすまない。
季節は真逆だが、晩秋の肌寒さが恋しくなったのでしょうがない。
さて、ご覧の通り道はかなり細いが、先に深部である姥湯温泉を極めてしまったので、ぶっちゃけ気がラクだ。
行きに来た道を戻るだけなのだ。
道は細いが舗装はされている。荒れた舗装ではあるが、ありがたい。
だが、ワケのわからんスイッチバックのためのポイントとかが出てくる。
一瞬では理解できないような動作を強いられるポイント。
他ではちょっとお目にかかれない標識で、なかなか楽しい。
深い山道を8㎞ほど引き返したところで、「←峠駅 国道13号→」の分岐が出てくる。
最終的には国道13号方面に帰るのだが、これから峠駅に行く。
そしてランチにする予定なのだ。
実は峠駅には名物のお餅屋さんがある。それが僕のお目当て。
看板に「わくわくカーブ」っていうのが書いてある。
どんなカーブか知らないが、山間部のカーブで観光客を誘致しようという作戦なのか、そっか。
そして、「山形新幹線が走る峠駅」と書かれている。
「停まる」わけではない。音速で目の前を通過される駅だ。
はい、これが件のわくわくカーブである。
わくわくしているかい?
…僕?
大丈夫、人生わくわくしているから。
駅へと向かう道。
晩秋の紅葉がとても綺麗だ。
もし対向車が来たら擦れ違えないが、この道は駅で行き止まり。
対向車が来る可能性はほぼゼロなので、ルンルン気分のドライブである。
そして、峠駅に到着だ。
スノーシェッドの峠駅
前述の「秘境駅へ行こう!」のWebサイト情報によれば、人家は僕がこれからランチをしたいお店を含めて2軒だそうだ。
しかし、サイト情報は結構古そうだ。もしかしたら1軒しか残っていないかもしれない。
この写真と1つ前の写真、共に2軒の家を写しているが、なかなかに静かなので現役でないのかもしれない。
あ、そしてこの写真の奥へと続く道が、今僕が来るまでやってきた道だ。
なかなかに狭いだろう。
では今からね、この倉庫のような建物の中に入る。
これが何かって?
決まっているじゃないか、峠駅だよ。
えっと、ごめん。正確には、峠駅のスイッチバック遺構という。
駅本体はこの倉庫のもっと奥の方にあるのだ。
スイッチバックについては、後程ご説明しよう。
この倉庫、外観はボロボロだが、内部はなんだかかっこいい。
隙間から光が差し込み、SFの世界のタイムトンネルのようにも見える。
この倉庫はスノーシェッドといい、雪から駅を守るためのものである。
山形県と福島県の県境に近い、その名の通り峠にあるこの駅は、冬場はメチャクチャ雪深いのだ。
だからこうして、施設全体をすっぽりと覆っているのだ。
さぁ、駅本体が見えてきた。あれがホームだ。
すっげぇ近未来。
これ、世の中の男子は全員好きなパターンではなかろうか。
もし例外がいるなら、その人の分まで僕がこの駅を愛そう。
この中を、山形新幹線が走るのだ。
そう都合よく電車は来てくれないが、新幹線の走行シーンを想像するだけでワクワクしちゃう。
スノーシェッドの出口は、まるで時空をワープできるかのように輝いていた。
レトロフューチャーというか、スチームパンクというか、そういう感じのデザイン。
…と思ったら、米沢警察署の「熊・出没!」の貼り紙が目に留まり、一気に現実へと戻ってくるのだ。
現実に戻ってくるタイムトンネル、体験しちゃったじゃないか、このやろ。
では、このスノーシェッドの中間点くらいに出入口があるので、外に出てみよう。
100点。
僕が今まで通学や通勤で使っていた駅とは、テイストが違うのだ。
「これがランキング14位の実力か!」ってほれぼれしたさ。
長ーく連なるスノーシェッド。200m以上あるらしい。
この中を新幹線様が走られるんですぜ。
天皇陛下を僕のお気に入りのボロ食堂に招待しちゃうかのような背徳感を感じる。
そんでよく見てほしいんだけど、これは線路のレールと枕木でできているのだそうだ。
すごく美しい。廃材アートだ。
こんなデザイン、令和のこの時代に新しく作れるだろうか?
スイッチバックの歴史
峠駅の立地について、ご紹介したい。
峠駅は、「東北の屋根」とも言われる奥羽山脈を越える、奥羽本線山形線の駅である。
明治時代、まだ機関車(SL)が走っていた時代からある、とんでもなく歴史の古い駅だ。
機関車は、登り坂ではメチャクチャ体力を消耗する。
大量の石炭や水を積んで山の麓を出発しても、このままではエネルギー切れで山を越えられないのだ。
従い、山の途中に補給基地が必要となる。
それが峠駅だ。
でも、険しい山なので機関車が停まれるだけの土地を確保するのも難しい。
ほら、坂の途中で自転車を停めたときのことを想像してほしい。再び漕ぎ出すのはすごくハードだろう。
坂の途中に少しでいいから、平坦な土地がほしいだろう。
こうして山の途中に場所を選び、いろいろ切り開いたりして、駅ができた。
上の図を見ていただければ、なんとなくイメージがつくかなって思う。
ついでに、駅前の茶屋に飾ってあった絵もご紹介したい。
山・山・山…だ。
そんな中での列車の唯一の休息場所だ。
では、駅への停車や発車をどうしていたのか。
そこで活躍するのが、スイッチバックだ。
こんな理屈。
スイッチバックにも種類があったり、平らな部分が駅ではないケースなどもあるが、少なくともここはこんな感じ。
ただし、今はスイッチバックは使われていない。
近代の電車は馬力がある。
もうスイッチバックを使う必要がなくなり、1990年に廃止されたのだ。
かつてスイッチバックを使っていた当時のレール、それが上記である。
僕が最初に歩いた部分だ。
かつて切り返しをしていたレールに思いを馳せて、触ってみた。
僕は、こんなことで何かを感じ取れるほどの感性を持つ人間ではないが、歴史に触れるのが大事だと、そう思って触った。
茶屋の力雑煮蕎麦
では、もう15時ではあるが、遅いランチだ。
冬も間近なので日が暮れてきた。
名物の「峠の力餅」を売る、「峠の茶屋」で食べよう。
場所は駅前だ。
ぶっちゃけ峠駅の周辺で、生命の鼓動が聞こえる家屋はここの1軒だけだ。
早朝7時から営業しているのだそうだすごい。
しかし、冬場は3mほどの雪に覆われる過酷な環境なため、食事処は冬季は休業するそうだ。今の時期はギリギリのシーズンかもしれない。
ビールケースの黄色が目に眩しい敷地である。
その向こうに、「峠の力餅」と力強く書かれた建物が見えてきた。
石のカエルに、駅ホームでの立ち売り用のボックスが掛けられていた。
店員さんは、電車が来るタイミングでこれに力餅を入れ、窓越しやホームで販売をするのだ。
庭に駅名板もある。ここは海抜624mなのだそうだ。
前述の通り、東北の屋根と言われる奥羽山脈の中の駅なのだ。過酷な立地だ。
お店の全容が見えてきた。オシャレな庭園だ。
中に入ると、はっぴ姿のご主人が快く迎えてくれた。
まずはお持ち帰り用に力餅を買ったのだが、その話はまた後程。
こんな感じの、17・8人くらいが入れそうな店内。
メニューはお餅がメインだ。
さて、何を食べようかな。
天井近くにはズラリとメニューの貼り紙が並んでいる。
見事にどれも末尾の文字は「餅」だ。
うん、確かに餅は食べたい。
しかし、僕は空腹なのだ。ボリューミーなものを食べたい。
その折衷案が、力雑煮蕎麦であった。
値段は1500円だったであろうか。なかなかにインパクトのある価格だが、その分期待も高まるというものだ。
待ち時間は、店内をキョロキョロ眺めて過ごした。
奥に「峠の茶屋 創業明治二十七年」と書かれた幟が見えるだろうか。
明治27年と言えば1894年である。
今から130年近くも前だ。すごい歴史だ。
さぁ出てきた、力雑煮蕎麦だ。
重量のある大きな丼。立ち上る、いいダシの香りよ。
具は山菜などがたっぷりだ。
この近所のものだろうか?違うのかもしれないが、山奥で山菜を食べるだけで崇高な気持ちになれるのは間違いない。
そして、注目すべきはもちろん傍らで存在感を放っているお餅である。
丸くて白くて、メチャかわいい。
うわぁぁぁぁぁぁ!!
もっちもちだぞ。赤ちゃんのほっぺみたいだぞ。
口に入れただけで、笑顔を止めるすべがなく困るのだ。
つきたてのお餅、昔僕も母方のじいちゃんの家で餅つきして食べたことがあるが、絶品なのだ。ふんわりレベルが別次元。
それを思い出した。
水のおかわりを頼んだら、「そこのお茶でもいいし、外の湧水でもいいよ」と言われた。
湧水か、行ってみよう。
お店のすぐ前には「峠の力水」という湧水が湧いている。
ここからグラスにおかわりした。
山奥に湧き出る水はとっても爽やかであった。この水でお米を炊いてお餅を作ったなら、おいしくないはずがないよね。
最後に僕、「外の水をペットボトルにも詰めていっていいですか?」って聞いて、汲ませてもらったよ。
水まで美味しい店。ごちそうさまでした。
優しい気持ちになれるお蕎麦だった。
お土産は峠の力餅
僕は峠の茶屋で、力餅をお持ち帰りで買った。
家へのお土産だ。
峠の茶屋のWebサイトを見たところ、鉄道が通って以来120年も、この力餅を駅のホームで立ち売りしているというのだ。
この一箱に、悠久の歴史が詰まっている。
今回は時間の関係上、ホームで立ち売りするシーンは見れなかったので、せめてものお持ち帰りなのだ。
峠の茶屋にて、店内に展示されている写真を何枚か撮影させてもらった。
茶屋の方は代々力餅を販売しており、現在は4代目と5代目が活躍中だそうだ。
僕の対応をしてくれたのは、たぶん4代目。
近代化の波とか過疎化の進行とかで、峠駅に泊まる日中の列車の本数は、たったの6本のみ。
しかも、停車時間はわずか30秒だ。
6本×30秒=180秒
1日わずか180秒の立ち売りに、全力を注いでいる。
あとは、僕のように難路を越えて直接駅までやってくる物好きな人のみだ。
そんな環境で入手した餅は、どこまでも尊いのだ。
古老が語る峠の力餅は我々が幼い頃から口にした郷土の味です
遠く明治三十二年福島米沢間に初めて鉄道が開通し板谷峠の難所吾妻越の山腹に峠駅が設けられ人も車もほっとひといき入れたものでした
その時駅頭の力餅の一切れは我々の元気を呼びもどしてくれました。
いい包み紙じゃないか。これ、家宝にしてよいか?
純白のお餅が登場した。
純真無垢な顔をしていやがる。
ふんわり柔らかいそのお餅は、皮はしっかり塩味がついており、中のこしあんは上品な甘みであった。
峠駅は、険しい奥羽山脈を越える機関車の水や石炭の補給場所として造られた。
登り坂だと石炭も水も消費が著しいので、周辺の立地はさておき、峠の途中に中継基地が必要なのだ。
機関車はそこでパワーを補給し、福島県へと山を越えていく。
駅の名は「峠」。
名物は「力餅」。
この合計3文字。
しかし、いろんな歴史の重みを背負っているのだろう。
温かいお茶と共にお餅を食べながら、僕は土産話をするのだ。
冬の近付く姥湯温泉のこと。
スノーシェッドの駅のこと。
お餅入りの蕎麦がうまかったこと。
間もなく、峠駅は雪で包まれる。
姥湯温泉は、僕の訪問から2日後に冬季休業に入る。
雪のような真っ白な力餅を食べながら、「ここも寒くなってきたなぁ」と、窓の外を眺める。
2020年、冬の近付くある日の出来事。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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