AEDのご準備はよろしいだろうか?
えっ…、手元にない??
恐縮だが、それで何かあっても当ブログは一切の責任を取ることはできない。
カクゴして読み進めてほしい。
今回の物語の主人公は、旧約聖書の登場人物である預言者「モーゼさん」だ。
「十戒」とか「超能力で海を割る」とか、あなたも耳にしたことがあるだろう。
エジプトを舞台に活躍したモーゼ。
「約束の地」を求めて何10年も旅をしたが、その後にどうなったか、あなたはご存じだろうか。
…ちょっと間を省略するが、石川県でのびのびと暮らした。
583歳まで。
さぁ、会場が充分にザワついたところで、本題だ。
ミステリーの幕明け
能登半島内陸部の、のどかな山道であった。
そこは「宝達山」のふもとであった。
いきなりキャッチ―なデザインの看板で「伝説の森モーゼパーク」という看板が出てきた。
これが僕の目指すスポットである。
カクゴはいいな?
自分はそう自分に言い聞かせた。
受験のときに志望校の校門をくぐるときにも似た感覚であった。
森の中の狭路をしばらく進んだところで、駐車場が出てくる。
ここで愛車のパジェロイオを駐車した。
駐車場脇に掲示してあるMAPがこれだ。
大体すべてが森だ。
右奥にこんもりと3つある丘が、お墓らしい。
そして、その前には広場があり、ピュアホワイトな爺さんが浮遊している。
これがモーゼさんだろう。
ミステリーヤードの上を雲に乗ってプーカプカだ。
地図上で見る限り、駐車場のまっすぐ上なのだな。では行こうか。
あ、ちなみに駐車場にはもう1台車が停車していた。
こんなところに僕以外に来る人がいるとは。
しかも今は朝の7時台なのだ。熱心なモーゼファンだろうか?
とりあえず、歩き出そう。
駐車場周りは綺麗に整備された森の中の芝生の丘だったが、一気に薄暗い山道となった。不安しかない。
ちなみにここは「ロマンの小経(こみち)」というらしい。
不安しかない。
ロマンはいったいどこにお隠れになったのか。ロマンを全く感じさせない森の中を登る。
そのうち、木立の中に電話ボックスくらいの大きさの、簡素な小屋を見つけた。
「モーゼの墓記帳所」って書いてあるぜ。
「モーゼクラブ」って書いてるぜ。
中には普通にノートがあり、訪問者のコメントが残されていた。
あと、なぜここがモーゼの墓と呼ばれているのかが書いてあった。
だが、あなたにはまだその内容はナイショにしておこう。
プールに入るときと一緒。
いきなり飛び込むと心臓への負担が強すぎるのだ。足先からゆっくり馴染んでいこうぜ。
…しかし、どう考えても遠い…。
もう汗ばんできたし、疲れてきた。
なのに全然モーゼの墓に辿り着かない。
先ほどの地図を見てほしい。駐車場からすぐのはずなのだ。
おかしいではないか。
…ってデジカメで撮った写真をマジマジと見て、すごいカラクリに気付いた。
2つの「A↑」と「A↑」がリンクしている…。
「何考えてんだ、おめぇ?こんなん、わかるか」
そう思ってしまった。
地図の右側にある白くて大きな線は道ではなく、2つの地図の境界線だったのだ。
なんというトラップだ。
その後、Webで調べてみると、このMAPに翻弄されて森の中をウロウロした人がわんさか出てきた。
被害者の会、作ろう。
そうしよう。
舞台は深淵へ…
しばらく山道を歩いていたところ、前方の小さな広場に1人の女性を発見した。
しかも立ち止まっている。足元の何かをガン見してる。
朝っぱらからこんなところに1人で来る人なんて、あからさまに怪しい。
微動だにせずに足元を見ているだなんて、もっと怪しい。
ここはヘタに近付かない方が利口ってヤツだ。
僕は静かに女性のそばを通り過ぎ、その脇にあった「浮船展望台」という分岐から展望台方面に登って行った。
いきなりハデな倒木が現れて、一瞬躊躇はしたが。
イテテテ、ヤブがひどい。痛い。
なんかもうこれ、手入れ諦めているでしょ。
どこが歩道だか全然わからないよ。
僕はすごく気軽な気持ちでモーゼさんのお墓参りに来てしまったのだが、やっていることはずいぶんとガチ寄りのハイキングなのだ。
旧約聖書を甘く見ていた。
とりあえず展望台跡みたいなところまで行った。
だが木立でほとんど景色が見えなかった。
チラッとだけ押水の町並みが見えたが、木立が多くってカメラのピントは目の前の枝に合わさった。なんてこったよ、旧約聖書。
しかし、いつまでもヤブに絡まっているにも限度がある。
もうあの女性はお帰りになったであろうか?
展望台にて歩道は行き止まりなので、Uターンして女性のいた広場まで戻ろうと思う。
広場まで戻ると、例の女性はちょうど立ち去るところだった。
お互い軽く会釈をした。
それから僕は、さらに道を奥へとズンズン歩く。
山道をさらに登ると、なんかT字路に出ちゃった。
標識がないのでどっちに行ったらいいのかわかなない。
しかしどちらも草の生い茂った廃道みたいな感じだ。
昔はこれ、未舗装の車道だったりしたのだろうか?
いや、そんなことはどうでもいい。僕はどっちに行けばよいのか。
ちょっとだけ進んでみた。
どうやら登る道はこの山頂に向かって行きそうだ。これはちょっといただけない。
行っちゃダメだ。
そもそも、駐車場からモーゼの墓までの距離感を僕は知らない。
こんな登山みたいな感じなのだろうか?
もう最初っから間違えていたりしたのだろうか?
とりあえず、引き返してみた。
さっき女性と擦れ違った場所のちょっと先まで戻った。
浮船展望台との分岐辺りまで。そこで足もとの石柱を見て、ようやく気付いた。
「ミステリーヤード」って書いてあったよ。
さっきは女性がいたので不用意に近づけなかったが、ちゃんと書いてあったよ。
つまり僕は今、ここにいるのだ。
MAPで見る限り一番メインっぽいスポットだ。
だがしかし、ホワイトな爺さんもいない。像くらいはあると思ったのに。
あまりに森の中の簡素な広場だったので、まさかここがメインとは思わずに通過してしまったのだ。
とりあえず、ミステリーヤードで記念撮影をしてみた。
普通の公園の敷地みたいな雰囲気。
正直、達成感はあまりない。
疲労感はそれなりだ。
中央にはモーゼの伝説についての説明版が設置されていたが、老朽化が進んでいて文字はほとんど読めなかった。
そうか、さっきの女性は足元を見ていたのではない。この説明板を読んでいたのだな。
ここで僕は、油断しかけた。
僕はこの地にミステリーヤードを求めて来たのではない。
あくまでモーゼの墓なのだ。
MAP上のモーゼ爺さんがあまりに存在感があったのでだまされそうになったが、あくまで墓参りに来たのだ。
一緒に見てほしい。
このミステリーヤードの後ろには、丘が3つある。
その中の真ん中のものが、モーゼの墓のようなのだ。
よし、目的地は近いぞ。
モーゼの墓参り
僕の眼前にある、あの丘がモーゼの墓なのか?
それっぽい説明書きは周辺に何もないが、消去法からこれ以外にないだろう。
とりあえず、獣道みたいな道を辿る。
どうだい、墓参りをしている人の撮った写真に見えるかい?
よーし、朝からいい試練を与えてくれるじゃないか。
さすが旧約聖書。
ゼーハー言いながら頂上まで辿り着いた。
木々は伐採されていて、それなりに整備しようとした痕跡が見えた。
あと、なんかいろいろカオスなものが目に入った。
シーサー。
「ありがとうございます」
さて、リアクションに困るというヤツだ。
新時代の墓の幕明けかなって思った。
「これはスパイシーですよ。強烈なスパイスが効いていますよ。」と心の中で興奮した。
このやる気の無さよ。
愛情が感じられるか感じられないかの、ギリギリの瀬戸際を攻めるような投球よ。
墓標が雑だ。
僕が小学生の頃に飼っていたカエルが死んでしまい、敷地内の花壇に埋めて割り箸で墓標を作ったときと似ている。
書いてある文字を読む。
モーゼ一族霊団供養??
一族か。ファミリーだったのか。
まぁ僕は前述の電話ボックス大の小屋の中で説明板を読んだので知っているのだが、3つある丘はそれぞれが墓である。
1つはこのモーゼのものだが、他はモーゼの妻のものと、孫のものと言われているのだそうだ。
モーゼファミリー、安らかに眠れ。
シーサーに守られて眠れ。
また山の中をテクテク歩き、愛車を停めた駐車場まで戻ってきた。
ついついしだれ桜が綺麗でそちらをメインとなるように撮影してしまったが、駐車場周りは綺麗に木々が整備されている。
そして、桜の背後にわずかだがギリシャ建築のような石柱が見えている。
この施設内の貴重な本格的オブジェなのに、しっかり写真を撮れずにあとあと後悔している。
ここでは管理人さんと思わしきおじさんが、草木の手入れをしていた。
「どうだった?墓はすぐ分かったかい?すぐ横にモーゼの親族の墓もあることに気付いたかい?」などと気さくに声をかけて来てくれた。
あと、「さっきも女性が1人で来ていてね…」と、なぜか得意気だった。
そうかあの人か。しゃべったのか。
おじさんは、「モーゼについて知りたいことがあれば、なんでも聞いてくれていいよ」と自信満々だ。
何も質問しないのは悪いよな…。
「あの女性はどんな質問をしたの?」というのを僕からの質問としようと思ったが辞め、「モーゼの孫はなんという名前だったのか?」などと質問させてもらった。
おじさんは「タルヲス・イホスチヒリウスだね」と、「リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ」みたいな勢いでスラスラ言うものだから面食らったね。
本当はあんまり知りたいことは無かったんだけど、他にも2・3質問してみたよ。
いつか、この知識が僕の糧になるかもしれないから。
転職するときとかに有利になるかもしれないから。
モーゼの伝説と竹内文書
さて、いよいよモーゼ伝説の真相に迫ってみよう。
ソースは、電話ボックス大の小屋の掲示物、WikipediaさんなどのWeb媒体、そして管理人のおじさんの話だ。
まずあなたは、この記事のタイトルを見た瞬間から思ったはずだ。
「本当にモーゼの墓なのか」と。
結論から言おう。
違う。
少なくとも現代の調査では、モーゼがここに眠る根拠は満たしていない。
何故モーゼの墓と云われるか?
古史古伝の代表作「竹内文献」のなかに、モーゼは能登・おしみずへやって来ていると記されている。
竹内文献。
「竹内文書」という呼ばれ方の方が一般的であろうか。
ひとことで言うならば、バチバチにぶっ飛んだ空想歴史本だ。
そりゃもう、モーゼもキリストも釈迦も日本にやってきて天皇に仕えるし、天皇は「神武天皇」より古い105人の天皇がいるし、その天皇は空飛ぶ船で全国行脚だ。
昭和の初めに突然明るみに出た、竹内家の所有している歴史書。
やれ文書偽造だ、詐欺だと裁判騒ぎになり、ゴタゴタしているうちに第2次世界大戦で焼失した。
この竹内文書が大好きだった人物がいる。
昭和前期の考古学者でありジャーナリストである、「山根キクさん」だ。
彼女は、「ここがモーゼの墓だ」と言い出した。
話の解像度がだんだん低くなってきたな。
地元の人も、そりゃ信じていたわけではない。
ここ押水町だって、ウソと思われる歴史に加担はしたくはなかった。
だけどもこの押水町、産業もなければ観光地もなく、金もない状態だったらしい。
「試しに…、作ってみるか?モーゼパーク…。」
こうして誕生したのが、伝説の森モーゼパークだ。
話の解像度が、もう原型を留めないほどに崩れてきたな。
面白い。
モーゼは海を割ったりなんやかんやし、そして「シナイ山」で神から十戒が書かれた石板を授かる。
そのあと天浮舟(あまのうきふね)という空飛ぶ船で日本にフラリとやってきて、十戒を天皇に献上したら、天皇は喜び娘をモーゼの妻に推薦した。
2人はその後もいろいろあったけど仲良く暮らし、モーゼはここ能登で583歳の生涯を終える。
ちなみに長男はニウマポンヒリウス、孫は例の墓に眠るタルヲス・イホスチヒリウスだ。
…ちょっと頭痛がして来たかい?休むかい?
うん、ではそろそろ話を終わらせよう。
- 滝を割ったモーゼ
- 奇想天外な竹内文書
- ぶっ飛んだ見解を示した山根キクさん
- モーゼ運用を後押しした押水町
一体、どこまでが正しく、どこからがこじれてしまったのだろうか?
しかし、どうなのかな?
「歴史書」・「伝承」・「おとぎ話」・「聖書」…。
これらの境界線は実はあいまいかもしれないし、今僕らが信じている歴史だって正解ではないかもしれない。
真実は、本当に僕らの見える範囲にしかないのかもしれない。
じゃあ、何も信じられない?
いや、そんなこともない。
「歴史書」・「伝承」・「おとぎ話」・「聖書」。
共通してるのは、後世に残したい強い想い・強い希望。
僕らは先人たちのその思いを受け止め、新しい時代・新しい季節を歩んでいくのだ。
…きっと。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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