週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.231【宮城県】さよなら震災復興の象徴!ダンボール製ランボルギーニの展示が終わるぞ!

「ダンボルギーニ」。

 

何それ?…って思われる方も多いかもしれないが、ダンボールで作られたランボルギーニである。

 

女川町の「シーパルピア女川」に展示されている。

昨年である2021年にここは「道の駅 おながわ」になったので、今後はそっちの名称の方がポピュラーになるかもしれないな。

 

 

このダンボルギーニの展示、2022年の11月3日に終了するらしい。

10月21日に発表されたから、とんでもなく突然のニュースだ。

 

今回初めて存在を知り、見てみたい方もいるだろう。

今まで何度も見てきたが、最後にお別れを言いたい方もいるだろう。

 

…ってことで、あなたの最後の週末の訪問に間に合うよう、今回の記事をお届けする。

 

 

復興のシンボル、シーパルピア女川

 

ダンボルギーニの生息している、シーパルピア女川についてまずは語ろう。

宮城県の女川町。

もうひと昔の話かもしれないが、2011年の東日本大震災で甚大な被害を被った町である。

 

被災地の記憶1

僕は震災からそんなに経過していない、まだボロボロの状態の女川の町も知っている。

だけども今回は「僕がダンボルギーニに出会った話」なので、そこいらの詳細は割愛する。

 

僕が初めてダンボルギーニを見たのは、2017年の年明けすぐのことだった。

その2017年の女川の写真が上だ。

 

被災地の記憶2

震災直後を知っている身からすると、2017年時点でもずいぶん綺麗になったが、以前町があったところが盛り土の大地となっている。

未来への道を歩み始めているとはいえ、2022年現在から振り返るとまだまだ殺風景であった。

 

被災地の記憶3

現地のパネルの写真だ。

東日本大震災前の女川の町。湾に沿って町が栄えていた。

この湾に勢いをつけた津波が押し寄せ、町は壊滅したのだ。

 

被災地の記憶4

当時、実家で被災した女川の写真が掲載された新聞を読んだ。

今後日本はどうなっちゃうんだろうと思った。

 

そんなところから、女川は一歩一歩復興への道を歩み出した。

 

シーパルピア女川がOPENしたのは、2015年の12月。

僕の初訪問のおよそ1年前であった。

 

シーパルピア1

どうだい、オシャレな港町って感じであろう。

 

メインストリートの両側には、女川ならではの海鮮の店・雑貨屋・カフェなどの商業施設が立ち並ぶ。

決して大規模な施設ではないが、この一帯はキラキラと輝いていた。

 

シーパルピア2

セレブの住むマンションの中庭のような雰囲気でもある。

 

でも、OPEN直後は冒頭の写真のようにまだ周囲は盛り土工事中で、そこいらを土砂を運ぶトラックが通行し、ショベルカーが唸っていた。

そんな中でシーパルピアは産声を上げたのだ。

 

シーパルピア3

そうそう、日本5周目の愛車はHUMMER_H3っていう車だったんだけどさ。

その最後のドライブはここにも立ち寄ったんだよ。

まさに下取りの日、当日にね。

 

シーパルピア4

そしてシーパルピア内の「レストラン りぼん」でランチしたよな。

珍しいジビエ系のカフェ。

今となっては懐かしい思い出である。

 

シーパルピア5

このメインストリートの丘側の終点にあるのが、女川駅だ。

駅舎内には温泉施設もある。

 

ただ、駅舎内にはホームがない。線路もない。電車も来ない。

ホームは駅舎の裏側に少し歩いたところにあるのだ。なんだそりゃ、ウケる。

 

シーパルピア6

…とまぁ、これがシーパルピア女川のバックボーンだ。

ここは女川の震災復興のシンボルとして、かなり初期の段階で気合を入れて造られた施設なのだ。

 

では次章、本題と行きますか。

 

 

本物そっくり、ダンボルギーニ!

 

シーパルピア女川の一角に、ダンボルギーニを展示している施設がある。

 

ダンボルギーニ1

ここだ。「コンポーズファクトリー」。

もうガラスのドアの向こうにダンボルギーニ見えているよね。

ネタバラシになっちゃっているけど、まぁいいや。

 

ダンボルギーニ2

このピンクでイケてるおやじさんが、ダンボルギーニを造った「今野梱包株式会社」の今野社長だ。

ダンボールを作る会社であり、これまたダンボール製の社長だが、たぶん本物はちゃんとした生身の人間だと思う。

今野梱包株式会社はお隣石巻市に会社があるんだってさ。

 

てゆーか、「ダンボルギーニあります」って、どういうキャッチフレーズだよ。

いや、ちゃんとハートをキャッチされたけどさ…。

 

ダンボルギーニ3

中に入った。

内部のほとんどを占めるようにダンボルギーニが置かれている。

シビれるな、これ。

 

ちなみに撮影自由だ。

スタッフさんが常に監視しているのでビビるかもしれないが、「写真撮っていいですか?」と聞けば笑顔でOKしてくれるであろう。

 

ダンボルギーニ4

モデルはランボルギーニアヴェンタドール

本物を買えば数千万、それも奥に近い方の数千万円…だよね?

それの実物大を忠実にダンボールで再現しているのだ。

 

本物は見たことないが、ダンボールでもその貫禄はすごい。

 

ダンボルギーニ5

ライト部分はさすがにプラスチックだが、そことサイドミラー以外は基本的に全部ダンボールだ。

どういう脳みそで設計図を造れば、こんなものができあがるのだよ…。

 

すごすぎる。

なので僕は2017年以来、ここを6回ほどは訪問したよ。好き。

 

ダンボルギーニ6

後ろから見てもすんごいかっこいい。

ナンバープレートの「MO・NO」は「物」を示し、「3056」はオフィスの電話番号だそうだ。

 

ダンボルギーニ7

ランボルギーニのエンブレムは猛牛だが、ダンボルギーニのエンブレムは乳牛だ。

どっちもデザインはイカつい。

 

ダンボルギーニ8

閉館すると、外にいた社長のパネルも屋内にしまわれる。

 

上の写真はダンボルギーニのすぐ隣にいてイイ感じだ。

「僕が作りました!」って感じだ。

 

ちなみに社長パネル、ダンボルギーニの後ろ側にしまわれることもある。

…どうでもいいプチ情報、失礼しました。

 

ダンボルギーニ9

あとね、フロントガラスに貼り紙があるのにお気付きだろうか。

紙製品なので触らないように、という旨が書かれている。

 

僕が最初に見に行く前にニュースになってしまったのだが、強めに触ってしまった人がいたそうで、ヘコみや歪みが出ると直せないのだそうだ。

だからこそ、常にスタッフさんがいる状態で展示しているのだね。

 

唯一無二のダンボルギーニ、大事にせねば。

 

ダンボルギーニ10

ところで、今野社長はなんでランボルギーニダンボールで作ろうと思ったのだろうか。

 

かつてWebニュースで見た記憶によれば、これも東日本大震災が契機となったという。

復興が進む石巻市や女川町であったが、外の世界に夢や希望を求めて、どんどん若者が離れていった。

 

ダンボルギーニ11

それは町に残る人にとっては寂しいこと。

夢はここにもある。それを示すため、大好きな夢をかたちにしよう。

そう考えて生み出されたのが、ダンボルギーニだ。

 

最初は16分の1サイズ。

次に2分の1サイズ…。

うまく曲げられなかったり厚みの計算が間違っていたりして、何度も試行錯誤したそうだ。

 

ダンボルギーニ12

その結果、2015年の11月にダンボルギーニが誕生する。

翌月の12月には、本物のランボルギーニとのコラボイベントもあったんだよ。

僕がダンボルギーニの存在を知ったのは、そのときだったなぁ。

 

町の復興と、町の活性化。

そんな夢を叶えるため、ダンボルギーニは生まれたのだね。

 

 

ダンボールの魔術師、今野梱包

 

ダンボルギーニ以外の展示物等を少しご紹介しよう。

 

ダンボールの魔術師1

コンポーズファクトリーに、ダンボルギーニと共に展示されている作品。

『「オトナの事情」により、これはダンボールロボヘルメットです…』って書かれている。

 

うん、確かにこれはダンボールロボだ。

決して有名なロボットアニメのアイツになんて見えない。

 

あと、ダンボール工作キットもいろいろ売られていた。

カブトムシだとかピストルだとかをダンボールで組み立てられるのだ。

小学生の頃の僕なら間違いなくワクワクしたし、今もそれなりにワクワクする。

 

ダンボールの魔術師2

 

デカ。

 

 

これもシーパルピア女川内の施設「まちなか交流館」で見かけた。

2017年初夏のみの限定展示であった。

 

ダンボールの魔術師3

スターウォーズ」に出てくる「AT-ACT カーゴ・ウォーカー」というロボらしい。

僕はスターウォーズはほぼ見たことないのでわからんが。

 

高さは5mもあり、今野梱包の歴代作品の中でも最大なのだそうだ。

 

ダンボールの魔術師4

スターウォーズファンにとっては貴重なものだと思うので、興味あったら上の説明板の写真を拡大してほしい。

ダンボールの魔術師5

風の谷のナウシカ」の王蟲だね。

これは2021年に石巻市で開催された「アニメージュジブリ展」の会場で見かけた。

目と足の造形がすんごいのな。

 

ダンボールの魔術師6

石巻げんき市場」では、ダンボルギーニのノートを見かけた。

さすがにこれはダンボール製ではないぜ。ちゃんとしたノートだ。

 

ダンボールの魔術師7

裏にはダンボルギーニのスペックも書かれている。

最高時速は3kmだ。

遅い。でも走るのかよ。どうやって走るんだよ。

 

ちなみにノートのページ数は16ページしかなかった。

少ない…。

もうちょっとページ数を増やしたほうがいいのではなかろうか。コストかかるのは表紙のほうでしょ?

 

でも、実用ではなくノベライズ的な意味合いが強いのだろうな。

 

 

さよなら、ダンボルギーニ

 

2022年10月21日のニュースを見て僕は驚いた。

このダンボルギーニの展示が終了するというのだ。

 

終了日は11月3日。

急だ、急すぎる。

 

女川の明日1

だが、これはあくまで前向きな撤退であると今野社長は語ったらしい。

7年間展示して、もう充分にやりきったと。

いつまでも展示していてもいつか廃れてしまうので、その前に撤退したいと。

 

女川も次のフェーズに入れるよう、いったんこれでおしまい。

今野梱包もさらに新しいコンテンツを造れるようにがんばる、とのことだ。

 

おぉ、スゲーかっこいいセリフ。

 

女川の明日2

ダンボルギーニはここからいなくなってしまう。

だけれども、いつだって僕らの記憶の中を走っている。

 

そしてこんな素晴らしい意思を人々が持ち続け、この思い出を大事にしていければ、きっと女川の未来は明るい。

 

最後に、シーパルピア女川から海側に少し歩いたところにある、震災の津波に飲まれた派出所に掲示してあったパネルをご紹介する。

 

女川の明日3

女川は 流されたのではない

新しい女川に 生まれ変わるんだ

人々は負けず待ち続ける

新しい女川に住む 喜びを 感じるために

 

震災当時、小学5年生だった子が書いた詩だ。

…子供がこんなこと言えるんだもん。

 

大人の僕らが、その子たちの前に立って明るい未来を見せなきゃだよね。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: シーパルピア女川内、ダンボルギーニ・アヴェンダンボー
  • 住所: 宮城県牡鹿郡女川町女川2-60
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 10:00~15:00(火曜・水曜定休)

 

No.230【北海道】50日間噴出された驚異の巨大水柱!!台風近付く長万部の町に見に行った!

2022年、日本を少しだけ騒がせたニュースがある。

長万部の巨大水柱」だ。

 

大地から急に30m級の水柱が昼夜を問わずドバドバと吹き上がり、1ヶ月半後のある日に忽然と消えた。

 

これが江戸時代であれば、日本むかし話のような伝承となるに違いない。

そんな不可思議な出来事が、この令和の時代に勃発した。

 

 

そしてその水柱を、僕も実際に目にした。

そんな一大スペクトルを今宵は語ろう。

 

 

2022年台風14号、そのとき僕は

 

「かつて経験したことのない危険が迫っています」

「命を守るために、最大級の警戒をしてください」

 

カーラジオからはそんなアナウンスが途切れ途切れに流れていた。

警戒されている対象のヤツの名前は台風14号というらしい。

現時点でその対象は西日本とのことだ。

 

暴風雨の中で1

僕が現在いるのは、北海道の南部。

こっちもひとことで言うならヤベェ。

ふたことで言うならすごくヤベェ。

 

さっき森駅で駅弁のいかめしを買ったのよ。キングオブ駅弁だよな。

そのときはまだ雨は降っていなかったのよ。

だからどっか風光明媚なところで愛車のハッチにでも腰掛けて食べようと思っていたら、みるみる空が暗くなってこの有り様よ。

 

滝のような豪雨が愛車を叩き、ワイパーを最速にしてもロクに前が見えない。

運転、恐ろしい…。

 

暴風雨の中で2

僕が現在いる地点。

雨雲レーダーを見たら、ファンキーな色の雨雲の通り道になっている。

ゾロゾロと次から次へと通る算段になっている。

 

上の図の緑の雨雲は相当な雨であり、赤みを帯びた雨雲はマジ危険な雨をもたらす。

こんなエリアはすぐにでも通過してしまいたいところだが、実はこの真っただ中で立ち寄りたいスポットがあるのよ。

 

暴風雨の中で3

長万部駅の隣の駐車場で一息つくことにした。

ずっと緊張して肩に力が入っていたので、ここで僕は大きく深呼吸をした。

 

目的地はここから2㎞程の距離にあるという、巨大水柱。

だが雨が強すぎて今行くのは得策ではない。

何なら今、僕自身も広範囲水柱の中にいる。水柱の中で水柱を見ても、なにかなんだかわからないだろう。

 

ここは雨雲レーダーを眺めつつ、いかめしを食べるべきであろう。

 

暴風雨の中で4

豪雨の社内の中で、僕は森駅で買ったいかめしを食べた。

写真を撮ると、いかめしの背景は豪雨だ。水だ。まるで海の中を泳ぐ、あのころの姿だ。

 

ちょっと味気ないランチタイムであったが、20年・30年経ってから振り返ると、意外とこういう思い出の方がたまらなく懐かしくなるのよ。

だからまぁ良い。

 

暴風雨の中で5

30分待った。

雨雲の切れ目だ。これから20分はかなり小雨になる。

次の一団が来るまでの間に巨大な水柱を見に行くのだ!

 

僕は愛車に乗り込み、アクセルを踏んだ。

 

 

水柱は市街地の中にある

 

長万部の水柱は、2022年8月8日から噴出している。

そのおよそ1ヶ月半後、僕も訪問することとなった。

 

すごいのな。

直線距離にして500mくらい手前で、鉄道の線路をまたぐ高架橋があるのよ。

そこを走っているときに、遥か彼方の森の上に吹き上がる水しぶきが既に見えていたもんね。

ラスベガスのホテルの噴水かよって思った。

 

市街地の中の水柱1

のどかな住宅地である。

水柱は、実は普通の住宅地のギリギリ傍らで噴出しているのだ。

飯生神社」という神社の敷地内に爆誕している。

町のド真ん中とかではなくって本当に良かった。

 

市街地の中の水柱2

市街地に面して建つ、飯生(いいなり)神社の鳥居だ。

水柱は写真を撮る僕の背後にある。

 

そちら側は道路も細く、車の擦れ違いもギリギリである。

水柱の一件で観光客が多く訪れ、その狭い道に入り込むとごった返して大変なことになるので、その道は9月中旬現在閉鎖されている。

 

上の写真の鳥居付近は少し広いスペースがあるのだが、ここも駐車禁止だ。

みんなが停めたら大変なことになるからね。

でも、停めちゃっている人もいたけどね。

 

市街地の中の水柱3

この旨は、ニュースでも見たことがあるし、昨夜の函館の宿でも実際に見た人が詳しく教えてくれた。

上記の写真の通り、駐車場は少し先にあるのだ。

 

そして、この距離を歩くことを知っていたので、僕はさっき長万部駅で雨雲が去るのを待っていたのだ。

台風の近付く暴風雨を往復1km歩いたらグッチャグチャになりますもん。

 

市街地の中の水柱4

本来ならば駐車場の説明とかを詳しくするところなのだが、もう水柱は止まってしまっているのでサラッと続きを書こうな。

 

どうやら水柱目当てでこの町に来ているであろう車も散見される。

みんなキョロキョロして駐車場の案内板を確認し、市街地を駐車情報面に進んでいく。

 

市街地の中の水柱5

案内されていた駐車場の100mほど手前だろうか。

「平和記念館」という施設の前で「駐車スペースあるよ」と言われたので、愛車を停めさせてもらった。

ここも水柱観光客の車ででかなりギュウウギュウではあったが、1台だけ空きがあったのだ。

 

ここから歩く。

また雨が激しくなってきた。カクゴしていくぞ。

 

市街地の中の水柱6

カサをさしながら撮影したので盛大にブレた。

こんな市街地を、写真のほぼ突き当りまで行けば、さっきの神社の鳥居。

 

そして上の写真に写っている人はみんな水柱観光客。

けっこうみんなゾロゾロと歩いているぞ。

 

ちなみに、この時点で「ドコン…ドコン…」って地鳴りのような音が聞こえている。

水柱の威力、すごいのだな。

 

市街地の中の水柱7

上の写真の中央、白くなっているのが水柱だ。

普通に市街地から見える。

ただ、真っ白な空と雨の影響で写真に撮るとほとんど見えない。

 

市街地の中の水柱8

後日談だが、僕が水柱の間近で撮った写真を公開したとき、「もうちょっと離れて撮影した方が見栄えもいいし威力が伝わるんだけどね」というアドバイスをいただいた。

 

うん、わかっているよ。

わかっているけど、離れて撮影すると何もわからないような暴風雨なのよ。

上の写真、かろうじて林より高く吹き上がる水柱が見えているけどもさ。

 

市街地の中の水柱9

「…ドッコン!!…ドッコン!!」と、地球の鼓動のようにすごい音がしている。

 

ここいらに住む方々は、この音をもう40日間以上、24時間聞いているのだ。

しかもなぜこの水柱が出現し、いつ停止するかもわからないのだ。

なってこった。

 

しかもこの水柱は温泉成分を含んでいるらしく、この水しぶきがかかった畑の作物などは枯れてしまうそうだ。

シャレにならない…。

 

市街地の中の水柱10

いきなり水柱が吹き上がり、そしていきなり観光客が増えてしまったので、配慮をするよう看板が設置されている。

 

付近の方々にとっては水柱も迷惑極まりないし、観光客も路駐したり生活道路に入り込む人がいたりと、全く嬉しいことは無いのだ。

観光地化された間欠泉などとは違い、お金を落とせるような施設でもないし。

 

だからこそ、見るのであれば最低限のモラルは守って行動せねば…。

 

 

吹きあがる水柱、鳴り響く轟音

 

例の飯生神社の鳥居まで戻ってきた。

ここからは神社の敷地だ。雨は本降りだ。もう靴の中、グチャって来ているんですけど…。

 

水柱に続く道1

おそらくこの階段の先は社殿なのだろう。

しかし水柱は写真手前の左側である。僕は左側に向かう。

 

水柱に続く道2

うむ、確かにこの道に車が詰めかけたらパニックだよな…。

この奥に駐車場もなく、みんな路駐になるだろうし。

そして水柱を見たらこの狭い道でUターンするのだろうし。

 

「ドドン…ドドン…!!」

 

音はいよいよ大きくなってきている。

この豪雨の中でもハッキリと聞き取れるような重低音だ。

 

水柱に続く道3

あぁ、あそこなのだな。

赤いコーンが置いてある左側が、きっと水柱なのだな。

 

周囲の人々の目線でわかった。

あと、1台車でここまで来てしまっている観光客もいた。

 

吹き上がる水柱1

はい、この通りだ。

バリケードがあって車道より先の林の中には行けない。

 

だけども肉眼では前方の林の中で吹き上がっている水柱がよく見える。

ここからの距離は30mほどだろうか?

 

吹き上がる水柱2

林よりも高く吹き上がる水。

そんな量の水が40日間以上も吹き上がって、果たして地下はどうなっているのだろう?

地盤とか、いろいろ大丈夫なのだろうか…?

 

吹き上がる水柱3

注意喚起の看板が設置されている。

火気厳禁だ。

水柱には微量の天然ガスが含まれていて、引火の恐れがあるそうなのだ。

 

アレだもんね、止まらないガスに引火してしまったら、止まらない火柱になってしまうかもしれないもんね。トルクメニスタンの「地獄の門」のように。

ただ、地獄の門は荒野だけどもここは市街地の林の中だから、火が噴き出たらとんでもないことになるもんね。

 

streamable.com

 

横にいたファミリーの、幼い女の子がお父さんに「動画で撮ると見やすいと思うよ」とアドバイスをしていた。

 

お父さんは「なるほど」と言い、僕も心の中で「なるほど」と言った。

ありがとう、少女。

こんな唐突にナイスな提案ができるとは、人生何回目なのだろう。もう1回動画を撮影してみた。

しかし雨、激しい…。

 

水の中で水を見ている。なんだこのウォーターパーティー…。

でも、水柱の迫力はあなたに伝わっただろうか…。

 

 

急に消滅した水柱を考える

 

この話には続きがある。

水柱、今度は急に消滅したのだ。

 

9月26日の朝のことだったという。

8月8日に出現したから、ちょうど50日間だろうかね。

 

Webニュースによれば、9月26日朝に町の職員が現場を確認したところ、前夜まで吹き上がっていた水柱が無いことに気付いたそうだ。

当日は正に、この水柱の轟音を抑制するための工事を開始しようとしていた日だったらしい。

 

なんという偶然。

さらに言えば、ちょうど飯生神社が地鎮祭をやった直後だったとのことで、超自然現象的な憶測コメントもSNSで乱れ飛んでいた。

 

水柱、消滅1

なんにせよだ。

あの人騒がせな水柱が止まって良かったね。

周辺の方々は「これでようやく安眠できる」と、心から喜んでいるらしい。

 

実際に見てみたかった人も多いだろうが、こればっかりは僕らも消滅を喜ぶことを優先した方がよいであろう。

 

水柱、消滅2(いただき画像)

さて、水柱消滅の2日後に現地訪問した方がいる。

SNSで僕と繋がりがあり、2022年の北海道旅の中でも実際にお会いした旅人「のび太君」だ。

 

のび太君にお願いし、この度は2日後の画像の掲載許可をいただいた。

それがこれだ。

水柱部分はブルーシートで覆われている。

 

水柱、消滅3(いただき画像)

そして水柱が吹き上がっていた部分には器具が取り付けられていた。

消滅したものの、またいつ噴出するかわからないから、ひとまず予定通りに騒音防止の宅策をしたとのことだ。

 

そしてビックリなのだが、あれだけの規模の水柱を噴き上げていた穴は、わずか直径5cmだったらしい。

とんでもない、地球のパワーだな。

 

水柱、消滅4

しかし、そもそもなぜ水柱が出現したのだろうか?

 

どうやら60年ほど前の1959年~1960年ごろ、ここいらの石油資源や天然ガスの調査をするために何箇所か井戸を掘ったそうなのだ。

その後にそれを埋め直ししたんだけど、その工事が不十分だったか井戸が劣化したか…。

そんな経緯から暴発したという説が有力である。

 

つまりこの説が本当であれば、これは自然災害ではなくって人災??

僕はあくまで観光客目線でブログを書くのでこれ以上の言及は控えるが、真相次第では周辺の方々の心境はより複雑なものとなるだろう…。

 

水柱、消滅5

50日でようやく止まった水柱。

地中にある噴出するためのガスの圧力が低下し、水を噴き上げられなくなったのだろうと、専門家は分析する。

さらには最新情報として2022年10月20日、噴出口の上に水とガスを分離する装置の設置工事も完了したらしい。

再噴出しても影響は最小限に抑制できる様子だ。

 

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…江戸時代であれば「天変地異」として片付けられ、伝承として残りそうなこの現象。

しかし実際にはいろんな因果が絡み合っているのかもしれない。

 

1年後、2年後ともなれば、人々はこのニュースを忘れてしまうのだろうか。

僕は深い因果はよくわからないが、せめてこういうことが起こり、僕もそれを見たという思い出だけは、こうして記録に残しておきたい。

 

これも、僕の歴史の1ページ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 長万部の巨大水柱
  • 住所: 北海道山越郡長万部長万部414-17 飯生神社敷地内
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 500mほど離れた公共施設の駐車場を使用
  • 時間: 特になし

 

No.229【東京都】日本の道路の起点となる「日本橋」!空が塞がれてもその威厳は健在だ!

東京「日本橋」。

僕ごときが語るのもおこがましいほどに、日本のセンター of センターだ。

 

歩いて行ける範囲に皇居もあるし、東京駅もあるし、日本の中枢を担う各機関もあるし、日本の代表的なデパートの総本山もある。

「日本の中心ってどこ?」って聞かれたときに、誰もを納得させる最適なキラーワード、それが「東京」ではなかろうか。

 

東京駅1

残念ながら、僕はこれらを多く語れるほどの人間ではない。

大手町で働くやり手の商社マンでもないし、銀座マダムも身内にいない。ドライブは好きだが、ドライブしやすいスポットかといえばそうではない。

 

重要文化財日本橋高島屋

それでも今回僕が日本橋に触れる理由とは。

 

日本の道路の起点が日本橋であるからだ。

日本の各地を走り回る身として、その原点に当たる場所は知っておかねばならない。

道路あってのドライブなのだから。

 

 

空を奪われた橋、日本橋

東京の中枢、日本橋

 

日本橋にやってきた。

ただただ、日本の道路の起点を見るだけのためにやってきた。

…という経験が実は2回あるので、今回の記事はその2回分の写真をマージして執筆している。

 

日本橋を見る1

なんだか日の丸の多い写真だが、なぜかというと正月早々の訪問だったからだ。

そんなおめでたい日に、僕は1人東京都心に繰り出している。

 

さすがにこの日本で一番土地の値段が高く、かつ正月の喧騒の中でコインパーキングを気軽には発見できないだろうと思い、少し離れたところに愛車を停めて歩いてきたところだ。

 

写真上部の看板を見てほしい。

中央区 日本橋」。

その文字が日の丸に祝福されて、心なしか誇らしげに見える。

 

日本橋を見る2

車がバンバン通っている道が、一般道の国道部分である。

そして頭上を通っているのが首都高である。

 

日本橋を見る3

首都高の高架に日本橋とパワフルな字体で書かれている。

こう書かれると、まるでこの首都高の高架が日本橋であるかのように思われるが、実はそうではない。

 

日本橋を見る4

日本橋とは、首都高の下のこの部分なのである。

悲しいかな、首都高に完全に潰されてしまっている。

 

ja.wikipedia.org

 

上にWikipediaさんへのリンクを貼らせていただいた。

埋め込み画像に、「歌川広重」の東海道五十三次のスタート地点である、日本橋の絵が載っている。

栄えある、東海道のスタート地点を描いた絵だ。

 

太鼓橋であり、当たり前だが首都高なんて1ミリもない時代なので、空が広く描かれている。

 

日本橋は1603年の江戸時代スタートとほぼ同時期に架けられ、何度か架け替えられつつも400年間、東京の中枢の交通の要所となっている。

現在のものは1911年に架けられたそうだ。

 

このまま橋を渡っても、橋であることにはなかなか気付かない。

車に乗っているとなおさら気付かない。

ちょっと角度を変えて見てみると良い。

 

日本橋を見る5

 

これが日本橋だ。

 

 

ちょっと大正レトロチック(造られたのは明治時代だが)でオシャレな、石造りの2連アーチ橋。

長さは49mと小ぶりではあるが、我が国を象徴する橋だ。

ルネッサンス式のデザインで、国の重要文化財にも登録されている、非常に歴史的価値の高い建造物である。

 

ちなみに上の写真は、なるべく首都高が写らないように撮った。

まぁそんなことは不可能なんだけど、橋自体に神経を集中すれば、頭上の首都高はあまり気にならなくなる画角だと思う。

 

日本橋を見る6

首都高を見上げるように撮影すると、こうなる。

せっかくの青空が全然見えねぇ。切ねぇ。

 

まだ子供だった頃だが、社会の授業かなんかで歴史ある日本橋の上に首都高を作ったという逸話を聞いたときは、「なんで?バカなの?」って思った。

でも、当時の日本のことを考えると、やむを得なかったのかな?

 

日本橋を見る7

日本橋の空が無くなったのは、1963年のことだ。

前回の東京オリンピックのために、日本は道路網を整備しようと一生懸命であった。

 

首都高を作りたいのだが、でももう道路を通す場所がない。

しょうがないので、下を流れる「日本橋川」にピッチリとルートを合わせて首都高を造ったのだ。

(その前に首都高を川の上に通すことが確定していたという説もある)

 

日本橋を見る8

今だったら「景観を…」とか「環境を…」みたいなことが叫ばれるかもしれないが、当時の日本はとにかく経済大国としての躍進の真っただ中であり、副作用はさておき…といった状況だったのかな?

 

それに、「じゃあそれに代わる首都高建設場所を提示してくれ。そんで東京オリンピックに間に合わせられるよう造ってくれ」みたいになっても、代替案の無い状態だったのだろうな。

 

 

じっくり見れば味わい深い橋

 

周囲の人たちはほとんど足を止めることなく忙しそうに歩いている。さすが都会。

しかしせっかく来たのだから、僕はもうちょっと詳しく日本橋を眺めてみよう。

 

日本橋はかっこいい1

まずは日本橋、装飾がとてもゴージャスである。

橋の4隅、プラス橋の真ん中の4箇所に、”花形ランプ付方錘柱”っていう街灯がある。

 

青銅製のかっこいい造形だ。

どうしても首都高の圧迫感に気を取られてしまうが、もし首都高がなく、静かな夜にこの街灯にポワンと灯がともっていたら、それはとってもステキなのだと思う。

 

日本橋はかっこいい2

ってゆーか、マジにギリギリで首都高作っているな。

首都高の上りと下りの境目に、うまく街灯を通している。

首都高の壁面があるから高速を走っている車からは見えないだろうが、手を伸ばせば触れられそうなところに街灯があるのだ。

 

なんかWebでさ、絶対立ち退きをしない家があるので、もうイヤミ全開でギリッギリに道路を通したりする外国の写真の特集を見たことがある。

それを彷彿とさせた。

 

これは首都高と日本橋との共存ではない。

イヤミを感じさせる造りだ。

ただ、それももしかしたら見方によってはエモいのかもしれない。

 

日本橋はかっこいい3

街灯の足元には麒麟像がある。

バチクソにかっこいい。

僕は未だに中二病だからな、麒麟という単語自体にもうかっこ良さを感じてしまうからな。

 

キリンビール麒麟とはちょっとデザインが違うが、これは当時参考となる書物が少なかったので、想像の中でいろんな動物をブレンドしたからなのだそうだ。

普通麒麟には翼はないけど、これは「日本の道路の起点、日本橋から全国に飛び立つぞー!」といメッセージを込めて翼をつけたという、オリジナルデザイン。

あと、やたらとピシッと立っているのは、もともとスペースが狭かったのでどうしても縦長に作らざるを得ず、苦労してデザインした結果だ。

 

いろんな思いが、この麒麟に詰まっている。

…みんな普通に素通りしていくけど。

 

日本橋はかっこいい4

日本橋川と、その上を通る首都高だ。

なんだこれ。もうこれ、全天候型のクルーズ出来ちゃうじゃないか。

 

仮に首都高がさらに20mくらい上空を走っていたらここまでの圧迫感はなかっただろうけど、昔も今もそれを言うのはムチャな話。

よって、こんなモグラのような気分の空間ができたのだな。

 

日本橋はかっこいい5

こうしてみると、いかに日本橋の頭上スレスレを首都高が走っているのかわかる。

 

新と旧の道路の融合。

手放しに「美しい」とは言い難い絵ではあるが、どこかにディストピア的な魅力を感じてしまうのも事実だ。

これはこれで、真の東京の姿なのだろうと、かつてを知らない僕は思う。

 

 

日本の道路の起点、日本国道路元標

 

はい、遅くなったが僕が日本橋に来た本題だ!

冒頭に書いたが、ここが日本の道路の起点だからだ!

 

つまりはここ、日本の中心の1つなのだ!!

 

…とか言うと、「日本の中心って他にも名乗っているところがあった気がする。」とか、「なんだよ日本の中心の1つって。いくつもあるのかよ。」とか思われるであろう。

うん、それらは事実だ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

 

実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状なのだ。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

そのアホな僕が、アホな夢を叶えるために日本橋に来たってわけだ。

 

道路元標1

日本橋の北側のたもとに、「日本国道路元標広場」というスペースがある。

すごく狭い。

「広場って名前だけど全然広くないじゃないか」と思われるかもしれないが、まぁまぁそこは東京の土地だから…とおおらかな目で見てほしい。

 

道路元標2

ここで特筆すべきものは2点だ。

1つは目玉、「日本国道路元標」(のレプリカ)である。

 

レプリカなのだ。

実は本物は日本橋のド真ん中にあるのだが、ギャンギャン車が通っていて歩道も無くって、死と隣り合わせのデンジャラスゾーンなので、ここにレプリカを造ってあるのだ。

 

道路元標3

それがこれである。

 

右回りに文字を読むのではなく、「おい、そこで改行するんかい」みたいなデザインだが、かっこいいよね。

これを記念コインみたいにしてくれるなら、お守りとしてお財布に入れておきたいような一品だ。

 

これを書いたのは当時の総理大臣「佐藤栄作さん」だそうだ。

 

道路元標4

1604年。つまり江戸時代が始まった直後であり、日本橋が架けられた翌年のこと。

幕府は「ここを五街道の起点にしようぜ」って言ったのだ。

 

五街道とは、東海道中山道日光街道奥州街道甲州街道

江戸のここを中心に、道路が放射状に広がる。

 

その後、現在においてもここは様々な国道の起点となっている。

国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号…。

日本橋は、体の各所に血液を送り出す心臓のような存在なのかもしれない。

 

道路元標5

特筆ポイントの2点目は、その日本国道路元標のレプリカの上に建つ「東京市道路元標」である。

日本橋の街灯と同じデザインの柱に、その名が刻まれている。

 

道路元標6

これはどうやら範囲を東京に絞ったシンボルらしい。

そして江戸ではなく「東京」という名前になっている点にも着目だね。

明治時代に定められた「東京市ニ於ケル道路元標ノ位置ハ日本橋ノ中央トス」という条文が元になっているとのことだ。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

全国を自由に走っていたつもりであった。

車の魅力は、電車とは違って自分の意思のままにどこにでも行けることだと思っていた。

 

確かに間違いではないだろう。

でも、そのタイヤの下にはいつだって道路があった。

 

その道路は、僕らの遥か先輩たちが生活する上で長年かけて生み出してきたもの。

あるいは日本を発展させるためにいろいろ考えて敷かれた街道から、毛細血管のように分岐して設置されてきたもの。

 

…さらには、その建設に携わってきた多くの技術者さんや工事業者さんによるもの。

 

皇居のお堀にて

1人で旅しているからと言って、それは1人でなんでもできているということではない。

多くの人の恩恵を受けて旅をさせていただいているにすぎない。

 

日本橋は空の無い残念なデザインという意見もあるだろうが、一生懸命道路を作ってくれた人たちの、その歴史の1ページだと思って大事にしたい。

 

そして、僕は日本中を旅する者の1人として、この言葉を胸に刻む。

 

 

「此橋江戸の中央にして諸国よりの行程もここより定められるゝ故、日本橋の名あり」

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本橋
  • 住所: 東京都中央区日本橋室町1-8-1 日本橋
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし。付近のコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 特になし。

 

No.228【広島県】山奥の珍寺でちょっとヘンテコな仏像巡り!「源宗坊寺」は不思議空間!

呉の町の、奥の奥。

 

狭く急な坂を乗り越えて、半分山の中みたいなところまで行くと、すごくワンダフルな仏像たちが出迎えてくれる。

素人ならではの、どこかこじらせた造形の仏像だと僕は感じた。すっげ。

 

ただただネタ的な意味でそこに興味を持ったのが最初だ。

こういうのが好きなのだ。

 

 

それを拝むためなら、心臓破りの坂だって越えて見せようぞ。

行くぞ、呉の町!!

 

 

1stチャレンジ(7年前)

坂の町で泣きそうになる

 

呉の町の山間部には、珍妙な仏像が立つお寺があると、そう聞いていた。

そのお寺の名前は「源宗坊寺(げんそうぼうじ)」というらしい。

 

「おうおう、その仏像、僕に見せろや」と息巻いて突撃したのが、7年半前の若かりし僕だ。

 

7年前1

…そして坂の途中でヘロッヘロになって心折れていた。

 

さっきまで呉の町の中心地で1人遊んでいた僕は、車に乗り込んで源宗坊寺の近くまで来ようと画策していた。

だけども道路が極端に狭くなりそうな気配だったので、途中のコインパーキングに愛車を停めて歩くことにした。

 

7年前2

だが僕は2つも重大なミスをしていた。

  • この坂の町、呉の深部にコインパーキングなんぞない。予定していた駐車したいエリアを1.5kmほども通過してからコインパーキングをようやく見つけた。
  • さらにそこから1kmくらい歩いてから、「実は僕がスマホ操作を誤り、寺はさらに2㎞先だった」ことが発覚。

 

これ泣きたい。

天が代わりに泣いてくれた。雨降ってきた。最悪だ。カサは車の中だ。

年末の寒々しい曇天。しかも雨。僕は迷子。何1つ救いようがない。

 

7年前3

結論から言うと、このとき僕が歩いた時間は車からの往復で2時間。

距離にして8kmほどとなる。

こんなだったら先ほどまで遊んでいた呉駅近辺から歩いたほうがよっぽど効果的だった。死にたい。

 

さて、上の写真は「萬年寺」である。

えげつない坂が続いている。

Webを見たところ、このハデな多宝塔と仁王門が源宗坊寺へのランドマークになっているようだ。

 

ここは源宗坊寺を目指す誰もが歩く場所。

ようやくレールに乗った感がある。

もっとも、駐車場からここまで既に40分も歩いてるけどね…。

 

7年前4

萬年寺を過ぎると、もう車も入れないような狭い道とか歩いたり。

観光客の自分がこんなところにいるのは場違いな気がして来たぜ。

でも、雨も止んだ。よかった。

 

7年前5

家が少なくなり、本格的に山道っぽくなったところで、道の脇にコンクリートの像を発見!


うおぉ、ここいらからが源宗坊寺のテリトリーだよね!?

ついに辿り着いた!!

ここまで、車を停めてから徒歩で50分!!

天竺に辿り着いたかのような達成感!!

 

 

境内で泣きそうになる

 

ついに僕は、源宗坊寺のエントランス的な場所に立つことができた。

まだ境内は先だが、源宗坊寺ワールドはもうここから始まっているようだ。

 

7年前6

たぶん昔はペンキで色が付けられていたであろう、コンクリートの像。

かなりハゲてコンクリ感が剥き出しだ。

2体いるし、仁王像?

 

7年前7

そしてこの造形。

作者さんはきっと本気なのだろうが、どうしても愛嬌を感じてしまう顔立ちだ。

あと、左手が妙にかわいい。


そこいら辺、「関ヶ原ウォーランド」や・「熱海城」・「桃太郎神社」の像などの作者の「浅野祥雲」と共通しているよな。

B級スポット好きには浅野さんのファンも多いもんな。


7年前8

そしてさらに坂道を登って行くと、源宗坊寺の境内に入るためのゲートが出てくる。

 

てゆーか、登山口みたいな境内入口だけど?

坂道の車道の脇に、登山路みたいな感じで登場したのだ。

知らなきゃこの先がお寺だとはわからないな。

 

7年前9

その階段の傍らには、庭園だか休憩スペースだかよくわからないスペースがある。

緑に囲まれた、手作り感が満載のスペースであった。

 

7年前10

確かに僕は疲れ切っている。

 

あそこに座って休みたい気持ちもあるさ。

だが、この師走のドロドロの雲の下であそこに座ったら、心まで疲れ切ってしまいそうな気がしたさ。

 

僕は足を止めることなく、進み続けなければならない。

 

7年前11

境内のMAPが設置されていた。

記載の通り、数々の像があるのだ。

 

閻魔大王・風神・聖徳太子竜王弘法大師毘沙門天…、などいろいろ。

共通点は?

相当な夢のコラボ、実現しちゃってますけど??

 

あと、MAPが大雑把すぎて大仏がどこにいるのか皆目見当がつかない。

まぁいい。進もう。

 

7年前12

 

…で、ダメこれ。

 

 

階段を登って行った先、なんとお寺の門が閉められていたのだ。

内側からカギがかかっている。入れん。

 

今日はもう営業時間終了?いやまだ15時過ぎだけど?

それとも参拝できない日?非営業日?年末近いからもそれどころじゃないと?

 

うーむ、他に入口はないものか。

階段をまた降りてさっき登っていた坂道の車道に出る。

そして坂道をさらに登っていくと、境内の裏手に続きそうな狭い分岐があったので、そっちに入ってみる。

 

7年前13

この裏手にも看板がある。

こっちはイラストも描かれていてポイント高し。

 

大仏の存在感がスゲー。おかげで地図、何が何だがわからなくなっているぞ。

そいて仁王も風神もどこにいるのかわからない。

地図とは。

 

さて、この裏手側には門はかった。これはラッキー。

これで僕、境内に入れたのかな?

不安に思いながらも山道のようになった道を歩いていると、普通の人の民家のようなものが見えてくる。

 

あれ?ここのお寺の人のうち?中からは物音。

「境内を見学したいんですけど、どっちですかー?」って声をかけるのもアリかなって思ったんだけど、年の瀬の夕刻にそれは失礼かもしれないし、そしてそんな中でよそ者がゴソゴソと散策しているのもよろしくないかもしれない。

 

さっきの入口にMAPの描かれた看板があった以上、ここもれっきとした入口の1つだと確信はしているが、なんとなく気まずくなったので撤退することにした。

あーあ、結局片道55分歩いて見れたのは仁王像だけかぁー。

 

でもいいや。

これだけを見るための呉まで来たわけじゃないし。

たまたまアドリブで来ただけだし。どうせヒマだったし。

 

本当は悔しいのだが、そうやって気分を慰めつつ、また車まで歩いて戻ることにした。

ちょっと泣けるぜ、クソ。

いつか覚えていやがれ。

 

呉で飲む。これで挽回。

 

激坂は再び僕に牙を剥く

 

過去の青二才のYAMAめ、オマエはまったく恥ずかしいヤツだ。

2022年の僕であれば、もっとクールでスタイリッシュな攻略ができるのに。

 

激坂再び1

カーナビの性能も違う。

スマホの操作もバッチリだ。

そして当時の愛車と比べて、今の愛車の日産パオは格段に小さく小回りが利く。

カンペキすぎだ。

 

僕は再び呉に来た。

あのときの雪辱を果たすため。

楽勝で現地に辿り着き、そして境内の仏像たちを見ることで、過去の自分の失態を乗り越えるのだ。

 

激坂再び2

うん、なにこれ。

 

「余裕余裕」とヘラヘラしながらハンドルを握っていたYAMAさんも、ここで急に真顔になったよね。

カーナビに従って来たが、ちょっとこれ聞いていなんだけど?

 

いや、通れなくはないけども、この先もっと狭くなったらアウト。

そして土地柄、Uターンできるようなスペースがこの先にある可能性が低い。

 

ビビりの僕は苦労して切り返すと、坂の麓に引き返したのだ。

そして適当なところに駐車し、徒歩で戻ってきた。

おいおい、7年経って成長しているのか、僕は?

 

激坂再び3

おいおいおい、狭いし激坂だし。

これ徒歩だからいいが、車だったら泣いていたな。

 

ヒーヒー言いながら坂を上っていると、軽自動車に乗ってお姉さんがエンジンを「ブオオォォォ!!」と唸らせて登ってきた。

軽自動車って、あんな声で鳴けるんだ、そっか。

 

激坂再び4

うおぉぉぉ!!

眩暈がするような急斜面!!

 

僕は奈良~大阪の日本一の急勾配と激狭の「暗峠」でちょっと自信をつけたつもりだったが、それよりも嫌かもしれないここ。

徒歩で良かったぜ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ちなみに暗峠が気になる方は、上記のリンク先を見てほしい。

心臓が「キュッ」ってコンパクトになるから。

 

激坂再び5

アヒャヒャヒャヒャ…。

 

ここをカーナビが示していたかどうかは、もう車を置いてきちゃったからわからないけどさ。ここ来たらマジ詰んでいたねぇ。

しかし歩くのもツラいよ。

 

ゼーゼーハーハーいってる。

まだ涼しい時期の朝7時台なのに、荒い呼吸して汗ばんでいる。

 

激坂再び6

…呉。

こんな道が縦横無尽に迷路のように張り巡らされている、坂の町だ。

これ左右に残っているのは轍か?

マジにこんな道を走るのか?奥の方に電柱あるけど??通れるのか、あそこ?

 

激坂再び7

ふと振り返った。

絶景であった。

 

瀬戸内海に向かって傾斜している坂の町、呉。

斜面には遠くの方までビッシリと家が立ち並ぶ。

中心となる呉の港近辺のみ平坦な地で、そこが軍港として栄える。

なんかそういうイメージが、文字通り俯瞰でわかった。

 

激坂再び8

「これは私道ではないか?」みたいな細い路地も通った。

 

すぐ脇の民家で庭掃除をしているおばちゃんから怪しい目で見られるのではないかと、ちょっとドキドキしたほどだ。

しかし普通に「おはようございます」と挨拶してくれた。

あ、いい町。嬉しい。

 

 

ついでにGoogleマップストリートビューも1枚つけておく。

 

呉の町を見下ろすこの壮観な光景を見てほしい。

その次に視点を背後に動かして、この先の道のりの狭さと傾斜に「おえぇ…」とゲロ吐きそうになってほしい。

 

激坂再び9

なんだかよくわからないが、このあたりで7年前と同じルートに出たようだ。

ここは記憶にある。

 

ここを真っすぐに行けば源宗坊寺だ。

源宗坊寺には駐車場があることは7年前に知っている。

だからこそ愛車と共に来たかったのだが、無理だった。

もしかしたらまだマシな道もあるのかもしれないけど、僕自身がそこを運転したワケではないので、当ブログではご紹介できずに申し訳ない。

 

激坂再び10

うおっ。

久しぶりだな、2体の守護神よ。

 

 

僕らの常識の少し斜め上の世界

不思議の国へようこそ

 

懐かしき仁王像。嬉しくなって駆け寄った。

 

不思議の国へ1

7年前はほとんど塗装が剥げ落ちてグレーのコンクリートがあらわになっていた仁王像だが、今回は色彩豊かだ。やったね。

 

でも、これって阿吽像だよね。

普通だとこの2体の間に山門とかがあって参道が続くんだけど、ここの2体の間はミッチミチの竹藪と崖だ。

どういうことだろう。

まぁ考えても答えは出ないから先に進もう。

 

不思議の国へ2

車道から境内に続く階段へ…。

左側に注目してほしいんだけど、MAPの下に「この先 本堂下まで車の通行駐車が出来ます。車椅子の方にも参拝が出来ます」っていう新たな看板が出来ていた。

 

確かに頑張ればここまで車で来ることも可能かもしれない。

しかし車椅子の人がこの先に行くのはだいぶシンドいぞ。裏からでもシンドいぞ。

このあと裏側も歩き、そう感じた。

 

不思議の国へ3

境内っぽくない絵だけども、今僕は境内だ。

まだ登らなければいけないのだ。

 

Googleマップを改めて見てみたら、坂の相当に攻めた場所まで人家のある呉だけども、その中でもダントツに奥に位置するのがここであった。

呉の町の最奥の建造物?

 

不思議の国へ4

いぃぃやったーー!!

 

門扉が開いていた。前回は封印されていたゲートだ。

これがまた閉まっていたらどうしようかと内心ビクビクしていたよ。

なにせまだ朝の8時を回ったばかりだから、閉じている可能性も否めなかったのだ。

 

だが今回の僕は歓迎されているぞ。

よーし!

 

不思議の国へ5

すぐに一体の像が出てきた。

大阪のおばちゃんの像かなって思ったら、焔摩天だそうだ。

 

どういう感情の顔なのかよくわからないが、とても味わい深い。

まずは境内の像を見れて満足だ。

 

不思議の国へ6

何このゲート?

閉まっているのだが?やっぱ入れないのか?

実は二重ロックでセキュリティ高めだったのか?

 

不思議の国へ7

横を見たら貼り紙がしてあった。

どうやらイノシシ除けのゲートであり、人間は勝手に開け閉めしていいらしい。

そっか、イノシシは歓迎されないよね。

 

てゆーか、イノシシ出るのか…。

 

不思議の国へ8

なんか人家みたいな建物の脇を通る。

 

…ん?

もしかして、7年前の訪問時に僕はここまで入り込んでいたのかもしれないな。

あのときは「ヤベー!お寺の関係者さんのプライベートスペースに入っちゃったかも!」って慌てて引き返したが、尚早だったのかもしれぬ。

 

不思議の国へ9

わっ、本堂だ。

左側の小道から出てきて、振り返ったら本堂だった。

つまり参道は本堂の裏から続いているということ?どうなっているんだ、この境内の構造は…?

 

そして本堂の中ではお坊さんがお経を呼んでいた。

そうだよ、真面目なお寺なんだよ。

僕は失礼ながら真面目であることに一種の意外性を感じてしまった。ごめんなさい。

 

 

創造と崩壊の間の境界線

 

さらに参道の先に進む。

つまりは上の写真の手前側だ。ほぼ完全な山道。

 

奇妙な像達1

毘沙門天だ。とても色白美人だ。

毘沙門天ってもっと猛々しいイメージがあったけど、この毘沙門天は放課後すぐに家に帰って寝るまで算数の勉強をしていそうな造形だ。

 

奇妙な像達2

地蔵菩薩だ。顔がかなり怖い。

今夜の夢に登場してくれそうなほどに怖い。

 

奇妙な像達3

怖い怖いと呟きながら山道をさらに登る。

すごく登る。

 

昨夜いきつけのバーで飲んでいて、マスターに「明日はどうするの?」って聞かれたの。

僕は「まずは朝一で呉の町を散歩」って答えたの。

 

マスター、きっと軍港でも見ながら散歩している僕を想像しただろうな。

こんな山奥で汗かいてブキミな像を眺めているとは思っていなかっただろうな。

 

奇妙な像達4

 

スゲーの、出てきた!!

ラスボスだ!

 

 

インパクトがありがたみを凌駕した。

いつぞや見た看板にもデカデカと描かれていた大仏である。

僕らの知っている大仏とはちょっと違うかもしれないけど、大仏である。

 

奇妙な像達5

まず、ちょっと顔が怖い。

大仏は穏やか顔をしているものと思い込んでこれまでの人生を歩んできた僕だが、このデカい人にこんな怖い顔をされてちょっとビビった。

 

さらに右手に武器も持っているしな。

アレは剣だよな。すごくデカいぞ。勝てそうにない。

 

…いや、ちょっと待て、ちょっと待て。

これがもし手であるのなら…。

「アレ」はいったい何だったんだ。

 

奇妙な像達6

これ。

手だよね?まさか足じゃないよね?

何で手が4本あるの?千手観音とか阿修羅とかと同系統?

…であったとしても、斬新すぎる生え方だ。

 

奇妙な像達7

左手はそれっぽい。わかる。

 

ただし右手はどうした。これは果たして右手なのか。

足の裏のようにも見える。

少なくとも右手の手のひらだとするならば、親指が変すぎる。

いや、指のバランスが5本全部メチャクチャだ。頭が混乱してきた…。

 

奇妙な像達8

ちょっと見づらいが、横からの大仏だ。

薄っぺらい。わりとおせんべいみたいな造りだった。

 

さて、先へと進もう。

 

奇妙な像達9

またイノシシゲートがあった。

細い鉄柵を細いロープで縛っているだけであり、イノシシが体当たりしたらバラバラになりそうなほどチープだと感じた。

 

…と思ったら、右から開けばいいのか左から開けばいいのか、そして開閉部分の接合になんだかクセがあり、僕はここでもたもたした。

危なくイノシシ並の脳味噌と判定されるところだった。

 

奇妙な像達10

さらに道は狭く険しくなる。

…えっと、ところで僕はどこを目指しているんだっけか?

 

そうなんだ、そこが問題なのだ。

 

奇妙な像達11

このMAPが雑過ぎて、大仏がデカすぎて、現在地がよくわからないのだ。

できれば龍王とやらを見てみたいが、この道で合ってっているのか。

違うとしたら、そんな道が他にあっただろうか?

 

奇妙な像達12

…あ、行き止まりだ。

もう道が崩壊していて足の踏み場が無い。

ここまでとしよう。

 

目の前には「◎宮」と書かれている。

一文字目がアクロバティックすぎて全然読めない。

 

奇妙な像達13

その後ろの崖の上の方には、像が一体あった。

このおじさん、龍神では無いよね。龍神、いなかったなー。

まぁいいや。もうヘトヘトだ。

 

…と、現地の僕はここまで見て引き返した。

後日、改めて写真を見返した。

 

あの道の奥にいたのが龍神ではなかったということは、もう1つの行き止まりである摩尼宮に行きつく道だったのかな。

…あれ?ということは…。

 

奇妙な像達14

この字は摩尼宮って読むのかな?

次にWebで摩尼宮に何があるのかを調べた。

 

その情報はほとんどなくって大変だったが、上に映っているおじさんは弘法大師であり、さらにその後ろには不動明王と思われる像がいると書かれていた。

不動明王!?

そんなのいたのか??

 

自分の写真を改めて見返してみた。

 

奇妙な像達15

 

 

ぉぉぉおおおおお… … !!

 

 

奇妙な像達16

 

 

おおおおお!!!

 

 

かろうじて写真に納まっていた

これが不動明王とのことだ。

 

いやぁ…、こんな思わぬ再発見があるから、源宗坊寺、好き。

 

 

思いは100年の時を経て…

 

源宗坊寺。

1906年明治39年)に「稲田 源宗坊さん」によって建立されたそうだ。

ここまで紹介したユニークな仏像たちは、この源宗坊さんが作ったそうだ。

なんと、100年以上も前のものなんだね。すごい。

 

ヘロヘロになりつつ山を下る僕です

公式Webサイトによると、源宗坊さんは諸国を修行しながら渡り歩いた後、この地を選んでお寺を建立した。

 

そして3年間、修行洞で厳しい荒行をしたあとに、世の中の人を苦しみや病気から救おうと、これらの仏像作りに着手したのだ。

 

境内入口脇の休憩スペース。ヤカンがナイス。

源宗坊さんデザインの仏像は全部で13体。

本堂だけで3体いたようだ。

でもお経の真っ最中だったしな、覗くわけにはいかなかったもんな…。

 

そして森の奥にも今回見つけられなかった数体がまだ眠っている。

いつの日か、またそれを見に行く日が来るのだろうか…?

 

疲れた。水をくれ、水を…。

さて、そしてあの気になる大仏であるが。

 

実はあの大仏を取り囲むように、さらに大きな大仏を造る計画があったそうだ。

完成すれば30mほどのサイズになるという。

これは100年前当時としては日本一のサイズとのことだ。

 

こんなイメージか?

どう考えても上半身しかできないと思うが、そういうデザインだったのだろうか?

また、いろんなWebサイトを見てみたら、僕が右手だと思った部分は足の裏だという記事もあった。

それ、どういうポーズ??

 

幻の大仏と僕

ただ、こうして想像の中の存在でもいいと思う。

 

未完の大仏。幻の大仏。

わずかな痕跡から、各々の大仏を想像すればいいと思う。

 

再び町が見えてきた

源宗坊さん、ありがとう。

残念ながらあんまり平和ではない世の中だけど、それでも僕らは頑張って生きているよ。

 

呉の町の深部から見守っていてください。

僕ら、コロナには負けないから。絶対に。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 源宗坊寺
  • 住所: 広島県呉市清水3-14
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 一応あるが、行きつくまでが大変かもしれない
  • 時間: 不明

 

No.227【東京都・北海道】幻の黒い音威子府そば!生産終了でこの世から消える前に食べる!

幻の真っ黒なそば、音威子府そば。

 

知らないと絶対読めないと思うが、音威子府(おといねっぷ)と読む。

北海道で一番小さな自治体、音威子府村で作られていたそばだ。

 

うん、「作られていた」と過去形で書いてしまった。

もう作られていないんだ。

2022年8月末で、その製造の歴史は終わった。

 

 

これは、音威子府そばの幕引きのギリギリのところで足掻いた僕の物語である。

 

ひとつの歴史の終わる悲しい話ではあるが、もしこの記事を読んであなたが「ぜひ食べてみたい」と思った場合、今なら可能性はゼロではない。

興味を持ったのであれば、ぜひチャレンジしてみてほしい。

 

だって、もう二度と食べることはできないのだから。

 

 

失って初めて気付くこと

 

人口わずか600人台、大きな北海道の中にある小さな小さな村、音威子府村

 

音威子府村1

かつて何度か訪問した。音威子府そばの幟も目にしている。

しかしそばを食べたことはなかった。

「ふーん、そばもあるのか」と思った程度だ。

北海道だから海鮮やジンギスカンのほうに心を惹かれていたのだ、きっと。

 

音威子府村2

昨年の2021年2月、音威子府駅で90年間の長きに渡ってそばを提供してきた「常磐軒」のおじいちゃんが亡くなり、店は閉店となった。

 

思い返せば、このあたりで嫌な予感がしていたよね。

「道の駅 おといねっぷ」も音威子府そばを食べられるスポットではあるが、近年は食堂が休業したり再開したりと、不安定であったしな。

 

2022年4月、さらに衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。

音威子府そばを作る唯一の製麺所、「畠山製麺」もオーナーさんが高齢のため、2022年8月末で製造終了するというのだ。

 

後継者はいない。

終わった。もう終わりだこれ。

 

歴史が終わる

今までスルーしてしまっていた音威子府そば、一度でいいから食べてみたい。

 

そりゃ「今まで見向きもしなかったのに飛びつくのかよ、ミーハーだな」って思われるかもしれない。

でも、人間なんてそんなもんでしょ。

 

あなただってさ、もし「石焼きイモは法的に禁止になったので10月末で消滅します」とか言われたら、最後だからと必死になって石焼きイモの軽トラを追いかけ、購入するでしょ?

今まで「うるせーな」くらいにしか思っていなかったのに。

焼きイモがなくなったって死にはしないのに。

 

そんなもん。

別れのときに「さよなら」を言うのと同じくらい、自然な感情だと思うよ。

 

すぐに音威子府に行きたい

畠山製麺の廃業予定が発表された2022年4月末、音威子府村の老舗食堂「一路食堂」も閉店した。

音威子府そばを提供する貴重なお店だ。

 

これヤバい。

駅そばの常盤軒もなくなってしまったし、一路食堂もないとしたら、もう音威子府村でそばを食べられるのは「道の駅 おといねっぷ」内の食堂だけ??

天塩川温泉」も出していたっけ??

 

すぐにでも音威子府村に行きたい。

道の駅おといねっぷも、音威子府そばの提供は8月31日までと発表した。

もうカウントダウンは始まっている。

 

そば的には、きっと黄色点滅

僕も8月にどうにか北海道へ…!!

 

無理。

 

行けなかった。

予定の1週間前まで調整したけど、お仕事忙しくて無理だった。

 

どうすんのさ、これ。

しょうがない、奥の手を使うか…。

 

 

四谷:「音威子府TOKYO」

 

北海道以外で音威子府そばを食べられるお店、わずか数店だがある。

その1つが東京都心、四谷の「音威子府TOKYO」というお店だ。

 

音威子府TOKYO1

有名そば店をいろいろ渡り歩いてきたオーナーさんが、音威子府そばの魅力にほれ込み、畠山製麺に直談判して開店したお店。

 

音威子府村から数日置きに音威子府そばを空輸で仕入れている、ホンモノのお店だ。

期待値、MAX。

 

本来であれば本場北海道で食べたかったが、ここなら味は間違いないだろう。

8月も残り数日となったある日、僕はここを訪れた。

 

音威子府TOKYO2

さすが都心一等地。

住宅事情も厳しいのか、お店の間口が狭い。上の写真のドアの部分だけだ。

ドキドキワクワク。

 

音威子府TOKYO3

カウンター7席・座敷8席ほどの小さなお店だ。

コロナ禍なので現在はもっと席数を絞っている様子だ。

ちなみに夜は予約が必要らしいぞ。

 

ざるそばをオーダーした。

かけそばもあり、本場北海道は寒い時期が多いので温かいかけそばのほうが主流とのことだが、2022年8月の猛暑はえげつないのだ。

ここはすまないがざるそばにさせてほしい。冷たい方が味がわかりやすしいしさ。

 

音威子府TOKYO4

音威子府村取扱説明書」というシートがカウンターの席ごとに置かれている。

音威子府村の地図と名所が描かれている。

 

音威子府TOKYO5

あぁ、いいなー、音威子府村

僕はそばを待ちながら北の大地に思いを馳せる。

 

駅そばの常盤軒、8月20日・21日の2日間だけ、最後の復活を遂げたのだ。

もちろん、僕はそこにも行くことは叶わなかった。

ニュースで見て切ない気持ちになっていた。

 

音威子府TOKYO6

そのそばをこれから食べることができる。ようやく夢が叶う。

オーナーさんがそばを茹でる姿をカウンター越しに眺める。

 

音威子府TOKYO7

お通し(?)でおからが出てきた。

ふむ、おいしい。素朴な味わいで、ほっこりする。

 

サービスで炊き込みご飯もつくらしく、どうするか聞かれた。

もちろん僕は「ください」と回答した。

 

音威子府TOKYO8

コーンの炊き込みご飯だ。北海道らしいな。

ほのかな甘みがクセになる。ひとくちで胃が活性化してきた。

 

音威子府TOKYO9

来た。音威子府そば。

真っ黒でかなり太い麺だ。

 

なぜ黒いのかというと、そばの実を甘皮ごと製粉するためだ。

あとはなんやかんやするそうだけど、企業秘密なんだってさ。

 

音威子府TOKYO10

音威子府村で収穫されたそば、それを「特A~E」に分類し、その「特A」だけが音威子府そばになれる。

そんなエリートのそばなのだ。

 

つゆを漬けずにそのまま食べてみた。

弾力があり、そして香ばしく感じた。そばの風味がとても強い。なんだこれ。

 

音威子府TOKYO11

つゆに漬け、わさびもつけてみた。

でもそばの風味はそれらに負けない。味のコラボレーション。

なんだこれなんだこれ、うまいぞ!!

 

オーナーさんがそば湯を持ってきてくれた。

音威子府そばは、そば湯に栄養満点のエキスが溶け出ているし、おいしいからぜひ飲んでみてほしい」と言われた。

 

音威子府TOKYO12

うま。

そば湯がうまいと感じたのは初めてだ。

 

そば湯なんて、そばつゆを割るために存在してるものとしか感じていなかった。

だけども、このそば湯はとても香ばしい。

そば茶を飲んでいるような感覚。

 

今回ばかりはそばつゆ、ジャマだオマエ。

そばつゆがなくなった状態でもそば湯を飲んだ。

極上だった。やすらぎってこういうことか。

 

誰かが店員さんに「製麺所が閉まっちゃうと聞いたのですが、今後どうするのですか?」と聞いていた。

「うーん…。まだそれなりに在庫はストックしているのですが、ちょっとその後のことは…。」って口を濁していた。

 

音威子府TOKYO13

音威子府」を店名に冠したそば屋さん。

願わくば、1日でも長くそのアイデンティティを保持してほしい。

すごくおいしかった。ごちそうさまでした。

 

 

青梅:「ぎん鈴旅館」

中はまるで北海道

 

9月も中旬に入った。

8月末で道の駅おといねっぷでの音威子府そばの提供も終わった。

こうして畠山製麺は製造を終え、北海道内のスーパーでは最後の音威子府そばを買う人々も多かったようだ。

 

一路食堂は4月末で営業は終えているが、たまーにWebにて数量限定で音威子府そばを売り出していた。

しかし数秒で売り切れるような状態であり、その販売も終了した。

 

北海道外では千葉にも音威子府そばが食べられるお店があったそうだが、そこでの提供も終わった。

 

ぎん鈴旅館1

場所は東京の西部、青梅市

青梅の中でも、もう奥多摩と呼んでもいいような山間部に僕は来た。

 

なぜかというと、9月中旬現在でも音威子府そばを出しているお店がここにあるからだ。

 

ぎん鈴旅館2

旅館という名前ではあるが、食堂もやっている。

フラリと立ち寄って気軽におそばを食べることが可能なのだ。

 

こんなドライブ日和の秋晴れの日に来ることが出来てうれしい。

今日は家族を連れてきた。

四谷の音威子府TOKYOでの感動を共有したくってさ。

 

ぎん鈴旅館3

車道のある表側から、山々を見渡す裏手側に回り込む。こっちが入口なのだ。

この写真左手は深い谷になっていて、そこには「多摩川」の上流部分がサラサラと流れていていいロケーションだ。

 

ぎん鈴旅館4

ぎん鈴旅館、なんという迫力だ。

ご飯を食べるときって雰囲気はとても重要だもんね。

そういう意味ではこのお店、もうこの時点で100点。

 

ぎん鈴旅館5

玄関に入るとこんな感じだ。

「← そば処」という表示が階段にある。なるほどあっちか。

ちょうど女将さんも出てきて、そばを食べたいと告げると座敷席に導いてくれた。

 

ぎん鈴旅館6

わわっ。

座敷まで行く途中に「ゆ」って書かれたゾーンがある。

お風呂だ。さすが旅館だ。

 

そして左手の壁を見てほしい。

もう北海道好きな人ならみんな知っているよね。

日本最北端「宗谷岬」の到達証明書だ。2つもある。

 

正面の壁には、函館新幹線・宗谷岬・「ノシャップ岬」の写真もある。

ふふふ、本当に好きなんだな、北海道。こっちまで笑顔になる。

 

ぎん鈴旅館7

クランクになった縁側の突き当りが、座敷席への入口だ。

外が良く見える、6グループ分の席が用意されていた。

 

外の駐車場には車は停まっていなかったので無人かと思ったら、先客が2グループいたよ。

 

ぎん鈴旅館8

壁の一角。

「北海道より生めんを直送しています。(秘伝の黒いそば)」と書かれている。

 

その左側には、夕張駅の写真、日本最東端の東根室駅の写真、そしてその下に…。

音威子府村内の写真だ!!うおぉ!!

 

ぎん鈴旅館9

音威子府駅!!その中の常盤軒!!

そして一路食堂!!

うわぁぁぁぁ!!

 

僕が先月見たかったスポットたち!

チクショウ、行きたかったけどさ、こうやってぎん鈴旅館の中を見てみると、もうここ北海道じゃない?もうこれ北海道でよくね?

テンションMAXになってきた。

 

 

絶品、天ぷらそば

 

音威子府そばのメニューは、ざる・ざるトロロ・月見・天ぷら・ニシンなどがあった。

今回はただのざるではないものをオーダーしたいが、あくまでそばを味わいたいので、それをジャマしないものがいい。

サイドポジションに収まってくれる天ぷらそばにした。

 

天ぷらそば1

メニューの冊子には音威子府そばのことがいろいろ書かれている。

待っている間にそれを読もう。

 

天ぷらそば2

近年では、前項の音威子府TOKYOさんなども誕生したが、この記事が書かれた時代(正確に確認するのを忘れた)では、『音威子府そばの取り扱いを関東圏で唯一認めらてているお店』として、ここが掲載されている。

すげーな、ここ。

 

天ぷらそば3

冒頭の説明文、一部を省略しつつもちょっとご紹介しよう。

 

― 製造元の畠山製麺が廃業となり約100年の歴史に幕を下ろします。

それに伴い、音威子府そばの仕入れも9月以降は出来なくなります。

 

音威子府村では2021年2月7日に駅そば常盤軒が店主逝去で閉店。街道筋の一路食堂も2022年4月末で閉店し、村内で音威子府そばを食べられるのは道の駅レストラン「天北龍」と天塩川温泉(音威子府村住民保養センター)の僅か2ヵ所のみとなりました。

 

1998年秋より20数年に渡って音威子府そばを提供して参りました当店といたしましても製造元廃業の知らせは正に青天の霹靂でした。

独特の真っ黒なそばは在庫限りとなります ―

 

天ぷらそば4

泣ける。読んでて泣けてくる。

特に思い入れがあるわけでもなく、ミーハーな理由で食べに来ただけだが、それでもグッと来るよ。うん、来るんだからしょうがない。

 

天ぷらそば5

そうこうしているうちに天ぷらそばがやってきた。

うわぁ、すごく美しい…。

 

このタイミングで、女将さんといろいろお話することができた。

昨日(あえて詳細な日はここには書かないけど、)最後の畠山製麵からの入荷をしたらしい。

もう通常店舗に品卸しはしていないんだけど、付き合いの古いぎん鈴旅館さんは特別にこのタイミングでちょっと多めに入荷できたそうなのだ。

 

天ぷらそば6

それにこれまでの分もある程度保存してあるので、もうしばらくは音威子府そばを提供できるそうだ。

たぶん10月は。うまくいけば11月に入るくらいまでは。

…とのだった。

 

天ぷらそば7

女将さんに「北海道好きだから来れて嬉しい。てゆーか、数日後には北海道行きたい。」みたいなことを言い、音威子府そばを食べた。

 

うまい。やっぱ香りがいい。

そばの香り、外から吹く東京の外れの山々の香り。なんか最高だ。

 

天ぷらそば8

もちろん天ぷらもサクサクで最高だった。

 

ここでもそば湯が出てくる。

とてもおいしい。お茶代わりに飲めちゃう。

そばも天ぷらもそば湯も、同行者に好評だった。紹介できてよかった。

 

天ぷらそば9

東京都内ではあるが、まるで旅しているかのような気分になれた。

窓の外の光景は、そう思えるくらいにステキだった。

 

天ぷらそば10

女将さんが言う。

音威子府そばが本当に無くなっちゃった後のことなんだけど。つい先日ね、次のおそばの契約が決まったの。息子は挨拶をしに、北海道に行っているの。」

 

そっか、よかった。

僕はこの次のおそばがどこのものかをそのとき聞いて知っているが、あなたにはまだナイショにしておこう。

 

天ぷらそば11

…ところでだ!

 

メニュー冊子のここを見てほしい。

音威子府そばのお土産販売もやっているのだ。

マジか。

もう絶滅間際なのに、販売しちゃっていいの?ホントにやっているの?

 

女将さんに聞いてみると、「売っているわよー。いいわよー。」みたいな感じだった。

なら買う。

僕らの分ではなく、親たちの分だ。

最後かもしれないからな、食べてみてもらいたい。

 

天ぷらそば12

冷凍してしばらくは持つものかと思ったら、大将が渋い顔をして「できなくはない。でも基本は冷蔵で1週間だ。」って言う。

 

はい、わかったよ。

その道のプロがそういうのであれば、速攻で届けるわ。

Webでは冷凍方法などの記事も見たことがあるが、やはり冷凍しないほうがおいしいのだろう。

せっかくだからおいしいうちに食べてもらわないとね。

 

お礼を言い、紙に巻かれたそばを大事に抱えて、ぎん鈴旅館を後にした。

 

 

音威子府村、聖地巡り

 

その数日後だ、僕が北の大地に旅立ったのは。

 

リアル音威子府

やっぱさ、ここに来なきゃだよね。

例えもうそばがなくっても、「さよなら」を言わなきゃだよね。

 

日本6周目の北海道北半分の海岸線は既に前回以前に全て走っている。

だからわざわざ道北まで足を運ぶ必要はないのだが、やっぱ来ちゃった。

 

一路食堂

シャッターの閉まった一路食堂。

この曇天と相まって寂しい光景だよな。入ってみたかったな。

 

音威子府駅1

車でわずか数分の音威子府駅に到着した。

中に入ってみよう。

 

音威子府駅2

常盤軒…。

創業1933年、90年近く続いた老舗そば屋の最後の姿だ。

「閉店」の貼り紙が悲しいね。

 

駅内には「天塩線資料室」というコーナーがあるので、ちょっと覗いて見た。

 

音威子府駅3

これまで音威子府駅が、そして天塩線が歩んできた歴史が詰まっていた。

音威子府そばも、この歴史の貴重な1ページに違いない。

 

道の駅おといねっぷ1

駅から200mたらずの距離にある、道の駅おといねっぷにやってきた。

8月31日まで音威子府そばを提供していたレストラン「天北龍」が、この中にある。

 

道の駅おといねっぷ2

レストランは現在、人手不足のために13時ラストオーダーだしメニューはラーメンしかないという、なかなかに厳しい状況だ。

 

フラリとやってきた人が、メニューをノールックで「そば1つー」と言っていた。

店員さんに「そばは8月末で終わりまして…」と言われていた。

悲劇。

たった3週間前までは当たり前だったかつての日常は、もうここにはないのだ。

 

畠山製麵

最後に、畠山製麺だ。

看板もないしシャッターも閉まっていて、ここが製麺所とわかるものは何もないが、調べた限りここが製麺所だと思う。

 

およそ100年間、ありがとうございました。

僕が音威子府そばに本気で向き合えたのは、ほんのこの数週間だったけど、それでも感謝の気持ちは大きい。

そして、思い出はずーっと大事にする。

 

 

いつの日か、誰かがこの幻の黒いそばを復刻させるかもしれない。

うん、そんな日が来ると信じている。

 

だけども、唯一の製造元の畠山製麵が後継者を取らず廃業した時点で、いったん歴史は終わりとなるのだろう。

切ないけど、終わり。

 

― これは、その歴史の最後の灯火を追いかけた物語。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

音威子府TOKYO
  • 名称: 音威子府TOKYO
  • 住所: 東京都新宿区舟町3-6 今塚ビル1F
  • 料金: ざるそば¥980他
  • 駐車場: なし。近くのコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 火~金、祝前日: 11:30~14:0017:00~23:00 土、日: 11:30~14:3017:00~23:00

 

 

 

ぎん鈴旅館
  • 名称: ぎん鈴旅館
  • 住所: 東京都青梅市御岳本町177
  • 料金: 天ぷらそば¥1400他
  • 駐車場:あり
  • 時間: 10:30~15:00

 

No.226【三重県】道路脇に5000ℓの巨大牛乳パック!牛はしゃべる!そんな公園行ってみた!

三重県民の血の色は何色なのか。

きっと白なのだろうと、僕は思う。

 

なぜなら、三重県の誇る「大内山牛乳」をこよなく愛しているからだ!

それはまさに、三重県民の血!

 

 

…はいー、いきなり根拠のないこと言いましたー!

三重県の人の血液、実は見たことありませんー!

こんなことを書いてしまい、炎上案件かもしれませんー!!

 

しかしだ、三重県の人のソウルフードならぬソウルドリンクが大内山牛乳であることはたびたび耳にしているし、各所に大内山牛乳をアピールする看板もある。

三重県の牛乳パックは、あなたが想像する以上のサイズがあることも知っている。

 

 

はい、デカいね。

 

この牛乳パック、冷蔵庫に入らないんじゃない?

むしろこの牛乳パックの中に、冷蔵庫がいくつか入っちゃうんじゃない?

 

今回は、そんなモンスター牛乳パックを目指してドライブした話だ。

 

 

インターを降りた瞬間に走馬灯のごとく牛乳

 

今回のお話は非常にシンプルでインパクト重視で、先ほどお見せした巨大牛乳パックの写真で物語の90%は終了だ。

だけどもそれだけでは味気ないし「じゃあTwitterで充分だろ」と言われてしまうので、もう少しだけ語ろう。

 

国道42号に現れる

巨大牛乳パックが設置されたのは、2011年だという。

僕がその存在に気付いたのは、翌2012年だと記憶している。

 

しかしその頃の写真が手元にない。

なぜなら、その巨大牛乳パックは紀勢自動車の紀勢大内山インターを降りてすぐの国道42号に出てくる。

 

あまりに突然の出現だ。

そしてこの頃の僕って紀勢大内山インターに来るのは大体深夜だ。

結構疲れている状態である。

そこにいきなり巨大牛乳パックを出されても、反応できないのだ。

サブリミナル効果みたいに脳の片隅にこびりついた程度だ。

 

実は駐車場もあるのだが、深夜は付近は漆黒の闇であり、停車もままならないと感じていた。

 

2013年、初めての撮影

そう、初めてこれを撮影したのは2013年の3月のことだった。

 

この貴重な1枚の写真を大事に大事に抱えて、そして時は流れて2022年である。

僕は奮い立った。

「いや、昼間の写真も撮っておかないとダメだろ!」と。

 

9年の月日が流れてしまったが、巨大牛乳パックの写真を取りに行こう、三重県へ!

 

 

5000リットルの巨大牛乳パックを見上げる

 

2022年、日本6周目を走る僕はかつての僕とは違い、とてもクールなナイスガイだ。

何が言いたいかというと、以前のようにアタフタせず、冷静に正規の駐車場に愛車を滑り込ませることができた。

 

牛乳公園1

ここ、正式には「大紀公園」というらしい。

Googleマップで見て知った。

 

ご覧のように駐車場もあるが、交通量の多く流れも速い国道にいきなり出てくるので、ちょっと入りづらい。

しばらく僕はここにいたが、他に誰も来なかったし。

写真撮影する僕を、国道を走る車が好奇の目で見ていたし。

 

牛乳公園2

巨大牛乳パック。

5000リットル。

 

高さは4mあるらしい。デカい、のひとこと。

もちろん中に実際に牛乳が入っているわけではなく、広告のためのオブジェだ。

 

牛乳公園3

残念ながら僕は本物の大内山牛乳を購入して飲んだことはないが、本物のパッケージを忠実に再現している。

デフォルメされまくった草原の絵が個人的には好きだ。

 

さて、まだコイツにはビックリな秘密がある。

巨大牛乳パックの裏面に回ってみよう。

 

牛乳公園4

デザインが違う!!

 

向こう側の2面とこっち側の2面で、パッケージが違うのだ。

こっち側から見ると「コーヒー」と書いてある。

コーヒー牛乳のことだろうか?

 

反対側に比べて少し劣化が進んでいるのが残念だ。

 

牛乳公園5

牛さんは一緒だが、草原のデザインも違うし虹も出ている。

間違い探しのような絵を眺めるのも楽しい。

 

こっちのコーヒーバージョンは車道からはちょっと見づらく、さらに公園中心部から見ても裏側にあたり、コーヒーバージョンをまともに眺めるのは今回が初めてであった。

感無量。

 

ちなみにだ。

Webで調べたところ、この牛乳パックは180度回転するギミックもあるらしい。

牛乳とコーヒーの位置を切り替えられるのだな。

 

しかし、未だかつて回転させたことは一度もないという…。

でもいつか動かしてみてほしいな!できればその瞬間に立ち会いたいな!

 

 

「モーっと牛乳を飲モー!」「モっと!モっと!」

 

巨大牛乳パックに夢中になりすぎてしまった。

この章ではもうちょっと物事を俯瞰して、この大紀公園に何があるのかをご説明したい。

 

大紀公園1

敷地の大半はレンガ敷きの綺麗な公園である。

実は巨大牛乳パックは駐車場に佇んでいる存在であり、ただでさえ狭い駐車場がさらに停めにくくなっている。

 

敷地を囲う塀には、ここ大紀町景勝地や特産物が描かれたパネルがある。

花火・漁業・渓谷…。

 

大紀公園2

…と思ったら、「がんばろう!!日本」とスケールがいきなり飛躍して戸惑う。

そういう規模の話をしていたんでしたっけ、僕ら?

 

大紀公園3

とりあえず、それらのパネルは「人のは何よりも大事」というありがたいお言葉で締めくくられた。

 

※「町是」って聞かない言葉だよね。Webでもほぼ記載が無くてかなり調べた。ようするに指針ということ。

 

大紀公園4

…で、そこから噴水のある広場に繋がる。

噴水は稼働していなくって静かだったが、季節性のものなのだろうか?

 

その背面の壁には大きく丸太で「大紀」と描かれている。

タイル帳の壁面に接近してみた。

 

大紀公園5

わー、すごいほっこりすることが書かれているぞ!

大紀町の子供たちが、夢や好きなことを刻んだのだろうな。

 

学校でこういうものを作り、こうやって施設に形となって残るのっていいな。

タイルの端には「着工2010、完成2013」と書かれていた。

このタイルを作った子供たちも、そろそろ大人だろうか?

ふとした機会に、ここを訪問して懐かしんでいてほしいよな。

 

大紀公園6

ちょっとだけパネルシリーズのところまで戻らせてほしい。

この「大内山酪農」のパネルがヤバかった。ツボに入った。

 

10秒の動画なので、以下を見てほしい。

ちなみに、音声をONにしないと見ても意味ないと思う。

 

streamable.com

 

センサー式で、人間が近付くとパネルの牛の親子が、吹き出しに書かれている通り「モーっと牛乳を飲モー!」「モっと!モっと!」と話し出した。

 

「モっと!モッと!」と煽る意味がよくわからない。

学生の無謀な飲み会か。

あと、「モーっと」・「飲モー」・「モっと」は、牛の鳴き声と掛けている。

…って、解説させるな。解説しているこっちが恥ずかしい。

 

ゆるゆるな脱力系のパネルだ。こういうの、大好きだ。

 

 

すごいぞ、地元に愛される大内山酪農

 

大内山牛乳を作る、大内山酪農。

三重県では絶大な勢力を誇るが、紀伊半島以外の方だとあまり馴染みがないだろう。

僕も正直、この巨大牛乳パック以外では馴染みがない。

 

鬼ヶ城」にて

ただ、紀伊半島をドライブしていると、よく目にするのだ。

それに三重県の学校給食にも多く使われているという。

 

どうやら大紀公園に巨大牛乳パックを設置しようと言い出したのは、当時の大紀町の町長さんだったらしい。

つまりは、大紀町のシンボルが大内山牛乳なのだ。

 

ドライブしていると牛乳瓶と牛

ただの広告ではインパクト不足で面白くないからと、あのようなユニークな巨大牛乳パックを考案したらしい。

大成功だ。インパクト絶大で、一度見たら忘れられない。

 

会社の前も通過した

でも、実は僕は牛乳は苦手なんだ、ごめんなさい。

 

でも、コーヒー牛乳なら飲める。

またいつか機会があって三重県内の入浴施設とかに入り、自販機にコーヒー牛乳が売っていたら買おう。

暑い時期に訪問し、そこに大内山牛乳のソフトクリームが売っていたら買ってみよう。

 

インターから国道に至る交差点

そう思い、僕は公園を後にした。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大紀公園の5000リットル 牛乳パック
  • 住所: 三重県度会郡大紀町崎1125-8
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.225【長野県】日本の中心に立ち、そして絶景を掌握するのだ!「鶴ヶ峰」にいざ登れ!

そこに立てば、地球が丸いことを少しだけ実感できる。

遠くに列なる山々、草と土の香り。

信州を駆け抜ける爽やかな風。

 

僕は今、日本の中心に立っている。

…そんなスポットである。

 

おっと、「日本の中心に立っている」っていうのは比喩じゃあないんだぜ、ガチなんだぜ。

 

 

「日本中心の展望台」

 

このストレートかつストロングなネーミングの展望台に登り、日本列島を見渡そうぜ。

そういう物語だ。

 

 

ここが日本の中心である根拠

 

日本の中心がどこにあるか、あなたはご存知だろうか?

実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状なのだ。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

 

今回ご紹介するのは、辰野町にある「日本中心の標」である。

なんでここが日本の中心なのだろうか?

 

 

日本には、端数の無い緯度と経度が、本土の陸地上で交差する点が40個ある。

これを"ゼロポイント"と呼ぶ。

 

頑張って上の地図を作ってみたが、いかんせん手造りなので少し歪んだ部分は寛大な心で許してほしい。

(本州の最東部が思った以上にマッチョになっちゃった…)

 

その40個の中心に当たるのが、日本中心の標だ。

…いや、ゼロポイントが40個あるのはわかったが、なにをもって40個の中心を定義するのか。

 

上の図の黄色いを見てほしい。

南北に分けても東西に分けでも真ん中にはならない。

だけども脳内でそれらを優しい気持ちでミックスすると、確かにここが日本の中心になりそうな気もする。

きっとそうなのだ。ファジーさが人の心を豊かにする。日本中心の標は、その産物なのだ。

 

ちなみにガチでジャスト(北緯36度00分00秒・東経138度00分00秒)の地点は深い山間部でとても碑などは作れない。

少なくとも1970年当時はみなさんそう考えた。

 

従い、少しずらして「北緯36度00分47秒・東経137度59分36秒」を日本中心の地としたのだ。

 

雨の日に撮った現地の写真。経緯度に着目。

さてさて、僕の執筆した記事を満遍なくお読みいただいている方なんてほぼ皆無だと思うが、もしそんな方がいるのであればピンと来たかもしれない。

 

「YAMAのヤツ、以前にガチでジャスト(北緯36度00分00秒・東経138度00分00秒)の地点を目指していなかったっけ??」って。

 

ご名答だ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

「辰野ゼロポイント」。

今でこそ遊歩道が設置されたが、それ以前の2011年に突撃してアタフタしたのが上のリンクの記事である。

 

つまり、自治体は1970年には「正確なゼロポイント地点を日本の中心とするのは無理!」ってなったけど、30年後の2011年には「よーし、正確なゼロポイント地点を日本の中心としてみるかー!」ってなったのだ。

 

じゃあ、今回ご紹介する日本中心の標はもう過去の遺物じゃん。存在価値ないじゃん。

…って、そういう悲しいこと言うなよ!!

 

変わったっていいじゃない。

その時代時代に、正しいとされた日本の中心があってもいいじゃない。

大山のぶ代」だって「水田わさび」だって、どっちも「ドラえもん」なのだ。

 

正解不正解はない。どっちも大事だしどっちも正義。

それと一緒。…たぶん。

 

スタートは集落の中の狭路

では、行こう!!

「鶴ヶ峰」の絶景に聳える日本中心の展望台へ!!

 

 

未舗装路をバリバリ進め!

 

僕はここを幾度となく訪れているが、あれは最初の訪問のときだった。

カーナビもない車で道を見失ってグルグル走り回り、小さな集落内の交差点で、ようやく「日本中心」を示す看板を発見した。

 

道は険しい1

しかし、その看板の設置角度が微妙で、交差点のどっちを指しているのかわからない。

交差点の横の畑でカマを持って畑仕事をしているおばあちゃんがいるので車を降りて聞いてみた。

 

そしたら狭ーい道を持っているカマで指し示してくれた。

「舗装されていなくて大変よ」・「最後は歩かないと」とかいろいろ怖いアドバイスをいただいた。

ありがとう、カマのばあちゃん。

 

道は険しい2

それ以来、僕は何回この道を走っただろう。

お気に入りの場所なのだ。

道の名前は「玉城枝垂栗林道」だ。

 

数ある日本の中心の中でも、「景勝地」として最も高レベルなのがこの先にある日本中心の展望台だと、僕は考えている。

ちょっと地味なところも多い日本の中心シリーズだが、ここはすっごいのだ。

 

道は険しい3

ところで、ここの場所は先ほど書いた通り辰野町の山深くである。

 

実はここには半径数㎞内に日本の中心が3つある

半径10㎞圏内であれば4つあるので、興味のある方は一気に巡ってみると良いだろう。

 

この山間部にある3つのうちの1つは先ほど引用した「辰野ゼロポイント」であり、もう1つは「日本の中心の中心 チコちゃんポイント」だ。

後者についてはまたいずれ執筆しよう。

 

道は険しい4

すれ違いできないレベルで狭い道を、愛車をバキバキ言わせながら進んでいく。

「大城山」に登るルートだ。なかなかに急勾配だぞ。

 

だが、僕は何度もここに来ているが一度も他の車とすれ違ったことはないけどな。

でも対向車来たらヤバい。

 

道は険しい5

他の2つの日本の中心との分岐点が出てきた。

今回の僕は看板に沿って右に行くのではなく、真っすぐに進む。

 

目的地までラスト2㎞ってところで、道は未舗装路になるぞ。

ここからが本番だ。

 

道は険しい6

行ったことがある方なら誰しも印象に残っているであろう、この鬼のヘアピンカーブ。

2022年現在、ここから未舗装路が始まる。

 

以前はもっと手前から未舗装になっていたと記憶していた。

少し舗装化が進んだのかもしれない。

 

道は険しい7

この未舗装路は、なかなかに石の粒がゴロゴロと大きい。

しかも路面そのものがボコボコだ。

つまりとても走りにくい。車体がグラグラ揺れる。

 

道は険しい8

つまり車高を下げたトヨタbBとかだとなかなかに走りづらいということだ。

あと、ついでに標高が高すぎて雲の中に入った。つまり濃霧。

細かい雨が降ってきて、難易度を凶悪なほどに押し上げてくれた。

 

時速5㎞で走った。

永遠と思えるほどに長かった。

 

道は険しい9

三菱パジェロイオだと楽勝だ。

未舗装路を走る爽快感がなんとも言えない。

ただしそれでも、ヌタヌタの部分が突然出てきたり、アップダウンが激しい箇所もあるので注意が必要である。

 

走っていたら行きつけのカーディーラーの担当さんから電話がかかってきたので、車を停めて電話に出た。

「YAMAさーん!そろそろタイヤ交換ですねー!8万ですよー!とりあえず洗車だけでもいいので来てくださーい!」って言ってた。

なんてタイムリーな…。

 

道は険しい10

レトロな日産パオで走るとなかなかに地獄である。

いろんなところからバキバキ音が鳴るし、パオちゃんも「わ"ーー!!」って感じのエンジン音でずっと叫びっぱなしだ。かわいそう。

 

道は険しい11

それでも、この先に絶景が待っているのを知っているから頑張れる。

 

道は険しい12

徐々に空が広くなってくる、この感覚が好きだ。

 

道は険しい13

この丘を乗り越えれば、もうすぐに日本の中心だ。

想像以上に長く感じる2kmが、間もなく終わる。

 

 

日本中心の展望台から絶景を見よう

 

日本中心の展望台。ここで道は終わる。

駐車場と呼んでいいのかどうかわからないが、ロータリー的なエリアがあるのでそこに駐車をしよう。

 

日本の中心を見る1

なんという清々しさなのだろう。僕はここが大好きだ。

愛車の後ろに聳えているのが、目指してきた日本中心の展望台である。

 

日本の中心を見る2

なんか1本の柱だけで八角形の大きなプレートを支えていて心配になりかねない造形だが、その柱には日本地図とここが中心である旨の記載もしてあって、とても良い。

 

日本の中心を見る3

ズームするとこんな感じである。

ちょっと貼り付け方がチープだが、こんな山奥までこれを持ってきて貼り付けてくれたのだ。ありがたいとしか言いようがない。

 

ちなみに、これはここ数年のデザインだ。

長年通っている僕からしたら新しい。

 

日本の中心を見る4

しばらく前は、柱に「日本中心の展望台」という文字も無ければ、日本地図もなかった。

もうちょっと遡ると、展望台が大変なことになる。

次の写真でお見せしたい。

 

日本の中心を見る5

ボロッボロ。こんな時代もあった。

あと着目すべきは、展望台に登る螺旋階段が柵で覆われていないという点だ。

ちょっとスリリングである。

 

日本の中心を見る6

これが初回訪問時の展望台の写真。

裏側の朽ちっぷりがすごい。

排水口の奥をふと覗いてしまったときのようなショッキングな映像である。

 

…まぁとりあえず、展望台に登ろう。

 

日本の中心を見る7

景色、最高なのだ。

どこまでも山。360度の山。

向こうの平野部にかすかに見えているのは、さっきまで走っていた辰野町の市街地であろうか。

 

日本の中心を見る8

山の稜線は雲によってハッキリとは見えないが、こんなにもドラマティックな雲に感謝の思いすらある。

雲は空の表情だ。多少雲があったほうが、動きのあるいい絵が撮れる。

 

日本の中心を見る9

雲1つ無い天気の日であれば、八ヶ岳もクッキリ見える。

どっちを見ても山ばかりというこのロケーションが、「あぁホントにここは日本の中心なのだなー」と感じさせるのだ。

 

気持ちいいから叫んでいいと思う。僕は叫んだ。

安心してほしい、泣けど叫べど誰にも聞こえないから。(←使い方が違う)

 

日本の中心を見る10

余談でがあるが、展望台から愛車を見下ろすのも好きだ。

普段見れない角度から愛車を眺めることができる。

 

日本の中心を見る11

ここまで展望台直下まで車と一緒にくれる場所も、やや珍しいのではないかと思う。

愛車を眺め、そして景色を眺め。

最高のロケーションではないだろうか。

 

上の写真では霧でロクに景色が見えなかったが、展望台から愛車を見下ろしただけで満足した。

 

日本の中心を見る12

はい、肝心なことを忘れている。

 

日本中心の標を見なければならない。

展望台は素晴らしいけれども、オマケなのだ。

僕は日本の中心を踏みたくてここまで来たのだから。

 

 

歴史ある「日本中心の標」を拝め

 

日本中心の標は、展望台から少しだけ離れている。

距離にして150mくらい?

 

展望台からは戻る方面だ。

しかし車の駐車スペースは皆無と言ってもいい。

歩いてほんの2分ほどだから、車は置いて行くことをオススメする。

 

日本中心の標1

車の進行方向に向かってテクテク歩く。最高の天気。

 

冒頭で記載した通り、ゼロポイントにピッタリ碑を設置することが出来なかったから、少し離れて眺めのいい鶴ヶ峰エリアに日本中心の標を設置したのだ。

 

日本中心の標2

どうせズラすのであれば、ジャスト展望台のあるところにすればよかったのに。

実は日本中心の標がある場所は、周囲に木々が茂っていてそんなに展望は効かないのだ。

 

日本中心の標3

 

向かって右が、僕が来るまで登ってきた道である。

奥側から手前側へと来るまでやってきた。

 

一方、日本中心の標があるのは向かって左側の道である。

道と呼んでいいのかどうかってレベルで轍もなく緑に覆われているが、左に入ってほんの20mほどで道は終わり、そこに碑がある。

なんだったら上の写真、ズームすれば碑が写っている。

 

日本中心の標4

日本4周目で来たときなんかは、左側にもしっかりと轍があったんだけどね。

しかしわざわざ車で行くような距離でもないので、みんなも展望台から歩いたのだろう。

駐車したところでバックで出ないと行けないし。

その結果、左ゾーンは緑に覆われてきたのだろう。

 

日本中心の標5

これが日本中心の標だ。

リボンのようなちょっとユニークなデザインの石碑が、岩の上に乗っかっている。

 

周囲は木々に覆われている。

ずーっと前はもうちょっと気が少なかったんだけど、ここ数年でやたらとモジャついてきた。

 

日本中心の標6

「北緯36度00分47秒・東経137度59分36秒」、これは冒頭でご紹介した通りだ。

その下には標高1277mと彫られている。

どうりで涼しいわけだ。

猛暑続きの2022年の夏であるが、ここは快適で爽やかだ。

 

あと、「日本」の「日」の字が「◎」みたいになっているのオシャレ。

 

日本中心の標7

この碑の右側、よく見ると「中川紀元著」って書いてあるのだ。

「中川紀元さん」。

明治の中頃に生まれた、ここ辰野町出身の芸術家である。

 

Wikipediaで調べてみたら、1972年に亡くなっていた。

この碑が出来たのは1970年だ。つまり最晩年にこれをデザインしてくれたのだね。

僕はこの字体、大好きだ。

 

では、戻ろうか。日が沈む前に山を脱出したい。

 

日本中心の標8

そうそう、ここは自転車でのチャレンジコースでもあるのだよ。

もちろん上級者コースだ。

スタミナと未舗装路に自身がある方は突撃してみてはどうだろうか。

 

日本中心の標9

僕は再び愛車の日産パオに乗り込み、バキバキと車体から異音を奏でながら、鶴ヶ峰を下る。

老い先短いパオの寿命がさらに縮んだ気がしたが、パオでここに来れた思い出は永遠なのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本中心の標
  • 住所: 長野県上伊那郡辰野町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 展望台直下にかろうじて3台分ほどあり
  • 時間: 特になし

 

【リアルタイムレポート】日本6周目の残存海岸線、北海道をちょっと走るわ!②(低気圧は2度来る)

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

北海道のリアルタイムレポート、ご覧いただいておりますでしょうか?

「なんだそれ」って方は、まずは以下のリンクから前半戦をご覧下さい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

…ってことで、無事に日本本土最東端の「納沙布岬」を踏んだようですね。

よかったよかった。

 

では、ここから後半戦です。

 

 

今のうちに告白しておきます。

ここまでは海岸線沿いにキッチリ走ることがテーマでした。

小樽港から半時計回りに海岸線をなめ尽くしてます。

 

しかし後半はその方針も信念も崩壊!

基本的に解き放たれます!

野に解き放たれたワンコは一体どこに行くのでしょう?

 

 

北海道とひとくちに言っても、途方もなく広い。魅力もたくさんある。

どこを巡ろうか考えるだけで、心はワクワク弾んでしまう。

 

 

旅人たちと現地で情報交換して得たら知識は、かけがえのない宝物。

逆に僕の情報も、どこかで誰かの役に立っていると嬉しい。

 

 

しかし、天気予報を見ると旅の終盤に再び低気圧が来るという。

先週の道内は快晴続きだったというが、今週はかなりの試練の週なのだ。

 

 

しかし僕はそれを「ハズレ」だとは思わない。

そりゃ天気がいいし越したことはないが、理想のままで失敗がない旅なんて、そんなの旅じゃない。

 

適度な波乱があるから面白いのだ。

何年かして人に話すとき、そういう旅は改めて「波乱万丈サイコーだったな」思っている。

 

 

まぁでも無事にね。笑顔でね。

きっと明日も僕はどこかを走っている。

 

では、後半戦Go!!

 

 

■■■この下にtweetが入っていきます■■■

 

6日目(根室~美瑛)

 

 

タイエーでは、焼き鳥の焼き台があって、その場でお肉を焼いてくれる。

そしてイートインスペースですぐに食べた。

あ、ちなみに「焼き鳥」だけども豚肉だ。

さらに豚モツ3本セットをテイクアウトし、宿での晩酌のお供にした。

 

なお、店内に朝はドリップコーヒーが70円との表示があり、また明日の朝に立ち寄ろうと決めた。最高。

 

 

サンマ丼、食いたかったぞー!!

しかし宿泊者がこれを食べられるのは朝8時以降だという。

 

僕は今日の走行ルートは定まっていないものの、明後日に「サロベツ原野」に到達していたい。

ってことは今日中に旭川エリアにはいたい。

なので、5:03の朝日を見たと同時に出発したのだ。

 

走れー!!

快晴!!

楽しーー!!

 

※タイエーで購入したコーヒーとパンを片手に。

 

 

ずっと走っている、それが幸せ

とにかく走り続けるが、それが苦ではない。

それが北海道ツーリング・北海道ドライブの楽しさなのだ。

 

ところで、ここ数年で「開陽台北19号」の人気が低下したよね?

以前は必ず誰かが写真撮影していたのに。

WebやSNSでの検索ヒット率も減っている。

 

開陽台北19号、何度走っただろう?

代わりに近年人気急上昇なのが、知床の「天に続く道」だな。

僕はどちらも好きだ。

 

 

日本5周目の旅路で美瑛の旅人宿「給食室」のオーナーさんとニセコ出会っており、本当はそこに泊まりたかった。

しかし満室だった。

 

続けて美瑛の旅人宿2軒にTELしたが、どちらも出ない。

あれー…、どうしよう…。

 

 

360度、パラダイス

津別峠を下り、訓子府とか北見のエリアに入る。

「ここいらでレトロな食堂に入りたいな。あるいは北海道で一度はちゃんとした海鮮を食べたいな。」って思って検索するのだが、4連続くらいで候補の店が閉まっていたりとなんやかんやだ。

 

もういい。どこでもいい。

チェーン店的なものでなければなんでもいいや。

 

 

道の駅でジンギスカンラーメンだ。

同じ敷地内のホルモン焼きそばのお店にも惹かれたが、やってなかったので。

なんだなんだ、食運が低いな。

 

ここで今夜の宿が確定した。

美瑛エリアの2の宿は何度かTELしても繋がらないままなので、3軒目にTELした。

そして宿泊できることになった。

 

しかし、もう午後になっているので夕食・朝食ともに提供できないとのことだ。

残念な気持ちもあるが、それによってチェックインが少し遅めでも良くなったし、そもそもジンギスカンラーメンがボリューミーでしばらくお腹が減るビジョンもない。

ポジティブに捉えよう。

 

 

「流星の滝」・「銀河の滝」も久々に見たよ。

もうここいらはかなりヒンヤリと涼しいね。

 

層雲峡の切り立った山々

ここで僕は再びWeb検索をし、前編で少し触れた「チョボチナイゲート」が復活したことを知る。

よーし、行くなら今日しかない!行くか!

 

宿の夕食が無しになったから、なんとかチョボチナイ経由で間に合うぞ!!

いい風、吹いてる!!きっと吹いてる!!

 

 

そして今夜の宿、「おかせん里」にチェックインする。

なんだかんだで、まだ明るい時間に到着できたのだ。

 

さて、夕食を食べに行き、そして帰って来てから飲むか。

 

 

7日目(美瑛~羽幌)

 

 

夕暮れの美瑛の駅前を徘徊する僕。

ジンギスカンラーメンがまだ胃の中にいらっしゃるので、軽く喫茶店とかイタリアンとかにしたかった。

美瑛はオシャレな町なので昼間ならそういうお店はたくさんあるが、夜はラーメン・定食・居酒屋くらいだ。

 

困った僕は、ふと見つけたお寿司屋さんに入った。

よし、これで北海道で回線を食べる夢、実現できたぞ。

握りセットは1200円くらいでお手軽だ。これにしよう。

地元の人たちと和気あいあい過ごし、帰りにセイコーマートでザンギを買って帰った。

 

 

宿泊客は10人ちょっといたらしい。

しかし夕食を食べるとみんな部屋に引っ込んでしまったらしく、食堂兼談話室には旅人1人しかいなかった。

 

「夕食抜きの僕を除いてみんなが仲良くなっていたらどうしよう」の不安は払拭されたが、「夜にみんなで一緒に楽しく飲めたらいいな」の期待もちょっと下回った。

でも楽しかったけどな。

1人の旅人、そしてオーナーさんと語り合った。

 

僕の車はレトロすぎてカセットテープしか聞けず、かつカセットなんぞ持っていない。

いつもラジオなのだが、ラジオ電波も悪くって、なぜか北海道ではクラシックと歌舞伎しか流れて来ない。

なぜだ北海道。台風情報も全然つかめなかったぞ。

酒を飲みながらそんなグチを語ってオーナーさんを困惑させた。

 

今回の台風、「経験したことの無いような猛烈な災害」と言われていたそうだね。

被害状況よくわからないが、みなさまのご無事を祈ります…。

 

 

激しい雨だった。

外に出ていた中では、全工程で一番ひどい雨だった。

 

そして白金の青い池、記載の通り劣化著しいな…。

駐車場を整備して500円徴収して、お土産物屋とかボンボンできて、肝心の青い池が劣化していくというジレンマ。

でもこれ自然の摂理…。枯れ木は朽ちる一方なのだ。「トドワラ」のように。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

よかったら、遥か昔の上記の記事を見比べてみてほしい。

 

 

宿の朝ご飯が抜きになって、これまたよかった。

美瑛駅前にあるレトロ自販機のうどんを朝ご飯にできたのだ。

 

なかなかにボリューミー。

うどん・そばの2種類を食べる可能性も考えていたのだが、1つで充分すぎる。満足。

 

おにぎり、ありがとうございました!

さて、ザーザー降りの中を淡々と運転し、途中の剣淵でお土産を買いつつ、お昼に美深の町に辿り着いた。

 

ここでランチにしようと思っていたが、全然お腹が減らない。

おにぎりいただいたので、それが早めのランチになってしまったのだ。

 

では、美深のお店ではソフトクリームだけにしよう。

問題ない、寄りたかったお店はソフトクリームも有名なのだ。以前にも食べたことあるけど。

 

 

 

2022年10月2日現在、東京の「音威子府TOKYO」・「ぎん鈴旅館」の2店舗はまだ音威子府そばを提供しているぜ!在庫限りだ!

僕はどちらも行っている。行きたい人は急げ!

 

 

そして、旅が終わってからのツイートを1件さしこんでおく。

北海道北部のナンバーのパオであった。すごいぞ、パオ乗り!

 

 

ここだけ興奮して、時差ツイートではなくリアルタイムでツイートしている。

北海道のほぼ全域を覆っている雨雲だが、音威子府から北だけはほぼ雲が無いのだ。

チャーンス!!

 

 

後日、旅が終わってからツートした内容が以下だ。

 

 

利尻富士の夕焼け、心に染みる

 

宿のある羽幌町に入ると、とたんに雨が降ってきた。

しかも本降りだ。

本当に北の北だけ、晴れていたのだ。

快晴には程遠かったが、雨ではない「オトンルイ風力発電所」を最後に見ることができて良かった。

 

 

8日目(羽幌~苫小牧)

 

 

ゴメン、国内では「天売島」だけだったようだね。

国内では限りなく絶滅間近の、貴重な鳥だ。

 

 

10数年前からの常宿。

オーナーさんは「よぉ、YAMA君。今回もパオかい?」と出迎えてくれる。

コロコロ車が変わるので、オーナーさんも混乱するだろう。

 

夕食のメインは焼尻産サフォーク・ラムだった。

年に3・4回しか提供されない貴重なメニュー。僕も初めて。

うまかった。酒が進んだ。

 

 

起きたときには雨は止んでいたのに、8時過ぎから叩きつけるような豪雨になった。

なんてこった。

吉里吉里」ではチェックアウト時に1人ずつ写真撮影があるのだが、あまりにひどい雨なのでライダーさんと共に雨雲レーダーを見ながら少し待機。

 

意を決して出ようとしたらまた暴風雨で、みんなで「ヒィィーー!!」ってなりながらも写真撮影。

そして土砂降りの中での発進劇であった。

 

苫前もまだまだ暴風雨だぜ。

 

 

 

晴れを求めて旅をするのではない。

「楽しさ」を求めて旅をするのだ。

「楽しさ=天気」の要素も大きいが、完全にイコールではない。これ大事。

 

 

ネコバスと2台の車

やぁ、久々だな「BLUEayさん」。

 

ここの近くの道の駅で天気が変わるのを、ウニのおにぎりを食べながら待った。

結果、転機が訪れる。

暴風雨からの晴天。

北の大地は、最後に輝くのだ。

 

太陽はドラマチックに現れる

 

 

江別の「ハックベリー」というレトロなカフェ。

ここでお茶をしようかと思ってやってきた。

しかしラストオーダーを過ぎていた。

 

ハックベリー、空振り

ドアには22時閉店と書いてあったが、今日だけは16時ラストオーダーだったのだ。

現時刻は16:15。ほんのわずかに遅かった。

 

パンケーキやクレープも提供しているお店なので、もしかしたら「コーヒー一杯だけなんとか!」って言えば入れたかもしれない。

ただし店内を窺い知れる状態ではなく、ちょっとその勇気もなかったので断念…。

 

散歩が気持ちいい

近所の公園や河川敷を散歩した。

いいんじゃない、こういうので。

 

 

「最終版」ではなくって「最終盤」な。誤字。

 

旅路に失敗はない。自分が進んだ道が「正」なのだ。

そう思わせてくれるようなストーリーだよね。ごちそうさまでした。

 

 

 

モアイの前で迷子

真っ暗だし、時間が無いし、自分が広大な霊園のどこにいるかわからないし。

そしてモアイに見つめられているし。

そんな悪夢みたいな空間の中を、パオと一緒に駆け巡った。

 

ゲートが封鎖される数分前には、無事に脱出できたよ。

これで本州に帰れる。

 

シカがバンバン飛び出し、危なくぶつかりそうになる「支笏湖」を経由し、苫小牧の港近くで温泉に入る。

そして追って来てくれた旅人に挨拶しつつも、僕はフェリーに乗り込むのだ。

 

 

はい、唐突に写真に焼き鳥が出てきたが、これがどこの焼き鳥なのか…。

 

焼き鳥の正体

日中のうちに、鶴沼の町で口コミでちょっと話題の「焼き鳥 康」で買っておいたのだ。

国道沿いのちょっとボロくて小さな小屋だが、数年前まではこの3倍くらいボロかった、僕好みの佇まいのお店だ。

とてもうまい。

 

帰りのフェリーは、「苫小牧→八戸」だ。

では、明日の朝にはまた走行開始なので、酒を飲んだら速攻で寝るぞ。

 

 

9日目(苫小牧~八戸~自宅)

 

 

 

八戸港のすぐ脇にある朝市だから、もっと魚介系が多いと思っていた。

だけども食べ物はもっと多種多様でカオスであり、魚介系も焼き魚とかがメインであった。

 

北海道でもうちょっと海鮮食べたかった僕は、海鮮丼的なものを食べたかったが見つからなかった。

でもいいや、カレーにしよう。

牛スジカレーが300円なので、これに決めた。

 

岩壁でカレー食う

海を見ながらの朝カレー。最高すぎ。

 

 

 

こんな宣言をしておいて、ついついいつものクセで八戸道の八戸ICに入ってしまうのだ。

違うー!これでは東北道に行ってしまうー!!

 

ここでの修正に小一時間を要した。

なんてこった。先を急がないと今日中に家に帰れないぜ。

 

 

三陸道、とにかくPAがないぞ。

ICで降りて最寄りの道の駅に行くしかないぞ。

岩手県普代村宮城県南三陸町で休憩しつつ、ガンガン南下する。

 

 

食後、さらにピザ2枚を持ち帰りにしたぜ!

そして店員さんたちに車をいろいろご紹介したりしたぜ!

楽しい時間だった!

 

 

 

これ、茨城県の友部SAでのツイート。

そして結局ここでラーメン食べた。まだそんなにお腹は減っていなかったけど、食べた。

そしたらタイミングよく渋滞が解消した。もうちょっとだ。

 

 

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

改めて、今回の北海道内の走行ルートを貼ろう。

 

 

全然時間も足りなくって、かなり立ち寄りスポットを厳選した。

青空に乏しく、これまた調整を多く要した。

 

それでも、人生ってのは晴れることもあれば雨のこともある。

いろいろうまくやる。そして楽しむ。

 

それだけの、とてもシンプルな話。

 

 

以上、ありがとうございました!!

 

【リアルタイムレポート】日本6周目の残存海岸線、北海道をちょっと走るわ!①(迫り来る超級台風)

こんばんは、【週末大冒険】のYAMAです。

 

台風の進路予想図を見て、僕は「ジャスト――!」と叫んだ。

なぜならば。

 

 

僕の旅路にドンピシャのタイミングで、こんなにも美しく弧を描きながら日本列島を直撃する台風14号

「もうこれ芸術だよね」って思ったからだ。絶対殺すマン、来た。

 

なんだったら大外で台風12号も息をひそめている。

ここぞってときに切り込んでくる意外な伏兵かもしれない。前半の伏線が後半に生きて、視聴率爆上がりするパターンだ。

 

…まぁいいですけどね。

僕の北海道はいつだって波乱だ。

道内全域が停電するようなとんでもなく大きな地震は記憶に新しいが、そのタイミングで北海道上陸したこともある。

 

 

めったに台風の来ない北海道を、同時に3つの台風が襲ったこともある。

このときも僕は、台風と共に北海道に上陸し、さらに後続で来る台風を道内で食らった。

上陸時の台風もすごく大変だったが、道内で食らった台風は北海道の交通網を東と西で二分するような凄まじいダメージであった。

 

 

そのときと比べれば、台風の数は1個少ない。

…という無駄にポジティブな方向に変換しようとする僕がいる。

 

 

 

さて!ここまで長々と書き殴りましたが!!

 

リアルタイムレポート。

 

つまり僕が旅路を大体リアルなタイミングでつぶやくぞ。

2022年ゴールデンウィークぶりの開催だ。

 

行き先は"試される大地"、北海道である。

まずはこの台風接近の中を上陸できるかどうか試されそうだ。(そんな試され方、したくない…)

 

次にルートである。

何も決まっていませーん!!

 

出発時点ではノープラン・ノーフューチャーだ。

全部台風のせいにしておいてくれ。

 

 

ただ、上の地図の青線が日本6周目北海道編前半のルートである。

それ以外の海岸線を走り、日本6周目の北海道海岸線走破をゴールとしたい。

 

 

ちなみに愛車の日産パオで行く。1人で行く。

いつも通り、車が壊れないかとヒヤヒヤだ。

 

日本6周目北海道編前半では、マフラーがいきなり取れて爆音パオちゃんとなり、慌てて見つけた溶接工場に飛び込んだりしたし。

ああいう思いは、もうしたくない。

 

そして配信方法だ。

 

twitter.com

 

スマホでコツコツとフォーマットを整えながらブログを執筆するのはちょっと大変。

そんな時間があるならアクセル踏んでいたい。

従い、Twitterで配信する。

フォローしてくれている8000人ちょいの方々と一緒に盛り上がろうぜ!

 

なお、Twitterアカウントが無い方について。

PCだったら右側、スマホだったら下にスクロールすると僕のTwitter記事が出てくるのだが、ちょっと見づらいよね、きっと。

 

だからTwitterのツイートをブログに転記する形式を取ろうと思う。

1日1回目途、このページの下の方に貼り付けていくから、ときどきアクセスしてみてほしい。

 

では、遅い夏休みをエンジョイしてまいりますので!

 

 

■■■この下にtweetが入っていきます■■■

 

1日目(自宅~新潟~小樽)

 

 

仕事終わりの僕は、新潟港へと車を走らせる。

 

別に家の最寄りが新潟港というわけではない。

茨城県大洗港からの便が既に予約いっぱいだったからだ。

 

しかし、結果的に北海道での活動開始時間はあまり変わらない。

それに、台風大接近で大洗航路は欠航瀬戸際であった。結果オーライだ。

 

 

 

 

「トースター」と書いてしまったけど、「トースト」の誤字です。

 

3・4年ほど前には店舗の上に大きく「公楽園」と書かれた看板があったけど、撤去されたよね。知ってた。

トーストの自販機は歴史的価値があるけど、冷凍食品自販機は新しいものであることも知ってた。

でもいいのだ。トーストは2種類とも食べたことがるから、新しい経験をしたかったのだ。

 

 

イタリアンが朝ご飯、カレーが昼ごはん。

だけどもインターバルがあまりなく、なかなかハードなランチとなってしまった。

 

 

 

フェリーって、ノンビリしていて自由時間がたくさんあると思うだろ?

全然違う。

 

12時出航に合わせてカンパイ。

そのあと13時から夕方まで昼寝。

夕方に風呂入ったら、日没に合わせてデッキに出て、落陽見てまた酒飲んで夕食。

翌朝4時半に小樽港で、3時半ごろ起きなきゃいけないので、20時ごろには寝る。

 

日没後の夕焼けが最高

…忙しいでしょ?

「船の中で旅のプラン考えよう。小説も読もう。」って持ち込んだ本、1ミリも開いていないから。

 

 

2日目(小樽~函館)

 

 

 

3時半に船内放送で起こされたよ。

「レストランでは焼きたてのクロワッサンがあります」とかアナウンスされたけど、3時半にクロワッサン食べられるほど胃は活性化していなかったよ。

気付けにコーヒーだけ飲んだ。

 

小樽の朝市は4時OPENで、そこでウニ丼とか食べられたら最高だったんだけど、日曜日は市場やっていないのよね…。

出鼻をくじかれた。僕の海鮮…。

 

 

一応「島武意海岸」は見た。

でも天気のせいであまり綺麗ではなかった。

綺麗な島武意海岸は見たことあるのでまぁいいか。

 

神威岬」は朝8時以降のゲートOPENなので、この時間はやっておらず、遠望に留めた。

快晴であれば8時まで待ったかもしれないが、曇天だったのでスルーだ。

快晴の神威岬は何度も見たからもういいのだ。

 

島武意海岸、誰もいない…

 

この前に「弁慶岬」行っているけど、曇りだからツイートしなかった。

甲田菓子店は、「ニセコ旅物語」のオーナー五十嵐さんから10年前に教えてもらったんだっけかね?

おいしかったよ。ご報告。

 

 

そして、これは旅が終わってからツイートしたんだけど、時系列的にはここで「みつわ食堂」に入っているのだ。

 

 

この1ヶ月ほど前に、せたな町の役場に問い合わせをしていたのだ。

「碑はできないんですかー!作ってほしいんですけどー!!」って感じのことを、とても丁寧に。

 

でも夢叶わずなので、自分で叶えた。

フレームは「ダイソー」で買った。

せたな町さん、予算問題を気にしていたけど、ダイソーでできるよ!

 

 

 

 

そして初日の宿、「函館クロスロード」にチェックインする。

 

今日は早朝から1日半袖で過ごせる暖かさだった。

夜に宿の談話室で飲んでいても、汗ばむくらいだった。

台風接近中かつ南部なのでこの気温なのだろう。もう北海道の秋はずいぶん進行しているはず…。

 

 

3日目(函館~追分)

 

 

ラッキーピエロといえばチャイニーズチキンバーガーなんだけど、何度も食べているのでハンバーガー以外にしようかと。

焼きそばをオーダーしたのだが品切れだそうで、チャイニーズチキンカレーにした。

またカレーだ。でも好き。

 

 

 

 

今までのパターンだと八雲の「ハーベスター八雲」に行くんだけど、曇天だから辞めた。そして駅弁チャレンジしてみようとしたのだ。

 

どこかのどかなところでピクニック的な食べ方をしたいなと思ったら、八雲に入ったところでバケツをひっくり返したような豪雨だ。ホント怖かった。

いかめしは雨を見ながら車内で食べた。

 

 

あまりの豪雨だったので長万部駅で車内でいかめしを食べながら待機。

雨雲レーダーを見て小雨になったタイミングで水柱に行った。

 

ちなみにご存じかと思うが、水柱箱のちょうど1週間後の9/26にピタリと止まった。

不思議な現象でしたな。

 

 

ここは良かったなー。

知らないと絶対に足を踏み込まないようなエリアにあるけど。

 

この先に店がある

ここについても、後日ツイートしたのでここで以下でご紹介しよう。

 

 

92歳のオーナーさんにお会いできなかったのは残念だった。

しかし娘さんにいろいろご説明いただき、お店の裏側のエリアも見せてもらったのは本当にありがたかった。

また行きたいなー…。

 

 

いいの。快晴バージョンを知っているから。

1回くらいこういうのもアリ。

 

 

チェックインした「旅の轍」さんの車で送迎してもらいました。

そして同泊の人やオーナーさん、みんなと入った。楽しい時間だ。

 

 

4日目(追分~大樹)

 

 

うん…、正直ちょっと飲みすぎたかな…。

手作りのハスカップ酒、おいしくてスイスイ飲めたもんな…。

 

台風14号は昨夜のうちに、北海道のやや南部をかすめたそうだ。

進路が南に変わって良かった。

そうでなかったら、今日も大荒れだったに違いない。

 

 

ちょっと飲み過ぎてお疲れモードだったので、同泊の人たちを見送った後に8時すぎまで寝てた。

食事なしの宿だし、そして次の目的地の「かに太郎」が10時半OPENなので逆算し、休めるだけ休んだのだ。

 

 

涼しい朝であったが、はめ殺しのガラス張りの店であり、メチャ暑かった…。

暑さでヘロヘロになりながら食べたのだが、味は美味しかったしおじいちゃんのキャラも良かった。

今後も末永く続けてほしい。

 

 

 

日高門別灯台」近くの海岸にて撮影。

日高門別灯台って、どこから入る込めばいいのかわかりづらいよね。

 

かつて僕、がんばって灯台の足元まで行った記憶があるのだが、どうしたんだっけ…?

でも、そこまでこだわる必要はない。

海岸がよかったから、それでいい。

 

 

 

 

 

そして「黄金道路」を越えて、大樹町に向かうのだ。

台風の近付く黄金道路は、かなり荒れていた。

 

黄金道路はここから始まる

以前は海ギリギリを通っていた黄金道路だけど、今はほぼ全線がトンネルになったよね。

走るたびにトンネル区間が増えていて驚かされる。

 

海まで迫る日高山脈と、激しい波とのせめぎ合いに挟まれ、黄金を敷き詰めるがごとくの工事費用をかけ続ける道路、それが黄金道路。

 

こうして真っ暗になる直前くらいに、大樹町の宿「セキレイ館」にチェックインする。

 

 

5日目(大樹~根室

 

 

「チョボチナイゲート」は今回行けたらいいなーって思って、ちょくちょくチェックしていたのだ。

なのに台風14号で閉鎖され、昨夜飲みながら「おいおい皆さん、聞いてくださいよ」みたいに公開した。

 

後編で記載するが、その後また復活するのだ。

ライダーさんたち、チョボチナイゲートを目指す人たちがまた行けるようになって良かった。

 

 

北海道の旅人宿としては大御所クラスのセキレイ館、初めて泊まることができた。

オーナーさんの「じへいさん」もいいキャラだった。

笑いの絶えない夜だった。楽しかったなぁ。

 

 

 

 

今日は晴れだと聞いていたが、釧路で曇って来たのだ。

なにそれ、聞いてないんだけど?

まぁ出発前は今週全部雨だったけど、回復したんじゃなかったの?

持ち上げて落とすのかよ?

 

そしてここで僕は「釧路と言えばインデアン」と書いてしまったが、本店は帯広だったね。

ご指摘いただいた。すみません。

でも、今回の僕は「釧路でインデアンに入るぞ」と勢い付いていたのだ。そこだけはホント。

 

 

コンデジの写真

コンデジの写真の方が雰囲気があるので、1枚掲載しておこう。

最高の時間であった。

快晴だったらさらに最高であったが、これでもいいだろう。雰囲気バツグンだ。

 

 

後日、ラッコのズームをツイートしたので、それも以下にご紹介しよう。

 

 

 

16時台前半に「納沙布岬」に到着し、本日はここで宿泊する僕。

今までになく早い時間帯でのゴールだが、ここからがかなり忙しかった。

 

日本本土最東端の碑の前で撮影をし、そしてライダーハウスにチェックインしていろいろ説明を聞く。

さらに再び最東端の碑の前に行き、続きの撮影をし、お土産物屋でお土産を買う。

 

ふと本土四端踏破証明書の存在を思い出し、17時の閉館ギリギリでこれを発行してもらう。

そのあと夕日を見て、夕食を買いに片道25km、根室の市街地まで車を走らせるのだ。

 

ちなみにその道すがらの夕景が最強だった。

 

根室で最高の夕焼けを

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

こうして北海道旅の前半戦が終わる。

事前の予報では毎日雨だったが、なんとかこの2日間は晴れ間も見えた。

 

明日は唯一の快晴予報だが、明後日からまた雨続きだ。萎えまくる。

こんなにも天気が不安定な北海道は始めてだぜ、笑えるぜ。

 

 

ネタバレになってしまうが、後半戦も含めた走行ルートをここに掲載する。

では、続けて後編も見てくれるよな!

 

drive-ns.hatenablog.com

 

まだまだ北の大地を走るまくるぜ!!

No.224【大阪府】ドヤ街、西成地区の店頭で鉄板を囲んで肉を食う!立ち飲みの真髄を見た!

大阪で一番ディープかつデンジャーなスポットと言えば、西成区の「あいりん地区」かもしれない。

ここ数年で治安が良くなってきたそうだが、僕はドキドキしてしまう。

 

そんなあいりん地区のボロボロのホルモン屋さんの店先で、ホルモンを立ち食いしノンアルコールビール(ドライブ中なので…)を飲んだ。

ディープなエリアでディープな体験しているぞ僕、って思った。

 

こういうアンダーグランドな酒場を巡る方であれば、このお店の店名を一度は耳にしたことがあるだろう。

泣く子も黙る、「ホルモンやまき」である。

 

 

誰もが初回は躊躇するであろう。

どうやって位置取りし、どうやってオーダーし、どうやって食えばいいのか全くわからないであろう。

 

これは、そこにいきなり1人で飛び込んだ僕の物語だ。

 

 

ちょっとキケンなにおいの町

 

車を運転していたら、町のロケーションがちょっと変わった。

 

うまくは言えないけど、ニューヨークのダウンタウンというか、世紀末の世界観というか。昔のゲーム「ファイナルファイト」でゴロつき共が闊歩するメトロシティというか。

とりあえず、町が醸し出すワンパクなオーラに僕は早くも気付いたのだ。

 

あいりん地区1

コインパーキングがあったので、そこに愛車を停めた。

駐車場の端には冷蔵庫とタイヤと消火器が鎮座していて、なんでかなって思った。

有刺鉄線と崩れた家屋がなかなかワイルドだなって思った。

 

車にしっかり施錠をしたし、貴重品は忘れずに身に着けた。

 

あいりん地区2

それでも、かわいいこの子をここで残すことに少しだけ罪悪感を感じた。

 

空気が違うんだな。

あいりん地区は饐(す)えたにおいがする。

ところどころにゴミが落ちているし、道路がおうちの人の荷物だとかがグシャッとまとめて置いてあったりしている。

 

そういう大地と仲良しな先輩たちが、昭和時代みたいな自転車に乗ったりワンカップを片手に歩いていたりしている。

 

あいりん地区3

あぁ、ここが有名な「三角公園」か。

あいりん地区のセントラルパークだな。

 

20年近く前からWebですさまじい書かれ方をしているので、自分の目で見れたことが感慨深い。

ここで炊き出しだとか、大地先輩たちを対象としたレクレーションイベントが行われたりするのだな。

 

あいりん地区4

かつては日本一治安の悪い地区と言われていたあいりん地区。

 

日雇い労働者が多く住まう、いわゆる"ドヤ街"である。

だから人口の大半は大地先輩のようなおっちゃんだ。

三角公園ダンボールでマイホームを作ったり、その脇にロープを張って洗濯物を干したりしていた。

 

あいりん地区5

ちょっとお金がある人は、簡易宿泊所に泊まることも可能だ。

めっちゃめちゃ狭いけども1部屋1000円前後だったり、3・4万あればそこに1ヶ月宿泊できたりもする。

 

あいりん地区6

そんな中にローソンがあった。

買いたいものがあったので入った。

 

やはりちょっと特殊なにおいがし、客層も僕の知っているローソンとはちょっと違った。

店員さんはほとんどが東南アジア系の人で、ホスピタリティよりも動じない精神を大事にしている、屈強そうな人たちだった。

 

あいりん地区7

そんなあいりん地区であるが、実は10数年前くらいから治安が劇的に改善しているようだ。

橋本元府知事の功績だ。

 

僕が20年くらい前、最初にあいりん地区のことを知った際のイメージはこうだった。

  • 観光客は絶対行くな。マジ行くな。行くならホームレスを装え。
  • 仮に小奇麗なカッコで行くと身ぐるみはがされる。
  • 写真撮影とかしようものなら命の保証はできない。
  • 路上で違法なもの売っていたりケンカが耐えなかったり。
  • 寒さや病気のために路上で死ぬ人も多いが、普通の光景なのでみんな慣れている。
  • 治安も法律も無いに等しい。

 

あいりん地区8

僕はその時代のあいりん地区を知らないので真偽を確認する術がない。

だけども、そんな時代のそんなところに僕のようなインテリ眼鏡ボーイが1人で突撃したら、今の30倍はキケンだったかもしれない。

 

前述の通り今は治安が改善し、ヤンチャな感じの若者たちがものめずらしそうに歩いていたりしている。

外国人バックパッカーが安宿を求めてやってくることも多いそうだ。

 

まぁ「それであってもゴニョゴニョ…」ってなるかもけれども、それはもう個人の感性なので、この先はあなた自身で感じてほしい。

 

 

ホルモンやまきは大人気

列に並び、知らない人からよくわからない指示を受け

 

阪堺電気軌道、いわゆる路面電車今池駅

この駅は盛り土でちょっと標高が高いんだけど、その高架下にあたるところに僕が目指すホルモンやまきがある。

 

今池駅1

今池駅も大概だな。ディストピア感があふれ出ている。

 

この先にホームがあり、そこに電車が来るだなんてちょっと想像できない。

あるいは、そんなところに来た電車に乗ったら強制労働施設に送還されそうだな、とか勝手に妄想してしまう。

 

今池駅2

ちょっと引きで撮影した1枚だ。

中央の階段が今池駅に登るためのもの。

 

そして右端の人だかりが、やまきの行列だ。

若い人が多いし女性の姿も見える。やっぱあいりん地区は変わったのだね。

ほんの2・3年前まで、やまきはガチな労働者のおっちゃんしかいなかったと聞いていたし。

 

今池駅3

今池駅のフェンスに立て掛けられた、香ばしい看板にズームする。

 

『立小便禁止』とふりがなつきで書かれているが、上からチラシ類をベタベタ貼られているし、看板自体が著しく劣化して何かがんだかわからない。

当初はフェンスにちゃんと取り付けられていたのだろうか…?

 

記載内容・看板の位置・劣化具合、そのすべてがあいりん地区を物語っていると思った。

 

やまきに並ぶ1

行列に並ぶ前に、やまきの全貌をお見せしよう。

これがホルモンやまきだ。

 

店頭に大きな鉄板があり、その奥でおやじさんが黙々とホルモンを焼いている。

客は鉄板を囲んで酒を飲みながら肉を食うのだ。それだけ。

鉄板の手前に白いプレートがいくつか立っているが、コロナ対策のパーテーションのようだ。

 

はい、じゃあ並ぼう。

 

やまきに並ぶ2

前に並んでいるのは10人くらいかな?

僕のすぐ左は今池駅への階段だ。

 

やまき側には「コインロッカー」と書かれたプレートがある。

あのプレートの裏側が今池駅のコインロッカーなのだ。

預けるのが少しだけ不安になるコインロッカーかもしれない。

 

あと、並んでいる人はみんな複数名だ。

僕だけ1人でやることなくって寂しい。

「僕、常連ですし。1人とか当たり前ですし。」みたいな風貌だったらいいのだが、どうみても雰囲気に飲まれそうなおとなしめの外見だしな。不利。

 

やまきに並ぶ3

ちゃんとコロナ対策のアルコールも備え付けられている。

屋外の電光看板にくくり付けられている。

「消毒するには足りねーだろ。町中にアルコール撒けや。」とか言ってはいけないよ、あなた。

 

僕の後ろではビギナーの若者3人組が作戦会議をしながら並んでいた。

YouTubeによると、こんな風に注文して、こうやって肉を受け取って…」とか、いろいろイメージトレーニングをしていた。

 

その3人、僕に比べるとやや道路にはみ出していたのだが、そしたら道行くワンパクなおじいさんに声を掛けられていた。

「おうおうキミたちー。そんなにはみでちゃいかんよー。ここみんな通行してるんだから。自転車も来るんだから。すぐケンカになるぞー。ケンカ好きか、君ら?おぉ?好きか??」って言われていた。

 

「好きじゃないです…」という声が後ろから聞こえてきて安心した。

 

やまきに並ぶ4

普段を知らないのでわからないが、僕が見た限りやまきのおやじさんはほとんど言葉を発しない。

行列に並んでいる状態から、どのタイミングで鉄板の前に行けばいいのか、僕はオドオドしながら並んでいた。

 

しかし、途中でヘンテコなおじいさんがやってきた。

正体は不明だ。

路地の向こうからテクテク歩いてくると、鉄板の向こう側のおやじさんと一言二言話し、「おーい、ホルモン終わったってよ!」と行列に並ぶ僕らに声を掛けてきた。

 

マジか。少し残念だ。

やまきのメインメニューはホルモンとキモ。これで残りはキモのみとなった。

まぁいっか。

 

その後、おじいさんは行列を近くで見守りながら「次の2人、鉄板の前に来なー」みたいに声を掛けている。

誰だか知らないが、これはありがたい。

行列に並ぶこと10分ちょい、「兄さんおいでー。1つ空いたよ。」と言われた。

 

 

鉄板の前で肉を食い、そしてノンアルビールを飲む

 

鉄板を取り囲むロケーションのイメージをご紹介しよう。

 

肉を食う1

こんな感じだ。

コロナ前はお客さんが鉄板をギュウギュウに取り囲み、それが2重3重にもなっていたようだ。

しかし今は人数が決められ、そして待っている人は列を作っている。

わかりやすいシステムになったようだ。

 

鉄板の前に来ると僕は「えっと、キモ2つ…」と言った。

おやじさんは僕の方を全然見ずに「今、前の注文焼いているからさ、待っとれ」みたいに言ってきた。

実はこれ、作戦通りであった。

 

肉を食う2

おやじさんは寡黙だ。

「オーダーしてもリアクションがなく、でも実はオーダー通っている」みたいなのがデフォルトパターンらしい。

 

だから「おやじさんから『何にしますか?』って聞かれてからオーダーしよう」みたいに思っていると、一生オーダーできないのではないかと思ったのだ。

だから前のめりでオーダーした。

「待ってろ」というリアクションが得られたのも嬉しかった。

 

「はーい、じゃあついでにノンアルビールも」と、僕はちゃっかりオーダーした。

 

肉を食う3

キモとはレバーのことだ。

デカいビニール袋から、ドチャドチャっと大量のレバーが鉄板に投下される。

 

「臓腑…」って心の中でつぶやいた。

当たり前だが、なかなかにフレッシュでリアリティのある見た目だぞ。

 

肉を食う4

それを鉄板の上でしばしこねくり回す。

時間にして1分弱だろうか?

レバーの表面はかろうじて茶色くなってきた。

 

肉を食う5

そしたらそれをヘラで3つほどに切り分け、ほんの数10秒火を通して完成。

早いな。

ちゃんと火は通っていなくっていいんだっけ?

よくわからないけど、信じるよ?信じていいんだな??

 

焼き終わったレバーは、写真左に映っているバットの中のカオスな汁をかけて提供される。

これが中毒性があると評判のやまきのタレだ。

 

肉を食う6

よし、1人でカンパイだ。

肉は写真のようにプラケースに入れて提供される。

串が2本ささっているのは、「キモ2つ」という意味だ。最後の清算のときにこれでカウントする。

ケースの中にタレも入れてくれている。

これはコロナ仕様だ。

 

コロナ前は、お客さんは鉄板の上に出来上がっている肉を勝手に取り、そして勝手にバットの中のタレに漬けて食べたという。

そして最後は串の本数でお会計が決まるというイメージだ。

 

これまた一見さんにはハードルの高いシステムだったが、コロナ仕様となってちょっと難易度が下がったよね。

 

肉を食う7

コロナ前まではノンアルコールも無かったらしい。

ドライブで訪れる僕、ドリンクオーダーしないのはちょっと引け目を感じるかなって思っていたけど、ノンアルビールが登場して良かった。お茶もあったぞ。

 

そして、僕以外は複数名でそれなりに談笑しているが、コロナ対策のパーテーションのおかげで黙食してても普通でよかった。

 

数年前までは鉄板を囲んで知らない人同士もワイワイしていたらしい。

今回僕の前後にいた人はみんなグループだったから、なかなか会話に入り込むのは困難。コロナでなければちょっと疎外感を受けるところだったかもな。

 

肉を食う8

レバーは濃厚でうまい。臭みはあまりない。

タレも甘辛スパイシーで、みんなが絶賛する理由が分かった。

これ、また機会あったら絶対にホルモンも食べてみたいわ。

 

さらにコロナが落ち着いて世界が平和になったら、かつてのように鉄板をワイワイ囲んで知らない人と祝杯をあげたいな。

 

肉を食う9

キモもホルモンも1つ80円。

つまり僕はキモ2つで160円。

ノンアルコールビールを入れてもお会計410円だった。安。

 

みんなパッと入ってパッと食べて、立ち去る。

大体滞在時間はみんな15分ほどだそうで、僕もそうだった。

いいね、粋な立ち飲みじゃないか。

 

アルコールは全く摂取していないが、心がなんだかフワッと軽くなった感覚で、僕はお店を後にした。

夕暮れの近付くあいりん地区が、優しく照らされているように見えた。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: ホルモンやまき
  • 住所: 大阪府大阪市西成区萩之茶屋2-2-7
  • 料金: ホルモン¥80 キモ¥80 他
  • 駐車場: なし。コインパーキング使用のこと
  • 時間: 14:00~21:00(雨の日はお休み)

 

No.223【徳島県】どう見ても廃墟な喫茶店!!店主自らレンガを積んだ巨大建造物を訪問!

その建物の存在に気付いたのがいつだったのかは、もうよく覚えていない。

しかし2014年に初めて外観を写真に撮った日のことはよく覚えている。

 

真冬の四国を走り回っていたとき、国道55号沿いのすごい廃墟テイストあふれる建物が目に入る。

「あぁ、そういえばここにこんな建物あったよな。何の建物かはわからないけど、すごいから写真に撮っておこうかな。」と、考えた。

 

その建物との出会い1

冒頭で、そのときの写真2枚をご紹介する。

 

すーーっごいレンガワールドだ。目のくらむほどのレンガで構成されている。

ツタが絡まっていて雰囲気があるが、真冬ということもあって枯れている。

これはこれで退廃的な雰囲気が出ている。

 

その建物との出会い2

もう1枚の写真だ。

窓枠は丸く、車輪のようなものがはめ込まれている。これが大変エモいな。

 

そして左端を見てほしいのだが、「ユアサボデー」と書かれている。

ここは何かの工場とかの敷地なのだろうか?

 

人がいれば声を掛けるところなのだが誰もおらず、無許可で写真を撮ること自体どうなのかと思う。

速やかに立ち去ったった方がいいであろう。

…そう考えて、これ以上キョロキョロせずに車を発進させた。

 

この建物の正体を知ったのは、帰宅後にWebで調査したときである。

大菩薩峠という名前の現役カフェ!!

マジか!そうだと知っていたなら店内突撃したのに!!

 

チクショウ!

またいつの日か、このお店でちゃんとくつろげる日を夢見ようじゃないか!

 

 

廃墟喫茶へようこそ

 

少し時は流れ、日本6周目。

ちょっとドロドロと空が曇り始めた初秋のことだ。

夢を叶えるためにやってきた。

 

廃墟喫茶1

 

どう見ても廃墟。

すっげぇな。

 

 

この曇り空とレンガの質感が、バッチリとフュージョンしている。

右端の街灯なんか、もうホラーな世界観だ。

 

ちなみに手前に停まっているレトロな車は、僕の愛車ではない。

これはお店の車らしい。

僕の愛車の日産パオはその背後の柱の陰。

 

廃墟喫茶2

少し角度を変えてもう1枚。

今回は日産パオもしっかり写そう。

こうやって見ると、21世紀な感じが全然しないけどな。

これ古城だ。きっと古城です。

 

廃墟喫茶3

建物の前には『営業中 10-8』という看板が立っていた。

10:00~18:00の営業ということだろう。

 

前回はこれ、なかったな。

休業日だったのか、設置するスタンスになったのは最近なのか。

もしこの看板があったら、前回も入ったかもしれないのに。

 

…って一瞬思ったけど、この建物が喫茶店なのかどうなのか、どこにも書いていないよな。

何も書かずに「営業中」とだけあっても、初見ではバリバリ警戒しちゃうよな。

知っている人じゃないとなかなか入れない喫茶店大菩薩峠

 

廃墟喫茶4

店の入口はどこか。

正解は左側の階段である。

 

右側のスロープは、実は屋上駐車場に上がるためのもの。

しかしこのお店は敷地が広くて、先ほどの写真の通りお店の前に充分駐車できる。

それにお店と愛車のコラボ写真を撮りたかったので、今回はこのスロープの先に車を進める意義は見い出せなかった。

 

僕は向かって左側の階段を昇る。

 

廃墟喫茶5

途中で軽くアールを描く階段。

左右共にレンガなので圧迫感があり、「カツーンカツーン」と自分の足音が響く。

まるで古城の塔を登っているかのような感覚になる。

 

廃墟喫茶6

2階に到着。ここで建物内に入るための入口が見えてきた。

チラリと内部が見えるが、中も総レンガ造りですんごい堅牢そうな気配だ。

ワクワクしてきたぞ、これホントに喫茶店かよ。

 

廃墟喫茶7

おっ、外と中の境目には重厚な鉄の扉があった。

悪い人が塔に幽閉とかされちゃうような、そんな分厚い鉄扉だ。

ちなみにこの扉の裏には巨大な鉄の金庫もあった。

 

ここから先は店内になるのだが、実はこのお店、内装は撮影禁止なのだ。

うん、知ってたけど一応店員さんに聞いてみたけど、やっぱNGだった。

ただしメニューの写真のみであればOKとのコメントをいただいたので、それは後程掲載させてもらおう。

 

では入店だ。

 

 

絶品ピザとアイスコーヒー

 

「こんにちはー」と怖々入った。

こんな廃墟みたいな建物だから、そりゃ初回に1人で突撃すりゃビビり散らかすわ。そうに決まっている。

 

店員さんが「あちらの窓側の席にどうぞー」と言ってくれ、日本で例えるなら縁側みたいな、メインフロアと少しだけ境界線のある窓際の席に僕は着陸した。

 

店内にて1

内装のイメージは、大体こんな感じであった。

店内も壁・天井・床のほぼ全てがレンガであり、茶色一色。

カウンター席もレンガ調で、なかなか渋い。

 

僕のすぐ脇には、冒頭でお見せした車輪付きの丸窓があり、それ越しに見る外はなんだか別世界のようであった。

 

店内にて2

店内にも2つほど、壁を巨大な円にくり抜いたゲートがあり、目を引いてた。

 

そして15:00という時間もあってか、わりと広い店内には僕以外にお客さんは2組ほど。

なかなかにくつろげるぜ。

 

店内にて3

メニューが出てきた。

黒い扇子を広げると、そこにメニューが書いてある。

他の店でこのような形式を見たことはあるが、毎度とてもユニークだなって思う。ワクワクしちゃう。

 

フードメニューは、サンドイッチ・ピザ・カレー・焼きそば・ハンバーグ・カツなど。

店員さんの人数に対し、かなり手広くやっている。

サラミピザが600円と安かったのでこれにし、そして300円のアイスコーヒーをつけることにした。

 

店内にて4

ビビってしまってブレてしまった写真ではあるが、これだけでもいくつかの情報は得られよう。

 

ピザはシンプルではあるがチーズたっぷりで、しかも複数種類のブレンドのようでとてもコクがあり、おいしかった。

アイスコーヒーは量がたっぷりであり、秋とはいえちょっと暑い日に涼を得るには最適だった。

 

そして木製のテーブルと、対面のレンガ調だが重厚でウッディなイスが少し写っている。

ここから店内は落ち着くテイストであることも想像できよう。

 

内装の写真撮影がNGなのは先ほども書いた通りだが、店員さんはそのとき「外観であればご自由にどうぞ。入口を出てすぐのところもなかなかいい写真が撮れると思いますよ。」と言ってくれた。

 

なるほど。

僕は階段を真っすぐ上がってきただけであり、この入り組んだ建物はまだ見どころがありそうだ。

 

しっかりと店内を堪能し満足すると、僕は外に出た。

 

 

店主が1人で建てた夢の城

 

さて、この章は再びお店の外観写真を貼り付けつつもい、2001年8月25日に掲載された徳島新聞の記事の内容を噛み砕いてご紹介したい。

 

2階の中庭①

ここを建造したのは「島 利喜太さん」。

大菩薩峠のオーナーさんである。オーナー自ら、1から店を作ったのだ。

 

時期はちょっとわからないけども、島さんは20代の頃(たぶん1950年代~60年代)に、数年をかけて日本一周をした。

 

2階の中庭②

山梨県の「大菩薩峠」に行ったとき、その景観に惹かれた。

「こんな峠に万里の長城のような建造物があったらステキ。自分の土地でそれを実現したい。あと、自分はコーヒーが好きだからそれを商売にしたい。」…っていう2つの野望を抱き、お店作りを始めることとなる。

1966年頃の着工だったらしい。

 

ふむ、確かに僕もかつてホンモノの大菩薩峠には登山で行ったことがある。

確かにステキな場所だった。

 

2階の中庭③

島さんはレンガでお店を造ろうとしたのだが、レンガ工場はそう簡単に個人相手にレンガを提供してはくれない。

 

なので島さん、裏山にレンガ製造用の窯を作り、そこでレンガ造りから始めたのだそうだ。やること徹底している。

あまりにストイックなので、最初は数人いた職人さんもちょっと引き気味になって姿を消してしまい、ほとんど全てを島さん1人がやったのだそうだ。

 

 

そのレンガの数、実に10数万個。

 

 

鉄扉に「1971」

そんなこんなで着工から6年後の1971年、大菩薩峠がオープンする。

先ほど掲載したお店の鉄扉に、このオープン年が刻まれていることに気付いたかな?

 

ちなみに店内のテーブルやイスなども全部島さんの手作りだ。

シンボリックな車輪付きの窓も、普通に農作業用で使われていた大八車を解体して車輪をはめこんだらしい。

 

2階までのスロープ①

少なくとも徳島新聞に掲載された2001年時点では、建物は未完成とのことだ。

…てゆーか、もう我が子のように思えてしまってちょこちょこ増築したり改装したりしちゃくなっちゃうよね。ライフワークだよね。勝手にそんな気がしている。

 

だからか、ここは「徳島のサグラダファミリア」とか呼ばれたりもしている。

ちょっと気が引けたので撮影はしていないが、2階中庭の奥には島さんの作業場というかアトリエというか…のような空間もある。

 

2階までのスロープ②

今も島さんは、そこにこもってこの城のバージョンアップを思い描いているのかもしれないね。

クリエイターの執念は、きっと無限大なのだ。

 

 

行くならちょっと注意して

 

なかなかにインパクトの強いお店だ。

しかし雰囲気最高のお店だ。

 

あなたも「実際に行こうかな」と心揺れ動いたかもしれない。

だとしたら、2つ注意点がある。

 

2階までのスロープ③

1つ目は、前述の通り内装は撮影禁止である点だ。

僕はそれを知っていて店員さんに念のための確認をしたりしたので、特に波風が立ったりはしていない。

 

しかしそのルールを知らずに撮影してしまおうものなら、かなり強く怒られると聞いている。なかなかにヘコみ、その後も尾を引くレベルと聞いている。

(オーナーの島さんはあまりお店にはいないようなので、それ以外の店員さんに)

 

インスタ映えとかエモいとかいう言葉ができる前から、それを先取りしているようなこのお店。

写真に残したい思いは強いが、ダメなのだ。

重々注意してほしい。

 

街灯

2点目は接客についてだ。(これまた島さんのことではない)

 

Webなどで読む限りは、ホスピタリティな対応は一切期待しないほうがいい。

僕は15時台という閑散時間に訪れたので、店員さんの心にもゆとりがあった時間だったろう。

最低限の言葉しか交わしていないが、特にそれ以上も求めていないので何も感じなかった。

 

2階テラスの店名プレート

しかし繁忙時間に訪れてお店側に確認・要求などを求めるシーンが生じると、穏やかではないようだ。

これまた渋い思いをするかもしれない。

 

それぞれお店のスタンスがあり、どれが正解とかどれが間違っているとかはないと僕は考える。

だから精一杯オブラートに包んで書いた。

 

もう少しリアルに知りたいのであれば、「食べログ」のコメントなどに目を通して予習しておくとよいと思う。

もちろん僕は記載内容の信憑性だとか、齟齬・トラブルの責任は負いかねるが。

 

徳島のサグラダファミリア

それでも、ここは魅力的である。

 

あなたも機会があったら訪問し、内装を目に焼き付けていただきたい。

廃墟でホラーで撮影NGだが、たぶん一生の記憶に残る喫茶店

1人の男が生涯をかけて築いてきた喫茶店

そんなエネルギーを感じることができるのではなかろうか。

 

大菩薩峠、またいずれ行きたいお店。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大菩薩峠
  • 住所: 徳島県阿南市福井町土井ヶ崎115-10
  • 料金: サラミピザ¥600他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 10:00~18:00(金曜定休)

 

No.222【京都府】京都府唯一の火山の産物!!「やくの玄武岩公園」の柱状節理を眺めよう!

柱状節理。

それは地球の生み出した芸術作品である。

 

旅の途中でふとそんな芸術作品を見つけ、しかもそれが天気のいい日であり、公園を散歩しながら眺めることができたら、最高だと思わないかい、あなた。

 

…かなり一方的な趣味嗜好の押し付けになってしまったが、そう思われても仕方がない。

ただ、春のある日の「やくの玄武岩公園」はとても気持ちのいい空間だったのだ。

純粋にそれをご紹介したいのだ。

 

 

緑の中の散策路

 

そう、あれは春うららな日であった。

国道9号を使って、兵庫県の山間部である朝来市を抜けて、京都府福知山市に入ったのだ。

 

京都府山間部にて1

すぐ10㎞くらい西に"天空の城"として有名な「竹田城跡」があると言ったらピンと来るかな?

雲海に浮かぶ竹田城跡を訪ねた話は、近々別途しようね。

 

閑話休題

京都府に入った直後のことだった。

国道9号の沿いで警察官と地域の子供たちが『安全運転してね』的な旗を掲げていて、ちょっとほっこりした矢先、看板が目に入った。

 

京都府山間部にて2

⇐すぐそこ やくの玄武岩公園 ごゆっくりお楽しみください』

 

なるほど。

興味を惹かれたのは"玄武岩"のワードだが、ハートにぐっと来たのは"ごゆっくりお楽しみください"だ。

 

よーし、ゆっくりするかー。

国道を反れて300mほどで、玄武岩公園の駐車場に到着した。

愛車の日産パオを停め、緑にあふれる空気を胸いっぱいに吸い込む。

 

新緑の公園1

駐車場から見た公園。

結論から言うと、この写真に納まっているのが大体公園の全部だ。

道路を挟んであっちとこっち。道路に沿って、200mほどの敷地。

一周サクサク歩けば5分とかからない規模。

 

なんにせよ、ポカポカと暖かい新緑の季節に公園を散歩できるワクワクが止まらない。

普段運動不足の僕は散歩をしていると「自分、イイコトをしているな」って自画自賛できるシステムなのだ。

お年寄りとかは、そういう動力で散歩しているのだと僕は推測している。

 

新緑の公園2

天然物の小川に沿って整備された公園のようだ。

調べてみると4月中旬には桜も咲くぞ。あと、季節を問わずに夜はライトアップもしているそうだぞ。いいじゃないか。

 

新緑の公園3

「京都の自然二百選」の1つなのだそうだ。

ちなみに"やくの"というのはここの地名で、夜久野町から取っている。

 

そして恥ずかしながら、京都の自然二百選自体を初めて知ったかもしれない。

あるいは、過去にいくつか遭遇しているかもしれないが、記憶喪失になっている。

 

いずれにしても、200も選定する時点で京都すごい。

古都だけじゃないぜ京都は!…ということなのだ。

一般の人がイメージする"京都"は、マジ京都のほんの一部だもんね。

京都府はやたらと南北に長くて、いろんなスポットがあるのですぜ。

 

新緑の公園4

気分のいいときの僕は、頭上の青空を撮影する。

このときの僕も、気分が良かったに違いないと振り返る。

 

2022年春。最高の天気がずっと続いていた春の旅。

この新緑の季節が好きな僕は、きっと有頂天だったのだ。

僕以外に観光客はカップルと老夫婦のみ。

普段1人旅をしていてカップルを見ると「爆発しろ」と念じる僕も、このときはほのぼのとしていたさ。

 

 

玄武岩と柱状節理

 

本題に入ろう。

そしてこの遊歩道を散歩しながら眺められるのが、柱状節理の岩だ。

それがこの公園のアイデンティティ

 

柱状節理1

そこそこダイナミックな柱状節理である。

福井県の「東尋坊」で有名な柱状節理。あんなダイナミックなものではないものの、ほどほどのスケールである。

 

…って、もしあなたが柱状節理をご存じでない場合は、この記事も全く面白くないものとなるので、ちょびっとご紹介しよう。

柱状節理とは、上の写真の向かって左側のような、岩が石柱を束ねたようなかたちになっている状態を指す。

 

柱状節理2

これ、古代の人が神殿を造ろうとしたけども途中で飽きて辞めた…のではなく、自然に作り出されているのだ。

作ったのは古代の石工職人さんではなく、母なる地球。

 

どうやってこんなことになるのかと言うと、まずは火山があることが前提。

流れ出た溶岩が冷えて乾燥して固まると、体積が減る。

堆積が減ると歪みが生じて、亀裂が入る。

難しい理屈は知らないけど、その亀裂は縦に真っすぐ、しかも断面が六角形か五角形か四角形になるように入るというのだ。不思議だよね。

 

柱状節理3

柱状節理をご家庭でお手軽な再現するには、水と片栗粉を1対1で練り込んでカマンベールチーズみたいな形に仕立て、1日乾かせばいいらしい。

乾いた片栗粉は軽く衝撃を加えると、縦に綺麗に亀裂を入れながら、端から崩れ落ちる。

 

これを「ブラタモリ」の知床の回でやっていて、スゲーと思った。

 

柱状節理4

ここのは六角形の柱状節理らしい。

本当に六角形なのか僕にはよくわからないが、垂直にズバッと切れたこの様はカッコイイと思う。

小川の向こうに聳えているのも絵になるな。

 

ちなみに小川のこっちの部分も柱状節理の一部となっている点にご注目いただきたい。

公園や道路で整備されているが、もともとはここいら一帯の全てが柱状節理だったのかもしれない。

 

柱状節理5

気になるのが、じゃあ溶岩はどこから流れてきたのかということ。

まぁ答はこの説明板にあるのだが、「宝山(別名:田倉山)」というここからわずか2kmほど北にある山のものなのだそうだ。近ッ!

 

この宝山は標高はたったの350mほどだが、京都府で唯一の火山。

今から30~40万年前に噴火し、ここまで溶岩が流れたのだ。

 

すごい昔。

以下の宝山はハイキングや紅葉スポット、バードウォッチングのスポットになっているらしいぞ。

残念ながら僕は行ったことないので、これ以上に詳しい説明はできかねる。

 

柱状節理6

小学校とか中学校の理科で習ったと思うけど、その溶岩が固まったのが玄武岩ね。

地中深くでゆっくり冷えて固まると斑糲(はんれい)岩だけど、地表で急速に固まると玄武岩

 

柱状節理7

柱状節理の天井部分の、スパッと水平に切れているところを板状節理とか平行節理とか言ったりもするよね。

上の写真では、そんな断面を見ることができる。

 

柱状節理8

複雑怪奇な石畳。

立入禁止だけども、もしワンパクな僕があそこを歩いたら1秒に1回はつまづく自信がある。

 

…??

写真の左端に白い紙が落ちており、それが気になった。

 

柱状節理9

ぶっちゃけ玄武岩公園には全く関係がないことなのだが。

日常に潜むバグを見つけるのが、僕は好きだったりする。

だからあえてご紹介する。

 

もう少しだけズームし、そして上下を逆転させよう。

 

柱状節理10

犬のフンの持ち帰りを促すポスターが落ちていた。

何か柱状節理について重要なことが小さく書かれていたと思ったら、違っていた。

 

京都の自然二百選なのだ。

犬のフンで汚してはならない。

 

柱状節理11

…ちょっと地味でしょ。

いや、失礼だが僕自身、興奮の坩堝(るつぼ)と化すようなスポットではなかった。

 

だけどもね、1人で少々長めの旅をしていていろんなスポットを見ていると、こういう光景を見たときにすっごく心が落ち着くのだ。

国道9号をタラタラと走っていたところ、ふとこのスポットを発見できたことが嬉しいのだ。

そういう思いで書いた。

 

こういう偶然の出会いを大切にしたい。

それはスポットとの出会いであっても、人と人との出会いであっても。

 

だからさ、いつかあなたも僕を見かけたら勇気を出して声を掛けてみてね。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.221【長野県】この日本、海から一番遠い場所ってどこ!?ヘロヘロになり山を登るぞ!

ガクガクと笑いそうになる膝を、手で押さえた。

ヤッベ、なかなかシンドいな…。

 

沢沿いの獣道みたいな登山道を登りながら、僕はゼーゼー息をした。

ペットボトルの中身は、残り1口分。

既に17:00近く、少しずつ暗くなる山間部。

 

何もかもがあまりいい状況とは言えなかったが、この先にある栄光を手にするために、突き進むことしか考えていなかった。

 

僕が目指していたのは、「日本で海岸線から一番遠い地点」

読んでそのままの概念を持つスポットだ。

 

2022年現在から見ると、僕が訪問してから"ひと昔前"と言ってもいいくらいに時間が流れたかもしれない。

しかし、たぶんこのスポットは時間が流れようとも変わらず、あなたの訪問を待っている。

 

島国日本。

どれだけ海から逃げられるのか。

その答えを一緒に見に行こうぜ。

 

 

時間もないし装備も無いけど

 

長野県佐久市

あなたがこのあたりをドライブなりツーリングなりしたことがあるなら、この看板を見たことがあるかもしれない。

 

 

日本で海から一番遠い地点を示す看板である。

佐久市のところどころで見たことがある。

これは県道93号線に設置されているものだ。

 

ちなみに、この看板には「日本でから1番遠い地点」と書いてある。

ただしネタバラシになっちゃうけど、現地に立つ碑には「日本で海岸線から番遠い地点」と書いてある。

だから当ブログではスポット名を後者にそろえる。

 

どうやら日本で海から一番遠い地点まではここから10㎞だそうだ。

時速60㎞で向かうのであれば、10分の距離である。

 

楽勝だって思うだろ。実はそうではない。

僕は2022年もこの近辺を訪れており、「訪問してやろうかな」という思いが脳の片隅をかすめた。

しかし行かなかったのだ。

なぜなら「もうあんなツラい思いをしたくないから」だ。

 

海からひたすら逃げるために1

時は遡り、日本3周目の僕である。

巨大なタイヤを履いた日産サファリをうならせ、僕は山間部を目指していた。

 

道、狭い。対向車来たら擦れ違い怖い。

…だが、対向車全然いなかった。

いなかったらいなかったで不安になる。どんだけ僻地なのだよ。

 

 

精神が不安になる写真を1枚、Googlemapのストリートビューから引用する。

手元には僕自身が撮影した写真は潤沢には無いのだ。すまない。

 

この荒れた狭路に入っていく。

ちょっと恐怖である。

まぁでもすぐに駐車スペースが出てくるので、安心めされよ。

 

一昔前はね、ここに「保養センター湖月荘」っていう建物の廃墟があったんだ。

そこのかつての駐車場に車を止めさせてもらうことができた。

今は、上のストリートビューを少し進んだ林道の傍らに停めるような感じだと思う。

 

 

あそこに見えている、林道をふさぐ遮断機を乗り越えてひたすら奥へと歩いていくのだ。

 

登山路入り口の注意書きを見ると、『2時間~2時間半』と書いてあった。

マジかよ。

今の時刻は16:20。日の長い季節ではあるが、もう夕方である。山間部の夕暮れはなおさら早い。

 

これ、往復だよね?往復で『2時間~2時間半』だよね?

まさか片道じゃないよね?片道だったら確実に遭難するよ。

 

ただ、往復であってもこれはかなりキケンな時間である。

 

 

…でも急いでいけばなんとかなるかな。走れるところは走ればいいかな。

標準タイムの倍速で行こう。

 

しかし、手軽に持ち運べるカバンを持ってきていなかった。

いろんなスポットを巡る旅の行程におけるスポットの1つがここであり、長時間歩くことを想定した準備をしていなかったのだ。イタタ…。

 

しょうがないのでペットボトルだけ持っていこうとしたけど、最悪なことに残り2口分しか残っていない。

でもないよりかマシか。

 

あと、関係ないけどかなり眠い。

時間的にも所持品的にも何かあったら遭難必死だが、とにかく手ぶらにペットボトルで
登ることにした。

 

海からひたすら逃げるために2

※ 2022年現在の僕から見たら、わりとアホすぎる。あなたが行くのであれば、最低限キチンとハイキングができる装備をしてほしい。

 

 

道のりはワイルドだ

 

ここから日本で海から一番遠い地点までは2.2kmである。

しばらくは未舗装路が続いている。

今も林業の人とかが使ったりしているのだろう。名前は「滝ヶ沢林道」というそうだ。

 

ワイルド登山1

ゆるい登り坂ではあるが、ご覧の通り元車道なので道幅も充分だし、階段などもない。

かなり歩きやすい部類と言えるだろう。

 

僕はここぞとばかりにダッシュした。

春の夕方の山間部であり、ちょっと冷え込んでくる時間であったが、こうやって体を動かしていると気持ちが良かった。

 

でも、ときどきチラチラと木立から見える太陽が、次第に傾いてきて不安になった。

 

ワイルド登山2

1.2㎞、ほとんど問題もなく林道を辿っていた。

20分経過した時点で、残り1kmの地点まで来た。

ここで気に巻き付けられたポスターが現れた。

 

<注意!>

海から一番遠い地点までの道は、終盤の約1kmが、沢筋をたどる道のりとなります。
「スニーカー履き等の軽装備でのトライ」はご遠慮ください。

 

あと、クマ出るってさ。

僕はスニーカーである。軽装備どころかほとんどペットボトル1本持っただけの、ほぼ手ぶらである。

こういうことは最初に書いておいてほしかったな…。

 

ワイルド登山3

この残り1㎞地点で林道を反れて沢沿いの道となるのだ。

当たり前だが、林道を反れた瞬間に道は激変する。

 

傾斜も激しくなり、酸素が足りねーわ、ふくらはぎパンパンになるわ…。

でも、登山だと思えばこんな道は普通すぎる。

登山はそれなりに慣れているのだ。ザク


ザク進むぞ。時間がない。

 

丸太で出来た小さな橋で沢を跨いだり、横に流れる渓流を眺めたり…。

 

ワイルド登山4

数分進むと、道すらほとんどなくなった。

 

こっちであってるの?

この道、現役なの?

グッチャグチャなんですけど??

 

とりあえず登るか。

すんごいガレていて、足元おぼつかないけどな。

 

…って感じで沢に沿って登っているんだけど、沢を道と勘違いしていないよね、僕?

土砂崩れがあったあとみたいに木々が散乱しているし、倒木をくぐったりしてるし、沢に足は突っ込むし、沢の周辺の土壌はゆるくて崩れるし。

てんやわんやだ。

 

 

残り400mくらいのところに自転車が停めてあった。

は?なんで?

 

さらに進むと前方から降りてくる人が。

ビックリした。自分以外に人がいるとは思わなかったよ。

 

このお兄さん、さっきの自転車の持ち主で、あそこまで沢沿いを自転車かついで登って来たんだって。

ヒャー、凄すぎる!!何やってるんだ、アンタ!!

 

残りの距離を聞いた。あと10分だって。

「頑張って!」と励まされた。

うん、ありがとう。

 

 

海から最も遠い場所に立つ

 

到着した。

歩行開始からおよそ30分後のことであった。

たぶんここまでの標準的なタイムは1時間~1時間半くらいだろう。

僕はかなり早い部類かもしれない。

 

日本で海岸線から一番遠い地点1

 

「日本で海岸線から一番遠い地点」。

 

 

これを見たかった。これだけのために、ここまで来た。

逆に言うと、現地はこれ以外は全く何もない。少なくとも僕の訪問当時は。

トイレもない、ベンチもない、景色も歩行開始からここまで全然開けない。

本当に、ストイックにこの碑を見に来るだけの強行軍だったのだ。

 

日本で海岸線から一番遠い地点2

ここで、僕がちゃんと写真に撮っていなくてかなり後悔している、碑の後ろの看板についてご説明したい。

実は冒頭部分は以下のように書かれている。

 

日本で海岸線から一番遠い地点
1996年9月国土地理院の関氏等によって計算発見されたもので、地理的に「日本のへそ」とも言える地点です。

ちなみに北海道の場合は石狩山地内で、108.2kmであったそうです。

 

日本のへそ!つまり日本の中心

ここは数ある日本の中心の1つなのだ!!

それを目当てにここにやってきた!!

 

何言っているんだかわからない方も多いと思うので、リンクを貼ろう。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたいのだが、実は日本の中心というのは日本各地に無数にあるのだ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。

そんな野望が空回りし、ロクでもない装備でこんなところまでやってきたのだ。アホでしょ。

 

しかし日本で海岸線から一番遠い地点を踏むことが出来て感無量だ。

ちょっとここで、改めて"日本で海岸線から一番遠い"の定義をご説明しよう。

 

 

 

随分細かく測ったものだな。

そして、うまいこと114㎞台に収まったものだな。

 

このスポットは、看板に書かれていた通り1996年に「海から一番遠い」と判明した。

なぜ判明に至ったのか。

 

茨城県つくば市の、国土地理院併設の「地図と測量の科学館」では、毎年夏に「なんでも相談コーナー」という、測量に関する質問イベントを行っている。

1996年、筑波大学の学生が「海から最も遠い地点はどこですか?」と質問したのだ。

国土地理院の「関さん」はこの質問に回答するため、あれやこれやと計算をし、このスポットであると判明したわけだ。

 

日本で海岸線から一番遠い地点3

なお、日本で海岸線から二番目に遠い地点は、北海道の石狩山地内で108.2kmだそうだ。

 

危なかった。まだ長野県の、しかも歩行距離が短い地点で良かった。

北海道の山奥だとか、信州の日本アルプスの深部であったら、遊歩道の整備も実際のアプローチも、今回と比べ物にならないくらいに困難であったろう…。

 

ペットボトルに残った最後の1口を飲み干すと、安堵の息を吐いた。

 

 

西日の中、ダッシュで下山

 

到着してミッション終了ではない。

もちろん、無事に戻ってこその完遂だ。とりあえずは車まで戻る。

そこまで戻れば安全が確保できたと言っても良いだろう。

 

ここからは完全に余談ではあるが、帰りもかなりのスピードで戻った。

序盤の沢沿いの道は、急な下り坂でズルズル滑り、駆け下りることが出来なかった。

とりあえず木々に擦って腕とか傷だらけになった。痛い。


しかも沢づたいで道がほとんど無いから、一瞬ネガティブになった。

「沢を下りすぎていない?どっか途中で普通の山道に出るところがあったんじゃない?」と、そんなことを考えて、かなり不安な気持ちになったのだ。

ホント山中に1人で心細い。

西日がさらに傾いてきたから、なおさら心細い。

 

でもルートは間違っておらず、20分ちょいで湖月荘跡の駐車場に戻れた。

ダッシュで往復プラス現地撮影込みで1時間だ。

マジ疲れた。

 

あさしな温泉

よーし、風呂だ風呂!

 

車で来た道を延々戻って佐久市の市街地に入り、「あさしな温泉_穂の香乃湯」というところで汗を流した。

まだ日は沈み切っておらず、明るいうちからの温泉は達成感も手伝って最高だった。

 

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日本で海岸線から一番遠い地点。

一部マニア以外にとっては、時間とスタミナを浪費するだけのスポット。

わざわざ現地に立つ意味もわからないようなスポット。

 

僕ももう二度と行かないつもりではあるが、現地を訪問した記憶と記録は貴重な思い出であり、Webや地図でこの情報を見るたびに「僕はここに立ったことがあるんだぜ、ふふん」って思ったりするのだ。

それだけ、ここに立てたことは貴重な思い出である。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 日本で海岸線から一番遠い地点
  • 住所: 長野県佐久市田口字榊山209-1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 「保養センター湖月荘」跡を使用(そこから徒歩で往復2時間~2時間半)
  • 時間: 特になし