東京「日本橋」。
僕ごときが語るのもおこがましいほどに、日本のセンター of センターだ。
歩いて行ける範囲に皇居もあるし、東京駅もあるし、日本の中枢を担う各機関もあるし、日本の代表的なデパートの総本山もある。
「日本の中心ってどこ?」って聞かれたときに、誰もを納得させる最適なキラーワード、それが「東京」ではなかろうか。
残念ながら、僕はこれらを多く語れるほどの人間ではない。
大手町で働くやり手の商社マンでもないし、銀座マダムも身内にいない。ドライブは好きだが、ドライブしやすいスポットかといえばそうではない。
それでも今回僕が日本橋に触れる理由とは。
日本の道路の起点が日本橋であるからだ。
日本の各地を走り回る身として、その原点に当たる場所は知っておかねばならない。
道路あってのドライブなのだから。
空を奪われた橋、日本橋
東京の中枢、日本橋へ
日本橋にやってきた。
ただただ、日本の道路の起点を見るだけのためにやってきた。
…という経験が実は2回あるので、今回の記事はその2回分の写真をマージして執筆している。
なんだか日の丸の多い写真だが、なぜかというと正月早々の訪問だったからだ。
そんなおめでたい日に、僕は1人東京都心に繰り出している。
さすがにこの日本で一番土地の値段が高く、かつ正月の喧騒の中でコインパーキングを気軽には発見できないだろうと思い、少し離れたところに愛車を停めて歩いてきたところだ。
写真上部の看板を見てほしい。
その文字が日の丸に祝福されて、心なしか誇らしげに見える。
車がバンバン通っている道が、一般道の国道部分である。
そして頭上を通っているのが首都高である。
首都高の高架に「日本橋」とパワフルな字体で書かれている。
こう書かれると、まるでこの首都高の高架が日本橋であるかのように思われるが、実はそうではない。
日本橋とは、首都高の下のこの部分なのである。
悲しいかな、首都高に完全に潰されてしまっている。
上にWikipediaさんへのリンクを貼らせていただいた。
埋め込み画像に、「歌川広重」の東海道五十三次のスタート地点である、日本橋の絵が載っている。
栄えある、東海道のスタート地点を描いた絵だ。
太鼓橋であり、当たり前だが首都高なんて1ミリもない時代なので、空が広く描かれている。
日本橋は1603年の江戸時代スタートとほぼ同時期に架けられ、何度か架け替えられつつも400年間、東京の中枢の交通の要所となっている。
現在のものは1911年に架けられたそうだ。
このまま橋を渡っても、橋であることにはなかなか気付かない。
車に乗っているとなおさら気付かない。
ちょっと角度を変えて見てみると良い。
これが日本橋だ。
ちょっと大正レトロチック(造られたのは明治時代だが)でオシャレな、石造りの2連アーチ橋。
長さは49mと小ぶりではあるが、我が国を象徴する橋だ。
ルネッサンス式のデザインで、国の重要文化財にも登録されている、非常に歴史的価値の高い建造物である。
ちなみに上の写真は、なるべく首都高が写らないように撮った。
まぁそんなことは不可能なんだけど、橋自体に神経を集中すれば、頭上の首都高はあまり気にならなくなる画角だと思う。
首都高を見上げるように撮影すると、こうなる。
せっかくの青空が全然見えねぇ。切ねぇ。
まだ子供だった頃だが、社会の授業かなんかで歴史ある日本橋の上に首都高を作ったという逸話を聞いたときは、「なんで?バカなの?」って思った。
でも、当時の日本のことを考えると、やむを得なかったのかな?
日本橋の空が無くなったのは、1963年のことだ。
前回の東京オリンピックのために、日本は道路網を整備しようと一生懸命であった。
首都高を作りたいのだが、でももう道路を通す場所がない。
しょうがないので、下を流れる「日本橋川」にピッチリとルートを合わせて首都高を造ったのだ。
(その前に首都高を川の上に通すことが確定していたという説もある)
今だったら「景観を…」とか「環境を…」みたいなことが叫ばれるかもしれないが、当時の日本はとにかく経済大国としての躍進の真っただ中であり、副作用はさておき…といった状況だったのかな?
それに、「じゃあそれに代わる首都高建設場所を提示してくれ。そんで東京オリンピックに間に合わせられるよう造ってくれ」みたいになっても、代替案の無い状態だったのだろうな。
じっくり見れば味わい深い橋
周囲の人たちはほとんど足を止めることなく忙しそうに歩いている。さすが都会。
しかしせっかく来たのだから、僕はもうちょっと詳しく日本橋を眺めてみよう。
まずは日本橋、装飾がとてもゴージャスである。
橋の4隅、プラス橋の真ん中の4箇所に、”花形ランプ付方錘柱”っていう街灯がある。
青銅製のかっこいい造形だ。
どうしても首都高の圧迫感に気を取られてしまうが、もし首都高がなく、静かな夜にこの街灯にポワンと灯がともっていたら、それはとってもステキなのだと思う。
ってゆーか、マジにギリギリで首都高作っているな。
首都高の上りと下りの境目に、うまく街灯を通している。
首都高の壁面があるから高速を走っている車からは見えないだろうが、手を伸ばせば触れられそうなところに街灯があるのだ。
なんかWebでさ、絶対立ち退きをしない家があるので、もうイヤミ全開でギリッギリに道路を通したりする外国の写真の特集を見たことがある。
それを彷彿とさせた。
これは首都高と日本橋との共存ではない。
イヤミを感じさせる造りだ。
ただ、それももしかしたら見方によってはエモいのかもしれない。
街灯の足元には麒麟像がある。
バチクソにかっこいい。
僕は未だに中二病だからな、麒麟という単語自体にもうかっこ良さを感じてしまうからな。
キリンビールの麒麟とはちょっとデザインが違うが、これは当時参考となる書物が少なかったので、想像の中でいろんな動物をブレンドしたからなのだそうだ。
普通麒麟には翼はないけど、これは「日本の道路の起点、日本橋から全国に飛び立つぞー!」といメッセージを込めて翼をつけたという、オリジナルデザイン。
あと、やたらとピシッと立っているのは、もともとスペースが狭かったのでどうしても縦長に作らざるを得ず、苦労してデザインした結果だ。
いろんな思いが、この麒麟に詰まっている。
…みんな普通に素通りしていくけど。
日本橋川と、その上を通る首都高だ。
なんだこれ。もうこれ、全天候型のクルーズ出来ちゃうじゃないか。
仮に首都高がさらに20mくらい上空を走っていたらここまでの圧迫感はなかっただろうけど、昔も今もそれを言うのはムチャな話。
よって、こんなモグラのような気分の空間ができたのだな。
こうしてみると、いかに日本橋の頭上スレスレを首都高が走っているのかわかる。
新と旧の道路の融合。
手放しに「美しい」とは言い難い絵ではあるが、どこかにディストピア的な魅力を感じてしまうのも事実だ。
これはこれで、真の東京の姿なのだろうと、かつてを知らない僕は思う。
日本の道路の起点、日本国道路元標
はい、遅くなったが僕が日本橋に来た本題だ!
冒頭に書いたが、ここが日本の道路の起点だからだ!
つまりはここ、日本の中心の1つなのだ!!
…とか言うと、「日本の中心って他にも名乗っているところがあった気がする。」とか、「なんだよ日本の中心の1つって。いくつもあるのかよ。」とか思われるであろう。
うん、それらは事実だ。
実は日本の中心って、いっぱいあるのだ。ぶっちゃけ30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状なのだ。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。
そのアホな僕が、アホな夢を叶えるために日本橋に来たってわけだ。
日本橋の北側のたもとに、「日本国道路元標広場」というスペースがある。
すごく狭い。
「広場って名前だけど全然広くないじゃないか」と思われるかもしれないが、まぁまぁそこは東京の土地だから…とおおらかな目で見てほしい。
ここで特筆すべきものは2点だ。
1つは目玉、「日本国道路元標」(のレプリカ)である。
レプリカなのだ。
実は本物は日本橋のド真ん中にあるのだが、ギャンギャン車が通っていて歩道も無くって、死と隣り合わせのデンジャラスゾーンなので、ここにレプリカを造ってあるのだ。
それがこれである。
右回りに文字を読むのではなく、「おい、そこで改行するんかい」みたいなデザインだが、かっこいいよね。
これを記念コインみたいにしてくれるなら、お守りとしてお財布に入れておきたいような一品だ。
これを書いたのは当時の総理大臣「佐藤栄作さん」だそうだ。
1604年。つまり江戸時代が始まった直後であり、日本橋が架けられた翌年のこと。
幕府は「ここを五街道の起点にしようぜ」って言ったのだ。
江戸のここを中心に、道路が放射状に広がる。
その後、現在においてもここは様々な国道の起点となっている。
国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号…。
日本橋は、体の各所に血液を送り出す心臓のような存在なのかもしれない。
特筆ポイントの2点目は、その日本国道路元標のレプリカの上に建つ「東京市道路元標」である。
日本橋の街灯と同じデザインの柱に、その名が刻まれている。
これはどうやら範囲を東京に絞ったシンボルらしい。
そして江戸ではなく「東京」という名前になっている点にも着目だね。
明治時代に定められた「東京市ニ於ケル道路元標ノ位置ハ日本橋ノ中央トス」という条文が元になっているとのことだ。
*-*-*-*-*-*-*-
全国を自由に走っていたつもりであった。
車の魅力は、電車とは違って自分の意思のままにどこにでも行けることだと思っていた。
確かに間違いではないだろう。
でも、そのタイヤの下にはいつだって道路があった。
その道路は、僕らの遥か先輩たちが生活する上で長年かけて生み出してきたもの。
あるいは日本を発展させるためにいろいろ考えて敷かれた街道から、毛細血管のように分岐して設置されてきたもの。
…さらには、その建設に携わってきた多くの技術者さんや工事業者さんによるもの。
1人で旅しているからと言って、それは1人でなんでもできているということではない。
多くの人の恩恵を受けて旅をさせていただいているにすぎない。
日本橋は空の無い残念なデザインという意見もあるだろうが、一生懸命道路を作ってくれた人たちの、その歴史の1ページだと思って大事にしたい。
そして、僕は日本中を旅する者の1人として、この言葉を胸に刻む。
「此橋江戸の中央にして諸国よりの行程もここより定められるゝ故、日本橋の名あり」
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報