「ダンボルギーニ」。
何それ?…って思われる方も多いかもしれないが、ダンボールで作られたランボルギーニである。
女川町の「シーパルピア女川」に展示されている。
昨年である2021年にここは「道の駅 おながわ」になったので、今後はそっちの名称の方がポピュラーになるかもしれないな。
このダンボルギーニの展示、2022年の11月3日に終了するらしい。
10月21日に発表されたから、とんでもなく突然のニュースだ。
今回初めて存在を知り、見てみたい方もいるだろう。
今まで何度も見てきたが、最後にお別れを言いたい方もいるだろう。
…ってことで、あなたの最後の週末の訪問に間に合うよう、今回の記事をお届けする。
復興のシンボル、シーパルピア女川
ダンボルギーニの生息している、シーパルピア女川についてまずは語ろう。
宮城県の女川町。
もうひと昔の話かもしれないが、2011年の東日本大震災で甚大な被害を被った町である。
僕は震災からそんなに経過していない、まだボロボロの状態の女川の町も知っている。
だけども今回は「僕がダンボルギーニに出会った話」なので、そこいらの詳細は割愛する。
僕が初めてダンボルギーニを見たのは、2017年の年明けすぐのことだった。
その2017年の女川の写真が上だ。
震災直後を知っている身からすると、2017年時点でもずいぶん綺麗になったが、以前町があったところが盛り土の大地となっている。
未来への道を歩み始めているとはいえ、2022年現在から振り返るとまだまだ殺風景であった。
現地のパネルの写真だ。
東日本大震災前の女川の町。湾に沿って町が栄えていた。
この湾に勢いをつけた津波が押し寄せ、町は壊滅したのだ。
当時、実家で被災した女川の写真が掲載された新聞を読んだ。
今後日本はどうなっちゃうんだろうと思った。
そんなところから、女川は一歩一歩復興への道を歩み出した。
シーパルピア女川がOPENしたのは、2015年の12月。
僕の初訪問のおよそ1年前であった。
どうだい、オシャレな港町って感じであろう。
メインストリートの両側には、女川ならではの海鮮の店・雑貨屋・カフェなどの商業施設が立ち並ぶ。
決して大規模な施設ではないが、この一帯はキラキラと輝いていた。
セレブの住むマンションの中庭のような雰囲気でもある。
でも、OPEN直後は冒頭の写真のようにまだ周囲は盛り土工事中で、そこいらを土砂を運ぶトラックが通行し、ショベルカーが唸っていた。
そんな中でシーパルピアは産声を上げたのだ。
そうそう、日本5周目の愛車はHUMMER_H3っていう車だったんだけどさ。
その最後のドライブはここにも立ち寄ったんだよ。
まさに下取りの日、当日にね。
そしてシーパルピア内の「レストラン りぼん」でランチしたよな。
珍しいジビエ系のカフェ。
今となっては懐かしい思い出である。
このメインストリートの丘側の終点にあるのが、女川駅だ。
駅舎内には温泉施設もある。
ただ、駅舎内にはホームがない。線路もない。電車も来ない。
ホームは駅舎の裏側に少し歩いたところにあるのだ。なんだそりゃ、ウケる。
…とまぁ、これがシーパルピア女川のバックボーンだ。
ここは女川の震災復興のシンボルとして、かなり初期の段階で気合を入れて造られた施設なのだ。
では次章、本題と行きますか。
本物そっくり、ダンボルギーニ!
シーパルピア女川の一角に、ダンボルギーニを展示している施設がある。
ここだ。「コンポーズファクトリー」。
もうガラスのドアの向こうにダンボルギーニ見えているよね。
ネタバラシになっちゃっているけど、まぁいいや。
このピンクでイケてるおやじさんが、ダンボルギーニを造った「今野梱包株式会社」の今野社長だ。
ダンボールを作る会社であり、これまたダンボール製の社長だが、たぶん本物はちゃんとした生身の人間だと思う。
今野梱包株式会社はお隣石巻市に会社があるんだってさ。
てゆーか、「ダンボルギーニあります」って、どういうキャッチフレーズだよ。
いや、ちゃんとハートをキャッチされたけどさ…。
中に入った。
内部のほとんどを占めるようにダンボルギーニが置かれている。
シビれるな、これ。
ちなみに撮影自由だ。
スタッフさんが常に監視しているのでビビるかもしれないが、「写真撮っていいですか?」と聞けば笑顔でOKしてくれるであろう。
本物を買えば数千万、それも奥に近い方の数千万円…だよね?
それの実物大を忠実にダンボールで再現しているのだ。
本物は見たことないが、ダンボールでもその貫禄はすごい。
ライト部分はさすがにプラスチックだが、そことサイドミラー以外は基本的に全部ダンボールだ。
どういう脳みそで設計図を造れば、こんなものができあがるのだよ…。
すごすぎる。
なので僕は2017年以来、ここを6回ほどは訪問したよ。好き。
後ろから見てもすんごいかっこいい。
ナンバープレートの「MO・NO」は「物」を示し、「3056」はオフィスの電話番号だそうだ。
ランボルギーニのエンブレムは猛牛だが、ダンボルギーニのエンブレムは乳牛だ。
どっちもデザインはイカつい。
閉館すると、外にいた社長のパネルも屋内にしまわれる。
上の写真はダンボルギーニのすぐ隣にいてイイ感じだ。
「僕が作りました!」って感じだ。
ちなみに社長パネル、ダンボルギーニの後ろ側にしまわれることもある。
…どうでもいいプチ情報、失礼しました。
あとね、フロントガラスに貼り紙があるのにお気付きだろうか。
紙製品なので触らないように、という旨が書かれている。
僕が最初に見に行く前にニュースになってしまったのだが、強めに触ってしまった人がいたそうで、ヘコみや歪みが出ると直せないのだそうだ。
だからこそ、常にスタッフさんがいる状態で展示しているのだね。
唯一無二のダンボルギーニ、大事にせねば。
ところで、今野社長はなんでランボルギーニをダンボールで作ろうと思ったのだろうか。
かつてWebニュースで見た記憶によれば、これも東日本大震災が契機となったという。
復興が進む石巻市や女川町であったが、外の世界に夢や希望を求めて、どんどん若者が離れていった。
それは町に残る人にとっては寂しいこと。
夢はここにもある。それを示すため、大好きな夢をかたちにしよう。
そう考えて生み出されたのが、ダンボルギーニだ。
最初は16分の1サイズ。
次に2分の1サイズ…。
うまく曲げられなかったり厚みの計算が間違っていたりして、何度も試行錯誤したそうだ。
その結果、2015年の11月にダンボルギーニが誕生する。
翌月の12月には、本物のランボルギーニとのコラボイベントもあったんだよ。
僕がダンボルギーニの存在を知ったのは、そのときだったなぁ。
町の復興と、町の活性化。
そんな夢を叶えるため、ダンボルギーニは生まれたのだね。
ダンボールの魔術師、今野梱包
ダンボルギーニ以外の展示物等を少しご紹介しよう。
コンポーズファクトリーに、ダンボルギーニと共に展示されている作品。
『「オトナの事情」により、これはダンボールロボヘルメットです…』って書かれている。
うん、確かにこれはダンボールロボだ。
決して有名なロボットアニメのアイツになんて見えない。
あと、ダンボール工作キットもいろいろ売られていた。
カブトムシだとかピストルだとかをダンボールで組み立てられるのだ。
小学生の頃の僕なら間違いなくワクワクしたし、今もそれなりにワクワクする。
デカ。
これもシーパルピア女川内の施設「まちなか交流館」で見かけた。
2017年初夏のみの限定展示であった。
「スターウォーズ」に出てくる「AT-ACT カーゴ・ウォーカー」というロボらしい。
僕はスターウォーズはほぼ見たことないのでわからんが。
高さは5mもあり、今野梱包の歴代作品の中でも最大なのだそうだ。
スターウォーズファンにとっては貴重なものだと思うので、興味あったら上の説明板の写真を拡大してほしい。
これは2021年に石巻市で開催された「アニメージュとジブリ展」の会場で見かけた。
目と足の造形がすんごいのな。
「石巻げんき市場」では、ダンボルギーニのノートを見かけた。
さすがにこれはダンボール製ではないぜ。ちゃんとしたノートだ。
裏にはダンボルギーニのスペックも書かれている。
最高時速は3kmだ。
遅い。でも走るのかよ。どうやって走るんだよ。
ちなみにノートのページ数は16ページしかなかった。
少ない…。
もうちょっとページ数を増やしたほうがいいのではなかろうか。コストかかるのは表紙のほうでしょ?
でも、実用ではなくノベライズ的な意味合いが強いのだろうな。
さよなら、ダンボルギーニ
2022年10月21日のニュースを見て僕は驚いた。
このダンボルギーニの展示が終了するというのだ。
終了日は11月3日。
急だ、急すぎる。
だが、これはあくまで前向きな撤退であると今野社長は語ったらしい。
7年間展示して、もう充分にやりきったと。
いつまでも展示していてもいつか廃れてしまうので、その前に撤退したいと。
女川も次のフェーズに入れるよう、いったんこれでおしまい。
今野梱包もさらに新しいコンテンツを造れるようにがんばる、とのことだ。
おぉ、スゲーかっこいいセリフ。
ダンボルギーニはここからいなくなってしまう。
だけれども、いつだって僕らの記憶の中を走っている。
そしてこんな素晴らしい意思を人々が持ち続け、この思い出を大事にしていければ、きっと女川の未来は明るい。
最後に、シーパルピア女川から海側に少し歩いたところにある、震災の津波に飲まれた派出所に掲示してあったパネルをご紹介する。
女川は 流されたのではない
新しい女川に 生まれ変わるんだ
人々は負けず待ち続ける
新しい女川に住む 喜びを 感じるために
震災当時、小学5年生だった子が書いた詩だ。
…子供がこんなこと言えるんだもん。
大人の僕らが、その子たちの前に立って明るい未来を見せなきゃだよね。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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