週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.220【青森県】最初から最後まで宿主、大暴れ!「とびない旅館」の脅威の接客を受ける!

予約電話のときから、なんか変だった。

 

僕:「○月○日、1泊2食で」

飛内さん:「いいよ。ところで夜、何が出てもいいよね?

僕:「あー…、フルーツ苦手なんでそこだけ調整してもらいたいのですが…。」

飛内さん:「そうじゃない。オバケとか出てもいいよね、ってこと。」

僕:「オバケ。」

飛内さん:「オバケ。」

 

 

Twitterで開催したブログ執筆希望の宿アンケートで、手に汗握るデッドヒートの末、「とびない旅館」が1位となった。

そうかそうか、みんな無邪気な60歳児、「飛内さん」のワンパクっぷりを知りたいか、そうかそうか。

 

しかし、僕の文章能力でどこまであの宿の酔狂っぷりをお伝えできるだろうか?

とびない旅館の営業妨害になってしまわないだろうか?

 

最初に言っておくと、最高だった。

死ぬほどクタクタになり、ワケわかんなかったが、一生忘れられない体験が次々と襲い掛かってきた1泊2日だった。

 

それをご理解いただけるよう、頑張って語る。

では、日本6周目序盤のあの旅を、みんなで追体験しようぜ。

 

 

【1】その男、クセがあり過ぎる

 

青森県むつ市

霊場「恐山」で有名な町。

 

夕方の17:00、フロントガラスの向こうにとびない旅館が映り込んだ。

「いよいよ来てしまったな」と、僕はツバをゴクリと飲み込んだ。

 

いざ、最狂の旅館へ1

あなたであれば、旅館は体を休めるために使うだろう。

チェックインしたら「ふぅ、一息付けるぞ」って思うだろう。

 

違うんだ。

このとびない旅館の場合は違うんだ。

ここからが本番だ。ここからスタミナをギュンギュン吸い取られるんだ。

だから直前までこのすぐ近くのカフェでしっかり英気を養っておいた。

 

いざ、最狂の旅館へ2

相当に年季の入った大きな旅館だ。

これを1人で切り盛りしているのが、宿主の飛内さんだ。

 

「スゲー!こんな旅館に泊まる客全員を1人で対応できるのか!?」って思うかもしれないけど、宿泊客は連日ほぼゼロとのことだ。

毎年7月下旬の恐山大祭を除けば、宿泊客はとびない旅館に興味を示した物好きな客しかいないと聞いている。

あと、宿の大半は飛内さんの趣味の物品で埋まっているので、実際に宿泊用に稼働しているスペースは一部のみだと聞いている。

 

…この辺はおいおい話そう。

 

いざ、最狂の旅館へ3

旅館の建物の隣に車を停めた。

 

過去に読んだブログによると、この瞬間に飛内さんが大喜びの猛ダッシュで突撃してきて、もうその瞬間から怒涛のトークが繰り広げられるという。

 

しかし、僕の場合はそうじゃなかった。

飛内さん、飛び出してこない。

まぁいい。「客の車が駐車場に入って来ても宿主は飛び出して来ない」って、それ普通のことだから。

 

いざ、最狂の旅館へ4

玄関のカギはかかってなかった。

サッシをガラリと開けて、旅館内に入る。

 

視線を感じて左を向いたら、「ゲゲゲの鬼太郎」の生首がいた。

あと、人間サイズのロボットがいたりした。既に妖しさMAX。でも人間はいない。

 

「すみませーん」・「予約していたYAMAでーす」・「おーいおーい」。

僕の声は旅館内に虚しく響き渡った。

おっかしいな、17時に行くって事前に伝えておいたのに。

 

…って思っていたら、玄関のサッシの外側に気配を感じた。

 

 

 

 

いや、わからんし。

てゆーか、サッシ開けなよ。自分の家だろ。

 

「飛内さんね、ちょっと買い物に行っていたの」と言っていた。

確かにスーパーのレジ袋を持っていた。野菜が入っていた。

ちなみに飛内さんの一人称は「飛内さん」なのだ。不思議系女子のようだ。

 

こうして入ってきた飛内さんは、いきなり僕に「君はホビー系?それともスポーツ系?」みたいなことを聞いてきた。

両極端な質問であり僕はどっちでもないのだが、これは金の斧・銀の斧クラスの重要な2択だと思う。

脊髄反射で「ホビー系」と答えると、飛内さんは「僕もです!友達!!今日は楽しくなりそうですね!そう思いませんか!!?」とすごくハイテンションで返してくれた。

 

そっち方面には全然疎いので一抹の不安を感じたが、飛内さんは「ではお部屋を案内しますので2階へどうぞー!!」とニッコニコだ。

 

いざ、最狂の旅館へ5

旅館内、すごく広ーい。20部屋あるという。

 

ただし、前述の通り宿泊客が来るケースは少ない。

あとで説明するが、予約の電話のときに普通の客は断られてしまうのだ。

「飛内さんと過ごしても耐えられる」と判断した者のみが、晴れて宿泊できる。

 

あと、飛内さんによるマンツーマン接客が基本なので、20部屋もあるのに1組しか泊まれないっていう事情もある。

ここに来たからには、飛内さんから逃げられないぜ。

 

いざ、最狂の旅館へ6

部屋である。

布団が2つ敷いてあるのは、実は同行者がいたからだ。

しかし僕はこの部屋での記憶がほとんどない。その理由は、この記事を読んでいけばきっとご理解いただけると思う。

 

飛内さんは「YAMA君が希望していたのでね、座敷わらしの出現率が一番高い部屋を用意しておいたよ」と言う。

いや、希望していたっけ?オバケって言ってなかったっけ?

What is 座敷わらし。

 

 

実はこの旅館、座敷わらしが出ると言われているのだ。

そういう系では割と有名。

「全国の座敷わらしの出現する施設」みたいな本の1コーナーにも掲載されているのを、実際に見せてもらった。

 

あとはぶっちゃけ特に興味ないんだけど、最近の飛内さんまわりのニュースみたいなのを20分くらい聞かされた。

部屋の中で立ったまま。

 

あのー…、荷物とかとりあえず置いて整理したいのだが…。

 

 

【2】料理をしないシェフ・絶叫シェフ

 

「それでは、がんばって夕食の支度をしてきまーす!下に来ればお茶とかあるから、よかったら来てくださいねー!」と言いながら、飛内さんは1階に降りていった。

 

戦慄の調理1

さて、この部屋ではやることがない。

西日がとても暑い。

 

せっかくとびない旅館に来たのだから、1階の雰囲気を味わいながら夕食を待つのも良いだろう。

10分ほどで最低限の荷物の整理などを済ませ、1階の食堂へと降りた。

 

戦慄の調理2

いや、「食堂へと降りた」とか書いたけどさ、最初はここが食堂とは思わなかった。

待合室とか受付とか、そういう事務的なスペースだと思っていた。

だって、あまりに物が散乱しているんだもん。

 

まともにイスがあるのは4席分くらいだろうか?

僕がそこに座ると、その気配を感じたのか飛内さんがウッキウキな顔で厨房からやってきた。

 

「はい、お茶を出しておくねー」と言い、ペットボトルのお茶が登場。

「あとさ、飛内さんのTV出演したDVDがあるから、夕食待ちながら見ておいてよ」と、ポータブルプレイヤーを起動させる。

 

戦慄の調理3

僕はTVを見ないから詳細は知らないが、「久保みねヒャダ こじらせナイト」という番組に飛内さんがときどき出演しているということは知っている。

とりあえず見るか。

 

しかし再生すること数分、プレイヤーが「ボムッ」って感じでフリーズし、飛内さんの顔が中途半端な表情で止まった。

 

シンパシーを感じたのかなんなのか、超人的なタイミングで飛内さんが戻っていてなんかやんやで対処する。

 

戦慄の調理4

無事に映像が動き出すと、「でね、この番組のときにね…」・「このシーンはね…」と、飛内さんのマシンガン解説が始まる。

 

飛内さんはいつも怒濤の勢いでしゃべり、こちらが会話を挟む隙を一切与えない。

「飛内さん、ちゃんと息をしているのか?」っていう勢いでしゃべる。

「息は吐くのと吸うのを交互にした方がラクだぞ」と教えてあげたい。

 

僕は画面の中の飛内さんを眺め、そして目の前でしゃべり続けるの飛内さんを見る。

「同じ人だ」と思った。

それから「2人いると疲労がハンパないな」って思った。

 

戦慄の調理5

飛内さんの話は終わらない。

 

「これね、今作っているプラモデル。かっこいいでしょ。」と、テーブルのすぐ脇にある宇宙船を取り上げる。

「これはねこぜさん。子供に見せると喜ぶの。作り方教えてーとか。」と、青森好きのブロガーねこぜさんのキャラクターをいきなり紹介してくる。

ねこぜさんの話は度々急に出てくるので、カクゴしておいたほうがいい。

 

「このポスターの人わかる?この人と飛内さんのお父さんが知り合いでね…」

「飛内さんね、若い頃に自主製作映画を作ったの。それでね…。」

「遺産相続の揉め事は大変だよ。ホント大変。」

なにがなんだか、わからない。

とんでもない勢いで話が場面展開し、かろうじて「へぇー」・「そうですかー」の相槌くらいしかできない。

 

しかし飛内さんはお構いなしだ。

独特のなまりと抑揚の少なめのイントネーションで、とにかく休みなく話す。

 

そんで大体最後に「あー、もう人生嫌になったーー!!」と叫んで、話のちゃぶ台を引っくり返してエンドだ。

こっちはポカーンだ。

しかし目の前の飛内さんは出すもの出してスッキリした顔をしている。

なにこれ。

 

戦慄の調理6

気づけば飛内さんがテーブル越しに立ったままマシンガントークを始めて1時間半が経過していた。

あれ、この人は夕食を作るつもりじゃなかったんだっけ?

 

尋ねてみると飛内さんは「ハッ!」と大袈裟なリアクションで気付く。

「しまったー!わたくし、本気で料理させていただきます!!もう、お部屋で待っていてください!!」

 

なんか追い出された。

もともと飛内さんに1階に呼ばれたのに。

 

戦慄の調理7

しばらく2階の部屋にいると、下から「ギャーーー!!ハンバーグが焦げたー!!」という悲鳴が聞こえてきた。

気になる。

 

「あーッ!!もう7時10分だ!ギリギリだ、ひゃー!」という声も届いた。

そもそも夕食は19:00じゃなかったっけ?

ギリギリとは。


さらにしばらくすると、「うおー!ウホホホホーーー!!」みたいな愉快な声も聞こえてきた。

この広い旅館でここまで届く声。どういうことだ。お祭りですかな。

 

「ちょっとー!!YAMA君、ちょっとーー!!」と呼ばれた。

 

もう全然部屋でくつろいでいるどころではないではないか。今度は何が焦げた??

厨房に入るように言われたので、入った。

 

戦慄の調理8

予想に反して飛内さんはニコニコしていた。

「あのね、これ見て。僕ね、ご飯作るの早くなったの。」

 

"普段"を知らねーわ、予定時間をとっくにオーバーしているわ…。

開いた口がもっと開くわ。あご、外れるわ。

「もうちょいだから、お部屋で待っててくださいねー。」と言われ、再び戻る。

 

…30分くらい待っただろうか?

時刻は既に20時を回っている。

「ちょっとー!!YAMA君、ちょっとーー!!」って、また呼ばれた。

 

ようやく夕食完成かな。てゆーか、さっき自慢されてからかなり待ったな。

すると飛内さんは「これからいもすり餅を作ります!手伝ってください!」と言ってくる。

 

調理、まだ終わっていなかった。しかもヘルプを求められた。

予想の斜め上の展開だ。

「はい、ここで手を洗って、これで手を拭いて…」と指示通りに行い、準備OKだ。

 

戦慄の調理9

いもすり餅とは、もともと青森県むつ市の郷土料理であったが、ほぼ絶滅してしまったもの。飛内さんがお母さんのレシピを基に復活させたそうだ。

それを今から作る。

ちなみに実は僕、以前に調べて実際に作ったことある。

 

料理ブログではないので詳細は割愛するが、ザックリと以下の通りだ。

  1.  皮を剝いたジャガイモをすりおろす。
  2.  ふきんで力いっぱい絞る。出てきた汁は捨てずにボウルへ。
  3.  ボウルに溜まった汁が分離するまでしばらく待つ。デンプン質が沈殿したら、上澄みだけ捨てる。
  4.  「2」で絞ったすりおろしジャガイモを、「3」のデンプンボウルの中でコネコネ。
  5.  「4」を一口大の円形にする。
  6.  いい感じのダシを取った鍋に「5」を投入。他に鶏肉など入れて煮込む。

 

戦慄の調理10

ジャガイモは素早くすりおろさないと空気に触れて茶色くなってきてしまう。

飛内さんに「遅いよ」と言われた。

いやしかし、飛内さんの握力と腕力がすごすぎるのだ。僕には無理。

 

これらの写真は、ちゃんと飛内さんに許可を取って撮影させていただいた。

ひとしきり自分の担当調理を終えてからの撮影だったのだが、飛内さんに「なんだー、もっと早く言ってくれればいろいろ撮影してあげたのにー」と残念そうに言われた。

 

いやいやいやいや、ただでさえ夕食の時間がメッチャ遅れているのだぞ。

 

戦慄の調理11

こうして20:20、ようやく夕食タイムである。

 

 

【3】焦げハンバーグといもすり餅

 

飛内さんが「夕食を作ります!」と宣言してから実に3時間。

夕食が完成した。

 

夕食タイム1

トレーの上の皿の過半数にキュウリがあるのがチャームポイントだ。

メニューに普通にイカやホタテがあるのは、さすが青森県

その背後にDVD類とプラモデルが散らばっているのは、さすがとびない旅館。

 

夕食タイム2

序盤で飛内さんが叫んでいた、焦げたハンバーグだ。

なかなかに上質なダークマターである。

しかし大丈夫大丈夫、このくらいなら僕は食べられる。

 

夕食タイム3

合作のいもすり餅。

うむ、これは文句なしにうまい。

デンプン質の影響か、ジャガイモしか使っていないのにモッチモチなのよ。

簡単にできるから、ぜひあなたのご家庭でも試してみていただきたい。

 

夕食タイム4

そして目の前には飛内さんである。

飛内さんは宿運営の最低限の業務以外は、己の全てを投げ打って接客に従事するぞ。

食べている目の前でしゃべりまくっている。ネタは尽きない。

 

夕食タイム5

「すごいでしょ。それはね、イカの中にイカを詰めたの。」とか言ってくる。

 

サラッと自慢する系のネタは、これに続いて「頭カチカチの人だと思いつかないよね。この辺の人とかはだからダメなの。飛内さんみたいに柔軟じゃなきゃ。これをに売り込めばうんぬん。ほら、YAMA君もこういうネタを応用してこうすればうんぬん。飛内さんとお話できてよかったね。」みたいに妄想劇場がとめどなくドバドバと展開される。

大体このパターン。

 

夕食タイム6

40分くらいしたら、飛内さん疲れたのか座った。

でも口だけは元気だ。

 

飛内さんのネタは、大体はホビー系のネタ・政治のネタ・下北半島をディスり・地域の人との折り合いがつかない話などだ。

これらがガショガショ入れ替わりながらやってくる。

早口なので全部は理解できない。

 

やはり最後は「ウフフ、すごいでしょ。「もおぉーー!やんなっちゃう!!」で終わる。

 

そんなこんなで1時間40分が過ぎた。

とっくに食事の皿は空だが、飛内さんのパフォーマンスが終わらなかったのだ。

 

 

【4】100畳の宴会場は趣味に埋まる

 

食事タイム(トークショーとも言う)が終わったのは、22:00だ。

普通の旅館であれば、さすがに解放されるであろう。

ぶっちゃけ、僕は疲労困憊だ。飛内さんからインプットされる情報量が多すぎるのだ。

 

しかし、まだ終わらないぞ。

 

「では、これから宴会場を紹介しますね。どうぞー!着いてきてー!」と、飛内さんは無邪気に僕を先導する。

 

宴会場1

 

なんてこった。

 

 

100畳ある大広間がオモチャで埋まっている。

その昔、この旅館がにぎわっていた頃はここは宴会場であったし、披露宴会場になったこともあるという。

それが、なんということでしょう。

人間が宴会しているのではなく、オモチャが宴会しているわ。

 

宴会場2

飛内さんのテンションはここに来てさらに上がる。元気だ。

ルンルンでこれらの説明を始めている。

 

自分のオモチャを見せる子供のようなワクワクっぷりの飛内さんだが、まさにその通りなのである。

なんて純粋。なんて曇りのない瞳。

 

宴会場3

ほとんど実物大のプラモデル…の箱?

この箱だけでも価値がありそうな気がする。

飛内さんは、こういうのまでコレクションしちゃう。

 

マジな話、飛内さんはプラモデルやサブカルチャーなどに精通している上、自分で工作などをデザインすることもでき、その業界ではちょっと有名人なのだ。

飛内さんのサブカルを取り上げられた雑誌をたくさん見せてもらった。

でもいろいろ、お腹いっぱいだ。

 

宴会場4

銃のコレクションもすごい。

数々のプラモデルは、そのまま資料館にできるくらいの数量と価値があるのだろう。

後述するが、道路を挟んだ向かい側もこういったコレクションで溢れているからな。

 

あと、自分の顔写真が埋め込まれたキーホルダーとか見せてもらった。

一応販売もしているらしい。

なんかの教祖の、こういうキーホルダーってあるよなって思った。

 

宴会場5

「世の中では断捨離とか言うけどね、違うと思うの。好きなものを手放して幸せなワケないでしょ。捨てるなんて誰でもできるよね。全然すごくない。」と飛内さんが言う。

 

そりゃこれだけの空間があればね…。

そしてこの空間、わりとえらいことになっちゃっているけどね…。

 

宴会場6

ホント、ここに映っているのはごく一部なのだ。

本当はこの30倍はある。

プラモデルの未開封の箱だけで全ての壁が天井までギッチリ埋まった部屋もある。

 

宴会場7

右手を見てほしい。

広間には、戦車が走り回れる手作りフィールドもある。

 

飛内さんは実際に戦車を操縦しながら、「これで子供たちと遊ぶと、すごく盛り上がってくれるんだよ。ほら、こうやって撃つの!」って言ってた。

 

確かに僕も子供時代にこれを見たら興奮するかもしれないし、学校帰りにフラッと立ち寄ってこういうおじさんの家で友達と遊ぶのとか、なんか昭和っぽくて楽しそうだと思った。

それを母親に報告したら眉をひそめられる…までがセットだと思うけどな。

 

宴会場8

人間大のねこぜさんの人形もあるし、巨大て続くロボもいる。

GLAYのサイン入りポスターもあり、「また来ます!」と直筆メッセージもある。うん、マジに来ているんだよ、ここ。

 

宴会場9

「これね、飛内さんがデザインしたの。子供たちに歯磨きは大事だよって教えるためのロボット。こうやって動かすと歯ブラシで歯を磨いて…。」と、ペーパークラフトのロボットのギミックを見せてくれる。

 

こういうデザインができる才能はすごいと思う。

そして子供たちを意識しているのも素晴らしいと思う。

 

チェックアウト時、「YAMA君にもあげよう」と、このロボットのペーパークラフトをもらったのだが、2022年現在まだ組み立てていない。

もうしばらく寝かせておこう。

 

宴会場10

飛内さんはノンストップである。

もう1時間が経った。23:00過ぎだ。

立っているのもフラフラなくらいに疲れたし眠い。

 

Webでは「大広間では放っておくと3時間はトーク続く」と聞いているので、「じゃあそろそろお風呂に…」って言って切り上げた。

 

飛内さんは宴会場を出る直前、クルリと振り返ると僕に向かって「怪しい旅館にようこそ」と言って来た。

このタイミングで何言っているんだ。来る前から知ってるわそんなもん。

 

 

【5】おい、風呂の準備はどうした

 

「これからお風呂の準備しまーす!がんばりまーす!」

 

そう叫んで、飛内さんは1階の廊下の奥の暗闇に消えて行った。

ひとまず2階の部屋に戻って待機しよう…。

 

本当に疲れた。

お風呂の準備をしつつも、ウトウトしてしまう。

 

ふと時計を見ると、23:50だった。

もう40分以上経っている。ちょっと遅すぎやしないだろうか。

僕は様子を見に行くことにした。

 

ヒタ、ヒタ、ヒタ…。

薄暗い廊下を1人、歩く。

 

初めての空間なので、どこに何があるかわからない。ちょっと怖いな。

ふと右手に電気の点いている部屋が出てきた。

事務室だろうか…。

 

僕はドキドキしながらその部屋を覗き込む…。

 

そして内心「ギャーー!!」って思った。

 

 

お風呂パニック1

 

 

飛内さん、寝てる!!

事務室のイスに座ったまま寝てやがる!!

マジかよ!!

 

 

「飛内さん!!」って声を掛けると、跳び起きた。

そして「うわー!お風呂お風呂ーー!!溢れるーー!!」と言いながらお風呂と思われる方向にダッシュしだす。

 

手動で止めなきゃいけないタイプか。何やっているんだ。

そう思いながら、僕も飛内さんの後ろからダッシュする。

2人で連なって、暗い廊下をダダダッ…って走った。

 

お風呂、ザバザバに溢れ続けていた。

「イグアスの大滝かな?」ってくらいにザーザー流れていた。

 

お風呂パニック2

飛内さん:「わわわわわわ…、止めなきゃ止めなきゃ!」

蛇口をひねって、まずはお湯を止める飛内さん。

 

飛内さん:「わわわわわわ…、入浴剤入浴剤!!」

エメラルドグリーンの粉末が雑に散布された。

 

飛内さん:「わわわわわわ…、潜水艦潜水艦!!」

 

お風呂パニック3

 

潜水艦。

 

 

飛内さんがポイポイ投げ入れていた。

「そっか、潜水艦か」って思った。

 

ここまでの作業を終えた飛内さんは「いい仕事をした」みたいな爽やかな顔で、「お待たせしました。ごゆっくりお入りください。」と、やたらうやうやしく言って来た。

なにそれ。

いまさら紳士ぶってきた。

 

お風呂パニック4

深夜のお風呂に浸かった。

ようやくリラックスできる時間であった。

指でチョコンと潜水艦をはじき、ボンヤリと壁を眺めた。

 

お風呂タイム5

そういやこの絵も飛内さんが描いたと、どこかのWebサイトで見たな…。

思い出の風景…とかだったかな…。

そう思ったが、もうそれを飛内さんに聞く気力は無かった。

 

風呂上り、タオルを首にかけて「ふぅー…」と1階の廊下を歩いていると、飛内さんに出くわした。

「ふふふ、まるで旅館みたいですね!」って言って来た。

「旅館だと思っているよ!ちげーのかよ!!」っていう意味のことを丁寧に口にした。

 

その後、1階の洗面台でドライヤーを使い、髪を乾かす。

もう時刻は深夜の1時近い。

 

「YAMAくぅーん」と、飛内さんが柱の陰からニッコリ現れた。

「飲もうよ。2人でこっそりウイスキー飲んじゃおうよ。」って、いたずらっ子みたいに言って来た。少しかわいい。

これにつきあうと、マジで夜更けまで拘束されると聞いている。

 

確かに僕はお酒はそこそこ好きだ…。

でもね、無理なんだ…。もう、無理なんだよ…。

僕のライフはとっくにゼロよ…。

 

丁重にお断りし、布団にダイブすると秒で寝た。

 

 

【6】朝ご飯は栄養ドリンク

 

朝が来たようだ。

普通旅館の朝ご飯は7:00とか7:30が相場なのだろうが、僕が起きたら8:00だった。

しまった、疲れすぎて寝過ごした。

 

朝ご飯1

厨房を覗くと、飛内さんと同行者が朝ご飯の支度をしていた。

 

… …ん?

なんかおかしい気もする光景だが、もう気にならないし、気にするだけの気力もない…。

 

「座敷わらしに会えた?」って聞かれたけど、爆睡しすぎていた。

仮に座敷わらしが30人で僕の周囲を盆踊りしていても、きっと気付かなかったであろう。

 

朝ご飯2

朝日射す食卓。

ゴチャゴチャとテーブルの上に散らばった物品も、心なしか朝日で輝いていた。

 

テーブルにトレイがセットされたところで、飛内さんが「うわー!朝ご飯の栄養ドリンクを買い忘れた!これから急いで買いに行きます!!」と言って消えた。

数分待っていたらすぐに帰ってきたけど。

 

朝ご飯3

これが朝の布陣である。

トレイの一番奥に、飛内さんが買ってきてくれたばかりの栄養ドリンクがセットされた。

これもデフォルトの布陣である。

 

飛内旅館では、栄養ドリンクもメニューの1つなのだ。

宿泊客をヘロヘロに披露させたことに対する、せめてもの罪滅ぼしなのだろうか?

いや、飛内さんはそこまで考えていないかな?

 

朝ご飯4

そんで、あんまり聞きなれない銘柄のものが出てくるのもお馴染みなのだそうだ。

…これはどこかで見たことあるな。

飛内さんが即興で買って来たから、マイナー路線に走り切れなかったのかな?

 

そんなことを考えながら栄養ドリンクを眺めていると、飛内さんが「はい、YAMA君にはもう1本だ!」とさらにもう1本くれた。

「そんなにも疲れているように見えたか」という気持ちと、「栄養ドリンク2本程度でリカバリできると思うなよ」という気持ちがフィフティー・フィフティーになった。

 

あと、もう書くまでも無いけど食事中はやっぱり飛内さん、対面でしゃべりまくっていた。

「飛内さんと話すと勉強になるでしょ!これをうまく活用して社会を生き抜いて!」みたないことを延々言っていた。

 

朝食後、身だしなみを整え、荷物を整理し、チェックアウト…。

…しないんだな、これが。

 

朝ご飯5

 

「下北妖怪ハウス」。

 

 

飛内旅館の向かいにある、今回のラスボスである。

これも飛内さんの所有なんだぜ。

 

朝ご飯6

次の章にて、ここを攻略する!!

 

 

【7】下北妖怪ハウスへようこそ

 

昔はお土産屋さんだったというこの建物を飛内さんが買い取り、例によって自分好みのワンダーランドにしてしまっているそうだ。

 

下北妖怪ハウス1

飛内さんがガラリとシャッターを開ける。

めくるめく妖怪ワールドが、白日のもとにさらされる。

 

 

妖力と軍事力で空間を征す

 

下北妖怪ハウス2

まず目に飛び込んで来るのは、「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターたちだ。

ほっこりするが、どことなく闇を感じさせる造形。

 

下北妖怪ハウス3

ゲゲゲの鬼太郎は何度もアニメ化されているが、昭和時代の古いバージョンに近いな、これ。

鬼太郎とネズミ男の比率が高いな、ここ。

 

下北妖怪ハウス4

なぜここが妖怪で溢れているのか。

それはこの地で2003年に「下北妖怪夏祭り」というイベントが行われ、飛内さんがその実行委員長だったからなのだそうだ。

 

ゲゲゲの鬼太郎の作者、「水木しげる先生」も来たらしい。

下北の恐山は霊山だから、そんな絡みで妖怪イベント開催の地となったのかな?

 

下北妖怪ハウス5

そのイベントにあたり、近所の人と共にいろんな物を作って町を盛り上げようと考えたのが飛内さんだったのだ。

でもまぁ、地域の人と折り合いがよろしくないんだよね。

このあたりは詳しくないけど、なかなかの確執なんだよね。

 

飛内さんは「この街はダメだ」とぶつくさ語る。

"妖怪・下北ぶつくさ"っていう名前をつけてもいいくらいに、恨み辛みの籠った顔で愚痴る。

 

下北妖怪ハウス6

これらは頭に被れるようになっているらしい。
いくつかは本当に不気味で、かなりクオリティ高いぞ。

 

さて、この空間にいるのは妖怪だけではない。

プラモデルもたくさんある。死ぬほどある。

 

下北妖怪ハウス7

あ、あなたは「またプラモデルの話かよ」って思ったろう。

だってしょうかないじゃない、あるんだもん。

現地にいる僕の方が、あなたの3倍くらいのうんざり顔で「またプラモデル…」と絶句していたぞ。

 

下北妖怪ハウス8

この下北妖怪ハウスも兵力がすごい。旅館と同じくらいすごい。

国の1つや2つは滅ぼせるくらいのプラモデル。

妖怪の持つ超科学的な力とこの軍事力を持ってすれば、飛内さんは無敵なのも納得だ。

 

下北妖怪ハウス9

なお、この空間に飛内さんが昔ながらの商店のハリボテを作ろうとした痕跡も見える。

飛内さんの思い描いた理想の世界が、ここにある。

 

下北妖怪ハウス10

今でこそ物置のような空間だが、思い描かれていたゴールはどのような世界なのだろう?

普段は日の目を浴びない妖怪たちが、少しだけ切ない。

 

 

手作りの地獄が口を開ける

 

「2階はね、飛内さんの作った地獄なの。見てきていいよー。行ってらっしゃい。」

飛内さんはそう言い、2階のブレーカーを上げる。

 

おや、珍しいな。

ここではマンツーマンディフェンスしないのか。

飛内さんがにぎやかに解説してしまうと、地獄の恐怖も打ち消されてしまうということかな?

 

地獄めぐり1



閻 魔 殿 。

 

 

飛内ワールドの集大成が、この奥に眠っている。

ドキドキしながら中に足を踏み入れる。

 

地獄めぐり2

いきなりエキセントリックな場面が展開された。

鬼が立ちはだかっており、その前で人々が何か懇願しているようなポーズをとっている。

右手には三途川と書いてある。

 

そうか、ここは三途川。

死んだ人がまず渡る川だ。

これから地獄なのか極楽なのか、ジャッジを受けるのだな。

 

地獄めぐり3

はい出たー、閻魔大王!!

 

なかなかに気合の入った造形とサイズである。2mくらいあるかもしれない。

実際に見ると結構な迫力だよ。

ここで判定される。

 

もちろん、行き先は地獄だ。

 

地獄めぐり4

はい、わっしょーーい!!

臼みたいなので人間がプレスされておる。

命乞いしようが無駄だ。そもそももう死んでいるし。

 

残虐だ。鬼たちの顔がイキイキしすぎている。

 

地獄めぐり5

いろんな地獄が次々に現れるぞ。

釜茹で地獄か?

人間を槍みたいなので突き刺して、灼熱にドボンですか。

 

地獄めぐり6

わーーー!!バラバラだーー!!

 

飛内さーん!怖いよー!

飛内さんの心の闇が見えているよーー!!

 

今まで陽気に接してくれた人がふといなくなったタイミングで、「実はあの人が真犯人です」って気付くパターン、サスペンスでよくあるよね。

アレだ。あのパターンだ。

 

地獄めぐり7

サスペンスドラマであれば、この数分後に僕は1階で飛内さんに会うだろう。

そのとき、飛内さんは「2階で何を見たの?」とちょっと鋭い目つきで聞いてくるだろう。

僕は「いや、何もなかったよ」と、ちょっと挙動不審に答えるのだ。

 

でもボロが出ちゃって、飛内さんが「俺の心の闇を見たなー!」と豹変して、なんやかんやだ。知らんけど。

 

地獄めぐり8

とにかく、各種地獄があって、地獄のオンパレードで、みんな阿鼻叫喚。

鬼たちは残虐ファイトでハッスルしすぎ。

 

地獄めぐり9

そんなこんなだが、最後救われるのかなんなのか、青空を模した部屋に青い観音様がいて、頭上を青い鳥が飛んでいた。

これはこれでちょっと狂気じみたものを感じたが、しっかりストーリーはまとまった。

 

地獄めぐり10

「すごかったでしょ!怖かったでしょ!」と飛内さんはルンルンで1階で待ち受けていてくれた。

 

 

【8】電話回線を通してもすごい人

 

最後の項目では、ここまでで紹介しきれなかった「まぼろし商店街」という下北妖怪ハウス内のコーナーの写真を挿入していくぞ。

 

予約時の諸注意

 

飛内旅館は、以下のような特徴を持つ宿である。

  1. 座敷わらしが出る
  2. プラモデルであふれる
  3. 妖怪グッズが多数ある
  4. GLAY好きの聖地の1つ
  5. 飛内さんのパワフル接客

 

原則「5」は逃げられない。

それ以外に「1~4」に興味のある方にとって、面白い宿であろう。

 

まぼろし商店街1

ただし、Web等から予約はできない。電話のみである。

そしてその電話が最初の関門だと思っておいていただきたい。

 

まぼろし商店街2

飛内さんは「はい」と言って電話に出る。

「とびない旅館ですか?」のように聞いてみよう。

「さようでございます」と言ってくるので、そしたら予約したい旨を伝えるのだ。

 

そうすると「えっ?どこで知ったの?」・「ホビー系ですか?」などとあからさまに警戒してくるので、「Web・ブログで知りました」・「〇〇に興味があります」と言おう。

これを言わないと、たぶん断られる。

 

まぼろし商店街3

例として、「100畳の宴会場に展示されているプラモデルをぜひ見せてもらいたいので!」みたいな感じだ。

 

そうすると飛内さんにスイッチが入る。

ホビー系の話から政治の話まで、20分くらい拘束されるからカクゴされたし。

 

まぼろし商店街4

飛内さん、なんかしゃべるだけしゃべると満足して電話を切りそうになったりするので、ちゃんと予約と氏名・電話番号の提示は忘れずにしておこう。

 

ここまでに書いた通り、飛内さんは相当にクセが強い。

世の中の全員と友達になれるとは限らないキャラだ。

そして、宿でゆっくりくつろぎたい人にも厄介なキャラだ。

 

そういう人は泊まらないほうがいい。絶対にお互い不幸になる。

 

まぼろし商店街5

「飛内さんのことをわかっていて、飛内さんを受け入れられる人」。

それが飛内さんの選ぶ宿泊客なのだ。

そういう人に徹底的に持論をぶつけたいので、1日の宿泊客が1グループのみなのだ。

 

これ、一番大事。

 

 

2022年晩夏、飛内さんとの電話

 

僕は飛内さんに電話した。

冒頭に記載の通り、Twitterアンケートで1位になったので、「ブログに書かせてください。写真掲載させてください。」というのが目的だ。

 

電話の向こうから、懐かしい飛内さんの声が聞こえた。

 

まぼろし商店街6

飛内さんは僕が元宿泊者だとわかると、「あのね、すっごいの!」って言い出した。

わけわからん。

続けて「すっごいドバドバ出てるの!」って言って来た。

僕は察しがいいので「座敷わらしですか?」と尋ね、それが正解だった。

 

「春には地元のTVにも出たの。座敷わらしを見に来たの。東京のTVだったらわかるんだけど、青森なのにこんなことを取り上げて、まぁなかなかやるよね。」と青森をナチュラルにディスる

「TVにも座敷わらし映ったの。そんですごいのが一昨日に親子が泊まったときにね…。あ、これはまだちょっとオフレコなんだけどね…(以下略)」と、話が止まらない。

相変わらずの飛内さんだ。

 

まぼろし商店街7

コロナ影響はどんな感じなのか、聞いてみた。

「全然お客さんいないよ」と、サラリと返ってきた。安定の、客を選ぶ宿だ。

 

「でもね、ウイルスバスターを3台入れたんだよ!バッチリ!」とのこと。

…ん??

トレンドマイクロ社が開発した、パソコンのセキュリティを守ってくれるソフトのことか?

 

でもたぶん飛内さんが言いたいのは、コロナウイルス対策の空気清浄機のことだな。

念のためコロナウイルス対策商品で"ウイルスバスター"というのが無いかWebで検索したけど、見つからなかった。

 

まぼろし商店街8

とりあえず飛内さんが元気そうで安心した。

 

あと、愛用の昭和レトロな黄色い車がブッ壊れたと言っていた。

「TVに出てお金をガッポリもらえればいいんだけどね」って言っていた。

 

とびない旅館の黄色い車

すっごい話が反れて20分くらい経ってしまったが、僕は「飛内さんの写真を掲載してもいいですか?」と聞いてみた。

予想の向こう側の答えが返ってきた。

 

「使ってもいいけどさ、そこは二段構えがいいのよ。まずは1枚目で、目にマスキングを入れるの。犯罪者みたいでしょ?読者には『あれ?この人は犯罪者?』って思わせておくの。そんでしばらくしてからの2枚目でちゃんと素顔をさらすことで…(以下略)」

ナニガナンダカワカラナイ…。

 

まぼろし商店街9

それでも僕は律儀だから、1枚目、つまりこの記事のサムネイルの飛内さんの顔には、目にマスキングを入れるよ。

読者の方がどう思うかは、あなたご自身の判断におまかせする。

 

とにかくありがとう、飛内さん。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

…あの日、下北妖怪ハウスの前で手を振る飛内さんに別れを告げ、曇天の中を車で走り出した。

そしてすぐに1つイベントを忘れてしまったことを思い出した。

 

「しまった!!飛内さんに旅客機の頭を見せてもらうのを忘れた!!」

 

飛内さんは自宅の倉庫に、切り取って持ってきた本物の旅客機の巨大な頭の部分を格納しているのだ。

それを見たかった。

 

 

…ま、いっか。

もう情報過多でおなかいっぱいだし。

旅客機の件は、この記事を読んでとびない旅館に訪れる、画面の前のあなたに託します。

 

では、お後がよろしいようで。(←よろしくない)

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: とびない旅館
  • 住所: 青森県むつ市田名部町8-6
  • 料金: 1泊2食¥6825
  • 駐車場: あり
  • 時間: ご自身で飛内さんに電話してください(0175-22-4261)

 

No.219【鳥取県】ピンク一色の世界へようこそ!「恋山形駅」のメルヘンワールドに酔え!

…あなたは最近、恋をしていますか?

 

えっ、僕!?

おいおいおい、僕から恋と愛を取ったら何も残らないだろうがよ、何言ってるんだオメェ。

 

…さて、茶番は置いておいて、今日は「恋山形駅」をご紹介する。

今回の記事の写真は一面ピンクだから、目への刺激が気になる方はお手元にサングラスをご用意いただきたい。

また、紙への印刷をご予定であれば、赤インクの在庫が充分かをあらかじめご確認いただだきたい。

 

準備は整ったか?

では行こう。

日本一メルヘンな恋山形駅

 

 

恋は突然。恋山形駅も突然。

 

鳥取県南部の山間部。

ゆるい峠の連続する、緑一色の風景。

とりおり出てくる田園集落。

 

恋の予感1

すっごいローカルな景観なのだ。

信号機もない・店もない・車も人もない…。

 

そんな中に、山形という集落がある。

昭和の気配がまだ漂う、ゆっくりゆっくりと時が流れているような、静かな集落であった。

 

お年寄りが畑の手入れをしている姿を見かけた。

窓を開けていると聞こえる、ウグイスの鳴き声が心地よかった。

 

恋の予感2



恋はいつだって突然だ。

 

 

地元の方が整えているであろう畑、その背後に墓場。

そんなの知ったことか。

バチコーンっていう勢いで、ハート型の看板である。

 

(゚∀゚)キタコレ!!

 

恋の予感3

すっごいブッ込んできたよね。

例えると、和食の料理人が腕を振るって作った繊細なお吸い物に、「味が足りない」と言いながらトマト缶の中身をドバドバ注ぐような暴挙。

『うさぎおいし かの山~♪』とか歌いたい景色なのに、パンクロックが流れて来ちゃう違和感。

 

てゆーかこの看板、いったいいくつのハートマークを使っているのだ。

(40まで数えてもうどうでもよくなった)

 

そんな恋山形駅まであと100mだという。

心の準備なら、全然できていない。

 

恋の予感4

坂道をゆっくり登る。

右手には田畑が広がっている。

ホウキを持ったおじいさんとすれちがった。

まだ信じられないのだ。この数10m先に伝説の恋山形駅があるだなんて。

 

あなただって、校舎裏に突然呼び出されたところで、ラブレターをもらえるだなんてすぐには信じられないでしょ?

ラブレターを渡される瞬間までは、まだ世界は正常であり均衡を保っているのだ。

 

知らんけど。

何言っているのか自分でわかんなくなってきたけど。

それだけ動揺しているってことなんだけど。

 

なんか道路の一部がピンク色のペイントになった。

恋ロードっていう名前の道だそうだ。

 

恋の予感5

 

ブッ … !! 

 

 

あなたの恋が叶いますように。

 

ヤベー!これヤベー展開だぞ!!軽くヤベェ!!

ちょっとビックリしてボキャブラリーも大体崩壊した。

 

恋する駅で1

レッドカーペットならぬピンクロードを車で登っていたら、左手にはピンク色の芝桜、その向こうにはピンク色の駅舎。

ちょうど今は芝桜のシーズンだったな、ピンクマシマシだ。

 

とりあえず僕はハンドルを握りながら「うわーうわー…」って目を丸くすることしかできない。

 

恋する駅で2

駅舎の対面に普通に愛車を駐車した。

そしたらアレだ。背後がアレだ。何かが何かを射抜いている。

 

僕、こんなところに1人でやってきて大丈夫だった?

致死量を超えるピンクを摂取することになりそうなのだが??

 

恋する駅で3

車から降りた。

遠目から見ても駅が一面ピンクである。あらゆるものがピンクの予感がしている。

人工物でピンクでないものは踏切の遮断機くらいかもしれない。

 

ものすごい快晴で青空なので、ピンクが一層映えるよね。

胸がキュンキュンしてきたね、これ。

 

恋する駅で4

足元のプランターもいちいちかわいいぞ。

とにかく余白があるならハートを描け。ここで学んだ教訓だ。

 

武骨なフェンスだってピンク色にペイントすれば、それだけで心躍るアイテムとなる。

 

恋する駅で5

恋ポストだ。

恋の手紙を届けてくれるらしい。

そういや手紙書いてないな、最近。こういう時代こそ恋の手紙もいいかもしれないぞ。

いや、僕は書かないけどな。

 

恋する駅で6

ポストの上に掲げられた立体のオブジェがいいセンスしているなって思った。

高度な技術が必要だ、きっと。

 

恋する駅で7

集められた手紙は、地元山形郵便局でハート型の風景印が押されるぞ。

とにかくハートなのだ。ハート以外の記号を知らぬ。

 

恋する駅で7

恋が叶う鐘が設置された、社もあるぞ。

駅構内の自販機でハート型の絵馬も売っているので、それをここに収めることもできる。

 

中央の大きな「恋」と書かれたハートのオブジェ。

真ん中にハート型の窪みがあるのだ。

ここに絵馬をはめこんで記念撮影もできる。

 

恋づくしだな。

あなたもだんだん恋愛成就しそうな気持ちになってきただろう。

 

ここまでお膳立てされたのであれば、もうカップリングしちゃう気分だ。

…ところで僕は1人だけどな。

周辺にはだーれもいない。さっきホウキを持ったおじいさんとすれ違っただけだ。

 

 

ピンクの駅舎で電車を待とう

 

もったいぶってしまったが、駅舎本体をご紹介しよう。

 

ピンクの駅舎1

改めて、ものすごい配色だ。目がチカチカする。

 

無人駅なので、駅員さんもないし普通にズカズカとホームまで入っていくことができる。

行こう。ホームに行こう。

 

ピンクの駅舎2

駅名板もハート型だ。なぜかこれだけはピンク色ではなかったが。

 

しかし業務用の電話はピンク色だ。

業務用電話にまで浸食するとは、このピンクかなりの攻めの姿勢だ。

たぶんこの駅をデザインするときの会議で「どこまでピンクする?」・「業務用電話はさすがにピンクにする必要ないのでは?」・「いや、食らうなら皿までだ」・「ここは夢と魔法の世界よ」みたいな激論が飛び交ったに違いない。

 

無人駅で幸いだったな。

駅員がもしいたなら、きっと制服もピンクに染められていたことだろう。

 

ピンクの駅舎3

こっち側のホームから、線路を挟んだあっち側のホームを見る。

 

上の写真ではわかりづらいかもしれないが、ホームの監視カメラのカバー・駅の背後の土地の柵・電線を繋いでいるであろうポールも全てピンクだ。

ゴミ箱は当然ピンクだ。

 

ここ山形の集落は高齢者が多そうだ。

おじいさんとおばあさんが並んであのピンクのベンチに腰掛けていたら、きっとこっちまで笑顔になってしまうだろう。素敵だ。

 

ピンクの駅舎4

踏切を渡って対岸のホームまでやってきた。

視界が大体ピンクだ。ヤベェ。ピンクの壁の圧力、すげぇ。酔いそう。

 

ピンクの駅舎5

駅舎はないが、敷地内に簡素な待合室みたいなものならある。

たぶん最近できたものだと思う。

 

もう説明する必要もないと思うが、ハートもモリモリあしらわれた自動販売機と、ハート型のテーブルだ。イスだけはちょっと武骨だ。

 

あと、トイレもある。

これも直近で設置された物らしい。

もともとこの駅にはトイレは無かったのだ。

バイオトイレだった。

 

ピンクの駅舎6

遮断機が下り、電車の接近が近いことを知る。

慌てて僕は死角に隠れた。

 

だってさ、このファンシーな駅に僕のような冴えないメガネ男が佇んでいたら、車内の人から白昼夢だと思われるもんね。

もし電車が停車するなら、人が下りて来ない前に立ち去ろうと思ったのだが、電車はゆっくりと駅を通過して行った。

 

恐ろしい。

ここに1人でいると他人の目が恐ろしい。

 

 

なぜ恋はここで生まれた?

 

恋山形駅

なんで”恋”という名前がつくのか。

そしてなんでこんなにピンクになっちゃったのか。

 

恋山形駅の謎1

文中でチラチラと触れてきた通り、ここは山形という集落である。

”恋”なんて単語に縁もゆかりもない。

 

じゃあなぜ恋というフレーズがついたのかと言うと、「来い」を文字ったからなのだ。

 

この駅の歴史はわりと浅く、駅ができたのは1994年である。

どんな駅名にしようかって考え、当初は"因幡山形駅"が候補であった。

 

だけども、もうちょっとインパクトが欲しいと考え、「もっと人が来てくれるように」という願いを込めて「来い」、それを「恋」と表現したのだ。

 

しかし1日の利用客数は2018年で5人とのことだ。

ちょっと控えめな数だね…。

 

恋山形駅の謎2

看板に書かれている通り、日本には「恋」と名前の付く駅は4つだ。

 

2013年、これら4つの駅が結託して「恋駅プロジェクト」っていうのを開催した。

「恋同盟としてなんかやろうぜ!」ってなり、そのころはなんの変哲もなかったこの恋山形駅が、変なスイッチ入っちゃって現在のようにピンク祭りにしちゃったのだ。

 

恋山形駅の謎3

同じ時期に地元の人たちが植えた芝桜も数年してしっかりと根付き、春にはこのようにピンク色の花を咲かせている。

 

完全にネタに振り切った駅だが、嫌いじゃない。

だからこそ、こうして来たわけだしな。

 

すごく小さな駅だし、駅の周囲に何かあるわけではない。

停車本数もすごく少ない。

 

だけども駅自体に特徴があるため、停車時にはちょっと長めに5分ほど止まってくれるそうだし、土日などは25分止まる電車もあるらしい。

なんて親切なのだろう。

 

恋山形駅の謎4

駅前には自撮りのためのカメラスタンドがあった。

1人だけども、とりあえず記念撮影をした。

 

ここで愛を育むカップルがたくさん生まれればよい。

僕はそんなカップルを見て「爆発しろ」と念じるかもしれないが、負けるな。

 

誰にも会わなくてよかった。

特にキラキラしたカップルに出会わなくってよかった。

安堵しながら、僕は再び車に乗り込む。

 

再び現れた田園風景が、僕の目を癒してくれた。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 恋山形駅
  • 住所: 鳥取県八頭郡智頭町大内159-3
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.218【愛媛県】太平洋戦争末期の幻の戦闘機「紫電改」!!国内唯一現存する機体を見る!

紫電改(しでんかい)という名前の戦闘機が、昔存在したようだ。

太平洋戦争の末期に開発されたものの、400機程度しか生産されなかった、幻の戦闘機と言われている。

 

そして、2022年現在それが現存するのはわずか4機であり、うち3機は海外にある。

わずか1機のみしか、国内に存在しないのだ。

その唯一の機体を、僕は愛媛県まで2回ほど見に行った。

 

1945年8月15日、終戦の日から77年が経過した。

ボケッとしている間に終戦記念日を1週間も過ぎてしまったが、この折に書こう。

戦争の記憶を現在まで受け継いでいる、紫電改のことを。

 

…あと、まぁ恥ずかしながらいろいろ予定通りに行かなかった行程なので、その枝葉の部分の話を。

 

 

イムリミットは17時

 

紫電改は、当然のことながら厳重に屋内に保管されている。

その施設のことを「紫電改展示館」という。

僕は日本6周目において、久々にその紫電改展示館に向かおうとしていた。

 

リミット間近1

紫電改展示館は17:00閉館である。

 

「ヤバいな」って思ったのは、その1時間前の16:00のことだ。

この直前まで、高知県の「竜串海中公園」で遊んでいた。

出発時にカーナビに紫電改展示館と登録したら、1時間7分かかると表示された。

 

リミット間近2

次に僕は紫電改展示館の閉館時間を調べたのだ。

17:00だ。

現時刻の16:00に1時間7分を足してみた。

 

17:07だ。

間に合わない。

そういう経緯で、「ヤバいな」って思った。

 

僕は油断していたのだ。

「資料館などは18:00くらいまでは営業しているだろう。今は1年の中でも日が長い時期。まさか17:00に閉館ということはないだろう。」、そう思っていたのだ。

 

リミット間近3

このあとなんやかんやありつつも、16:59である。

まだ到着していない。すなわち間に合わない。

だが、あとちょっと。あと1・2kmで紫電改展示館。

 

このときも僕は油断していた。

「確かに17:00閉館とは書いてあったよ。だけどもね、祝日だし日の長い時期だもん。実はもうちょっと営業している可能性も高いよね。もしそうじゃなくて閉館準備していたとしても、受付やドア付近にまだスタッフさんいるよね?『あれ!もう終わりですか!一瞬だけ中を見せてもらうこと出来ないですか?』って聞けば、きっと入らせてくれるよね。」

…そんな妄想をしていた。

 

リミット間近4

17:02。

僕は紫電改展示館の駐車場に滑り込んだ。

展示館の入口は駐車場からは見えないが、ここから見てすぐ裏手だ。

歩いて30秒もかからない。

 

さて、閉館時間を2分ほど過ぎてしまったが、まだ開いているはずだよな。

ボーナスタイム、用意してくれているよな。

 

リミット間近5

入口に回り込んだ。

ドアは閉まっている。

 

ただ、ドアには「引く」と書かれている。

つまりはドアが閉まっている状態がデフォルトであり、客は入る際に自身でドアを開け閉めするのだ。

 

まだ結果はわからないぜ。

ドアは開くのか開かないのか。

 

リミット間近6

僕はドアに小走りで近寄る。

そしてドアノブに手を伸ばす…。

 

あなたは「入れてなかったらこの記事を執筆できないじゃない。ドアは開いていて入れたに決まっているでしょ。」と、メタ的な考えをしていることであろう。

 

賢い人よ、あなたのその考え方、僕は嫌いじゃないぜ。

だけどもこのときの僕と一緒に、もうちょっとドキドキしてほしいんだぜ。

 

 

さぁ、Dead or Alive ??

 

 

 

 

 

 

D e a d。

 

 

ドア、ピクリともしませんでした。

終わった。

 

 

海中から引き揚げられた紫電改

 

さて、本当にこれだけでは話が終わってしまう。

そうならないのには、ワケがある。

 

察しのいいあなたなら気付いたハズだ。

この資料館の入口がガラスであったことを。

 

紫電改1

はい、ガラス越しに撮影ができた。

パッと見、ガラスを通さず見ているように撮影できただろう。

 

実際の僕の肉眼にはガラスがジャマであったが、とりあえずこの写真が撮れて満足だ。

もちろん、実際に入っていろんな角度から眺めたかったけどさ。

あと3分早く来て、そして2分あればそれができたのに。

 

遠くでチラチラとスタッフさんが動く姿が見えた。

だが、ガラスドアを叩きながら「おーいおーい、入れてくれー!」と交渉するほど無礼な人間ではないので止めておいた。

 

紫電改2

紫電改を簡単にご紹介する。

簡単に想像できる通り、これは紫電という戦闘機の改良型だ。

 

第二次世界大戦の前半までは、零戦が猛威を振るっていたのだ。

攻撃力とそこそこの機動力にステータスを全振りし、守備については紙装甲レベルのものだ。

 

だからちょっと攻撃食らっただけで優秀なパイロット死亡。

しかも急降下が苦手という残念なステータスがあったので、それがバレてからはボコられまくり。

 

これは広島県大和ミュージアム」の零戦

そんなこんなで戦争もジワジワ劣勢になり、パイロットも資源も少なくなり…。

もちろんこのあたりもいろいろあるんだけど、とりあえず全部省略。

 

とりあえず零戦に代わる戦闘機を開発しなくちゃいけない状態であった。

紫電という戦闘機が産声を上げた。

 

だけどもこの紫電、テスト段階で割りとポンコツだったので、「ちょっと計画を振り出しに戻そうかね」みたいな事態になった。

改良を加え、生まれたのが紫電改

1945年の終戦の年になってようやく生産開始の目途が立ったそうだ。

"遅すぎた零戦の後継機"というニックネームもある。

 

紫電改3

これはなかなかの高性能だったそうだ。

後世での評価も高い。

 

当時の日本は勢いづいて「よっしゃ、1万機作るぞ!」ってなったけど、実際に生産されたのはわずか400機ほどであった。

もう戦争末期で空襲もひどく、工場も人でもカツカツだったのだ。

そして終戦になったし。

 

紫電改4

はい、紫電改の後ろ姿だ。

なんでこんな写真があるのかというと、かつて日本4周目で訪問したからだ。

当時の僕のコンディションが悪かったのか、手ブレ写真が多いのが特徴だ。

 

さて、紫電改は冒頭で書いた通り世界中で4機のみ現存している。

うち3機はアメリカだ。わりと綺麗な状態で保管されている。

 

紫電改5

だが、唯一日本で展示されているこの機体は、ちょっとボロボロだ。

プロペラも90度近く曲がっている。

 

この機体は、終戦1ヶ月弱前の1945年7月24日に20機で出発し、愛媛県沖で200機のアメリカ軍と闘ったそうだ。

20機中、6機が帰って来れなかった。

 

その後長い年月が経過し、1978年に海底でこれが発見され、およそ34年ぶりに引き揚げられて空気を吸うこととなったのだ。

 

紫電改6

機内にはパイロットの人が所持していた写真が残されていたらしい。

その他の飛行機に残っていたものと一緒に、ここに展示されている。

海からの引き上げ光景の写真パネルも掲示されていた。

 

日本4周目で館内に入れたときの僕は、これらを1つ1つ丁寧に見たのだ。

そりゃもう、重い気持ちになった。

 

 

南レク馬瀬山公園を歩く

 

紫電改展示館があるのは、「南レク馬瀬山公園」という名前の広い公園内だ。

日本6周目の際には、ギリギリで入館できなかったので、失意の中でこの馬瀬山公園を散歩したのだ。

日本4周目のときにも散歩したけどさ。

 

紫電改展示館と一緒に観光する可能性の高いスポットなので、ここでご紹介しよう。

 

馬瀬山公園1

紫電改展示館からさらに先に歩くと、高いタワーが見えてくる。

宇和海展望タワー」という絶景展望台らしい。

 

上の写真の左に映っているパネルにも紹介が書いてあるのだが、ここの目玉だ。

ただし、もう休業してから久しい。

久しいのに、2022年現在もデカデカとパネルが立てられている。

 

馬瀬山公園2

1977年完成の、昭和レトロなタワー。高さは110mもある。

回転式の展望台で、上のほうに映っている展望フロアがグルグル回りながら上下していたとのことだ。

 

昭和時代って、そういう開店する展望台やレストランがチラホラあったイメージだ。

ただ、ギミック複雑だから強度もないだろうし、老朽化も早そうだけどね。

僕自身、そういう回転系の展望台は一度も行ったことなかったと思う。

 

馬瀬山公園3

実際ここも耐震強度が無いと判定され、2019年から休業しているのだ。

2022年現在、再開の予定はない。

 

中途半端なところで泊っている展望フロア。

宙に浮かぶ廃墟。

すごくレトロなデザインだが、まだ休業から3年なので内部は綺麗だろう。

これが20年先もこのまま放置されていたら…、すごく僕好みの廃墟になっているだろうな。

 

馬瀬山公園4

さらにその先には「南レクこども動物園」というのがあった。

ただしここも入口が閉ざされている。

 

馬瀬山公園5

鳥インフルエンザ対策で休園していた。

コロナ影響かなって思ったけど、そうじゃなかった。

 

どうやらこの動物園は小規模で、動物のほとんどが鳥だったとのこと。

あとは少しだけリスザルがいたのだが、今はもういないらしい。

なるほど、100%鳥類。鳥インフルエンザ怖いね。

 

そして、生きている施設が少なくて心配になるな。

これだけ広大な敷地に僕しかいないし。

 

馬瀬山公園6

東屋のある展望台があった。

そして1人だけ人間がいた。

 

あの人は、僕の少し後に車でやって来て、そして僕と同様に残念そうに紫電改展示館の入口を覗いていた人だ。

同志ではあるが、傷のなめ合いは性に合わない。だからこちらからは話しかけない。

 

馬瀬山公園7

なかなかいい眺めだ。

もちろん宇和海展望タワーに登ればさらにいい景色だっただろうが、ひとまずここからでも充分満足できる光景である。

 

馬瀬山公園8

細く伸びた半島の開眼に沿って、小さな漁港と集落が見えた。

その少し沖には、穏やかな海に点々と養殖イカダが浮いているのが見えた。

…平和だ。

 

馬瀬山公園9

紫電改に搭乗してアメリカ軍を迎撃するために飛び立ったパイロットは、最後にこの光景を見たのだろうか?

この平和を守ろうと飛び立ったのだろうか?

 

*-*-*-*-*-*-

 

戦争から77年経ち、当時のことを知る人も随分少なくなってきた。

しかし、語り継いで忘れちゃいけない記憶だと思う。

 

小さい頃、母方のじいちゃんが兵隊だったときの様々なグッズを見せてくれたのが、今もしっかりと記憶に残っている。

とても貴重な体験であったと、大人になった今に振り返って、改めてそう思う。

 

紫電改展示館

どの国がいいとか悪いとか、そういうことはさておき、戦争でしか物事を解決できないって野蛮で原始的だよね。

ロシアもウクライナもいろいろ事情はあるだろうけど、戦争は悲劇ばかりを生み出すし、犠牲になるのはいつも一般市民だよね。

 

戦争を知り、平和を愛し、そのありがたみを未来に伝えていきたい。

そんな高尚なことを一瞬考えつつも、次に気になるのは夕食を食べられるお店と入浴施設の閉店・閉館時間なのだ。

さぁ、再び走り出そう。ご飯とお風呂のある未来へ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.217【石川県】能登半島最先端「禄剛崎」!!だが同時に日本列島の中心だ!なんで!?

能登半島

それは日本有数の握りやすい形状の半島だ。

 

その先端にある岬の名は「禄剛崎(ろっこうさき)」という。

岬好きであれば抑えておきたいスポットだ。

 

 

さらにさらに、この岬には驚きのポテンシャルがある。

それは、ここが日本列島の中心にあたるという点だ。

 

なんとなんと!

半島の先端なのに日本の中心??

そんな相反する特性を併せ持つことができるのか?

遥か昔に初めて「やわらか戦車」という単語を聞いたときの気持ちを思い出した。

 

これは我が目で見ておかねばならない!

行こうぜ、禄剛崎!!

 

 

最果ての地、狼煙(のろし)の集落から

 

僕は禄剛崎には足しげく通っている。

全部の写真を放出したらえらいことになってしまうので、今回は日本3周目から6周目に訪問したときの写真を少しずつご紹介するつもりだ。

 

狼煙1

『さいはての地 狼煙』。

狼煙と書いて"のろし"と読む。なんてカッコいい漢字だろう。

 

狼煙2

明朝体が似合う。

書道の先生がデカい筆でパワフルに書くのが似合う。そんな狼煙の集落。

 

今僕は、「道の駅 狼煙」に来ている。

能登半島先端にある道の駅であり、まさに最果てということだ。

 

狼煙3

禄剛崎灯台があるポイントまでは、ここから徒歩で約10分ほどだ。

車道はないので、ここに車を置いて行くことにする。

 

狼煙4

ちなみに灯台は海を見下ろす高台にあり、その高台とは上の写真に写っている奥の丘を指す。

まぁ大した高さではないのだが、運動不足の僕には地味にキツい道だ。

 

高台へ1

何度も訪問した地なのに、なぜか坂道の一番キツいところの写真が無い。

展望ゼロで写真映えしないっていう理由もあるだろうが、単に登るのがツラくてカメラを構える余裕が無かったというのもあるのかもしれない。

 

いずれにしても、5分も歩けば気持ちのいい空が頭上に展開される。

控えめに咲くコスモス、いいな。これは10月のときの写真だ。

 

高台へ2

周囲の木々は桜だと思う。

この写真を撮ったとき、能登半島の南部はピンク色に包まれていたが、禄剛崎はまだツボミの状態であった。

桜の時期のこの岬も、歩いてみたかったな…。

 

高台へ3

丘の上は広大な空間だ。

すんごい綺麗に整備されていて台地状になっている。

 

この写真を撮るまでの間に、トイレがあったりオブジェがいくつかあったりしたが、ちょっとそれらについては後回しだ。

まずは最奥にある灯台の話をしたい。

 

 

この灯台の持つ日本唯一のステータス

 

禄剛崎灯台

それは"日本の灯台50選"にもエントリーされているエリート灯台なのである。

 

禄剛崎灯台1

なぜか僕はこの角度からの撮影が好きらしく、この構図の写真で禄剛崎フォルダがあふれ返っていた。


能登半島最先端』と書かれているのがいいよね。

端っこ好きにとってはたまらないフレーズよ。

 

ところで、目ざといあなたであれば気付いてしまったかもしれない。

一番冒頭でご紹介した写真と上の写真で、表記されている文言が異なることを。

 

禄剛崎灯台2

はい、冒頭の写真を再掲した。

こちらには『能登半島端』と書かれている。

この写真は、僕が日本3周目をしているときに撮影したものだ。今回掲載する写真の中では最も古いものだ。

 

さて、『最北端』が『最先端』になった理由ってなんだろう??

 

 

答えは割とシンプルだ。

最北端ではないからだ。

 

上のGoogleマップを見てほしい。

しばらく西に行ったところにピョコッと北に突き出した小さな岬がある。

この岬は先端まで行けなくって景勝地でも何でもないんだけど、「シャク崎」っていって、こここそが能登半島の最北端だ。

 

この事実に気付いて、標柱の老朽化による建て替えのタイミングで表記変更したのではないかと推測している。

 

禄剛崎灯台3

はい、これが直近の日本6周目の時の写真だ。

確かに最先端。

 

ただ僕は、この写真を見返していて気付かなくっていいところに気付いてしまったかもしれない。

上の写真の右端にチラッと写っている説明板を拡大してみよう。

 

禄剛崎灯台4

『最北端』って書いてあるーー!!

 

この説明板、かなり前からあるのだ。さっき掲載した日本3周目の頃にも同じものがある。

だから表記が古いのだな。

そしてもうボロボロだ。近いうちに差し替えられるかもしれない。

その際には『最端』ではなく『最端』になってしまうだろう。

禄剛崎が最端だった時代を記録に残しておきたい人は、急いだほうがいいかもしれない。

 

禄剛崎灯台5

キチッとパース取りされた構図の先にある禄剛崎灯台

実はこの石のタイルの先には幅広の下り階段があり、その先に灯台がある。

残念ながら階段そのものの写真は手元に1枚も無かったけど。

 

なんか映画の中で"ロッキー"が駆け上ってから「うおー!」とか叫ぶ階段みたいなヤツが、ここにあるのだ。

僕はそんなことしないが、あなたはぜひやってみると良い。

 

禄剛崎灯台6

芝生に建つ、ずんぐりしたかわいい灯台

もともと高台にあるから、灯台そのもの高さは不要だったのだろう。

 

それでも、建造された明治時代は灯台のための石材を船で運んできて、この先の48mもある崖の下からロープを使って引っ張り上げるという難工事だったそうだ。

 

禄剛崎灯台7

さて、この灯台には全国唯一という、すごい特徴がある。

それがわかるのは、この角度からの写真だ。

そしてすまない、僕はそれを意識して撮影したことが無いので、結果的に明示できるような高解像度の写真がないのだが…。

 

禄剛崎灯台8

写真中央の黒いプレートの最上部。

実はここに菊の御紋が刻まれている。

 

なぜ日本の象徴である菊の紋章がここにあるのか。

それは、この灯台は日本人が初めて作った洋式灯台だからだ。

 

これまでの灯台って、全部灯台先進国である外国人の人が作ってくれていた。

しかし明治16年(1883年)、初めて日本人の手で洋式灯台を建てたのだ。

設計はイギリス人技師であるが、建てたのは日本人だ。

偉大なる国家プロジェクトであった。

その記念に菊を刻んだのだ。

 

禄剛崎灯台9

それから140年。

変わらず禄剛崎灯台は、日本海を臨むこの地に立ち続けている。

 

とても歴史的価値のある灯台だ。

日本に23基しかない、Aランク灯台の1つでもあるのだ。

そりゃロッキーさんも咆えますって。

 

 

ここはなぜ日本列島の中心なのか?

ドラえもんおばさん

 

灯台に至る直前、綺麗に整備された台地状にいくつかのオブジェがあるのだが、その中でもインパクトの大きいものがある。

 

日本列島中心1

 

『日本列島ここが中心』

 

 

「マジかよ!」って思うよね。

誰もここを日本の中心だと思って訪問したりはしないだろうから、完全に意表を突かれた気持ちになるだろう。

心臓に持病を抱えるおじいさんとかにいきなり見せたら危険な石碑である。

僕は事前に知っていて来たものの、それでも初回の衝撃はすごかった。

 

そう、ここは数ある日本の中心の1つなのだ。

あなたが「数ある!?」って顔をしているので、ご説明しよう。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

実は日本の中心ってたくさんあるのだ。日本各地に30箇所くらいある。

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

それぞれ定義が異なるので、どれが正しくてどれが間違っている、とかはない。

 

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ることを生き甲斐にしているのが、この僕だ。

アホでしょ。

 

日本列島中心2

ではなぜ、ここが日本列島の中心なのだろうか?

 

思い返せば、僕がこの日本列島中心の碑に興味を持ったのは日本3周目の頃であった。

その頃はね、冒頭でご紹介した道の駅もまだなかったんだよ。

ここは交流施設っていう観光案内所みたいなところで、駐車場も有料だったんだよ。灯台に行くための駐車で320円かかった。

 

そして、僕は駐車場の受付をやっているおばちゃんに聞いたのだ。

「丘の上に日本列島中心の碑があったんだけど、なんであそこが日本列島の中心なんですか?」って。

 

日本列島中心3

そしたらおばちゃんは「ニホンレットーノチューシン??」って、ロボットみたいに復習した。

僕の質問があまりに突飛だったので、日本語として理解できずにバグッてしまったのだ。申し訳ない。

 

僕はニホンレットーノチューシンとは日本列島の中心であることを、おばちゃんに丁寧に説明した。

この時点でもう明かだけど、おばちゃんは禄剛崎に日本列島中心の碑があることを全く知らなかった。

 

「どれかパンフレットに日本列島中心について書かれているかしら?」

おばちゃんはそう言い、数あるパンフレットを物色し始めた。

 

日本列島中心4

ドラえもんがワタワタしながら「あれでもないこれでもない」とポケットからいろんな道具をポイポイしているように、おばちゃんはパンフレットをポイポイしていた。

面白いので僕も手伝った。

 

しかし日本列島の中心について書かれているパンフレットはなかったのだ。

はい、なんの情報もない、ただの僕とおばちゃんのハートフルストーリーの章になってしまい、すみません。

 

ただしその後、僕は自力で調べた。

真相は次の章でご紹介しようぞ。

 

 

日本列島を支えるポイント


日本列島の重心点。

真相をひとことで言うのであれば、そうなる。

 

では、日本列島の重心点とはなんなのだろう。

 

日本の地図をプリンタとかで印刷してほしい。

そして出てきた紙を海岸線に沿って綺麗に切り取ってほしい。

 

で、この紙をたった一点でうまくバランスを取るとしたら、それはどこなのか。

そいつが日本列島の重心点の概念だ。

 

日本列島中心5

まぁ実際にやろうとしたら紙はペラペラすぎて折れ曲がるし、北海道・四国・九州・離島などバラバラになっちゃって無理だろうから、偉い人が机上で計算するんだけどさ。

 

その答えが、陸から遠く離れた富山湾の海の中だ。

日本列島の重心点は海の中だった。

これは国土地理院のお墨付きの、確かな情報なのだそうだ。

 

ただし、これだと観光資源にならない。どうにかしたい。

そこで考えた。

「一番近い陸地に日本列島の重心的な碑を作っちゃいませんか?」って。

それがこれなのだ。

 

日本列島中心6

何も由来は書いていない。

重心点の話なんて1ミクロンも書いていない。

 

上の日本列島の図も、重心というより円の中心に禄剛崎があるような描かれ方をしている。

その円も北海道と九州を中途半端にかすめていて、意味不明だ。

「石工業者への発注ミスか?」って思う。

 

日本列島中心7

よくわからない概念図だし、それ以外には「日本列島の中心」だと書いてあるのみだから、これを見た人はみんな困惑する。

 

…それもよかろう。

なんでもかんでも知ることが正義ではないのだ。

「不思議だね」のひとことで済ませてしまうのも、悪くはない。

 

ただ、真実を知るのもまた正義。

この感動を、あのドラえもんおばちゃんに伝えたい。

そう思ったが、もう交流施設はないので、おばちゃんに会うことはできなくなってしまったな…。

 

 

ドライブインでカレーライスを

 

最後におまけでも書いておこう。

道の駅の対面、灯台のある丘のふもとの「ドライブイン狼煙」だ。

 

ドライブイン1

道の駅にも食事処はあるだろうが、あえて僕はこちらを選んだ。

昭和レトロなドライブインがたまらなくエモかったからだ。

 

ドライブイン2

店内は広かったが、お客さんは誰もいなかった。
最初にレジでメニューをオーダーするシステムであり、僕はカレーライスを頼んだ。

 

レジカウンターには年季の入った紙の食券がたくさんあり、僕はワクワクした。

しかしレジのおばあちゃんは「他にお客さんもいないから、このまま席で待っていていいですよ」と言った。

 

ドライブイン3

内心僕は「食券を使いたかったな」って思った。

普通に考えて、食券制の券売機のアナログ盤なのだろう。

 

わかっちゃいるけど、もらいたかったのだ。

なんだか幼い日の「さぁモノポリーをしよう」と言って、こんなカラフルな札を場にセットした父親のことを思い出したのだ。


まぁいいけど。写真だけ撮らせていただいた。

 

ドライブイン4

同じ店内だが、中でおおまかに2つに仕切られているお店。

あっちが喫茶スペースで、こっちがレストランだ。

上の写真は喫茶スペース。

 

普通に行き来できるけど、コンセプトが違う。

そういえば入口も2つあったな。何だこの店、面白いな。

 

ドライブイン5

喫茶スペース、とても雰囲気がある。

ワガママを言えば、こっちに座ってカレーを食べたかった。

 

喫茶スペースの渋さにほれぼれしていたら、カレーができたというのでレストランスペースに戻った。

 

ドライブイン6

なんかオシャレな皿だ。

スプーンも彫刻が施されている。

皿もスプーンもなんだか薄造りで華奢で、カレーみたいなパワフルなものを盛って似合うのか?って思った。

 

カレーに入っているじゃがいもがとてもミニマムであり、いっぱいあった。

辛さはほとんどなく、家庭的な味付けだった。

 

ドライブイン5

食器も味付けもドライブインぽくないなっていう発見ができた。

 

そんな些細な発見の積み重ねが、旅を充実させる。

チェーン店もいいが、いい意味でも悪い意味でも裏切られることがない。

そうなると感情の起伏も少なくなり、すなわち思い出にも残りにくくなるのだ。

 

だから僕は、できればその土地にしかないお店を選びたい。

ごちそうさまでした。

 

 

風光明媚な半島の先端を目指そう

 

禄剛崎

能登半島の先端だか北端だかの狭間で揺れ動く岬。

 

最後で恐縮だが、眺めもいいぞ

日本人が灯台を作ったことが嬉しすぎて、灯台に菊の紋章を刻んだ。

実はここが日本の重心地だと、国土地理院が認定した。

 

崖の下には千畳敷という岩場が広がる

ドライブインの入口は2つある。

そしてカレーは家庭的な味で、じゃがいもが細かい。

 

珠洲ロータリークラブの記念碑?

これだけの情報量を持つ岬。

僕が足しげく通うのも納得でしょ。

 

あなたも能登半島を一周走る際には、この地を是非踏んでほしい。

 

以上、日本6周目を走るYAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 禄剛崎
  • 住所: 石川県珠洲市狼煙町イ-51
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 「道の駅 狼煙」に停めて徒歩10分
  • 時間: 特になし

 

No.216【福岡県】水の中をジャブジャブ歩く!「千仏鍾乳洞」は猛暑の日でもクールだぞ!

2022年夏。

後世に語り継いでもいいくらいの猛暑続きの年である。

 

とんでもなく早い梅雨明け後、気温30℃台後半の日々が延々続いているイメージだ。

しかも愛車の日産パオのエアコン壊れたしな。

まぁパオ繋がりの皆さんのエアコンも大体壊れているので「ついにウチもか」くらいな感覚だが、とりあえず暑くて死ねる。

 

さて、エアコン無いなら天然のクーラーあるじゃないか。

鍾乳洞に潜ればいいじゃないか。

…となる次第なのだ。

 

ちょっとリアルタイムな執筆ではなくって過去のエピソードなのだが、九州一周した際に潜り込んだ「千仏鍾乳洞」の話をしたい。

オールシーズン間違いなくヒンヤリできるスポットだ。

 

 

嵐の中の平尾台突撃

 

嵐の日の夕方、日本三大鍾乳洞の「平尾台」に向かっていた。

 

暴風雨1

昨夜から今朝の未明にかけて、中国地方で見事に台風と激突し、それを突破したつもりなんだけどね。

一度は雨、止んでいたんだけどもね。

なんでまた九州に暴風雨が来てしまったのかと、首をかしげている。

 

暴風雨2

本来であれば、台風一過の青空の元、日本三大カルストの1つである「平尾台」の絶景を見たかったのだ。

だがこれでは絶景どころではない。命に係わる。

 

それでも僕は平尾台を目指して山の中、グングン標高を上げている。

それは目的を「平尾台にある千仏鍾乳洞」に変えたからだ。

 

鍾乳洞は全天候型スポット。

春夏秋冬、晴れも曇りも雨の日も、内部は気温も環境も一定だ。

信頼度100%のスポットなのだ。

 

暴風雨3

平尾台に着いた。

台地の上に広がる高原だ。

 

うわぁぁぁぁ、もう最悪だよぉぉぉ。

標高が上がれば雨も風も強くなるもんね。

周囲の木がバッサバッサ揺れているよ。そして木の破片が辺りに散らばっているよ。

 

まぁそのくらいはガマンできるんだけど、霧まで出てきた。

もう何も見えないんですけど?

 

暴風雨4

平尾台カルスト台地だから、山口県の「秋吉台」や愛媛県高知県の「四国カルスト」と同じように、草原の中に白い石灰岩(ピナクル)が点在している。

晴れている日は、そりゃもう綺麗なのよ。

実は日本1周目からここには通っているので、綺麗な風景なら知っている。

 

だが今回はひどいな。

こんなワイルドな平尾台は初だ。

 

暴風雨5

車外に出るような勇気はないので、停車して車内から写真を撮る。

車が強風でグワングワン揺れる。

 

そしてもう既にこの悪天で暗くなり始めている。

実はもう17:00を過ぎているのだ。

そりゃこんな天気でこんな時間なら、僕以外に車もいないよな。

怖いよ、寂しいよ。

 

暴風雨7

さて、もうすぐのハズだ。

車にはカーナビすらついていないし濃霧なので、カンだけど。

 

あと、この天気だしそろそろ17:30。

鍾乳洞は営業しているのか、というすごく大きな懸念があるのだけれども、それはあんまり考えないように努めている。

 

 

この鍾乳洞での正装はサンダル

 

17:30間際に千仏鍾乳洞の駐車場に到着した。

木々に囲まれた駐車場のためか、ドアを開けられないくらいの風だ。

 

だが、鍾乳洞はこの時間でこの天気でも営業しているのだろうか。

実はここから洞窟は見えないのだ。

どうやら駐車場から続く森の中の階段をしばらく下がって行かないと到達できない模様。

 

鍾乳洞までの歩道1

ただでさえ外出するのも憚られるのに、この薄暗い階段を降りて行かないと営業中かどうかすら確認できないのだ。

 

どうする?

ここまで来ておいて今さらなのだが、車外に出るのはやっぱり怖くて少々躊躇する。

 

…とそこへ、階段の下からズブ濡れになった大学生っぽい連中が登場した。

不幸にも強風で傘が壊れたようだ。

だけども皆笑顔だ。あれは満足しているときの表情だ。

 

なるほど、現時点では鍾乳洞は営業しているということだな。

行ってみよう!

急げ!もうラストオーダー終わっちまっている可能性もあるからな!

そのときは土下座で頼んでみよう!

 

鍾乳洞までの歩道2

激坂を下ることおよそ5分。

鍾乳洞の営業所が見えてきた。

 

受付の横にいたスタッフさんに「営業していますか?」と聞く。

「あ、はいこの時間であればまだやっています」と、ギリギリのタイミングであったことを臭わせるリアクションであった。

ぶっちゃけ、帰ろうとしていたような気配も見え隠れしていたけど。

 

後日調べたところ、土日祝は18:00までの営業。

そして所要時間の目安は40~50分。

つまり今現在17:30は、断られても不思議ではない、本当にギリギリだったのだ。

こんな時間にすみません。

 

洞内へ1

とりあえず受付し、そして指定のサンダルに履き替えて洞窟に入った。

なぜ洞窟なのにサンダルなのかって?

そりゃ後でのお楽しみですわ。

 

昔は1人で鍾乳洞に入るのはちょっとドキドキしたり受付しづらいような気もしていた
んだけど、もう僕は全国の鍾乳洞を1人で入っているから物おじしない。

むしろ1人の方がくつろげる。

 

洞内へ2

ちょっと雑な洞内マップを作ってみた。

観光客が無難に入れるエリアは全長900m。

ザックリ前半は地面の上を歩けるエリア。

そして後半は水流の中をザブザブ歩くエリアだ。だからこそのサンダル。

 

終盤は水中の上に照明もなく、たぶん事前予約だとかスタッフさんの同行だとかが必要なエリアだと思う。

今回はそのエリアはもうクローズしていた。確かにこの時間であればそれが妥当だ。

 

洞内へ3

たった1人の静かな冒険が、始まる。

 

 

1人きりの地底空間

陸上編

 

前提としてブレている写真が多くて恐縮だが、多少アップダウンのある暗闇を歩いているので、その臨場感の演出として許容いただきたい。

 

陸エリア1

もし対向の人がいたら擦れ違いも困難であろう狭い箇所も多くある。

そんな狭い洞窟内を淡々と歩く。

 

「ザワザワ…」「ザワザワ…」。

どこからか人の話し声のような、歩く音のような反響音が聞こえてくる。

 

「あれ?やっぱりこの洞窟には僕以外にも誰かいたのかな?」

そう思うんだけど、それは思い過ごし。

洞窟を歩く僕の反響音か、はたまた流水の反響音か。不思議不思議。

 

陸エリア2

大石柱・天景と名のついた鍾乳石の前で記念撮影をした。

ここいらのグネグネした鍾乳石のデザイン、ダイナミックで好きだ。

 

正直この千仏鍾乳洞は巨大な鍾乳石があるわけでもなく、ライトアップなどの演出に凝っているわけではない。

でも、なんだか自然体で好感が持てる。

あと、僕のお目当てはこの後出てくる後半の水中エリアだから、モチベーションはそっちまで温存している。

 

陸エリア3

鍾乳石の特徴的なデザインで、足を伸ばしたクラゲのようなものがある。

ちょっとキモいけど、これが数1000年かけて自然に出来上がるということに脅威を感じる。

 

陸エリア4

天景はその名の通り天井付近にあり、見上げるようにして眺めた。

見える部分が少なくって壮大さはないが、水の滴った軌道が複雑に天井に刻まれている感じだ。

 

陸エリア5

白亜殿はちょっと広くなった空間に現れる巨大岩盤みたいな鍾乳石。

ここでちょっと一息つける。

 

洞内の温度は季節を問わず14℃。

半袖だし外で雨に濡れた状態の僕ではちょっと寒い。

ただ、この寒さを味わえるのも洞窟系観光地の魅力だと思う。

 

陸エリア6

内部には階段もあったりする。

まぁでもそこまで起伏が無いタイプの鍾乳洞だ。

中にはビル2・3階分の昇り降りを繰り返すような鍾乳洞もあるので。

 

ここまで来てちょっと後悔したのが、カサを持ち込んで来ていること。

どっかに絶対カサ立てあったよな。

急いでいたので確認せずに突撃してしまった。

 

陸エリア7

天柱だ。

天上から地面まで、1本の柱となった鍾乳石。

水が滴る天井側の石が垂れ下がり、水が滴り落ちた地面側の鍾乳石もタケノコのように成長し、その2つが合体してできたもの。

 

すっごく長い年月をかけてできるものだ。

もちろんもっと巨大なものは他の鍾乳洞にあったりはするが、小ぶりであってもメチャすごいものなのだ。

 

陸エリア8

さてと。入洞からおよそ15分。

天柱まで来たということは、そろそろ陸上エリアが終わるということだ。

そろそろ地面ともお別れだ。

 

奥の細道を通過すると、いよいよ足元に水が現れた。

 

 

水中編

 

ここで今一度、洞内MAPを掲載しておこう。

 

水中エリア1

この鍾乳洞のアイデンティティ、後半の水中エリアの入口までやってきた。

平尾台には他にも鍾乳洞はあるが、この千仏鍾乳洞を選んだ理由がこれだ。

水の中をジャブジャブと歩いてみたい。そう夢見ていたのだ。

 

水中エリア2

まずは水に濡れないように裾をしっかり巻き上げておく。

 

玄関の"たたき"みたいにわかりやすく一段下がっているところから、僕は水中に偉大なる一歩を踏み出す。

月面着陸したアームストロング船長の気持ちだ。

 

ここでの水深は、足の甲くらいまでだ。

 

水中エリア3

 

 

うひょーっ!!冷てーーっ!!

 

 

…すまない。取り乱した。

でも本当に冷たいんだもん。

気温14℃の洞内を流れる水流だもん、そりゃ冷たいよね。

 

水中エリア4

だけどもそのうち冷たさに慣れるでしょ。

 

僕はかつて福島県の「入水鍾乳洞」も突撃してますからね。

入水鍾乳洞はいつか執筆したいが、危機を感じるレベルの冷水を膝上まで浸かりながらザボザボ歩く。照明もなくロウソクで照らしながら、体をねじ込まないといけなかったり四つん這いが必要なエリアもあるのだ。

あそこよりは100倍マシだ。

 

水中エリア5

すぐに水の冷たさは気にならなくなった。

むしろ心地よい。

 

この水中エリアも鍾乳石はポツポツと普通にある。

しかし視線はそんなのよりもむしろ足元の川の方に行っちゃうのだ。楽しすぎて。

水中エリア6

世界が青くなった。乳青色というヤツだろうか。

照明が青いからではない。足元の川底が青いのだ。

その上をサラサラと流れる小川。

すごい色だね。なぜこうなったのだろう。

 

水中エリア7

川底は石灰岩の一枚岩のような構成だ。

床は水で洗われたためかツルツルなので、サンダルで歩いても危険ではない。

真っすぐ歩いている分には、つま先をどこかにブツけたり引っかけたりする懸念が低いのだ。

 

かといって、滑ってしまうほどツルツルでもない。

石灰岩特有の若干のザラザラが滑り止めになっている。

 

水中エリア8

足首ほどの深さの青い小川の中をどんどん進む。

水流はやや強くなってきたように感じる。

 

水中エリア9

見てほしい。鍵穴のような形状の洞窟だ。

きっと水流が長年かけてこのように掘り進んできたのだろう。

 

美しさに鳥肌が立つ。

想像を絶するほどの長い長い地球の歴史の1ページに、今僕は挟まっていると、そう感じた。

 

水中エリア10

初音乳。この鍾乳洞における僕的ハイライトだ。

天井から鍾乳石が大きく突き出している、特徴的なかたちだ。

 

輪切りにすると楕円形のような洞窟の中で、いきなり尖ったデザインが登場するので映えるのだ。

これステキ。何枚も写真を撮った。

 

水中エリア11

初音乳を過ぎると、水深が深くなってきた。

ヒザくらいまで来たか?

もう捲り上げていても裾がビショビショだわ。

いいけど。どうせ外は暴風雨。遅かれ早かれ濡れる運命(さだめ)よ。

 

水中エリア12

そして通路も狭くなってきたし、岩肌が濡れているので、服もビショビショだ。

 

実はここ福岡県からスタートし、今日から九州一周ドライブするのだ。

記念すべき九州の初日なのに、貴重な衣類が初日からこのありさま。明日からどうしよう。

 

水中エリア13

なんだか水流も早くなってきたぜー!

そっかー!川幅が狭くなると水圧も強くなるもんなー!!

 

ヒャホホホホーー!!

足がすごい速度で洗浄されて気持ちいいぜーー!!

 

水中エリア14

おぉーーい!!

待て待て!!サンダル待て待て事件の発生だ!!

 

これ返却しないとあとで受付で怒られるから!

 

水中エリア15

…とまぁドタバタしたりもしたけど、ふと円形の神秘的な池が出てきて息を飲んだりした。

ここだけ上からスポットライトが当たっているような気がした。

 

ならばその下で照明を浴びるこの僕は、いったい何者?

そう、この物語の主人公のYAMAさんです。

 

水中エリア16

はい、そういうバカなことを言っているから照明落とされるようです。

あと50mで照明エリアの終了だ。

 

水中エリア17

『本日は、ここで照明を終らせていただきます。引き返してください。(入口より870m地点)』

 

照明区間の終点。

入洞からここまで25分であった。

大満足の25分。でも誰とも遭遇しなかった25分。

 

では、ここから来た道を全部引き返すぞ。

 

 

脱出、そして薄暗い高原へ

 

今回のゴールは、以下に提示されていた地点よりもほんの少し手前の870m地点であった。

まぁでもいい。120%楽しませてもらった。

 

帰路1

僕はまたザブザブと地底の渓流の中を歩き、スタート地点を目指す。

 

ちなみに、冒頭でも少し触れたが照明無しの闇エリアは懐中電灯が必須だ。

さらには通路を豪快に滝が流れ落ちていてズブ濡れになると聞いている。

さらにさらにその奥のゾーンもあり、そこは水流の中をほふく前進する危険エリアとのことだ。

 

今回はここまでで良い。

またいつの日か機会があれば、その先にチャレンジしても良いだろう。

あるいは、これを読んだあなたがその先にチャレンジし、その報告を僕にしてくれても良い。それで僕も満足だ。

 

帰路2

往復40分で、受付に帰還した。

もう外は相当に薄暗くなっていた。

夏だから本来はもっと日は長いのだが、暴風雨と霧のせいで、もう夜のようだ。

 

濡れた足を拭いて靴に履き替え、そして激坂の階段を登って駐車場の愛車のところまで戻ってきた。

 

…って後ろからもうスタッフさんが登ってきた。

受付をクローズさせて速攻で来たのだろう。

つまり僕が洞窟内から出てくるのを帰れずに待ってくれていたのだ。

すみません、ありがとう。

 

帰路3

うおぉ、相変わらず元気に吹き荒れているぇーー!!

前、全然見えねぇ!!

 

とりあえず最寄りの町へ行こう。行橋だな。

…こうして不気味なセピア色に色付く行橋の町に入り、そして一息ついた僕は温泉を探して入浴し、温まるのだ。

「あー、楽しい時間を過ごせたな」と振り返りながらお湯に浸かった。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

ワイルドな千仏鍾乳洞。

あなたもいかがだろうか?

まだまだ残暑は長いぞ。母なる地球が何万年もかけて作り出した地下空間で涼を楽しむ、そんな日があっても悪くはないだろう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 千仏鍾乳洞
  • 住所: 福岡県北九州市小倉南区平尾台3-2-1
  • 料金: 900円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00~18:00(平日は17:00まで)

 

No.215【静岡県】ずっと大将のターン!!「とんかつ一」は無限にお替りを盛られ続けるぞ!

おかわり自由なお店であれば、世の中に数多とある。

バイキングやビュッフェもこの類だ。

だが、それらは自分の意思でのおかわりだ。

 

もし店側が積極的におかわりを盛りつけてくるとなると、こちらの姿勢もガラリと変わる。

この代表例はわんこ蕎麦であろう。

満腹まで食べるのが大前提のエクストリームスポーツだ。

 

さらにクライマックスでは、満腹になっていようとも強引におかわりを盛ろうとしてくる店員さんの攻撃をどのように停止させるかという、一世一代の攻防劇が繰り広げられる。

フィナーレにふさわしく、最も視聴率の上がる瞬間だ。(自分劇場の中での妄想)

 

伊豆半島下田駅

今回ご紹介するとんかつ屋さんはスゲーぞ。

もともとドカ盛りなのに、減った分だけ足してくる。

絶望の未来しか見えない。

 

だが、過去の偉人たちは絶望の先に明るい未来を見つけ、それを手に入れている。

だったら僕もやるしかないのだ。

 

行くか、「とんかつ一(はじめ)」。

今、僕は伊豆半島南部の下田駅前を通過した。

もうすぐ目指すお店だ。

ドキドキでハンドルを握る手にも力が入るぜ。

 

 

「初めてならミックスでいいよね」

 

とんかつ一(はじめ)。

その店頭に僕は立った。これから激戦が始まる。

 

突撃1

パッと見では普通の食事処だが、個性的な対象が個性的な接客をしてきて、勝手を知っていないと一見さんは慌てふためくこと間違いなしのお店である。

大丈夫、僕は予習してきた。

 

突撃2

とんでもなくゆるいブタの看板が特徴的。

小学校低学年くらいのクオリティを感じ、微笑ましい。

 

…ただ、この顔で油断するべからず。

このブタ、とんでもなく鋭い牙を持っているぞ。

油断するとこちらが噛み殺される。

 

左側のポスターのお姉さんは極楽顔をしているが、隣のマッサージ屋さんのポスターなので無関係。

店内ではシリアスな戦いが繰り広げられているのだ。ヘヴンなんてこの世には無い。

 

突撃3

店内に入った。

テーブル席もあるが、カウンター席がメインのお店だ。

 

体格のいい人たちがカウンターに一列に並んでいる。

ドカ盛りのお店なのでこれは頷ける。

一生懸命ムシャムシャ食べているのだが、カウンター越しの店員さんから次々におかわりを盛られて「ありがとうございます」やら「もうカンベンしてください」やら、どちらにしてもドM的なコメントが僕の耳に届いてくる。

 

少食気味の僕は場違いだぞ。

大丈夫かな、生きて帰れるかな??

 

突撃4

カウンターは満員なので、カウンター裏の小さなテーブル席を案内された。

ここはカウンター席のデカい方々の死角となり、店員さんの攻撃を免れることができるかもしれないな。

 

カウンターの向こう側、テロンテロンの白い肌着みたいな服を着ている、2022年現在79歳の大将が僕に声を掛けてきた。

大将:「旦那、初めて?」

 

あぁ、ちなみに成人男性は一律"旦那"と呼ばれる。

人生初旦那を得た僕は素直に「初めてです」と言う。

 

大将:「初めてならミックス定食でいいねー」

 

質問でもなく強制でもなく、「太陽は東から昇るよねー」くらいにサラッと言われた。

 

突撃5

このお店にはいろいろメニューはある。

ただ、初めての人は老若男女を問わずにミックス定食なのだ。

事前知識が無いと戸惑うこと山の如しだが、僕は知っていたので「はい」と言った。

 

ミックス定食。

今回の敵の名前である。

口の中でメニュー名を反芻し、そして水をゴクリと飲んだ。

 

 

「カレーかけていいですか?」

 

カウンターの内側では大将と奥さん・店員さん(娘さん?)が忙しそうに動いている。

メニューの到着を待っていると、店員さんが僕に「ご飯にカレーかけていいですか?」と聞いてきた。

 

提供後に聞かれるとWebで呼んでいたが、僕がカウンター裏にいるためかあらかじめカレーをかける作戦に出たのだろうか?

とりあえず「はい、お願いします」と言った。

 

戦いの布陣1

「では受け取って下さーい」とのことで、カウンター越しに丼を受け取る。

 

丼にご飯。そして昭和っぽい黄色いカレー。

なかなかのボリュームである。お茶碗1.5杯分はある。

お腹ペコペコでなければ「これだけでよい」と判断してしまいそうなほどの量だ。

 

続いて味噌汁がやってきた。

かなり大振りのお椀であった。

 

そしていよいよ真打登場である。

 

戦いの布陣2

宅配ピザのMサイズくらいの大きなお皿。

そこに茶色いカツがビッチリと鎮座しているプレートだ。

 

よく「凄腕の格闘家は相手と対峙したり握手しただけで、相手との実力差がわかる」と言うじゃない。

その言葉を借りるなら、僕はコイツと対峙した時点で負け犬の顔をしていたと思う。ダメこれ。

 

戦いの布陣3

写真を見ているあなたには、どれもが茶色い似たような物体に見えてしまっているに違いない。

なので店先に掲げられていたメニュー表を基に内容物をご紹介する。

 

戦いの布陣4

こんな感じだ。

大きなメンチカツ1つ・ヒレカツが4つほど・カニクリームコロッケ1つ・鶏のから揚げ4つほどだ。

女性だとヒレカツやから揚げの個数が減る代わりにエビフライになるらしいが、そこいらはよくわわからないので、もしあなたが興味あるなら実際に行ってみてほしい。

 

戦いの布陣5

では、いただくとしよう!

…食いきれるのか、これ!?

 

 

「スパゲッティ、足しておくね」

 

食べ始めた。

カレー丼は辛くなくって食べやすい。

味噌汁には豚肉も入っていた。豚汁だこれ。敵は手ごわいぞ。

 

無限ループ1

メンチカツには甘めのデミグラスソースがかかっている。

中は肉汁たっぷりでジューシーだ。

その他の揚げ物は、なかなかハードに揚がっている。ちょっと固くて芳ばしめのタイプ。食べ応えあるぞこれ。

 

メニューが登場するちょっと前の時点で追加のお客さんが来て相席になっていたのだが、このタイミングでカウンター席が1つ空いた。

奥さんが「よろしかったらカウンターへどうぞ」と言ってくれる。

 

この後に詳細は語るが、乗ったら敵の餌食だ。

でも僕は乗る。「わぁ、ではせっかくなのでカウンターへ…」と言い、巨大プレートをそそくさとカウンターに運んだ。

盛大な死亡フラグである。

 

無限ループ2

さて、僕は序盤にスパゲッティとキャベツをモリモリ食べていた。

なぜそうしたのか、今となってはもうよく覚えていない。

たぶんスピーディーに食べることができ、そして無くなればお皿がスッキリして見えて"食べてやった感"を感じやすいからだったと振り返る。

 

大失敗だった。

 

カウンターの隣の席では、大将がお客さんに「おー、食べているねー。じゃあスパゲッティとキャベツを足すねー。」・「ご飯どうする?OK!じゃあカレーもかけるね!」とかやりとりをしている。

次は僕だ…。

 

「スパゲッティとキャベツ、足しておくねー」と言われた。

「はい」と答えた。

1回くらいはOKして敵を油断さえておきたかった。このやりとりもしたかった。

決してもっと食べたかったわけではないが。

 

無限ループ3

バットからキャベツがドガっと盛られた。

大きなボウルに入っていたスパゲッティも無造作に盛られた。

 

おやおや。

最初の段階でキャベツってこんな富士山みたいに聳えていましたっけ?

スパゲッティもこんなにトグロを巻いて存在を主張していましたっけ?

 

端的に言うと、最初より増えた

ロスタート、「振出しに戻る」どころではない、スタート地点より前に戻った。

 

ここは肉以外は無限におかわりを盛られる。

なので肉を最初に攻略すべきであった。失敗だ。

 

無限ループ4

満腹中枢がビンビンに刺激されている。

既に腹8分目~9分目だ。これヤバいぞ…。

スパゲッティとキャベツのおかわりをを受け入れてしまったことを後悔し反省している。

 

こうしている間にも、奥さんや店員さんから続けざまに「ご飯足しますかー?」・「お味噌汁追加していいですかー?」って続けざまに聞かれている。

大将からの誘いを断っても、1分後には奥さんから同じことを聞かれる。

 

厨房内の情報連携が一切できていない。まぁ連携しようもないだろうけど。

絨毯爆撃と言うか、長篠の戦いの"鉄砲三段撃ち"というか、もう隙がないわ店の攻撃。愉快。でも苦しい。

隣の人は何度かおかわりしつつもダウン寸前であったが、大将から「せめてたくあんだけ!なっ!」と押し切られ、お皿に半ば強引にたくあん置かれていた。

 

無限ループ5

カウンターの向こう側でも、店員さんが「スパゲッティ盛っていいですかー?」と聞きつつもまさにもう盛り付けんばかりに麺を掲げ、お客さんがアワアワしていた。

お客さんの目の前でスパゲッティを「ほーれほーれ」みたいに揺らしていた。

敵は全員ドSだぞ、気をつけろ!

 

店内のテーブル席にはご夫婦と小学校中学年くらいの女の子の3人連れもいた。

カウンターの中から大将が「旦那ァ!おかわりは!?味噌汁は!」みたいに頻繁に声が飛んでいた。

 

最初はご飯にカレーをかけるのを断っていた女の子にも、「ねぇカレーかけよう。その方がおいしいし食べやすいから!」って、はにかむ女の子に3回くらい積極的に交渉を持ち掛け、最終的に「じゃあかけよう。おーいオマエ、カレーかけてやってくれ!」って奥さんに指示していた。

店内各所が阿鼻叫喚となっている。

 

無限ループ6

もうちょっとなのだが、胃がはち切れそうだ。

人生でTOP3に入るんじゃないかってくらいに食べている。

 

まぁ持ち帰りも可能だと聞いてはいるが、食べきれるのであれば食べてしまいたい。

しかしこのちょっとがどれだけキツいか、あなたも想像できるであろう。

ギリギリなのだ、本当に。

 

そう逡巡している間にも、カウンター内の3名から代わる代わる「ご飯足りてる?」・

「カレーだけでも食べる?」と聞かれている。

「もう限界です」とキッチリお断りする。…それでも聞かれるけど。

 

無限ループ7

食べきった。

足元に置いてあったカバンに手を伸ばすときにお腹が圧迫され、本気で「うっぷ」ってなった。

歩くのも困難なくらいで油断すると口からミックス定食が出てきそうだが、平静を装って退店することだけを取り急ぎの人生目標とした。

 

大将はニコニコしながら「マズくてゴメンねー!」・「お腹いっぱいになった?」と聞いてくる。

お客さん全員にこんな感じで自虐気味に話しかけてくるのだ。

 

感謝とごちそうさまを伝え、店を出る。

駐車場までの数10mがシンドかった。

車に乗った後のシートベルトがシンドかった。

このあと2時間ほどは満腹すぎで車を降りる気力もなく、東伊豆を淡々と走った。

 

 

絶メシだけども頑張るお店

 

「絶メシロード」というグルメ系ドラマがあった。

2020年に放送された。

 

絶メシとは"絶滅してしまいそうな飯屋"のことであり、個人経営のレトロな食堂など、高齢の方が運営していて後継者もいないようなお店が主である。

もともと群馬県高崎市で「絶メシリスト」というWebサイトがあり、これをモチーフにドラマ化したものだ。

 

別店舗で撮影した写真です

その中でこのとんかつ一も登場しており、それで知った。

お客さんと店との応酬もそこで知った。

絶メシロード、どの回もマジ楽しかった。

 

今回このような記事を書いたが、あなたにご理解いただきたいのは、僕が今回の記事をネガティブな気持ちでは書いていないということだ。

「客にメニューを選ばせない・強引におかわりを盛るなんて酷い店だ!」とは思ってほしくないし、僕もそういう気持ちでは書いていないということだ。

 

 

僕は心から楽しみ、ぶっちゃけかなり苦しかったけれども、自分のキャパの中で楽しんだ。

 

初回訪問の人にミックス定食を進めているのも、まずはいろんなメニューの要素を詰め込んでいるミックス定食を食べてもらい、2回以降に気に入ったおかずをメインとしたメニューを頼んでほしいからだ。

たぶんだけども理由があれば断ることもできるだろう。

 

 

おかわりをすすめてくるのも、お腹いっぱいになってほしいという強い気持ちから。

あ、でもちょっとS気質があるのは否めない。

これまたしっかり断ることも可能だし、持ち帰り用のパックもある。

 

お店の人はとてもフレンドリーでいい人なのだ。

お客さんの嫌がるようなことを臨んではいない。

 

もちろん万人受けするかと言われればそうではないだろうし、そもそも万人受けするようなお店なんてほぼ存在しないと思う。

ちょっと独特で事前知識があったほうがいいお店ではあるが、個性の尖ったこういうお店があってもいいと思う。

なんでもかんでも無難で丁寧でクレームを恐れて…という世の中であるが、多少のブレ幅があったほうが人生面白い。

 

 

絶メシロードのシーズン2が、今月(2022年8月)の末から始まる。

 

またこういう個性的でワクワクするようなお店を取り上げてくれることを期待している。

老舗食堂、それはエンターテイメント。

食が充実するということは、人生が充実するということのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: とんかつ一
  • 住所: 静岡県下田市東本郷1-13-1
  • 料金: ミックス定食¥1450他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 11:00~19:00(日曜定休)

 

No.214【岡山県】世紀末感が漂う…!!水没ペンション村「グリーンファーム」がヤベェ!

瀬戸内海に面した牛窓(うしまど)という町をご存じだろうか。

別名"日本のエーゲ海"とも呼ばれる、本当に穏やかで綺麗なスポットだ。

 

そんなエリアの片隅に、なんだかドロドロした廃墟村のようなものがある。

そこだけ世界が暗転しているのだ。

 

現地で実際に撮った写真です

元廃墟ハンターである僕は、「これはゆゆしき事態ぞ」とか言いながらも、内心少しワクワクしながら岡山県に向かうのだ。

 

 

美しい牛窓

 

まずは本題に入る前に牛窓の美しい景色をお届けしよう。

なぜなら牛窓の美しい姿もご紹介しておかないと、「牛窓のイメージダウンの記事を書きやがって!」と僕がフルボッコにされなねないからだ。自衛、大事。

 

牛窓1

まずは公衆トイレだ。

公衆トイレなのにこんなに異国情緒あふれるファンシーなデザイン。

ギリシャ風車だろうかね?同じ瀬戸内海の「小豆島」にあるヤツの小さい版って感じだ。

 

こんなにワクワクするトイレはなかなか無いよね。

これが牛窓だ。

 

牛窓2

牛窓の港には「波濤崎」と書かれた石碑があった。

地図で見てもここいらは全然岬っぽくないのだが、昔は、岬の形状だったのかもしれない。港は埋め立てされた形跡があるので、岬だった頃の記憶の断片なのかもしれない。

 

牛窓3

穏やかな海にボートがずらりと停泊していた。

僕の写真の腕がイマイチなので、この写真だけでは日本のエーゲ海とは認識しにくいかもしれないが、とても静かでいい場所なのだ。

時間がゆったりと流れていると感じた。

 

牛窓4

かつての僕は、この港にあるレストランでランチをすることにした。

「昼どきなのにわりとガラガラだな」と思ったけど、気にしない。

1人旅なので周囲がカップルやファミリーだと心が折れるだけなので、逆に空いている方が良い。

 

このお店の名前は「シーフードグルメ館UOUO(うおうお)」という。

なんてネーミングセンスだ。

 

ただ、調べてみると2022年1月末で閉店してしまったらしい。

コロナの影響だろうか?それ以外だろうか?

いずれにしてもちょっと切ない気持ちになった。

 

牛窓5

ここでオーダーしたのは、牛窓の郷土料理である"水夫のじゃぶじゃぶ"。

なんてネーミングセンスだ。水夫、溺れてないか?大丈夫か??

 

海の男が食べる、ぶっかけご飯とのことだ。

シタビラメを骨ごとミンチにして野菜と一緒に汁ものにし、それをご飯にかけて食べるんだって。汁は醤油ベースの甘めの味付けで、ワサビをつけて食べるのだ。

 

もう昔のことなので味は覚えていないのだが、当時の手記いんは『ちょっと変わった味付けだった』と書いてある。

なんかオブラートに包んでないか、過去のYAMAのヤツ。

 

しかし同じ店で同じものを食べることは一生不可能なので、真相は闇の中だ。

ただ、海に向かって大きな窓のある居心地のいいロケーションで、居心地は最高だった。

 

牛窓6

あとはね、「牛窓オリーブ園」が観光地の目玉で、丘からの瀬戸内海の眺めとか最高らしいんだけど、1人で行く勇気がないので未訪問である。

 

…さてと、このくらいにしておこうかな。

では、次項からが本題だ。

 

 

水没した世界

 

2022年…。

僕は牛窓水没ペンション村「グリーンファーム」を目指していた。

水没ペンション村ね、Googleマップの表示からしてまずすんごいのよ。

 

水没世界1

Googleマップから画像引用させていただいた。

戦争時での各隊の配置を地図上に表すときって凸字を使うじゃないですか。

その凸字が海上に無数に並んでいて、並々ならぬ攻撃性を感じさせる。

「全軍北東に進軍!」って感じだ。何事だ。

 

まぁこれペンションの1棟1棟が上から見ると凸字なんだけどさ、廃墟を訪ねる僕としては事前にGoogleマップを見た瞬間に戦慄するわ。

 

水没世界2

夕刻が近付いてきた。

雲も広がってきた。

 

そんな廃墟探訪を盛り上げてくれるようなシチュエーションの中、僕は現地に到着した。

広い路肩があったので助かった。短い時間なのでここに駐車させていただこう。

 

水没世界3

そしてグリーンファーム跡を眺めるのだ。

はい、すごいね。

 

一面の水。立ち枯れの木。

日本の各所には、池の中に立ち枯れの木々があることで幻想的な雰囲気を作り出しているスポットがいくつかある。

代表例では北海道の「白金の青い池」とか。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ただし、ここにはそういう神聖さはねぇ。

ここあるのはただただ世紀末感、それだけだ。

映画とかで出てくるようなディストピア、つまりは退廃した未来世界、そんな感じだ。

 

水没世界4

水没しているのは立ち枯れの木だけではない。

人工物も水没しているのだ。

まずは目に入って背筋がゾクッとするのは、道路標識だな。

 

水没世界5

「徐行」の標識と、何かのネット。

徐行なんてしようがない。ブクブクと沈むしか選択肢の無い世界。

 

僕さ、数々の廃墟を見てきたし、火山灰や水や土砂で埋もれた地も見てきた。

しかしその中でも「怖いな」って思うのが、この道路標識が埋没している光景だ。

なぜなのか自問自答してみた。

 

それはきっと、「標識の下には道路があり、車が走り、人が歩く"生活"があった。それが埋没してしまった。」という連想をしているからなんだと思う。

道路標識、それは僕の深層心理の中では生活の象徴の1つなのかもしれない。

 

水没世界6

水没した木々にズームしてみた。

「おぞましい」という言葉がぴったりな木がした。

 

木々の各所には黒い鳥が止まっている。

実は水鳥なのだが、遠目にはカラスのようにも見え、それが世紀末感によりブーストをかけている。

 

水没世界7

ちょっと場所を変え、コテージ群がたくさん残る様を見に行こうか。

 

 

コテージ群の残骸

 

前述の通り、ここは水没ペンション村。

実は当時運営してしていたときのまま、数棟のコテージが放置されている。

ここの目玉である。

 

コテージ群1

水の中に残されたコテージ群。

随分と朽ちてはいるが、まだしっかりと自立している。

 

手前に残る街灯がまた怖い。さっき語った道路標識と同じ理屈で怖い。

あと、コテージの中で閉じられているカーテンが怖い。

 

コテージ群2

ここでは多くを語らないが、廃墟の内部において僕が怖いと感じるのは、布だ。

カーテン・布団・服…。

これらがドロドロに朽ちていくのを見るは、精神的になかなか来る。

あとはこれらを踏むと気持ちが悪いとかもあるんだけど、まぁその話は追い追い…。

 

コテージ群3

管理棟かな?

中央では平屋の建物が半身浴している。

そして見てくれ、その左手には車が2台停まったままだぜ。

 

コテージ群4

運転席周りしか見えていないということは、後ろ半分は荷台、つまり軽トラだな。

きっとこのペンション村で運搬等に従事していた軽トラなのだろう。

それが放置され、これまた水没している。やるせない気持ちになる。

 

コテージ群5

遠くの方には、ボス的な存在のひときわ大きい建物。

大人数用のコテージ?

 

あの中はさぞや魅力的なんだろうと、僕は想像する。

しかしその想像はかき消す。

僕はとうの昔に廃墟ハンターを卒業済みなので、こうやって安全圏から遠望するくらいに留めるのだ。

 

コテージ群6

電柱と、その足元の小さな倉庫。

この倉庫の土台が一番高いところにあり、そして基礎がしっかりしている。

なんか皮肉なヒエラルキー

 

この倉庫は静かに朽ちゆく廃墟群を、これからもここから高みの見物をするのだろう。

どんな気持ちでこの光景を見ているのは知らないが。

 

 

なぜ滅びたのか

 

そもそもこのペンション村はなぜビタビタに浸水してしまっているだろうか?

いつから廃墟になったのだろうか?

そして、「浸水したから廃墟となった」のだろうか、それとも「廃墟になってから浸水した」のだろうか?

 

あなたも気になるよな?

気になって気になって、もう夜しか眠れないよな?

では、そこのところをご説明していこう。

 

廃墟村はこうしてできた1

昔々、江戸時代はここいらは塩田であった。

穏やかな海、満ち引きのある海岸、晴れの日の多い気候…、そんなところがきっと好条件だったのだと考える。

 

でも、昭和も中期に入ると経営が厳しいことになる。

塩は海外で大量生産したものを輸入した方が安いしね。

コツコツ塩田で塩を作るのって、労力もかかるし大変なのだ。

 

こうして1970年代ごろ、このエリアの塩田の歴史は終わったらしい。

 

廃墟村はこうしてできた2

そしてこの地は、リゾート地として再開発された。

1980年頃だと言われている。

 

ペンション村ができたのも、このときだ。

正式名称は「鹿忍(かしの)グリーンファーム」。

僕の調査力がないのか、かつてどんな感じの施設あったのかを窺い知れる内容は、Web上では見つけることができなかった。

 

ただ、この地には1つ大きな特徴がある。

それは、かつて塩田にしていたような地なので、潮の満ち引きが大きい。

定期的にポンプで排水しないと水没する。

 

そんな土地だったのだ。

ペンション村は排水を繰り返しながら運営してきたのだ。

 

廃墟村はこうしてできた3

鹿忍グリーンファームが閉鎖されたのは、2000年頃らしい。

なんでなのかは調べたけどもよくわからない。

不況のあおりとか、施設の老朽化とか、娯楽の多様化とか、きっとそんなところだろうとは思っている。

 

グリーンファームはすぐには沈まない。

しかし2013年に一気に水没が始まったと聞いている。

 

廃墟村はこうしてできた4

2013年の春に浸水が始まり、秋ごろにはドップリと浸かったそうだ。

 

水流が一気に流れ込んだのではなく、ゆっくりとした浸水だったから、建物はその姿をしっかりと留めながら今に至る。

ゴルフ場やテニスコートのネットもこうして今も立っている。

 

さらには残った木やコテージなどが、水鳥たちの格好の住処となったのだ。

 

廃墟村はこうしてできた5

まぁ、本来ならば所有者が責任を持って解体すべきなのだろう。

それがなされずに20年経過しているということは、それが困難な状況であることは容易に想像できる。

 

僕の現地訪問時は感じなかったが、虫が発生したり異臭が発生したりと、周辺住民は迷惑しているそうだ。

確かに夏場はキツそうだな。

そして、景観・風評・治安の面でも影響はあるだろう。

せっかくの日本のエーゲ海牛窓なのにこれは残念だ。

 

廃墟村はこうしてできた6

自治体が費用を捻出しない限り、このペンション村はずっとこのままで、ジワジワと朽ちていくのだろう。

 

一瞬立ち寄っただけの僕はこの光景を「ユニークだな」みたいに表現できるかもしれないが、世の廃墟の抱える真の闇のことを考えると、重い気持ちになる。

廃墟は好きなのだが、胸を張って「好き」とは言えない理由の1つがここになる。

 

2022年。今回の牛窓では、時間の都合からもほとんどここしか訪問しなかった。

しかしまた次回、それは日本7周目になるのだろうが、そのときにはキラキラと輝く牛窓をご紹介したい。

ただ、これナイショだけどさ、やっぱ僕って廃墟は好きなんだからな。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 鹿忍グリーンファーム跡
  • 住所: 岡山県瀬戸内市牛窓町鹿忍830
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 路肩等ならあり
  • 時間: 特になし

 

No.213【長野県】日本中央の碑が建つ「生島足島神社」!なぜここが日本の真ん中なのか!?

あまり神社仏閣には食指の動かない僕であるが、「生島足島(いくしまたるしま)神社」は別だ!

 

ずーっと昔、日本3周目の前半でも訪れているが、日本6周目の終盤で久々に再訪することとした。

「何がそこまで僕を突き動かすのか」だと?

待ってました、いい質問だ。

 

それはね、この神社の境内に日本中央と書かれた石碑が立っているからだ。

 

 

僕は自問自答する。

「あなたは職場のグループの中心ですか?」

「あなたは友達の輪の中の中心ですか?」

「あなたは家庭…」

「あなtah ―

 

うるさいうるさい!!

好きで端っこにいるわけじゃないんだよ!

僕だってたまには日の目を浴びたいことだってあるさ!

 

なぁ…。

日本の端っこばかり追いかけていないで、日本の中央に立てば、何かわかるかなぁ…?

日本3周目の僕は、こうしてハンドルを握るのだ。

 

 

日本の中心を巡るということ

 

最初にあなたに断っておかねばならないことがある。

それは、日本の中心は1つではないということだ。中心なのに複数あるという時点で混乱させてしまったな、申し訳ない。

 

確かに、日本の中心は1つしかないと思われるのが一般的な思考であろう。

ただ実は中心の定義って曖昧で、定義次第で日本の中心も無数に乱立しているのが実状だ。

ぶっちゃけ30箇所くらいある。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ってみたいと夢見ているのが、この僕だ。アホでしょ。

今回の記事は、その日本の中心の1つである生島足島神社が掲げる日本中央の碑にスポットを当てる。

 

ここは生島足島神社公式Webサイトを見ても、そして数あるWebの中を検索しまくっても、「なぜここが日本の中央なのか」の答えが記載されていない。

そうなのだ。

日本の中心って概念が様々にありすぎて、そして複雑すぎて、把握している人が極端に少なくなってしまったようなスポットもあるのだ。

だから面白いのよ。パズルのようなのよ。

考えて・調査して・そして納得する。これすげーエクスタシーよ。

 

今回僕は生島足島神社さんに直接取材させていただき、納得できる解をいただけた。

最終章でご紹介するからワクワクしながら読み進めてほしい。

 

 

日本3周目の思い出

 

生島足島神社の最寄りの道の駅は、「道の駅 マルメロの駅 ながと」である。

5:20、車中で仮眠を取っていた僕が目を覚ました。

 

「寒い…」ガタガタ震えていた。室温計は2℃を指している。

5月中旬の信州の山間部をナメていた。

毛布1枚で足りるわけがない。羽毛布団を持ち込むべきだった。

真冬用の上着を着ることで、かろうじて寝ることがわ。

 

自販機で缶コーヒーを買って温まり、そして10数㎞北にある生島足島神社を目指したのだ。

 

早朝の神社1

6:00ちょいすぎの神社だ。

無料駐車場がついていて助かった。

 

想像していたより境内が広くて立派な神社だ。

早朝の冷たい空気がピンと張り詰め、神聖な感じが際立つ。

さて、お目当ての日本中央の碑はどこかな…とウロウロする。

 

早朝の神社2

なんか池にはガチョウやらカモやらがいて、しかもガチョウが僕を見たら興奮して近寄ってきてガーガー言うし、つっついてくるし。

 

好かれてるの?嫌われてるの?

どっちか謎なのだが、この静かな早朝にガーガー言われるのは近所迷惑になりそうでヒヤヒヤするのだ。

 

早朝の神社3

この神社では境内の池でこれらの鳥を放し飼いにしている。

神社の本殿は上の図のように、「神池」という名の池の上に浮かぶ「神島」にあるのだ。

すごい神々しいネーミングだ。

 

そしてこんないい感じのロケーションだから、鳥たちも大喜びで暮らしているというワケだ。

 

早朝の神社4

本題の日本中央の碑、パッと見つけられずに境内をグルリとしてしまったが、ちゃんと見つけたぞ。

神島に渡ってすぐの橋のたもとだった。

 

石碑の上部に日本中央と刻まれている。

 

早朝の神社5

なぜここが日本中央なのだろう?

日本3周目当時の僕も、もちろんそれは考えた。

そしてWeb検索した。

当時の僕は以下のような記載を見つけた。

 

この神社には、生島大神(いくしまのおおかみ)と足島大神(たるしまのおおかみ)の2人の神様を祀っている。

どちらも日本国全体の御霊として奉祀されている神様である。

従い、この神社は太古より日本総鎮守として位置付けられ、それがすなわち日本中央なのだ。

 

神様のことは全然わからないが、とりあえず納得するしかなかった。

2022年現在は検索しても、上記旨はどこにも記載されていない。

今一度定義を確認したほうがいいだろうな。

そして、久々にまた生島足島神社を訪問してみたいな。

 

そう思って日本6周目の終盤を走る僕は、長野県に向かうのだ。

 

 

闇の中を徘徊する

 

2022年の夏、僕が再びやってきた。

あ、いきなり話が脇道に反れるが、生島足島神社の直前で撮影した以下の写真を見てほしい。

 

アプローチ

前方に滝があるっしょ。

すごくない?信じられなくない?

長野県のド真ん中に、こんなナイアガラ級の滝があるんだよ。知ってた?

 

…まぁこれ、雲なんだけどね。

しかし滝のような雲。僕はビックリしたさ。

写真じゃこのスケールを表現するのは難しいだろうけどさ。

 

ちょうどここの車載動画がある。

7秒しかないからぜひ見てくれ。

 

 

ね、とんでもないスケールでしょ。怖いでしょ。

 

わかっていただいたところで、生島足島神社だ。

まぁこんな感じで壮大な雲に浮かれていたら、すっかり暗くなっちゃったんだけどな。

 

夕暮れ神社1

ほぼ真っ暗で静かな境内に足を踏み入れる。

記憶の奥底にかろうじて境内のMAPが残っているが、暗すぎて参考にならないレベルだ。無事ウロウロと彷徨う。

 

夕暮れ神社2

ただ、暗い時間帯の神社って神聖な感じがしてスキだ。

ところどころに提灯の明かりがついているのも、またよかった。

 

大丈夫。ちゃんと僕は覚えている。

本殿の前に日本中央の石碑があったことを。境内の中でもメインに当たる部分なので、ほどなくしてそこ場所に到達する。

 

日本中央1

はい、かつてとほぼ同じ構図で写真を撮った。

石碑もきっと同じものだ。

 

天皇陛下幣帛料御下賜」の立て札だけ新しい。2016年に皇室からの寄進を受けてなんやかんやしたらしいな、なるほど。

 

日本中央2

ホントはもうちょっと、境内のいろいろなスポットだとか池だとかをあなたにご紹介したいのだが、いかんせん暗くって何も見えないしいい写真もない。

ちょっと書くネタに困ってきたところです。

 

とりあえず日本中央の文字は石碑に控えめに彫られているので、でっかく映るようにもう1枚写真を撮ったところだ。

 

夕暮れ神社3

少し引きでもう1枚ご紹介する。

右側が日本中央の碑。そして左側に見切れているのが本殿だ。

 

夕暮れ神社4

はい、これが本殿だ。

生島足島神社は道路沿いにものすごく大きな電光看板(?)を出して存在をアピールしているが、本殿はかなり控えめな大きさだ。

 

もちろん、そのことを悪く言いたいわけではない。

先ほども書いた通り、生島大神足島大神というかなりの権威のある2人の神様を祀っている、すごい神社なのだそうだ。

 

夕暮れ神社5

では、次の項では日本中央たる所以について、掘り下げていこうか。

 

 

なぜここが日本中央?

生島大神足島大神

 

まずは生島足島神社の由緒から紐解いていこう。

この神社の主祭神は、生島大神足島大神の2人だ。これは前項や前々項でも触れたね。

 

この2人がどんな力を持つ神様なのかというと、Wikipediaさんによると以下の通りだ。

生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神という。』

ぶっちゃけよくわからないし、僕個人は耳馴染みが無いけど、とりあえずすごいらしい。

 

ja.wikipedia.org

 

さらに小難しい話になって恐縮だが、上記にWikipediaさんの「宮中・京中の式内社一覧」の項を取りあげる。

これは平安時代に書かれた「延喜式(えんぎしき)」っていう法律文書みたいなものが元になっているのだが、この中に生島神と足島神の文字がある。

 

何が言いたいのかっていうと、生島大神足島大神は西暦900年ごろには既に書物に登場していて、かつ朝廷との縁も深い神々だっていうこと。

 

日本中央を考える1

ここまでは、なんで生島足島神社が日本中央かを調査したり取材するにあたり、最低限知っておかねば失礼な知識かなって思い、苦手ながらも理解した。

 

 

神社に取材する

 

生島足島神社がすごいらしいことはわかった。

しかしすごいことと日本中央であることとは別物だ。

 

なんでここが日本中央なのか。

2022年現在、Webを検索すると「地理的に日本のほぼ中央だから」・「長野県のほぼ中央だから」と書かれている個人のWebサイトがチラホラと出てくるのだが、それを信用していいのか。

 

日本中央を考える2

そして、僕が本当に知りたいのは、「どういう根拠で地理的に日本のほぼ中央なのか」だ。

 

メンドくさい思考の人間でごめんなさいね。

お仕事でもこのくらいの探求と追及を重ねられればいいんだけど、お仕事はすごいアッサリでいつまで経ってもダメ社員なの。…って何言わせるんじゃい!

 

とにかく僕は、生島足島神社さんに質問をした。

ブログに掲載すること前提にいろいろ教えてくれって言った。

そして情報をいただいた。

 

詳細な地理的計測ということではない

 

はい、まずは現在Webで調べられる大半の事由がバッサリ否定されてしまった。

聞いてみるもんだな、こりゃ。

じゃあなぜ日本中央なのか。

 

御祭神である生島・足島大神が、その時代の国の真ん中あたりでお祀りされて来られた

 

この、その時代の真ん中の例として、今でも生島大神足島大神を祀る神社が近畿地方に数社あることを教えてもらった。

近畿地方は、かつての政権の中心だしな。

前項で取り上げた通り、"朝廷との縁も深い神々"ってことだな。

 

日本中央を考える3

東日本で生島・足島大神をお祀りしている神社は当社のみである

 

そうなのか。

確かに東日本を主な拠点としている僕は、これらの神様の名に馴染みがなかった。

ここ生島足島神社でしか聞いたことがなかった。

 

…ん?

さっきは「生島・足島大神は、基本的にその時代の国の真ん中あたりで祀られてきた」という旨のコメントをされていたよね?

ここ長野県は日本の政治の中枢だったことはないのに、なんで生島大神足島大神を祀っているの?

 

日本中央を考える4

日本列島の地図は誰が見ても長野県・群馬県岐阜県あたりを真ん中辺と見ると思いますが、正確な地図の無かった古代に当生島足島神社が鎮座する東信濃小県郡の地に生島・足島大神をお祀りしたということが凄いことだと思う

 

僕は正直ここで少し混乱した。

ちょっと時間を置いて今一度主旨を分析していこうと思う。

 

  1.  生島大神足島大神は基本的に政治の中枢の場所に祀られる
  2.  だけども例外的に長野県に1箇所だけ祀られているのがここ
  3.  それがなぜかというと、政治の中枢じゃないんだけども地理的に日本の真ん中あたりだから「例外的に生島大神足島大神を祀ろっか」ってなったから
  4.  (昔の人が長野を地理的な日本の真ん中だとわかったの、スゲースゲー!)

 

…ということか。

自分なりにもっと噛み砕き、解像度を低くして表記するなら、以下のような感じかな。

 

  1.  政治の中心のシンボルがある。
  2.  そのシンボルが長野県から見つかった。なんでだろう?
  3.  長野は地理的な中心だから、「1」との"中心繋がり"でシンボル作ったんだね。

 

100%の腹落ちはしていないが、ひとまず理解はできたぞ。

 

 

中央なのか中心なのか

 

取材ネタはもう少しだけ続く。

生島足島神社さんは2点の留意点を僕に提示してくれた。

 

この由縁は古文書等の文献ではなく、古くからの伝承で言い伝えられて来ている

 

うん、いいじゃない伝承。

確固たる文字の根拠はないが、古来から人から人へと脈々と伝えられている内容なのだ。

それを文字にしてしまう僕はヤボなのかもしれないが、ブログ掲載前程の質問なので許してほしい。

 

「日本中央」という言い方は近代的、東京の表現ですので、古くからの「日本の真ん中」の表現でお願いしたい

 

ムホホホホ…!!ちょっと待って、ちょっと待って!!

 

日本中央を考える5

境内の目立つところにゴチーンと日本中央の碑を建てておられますが!?

自分で名乗っておいて、それに同意しようとすると否定しちゃう感じですか!?

 

例えると、「ほら、私ってブスだからさ~」って言ってくる女性に対し、「そうだね、君はブスだなー」って同意を示すと鬼のようにキレられる現象と一緒?

 

日本中央を考える6

ほら、この看板の右下にも「日本の中央」って書いてあるしさ。

 

近代的で東京的な表現…っていうか、書いてあったら読み上げちゃうって。

近代的で東京的な人じゃなくて、江戸時代の鹿児島人が今ここにタイムスリップしてきても、「日本の中央」って読んじゃうって。

 

日本中央を考える7

うん、だけども『古くからの「日本の真ん中」の表現でお願いしたい』についての意図は理解したから、僕はこの記事内では石碑等の読み上げ以外については日本中央の単語は使っていない。

 

何より今回の取材で、生島足島神社さんがいろいろ丁寧に解説してくれたことに感謝しかない。ありがとうございました。

 

-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

日本中央を掲げながらもそれを否定し、日本の真ん中を名乗る神社…。

 

 

最高に面白いじゃないか。

 

そりゃ僕のもう1つの得意分野、日本の突端岬巡りも面白いけれども。

日本の中心巡りはこうやって考える余地があるから、面白い。

まだ誰も踏み込めていない領域、あるかもしれないんだぜ。

 

日本中央の電飾に背中を照らされながら、僕は生島足島神社を後にする。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.212【山口県】インスタ映え!使われない棚田の次世代活用「棚田の花段」が美しすぎる!

青空・海・花・ハンモック・ブランコ・ジェラート…。

1つ1つが魅惑的な単語だが、それらを掛け合わせればさらに魅力が増すのは想像に容易い。

 

そうなのだ。

これらを全て網羅させたスポットが、山口県にあるのだ。

名前を「棚田の花段(はなだん)」という。

 

 

僕は存在すら知らずに車でローカルな道をダラダラと走っていたのだが、そんな折に偶然遭遇したのだ。

今回は、そんなひとときの夢の世界の話をしたい。

 

 

突如出現する夢空間

 

僕は「元乃隅(もとのすみ)神社」を目指して車を走らせていた。

元乃隅神社とは、日本海をバックに無数の鳥居が立ち並ぶ、インスタ映え間違いなしのすごいスポットだ。

このスポットについては、またいずれ機会があったら執筆しよう。

 

元乃隅神社

その元乃隅神社から3km弱手前(西方向)の、県道66号沿いであった。

 

対向車が来たら擦れ違いギリギリだな…と思われる山間の道を走っていたところ、ふと左手に目を奪われた。

海・広場・ハンモック・売店…。

 

冒頭に記載した単語とはとはちょっと異なるが、ハンドルを握りながらの最初の1秒で理解したパーツはこの通りであった。

 

花段との出会い1

…で、車を停めた。

 

どんなスポットかわからなかったので停車すべきかどうか2秒迷ったが、眺めは良さそうだし、風景写真を撮るくらいの余裕はある。

ドライブをしているとなかなかアドリブで急に立ち寄るのは難しいかもしれないが、できる限り足を止めたいとは思っている。

 

ちなみに上の写真、背後に映っているのは「東後畑棚田」と呼ばれる、丘陵地帯に造られた棚田だ。

 

花段との出会い2

駐車場の隅にあった、このポール。

主要スポットやそこまでの方位・距離を掲示しているこのポール、景勝地でときどき見るけども正式名称はなんていうんだろな。

 

ここには『棚田の花壇』と書かれているが、正確には『棚田の花段』だ。

公式Webサイト等で念のため確認した。

 

2つ前の写真には、このポールの後ろに小さな小屋が写っている。

どうやら薪やもみ殻などを売っているようだが、まだ朝のためか営業していなかったし、営業していても一人旅には不要だな。

 

花段との出会い3

そしてこれが、棚田の花段のメインフィールドである。

快晴の空の下に、真っ白い広場。その向こうに青すぎる海。

最高だろ。連日こんな快晴続きなんだぜ。

 

ちなみに2022年8月現在、Googleマップストリートビューではここは2014年までの情報しかない。

その当時はただの深い草むらであった。

詳細は後述するが、このように綺麗に整備されたのは、ほんのここ数年であるのだ。

 

 

ハンモックと絶景ジェラートショップ

ハンモック

 

では、ロケーションを順にご紹介していこう。

 

ハンモックと絶景1

うん、いきなり1枚目からブレた写真で申し訳ない。

お恥ずかしい限りだ。ぜひ薄眼で見てほしい。

 

広場には点々と、このようなハンモックが設置されている。

僕の訪問時は、朝夕がまだ少し涼しくて過ごしやすい時期。かつ快晴。

ハンモックに揺られるにはベストシーズンだ。

 

ハンモックと絶景2

僕以外にはチラホラと観光客がいる。

しかし雰囲気だけの憶測だが、ここを知ってきたというよりも、僕と同じようにたまたま目に入って立ち寄ってみた…という感じだ。

 

そして、ここにはスタッフさん的な立場の人が少なくとも現時点ではいない。

なので、人々は「えっと、このハンモック使ってみていいんだよな…。よいしょ…。」と、どっか遠慮がちで、ぎこちない。

例えると、家に迎え入れた初日の犬が緊張しながらも与えられたベッドやクッションに身を沈めるような感じだ。ペット飼ったことないから知らんけど。

 

ハンモックと絶景3

結論から言うと、僕はこれらのハンモックは使わなかった。

この位置は県道から丸見えであり、そんな中で1人で使用するのはなんだか恥ずかしかったのだ。

なるほど僕が犬だったら、引き取られた家庭に馴染むまでは数日かかるな。

 

ただし、後述するがブランコやベンチは使っているので、ちゃんとこのスポットを楽しんでいる。その点はご安心いただきたい。

 

ハンモックと絶景4

あるハンモックの前には、花が添えられていた。

すげーいい。

この時点でスタッフさんはいなかったが、きっと朝誰かがセットしてくれたのだろう。

 

 

ジェラートショップ

 

広場にはジェラートショップがある。

僕は食べなかったが、とりあえずできる範囲でご紹介をする。

 

ジェラートショップ1

このお店の名前は「むかつく」だ。

 

すげーネーミングセンス…と、一瞬思うかもしれない。

しかしこの半島の名前が「向津具(むかつく)半島」なので、納得だ。

それであっても、あえてひらながで店名をつけるところにアグレッシブさを感じるね。

 

ジェラートショップ2

週末のみで11:00~の営業だそうなのだが、僕がここを立ち去る10:00ちょいすぎくらいには営業開始した様子だった。

 

この日のジェラートの種類は、抹茶・ハッカチョコ・デコポン・ミルク・レモングラスミルクティー・きなこ。

食べようか悩んだが、空腹なわけでも暑いわけでもないので、今回は辞めておいた。

 

ジェラートショップ3

絶景の前に立つ、顔はめパネル。

『むかつく ― 探さないといけないジェラート店 ―』と書かれている。

 

このお店は2019年に創業し、当初はこのサブタイトル通りに山口県長門市の各所を移動販売していたとのことだ。

しかしそれだとお客さんもなかなか訪問できずにハードル高すぎ状態となってしまったので、2022年現在はここ棚田の花段に落ち着いているそうだ。

 

ジェラートショップ4

『むかつく顔をどうぞ。』・『【!】自己責任において、ご使用ください。利用者の顔による事故は責任を負いかねます。』

…って書かれている。そりゃそうだ。

あなたもここに行かれた際には、むかつく顔をしてみてほしい。

 

あと、店舗には『ご自由にお使いください』と日傘が置かれていた。

ありがたい。

これで今年のような猛暑であっても凌ぐことができるかもしれない。

 

 

棚田再生プロジェクト

 

僕が各Webサイトで入手した情報を基に、棚田の花段の全容を見ていきたい。

 

棚田再生1

棚田再生プロジェクトの結晶。

このスポットをひとことで表現するなら、こうなるかもしれない。

 

昭和の後期頃、ここ向津具半島には2万5000枚もの棚田が広がっていたそうだ。

ちょっとピンと来ないほどのビッグスケールだ。

 

ただ、高齢化や過疎化で人手不足となり、かつ後継者の確保も難航した。

こうして耕作放棄された棚田が目立ってきたそうだ。

 

棚田再生2

そこでどうしようってなった。

せっかくのこのロケーションをうまく活用して、集客効果を狙えないだろうか、と。

そんな経緯から2019年にこの棚田の開墾作業が開始され、棚田の花段となったのだ。

 

メインフィールドから一段降りてみよう。

さらに下の方にブランコやステージのようなものが設置されていることに気付く。

みんなメインフィールドのハンモックに夢中で、下界の存在には気付いていないっぽい。

 

棚田再生3

ブランコに座って、軽く漕いでみた。

人もいないし眺めもいいし、いいなここ。

 

棚田再生4

眼下はこの絶景よ。

 

しかし眺める分にはいいが、これ1つ1つが水田だった時代はさぞかしハードワークだったろう。

単純な昇り降りもそうだし、トラクターも入れなかったりするだろうし、入れたところでトラクターの水田間の移動も大変だし、水の管理とかも…。

そんなこんなで、全国各地の棚田が深刻な継続危機だと聞いたことがある。

 

棚田再生5

今はこの棚田を利用して、40種類ほどのハーブを栽培しているみたいだ。

 

あ、死角になんかある。

なんていうの、これ?ベンチ・ハンモック・ブランコ、3種の長所を掛け合わせたようなものだ。

 

棚田再生6

ホールド感がとても心地良かった。

次回また来る機会があったら、ここに座ってジェラートを食べたい。

 

棚田再生7

このメインフィールドから一段下がったところにも、ハンモックがあった。

誰も気付かず、使い放題。

あなたも訪れることがあったら、ぜひ下界に目を向けてほしい。

 

棚田再生8

階段を昇って、再びジェラートショップのあるメインフィールドに戻る。

なんか結構車も人も増えて賑わっていた。

ジェラートショップもオープンしていた。たぶんこの日は10:00のオープン。

 

キャッキャと賑わう声を聞きながら、僕は車に乗りこんで、改めて元乃隅神社を目指すのだ。

 

余談1

最後に余談である。

 

元乃隅神社はここから3km弱と書いたが、この道のりが結構キツかった。

駐車場のキャパが狭く、完全にパンクしていたのである。

 

僕はエアコンの効かない車内で「アチーアチー」と言いながら10数分待った。

それでも10数分で良かった。朝なのでまだそこまで混雑していなかったのだ。

昼過ぎには2時間近くの渋滞になったと聞いている。地獄だね。

 

余談2

だからあなたも週末に元乃隅神社に行く際には、充分な体力と時間を確保しておくとよいだろう。

 

僕は直前に棚田の花段に立ち寄れたおかげで心が満たされており、そこまでこの渋滞を苦にすることなく乗り越えることができた。

ありがとう、棚田の花段。

いっときの清涼剤のようだったが、今も爽やかな記憶として僕の心に残っているよ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 棚田の花段
  • 住所: 山口県長門市油谷後畑1500-2
  • 料金: 入場は無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 入場に際しては特になし

 

No.211【香川県】日本のウユニ塩湖「父母ヶ浜」!1人だとうまく撮れず虚しさ込み上げる!

インスタ映えという言葉が世の中にはびこっている。

 

…とか言うとSNSにドップリ浸かっている方々を揶揄するようにも聞こえてしまうが、インスタ映えはいいことだと思う。

国民全員がカメラを持ち、国民全員がアーティストになれる時代だ。

 

そりゃ僕だってできることならいい写真を撮りたい。

インスタ映えって言葉ができる前からいい写真を撮りたいと思っていたし、逆に世の中にカメラが登場してから今日に至るまで「いい写真を撮りたくない」と思った人は稀有な存在であろう。

 

旅をしていると風景写真を撮りたくなる。

しかし、そんな風景写真であっても人物が入ることで各段に映えるスポットもある。

そんな場所に1人で行ってしまったら、一体どのような悲劇が起こるのだろうか…。

僕はそれを検証する。

 

候補地は「父母ヶ浜」だ。

 

 

アイディール

 

まずは父母ヶ浜についてご説明したい。

父母ヶ浜は、"日本のウユニ塩湖"と言われているスポットだ。

ってことは、まずは原点である「ウユニ塩湖」を知っておいた方がいいかもしれない。

 

ウユニ塩湖(Web検索)

僕はウユニ塩湖には行ったことは無いのだが、ボリビアにある平原だ。

世界で一番平らな平原らしい。

雨季、その大平原に雨が溜まると、わずかな期間だが超巨大な水たまりが出現する。

波風が立つこともなく、天空を映す壮大な鏡が形成されるというわけだ。

 

はい、ここまでがウユニ塩湖。

次は、そのウユニ塩湖を彷彿させるという父母ヶ浜だ。

 

父母ヶ浜(Web検索)

はい、まずはお手本の写真をWeb検索から持ってきた。

なるほどなるほど、ウユニ塩湖ほどの世界観の広がりはないものの、それでも広い鏡面が美しい。

 

2017年ごろからインスタ映えのスポットとして有名になったそうだ。

確かにこんな写真が撮れたらテンション上がるだろうな。

 

さぁ、僕はこんな写真を撮れるのだろうか?

行ってみようぜ、父母ヶ浜!

 

早朝・瀬戸大橋

僕は「瀬戸大橋」を渡り、四国の香川県に上陸した。

 

 

アーリーモーニング

 

はい、僕がやって来た。

父母ヶ浜近辺までやってきた。

朝の6:30のことだった。瀬戸大橋から大体1時間だ。

 

実はゴールデンウィークの真っ只中である。

コロナも少し落ち着いており、3年ぶりとなる行動規制のないゴールデンウィークで、世の中は行楽客で溢れている。祭りだ。

 

つまり、日中ともなればここ近辺は渋滞・駐車場はパンク・浜辺は人だらけ・僕は一層孤独を感じる…と、いろいろとマズくなることが予想される。

渋滞回避と精神ダメージ軽減のため、早朝にやって来たのだ。

なるほど、YAMAはとても賢いね。

 

駐車場1

駐車場についた。

驚くほどにガラガラでどこに停めたらいいのか迷うほどの広大なフィールドだった。

さすが早朝。

とりあえず真ん中に停めた。

 

駐車場2

これだけで気分は爽快だった。

上の写真、実際は駐車場と海との間にバリケードがあるが、一見するとそのまま海に繋がっていそうな気もする。

世界は広い。そう感じられる朝。

 

駐車場3

見る限り、浜辺にも観光客はパラパラしかいない。

 

早速僕は浜辺に突撃した。

駐車場からはわずか数10秒だ。

父母ヶ浜1

さて、全容はこんな感じだ。

一見すると普通のビーチだ。

遠くに海があるのはわかるが、冒頭でご紹介したような神秘的な写真はどこでどうすれば撮れるのか、ちょっとわからないかもしれない。

 

父母ヶ浜(Web検索)再掲

しかし、着目すべきはこの浜辺。

海水が浜辺に残って水溜まりになっているのがおわかりだろうか。

これ1つ1つが、小さなウユニ塩湖だ。

 

父母ヶ浜2

これをいかに壮大に見えるように撮影するかが、ここでのテクニックだ。

求められる要素は以下の通りだ。

 

  • 水鏡のように景色を反射させる
  • 水溜まりの幅を、なるべく感じさせない
  • 水溜まりの向こう側に、なるべく陸地を感じさせない

 

これを全て満たす撮影は、水溜まりギリギリまで接近し、そしたら水面ギリギリにカメラを構えて撮影する方法だ。

 

父母ヶ浜3

ちょっと近づき、ちょっとしゃがんでみた。

 

周囲のみんなも、水溜まりの縁のいたるところで変な格好でしゃがんで撮影している。

傍目から見るとなかなか愉快だ。

しかし少しコツがいるな。

そして、干潮と満潮のタイミング次第ではナイスなロケーションがなくなるし、1人で孤独にガンバっているのだが少し人目が気になるな。

でもせっかくなので、できる限り頑張ってみよう。

 

 

リフレクション

 

いいかい?

ここからは悪い例もいっぱい載せるから、ぜひ反面教師にしてほしいな。

 

リフレクション1

水を怖がって、水溜まりの少し手前でしゃがんでしまった。

ほら、新品のスニーカーを汚すと、これ帰宅してからスゲー怒られるのよ。

だから靴が汚れることを懸念したのだ。

 

しかし「浜辺における小石の含有率」みたいな写真になってしまい、全然インスタ映えしない。大失敗。

 

リフレクション2

じゃあせめて小石の少ないところで撮影しようかって思った。

でもそういう問題じゃないことに気付いた。

 

陸地はジャマなのだ。

ただ、手前の砂をないものとして考えれば、奥の方の水面の反射はなかなか綺麗かもしれない。

水溜まりに雲が映ってステキだ。

 

水だ。水がたくさんあるゾーンを目指そう。

 

リフレクション3

うむー…、水が多すぎ&深すぎだと、さざ波が立っちゃうのかもしれないね。

リフレクションにならずにただ水溜まりを撮影した人みたいになった。

 

そして、気付いたんだけども浜辺だけでいい写真がなかなか生まれない。

冒頭の父母ヶ浜のWeb検索結果を思い出してほしい。

 

人間がいるのだ。

しかも何か小物を手にしたり躍動感のあるポーズをすることで、リフレクションした際の絵によりインパクトを与えているのだ。

 

じゃあ1人で来ている僕は一体どうすればよいのかと。

 

リフレクション4

悩んだ。

この快晴の空に似つかわしくないくらいに悩んだ。

1人ではいい写真が撮れない、しかも"父母ヶ浜"なんていうファミリー感を前面に押し出した名前にしやがって、1人旅の人間をないがしろにしやがって…って、ちょっとやさぐれたりもした。

 

何か高さのあるものを設置すれば、人間代わりになるかな…。

一度車に戻って、車内を捜索してみた。

 

高さを出せそうなものは、ビニール傘くらいだった。

これはあまりに貧相だ。悲しみ。

 

リフレクション5

これどうかな?

300円ショップのランタン。車中泊で大活躍。

高さは全然ないけど、それでも車内にあり地面に置いて濡れてもそこそこOKなものの中では大きい方だ。

 

浜辺にランタン。

なんかディストピア感のある、芸術的な絵にならない??

 

リフレクション6

うん、なんかチゲーな。

いいか悪いかとかそういう問題ではなく、ウユニ感がない。

水溜まりの底が透けてしまっているからだろうか?手前側のリフレクションが甘い。

 

しかもランタンは強烈にずん胴なので、真っすぐに置くと鏡面反射と融合してただの長い柱になる。なんだこれ。

 

リフレクション7

かといって斜めに設置してもイマイチだ。

まずは後々から見返すと位置取りがダメ。

 

そして所詮はプラスチックのランタン。砂浜に斜めに刺そうとしても軽すぎてしっかり刺さらずに、すぐにコテッと倒れる。

それをいちいち立て直す。

周囲から見ると結構変な人だ、僕。

 

周囲には1人だけ、僕と同じように1人で頑張ってしゃがみこんでいる女性がいた。

「お互い被写体になりましょう」なんて提案をできるほどの強いハートがあればよいが、下手をすれば不審者なのでそれは慎んだ。

 

リフレクション8

なんだかんだで、そこいらの人をご迷惑にならない程度に写真に収めてしまうのが一番無難と気付いた次第で。

 

リフレクション9

自分としては30点ぐらいの評価だが、それでもこの写真が一番成功だと感じた次第で。

そんなこんなで、もう僕はしゃがみ込むのをやめました。

 

 

アゲイン・サムデイ

 

父母ヶ浜の撮影タイミングにはいくつかコツがある。

ここまでにも触れた点もあるが、以下の通りだ。

 

  • 干潮時
  • 夕暮れ時
  • 風のない日

 

つまり、水溜まりがいっぱいあってチャンスが生まれ、そして夕暮れ時の太陽が水面の反射をより強め、そして風のないことで水に風景がしっかり映り込む。

 

またいつか1

現地に掲示してあった、撮影のコツを掲載する。

ここでも夕方を推奨している。まぁゴールデンウィークの夕方では、調整してここに来たところで人が多すぎて駐車すらできなかっただろうが。

 

でも、いいのよ。

僕は芸術家ではないから。

「ちょっといい写真を撮ろうかな」って、できる範囲で頑張ってみる。

そんなアクティビティが旅の楽しさなのよ。

 

結果が成功とか失敗とか、そういうのはあんまり大事ではない。

実際に自分でやって、感じて…。それがどれだけ大事か。

コロナ禍で思うように外出できない日々が長かったからこそ、それを痛感している。

 

またいつか2

浜辺の風紋も綺麗だったしな。

多くの人が踏みしめる前の、この美しい紋様を見れたのも良かった。

早起きは三文の徳だ。

 

そして旅は課題が残るから楽しい。

またいつの日か、こんどか誰かほかの人と一緒にここに来る日を楽しみにしよう。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 父母ヶ浜
  • 住所: 香川県三豊市仁尾町仁尾乙203-3
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.210【島根県】レトロ自販機「コインレストランコウラン」!7月末閉店と思ったら誤報!

おい、事件だ。

レトロ自販機を有する「コインレストランコウラン」が閉店するらしい。

 

2022年7月末で閉店、つまりもうあと数日しかない。

今月上旬にいきなり告知され、僕もレトロ自販機マニアも度肝を抜かれた。

 

中国地方にはポツポツとレトロ自販機のお店が残っている。

群馬県の次くらいの密集地帯だ。

この中でも知名度はトップクラスだと思っていたコウランがよりによってクローズとは…。

なんてこった。

 

 

…と思ったらすみません。

記事を一度公開後に知ったのだが、誤報が流通していたそうだ。

本店のお弁当屋さんが閉店であり、分店のこちらは継続するそうなのだ。

ホッとした。

 

さて、しかしせっかくなのでコウランについて書く。

最近の僕はコウランを訪れていなかったのでやや古い情報で恐縮だが、僕がレトロ自販機巡りに目覚めてまだ1年足らずの2012年まで遡りつつ、複数回訪問した思い出を放出する。

 

 

出雲のコインレストラン

 

そもそも、コインレストランとはなんぞや。

おそらくは昭和の後半に全盛期を迎えたスタイルの売店であり、僕が当時を未体験なのでリアルなご説明はできかねるが…。

 

それは、まだ世の中にコンビニが登場する前の物語。

夜間に営業している店はほとんどないが、でももちろんトラックドライバーや旅行者など、夜間に車を運転する人は存在する。

 

そんな人たちの夜間の空腹を満たすため、食料を購入できる自動販売機のお店が登場した。

それがコインレストラン。たぶん。

 

コウランへ1

今では目にすることも耳にすることも稀な昭和な響きだが、各地をドライブすればコインレストランと看板を掲げているお店や自販機群をたまに目にする。

もっとも、どこにでもある飲料自販機やアイス自販機だけのことが多いが。

 

令和の現代、実際に食料を購入できるコインレストランは非常に希少だ。

ましてやそれが、アッツアツの麺類やトースト・ハンバーガーなどを買えるとなると、全国に10数店~数10店ほどしかない。

 

コウランへ2

今回の舞台は出雲。

普通の人は"出雲"と聞けば条件反射で「出雲大社!」とか言うのだろうが、レトロ自販機マニアは「コインレストランコウラン!」と叫ぶのだ。

 

…ウソです、やっぱ出雲大社のほうが偉大です。全国の神々が集結するし。

でも、コインレストランコウランだってそこそこ偉大だ。

全国のレトロ自販機マニアを惹き付ける、とんでもなくレアな自販機があったのだからね。そのくだりは追って話そう。

 

上にご紹介したのが、コインレストランコウランの外観である。

 

コウランへ3

そして、そのお店の古いバージョンの外観である。

以前は白かった。ちなみにここ数年は緑だ。

」⇒「」⇒「」。イタリアの国旗のカラーをなぞっていやがる。

 

白時代には、"昼定食"という文字が残っていた。

かつては定食も店内で振舞われていたのかな。

左側には僕の4周目の愛車であるパジェロイオが写っている。懐かしい。

 

コウランへ4

かつての僕は、コインレストランコウランを目指して一人旅をしていた。

中国地方に数ある自販機のなかでも、コウランを真っ先に目指していた。

コウランに一番行きたかった。

 

なぜなら、そこには(当時)日本に1台しか稼働していない川鉄製カレー自販機があったからだ。

自販機から出てくるカレー、実際に見てみたいではないか。

 

そりゃ出雲大社もそこそこに、コウランを目指すわけだ。

では、ドキドキしながら店内へ…!!

 

 

自販機メシを堪能しよう

ラーメン

 

レトロな自販機が複数台並ぶ店内。

そのワンダーランドっぷりに、僕の目はキラキラと輝いた。

 

レトロ自販機1

昭和時代に青春を送った人たちにとっては当たり前なのかもしれないし懐かしいのかもしれないが、僕にとってはこのレトロさが斬新で心にブスブス刺さりまくる。

 

さて、前項で「カレーライスが目的だ!」と書いておいてアレだが、まずはラーメンの話を最初にしたい。

 

レトロ自販機2

3台並んだレトロ自販機の中央。

格子状の黄色いパネルに「天ぷらそば・らーめん」と書かれている。

このパネルデザインはこのお店オリジナルのものかな?他で見たことはない。

 

ラーメンは250円だ。安い。

 

レトロ自販機3

ちなみに後年訪問した際には『ラーメンの当たりにはチャーシューが多めに入っています。』との張り紙がしてあった。

 

しかし初回訪問時の2012年にはそのようなアタリ・ハズレ運用は無かった。

残念ながら僕はアタリのラーメンを見たことが無い。

 

レトロ自販機4

お金を入れてラーメンを選択し20秒ほど。

写真の中央下に見えている取り出し口から、スープが並々と入ったラーメンが登場する。

この瞬間が、人生で有数のワクワクである。

 

レトロ自販機5

うわ、すっげーモヤシ。

生活費を切りつめて最近モヤシばっか食べていたのだが、またモヤシ。

まぁいいけど。

 

レトロ自販機6

どこにでもありそうな、しょうゆ味で化学調味料多めのスープ。

そしてプリプリのスタンダードな麺。

このあと何年もかけて全国のレトロ自販機を渡り歩くが、その中でもトップのモヤシ量。

 

味はきっとあなたも想像できるものと差分はほとんどない。

ありふれたチープなものだ。

 

だけどもこうやって食べるとうまいのだ。

前時代のロボットみたいな自販機から出てきて、昭和の雰囲気の店内で食べる。

味じゃないんだよ。雰囲気なんだよ。

 

 

カレーライス

 

本命だ。カレーライスを食べる。

 

レトロ自販機7

自販機群の一番左だ。他の自販機と比べて少し大型。

しかしカレーライスの自販機とは…!

 

こんなものがかつて当たり前に存在したのか…!

僕の心臓はバクバクいったさ。

麺類自販機と比べてもかなり複雑な機能を持つものであるため、早めに世の中から姿を消し、もう2012年時点で稼働しているのはここの1台のみ。

 

レトロ自販機8

下手をすれば、カレー自販機を見るのも食べるのも、これが最初で最後だ。

これは心して食べなきゃならない。

緊張の面持ちで自販機前に立った。

 

レトロ自販機9

シンプルな絵柄だが、いい雰囲気が出ている。

フォークとナイフが臨戦態勢だが、少なくともナイフの活躍の場は少なそうだ。

 

レトロ自販機10

貼り紙がしてある。

 

召し上がり方

本格炊きコシヒカリ

ご飯にカレーパックの封を切りかえてお召し上がりください

 

容器の持ち帰りはご遠慮ください

島根県産こしひかり

 

ここ島根県のお米を食べられるのはありがたい。

しかしちょっとだけ残念なのは、カレーがご飯にかかった状態で出てくるのではなく、レトルトパックである点だ。

 

本来この川鉄製カレー自販機には、レトルトパックを自販機内で開封してご飯にかける機能があるのだ。

(2012年時点においては)もう日本には存在しない、ロストテクノロジー

 

レトロ自販機11

メニューは3種類だ。

カレーライスの中辛と辛口はそれぞれ350円。たっぷりビーフカレーは400円。

よし、辛口のカレーにしよう。

 

レトロ自販機12

27秒後、自販機の下部の丸いトレイ部分に「シュゴッ!」って感じでご飯の盛られた丸いお皿が登場した。

同時にその1つ上の「カレーパック出口」と書かれているドアの向こうにレトルトカレーのパックが落ちてきた。

 

レトロ自販機13

よーし、役者はそろったぞ。

ご飯に福神漬けが添えられている点に、お店の心意気が感じられる。嬉しいぞ。

パックのカレーをご飯にかける。

 

余談だが、ご飯とレトルトパックが別々に出てくるのは、このお店オリジナルの改造だ。

実は自販機内でこのパックを開封する機能はとても複雑であり、故障が多かった。

だからこのようにしてしまったそうだ。

 

ずっと時は流れて2022年5月、神奈川県の「中古タイヤ市場相模原店」というレトロ自販機を100個くらい並べている聖地の社長が、このカッター機能を有する川鉄製カレー自販機を復活させた。

 

中古タイヤ市場相模原店

これは2022年3月、最終調整中のその自販機を見せてもらったときのものだ。

このお店のネタは多すぎるので、またいずれ機会があったら語りたい。

 

コウランのカレー自販機は2015年くらいから故障を繰り返し、2020年ごろから撤去されてしまっている。

2022年現在で川鉄製カレー自販機があるのは、もう中古タイヤ市場相模原店だけなのだ。

 

レトロ自販機14

このビジュアルに痺れた。

レトロ自販機でカレーが出てくるところは他にもある。

徳島県の「コインスナック御所24」、千葉県の「24丸昇」などだ。これまら死ぬほど貴重ではある。

ただしそれらは、どこにでもある四角い惣菜パックにご飯が詰められ、そして一緒にカレーパックが出てくるものだ。

 

しかし、この丸皿に盛られたスタイルは、ここにしかない。

この絵を僕は求めていたのだ。

この出会いに僕は感謝する。

 

 

天ぷらそば

 

少し時が流れて再訪したときのことを書きたい。

実は、またカレーを食べたかった。次は400円のたっぷりビーフカレーでも食べたかった。

ちょっとふところ暖かかったからな、僕。

 

レトロ自販機15

 

あるはずのものがなかった。

 

 

コウランの最大のアイデンティティである、川鉄製カレー自販機がなかったのだ。

動揺した。ショックだった。

自販機があったところはベニヤ板で覆われていた。

 

あと、貼り紙がしてある。見てみよう。

 

レトロ自販機16

めっちゃカワイイ文字。好き。

 

只今修理中です。

もうしばらくお待ちください。

なお、手作りカレーを対面販売しております。

お声を掛けて下さいませ。

8時~17時。400円

 

400円でレトルトカレーを食べる予定が、同じ400円で手作りカレーを食べられるのだ。

普通の人間であれば喜ばしい提案だ。

しかし僕はこのとき、自販機の天ぷらそばを選ぶのだ。

 

レトロ自販機17

悲しいかな、レトロ自販機マニアはレトロ自販機から出てきたものを好む。

仮に同じものだろうがグレードアップしたものだろうが、それが自販機経由でないとなると、ちょっと興奮が抑えられてしまうのだ。

 

天ぷらそばは300円だ。

ボタンを押すと中で調理が行われ、20秒ほどで登場する。

 

レトロ自販機18

なかなかに気合の入った黒さの麺だな。

ダシは西日本にしてはやや濃いめかなって感じだ。

大きなかきあげが乗っかっている。

具もたくさんで、これは嬉しいぞ。

 

そして僕は出雲大社に向かう。

当時の手記を見たら『もう出雲大社は散々行っているので特に行きたくはないんだけど、本当に目に前を通過するし駐車場はタダだしと誘惑いっぱいなので、今回も一瞬立ち寄ることにした』と、八百万の神々に大変失礼なことを書いていた。

お詫び申し上げます。

 

 

歴史に幕が下りるとき

 

最後の章では、店内の雰囲気と汎用機についてちょっと触れたい。

僕はそんなに興味を示したことは無いのだが、"汎用機"と呼ばれるフレキシブルなレトロ自販機も設置されている。

 

レトロ自販機19

自販機内の小部屋に入る大きさのものなら、なんでも入れて売ることができる形状。

僕ら購入者はお金を入れて、購入したい小部屋の番号を押すのだ。

 

焼きそば・エビピラフ・チキンライス、そして具はなんなのか不明だが”丼どんぶり”と書かれたもの…。

 

どれも比較的安価だ。そして店内の電子レンジで温めて食べることができる。

ご丁寧に、レンジでどれくらい加熱するのがオススメなのか書いてある。

 

レトロ自販機20

フランクフルトや唐揚げもある。

これだけのものを用意しているのだが、バックヤードはさぞかし大変だろう。

しばらく見ていると、地元の人と思われる方々がちょいちょい購入しに来ていた。

 

店内1

白飯も150円で売っている。

汎用機で惣菜を買い、別売りの白飯をオーダーすれば、それだけで定食の完成だ。

ありがたいシステム。

 

店内2

ちょっと写真がボケちゃって恐縮だが、それらをこの雰囲気の中で食べる。

オシャレでもなんでもなく、余計なものの一切ない店内だが、不思議と落ち着く。

 

一番奥の扉の向こうはゲームコーナーになっていて、ちょっと古めなコインゲームなどが並んでいる。

レトロドライブインあるあるだ。

 

店内3

惣菜を買いに来る人も多かったことから、地域に愛されていると感じた。

 

だからこそ、この度の閉店の知らせには驚いた。

カレー自販機は結局復活しなかったし、そばも廃止されて、ここ最近はうどん・ラーメンのみだったと聞いてはいる。

昨今のレトロブームでも、閉店する店は閉店するのだ。

 

いや、冒頭で書いた通り実は閉店しないのだが、いずれにしても昭和の文化は脆く儚いものなのかもしれない。

昭和時代から、もうそのくらいの時間が流れてしまっている。

 

 

2022年5月、僕はコインレストランコウランの前を車で通っている。

「おぉ、懐かしいな」と思い、横目でチラリと見ながら通り過ぎた。

 

あの日は島根県内のレトロ自販機の他店舗をたくさん巡っており、コウランで何かを食べるだけの胃のキャパシティがなかったのだ。

 

 

閉店ではなくて、本当に良かった。

そして元気に営業しているうちに、もう一度行かねば。

 

1977年(昭和54年)創業から45年間頑張り続けるドライブイン

令和の荒波に負けずに営業し続けてほしい。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: コインレストランコウラン
  • 住所: 島根県出雲市斐川町上直江1306
  • 料金: 天ぷらうどん¥350他
  • 駐車場: あり
  • 時間: 24時間

 

No.209【長野県】高原にある「平面直角座標系第Ⅷ系原点」!!通称は"日本のおへそ"だ!

「平面直角座標系第Ⅷ系原点」。

よくわからないが、カッコいい響きである。

 

ここは「日本のおへそ」と呼ばれている。

つまりは日本の中心にあたるスポットということだ。

 

場所は長野県の南牧村

確かに日本列島のおへそと言われても納得感のある位置だが、なぜそこがおへそなのだろうか?

そこには何があるのだろうか?

平面直角座標系とはなんなのだろうか?

 

 

数々の疑問を解消させるため、僕は信州に車を走らせる。

 

 

日本の中心はたくさんある


2022年の梅雨明けは尋常ではなく早く、そして殺人的な暑さの日が続いている。

おまけに愛車の日産パオのクーラーは壊れた。

ダブル死亡フラグ

 

…ではなかった。

なんて爽やかな信州の高原よ。最高に涼しく快適だ。

三角窓から吹き込む風に目を細めつつ、標高1300mを越えるの野辺山高原を疾走した。

 

さて、もう少し北に行くと目指す平面直角座標系第Ⅷ系原点だ。

実は今回が初訪問なのである。

 

内心、「僕としたことがこんなスポットを今まで見落としていたとは。ちくしょう!」って思っていた。

僕は昔から、数ある日本の中心を巡っていた。

なのにここの存在すら知らなかったのだ。不覚。

 

…そう、実は日本の中心ってたくさんあるのだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。

日本の中心というのは日本各地に無数に30箇所くらいある。

それぞれ定義が異なるので、どれが正しくてどれが間違っている、とかはない。

 

そしてこの無数の日本の中心を全部巡ることを生き甲斐にしているのが、この僕だ。

アホでしょ。

 

目指す平面直角座標系第Ⅷ系原点は、今年の初頭にとあるライダーさんから情報をいただき、こうして訪問できる日をワクワクしながら待っていたのだ。

 

日本のおへそへ1

場所は国道141号沿い。

マジかよ、ここは大昔から幾度となく走っていた場所だ。

なのに気付きもしていなかった。

 

目立たないとはいえ、ちゃんと国道に看板まで出ているのに。

こりゃ僕の人生、今後も伸びしろありますぜ、嬉しいな。

 

 

マレットゴルフ場にあるシンボル

 

国道から看板に沿って小道を20mほど入る。

 

日本のおへそへ2

バカ正直に国道に掲げられた看板に従ってこの道に入ってしまったが、結論から言うとすぐ脇に国道から直で入れる広い無料駐車場があるので、そちらに行った方が賢い。

だが、あなたが30秒歩くのを短縮したいのであれば、この小道でもよい。

 

小道の先にある、10台ほど停められそうな駐車場に入れば、もう真横が平面直角座標系第Ⅷ系原点だ。

 

日本のおへそへ3

写真の左側、黒い石碑だとか茶色い木組みだとか、それらが平面直角座標系第Ⅷ系原点を示す数々のシンボルの集合体だ。

 

では、まずはわかりやすいものから順にご紹介していこうか。

 

へそのシンボル1

ちょっと引きで見てみよう。

ここは「市場マレットゴルフ場」の敷地だ。マレットゴルフっていうのは、ゲートボールで使うようなハンマー状の棒で球を打つ、お年寄りにも優しいゴルフ。

 

ただ、見渡す限りこの敷地には誰もいないし、国道に面した広い駐車場にも車は1・2台しかいなかった。

連休なのにね。

猛暑でゴルフしている場合じゃないのかな。この高原は涼しいのにな。

 

そして上の写真の通り、丸太で組んだような建造物と、四角推のモニュメント的なものがある。

 

へそのシンボル2

四角推の中には、若干ボロボロになった旗が立っている。

なんか位置的にもあそこへのホールインワンを狙いたくなっちゃうかもしれないが、ゴルフとあの四角推は関係ない。

 

四角推の木組みが何を示すのかは、追って後述しよう。

 

へそのシンボル3

まずは丸太の木組み。

これは鐘を吊り下げている鐘台だな。

 

観光地や景勝地によくあるよね。

男女が2人で鳴らすとなんらか…とかいう、僕は大体1人で行動するので心の中で「あいつら爆発しろ」と念じることくらいしかできないスポット。

それがここにもあるのかな。

 

へそのシンボル4

いや、なんだこれ鐘に紐がついていないぞ。

つまり鐘を鳴らせない。

男女に幸せ訪れない。

いい気味だゲラゲラ。

 

へそのシンボル5

『心の中で鳴らしてみて下さい』と書いてあった。

斬新なオーダーだ。

 

普通に考えると、マレットゴルフ場でガランゴロン鐘を鳴らされると気が散ってパフォーマンスが落ちるから、ということだろうか…?

ライバルが集中しているとき、どうしても鐘を鳴らしたくなっちゃうもんねぇ…。

 

そして説明板にいろいろ解説がされているので、以下に書き出してみよう。

 

日本のおへそ Ⅷ系原点 八ツ星の鐘

 

鐘の位置からⅧ系原点の延長線上にある桜の木の上空を見ると、そこには常に北斗七星が輝いています。

実は北斗七星は8個の星からできていて、その8個の星が重なって幸せをもたらすとされています。

8個目の星はひしゃくの柄の外側から二番目の星がミザールとアルゴルという2つの星からできており、8回目の鐘を鳴らすと見えるといわれています。

 

「古老の口伝」より

 

アルルじゃなくって、アルルな。

昔の人はこの星が見えるかどうかで視力のいい悪いの判定をしていたと、聞いたことある。

 

てゆーか、なんでこの看板、いきなり北斗七星について熱弁しているのか。

「Ⅷ」系原点だから「8」にちなんだエピソードが欲しかったのか。

しかし「8」ネタが思い浮かばなかったから、基本的に日本のどこからでも北方面に見える北斗七星が「実は8つの星」というトリビアを絡めて語ったのか。

まぁいいけど。

 

(あと、古老って誰だ。)

 

へそのシンボル6

そのすぐ脇にある看板がこれだ。

平面直角座標系第Ⅷ系原点のキャラクターだろう。名前は不明。

 

日本列島の中心から飛び出た、ちょっと神経逆なでする系の顔の鳥(?)。

頭はきっと八ヶ岳で、鼻は日本のおへそだからかヘソっぽいデザイン。

胸に描かれているのは野辺山の巨大パラボラアンテナだろうか…?

 

…とか分析してみたが、言うほど興味は惹かれなかった。失礼。

 

へそのシンボル7

では、次項ではこのスポットの真髄である、このモニュメントに迫ろう。

 

 

平面直角座標系とは?

 

平面直角座標系。

地理を仕事にしていない限り、あまり聞くことのないフレーズだと思う。

僕もよくわからん。

 

平面直角座標系1

平面直角座標系とは何か、この黒い石碑に記載されている。

 

楕円形である地球の位置は、緯度経度と平均海面からの高さで表示すると測量法に定められていますが、球面上で長さや面積を計算するには少々複雑な計算が必要です。

 

そこで、場合によっては義務教育でも習う数字のX座標、Y座標、Z座標を用い、メートル単位の数値を使って平らな紙の上で簡単に距離、咆哮、高低差、面積などを計算できるようにしていますが、これを「平面直角座標法」と言います。

 

測量法では、日本を十九の区域に分けてこの平面直角座標を定めていますが、この地が、長野県、新潟県山梨県静岡県が属する(八)系の公共測量の原点です。

 

はい、付いて来れていますかぁーー!?

僕も読んでもよくわからんが、わからんなりに頑張って解説する。

 

『緯度経度と平均海面からの高さで表示すると測量法に定められている』

この経緯度と高さ(水準)の原点が東京都心にあることは、既に取り上げたね。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

drive-ns.hatenablog.com

 

でも、地球は丸い。

地球は丸いけども地図は平らだし、僕らも普段の生活で地球の丸さを意識していない。

ぶっちゃけ「日本」とか「東京」とか、小さなスケールで暮らしている分には地球の丸さは関係ないのだ。

 

うん、潰そう。

丸い地球を叩いて潰して平らにして考えよう。

ただ、この荒業にはもちろん欠点もある。

 

平面直角座標系2

上の図のように、例えば半分にした地球を紙にギューッと押し付けるとしよう。

北極に当たる部分は綺麗にそのままの形で紙に到達できるだろうが、右端とか左端の部分は圧縮されてきっとグチャグチャになる。

丸いものをそのまま平面にするのって、難しいのだ。

 

ただ、いきなり地球半分だなんていうビッグスケールなことをやろうとするから無理が生じる。

小分けにしよう。

 

平面直角座標系3

例えばこのくらい。

地球のホント端っこだけだったら、もともと結構平ら。

デザインを崩さずに平面に押しつぶすことができそうな感じだ。

 

つまり、範囲が狭ければ狭いほど容易に平面にできる

容易に平面にできる、イコール誤差の少ない位置情報が表現できる

 

…で、具体的にどんくらい細かくやります??

 

平面直角座標系4

 

答え:日本を19分割します!

 

 

とりあえず離島と北海道以外は、同じ都道府県がちぎれちゃったりしないよう、うまい感じに19個に分けた。

離島とかは「沖ノ鳥島で1つ」・「南鳥島で1つ」とかいう贅沢な配分になってしまったが、いかんせん飛びぬけて遠いからしょうがない。

 

これを、表示されている数字の通り「平面直角座標系Ⅰ系」・「平面直角座標系Ⅱ系」と呼ぶ。

ここ長野県が属するのは、「平面直角座標系Ⅷ系」だ。

 

そして、Ⅰ系・Ⅱ系・Ⅷ系などなどエリアごとに、その指針となる原点がある。

はい、話の解像度がだんだん上がってきたね。

 

平面直角座標系5

それがここだということだ。

ここを基準に、Ⅷ系内の位置情報を算出できるようにしてある。

 

平面直角座標系6

ちなみにここを経緯度で表現するなら、以下の通りだ。

  • 経度 東経138度30分0秒0000
  • 緯度 北緯36度0分0000 

 

平面直角座標系7

四角推のオブジェの中央の地面には、上記の基準点そのものが埋め込まれている。

その四方をゴロリとした石が取り囲んでいる。

これが、Ⅷ系に属する長野県・新潟県山梨県静岡県を表している。

 

こうやって、球状の緯度経度を平面のXY座標での表記に換算できるようにしているのだ。

 

vldb.gsi.go.jp

 

国土地理院のWebサイトには、緯度経度を平面直角座標に換算できるツールもあるので、興味のある方は触ってみてほしい。

 

ちなみに以下がその計算式だ。

 

平面直角座標系8

あー、はいはいなるほど、あれがこうなって、それがこうなって…、

…1ミクロンもわからない。

 

まぁそれでも平面直角座標系Ⅷ系の定義は理解できたし、その原点がここだということもわかった。

では、なぜここが日本のおへそと呼ばれているのか。

 

 

答え:19分割した、大体真ん中だから

 

 

うおぉ、いきなり話の解像度が荒くなったぞ!

いきなり親近感を覚える案が出てきたぞ。

これまでのロジカルな思考、どこいった。

 

平面直角座標系9

果たして「8」は真ん中なのか。

 

19個あるのだから、その真ん中に当たるのは「10」だ。

ただし、振り分けられいるエリアには離島が多いので、離島は無視して考えているのかもしれない。沖縄県には大変申し訳ないが。

 

じゃあ「1~13」、つまり「離島航路整備法第2条第1項」に基づく本土の真ん中となるエリアは?

普通に左右から真ん中を求めるとⅦ系だ。

石川県~愛知県のエリア。

 

Ⅷ系も真ん中に見えなくもないが、結論をⅧ系にしたのは、きっと理屈ではないゴリ押しの力なのだろう。

うーむ、最終的に力技になっちった。

 

平面直角座標系10

それでも、他の日本の中心と同じく、いいとか悪いとかはない。

考え方はかなり自由なのだ。

これはこれでいいのだと思う。

 

平面直角座標系11

ちなみに、ここの原点も東日本大震災の影響を受けていたりする。

あの地震で日本、ちょっとだけ歪んだから。

それに対し数値を変えるのではなく、原点そのものを移動させて調整したのだそうだ。

 

平面直角座標系12

日本の中心は、本当にどれも面白い。

日本の中心について考えることは、日本の地理についてさらに深く知ることに繋がる。

 

ここを訪問できて、確かな満足を得られた。

僕の心の中では、しっかりと鐘の音が鳴ったぞ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 平面直角座標系第Ⅷ系原点
  • 住所: 長野県南佐久郡南牧村海ノ口
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.208【東京都】東京都タワー足元の「増上寺」の思い出!そして安倍元総理、安らかに…。

「東京タワー」の足元にある「増上寺」。

東京タワーを見上げるビュースポットの1つとして有名だ。

 

先月、つまり2022年の6月も僕はここを散歩していた。

そのときには思いもよらなかったさ。

 

安倍元総理が銃撃され、そしてこの増上寺で葬儀を上げることになるだなんて。

 

歴史の1ページとして記したい。

僕の人生における記憶の1ページと記したい。

 

増上寺の思い出と、安倍元総理に献花しに行ったときのことを。

 

 

プロローグ:震災直後

 

2011年の桜の季節。

まだ日本は東日本大震災の混乱の渦中であった。

 

この日は、福島の原発事故の危険度数がレベル7と発表された。

過去にチェルノブイリしか例のない、最悪のレベル。なんてこった。

放射線は北半球全体にまで及んでいるらしい。

 

震災直後1

僕はフラフラと増上寺にやってきた。

別に仏教を深く信仰しているわけでもなければ、このお寺に思い入れがあるわけでも無い。

ただただ東京タワーを見上げたかったのだ。

 

1ヶ月前の震災で先端がちょびっと曲がっちゃった東京タワー。

増上寺の境内に咲く桜と共に見上げた。

 

震災直後2

2011年4/11(月)~16(土)の6日間、東京湾側(つまり増上寺側)にのみに「GANBARO NIPPON」の光のロゴが浮かぶんだ。

たった6日間だけ、しかも18:40~22:00までの非常に限られた時間のみのイベント。

 

ヘロヘロに疲れていた僕は、これを見て勇気をもらいたかったのだ。

そのためにここにやってきた。

 

なぁ、僕は被災地に対して何ができるのだろうか…。

 

 

新年を迎える増上寺

 

元旦に増上寺に行ったこともある。

年越しカウントダウンは別の場所でやったのだが、その後首都高を走ったりし、都心部をグルグルと徘徊したのだ。

 

元旦1

増上寺に到着したのは元旦の早朝4時ごろ。

普段であればスヤスヤ寝ていて運転するどころではない時間だが、年越しという尋常ではないテンションが僕を突き動かしていた。

 

ちなみにここ付近の駐車場はアホみたいに混雑していた。

穴場の地下駐車場のみ、そこそこ空きがあった。

 

元旦2

大殿という敷地のど真中の一番目立つ建物。

その背後にビカビカにライトアップされた東京タワーだ。

 

このライトアップパターンは"ダイヤモンドヴェール"という。

丸っこいLEDライトが無数に点灯しているタイプ。

 

元旦3

ついでに東京タワーの足元まで行ってみた。歩いてわずかな時間だしな。

 

そしたら展望台待ちのすごい行列ができていて面食らった。

展望台は深夜は閉鎖されているけど、元旦の明け方に解放されるらしい。

 

元旦4

初日の出をタワーの上から見るためにみんな並んでいるのだね。

付近の駐車場が満車だったのも、この人たちによるものだったのね。


この人たち、すっごい寒い中で座り込んであと数時間耐えるのか…。

頑張れッ!

 

元旦5

とりあえず、敷地内にイルミネーションのトンネルが出来ていたのでくぐった。

なんだか知らないけどメンバー構成がハーレム的な感じだったので、女子たちとキャッキャしながら写真も撮った。

 

元旦6

境内には模擬店もいくつか出店していた。

すげーな、夜通しで営業しているのだな。

何か食べたい気分にはなるが、実はちょっと前に新宿歌舞伎町でムシャムシャと夜食を食べたばかりなので、ここは匂いを嗅ぐだけとしよう。

 

こうして僕らは、初日の出スポットに向かって、再び車を走らせる。

 

 

梅雨迫る日の散策

 

2022年6月、少しコロナも落ち着いた世界の中、僕は増上寺を歩いていた。

とても蒸し暑い日であった。

 

梅雨1

これは境内の一番手前にある三解説門という巨大な門だ。

ちなみに屋根から東京タワーが突き出るよう見えている。

 

梅雨2

一度壊れて1622年に再建された門で、都内では最古クラスの歴史を誇り、そして門としての大きさは東日本ではほぼTOPなのだそうだ。

 

確かに巨大。

一歩足を踏み入れると身が引き締まる思い。

そして東京都心なのにとんでもなく広い空間が、この門の後ろに広がることに驚く。

 

梅雨3

お馴染みの、大殿と東京タワー。

後ろからは、ニョッキリと巨大なビルが育ってきているな。

 

梅雨4

門を入ってすぐ左手に、聖観世音菩薩が立っている。

 

これは1982年のホテルニュージャパン火災事件の犠牲者に対する慰霊碑。

宿泊客の寝タバコによる出火に端を発し、ホテル側のずさんな防火体制によって33名が死亡することとなった。

 

梅雨5

「詠唱発祥の地」の碑がその隣にある。

そうなのか。詠唱発祥はここなのか、初めて知った。

 

終戦直後の時代、路頭に迷っている人の心のよりどころとするために、この地で詠唱したのが始まりだったらしい。

 

梅雨6

鐘楼だ。深い緑の木々に囲まれている。

草木が一番勢いづく季節だ。

ジメジメした梅雨の日でなければ、決して嫌いではない季節なのだがね。

 

梅雨7

さて、もうしばらく増上寺に来ることは無いだろうな。

 

境内の脇道から東京タワーを見上げ、次第に近付いてくる雨雲から逃げるように、僕はこの地を立ち去った。

 

 

未来の君に、この事件はどう映る?

 

なぁ、遥か未来に生きる君よ。

2022年7月8日の「安倍晋三元総理銃撃事件」は、歴史の教科書には載っている?

それを習ったあなたの目には、どう映っている?

 

正直、まだ事件から10日も経っていないので、僕はまだ心の整理がついていないんだ。

 

ja.wikipedia.org

 

奈良県大和西大寺駅前、11:30頃だったという。

選挙を控えた候補者の街頭演説の応援のため、台に登った安倍さん。

 

ほんの1分後くらいに後ろから、1人の男が手造り散弾銃で銃撃。

安倍さんは演説中にこぶしを掲げた状態のまま2秒ほど硬直し、「なに?」みたいな感じで後ろを振り向く。

その瞬間、第2撃の轟音が響き、安倍さんは慌てて台を降りたと同時にうずくまった。

 

SPの人たちは安倍さんのもとに駆け寄ったり、犯人を取り押さえたり。

銃社会の外国のSPとくらべるとかなり初動が悪かったようだが、そこいらの判断は僕にはできない。

 

安倍さんはほぼ即死に近く、この日の17:00すぎに死亡と発表された。

 

安倍さん1

唖然とした。

僕はスマホのニュース速報で12時ごろにこの事件を知り、容体が極めて深刻だというので祈るように次報を待っていた。

17時台に届いた速報は、悲しい知らせであった。

 

この令和の時代に、こんな暗殺が起こるなんて。

そりゃ政治家だから反感を持つ人もいるだろう。

森友学園問題とかコロナ禍初期のアベノマスクとか、確かにわけわからんと思う。

 

安倍さん2

だけどもだ。

それを暴力で訴えるなんて最低だ。

 

"政治"のルールは、有権者への語り掛け・有権者からの投票。

そこに銃を持ち込むのは、「自分より筆記テストでいい点を取ったヤツがムカついたので殴る」のと同じくらいに理不尽かつ幼稚だ。

そんなことで失われる命があっていいはずがない。

 

…と、いきなり安倍さんのことを語り出してしまい、大変申し訳ない。

次の項で、安倍さんの話と増上寺の話が繋がるのだ。

 

安倍さん3

 

 

夜の増上寺ダッシュする僕

 

安倍さん銃撃事件から3日後、7月11日19:51の大門駅。

僕は息を切らせながら駅前に出た。

 

大門1

大門駅の"大門"とは、増上寺の大門を指す。

境内から見て300mほど手前に大門駅があり、200mほど手前に増上寺大門がある。

 

6月の散策から1ヶ月ちょっと。

こんなに早く、またこの場に来るとは思っていなかった。

 

大門2

安倍さんのお通夜と葬儀が、増上寺で行われるとのニュースを今日の日中に知った。

そして今日、7月11日がお通夜なのだ。

 

夕方のお通夜には、日本の政界を代表するそうそうたる面々が増上寺を訪れたし、海外からの要人も来たりしたそうだ。

 

大門3

そして、一般人も献花できるらしい。

Webで調べたところ、いろいろと情報が錯綜しているもののどうやら20:00までらしい。

 

あと9分…!!

 

いろいろ忙しく、この時間となってしまった。

それにごめん、実は花を持っていないんだ。ここで花を買ったら間違いなく遅刻する。

だけどもせめて手だけは合わせたいんだ。

だから向かう。

 

その夜1

巨大な門、三解説門の前まで来た。

その向こうにはチラッと東京タワーも見えている。

 

しかしすごい人だ。増上寺への行き帰りの人も多くいる様子だ。

そして警察の数がすごいし、黒塗りの車も数台いる。

 

その夜2

安倍さんは、内閣総理大臣として歴代最長の期間を務めた。

その日数は、なんと2822日間だ。

 

東日本大震災の混乱の抜けきらない2012年から第2次をスタートさせ、2020年9月の第4次まで続投。

未成年世代にとっては「総理大臣といえば安倍さん」くらいな感じであろう。

 

その夜3

期間が短く外国からナメられがちな日本の総理の中で、ズバ抜けて長く勤めた。

震災復興から東京オリンピック開催へのバトン、コロナ時代への対応など、大きなイベントも多く生じた時代だったと思う。

 

世間から叩かれるようなことももちろんあったが、この増上寺に集まる人の人数、各国の首相クラスからの追悼の言葉などから、安倍さんの影響が非常に大きく、そして慕われる人物であったことがうかがえた。

 

その夜4

…そういや僕もだ。

政治に関心があるわけでも、安倍さんが好きなわけでもない。

 

なのになんで息を切らせて増上寺まで来た?

長い期間日本の政治を背負ってくれた人に、ひとこと挨拶をしたいのだ。お別れを言いたいのだ。

きっとみんなそうだ。

 

その夜5

先月、最後に東京タワーを見上げた境内横の路地に入った。

こっちが献花台らしい。

19:58。あと2分だ。ギリギリで間に合った…。

 

しかし境内への入口部分警察や関係者が入場者をブロックしていた。

「もう今日は終わりです。明日の朝は9時から15時までです。」と言っていた。

 

その夜6

「通り沿いにいた警察官は『まだ大丈夫』と言っていたのですが!」と、花を持った誰かが反論していた。

 

周囲の僕らも、目の前の警官が「そういうことであれば…」と言ってくれることを少し期待したろう。

だけども結果ダメだった。

たぶん予想以上の反響だったのだろう。19:30ちょっと過ぎくらいに献花は終了したようだと後から知った。

 

みんなUターンし、トボトボと去って行った。

時価や服装からも、仕事帰りの人が多かったろう。

退勤後に急いで来たのだ。

それもまた、安倍さんの人徳だったのかもしれない。

 

その夜7

…であれば。

献花台は境内の横に入口があったが、ここは境内の正面である三解説門から大殿に行こう。

献花できないのであれば、増上寺に参拝しよう。

 

僕は正面から増上寺の境内に入る。

 

その夜7

大殿前に来た。お馴染みの構図。

 

東京タワーの今夜のライトアップは、インフィニティ・ダイヤモンドヴェール 海色 というもの。

もともとダイヤモンドヴェールは月曜だけのライトアップパターンなのだが、四季ごとに細かいパターンの違いがある。

ちょうど今日から夏のパターンが始まったそうだ。

 

その夜8

多くの人が、境内にある増上寺光摂殿や増上寺会館の方を向き、そして手を合わせていた。

僕はドタバタしていてあまり情報を持ち合わせてなかったが、きっとあそこに安倍さんのご遺体が安置されているのであろう。

僕も手を合わせた。

 

献花台に飾られている安倍さんの写真にご挨拶をしたかったけども、これが今の僕にできる精一杯だ。

 

その夜9

後ろを振り向くと、さっき入れなかった献花台エリアがあった。

そっか、そういう立地だったか。

 

大殿前にいる僕と献花台の間にはローピングがされていて献花台に行くことはできないが、物理的な距離はとても近かった。

そして、ちょうど今献花台の撤収作業が始まった。

僕も周囲の人も、その光景を見守った。

 

その夜10

わわっ!

その大きいのは安倍さんのお写真!

その安倍さんにご挨拶をしたいこっちを向いてほしい!

…そう思ったが、その想いは成就しなかった。

 

その夜11

献花台でご挨拶をできなかったという悔いは残ったが、しょうがない。

僕も撤収しよう…。

最後にダイヤモンドヴェールを見上げ、大門方面に歩き出す。

 

…ん?待て?

とにかく今のことしか考えていなくって耳を傾けていなかったが、あのときあの警察官は何と言ったっけ?

 

「明日の朝は9時から15時までです。」

確かそう言っていたな。

そして僕、明日の朝9時すぎくらいまでであれば、ギリギリ時間を調整できるかもな…。

 

明日はお葬式。

明日も行くか?

 

 

僕は僕らしく

 

翌日、7月12日の朝9時少し前。

 

さよならを1

僕は昨夜の場所に並んでいた。たぶん最前列から100~150人くらいの位置だ。

後から知った話だが、このあと行列がどんどん伸びて、隣の「芝公園」まで続いたそうだ。

 

ちなみにマスコミ、すっげぇ来ている。

 

さよならを2

9時になると50人単位くらいで5列になって境内に入る。

そしてグループごとに献花していくような感じだ。

 

さよならを3

スーツを着た関係者の方が、順次手にアルコールをかけてくれ、そして花を持っていない人には一輪ずつ手渡していた。

 

いろんな服装、いろんな年代の人がいる。子供もいる。

安倍さん、すごい人だったのだなぁ…。

 

さよならを4

10分ほどで献花台の前まで来た。

上の写真、左に見切れているのが大殿だ。

 

献花台は撮影OK。この別れを、この思い出を是非記録に刻んでほしいと。

ただし最前列は待っている人も多くいるので撮影しないように、とのことだった。

 

さよならを5

僕はかなり端の方からだったが、そっと献花台に華を置き、手を合わせた。

写真の中の安倍さんは最高の顔で微笑んでいた。

 

さよならを6

安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

 

これまでずーっと長いこと、日本のこといっぱい考えてくれてありがとう。

安倍さんよりも日本のことを考えていた人、ほとんどいないのだろうな。

 

僕は政治のことはあまりわからない。

だけども政治ではない、誰にも負けない"旅・ドライブ"という分野では、日本のことをいつも考えているよ。

 

僕は僕なりに、これからもがんばるよ。

 

がんばろう日本

今回の件で、国民みんなの心に不安が生じてしまった日本。

まだまだ終息せず、第7波が始まりつつあるコロナ禍で混沌とする日本。

 

最後に振り返った東京タワーに、あの日の「GANBARO NIPPON」の光のロゴを重ねた。

 

そうなのだよ。

どんな道でも進まなきゃいけないし、否が応でも時間が流れるし、きっとがんばれば日本の未来は明るいはずなのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 増上寺
  • 住所: 東京都港区芝公園4-7-35
  • 料金: 参拝は無料
  • 駐車場: 通常参拝であれば無いと思われる。付近のコインパーキングを使用のこと。
  • 時間: 参拝であれば特になし