週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.116【奈良県】超山奥の廃村で、郵便局だけが営業していた伝説!その跡地を訪ねよう!

あなたの暮らしの身近にある、郵便局。

 

「JP」の公式Webサイトから確認したら、2021年5月末時点で23,797局が存在するそうだ。

こんなにありがたい組織、他にちょっと思い浮かばないレベルだ。

 

もはや全国どこにでもある、といっても過言ではないだろう。

「人の住まうところに郵便局あり」という格言を作ったっていいだろう。

 

しかし、僕は知っている。

廃村でただ1軒、営業していた郵便局がかつて存在していたことを。

「日本一訪問の難しい郵便局」と言われたり、郵便局巡りを趣味とする人が「聖地」と崇めた郵便局があることを。

 

その名は、「東の川簡易郵便局」。

2005年の4月1日に閉鎖された。僕は営業している姿を見たことはない。

しかし、どんなところに存在していたかは知っている。

 

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なぜなら、跡地を訪問したことがあるからだ。

 

さぁ、今回は郵便局のお話だ。

あなたはハガキ1枚郵便局に出しに行くのに、命を懸けられますか?

 

 

酷道425号(死にGo)

 

まずは紀伊半島のイメージMAPをご覧いただきたい。

 

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死にGo1

紀伊半島を横断する国道425号は、いわゆる酷道である。

「死にGo」というありがたくないゴロ合わせが存在する。
 

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死にGo2

確かに結構ドキドキするような山間部のクネクネ道が永久に続く。

 

しかし、生命の危機を感じるようなレベルの道ではない。落石に当たったら死ぬかもしれないけど、確率は低いし。

それに、対向車もゼロなので擦れ違いを心配する必要もない。

 

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死にGo3

なぜ僕が、「対向車がゼロ」と言い切ったのか。

それには理由がある。

 

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死にGo4

酷道425号、現時点で紀伊半島を横断できないのだ。

この少し前に、かなり世間を騒がせた集中豪雨で、紀伊半島はかなりの被害を被ったのだ。

 

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死にGo5

先ほどのMAPをもう一度ご覧いただきたい。

 

僕の目指す「東の川集落跡」と三重県尾鷲市を結ぶ国道は崩壊している。

この3ヶ月前に、試しに尾鷲から行けるかチャレンジしたのだが、実際に失敗した。

だから今回は、三重県の深部から延々アプローチしているのだ。

そして東の川集落跡を訪問後、また来た道を延々戻る所存。

 

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死にGo6

ちなみに、僕が今いるところから東の川集落跡までは車で1時間ほどかあるかと思うが、途中に集落は1つもない。

 

従い、僕と同様に東の川集落という廃村を目指すか、それとも通行止めを知らずに尾鷲方面に向かって絶望してUターンする車くらいしか、対向車の理由は考えられない。

なので、対向車は実質ゼロと僕は判断している。

 

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死にGo7

災害時連絡先とか、掲示されている。

ふと、自分の携帯電話を取り出してみた。あまりの山奥につき、圏外だった。

なかなか死亡フラグが整って来たな、なんだこれ。

 

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死にGo8

そのうち、道沿いに「坂本貯水池」が見えてきた。

秘境感バリバリの濃い緑色の水をたたえている。

 

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死にGo8

そして僕は、さらに道を分岐し県道228号に入る。

この道は、もうマジに何もない。深い山に突き当たって消えるのみだ。

その直前に、廃村東の川集落があるのだ。

 

なんというワンダーランド…。

 

 

廃村はどこだ

 

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絶望の淵1

道はさらに細くなるし、荒れてきた。

当たり前だ。この道を使う人はほとんどいないのだから。

 

林業の人だとか、ダムや河川工事の関係者の人は使うのかも知れないが、この先に人が滞在できるような設備は全くないのだ。

 

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絶望の淵2

2kmほど走ったところで、右手にボロボロの廃校が見えてきた。

上北山村東ノ川小中学校」だ。

 

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絶望の淵3

これについて語り出したら、それだけで記事1つ書けてしまう。

従い、ここの見学内容はまた機会があったらとさせていただきたい。

 

さて、僕はさらに山奥へとアクセルを踏む。

 

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絶望の淵4

結論から言うと、このエリアへの往復3時間ほど車も人も全く見なかったが、シカだけは見た。野生の王国となっていた。

 

僕はシカを見て「わっ!シカだ!」って思ったが、シカたちは「わっ!人間だ!」って思ったに違いない。

イレギュラーな存在なのは僕の方だと思う。

 

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絶望の淵5

「出口橋」という橋を渡り、坂本貯水池の上流方面にさらに遡上するのだ。

橋、ボロボロだなー。

メンテする費用対効果とか、あんまりないのだろうなー、きっと。

 

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絶望の淵6

どんどん道は荒れてくる。

落石だらけだ。

テクニカルに回避しながら、深淵を目指す。

 

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絶望の淵7

ところどころ土砂が堆積しているので、四駆モードに切り換えて乗り越えたりする。

…いやぁ、なかなかデンジャーだよ、これ…。

 

そしてついに絶望が眼前に現れた。

 

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絶望の淵8

上の写真、僕の愛車のすぐ眼前を見てほしい。

 

土砂が道を埋め尽くしているのだ。

これはまいったぜ。

しばし呆然とする。

 

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絶望の淵9

目指す集落まではどのくらいなのだろう?

もうそんなに距離はないはず。

ここからは徒歩で土砂を乗り越えて行ってしまおうか…。

 

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絶望の淵10

しかし何かしあったら本当にヤバい。

前述の通り電波は圏外だし、僕は1人旅だし独り暮らしだ。

トラブルがあっても助けが呼べないし、しばらくは誰も気付かない。

ここでそこまでのリスクを負うのは賢くない。

 

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絶望の淵11

東の川集落は、土砂に閉ざされてしまったのだろう。

そして、この道を復旧させるだけの意味もあまりないことから、今後永久に隔離された世界で、人知れず朽ちていくのだろう。


その運命を自分の目で見れただけでも、よかったとしようか。

 

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絶望の淵12

狭路をしばらく恐々とバックし、何度も切り返しながら、なんとかターンできた。

センチメンタルな気持ちで、来た道を戻る。

 

廃校の近くまで戻ってきたところで、僕は自分の浅はかさに嫌気がさした。

 

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絶望の淵13

なぜかというと、廃校のすぐ近くの山の斜面の中腹に、廃村が見えたからだ。

 

上の写真、僕はさっき右から左へと橋を渡っていたのだ。

すぐ背後には廃村があったのに、気付かなかったのだ。

 

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絶望の淵14

確かに、行きのルートではとても見づらい位置にあり、視界に入らなかったであろう。

 

しかし、学校が集落から途方もなく離れたところにあるはずがない。

廃校を見つけた時点で、周囲の景色や分岐する小道、全てに細心の注意を払っておくべきだったのだ。

 

秘境アドベンチャーにある程度慣れているにもかかわらず、なんたる失態だ。

お恥ずかしい。


そしてどうやら、東の川集落は廃村としてのかたちはまだ保っているようだ。

さっきはセンチメンタルなことを言ってしまってすまない。

改めて、集落を訪問させていただこう。

 

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絶望の淵15

僕のいる車道から集落までは、短いもののとんでもなく狭い道であり、かつ激坂でヘアピンカーブである。

かなりの運転テクニックが必要そうだし、路面がさらに荒れている可能性、そして集落内に駐車場がない可能性もある。

 

であれば、ほんの数分だから歩いて登ろう。

いよいよ、念願の東の川集落訪問だ!

 

 

現れし東の川集落 

 

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東の川集落1

山の斜面の狭路。

そこに一直線に、長屋のようにように並ぶ廃屋。

これが、僕の見た東の川集落の最初の光景であった。

 

もったいぶった説明のほうが盛り上がるかもしれないが、残念、一番手前の建物が本丸である。

僕の第一目標である、東の川簡易郵便局だ。

 

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東の川集落2

 素では郵便局とわからないほどの、ウッディさバリバリの素朴な小屋である。

そして、クリスマスがやって来たんじゃないかと勘違いするほどの赤さ。

この赤さが郵便局であると訴えかけてくる。

イメージカラー、大事。

 

ところどころに残っている四角い枠は、郵便局であったころの残滓であろう。

 

ja.wikipedia.org

 

Wikipediaさんへのリンクを貼る。

営業当時の写真と見比べてみてほしい。

このころに訪問したかった。心から、そう思う。

 

さて、郵便局の在りし日に思いを馳せるのは、また後の項目でじっくりやりたい。

ひとまず東の川集落の全景を見ていこう。

 

 

まずはこれが、Googleマップから持ってきた衛星写真だ。

下の方にかろうじて見えているコンクリの大きな建物が、前項で触れた上北山村東ノ川小中学校だ。

 

そしてそのちょっと北の山腹に広がっているのが、東の川集落。

全部で8軒ほどの建物が残っているようだ。

 

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東の川集落3

郵便局から一列に続く長屋みたいな建物群を、反対側から振り返ってみた。

集落のメインストリートだ。

 

既に廃村となってしばらく経つが、生活の息遣いが聞こえてくるような世界だ。

 

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東の川集落4

その一因は、きっと建物の脇に設置されている二層式洗濯機。

すごいレトロだぞ、これ。上部についているダイヤルがとてもエモい。

 

そして、かつての住民は極まれにここを訪れて、家屋をメンテナンスしているという話を聞いたことがある。

だから、まだキチンとしているのだ。

 

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東の川集落5

廃村と言うと風雨でバッキバキになったり、いたずらされてひどい有様になっていたり、草ボウボウとなることが多い。

そんな廃村をこれまで無数に見てきた。

 

だが、ここは愛されている廃村だ。

静かに、そしてゆっくりと時が流れている。

もしかしたら、21世紀になったことすら気付いていないのかもしれない。そういう世界だ。

 

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東の川集落6

静寂。

ここに村はあるのに、生活音も人の気配も皆無。

 

周囲数10㎞に、僕以外の人間はいないかもしれない。

そんなドキドキ感がたまらないのだ。

 

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東の川集落7

観光地や景勝地であれば、再訪もあるだろう。

現に僕は日本を何周もし、同じスポットに何度も立ち寄ったりしている。

 

しかし廃村は別だ。

一生に一度切りが原則だ。

 

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東の川集落8

2度訪問した廃村もあるが、少し時間が流れただけで、大きく崩壊が進んでしまっていたりもしている。

2度と、同じ光景は見れないのだ。

だからこそ、目と記録に焼き付ける。

 

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東の川集落9

集落内には、ひときわ重厚なコンクリートの建物がある。

これは森林組合の事務所だ。正面玄関にプレートが掲示してあった。

 

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東の川集落10

ドアは施錠されているが、ガラスなので中が見える。

ちょっと近づいて覗いてみようか?

 

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東の川集落11

ザ・昭和って感じの灰皿。

それと、喫煙していた人がそのまま煙になって消えてしまったかのような配置で、一組のスリッパが残っていた。

 

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東の川集落12

少し高台にも2軒ほどの家屋がある。

よく見てほしいのだが、屋根にいっぱいタイヤが乗っているんだ。

瓦が飛ばないように抑えていたりするのだろうか?

 

ちなみにさっき引用したGoogleマップ衛星写真でも、屋根の上にタイヤが並んでいる様を確認できる。興味があったら再度ご確認いただきたい。
 

…東の川集落は、このような廃村であった。

 

 

最後まで営業した郵便局

 

村が廃村となると同時に、そこにあった郵便局も閉局する…であれば、きっとそんなに珍しいことでもないだろう。

しかし、ここの東の川簡易郵便局は違う。

 

廃村となっても営業していたのだ。

 

これが最大の特徴であり、多くの郵便局マニアや秘境マニアを惹き付けた要因の1つだ。

 

もともとは、もっと大きかった東の川エリアの集落。

しかし、前述の坂本貯水池の基となる「坂本ダム」の建設により、水没する。

 

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坂本ダム

1959年に工事が始まり、1962年に完成したそうだ。

 

村人多くは、これを機に山を下りて町へと移り住む。

わずか23世帯の人は、この東の川集落に残って暮らしていたそうだが、やはり山深い生活ではいろいろ不便もあり、少しずつ人口は減っていく。

 

いつから廃村となってしまったのかは、Webをいろいろ調べても明確な情報を発見できなかったが、1980年ごろにはほぼ無人となっていたのではないかと推測している。

 

ただ1軒の郵便局を覗いて、だ。

 

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廃村郵便局

何10年もここを守っていたのは、1人のおじいさんだという。

三重県の尾鷲に住んでいたが、毎日酷道をバイクで走り、ここまで勤務していたそうだ。

 

誰もいない廃村。

しかし、極まれにやってくるかつての住民、そして郵便局マニアを対象に、長年営業を続けていた。

 

驚くべきは、この郵便局の特徴のもう1つである、オフラインであるという点だ。

当時は全国で2つしかオフライン郵便局は残っていなかったという。

 

オンラインが当たり前の時代なので、僕自身オフラインと言われてもピンと来ない部分がある。

 

具体的には、電話線が通っていなかった。

無線電話だ。

ネットワークも通じていなくって、もちろんATMなんぞない。

完全アナログな世界だ。

 

おじいさんはゆっくりゆっくり丁寧に、手書きで通帳を作ってくれたり、通帳にハンコを使って記帳してくれたりしたそうだ。

今でもWeb検索をすれば、運営当時に訪れた人の記録が少々残っている。

もしあなたが興味がおありであれば、ぜひ探して見てほしい。

 

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崩れた廃屋

おじさんが廃村で細々と郵便局を続けていた時代にも、終わりが来る。

2007年に行われた郵政民営化

 

これに先駆けて小さな郵便局がいくつも消滅させられたという。

オフライン郵便局であり、かつほとんど利用者のいない東の川簡易郵便局は、もちろん真っ先にリストラされることとなったのだろう。

 

2005年4月1日で、ついに歴史に幕を下ろした。

 

僕がこの郵便局の存在を知ったのは、2005年の夏のことである。

一足遅かった!

悔いたが、もう消滅したものはどうしようもない。

 

その後も長い年月を悶々としていたが、この度ついに跡地を訪問したという次第だ。

 

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その後も消防団が…

郵政民営化以前の情報は、もう公式Webサイトでも情報がない。

 

東の川簡易郵便局は、当時を知っている人のわずかな情報の中で語られるだけの存在となってしまっている。

 

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僕は忘れない

だからこそ、忘れちゃいけない思い出ってあるよね。

 

遅すぎた訪問者である僕がそう言ったところで、まったく説得力は無いかもしれないが。

だけども、みんなが生きた残滓はしっかりとこのハートに留めておくよ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 東の川簡易郵便局
  • 住所: 奈良県吉野郡上北山村西原
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 集落の下部に駐車が無難と思われる
  • 時間: 閉局につき営業時間なし

 

No.115【石川県】十戒の「モーゼ」は日本にやって来て583歳まで生きた!じゃあ墓参りだ!

AEDのご準備はよろしいだろうか?

えっ…、手元にない??

 

恐縮だが、それで何かあっても当ブログは一切の責任を取ることはできない。

カクゴして読み進めてほしい。

 

今回の物語の主人公は、旧約聖書の登場人物である預言者「モーゼさん」だ。

十戒」とか「超能力で海を割る」とか、あなたも耳にしたことがあるだろう。

 

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エジプトを舞台に活躍したモーゼ。

「約束の地」を求めて何10年も旅をしたが、その後にどうなったか、あなたはご存じだろうか。

 

…ちょっと間を省略するが、石川県でのびのびと暮らした。

583歳まで。

 

さぁ、会場が充分にザワついたところで、本題だ。

 

 

ミステリーの幕明け

 

能登半島内陸部の、のどかな山道であった。

そこは「宝達山」のふもとであった。

 

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ミステリーゾーンへ1

いきなりキャッチ―なデザインの看板で「伝説の森モーゼパーク」という看板が出てきた。

これが僕の目指すスポットである。

 

カクゴはいいな?

自分はそう自分に言い聞かせた。

受験のときに志望校の校門をくぐるときにも似た感覚であった。

 

森の中の狭路をしばらく進んだところで、駐車場が出てくる。

ここで愛車のパジェロイオを駐車した。

 

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ミステリーゾーンへ2

駐車場脇に掲示してあるMAPがこれだ。

大体すべてが森だ。

 

右奥にこんもりと3つある丘が、お墓らしい。

そして、その前には広場があり、ピュアホワイトな爺さんが浮遊している。

 

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ミステリーゾーンへ3

これがモーゼさんだろう。

ミステリーヤードの上を雲に乗ってプーカプカだ。

地図上で見る限り、駐車場のまっすぐ上なのだな。では行こうか。

 

あ、ちなみに駐車場にはもう1台車が停車していた。

こんなところに僕以外に来る人がいるとは。

しかも今は朝の7時台なのだ。熱心なモーゼファンだろうか?

 

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ミステリーゾーンへ4

とりあえず、歩き出そう。

駐車場周りは綺麗に整備された森の中の芝生の丘だったが、一気に薄暗い山道となった。不安しかない。

 

ちなみにここは「ロマンの小経(こみち)」というらしい。

不安しかない。

ロマンはいったいどこにお隠れになったのか。ロマンを全く感じさせない森の中を登る。

 

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ミステリーゾーンへ5

そのうち、木立の中に電話ボックスくらいの大きさの、簡素な小屋を見つけた。


モーゼの墓記帳所」って書いてあるぜ。

「モーゼクラブ」って書いてるぜ。

 

中には普通にノートがあり、訪問者のコメントが残されていた。

あと、なぜここがモーゼの墓と呼ばれているのかが書いてあった。

 

だが、あなたにはまだその内容はナイショにしておこう。

プールに入るときと一緒。

いきなり飛び込むと心臓への負担が強すぎるのだ。足先からゆっくり馴染んでいこうぜ。

 

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ミステリーゾーンへ6

…しかし、どう考えても遠い…。

 

もう汗ばんできたし、疲れてきた。

なのに全然モーゼの墓に辿り着かない。

 

先ほどの地図を見てほしい。駐車場からすぐのはずなのだ。

おかしいではないか。

 

…ってデジカメで撮った写真をマジマジと見て、すごいカラクリに気付いた。

 

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ミステリーゾーンへ7

 

2つの「A↑」「A↑」がリンクしている…。

 

 

「何考えてんだ、おめぇ?こんなん、わかるか」

そう思ってしまった。

 

地図の右側にある白くて大きな線は道ではなく、2つの地図の境界線だったのだ。

なんというトラップだ。

その後、Webで調べてみると、このMAPに翻弄されて森の中をウロウロした人がわんさか出てきた。

 

被害者の会、作ろう。

そうしよう。

 

 

舞台は深淵へ…

 

しばらく山道を歩いていたところ、前方の小さな広場に1人の女性を発見した。

 

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森を徘徊1

しかも立ち止まっている。足元の何かをガン見してる。


朝っぱらからこんなところに1人で来る人なんて、あからさまに怪しい。

微動だにせずに足元を見ているだなんて、もっと怪しい。

ここはヘタに近付かない方が利口ってヤツだ。

 

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森を徘徊2

僕は静かに女性のそばを通り過ぎ、その脇にあった「浮船展望台」という分岐から展望台方面に登って行った。

いきなりハデな倒木が現れて、一瞬躊躇はしたが。

 

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森を徘徊3

イテテテ、ヤブがひどい。痛い。

 

なんかもうこれ、手入れ諦めているでしょ。

どこが歩道だか全然わからないよ。

 

僕はすごく気軽な気持ちでモーゼさんのお墓参りに来てしまったのだが、やっていることはずいぶんとガチ寄りのハイキングなのだ。

旧約聖書を甘く見ていた。

 

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森を徘徊4

とりあえず展望台みたいなところまで行った。

だが木立でほとんど景色が見えなかった。

 

チラッとだけ押水の町並みが見えたが、木立が多くってカメラのピントは目の前の枝に合わさった。なんてこったよ、旧約聖書

 

しかし、いつまでもヤブに絡まっているにも限度がある。

もうあの女性はお帰りになったであろうか?

展望台にて歩道は行き止まりなので、Uターンして女性のいた広場まで戻ろうと思う。


広場まで戻ると、例の女性はちょうど立ち去るところだった。

お互い軽く会釈をした。

 

それから僕は、さらに道を奥へとズンズン歩く。

 

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森を徘徊5

山道をさらに登ると、なんかT字路に出ちゃった。

標識がないのでどっちに行ったらいいのかわかなない。

 

しかしどちらも草の生い茂った廃道みたいな感じだ。

昔はこれ、未舗装の車道だったりしたのだろうか?

いや、そんなことはどうでもいい。僕はどっちに行けばよいのか。

 

ちょっとだけ進んでみた。

どうやら登る道はこの山頂に向かって行きそうだ。これはちょっといただけない。

行っちゃダメだ。

 

そもそも、駐車場からモーゼの墓までの距離感を僕は知らない。

こんな登山みたいな感じなのだろうか?

もう最初っから間違えていたりしたのだろうか?

 

とりあえず、引き返してみた。

さっき女性と擦れ違った場所のちょっと先まで戻った。

浮船展望台との分岐辺りまで。そこで足もとの石柱を見て、ようやく気付いた。

 

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森を徘徊6

「ミステリーヤード」って書いてあったよ。

さっきは女性がいたので不用意に近づけなかったが、ちゃんと書いてあったよ。

 

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森を徘徊7

つまり僕は今、ここにいるのだ。

MAPで見る限り一番メインっぽいスポットだ。

 

だがしかし、ホワイトな爺さんもいない。像くらいはあると思ったのに。

あまりに森の中の簡素な広場だったので、まさかここがメインとは思わずに通過してしまったのだ。

 

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森を徘徊8

とりあえず、ミステリーヤードで記念撮影をしてみた。

普通の公園の敷地みたいな雰囲気。

 

正直、達成感はあまりない。

疲労感はそれなりだ。

 

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森を徘徊9

中央にはモーゼの伝説についての説明版が設置されていたが、老朽化が進んでいて文字はほとんど読めなかった。

そうか、さっきの女性は足元を見ていたのではない。この説明板を読んでいたのだな。

 

ここで僕は、油断しかけた。

僕はこの地にミステリーヤードを求めて来たのではない。

あくまでモーゼの墓なのだ。

 

MAP上のモーゼ爺さんがあまりに存在感があったのでだまされそうになったが、あくまで墓参りに来たのだ。

 

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森を徘徊10

一緒に見てほしい。

このミステリーヤードの後ろには、丘が3つある。

その中の真ん中のものが、モーゼの墓のようなのだ。

 

よし、目的地は近いぞ。

 

 

モーゼの墓参り

 

僕の眼前にある、あの丘がモーゼの墓なのか?

それっぽい説明書きは周辺に何もないが、消去法からこれ以外にないだろう。

 

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モーゼの墓参り1

とりあえず、獣道みたいな道を辿る。

どうだい、墓参りをしている人の撮った写真に見えるかい?

 

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モーゼの墓参り2

よーし、朝からいい試練を与えてくれるじゃないか。

さすが旧約聖書

 

ゼーハー言いながら頂上まで辿り着いた。

木々は伐採されていて、それなりに整備しようとした痕跡が見えた。

あと、なんかいろいろカオスなものが目に入った。

 

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モーゼの墓参り3

シーサー。

「ありがとうございます」

 

さて、リアクションに困るというヤツだ。

新時代の墓の幕明けかなって思った。

 

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モーゼの墓参り4

「これはスパイシーですよ。強烈なスパイスが効いていますよ。」と心の中で興奮した。

このやる気の無さよ。

愛情が感じられるか感じられないかの、ギリギリの瀬戸際を攻めるような投球よ。

 

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モーゼの墓参り5

 墓標が雑だ。

僕が小学生の頃に飼っていたカエルが死んでしまい、敷地内の花壇に埋めて割り箸で墓標を作ったときと似ている。

 

書いてある文字を読む。

モーゼ一族霊団供養??

一族か。ファミリーだったのか。

 

まぁ僕は前述の電話ボックス大の小屋の中で説明板を読んだので知っているのだが、3つある丘はそれぞれが墓である。

1つはこのモーゼのものだが、他はモーゼの妻のものと、孫のものと言われているのだそうだ。

 

モーゼファミリー、安らかに眠れ。

シーサーに守られて眠れ。

 

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モーゼの墓参り6

また山の中をテクテク歩き、愛車を停めた駐車場まで戻ってきた。

 

ついついしだれ桜が綺麗でそちらをメインとなるように撮影してしまったが、駐車場周りは綺麗に木々が整備されている。

 

そして、桜の背後にわずかだがギリシャ建築のような石柱が見えている。

この施設内の貴重な本格的オブジェなのに、しっかり写真を撮れずにあとあと後悔している。

 

ここでは管理人さんと思わしきおじさんが、草木の手入れをしていた。

「どうだった?墓はすぐ分かったかい?すぐ横にモーゼの親族の墓もあることに気付いたかい?」などと気さくに声をかけて来てくれた。

 

あと、「さっきも女性が1人で来ていてね…」と、なぜか得意気だった。

そうかあの人か。しゃべったのか。

 

おじさんは、「モーゼについて知りたいことがあれば、なんでも聞いてくれていいよ」と自信満々だ。

何も質問しないのは悪いよな…。

 

「あの女性はどんな質問をしたの?」というのを僕からの質問としようと思ったが辞め、「モーゼの孫はなんという名前だったのか?」などと質問させてもらった。

おじさんは「タルヲス・イホスチヒリウスだね」と、「リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ」みたいな勢いでスラスラ言うものだから面食らったね。


本当はあんまり知りたいことは無かったんだけど、他にも2・3質問してみたよ。

いつか、この知識が僕の糧になるかもしれないから。

転職するときとかに有利になるかもしれないから。

 

 

モーゼの伝説と竹内文書

 

さて、いよいよモーゼ伝説の真相に迫ってみよう。

ソースは、電話ボックス大の小屋の掲示物、WikipediaさんなどのWeb媒体、そして管理人のおじさんの話だ。

 

まずあなたは、この記事のタイトルを見た瞬間から思ったはずだ。

「本当にモーゼの墓なのか」と。

 

結論から言おう。

 

違う。

 

少なくとも現代の調査では、モーゼがここに眠る根拠は満たしていない。

 

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竹内文書1

何故モーゼの墓と云われるか?
古史古伝の代表作竹内文献のなかに、モーゼは能登・おしみずへやって来ていると記されている。


竹内文献

竹内文書」という呼ばれ方の方が一般的であろうか。

 

ひとことで言うならば、バチバチにぶっ飛んだ空想歴史本だ。

そりゃもう、モーゼもキリストも釈迦も日本にやってきて天皇に仕えるし、天皇は「神武天皇」より古い105人の天皇がいるし、その天皇は空飛ぶ船で全国行脚だ。

ムー大陸アトランティス大陸の原型も登場している。

 

昭和の初めに突然明るみに出た、竹内家の所有している歴史書

やれ文書偽造だ、詐欺だと裁判騒ぎになり、ゴタゴタしているうちに第2次世界大戦で焼失した。

 

この竹内文書が大好きだった人物がいる。

昭和前期の考古学者でありジャーナリストである、「山根キクさん」だ。

 

彼女は、「ここがモーゼの墓だ」と言い出した。

ここがモーゼの墓であるの根拠は竹内文書にすら記載がない。

話の解像度がだんだん低くなってきたな。

 

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竹内文書2

地元の人も、そりゃ信じていたわけではない。

ここ押水町だって、ウソと思われる歴史に加担はしたくはなかった。

 

だけどもこの押水町、産業もなければ観光地もなく、金もない状態だったらしい。

「試しに…、作ってみるか?モーゼパーク…。」

こうして誕生したのが、伝説の森モーゼパークだ。


話の解像度が、もう原型を留めないほどに崩れてきたな。

面白い。

 

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竹内文書3

モーゼは海を割ったりなんやかんやし、そして「シナイ山」で神から十戒が書かれた石板を授かる。

そのあと天浮舟(あまのうきふね)という空飛ぶ船で日本にフラリとやってきて、十戒天皇に献上したら、天皇は喜び娘をモーゼの妻に推薦した。

 

2人はその後もいろいろあったけど仲良く暮らし、モーゼはここ能登で583歳の生涯を終える。

ちなみに長男はニウマポンヒリウス、孫は例の墓に眠るタルヲス・イホスチヒリウスだ。

 

…ちょっと頭痛がして来たかい?休むかい?

うん、ではそろそろ話を終わらせよう。

 

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竹内文書4
  • 滝を割ったモーゼ
  • 奇想天外な竹内文書
  • ぶっ飛んだ見解を示した山根キクさん
  • モーゼ運用を後押しした押水町

 

一体、どこまでが正しく、どこからがこじれてしまったのだろうか?

 

しかし、どうなのかな?

「歴史書」・「伝承」・「おとぎ話」・「聖書」…。

これらの境界線は実はあいまいかもしれないし、今僕らが信じている歴史だって正解ではないかもしれない。


真実は、本当に僕らの見える範囲にしかないのかもしれない。

 

じゃあ、何も信じられない?

いや、そんなこともない。

 

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竹内文書5

「歴史書」・「伝承」・「おとぎ話」・「聖書」。

共通してるのは、後世に残したい強い想い・強い希望。

 

僕らは先人たちのその思いを受け止め、新しい時代・新しい季節を歩んでいくのだ。

…きっと。 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 伝説の森モーゼパーク
  • 住所: 石川県羽咋郡宝達志水町河原
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.114【山口県】感じろ、地球の鼓動!!日本一低い火山「笠山」の火口を覗いてみた!!

山の成り立ちはいくつかあるが、もっともセンセーショナルな山の誕生パターンは、やはり火山によるものではないか。

 

地球の持つエネルギーを、地表が抑えきれずに隆起・噴出しているのだ。

ニキビみたいなものだろうか?

 

あなたも、いい年こいて深夜にラーメンをガツガツ食い、翌朝吹き出物ができていたら「ワォ!センセーショナル!!」と言うだろう。

僕だって言う。

だったら、地球だってそう言うだろう。

 

僕らが小さな吹き出物でもそれなりに騒ぐように、地球だって小さな火山にも過敏に反応すると思う。

だから話そう。

日本一低い火山と言われている、「笠山」のことを。

 

 

日本一低い山は、いくつも存在する。

山だって多様性の時代なのだ、きっと。

 

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これが僕が今まで訪問した「日本一低い山」だ。

何がホンモノで何がウソだ、とかではなく、いろいろあって全部正しいと僕は思っている。


詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

標高10mにも満たないミニマムな山が列挙されている中、1つだけ意識な標高112mもある山、笠山。 

ま、他の山に比べるとはるかに高いが、冷静に考えれば笠山より「東京スカイツリー」のほうが5.6倍も高いのだが。

 

東京スカイツリーの5分の1にも満たないスケールの火山って、いったいどんななのだろうか?

 

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笠山に登れ1

これが笠山だ。

真ん中に「萩観光ホテル」を有しているのがインパクトある。

 

そしてヘタな構図で申し訳ないが、これは海越しに撮影した。

笠山は昔は海の中の島だったのだ。

 

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笠山に登れ2

それが、今は砂州で陸と繋がり、陸続きの島となっている。

以下にザックリとマップで示すので、それで改めて確認してほしい。

 

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他の低山とは違う笠山の特徴、それは山頂直下まで車で登れることだ。

他の山では1合目から山頂までダッシュで何秒か計っていたが、笠山については計測対象外とする。

 

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笠山に登れ3

車を使ってしまうので。

さすがに高さ100mもあると、文明の利器を使いたくなるのだ。ごめんね。

 

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笠山に登れ4

道はちょっと狭い。しかし、HUMMER_H3であっても特に懸念を感じさせない程度の広さはある。

ウネウネと登って充分な空きスペースのある駐車場に到着する。

 

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笠山に登れ5

すごーく余談だけど、ここで車内自炊をしたこともある。

 

1日1~3食は自炊をしながら旅をしていた時代もあったのだ。

コストを抑えられるし楽しい。ただしそれなりの要領が必要だ。

 

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笠山に登れ6

このときはレトルトのカルボナーラだった。

 

では、カルボナーラのことはさておき、山頂や火口をご紹介しよう。

 

 

山頂と火口を巡る

 

山頂攻略

 

駐車場から少しだけ歩いた広場に、笠山山頂園地を示す大きな立て札があった。

 

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山頂巡り1

結論から言うと、ここが一番「来ました感」のあるスポットだ。

「記念写真を撮るならここ一択だ」 って思った。

 

この看板から10mほど登っただけで山頂エリアに出た。

木々も多いのでよくわからないけど、どうやらお鉢のようになっているようだ。

 

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山頂巡り2

山頂の片隅には、上記のような展望台がある。

あの向こうは日本海だ。これ絶対景色がいいヤツだ。もちろん登る。

 

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山頂巡り3

はい、すごい。

日本海にポツポツと浮かぶ小島が一望できる。

 

「阿武火山群」に属する島々で、いくつかは火山なのだそうだ。

以前「ブラタモリ」でもやっていた。

 

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山頂巡り4

あなたは、「…ってことは、あの島々こそが日本一低い火山ではないか」と思うかもしれない。

 

…そこのところは、結構難しいようなのだ。

かつて溶岩を噴出していた島ではあるが、定義上「山」ではないらしく。

 

俗に火山として世界最小(あるいは東洋最小、日本最小とも)などと称されることもあるが、火山の定義や地形学的分類により捉え方は様々であり、その序列を断定的に呼称することは無意味である。

 

Wikipediaさんにも上記のように書かれている。

しかし実際、この笠山を日本一低い火山・世界一低い火山として取り上げているWebサイトは多い。

 

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山頂巡り5

まぁ、いろんな見方があっていいんじゃないだろうか?

 

そもそも「日本一低い山」自体が、様々な定義でいくつもあるのだ。

日本一低い火山なら、なおさら定義がフワッとしてしまうかもしれない。

そんな中で、自分のお気に入りを探せればよいのだと思う。

 

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山頂巡り6

お鉢巡りをしてみた。

結論から言うと、1分足らずで終わった。

小さい小さい火山であることを、自分の足で実感することができた。

 

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山頂巡り7

4月の中旬の訪問の際には、八重桜がチラホラと咲いていて風流だった。

こんなお鉢巡りも渋くて良いなって思った。

 

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山頂巡り8

あと、途中に三角点があったので記念撮影をした。

どうやら3等三角点なのだそうだ。

 

ここがガチな山頂なのだろうか?

山頂を示す碑などはなくってわからなかったが、とりあえず三角点は踏んだのだ。

この山は制覇したと自負している。

 

 

火口攻略

 

いよいよ、火口を見学してみよう。

笠山は、まだしっかりと火口が残っている火山らしい。

であれば、やっぱ火口を見てみたいのが人の心情であろう。

 

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火口見物1

火口の規模は、直径30m・深さ30mだそうだ。

ウネッとした階段で、日の当たらないお鉢の中へと降りていく。

 

これは4月中旬の訪問の際の写真だ。

まだ季節的にそんなに緑が茂っておらず、形状が大まかに把握できる。

 

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火口見物2

一方これは、まだまだ暑い9月の中旬に撮影したものだ。

緑が元気で、何がなんだかよくわからない状態だ。 

 

一番下まで降りると、金網のフェンス越しに溶岩剥き出しの火口深部を見られる。

 

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火口見物3

真っ赤な岩が、溶岩だ。

フェンスと溶岩の間には隙間があり、さらに下の方を覗き込むことができる。

 

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火口見物4

この奥の奥から、マグマが湧き出してきたのだろう。

 

僕の後から来た人がここを見て、「全然火口じゃないね」と言っていた。

確かに「富士山」や「阿蘇山」の火口をイメージしてしまっていたら、ずいぶん見劣りするであろう。

しかし、確かに地球の鼓動を感じたよ、僕は。

 

調べてみると、この火口は8800年前のものなのだそうだ。

すごい昔に感じられるかもしれないが、日本列島って数10万年・数100万年前の火山とかで形成されている。

8800年前のものは、むしろかなり若い部類であろう。

 

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火口見物5

溶岩を拡大してみた。

すごく綺麗な溶岩だ。

 

この笠山は生きている。…そう感じたのだ。

 

明神池を散策しよう 

 

笠山と一緒にぜひご紹介したいスポットがある。

 

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さっき掲載したMAPを再度引っ張り出してみた。

「明神池」。

 

昔は島だった笠山だけど、陸との間に砂が堆積して砂州となり、陸続きとなったのだ。

その際に、砂州の真ん中にちょっとだけ海が取り残された

 

そう書くとなんだかマヌケな表現になってしまうかもしれないが、それが明神池だ。

 

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明神池1

はい、その明神池にやって来た。

笠山の麓にあり、笠山に行く際にはほぼ必ず横目で見ながら通ることとなる池だ。

 

明神池のすぐ横の駐車場は有料なのだが、3分ほど歩いたところに無料の駐車場があるのを発見した。

ありがたいので、無料の方を使わせていただく。

 

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明神池2

池のほとりには燈篭などが建っていて、日本庭園のようだ。

 

どうやら歴史を紐解くと、江戸時代の初期に毛利氏が「厳島明神」を勧請したのだそうだ。だから明神池。

 

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明神池3

昔は茶室などもあったのだそうだ。

なるほど、その頃の名残が今も少しだけ感じられるな。とても渋い。

 

そして何より面白いのは、この池は笠山の溶岩の隙間から海へと繋がっているという点だ。

だから池の水は海水なのだ。

海の魚が泳ぐし、海の満ち干きに合わせて水位が変化する不思議な池。

すげーぞ、明神池。

 

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明神池4

池の西側には林が広がっており、その中には「萩厳島神社」がある。

毛利氏が勧請した、例のアレである。

 

さらにその奥には、「風穴」という洞窟があるそうなのだ。

洞窟好きな僕としては、ぜひ行ってみたいではないか。

 

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明神池5

上の写真のちょっと手前には「風穴の店」という簡素なお店があった。

風穴は、このお店の敷地内の庭のような部分にあるのだ。

ちなみにお店はこのときは営業してはいなかった。


お店の前を経由し、写真のスペースに足を踏み入れた途端、体を冷気が包んだ。

10℃ちょっとくらいだろうか?

そんな冷気が辺りに滞留していた。

 

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明神池6

「どっかの洞窟から出ているのかな?」って思ったけど、それと思われるような洞窟は見当たらなかった。

 

庭の中心には井戸のような池のような水たまりがあったけど、ここが全ての冷気の原点というわけではなさそうだ。

どうやら冷気が噴出される特定の穴というのは無いらしく、辺り一面の岩の隙間などから冷気が出ているらしい。

 

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明神池7

上の説明板をご覧いただきたい。

この冷気は、笠山を形成する溶岩の隙間で冷やされた空気が出ているものなのだ。

 

笠山・明神池、そして風穴。

どれも繋がっている。全部合わせて、笠山の特徴だ。

 

日本一低い火山には、その箱庭のような狭い空間の中に、火山としてのエッセンスを詰め込めこまれており、かつ島から陸続きになったという特異な歴史を持つ火山であった。

 

この山は、面白い。

また1つ、僕の人生は深みを増しただろうか?

笠山を背に、次のスポットへと再び走り出した。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 笠山
  • 住所: 山口県萩市大字椿東越ヶ浜4区
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.113【山形県】過酷な環境に耐える秘境駅の「峠駅」!!名物は絶品のお餅だ!うめぇ!

2021年度の秘境駅ランキング、第14位。

「峠(とうげ)駅」。

 

日本の鉄道駅は、2017年時点で9909駅あるそうだ。

ザックリ1万駅だ。鉄道大国、日本。

その中の秘境度ランキング14位という、エリート中のエリート駅をご紹介したい。

 

hp1.cyberstation.ne.jp

 

情報ソースは、「秘境駅へ行こう!」のWebサイトである。

筆者の「牛山隆信さん」は秘境駅スペシャリストで、さまざまな関連書籍も出しているぞ。

僕も尊敬している。

 

ちなみに第1位~20位くらいまでは、駅周辺には人家無し、あるいは片手に収まるほどの家があったら「オォ、ブラボー!メガロポリス!」といったレベルだ。

当然駅なので電車は停まるが、電車以外の手段で駅に行こうとなると、道が無かったり・山道だったり・舗装されていなかったり、過酷を極めることがほとんどだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

ちなみに、以前ご紹介した「奥新川駅」は55位だ。

 

では、見せてもらおうか。

第14位、峠駅の実力を。

 

 

姥湯温泉から峠駅へ

 

僕は、まずは秘湯「姥湯温泉」に行ったのだ。

今回ご紹介する峠駅より数段山奥にある温泉だ。

ここでは、その姥湯温泉について詳細を語るつもりはない。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

でももしあなたが「姥湯温泉気になる、気になる―!」というのであれば、上記リンクを先にご参照いただきたい。

僕はその姥湯温泉から戻る道すがら、本日で執筆する峠駅に立ち寄ろうというのだ。

 

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秘境駅へ1

今は夏なのにいきなり秋の深まる写真をご紹介してすまない。

季節は真逆だが、晩秋の肌寒さが恋しくなったのでしょうがない。

 

さて、ご覧の通り道はかなり細いが、先に深部である姥湯温泉を極めてしまったので、ぶっちゃけ気がラクだ。

行きに来た道を戻るだけなのだ。

 

道は細いが舗装はされている。荒れた舗装ではあるが、ありがたい。

だが、ワケのわからんスイッチバックのためのポイントとかが出てくる。

 

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秘境駅へ2

一瞬では理解できないような動作を強いられるポイント。

他ではちょっとお目にかかれない標識で、なかなか楽しい。

 

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秘境駅へ3

深い山道を8㎞ほど引き返したところで、「←峠駅 国道13号→」の分岐が出てくる。

最終的には国道13号方面に帰るのだが、これから峠駅に行く。

 

そしてランチにする予定なのだ。

実は峠駅には名物のお餅屋さんがある。それが僕のお目当て。

 

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秘境駅へ4

看板に「わくわくカーブ」っていうのが書いてある。

どんなカーブか知らないが、山間部のカーブで観光客を誘致しようという作戦なのか、そっか。

 

そして、「山形新幹線が走る峠駅」と書かれている。

「停まる」わけではない。音速で目の前を通過される駅だ。

 

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秘境駅へ5

はい、これが件のわくわくカーブである。

わくわくしているかい?

 

…僕?

大丈夫、人生わくわくしているから。

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秘境駅へ6

駅へと向かう道。

晩秋の紅葉がとても綺麗だ。

 

もし対向車が来たら擦れ違えないが、この道は駅で行き止まり。

対向車が来る可能性はほぼゼロなので、ルンルン気分のドライブである。

 

そして、峠駅に到着だ。

 

 

スノーシェッドの峠駅

 

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峠駅1

前述の「秘境駅へ行こう!」のWebサイト情報によれば、人家は僕がこれからランチをしたいお店を含めて2軒だそうだ。

 

しかし、サイト情報は結構古そうだ。もしかしたら1軒しか残っていないかもしれない。

 

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峠駅2

この写真と1つ前の写真、共に2軒の家を写しているが、なかなかに静かなので現役でないのかもしれない。

 

あ、そしてこの写真の奥へと続く道が、今僕が来るまでやってきた道だ。

なかなかに狭いだろう。

 

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峠駅3

では今からね、この倉庫のような建物の中に入る。

これが何かって?

決まっているじゃないか、峠駅だよ。

 

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峠駅4

えっと、ごめん。正確には、峠駅のスイッチバック遺構という。

駅本体はこの倉庫のもっと奥の方にあるのだ。

スイッチバックについては、後程ご説明しよう。

 

この倉庫、外観はボロボロだが、内部はなんだかかっこいい。

隙間から光が差し込み、SFの世界のタイムトンネルのようにも見える。

 

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峠駅5

この倉庫はスノーシェッドといい、雪から駅を守るためのものである。

 

山形県福島県の県境に近い、その名の通りにあるこの駅は、冬場はメチャクチャ雪深いのだ。

だからこうして、施設全体をすっぽりと覆っているのだ。

 

さぁ、駅本体が見えてきた。あれがホームだ。

 

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峠駅6

すっげぇ近未来。

 

これ、世の中の男子は全員好きなパターンではなかろうか。

もし例外がいるなら、その人の分まで僕がこの駅を愛そう。

 

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峠駅7

この中を、山形新幹線が走るのだ。

そう都合よく電車は来てくれないが、新幹線の走行シーンを想像するだけでワクワクしちゃう。

 

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峠駅8

スノーシェッドの出口は、まるで時空をワープできるかのように輝いていた。

レトロフューチャーというか、スチームパンクというか、そういう感じのデザイン。

 

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峠駅9

…と思ったら、米沢警察署の「熊・出没!」の貼り紙が目に留まり、一気に現実へと戻ってくるのだ。

現実に戻ってくるタイムトンネル、体験しちゃったじゃないか、このやろ。

 

では、このスノーシェッドの中間点くらいに出入口があるので、外に出てみよう。

 

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峠駅10

100点。

 

僕が今まで通学や通勤で使っていた駅とは、テイストが違うのだ。

「これがランキング14位の実力か!」ってほれぼれしたさ。

 

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峠駅11

長ーく連なるスノーシェッド。200m以上あるらしい。

この中を新幹線様が走られるんですぜ。

天皇陛下を僕のお気に入りのボロ食堂に招待しちゃうかのような背徳感を感じる。

 

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峠駅12

そんでよく見てほしいんだけど、これは線路のレールと枕木でできているのだそうだ。

 

すごく美しい。廃材アートだ。

こんなデザイン、令和のこの時代に新しく作れるだろうか?

 

 

スイッチバックの歴史

 

峠駅の立地について、ご紹介したい。

峠駅は、「東北の屋根」とも言われる奥羽山脈を越える、奥羽本線山形線の駅である。

明治時代、まだ機関車(SL)が走っていた時代からある、とんでもなく歴史の古い駅だ。

 

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機関車は、登り坂ではメチャクチャ体力を消耗する。

大量の石炭や水を積んで山の麓を出発しても、このままではエネルギー切れで山を越えられないのだ。

 

従い、山の途中に補給基地が必要となる。

それが峠駅だ。

 

でも、険しい山なので機関車が停まれるだけの土地を確保するのも難しい。

ほら、坂の途中で自転車を停めたときのことを想像してほしい。再び漕ぎ出すのはすごくハードだろう。

坂の途中に少しでいいから、平坦な土地がほしいだろう。

 

こうして山の途中に場所を選び、いろいろ切り開いたりして、駅ができた。

上の図を見ていただければ、なんとなくイメージがつくかなって思う。

 

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ついでに、駅前の茶屋に飾ってあった絵もご紹介したい。

山・山・山…だ。

そんな中での列車の唯一の休息場所だ。

 

では、駅への停車や発車をどうしていたのか。

そこで活躍するのが、スイッチバックだ。

 

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こんな理屈。

スイッチバックにも種類があったり、平らな部分が駅ではないケースなどもあるが、少なくともここはこんな感じ。

 

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ただし、今はスイッチバックは使われていない。

 

近代の電車は馬力がある。

もうスイッチバックを使う必要がなくなり、1990年に廃止されたのだ。

 

かつてスイッチバックを使っていた当時のレール、それが上記である。

僕が最初に歩いた部分だ。

 

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かつて切り返しをしていたレールに思いを馳せて、触ってみた。

 

僕は、こんなことで何かを感じ取れるほどの感性を持つ人間ではないが、歴史に触れるのが大事だと、そう思って触った。

 

 

茶屋の力雑煮蕎麦

 

では、もう15時ではあるが、遅いランチだ。

冬も間近なので日が暮れてきた。

 

名物の「峠の力餅」を売る、「峠の茶屋」で食べよう。

 

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峠の茶屋1

場所は駅前だ。

ぶっちゃけ峠駅の周辺で、生命の鼓動が聞こえる家屋はここの1軒だけだ。

早朝7時から営業しているのだそうだすごい。

 

しかし、冬場は3mほどの雪に覆われる過酷な環境なため、食事処は冬季は休業するそうだ。今の時期はギリギリのシーズンかもしれない。

 

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峠の茶屋2

ビールケースの黄色が目に眩しい敷地である。

その向こうに、「峠の力餅」と力強く書かれた建物が見えてきた。

 

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峠の茶屋3

石のカエルに、駅ホームでの立ち売り用のボックスが掛けられていた。

店員さんは、電車が来るタイミングでこれに力餅を入れ、窓越しやホームで販売をするのだ。

 

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峠の茶屋4

庭に駅名板もある。ここは海抜624mなのだそうだ。

前述の通り、東北の屋根と言われる奥羽山脈の中の駅なのだ。過酷な立地だ。

 

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峠の茶屋5

お店の全容が見えてきた。オシャレな庭園だ。 

中に入ると、はっぴ姿のご主人が快く迎えてくれた。

 

まずはお持ち帰り用に力餅を買ったのだが、その話はまた後程。

 

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峠の茶屋6

こんな感じの、17・8人くらいが入れそうな店内。

メニューはお餅がメインだ。

さて、何を食べようかな。

 

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峠の茶屋7

天井近くにはズラリとメニューの貼り紙が並んでいる。

見事にどれも末尾の文字は「餅」だ。

 

うん、確かに餅は食べたい。

しかし、僕は空腹なのだ。ボリューミーなものを食べたい。

 

その折衷案が、力雑煮蕎麦であった。

値段は1500円だったであろうか。なかなかにインパクトのある価格だが、その分期待も高まるというものだ。

 

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峠の茶屋8

待ち時間は、店内をキョロキョロ眺めて過ごした。

 

奥に「峠の茶屋 創業明治二十七年」と書かれた幟が見えるだろうか。

明治27年と言えば1894年である。

今から130年近くも前だ。すごい歴史だ。

 

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峠の茶屋9

さぁ出てきた、力雑煮蕎麦だ。

重量のある大きな丼。立ち上る、いいダシの香りよ。

 

具は山菜などがたっぷりだ。

この近所のものだろうか?違うのかもしれないが、山奥で山菜を食べるだけで崇高な気持ちになれるのは間違いない。

 

そして、注目すべきはもちろん傍らで存在感を放っているお餅である。

丸くて白くて、メチャかわいい。

 

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峠の茶屋10

うわぁぁぁぁぁぁ!!

もっちもちだぞ。赤ちゃんのほっぺみたいだぞ。

口に入れただけで、笑顔を止めるすべがなく困るのだ。

 

つきたてのお餅、昔僕も母方のじいちゃんの家で餅つきして食べたことがあるが、絶品なのだ。ふんわりレベルが別次元。

それを思い出した。

 

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峠の茶屋11

水のおかわりを頼んだら、「そこのお茶でもいいし、外の湧水でもいいよ」と言われた。

湧水か、行ってみよう。

 

お店のすぐ前には「峠の力水」という湧水が湧いている。

ここからグラスにおかわりした。

山奥に湧き出る水はとっても爽やかであった。この水でお米を炊いてお餅を作ったなら、おいしくないはずがないよね。

 

最後に僕、「外の水をペットボトルにも詰めていっていいですか?」って聞いて、汲ませてもらったよ。

 

水まで美味しい店。ごちそうさまでした。

優しい気持ちになれるお蕎麦だった。

 

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峠の茶屋12

 

 

お土産は峠の力餅 

 

僕は峠の茶屋で、力餅をお持ち帰りで買った。

家へのお土産だ。

 

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力餅1

峠の茶屋のWebサイトを見たところ、鉄道が通って以来120年も、この力餅を駅のホームで立ち売りしているというのだ。

この一箱に、悠久の歴史が詰まっている。

 

今回は時間の関係上、ホームで立ち売りするシーンは見れなかったので、せめてものお持ち帰りなのだ。

 

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力餅2

峠の茶屋にて、店内に展示されている写真を何枚か撮影させてもらった。

茶屋の方は代々力餅を販売しており、現在は4代目と5代目が活躍中だそうだ。

僕の対応をしてくれたのは、たぶん4代目。

 

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力餅3

近代化の波とか過疎化の進行とかで、峠駅に泊まる日中の列車の本数は、たったの6本のみ

しかも、停車時間はわずか30秒だ。

 

6本×30秒=180秒
 

1日わずか180秒の立ち売りに、全力を注いでいる。

 

あとは、僕のように難路を越えて直接駅までやってくる物好きな人のみだ。

そんな環境で入手した餅は、どこまでも尊いのだ。

 

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力餅4

古老が語る峠の力餅は我々が幼い頃から口にした郷土の味です

遠く明治三十二年福島米沢間に初めて鉄道が開通し板谷峠の難所吾妻越の山腹に峠駅が設けられ人も車もほっとひといき入れたものでした

その時駅頭の力餅の一切れは我々の元気を呼びもどしてくれました。

 

いい包み紙じゃないか。これ、家宝にしてよいか?

 

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力餅5

純白のお餅が登場した。

純真無垢な顔をしていやがる。

 

ふんわり柔らかいそのお餅は、皮はしっかり塩味がついており、中のこしあんは上品な甘みであった。

 

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力餅6

峠駅は、険しい奥羽山脈を越える機関車の水や石炭の補給場所として造られた。

登り坂だと石炭も水も消費が著しいので、周辺の立地はさておき、峠の途中に中継基地が必要なのだ。

機関車はそこでパワーを補給し、福島県へと山を越えていく。

 

駅の名は「峠」

名物は「力餅」

 

この合計3文字。

しかし、いろんな歴史の重みを背負っているのだろう。

 

www.youtube.com

 

温かいお茶と共にお餅を食べながら、僕は土産話をするのだ。

 

冬の近付く姥湯温泉のこと。

スノーシェッドの駅のこと。

お餅入りの蕎麦がうまかったこと。


間もなく、峠駅は雪で包まれる。

姥湯温泉は、僕の訪問から2日後に冬季休業に入る。

雪のような真っ白な力餅を食べながら、「ここも寒くなってきたなぁ」と、窓の外を眺める。 

 

2020年、冬の近付くある日の出来事。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 峠駅
  • 住所: 山形県米沢市大字大沢
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.112【鹿児島県】廃墟のような建物!!その中で軍歌を聞き不思議なラーメンを食べた!

建物の前で、僕は躊躇する。

 

「これ、ヤベーぞ。マジでヤベー。1人で来るような場所ではない。

しかし、今入らなければきっと一生中には入れない。

逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ…!!」

 

意を決して、僕は建物内に入ろうとする。

 

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うむ、入口はどこかな?

 

*-*-*-*-*-*

 

…さぁ、刮目せよ!

コロナ禍の始まる少し前のある日、僕はとんでもない食堂に足を踏み入れる。

 

ドライブイン薩摩隼人」・「戦史館」・「軍国酒場」…。

いくつかの呼称があるが、ここではドライブイン薩摩隼人と呼ばせてもらいたい。

 

いやしかし、こんなドライブインは一生に一度だぜ、マジ…。

 

 

戦慄の車中泊で見たものは!

 

ちょっと話を遡ろう。

日本5周目のお話である。

 

薩摩半島最南端の「長崎鼻」で夕陽を見て、鹿児島市内のラーメン屋で夕食にした僕。

夜の鹿児島湾を大隅半島方面に走っていた。

 

「そろそろ眠くなってきたな」と思っていたところ、暗がりに店舗のようなものと広めの駐車場があったので、愛車をそこにピットインさせた。

 

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邂逅の記憶1

闇夜に浮かび上がった、そのシルエットに僕は恐怖した。

ボロボロの館…!?


なんかさ、深夜ドライブで車を停めたら太古に戦で滅んだお城で、怪奇現象がいろいろ起きて…っていうベタな怪談を彷彿とさせる。

 

なんなのか気になる。

しかし当然この時間はやっていない。

ちょっと、ここで朝まで仮眠させてもらおう。

 

いい夢を見れますように…。

 

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邂逅の記憶2

そして改めて朝だ。朝の5時台だ。

 

昨夜の建物を見上げた。

改めてクレイジーだ。朝日で浮き彫りになった天守閣のような屋根の部分の骨格が、相当に儚い感じに見えるぞ。

台風来たら全部飛んでいきそうだ。

 

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邂逅の記憶3

ジャンクさが大渋滞している。

雑多な感じがとんでもない。

波照間島の「たましろ」と那須の「戦争博物館」を足して2で割って、それに廃材をパラパラ振りかけた感じだなって思った。

 

文字情報もとても多い。

一番目立つ太字は『戦史館 強ぃ日本軍魂』って書いてある。

小さい「ぃ」が、一昔前のギャルのようだ。

 

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邂逅の記憶4

老兵は死なず ただ消え去るのみ

・燃ゆる思いは大阿蘇か たつすいさをは高千穂や

さつまの軍人さんは西郷さんの志をついておられたから出さなかったそうです。牛小屋のワラの中に隠し持っておられた物です。

大山大将は鹿児島市出身です。西郷さんの部下だったそうです。

・朝日に映ゆる高千穂の 聖き姿を振り仰ぐ 隼人の気魂烈々の 誓いに燃えて空を征く

・海とう天をつくところ 燃えて火を吐く櫻島 花はつぼみの稚児桜

・個人 日本一 戦史館 ヨコミチ

 

さぁさぁさぁ!

朝の5時台なのに胃もたれして来たな!

文字フォントがパワフルすぎて暑苦しいぞ!

 

・百聞が一見にしかず 耳で聞くよりひと目で見た方が良いと思います。

・国のために 戦死なされた人達の遺品が数多く供養されております

・現在の日本の発展は、この戦争で散華された幾多勇士の尊き犠牲に依ってもたらされたものである。この心理は今後幾星霜を経ても決して消滅することなく後世に継承されることを信ずる。 店主

・国のために310万人の兵隊さんの遺品・写真など数多く供養されて居ります

 

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邂逅の記憶5

なんなんだ、気になり過ぎる。

徐々にしっかり建物に日が当たってきているが、なんだこの奇抜すぎるデザインは。

 

凡人には描けないフォルムだ。

すっごい不器用な小学生が夏休みに造った割りばし工作みたいだ。

 

三角屋根をさかさまに乗せたような部分が気になり過ぎる。

 

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邂逅の記憶6

天文館で43年 隼人10線で38年 今だ現役 チスレ行ケ

 

天文館」とは、鹿児島市の繁華街の名前だ。

「隼人10線」は、国道10号線の薩摩隼人という意味だろう。

「今だ現役」は、きっと「未だ現役」ってこと。

最後のフレーズはわからん…。

 

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邂逅の記憶7

接続された建物の前には、「うどんそば」の立て看板。

あとは、元気なフォントで「ハチミシ.黒糖 たい焼」って書いてある。うん、ハチミシ。

 

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邂逅の記憶8

堂々たる「横道店」

あとでわかるのだが、横道というのは店主の名前だ。

 

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邂逅の記憶9

うん、知っている。

まだ会ったことすらない店主に、心の中でツッコミを入れた。

 

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邂逅の記憶10

この建物の名は、戦史館。

(後日、1階部分がドライブイン薩摩隼人だということを知る)

 

ご飯を食べることもできる。

オーナーの名前は「横道さん」。


ひとまずこれだけの情報は掴んだ。

過去も走っているはずなんだけど、気付かなかったな。

夜のことが多かったからかな。

 

愛車に乗り込んで、走行スタートする。

 

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邂逅の記憶11

口直しに、道路を挟んで反対側の「桜島」をどうぞ。

 

帰宅後、Webでこの施設の調べた。

内容は後述するか、「次回鹿児島をドライブをする際には絶対に立ち寄ろう!」と決めた。

 

…これが、僕とこの店との出会いであった。

 

 

突撃せよ、廃墟系ドライブイン! 

 

さて、少しだけ月日が流れた。

日本6周目の僕だ。

 

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ドライブイン薩摩隼人1

今日は朝イチから皮膚科に行くハメになって若干浮かない顔をしているが、天気は最高だ。

桜島がめっちゃカッコいい。シビれる。

 

昼前に、懐かしのドライブイン薩摩隼人にやってきた。

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ドライブイン薩摩隼人2

よしよし、今日は元気に営業しているようだ。

以前の 『強ぃ日本軍魂』の看板がなくなってしまっているが、大丈夫だ。このお店は、まだまだ強いままだ。

 

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ドライブイン薩摩隼人3

しっかし、このジャンクさよ。

「マッドマックス」に登場しても違和感ないぜ、この店。

世界観からして違うのだ。

 

営業中の立て看板があり、シーツのような白いのれんに「ヂャンボ からあげ屋」と書かれているが、不安しか感じない。

見たことないタイプのからあげ屋だ。

 

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ドライブイン薩摩隼人4

奥の方の三角屋根の前には、ハンドメイドではなく既製品の幟が数本立っている。

からあげとかうどんとか書いてある。

既製品を見たことで、ほんのちょっとだけ心臓の鼓動が落ち着く。

 

いやしかし、ここはドライブインの概念をどうみても超越しているだろう。

ドライブ中に「あ、ドライブインだ。ランチしていこう。」とはなりにくいビジュアルだ。

ことさらドライブデートの途中に立ち寄ろうものなら、嫌われるかある意味尊敬されるかのどっちかだ。(僕は後者がいい)

 

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ドライブイン薩摩隼人5

怖いよ。あぁ、怖いさ。

でも行くしかない。

チャンスは今回が最初で最後だと覚悟してきた。

 

入口はここか?

演歌だか軍歌が、中からすんごい音量で聞こえてくる。

 

中を覗くと、すぐ目の前は薄暗いバーカウンターのような場所だった。

帽子を被ったおじいちゃんが1人、座っていた。

オーナーの横道さんだな。御年89歳だそうだ。

 

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ドライブイン薩摩隼人6

「こんにちはーー!」と声をかける。

おじいちゃんは「どうしたー!?」、「戦史館!!?」と聞いて来ているようだ。

しかし、軍歌の音量がすごくて全然聞こえない。

 

僕:「ランチ!」

おじいちゃん:「はぁ!?」

僕:「お昼食べたいんだけど、やってますか!!」

おじいちゃん:「なにー!?」

僕:「お昼食べられますか!!!?ラーメンとか!!!」

 

ようやく通じたようだ。たぶん。

「じゃあこっちへ入りなー!!」

 

台風直後みたいにガッチャガチャに引っくり返った建物内の小道を抜けて、深淵へと誘導される。

 

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ドライブイン薩摩隼人7

なるほど、これだけ温暖でいい気候の鹿児島湾沿いで、この店には窓1つ無いのか、そっか。

アンダーグラウンドな気配が充満している。


おじいちゃんは僕をカウンターに座らせると、その向こうに佇むおばあちゃんに対し、「お客さん!!ラーメン!!」と叫んだ。

 

あ、もう僕ラーメンをオーダーしたことになったのか。

まぁいっか。

このクソ暑い中で、クーラーの無い店内でアツアツのラーメンを食べるのは、悟りを開けちゃうかもしれないけど。

 

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ドライブイン薩摩隼人8

…で、おじいちゃんからのオーダーを受けたおばあちゃんなのだが。

 

微動だにしない。

 

ダメこれ。

歌の音量デカすぎ、かつ店内ゴチャゴチャすぎてさ、おばあちゃんは僕が入ってきたことすら気付いていない。

もう、なんだこれ。

 

おばあちゃんもそれなりのお年なのだから、耳が遠いのかもしれない。

もうちょっと音楽のボリュームを絞るといいのでは?って思ったけど、そのアドバイスすら聞こえないであろう。

 

おじいちゃんは大きく息を吸い込むと、「ルァァーームェーーン!!」と、ヘビーメタルのヴォーカリストのようにシャウトした。

カウンターの向こうのおばあちゃんがピクリと反応した。

通じたのだ。

 

おばあちゃんが僕の方を向き、その口のかたちが「いらっしゃい」と動いた。

音は聞き取れない。今は演歌がうるさい。

 

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ドライブイン薩摩隼人9

さぁさぁおばあちゃん。

作ってくれ、僕のラーメンを。

 

って思ったら、おじいちゃんが「じゃあワシ、奥でラーメン作ってくるわ」と消えていった。

アンタが作るんかい。なんでさっきおばあちゃんにオーダーしたよ。

もう、なんだこれ。

 

 

施設内は軍歌吹きすさぶダウンタウン

 

おじいちゃんが奥でラーメンを作っている間、僕はおばあちゃんとカウンター越しで1on1だ。

 

軍歌のボリュームが大きくてほとんど聞こえないが、たぶん「はいお水」と言われてカウンターにグラスが置かれた。

飲んでみた。常温だった。

 

おばあちゃんが「どこそこから汲んできたいい水で…」と説明しているような気がするが、爆音軍歌の中では固有名詞はほぼ聞き取れず、高度のリスニング能力が必要だ。

いい水でなくっていいけど、冷たい水が欲しい気がする。

今日は朝8時から汗だくになるくらいに暑いのだ。南九州、ヤベェのだ。

 

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ドライブイン薩摩隼人10

カウンターの背面を撮影させてもらった。

つまり、僕の視線の先がこれだ。この写真の中央に、こっちを向いているおばあちゃんが立っていると想像してほしい。

 

情報量が多いな。

たぶんおばあちゃんがいなくなり、ラーメン登場まで1時間がかかっても苦にならない。

そのくらい、得るべき情報の多いカウンターである。

 

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ドライブイン薩摩隼人11

『昔の味で出しています』って、なんだろう。

そばやラーメンに文明開化ってあったっけ?

 

次に、僕が座っている位置から首を右に回してみよう。

 

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ドライブイン薩摩隼人12

伝説のダウンタウン、「九龍城」みたいなことになっている。

各所に貼り付けてある波状のトタン板は、どれだけの歴史を見てきたのだろう。

 

それと、延長コードが空中を横切っているのが壮観だ。

 

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ドライブイン薩摩隼人13

ここの部分とか、もうサーカスみたいで優勝。

 

あと、元気からあげ・大安からあげ・若とりステーキなどの貼り紙がある。

「大安からあげ」はたぶん「おおやす」と読むのだろうが、「たいあん」みたいでおめでたいことになっている。とても良い。

 

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ドライブイン薩摩隼人14

 『昔の味で出しています』

あくまでこの店は、クラシックスタイルにこだわるのだ。

大切なことだからな、2度言ったぞ。

 

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ドライブイン薩摩隼人15

先ほどの写真にも写っているが、カウンターの後ろ側にはとんでもないスペースがある。

 

これは…、「小上がり」と呼んでいいのか?

小さな小さなテーブルが無ければ、ただの荷物台だろう。

しかし、そこにテーブルがあるだけで、僕らはものの見方を変えねばなるまい。

 

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ドライブイン薩摩隼人16

おそらく手作りの木の台の上に、絨毯の切れ端。

そこに小さなテーブルを設置。

これで、幅数10cmのワンダーランドの完成だ。

 

座ろうとすると扇風機やコード類が絶妙にディフェンスしてくるけどな。

座布団もないので、あなたのお尻にとっては過酷な環境だろう。

 

…さて、おばあちゃんとの会話であるが、すっごい難易度が高かった。

とにかく軍歌と演歌のボリュームが大きく、聞こえないのだ。

 

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ドライブイン薩摩隼人17

声が聞こえないからお互いカウンターに乗り出すようにし、大声で会話した。

怒鳴るように声を張り上げていたが、決して怒っているのではない。

こうしないと意思疎通ができないのだ。

 

僕、ラーメンの待ち時間のうち、半分くらいは立ち上がっていたような気がする。

こうして会話した内容は、大体以下の通りだ。

 

おばあちゃん:「あの人は器用でね。なんでも1人で作るの。この建物の上のお城みたいなのも、あの人が作ったのよ。すごいでしょ。」

おばあちゃん:「えー!あなたそんな遠くから九州まで来て、1人で一周しているの!?青春ね!」

おばあちゃん:「以前は鹿児島の中心で軍国酒場をやっていたんだけどね、昨年にお店を畳んで、今はこっちがメインなの」

 

文字に起こすとシンプルだが、一節一節で「え!?なんすか!?」と言い、何となく聞き取れたら「~ってことですか?」と復唱する。

そして、おばあちゃんが「そうだ」とうなずいたら、「へぇー、すごいっすね!」と、アメリカ人のように大げさなジェスチャーをつけて返答する。

大変な労力なのであった。

 

 

摩訶不思議ラーメンと対峙する!

 

20分くらい待っただろうか。

おじいちゃんがラーメン持って登場した。

 

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とんこつラーメン1

  「うまいぞー!これを食べると元気になるぞー!」って、ニコニコしながら言ってた。

 

さてさて、具材の多くがフレッシュだなって思った。サラダだ。

キャベツとネギには火が通っておらず、きっと歯ごたえはシャキシャキだ。

 

ネギは切っているうちに途中で腕力がなくなったのだろうか。

薄い切れ込みが入っただけの、見事な筒状で転がっているケースが散見される。

ワイルドスタイルである。

 

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とんこつラーメン2

目玉焼きと、その下にあるなんか秘伝のタレを絡めたかのような鶏肉はおいしそうだと思った。

 

しかしスープが見えない。

最近では、まぜそばや汁なしラーメンなどが流行っているが、このお店もそれに追従しているのだろうか?

だとしたら、『昔の味で出しています』はどこ行った?

 

まぁごたくはいい。食べるか。

「いただきます」と言うと、おじいちゃんは「おぉ!食べてくれ!」と得意げだ。

 

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とんこつラーメン3

まずは、おじいちゃんがラーメンと共に割り箸を持ってきてくれてよかったなぁ、って思った。

 

なぜなら、カウンターにある箸立てにも箸袋に入った割り箸があったのだが、その箸袋がちょっとベタついて変色していたのだ。

おじいちゃんの持ってきてくれた割り箸の袋は、キチンと綺麗だった。うれしい。

 

最初にスープを飲みたかったが、スープが見えないのでまずは麺を食べた。

フニフニだった。

歯のない老人でも余裕の、優しさがほとばしる煮込み具合だ。

僕は固めが好きな人種なのだが、これは好き好きだろう。正解は無い。

 

次にキャベツを食べた。もちろん生だ。

味付けもないので、鶏肉と一緒に口に入れた。キャベツと肉の触感にギャップがあったものの、味のお裾分けが実現した。

 

スープが姿を現した。レンゲの登場である。

おじいちゃんが持ってきたレンゲは、なんだか黒ずんでいる。

卓上のティッシュで拭くと、レンゲは白く、ティッシュは黒くなった。

問題解決した。

 

ようやくたどり着いたスープ。

ぬるい。

ラーメンを作り終わってから目玉焼きを焼き始めたと推測した。

 

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とんこつラーメン4

カウンターの奥の貼り紙をまじまじと見た。

そして小首をかしげた。

「あつあつ」…。

 

おじいちゃんは、相変わらずニコニコしながら横に座り、「どうだ!うまいか!」と言っている。

いろんな意味で温度差があるなって感じた。

 

あと、おばあちゃんがおじいちゃんに「この人はすごいの。すごい遠方から来て、車中泊で九州一周しているの。」みたいなことを言っている。

もちろん演歌がだいたいかき消してくれて、僕の耳にはニュアンス程度しか届かない。

 

おじいちゃんは「ほう!そうかそうか!そういえば数日前に来た連中も…」みたいに語りだした。

あ、一見さんのお客さんも来るんだ。正直、失礼ながらそう思った。

 

おじいちゃんは「若いころにいろんな世界を見て回るといい」と言っていた。

これはすごく同感です。ありがとう。

 

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とんこつラーメン5

一度席を外したおじちゃんが戻ってきて、「これを飲んでいきなさい」と、キンキンに冷えた缶コーヒーをくれた。

とてもありがたい。

 

ラーメンの後半戦、僕はコショウをかけたいタイプの人間である。

しかし、卓上のコショウケースは湿気でペッタペタになっていて、1ミリたりとも出てこなかった。

 

まぁしょうがない。おじいちゃん、おばあちゃんとの会話がスパイスだ。

味に集中する必要がなくなるし。

 

ごちそうさま。

ひとまず完食できた。一生忘れられないラーメンだったよ。

 

 

あのお店の、2021年現在は…!

 

何度目だろう。

いつまでも鳴り響くコール音にため息をつき、僕はまたスマホを切った。

 

僕は2021年2月以降、何度もこのドライブイン薩摩隼人に電話をしている。

しかし誰も出てくれないのだ。

 

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いただいた写真1

3月26日、僕はTwitterを用いてフォロワーの方々に現地情報のご提供を依頼した。

数時間後、現地にて写真を撮ってくれた方がいる。

この度、許可をいただきその写真をここに掲載する。

 

天守閣のようなオブジェが無い。

あれほどあった看板もない。

 

閉店してしまったのだろうか…。

 

2020年、コロナ禍の中でも「コロナ割り」などの名目で、さらに値引きをして営業していたことを知っている。

2020年秋、どうやらシンボルの天守閣部分が崩壊したのか取り壊したのか、なくなったそうだ。

 

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いただいた写真2

かなり痛々しい写真である。

なぜか1つ残った立て看板、『いつまでもあると思うな親と金 ないと思うな地震津波、台風』。

これが皮肉に思えてしまう。

 

看板が撤去されたのは、2020年の年末から2021年の年明けごろなのだそうだ。

そのころから、この店が営業しているのを見た者はいない…。

 

せめて僕は、このお店がどうなったのかをしっかり確認したいのだが。

横道さんは、2021年現在は91歳だろうか?

人知れず、引退してしまったのだろうか?

 

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いただいた写真3

まだ建物内に軽自動車が停まっている。

ナンバープレートがあるということは、登録上は生きているということだ。

リニューアルをし、このお店にまた横道さんが現れることに、一縷の望みを託したい。

 

また、これをお読みのあなたがもし、このお店の情報を得たのであれば、僕に教えてもらえるとありがたい。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

ねぇ、横道さん。

今だから話すよ。

 

 あのラーメンはね、

「食べると元気になる」のではない。
「元気な人しか食べられない」って言うんだと思うよ。

ネギ、すごく辛くて涙が出そうだったよ。

 

僕が味わったのを「ラーメン」だとするなら、評価は限りなく低いよ。

 

しかしね、僕は味だけを求めているのではない。

店の雰囲気、店員さんの人柄、そこであったエピソード。全部ひっくるめた思い出を求めているのだ。

 

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「そんなボロボロのお店に入って、マズかったらどうするのさ」

人からそういう言われることも多い。

 

仮にマズかったとしよう。

それでも、個性的なお店に滞在したことや、店員さんとのやりとりに価値を見出せればいいじゃないか。

食事はエンターテイメントなのだ。

 

だからさ、もし僕がこの店で味わったのが「旅情」だとするなら、限りなく評価は高いものだと感じてる。

 

だから、ありがとう、横道さん。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-* 

 

…時間軸を少し戻そう。

 

「あの!!このラーメン食べ終わったら!!戦史館も見学したんですけど、いいですかーーー!!!」

軍歌に負けないように、僕は叫んだ。

 

「おぉいいぞ。案内しよう。」と、おじいちゃんが答える。

 

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あなた、もしやラーメンの話だけでお腹いっぱいになったりなんて、していないよな?

 

ここからがメインだぞ。

横道さんが個人で収集し、作り上げた戦争博物館「戦史館」に行くのだ。

 

まぁでも、僕も鬼ではない。

少しだけインターバルを置こうな。

呼吸が整った人だけ、以下に行ってほしい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No:111【北海道】丘に巨大な「牛」の文字!!北海道のスケールは君の想像を凌駕するぞ!

道東の草原地帯を走るのだ。

ただただ、緑色の大地を見ながら走るのだ。

 

するとあなたは間違いなく驚く。

前方の丘に描かれた、とんでもなく巨大な「牛」の文字に…。

 

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※この写真は合成ではありません

以上で、ぶっちゃけ書きたいことは全部終わってしまった。

これが全てなのだ。

 

あとは正直な話、蛇足になってしまうかもしれない。

しかし、せっかくなのでもう少しだけ語らせてほしい。

「牛文字」こと「モアン山」のことを。

 

 

ビーフインパク

 

一時期は、「松屋」の牛丼が主食であった。

国際線の機内で「ビーフ or チキン?」と聞かれたら、ノータイムで「ビーフ!」と回答しようとイメージしているが、未だにそのチャンスが回ってこない。

 

ようするに、牛が好きだ。

みなまで言わせるな。

 

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養老牛へ

2006年の秋のことであった。

僕はライダーの「katsu君」と共に道東の草原を疾走していた。

 

katsu君とは、昨日の弟子屈町の旅人宿で知り合ったのだ。

意気投合し、本日は一緒に裏摩周の「神の子池」を観光する予定だ。

 

先にkatsu君が軽快にバイクを走らせ、その後ろをヘビー級の日産サファリで僕が追走していた。

そのときふと、異次元な光景が目に飛び込んできたのだ。

 

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牛文字1

 

牛。

 

 

これが、僕と牛文字との出会いだ。

北海道の某所では「ディープ・インパクト」というレジェンド級サラブレッドが誕生しているが、これはビーフインパクトだと思った。

「katsu君、牛!牛!!」

…って思ったが、残念ながら教習所では「前方を走るライダーに対し、丘の斜面を注目させる方法」ってのを教えてはくれない。

 

心の中で「牛!牛!!」って叫びながら、神の子池まで走ったさ。

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牛文字2

「あぁ、確かに牛の文字がありましたねぇ。」

 

神の子池でバイクを停めたkatsu君がそう言った。

いや、落ち着き払っているんじゃねーよって思った。牛だぞ牛!って思った。

 

しかし、あの丘は見間違いではなかった。

ぶっちゃけ本当に夢でも見たのかと思ったが、現実であった。

 

そして心に決めた。

いつかまた牛文字の写真を撮ろうと。

まだ北海道をロクに知らない時代の、淡い野望であった。

 

※前述の写真は2006年当時のものではなく、後年再現するために撮影したものである。

 

 

牛文字の誕生

 

さて、ここまでがプロローグだ。

白昼夢のようなあの巨大な牛の文字は、いったいなんだったのだろう。

 

あの山、名前を「モアン山」という。

標高365.7mの、牧草に覆われたツルリとした山だ。

 

そして、あの牛の文字は「牛文字」・「牛の文字」などと呼ばれている。

縦100m横60mもある、超ビッグサイズ、それこそ北海道スケールの文字である。

 

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牛文字3

見てくれ、この木とのスケールの対比を。

「ワオ、クレイジーだぜ」とアメリカ人みたいに呟いてしまう。誰だってそうなる。

 

この牛文字は、2005年に爆誕したのだそうだ。

僕が最初に見つけて「アワワワ…!」ってなった1年前だ。

 

作成した理由は諸説ある。

以前聞いた中で有力だったのは、「牛乳をアピールするために『牛乳』と書こうとしたが、『牛』を大きく書きすぎて『乳』を書くのを諦めた」みたいなものだ。

なるほどおもしろいが、北海道の人はそんなに無計画じゃなかろうに。

 

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牛文字4

どうやら真相は、地元の農協とかの団体が作成したものだそうだ。

地域起こしのために、インパクトのある文字を丘に彫ろうと。

 

『牛』の意味は、「乳」・「肉」、そしてこの地域の地名である「養老」など、複数のものを連想させる。

見る人によって、そういった自由な発想をしてもらうことが狙いだらしい。

 

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牛文字5

こうして日本一大きな牛文字が誕生し、ときどき草を刈ってしっかり文字が残るように管理されているのだ。

 

ホント、とにかく大きい。

上の写真を見てほしい。車がゴミのようだ。

大文字焼きならぬ牛文字焼きをやったら、すんごいスケールになるぞ、これ。

 

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牛文字6

こうして、ツーリングマップルにも掲載され、多くのライダーも訪れるスポットとなった。

 

ちなみに、 牧草を育てている夏前後のシーズンは一般人は入れないので、もし山を登ろうとお考えなのであれば、冬から春までだ。

 

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牛文字7

2006年度版のツーリングマップルの同じエリアである。

2005年の実走データを基に作成されているのだが、タイミング的にまだ牛文字が掲載されていない、貴重なものだ。

 

だからこそ、情報ゼロの状態であの「牛」を見た僕が面食らったわけなのだ。

 

 

牛文字と愛車

 

牛文字は、少なくとも2021年現在は観光地ではない。

観光客用の駐車場などもない。

 

短い時間であれば、向かって南東の道道150号に車を停めて、冒頭に掲載したような写真を撮ることも可能だ。

 

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牛文字8

あとは、付近に張り巡らされている防雪柵の隙間、かつ駐車できそうな路肩スペースがあるところをうまく探すのが良いだろうか。

 

上の写真は、2006年のリベンジとして再度北海道を訪れたときのものだ。

若干霧が出ていてパッとしない天気であったが、牛のインパクトは何ものにも勝る。

 

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牛文字9

同じ車だが、これはまた別の訪問時のものだ。

ちょうどお盆で、かつ晴れていてカッコイイ写真が撮れた。

 

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牛文字10

牛文字もメンテナンス直後であったのか、剃り跡が新しいぜ。

どうやら人力で丁寧に刈っているらしい。頭が下がる。

 

何度も訪問しているが、こんなにきれいな「牛」だったのは、この回だけだ。

ほれぼれするような、美しい「牛」だ。

 

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牛文字11

これは日本4周目のときの写真である。

 

秋色に染まる牛文字もまた、美しい。

もうすっかり牛文字の虜であった。「牛」を見上げて、旅情を感じていた。

 

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牛文字12

日本5周目では天気が悪く、近くまで行ったもののスルーしてしまった。

だが、日本6周目で再び戻ってきた。

 

相変わらずご健在な「牛」に、僕はご満悦であった。

 

 

道東の草原を放浪する者よ

 

僕は道東の草原が大好きだ。

もうサポート期間が終了してしまったが、WindowsXPの、あのデスクトップ背景の草原みたいな景色が好きだ。

 

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900草原

道東にも有名な草原を眺めるスポットがいくつもある。

しかし、名前の無い草原の中をただただ走っているのが最高なのだ。

 

涼しい風を感じながら愛車を走らせ。

「なんかいいな」と思う景色があったら車を停め。

そばに共感できる旅人がいたら、挨拶をして情報交換をするのだ。

 

牛文字もそんなエリアにあり、そんなスポットの1つだ。

 

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牛文字11

草原を巡り、丘を巡りながらも、モアン山の牛文字に足を運んでほしい。

そうすればあなたもきっと、巨大な牛文字が書かれた理由を理解できると思うのだ。

 

そうだな…。僕も道東を1文字で表すとしたら、「草」か「牛」だ。

山に書くことを考えたら、シンプルに「牛」が良いと思うのだ。

 

ありがとう、道東。

ありがとう、牛たち。

そしてありがとう、日本の一次産業を支えてくれる人たち。

 

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再会

余談だが、冒頭のkatsu君とはこの旅の中で偶然に1回会い、さらに終盤に待ち合わせして3回目の邂逅をした。

 

その後も道内で会ったり道外で会ったりしている。

ライダー王国北海道。

その中でも、多くの冒険者が集う道東。 

 

コロナが収まったら、ぜひまた行きたいのだ。

あなたも、機会があれば行ってみてほしい。 

そしたらさ、牛文字の前で待ち合わせしよう。 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: モアン山の牛文字
  • 住所:  北海道標津郡中標津町養老牛
  • 料金: 無料
  • 駐車場: なし
  • 時間: 特になし

 

No.110【徳島県】地球が生み出した山としては日本一低い!標高6mの「弁天山」を誇れ!!

山には2種類がある。

 

1つは、人間が土とかを盛って作った山だ。

もう1つは、絶えず地殻変動を繰り返す地球の歴史が生み出した自然の山だ。

 

どちらも山であり、ホンモノとかニセモノというのはない。

然るべき条件さえ満たせば、「国土地理院」に正式に山として認定されるのだから。

 

だが、我々の心象風景の中にあるのは、自然の山の方なのではないだろうか。

自然の山は、心の故郷だ。

 

さてさて、今回はそんな中でも極小の自然の山を探す物語である。

名前を「弁天山」という。

 

 

容姿端麗

 

持論だが、登山とは「人間VS自然」との闘いであり、ぶつかり合いだと思っている。

 

人間にとっては、自然は驚異だ。

そんな山を自分の足で克服することで、満足感を得たり、改めて畏敬の念を抱いたりするんだと思っている。

 

そういう意味で、山に登るなら自然の山を選びたい。

でも、僕は根性無しなので低めの自然の山を選びたい。

 

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ところで、これが僕が今まで訪問した「日本一低い山」だ。

 

日本一低い山とは、様々な定義から複数存在している。

何がホンモノで何がウソだ、とかではなく、いろいろあって全部正しいと僕は思っている。

 

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

僕は、この山を5回か6回ほど訪問している。

それだけ好きなのだ。

 

場所は徳島市の中心から少し南に行った田園地帯にある。

ちょっと道がわかりづらく、カーナビの無い車で行くときには不安で周囲をキョロキョロしながら進んでいく。

 

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弁天山へ

唐突に夕暮れで申し訳ない。

これから登山する人が撮影する時間帯の写真としては似つかわしくないが、こんな中を不安になりながら進んだこともある。

確か、「早くしないと暗くなるー!その前に山を見つけて登らねば!」って焦っていた。

 

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美しき弁天山1

そして、弁天山に到着だ。

 

僕はいろんな日本一低い山を見てきた。

一目見て笑ってしまうような山もあった。

 

しかしこの山は違う。

「美しい…!」って思った。

 

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美しき弁天山2

それはなぜか。

僕の心の中で無意識に定義づけられている山の条件を軒並み満たしていたからだろう。

 

1つ目は、周囲に対してこんもりしている。

前述の通り、周囲は入らな田園地帯だ。低いとはいえ、モリッとしていてインパクトがある。

 

2つ目は、緑に覆われている。

まぁ岩でも土でもいいのだが、緑が一番好きだ。

ちなみにコンクリートなどの人工物で覆われてしまうと、ありがたみが減るように感じる。

 

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美しき弁天山3

3つ目は、神聖である。

それは登山口に鳥居があることで一目瞭然だ。人々から敬い慕われているのだ。

万物に八百万の神が宿ると考える我々日本人にとって、山も神なのだ。鳥居、グッジョブなのだ。

 

小さくても山だ。そう強く感じた。

山をギューッと圧縮して、いらないところを全部省略して、"山らしさ"だけを残した山。

 

例えると、日本庭園における池だとか、テラリウムだとか、そんな感じだ。

アイデンティティの濃縮だ。

小さな小さなコーヒーカップに注がれたエスプレッソのような感覚だ。

 

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美しき弁天山4

夕暮れ時の弁天山も、また美しい。

シルエットが際立ち、そして鳥居の上にある街灯は、神が降臨しているかのように感じてしまった。

 

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美しき弁天山5

晩秋に訪問した際には、コスモスと一緒に撮影してみた。

弁天山が、よりチャーミングに映った。

 

似たような写真ばかりで恐縮だが、大体全部別々の訪問だ。

毎回テンションMAXで同じような構図の写真を撮ってしまうのだが、弁天山に敬意を表してズラズラと並べて掲載してみた。好き。

 

 

爆速登山

 

登山だ。来たからには登る。

ただ、その前に少しだけ周囲を観察しよう。

 

登山をする前には、地図を見てルートを考えたり、麓から登山路や山頂を見える範囲で確認したり、現地の看板や注意書きを読むのがいい。

低い山とてそれは同じだ。

 

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クライマー1

まずは登山口に向かって右手の麓。

『日本一低い山 弁天山』の看板がある。
 

続けて、『国土地理院認定 標高六・一メートル』の文字。

詳細は次の項目で補足したいが、とりあえず事実として標高は6.1mなのだ。

 

ちなみに哺乳類で一番体高があるのはキリンだが、大型のものはおよそ6mある。

キリンサイズの山だ。

 

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クライマー2

ちなみに山のこっち側は断崖だった。

岩山が見上げるように聳えている。

6mでこの貫禄はなかなかだ。ナメてはいけない。
 

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クライマー3

少し引いて撮影しよう。

 

改めて見ると、登山に必要な情報が全部入っている。

実はこの山、未だかつて遭難者が出たことがないらしいが、それも納得の「見える化」をバッチリ推進している。
 

じゃ、いいか?登るぞ。

 

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クライマー4

最初はスロープだ。

登山路はちゃんと舗装されているし、滑り止めもあるのでスロープでも安心だ。

手すりまであって、ありがたい。

 

奥の方に見えているが、5合目くらいからは階段だ。

そして暗がりで見えにくいが、この先登山路は大きく右にカーブする。

 

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クライマー5

そいて右に曲がれば、山頂の社と記帳所がもう目の前だ。

おめでとう。あなたは今、山頂に立っている。

 

ダッシュで登山した際の登頂時間は5.6秒であった。

練習すればもっとタイムを縮められると思うが、まぁこんなもんだろう。

自然を相手に無理をし過ぎてはいけない。

 

あと、かなり時間の遅い登山で周囲は暗がりだったが、安全に山頂に立てた。

最後まで舗装されていたし、道も一本で迷いようがなかった。

初心者向けの山だと感じだ。

 

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クライマー6

一度下山し、もう一度登ったが、疲れはほとんど感じなかった。

だが、喜びは2回分になった。お得だ。

 

この喜びを、何かに残したい。

どっかにしたためたい。

 

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クライマー7

記帳所がすぐ隣にある。

 

僻地の岬や個性的なお店にある"思い出ノート"みたいのとは違い、あくまでここは神社だから記帳所なのだね。

ちょっと緊張しつつ、木の扉を開けてみた。

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クライマー8

いい感じに古びた空間がそこにあった。

 

缶のボックスに入っているのは、「弁天山登頂記念記帳」と書かれたノート。

細い紐で製本しており、とても味わい深い。

 

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クライマー9

縦書きだった。みんな達筆だ。

僕の字が一番ヘタクソだったが、まぁいい。大事なのは気持ちなのだから。

 

木々が生い茂ってあまり展望はよろしくない山頂であった。

しかし、僕はその茂みの中で、確かな満足感を噛みしめた。

 

 

低山誕生

 

弁天山はどうやってできたのであろうか?

冒頭から自然の山だと連呼してきたが、その成り立ちを知りたい。

そこで、Wikipediaさんだとか弁天山の公式Webサイトから、お知恵を拝借した。

 

すると、平安時代末期ごろはここは海だったらしい。

弁天山は当時から存在してらしく、そのころは海の中にポツンと浮かぶ小島だったようだ。

 

それが、室町時代には水が引いて湿地帯の中の小山となったのだ。

周囲は開発されて水田になったそうだ。

 

もともと海だった山だから、海の神様である「市杵島姫命(イチキシマノヒメノミコト)」を祀った。

市杵島姫命は、後世の神仏習合では「弁財天」になるんだよね、確か。

 

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弁天山とは1

だから弁天山か。

そして弁財天繋がりで、「厳島神社」を勧請することとなったのだな。

 

この山のすぐ北側は、江戸時代は土佐街道と呼ばれていたらしい。

街道を行き来する人にとって、この弁天山は人気スポットだったのだそうだ。

 

自然の中で生まれ、神を祀り、古来から人々に慕われてきた山。

 

すごいじゃないか。

こんなに小さな山なのに、その価値の大きさよ。

 

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弁天山とは3

 先ほどの写真を再掲しよう。

日本一低い山 弁天山 国土地理院認定 標高六・一メートル』


実は、単純に「日本一低い山」を名乗っている山であれば、もっと低い山がある。

秋田県の「大潟富士」だ。

 

drive-ns.hatenablog.com


そして、国土地理院に認定されている山であっても、この弁天山より低い山がある。

宮城県の「日和山」だ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

しかしだ。

自然の山で、かつ国土地理院認定という定義では、弁天山が一番低い。

これは紛れもない事実だ。

 

弁天山の公式Webサイトからの文を1つ引用させていただきたい。

 

日本国内には他に、低い山(日本低山一覧表)2ヶ所ありますが、いずれも江戸時代に人工で造成した山であり、自然で古来よりある山では、弁天山(国土地理院認定)が日本一低い山となります。

(引用元:弁天山 公式Webサイト) 

 

この2つとは、前述の日和山と大阪の「天保山」を指していると思われる。

だが、『自然で古来よりある山』の部分に譲れない誇り、そして神を祀ってきたことによる誇り を感じた。

 

僕も同じだ。

この山を改めて振り返り、なんだか誇り高く感じた。

 

きっとだからなのだろう。

日本一低い山シリーズの中で、この弁天山が一番好きだし、最多訪問回数なのだ。

 

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遠くに徳島市街の「眉山」が見える。

次はあっち方面に走ろうか。 

 

さようなら、日本一低い山よ。

これからも、人々に愛される山であり続けてほしい。

アクセルを踏むと、すぐに弁天山は暗闇に溶け込んで見えなくなった。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 弁天山 
  • 住所: 徳島県徳島市方上町弁財天8-1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No.109【広島県】瀬戸内海の楽園!?エデンの海で車を停め、心の休息をしようじゃないか!

瀬戸内海。

冬でも温暖であり、名前の通り内海なので荒れることもほぼなく、非常に穏やかな海である。

 

それすなわち、楽園(エデン)だ。

 

実際、瀬戸内海沿いの竹原市には「エデンの海」という名称の景勝地がある。

今回は、そのエデンの海に3回ほど訪問した記録をオリジナルブレンドさせて執筆したい。

 

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5月病でお疲れモードのあなたへの、ほんの少しの癒しになれば、幸いだ。

 

 

悩めるヒッチハイカ

 

それは穏やかに晴れ渡った日。

 

いや、僕が瀬戸内海を走るときには常に晴れていて穏やかなので、もう瀬戸内海はそういう天国のようなところだと信じ切っているが。

…そんないつものような天国日和であった。

 

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エデンへ

僕は、「ニコル君」という関東北部からヒッチハイクでやってきた旅人を助手席に乗せ、この道を走っていた。

 

昨日夕方、 彼とは呉駅前で合流したのだ。

まぁ、実を言うと昨日初めて出会ったわけではない。

何年も前に、お互い九州を一周している際に出会い、その後はちょこちょこ一緒に冒険をしたりしていたのだが。

 

*-*-*-*--*-*-*-

 

時系列を昨日夕方までさかのぼろう。

 

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回想1

僕が山口県広島県内で遊んでいたら、そのニコル君がはるばるやって来た。

 

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回想2

こんなスケッチブックを掲げて、呉駅前にいた。

たまたま僕以外のHUMMER乗りが現れ、どっかに連れていかれずによかったなって思った。

 

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回想3

早速名物の呉焼きを一緒に食べ、2人ともバー好きなので僕のイチ押しのバーを紹介して酒を飲み、そして個性的なビジネスホテルにチェックインした。

普段は車中泊の僕だが、バーに行くのでわざわざ宿を取ったのだ。特別な日だ。

 

そして明けて今日なのだ。

ニコル君は今後のプランについて悩んでいた。

 

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回想4

 「西(九州)か、(四国)か、それとも(関西方面)に戻るか…」とか言っていた。

選択肢が多いなぁと思った。それから、北がかわいそうだなぁと思った。 

 

悩んだ末、彼は「とりあえず乗せてください。YAMAさんの旅に少し付き合います。どっか適当なところで離脱します。」って言ってきた。

自由だ。

 

こうして、瀬戸内海沿いに東に向かっている僕とニコル君は、少しだけ一緒に行動することとなり、今日の午前中を共に観光しながら走っているのだ。

 

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回想5

引き続き車内で「どっちに行くべきか…」と悩んでいるニコル君に対し、僕は1つ提案をする。

 

「この先にエデンの海という綺麗な景勝地がある。そこでいったん風に当たろう。」

まぁ実際はそんなロマンチックな言い方なんてしていないんだけど、とりあえず国道沿いで気軽に立ち寄れるこのスポットに行ってみようと提案をしたのだ。

 

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エデンの海1

 

 

瀬戸内はエデンだ

 

国道185号沿いに突如として現れる景勝地

Web上での紹介では「エデンの海パーキングエリア」と表記されることが多い。

 

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エデンの海2

駐車場の眼前は、小高い丘だ。

その頂上に東屋のある展望台。

あそこからの海の眺めが大変よろしいのだ。

 

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エデンの海3

ちなみに、ここまで走って来た国道185号は通称「さざなみ海道」。

"日本風景街道"にも指定されている。

この周辺をドライブするだけでもウッキウキになれるのだ。

 

そんな国道の途中にある展望所なのだから、そりゃもう期待しますわ。当然だ。

 

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エデンの海4

東屋に登った。

海が広がっていた。

 

そりゃそうだ。今までこの海を眺めながらドライブしていたのだから。

正直、意外性はゼロの光景である。

 

しかし、ハンドルを握る手を止め、心行くまで瀬戸内海を眺める最高の環境が、ここに用意されていた。

 

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エデンの海5

…美しいな。

これ以上の言葉はいらなかった。

 

「瀬戸内海に浮かぶ、あの小島の名前は何だろう?」ってちょっと思ったけど、考えるのを辞めた。

東屋のすぐ脇に説明板もあったけど、欲しいのは知識ではなかった。

ただただこの風景を受け入れる心があれば充分であった。

 

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エデンの海6

逆光で全体的に白飛びし、陰影に乏しい眺めだ。

しかしそれがまたいい。

水墨画を極めたら、こんな世界観になりそうではないか。

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エデンの海7

来た方向を振り返ってみよう。

さっき「すげーな」と言いながら横を通り過ぎた「竹原火力発電所」の煙突がチラリと見えている。

 

その手前には、海ギリギリに弧を描くように設置された国道185号。

新潟に「親不知」っていう景勝地があるんだけど、そこから眺める北陸自動車道がこれのもっとすさまじいバージョンでさ、それを思い出した。

 

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エデンの海8

逆側の光景だ。

すぐ足元には、コバルトブルーの海を見下ろすことができる。

肉眼ではすごい深い青色に見え、何人もの人が写真を撮影していた。

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エデンの海9

波がほとんどないのも、瀬戸内海の特徴であろう。

 

中国地方と四国地方に挟まれて、大波が打ち寄せることはない。

しかも、雨雲や風も、中国山地四国山地がブロックしてくれる。

穏やかで温暖な世界なのだ。

 

つまり、エデン(楽園)だ。

 

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エデンの海10

東屋の近く、海の見える丘の上に「エデンの海」と彫られた岩がデーンと鎮座している。

花壇の中央、花々に囲まれているのもまたエデンっぽくて素敵だ。

 

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エデンの海11

新緑の季節に訪問した際には、花壇が野草で溢れていた。

こんなロケーションもまた良し、と思った。

 

おっと、「雑草に埋もれてやがる」だなんて思わないでもらいたいよ。

「雑草という草は無い」と昭和天皇も仰っていたぞ。

1つ1つに名前があり、個性があり、精一杯に生きているのだ。

 

人間の都合で、ひとまとめにゴミのような呼び方をしてはいけないぞ。

「野に生える草たちに囲まれている」と表現するのだ。

エデンに生きる穏やかな人なら、きっとそうする。

 

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エデンの海12

遠くの島々を見ていて、僕はふと気づく。

あそこに見えている橋は…?

 

ちょっとズームしてみよう。

 

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エデンの海13

あなたには、あれが何かわかるだろうか?

 

橋だ。

しまなみ海道」。瀬戸内海の8つの島に10個の橋を架けて、中国地方と四国地方を結ぶ、とんでもない夢の懸け橋だ。

 

その中の1つ、広島県尾道市の「生口島」と愛媛県今治市の「大三島」を結ぶ「多々羅大橋」。それを遠望している。

 

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多々羅大橋(過去写真)

僕はしまなみ海道は幾度となく走っている。

多々羅大橋のすぐ横で車中泊をしたこともある。思い出の橋なのだ。

 

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エデンの海14

さらにズームしてみたら、相当に画質が粗くなった。

カメラの性能がイマイチなのだ。

実は愛用のカメラを2週間ほど前に壊してしまったのだ。

 

まぁ良い。

近いうちに、もっと肉眼でハッキリ見てやるさ。

僕はまた四国を走るのさ。

 

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エデンの海15

ところで、エデンの海というネーミング。

現地の説明板にも書いてあるのだが、同名の小説や映画が由来である。

全く知らないので、Wikipediaさんからの情報を集約してご説明しよう。

 

エデンの海とは、『1946年に発表された若杉慧の小説。3度にわたり映画化され、テレビドラマ化もされている。』…と記載されている。

とはいえ、直近でも1976年なのでメッチャ古い。

この舞台となった高校の目の前に、展望スポットを作ったのがここなのだそうだ。


由来がなんにせよ、エデンはエデンだ。

ここは僕らの楽園(エデン)だ。

 

 

旅人は、また旅に出る 

 

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出会いと別れ1

引き続き、僕は瀬戸内海沿いを東に走る。

相変わらず、右手で海がキラキラと輝く。

 

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出会いと別れ2

エデンの海を見て、何かふっ切れたのだろう。

ふと、旅人ニコル君が思い付いたように呟いた。

「YAMAさん、俺は西に行きます。あてはないけど、どこでもいいから西に行きます。」

 

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出会いと別れ3

そしてスケッチブックとペンを取り出すと、『どこでも…』と書き始めた。素直か。

 

なんでも、ニコル君はヒッチハイクの腕がとんでもなく高スキルらしく、分かりやすく書いてしまうとすぐに乗せてくれる車が見つかってしまって、つまらないのだそうだ。

だから最近は、「こんな書き方でも乗せてくれた」とか、「どこに連れて行かれるのだろう」というドキドキを味わっていると言っていた。

そっか。

 

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出会いと別れ4

今度一緒にヒッチハイクしないかと誘われたが、それはお断りした。

僕は自分で運転することでドラマを作り出したいタイプなのだ。

 

ただし、今度ヒッチハイカーを見つけたら、乗せてあげよう。

ヒッチハイクの極意もいろいろ聞けたので、僕も誰かにアドバイスできるかもしれないし。

 

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出会いと別れ5

とある町で、ニコル君と別れた。

じゃあ、良いお年を。

お互い旅人でいる限り、またどこかで巡り会うであろう。

 

旅先こそが、僕らのエデン。

ワクワクするような旅の舞台で、いずれ再会しようじゃないか。


以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No.108【佐賀県】巨神が岩で無邪気に積み木をした名残!?「立神岩」の造形美に震えた!

古代、人は満天の星空に絵を描き、そして巨大な岩に神を見出した。

 

文化は違えど、世界中で巨石信仰の文化があった。

イギリスの「ストーンヘンジ」のようなものは、世界のいたるところで見られる。

日本では、秋田県の「大湯環状列石」がこれにあたるだろう。

 

岩には神が宿るのだ。

 

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二見の夫婦岩

全国には、いろんな巨岩・奇岩がある。

そんな岩との出会いも、また旅のスパイスなのではないかと、僕は考える。

 

僕もさまざまな岩を見ながら全国を走ってきたが、その中でも印象深い巨岩スポットを1箇所、佐賀県からご紹介したい。

過去に3回ほど訪問しているので、それらをミックスさせたエピソードにてお届けする。

 

 

巨石のもとへ

 

その日、本土と橋で繋がった「加部島」のドライブを終えた僕は、佐賀県の海岸線を東に走っていた。

数km走ると海の向こうにゴロンゴロンと無造作に投げ出されたような巨石群が見えてくる。

 

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巨石のもとへ1

ギザギザのボコボコである。

和歌山県の「橋杭岩」を彷彿とさせるようなノコギリタイプの巨石群だ。 

そのスポットの名は、「湊の立神(たてがみ)岩」。

 

そして、結論から申し上げると、僕はこの後あのへんまで行く。

 

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巨石のもとへ2

ダイナミックな「桜島」や、雄大な「阿蘇」のドライブの後ということもあり、市街地の多いエリアのドライブに少し物足りなさを感じていた僕。

 

彼方に刺激的な景勝地を見つけて色めきだつのは、いたって正常な反応だと自負している。

行きたい。あの岩山が得意げにピースしているかのような部分に行きたい。

なんだあれは。岩ってピースするのか。

 

 

ガソリンスタンドの手前に、めっちゃ小さな案内看板がある。

とても地味な案内だ。

知る人ぞ知るようなマイナースポットなのだろうか。

 

ハンドルを切ると、途端に道は細くなった。

しかし現地までの距離はわずか300mほどだ。気にしない。

 

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巨石のもとへ3

すると路面が未舗装になった。

快適な国道からわずか200mで、ワイルド・アドベンチャーゾーン。

車、跳ねる。実に愉快である。

 

一点、ご留意いただきたい点がある。

2021年現在は、この道は舗装されている。

 

僕がここを訪問したのは、ちょっと昔の話なのだ。

本当であれば2019年に九州を一周した際にも立ち寄りたかったのだが、雨な上に時間に追われていて、泣く泣くスルーしたのだ。

 

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巨石のもとへ4

さて、道の突き当りまで来た。

そこは空き地になっている。

最初の2回はここに車を停めていたが、3回目の訪問時には『原則駐車禁止。でも必要なときは宿の許可を。』、みたいな意味の立て札が建っていた。

 

そこは「立神荘」という民宿の敷地のようなのだ。

そりゃ、無断に停めたらダメだよな。前回以前は気付かなくって申し訳ない。

 

おそらくは長時間駐車する釣り人などへの注意喚起の立て札と思われたが、民宿の方に挨拶をしよう。


「岩を見に来たんですけど、10分くらい停めといていいですかー?」って聞いた。

そしたら民宿の方がステキな笑顔で「どうぞー!」って答えてくれた。

ありがたいご対応だ。

 

あと、空き地にサボテンがモリモリ生えていて異国情緒だった。

 

 

天に聳える立神岩

 

では、立神岩に向かって歩いていこう。

周囲は世紀末かのように巨石が躍り狂っているが、遊歩道があるので人間は安全に歩ける。


…いや、安全とは言い切れない。

落石注意の看板があったわ…。

 

※記事公開後に、現地近くの方から情報をいただきました。

2021年現在、立神荘より先は立入禁止なのだそうです。残念です。

あと、地元ではやはり「ピース岩」という愛称があるそうです。

情報ありがとうございました!!

 

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神の岩1

立神岩といえば、天に向かって聳える2つの巨石を指すようだ。

さっき遠目で見て、ピースしているかのような、あるいはウサギの耳のように見えたら岩だ。

 

しかし、それ以外の岩もなかなか個性的。

全部が合わさって、立神岩という景勝地を作っていると感じる。

 

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神の岩2

一度、干潮のときに訪問したことがある。

普段は波を被る岩が、完全に陸上に露出している。

 

すごい光景だと感じた。

これ、玄海灘の荒波が長い年月をかけて侵食し、できたのだ。

 

しかし僕はこの光景を見て、違う想像をしてしまう。

こんなことをできるのは神だ。

神が立てた岩だから、立神岩というのだろう。

 

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神の岩3

神と名の付く由来は、現地の看板にもWeb上でも見つけられなかったが、名は体を表すのだ。

 

その神は、山のように巨大だ。

しかし、わりと幼児だ。

巨石な岩を、まるで積み木のように、無邪気に積み上げるのだ。

 

しかし、途中で波が打ち寄せ、せっかく積み上げた岩がグチャッと崩れるのだ。

神はムカついて、その場を立ち去る。

 

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神の岩4

…まさにそういう光景な気がする。

無惨に崩れた、巨石なパーツの残骸なのだ。

 

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神の岩5

さて、岩の上を見上げると、フニフニしたデザインの物体が育っている。

なんだろう、あれは。

観音様かな?


巨石信仰の一環で、あそこに観音像を祀ったのだろうか?

それが風雨の侵食で、あのようにデフォルメされたのだろうか?

 

最初にあそこに観音様を持ってった人は、村の英雄だな。

僕ならできないね。いや、むしろ引き受けないね。

バランスを崩して、頂上から観音様を転げ落とし、首がパッキリ折れるシーンが鮮明にイメージできるから。

 

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神の岩6

間近まで来た。

眼前に迫りくる、この巨石の迫力よ。

そして、その前には説明板が設置されている。

 

玄界灘に面した玄海国定公園の一部に、玄武岩の大石柱が二個そそり立っているのが立神岩です。

これは玄武岩の断崖が玄海の荒波によって浸食されてできたもので、直径20~30センチメートルあまりの灰黒色の柱状節理が規則正しく並んでいるのが特徴となっています。

 

周囲6メートル、高さ約40メートルの男岩・女岩を、人々は夫婦岩として敬っています。

東部岬には第三紀層の福井層が露出するなど、諸種の溶岩が点在し、地層と海食現象を観察することができます。

 

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神の岩7

なるほど、まるでビルのようだ。

40mの高さはハンパではない。

 

こんなに近づいてしまって大丈夫なのかというハラハラドキドキがある。

倒れたら怖いぞ。

 

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神の岩8

特に立ち入り禁止の設備もないので、斜めになっている岩部分に足をかけた。

下界はなかなかの迫力だった。

 

迫力のある自然美と一体感できたように感じた。

とてもカメラを構えられる状態ではないので、写真はないが。

 

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神の岩9

尚、前述の通りこれは少し昔の写真である。

2021年現在はここまでは入れなくなっているかもしれないので、ご承知おきいただきたい。

 

…しかし、岩っていいな。

地球の歴史が無造作に地表に転がっているようなものではないか。

 

そして、立神岩のこのサイズがいい。

世の中には、超巨大な一枚岩もある。それはそれで圧倒されるが、岩と言われてもピンと来なくなる。

むしろ山であり、崖だ。

 

草や木が生えすぎていても、「こいつ、昔と違って落ち着いちゃったよな」みたいな気分になる。

 

僕が岩に求めるのは、擬態語でいうなら「ゴロン」としたもの。

そして「ゴツゴツ」したもの。

それでいて、限界まで大きい。

 

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神の岩10

立神岩は、まさにそれらを兼ね備えた理想形なのではなかろうか。

だから好きなのだ。

 

あなたにも、「岩を見たければ立神岩に行け」と、声を大にして言いたい。

そして、太古の神のいたずらでも頭に描きながら、ボーッとここで過ごしてもらいたい。

 

そう感じた、麗らかな春のある日。

いいものを見れたと立神荘の方にお礼をいい、僕はまたアクセルを踏む。

 

以上、日本6周目を走る旅人でした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 湊の立神岩
  • 住所: 佐賀県唐津市湊町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(立神荘のものを使わせていただくのが良いか?)
  • 時間: 特になし

 

No.107【神奈川県】ガリバーは家康に仕えていた!?観音崎からガリバー旅行記を紐解け!!

三浦半島から東京湾に突き出た岬、「観音崎」。

 

風光明媚な岬だ。

景色はもちろんのこと、「東京湾要塞」時代の遺跡を巡っても楽しい。

 

三崎にマグロを食べに行くついでに寄ってもいいし、「横浜みなとみらい」の観光から一歩足を延ばして訪問する人も多かろう。

僕も何度も訪問している、大好きな岬である。

 

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今回はそんな観音崎を、少し別の始点も絡めてご紹介したい。

 

もしこの記事を読み終えたあなたが、「観音崎にはそんな伝説もあったのか。現地を訪問してみたい。」と思ってくれるのであれば、大変に嬉しい。

 

 

観音崎公園に行こう

 

昨シーズン、2020年の秋のことである。

僕は観音崎に向かって愛車を走らせた。

 

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観音崎

横須賀の市街地を経由し、三浦半島を南下する。

 

上の写真、すぐ左は実は海だ。

なんと気持ちのいいシーサイドドライブ!ここは南国だろうか。

 

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観音崎公園1

着いた。

観音崎の有料駐車場だ。車ギッチリで、ギリギリで駐車できた。

人気の景勝地なので、大賑わいだ。

 

後ろに写っている建物をご紹介しよう。

 

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観音崎公園2

観音崎レストハウス」だ。

かなりの年季の入った建物だ。

 

だが2016年、空き家だったこの建物に「夢DREAM食堂 」という地魚の食堂が誕生している。

入ったことはないが、土地柄おいしいに違いない。一生続いてほしい。

 

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観音崎公園3

ちなみに僕は、この建物のこのあたりが好きだね。

 

かすれた「REST HOUSE」の文字が、観音崎の長きに渡る歴史と、海軍の町横須賀の異国情緒をうまく体現していると思うのだ。

 

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観音崎公園4

駐車場の片隅には、ミニ灯台がある。

こういうオブジェは大好きだ。

 

もしあなたも好きなら、積極的に写真を撮っておいたほうがいい。

こういうのって、突然なくなってしまうことが多いから。

 

灯台の左に見切れているが、大きな看板がある。

 

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観音崎公園5

観音崎公園のMAPである。

正直、すさまじく広い。

全部を一気に巡るのであれば、強靭な足腰と充分な水分をご用意いただきたい。

 

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観音崎公園6

今回の僕は、右上の一角を巡るだけで40分以上歩いているからな。

アップダウンも激しかったぞ。

そして、ネタバレになってしまうが、今回の記事に登場するメインスポットが「」の部分だ。

 

では、歩こう。 

 

 

悲願の観音像復活劇

 

まずはあなた、観音崎ってなんで"観音崎"って言われるか知っているだろうか?

 

いや、1秒考えれば予想はできるだろうが、いちいち考えることすらなかったのではないだろうか?

例えばここ神奈川県も、「なんで神奈川っていうのだろう?」 って日常の中で考えることってあまりないもんな。

 

観音プロジェクト1

恥ずかしながら僕も、最近まで観音崎の名前の由来について真剣に考えたことがなかった。

 

では、由来はなんなのか。

上記写真は駐車場から灯台に向かって歩いているときに撮影したものだが、ここをさらに奥に行ったところに、由来を記載した案内板があった。

令和になってから設置された案内板だ。新しいぞ。

 

観音プロジェクト2

はい。

これをあなたにスマホから一生懸命拡大して読んでいただくのは少し酷だな。

かといって、僕にはこれをテキストに打ち直すだけのモチベーションは無い。

なのでざっくりと概要をまとめたい。

 

  • 741年… 「行基さん」が彫った観音像をここに祀った。行基さんは「奈良の大仏」の建立に携わった超有名人だな。すげー。
  • 1213年… 鎌倉時代の「北条氏vs和田義盛」の闘いの最中で、観音像が行方不明になった。みんなで必死に探したが、見つからなった。
  • 空白の100年。
  • 鎌倉時代末期… 観音崎の沖で海が光っているのを発見した漁師が、「なにあれ?」って探索したら100年行方不明だった観音像だった。復活!お堂に大事に祀る!
  • 1880年… 観音崎に砲台をたくさん作って武装化東京湾要塞)する。観音様にはちょっとどいてもらおう。岬内のお堂を移転。
  • 1986年… 火事!!お堂も観音像も燃えて無くなった!!
  • 2018年… 観音像を復活させたい!プロジェクト始動。

 

1000年以上の歴史スペクタクルだな。

胸熱だ。

 

観音プロジェクト3

そしてだ。

復活したぞ。

 

2019年9月23日のことだ。

33年ぶりに観音像を復活させ、観音崎内の洞窟前に設置した。

わかりづらいが、写真中央の三角屋根の小屋、これがシン・観音様の住居だ。

 

観音プロジェクト4

観音様の身長は75cmだ。

小さい。僕、もっと何mもあるものだと思っていたよ。

 

2つ前の写真、実は僕の前には柵があってこれ以上は近づけない。

そして、すんごい逆光な上に小屋のガラスカバーがフニフニして光を反射し、観音様は非常に見えづらかった。

写真加工してもこんな感じよ。

 

観音プロジェクト5

あぁ、ちなみに海の向こうの千葉県房総半島に立つ、「東京湾観音」がここから見える。

観音崎の観音様よりもよく見えるくらいで、ちょっと皮肉だ。

 

…まぁ何はともあれ、おかえりなさい!観音様!!

めでたい!!

 

 

ガリバー旅行記の謎

ガリバー旅行記とは 

 

灯台方面に引き続き歩きながら、次の話をしよう。

観音崎は、「ジョナサン・スウィフト」の「ガリバー旅行記」にも登場しているといわれている。

これはすごいことだ。

 

海の向こうの房総半島

ガリバー旅行記は、全4章からなるガリバーの冒険譚だ。

 

  1.  小人の国
  2.  巨人の国
  3.  空飛ぶラピュタとその下界の国、降霊術の国、不死の国、日本
  4.  知的な馬と野蛮な人間の国

 

日本でよく読まれているのは、第1章・第2章だな。

僕も小学生のときに熟読した。

 

第3章の「ラピュタ」は、ジブリ作品のモチーフにもなっている。

第4章の野蛮な人間はヤフーと呼ばれている。

身近な話では、「オレたちはアウトローだぜ」って悪ぶっていたアメリカの大学生2人が、生み出した検索エンジンにこの名前をつけた。あなたも使ったことあるのではないかな、Yahoo。

 

東京湾越しの富津火力発電所

 

地名から探る

 

さて、第3章でガリバーが上陸した日本であるが、「ザモスキ」・「エド」・「ナンガサク」といった地名が登場する。

エドはもちろん江戸であり、現在の東京だ。

 

ナンガサクは最後にガリバーが日本を出航する際に使った港である。

発音的に、長崎っぽい。津軽のおばあちゃんが発音したら、こうなりそうだ。

ガリバー旅行記の時代設定は1700年前後であり、当時鎖国中であった日本情勢から考えても、唯一外国に対し開かれていた長崎に間違いない。

 

ザモスキは、ガリバーが上陸した地である。

でも、そんな地名は日本にはない。

「ひょっとして観音崎では?」という説が誕生したのは、どうやら割と最近であり、平成になった頃だそうだ。

 

発音は、似ているとはとても言えない。

僕もちょっと自分自身で考えてみた。

 

ザモスキとカンノンザキ

いろいろ調べると、ザモスキは「Xamoschi」だそうだ。

観音崎は、僕の想像も入れてしまったが、カンノンキではなくカンノンキと発音。さらに発音上、2つ目の"ン"がほとんど聞き取れずに「カンノサキ(Kannosaki)」となったと考えた。

 

その2つを筆記体で並べてみると、日本の地名を全く知らない西洋人であれば見間違い・書き間違いをしてもおかしくないほどに酷似していた。

 

うん、「ザモスキ=観音崎ではないか?

そんな発見をして浮かれたりもしたが、その後にWebを見てみると同じような考察をしている人がそれなりにいてヘコんだりもした。

そりゃいるわな。

 

横浜みなとみらい

 

内容から探る 

 

次に、旅行記内に記載されている内容から、地理的手掛かりを掴めないか考えてみる。

 

6日目に、わたしを日本まで乗せていってくれる船が見つかった。
15日間航海したのち、わたしたちは、日本の南東部にあるザモスキという小さな港町に上陸した。


町は、長い腕のようなかっこうで北にのびている細い湾の西の岸にあり、湾の北西部にあたる所には、首都のエドがあった。
わたしは、上陸するとすぐ、税関の役人に、ラグナグ国王から日本の皇帝にあてた手紙を見せた。

 

(引用元:「ガリバー旅行記」坂井晴彦訳)

 

よし、ここでザモスキが観音崎だと仮定し、東京近辺の地図に上記内容をあてはめてみようか。

 

ガリバーMAP

 

うん、すごくしっくり来た。

 

 

引用内の『日本の南東部』の部分については日本地図にて確認はしていないが、東京を『日本の南東部』と表記することに違和感はない。

そして、それ以降の地理的説明も、バッチリ「ザモスキ=観音崎を示していると考えた。

 

 

情報経路から探る

 

じゃあ、なぜ作者のジョナサン・スウィフトは、ここまで日本の地理を知っていたのだろうか?

 

当時日本は鎖国していたので、なかなか西洋にまで日本の地理情報は出回らなかったのではないだろうか?
ましてや観音崎なんていう、失礼ながら当時わざわざ海外に知らしめるほどの要素が無さそうな地名が、なぜ流出したのだろうか…。

 

横浜ベイブリッジ

「三浦按針(みうらあんじん)かな…?」って僕は思った。

 

本名は「ウィリアム・アダムス」。

かの「徳川家康」に仕えたイギリス人だ。

 

ja.wikipedia.org


家康から重宝され、武士として神奈川県三浦半島に領地も与えられたのだ。

つまり、三浦按針にとっての観音崎は、庭のような場所だ。

 

では、三浦按針とジョナサン・スウィフトはどう繋がるのだろうか?

三浦按針は日本を出ることなく死去したし、ジョナサン・スウィフトが生まれたのはそれから50年も先の話だ。

 

灯台前の展望所から

なんやかんやWeb情報を探していたところ、「ジョナサン・スウィフトは当時の三浦按針が母国に送った手紙を所持していた」という情報が見つかった。

 

何が書かれていたかまではわからなかったが、東京湾の地理情報が含まれていたのであれば、前項「情報経路から探る」内の引用文も書けるであろう。

そして、三浦按針の文字を読み違え、観音崎をザモスキと表示する可能性もあるだろう。

 

Web内では、三浦按針の直筆の手紙数点の画像を見ることもできる。

筆跡から、「ザモスキ=観音崎とならないか、鑑定しようとしたさ。

 

結果無理だったよ。

達筆だし、英語見ると頭痛くなるさ。帰国子女なのに。

これが解読できれば、「地名から探る」で僕が書いたザモスキと観音崎筆記体も、もっとリアルになっただろうけどね。

 

 

ガリバーの正体を探る

 

ガリバー旅行記に登場する数々の国は、ほぼ全てが実在しない。

実在する国は、日本だけである。 

 

なぜだろう?

ジョナサン・スウィフトの住むアイルランドから見て、遥か極東の日本。

鎖国しており、全く未知の国である日本。

 

その存在自体が既にフィクションに匹敵したのではないだろうか?

実在するファンタジーだ。事実は小説より奇なり、だ。

小説の題材として、これ以上の国は無かろう。

 

観音崎灯台は、日本最古の洋式灯台

次に、ジョナサン・スウィフトから見た三浦按針だ。

たぶん、とんでもなく波乱万丈な人生を送った冒険野郎だと思われたのではないだろうか。

 

オランダから5隻の船団で極東を目指した一行。

うち2隻は拿捕され、1隻はリタイアしてUターン。もう1隻は沈没。

三浦按針の乗った唯一無事な「リーフデ号」も、飢餓や病気、原住民との戦いで散々なことに。

 

出航時110人だったメンバーも、日本に辿り着いたのは24人だ。

しかも、そのとき立ち歩けるほどに元気だったのはわずか6人だ。

 

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日本の灯台50選の1つ

サラリと書いたが、とんでもない冒険活劇だ。

 

日本から故郷への手紙に、そんな冒険譚を熱筆したのだろう。

小説家のジョナサン・スウィフトがそれを読んで大興奮するのは想像に難くない。

 

ガリバーは、毎度毎度航海時に嵐だとかトラブルで仲間とはぐれ、そして1人未知の国を冒険することとなる。

 

まさに三浦按針だ。

ガリバーのモチーフは他にもあるかもしれないが、三浦按針がジョナサン・スウィフトに与えた影響は大きいだろう。

 

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日本で16箇所しかない、参観灯台の1つでもある

ガリバーは、日本に上陸。

観音崎から江戸に行き、天皇陛下に謁見。

ドキドキしながら"踏み絵"を体験し、なんかやんかかろうじて友好関係を築き、最後は長崎から出向して故郷を目指す。

 

少なくとも、ここの部分は三浦按針がモデルなのだろうと考えた。

冒険をくぐり抜け、日本の最高権力者である家康に会って認められ、そして家康に仕えた三浦按針。

 

かたちをかえてガリバーとなり、21世紀の今も世界中の人たちに読まれている名作の登場人物となったのだ。

 

…諸説あろう。

真実は歴史の彼方であろう。

 

だが、考察し想像する楽しさは失いたくない。

僕だって冒険野郎なのだから。


 

東京湾要塞の一角

 

最後の章では、ここまでの文中で2回ほど触れた東京湾要塞について少しだけ触れたい。

 

東京湾要塞というのは、明治時代から第2次世界大戦終了まで設置されていた、東京湾を丸ごと要塞化させて東京を守る巨大設備だ。

 

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東京湾要塞1

ザックリとしたイメージで、こんな感じだ。

 

東京湾に侵入する敵国の船からしたら、絶望的すぎる集中砲火を浴びることになりかねない。

観音崎には、とりわけ多くの砲台がギッチリと、そりゃもうミッチリと設置されていた。

 

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東京湾要塞2

その当時の遺構が、今も東京湾の各所に残っている。

それらはいつか特集などでまとめて書いても面白いとは思うが、今回はテーマ通り観音崎にフォーカスしよう。

 

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東京湾要塞3

「北門第一砲台跡」というところにやってきた。

灯台のすぐ後ろに当たる場所だ。

 

写真では立体感を見せられにくいが、階段の奥は半円形の舞台のようになっている。

ここに大きな砲台が設置されていたのだ。

日本最古の砲台だ。

 

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東京湾要塞4

似たような舞台は2つあり、それがレンガ造りのトンネルで連結されている。

ちょっとトンネルをくぐってみようか。

 

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東京湾要塞5

このトンネルの側面が、弾薬庫や兵員待機所への入口だったらしい。

 

上の写真もよく見ると、トンネルの壁が一部レンガではなくって灰色に塗り固められているのがおわかりだろう。

今では封鎖されている。

 

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東京湾要塞6

円形の舞台を取り囲む石壁。

胸墻(きょうちょう)という名前で、砲台を取り囲むように設置されていた。

 

ちなみに僕は砲台にはあまり詳しくないので、これ以上の説明はできかねる。

 

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東京湾要塞7

これは倉庫跡。

いたるところに、過去への扉がある。

もう開けないほうがいい扉なので、これらは封印されたままだ。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

岬って、本当に面白い。

 

航海の要所であり、観音像や神社が祀られる。

地形柄、漂流者も流れ着くし魚もやってくる。

国防の要所にもなり、武装化される。

現代は絶景と魚を求めて観光客が集まる。

 

これらの特徴を兼ね備えた岬は、日本国内に散見される。

そして振り返ると、観音崎はこれら全ての要素を満たしている。

 

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奈良時代から現代まで、この岬の歴史をたどってきた。

 

さて、未来はどのようになるのかな?

それを作っていくのは、僕らだ。

 

もしかしたら、未来の"冒険者ガリバー"は、あなたなのかもしれない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 観音崎 
  • 住所: 神奈川県横須賀市鴨居4
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(ただし有料)
  • 時間: 特になし

 

No.106【香川県】21世紀に入り発見された山がある!!それは標高3.6mの日本一低い山!?

山というのは、古来からそこにあり、我々の生活を見守ってくれている悠久の存在であると思っていた。

 

しかし、2004年に発見された山がある。

僕よりも遥かに年下の山だ。

 

どこだ?

前人未到の秘境の奥地か?

 

いや、違う。

香川県の国道からほんの数100mだ。

 

そんな市街地にある山が、なぜ今まで見つからなかったんだ?

 

…それは、あまりに低すぎて誰も山だとは気付かなかったからなのだろう。

 

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さぁアルピニストよ、目指すのだ!

日本一低いと言われる、その山へ!

 

 

神社の裏から登山は始まる

 

少し昔の話をしよう。

 

2004年に発見されたその山。名前を「御山(みやま)」という。

僕が初めてその山を登るのは、5年後の2009年のことであった。

 

その後も登頂経験はあるので、今回は過去2回の登山記録をミックスさせて執筆したい。

 

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ところで、これが僕が今まで訪問した「日本一低い山」だ。

 

日本一低い山とは、様々な定義から複数存在している。

何がホンモノで何がウソだ、とかではなく、いろいろあって全部正しいと僕は思っている。

 

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

まずはね、この山の由緒とか低い定義だとかは置いておいて、登山記録をご紹介したい。 

山は登るためにあるのだから。

 

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白鳥神社1

御山に登山するのであれば、まずは「白鳥神社」を目印にしてほしい。

 

ここで安全祈願をするとよいだろう。

登山ってのは、命がけのエクストリームスポーツなのだ。

明日、僕らが無事でいる保証なんてないんだからな。

 

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白鳥神社2

だからこそ、ここでしっかり参拝をするのだ。

そうあるべきだ。

チャラチャラしたヤツは、登山界に足を踏み入れるべきではないのだ。

 

さて、御山はどこだろう。

爆誕からわずか数年なので、あまり詳細な情報がないのだ。

「白鳥松原」の中に聳えているということは聞いたことがある。

松原のありそうな方向に歩こう。

 

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御山を登る1

おぉ、松原だ。

境内の裏側が松原であった。

 

しかし山はどこだろう?

実は、後から振り返ればもうこの時点で僕は山を登っている。

何合目なのかはなかなか判断しづらいが、間違いなく山麓にはいるのだ。

 

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御山を登る2

『→ 御山山頂』と書かれている。

 

今一度、内容を噛みしめてほしい。

"御山"ではなく"御山山頂"と書かれている。つまり、ここはもう御山なのだ。

 

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御山を登る3

数年度に再訪したら、立派な石碑になっていた。

ここから90mの地点が山頂らしい。

 

しかし、この写真の背景を見ての通り、全然山らしくない。

「登山している」っていう感覚も、正直薄い。

 

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御山を登る4

…と自分で言って反省した。

その発言、完全に山をナメているよな。

 

そういうヤツって真っ先に遭難するよな。

パニック映画でもホラー映画でも、事態を軽んじているキャラクターは早死にする。

僕が監督でも、そうするかもしれない。

 

いけないいけない、気を引き締めて登山せねば。

 

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御山を登る5

そして、見てくれ!!

 

「松原?」とキョトンとしたあなた。

まぁその通りなんだけど、右端にもっと目を凝らしてほしい。

 

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御山を登る6

あの石柱だ。

 

あの石柱、何だと思う?

何を示していると思う?

 

もうちょっと拡大しよう。
 

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御山を登る7

 

僕らの目指していた、山の頂(いただき)である。

 

 

御山の山頂に、僕は立つ

 

僕は思わずつぶやいた。 

「バ…バカな…。か…簡単すぎる…。あっけなさすぎる… 。」

 

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日本一低い山1

「あ・・・ありのまま 今起こった事を話すぜ!

僕は山を登ろうと思って松原を歩いていたら、いつのまにか山頂にいた。

 

何を言っているのかわからねーと思うが、僕も何が起こったのかわからなかった…。

頭がどうにかなりそうだった…。

催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。

もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。 」

 

…と、どこかで聞いたことがあるような独り言が自然と出てきた。

 

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日本一低い山2

しかし間違いなくここが山頂だ。

『御山 日本一低い山 三・六メートル』と書かれている。

 

登頂まで何秒なのか計測したかったが、そもそも1合目がどこだかわからなくって計測が出来なかったことだけ悔しい。

 

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日本一低い山3

とりあえず記念撮影だ。

僕はやりとげた男だ。たぶん。

 

スタミナはまだ2%くらいしか使ってない。

例えると、めっちゃトレーニングして万全の体調で迎えた格闘技の世界大会の場で、僕以外の全員が食中毒で倒れて、「おめでとう!君が優勝だ!」とトロフィーを渡されたような気持ちだ。

 

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日本一低い山4

確かに、物足りなかった。

でも、それは僕のこの山に対する理解が足りなかっただけなのかもしれない。

 

世の中には、いろんな山があるのだ。

個性はいろいろ、全部正しい。全部がオンリーワン。

 

さて、この山なのだが、冒頭で「2004年に発見された」と書いた。

「発見された」とは一体どういうことなのだろうか?

 

*-*-*-*-*-*-*-*-
 

 …2004年のこと。

大きな台風で、このエリアは浸水した。松原も浸水した。

 

その際、改めて松原の地形を測量し、一番高いところがどこなのかを調べてみた。

それが、標高3.6m地点のここである。

 

さらに、郷土史などを調べてみると、ここが「山」として記載があったのだ。

 江戸時代や明治時代は、ここは山として扱われていたそうなのだ。

 

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日本一低い山5

「だったら現代もここを山として扱っていいよね?」

 

こうして、御山が誕生した。

…いや、復活したと言ってもいいのかもしれない。

 

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日本一低い山6

翌年、2005年の8月には山開きのイベントも行った。

 

もう、まぎれもない山のような気がする。
すっっっごくなだらかな山だけど。

 

 

最低峰になれなかった山

 

次に、日本一低い山の定義について考えていこう。

 

前述の通り、日本一低い山は複数ある。

どれがホントでどれがウソかとかではなく、定義が複数あるのだ。

 

その中の定義の1つに、「国土地理院に認定されている」というものがある。

 

www.gsi.go.jp

 

国土交通省国土地理院

 

つまり国に正式に山と定められ、国の認める地図や地形図に掲載されるかどうかということだ。

これは大きなステータスである。

 

御山も、国に認められたかった。

しかし、結論としてその夢は叶ってはいない。

 

山であることの定義には、「自治体が山として認識しているか」・「地元民が山の存在を広く知っているか」・「山としての歴史があるか」などがあるそうだ。

具体的な評価結果は知らないが、御山は基準をクリアできなかったのだろう。

 

…では、「もしクリアできていたら」を考えてみよう。

「歴史に"if"はない」と言われるが、考えてもいいじゃないか。

そっちのほうがおもしろいんだから。

 

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上記は、大阪の「天保山」と仙台の「日和山」という、国土地理院に認められた2つの山の最低峰争奪戦の図である。

 

詳細が気になるのであれば、以下をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

着目すべきは、御山が爆誕した2005年部分である。

2005年時点で国土地理院に認められている日本一低い山は、天保山であり、標高は4.53mであることがおわかりいただけると思う。

 

もし、その当時に御山(3.6m)が国土地理院に求められていたら…!!

 

大阪の天保山(4.53m)を抜いて、日本一低い山の誕生だ!!

 

"if"の世界では、しっかりとここは日本一低い山なのだ。

 

現実ばかりを見ていちゃダメだ!夢を見るんだ!

 

…世間一般とは言っていること逆かもしれないけど、山に低さを求める時点で世間一般とは真逆だ、気にするな!!

 

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日本一低い山7

 

神話の時代の思い出を

 

白鳥神社に話を戻そう。

 

拝殿は1880年に建立されたのだそうだ。

僕の訪問時に修復作業をしており、トンテンカンと賑やかなサウンドを奏でていたこともある。

 

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神社と松原1

しかし、その由緒はもっともっと遥か昔、神話の時代まで遡るともいわれている。

 

神話時代のヒーロー「日本武尊」が病で亡くなった後、白鳥に転生した。

そしてその白鳥は、ここの松原に降り立ったそうなのだ。

そこを祀ったのが、白鳥神社である。

 

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神社と松原2

少し境内を歩いてみよう。

…大きなクスノキがあった。

 

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神社と松原3

樹齢800年で樹高30m・周囲7.6mあるそうだ。

"かおり風景百選"に選ばれているんだって。

 

説明板の写真を撮ってきたので、詳しくは以下の写真をご覧いただきたい。

 

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神社と松原4

クスノキを見上げる。

まだ今は4月だから葉は少ないけど、これから境内に大きな木陰を作るのだろう。

そう思ってワクワクした。

 

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神社と松原5

さて、では次のスポットへと向かおうかな。

 

この地に白鳥となって復活した日本武尊

この地を測量したことで復活した御山。

 

人も山も、こうして脈々と未来へと繋がっていくのだろう。

 

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神社と松原6

※ あ、でも境内にあった御山のイラストは、誇張表現すぎると思った。山頂に雪を被ってやがる。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

住所・スポット情報

 

 

No.105【千葉県】まるでカリフォルニア!?「千葉フォルニア」は車&バイク好きの楽園だ!

2016年秋のことだった。

袖ヶ浦のこの地に降り立った、ロック界のカリスマが、こう言った。

 

「ここはハワイかよ!」

 

アメリカ西海岸のカリフォルニアに雰囲気が似ていることで少しずつ認知度が上がっていた矢先のこの場所は、彼の言葉をきっかけに人気爆発したという。

 

このスポットの名は、「千葉フォルニア」という。

 

以来、南関東の車好き・バイク好きにとっての聖地である。

 

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千葉フォルニアに車を停めて

 

2020年の最終日。

そんな節目の日に、僕は千葉フォルニアを目指した。

天気は文句なしの快晴だ。

 

千葉フォルニアは袖ヶ浦東京湾を埋め立てた工場地帯の一角の「袖ケ浦海浜公園」に続く道を指す。

南関東以外の人に話すなら、「アクアラインの千葉側からすぐ」と言えばイメージしやすいと思っている。

 

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千葉フォルニアへ1

すぐ近くには「木更津かんらんしゃパーク・キサラピア」という遊園地がある。

青空に観覧車が聳えていた。

 

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千葉フォルニアへ2

その他のアトラクションも公道から見えている。

 

興味をそそられるが、僕のような男ひとりで観覧車に乗っていたら、年末というより世紀末みたいな感じになりかねないので、自粛する。

 

 

アメリカ西海岸に思いを馳せて

 

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ここは千葉フォルニア1

さらに海へと向かうと、工場地帯の横の海沿いのヤシの木の並木が見えてきた。

ここが千葉フォルニアだ。

 

なんか正面奥の方に車がたくさん停まっている。

 

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ここは千葉フォルニア2

もう少し近付いてみた。

こんな感じだ。

みんなヤシの木の下で、いい感じのソーシャルディスタンスをキープしている。

 

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ここは千葉フォルニア3

このヤシは”ワシントンヤシ"というらしい。

ネーミングが既にアメリカンだな。

ワシントンは西海岸だはなく東海岸だけど、O型は細かいことは気にしない。

 

背の高いヤシが98本、袖ヶ浦海浜公園に向かって1.2㎞並んでいる。

その向こうは東京湾だ。

この光景が、カリフォルニアに例えられているのだ。

 

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ここは千葉フォルニア4

みんな、路肩に車やバイクを駐車して、愛車の写真を撮ったり、景色を眺めたり、同じ趣味の仲間同士で談話している。

 

あとはきっと、SNSとか投稿しているのだろうな。

世はSNS時代だ。

このスポットも、Twitterやインスタグラムの力で一気に有名になったのだ。

 

僕も愛車の日産パオを駐車してみた。

 

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ここは千葉フォルニア5

他のみんなはカッコいいバイクやとんがった車の人が多いので、パオは異質に見えるかもしれない。

しかし、パオもこの風景にとても馴染むのだ。

 

少し話は反れるが、日産パオは昭和時代の最後に発表され、3ヶ月のみの完全受注生産の車。

そして平成時代に世に出た車の第1号である。

 

日産が、令和の今では実現ほぼ不可能なほどに、凝りに凝ったデザインをし、世に送り出した。
そのコンセプトは、「電柱がヤシの木に見える」というものであった。

つまり、何気ない日常をワクワクするような冒険に変えてくれる車なのだ。 

 

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ここは千葉フォルニア6

電柱がヤシに見えるのだから、本物のヤシが似合わないハズがないよね。

そして、袖ケ浦の海もカリフォルニアに見えるのだ。

 

もう、見まがうことなき常夏バカンスなのだ。

晦日?明日は正月??

なにそれ。いいからアロハシャツ持ってこい。

 

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ここは千葉フォルニア7

少しアングルを変えると、放送事故のように日常感が垣間見える。

道の反対側は工場地帯だからな。

 

しかしな、モデルだってきっと自宅ではヨレヨレの部屋着だし、聖人君主だって密かにエロい妄想とかしているだろう。

物事はなんでも、裏と表があるのだ。いい勉強になったな。

 

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ここは千葉フォルニア8

道路の反対側から撮影してみた。

 

この道路の広さ、そして交通量の少なさ、なんだかアメリカンだな。

この先は前述の袖ヶ浦海浜公園があり、そこで突き当り。

だからそんなに交通量は多くはないのだ。

 

 

東京湾の大パノラマ

 

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そのロケーション1

愛車の後ろには、「東京湾アクアライン」の「アクアブリッジ」部分、そして川崎や横浜のビル群、さらに箱根の山や「富士山」が見えている。

すごいロケーションだ。興奮する。

 

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そのロケーション2

さらにアップにしてみた。

海の向こうのアクアラインと富士山が良く見える。

 

実はアクアラインの手前に、「千と千尋の神隠し」のワンシーンにも例えられる、海の中に続く電柱が写っている。

僕はこの後にそこで2020年最後の日没を見るのだが、その話はまた機会があったとしよう。

 

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そのロケーション3

そして、富士山だ。

わかりやすくコントラストを少し調整した。

 

カリフォルニアなのに、日本の象徴富士山だ。

もしあなたがここで写真を撮り、知人に「カリフォルニアを走ってきたぜ」と写真を見せようと考えているなら、富士山をどうごまかすのか、今からしっかり考えて対策を立てるといい。

 

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そのロケーション4

東京都心のビル群も見える。

「東京タワー」とお台場の観覧車だ。

 

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そのロケーション5

 「東京スカイツリー」も見えるぞ。

群を抜いて高い。

 

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そのロケーション6

頭上にはANAの飛行機が飛んでいた。

羽田空港」離発着のものだろうか?

 

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そのロケーション7

そしてこれはアクアラインの中継地点である「海ほたる」だ。

 

この記事を公開する数日前に「金曜ロードショー」を見たあなたは、「タイタニックか!」とか思われるかもしれないが、東京湾海上に浮かぶPAだ。

ジャックとローズがイチャコラしながら逃げ回っているわけではないし、音楽隊が斜めになりながら「主よ御許に近づかん」を演奏する必要もない。

とても安全なPAだ。

 

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そのロケーション8

あとは、「横浜みなとみらい」なども見えているのだが、アクアブリッジの向こう側でちょっと見栄えがしないので、割愛したい。

 

…というわけで、ここからは東京・川崎・横浜と言った大都市を、ちょっと外側から俯瞰して見ることができるのだ。

その距離感が、とても心地良いと感じた。


 

袖ヶ浦海浜公園にて

 

では、次は千葉フォルニアの延長線上にある袖ヶ浦海浜公園に行ってみよう。

車に再び乗りこんで、ほんの1~2分だ。

 

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海浜公園1

はい、到着した。

後ろには展望タワーが聳えている。

 

…が、タワーの上に乗っているボール、あれはなかなかにヤバいな。

乗せた人のバランス感覚もすごいが、もし地震で「ゴローン」と落ちてきたら、それこそヤバいな。気になる気になる。

 

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海浜公園2

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海浜公園3

振り返れば、千葉フォルニアのヤシの並木が見えている。

1.2㎞続いたカリフォルニア区間の終了だ。

 

では、展望タワーに登ろう。

どうやら無料のようなので、ここまで来たなら登らない選択肢はない。

 

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海浜公園4

あのタワーは、高さ25m。

ちょっとWikipediaさんの説明を引用しよう。

 

人々の夢をいっぱい乗せた未来の宇宙船を想像したアルミ製の銀色の球形の屋根が設置されている。

また「人や生き物にやさしい地球環境づくりのための自然エネルギー」を活用して公園内の電力をまかなうための風力発電施設が設置されており、新たなシンボルタワーとして、自然エネルギーの学習の場、さらには観光施設として多くの人々に活用されることを期待されている。

(引用元:Wikipedia

 

…だそうだ。宇宙船だ。

 

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海浜公園5

張り出しバルコニーのような、扇型の展望台。

高所恐怖症の人だったら、あそこに立つことを想像しただけで足ガクガクになりそうだな。

 

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海浜公園6

内部は狭いらせん階段だ。

灯台を登るときなどと同じような感覚だ。

グルグルと25m、ひたすら登ろう。

 

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海浜公園7

そんで屋上出ると、やっぱ怖いなこのボール…!

写真では伝わらないかと思うが、頭上に結構なプレッシャーをかけてくるよ、これ。

 

ボールを支えている華奢なアームが壊れでもしたら、「インディージョーンズ」第1作の冒頭をリスペクトすることになるよ、僕。

 

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海浜公園8

上からの展望だ。

特に左部分、異国情緒あふれるテイストである。

 

向かって右奥には、さっき走って来た千葉フォルニアが伸びている。

 

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海浜公園9

鉄塔が雰囲気を少し破壊してしまっているが、ヤシの並木とその背景となる海は、とても絵になる。

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海浜公園10

次は、公園のさらに奥側を見てみよう。

 

散歩したら気持ちが良さそうな緑地がずーっと続いている。

真冬なのに、緑が生い茂っている。

初夏だとかに来たら、さらに気持ちが良いのだろう。

 

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海浜公園11

東京湾の反対側に見える景色は、さっきの千葉フォルニアからのものと同様なので割愛する。

しかしここは高さが25mあるから、より海が広く迫力のあるパノラマが広がっていた。

 

 

ツーリングの新名所へ

 

冒頭で少し触れた通り、この千葉フォルニアが有名になったのは最近の話だ。

 

袖ヶ浦海浜公園が2004年にでき、その当時からヤシが植えられていたそうなので、千葉フォルニア誕生もきっと2004年なのだろう。

(間違っていたら申し訳ない)

 

毎年袖ヶ浦海浜公園で「氣志團」がロックフェスをしているんだけど、2016年に「矢沢永吉さん」がゲスト出演したときに「ここはハワイかよ!」と言い、そして人気に火がついたようだ。

 

また、2016年・2017年頃の各種雑誌で千葉フォルニアという名前が使われ、首都圏のインスタ映えスポット、ライダーたちの人気スポットとして紹介されたことも大きいだろう。

 

そしてなにより千葉フォルニアという秀逸な名前が誕生したことが、ここのスポットの人気の底上げになっていると感じた。

では、"千葉フォルニア"という名前はいつから使われ始めたのか。

 

おそらくは誰かが通称で使ったことが口コミで広がったと推測した。

…であれば、Twitterだ。

 

もしかしたら2016年あたりかな…と思って検索してみたら、チラホラ既に使われている。

2015年、2014年も、使用数は少ないが千葉フォルニアという言葉は存在している。

 

2013年、2012年もいた。

マジか…。僕は当時全然ここの存在を知らなかったよ…。

 

結論、2010年にわずか数人の人が千葉フォルニアというい言葉を使っていた。

もしかして彼らが始祖なのだろうか…。

ちょっと話を聞いてみたい気もしたが、彼らの最後のツイートは既に数年前であり、アクティブユーザではなさそうだったので、話しかけるのは辞めた。

 

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今もどこかで新しいスポットが誕生しているのだろう。

そして、ウワサになったりならなかったりしているだろう。

 

こうやって少しずつ時代は移り変わっていく。

だからこそ、僕はまだまだ日本を走りたいんだよね。

毎回新しい発見があるし、きっとこれからもあるのだから。

 

では、さらば千葉フォルニア!

さらば2020年!!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 千葉フォルニア
  • 住所: 千葉県袖ケ浦市南袖36
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 並木の路肩、あるいは袖ヶ浦海浜公園駐車場
  • 時間: 特になし

 

No.104【熊本県】雄大な阿蘇に抱かれて眠れ…!そして神々しい朝日と共に走れよ旅人!!

 

「3K」とは何か、あなたはパッと答えられるだろうか?

そう、「危険・きつい・汚い」である。

 

かつてよりかは随分と一般的となり社会的認知度が上がったとはいえ、車中泊に対する一般層からのイメージは、いまだにこの3Kを脱却しきれていないと僕は感じる。

 

…確かにそうなのかもしれない。

牛肉の美味しさを知っている我々が、あえてネズミの肉を食べようとしないのと同じだ。

空調設備のある部屋のフカフカの布団で寝られるあなたが、わざわざ車中泊をすることに意味を見いだせない気持ちもよくわかる。

 

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HUMMER_H3での車中泊1

しかしだ。

考えて見てほしい。

我々も小さい頃、秘密基地を作ったり、あるいは憧れたりしなかっただろうか?

 

それはなぜか。

自分自身の寝床の方が確実に3K要素が低いのに、なぜ人は秘密基地に憧れるのか。

 

…まぁアレだ。

それをここで書いてしまうと味気なくなるので、辞めておこう。

 

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HUMMER_H3での車中泊2

今回僕は、「道の駅 あそ望の郷くぎの」を絡めて車中泊体験談を書く。

それをもって、あなたなりにご判断いただければと思う。

 

 

今夜の寝床を求めて

 

新型コロナウイルスが蔓延する4ヶ月程前の、2019年秋のお話である。

僕は、九州一周車中泊の旅をしていた。

 

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寝床探し1

高千穂から阿蘇へと向かう峠道を走り、18:40に「高森峠」から見下ろした阿蘇カルデラの夕焼けは、それこそ鳥肌が立つほどに美しかった。

こんな景色と偶然出会えるのも、旅の醍醐味である。

 

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寝床探し2

阿蘇カルデラに降り立ったころには、もう周囲には夜の帳が下りていた。

峠からたったの10分であったが、秋の日没は早いのだ。

 

あても無い車中泊の旅において、日が暮れた後にやることは原則3つだ。

 

  1.  夕食
  2.  風呂
  3.  野営

 

まさに昭和時代の亭主関白な人間の発する、「メシ・フロ・ネル」そのものだ。

 

夕食は、適当にコンビニなどで買って、野営地で食べるなどの方法もある。

だが、かなり空腹だったし、せっかくだからご当地のものをお店で食べたいなって考えていた。 

 

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寝床探し3

お店、見つけた。

ログハウス風の食事処で、阿蘇の赤牛のハンバーグを食べている。

牛をかたどった鉄板の上で、肉厚だけどもとても柔らかいハンバーグがジュージュー言っている。

 

すまないな、今だけなら僕は、全人類の中で一番幸せかもしれない。

ひとくちごとに溢れ出る肉汁と笑顔よ。

 

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寝床探し4

さて、日中は食事の時間すら最低限とし、ほとんど休むことなく観光を続けていた僕。

ハンバーグが出てくるまでの待ち時間は、ツーリングマップルを見ながらの今後のプランの考察タイムとして非常に貴重だ。

食べ終わった後のことをいろいろ考えていたのだ。 

 

まずはお風呂だ。

ちょっと見てほしい。

 

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明日の朝一は上の図の中央阿蘇山の山岳地帯の絶景を走りたい。

だから今日の活動は中央のやや下くらいで終えられるとベストだ。

 

メッチャいい場所に「南阿蘇 久木野温泉 四季の森」っていう温泉がある。

最高だ。そこで風呂に入ろう。

 

次に野営地だが、見つからない。

僕の手持ちのツーリングマップルでこの付近を調べる限り、道の駅が無いのだ。

 

まぁなんとかなるだろう。

この付近には数多くの水源公園がある。

確かそのいくつかは駐車場を兼ね備えていたはずだ。最悪、そこで車中泊だ。

 

お風呂施設、四季の森を目指して走り始めた。

一応、車中泊に適した場所が無いかキョロキョロしながら走る。

 

しかしその心配は無用であった。

道の駅の看板を見つけたのだ。

 

しかもお風呂に向かう僕の進行方向を、道の駅の看板も示している。

なんだこのラッキーは!

 

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「道の駅 あそ望の郷くぎの」だ。

入浴施設のメッチャ近くにある。1kmくらいの距離だ。

思わず「最高かよ!」と叫んだ。

これ、お風呂出て数分後には「すやぁ~」とできるじゃないか。

 

お恥ずかしながら、僕の所持していたツーリングマップルはだいぶ古い。

2015年に開設したというこの道の駅は、僕のツーリングマップルには掲載されていなかったのだ。

 

やはり持つべきものは、新しい情報だな。思い知った。

 

快適な車中泊スポットは重要だ。

あなたもツーリングマップルは、より新しいのを持っておくべきだ。

声高らかに、そう言いたい。

もう今夜の車中泊には困らないので、ドヤ顔でそう言いたい。

 

 

今夜のお風呂を求めて

 

まぁそれはさておき。お風呂入ろう。

道の駅あそ望の郷くぎのをチラリと確認した後、四季の森の前に到着した。

 

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お風呂探し1

うん、なんだかヤベー暗さだよね、これ。

嫌な予感しかしない。

 

入口まで行ったけど、ドアが閉まっていた。いよいよヤバい。

目の前の施設である四季の森に電話をした。

録音音声で「本日休館日です」と言われた。

 

お風呂に入らず、1㎞先の道の駅で寝てしまうべきか。

いや、それは許されざる野蛮な行為である。

紳士の代名詞であるかのような存在の僕は、ちゃんと毎日お風呂に入って清潔を保つべきなのだ。

ほら、今日も日中暑くて結構汗かいたし。

 

四季の森の暗い駐車場でツーリングマップルを開き、片っ端からWeb調査&電話を架けて営業確認をする。


しかし、この付近の温泉施設は営業時間が終わっていたり、オーナー亡くなって閉鎖してしまったりと散々だ。

絶望の波が押し寄せる。

 

ようやく発見した。

10km離れたところに発見した。

「南阿蘇村役場 総合福祉温泉センター・ウィナス」。

 

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僕は「よしっ!」って思った。

あと、「この辺の施設、全部名称が長ェ!」とも思った。

 

試しにウィナスに電話してみた。

「最終入場まであと30分、営業時間終了まであと1時間よ」と言われた。

人生ハードモードだ。

 

寝床はもう目と鼻の先なのに、短時間お風呂に入るためだけに往復20㎞。

楽しくなってきた。急ごう。

 

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お風呂探し2

ここが僕の命の恩人、ウィナスさんだ。

既に時刻は20:20だ。閉館は21:00だ。

速攻で飛び込み、頭を体を洗う。湯舟にももちろん浸かる。

 

誠に失礼だが、どんなお風呂だったのかはあんまり記憶にない。

しかし、お風呂から出てきた僕の顔の爽やかさから、ウィナスさんへの感謝の気持ちはうかがい知れると思う。
 

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お風呂探し3

再び、阿蘇山麓の真っ暗い道を運転し、道の駅あそ望の郷くぎのまで戻った。
 

 

高原にて安らかに眠れ

 

道の駅あそ望の郷くぎのだ。

もう後は寝るだけだ。

飯も食ったし、風呂も入った。完全にととのっている。

 

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車中泊1

真っ暗で全然見えないが、高原にすごく広大な駐車場が広がっているっぽい。

 

施設の営業はもう終わっているが、内部にわずかに灯りがついている。

まだ従業員さんが後片付けとかしているのかもしれないね。

 

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車中泊2

写真では明るく見えるかもしれないが、歩くのすら慎重になるほどに暗い。

上の写真で、ひときわ明るいのは月だからな。

 

どうやら駐車場には車が300台停まれるらしいが、たぶん今は5台もいない。

ガラッガラだ。

 

つまり寝るにはうってつけの環境ということだ。

 

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車中泊3

では、寝る。

軽くお酒を飲んでも旅情を感じられていいのかもしれないが、少なくとも今夜は飲まない。

 

なぜなら、明日は日の出と同時に行動したいのだ。

朝日が出る瞬間から、阿蘇の絶景を堪能したいのだ。

 

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車中泊4

ちなみにだが、道の駅で車中泊をしていいかどうかは、議論になることがある。

公式に「できる」と言っているところもあるし、「ご遠慮ください」と言っているところもある。

 

ここからは、大変に恐縮だが僕の持論だ。

道の駅は車中泊をするために存在している場所ではない。

 

仮に「車中泊をしていい場所である」とするなら、施設側にもなんらか最低限の管理責任が生じてしまう。

だからこそ、建前上は「車中泊のための場所ではない」と言うしかない。

仮に車中泊をするなら、施設側に迷惑をかけぬよう、ヒッソリとやるのがマナーだと考えている。

 

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車中泊5

例を挙げると、路線バスの中は原則食事は禁止である。

ただ、人が少ない状態にときであれば、オヤツやおにぎり程度はいいかな…という意見が多い傾向と思う。

 

しかし、ギュウギュウに混んでいるバスで豚骨とかのカップ麺をすすっている人がいたら、もういろんな面でヤバい。

 

仮にそういう人が大量派生したら、バス会社は「車内での食事禁止」と張り紙やアナウンスをするしかない。

どこまでがOKで、どこまでがNGっていう線引きは難しいから、「食事は全部ダメ」って言うしかない。

もともと食事することを想定した運用ではないのだから。

 

車中泊も、それと一緒と考えている。

善意でやらせていただいている。

 

だからせめて極力静かにすごし、早朝には去る。

連泊などは間違ってもしないようにしている。

それでも反対意見はあるだろうが、感謝の気持ちだけは絶対に忘れない。

 

では、おやすみなさい…。

 

 

壮大な夜明けの到来

 

さぁ、今回の記事のメインだ。

朝の5:00、僕は起きる。

 

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夜明けの阿蘇1

ほぼ真っ暗だ。

しかし山の稜線が仄かに明るい。

 

この時間から、徐々に朝になるのを見たかったのだ。

ふふ、楽しみ。

 

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夜明けの阿蘇2

スマホから天気予報を見た。

まぁわかっていたことだが、今日は1日メチャメチャ快晴だ。

 

笑いが止まらない。

快晴の阿蘇を走るため、昨日はわざわざ九州の海岸線一周を途中で中断し、急遽内陸のここまで来たのだからな。

 

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夜明けの阿蘇3

外に出てみた。かなりヒンヤリする。さすが阿蘇だ。

数日前に宮崎県で車中泊したときは「熱中症になりかねないな」って思うほどの暑さだったが、昨夜はとても快適に寝れたしな。

 

着替えたりトイレ行ったりしているうちに、みるみる空は明るくなる。

5:40でこんな感じだ。

「山が焼けている」みたいな感じだ。

 

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夜明けの阿蘇4

遠くにキャンピングカーが1台だけいた。

車中泊仲間だ。

 

あっちの人は起きているのだろうか?

勝手にあっちの人と感動を分かち合った気分になった。

 

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夜明けの阿蘇5

太陽が生まれるのは、あのあたりからだろうか?

目星をつけておく。

 

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夜明けの阿蘇6

道の駅の24時間トイレの向こう側は、阿蘇雄大な山々を一望するウッドデッキが広がっていた。

明るくなって初めて気付いた。最高のパノラマだ。

 

ボクシングのシャドーをしている人がいた。

99%、彼はボクサーではない。

僕に見られて少し恥ずかしそうであったが、僕は彼がシャドーをする気持ちがわかる。

男性はテンションが上がるとシャドーをする習性があるのだ。

 

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夜明けの阿蘇7

ちなみに僕は、ここで歯磨きしたね。

最高じゃないか。

車中泊ならではのイベントだ。

 

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夜明けの阿蘇8

ウッドデッキにて歯を磨き終え、愛車のもとに帰ろうとする頃には、もうかなり空は明るくなってきた。

 

あと、拡大しないと見えづらいと思うが、向こうの方に牛の親子のオブジェがいる。

これも明るくなって今気づいた。

さぁ、急ごう。

朝日が昇る前にやることがある。

 

僕はアルポットを使ってコーヒーを淹れる。

モーニングコーヒーだ。

コーヒーを飲みながら朝日を迎えるのだ。

 

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夜明けの阿蘇9

 

6:13、日の出。

 

 

ギリギリでコーヒーも間に合った!!

朝日にカンパイだ!

世界一おいしいコーヒーだ。車中泊して飲むコーヒーに勝るものはない。

 

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夜明けの阿蘇10

ヤバいだろ、これ。

 

これからあの山を越えていくんだぜ。

今が人生のピークとしか思えない。

 

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夜明けの阿蘇11

赤牛の親子のオブジェも、朝日を浴びてより赤く見える。

世界はキラキラだ。

残りのコーヒーを飲みほした。

行くぜ。愛車のパオ、エンジン点火。

 

 

最高の1日が始まる

 

6:28、僕は走り出した。

高原の空気は棲み、テンションはMAXであった。

 

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最高の阿蘇へ1

自分自身の寝床の方が確実に3K要素が低いのに、なぜ人は秘密基地に憧れるのか。

 

  • 自分だけの空間が欲しい
  • 自分の手で、自分らしさを求めたい
  • 不自由の中に創意工夫の楽しさを見出したい
  • 外の環境をより身近に感じたい
  • 非日常を求めたい
  • 普段とは違うワクワクが欲しい

 

車中泊には、それが全部ある。 

 

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最高の阿蘇へ2

今回、寝る場所を見つけられなかったり、お風呂に困ったりした。

 

そんなのは全然いい。

数日経って振り返れば、むしろいい思い出だ。

「何かをがんばったこと」っていうのは、忘れられない思い出になるのだ。

 

家にいたら「どこで寝ようか?」とか「お風呂はどこだ?」ってならないでしょ?

そんないつもであれば当たり前の環境を、知らない土地で自分1人で見つけるのだ。

これをワクワクを言わずに何と言う?

 

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最高の阿蘇へ3

そして、朝起きればスペシャルなご褒美だ。

 

まだホテルに泊まっている人は寝ているかもしれない。

そんな時間に僕はもう、走り出している。

1日がとても長い。

 

そして、今日どこで夕食を食べるか・どこでお風呂に入るか・どこで寝るか。

そんなことは全部決まっていない。

 

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最高の阿蘇へ4

自由なのだ。

 

九州一周をする人はたくさんいるだろう。

阿蘇を走る人もたくさにるだろう。

 

だけどもこの物語は、あなたが主人公であり、あなた1人だけのものなのだ。

 

 

僕は愛車日産パオのアクセルを踏んだ。

 

行こう、阿蘇へ。

最高の1日へ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 道の駅 あそ望の郷くぎの
  • 住所: 熊本県阿蘇郡阿蘇村大字久石2807
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 店舗により異なる