山には2種類がある。
1つは、人間が土とかを盛って作った山だ。
もう1つは、絶えず地殻変動を繰り返す地球の歴史が生み出した自然の山だ。
どちらも山であり、ホンモノとかニセモノというのはない。
然るべき条件さえ満たせば、「国土地理院」に正式に山として認定されるのだから。
だが、我々の心象風景の中にあるのは、自然の山の方なのではないだろうか。
自然の山は、心の故郷だ。
さてさて、今回はそんな中でも極小の自然の山を探す物語である。
名前を「弁天山」という。
容姿端麗
持論だが、登山とは「人間VS自然」との闘いであり、ぶつかり合いだと思っている。
人間にとっては、自然は驚異だ。
そんな山を自分の足で克服することで、満足感を得たり、改めて畏敬の念を抱いたりするんだと思っている。
そういう意味で、山に登るなら自然の山を選びたい。
でも、僕は根性無しなので低めの自然の山を選びたい。
ところで、これが僕が今まで訪問した「日本一低い山」だ。
日本一低い山とは、様々な定義から複数存在している。
何がホンモノで何がウソだ、とかではなく、いろいろあって全部正しいと僕は思っている。
詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。
僕は、この山を5回か6回ほど訪問している。
それだけ好きなのだ。
場所は徳島市の中心から少し南に行った田園地帯にある。
ちょっと道がわかりづらく、カーナビの無い車で行くときには不安で周囲をキョロキョロしながら進んでいく。
唐突に夕暮れで申し訳ない。
これから登山する人が撮影する時間帯の写真としては似つかわしくないが、こんな中を不安になりながら進んだこともある。
確か、「早くしないと暗くなるー!その前に山を見つけて登らねば!」って焦っていた。
そして、弁天山に到着だ。
僕はいろんな日本一低い山を見てきた。
一目見て笑ってしまうような山もあった。
しかしこの山は違う。
「美しい…!」って思った。
それはなぜか。
僕の心の中で無意識に定義づけられている山の条件を軒並み満たしていたからだろう。
1つ目は、周囲に対してこんもりしている。
前述の通り、周囲は入らな田園地帯だ。低いとはいえ、モリッとしていてインパクトがある。
2つ目は、緑に覆われている。
まぁ岩でも土でもいいのだが、緑が一番好きだ。
ちなみにコンクリートなどの人工物で覆われてしまうと、ありがたみが減るように感じる。
3つ目は、神聖である。
それは登山口に鳥居があることで一目瞭然だ。人々から敬い慕われているのだ。
万物に八百万の神が宿ると考える我々日本人にとって、山も神なのだ。鳥居、グッジョブなのだ。
小さくても山だ。そう強く感じた。
山をギューッと圧縮して、いらないところを全部省略して、"山らしさ"だけを残した山。
例えると、日本庭園における池だとか、テラリウムだとか、そんな感じだ。
アイデンティティの濃縮だ。
小さな小さなコーヒーカップに注がれたエスプレッソのような感覚だ。
夕暮れ時の弁天山も、また美しい。
シルエットが際立ち、そして鳥居の上にある街灯は、神が降臨しているかのように感じてしまった。
晩秋に訪問した際には、コスモスと一緒に撮影してみた。
弁天山が、よりチャーミングに映った。
似たような写真ばかりで恐縮だが、大体全部別々の訪問だ。
毎回テンションMAXで同じような構図の写真を撮ってしまうのだが、弁天山に敬意を表してズラズラと並べて掲載してみた。好き。
爆速登山
登山だ。来たからには登る。
ただ、その前に少しだけ周囲を観察しよう。
登山をする前には、地図を見てルートを考えたり、麓から登山路や山頂を見える範囲で確認したり、現地の看板や注意書きを読むのがいい。
低い山とてそれは同じだ。
まずは登山口に向かって右手の麓。
『日本一低い山 弁天山』の看板がある。
続けて、『国土地理院認定 標高六・一メートル』の文字。
詳細は次の項目で補足したいが、とりあえず事実として標高は6.1mなのだ。
ちなみに哺乳類で一番体高があるのはキリンだが、大型のものはおよそ6mある。
キリンサイズの山だ。
ちなみに山のこっち側は断崖だった。
岩山が見上げるように聳えている。
6mでこの貫禄はなかなかだ。ナメてはいけない。
少し引いて撮影しよう。
改めて見ると、登山に必要な情報が全部入っている。
実はこの山、未だかつて遭難者が出たことがないらしいが、それも納得の「見える化」をバッチリ推進している。
じゃ、いいか?登るぞ。
最初はスロープだ。
登山路はちゃんと舗装されているし、滑り止めもあるのでスロープでも安心だ。
手すりまであって、ありがたい。
奥の方に見えているが、5合目くらいからは階段だ。
そして暗がりで見えにくいが、この先登山路は大きく右にカーブする。
そいて右に曲がれば、山頂の社と記帳所がもう目の前だ。
おめでとう。あなたは今、山頂に立っている。
ダッシュで登山した際の登頂時間は5.6秒であった。
練習すればもっとタイムを縮められると思うが、まぁこんなもんだろう。
自然を相手に無理をし過ぎてはいけない。
あと、かなり時間の遅い登山で周囲は暗がりだったが、安全に山頂に立てた。
最後まで舗装されていたし、道も一本で迷いようがなかった。
初心者向けの山だと感じだ。
一度下山し、もう一度登ったが、疲れはほとんど感じなかった。
だが、喜びは2回分になった。お得だ。
この喜びを、何かに残したい。
どっかにしたためたい。
記帳所がすぐ隣にある。
僻地の岬や個性的なお店にある"思い出ノート"みたいのとは違い、あくまでここは神社だから記帳所なのだね。
ちょっと緊張しつつ、木の扉を開けてみた。
いい感じに古びた空間がそこにあった。
缶のボックスに入っているのは、「弁天山登頂記念記帳」と書かれたノート。
細い紐で製本しており、とても味わい深い。
縦書きだった。みんな達筆だ。
僕の字が一番ヘタクソだったが、まぁいい。大事なのは気持ちなのだから。
木々が生い茂ってあまり展望はよろしくない山頂であった。
しかし、僕はその茂みの中で、確かな満足感を噛みしめた。
低山誕生
弁天山はどうやってできたのであろうか?
冒頭から自然の山だと連呼してきたが、その成り立ちを知りたい。
そこで、Wikipediaさんだとか弁天山の公式Webサイトから、お知恵を拝借した。
すると、平安時代末期ごろはここは海だったらしい。
弁天山は当時から存在してらしく、そのころは海の中にポツンと浮かぶ小島だったようだ。
それが、室町時代には水が引いて湿地帯の中の小山となったのだ。
周囲は開発されて水田になったそうだ。
もともと海だった山だから、海の神様である「市杵島姫命(イチキシマノヒメノミコト)」を祀った。
市杵島姫命は、後世の神仏習合では「弁財天」になるんだよね、確か。
だから弁天山か。
そして弁財天繋がりで、「厳島神社」を勧請することとなったのだな。
この山のすぐ北側は、江戸時代は土佐街道と呼ばれていたらしい。
街道を行き来する人にとって、この弁天山は人気スポットだったのだそうだ。
自然の中で生まれ、神を祀り、古来から人々に慕われてきた山。
すごいじゃないか。
こんなに小さな山なのに、その価値の大きさよ。
先ほどの写真を再掲しよう。
『日本一低い山 弁天山 国土地理院認定 標高六・一メートル』
実は、単純に「日本一低い山」を名乗っている山であれば、もっと低い山がある。
秋田県の「大潟富士」だ。
そして、国土地理院に認定されている山であっても、この弁天山より低い山がある。
しかしだ。
自然の山で、かつ国土地理院認定という定義では、弁天山が一番低い。
これは紛れもない事実だ。
弁天山の公式Webサイトからの文を1つ引用させていただきたい。
日本国内には他に、低い山(日本低山一覧表)2ヶ所ありますが、いずれも江戸時代に人工で造成した山であり、自然で古来よりある山では、弁天山(国土地理院認定)が日本一低い山となります。
(引用元:弁天山 公式Webサイト)
この2つとは、前述の日和山と大阪の「天保山」を指していると思われる。
だが、『自然で古来よりある山』の部分に譲れない誇り、そして神を祀ってきたことによる誇り を感じた。
僕も同じだ。
この山を改めて振り返り、なんだか誇り高く感じた。
きっとだからなのだろう。
日本一低い山シリーズの中で、この弁天山が一番好きだし、最多訪問回数なのだ。
次はあっち方面に走ろうか。
さようなら、日本一低い山よ。
これからも、人々に愛される山であり続けてほしい。
アクセルを踏むと、すぐに弁天山は暗闇に溶け込んで見えなくなった。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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