ドラゴンクエストでもなんでもいい。
ゲームの中のフィールドは、どれもとても複雑である。
地下のダンジョンであろうと、天高く聳える塔であろうと、小船で攻略する運河だろうと。
そりゃそうだ。
ゲームプレイヤーを迷わせるため、あえて造りを複雑にし、難易度の高いラビリンスとしているのである。
ドラクエⅡの「ロンダルキアへの洞窟」、ファイナルファンタジーⅢの「クリスタルの塔」などは、ゲーム史に残るプレイヤー泣かせの鬼畜ダンジョンである。
ただし、現実にはそんな複雑な造りの迷宮なんてあるワケが…。
あるワケが…。
「水郷柳川」。
福岡県にあった。
これこそ、日本の誇る水路タイプのリアル鬼畜ダンジョンである。
柳川に馳せる想い
その町のアイデンティティはGoogleマップを使って上空から見ると一目瞭然だ。
見てくれ、この大地のヒビ割れのように縦横無尽に描かれている青い線を。
全部水路なんだぜ。
このエリア一体、水と共に生活していると言えるだろう。
少し地図を拡大してみる。
そうすると、さっきの縮尺では描ききれなかった細かい水路が登場する。
こうやって見ると道路より水路の方が多いよな。
東京下町のこまごました道路が続いているエリア、その道路が全部川になったとイメージしてもよいのではないだろうか?
さらに拡大してみた。
水路が自由にのたうつように伸びているのが目の当たりにされる。
今でこそ、道路はしっかり舗装されて随所に橋が架かっている。
でも、100年前とかそれ以前とか、車も走っていない時代はどうだったのだろう?
きっと橋も少なかったのだろう。
そんな時代は、果たして陸路が便利なのか船が便利なのか。
…そういう世界にもなりかねない。
ただ、陸にしても水路にしても、きっと複雑極まりない迷路だったのであろう。
そんなことを想像するだけで、僕はワクワクしてしまうのだ。
*-*-*-*-*-*-*
初めて僕が柳川の町を訪れたのは、日本2周目の頃であった。
日本1周目ではもっと内陸を走っており、柳川市には足を踏み入れなかったのだ。
ただ、日本2周目訪問時のコンディションはズタボロであった。
長崎県の最南部にて「軍艦島」をバックとした夕暮れを眺め、長崎市の市街地で「稲佐山」の夜景を眺め、そして有明海沿いにここまでやってきた。
当然もう夜遅い。22時を回った。
僕はヘトヘトに疲れていた。
カーナビも無い車であったが、闇夜に浮かぶ看板から水路がすぐ近くにあると知った。
車を停め、カメラ片手に小走りで辺りを巡ってみた。
当然夜なので町は静まり返っている。
「いずれ機会があったら水路を見ながらのんびりと散歩とかしてみたいなぁ。」
…当時の手記にはそう記されている。
わずか数分。柳川を少しだけ感じられた時間であった。
初めての水路散策
日本3周目、2月下旬。
冬ではあるが、九州には早くも春の気配が漂い始めた、暖かい日であった。
付近の山間部にて、車内の自炊スペースでお好み焼きを作って食べた僕は、「よしっ今度こそ柳川に行くぞ」と勢い付いた。
とりあえず柳川の町に入ったのだが、どこを拠点に散策すべきか迷う。
たぶん周囲360度どこも水路なのだが、逆にその情報量の多さが僕を戸惑わせる。
そして天気のいい週末とあって交通量が多く、僕はオドオドしっぱなしでハンドルを握っていた。
花粉飛びすぎで鼻水出まくり、ちょうどティッシュがなくなって困っていたので、コンビニに入り、ティッシュ購入がてら道を尋ねてみた。
店員のおばちゃん曰く、「今の時期はまだちょっと早いねぇ。もう少し先だったら雛祭りイベントでの舟下りがあるし、花も咲き始めるんだけどねぇ。」とのこと。
でも僕は水路を見ながら散歩をしたいので、イベントうんぬんは気にしないですと言い、観光客用駐車場の場所を聞き、パンフも何種類かもらった。
ありがとう、行きずりのコンビニ。
あぁ、柳川!
初めて明るい状態で見ることができた…!
ちなみにコンビニのおばちゃんはオフシーズンって言ってたけど、駐車場はすごい観光バスが来ていたし、一般車も多かった。
休日だったりシーズンだったりしたら車を停められなかったよ、きっと。
これが柳川の人気か。スゲー。
いやーホントに水路だらけなんだね。
自分の足で歩くと実感する。
町中の川なんてどこの町にでもあるし見慣れているけど、ここのは川と違って直角に
曲がったり、いろいろ分岐したり合流したりと変則的だ。
それが天然由来の「川」と人工的な「水路」の違いなのだろう。
そしてあくまで僕の体感だけども、上流とか下流みたいな明確な傾斜が無いんだね。
つまり流れをほとんど感じさせない。
だから穏やかな水路に囲まれた街ってカンジ。
水路に沿って、地元の人が散歩しているコースみたいなところを選んで歩く。
うん、ここがどこだかよくわからんが、この辺りは観光客が少なくていいや。
人の流れを見る限り、たぶん観光客の多くは「北原白秋生家・記念館」のほうに歩いている。
そりゃ僕も白秋さんは尊敬しているけどね、今回の目的は白秋さんではない。
だから反対方向に行くのだ。
ところどころで見かける小舟がまた絵になる。
のんびりとしたお散歩で気持ちがいい。
水の流れと時間の流れが比例しているかのようだ。
そしてそれに僕自身もリンクするよう、ゆっくりゆっくりと町を満喫する。
カメラにパノラマ機能が無かったので、強引に3枚の写真をくっつけた。
しかしそれでも、この水路の広がりをあなたにお伝えするのは困難であろうな…。
ホント、歩けども歩けども、水路が広がっていたのだ。
こんな景観、日本でここだけではないだろうか。
ポカポカ暖かい、春を感じさせる散歩であった。
「これで花粉さえ飛んでいなければ最高なのにな…。」
僕はそう呟き、さっき買ったティッシュで盛大に鼻をかんだ。
夕闇の水路の静けさよ
「うおぉ、急げ急げ!もう日が暮れるぞ!!」
僕は車から転がり落ちるようにして柳川に降り立った。
時代はしばらく流れ、日本5周目、5月の19:00直前のことであった。
柳川の川下りの案内看板を見つけたので、そこに沿って出てきた駐車場に飛び込んだ。
ここがどこだかよくわからないが、そんなのを確かめているうちに真っ暗になってしまう。
とりあえずここから水路散策ができそうなので、それでよいのだ。
さぁ、行こう。
…この光景、なんとなくデジャブを感じるな…。
「白秋道路」っていう遊歩道を川に沿って歩く。
北原白秋の中学校時代の通学路だそうで、真横の川は川下りコースでもある。
さらには「日本の道路百選」にも選ばれているのだそうだ。
ここでさっき感じたデジャブに確信を持った。
あ、ここ、来たことあるよ…。
結構昔、日本3周目のときのこと。確かにここを歩いた。
記憶のピースがカッチリとはまった。
いろんなところを旅しすぎて情報が錯綜するが、たまーにこうやって忘れかけていた思い出が蘇ることがある。
日本何周もしていると。それがまたいい。
こんな公園みたいに綺麗には整備されていなかったけどな。綺麗になったな。
微妙な変化に気付けたり、気付けなかったり。
はたまた帰宅後に写真を見比べて気付いたり。
そういう楽しみがある。
思い起こせば、さっきの駐車場も前回使ったところだ。
もう夕暮れなので車がガラガラすぎて2台しかおらず、一緒の場所とはすぐには気付けなかったけど。
記念に、前回とほぼ同じ場所で自撮りしておいた。
そしてあの頃の道を思い出しながら、同じコースを歩いた。
もう観光客のいなくなった遊歩道を夕涼みしながら歩くのも楽しい。
ときどき小魚が「パシャッ」って飛び跳ねていた。
物音と言えば、それくらいであった。
柳川は水が無い町
柳川水郷の水路は、延長930㎞もあるそうだ。
すごい。東京から福岡くらいある。
じゃあなんで、こんなにも水路が発達したのだろう?
意外かもしれないが、かつての柳川は水不足ですごく困っていた。
いや、海水ならあるよ。有明海が目の前だから。無いのは真水だ。
柳川は標高が低い湿地帯。
有明海は日本一干満の差が激しい海。
つまり満潮時には海が陸地まで逆流してしまい、町の中の川も池も海水とブレンドしてしまう。
飲めないし農業にも使えない。
そんなこんなで、柳川の人たちは2000年くらい前からずーっと困っていた。
その対策が掘割(ほりわり)という設備だ。
ここいらは話すとなかなかに長くなってしまうのだが、土を掘って溝を作る。
掘った土は陸地になる。
掘られた溝は雨水をため込んだりして真水として利用ができる。
また、あるときは海から逆流してきた水をため込んで、町を守る。
昔からいろいろ考えられ、少しずつ作られて現代のかたちになったのだそうだ。
柳川のお城のお堀として活躍したり、人々が舟で行き来するなど生活ルートになったりしたのだが、それは二次活用的なものなのだね。
今では観光中心であり、どんこ舟という各写真でも掲載した手漕ぎの小舟で、ゆっくりと水路観光ができる。
ギリギリで橋の下をくぐったり、水上店舗があったりと、調べてみるととても楽しそうだ。
僕は少し散策しただけであり、うまく写真を取れた気もしていない。
ぜひ気になったらあなた自身でWeb検索したり、あるいは現地訪問してみてほしい。
僕もいつかは観光用のどんこ舟に乗ってみたい。
きっと生活の数だけ水路がある。
きっと伝えきれない過去からの思いがある。
だからこそ、僕はもっともっと柳川を知りたいと思うのだ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
住所・スポット情報
- 名称: 水郷柳川
- 住所: 福岡県柳川市三橋町下百町1-6
- 料金: 散策だけなら無料
- 駐車場: 観光駐車場が各所にあり
- 時間: 散策だけなら特になし