紫電改(しでんかい)という名前の戦闘機が、昔存在したようだ。
太平洋戦争の末期に開発されたものの、400機程度しか生産されなかった、幻の戦闘機と言われている。
そして、2022年現在それが現存するのはわずか4機であり、うち3機は海外にある。
わずか1機のみしか、国内に存在しないのだ。
その唯一の機体を、僕は愛媛県まで2回ほど見に行った。
1945年8月15日、終戦の日から77年が経過した。
ボケッとしている間に終戦記念日を1週間も過ぎてしまったが、この折に書こう。
戦争の記憶を現在まで受け継いでいる、紫電改のことを。
…あと、まぁ恥ずかしながらいろいろ予定通りに行かなかった行程なので、その枝葉の部分の話を。
タイムリミットは17時
紫電改は、当然のことながら厳重に屋内に保管されている。
その施設のことを「紫電改展示館」という。
僕は日本6周目において、久々にその紫電改展示館に向かおうとしていた。
紫電改展示館は17:00閉館である。
「ヤバいな」って思ったのは、その1時間前の16:00のことだ。
この直前まで、高知県の「竜串海中公園」で遊んでいた。
出発時にカーナビに紫電改展示館と登録したら、1時間7分かかると表示された。
次に僕は紫電改展示館の閉館時間を調べたのだ。
17:00だ。
現時刻の16:00に1時間7分を足してみた。
17:07だ。
間に合わない。
そういう経緯で、「ヤバいな」って思った。
僕は油断していたのだ。
「資料館などは18:00くらいまでは営業しているだろう。今は1年の中でも日が長い時期。まさか17:00に閉館ということはないだろう。」、そう思っていたのだ。
このあとなんやかんやありつつも、16:59である。
まだ到着していない。すなわち間に合わない。
だが、あとちょっと。あと1・2kmで紫電改展示館。
このときも僕は油断していた。
「確かに17:00閉館とは書いてあったよ。だけどもね、祝日だし日の長い時期だもん。実はもうちょっと営業している可能性も高いよね。もしそうじゃなくて閉館準備していたとしても、受付やドア付近にまだスタッフさんいるよね?『あれ!もう終わりですか!一瞬だけ中を見せてもらうこと出来ないですか?』って聞けば、きっと入らせてくれるよね。」
…そんな妄想をしていた。
17:02。
僕は紫電改展示館の駐車場に滑り込んだ。
展示館の入口は駐車場からは見えないが、ここから見てすぐ裏手だ。
歩いて30秒もかからない。
さて、閉館時間を2分ほど過ぎてしまったが、まだ開いているはずだよな。
ボーナスタイム、用意してくれているよな。
入口に回り込んだ。
ドアは閉まっている。
ただ、ドアには「引く」と書かれている。
つまりはドアが閉まっている状態がデフォルトであり、客は入る際に自身でドアを開け閉めするのだ。
まだ結果はわからないぜ。
ドアは開くのか開かないのか。
僕はドアに小走りで近寄る。
そしてドアノブに手を伸ばす…。
あなたは「入れてなかったらこの記事を執筆できないじゃない。ドアは開いていて入れたに決まっているでしょ。」と、メタ的な考えをしていることであろう。
賢い人よ、あなたのその考え方、僕は嫌いじゃないぜ。
だけどもこのときの僕と一緒に、もうちょっとドキドキしてほしいんだぜ。
さぁ、Dead or Alive ??
D e a d。
ドア、ピクリともしませんでした。
終わった。
海中から引き揚げられた紫電改
さて、本当にこれだけでは話が終わってしまう。
そうならないのには、ワケがある。
察しのいいあなたなら気付いたハズだ。
この資料館の入口がガラスであったことを。
はい、ガラス越しに撮影ができた。
パッと見、ガラスを通さず見ているように撮影できただろう。
実際の僕の肉眼にはガラスがジャマであったが、とりあえずこの写真が撮れて満足だ。
もちろん、実際に入っていろんな角度から眺めたかったけどさ。
あと3分早く来て、そして2分あればそれができたのに。
遠くでチラチラとスタッフさんが動く姿が見えた。
だが、ガラスドアを叩きながら「おーいおーい、入れてくれー!」と交渉するほど無礼な人間ではないので止めておいた。
紫電改を簡単にご紹介する。
簡単に想像できる通り、これは紫電という戦闘機の改良型だ。
攻撃力とそこそこの機動力にステータスを全振りし、守備については紙装甲レベルのものだ。
だからちょっと攻撃食らっただけで優秀なパイロット死亡。
しかも急降下が苦手という残念なステータスがあったので、それがバレてからはボコられまくり。
そんなこんなで戦争もジワジワ劣勢になり、パイロットも資源も少なくなり…。
もちろんこのあたりもいろいろあるんだけど、とりあえず全部省略。
とりあえず零戦に代わる戦闘機を開発しなくちゃいけない状態であった。
紫電という戦闘機が産声を上げた。
だけどもこの紫電、テスト段階で割りとポンコツだったので、「ちょっと計画を振り出しに戻そうかね」みたいな事態になった。
改良を加え、生まれたのが紫電改。
1945年の終戦の年になってようやく生産開始の目途が立ったそうだ。
"遅すぎた零戦の後継機"というニックネームもある。
これはなかなかの高性能だったそうだ。
後世での評価も高い。
当時の日本は勢いづいて「よっしゃ、1万機作るぞ!」ってなったけど、実際に生産されたのはわずか400機ほどであった。
もう戦争末期で空襲もひどく、工場も人でもカツカツだったのだ。
そして終戦になったし。
はい、紫電改の後ろ姿だ。
なんでこんな写真があるのかというと、かつて日本4周目で訪問したからだ。
当時の僕のコンディションが悪かったのか、手ブレ写真が多いのが特徴だ。
さて、紫電改は冒頭で書いた通り世界中で4機のみ現存している。
うち3機はアメリカだ。わりと綺麗な状態で保管されている。
だが、唯一日本で展示されているこの機体は、ちょっとボロボロだ。
プロペラも90度近く曲がっている。
この機体は、終戦1ヶ月弱前の1945年7月24日に20機で出発し、愛媛県沖で200機のアメリカ軍と闘ったそうだ。
20機中、6機が帰って来れなかった。
その後長い年月が経過し、1978年に海底でこれが発見され、およそ34年ぶりに引き揚げられて空気を吸うこととなったのだ。
機内にはパイロットの人が所持していた写真が残されていたらしい。
その他の飛行機に残っていたものと一緒に、ここに展示されている。
海からの引き上げ光景の写真パネルも掲示されていた。
日本4周目で館内に入れたときの僕は、これらを1つ1つ丁寧に見たのだ。
そりゃもう、重い気持ちになった。
南レク馬瀬山公園を歩く
紫電改展示館があるのは、「南レク馬瀬山公園」という名前の広い公園内だ。
日本6周目の際には、ギリギリで入館できなかったので、失意の中でこの馬瀬山公園を散歩したのだ。
日本4周目のときにも散歩したけどさ。
紫電改展示館と一緒に観光する可能性の高いスポットなので、ここでご紹介しよう。
紫電改展示館からさらに先に歩くと、高いタワーが見えてくる。
「宇和海展望タワー」という絶景展望台らしい。
上の写真の左に映っているパネルにも紹介が書いてあるのだが、ここの目玉だ。
ただし、もう休業してから久しい。
久しいのに、2022年現在もデカデカとパネルが立てられている。
1977年完成の、昭和レトロなタワー。高さは110mもある。
回転式の展望台で、上のほうに映っている展望フロアがグルグル回りながら上下していたとのことだ。
昭和時代って、そういう開店する展望台やレストランがチラホラあったイメージだ。
ただ、ギミック複雑だから強度もないだろうし、老朽化も早そうだけどね。
僕自身、そういう回転系の展望台は一度も行ったことなかったと思う。
実際ここも耐震強度が無いと判定され、2019年から休業しているのだ。
2022年現在、再開の予定はない。
中途半端なところで泊っている展望フロア。
宙に浮かぶ廃墟。
すごくレトロなデザインだが、まだ休業から3年なので内部は綺麗だろう。
これが20年先もこのまま放置されていたら…、すごく僕好みの廃墟になっているだろうな。
さらにその先には「南レクこども動物園」というのがあった。
ただしここも入口が閉ざされている。
鳥インフルエンザ対策で休園していた。
コロナ影響かなって思ったけど、そうじゃなかった。
どうやらこの動物園は小規模で、動物のほとんどが鳥だったとのこと。
あとは少しだけリスザルがいたのだが、今はもういないらしい。
なるほど、100%鳥類。鳥インフルエンザ怖いね。
そして、生きている施設が少なくて心配になるな。
これだけ広大な敷地に僕しかいないし。
東屋のある展望台があった。
そして1人だけ人間がいた。
あの人は、僕の少し後に車でやって来て、そして僕と同様に残念そうに紫電改展示館の入口を覗いていた人だ。
同志ではあるが、傷のなめ合いは性に合わない。だからこちらからは話しかけない。
なかなかいい眺めだ。
もちろん宇和海展望タワーに登ればさらにいい景色だっただろうが、ひとまずここからでも充分満足できる光景である。
細く伸びた半島の開眼に沿って、小さな漁港と集落が見えた。
その少し沖には、穏やかな海に点々と養殖イカダが浮いているのが見えた。
…平和だ。
紫電改に搭乗してアメリカ軍を迎撃するために飛び立ったパイロットは、最後にこの光景を見たのだろうか?
この平和を守ろうと飛び立ったのだろうか?
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戦争から77年経ち、当時のことを知る人も随分少なくなってきた。
しかし、語り継いで忘れちゃいけない記憶だと思う。
小さい頃、母方のじいちゃんが兵隊だったときの様々なグッズを見せてくれたのが、今もしっかりと記憶に残っている。
とても貴重な体験であったと、大人になった今に振り返って、改めてそう思う。
どの国がいいとか悪いとか、そういうことはさておき、戦争でしか物事を解決できないって野蛮で原始的だよね。
ロシアもウクライナもいろいろ事情はあるだろうけど、戦争は悲劇ばかりを生み出すし、犠牲になるのはいつも一般市民だよね。
戦争を知り、平和を愛し、そのありがたみを未来に伝えていきたい。
そんな高尚なことを一瞬考えつつも、次に気になるのは夕食を食べられるお店と入浴施設の閉店・閉館時間なのだ。
さぁ、再び走り出そう。ご飯とお風呂のある未来へ。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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