能登半島。
それは日本有数の握りやすい形状の半島だ。
その先端にある岬の名は「禄剛崎(ろっこうさき)」という。
岬好きであれば抑えておきたいスポットだ。
さらにさらに、この岬には驚きのポテンシャルがある。
それは、ここが日本列島の中心にあたるという点だ。
なんとなんと!
半島の先端なのに日本の中心??
そんな相反する特性を併せ持つことができるのか?
遥か昔に初めて「やわらか戦車」という単語を聞いたときの気持ちを思い出した。
これは我が目で見ておかねばならない!
行こうぜ、禄剛崎!!
最果ての地、狼煙(のろし)の集落から
僕は禄剛崎には足しげく通っている。
全部の写真を放出したらえらいことになってしまうので、今回は日本3周目から6周目に訪問したときの写真を少しずつご紹介するつもりだ。
『さいはての地 狼煙』。
狼煙と書いて"のろし"と読む。なんてカッコいい漢字だろう。
明朝体が似合う。
書道の先生がデカい筆でパワフルに書くのが似合う。そんな狼煙の集落。
今僕は、「道の駅 狼煙」に来ている。
能登半島先端にある道の駅であり、まさに最果てということだ。
禄剛崎の灯台があるポイントまでは、ここから徒歩で約10分ほどだ。
車道はないので、ここに車を置いて行くことにする。
ちなみに灯台は海を見下ろす高台にあり、その高台とは上の写真に写っている奥の丘を指す。
まぁ大した高さではないのだが、運動不足の僕には地味にキツい道だ。
何度も訪問した地なのに、なぜか坂道の一番キツいところの写真が無い。
展望ゼロで写真映えしないっていう理由もあるだろうが、単に登るのがツラくてカメラを構える余裕が無かったというのもあるのかもしれない。
いずれにしても、5分も歩けば気持ちのいい空が頭上に展開される。
控えめに咲くコスモス、いいな。これは10月のときの写真だ。
周囲の木々は桜だと思う。
この写真を撮ったとき、能登半島の南部はピンク色に包まれていたが、禄剛崎はまだツボミの状態であった。
桜の時期のこの岬も、歩いてみたかったな…。
丘の上は広大な空間だ。
すんごい綺麗に整備されていて台地状になっている。
この写真を撮るまでの間に、トイレがあったりオブジェがいくつかあったりしたが、ちょっとそれらについては後回しだ。
まずは最奥にある灯台の話をしたい。
この灯台の持つ日本唯一のステータス
それは"日本の灯台50選"にもエントリーされているエリート灯台なのである。
なぜか僕はこの角度からの撮影が好きらしく、この構図の写真で禄剛崎フォルダがあふれ返っていた。
『能登半島最先端』と書かれているのがいいよね。
端っこ好きにとってはたまらないフレーズよ。
ところで、目ざといあなたであれば気付いてしまったかもしれない。
一番冒頭でご紹介した写真と上の写真で、表記されている文言が異なることを。
はい、冒頭の写真を再掲した。
こちらには『能登半島最北端』と書かれている。
この写真は、僕が日本3周目をしているときに撮影したものだ。今回掲載する写真の中では最も古いものだ。
さて、『最北端』が『最先端』になった理由ってなんだろう??
答えは割とシンプルだ。
最北端ではないからだ。
上のGoogleマップを見てほしい。
しばらく西に行ったところにピョコッと北に突き出した小さな岬がある。
この岬は先端まで行けなくって景勝地でも何でもないんだけど、「シャク崎」っていって、こここそが能登半島の最北端だ。
この事実に気付いて、標柱の老朽化による建て替えのタイミングで表記変更したのではないかと推測している。
はい、これが直近の日本6周目の時の写真だ。
確かに最先端。
ただ僕は、この写真を見返していて気付かなくっていいところに気付いてしまったかもしれない。
上の写真の右端にチラッと写っている説明板を拡大してみよう。
『最北端』って書いてあるーー!!
この説明板、かなり前からあるのだ。さっき掲載した日本3周目の頃にも同じものがある。
だから表記が古いのだな。
そしてもうボロボロだ。近いうちに差し替えられるかもしれない。
その際には『最北端』ではなく『最先端』になってしまうだろう。
禄剛崎が最北端だった時代を記録に残しておきたい人は、急いだほうがいいかもしれない。
実はこの石のタイルの先には幅広の下り階段があり、その先に灯台がある。
残念ながら階段そのものの写真は手元に1枚も無かったけど。
なんか映画の中で"ロッキー"が駆け上ってから「うおー!」とか叫ぶ階段みたいなヤツが、ここにあるのだ。
僕はそんなことしないが、あなたはぜひやってみると良い。
芝生に建つ、ずんぐりしたかわいい灯台。
もともと高台にあるから、灯台そのもの高さは不要だったのだろう。
それでも、建造された明治時代は灯台のための石材を船で運んできて、この先の48mもある崖の下からロープを使って引っ張り上げるという難工事だったそうだ。
さて、この灯台には全国唯一という、すごい特徴がある。
それがわかるのは、この角度からの写真だ。
そしてすまない、僕はそれを意識して撮影したことが無いので、結果的に明示できるような高解像度の写真がないのだが…。
写真中央の黒いプレートの最上部。
実はここに菊の御紋が刻まれている。
なぜ日本の象徴である菊の紋章がここにあるのか。
これまでの灯台って、全部灯台先進国である外国人の人が作ってくれていた。
しかし明治16年(1883年)、初めて日本人の手で洋式灯台を建てたのだ。
設計はイギリス人技師であるが、建てたのは日本人だ。
偉大なる国家プロジェクトであった。
その記念に菊を刻んだのだ。
それから140年。
とても歴史的価値のある灯台だ。
日本に23基しかない、Aランク灯台の1つでもあるのだ。
そりゃロッキーさんも咆えますって。
ここはなぜ日本列島の中心なのか?
ドラえもんおばさん
灯台に至る直前、綺麗に整備された台地状にいくつかのオブジェがあるのだが、その中でもインパクトの大きいものがある。
『日本列島ここが中心』
「マジかよ!」って思うよね。
誰もここを日本の中心だと思って訪問したりはしないだろうから、完全に意表を突かれた気持ちになるだろう。
心臓に持病を抱えるおじいさんとかにいきなり見せたら危険な石碑である。
僕は事前に知っていて来たものの、それでも初回の衝撃はすごかった。
そう、ここは数ある日本の中心の1つなのだ。
あなたが「数ある!?」って顔をしているので、ご説明しよう。
実は日本の中心ってたくさんあるのだ。日本各地に30箇所くらいある。
詳細については上記リンク先の【特集】をご覧いただきたい。
それぞれ定義が異なるので、どれが正しくてどれが間違っている、とかはない。
そしてこの無数の日本の中心を全部巡ることを生き甲斐にしているのが、この僕だ。
アホでしょ。
ではなぜ、ここが日本列島の中心なのだろうか?
思い返せば、僕がこの日本列島中心の碑に興味を持ったのは日本3周目の頃であった。
その頃はね、冒頭でご紹介した道の駅もまだなかったんだよ。
ここは交流施設っていう観光案内所みたいなところで、駐車場も有料だったんだよ。灯台に行くための駐車で320円かかった。
そして、僕は駐車場の受付をやっているおばちゃんに聞いたのだ。
「丘の上に日本列島中心の碑があったんだけど、なんであそこが日本列島の中心なんですか?」って。
そしたらおばちゃんは「ニホンレットーノチューシン??」って、ロボットみたいに復習した。
僕の質問があまりに突飛だったので、日本語として理解できずにバグッてしまったのだ。申し訳ない。
僕はニホンレットーノチューシンとは日本列島の中心であることを、おばちゃんに丁寧に説明した。
この時点でもう明かだけど、おばちゃんは禄剛崎に日本列島中心の碑があることを全く知らなかった。
「どれかパンフレットに日本列島中心について書かれているかしら?」
おばちゃんはそう言い、数あるパンフレットを物色し始めた。
ドラえもんがワタワタしながら「あれでもないこれでもない」とポケットからいろんな道具をポイポイしているように、おばちゃんはパンフレットをポイポイしていた。
面白いので僕も手伝った。
しかし日本列島の中心について書かれているパンフレットはなかったのだ。
はい、なんの情報もない、ただの僕とおばちゃんのハートフルストーリーの章になってしまい、すみません。
ただしその後、僕は自力で調べた。
真相は次の章でご紹介しようぞ。
日本列島を支えるポイント
日本列島の重心点。
真相をひとことで言うのであれば、そうなる。
では、日本列島の重心点とはなんなのだろう。
日本の地図をプリンタとかで印刷してほしい。
そして出てきた紙を海岸線に沿って綺麗に切り取ってほしい。
で、この紙をたった一点でうまくバランスを取るとしたら、それはどこなのか。
そいつが日本列島の重心点の概念だ。
まぁ実際にやろうとしたら紙はペラペラすぎて折れ曲がるし、北海道・四国・九州・離島などバラバラになっちゃって無理だろうから、偉い人が机上で計算するんだけどさ。
その答えが、陸から遠く離れた富山湾の海の中だ。
日本列島の重心点は海の中だった。
これは国土地理院のお墨付きの、確かな情報なのだそうだ。
ただし、これだと観光資源にならない。どうにかしたい。
そこで考えた。
「一番近い陸地に日本列島の重心的な碑を作っちゃいませんか?」って。
それがこれなのだ。
何も由来は書いていない。
重心点の話なんて1ミクロンも書いていない。
上の日本列島の図も、重心というより円の中心に禄剛崎があるような描かれ方をしている。
その円も北海道と九州を中途半端にかすめていて、意味不明だ。
「石工業者への発注ミスか?」って思う。
よくわからない概念図だし、それ以外には「日本列島の中心」だと書いてあるのみだから、これを見た人はみんな困惑する。
…それもよかろう。
なんでもかんでも知ることが正義ではないのだ。
「不思議だね」のひとことで済ませてしまうのも、悪くはない。
ただ、真実を知るのもまた正義。
この感動を、あのドラえもんおばちゃんに伝えたい。
そう思ったが、もう交流施設はないので、おばちゃんに会うことはできなくなってしまったな…。
ドライブインでカレーライスを
最後におまけでも書いておこう。
道の駅の対面、灯台のある丘のふもとの「ドライブイン狼煙」だ。
道の駅にも食事処はあるだろうが、あえて僕はこちらを選んだ。
昭和レトロなドライブインがたまらなくエモかったからだ。
店内は広かったが、お客さんは誰もいなかった。
最初にレジでメニューをオーダーするシステムであり、僕はカレーライスを頼んだ。
レジカウンターには年季の入った紙の食券がたくさんあり、僕はワクワクした。
しかしレジのおばあちゃんは「他にお客さんもいないから、このまま席で待っていていいですよ」と言った。
内心僕は「食券を使いたかったな」って思った。
普通に考えて、食券制の券売機のアナログ盤なのだろう。
わかっちゃいるけど、もらいたかったのだ。
なんだか幼い日の「さぁモノポリーをしよう」と言って、こんなカラフルな札を場にセットした父親のことを思い出したのだ。
まぁいいけど。写真だけ撮らせていただいた。
同じ店内だが、中でおおまかに2つに仕切られているお店。
あっちが喫茶スペースで、こっちがレストランだ。
上の写真は喫茶スペース。
普通に行き来できるけど、コンセプトが違う。
そういえば入口も2つあったな。何だこの店、面白いな。
喫茶スペース、とても雰囲気がある。
ワガママを言えば、こっちに座ってカレーを食べたかった。
喫茶スペースの渋さにほれぼれしていたら、カレーができたというのでレストランスペースに戻った。
なんかオシャレな皿だ。
スプーンも彫刻が施されている。
皿もスプーンもなんだか薄造りで華奢で、カレーみたいなパワフルなものを盛って似合うのか?って思った。
カレーに入っているじゃがいもがとてもミニマムであり、いっぱいあった。
辛さはほとんどなく、家庭的な味付けだった。
食器も味付けもドライブインぽくないなっていう発見ができた。
そんな些細な発見の積み重ねが、旅を充実させる。
チェーン店もいいが、いい意味でも悪い意味でも裏切られることがない。
そうなると感情の起伏も少なくなり、すなわち思い出にも残りにくくなるのだ。
だから僕は、できればその土地にしかないお店を選びたい。
ごちそうさまでした。
風光明媚な半島の先端を目指そう
禄剛崎。
能登半島の先端だか北端だかの狭間で揺れ動く岬。
日本人が灯台を作ったことが嬉しすぎて、灯台に菊の紋章を刻んだ。
実はここが日本の重心地だと、国土地理院が認定した。
ドライブインの入口は2つある。
そしてカレーは家庭的な味で、じゃがいもが細かい。
これだけの情報量を持つ岬。
僕が足しげく通うのも納得でしょ。
あなたも能登半島を一周走る際には、この地を是非踏んでほしい。
以上、日本6周目を走るYAMAでした。
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