週末大冒険

週末大冒険

ちょっと出かけてみないか。忘れかけていた、ワクワクを探しに。

No.088【和歌山県】ここは南国!広大な芝生!そして本州最南端「潮岬」は進化を遂げる!

本州本土の最南端。

 

 

それは「潮岬」である。

 

最南端という言葉の通り、紀伊半島の南端に当たる串本町や、南西部に当たる南紀白浜エリアは、なんだか雰囲気がトロピカルだ。

 

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そんな紀伊半島の南端に、かつて僕は足しげく通っていた。

その頃の思い出を振り返ってみたい。

 

 

南国、紀伊半島

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

本州の最南端である潮岬は、太平洋に突き出た紀伊半島の最先端に位置する岬だ。

 

北から西へと大きく湾曲する本州において、「最も南」と言われるとピンと来ないかもしれないが、近畿地方を形成する日本最大の半島紀伊半島を忘れてはいけない。

 

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紀伊半島は、「東京-名古屋-大阪-広島-福岡」と言ったベルトのように一直線に並ぶ大都市からは外れている。

それだけに「紀伊半島にも高速道路を!」みたいな声が長年聞こえており、近年少しずつ高速道路が出来てきている。

 

そんな紀伊半島の一番端にあるのだから、潮岬へのアクセスは良好とは言えないかもしれない。

 

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本州最南端の碑1

ただ、僕はそんな紀伊半島が大好きだ。

 

  • 高速が無い分、ゆっくり走れる。
  • 豊かな自然・景勝地を巡りながらドライブができる。
  • 沿岸部は道路も比較的走りやすい。
  • 温暖で冬でもドライブしていて気持ちがいい。

 

特に真冬は、岐阜県の「関ヶ原」付近で降雪の可能性が高い。

「琵琶湖」も北部となると途端にドカ雪となる。

そうなると、冬場はスタッドレスタイヤ等を装着していない限り、紀伊半島で遊ぶのが得策なのだ。

 

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本州最南端の碑2

それでは、実際に僕が何度か(何度も)潮岬を訪問した記録を複合して、現地レポートをしていこう。

 

 

潮岬観光タワー

 

さて、まずは潮岬一帯の敷地の構成お見せしよう。

 

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観光タワー1

こんな感じである。

僕は大体愛車は「潮岬観光タワー」の脇の広大な駐車場に停めている。

 

この駐車場ではその昔、日本全国を車で駆け巡る旅友FUGA君と初めて出会った。

「昨夜、四国最東端の蒲生田岬でクラッシュした」と言い、半泣きで愛車のバンパーをガムテープで修復しているところだった。

 

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観光タワー2

「経歴も車もかっこいいのに、登場シーンはあまりかっこよくないな」って思った。

とりあえず横に僕の愛車のHUMMER_H3を並べ、記念撮影をした。

初めまして。

 

※ そしてその後FUGA君とは、北は青森までいくつもの冒険を共にすることとなる。

 

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観光タワー3

ついでにパジェロイオで来たときの写真も掲載しておく。

背後に聳えているのが、潮岬観光タワーだ。

 

ここに登るには、300円かかる。

僕は何度も潮岬に来てはいるが、お金をケチって上まで登ったことは一度もない。

岬の先端からの景色だけで胸いっぱいになれるからだ。

だけどもいつか登ってみたい。

 

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観光タワー4

タワーの1F入口近くには、「本州最南端 潮岬」の標柱がある。

岬の先端付近にはもっとすごいのがあるが、記念にこれも撮影して損はないだろう。

青くてクールだし。

 

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観光タワー5

ミステリーツアーで来ちゃった人とか、あるいは友人に半分拉致られるようなドライブで来てしまった人は、併設の現在地で確かめよう。

ご覧の通り、紀伊半島の南端にいることが一目瞭然だ。

 

余談だが、観光タワーでは土産物屋さんや食堂がある。

ちょっとしたフード類のテイクアウトができる売店もある。

僕は過去にここで紀伊半島名物のめはり寿司を買った。

 

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観光タワー6

その夜に撮った写真だ。

暗くってブレてしまったが、緑色の手榴弾のようなお寿司だ。

とんでもなくうまいが、3つセットは僕の胃袋のキャパ的に無謀なチャレンジであった。

 

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観光タワー7

では県道41号を渡って、その先の芝生地帯に行こう。

ここからは徒歩なのだ。

 

 

望楼の芝

 

この岬の特徴は、広大な芝生で形成されているという点だ。

10万㎡もあるらしい。

 

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望楼の芝1

僕がもし犬で、ここで解き放たれたら、喜んで日没まで延々走っていると思う。

 

日本1周目と2周目のときは仲間と共にここを訪れたのだが、フリスビーとかして遊んだし。

そして、ここはキャンプ場も兼ねていてテントも張れるし。

すばらしき芝生なのだ。

 

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望楼の芝2

サバンナのように広大だ。

決して観光客が少ないわけではない。芝生が広大すぎて、人口密度が低いのだ。

ソーシャルディスタンスもバッチリだ。

 

しかし絵的に寂しいので、個人的にはキリンやシマウマを配置したい。

 

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望楼の芝3

芝生から観光タワーを振り返る。

摩天楼のように、夕暮れの空に聳えている。

 

尚、ここからの写真は芝生からの観光タワー、という図が多くなる。

のっぺりした芝生だけを撮影していても絵的に寂しいので、タワーを入れた構図にしたいのだ。

その点、ご理解いただきたい。

 

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望楼の芝4

徐々に引いていくぞ。

 

これは真冬で芝生がすべて枯葉色となっているシーンだ。

枯草がモジャモジャに茂っているが、毎年1月下旬くらいに芝焼きイベントがあり、一斉に燃やし尽くす。

 

僕は見たことは無いが、結構近くまで観光客が接近できるそうなので、もしあなたが気になるなら調べて見てほしい。

 

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望楼の芝5

観光タワーの左側にフォーカスしてみた。

 

タワーから渡り廊下で繋がる建物には、「おみやげ 大食堂 売店」と書かれている。

なんだか「大食堂」というワードに古き良き昭和テイストを感じてしまう。

 

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望楼の芝6

だか、上の写真では大型観光バスも停まっていたし、3つ上の写真にも観光バスが写っている。

観光客みんなでワイワイここでランチにしたりするのかもしれない。 

そんな賑わい、ステキだ。

 

そして、上の写真にはタワーの屋上から景色を眺める人も、何人も写っている。

盛り上がれ、潮岬!

 

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望楼の芝7

 

以上、充分に芝生の広さをおわかりいただけただろうか。

 

 

本州最南端の碑

 

さぁ、突端マニアにとってはメインとなる項目だ。

 

芝生地帯を海際まで歩くと、本州最南端の碑が2つある。

うち1つは巨大であり、芝生に足を踏み入れた直後くらいから気付けると思う。

まずはそちらをご紹介したい。

 

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本州最南端の碑2

まずは太古の昔の写真からだ。

本州最南端の碑、デカい。

 

ちなみにこれのさらに2・3年ほど前までは、文字が気持ち大きくて、さらに字体が明朝体っぽかった。

これは少しリニューアルされた直後のものである。

 

そして後ろに写っている建物、後年なくなるんだけど、それは後述ずる。

 

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本州最南端の碑3

その後の訪問時も、ピカピカの碑である。

けがれの無い、おでん鍋に入れてダシが染み込む前のはんぺんのようだ。

ね、神聖さすら感じるだろう?

 

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本州最南端の碑4

日本4周目の訪問時。

まだ綺麗である。「州」の字の右に縦の亀裂が見え始めているのが気になる。

 

あと、日が当たっているせいもあるかもしれないが、文字部分のペンキだけ白さが際立っている。

前述の文字リニューアルの痕跡だろうか?

 

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本州最南端の碑5

夕方にも来てみた。少し汚れが目立つようになってきた。

 

しかし僕はこの碑が大好きだ。

今回もこの角度から写真を撮る。

すぐ後ろは青々とした太平洋だ。ロケーションが最高過ぎる。

 

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本州最南端の碑6

さらに次。

「おいおい、碑どころか周囲の状態がヤバいぞ」というあなたの声が聞こえてきたが、まぁそこは後述するので今は気付かなかったふりをしてほしい。

 

ちなみに、背景左端に立派なリュゼツランが見えている。

この地に何10年も生えていたものらしいが、この直後にたぶんブチ抜かれてしまったようだ。どこかに移植されていると良いが…。

 

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本州最南端の碑7

ボロッボロだな。

 

これは今年2021年のものだ。

僕自身は動ける状態ではなかったので、冒頭の「半泣きエピソード」で登場したFUGA君に現地に行ってもらった。

その上で提供いただいた写真である。

 

この碑の劣化具合、どうにかしてあげたい。

本州最南端の誇りなのだから。

 

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本州最南端の碑8

さて、先ほど本州最南端の碑は2つあると書いた。

そのもう1つがこれだ。

 

さっきの碑に対し右に100mほどの距離にある碑だ。

 

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本州最南端の碑9

「潮岬 本州最南端」と書いてある。

さらに日本地図も。この地図があるのが、この碑のアイデンティティ

 

ずいぶんとデフォルメされた日本ではあるが、こういう突端地に日本地図があると問答無用でテンションが上がるのだ、この僕は。

 

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本州最南端の碑10

そして、とっておき情報だ。

随分前に撤去されてしまったが、この碑のすぐ左には以前立て札があった。

 

「ここに地終わり 海始まる」

 

お世辞にも立派な立て札ではなく、ハンドメイド感が溢れている。

「犬の糞は飼い主が片付けろ!」みたいな立て札とクオリティは一緒だ。

 

しかし、いい言葉じゃないか。

立て札はともかく、この言葉はその後も受け継いでほしかった…。

 

 

本州最南端の海を臨む

 

次に、潮岬の絶景をご紹介したい。 

 

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岬の絶景1

ただただ青くて奇麗なのだ。

何の小細工もない、最高の海がそこにある。

 

雲1つ無い晴天の日は、本当にため息が出るほどの海だった。

全てのストレスがこの瞬間に吹き飛ぶよ。

 

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岬の絶景2

水平線は確かに丸い。

そして海の向こうには何もない。もう、陸も島も何も見えない。

 

よければ地図とか見ていただきたいのだが、紀伊半島の沖にはもう島は無いのだ。

硫黄島」はやや東だし、「大東島」はやや西だ。

ここからの視点の先は、遥か遥か、とてつもない外国に到達するまで海だけなのだ。

 

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岬の絶景3

夕日もまた格別である。

南に大きく突き出たこの岬からは、日没も見ることができる。

その時間に合わせて訪問してみた。

 

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岬の絶景4

旅先で眺める日没っていうのは、生涯忘れられないものよ。

 

目に刻め。そして心に刻め。

地球の歴史において、今日という日はもう二度とないのだから。

 

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岬の絶景5

さて、前述の岬のMAPを思い出してほしい。

本州最南端の碑と灯台まではそこそこ距離が開いている。

 

数100mあり、正直車で移動したほうが早い。

しかし少なくとも僕が訪問した際には、いずれも灯台の駐車場は有料であり、しかも砂利の敷地だったため、微妙にテンションが上がらない。

 

だから観光タワーから歩いて往復することとした。

上の写真は、その途中で撮影したものである。

まさに南国。その一言につきる。

 

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潮岬灯台1

「潮岬灯台」だ。

これは日本中でわずか16基しかない、一般客が登れる灯台、「参観灯台」の1つである。

つまりメチャ貴重だということだ。

 

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潮岬灯台2

しかし僕は登ったことは無い。

さっきの潮岬観光タワーにも登っていないのだから、理由は記載するまでもないだろう。

 

灯台は登るのはなく、見上げる派なのだ。

鉄道好きが「乗り鉄」・「撮り鉄」とわかれるのと一緒だ。

 

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潮岬灯台3

ちなみにこのときは、「もう18:00で敷地が閉鎖していたので灯台に登れませんでした」という言い訳が成り立つ。

 

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潮岬灯台4

灯台の足元の岩礁は、荒々しかった。

強風の日にあんなところに漁船を停めるのは、結構テクニックがいるよね。

 

本州最南端の碑から徒歩で往復すると、岬のいろんな顔が見れてとても楽しい。

是非あなたにも、天気がいい日は散歩してみていただきたい。

 

 

売店の撤去

 

ここまでいろいろ盛り上がる目次を連ねてきたのに、いきなり落としてしまって申し訳ない。

しかし、結構重要な話なのだ。少なくとも僕にとっては。

 

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売店撤去1

先ほども掲載した写真。

 

実は本州最南端の碑の背後には長年売店があり、お土産物屋とか本州最南端到達記念証明だとかを販売していた。

僕も証明書、購入したりした。

 

しかし2011年ごろだろうか。閉店してしまったようだ。

 

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売店撤去2

2013年に訪問した際には、中は全ての什器が撤去されて、ガランとしていた。

「無料休憩所」とドアの上に書いてあるが、椅子もテーブルもない。ただの箱だ。

かなり無理矢理な用途設定である。

 

しかし、このとき既に僕はこの建物が辿る運命を感じ取れていたので、別れを惜しむためのも中を見学した。

 

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売店撤去3

かろうじて水道だけ残っていた。

ために蛇口をひねってみたが、水は1ccも出て来なかった。

 

この地で本格的な工事が始まったのは、その数ヶ月後のことである。

 

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売店撤去4

「おーおー、ハデにやっているなぁ…」

僕とFUGA君は、望楼の芝を歩きながら、工事風景を眺めてみた。

 

思い出の景観が今まさになくなろうとしている。

 

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売店撤去5

何がどうなるのかわからないほどに、地面は掘り起こされてエキサイティングな光景だ。

しかし1つ確信できるのは、もうあの売店もなくなるのだろうということ。

 

このとき不安だったのは、本州最南端の碑も一緒に撤去されてしまうのではないかということだ。

まぁこれだけシンボリックなものだから、何らかのかたちで本州最南端を示すものは今度も残るとは思っていた。

それでもこの工事風景を見ると、胸がザワついた。

 

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売店撤去6

本州最南端の碑の部分だけは、かろうじて観光客が入れるようにしてくれていた。

 

その溝を飛び越え、FUGA君に上の写真を撮ってもらった。

最後になるかもしれないなって思って。

 

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売店撤去7

そして碑は残ったが、売店が写った写真はこれが最後となった。

FUGA君と「パイプすっげぇな」って言いながら、工事風景を眺めた。

 

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売店撤去8

 

そして令和へ…

 

最後に、新しくなった潮岬の風景をご紹介したい。

実は、僕は日本6周目で潮岬にはまだ行けていない。日本5周目の序盤から、ずいぶんと間が空いてしまっている。

 

だからこの章では、全てをFUGA君の写真に頼る。

そして改めて、FUGA君にはお礼申し上げる。

 

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新バージョン潮岬1

以前工事でほじくり返されていた地面は、ご覧の通り綺麗な芝生となった。

 

やや右側には、日本地図入りの本州最南端の碑が見えている。

赤い屋根の裏が、きっとデカい方の碑なのだろう。

 

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新バージョン潮岬2

赤い屋根の家は、「潮風の休憩所」という無料休憩所で、日中開放されている。

上の写真を見るだけでも綺麗なことがわかる。

 

情報コーナーやトイレもあるそうだ。

「この蛇口をひねると水は出るのか?」と心配する必要は、もうなさそうだ。

 

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新バージョン潮岬3

「下村宏さん」の胸像!

今までは売店の裏にあり、工事で撤去されてしまったのではないかと心配していた!

そして、彼の歌碑も移設されてすぐ隣にあった。

 

春寒み 野飼の牛も見えなくに 潮の岬は 雨けむらへり

 

潮岬を詠んだ歌だ。

これからも胸像と歌碑は、ここで生き続けるのだ。

 

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新バージョン潮岬4

最後に、ビッグバージョンの本州最南端の碑だ。

 

背後の売店がなくなり、とんでもなく開けたロケーションとなった。

残念ながら上の写真は曇っているが、晴れた日であれば最高だろうな。

 

昭和から平成前半は、きっと観光地は土産物屋や軽食などありきで、風景はそれらの次だったのだろう。

しかし今の時代は、その土地の持つ風景だとかを大事にしているのかもしれない。

みんなスマホとか持っているから、使い捨てカメラを慌てて現地で買う必要もないし。

 

そんな象徴を、ここのBefore/Afterを見て感じた。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

…とはいえ、やはり自分の目で見てみないとな。

自分の足で立ってみないとな。

 

僕は必ずや再び、潮岬を踏む。

大好きな紀伊半島の、キラキラ光る沿岸部をドライブしていくのだ。

 

早くコロナ禍が落ち着き、首都圏の2度目の緊急事態宣言も撤回され、平和な世の中が訪れますように。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 潮岬
  • 住所: 和歌山県串本町潮岬2706-26
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:087【佐賀県】気分はドラクエ!?「吉野ヶ里遺跡」の広大なフィールドを探検しよう!

吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」をご存じか。

 

日本を代表する、弥生時代の大規模環濠集落である。

「もしかしたらここが邪馬台国だったのではないだろうか?」という声も聞こえたりする。

 

ペース配分を無視したスタートダッシュに定評があった僕は、マラソンではスタート直後にトップに躍り出て後半バテるし、日本史は古代にやたらと熱意を注いで力尽き、明治維新以降は寝ていた

「日本の夜明け」?知らん。入れ違いで僕は寝る。

 

だから弥生時代はけっこう得意分野だ。

僕の黄金期と言っても良いだろう。生まれてないけど。

 

そんな僕が、満を持して憧れの吉野ヶ里遺跡を訪問したときの話をしたい。 

(あれも梅の時期であった)

 

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古代史に熱心だったと書いたばかりだが、小難しいことは嫌いだしわからないので、ひたすらピュアな心でレポートしよう。

 

 

アレフガルド

 

僕は佐賀県の平野部、田園地帯をノビノビと走り、吉野ヶ里遺跡に向かっている。

今回こそは吉野ヶ里遺跡に行こうと、心に決めている。

 

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序曲

山麓から平野に向かって形成された段丘に遺跡はある。

 

日当たり良好、水はけ良好、といった土地だろうか?

弥生時代と言えば、日本国内で初めて稲作が行われた時代。

今のような水田を使った水稲栽培ではなかったそうだが、付近を走っていると「このあたりに村を作ってもいいかな?」みたいに思える。

 

春の気配が漂い、ポカポカとした陽気なのもそれを手伝ってくれているように感じる。

 

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冒険の旅1

さて、駐車場だ。

どうやらすごい敷地が広いらしく、駐車場やゲートも"東口"・"西口"って複数あるみたいだけど、とりあえず西口に来た。


たぶんここ、正面側ではないっぽい。微妙に裏口っぽい位置付けらしい。

うん、良い。

閑散としているところに駐車し、閑散しているゲートから入りたい。

自分、ぼっちですもん。だから目立ちたくないですもん。 

 

広大な駐車場は多くの車で賑わっているけど、一番遠い端っこの方はたくさん空きがあったので、そこに愛車を停める。

周囲はカップルやファミリーが多いから、ちょっとその中に入って行くのは気が引けるのだ。

 

吉野ヶ里遺跡は、かなりエンターテイメント性が強いテーマパークタイプの遺跡。

1人では入りづらいために、しばらく静観していた。いつか複数人で来たときに遊ぼうかなって思って。


だけども最近「僕は孤独だ」って自覚した。ようやく。

だから開き直って1人で来た次第。そのへん、僕も強くなった。

 

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冒険の旅2

園内に入った。

受付でもらったパンフレットを片手に、ポカーンとしてしまうくらいに広い。

 

ここは「サバンナですか?それともアレフガルドですか?」みたいな気持ちになる。

こんなに広いだなんて、思っていなかった。

 

さっきね、受付で颯爽と「1人です」って言って料金払った。

そしたら親切なスタッフさんが「遺跡の見学ですか?」って、僕に聞いて来てたのだ。

 

「いや、それ以外に目的ないっしょ」って思ったんだけど、本当に広くていろんなことができそうなフィールドだ。

 

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冒険の旅3

受付のスタッフさんにはとりあえず「はい、遺跡です」って言ったのだが、もしかしたら「ブーメランを投げて自分でキャッチする練習のために来ました」とかって言っても正解だったかもしれない。

 

スタッフさん、「それではまずここから東に行って湖を越えて、南の村に行くとよいでしょう。」と言っていた。

なんか「ドラゴンクエスト」で親切な村人に話しかけたときみたいな案内だなって思った。

じゃ、南の村で薬草とか銅の剣とか買おうかなって思った。

 

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冒険の旅4

そして今、その南の村とやらを目指してフィールドに出たってワケ。

 

人、全然いない。チラホラと地平線付近にうごめいている程度だ。

むしろ人間じゃなくて、スライムだとかオオアリクイだとかキラーパンサーだとか、モンスターが出現しそうだ。

 

僕は丸腰だし、モンスターに倒されても1人パーティー僧侶も仲間にいないので、復活できかねる。ドキドキする。

 

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冒険の旅5

そういえば、受付のスタッフさんは「園内バスもたまーに出ていますよー」と言っていた。

 

でもいい。1人で乗るのは恥ずかしいから歩く。

それに、ドラクエなどのRPGの世界では、乗り物を手に入れて安全な旅をできるのは、大体ストーリーの中盤からだ。

こんなタイミングでバスに乗るのは、なんだか世界の理(ことわり)に反するようで咎められるぜ。

 

 

みなみのむら

 

南の村にやってきた。

いくつかの建物では、弥生人に扮した従業員の人が壺を並べたり野菜を干したりとなんかかんや生活している。

 

第一村人発見、ってヤツだ。

話しかけると「ようそこみなみのむらへ」とか言いそう。

 

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陽だまりの村1

ここは弥生時代に一般の人々が住んでいた村だそうだ。

27棟の建造物が再現されているんだって。

結構大きい集落だね。メガロポリスね。

 

この村は、梅のシーズンだ。

「南」だものね。先行して春が訪れるのだ、きっと。

 

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陽だまりの村2

まずは手前にあった高床式倉庫を見学した。

建物は大体中まで見学できるので、1つ1つ入る。

 

 

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陽だまりの村3

こういう建物の中に宝箱とか壺とかあってさ、その中に武器とか現金とかあるじゃないですか。

 

それを盗んで我が物にしてしまうのが、ゲーム中の勇者の行動の基本やね。

イッツァ勇者ライフ。

冷静に考えると(考えなくても)、ジャイアンよりもヤベー行動理念だ。

 

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陽だまりの村4

ほら、大根あるぞ。大根干しているぞ、この家。

今夜はおでんか、ブリ大根か。

頃合いを見計らい、白飯を片手に突撃したい。

 

住人がいなさそうなので、ちょっと中を覗いてみる。

 

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陽だまりの村5

肉もあるぞ。下の段、これ肉だよな。

俄然盛り上がってきた。

いいもの食っているな、弥生人。毎日がスペシャルか。

 

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陽だまりの村6

こんなに晴れていていい天気なのに、観光客はほぼ皆無。

作業中の弥生人がいるだけだ。

 

しかし弥生人も人数少ないわ警戒心ないわで、セキュリティがザルな村だ。

セコム紹介したい。

 

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陽だまりの村7

復元された竪穴式住居は、どの住居共に手入れが行き届いていてとても綺麗だ。

「なんとかヶ丘ニュータウン」みたいな名前をつけたくなるような、新興住宅地だ。

当時もきっと時代の最先端を走っていたのだろう、この集落は。

 

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陽だまりの村8

まだ梅の季節なのだが、もうゲートからここまで歩くだけで軽く汗ばんだ。

距離も長かったし、ポカポカの陽気なのだ。

 

これはもう、住居の中でしばらく休ませてもらうしかないと判断した。

 

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陽だまりの村9

ワンルームのシンプルな間取りだ。

中は涼しい。エアコンが無くても快適な造りだ。

 

腰をおろし、ツーリングマップを読んでこの後の予定を立てたりした。

次はベタだけども久々に「太宰府天満宮」に行くぞ!とか心に決めた。

 

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陽だまりの村10

では、休んでHP(ヒットポイント)も回復したので、次の村を目指す旅に出る。

 

 

けんりょくしゃのまち

 

フィールドをテクテク歩いて次の集落にやってきた。

もうシャツを腕まくりしているのに、かなり暑いよ。

 

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夢見るわが街1

ここは南内郭って言って、ちょっと偉い権力者たちが住んでいたエリアだそうだ。


エリアをグルリと堀や木の柵で取り囲んでバリケード化してあり、さらに内部の要所要所には物見櫓が設置されていて、鉄壁の防御を誇っている。

要塞都市だ。

 

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夢見るわが街2

そのバリケードの外には高床式倉庫が並んでいて、いろいろ食料が貯蔵してある。

ここは当時の市場とかの役目を担っていたらしい。

 

まさにこれが環濠集落ってヤツかね。

集落を掘で囲んで外界との区画をキッチリさせた暮らしだ。

 

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夢見るわが街3

集落内に物見櫓があったので、当然登った。

物見櫓はランドマーク的な位置づけなのか、ここには観光客もそこそこ集まって来ていた。

 

みんなで集落を見下ろした。

いい眺めだ。集落内を一望できた。

人さえいればなかなか賑やかそうな町だ。コンビニ作ってくれるなら暮らしてみたい。

 

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夢見るわが街4

 

 

せいなるしんでん

 

それから僕は再び北へと旅立つ。

「中の村」という小さな集落を抜けて、さらに歩くと墓地

 

そしてその墓地の横に北内郭というエリアがあり、その中に巨大な祭殿が建っていた。

ここいら一帯のボスがいる建物なのだそうだ。

 

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王宮のロンド1

奇しくも、僕はここまで集落を小規模から大規模へと、順番に攻略してきた。

 

RPGであれば着実にレベルを上げ、攻略難易度の高い敵の居城にやってきた、といったところだろうか?

いや、敵とか知らんけど。

 

この祭殿も高床式なので、1階部分の吹き抜けの日陰に座り込んで休んだ。

もう結構な距離を歩いて疲れたのだ。


そしたら弥生人が話しかけてきた。

 

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王宮のロンド2

このオレンジの装束の弥生人だ。

 

ここがどれだけ立派な建物なのか熱心にアピールしたし、そして「今この内部で行われている祭事がオススメですよ。是非ちょっと見て行って。」と悪徳セールスみたいなことを言われた。

 

じゃあ中に入ってみるわとなった次第だ。

 

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王宮のロンド3

うわぁ、静粛に!

神妙な儀式の最中だった。

巫女が何やら占っており、横で従者がそれを眺めている。

 

冒頭でも書いたけど、邪馬台国はここだったという説もある。

卑弥呼」もこんな感じで神の声を聴き、そして民を治めたのだろうか?

 

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王宮のロンド4

最上階では、経営会議をやっている。

 

「おい、ちょっと今年の稲、どうするよ?」みたいなことを真顔で話している。
農民から稲の成長具合の報告を受け、「じゃあいつ稲刈りしようか」ってのをボスが決めるのだ。

 

ストーリー的に、さっきの巫女が儀式をして神からの啓示をしてもらう。

神は「稲は結構実ってきたから、来週水曜くらいに刈るといいと思うよ」とか、きっというのだろう。

 

そしてボスが決裁するのか。

稲作の黎明期。稲刈りの時期の見極めは、きっととっても大事だったのだろう。

 

僕らが毎日おいしいお米を食べられるのも、彼らがかつて頑張って稲作を研究し、それを後世に伝えてくれたからだろう。

 

ありがとう。

明日もご飯ムシャムシャ食べるわ、僕。

 

 

こくおうのはか

 

さらに北にある北墳丘墓ってところに行ったた。
ここには国王と思われる人の、歴代の柩などが収められた古墳が再現されていた。

 

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時の眠る園1

併設の資料館がある。

ここは出土品をしっかり保管するために、現代科学の粋を結集させた近代的な施設だ。

 

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時の眠る園2

資料館内で目を引いたのは、北墳丘墓の内部のものがそのまま展示されている点だ。

地面ごと当時のままで保存されている。

 

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時の眠る園3

このように遺体を入れていた甕棺も復元されているのだ。

これが本物だ。バラバラだったのを復元されている点に、よりリアリティを感じる。

他にも一緒に入っていた出土品などの展示があった。

 

説明板も充実していた。

どのように遺体を甕に入れて埋葬していたのかだとか、どのようなものを副葬していたのかとか。

そして、当時の人の死に対する倫理観の研究物だとか。

 

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時の眠る園4

死は、誰にでも等しくやってくるのだ。

弥生人だろうと、我々だろうと。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

いい勉強になったな。

実はここは、日本0周目で訪れたことがあった。しかしほとんど忘れていた。

時を経て、日本5周目でまた来れてよかった。

 

入口ゲートまでは、ここから1.5kmは普通にあるだろうけど頑張って歩く。

ここ、土地が広大すぎるぜ。1日遊べる。


帰り道は集落を離れ、弥生の大野だとか水田地帯などののどかなエリアを歩いて帰った。古代の風景を見ながら、いい散歩ができた。

 

 

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この道わが道

縄文時代弥生時代と反映した吉野ヶ里の集落。

 

しかし古墳時代になると、途端に人々は集落から消えてしまう。

土器を掘りに大量に割り捨て、いったいどこに行ってしまったのかは明らかにはなっていない。

 

文化も生活も代わり、新天地を目指したと言われているが…。

 

 

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そして伝説へ

遥か1700年前の物語。

 

遠い世界、遠い時代に生きた彼らの笑い声が聞こえたような気がした。

それだけで、僕はここに来た価値を見いだせた。

 

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遥かなる旅路

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 吉野ケ里遺跡
  • 住所: 佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手1843
  • 料金: 400円
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00~17:00(夏季は18:00まで)

 

No:086【石川県】国内唯一の砂浜ハイウェイ!!しかし砂の流出で水没危機!どうなる!?

「千里浜なぎさドライブウェイ」。

砂浜を愛車で走れる、日本唯一の道路である。

 

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その距離は約8㎞。

波打ち際ギリギリの砂の上を、潮風を受けて走るのはメチャクチャにテンションが上がる。

 

2021年2月22日、この道路の真ん中付近が水没してしまい、復旧の見通しが立たなくなったというニュースが出た。

ショックを隠せない。

この道を走るのが好きなドライバーやライダーさんたちも「ザワッ」ってなった。

 

コロナ禍で気軽に見に行くわけにもいかない。

だからせめて、思い出を振り返らせてほしい。 

 

 

いざ、砂浜に突撃

 

さぁ、まずは楽しい思い出から書こうな。

 

海沿いを走る国道249号を反れて、標識に従いさらに海方面を目指す。

車道の両側には、既にうっすらと砂が堆積している。

 

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渚のハイウェイ1

キタキタキターー!

お気に入りのロックミュージックのイントロが流れてきたときのような高揚感に包まれる。

 

 幼い日の、海水浴に連れていってもらう際のワクワクも甦る。

「さぁもうすぐ海よ」

そう声をかけられて、夏の日射しに目を細めながら見上げる空は、まだ海が見えないのに、どことなく海色に染まっているのだ。

 

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渚のハイウェイ2

儀式だ。

砂浜に入る前に、僕は愛車の窓を全開にする。

そしてカーステレオの音楽を切る。

 

風を感じるのだ。潮騒を感じるのだ。

これ以上の贅沢があるだろうか?

 

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渚のハイウェイ3

ついに愛車のタイヤが砂の上に乗る。

 

「おっ…!?うほ……っ!?う、うほほほほーい!!」

みたいな感覚になる。

 

うまいうまいと聞いていた料理を、実際に初めて食べたかのような気持ちである。

まぁ僕は何度も千里浜なぎさドライブウェイを走ってはいるが、1回1回の訪問にはスパンが空いているので、毎回新鮮なのだ。

 

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渚のハイウェイ4

この絶妙な感覚をどのように表現すべきか。

アスファルトのように硬く無機質ではない。土の道のようなボコボコしてハンドルを取られる感覚もない。


例えるならば、ウレタンマットを押すような感覚だろうか?

もちろん砂浜はウレタンよりもずっと固いのだが、絶妙に角の立たない感触を演出してくれる。

 

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渚のハイウェイ5

気分は、初めて遊園地でゴーカートのハンドルを握る小学生のようである。

 

うわーうわー、うわーー!!!

 

笑みがこぼれる。

なんだったら、本能のままに「うおーー!!」って叫びたい。


いや、野生児のように叫んでもいいと思うのだが、僕は残念ながらここには1人で行くことが圧倒的に多いのだ。

1人だと、ちょっと恥ずかしいのだ。

 

この笑顔はもうどうしょもなく抑えることはできないが、歓声はあげずに心の中だけで咆哮する。

 

 

千里浜を疾走せよ

 

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渚のハイウェイ6

ここまでの写真をご覧の通り、横を見ると波打ち際だ。

ガードレールもアスファルトもなく、すぐに波打ち際だ。


車窓から海を眺めるシーサイドロードは、国内にも多くあるだろう。

ただし大体において、海に対して道路はかなり高めのところに設置される。

 

しかしここは、ほぼ同じ目線で海なのだ。

この違いは侮れないぞ。

海との一体感が違う。

ここは日本で一番、海と仲良くなれる道なのだ。

 

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渚のハイウェイ7

不必要にスピードは出さない。

ダカールラリーをやるつもりもない。

 

ただただ、この時間を楽しみたいのだ。

窓からは潮の匂い。おだやかなさざ波の音。足元からは砂浜を走る「ゾゾゾゾ…」みたいな独特の走行音と振動。


なによりこの絶景。

 

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渚のハイウェイ8

 

僕は、五感で千里浜を楽しんでいる。


これが大事なのだ。


ところで、あなたは旨味の相乗効果をご存じだろうか?

鰹節(イノシン酸)・昆布(グルタミン酸)・キノコ(グアニル酸)が混ざると、単体でも美味しいものにさらにブースターがかかり、何倍にも何十倍にもおいしさが感じられる。

味のシンフォニーだ。

 

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渚のハイウェイ9

千里浜なぎさドライブウェイも同じだ。

映像で見ても間違いなく素敵だが、こうして五感で味わうと旨味が大爆発だ。

困るね、これ。興奮冷めやらぬ。

 

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渚のハイウェイ10

ちなみに、車線こそないものの、ちゃんとここは僕らのジャパンなので左側通行だ。

僕はなるべく海のそばを走りたいので、すぐ左側に海を見れる北上ルートを使うことが多い。

 

もちろん南下ルートも使ったことはある。

ここまでの写真は全て北上ルートだったが、ここからは南下したときの写真も入れていこうかね。

 

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渚のハイウェイ11

南下ルートもステキだ。

海から若干遠いものの、砂浜を感じることができる。

 

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渚のハイウェイ12

もちろん海だって感じられる。

 

まぁここで究極のアドバイスなのだが、「一往復しよう」

千里浜なぎさドライブウェイは無料なのだ。

 

せっかく訪問したのなら、このくらい堪能しても良いであろう。

 

 

停車に注意、愛車の水没に注意

 

さて、ここに来たらみんなやりたいのは、愛車との撮影だ。

砂浜を写真に撮るだけ、あるいは人間と砂浜の写真を撮るだけ、であればここじゃなくてもできる。

 

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愛車と砂浜と1

実際にやってみたこともある。

 

しかし、これではそこいらの砂浜とほぼ代わり映えはしない。

よーく見ると僕らの足元の砂が引き締まっているのがわかるくらいだ。

 

ただし一般の人は、砂浜での記念撮影の写真を見たときに、浜辺の引き締まり方は気にしない。つまるところ砂浜、引き締まり損だ。

 

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愛車と砂浜と2

冒頭でも記載した通り、千里浜なぎさドライブウェイのアイデンティティは、愛車を乗り入れできることなのだ。

だったら砂浜と愛車のコラボ写真を撮りたいのは、人の常である。

 

だからこれが正しい。

しかし、いいタイミングで転がって来た伊右衛門のペットボトル、おまえは正しくない。

 

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愛車と砂浜と3

千里浜なぎさドライブウェイは、正直どこからどこまでが車道なのか、あやふやだ。

 

いや、僕がそう思っているだけなのかもしれないが。

夏場などはかなり混雑すると聞いてはいるが、僕の訪問時は不思議と毎回閑散としているのだ。不思議。

 

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愛車と砂浜と4

みんな、通行のジャマにならないような位置に停車し、記念撮影をしている。

ちなみにバイクはスタンドの下に板切れなどをおかないと、スタンドが砂に刺さって倒れるので注意だ。

 

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愛車と砂浜と5

あと、これは大事な大事な注意点だ。

砂浜はどこもかしこも安心なのかというと、そういうわけではない。


車道として使われている部分は、砂がシットリと濡れて絞まっている。

だが、そこを反れると場所によっては砂が乾いて白っぽかったり、砂が堆積することでデコボコしている場所もある。

 

そういう場所は要注意だ。

タイヤを捕られて脱出できなくなるぞ。スタックするぞ。

 

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愛車と砂浜と6

愛車のスペックとも相談だ。

 

四輪駆動であればまだ良いかもしれない。

だけども僕の日本6周目の愛車である日産パオだとか、非力な車だとヤバいかもしれない。

海に近づきすぎてはキケンなのだ。

 

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愛車と砂浜と7

Googleなどで「千里浜なぎさドライブウェイ_水没」と入力すると、愛車を海に近づけすぎたために水没してしまった写真がモリモリ登場する。

 

砂にタイヤを捕られ、脱出にモタついていると満潮になって水没するのだ。

誠に地獄である。

 

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愛車と砂浜と8

もっとも、そんなに海に近付く必要もないのでは、と僕個人は考える。

 

後ろは何もない海なのだ。

好きなように愛車と海の写真を撮れる。邪魔なものは何もない。

 

無理に近付いてリスクを負うだけの価値はないのだ。

周囲の車をよく観察し、似たような場所に少し間隔を空けて停めれば良いと思うのだ。
 

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愛車と砂浜と8

まぁこの際なので白状しますがね、僕は過去にここでスタックしかけたことがあるのだ。

 

まだ危機管理能力も充分にない、日本2周目のときであった。

愛車のステップワゴンを結構波打ち際ギリギリに停めたのだ。

そして写真撮影後、再び走行させようとするのだが、タイヤが空転する。

 

あのときは焦った。

タイヤの下の砂が掘り起こされて、タイヤはさらに沈む。

アクセルを踏めば踏むほど、深みにハマる。

 

とりあえず、前進はできないが後退はできた。

さらに海ギリギリなのでドキドキするが、これで砂の深みを脱出。

この状態でローギヤでゆっくりアクセルを踏み、無事に走行開始できた。

他にも脱出策はいくつか考えたが、この程度で脱出できて本当に良かった。

 

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愛車と砂浜と9

ちょうどこの写真を撮った直後であった。

このくらいの位置は、ヤバいのだ。 

 

いくら車で走れるといっても、砂浜は場所によって全然表情が違う。

自己責任なのだ。

無理のない範囲で楽しもう。

 

 

通行止めからの大逆転 

 

千里浜なぎさドライブウェイは、高波などの影響で安全に通行できないと判断されると、通行止めとなる。

後述するが、砂浜自体が狭くなってきていることも、高波等の影響を受けやすくなっている原因かと僕は考える。

 

昨年2020年は、なんと過去最多の119日も通行止めだったのだ。

1年の3分の1だ。 

むしろ今まで僕が一度も通行止めに合っていないのが奇跡なのかもしれない。

 

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高波の日1

しかし、過去1度だけヒヤッとしたことがあった。

日本5周目のときである。

 

南側の入口に、通行止めゲートがあった。

今日は波が高く危険なので通行止めなのだ。


「バカな…。何度も来ているが、こんなの初めてだ。波打ち際ギリギリでも行かない限り、危険は無いと思うのだが…。」

僕はショックを受け、呆然としたさ。

 

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高波の日2

とりあえず、入口付近の路肩に愛車のHUMMER_H3を停め、呆然としながらドライブウェイを見下ろす。


あー…、せっかく晴れて来たというのに…。

ここで晴天を祝って砂浜を爆走し、テンションをブチ上げようとしたのに…。

 

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高波の日3

すぐに僕の後から兵庫県のナンバーの車がやってきた。

そして僕の後ろに停車する。

 

車から出てきたカップルは、僕と同様に失意の表情で砂浜を眺めている。

「やっぱ今日は入れないんですかねぇ…?」と聞かれた。

そうですねぇ。よくわからないけど、そうなんでしょうねぇ…。

 

以前より何度も走行している僕と比べても、ここを楽しみに兵庫県から初めてやってきたというカップルの絶望は見るに堪えないレベルであった。

 

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高波の日4

砂浜の彼方を見つめていると、遠くからパトロール用の黄色い軽トラがこっちに向かって走ってくる。


…あれ?

 

僕は淡い期待を抱いた。

なぜ今あのトラックがここを走っているのか。

 

侵入者のチェック、あるいは波や道路の状態をチェックしている可能性が高いのだろう。

もし後者と仮定するならば、ドライブウェイの始点である僕の目の前まで走ってきた後に、「解除可能」・「解除不可」のどちらかの選択をすることになるのだろう。

 

トラックがドライブウェイ始点の僕のそばまで来るのを、丘の上から辛抱強く見守る。

 

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高波の日5

ちなみにここが丘の上からの光景だ。

一瞬砂浜にいるように見えるだろうが、車のすぐ脇にかなりの高低差があり、その向こうが砂浜となっている。

 

ドライブウェイの始点付近まで走ってきたあと、パトロールトラックはその場で停止する。

 

今がチャンスだな。

上から見下ろしていた僕は即座に丘を駆け下り、トラックに乗っていたおじさんに声を掛ける。


「あ、なるほど、走りたいのね。いいタイミングだね。今から開けるよ。」

 

そう言ってくれた。

やったー!!

千里浜なぎさドライブウェイ、本日オープン1台目として走れる!!

 

すぐに愛車の元に戻り、横にいたカップルにゲートがこれから開く旨を報告する。

カップルもマジ喜んでいた。

イェイ、お幸せに!!

 

エンジンをかけ、ゲートの前にスタンバイ。

そしてついに千里浜なぎさドライブウェイに足を踏み入れるのだ。

 

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高波の日6

感無量だ。

砂浜に車を停めて海を見ていると、先ほどの兵庫カップルもすぐそばに車を停めた。

 

「先ほどはどうも!HUMMERで渚を走れるなんて、最高ですよね!是非写真を撮らせてください!!」みたいに言われた。

なんやかんや、お互い写真を撮ったりした。ステキな交流だ。

 

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高波の日7

そのときにカップルが撮ってくれた写真がこれだ。

(今、お二人は元気に仲良くやっているだろうか?)

 

砂浜を疾走していると、先ほどゲートを開けてくれたパトロールトラックが、またターンして北上していたところに追いつく。


トラックは北側のゲートを僕の目の前で開けてくれた。

つまり、南側から先に開けてくれたのだ。

ここ北側ゲートの入口はたった今オープンしたということだ。

 

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高波の日8

これはすごいタイミングだったな。


トロールトラックは「①北口から入る→②南まで走る→③南ゲートを開ける→④北口まで走る→⑤北ゲートを開ける」の作業順だったみたいだ。


これがもし逆側からの作業開始であれば、しびれを切らした僕は南ゲートで待ちきれなくなり、千里浜なぎさドライブウェイの走行を諦めていたことだろう。

ラッキーとしか言いようがない。

 

 

千里浜はなぜ車で走れるのか

 

そんな思い出の千里浜なぎさドライブウェイ。

冒頭記載の通り、日本で唯一の砂浜を走れる道路と言われている。

 

これを世界に広げても、ここを含めて3つだけだ。
後の2つは、アメリカの「デイトナビーチ」とニュージーランドの「ワイタレレビーチ」だそうだ。

 

※「頑張れば他の砂浜だって車で走行できるぞ」という声も聞こえてくるかもしれないが、あくまで観光用に世間一般的に、という視点から話すのでご容赦いただきたい。

 

ではなぜ、この千里浜なぎさドライブウェイは車で走れるのだろうか?

それには千里浜の成り立ちを少し知っておく必要がある。

 

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石川県と岐阜県との県境の「白山」。

ここから「手取川」という川が日本海に注ぐ。

 

川は海に至るまでに山を削り取り、細かい石や砂となったそれらの破片を海に放出するのだ。 

 

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日本海には対馬海流が流れている。

手取川が海に運んだ石や砂は、対馬海流に乗って北東に運ばれる。

 

もちろん、重いものから先に沈む。

大きめの石は、手取川の河口付近の陸地に堆積したりする。

 

最も細かい粒子が運ばれるのが、河口からおよそ50㎞も北東に位置する千里浜だ。

千里浜は、白山から日本海に至るまでに削り取られた山々の微粒子で出来ている。

細かくかつ均一な粒子がキチッと堆積しているので、ちょっとの衝撃ではもうビクともしない。

 

さらに浸透圧だろうか?

千里浜の砂は晴れの日でも少し湿っているのだ。

この摩擦でなおさら強固なものとなっている。 

 

 これが、千里浜の上を車で走行できる理由である。 

  

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なぎさへ1

 「千里浜なぎさドライブウェイ」の名が全国的に知れ渡ったにはそんなに昔のことではない。

三十数年前、一人の観光バスの運転手が、広々とした波打ち際を思いっきり走れたらと、空バスを試走させたのがデビューにつながった。

 

これはドライブウェイの北側ゲートにある碑だ。

 

碑の設立年は1995年なので、ざっと1965年ごろ。

それが、千里浜なぎさドライブウェイが産声を上げた時代なのだろう。

 

 

消滅するドライブウェイ

 

僕は地質学者でも海洋学者でもないし、タモリさんでもないので、ここからの説明はさらにアバウトとなる。

 

千里浜は年々縮小が進んでいる。

砂浜の幅は1994年に50mあったが、2011年に35mになったと言われている。

他のWebサイトでは、過去70mだったのが30mになったとも言われている。

 

いずれにしても事実なのは、1年に1mあるいはそれ以上のペースで砂浜が消えているのだ。

 

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消える砂浜1

その要因は1つだけではない。

 

砂が波にさらわれて沖合に流れ出てしまっているというのもある。

また、手取川にダムを造った影響で、海に放出される土砂が減少したとか不安定になったという説もある。 

温暖化等で、海面が上昇したというのも一因かもしれない。

 

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消える砂浜2

こんなこともあり、高波の日は通行止めになりやすくなったのだ。

 

せっかくのこの砂浜を守るため、地元はずいぶん前から対策をしている。

砂を運んできてまた補充したりと、このドライブウェイを守っているのだ。

それに、消波ブロックや人工リーフを作り、ちょっとでも砂が遠くに行かないように防いでいる。

 

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消える砂浜3

それでも、前述の通り砂浜は年々狭くなり、そして通行止めの日も増えているのだ。

正直僕も近年懸念していた。

 

そこに来て、今回僕がこの記事を執筆する発端となった大事件だ。

 

www.ishikawa-tv.com

 

www.news24.jp

 

2つほどニュース記事を引用させていただいた。

千里浜なぎさドライブウェイのちょうど真ん中あたり、奥行30mほどあった砂浜がなくなり、500mほどに渡って砂浜の道路が水没してしまったそうなのだ。

 

いや、いきなりこれだけの規模の砂浜がなくなるってのは、大津波でも来ない限り考えられない。唐突過ぎるニュースだ。

調べてみると、2020年の12月上旬から2ヶ月以上も、ずっと通行止めであったそうだ。

 

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消える砂浜4

ニュースの中では『車の出入口付近が崩壊した』というコメントがあった。

 

しばらく水浸しであったことに加え、出入口が破壊されたことで「あぁ、出入りもできないし砂浜も無くなっちゃった。\(^o^)/オワタ」みたいな感じでニュースになったのだろうか。

 

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消える砂浜5

復旧の見通しは立っていない。

今までもどこかから砂を持ってくることで、どうにかこうにか砂浜の減少を遅らせていた。それでも確実に砂浜は減少していた。

 

今回ゴッソリ水没したこの状態をリカバリできるのか。

前述の通り、車が走れるようなきめ細かい粒子の砂だが、そんなに大量にすぐに確保できるのだろうか。

 

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消える砂浜6

そして、忘れちゃいけないことがある。

消えていっている砂浜は、何もこの千里浜なぎさドライブウェイだけではないのだ。

同じように全国各地の砂浜が、年々やせ細って行っている。

 

地球の陸地は少しずつだが常に変化している。

その一環として捉えるのか。

それとも、愚かな人間の環境破壊の一部として捉えるのか。

 

僕の頭では、正直その判断はできない。

 

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千里浜なぎさドライブウェイ

しかしね、また笑顔であの砂浜を走れる日が戻ってくることを願っている。

僕なんかでは願うことくらいしかできないけど、あの砂浜を失いたくない気持ちは強い。

 

蘇れ、千里浜なぎさドライブウェイ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 千里浜なぎさドライブウェイ
  • 住所: 石川県羽咋郡宝達志水町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり(出入口・砂浜共にわりとフリーに停められる)
  • 時間: 特になし

 

No:085【愛媛県】四国最西端の「佐田岬」!!日本一細長い半島の端から九州を眺めよう!

四国本土の最西端。

 

 

その岬は「佐岬」だ。

読み方は「さみさき」。

 

鹿児島県にある本土最南端の岬は「佐岬」と書いて「さみさき」と読む。

書き方も読み方も、Webを見るとカオスになっている。

みんな気をつけようぜ。

 

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では、海にメッチャクチャ鋭角に突き出した岬、佐田岬をご紹介しよう。

そして、あなたが訪れる際には、心してかかってほしい。

 

 

 

日本一細長い半島

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

四国の最西端と聞いて、すぐに名前が出てくる人は、それこそ四国の人とか旅好き・地理好きの人のみではないだろうか?

僕も長距離ドライブを趣味にする以前にこの岬の名を知っていたかどうか、ちょっと自信が持てない。

 

しかし、本土最突端16岬を踏む上では重要かつシビアなプランニングを求められる岬の1つだ。

それだけに印象深い。

 

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さて、上の図でまずは大体の位置を把握していただけただろうか。

 

しかしこの岬の特徴は、もう少し愛媛県にズームしたほうがわかりやすい。

ただしね、よっぽどデフォルメされた日本地図でない限り、あなたも必ず地図上で目にしているほどに特徴的な岬なのだ。

 

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以前僕は、同じ愛媛県の記事の中でこんなことを書いた。

 

佐田岬は、日本一細長い半島である佐田岬半島の先端だ。

メッチャ尖っている。

 

子供に四国を与えるとしたら、 ケガをしないように佐田岬半島をポキッと折ってから与えたほうがいい。

 

逆にあなたが新米の殺し屋であり、ボスから与えられた武器が四国しかないのであれば、佐田岬半島をターゲットの首の後ろにブッ刺すがよい。

そのくらい尖っている。

 

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見よ!このノコギリザメの歯のように尖った岬を!!

 

 

…な、怖いだろ?

…ん? あぁ、そうさ。僕だって怖いさ。

ホラ見ろ、足だってこんなにガクガク震えてらぁ。我ながら情けねーよ。

 

でもよ、ここでシッポ巻いて逃げちまったらよ、命を懸けて僕らに暗号を教えてくれたボブに、あの世で顔向けできないだろうがよ…。(ボブ?)

 

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メロディーライン1

ちょっとよくわからなくなってきたので、普通に解説しような。

 

九周を突き刺すように伸びるこの佐田岬半島

なんと長さは40kmもある。往復で80kmだ。すごい旅路なのだ。

 

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メロディーライン2

岬の先端へと向かうのは、国道197号の通称「メロディーライン」。

かつては凄まじい酷道で、「197(イクナ)」と言われていたのだ。

 

今は文字通り、鼻歌でも歌いながら走ると良かろう。

ま、そのうちそれが阿鼻叫喚に変わるのかもしれないがな…。

 

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メロディーライン3

佐田岬半島の道のりは、大きく分けて3部構成になっている。

今がその第1部、鼻歌エリアだ。

 

制限速度で走ると、走行音が「みかんの花咲く丘」に聞こえるエリアもあるぞ。

 

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メロディーライン4

「三崎港」にやってきた。

国道197号はここで終わる。

 

この港からフェリーに乗れば、大分県の「佐賀関港」に行ける。

僕もかつて2回利用したことのある港だ。

 

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メロディーライン5

さて、ここからが第2部。

愛媛県道256号佐田岬三崎線、険道エリアである。

 

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険道1

まだ道幅は広い。

中央線は無いものの、まだHUMMER_H3であっても楽々走れる。

 

しかしジワジワと道幅は狭くなるのだ。

いや、道幅だけではない、半島そのものが、より鋭利になるのだ。

なんだこの精神的圧迫感。

 

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険道2

このくらいになると、もう対向車が来たらどうしようかと不安になるね、僕。

ギリッギリで擦れ違い出来るかな?

 

この気持ちのいい青空に反して、ひきつった笑いしか出ない僕よ。

 

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険道3

転げ落ちそうになる断崖の上を走る県道。

しかもこういう山間部が多く、アップダウンが連続する。

毎回毎回、この道は肩が凝るんですわ、まったく。

 

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険道4

頭上では「みさき風の丘パーク」の風力発電プロペラが回っている。

あー、気持ちよさそうだな、そっちは。腹立たしい。

 

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険道5

別の車でアプローチしたときの写真もご紹介しよう。

 

もう間もなく第2部のゴールである。

道の狭さも極まってくる。

道路には地元の人の軽トラだとかが停まっていて、さらに狭くなっているのだ。

 

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険道6

さらにこのときは1月だったのだが、道路脇に雪もあったのだ。

もう、なんってこった。泣けてくるぜ。

 

こうして第2部が終わる。

 

 

岬の先端へのハイキング

 

車道の突き当りとなる駐車場へと到着した。

半島の付け根からここまで、1時間かかった。

 

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駐車場にて1

あ、ちなみにこの駐車場はなかなか眺めがいい。

結構な断崖の上から、九州と四国との間の海である「豊後水道」を見渡せるのだ。

 

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駐車場にて2

真冬の朝の8時であれば、このように朝日をまだ見ることができる。

四国の最西端ではあるが、駐車場から東側の展望も開けているのだ。

 

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駐車場にて3

同じく真冬の、朝の10:30だとこんな感じだ。

まぁまぁの広さの駐車場である。トイレもあるので車中泊もできそうだ。

 

さて、この駐車場から今度は西側、岬の先端方面を見てみようか。

 

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駐車場にて4

はい、すっごい荒々しい岬だね。

眼下の海はとっても綺麗だね。

 

でも、僕が気になるのはそれよりも、写真の右奥部分なのだよ。

だって、岬の先端はあっちなのだから。

でも、車道はここで終わり。歩いていかないと行けないのだから。

 

右奥をちょっとズームしよう。

 

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駐車場にて5

泣けてくらぁ。

 

あれが「佐田岬灯台」だ。あそこまで歩くのだ。

距離もすごいが、アップダウンもハンパないのだ。

 

でも、ここまで来たなら行くしかない。

 

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ハイキング1

灯台まで1800mです。がんばりましょう!』

 

よーし、無責任な看板だ。

ここまでも僕、結構がんばってきたつもりなのに。

 

さて、ちゃんとトイレは行ったか?

往復1時間はかかるぞ、第3部のハイキングエリアへGO!!

 

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ハイキング2

ところでね、出鼻をくじくようだけどもスタート直後にガーディアンいるからね。

 

それは地元のおばあちゃんだ。

Web世界ではちょっと評判がイマイチだ。

 

「ミカンどうですか?」と言われた。夏に来たときにはアイスを勧められたかな?

愛媛の特産物なのに申し訳ないが、「僕はミカン苦手なんですよね」って言ってスルーした。

 

これは本当なのだ。

しかしミカンが苦手でない人はウソをつきづらいかもしれないし、複数名で行って全員ミカン苦手なケースはありえないだろう。

買うのか逃げるのか、戦略が必要なのだ。

 

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ハイキング3

道は長く険しい。そして木々がうっそうと茂っていて薄暗い。

夏は汗だくになるだろうし、冬は冬で岬に吹き付ける突風に凍える。

過酷な道のりだ。

 

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ハイキング4

中盤で、大きな谷が現れる。

下がってからまた正面の丘を登り、その向こうが灯台だ。

 

眼下にオレンジ色の三角形の建物や、白い施設が見えるだろうか?

あれは「佐田岬燈台キャンプ場」だ。

7月~8月の短い時期だけ営業しているそうだ。

 

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ハイキング5

閑散期のためか、なかなか荒れてしまっているように見えなくもない。

大丈夫か?

 

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ハイキング6

ところで、このキャンプ場付近でようやく一度展望が開ける。

四国最西端の海を眺められるのだ。

 

黄色いマスト(?)のヨットが行きかう姿は、とても雄大であった。

真夏の日に岬を歩いたこともあるが、真っ青な海の上に太陽が照っていて、とてもきれいな光景だった。ただし焼けつくような暑さでヘバった。

 

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ハイキング7

海はいよいよ透き通るのだ。

これは大切に守っていかねばならない海だ。

 

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ハイキング8

さて、ここはキャンプ場に下りていく歩道部分である。

 

九十九折りの途中部分、地面に黄色いシールが貼ってあるのがわかると思う。

これをちょっとズームしてみよう。

 

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ハイキング9

ジャーン!!

愛媛県道256号佐田岬三崎線の起点がここなのである。

 

あの、三崎港からクネクネと続いた険道は車道で途切れることなく、ここまで来ていたのだね。

車もバイクも入っていけない県道なのだ。

必ずみかん売りのおばあちゃんを突破しないと完走できない県道なのだ。

 

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ハイキング10

さぁ、目の前の丘を越えればゴール!!

佐田岬灯台、四国最西端だ!!

おめでとう!!

 

 

灯台と展望台

 

僕は階段の下から灯台を見上げた。

最後の行程。灯台へと続く直線階段を上がる。

 

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最西端の岬で1

風、強い。吹き飛ばされそうだ。

暴風だ。手すりに摑まると、冷え切った手すりの金属で手が凍えるし。

掴まらないと飛ばされそうだし。

 

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最西端の岬で2

なんとかかんとか灯台前までやってきた。

 

暴風に飛ばされそうである。

ここまで自撮りをするために三脚を持ってきたのだが、設置している場合じゃない。

三脚もカメラも、手を離せば最西端の海に飛ばされるわ。

 

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最西端の岬で3

まぁでもなんとか自撮りできたわ。

灯台の鉄柵にロープでカメラをグルグルと固定して、なんとか撮影。

 

これが四国最西端の碑である。

感無量だ。ここまでの道のり、長かった…。

 

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最西端の岬で4

本土最突端16岬の中でも、到達難度は僕が四天王の一角に数える岬である。

※ ちなみに他の3つは「トドヶ崎」・「蒲生田岬」・「鶴御崎」である。

 

労力も時間も使い、旅のスケジューリングも大変になるが、それでも無視できない岬なのだ。

なにせ日本一細長い半島なのだから。

走らないと損であろう。

 

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最西端の岬で5

その道のりを歩んだものだけが見れる、屈強なデザインの四国最西端の碑。

僕にとっては単なるプレートではないのだ。

 

僕はそれをなでると、最西端の海を眺めるためにさらに足を踏み出す。

 

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最西端の岬で6

あー…。

ちょっと天気が微妙なことになってしまった。

 

しかし、水平線に近い部分に陸地が横たわっているのがおわかりいただけるであろう。

あれが九州だ。大分県の、佐賀関付近だ。

 

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最西端の岬で7

これは、灯台の脇に設置されていたプレートの画像だ。

ここの位置関係を示している。

 

海に大きく突き出した岬は、瀬戸内海と宇和海の境界線となっている。

思いっきり突き出しすぎていて、四国の内陸部に戻るよりも九州上陸したほうが、距離的に何倍も近いほどの場所であることがよくわかる地図。

 

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最西端の岬で8

中央に見えている島は、大分県の佐賀関の沖に浮かぶ、「高島」だと思う。

距離はここから10㎞も無いであろう。

繰り返すが、佐田岬半島が40㎞あることを考えると、これはとても近い距離なのだ。

 

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最西端の岬で9

別の日ではあるが、高島の南側半分と、その背後の大分県

決して天気がいいとは言い切れない光景ではあるが、幻想的に浮かぶ九州の陸地を見てワクワクしたものだ。

 

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最西端の岬で10

足元を見てみよう。

 

…うん、肝が冷えるような高度だ。

消波ブロックがかろうじて顔を出している。

それだけ波が強いのか。佐田岬半島が凶暴なまでにギザギザなかたちであることも納得できる。

 

そして右奥に見えている断崖の地層が見事だ。

大地の年輪がダイナミックに刻まれている。

 

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最西端の岬で11

さて、この岬には灯台以外にも展望スポットがある。

それが、上記の「椿山展望台」だ。

 

突端マニアの人であれば、先ほどの四国最西端の碑を逃すわけにはいかない。

景観に重きを置く人は、ここ椿山展望台を逃したらもったいない。

…と考えてほしい。

 

椿山展望台という名称からは、何がどうなっている展望台かわかりづらいかもしれないが、灯台の背後に海が広がる絶景展望台なのだ。

覚えておいてほしい。

 

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最西端の岬で11

おそらくは、手前の綺麗に手入れされている木々がツバキなのだろう。

 

その向こうに、日本一細長い佐田岬半島の本当の突端が見えるのだ。

本当の「エンド of エンド」なのだ。

地図を見て、この意味を噛みしめて震えてほしい。

 

 

アナザーストーリー

 

さて、ここまでは日本4周目・5周目の訪問時の写真を中心に掲載した。

日本2周目は真夏の快晴の訪問だったのだが、あまり写真の画質が良くないので掲載を見送った。

 

この章では、日本3周目の訪問時について少しだけ触れたい。

 

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アナザーストーリー1

10月最終日の16:00ともなれば、もう太陽は大きく西に傾いている。

 

そんな中、僕は愛車の日産サファリをフェリーに積み、大分県の佐賀関港を出港した。

目指すは愛媛県佐田岬半島内にある三崎港である。

 

西日本を車中泊で一周している僕は、九州からその舞台を四国に移すのだ。

そして最初の目的は、今日中に佐田岬を踏むことだ。 

これができるかできないかで、明日以降のプランが大きく変わる。

 

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アナザーストーリー2

間もなく、船上から佐田岬灯台が見えた。

そして上の写真の右端にギリギリ写っているのが椿山展望台だ。

灯台の左下のトンネルは、太平洋戦争時の要塞だ。

 

これは船上からでないと見れない、レアな光景だ。

 

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アナザーストーリー3

あぁ、もうちょっと航路をズラして、僕を今すぐ灯台脇に降ろしてほしい。

 

三崎港からあの灯台までにとんでもない時間を要することを僕は既に知っている。

この時間からのアプローチで、日暮れまでに灯台に到達できる可能性は極めて低い。

相当にイチかバチかの、無謀な作戦なのだ。

 

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アナザーストーリー4

パノラマ写真を作ってみた。

スマホの人は見づらくって申し訳ないが、写真をタップして原寸サイズで横スクロールしてみてほしい。

 

まだ港まで20分。

港から駐車場まで30分。

駐車場から灯台まで20分。

 

なのに、既にこの夕暮れ!!

その絶望感を味わってもらいたいのだ。

 

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アナザーストーリー5

「ヤバいよヤバいよ…」と船上で僕は呟く。

優雅な船旅どころの騒ぎではない。

 

先ほどの僕の写真、10月最終日なのにTシャツ1枚だろ?

なぜかっていうと、駐車場から灯台までダッシュする気なのだ。

そのためには、今からイメージトレーニングをし、最大限の準備が必要なのだ。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

フェリーが港に接岸したのは、予定より5分遅れの17:15であった。

この5分がイタい。

タラップが下りるまではあと5分といったところか。

 

その5分でさらにしっかり荷物をまとめておいた。

水、良し。靴紐、良し。ハロゲンライト、良し。カメラと三脚、良し。

 

フェリーを降りた車がみんな半島の付け根の方向に向かうのに対し、僕の車だけが佐田岬方面のレーンに入る。

港の作業員さんが「えっ?」みたいな顔をしていたけど、関係ない。

アクセルを踏む。

 

駐車場まではハイビームをギンギンに照射し、もうほとんど真っ暗になる狭路に焦りながら到着。

駐車場にもちろんミカン売りのおばあさんはいない。

飛び出してダッシュだ。

 

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アナザーストーリー6

走れー!

遊歩道はもうほぼ真っ暗。

ただし灯台近くの空はまだ仄かに明るい。

なんか芥川龍之介の「トロッコ」の主人公みたいな気分で走りまくる。

 

オバケ出そうで怖いけど関係ない。

タヌキなら出た。お互いビビった。

 

数日前に熊本県の「日本一の石段」を攻略したときの筋肉痛がまだ残っているし、なんだったらさらにその前に「槍ヶ岳」を登山したときのダメージも残っているが、全無視。

僕は岬の先端に行くことしか考えていないのだ。

 

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アナザーストーリー7

もう二度と…、こんなことはやりたくない…。(ゼェゼェ)

 

汗が噴き出してるし、脈が死ぬほど速い。

灯台の前でヘタり込み、この写真を撮った。

ギリギリで真っ暗になる前に到着できた。

 

この後僕は、灯台の脇まで行き、暗い海を撮影した。

さっきまでいた佐賀関の夜景も綺麗だった。

 

 

また行ける日を夢見て

 

僕は、日本6周目ではまだこの佐田岬を訪問していない。

四国は既に東半分は走破済みだが、西半分はまだなのだ。

佐田岬には日本6周目の終盤で訪問する予定だ。再訪がとても楽しみである。

 

そして、ミカン売りのおばあさんとの再会も楽しみである。

Wikipediaの「佐田岬灯台」のページから、一部文章を抜粋しよう。

 

灯台への道は狭く、人がすれ違いするのがやっと。

その道に老女が待ち構えており、押し売りをはたらく。

果物や海産物を無理やり売る。

何品も勧めてくるので、観光客が根負けする。

灯台の駐車場には、伊方町が設置した、押し売りへの注意喚起の看板がある。

また駐車場にも押し売りがいる。

 

なんかすごい嫌なことがあったんだろうなーと推測できる文章だ。

「根負けする」と断言しているので、筆者の人は買ってしまったのであろう。

確かに僕もあのおばあちゃんは苦手だ。

 

ちなみに例の伊方町が設置した看板には、「粗悪なものを高値で」と書いてある。

マジか。そこまで叩いちゃって大丈夫か?

 

前述の通り、ミカンを断って灯台に向かった僕。

帰りにまたおばあちゃんからの攻撃を受けた。

「ミカンどうですか?」ってまた聞かれたので、「さっきお伝えの通り、フルーツダメです」と言った。

 

そしたら「それでは海藻どうですか?」と、自分で集めて来たというアオサを薦められたりなんやかんや。

値段を聞いてみると1000円前後と結構なお値段。

「それじゃあエンゲル係数が爆上げで死にます」と言い、スルーした。

 

しかし相手も人間。時間があるならば腹を割って話してみたい。

 

「これだけいい物なんですよ。こんなに紹介しているのですよ。だから買ってください。」と言われる。

ならば逆はどうだろうか。

 

僕はどこかでちょっといい物を買っていこう。

東日本限定のお菓子とか。

そして、ミカン売りのばあちゃんに高めに売ってみよう。手段は同じだ。

観光客に断る余地を与えないのであれば、逆に僕からの押し売りをおばあちゃんが断る理由もない。

 

まぁ本当にお金をふんだくるつもりはないが、こういったやりとりを経て仲良くなれたら、それもそれで良いと思う。

 

いつか待ってろ、コロナが明けたら待ってろ、佐田岬&おばあちゃん。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

 

No:084【千葉県】トトロの待つ秘境駅!!降りしきる雨の中、アイツに会いに出かけよう!

降りしきる雨の中。

妹をおぶり、傘を首に挟んだ不安定な恰好でたたずんでいると、となりに何者かの気配がした。

 

足音も物音もした覚えは無いのに。

この雨音がかき消してしまったのだろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。

確かにとなりに ナ ニ カ イ ル

 

心臓が高鳴る。

しかしこの雨の中、妹を背負ったまま走ることは困難だ。

息を殺し、傘の柄をギュッと握りつつも、恐る恐る視線を左に動かした。

 

クマを彷彿とさせる巨大な動物が、すぐとなりに2本足で立っているようだ。

殺される…。

逃げられない。力でも勝てない。声を出してもここは山の中。

 

…いや?

なぜこの動物は、身体をこちらに向けずに立っているのだ?

まさか自分に気付いていない??

 

傘をさしているせいで、となりの巨大な動物の顔までは見えない。

動物の顔を確認すべく、傘を少し傾けてみることにした。

 

ゆっくり、ゆっくりと…。

となりのアイツに気付かれないように…。

 

緊張で半分真っ白になった頭に、雨音だけがやけにザーザーと小気味よく響いていた。

 

 

 

秘境駅を目指せ

 

大変にすまない。冒頭からジブリをこじらせてしまった。

 

ご存じの方も多いと思うが、「宮崎駿さん」というケンタッキー・フライドチキンの前で微笑んでいそうな風貌の紳士の人気作品、「となりのトトロ」。

それを間違った方向にノベライズした結果である。

 

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豪雨の中で1

ところで、雨音だけがやけにザーザーと小気味よく響いているなぁ。

ホントに迷惑だなぁ。

 

…さて、この物語は今から少し時をさかのぼり、僕が日本5周目をしてたころのお話である。

関東の梅雨入りから2日目。

なんか神奈川県では避難勧告が出るし、関東の6月としては観測史上最多の降水量をマークするような大雨となった。

 

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豪雨の中で2

ヤバい。梅雨っていうレベルではない。台風のようだ。

周囲の世界がすべてモイスチャーなのだ。

節子だったらきっと「ずっとビチビチやねん」って言っている。

 

さて、現在僕が置かれている状況をご説明しよう。

 

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豪雨の中で3

目的地に行くにあたり、真ん中の緑の山脈を越える方法を考えているのだ。


大きな懸念は、この中で最も安全な場所を最大の強度で設計されているはずの高速道路が、大雨のために木更津東ICで遮断されたことだ。

 

もし高速すら危険なのであれば、国道409号まで行ったところでこれも無駄なのではないだろうか?

いや、でも高速道路はあくまでハイスピードで走ることを念頭に置いているから、国道より早く封鎖されることも考えられる。


最も効率的なルートである県道32号の通行止めの理由が、「養老川」の氾濫の危険があるからなのであれば、他のルートも絶望的だろう。

 

…と考えても始まらない。

試してみるしかないのだ。

2ケタ県道が通行止めなのに、格下の3ケタ県道が通れるビジョンが無いが、とりあえず県道160号に行くのだ。

 

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豪雨の中で4

 

通行止!!

 

…ではなかった。

まさに豪雨の中、おじさんがこの看板を設置中であった。

 

「今ならまだ行けますかーー!?」、僕が聞く。

「おぉ、いいぞーー!気をつけてなーー!!」、おじさんが答える。

 

僕は愛車のHUMMER_H3のアクセルを踏んだ。

 

県道81号に出る直前には、僕に背を向けた看板があった。

通り過ぎてチラリとバックミラーを見ると、通行止めの看板であった。

もう戻れない。片道切符だ。

 

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豪雨の中で5

その後もなんやかんやあったのだが割愛する。

なんかのゲームのように通行止めがボンボン出てきて、それをテクニカルに回避しながら進んだ感じ。

 

こうして僕とその仲間たちは、目的地である「上総大久保駅」に辿り着くのだ。

最後は「えっ?この先に本当に駅があるの?」みたいな擦れ違い不可な小道で、木々の枝を擦りながら入って行った。

 

秘境度MAXだ。

 

 

トトロの駅舎

 

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トトロに出会う1

なんだか自転車置き場みたいな規模の簡素な建物があるけど、これが駅舎だ。


ここは小湊線の上総大久保駅

「トトロの駅」とも呼ばれる無人駅。

 

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トトロに出会う2

時刻表を見てみると、電車は1時間に1本来るか来ないかって感じ。

1日の平均利用者数は8人程度だそうだ。


千葉っていうと結構首都圏のイメージがあるけど、房総半島の山間部に入ると途端に違う顔を覗かせる。

この房総半島のアドベンチャー的な側面、僕は好きなのだ。

 

では、駅舎をじっくりご紹介しよう。

 

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トトロに出会う3

「CINEMA CARAVAN」の看板が、ウエスタン調でかっこいい。

これはちょうどこの時期に千葉県各所で行われていたアートイベントの看板かな?

 

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トトロに出会う4

はい、ちょっとカメラを引くと「まっくろくろすけ」だ。

 

黒カビみたいに繁殖している。

梅雨のジメジメした雰囲気にマッチしていて、かわいいけども現実的に考えるとちょっと笑えなくなる。

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トトロに出会う5

駅舎内の時計。

平成時代のものだそうだが、もう経年劣化のレベルが余裕で昭和だ。

 

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トトロに出会う6

駅舎内に、トトロの有名なシーンを描いたと推測される壁画がある。

芸術が爆発している。 

 

やたらと肩を怒らせ、なんか面白くないことがあったであろうと推測されるトトロ。

それを怖がるでもなく笑うでもなく、ドン引きで見つめる姉妹。

 

「メイ」の手には植物の種の詰め合わせの巾着がある。

 トトロはこのままの顔で、これをメイに渡したのか。悪いヤツめ。

 

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トトロに出会う7

もう1バージョンある。

浮遊トトロだ。軽いのか。

お腹の中はヘリウムガスでも詰まっているのだろうか。

 

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トトロに出会う8

「さつき」の顔が、いろいろと心配になる。

異様に小さな瞳孔から、魂の鼓動を感じられない。

完全に虚無の世界に入っている。

なんだこの夢の量が控えめなトトロは。

 

これらの絵は、近所の小学生が描いたものだそうだ。

さっき時計の下に掲示してあった「白鳥小学校」の生徒なのだろうか?

感性の赴くままにフリーダムに作画していると感じた。

 

白鳥小学校は、のびのびと自主性のある生徒を育てているのだろう。最高だ。

※ どうやら2013年に他校との統廃合で、廃校となってしまったとのこと。

 

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トトロに出会う9

同行した仲間の1人に、あてずっぽうで「どうせオマエの初恋ってさつきだろ?」って聞いてみた。

「そ、そうだよ。なぜわかった?」と狼狽えつつ返事がかえってきた。


記念に瞳孔の開いたさつきと彼のツーショットを撮ってあげた。

僕は粋な計らいができる男なのだ。

 

 

秘境に電車がやってきた

 

さて、次はホームだ。

 

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電車を見る1

このように、駅舎とホームは完全に融合している。

相変わらず降りしきる雨の中、ホームに出てみた。 

 

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電車を見る2

じっくり時間をかけてダメージを蓄積した駅名板だ。

次の駅は「養老渓谷」。次の僕らの目的地だ。

 

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電車を見る3

緑の田園地帯に続く線路。何というのどかな風景なのだろう。

都心からしばらく走れば、こんな風景が見れるのだ。癒される。

 

線路を眺めていると、「カターン、カタターン」と遠くから音が聞こえてきた。

電車がもうすぐやってくるぞ。

実は時刻表を見て、ちょうど電車がもうすぐ来るとわかっていたので、待機していたのだ。

 

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電車を見る4

1両編成の電車が登場した。

そして丸みのある昭和レトロなデザイン。かわいさを振りまきながらやってきた。

 

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電車を見る5

ホームに止まった。そりゃそうか、駅だから。

しかし誰も降りないし、誰も乗らない。駅なのに。

 

わずか1分ほどで、電車は再び動き出す。

 

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電車を見る6

車掌さんが僕らに手を振ってくれた。

それだけで心がポカポカした。

 

雨の中、大変かもしれないけど、がんばってください!

 

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電車を見る7

そして雨の中、また電車は消えていくのだ。

 

 

森のブランコ

 

この駅で見てみたいスポットがもう1つある。

それは線路を挟んだ反対側にあるという。

わずかな距離ではあるが、土砂降りなので車に乗ってそこに移動した。

 

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ブランコ1

未舗装の路地に愛車を停車させた。

 

草むらの奥に、さっきの上総大久保駅が見えている。

よりローカルな雰囲気を醸し出すその駅に、我々一同は胸キュンである。

 

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ブランコ2

ここで見たかったもの。それはブランコ

 

イチョウの枝に吊り下げられた、ファンシーなブランコである。

天気のいい日にこのブランコを漕げば、 素敵な思い出を得られるであろう。

 

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ブランコ3

このイチョウは、夫婦イチョウと呼ばれている2本のイチョウのうちの1本。

樹齢は60年だそうだ。

ブランコを支えてくれて、ありがとう。

 

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ブランコ4

土砂降りであっても、バランス感覚があればブランコを漕げる。

 

 

かわりがわる漕いでみた。

ちょっとだけ童心に返れるような感覚がする。

 

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遠景1

さて、せっかくここまで来たので、上総大久保駅の遠景を最後にご紹介しよう。

 

左右に2体のトトロ、そして中央近くにまっくろくろすけがいるのがおわかりいただけると思う。

このように、小さな小さな駅なのだ。

 

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遠景2

周囲は全て緑。

実は晴れの日にも冬の日にも来たことはないのだが、緑と雨の似合う駅だと感じだ。

 

雨の日のドライブとなったことは残念だが、この出会いは素直に嬉しい。

 

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遠景3

少し離れて眺めると、まさに秘境駅としか言いようのないこの光景である。

この静かな森の中。

21世紀となった今だって、ちゃんとトトロがいるのだ。

 

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遠景4

ブランコを漕いで童心に返った我々であれば、この森の中で本物のトトロに会うことができるだろうか…?

そう思わせてくれるような、素敵な駅であった。

 

さて、僕らはこの後「養老渓谷」を目指す。

雨は相変わらず弱まるところを知らない。

 

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豪雨の中で6

出発した僕らは、田園地帯の中を走りだす。

ハンドルを握る手にも緊張感を感じる。

 

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豪雨の中で7

養老川はすんごい濁流となっていたり、その後も危機感溢れるドライブであったが、なんとかなった。

例の道はもう引き返せないので、海岸沿いをグルーっと迂回して戻ったりと大変だったが、今となってはそれも思い出である。

 

あなたもいつか、上総大久保駅を訪れてみてほしい。

日常では味わえない、心の癒しを得ることができるかもしれない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 上総大久保駅
  • 住所: 千葉県市原市大久保96-2
  • 料金: 駐車場
  • 駐車場: 数台分あり
  • 時間: 特になし

 

No:083【兵庫県】一足早い春の訪れを満喫!「世界の梅公園」は300種類の梅が咲き誇る!!

2月中旬にもなると、春の足音が聞こえてくる。

梅の便りだ。

 

2020年~2021年の冬はとんでもなく寒かった。つらかった。

冬の寒さが苦手な僕は、身も心も凍えた。

 

そんな今年は、なおさらに春が待ち遠しかったのだ。

待望の梅が、温暖な地域から順に開花してくる。

 

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最高だ。

梅もほころぶし、心も顔もほころぶ。

 

もっとも、2021年現在はコロナウイルス流行の影響で緊急事態宣言が出ていたりなんやかんやで、おいそれと梅見ができない。

だから過去の2月のエピソードをご紹介したいと思う。

 

 

僕の春は梅から始まる

 

「道の駅 あいおい白龍(ペーロン)城」という、兵庫県西部にあるチャイナ系の道の駅を出発し、国道250号を東に10kmほど走ったところだ。

 

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梅公園との出会い1

「世界の梅公園」という幟が目に入った。

梅が咲いているのだ。そして、世界中の梅の猛者がここに集結しているのだろう。

サミットのように。オリンピックのように。

 

運転しながらでも1秒で魅力の理解できる、とても秀逸なネーミングだ。

 

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梅公園との出会い2

反射的にハンドルを切り、その世界の梅公園とやらに行くことにした。

 

まだ2月だが、僕は春を求めている。

春を待ちわびている。

そんな季節に春の第一走者となって、僕らに春の気配を届けてくれるのは梅なのだ。

 

春を待ちわびる者にとって、春とのファーストコンタクトの機会を逃す理由はない。

 

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梅公園との出会い3

さて、結論から言うと、個人的には国道から公園に入ってすぐ、10mくらいの場所にある無料駐車場に車を停めて良かったと感じた。

理由は以下の通りだ。

 

  • さらに進んだ先にある駐車場は有料である
  • いろんな梅を見ながら散歩できる。

 

もっとも、この公園は標高差のある丘の形状である。

「上から梅を見下ろすのが目的だ」・「丘を登るのは足腰シンドい」というのであれば、頂上にほど近い有料駐車場が良いだろう。

実際、歩行距離はなかなかで足が疲れた。

 

特性を理解し、用途に合わせて使用できればクレバーだ。

 

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梅公園との出会い4

国道脇の無料駐車場はほぼ満車状態で、僕が最後の1台だった。

危ない危ない。

 

僕の愛車はHUMMER_H3っていうんだけど、車体が大きく幅もあるので、あまり奥まった駐車場だと細い道をそこまで行くのが大変なのだ。

だから多少歩いたとしても、駐車できそうなところに停めるよう普段から心がけていた。

 

あと、事前情報ゼロで訪問したスポットであるが、僕の嗅覚が「この先にある駐車場は有料かもしれないぞ」とアラートを出していた。

あとで判明するのだが、どちらも僕の判断は正しかったのだ。

 

さて、では梅の咲き乱れる丘を登って行こう。

待ってろ春。ワクワク。

 

 

梅の咲き乱れる丘

 

梅園までは、ここから1㎞ほどあるそうだ。

そこそこの距離ではあるが、ポカポカ暖かい春先取りの陽気であるし、時間にも余裕がある。

これはゆったりと春を感じながら散歩をするのが得策だ。

 

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梅散策1

車道脇をテクテクと、丘の山頂方面に向かって歩く傍らにも、もう梅が溢れている。

当たり前だが、車の中から見るよりも間近で見ることができる。

これは実に幸せである。

 

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梅散策2

上の写真は、日本の梅である「八重野梅」だ。

確かになんだか見慣れている梅、って感じがする。親近感。

 

料金所が登場した。

ここから先は入園料の400円を払うそうだ。もちろん払った。

春の先取りには400円分以上の価値がある。

 

料金所のおじさんが言うには、園内の駐車場は有料なのだそうだ。

下の無料駐車場に停めてきてよかったと思った。

 

続けて料金所のおじさんは、「この先は車道を歩くのではなく、遊歩道に入ると良い。いろんな梅を見ながら山頂を目指せるよ。」とアドバイスをしてくれた。

親切なおじさん、ありがとう。

 

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梅散策3

これは中国産の「淡粉梅」という種類らしい。

ビビッドピンクが目に眩しい。

 

これについては、白っぽい種類もあった。

僕は、色が違うともう同じ種類かどうかもわからないが、種名の記載されたプレートがついているのでそれを信じる。

 

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梅散策4

はい、これが淡粉梅の白バージョンだ。

はかない感じで綺麗だ。

 

僕はうっかりしていると梅・桜・桃の花の区別もつかないような人間だ。

なんとなく特徴は理解しているつもりでも、100%の見分けがつく自信はない。

さらに梅の花もそれなりに多種多様なのだ。

 

もはや僕には何が何だかわからないが、「花が綺麗だ」と思えるだけで人生がハッピーであることだけは理解できた。

 

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梅散策5

他に人はほとんどいなくて静かな遊歩道。そこにポツポツ梅の花が咲いている。

時間の流れがゆっくりで、とってもいいわ。

 

上の花は日本種で「玉拳」というらしい。

 

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梅散策6

 

この公園には、日本・中国・韓国・台湾などの300以上の品種の梅が植えられているそうだ。

コレクター力がハンパない。

 

そもそも梅って300種類以上もあったのか。驚きだ。

 

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梅散策7

遊歩道の途中に中華風の展望台があった。

 

登ったら梅園を少し高い目線から見ることができた。

特に景観がいいとは感じなかったようで、ここからの写真は存在しない。

 

 

丘の上の展望台

 

さて、丘の山頂に到着した。

駐車場から梅園入口の料金所まで600mほど、そして入口から頂上までさらに1kmちょっとあったのだろうか?

 

30分ちょっと歩いたところで、ようやく山頂に到達したのだ。

結構歩いた。

もう上着いらない。ここまで歩いて体はポカポカだ。

しかも春ですもん。春に上着などいらない。

 

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丘の上1

ここにも展望台があった。しかも巨大だ。

そして中華だ。名前は「唐梅閣」というらしい。

 

あと、僕は訪問はしなかったが、「来鶴軒」という休憩施設があったり、「尋梅館」という1Fが梅の資料館で2Fがレストランになっている施設もあるらしい。

そしていずれも中華風の建造物だ。

 

Wikipediaさんの記載によれば、これらは中国の人が「日本人に異国情緒を感じてもらいたいな」って思って建てたとのこと。

しかし他のWebサイトをいろいろ調べてはみたものの、その中国人が何者なのかはわからなかった。

 

そして、冒頭にちょっとだけ書いた、道の駅 あいおい白龍城っていう、さっきまで僕がいた中華風の道の駅との関連性も気になるところだ。

 

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道の駅 あいおい白龍城1

そもそもなぜ道の駅 あいおい白龍城が中華風なのか。

…っていうのは、話すと長くなりそうなので、以下にリンクを貼らせていただく。

 

www.city.aioi.lg.jp

 

ザックリ言うと、中国にペーロンというカヌーみたいな船の競技がある。

江戸時代に長崎に伝わり、それがなんやかんや、ここ兵庫県相生市にやってきた。

それ以降、ペーロン相生市の名物だ。

 

1991年ペーロンの本場である中国をモチーフとし、この道の駅「白龍(ペーロン)城」を作ったのだ。

 

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道の駅 あいおい白龍城2

僕も何度か訪問している、お気に入りの道の駅だ。

車は停めづらいが市場など活気があるし、模擬店の広島焼きが安くてうまい。

 

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道の駅 あいおい白龍城3

…あ、話が脱線してしまってすまない。

 

この世界の梅公園ができたのは1993年だという。

仮に白龍城の建造を本場の中国人にオーダーしており、その中国チームが白龍城完成後に続けて「世界の梅公園にも我が国の建物をブッ建ててやるわ!」みたいな溢れ出るモチベーションで建造してくれたのであれば、綺麗なストーリーだ。

しかしこれを裏付けるだけの情報は、入手できなかった。

 

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丘の上2

展望台、唐梅閣に登ってみた。

階段が狭くって擦れ違いができないくらいだしかなり急だし片側交互通行。

そして小さい子とかには大変そうなレベルだった。

 

内陸方面のビューはこんな感じ。

牧歌的な田園風景であった。まだちょっと冬のよそおいだ。

 

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丘の上3

海側を見てみよう。あっちが瀬戸内海だ。

そして足元には梅園だ。

 

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丘の上4

梅林の向こうに建物と駐車場が見える。

建物はきっと尋梅館だ。

 

そしてあの駐車場はきっと有料だが、あそこに停めればほぼ高低差なくここまでやって来れる。

ここ頂上付近は梅も密集しているので、ピンポイントで楽しみたいのであればあそこの駐車場も良いのではないかと思う。

僕は散歩したかったから丘の下の無料駐車場でよかったが。

 

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丘の上5

あのあたりが、「THE・瀬戸内海」って感じだ。

 

穏やか過ぎる海に、養殖イカダ。

(まだかろうじて冬だが)の海って、なんてこんなに穏やかなのだろう。

この陽気と相まって、心がとろけそうだ。あのイカダの上で昼寝したい。

 

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丘の上6

展望台の近辺は芝生も歩道も綺麗に整備されていて、中華の庭園って感じだ。

 

ここは公園内のハイライトなのか、多くの観光客で賑わっている。

ファミリーやカップルが記念写真を撮っていたり、おじさんが三脚を設置して一心不乱に梅の花を撮影していたりした。

 

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丘の上7

ロンリーな僕も、負けじとセルフタイマーで記念撮影するのだ。

 

みんながグループでいる中で僕だけ1人だという孤独感は、この陽気と梅の花々が癒してくれる。

(まだかろうじて冬だが)はチャレンジの季節だろ?

 

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丘の上8

春が来た。

待望の春だ。

 

木々はこれから命を吹き込まれたかのように、一気に芽吹くのだろう。

 

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丘の上9

僕は冬が苦手なので、春の到来は素直に嬉しい。

1年で1番好きな季節かもしれない。

でも、この時期だからこそ感じることがある。

 

逆に言えば、苦難と共に歩んできた冬ともこれでお別れなのだ。

それは、例えると「頻繁に争い、いけ好かなかったライバルの別れ」みたいなものだ。

気は合わないヤツだけど、今から振り返ればいいところもあったかもしれない。

ほんのちょっとだけ、別れが寂しい。

…そんな感じだ。

 

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丘の上10

さようなら、冬。

これが冬に対する、手向けの花だ。


そして僕は、新しい季節を歩みだす。


以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。 


 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 世界の梅公園
  • 住所: 兵庫県たつの市御津町黒崎1858-4
  • 料金: 400円
  • 駐車場: あり(有料駐車場は500円らしい)
  • 時間: 9:00~16:30

 

No:082【北海道】日本本土の最東端「納沙布岬」!そこで臨むは未だ手の届かぬ北方領土…!

日本本土の最東端。

 

 

それは北海道の本土の最東端でもある、「納沙布(のさっぷ)岬」だ。

民間人が到達できる日本の最東端。

 

納沙布岬という言葉を聞いただけで、僕の脳裏には肌寒く潮の混じった北国の風が吹きつける。

景色の良い素晴らしい岬ではあるのだが、同時に難しい政治背景を持つため、切ない気持ちにもなる岬だ。

 

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今回は、そんな極東の岬をご紹介したい。

 

 

荒野の果ての世界

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

本土最突端16岬の中で最も東に位置するのが、この納沙布岬だ。

 

「日本の最東端」と言うのであれば、絶海の孤島である「南鳥島」だとか北方領土などもあるのだが、それらは2021年現在で一般人は行けないエリア。

実質現時点での日本最東端と表現してもいい地だ。

 

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根室の町でご当地グルメエスカロップを食べた僕は、最東端を目指して町を後にする。

 

すぐに市街地は終わり、小さな漁業集落がポツポツあるような荒涼とした世界が現れた。

「いよいよ最果てが近付いたな」という感じだ。

 

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最果ての世界へ1

これは後述する北方領土への想いもあるのかもしれないが、この岬を目指すときの僕の感覚は「ワクワク・ウキウキ」ばかりではない。

 

例えると、賑やかな都心から乗った電車で、次々と乗客が下りていって自分1人となり、終着駅で降りると人のいない真っ暗で小さな町だった…、みたいな感覚。

もちろん納沙布岬近辺で元気に暮らしている人もいるから失礼な表現になってしまっていることは重々承知なのだが、僕がそう感じてしまっているのだからしょうがない。

 

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最果ての世界へ2

さらに、この岬は曇天であることが多い。

春から夏は海霧が発生しやすいのだ。

 

逆に秋から冬は晴天であることが多いのだが、北海道を旅する人の多くは夏を中心とした季節をチョイスするし、僕も例に違わない。

つまり曇天アプローチであることが多い。

 

そして曇天だと寒い。

寒いと気が滅入ることが多い。

実際、桜前線の国内終着地点だしね。ソメイヨシノが咲くの、5月中旬とかだしね。

 

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最果ての世界へ3

運よく快晴だったこともある。

 

良く晴れた初秋だった。

このときはアホみたいに勢力の強い台風が過ぎ去った翌日の台風一過であり、本当に最高の天気であった。

ただ、この前日はなかなかワイルドなドライブだったがな…。

 

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最果ての世界へ4

まとめると、僕が納沙布岬に一種の寂しさを感じてしまう理由は以下の通りだ。

 

  1.  北方領土に関する政治背景
  2.  夏は曇りやすい
  3.  寒い
  4.  にぎやかな街が無い

 

人それぞれ感じ方は違うだろうから、あなたはあなた自身でこの岬を体感してもらいたいと思う。

 

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最果ての世界へ5

さて、そうこうしているうちにゴールが見えてきた。

あの高いタワーが見えているところが本土最東端の納沙布岬だ。

 

 

本土最東端の碑

 

納沙布岬エリアにあるものは、ザックリと以下の通りだ。

細分化すればもっとあるが、僕はO型なのでザックリ行かせてほしい。

 

  • 本土最東端の碑、モニュメント類
  • 資料館
  • 展望タワー
  • 土産物屋
  • 灯台

 

このうち灯台だけは少し場所が離れている。あとで行こうと思う。

 

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最東端の碑1

さぁ、いきなり突端マニアのハイライトをご紹介するぞ。

日本本土最東端の碑だ。

 

砂利の駐車場の一角に立っているぞ。

その左側の車は、日本3周目の僕の愛車であるbBだ。

 

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最東端の碑2

1つだけ、みんながここで気持ちよく過ごすために、僕を含めて気をつけたいことがある。

 

それは、最東端の碑の前を占有しすぎないようにする、ということだ。

まずはこの碑は駐車場の一角ではあるが、他の駐車スペースが全て埋まっていない限り、この碑の前に駐車をするのは避けよう。

 

もっとも、お盆シーズンであっても駐車場全てが埋まることはほぼないと思うが。

僕もお盆に行ったことあるが、充分に空いてた。

 

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最東端の碑3

とはいえ、みんな愛車と最東端の碑とのコラボ撮影はしたい。

 

だから、碑の横にバイクなり自転車なり四輪なり、愛車を置いて撮影。

そしたら後の人に譲るために愛車を移動…。

こんな感じにできるとスマートだ。

 

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最東端の碑4

ところでこの碑は丸太のような木の柱なのだが、その足元を見ていただきたい。

 

黒光りする石のプレートが埋め込まれている。

ここも忘れずに、ぜひ注目だ。 

 

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最東端の碑5

緯度と経度が記載されている。

そして、方位記号の中には本土最北の海と、後述の灯台の絵が描かれている。

 

東はご覧のように右上を指している。

この方向には、灯台だとかまだ陸地が続いてはいるけれど、最東端の碑はこの位置なのだ。

僕も細かいことは全く気にしない。

この碑と撮影できることが、最大の目的だ。

 

 

北方領土への想い

 

前述のようにこの敷地内にはいくつかの施設やオブジェがある。

 

しかし残念ながら僕は施設類をあまり詳しくは見ていない。トイレを借りたことならあるけど。

写真も少なく、充分に満足いただけるご説明はできないと思う。申し訳ない。

 

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オブジェたち1

まずは一番目立つ巨大オブジェ、「四島のかけはし」だ。

 

北方領土は大きく「択捉島」・「国後島」・「色丹島」・「歯舞群島」の四島だ。

これを4つのブロックを繋げて表現したらしい。

 

北方四島は日本の領土だぞ。返せよ。」という思いを具現化し、このビッグでゴチゴチのオブジェを製作したのだ。

 

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オブジェたち2

かけはしの真下では、祈りの火が燃えている。

 

1972年(昭和47年)に、アメリカから沖縄が返還された。

その沖縄の最南端の島「波照間島」で採取した火をここまで持ってきて燃やしている。

 

「沖縄に続け。北方領土返還活動の火を決して消すな。」というメッセージだ。

 

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オブジェたち3

引きと撮るとこんな感じだ。

 

付近一帯は「望郷の岬公園」という名前。

望郷とは、手が届かない状態になってしまった北方領土を指しているのだろう。

この公園のテーマ自体が、北方領土返還だ。

 

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オブジェたち3

園内、さっきの本土最東端の碑のすぐ脇には、『呼び戻そう 祖先が築いた北方領土』という碑もある。

 

碑にも日の丸、その横のポールにも日の丸の旗。

風が強いため、旗はボロッボロだ。

 

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オブジェたち4

隣には『北方領土奪還 日本民族連合』というパワーワードが掲げられている。

 

日本人を日本民族連合と表記するとは…。

表現が強いな。

しかしこれ以上ヘタなことを書くと「それがYAMAを見た最後であった…」という説明書きと共に僕の存在が消されそうなので、このあたりで筆を止めよう。

ヤベーヤベー…。

 

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オブジェたち5

返せ!北方領土

四島還り 広がる交流 深まる友好』 

 

アザラシの笑顔と「返せ!」のギャップの差に戸惑いを隠せない。

この笑顔でバイオレンスな発言。

これヤバい。クラスで一番怒らせてはダメなタイプのヤツだと、僕の本能が警鐘を鳴らした。

 

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オブジェたち6

北方領土は日本固有の領土です。』、と書かれた床面のMAP。

これは2013年くらいに設置されたと記憶している。

納沙布岬を間違って「日本最東端」とか言おうものなら、自警団にしょっぴかれかねないな、これ。

 

そして、ここから見てどの方角に北方四島があるのかをMAPで確認できる。

 

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オブジェたち7

年数が経って少し劣化したバージョンも掲載しておく。

このときは霧が濃くって、北方領土は何も見えなかった。

 

そして、2枚上の写真にはチラッと写っているが、このMAPの奥にも納沙布岬の碑がある。

 

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オブジェたち8

これだ。

かたちこそ、さっきの本土最東端の碑に似ているものの、書かれている文言は『返せ北方領土 納沙布岬だ。

 

とんでもないシュプレヒコールの嵐である。

公園全体が「返せ!返せ!返せ!!」ってなっている。

これが正論とかどうとかは置いといて、正直ちょっと疲れる。

 

これらを見ると、もう敷地内の「根室市北方領土資料館」だとか「望郷の家」だとかは、おなかいっぱいで入ることができなかったのだ。マジすみません。

 

 

北海道灯台発祥の地

 

次に、本土最東端に立つ灯台をご紹介したい。

前述の通り、灯台だけ少し離れた場所にある。

 

 

緑地帯が、ここまでにご説明したスポットだ。

本土最東端の碑もそこにある。

 

これに対し、さらに東に300mほどの場所にあるのがこの灯台だ。

上の地図をご覧の通り、本当に本土最東端なのは灯台の裏手である。岬の先端も同様である。

まぁでも細かいことは置いておこう。

 

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納沙布岬灯台1

ずんぐりむっくりな、かわいい灯台

しかし日本の灯台50選にエントリーされているし、北海道最古の洋式灯台だったりと、なかなかすごいお方らしい。
 

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納沙布岬灯台2

本土最東端の碑からは、徒歩ではなく愛車を使ったほうがスムーズだ。

ここはいつも風が強いし寒いので。

 

さて、まずはちょっと古めの2010年の写真からご紹介する。

薄汚れているしサビているしで、なかなかのダメージであった。

 

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納沙布岬灯台3

数年後に再び見に行ったら、すごく美白されていた。

 

これ、ウェディングケーキじゃないのか、そうなのか?って思うほどだった。

「ケーキ職人の監修のもと、改修しました」と言われたら、僕は単純なので信じる。

 

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納沙布岬灯台4

 灯台の前のポール。

『北海道最初の納沙布岬灯台』・『北海道灯台発祥の地』の表記がある。

 

明治初頭から、この本土最東端の海を照らし続けている。

ちょっと前までは霧信号所もあった。

長年、北海道本土の海の安全を守ってくれているのだなぁ。

 

 

本土最東端の眺め

 

最後に、ここからの景色をご紹介したい。

ちょっと本土最東端の碑のところまで舞い戻ろう。 

 

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本土最東端の眺め1

碑の後ろ側は 海が広がっている。

一見すると穏やかで平和な海に見えるだろう。

 

しかし、政治的な事情を踏まえると、もうここから先はなかなかにハードな治安なエリアとなってしまうのだ。

 

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本土最東端の眺め2

波が打ち付ける岩礁

その奥に広がる青い海。実はこの写真も、左奥をオリジナルサイズで見るとわかるのだが、 北方領土の建造物がちゃんと肉眼で見えているのだ。

 

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本土最東端の眺め3

 

貝殻島」の灯台

 

 

僕のチープなコンパクトカメラではこれが限界だが、ちゃんとしたカメラを使えばボロッボロの灯台がはっきりと撮影できると思う。

 

貝殻島は満潮時にはほぼ水没する島。

老朽化してやや傾いた灯台だけが海上に突き出し、たまーにチカチカ点滅するのだ。

ホラーだ。

 

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本土最東端の眺め4

位置関係はこんな感じだ。
天気が良く空気の澄んだ日であれば、これらの島が目視できる。

 

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本土最東端の眺め5

貝殻島灯台まで、ここからわずか3.7㎞なのだ。

車を飛ばせば3~4分の距離だ。

灯台も肉眼で見える距離だ。

日本の領土と言われている場所だ。

 

しかし、行くことはできないのだ。

ロシアの巡視艇もいたりして、突撃しようとすると国際問題になる。

 

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本土最東端の眺め6

これは「水晶島」だな。

見えているのに、手が届かない。

 

こう考えると、さっきの「返せ」と連呼したくなる気持ちもわかる。 

ここから根室の市街地に行くよりも遥かに近い場所に見えているんだもんな。

 

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本土最東端の眺め7

僕は道民ではないので、ピンと来ない部分もあるのだろう。

例え真剣に考えたところで、どこか他人事になってしまっているのかもしれない。

 

しかし、この地に住む人にとっては、そうではないのだ。

 

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本土最東端の眺め8

北方領土が故郷の人もいるだろう。

親や祖父母が北方領土を故郷に持ち、「帰りたい」という思いを口にしている様子を見てきた人もいるだろう。

 

「故郷に帰りたい」っていうのは人間の本能に近い部分もあるかもしれない。

昨今のコロナウイルス流行で思うように実家に帰れない人の気持ちを、数100倍にしたかのような辛さなのかもしれない。

 

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本土最東端の眺め9

いろんな事情が渦巻いているのでなかなか簡単な問題ではないだろう。

しかし、どんなかたちであれ、この地の人の心の平穏を願わずにはいられない。

 

 

そしていつの日か、僕もこの先に浮かぶ島々を訪問できる日が来るのだろうか。

 

ひとまず、今行ける範囲はここまでだ。

再び愛車に乗り込み、半島を引き返す。

視界の隅に、祈りの火の揺らめきがチラリと見えた。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 納沙布岬
  • 住所: 北海道根室市納沙布
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:081【熊本県】閉所恐怖症即死の洞窟「トンカラリン」!邪馬台国の卑弥呼もここに!?

「トンカラリン」。

この不思議で幼さすら感じる響きの裏には、壮絶な冒険が待ち受けている。

 

ほふく前進でないと侵入できない、謎の洞窟トンカラリン。

変形頭蓋骨が出土したという、不気味な洞窟トンカラリン。

 

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このミステリーは2021年現在、解き明かされていない。

だから僕の低めのIQを以てしても当然わけわからん。

 

しかし、僕はそのミステリーに触れることに価値を見出すタイプだ。

謎は謎のままでいい。

 

さぁ、ミステリーハンターの僕が行くぞ。

世界、ふしぎ発見!!

 

 

トンカラリンはどこにある?

 

僕は「道の駅 きくすい」に向かって西日の中、アクセルを踏む。

初秋の17時はそろそろ 1日のゴールを定めなければならない時間だ。

まだムワッと暑いが、そろそろ秋分なのだ。

 

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トンカラリンを探せ1

…今日という日の残り時間に結構焦るぜ…。

「三池炭鉱」の廃鉱を巡るのに時間をかけすぎてしまったかな…。

 

本日最後にして最大の関心を抱いているのは、トンカラリンだ。

これを見ずして今日を終えることはできない。

 

道の駅 きくすいの隣にある「江田船山古墳」の敷地に、愛車のパジェロイオを停めた。

ウワサでは、この江田船山古墳も広義のトンカラリンだそうだ。

まぁトンカラリンが何かわからないので、広義だとか狭義だとか言われてもリアクションに困るが。

 

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トンカラリンを探せ2

ふむ、僕の予想が当たった。

江田船山古墳の敷地内に、トンカラリンの所在を示す看板があった。

 

ちょっと端っこが切れてしまった写真で申し訳ないが、現在地が右上にある。

トンカラリン(謎の隧道遺構)は一番上に書いてある。

 

上の図で見る限り道順は単純だ。

しかし、結果としてトンカラリンは、そう易々と僕の前に姿を見せてはくれなかった。

 

 

「ちょっ、マジでトンカラリンはどこなんだよ!!?」

 

 

僕は迫る夕暮れにイラ立ちを覚えつつ、ここに2回も戻って地図と道順を再確認することとなるのだ。

※ 2021年現在はもっとわかりやすい地図なりがあるのかもしれないが、これはあくまで僕が訪問した日本4周目の実録として捉えていただきたい。

 

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トンカラリンを探せ3

およそ20分後。既に時刻は17:30。

「絶対にここがトンカラリンへと繋がる駐車場だ」と僕が確信を持って車を停めた時刻である。

 

ここにいたるまで、かなり周辺をグルグルしてしまった。

徒歩では効率が悪いので、実は後半は車でグルグルしていた。

 

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トンカラリンを探せ4

これは、当時の手記を基に描き起こしたMAPだ。

 

精度はイマイチかもしれないが、万一あなたがこのブログを見て行こうと思った際も、これがあればとりあえず到達できると思う。

川沿いの道から、すっごい奥に行くのだ。

道は狭いが、自分を信じて突っ込んでいってほしい。

 

僕は車からヘッドライトと軍手を取り出し、そして虫よけスプレーを念入りに吹きかける。

廃墟などを散策する際にこれらの装備は必須だからね、いつだって愛車に積んである。

 

2枚上に駐車場の写真を掲載したが、僕はもうこの時点でちょっとテンション下がっている。

日が落ちつつあるせいか陰気(←失礼)な雰囲気、そしてジメジメした不快な空気。

周囲をヤブ蚊が飛んでいる。

 

「あぁ、ヤダだー。ヤバイなー…。」

そう思った。

でも、だからこそ刺激される好奇心があるのも、また事実だ。

 

行くぜトンカラリン。

 

 

長刀横穴一号墳

 

駐車場の奥の雑草地帯を進んでいくと、右手に茂みに隠れた小川が見えてきた。

一応「ホタル公園」という名前があるそうだ。

 

茂みの上には無数の蚊柱ができていた。

あっちは完全に蚊の巣窟になっている。

近付くことなんて絶対にできない。

 

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長刀横穴1

左手の岸壁には穴が開いていた。

防空壕のように見える。

擬音で表現するなら「デロデロ…」ってくらいに草木で覆われていて、怖いことこの上なし。

 

古い石碑の後ろにボロボロになった説明版があるので読んでみる。

 

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長刀横穴2

内容を以下に記そう。

 

熊本県指定史跡

長刀横穴一号

 

清原台地と鶯原台地の間には北に開く谷があり、10基の横穴が残っている。

谷の東側の2基を長刀横穴群とよび、西側の8基を北原横穴群と呼んで区別するが、本来は一連のものであろう。

 

長刀横穴1号の内部は、幅2.1m、奥行2.4m、高さ1.4mあり、やや長方形をなす床面には、コの字形に3つの屍床を設けている。

天井は妻入りの屋根形に造られている。

 

羨門部は台形状をなし、その外側には二段の飾縁が設けられ、外側の飾縁画には、連続三角丈が先刻されている。

また、外側の飾縁掘り込み面を横から見ると、直径20cm程度の円丈の線刻が認められ、赤色顔料が部分的に残っている。

2号は崩壊が激しく、奥壁が残るのみであり。

 

なお、北原横穴群3号の内壁にも線刻がみられるが、羨門側が欠損しているため、図柄は不明である。

 

長刀って、「ちょうとう」ではなく「ちょうりき」って読むんだね。

もしかして、本来は「長」だったのが長年を経て「長」になってしまったりしたのだろうか…?

 

そして屍床か…。 

つまりは古墳、遺体を埋葬していたということだな。

この時間帯かつこのロケーション、 なおさら近寄りたくないわ。

 

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長刀横穴3

足元、ヌッチャヌチャですぞ!!

由々しき事態!!気持ち悪いこと、山の如しですぞ!!

 

この写真は後でもう一度触れることになるが、今はズンズン進もう。

時間が惜しい。

 

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長刀横穴4

なんか道が小奇麗になった。

左側は民家だし、右側は畑だ。

 

…は??

トンカラリンエリアを通過してしまった?

なんなんだ、ここは?

 

よくわからないけど、もう少しだけ進行方向へと進もう。

上の写真の最奥、行き止まりのようにも見えるけど、まだかろうじて畑の隙間から進行方向に進むことができる。

 

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第一トンカラリン1

恐怖しか感じない字体と経年劣化を兼ね備えた看板を発見。

ヤダなー、怖いなー…。

 

ヤケクソでズンズン進んでいると…。

 

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第一トンカラリン2

はい、ヤベーの見つけた。

見つけちゃった。

 

第一トンカラリン潜入

 

僕はついにトンカラリンと対峙した。

実はトンカラリンは3部構成だ。その1番手が登場した。

 

しかしそれは、バロック音楽の3楽章形式のように優雅なものではない。

 

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第一トンカラリン3

言っちゃ悪いが、このロケーションは最悪の部類にカテゴライズされる。

 

民家等が建っていたりと整備されている土地の地下に入っていく感覚なのだ。

それが差すのは、墓とか汲み取りトイレの地下部分とか、そういうイメージだ。

ワクワク気軽に入れる気分ではない。

 

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第一トンカラリン4

脇にはこれまた古ぼけた看板がある。

 

階段

この階段七段がある。

のぼりつめれば七十センチ四方のあまりの石の隧道となり人は這って通りぬけることができる横穴式石室との類似を指摘する説もあるがよく判らない。

小さな土師器片が発見されたが今のところ出土品はない。 

 

うん、なんか微妙に歪んだ日本語だな。

そして、『横穴式石室との類似』を見い出すなや。

アレは墓だぞ。

これから入る僕の身にもなれ。なおさらテンション下がるわ。

 

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第一トンカラリン5

さて、入口の高さは1mちょっとある。

腰をかがめれば入れる高さだ。

そのあとは、看板記載の通り階段7段がある。

 

前述の写真のコントラストを思いっきり調整してみよう。

 

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第一トンカラリン6

ね、既に見えている。

トンカラリンに入る前から見えている。

 

 しかしここのポイントは、床は階段により高くなるのに、天井の高さは変わらないという点だ。

どういう鬼畜仕様だ、これ。

 

あぁ、ヤダヤダ。

しかも内部からは果物が腐ったような臭いが溢れ出している。

マジで勘弁だけど、行くわ。1人突撃するわ。

 

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第一トンカラリン7

はい、すぐにほふく前進!!

洞窟の高さは50cmもないであろう。

当然中は死ぬほど真っ暗。

 

そして、トンカラリンを愛する人には大変申し訳ないが、今からディスるぞ!!

 

おえぇぇぇ…!!

くっさ!!

床がグチャグチャ!!

蚊も多いし、変な虫も多い!! 

 

 

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第一トンカラリン8

 

これが、約60m続く!!

地獄かここは!!!

 

 

通気性もほぼゼロだ。とんでもない湿度と温度。

額に汗がベッタリと浮き出る。

不快極まりない…。

 

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第一トンカラリン9

しばらく進んだところでフラッシュ撮影してみた。

…オェェェ…。撮るんじゃなかった…。

 

わかりやすいのは写真右下部分だ。グッチャグッチャだろう。

この中をほふく前進するんだぜ。

自衛隊の訓練みたいだ。

 

僕の今の装備は、上はTシャツ。下は防水性の高いナイロン生地だ。

しかし瞬く間にドロドロだし、なんなら染み込んできたし…。

 

そして臭い。

 

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第一トンカラリン10

あとね、行き先になんか白いの落ちていますが?

なんだかわからないけど、あれを剥き出しの腕で乗り越えていくのだね…。

ねぇ、なにあれ。

 

それとね、さっきの看板には『出土品はない』と書かれていたが、事前に調べたいくつかのWebサイトでは変形頭蓋骨が出土したと書いてあるんだよね。

怖いじゃないかよ、もう…。

 

そして臭い。

 

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第一トンカラリン11

記念に携帯電話のカメラでも撮影してみた。

余計怖くなった。ホラー映画だ、これ。

 

グチャ、グチャ…と、ゆっくりと奥に進む。

僕がもし暗所恐怖症・閉所恐怖症だったら、とっくに泡を吹いて気絶しているだろう。

 

相変わらず蚊が多い。

なんでこんな洞窟の奥にまでいるんだよ。

 

…ボウフラか。このグチャグチャの中で、ボウフラが育っているのか?うわー…。

そしてゲジゲジもたくさん!!

盛り上がっているなー、こんな洞窟内で!

 

そして臭い。

 

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第一トンカラリン12

お見苦しい写真で恐縮だが、自撮りもしておいた。

四つん這いの状態で、僕の頭上はすぐに天井である。

 

普段そこまで汗をかかない僕であるが、顔は汗でテカり、そしてヒジの内側にも汗をかいていた。

どれだけ過酷だったか、この写真で記憶がよみがえってきた。

あの臭いと共に。

 

… ゴメン、無理だ。

さすがにほふく前進を60m続けることは僕にはできない。

スタミナ的にも生理的にも、いろいろ無理だ。

 

せめて出口の開口を確認してから潜入すればよかった。

ちゃんと開口しているのか、どのくらいの距離なのかを自分の目で確かめておけばもう少しガマンもできただろうが、ちょっとこれ限界だわ。

 

とはいえ、Uターンするような幅も無いので、後ろ向きのほふく前進で戻った。(ん?ほふく後進というべきか?)

キツー…。

 

 

第二・第三トンカラリン潜入

 

第一トンカラリンを出た僕は、地上を歩いて洞窟部分をトラバースした。

そして、第一トンカラリンの出口を地上から確認した。

やはり心臓が締め付けられるような狭さだった。

 

さて、次は第二トンカラリンだ。

ここで現地の看板から、トンカラリンの全体像をお見せしたい。

 

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続・トンカラリン1

正直地図が雑すぎて、僕にはよくわからない。

 

ただ、どこからどこまでがトンカラリンなのかというと、「タンタン落とし」・「七段の石段のある所」・「地隙の割目にふたをした所」の3つがそれに当たるのだろう。

今回の僕の記事は、特に上記に合わせた3部構成ではないので、そこだけ留意いただきたい。

 

重要なのは、「トンカラリンは途中で途切れているものの、曲がりくねりながら1本に繋がっている」という点だ。 

 

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続・トンカラリン2

さらに奥にしばらく歩くと、切通しのように崖と崖の隙間に入っていくような感覚の歩道となった。

そしてついに、洞窟だ。

 

第二トンカラリン。

ここは幅は狭いものの、立ったまま潜入できる。この当たり前が、ありがたい。

 

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続・トンカラリン3

入口を振り返って撮影。

ちょっとブレてしまって申し訳ないが、射し込む夕日が眩しいね。

 

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続・トンカラリン4

この壁面はなんなのだろう。

ノミの跡など、掘削した痕跡が無い。

ただ、こぶし大のイボのようなものが無数にあってブキミだ。

 

この壁面は天然ものなのだろうな。そを上から人工的な岩盤でフタをした??

 

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続・トンカラリン5

第二トンカラリンも、出口までは数10mだ。

中は真っ暗だったが、まもなく出口の光が見えてきて心強い。

 

こうして第二トンカラリンは無事に突破。

 

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続・トンカラリン6

上の写真は、確実にこのタイミングで撮ったものだのだが、記憶が定かでない。大変に申し訳ない。

 

第二トンカラリンを抜けて振り返ったものか、第三トンカラリンの入口かのいずれかなのだが、たぶん前者だと思う。

いかんせん、Webを見ても攻略者が非常に少なく、照合ができなかった。

 

さらに切通しのような、幅1mもないような歩道が続く。

…そして歩くこと数10m…。

 

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続・トンカラリン7

第三トンカラリン。

 

…こいつは!

こいつはすごいぞ!!

 

天井がメチャクチャ高いのだ。7mくらいはあるのではなかろうか。

そこに上からフタをしてあるのは、第二トンカラリンと同様だ。

 

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続・トンカラリン8

天井は高いけど、幅が狭ッ!

今までと同様、体格がいい人は途中で詰まりかねない幅だ。

 

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続・トンカラリン9

洞内は曲がりくねっているし、登り坂になっている。

あっという間に入口の光は見えなくなり、漆黒の闇となった。

 

ヒヒヒ、怖ェ。

 

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続・トンカラリン10

途中で小さな祭壇のようなものがあった。

突然現れたのでドキッとした。

 

闇のトンネルは、グネグネとさらに続く。

ヘッドライト1つではかなり心細いな。

あと、友達が欲しい。1人なのはなおさらに心細い。

 

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続・トンカラリン11

自分の足音と息遣いだけが洞窟内に反響する。

それが唸り声のようにも聞こえる。

 

ぅぅうおぉぉぉぉーーーん

って鳴っている。

なんだこの地獄の底のような反響音は。

 

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続・トンカラリン12

数10m進んだだろうか。

突然行き止まりになった。

 

…と思ったら違った。

見ると狭い通路がまだ続いている。

第一トンカラリンと同じような、ほふく前進しないと入れない通路だ。

 

僕はここで引き返すこととした。

無理して入ったところで、第一トンカラリンと同じような事態になるのは確実だ。

無謀に突っ込むだけが僕の冒険ではないのだ。

 

ドロドロになった足を引きずり、僕は再び駐車場へと戻る。

 

 

トンカラリンとは何なのか?

 

トンカラリンって、なんだろう。

このネーミングの由来については、「洞窟の奥深くに石を投げ落としたときの音」と言われたりしている。

うむ、確かに反響音はすごかったな。

 

※ちなみに広島県にも同名のスポットがあるが、この熊本県のトンカラリンに似ているから名付けられただけであり、それ以上の関連性はない。

 

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謎の洞窟1

これは僕が現地で撮影した説明板である。 

以下に書き起こそう。

 

菊水町、瀬川の鶯神社近くから始まるこの遺構は、全長四四五.六mでトンネル状の地隙や地下道のような石組み暗梁等が組み合わさった実に不思議な構造物である。

 

昭和五十年代に、作家故松本清張が現地を調査して、邪馬台国が記された「魏志倭人伝」(三世紀に書かれた中国の歴史書)の一部から、「シャーマニズムに関係した鬼道ではないか」と推論したことで、全国的にその名がしられた。
しかし、その後の「排水路節」により、ブームは沈静化に向かった。

 

再び、トンカラリン論争が蘇ったのは、県北部を襲った平成五年六月の集中豪雨以降である。
この時、県北の排水路が甚大な被害を受けたが、トンカラリンには一切の損害が無く、それは大した水が流れなかった事を意味していた。
そこで、農業土木の見地から、今一度、詳細な再調査が行われる事になった、結果として排水路説には、余りにも矛盾が多いことが判明したのである。

 

1)上部台地面積が狭いので、流れ出す雨水量は少なく、谷部に、大規模な排水路を造る必要がない。雨水を取り込みやすいオープンカットの素掘り溝で十分である。

 

2)今日、トンカラリンを築いた場合、工事費の積算額は、二億円近くになる。これに見合うだけの経済的効果を見い出せない。

 

3)排水路は、できるだけ直線的に造りが望ましい。しかし、トンカラリンは、実に数多くの湾曲箇所を伴って蛇行を繰り返している。

 

4)石組の構築物に、災害箇所(地隙)が取り込まれており、不自然である。排水路施設は、この様な造りをしない。

 

5)地隙に積まれた切り石や、石組み暗梁下部の変化点における角部の整形など、排水路に不自然な飾り箇所がある。面取りされた切り石は常に闇の中にあり、角部には削られて、丸みを帯びている。

 

この様に、トンカラリンは再び、我々に問題を投げかけるのです。
皆さんも、是非、この謎解きに挑戦してください。

 

 …とまぁ、こんなところだ。

排水溝としては「お金かけた割には欠陥品」らしい。

こちらもドロドロになって排水溝を這いずったことにならずに救われた気持ちだ。

 

邪馬台国の説も出てきたが、そもそも邪馬台国の場所すら不確定な上、「松本清張さん」がピンポイントで「ここが邪馬台国の名残かも」と言ったところで、にわかにそれを受け入れがたい。

(もっとも、松本清張さんは小説家ではあるが歴史にも相当造詣が深かったが)

 

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謎の洞窟2

写真をさかのぼろう。

このあたりが「タンタン落とし」と呼ばれていたりもする。

 

右側に見えている階段と、歩道のヘリの湾曲に注目していただきたい。

 

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謎の洞窟3

実は上から見るとこういう造りになっていたのだ。

WiFiのマークみたいだ。

 

「●」の部分が、石の舞台である。

 僕はそんなに気にせずに通過したが、実は石の舞台も階段も非常に古いものであり、いつに造られたかわかっていない。

 

これもトンカラリンの一部であり、「邪馬台国卑弥呼がここで儀式をしたのでは?」とか言われたりもしている。

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謎の洞窟4

第二トンカラリンと第三トンカラリンを繋いでいた切通しのような歩道も、起源が不明だそうだ。

もう、何から何まで謎だらけなのだ。

 

松本清張さんは、前述の通り「シャーマニズムに関係した鬼道ではないか」とコメントした。

そのコメントの背景には、胎内くぐりの風習があるという。

 

洞窟は胎内を見立てている。

狭い胎内を潜り抜け日の目を浴びるという行為は、誕生を再現しており、つまりは再生の意味があるのだ。

 

なるほど、2020年の「ブラタモリ」の沖縄スペシャルでも、沖縄の城や遺跡の作りが同様の理由から、あえて暗所を作ったり日の光を浴びる構造にしてあると言っていたな。

神事をつかさどった聖域中の聖域、「斎場御嶽(せーふぁーうたき)」もこの構造だ。

 

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斎場御嶽

さらに、変形頭蓋骨が出土したという点。

これは先天的なものではなく、後天的に手が加えられたものだったそうだ。

 

変形頭蓋骨で僕がまずイメージするのは、古代エジプトのファラオなど。

神に深く携わる特権者の象徴であった。

 

じゃあ、邪馬台国でもっとも神に近い存在(卑弥呼)が、神事の一環としてあの通気ダクトみたいなところをドロドロになりながら這いつくばっていたのか?

 

…正直イメージはできない。

かといって否定もできない。

 

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謎の洞窟5

他にも防空壕説だとか、貯蔵庫説などがある。

しかしあんなに細長くジメジメした空間に利便性は見いだせない。

 

説明板によると2億円の費用がかるというこの一大施設。

2億円はそこまで高くは無いだろうとは思うが、コスパ面では優れないよな。

だから遊具のような、実益性の無い用途に造られたとは考えにくいかもしれない。

 

超科学的にしろ科学的にしろ、人々の暮らしを守るものであったのではないかと、僕は考えるのだが…。

 

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道の駅きくすい

捜索を終えた僕は、道の駅きくすいにやってきた。

 

手を洗い、ボディタオルで汗を拭き、そして蚊に刺されまくったところに薬を塗る。

あぁ、もう汗だくだ。足元もドロドロだ。

最悪だ。早くお風呂に入りたい。

 

僕の考える卑弥呼は、絶対こんなことするようなヤンチャな女性ではない。

あなたも「あー、蚊に刺されたー!風呂入りてー!」なんて言っている卑弥呼、見たくはないだろう。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 

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謎の洞窟6

結局、謎はもうしばらく謎のままのようだ。

 

考えてみてもさ、人々の暮らしが手に取れるようにわかっているのは、ほんの100年か200年前までだろう。

 

鎌倉幕府がいつできたとか、この肖像画は本当に「聖徳太子」なのかとか、その時代のTOPニュース的なことだって、現代の僕らからすれば難しい質問なのだ。

わずかな資料を解読したり、土をほじくりかえして推測するしかないのだ。

 

ましてや紀元前の暮らし、しかももしそれが村単位の小さな出来事や建造物とあっては、相当に至難の業だろう。

 

さっきは「卑弥呼はそんなことしない」なんて書いたけど、僕らの常識なんてたかだかこの100年ちょっとのものなのだ。

 

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謎の洞窟7

真相を問いかけようと石を投げ込んだとしても、きっと暗闇の底から「トンカラリン」と小さな音が聞こえてくるだけなのかもしれない。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: トンカラリン
  • 住所: 熊本県玉名郡和水町瀬川3481
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし 

 

No:080【鳥取県】隼ライダーの聖地「隼駅」!!歴史的価値のある駅舎とその魅力に迫る!

スズキが販売している、「隼(ハヤブサ)」という名前のカッコいいバイクがある。

 

猛禽類ハヤブサが、時速300㎞で飛ぶことのできる空の覇者であることから、それをイメージして作られたバイクだそうだ。 

なんたる気高きバイクよ。

さらに言うと、ハヤブサと同様に300㎞出せるモンスターマシンだ。

 

…と能書きを垂れたところで、実は僕はバイクの知識がほとんどない。

これもWikipediaさんからいただいた情報である。

 

しかし、僕は北海道を始めとした旅先で多くのライダーさんと交流し、酒を飲みかわし、彼らのバイク愛を聞いていたし、ツーリングの楽しさも聞いてきた。

 

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北の大地を駆けるライダーさんたちと共に

 

僕は四輪派なのでバイクにまたがることは今後も無いだろうが、ライダーさんたちを尊敬しているし、勝手に仲間だと思っている。

 

そんな僕が、誠に恐縮ながらご紹介させていただく。

ハヤブサライダーの聖地、「隼駅(はやぶさえき)」を。

 

 

隼駅に行ってみた

 

冬が到来する直前の、変に暖かい日のことであった。

鳥取県をフラフラドライブしていた僕が、ここへやってきた。

 

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隼駅1

国道29号に沿って走っていて、ちょうど目についたので訪問したのだ。

…とはいえ、前から存在は知っていた駅だ。

 

赤を基調としたノスタルジックな駅舎。たまらんね。

早速だが、車を停めて良かったと感じる。

 

向かってやや左あたりから、煙突が突き出ているのが見えるだろうか?

あのあたりがチャームポイントだな。好き。

 

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隼駅2

ここの駅舎はなんと昭和最初期の1929年にできたものなんだそうだ。

 

もうすぐ100年、と言ってもいいだろう。

世界恐慌で全人類がヒーヒー言っていた頃、ここに誕生したのだ。

 

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隼駅3

駅名標も、右から「驛隼」と書かれている。

駅が旧字体だ、カッコいい。

 

そしてこれ、きっと作務衣を着て頭にタオルを巻いた、無口で無精ひげの木彫り職人が黙々と彫ったんだと思う。

ステキ、渋い。(駅名標も職人も)

 

そんな歴史のあるこの駅は、国の登録有形文化財にも登録されているのだそうだ。

 

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隼駅4

解像度が低くて申し訳ないが、ハヤブサのポスターもデカデカと外に向かって貼りだされている。

「ようこそ隼駅まつりへ!」と書いてある。

この祭りについては後述しよう。 

 

では、駅舎へと入ってみようか。

 

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隼駅5

わぁ、なんと落ち着く木のぬくもりよ。

 

木の本棚には「なかま文庫」と書かれていて本が収まっており、誰でも自由に読書を楽しめるようになっている。

こんな陽だまりの駅舎の中で読書できるなんて、最高かよ。

 

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隼駅6

ハヤブサのポスター、中にも貼ってあった。

駅舎の中は半分資料館のようになっているのだ。

 

ハヤブサ、かっこいいな。

そしてバイクを追走してくる謎のマスコットキャラクターみたいなのは、なんだ??

 

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隼駅7

人の気配がしたので、ホームに出てみた。

そこにいたのは、彼だ。

 

等身大の駅員さんの人形であった。

原則としてこの駅は無人駅であり、駅業務をしている生身の人間はいない。

彼のような無機質な人間ならいるが。

 

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隼駅8

うむ、それが仕事をする人間の顔かよ。

完全に仕事とエンターテイメントを融合させてしまっている顔だ。

 

しかし名札を見ると「隼駅長 隼 雷太」と書かれている。

駅長だった!

偉いお方だった!!

 

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隼駅9

ホームにはお客さんが1人いた。これも、物言わぬ人であった。 

 

横の体重計みたいな機械はなんであろうか?

他にもいくつか、以前駅で使われていたと思われる古い機械があった。

 

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隼駅10

これも秤のように見えるな。

そしてかすれた文字から「因幡船岡駅」と書いてあると推測した。

この隼駅の隣駅だ。

 

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隼駅11

このときは開店していなかったが、駅内に「把委駆」という売店がある。

これで「バイク」と読むらしい。

うわ、昔の暴走族みたいなテイストだ。

 

このお店では、駅のグッズ・バイクの隼のグッズなどを取りそろえているらしい。

聖地巡礼之証」もあるらしいぞ。

 

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隼駅12

駅前の線路には「ブルートレイン」が停まっていた。

中に入ることもできるらしいが、このときはたぶん入れなかった。

ちょっと開業には時間が早かったか。残念だ。

 

ちょうど僕が立ち去るとき、ハヤブサと思われるバイクに乗ったライダーさんが2人、駅に到着した。

いいね、自分乗っている愛車と同じ名前のスポットがあるってステキだね。

しかもこうやって盛り上げてくれるだなんてね。

 

では、僕は再びドライブを再開し、鉄道沿いに東に走ろう。

 

 

隼駅まつりとは

 

隼駅の「隼」とは、この地域の昔からの名称である。

別にバイクのハヤブサと何か関連性があったわけではない。

 

しかし今や隼駅とバイクのハヤブサは、切っても切れない関係にある。

それを結び付けているのは、前述の隼駅まつりである。

 

www.kirinnomachi.jp

 

僕はこの祭りは見たことも参加したこともないので、情報はWikipediaや上記サイトなどから収集させていただいた。

 

事の始まりは2008年。

バイク専門誌の「月間ミスターバイク」が、雑誌内で「8月8日はハヤブサの日。隼駅に集まろう」と呼びかけた。

 

雑誌の発売日は8月6日。

Xデーまで2日間というエクストリームすぎる告知であったが、当日には7台のバイクが来たそうだ。

この7名は、まさに歴史の幕あけの伝説の7名だな。すごい。

 

翌年である2009年から、「隼駅まつり」という名前がついたらしい。

ここからは快進撃。

 

  • 第1回(2009年)…約250台
  • 第2回(2010年)…約600台
  • 第3回(2011年)…約300台(東日本大震災の影響だろうか…?)
  • 第4回(2012年)…約500台
  • 第5回(2013年)…約700台
  • 第6回(2014年)…約1200台

ちょっと省略

  • 第10回(2018年)…約2000台
  • 第11回(2019年)…約2300台

 

ほとんど常に右肩上がりだ。何だこの盛り上がりは。

「ミスターバイク」のWebサイトから、第11回の様子もご紹介しよう。

 

www.mr-bike.jp

 

鳥取県のローカルな町に、これだけのハヤブサがやってきたのだ。

ハヤブサだけでこれなのだから、他のバイク・他の交通手段の観光客・地元の人の参加なども合わせれば、本当に町おこし規模の大イベントなのだろう。

 

もちろん、これだけの台数と人数を小さな隼駅でさばけるはずもなく、規模が大きくなってからの会場は近くの「船岡竹林公園」となった。

駐輪場からはシャトルバスだ。

 

もはや「祭り会場には隼駅もなければハヤブサもいないのでは?」みたいにも思えてしまうが、まぁそういう問題でもないのだろう。

同じ趣味を持つものと祭りで出会うってのは、人生における至上のイベントだもんな。

うらやましいぞ。

 

 

終着は若桜駅

 

今度は路線にスポットを当てよう。

隼駅があるのは、若桜鉄道若桜線だ。

 

距離は19㎞しかない、短めの鉄道路線

そこを、1~2時間間隔で列車が通っている。

 

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地味に大変だったが、この周辺の路線図を作成してみた。

 

この若桜鉄道、すごいのだ。

近代化遺産に指定されているスポットが目白押しなのだ。

 

www.town.yazu.tottori.jp

 

時間が許すのであれば、是非上記のリンクから「近代化遺産としての若桜鉄道(PDF:6710KB)」をご覧いただきたい。

 

駅舎・プラットホーム・鉄橋…。

いちいち立ち寄っていては、全然先に進むことができないほど、歴史スポットが密集しているのだ。

 

その中でも、終点の「若桜(わかさ)駅」は8つもの歴史スポットを兼ね備えている、まさにラスボスに不足なし、といったステータスを保有している。

しかも道の駅も併設だ。最強かよ。

 

では終点の若桜駅をチラリと見て、一連の観光を終了としよう。

 

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道の駅はっとう

あぁ、ちなみに若桜駅から2駅手前の「徳丸駅」付近に「道の駅 はっとう」があった。

 

一応ここにも寄っておいた。

「フルーツ総合センター」併設だぞ。

ところどころにフルーツをモチーフにしたキャラクターも展示されていた。

 

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若桜駅1

はい、「道の駅 若桜」だ。

さっきの道の駅 はっとうからは、わずか8㎞ほどであった。

 

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若桜駅2

道の駅から見て、道路の対面にあるモミジの紅葉が綺麗なのでちょっと写真撮影をしに行ったりした。

晩秋ではあるが、まだまだ綺麗だ。

 

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若桜駅3

道の駅の土産物屋の前に、老紳士の人形がにこやかに座っていた。

 

あれ??

アナタ、本来は隼駅あたりにいるべき人じゃないの?

なんでこっちに来ちゃったの?電車で来たの?

僕の脳内は疑問でいっぱいだったが、老紳士はただただにこやかに佇んでいた。

 

とりあえず道の駅の売店で栄養ドリンクを買い、飲んでおいた。

O型の僕は単純だから、プラシーボ効果も相まってすぐに回復する。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

さて、本題の若桜駅である。

近付いてみて僕は、思わず歩みを止めた。

 

駅はすぐ隣なんだけど、残念なことに道の駅との間にはゲートがある。

そして鉄道駅を見学するには有料だそうだ。数100円かかる。

 

躊躇したのだ。

そして、結論から言うと数100円を惜しみ、足を踏み入れなかった。

2021年現在だったら、見学していただろう。

しかしあのときは、ちょっとお金をケチっていたし、登録有形文化財に対しそこまでの興味はなかったのだ。

 

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若桜駅4

…しかしズルい僕は、タダでは終わらなかった。

無料ゾーンから有料ゾーンを覗けるスポットを見つけたのだ。

 

右端にはSLだ。「C12形蒸気機関車」というヤツだ。

その後ろのオレンジは、「国鉄DE10形ディーゼル機関車」だろう。

左の京急バス(神奈川県東部を走るバス)みたいなシルバーとブルーの車両は、現行のものだな。

 

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若桜駅5

若桜駅登録有形文化財は以下の通りだ。

 

  • 駅本屋およびプラットホーム
  • 物置および灯室
  • 旧西転轍手箱番所
  • 旧東転轍手箱番所
  • 諸車庫
  • 機関車転車台
  • 給水塔
  • 流雪溝

 

今は、敷地外から眺めるだけだ。

しかし、いずれきっと僕もそこに立つからな。

 

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

 

鳥取ののどかな山間部を走る、若桜鉄道

100年近い歴史を持つ隼駅の駅舎を目指してライダーが集まる隼駅まつり。

 

残念ながら、昨年に予定されていた「第12回隼駅まつり(2020年)」については、コロナウイルス流行の影響で中止となった。

今年、2021年は再開できるだろうか…。

 

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原城から町を臨む

ライダーに、旅人に、日本人に、そして世界中に人たちに幸あれ。

コロナウイルスを攻略し、誰もが出歩き旅立てる社会へ。 

 

隼駅まつりのWebサイトを見て、そう強く思った。

 

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称:隼駅
  • 住所:鳥取県八頭郡八頭町見槻中180-3
  • 料金:無料
  • 駐車場:あり
  • 時間:特になし

 

No:079【青森県】本州最北端の「大間崎」!あらゆる魅力の詰まった最強の岬を堪能だ!!

本州本土の最北端。

 

 

僕、この岬のせいで人生狂った。

その罪深き岬の名前は、「大間崎」だ。

理由は最後の項目で書こう。

 

ある者はそこを最果てと呼び、ある者はマグロを求めてそこへ赴き、そしてある者は北の大地の北海道に渡るための足掛かりとする…。

 

もともと大間とは本州最北端の僻地にある小さな漁師町ではあるが、こういった様々な顔を持ち、連日多くの人で賑わっている。

 

今回は、そんな大間崎の魅力をお届けしたい。

 

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僕らは北を目指した

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

16個ある岬の中でも、大間崎ほどオールマイティな岬は少ない。

  • 景勝地として多くの人が訪れる
  • マグロを始めとしたグルメが充実している
  • お土産物屋などが充実している
  • 無料のキャンプ場があり、キャンプ道具があれば気軽に宿泊できる
  • フェリーに乗ればすぐ北海道に行ける 

 

まぁ平たく言えば「毎日祭り」だ。

 

そりゃ、本州とは言えほとんど北海道みたいな緯度だから、冬場はさすがに観光客も少ない。

しかし暖かい時期に、ひっきりなしに観光バスが訪れるその光景は圧巻だ。

 

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さて、僕も大間崎には多く訪れた。

別に多くの回数行ったことが自慢になるわけでもないと考えているが、そこそこ馴染みのスポットであるのは事実だ。

 

しかし、それよりもこの岬は僕にとって思い入れが深い理由が1つある。

 

 

人生で初めての超・長距離ドライブの終着地点が大間崎だったからだ。

 

 

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深夜高速

いかんせん、昔の話だ。

それが何年前の話なのか、などはここでは語らない。

 

しかし僕らは大間崎から真っすぐ南の最果ての地である、神奈川県の「湘南海岸」で円陣を組んだ。

(厳密にはズレているが、ツッコまないでほしい。ガキのロマンだ。)

そして、放課後に車でひたすら北を目指したのだ。

 

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本州最北を目指す1

当時、5人で最北を目指した。

企画立案者でありリーダーは、この僕であった。

 

免許を取ってからまだ充分な経験を積んだとも言えず、それまでの最長の走行は、せいぜい片道200㎞ほどであった。

しかし湘南海岸から大間崎までは900kmある。

 

学生には未知の領域だ。

だが、ほとんど気合とテンションで乗り切った。

 

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本州最北を目指す2

リーダーの僕が仮眠を取り、「着いたぞ」と声を掛けられたから目覚めたら、なぜか「恐山」にいるというハプニングもあったが、まぁいい。

 

終着点は大間崎だが、最大の目的地は恐山だったのだ。

「恐山のイタコには、おばあさんではなく若いギャルもいる」というウワサを聞いたので、その真相を自分の目で確かめるのが、このドライブの目的なのだ。

 

僕は最初に大間崎に行くプランを立てていたのだが、若い女性の引力に負けて先に恐山に行ってしまったのも、僕らの年齢を考えれば納得である。

 

おっと、今は大間崎の話だ。

議題が反れるのはこの辺までとしよう。

 

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本州最北を目指す3

下北半島最大の町である、むつ市の中心部を通り過ぎる。

 

そうすれば、あとは小さな集落が点在はしているものの、本州最北の大自然が広がっている道が大半だ。

信号機も少なく、ひらすら青空を眺め冷たくさわやかな空気を吸いながらのドライブだ。

 

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本州最北を目指す4

大間の町だ。
ここを抜けた先が、大間崎である。

 

岬付近の道路はお土産物屋兼食堂のような建物がひしめき、観光客が闊歩し、路上駐車は極めて困難だ。

 

徒歩2分ほどのところに駐車場があるので、そこに停めることとなっている。

ちなみにこの駐車場の横には無料のキャンプサイトがある。

だからか、駐車場は天気のいいときは常に満車状態だ。

 

盛り上がりようがハンパない。

 

 

最北端の碑とオブジェ

 

さて、大間崎にはいくつかの碑やオブジェがある。

それを見て回るにも楽しみの1つだ。

 

下北半島国立公園

 

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碑とオブジェ1

まずは「下北半島国立公園 大間崎」の立て札だ。

 

正直、人気レベルは低めだ。

※ おっと、これはあくまで「僕が今まで見た限り」なので、僕の知らないところでこの立て札にワラワラと人が群がっている可能性もある。

 

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碑とオブジェ2

かなり昔からある立て札。

 

潮風にさらされながらもずっと現役で頑張ってくれている。

いや、僕の気付かないところで交換されていたのかもしれないな。

よく見ると木の色の濃さが違うしな。

 

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碑とオブジェ3

 

マグロ一本釣り

 

さぁ、次は既にみんなが気になっている、木の立て札の奥にあるデッカい魚だ。

とてつもない巨魚だ。

 

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碑とオブジェ4

「まぐろ一本釣の町 おおま」…というのが、このオブジェの名前だ。

大間のマグロといえば、耳にしたことがある人も多いだろう。

 

マグロと言えば、遥か彼方まで出かける遠洋漁業だとか、ロープにメッチャたくさんの釣り針を垂らしたトラップである延縄漁業などがイメージされる。

だけども、大間では漁師さんが一本釣りでマグロを釣り上げるのだ。

 

マジすごい。

男ていうか、漢(おとこ)って感じだ。

 

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碑とオブジェ5

左側が、まさにそのマグロである。

大間で捕れるのはクロマグロだ。

 

コイツは、過去に一本釣りで釣り上げられた、440kgのマグロがモデルになっているそうだ。

デカすぎる。

 

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碑とオブジェ6

人間と比べても、この大きさだ。

 

ちょっとした牛とかと同じくらいにサイズではなかろうか?

こいつが海の中を結構なスピードで回遊しているのだ。

闘牛と正面衝突しても、負けないかもしれない。

 

お相撲さんのぶちかましとかじゃないと、コイツの突進は止められないだろう。

 

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碑とオブジェ7

敬意を表して、僕もマグロに跨がるのだ。

魚雷に跨ったかのような、重量感とスピード感を覚えた。

マグロは、海の中の王者だ。…そんな気がした。

 

では、それに対峙するマッチョな腕は何なのか。

…一本釣りする漁師さんの腕である。

 

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碑とオブジェ8

本来であれば釣り糸とかで両者を結びたかったのかもしれないが、マグロに負けじと向き合う漁師のおっちゃんの腕が聳えている。

見ているだけで、手に力が入るような見事な造形だ。

 

海の王者と筋肉でぶつかり合うカクゴを感じた。

これが漁師の生き様だ。シビれるぜ。

 

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碑とオブジェ9

この剛腕を前にすると、貫禄のあるマグロの顔も「これ、ヤバいかも…」と焦りの表情を浮かべているようにすら感じる。

海の男のオーラは、マグロをもひるませる。

 

 

ここ本州最北端

 

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碑とオブジェ10

そして、これだ。

「ここ本州最北端の地」。

 突端マニアの目的のものが、まさにこれなのだ。

 

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碑とオブジェ10

青空に突き刺さるがごとく…。

 

かつての僕らもそうであった。
この碑を見上げ、この碑をみんなで取り囲み、ちょうど出てきた正面のお土産物屋のおばちゃんに記念写真を撮ってもらった。

 

そのときの写真は僕の宝物であり、そして僕の原点なのである。

 

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碑とオブジェ11

よく見ると、緯度や経度も刻まれている。

南から走ってきた僕らはこれを見て、遠くに来たことを改めて実感する。

 

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碑とオブジェ12

後年できたマグロのオブジェの方が人気で、やや押されがちなこの碑。

 

しかし僕は、この碑があってこその大間崎だと思っている。
ドライブを始めたばかりの僕が見上げたこの碑、今後もいつまでもここに立っていてほしいと心から願う。

 

 

日本地図

 

ここまで数々の碑やオブジェを西側から東側に向かって順に紹介してきたが、さらに東に目を移そう。

 

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碑とオブジェ13

「豊国丸戦死者忠霊碑」だ。

豊国丸は、かつて北海道と横浜の間の石炭輸送で活躍した船。

第二次世界大戦中、ここ大間近辺で撃沈されたそうだ。

 

その慰霊の碑がこれ。

台座が船のかたちをしている点が特徴的だ。

 

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碑とオブジェ14

そしてさらに奥の床面に描かれているのが、この日本地図だ。

2010年くらいに描かれたと記憶している。

 

日本列島の地図には、離島を含まない本土の、主だった東西南北端の岬が記載されている。

記載有無にはムラがあり、規則性は見いだせなかったが。

 

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碑とオブジェ15

もちろんここ大間崎もちゃんと記載されている。

ただし津軽海峡の隙間に書かねばならないので、残念ながら文字は小さい。

 

…では、どうするか。

大間崎は大胆な手法に出た。

 

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碑とオブジェ16

あまった敷地にもう1回、超デカデカと書いた。

左後ろに日本列島が見切れている点に注目だ。

 

太平洋をフル活用して大間崎の文字を書いている。

本州の定義どころか、日本の領海すらずいぶんはみ出してしまっているが、アピール効果は絶大だ。

 

数々の碑とオブジェに大間崎の熱意を感じる。

これらを見て回るだけでも充分に楽しい岬なのだ。

 

 

大間のグルメ

 

岬周辺は、お土産物屋と食堂で大賑わいである。

 

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グルメ1

僕も日本1周目のファーストドライブでここに来たときは、マグロとホタテの乗った海鮮丼を食べた。

 

正直そのころの僕って食に無頓着であり、そしてマグロが特に好きだったわけでもなく、あまりここに書けるようなネタは無い。

 

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グルメ2

確かこのお店だったな。

きっと食の善し悪しがわかるようになった現時点で入店すれば、すごくおいしく感じると思う。

 

あと、本州最北端の到達証明書を100円で買い、そして何をどう考えたのか、巻貝の貝殻を1つ買った。

大間で獲れたっぽくない南国風の貝だったが、まぁこれも思い出よ。

 

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グルメ3

さて、今回は後年訪れたお店を2店舗ピックアップする。

 

まずは「あけみちゃん号」だ。

日本5周目にて、旅友のFUGA君と青森県広域を車中泊ドライブしている途中で入店した。

 

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グルメ4

ドアに「生本マグロ食べられます」と書いてある。

 

プレハブの簡素で小さなお店だが、あなどるなかれ。

結論から言うと、人生TOPクラスにおいしいマグロであった。

 

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グルメ5

テーブルは4つほど。

原則相席だし、詰めても20人が限度のようなお店。

僕らが入った朝の9:30ごろはまだお客さんはほとんどいなかったけど、すぐに満席状態になった。

 

僕は三食丼をオーダーした。

マグロとウニとイクラが乗っているそうだ。

海の幸の御三家、完全網羅だ。心臓の高鳴りを抑えることなんて無理だ。

 

ちなみに三食丼は2000円、マグロ丼で2500円する。

朝食としては貴族クラスの金額である。

コスト面でも心臓が高鳴る。

 

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グルメ6

…なんだこのマグロ。

ぷわっ、とろっ、としている。

 

僕はかつてマグロの持つ鉄臭さに敏感で、あまり好きではなかったのだ。

しかしこれは違う。

柔らかい身の中に、旨味がこれでもかと凝縮されている。

 

マグロの概念が変わった。

大間、好きだ。

改めてそう思った。

 

たった2000円で過去の苦手を克服し、未来の希望を抱けた。

そう思えば安い買い物だった。

 

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グルメ7

外のブースでは生ウニや浜焼きを売っていた。

 

ここに限らず、各所の商店の店頭や道ばたで、イカ・貝・ホタテなどの浜焼きが行われている。

浜焼きの匂いが周辺に充満しているのだ。

飯テロである。気をつけろ、みんな。

 

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グルメ8

お次は「開運丸」だ。

いい名前だな、おい。ステキ。

ここも岬から歩いて2分とかからない場所にある。

日本6周目にて入店した。

 

プレハブの小さなお店ではあるが、ここもポテンシャルはすごいぞ。

 

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グルメ9

生ウニだ。タイミング良ければ、まだ生きている。

その場でパックリだ。

 

「この母なる海の、一番ステキな部分を凝縮して黒い殻に収めました」 みたいな味わいである。

 

おなかの奥の深い部分に押し寄せる潮騒

今、僕は海とシンクロしている。

そう確信した。

 

あと、このお店はマグロの内臓などの希少部位の串焼きもやっている。

マグロの産地だからこそできる、超レアビジネスだ。 

 

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グルメ10

最後に、お土産屋で昔購入したステッカーをご紹介しておこう。

 

青い空に青い海。

大間崎の魅力が詰め込まれたこのステッカーを、 僕はかつての愛車に貼って全国を走っていた。

 

 

岬の景観

大間崎からの景色

 

最後の章となってしまったが、大間崎を取り巻くロケーションをご紹介したい。

 

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絶景岬1

賑わう大間崎。

本州最北端の碑から道路を挟んで、土産物屋や食堂が立ち並ぶ。

碑の反対側は津軽海峡だ。

 

少しずつズームアウトしよう。

 

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絶景岬2

ゴールデンウィークは大賑わいだ。

夕方16時を回っているが、まだまだ続々と観光客が訪れる。

みんな碑やオブジェの前で記念撮影をしている。

 

ちなみに大間崎は大体いつも風が強い。

記念撮影すると、いつもと違う斬新な髪形で思い出が残る旨を、あらかじめ認識しておこう。

 

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絶景岬3

緩やかなカーブを描く岬。

海に突き出している感覚は少ないものの、津軽海峡を見ながらのドライブは充分に最果てを感じさせる。

 

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絶景岬4

岬から見える海だ。

遠浅で澄んでいる。霧が出てきても、綺麗な海であることが窺える。

 

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絶景岬5

晴れている日、北の海に見えるのは「大間崎灯台」だ。

 

この灯台は、本土の陸地内にはない。

大間崎から沖合600mの「弁天島」という無人島に設置されているのだ。

 

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絶景岬6

ちょっとコントラストをいじったが、晴れた日には北海道も見える。

 

ここから函館の「汐首岬」までは、わずか17.5㎞なのだ。

仮に時速60㎞で走れば、17分30秒で北海道まで行ける。

 

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絶景岬7

だからだろう、この付近には「本州北海道連絡橋」の看板があったりする。

長さ18㎞の橋を、津軽海峡にブッ建てようというのか。

 

すさまじい技術が必要な上、重要な要所である津軽海峡の海の交通への影響も気になるところだ。

でも、夢は見たいよな。

「あきめたらそこで試合終了ですよ。」

 

 

西吹付山展望台からの景色

 

最後に、「シーサイドキャトルパーク大間」からの景観をご紹介する。

「西吹付山展望台」と言ったほうが少し知名度が高いだろうか。

 

大間崎から南に3㎞ほどの位置にある牧場だ。

 

 

ここは旅友のFUGA君に紹介され、一緒に訪問した。

大間崎が一望できる絶景スポットである。

 

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キャトルパーク1

駐車場からは、展望台へと続く牧草地の中の遊歩道を上がっていく。

北海道に来たかのような景観だ。

そして実際、北海道まで18㎞であったことに気付き、震える。

 

このときは見かけなかったが、この牧場では黒毛和牛が放牧されているとのことだ。

魚もうまいし牛もうまい町か、最強かよ。

 

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キャトルパーク2

これまた北海道で多く見かけそうな、かわいい三角屋根の展望台だ。

登ってみた。

 

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キャトルパーク3

確かに絶景である。そして地球は丸いのである。

 

牧草地の向こうに大間の町が広がり、さらに向こうのその海の中に、大間崎灯台を有する弁天島がハッキリと見えている。

 

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キャトルパーク4

暴風による砂嵐の向こうに、弁天島

さらに水平線の彼方に、北の大地である北海道の気配を感じる。

 

 

僕はここからの津軽海峡を眺め、いつかの自分を回顧する。 

 

人生で初めての超・長距離ドライブで、僕は仲間と共に大間崎に到達した。

僕らの見せた先は、やはり津軽海峡の先であった。

 

そこには、北の大地・北海道がうっすらと見えた。

 

「行ける。北海道は射程距離だ。」

僕はそう考えた。

 

このあと、北陸や四国・中国地方などを走って経験を積んでからのアプローチとなるが、この日に大間崎から見た北海道が、僕の人生を変えた。

 

 

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日本最北端・宗谷岬

それはさ、日本最北端から「サハリン」を見据える江戸時代の冒険家、「間宮林蔵」と同じ気持ちだったのではなかろうか。

 

やればできる。

道は繋がっている。

 

この自信が、今の僕にまで繋がっている。

今の僕は、この思いに未だに支えられている。

 

まぁ、とはいえこのときの僕は、本州から北海道まで車道が繋がっていないことをまだ知らない。

しかし、夢見るガキどもには、もう少しナイショにしておいてほしい。

 

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日本6周目の大間崎にて


『歴史にif(もしも)はない』という言葉がある。

 

しかし、もしあのとき僕が大間崎を目指さなかったら。

もしあのとき大間崎から北海道が見えなかったら。

僕の人生は大きく変わっていたことだろう。


そういう意味で、大間崎は僕の人生を狂わせた、罪深い岬なのだ。


以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。 

 

※ 恐山にギャルのイタコはいませんでした。

※ 母親には「友達の家で勉強合宿をした」とウソをつきました。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 大間崎
  • 住所: 青森県下北郡大間町大間大間平17−1
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 特になし

 

No:078【神奈川県】横浜に摩崖仏が2体!それを繋ぐ道から遥か鎌倉時代の古道が浮かぶ!!

神奈川県横浜市

うむ、潮風に乗ってハイソサイエティな香りが漂ってきそうな響きじゃないか。

 

ただ、今日はそういう話をしたいんじゃないんだ。

仏像の話をしたいんだ。

しかも、ゴリゴリの山肌に刻み込まれた摩崖仏(まがいぶつ)の話だ。

 

あ、ちょっとあなた。

「なんで横浜で仏像ネタなんだよ。地味だし興味ねーよ。」と渋い顔をしているの、僕にはバレているぞ。

 

摩崖仏を紹介して「はい終わり」ではないから、とりあえず読み進めてほしい。

 

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大分県の「熊野摩崖仏」

まずは日本の摩崖仏界のアイドル(?)、大分県の「熊野摩崖仏」をお見せする。

これで摩崖仏のイメージをしておいてほしい。

 

じゃ、僕と一緒に横浜へ「Here we go!」。

 

 

1体目:朝比奈の鼻欠地蔵

むしろ満身創痍の大ダメージ

 

横浜市の南部を走る環状4号。

そこを通って横須賀市鎌倉市との境も近い地までやってきた。

 

横浜市には2体の摩崖仏が現存している。

その2体はそんなに距離も離れていないので、ハシゴして見てこようと思い立ち、うち1体のあるここまでやってきたのだ。

 

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鼻欠地蔵1

ちょうど交通量が途絶えたタイミングで写真を撮ったが、なかなかに交通量も多いし、なかなかに広い道だ。

最初の舞台は、この環状4号である。

 

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鼻欠地蔵2

愛車の日産パオは、環状4号沿いのコインパーキングに停めた。

暦上は秋になったが、南関東は残暑が厳しいな。

まだ余裕で半袖だし、なんだったら外で立っているだけで汗ばむ。

 

まずはこの環状4号沿いにある「鼻欠(はなかけ)地蔵」を紹介したい。

 

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鼻欠地蔵3-1

環状4号を歩く僕の横を、港町の海のように水色のボティをしたバスが通過していった…。

 

…ちょっと待って。

実はこの写真、それだけでは終わらせられない。

 

いるのだ。

この写真の中に摩崖仏が。

 

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鼻欠地蔵3-2

あなたは、一瞬「は?」って思ったろう。

そして次に、「消去法で真ん中の天然の山肌が見えているところくらいしか考えられないよな。でも、その中のどこにいるんだ?」と目を凝らしただろう。

 

うん、あなたのその思考は正解である。

 

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鼻欠地蔵4

天然の山肌とコンクリで固められた法面との境目あたりを、さらに拡大した。

 

「この中のどこに摩崖仏が…?」とお考えだと思う。

でもね、「まさにこれ自体が摩崖仏である」と言っても過言ではない。

 

さて、正解はこうだ。

 

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鼻欠地蔵5

はい、少々無理がある。

もともと鼻欠地蔵というのは文字通り鼻が欠けてしまっているお地蔵さんだったのだが、21世紀の現代において、欠けているのは鼻だけでない。

 

全身どちゃくそにえぐられて、満身創痍のお地蔵さんだ。

もはや輪郭がおぼろげに残るのみで、言われなければ絶対にこれがお地蔵さんとは気付けない。

風化が進み過ぎたのだ。

 

ちょっと横に回ってみよう。

 

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鼻欠地蔵6

で囲った部分が、本来の足だ。

座禅を組んでいるので、その分足は体よりも前に突き出しているハズだ。

 

しかし、近代に入ってその足部分は大胆にも削り取られた。

なぜかというと、歩道を作るため

 

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わーわーわー…、バイオレーンス…!!

子供に見せていいものか、ちょっと戸惑う図になったー…!

 

でも、事実こういうことだし。

工事関係者や工事の指示を出した人に、バチ当たらなかったのかな?大丈夫かな?

 

 

国境に座るお地蔵さん

 

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鼻欠地蔵7

 

お地蔵さんのすぐ横には、説明板が設置されている。

 

江戸時代当時に描かれた鼻欠地蔵の絵もあって、わかりやすい。

この頃から既に、鼻は欠けていたのだ。

 

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鼻欠地蔵8

なんとも風情のある絵じゃないか。

こういう時代のこういうところ、旅してみたい。

…実際はとても過酷だったのだろうが。コンビニもビジホもないし。

 

説明版の内容を以下にご紹介しよう。

 

 崖に彫り込まれた像の高さが4m余りのお地蔵様摩崖仏で、風化して鼻が欠け落ちているため、このように呼ばれました。

いつごろ、だれが彫ったのかはわかりません。

 

江戸時代に出版された『江戸名所図会』には、この地蔵の挿絵があり、やさしそうな顔立ちや膝元で組んだ手などが描かれていますが、今はその輪郭を見ることができます。

また、江戸時代の地歴が書かれている『新編鎌倉誌』には、この地蔵について武蔵野国と相模の国の境界にあることから「界地蔵」と言われたこと、この場所から北に向かう道は釜利谷や能見堂に通じたことが書かれています。

 

また、地蔵の前の道は六浦道と呼ばれた金沢と鎌倉を結ぶ、中世からの大切な道であることから、この地蔵が交通の要所に祭られ、広く人々の信仰の対象となっていたことがわかります。

 

このお地蔵さんは、ただボケッとここに座って通行のジャマになっていたのではない。

武蔵野国と相模の国の国境を示していたのだ!!

 

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上に、神奈川県の地図を示した。

 

赤線が現在の神奈川県内における、当時の国境だ。

確かにちょうど境界線の上にお地蔵さんがいるのがわかる。

 

すっごいお地蔵さんなのだ。

 

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鼻欠地蔵9

環状4号は、多くの車が走る。

しかし、今や誰もこの鼻欠地蔵に気を止める人はいない。

 

せめてあなただけでも、記憶の片隅に留めておいてほしい。

横浜市の環状4号、大道中学校入口の信号脇に、かつての国境を示したお地蔵さんが今もいることを。

 

 

2体目:釜利谷の白山道奥摩崖仏

谷底の最奥で待ち受ける 

 

続いての摩崖仏は、先ほど記載した通りここからそんなには離れていない。

 

さっきの鼻欠地蔵の説明板に『この場所から北に向かう道は釜利谷や能見堂に通じた』という記載があった。 

この文中にもある釜利谷(かまりや)という町に2体目の摩崖仏がいるそうだ。

 

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釜利谷へ1

さぁ、行こうかパオ。

僕は熱気がムンムンにこもっている愛車の日産パオに乗り込み、エンジンをかける。

 

※実は鼻欠地蔵を見学してから愛車に乗り込むまではかなり時間が経過しており、僕は汗だくのクタクタなのだが、それは後述しよう。

 

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釜利谷へ2

釜利谷という閑静な住宅地へと入っていく。


この整備された住宅地から、谷底に下りていく急な坂道が存在する。

摩崖仏はそっちだ。

 

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釜利谷へ3

さて、あなたは今から3分は、僕を口汚く罵っていい。

 

谷底に堕ちていくこのショットを撮る寸前にウォッシャー液を噴射し、そしてワイパーが劣化して綺麗に拭きとれない状態でピントの合わない撮影をした僕。

谷底と同時に、ブロガーの底辺に堕ちたことは言うまでもない。

 

ところで、この写真はいきなり真冬になっているのだが、その経緯も後述する。

(ここからは真冬の写真も数枚混じる)

 

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釜利谷へ4

谷底に下りてきた。

写真に向かって右手も山、そして左手も遠くに白い家が連なっている通り、山だ。

 

この山と山が、写真奥の方でぶつかり合う。

その行き止まりに摩崖仏がある。

 

この先は車の擦れ違いもUターンもできないと看板に書いてあったので、愛車は適当なところで留守番してもらおう。ここからは徒歩だ。
 

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釜利谷へ5

道が狭くなってきた。圧迫感を感じる。

 

しかしこれ、僕が場違いなところにいることによる圧迫感かもしれない。

完全に生活道路だもんよ。

地域住民が少数歩いているだけで、よそ者チックな人なんていないし。

 

GoToキャンペーンが行われているとはいえ、このコロナ禍だ。

地友の人になるべくストレスを与えたくないのだが、この先に摩崖仏があるのだからしょうがない。

 

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釜利谷へ6

うわぁ、さらに道が狭くなってきた…。

しかし間もなくだ。

 

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白山道奥摩崖仏1

はい、ここが車道の行き止まり部分だ。

 

道路の真ん中に植え込みがあるものの、ここだけ若干ロケーションが開けている。

角度的には見えないが、写真中央の掲示板の裏には、摩崖仏を示す説明板が設置されている。

 

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白山道奥摩崖仏2

*背後の崖の中段に見えるのが白山道奥摩崖仏です。 

 

来たー。

…ということはですよ、摩崖仏は今、僕の背中に視線を投げかけているのだ。

 

 

緑に包まれて眠れ

 

さぁさぁ、念願の摩崖仏とのご対面だ。

振り向くぞー、振り向くぞー…!!

 

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白山道奥摩崖仏3

 

はい、なーんもありません!! 

 

 

空き地・家・家・家・家・緑・山!!

摩崖仏、どこ!!

 

『崖の中段に見えるのが』とか書いておいて、全然見えないよ!!

 

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白山道奥摩崖仏4

少しズームしてみた。 

なるほど、なんにもわからない。笑えるほどに意味不明だ。

 

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白山道奥摩崖仏5

さらにズームしてみた。

相変わらず摩崖仏はわからないが、代わりにそろそろ僕が不審者として通報されかねないことがわかった。

 

僕の視線の先、全部私有地だもんな。

人々の生活が広がっているのだから、あんまりジロジロ見たり撮影したりするもんじゃない。

 

だけどもここに摩崖仏あるって言うんだもん。看板もあるんだもん。

なんだこのジレンマ。

 

おいこら看板、なんとか言え。

 

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白山道奥摩崖仏6

あ、看板には裏もあった。

いや、むしろこっちが表だったのか?

そして雄弁に語っていた。

 

白山社は白山堂とも呼ばれ、南北朝室町時代には称名寺の管理下におかれ、その末寺となっていました。

堂社の旧位置は不明ですが、北条氏が鎌倉と金沢の称名寺とを山越えに往復する古道が、このあたりを通っていたことは疑いありません。

 

この古道は「白山道」と呼ばれ、鎌倉時代後期に瀬戸橋ができる以前は、鎌倉と称名寺の往復に使われていました。

この山腹に刻まれている摩崖仏は、その旧跡を推定するための好資料であり、周囲が削平されていますが、現存顔面長4メートル、中世末期の彫刻です。

 

また、応仁年間(1468)に鎌倉大塔宮からこの地に移った白山東光寺に関するものとすれば、御姿は薬師如来をかたどったのでしょうか。

 

うん、内容は追って読解しよう。

気になるのは、右側に掲載されている絵の方だ。

 

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白山道奥摩崖仏7

右側が予測図。

筋肉剥き出しの人体人形みたいだ。

 

そして左側が現状を測量した図。 

よく噛んだガムみたいにグニャングニャンじゃねーか。

時化の日の日本海みたいに、波打ってやがる。 

 

ただでさえ、こんなにも風化してしまった摩崖仏。

それを夏の間に茂った草が完全に覆い隠しているのだ。

 

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白山道奥摩崖仏8

お手上げだぜ。

まいったまいった。

こうして僕は退散する。

 

…と思いきや!!

 

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白山道奥摩崖仏8

はい、やってきたー!

真冬に再びやってきたー!

 

さぁ、枯れ落ちて露出した山肌を我が前にさらせ!

 

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白山道奥摩崖仏9

うーん…。

やや薄くなって頭皮、じゃなかった、山肌は透けてはいるものの…、まだまだ草木は多い。

ハゲと呼ぶには少々失礼なレベルだ。

 

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白山道奥摩崖仏10

顔面だけで4mもあるという摩崖仏。

しっかり現存していれば、さぞや大迫力だったであろう。

見てみたかったなー…。

 

 

甦れ、鎌倉時代の旅路

古道を辿る

 

まだ気になる点がある。

横浜に2体しかない(昔はもっとあったのかもしれないが)摩崖仏が、すごく近距離にあるのだ。直線距離で1㎞くらいだ。

 

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これだけ近いのであれば、何か関連性があるのではないかと思ってしまう。

 

「アイツらいつも一緒にいるけど、ひょっとして付き合ってるんじゃねーの?」と疑うのと一緒だ。

専門知識はないが、漠然と怪しい。

 

…話は戻り、鼻欠地蔵だ。

 

 

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古道ウォーカー1

北に向かう道は釜利谷や能見堂に通じた』 

『地蔵の前の道は六浦道と呼ばれた金沢と鎌倉を結ぶ、中世からの大切な道である』

 

さっき読んだ説明板を基に、今一度鼻欠地蔵の絵を見てほしい。

左右に通じているのがきっと六浦道だ。

そしてお地蔵さんに向かって右から、奥の方に伸びている細い道に注目だ。

 

次に、白山道奥摩崖仏の説明板を思い出してほしい。

『この古道は「白山道」と呼ばれ、鎌倉時代後期に瀬戸橋ができる以前は、鎌倉と称名寺の往復に使われていました。』

 

鎌倉は、鼻欠地蔵のさらに南だ。

称名寺→白山道奥摩崖仏→鼻欠地蔵→鎌倉」

こんな古道が存在していたのではなかろうか。

 

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古道ウォーカー2

本題に入ろうじゃないか。

鼻欠地蔵の少し右手を見てほしい。

 

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古道ウォーカー3

『通り抜けができません。Uターンもできません。』

 

はい、スゲーのあった。

カーナビを眺めてもGoogleマップを見ても、この先車道はない。歩道もない。
しかし、何かシンパシーを感じる。

 

ここから北に入る道は、かつて白山道奥摩崖仏まで通じていた古道ではないだろうか?

ちょっと潜入してみよう。

 

入口ではおじさんが電動芝刈機をブンブン言わせて草を刈っている。

なんか「すみません、ここを歩かせてください」とか言ったら不思議な目で見られそうな道だ。私道テイストが強すぎる。

 

ビビりの僕は、地元の人に警戒されないためにも、40分ほど付近を散歩して時間を潰した。

戻ってくると芝刈りおじさんは芝刈機を放り出して道端で休んでいたので、その脇からスルリと野良猫のように小道に入った。(上の写真も、目を凝らせば芝刈機が見える)

 

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古道ウォーカー4

しばらくは、なんとか軽トラくらいは入っていそうな急斜面の道だった。

しかし間もなくミッチリ木立に囲まれた極狭路になる。

ハイキングだ。ハイキングが始まったぞ。

 

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古道ウォーカー5

鳥のさえずりが聞こえる。

とてものどかで気持ちがいいが、こんなことしに来たんだっけ、僕?

 

立て札もあり、なんとなく全容が掴めた。

 

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古道ウォーカー6

「朝比奈北市民の森」というらしい。

 

そして、Web検索してみたら、この道を「武蔵野国境 古道」と呼んでいる人がいた。

おぉ、やっぱこれ、古道なのか?

 

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古道ウォーカー7

汗をかきながら歩いていると、途中一人だけハイカーの女性とすれ違った。

 

あの人の目に、僕はどう映っただろうか?

全然ハイキングなカッコなんかしていなかったし。

一人で山の中を黙々と歩いていて、怪しかったであろうな、ごめんなさい。

 

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古道ウォーカー8

途中で分岐があり、右手は住宅地に降りていきそうなルートだ。

真っすぐ行くと、ちょっとあらぬ方向に行ってしまう。

 

そっちもそっちで古道のような気配、僕の歩きたい仏像ロード(仮)はそっちではないのだ。

僕は白山道奥摩崖仏方面に行きたい。

分岐を右に行く。

 

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古道ウォーカー9

私有地だと書いてあるが、先ほどの看板の地図にはこっちのルートも掲載されていたので、かまわず進んでみる。

 

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古道ウォーカー10

階段が出てきた。

階段を下った。

綺麗な公園に出た。「高舟台第一公園」というらしい。

 

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古道ウォーカー11

その先に広がるのは、メチャ閑静な住宅地だ。


僕みたいな人間が山道に一人でいても怪しいが、こんな閑静な住宅地にいてもそれはそれで怪しいなって、自己分析した。

 

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古道ウォーカー12

この住宅地の先に、おそらくはもう1つ山がある。

前に見えている山かもしれない。それを越えれば白山道奥摩崖仏だ。

Webから地図を確認し、それが確信できた。

 

うむ、でも疲れた。住宅地を延々歩くのもダルいし暑い。

さらに前方の山が険しそうだ。


そもそも古道マニアじゃないし、僕。

ただのインテリメガネ君だし。

あとは、帰ってから地図で復習しよう。

 

住宅地を歩くとと、先ほどの山道をグルリと迂回して、舗装路のみを使ってまた鼻欠地蔵まで戻ってこれた。

こうして僕は車というハイテクマシーンの力を借り、白山道奥摩崖仏を目指したのだ。

 

 

かつての道を想像しよう

 

ちょっといろんなスポット情報が飛び交ったので、混乱させてしまったかと思う。

何を隠そう、僕自身も混乱している。

 

情報を整理してみよう。

そこから何かが見えているかもしれない。

 

yokohama-kanazawakanko.com

 

横浜市賀沢区の観光協会さんのWebサイトを見た。

前述の通り、白山道はもともと鎌倉と称名寺を結ぶ幹線道路だったらしい。

しかし今は宅地開発等で消えてしまってルートはよくわからないそうだ。

こっからはもう、イマジネーションの戦いだな。

僕は素人だし多くの文献を見たわけではないが、勝手にザックリ語ろう。

 

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観光協会のページで出てくる地名を全て地図に反映させるのは面倒なので辞めたが、ザックリとこうなった。

 

右端には有名なテーマパーク「八景島シーパラダイス」が見えかけている。

ゴールはとりあえず「鶴岡八幡宮」に置いた。

 

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称名寺

称名寺」は、金沢区の海にほど近い場所にある、鎌倉時代に北条氏が建立したお寺だ。

 

すごい古い歴史がある。

江戸時代なんかよりも、はるか昔だ。

そして上の写真を撮ったときは桜が咲いていて綺麗だった。ピクニックしている人もいた。 

 

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手子神社

「手子神社」は、住宅地の中の丘に残る、小さな神社だった。

由緒はあんまりわからないが、提灯いっぱいセットされていてヤル気を感じた。

 

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朝夷奈切通し1

そして「朝夷奈切通し」だ。

昔、今で言うところの横浜市から鎌倉市に抜けるため、山を切り開いて作ったすんごいい道だ。

 

何を隠そう、鼻欠地蔵の芝刈おじさん待ちの時間に攻略していたのは、ここだ。

ぶっちゃけ「この勢いで鎌倉まで歩いてやる!」って思ったのだが、2020年9月の巨大台風で一部崩落しており、途中までしか行けなかった。残念だ。

 

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朝夷奈切通し2

朝夷奈切通しについては、また機会があったら個別にページを設けて紹介したいと考えている。

 

そして、暫定ゴールに設定させていただいた鶴岡八幡宮だ。

それはね、1ヶ月前に僕が執筆した記事を見てもらっちゃおう。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

 

さて、ボロボロの2体の仏像だが、抱えている歴史はとてつもなく古く、そして重い。

調べていくと、遥か1000年前の古道が見えてきた気がした。

 

東京が江戸として栄え始めたのは、たかが400年ほど前だ。

その倍以上も昔から、ここには道があった。

仏像がいつ掘られたのか定かではないが、はやり相当に昔から旅人を見守ってきてくれたのだろう。

 

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いつしか風化し、近代住宅に飲み込まれ、そして忘れ去られていく仏像。 

そんな彼らに、少しだけスポットを当てたかったのだ。

 

あなたも、いつもの町を歩くとき、少しだけ意識して見てほしい。

先人たちの記憶がそこに眠っているかもしれない…。 

 

 

…というわけで、港町横浜の紹介なのに、海が1ccも出て来ない物語、これにて終了!!

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

鼻欠地蔵

 

  • 住所: 神奈川県横浜市金沢区朝比奈町
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 無し(ただしすぐ近くにコインパーキングあり)
  • 時間: 特になし

 

 

 

白山道奥摩崖仏

 

  • 住所: 神奈川県横浜市金沢区釜利谷南2-44付近
  • 料金: 無料
  • 駐車場: 無し
  • 時間: 特になし 

 

No:077【和歌山県】池に小さなジャングルみたいな島がプカプカ!「浮島の森」を探検だ!

小さい頃の僕は、島というのは海に陸地が浮かんでいるのだと思っていた。

あなたもたぶんそうであったろう。

 

それが幻想だと気付いたとき、子供は大人になる

 

同時に、あの頃の純粋な夢をどこかに置いてきてしまったような、虚しい気持ちに襲われやしないか?

 

そんなあなたに朗報だ。

 

夢は現実に存在する。

プカプカと浮かぶ島は実在するのだ。

和歌山県新宮市に。

これはおとぎ話でもなければ、まやかしでもない。正真正銘、水に浮かぶ島の話。

 

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上陸作戦

 

12月上旬。

1年でも最も日の入りが早いシーズンだ。

だからこそ、朝イチからの時間を有効活用したい。

 

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和歌山へ1

車中泊していた三重県南部で目を覚ました僕は、日の出と同時にフルスロットルでいくつかの景勝地を巡り、アホみたいにテンション高い状態に整っていた。

 

よーし、この勢いで和歌山県に入ってやるぞ。

和歌山県新宮市に突撃だ。

 

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和歌山へ2

国道42号で「熊野川」の河口を渡り、三重県から和歌山県へと入った。

 

それにしても、熊野川はダイナミックだな。

この川も上流に行くと「瀞峡(どろきょう)」と呼ばれている、日本屈指の秘境ゾーンになったりするんだよね。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

とある廃村を探検したときの目印にした「坂本ダム」も、この川の最上流部だ。

もっとさかのぼると「大台ヶ原」まで行く川だ。

 

閑話休題

 

 

さっきの県境の橋を渡ってそのまま1㎞程走った光景が、上の通りだ。

 

そりゃもうね、和歌山県新宮市と言えばそれなりの規模の都市だ。

道も広いし建物も多いわけである。 当たり前の話だ。

 

…だが!

実はこの写真から直線距離でわずか300mのところに、自然あふれる「浮島の森」という秘境が存在する。

そこが、今回僕が目指しているスポットだ。 

 

 

さぁさぁ、ついたぞ、浮島の森だ。

正面奥側でモジャついているのが、浮島の森だ。

 

周囲の道路は少々狭く、愛車のHUMMER_H3ではちょっとだけドキドキした。

従い、周辺で路駐して写真を撮っているような余裕もなく、またまた画像はGoogleマップストリートビューからお借りした。

 

*-*-*-*-*-*-*-

 

現在の時刻は8:55である。

Web情報によると、ここ浮島の森のオープン時間は9:00だ。

ほんの少し早いが、どうにかしてくれそうな誤差でもあるように思われる。

 

駐車場の脇に、ホウキを持って掃除をしているおじいちゃんがいる。

スタッフさんだろうと推測したので、声をかけてみた。

予想通り、スタッフさんだった。

 

まずは受付小屋で入場料の100円を払う。

するとおじいちゃんは、この浮島の森の歴史を、写真パネルなどを使いながら説明してくれた。

 

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受付小屋にて
  • 昔は池が広かったし足踏みすればプカプカ島が揺れた。
  • 島の内部の生態系は、学術的にもとても貴重。
  • 数10年前に町が大きく発展して浮島の真横までアスファルトの住宅街になった。
  • それによって環境が破壊され、浮島も水がほとんどなくなって一時消滅の危機になった。

 

…と、このようなことを説明してくれた。

地元の歴史を知る古老からの、マンツーマンのレッスンだ。

もうこの時点で100円分の価値は遥かに凌駕している。

 

なんというありがたい講義なのだろう。

僕も調子に乗っていろいろ質問をしたさ。

小さな受付小屋のベンチは、熱気を帯びていた。

 

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いざ上陸

これが、現地に掲げられている浮島の森のMAPだ。

僕のこれからの冒険の舞台だ。

 

1980年代の「初代ドラゴンクエスト」でも余裕で却下されそうなほどの、シンプルこの上ない大陸のシルエット。レベル1の勇者でもとりあえず攻略できそうだ。

そしてベタッとした濃淡の無いデザイン。容量が絶望的に少ないファミコンのロムにも優しいデザインよ。

 

いや、でも中央部に「蛇の穴」の存在が描かれている。

ここから地下ダンジョンに入り、最深部にいるボスの蛇を倒せばいいのだろうか?

 

ドラクエ脳でそう考えてみたが、受付のおじいちゃんに「こういう認識でいいですかね?」と尋ねても「朝一からアホが来た」と思われるだけだ。

ドラクエは心の中にそっとしまっておこう。

 

 

街中のジャングル行軍

 

さて、実は僕はここには、日本3周目と5周目の2回、訪れている。

日本3周目のときは、晩秋の閉館ギリギリのタイミングで飛び込んだ。

 

今回のストーリーは後者の日本5周目をベースとしているが、このあと掲載する写真には日本3周目のものもブレンドする旨、ご容赦いただきたい。

 

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浮島1

今一度、先ほどのフィールドMAPを見ていただきたい。

受付を出た直後は、まだ島には上陸せず、池の外周を歩くルートだ。

 

左手に見えますのは、浮島の森でございます。

右手に見えますのは…、塀1枚を隔てて民家の洗濯物だな。庶民的ロケーション。

これは写真撮ってはダメなヤツ。

 

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浮島2

僕の見ている景観を例えるのであれば、「お城のお堀」である。

 

島の周囲にグルリとお堀があるようなイメージだ。

おそらくは昔はもっと池が広かったのだろうが、ここは新宮駅も近い、新宮市の超一等地。

宅地開発されると共に、池も埋め立てれ、お堀のように島の周囲にかろうじて残るのみとなってしまったのであろう。

 

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浮島3

ここで僕が1つ感じたのは、「浮島」という名ではあるが、大地が浮かんでいるようには見えないという点だ。

 

ここからは木々と草しか見えないのだ。

つまり、ジャングルそのものが浮かんでいる。

 

土はどこへ行った??

あの島に大地は存在しているのか??

まぁそこいらはおいおい解き明かそう。ワクワクしてきた。

 

ついにルートは池の上の桟橋を渡り、島へと入る。

 

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浮島4

島内では、ちゃんと安全に歩けるように歩道が整備されている。

 

しかし歩道以外の場所はグッチャグチャだ。

節子だったら「もう、ずっとビチビチやねん」って間違いなく言っている。

彼女がそう言い出したらそれは死亡フラグである旨を、賢明なジブリ信者であるあなたであればお分かりいただいていることだろう。

つまり、歩道から反れたらヤバい。

 

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浮島5

なんだか太平洋戦争当時の「ガダルカナル島」のジャングルを彷彿とさせるようなテイストになってきた。行ったことないけど。

 

今は冬だからいいが、真夏の湿度とボウフラ発生率は想像しただけで恐ろしい。

まさにジャングルだ。

新宮市の中心部、住宅地のど真ん中で、100円でジャングル行軍を味わっている。

 

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浮島6

島内での自撮りだ。

注目してもらいたいのは、向かって左側の足元だ。

 

相変わらず踏みしめられるような大地は無く、飛び降りたら「グチャァァ…」みたいな感じで、早速ひざ上くらいまで沈んでいきそうな気配だ。

島と池が一体化している。

 

冒頭でじいちゃんが「足踏みすればプカプカ島が揺れた」と言っている。

遊歩道の無い時代のお話なのだろう。

どこで足踏みしたのかは定かではないが、恐ろしい次元の湿地帯だ。

 

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浮島7

木々や草が絡まって島になっているのだろうか?

朽ちたり腐った木々がそのまま土壌となり、かろうじて島のかたちを成しているのであろうか?

 

料理がヘタな人が作ったかき揚げのように、ふとした弾みでバラバラになってしまうかのような不安感を感じる。

お相撲さんがジャンプしたら崩壊しかねないぞ、この島。

 

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浮島8

そして島内は結構暗い。

写真ではわからないと思うが、肉眼で見ると不安なほどだ。

 

ジャングルだものね、光はあまり射し込まないのだ。

ジメジメムシムシしているのが、ジャングルのアイデンティティなのだ。

 

夕方に訪問した日本3周目では、じいちゃんに「もう森の中は真っ暗だから、気をつけて行けよー…」と、日本昔話であれば確実に妖怪に獲って食われる前振りのようなアドバイスを受けたしな。

 

ところで妖怪と言えば…。 

 

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浮島9

出てきたぞ、蛇の穴

 

なんか周囲の樹木とものものしい看板の組み合わせは、富士山の「青木ヶ原樹海」を思い出してしまう。

自殺防止の看板のようだ。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

看板にはこう書かれている。

 

蛇の穴(じゃのがま)

この穴が、 心やさしく美しい少女で評判の孝行娘おいのが呑みこまれた大蛇が住んでいるといわれている底無しの穴です。

「おいのみたけりゃ藺の沢へござれ おいの藺の沢の蛇の穴へ」

と俗謡にもうたいつがれており、上田秋成雨月物語に「蛇性の婬」として書かれております。

新宮市教育委員会

 

マジか。

ヘビ、そんなオールマイティな美少女を飲みこんだのか。

返せよ、僕らのおいのを返せ。

 

結構憤りを感じ、蛇の穴へ飛び込んでやろうとも思ったのだが、辞めた。

遊歩道からちょっと離れていたし、汚れたくないし怖いから。

(ところで、底無しの穴に住む蛇って、どういうことだよ。)

 

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浮島10

島を抜け、再び僕は池の周囲を取り囲む道へと出た。
ちょっと最初の地図でおさらいをしようか?

 

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キャラメルみたいな色の池を眺めながら、ゆっくりと受付へと歩き出す。

 

さて、この浮島の森とは、なんなんだろうか?

なぜ浮いているのだろうか?

 

 

浮かぶ島の秘密

 

まずはこの浮島の森を、俯瞰で見ていただきたい。

ちょうどいい写真が「新宮市観光協会」さんにあるので、リンクを貼らせていただく。

 

www.shinguu.jp

 

前述の通り、すごい住宅密集地にあり、そして池が極限まで削られた状態であることが、よくわかると思う。

そして正式名称は「新宮藺沢 - 浮島植物群落」だ。

 

島の大きさは、85m×60m。

この小規模な島の中に、130種類もの貴重な植物が生えているのだそうだ。

 

コイツは日本最大の浮島。

浮いているのにはヒミツがある。

 

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浮島の島部分と、底の部分を形成しているのは、植物の死骸だ。

泥炭層っていうのだが、わかりやすくいうと腐葉土がもっとデロンデロンのペースト状になった状態だ。

 

これが水中で発酵して、変なガス(メタンガス)を発生させるようになる。

ガスは水よりも軽いので、上に行く。

その浮力で、池の上の森が丸ごと浮いているっていうワケだそうだ。

 

もっとも、これは1955年ごろまでの状態らしい。

おじいちゃんの言葉を思い出してほしい。

 

「昔は池が広かったし足踏みすればプカプカ島が揺れた」

 

…今は揺れないのだ。

池が狭くなったからではない。池の中の環境が変わったのだ。

 

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どうやら腐葉土が溜まり過ぎてしまったようだ。

それに、水質の悪化だとか水位の低下も重なった。

今では一部がかろうじて動く程度になってしまったようだ。

 

ちなみに、保護団体が動き出しており、この貴重な森を守るためにいろいろやってくれているようだから、僕らはその活動を静かに応援したい。

 

1927年に天然記念物に指定された、浮島の森。

この貴重な生態系を、後世に受け継がなければならない。

 

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浮島11

引き続き島を眺めながら歩き、最初の受付小屋へと帰還した。

ニコニコしながらおじいちゃんが待っていてくれた。

 

 

「…いいんだよ、再び夢を見ても。浮島の森という名の、大きくて優しいゆりかごに揺られ、子供の頃の夢を見ようじゃないか。」

そう言っているかのような笑顔だった。

 

プカプカ浮かぶ島は確かにあった。

今でこそ、ちょっと動きが鈍っているものの、またいつか池を漂うのだ。

 

丁寧に案内をしてくれたことのお礼を言う。

そして僕はまた愛車に乗り込み、本州最南端の「潮岬」を目指すのだ。

 

以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 浮島の森
  • 住所: 和歌山県新宮市浮島3-38
  • 料金: 110円(2021年現在)
  • 駐車場: あり
  • 時間: 9:00〜17:00(12~2月は~16:00)

 

No:076【山口県】そこは本州最後の夕陽の見える地!!本州最西端「毘沙ノ鼻」を目指せ!

本州本土の最西端。

 

 

あなたは「壇ノ浦だろ?」とか「関門橋だろ?」とか、思い浮かべているだろうか?

何を隠そう、かつての僕もそうだった。

 

しかし、実は違う。

「毘沙ノ鼻(びしゃのはな)」という岬。

これが本州最西端だ。

 

下関の中心地から北に向かって直線距離で20km強。

今回は、少々マイナーかもしれないこの岬をご紹介したい。

 

 

波花のクロスロード

 

北海道・本州・四国・九州。

日本の本土と言われるこの4つの大きな島、それぞれの東西南北端がある。

詳しくは、僕の書いた以下の【特集】をご参照いただきたい。

 

drive-ns.hatenablog.com

 

毘沙ノ鼻。

毘沙門天」を彷彿とさせるような猛々しい名前だ。

 

毘沙門天は武神。

じゃあ毘沙ノ鼻も強いのか?

すげー強い岬なのか?

戦闘力53万なのか?

そんじょそこらの岬とは一線を画しているのか?

 

ワクワクしてきたぞ。

 

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そんな岬を求め、九州と本州の境目と言っても過言ではない地まで、出掛けてみた話をしよう。

今回は、日本2周目と3周目のストーリーがベースだ。

 

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アプローチ1

山口県長門市下関市を繋ぐ、国道191号を走る。

快走路なので、非常にのどかな気分だ。

 

そこに突如として出てくる、本州最西端を示す碑。

これを見逃してはならない。

 

 

いつぞや写真を撮った記憶があるのだが、ちょっと手元で見つからなかったので、Googleマップストリートビューから拝借した。

 

事前案内なく、交差点を通り過ぎた先のところに「毘沙ノ鼻 →」って書いてあり、こちらを慌てさせてくれるカラクリだ。

 

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アプローチ2

国道を反れてからは、県道245号となる。

 

信号もほとんどない、別名「風波のクロスロード」という中二が歓喜しそうなかっこいい名前の道をスイスイ走っていく。

 

ただ、風波のクロスロードを信じてはいけない。

 

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風波のクロスロードを辿ろうとすると、わけわかんなくなるから。

 

途中で吉母という小さな集落に差し掛かる。

吉母の集落を拡大しても、風波のクロスロードは元気いっぱいだ。

 

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特に上2箇所、「この頻度で書かなくてもわかるよ」ってくらいに書いてある。

 

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アプローチ3

とりあえず、海の近くを走るシーンもあって気持ちがいい。

 

…と思いきや、アメリカ西部の平野部みたいにだだっ広い田園をスイーっと走るロケーションとなったりして、少々呆気に取られる。

 

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それがここだ。

ちょうど1つ目の矢印が途切れる部分だ。

 

ちなみにここは矢印の通りまっすぐ行くのが正解なのだが、県道245号は右折であり、そっちの方が道が太い。

普通に走ると右折してしまう可能性がある。

 

なのに標識がないこともあってスリリングだ。(少なくとも僕の訪問当時)

風花のクロスロードも、ここで名前の通り悪魔的に交差しており、ドライバーを迷わせにかかってくる。

 

もちろん僕は、町を間違えて田園の果てに消えていったこともある。

まぁ賢明なあなたであれば、ちゃんとカーナビを使うだろうから安心だろうが、この記事は僕の思い出話ということで、詳細に書かせていただいた。

 

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アプローチ4

田園の向こうはモサモサに木々が繁った低い丘で、クネクネ道でその丘を上る。

車の擦れ違いはなんとか可能と行ったところか。

HUMMER_H3だと、少しだけ不安である。

 

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アプローチ5

そこでゴミ処理場のフェンスが出てきて不安を煽られるのも、規定路線だから安心してほしい。

正面に出てくる白い看板にデカデカと「ごみ」とか書かれているが、別にあなたのことをゴミだと言っているわけではないので、安心してほしい。


フェンスギリギリを舐めるようにさらに丘を上れば、毘沙ノ鼻の駐車場だ。

 

 

本州最後の夕陽が見える丘 

 

駐車場は30台ほどだろうか?

公衆トイレがポツンとある。

 

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最西端への遊歩道1

海の見える気持ちのいい駐車場だ。

 

しかし注意せねばならないのは、この駐車場はフェンスで囲まれており、そのフェンスのゲートは夜間閉じているということだ。

 

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最西端への遊歩道2

岬の先端は、駐車場のさらに先だ。

つまり、原則夜には毘沙門ノ鼻には行けない。

これは覚えておいてほしい。

 

しかし、上の写真の通り、そのフェンスにも本州最西端を示すプレートが掲示されている。

マニアとしてはこれも撮影しておきたいものだ。

 

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最西端への遊歩道3

開所時間 8:30~日没まで

※時間を過ぎますと門が閉まりますのでご注意ください 

 

こんな風に、青地に赤という目がチカチカするような配色で注意喚起をしてくる。 

 

さて、この駐車場の最奥に、岬の先端へと続く遊歩道がある。

直近ではここに「毘沙ノ鼻」と書かれた木製の台座があり、その年の干支のオブジェが乗っているようだ。

 

僕の直近の訪問時は、これはまだなかった。

いいな、そのうちこれを見てみたいな。

 

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最西端への遊歩道4

ここからは気持ちのいい遊歩道だ。

 

毘沙門天とのバトルに向けての荒々しい最果ての岬と思いきや、どちらかといえば極楽浄土だ。

両側は木々で囲まれ、花が咲き、蝶も飛んでいる。

 

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最西端への遊歩道5

上は実際に日本2周目のこの遊歩道で僕が撮影したアゲハチョウだ。

 

ガラケーのカメラなのでそもそも画質が悪い上、原本を紛失したので圧縮したバッファした見つからなかった。

すごい解像度でデカデカと蝶をお見せしても苦手な人もいるかもしれないので、このくらいのボカしで結果良いだろうと自己納得しておく。

 

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最西端への遊歩道6

傍らに立つのは、「本州最後の陽が沈む丘」の標柱。

 

ロマンあふれる二つ名じゃないか、カッコいい。

「夕」だけ赤字にしているのが褒めていいものかどうか、絶妙なラインを攻めてくる。

 

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最西端への遊歩道7

この標柱も、日本2周目の頃から眺めているが、随分と痛んできた。

 

一部文字が取れたりしていた。

一番強調したい「」の文字が、もうほとんどお亡くなりになっている。

 

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最西端への遊歩道8

赤字はダメなんだよ。

紫外線で真っ先に劣化するのだよ。


まぁいい。僕はO型だから細かいことは気にしない。

「本州最後の 易がみえる」でも、別にいい。

 

 

九州臨むデッキにて

 

5分ほど歩いただろうか?

そこそこの広さを持つ広場に到達したところで、この遊歩道は終わる。

同時に両側の木々がなくなり、一気に視界が開ける。

 

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最西端デッキ1

本州最西端だ。

それを示す木の看板と、灯台型のオブジェが僕を迎えてくれた。

 

その後ろには、真っ青な空と海が広がっている。

 

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最西端デッキ2

嬉しいな。

 

日本で一番巨大な島、本州。

その一番西の端に来ているのだ。

僕は今、本州で一番西に立っている人間なのだ。

 

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最西端デッキ3

…少しだけ、昔話をしよう。

 

ここを初めて訪れたのは日本2周目のことなんだけどさ、当時は冒頭の通り突端岬に詳しくはなかった。

関門橋」を見上げて満足し、「本州の端に来たー!」とか満足して帰路に着いてしまったのだ。

 

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最西端デッキ4

それも間違ってはいない。

1つのゴールとしては正しいであろう。


しかし、本当の突端を求めるのであれば、毘沙ノ鼻に行くべきだったのだ。

僕は突端を求めるタイプの人間であった。

 

調査も意識も不完全なまま、旅立ってしまっていた。

 

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最西端デッキ5

帰宅後にそれを知って大いに悔しがった僕は、数ヶ月に出直してきた。

ただね、「やり残したことをやりとげに来ただけ」では、カッコ悪い。

「前回ここを踏みさえすれば、今回来る必要もなかったのに」って卑屈になるだけだ。

 

だから、ここ毘沙ノ鼻を改めて目指す際に、もっともっと大きい目的を用意した。

 

車中泊しながら、毘沙ノ鼻を経由して九州の東西南北端の全てを踏み、さらに四国の最東端と最北端を踏んでやる。

 

そう考えた。

毘沙ノ鼻はその序盤を飾る、大事な大事な最初の岬だ。

しばらくは九州・四国を巡るから、本州に別れを告げるためにここに来たのだ。

 

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最西端デッキ6

先端にはデッキがある。

 

そこに立つと、遠くには九州の大地が霞んでいる。

関門海峡付近に浮かぶ島もいくつか見え、風光明媚だ。

 

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最西端デッキ7


本州の突端ではあるものの、その立地からも最果て感はあまりない。

しかし、「確かに本州と九州は繋がっているのだ」と感じ、僕の心は揺さぶられる。

 

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最西端デッキ8

公共交通機関の場合、一概には言えないが、九州旅行は九州のみを巡るだろう。

山口県への旅行であれば、九州に足を踏み入れることは少ないだろう。

 

しかし、自走の旅ではフィールドが移り変われ瞬間を味わえる。

自分の意思で、隣の大地に突入できる。

 

それがたまらなく好きなのだ。

その直前の、爆発しそうな興奮を感じているのだ。

 

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最西端デッキ9

少し南側を眺めると、先ほど脇を通り過ぎたゴミ処理場の敷地が見える。

 

僕にはあまり興味のないプチ情報だが、このデッキよりもさらに西の岩礁地帯に行きたい場合は、ゴミ処理場のゲートで監視員の人に頼み込めば案内してくれるケースもあるらしい。

あなたがもし興味のであれば、試してみてほしい。

 

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最西端デッキ10

 

掴めない夕日を追いかけて

 

さて、前述の通りここでは本州最後の夕陽も拝める。

僕も2回ほど夕刻に訪れた。

 

ちょっと時間にルーズな僕は、遅刻すること多いけどな。

(実際には、走行中にいろんな誘惑に捕まって日没に間に合わなくなる)

 

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夕焼けメモリーズ1

日本3周目では、「日没に間に合わないー。暗くなるー、暗くなっちまうー。」と、遊歩道をダッシュしながら先端のデッキを目指す。


本州を最後まで照らしてくれていたであろう夕陽は、僕なんかをとっくに見捨てて、もう九州に行っちまっていたようだ。

 

しかしステキな置き土産があった。

 

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夕焼けメモリーズ2

残照がとても綺麗だったのだ。


汗をかき、息切れしている僕も、この神秘さに思わず息を飲む。

本州最後の夕焼けを、今眺めているのだ。

 

背中に迫り来る夜を感じながら、1日の終焉を見送っている。

うん、いいじゃないか。

 

こうして僕は、以前日本最北の島である「礼文島」で出会った女性「のんたん」とここで夕焼けを見た。

 

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夕焼けメモリーズ3


今日は朝から1日一緒に遊んでくれたのんたんだが、そろそろお別れの時間だ。

ありがとう。

 

そして明日の朝、僕は九州に渡るのだ。

西日本を車中泊で一周する巨大イベント。

 

明日は朝一に福岡で、同じく西日本一周を反対回りする「ニコル君」という旅人と出会う予定があるのだ。

どういうヤツなのだろう、楽しみだ。

 

完全に暗くなった遊歩道を再び引き返す。

(早くしないとゲートが閉まる)

 

本州に夜が来た。

期待と興奮を内包した、静かだけども熱気のこもった夜だった。

 

 

日本6周目の夢を見る

 

…というわけだ。

使用した写真は日本4・5周目のものが多いが、ストーリーは日本2・3周目をベースとさせていただいた。

 

実は僕は、まだ日本6周目ではここを訪れていない。

本来であれば2021年1月現在において踏んでおきたかったのだが、コロナウイルスうんぬんで、機会を掴めていないのだ。

九州一周や四国半周はもう済ませてあるのだが、ここはまだなのだ。

 

恐らく僕は、日本6周目の最も終盤でここに戻ってくる。

万感の想いを抱き、花々に囲まれて、本州最後の夕陽を眺める。

 

きっとそのとき毘沙ノ鼻は、今まで以上に僕にとっては思い出深い岬となるであろう

まだ少し先の話になるかもしれないが、非常に楽しみだ。

 

本州の最果てに夢を馳せ、今しばらく力を蓄えるとしようか。

 

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以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。

 

 

住所・スポット情報

 

  • 名称: 毘沙ノ鼻
  • 住所:
  • 料金: 無料
  • 駐車場: あり
  • 時間: 8:30~日没まで