「吉野ヶ里(よしのがり)遺跡」をご存じか。
日本を代表する、弥生時代の大規模環濠集落である。
「もしかしたらここが邪馬台国だったのではないだろうか?」という声も聞こえたりする。
ペース配分を無視したスタートダッシュに定評があった僕は、マラソンではスタート直後にトップに躍り出て後半バテるし、日本史は古代にやたらと熱意を注いで力尽き、明治維新以降は寝ていた。
「日本の夜明け」?知らん。入れ違いで僕は寝る。
だから弥生時代はけっこう得意分野だ。
僕の黄金期と言っても良いだろう。生まれてないけど。
そんな僕が、満を持して憧れの吉野ヶ里遺跡を訪問したときの話をしたい。
(あれも梅の時期であった)
古代史に熱心だったと書いたばかりだが、小難しいことは嫌いだしわからないので、ひたすらピュアな心でレポートしよう。
アレフガルド
僕は佐賀県の平野部、田園地帯をノビノビと走り、吉野ヶ里遺跡に向かっている。
今回こそは吉野ヶ里遺跡に行こうと、心に決めている。
山麓から平野に向かって形成された段丘に遺跡はある。
日当たり良好、水はけ良好、といった土地だろうか?
弥生時代と言えば、日本国内で初めて稲作が行われた時代。
今のような水田を使った水稲栽培ではなかったそうだが、付近を走っていると「このあたりに村を作ってもいいかな?」みたいに思える。
春の気配が漂い、ポカポカとした陽気なのもそれを手伝ってくれているように感じる。
さて、駐車場だ。
どうやらすごい敷地が広いらしく、駐車場やゲートも"東口"・"西口"って複数あるみたいだけど、とりあえず西口に来た。
たぶんここ、正面側ではないっぽい。微妙に裏口っぽい位置付けらしい。
うん、良い。
閑散としているところに駐車し、閑散しているゲートから入りたい。
自分、ぼっちですもん。だから目立ちたくないですもん。
広大な駐車場は多くの車で賑わっているけど、一番遠い端っこの方はたくさん空きがあったので、そこに愛車を停める。
周囲はカップルやファミリーが多いから、ちょっとその中に入って行くのは気が引けるのだ。
吉野ヶ里遺跡は、かなりエンターテイメント性が強いテーマパークタイプの遺跡。
1人では入りづらいために、しばらく静観していた。いつか複数人で来たときに遊ぼうかなって思って。
だけども最近「僕は孤独だ」って自覚した。ようやく。
だから開き直って1人で来た次第。そのへん、僕も強くなった。
園内に入った。
受付でもらったパンフレットを片手に、ポカーンとしてしまうくらいに広い。
ここは「サバンナですか?それともアレフガルドですか?」みたいな気持ちになる。
こんなに広いだなんて、思っていなかった。
さっきね、受付で颯爽と「1人です」って言って料金払った。
そしたら親切なスタッフさんが「遺跡の見学ですか?」って、僕に聞いて来てたのだ。
「いや、それ以外に目的ないっしょ」って思ったんだけど、本当に広くていろんなことができそうなフィールドだ。
受付のスタッフさんにはとりあえず「はい、遺跡です」って言ったのだが、もしかしたら「ブーメランを投げて自分でキャッチする練習のために来ました」とかって言っても正解だったかもしれない。
スタッフさん、「それではまずここから東に行って湖を越えて、南の村に行くとよいでしょう。」と言っていた。
なんか「ドラゴンクエスト」で親切な村人に話しかけたときみたいな案内だなって思った。
じゃ、南の村で薬草とか銅の剣とか買おうかなって思った。
そして今、その南の村とやらを目指してフィールドに出たってワケ。
人、全然いない。チラホラと地平線付近にうごめいている程度だ。
むしろ人間じゃなくて、スライムだとかオオアリクイだとかキラーパンサーだとか、モンスターが出現しそうだ。
僕は丸腰だし、モンスターに倒されても1人パーティーで僧侶も仲間にいないので、復活できかねる。ドキドキする。
そういえば、受付のスタッフさんは「園内バスもたまーに出ていますよー」と言っていた。
でもいい。1人で乗るのは恥ずかしいから歩く。
それに、ドラクエなどのRPGの世界では、乗り物を手に入れて安全な旅をできるのは、大体ストーリーの中盤からだ。
こんなタイミングでバスに乗るのは、なんだか世界の理(ことわり)に反するようで咎められるぜ。
みなみのむら
南の村にやってきた。
いくつかの建物では、弥生人に扮した従業員の人が壺を並べたり野菜を干したりとなんかかんや生活している。
第一村人発見、ってヤツだ。
話しかけると「ようそこみなみのむらへ」とか言いそう。
ここは弥生時代に一般の人々が住んでいた村だそうだ。
27棟の建造物が再現されているんだって。
結構大きい集落だね。メガロポリスね。
この村は、梅のシーズンだ。
「南」だものね。先行して春が訪れるのだ、きっと。
まずは手前にあった高床式倉庫を見学した。
建物は大体中まで見学できるので、1つ1つ入る。
こういう建物の中に宝箱とか壺とかあってさ、その中に武器とか現金とかあるじゃないですか。
それを盗んで我が物にしてしまうのが、ゲーム中の勇者の行動の基本やね。
イッツァ勇者ライフ。
冷静に考えると(考えなくても)、ジャイアンよりもヤベー行動理念だ。
ほら、大根あるぞ。大根干しているぞ、この家。
今夜はおでんか、ブリ大根か。
頃合いを見計らい、白飯を片手に突撃したい。
住人がいなさそうなので、ちょっと中を覗いてみる。
肉もあるぞ。下の段、これ肉だよな。
俄然盛り上がってきた。
こんなに晴れていていい天気なのに、観光客はほぼ皆無。
作業中の弥生人がいるだけだ。
しかし弥生人も人数少ないわ警戒心ないわで、セキュリティがザルな村だ。
セコム紹介したい。
復元された竪穴式住居は、どの住居共に手入れが行き届いていてとても綺麗だ。
「なんとかヶ丘ニュータウン」みたいな名前をつけたくなるような、新興住宅地だ。
当時もきっと時代の最先端を走っていたのだろう、この集落は。
まだ梅の季節なのだが、もうゲートからここまで歩くだけで軽く汗ばんだ。
距離も長かったし、ポカポカの陽気なのだ。
これはもう、住居の中でしばらく休ませてもらうしかないと判断した。
ワンルームのシンプルな間取りだ。
中は涼しい。エアコンが無くても快適な造りだ。
腰をおろし、ツーリングマップを読んでこの後の予定を立てたりした。
次はベタだけども久々に「太宰府天満宮」に行くぞ!とか心に決めた。
では、休んでHP(ヒットポイント)も回復したので、次の村を目指す旅に出る。
けんりょくしゃのまち
フィールドをテクテク歩いて次の集落にやってきた。
もうシャツを腕まくりしているのに、かなり暑いよ。
ここは南内郭って言って、ちょっと偉い権力者たちが住んでいたエリアだそうだ。
エリアをグルリと堀や木の柵で取り囲んでバリケード化してあり、さらに内部の要所要所には物見櫓が設置されていて、鉄壁の防御を誇っている。
要塞都市だ。
そのバリケードの外には高床式倉庫が並んでいて、いろいろ食料が貯蔵してある。
ここは当時の市場とかの役目を担っていたらしい。
まさにこれが環濠集落ってヤツかね。
集落を掘で囲んで外界との区画をキッチリさせた暮らしだ。
集落内に物見櫓があったので、当然登った。
物見櫓はランドマーク的な位置づけなのか、ここには観光客もそこそこ集まって来ていた。
みんなで集落を見下ろした。
いい眺めだ。集落内を一望できた。
人さえいればなかなか賑やかそうな町だ。コンビニ作ってくれるなら暮らしてみたい。
せいなるしんでん
それから僕は再び北へと旅立つ。
「中の村」という小さな集落を抜けて、さらに歩くと墓地。
そしてその墓地の横に北内郭というエリアがあり、その中に巨大な祭殿が建っていた。
ここいら一帯のボスがいる建物なのだそうだ。
奇しくも、僕はここまで集落を小規模から大規模へと、順番に攻略してきた。
RPGであれば着実にレベルを上げ、攻略難易度の高い敵の居城にやってきた、といったところだろうか?
いや、敵とか知らんけど。
この祭殿も高床式なので、1階部分の吹き抜けの日陰に座り込んで休んだ。
もう結構な距離を歩いて疲れたのだ。
そしたら弥生人が話しかけてきた。
このオレンジの装束の弥生人だ。
ここがどれだけ立派な建物なのか熱心にアピールしたし、そして「今この内部で行われている祭事がオススメですよ。是非ちょっと見て行って。」と悪徳セールスみたいなことを言われた。
じゃあ中に入ってみるわとなった次第だ。
うわぁ、静粛に!
神妙な儀式の最中だった。
巫女が何やら占っており、横で従者がそれを眺めている。
冒頭でも書いたけど、邪馬台国はここだったという説もある。
「卑弥呼」もこんな感じで神の声を聴き、そして民を治めたのだろうか?
最上階では、経営会議をやっている。
「おい、ちょっと今年の稲、どうするよ?」みたいなことを真顔で話している。
農民から稲の成長具合の報告を受け、「じゃあいつ稲刈りしようか」ってのをボスが決めるのだ。
ストーリー的に、さっきの巫女が儀式をして神からの啓示をしてもらう。
神は「稲は結構実ってきたから、来週水曜くらいに刈るといいと思うよ」とか、きっというのだろう。
そしてボスが決裁するのか。
稲作の黎明期。稲刈りの時期の見極めは、きっととっても大事だったのだろう。
僕らが毎日おいしいお米を食べられるのも、彼らがかつて頑張って稲作を研究し、それを後世に伝えてくれたからだろう。
ありがとう。
明日もご飯ムシャムシャ食べるわ、僕。
こくおうのはか
さらに北にある北墳丘墓ってところに行ったた。
ここには国王と思われる人の、歴代の柩などが収められた古墳が再現されていた。
併設の資料館がある。
ここは出土品をしっかり保管するために、現代科学の粋を結集させた近代的な施設だ。
資料館内で目を引いたのは、北墳丘墓の内部のものがそのまま展示されている点だ。
地面ごと当時のままで保存されている。
このように遺体を入れていた甕棺も復元されているのだ。
これが本物だ。バラバラだったのを復元されている点に、よりリアリティを感じる。
他にも一緒に入っていた出土品などの展示があった。
説明板も充実していた。
どのように遺体を甕に入れて埋葬していたのかだとか、どのようなものを副葬していたのかとか。
そして、当時の人の死に対する倫理観の研究物だとか。
死は、誰にでも等しくやってくるのだ。
弥生人だろうと、我々だろうと。
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いい勉強になったな。
実はここは、日本0周目で訪れたことがあった。しかしほとんど忘れていた。
時を経て、日本5周目でまた来れてよかった。
入口ゲートまでは、ここから1.5kmは普通にあるだろうけど頑張って歩く。
ここ、土地が広大すぎるぜ。1日遊べる。
帰り道は集落を離れ、弥生の大野だとか水田地帯などののどかなエリアを歩いて帰った。古代の風景を見ながら、いい散歩ができた。
しかし古墳時代になると、途端に人々は集落から消えてしまう。
土器を掘りに大量に割り捨て、いったいどこに行ってしまったのかは明らかにはなっていない。
文化も生活も代わり、新天地を目指したと言われているが…。
遥か1700年前の物語。
遠い世界、遠い時代に生きた彼らの笑い声が聞こえたような気がした。
それだけで、僕はここに来た価値を見いだせた。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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