今夜はクリスマスイブだ 。
クリスマスは楽しいよな。
チキンを食べたりサンタが来たり。
運が良ければプレゼントをもらえるかもしれないよな。
しかしクリスマスは一瞬で過ぎ去り、瞬く間に正月の準備が始まる。
あなたは初詣にどこに行くのかもうお決まりだろうか。
もしあなたが首都圏にいるのであればちょっとだけ思い出してほしい。
初詣の名所鎌倉の「鶴岡八幡宮」のことを。
そして今あなたの横にあるクリスマスツリーを見て、思い出してほしい。
鶴岡八幡宮には10年前まで 巨大なシンボルツリーがあったことを。
大銀杏、倒壊する!!
さて、今回は鶴岡八幡宮にかつて聳えていた大銀杏の話をしたい。
この大銀杏は今から10年前の2010年3月10日に倒壊してしまった。
ちょっと残念ながら手元に倒壊前の鮮明な大銀杏の画像が無いので、他のWebサイトをご紹介させていただく。
倒壊前の迫力のある大銀杏の様子を、まずは感じ取ってほしい。
…今は2020年だ。
あれから10年の歳月が流れた。
倒壊した大銀杏はこの10年はどのように過ごしたのだろうか。
今回はその物語を追っていきたい。
鶴岡八幡宮の大銀杏といえば 、僕が物心ついたときからそこにあるのが当たり前の存在であった。
正確に言えば物心がつく前から僕はこの大銀杏を見上げていた。それこそ0歳児のときから。
小学生の頃、家族と一緒の初詣。
拝殿に続く階段。
進まない大行列の中、ふとその階段から左を見る。
階段脇の大銀杏の枝の間をリスが駆け回っているのを見付け、「あ!リスがいる!」と家族と共にほっこりしたものだ。
近くのお店で飲んで酔っ払い、夜中の鶴岡八幡宮に突撃したこともある。
酒に酔っていたせいで写真はブレブレになったが、おぼろげながら大銀杏のシルエットは確認できた。
残念ながら僕は大銀杏の写真をまともに手元に残していない。
きっとそれは写真を撮る必要すらないほどに、当たり前の存在であったからだ。
そんな大銀杏が突然倒壊したというニュースが、2010年3月10日の朝に、日課としてWebニュースを見ていた僕の目に飛び込んできた。
毎日新聞社の、当時の記事の内容を少し引用させていただきたい。
神奈川県鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮(吉田茂穂宮司)の本殿前にある県指定天然記念物「大(おお)銀杏(いちょう)」が、根元付近から折れて倒
れているのを警備員が見つけた。
9日夕から続いた強風が原因とみられる。けが人はなかった。
大銀杏は鎌倉幕府三代将軍、源実朝(さねとも)の暗殺事件の「隠れ銀杏」として知られる。
同八幡宮関係者は「あり得ないことだ」とぼうぜんとしている。
八幡宮によると、大銀杏は幹回り6.8メートル、高さ約30メートルで樹齢は1000年とされる。午前4時15分ごろ、当直の警備員が3回ほど「ドンドン」という音を聞いた。
警備員は「積もった雪が落ちる音だと思った」という。
その後、落雷のような音がしたため、様子を見に行くと大銀杏が倒れ
ていた。市消防本部によると、当時の最大瞬間風速は12メートルだった。
大銀杏をみた東京農業大の浜野周泰教授(造園樹木学)は、2月以降の雨で地盤が緩んでいたことに加え、9日夕からの強風が原因と指摘。雪まじりの風は、通常の数倍の力がかかるとされ、傾きを支えられずに折れたとみられる。
土壌が薄い石段脇の斜面に立っていたことも影響したらしい。
浜野教授は「根元の状態から回復は不可能」とのコメントを出した。
八幡宮では09年末から保全に向けた検討を始め、浜野教授が診断したが、生育に問題はなかった。
八幡宮側は「吉田宮司はコメントを出せる状況ではない」と話し、午前5時に駆け付けたという神職も「あり得ないことだ。驚いている」と動揺を隠さない。
大いにショックだ。
再生も不可能だなんて…。
引用の通り、鎌倉時代に源家による将軍の歴史を実質終わらせた事件にかかわる重要な銀杏の木。
僕も小学生のころから歴史の本など読んでいて、実際に見るだけではなく歴史的な価値もそれなりにわかっていたつもりだ。
いてもたってもいられない。
見に行きたい。
調整し、現地に僕が現れたのは、倒壊から4日後の朝であった。
倒壊4日後の銀杏を目撃する
「よし、梅が綺麗だ」。
境内の池のほとりで梅の開花を眺めた僕は、1人そう呟いた。
心の中は、これから見るであろう光景を想像してザワザワしっぱなしだ。
その前に花を見て心を落ち着けたかったのだ。
3月14日である。
春になり、新しい生命が生まれようとしている。
それに反し、大銀杏はその命を閉じたというのだ。
今日はこんなにもポカポカしているというのに、ほんの数日前の、冬の終わりのみぞれまじりの暴風雨がトドメを刺したというのだ。
なんという皮肉だろうか。
境内の白砂利の上をザクザクと歩く。
歩調が速い。
奥には本殿が見えてきた。ついに見えてきてしまった。
まだよくはわからないが、心なしか向かって左側の余白が大きい。
本来であれば、あそこに大銀杏が聳えているはずなのだ。
「ウッ」っと胸を締め付けられるような感覚に襲われた。
写真の左端、人ごみの向こうに緑色のシートが見えている。
あそこが本来の大銀杏の場所だ。
駅構内の人身事故発生時のブルーシートのように、銀杏が囲われている。
この救いのない気持ち、どうにかしてくれ。
人ごみの中から見えた!!
大銀杏だ!!
しかしぶった切られて、切り株状態になっている!
なんで?
処分するためにカットしちゃったのか。
最後の姿をしっかり目に焼き付けたかったが、既に解体されてしまったのか…。
僕の見いる前で、大銀杏はクレーンに吊るされていた。
このまま撤去されていしまうのだろうか…。
ちょっとだけ角度を変えてみた。
幕があってよく見えないが、白衣の人たちが根元でワチャワチャしている。
「無理です、手の施しようがない」・「お亡くなりです」、とか話しているのだろうか?
コントラストを調整し、もう1枚ご紹介しよう。
これで、幕の向こうの大銀杏がいかに巨大か、そして白衣の人たちがわんさかいる様子がおわかりいただけると思う。
今まさに、僕ら一般人の前から大銀杏が永遠に姿を消す瞬間なのだろう。
クレーンの準備は着々と進んでいた…。
…ところで。
その傍らにも、残骸がある。
赤い柵に包囲された切り株。
そして、その背後に横たわる、おそらく銀杏の上半身。
上半身は倒れた衝撃なのか、グッチャグッチャで見るも無残だ。
妙にスッキリしてしまった、本殿に続く階段の左部分。
切ない気持ちでこの写真を撮影し、僕は鶴岡八幡宮を後にした。
次世代に命を繋げ
このあとの大銀杏はどうなのだろうか…?
数日間掛けてWebニュースや新聞から情報を仕入れ、なんとなくわかってきた。
以下は、10年前の僕の覚書である。
まだ大銀杏は復活する可能性がある!!
その一縷の望みをかけて、切り株の1つを基の階段脇付近に「ドン」と鎮座させたそうだ。
あれはそのためのクレーンだったのだ。
…さらにだ!!
根元からバッキリ折れた大銀杏だが、地中に残っている根っこ付近はまだ生きている可能性がある。
従い、ここも保護しつつ今後の経過を見守るというのだ。
さぁ、気になるじゃないか。
1ヶ月後となる4月の下旬にある日、再び僕は鎌倉にやってきた。
生命が最も活性化する春だ。
この時期に大銀杏が果たして踏ん張れるかどうか。
それが、1000年続いた命の行く末を大きく左右する。
初夏のようなポカポカの日だった。
季節は大きく移ろっている。
散歩がてら鶴岡八幡宮に向かう途中、「源頼朝」の墓があったのでお参りしてみた。
賽銭箱には「源頼朝会」って書いてあった。
アイドルのファンクラブのようだ。
鶴岡八幡宮に到着した。
これは藤棚だから、藤の花だろうか…?白いけど。
今まさにこぼれ落ちそうなくらいに 成長している。
春なのだ。
元気の象徴、春なのだ。
桜のシーズンは終わっている。
八重桜が最後の花を咲かせていた。
バラのように優雅に咲き誇る八重桜。
桜ってバラ科だしね。八重桜を見ていると、それがすごく納得できる。
1ヶ月ぶりの本殿が見えてきた。
1ヶ月前と比べて、あきらかに緑が多くなった本殿周辺。
まぁでもそれはいい。
重要なのは、大銀杏がどうなっているかだ…!
切り株。
無造作に切り株が置かれていた。
これが、先月クレーンで吊り下げられているのを見た部分だな。
ただドスンと置かれているだけではない。
しっかり地に足がついている。
わずかな希望をかけ、きっと樹木医さんがいろいろ考慮した上で、この部分をこのように植え付けたに違いない。
そして、あなたはこれを見て1ヶ月前と何も変わりのない、タダの切り株に見えてしまっているかもしれない。
なのでズームしてみよう。
新芽。若葉。
命は繋がった。大銀杏は生きている。
なんか泣きそうになったよね、これを見て。
ただね、驚くのはまだ早いのだ。
本殿への階段を半分ほど上り、そして大銀杏エリアを見下ろそう。
はい、左下に注目。
これが何か。
前述の、かつて大銀杏が立っていた部分だ。
見えているのは根元から折れた残骸部分。
しかしこちらも、根は生きていたのだ。
かわいい新芽が無数に出てくる。
スプラウトみたいにサラダに散らして食べたくなるようなかわいさだが、古い命を土台に、今まさに新しい生命が産声を上げている。
なんと素晴らし春の1日なのだろうか。
大銀杏はもともと1本であったが、これで2本になるのだ。
お参りをし、ルンルン気分で帰るとしよう。
真夏の夜の夢
7月下旬となった。
あの倒壊事件から4ヶ月だ。
僕は再び鶴岡八幡宮に向かう。
妹との所要のついでだったので、妹と一緒に夕暮れの鶴岡八幡宮を訪れた。
本殿へと続く参道の脇には一定間隔で木の棒が立てられている。
なんだろうと思ったら、8/6~9で実施される「ぼんぼり祭り」のぼんぼりを取り付けるための棒なんだね。
ぼんぼりに灯りがついたら、さぞや幻想的だろう。
あるいは、RPGのダンジョンでボスが出てくる直前みたいなシチュエーションを味わえるだろう。
実際はかなり薄暗いので、手元もブレる。
しかし、こんな時間でも人が多いのが鶴岡八幡宮の魅力よ。
では、あの大銀杏はどうなっているだろうか。
夏バテせずに元気でいるだろうか…??
メッチャ元気。
「え?倒れた?ボク、春先に倒れたりしましたっけ??」
…って声が聞こえそうなほどだ。
痛々しい切り口(傷跡?)部分も緑の葉でだいぶ隠され、「もともとこういうズングリした木です」って言われたら信じてしまいそうなほどだ。
そして隣にある根っこ部分はと言えば…。
アフロ大爆発
…みたいになっていた。
笑った。本体どこ行ったよ、って感じだ。
モンスター化している。
元気で何より。
安心した僕らは、本殿へのお参りをした。
大銀杏の脇には、応援メッセージが数多く書かれたボードが設置されていた。
読んでほっこりした。
みんな大銀杏が好きなのだ。
誰から見ても、大先輩なのだ。
この命を、次の時代に繋げたい。
冬の初めの木枯らしと共に
初冬の早朝。僕は1人で再び鶴岡八幡宮の鳥居をくぐった。
少し遅くなってしまった。
本来であれば紅葉で黄色くなった大銀杏を見たかった。
まだ間に合うだろうか?
ちょうど朝日が当たり始めた太鼓橋。
昔はこれ、渡れたんだけどね。今は通行禁止だね。
閑散としていて寒々しい境内。木枯らしが身に染みる。
さぁ、大銀杏はどうなった?
倒壊してから初めての冬、無事に乗り切れるだけの生命力を保持できているのだろうか?
…おっ。
まだ紅葉しきっておらず、若干緑の葉もある?
とはいえ夏場に比べると、既に相当に葉のボリュームは少ないが。
紅葉の進みが遅いってのは、生命力が強いということなのだろうか?
じゃあ、根っこ側の大銀杏も元気かな?
ダメです。
こっちはなぜか全部枯れている。
針山地獄みたいな鋭いエッジが無数に天空を示しているのみだった。
同じ株だったのに、こうもキャラクターに差が出るとは。
こうして大銀杏にとって激動の2010年が終わる。
3月10日に倒壊し、それでもなんとか冬までは持った。
次は来年春だろうか?
倒壊して1年目となる3月中旬、あるいは新芽の出てくる4月か。
どっちかでまた再訪しよう。
…しかし、その願いは叶わなかった。
大銀杏倒壊からほぼ1年後となる2011年3月11日。
東日本大震災発生。
正直、大銀杏どころではなかった。
それよりも、僕がやるべきことがあるだろう。
僕は被災地に向かった。
その後は変な冒険に目覚めたり、生活事情が一変したりして、長らく鎌倉を訪問しないこととなる。
そして年月は少し流れる…。
2018年、春うららか
倒壊事件から8年が経過した。
久々に僕は鎌倉にやってきた。
まだ4月だが、むしろ夏だ。
8年ぶりで少々道に迷い、僕が汗をかいてしまっているせいもあるが。
しかし鎌倉のすぐ横は湘南ビーチである。
もうこの陽気であれば、湘南に忖度して夏と表現してもいいかもしれない。
えっと、どうなっている?
緑すぎて何が何だかよくわからない。
あるとあらゆる生命が元気すぎるのだ。さすが春。
切り株の方は、わりとノッペリしている。
まだ4月下旬だからか、葉はあまり生えていない。
しかしよく見ればちゃんと新芽も出ている。
何より顔色もよさそうだしな。肌の色つやいいしな。
大丈夫ということにしよう。
階段を少し登り、振り返る。
根っこ側がスゲー…!!
3mくらいの若木が出来てきている。
この8年で彼に何があったよ。
そして、切り株側も死角がやたらもっさりしていたよ。
スカートを引きずっているかのように、大量の新芽。
新芽って、そこに生えていて正解なのか?
数年見ないうちに、大きく成長した大銀杏。
かたや8年経っても相変わらずアホなことばかりやっているYAMAさん。
身長も伸びていないし。
このギャップよ、フハハハハ…!!
「身長よ伸びろ!そしてついでにソフトマッチョになれ!」みたいに元気よくお参りし、鶴岡八幡宮を後にした。
そして、10年後の大銀杏
さぁ、今回のエピソードもいよいよクライマックスだ。
倒壊から10年後の2020年。
その秋に僕はまた鶴岡八幡宮にやってきた。
世の中はコロナウイルスでパニックだ。
東京に次ぎ、ここ神奈川もかなりの流行だ。
なんて世の中だ。
観光業が軒並み大ダメージを受けている2020年。
鶴岡八幡宮も人が少なく感じられたし、マスクをつける人々の表情も心なしか曇っているように感じる。
それは、この曇天のせいもあるのだろうか…。
では、早速本題だ。
ダブル大銀杏。
左の切り株は、右隣にダイナミックなアフロを育成しているようだ。
向かって右側の根っこ側は、シュッとしたイケメンになりつつある。
これが切り株側。
側面から新しい幹が出てきて、育つタイプなのだろうか?
僕がかつて「屋久島」を歩いたときなど、「二代杉」と呼ばれる杉があり、それは切り株のまさに切り口から2代目の杉が誕生していたんだよね。
こういうのを「切り株更新」というそうだけど。
杉は二代目が出てくる場所が違うのかな?
根っこ側は文句なしの若木だ。
ギザギザに折れた部分が見えていたかつての幹の残骸は、土で覆ってしまったのだろうか?
もはや地上に見えているのはこの若木だけだ。
それぞれ、強烈な個性を放つフォルム。
彼らはこの先、どのような成長をしてくのだろうか?
元の大きさに戻るまでに、100年、あるいは数100年かかるかもしれない。
もちろん、僕らはその成長を見届けることはできない。
しかし、1000年生きてきたこの大銀杏を、1000年先の子孫にバトンタッチできるよう対処はできる。
新しい歴史は、まだ芽吹いたばかりなのだ。
そして、バトンを繋ぐにはこのコロナウイルスを乗り切らねばならないだろう。
世界が崩壊しないように。
1000年先の子孫のために。
僕らの物語は、まだまだ終わらない。
以上、日本6周目を走る旅人YAMAでした。
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